会計学 と 研究方法
長谷川 茂
一、
ヘ し が き
会計学にも︑方法論の必要なことが叫ばれてからすでに久しい︒会計学が︑一つの科学として昇華するためには︑ ︵1︶その研究方法の研究︑つまり方法論が重要なことは︑斯界の多くが認めるところである︒しかし︑会計学は︑その研
究対象があまりにも実践に密着しすぎているためか︑これまで︑企業の経営活動に伴って日々生起する︑当面の具体 ︵2︶的問題の解決に追われ︑その体系化︑精緻化に必須の方法論は等閑視されてきた嫌いがある︒
周知のように︑科学というものは︑種々雑多な知識の寄せ集めにすぎない常識とは異なる︒それは︑演繹推理や蓋 ︵3︶然的推理によって整合的に体系化された知識である︒したがって︑会計学が科学と呼ばれうるためには︑日々の実務
経験を通して得られた知識を︑単に集積してゆくだけで︑そのまま放置しておいてよいはずがなく︑しかるべぎ研究
方法を用いてその整合的な体系化をはかるとともに︑絶えずその精緻化にも努める必要があろう︒では︑どのような
早稲田社会科学研究 第32号(S.61.3)
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しかるべき研究方法を用いたならば︑このような作業を建設的に推し進めることがでぎるのであろうか︒方法論が会 脳計学のためにも重要な理由がここにある︒
方法論は︑会計学の研究領域としてはもっとも新しいものの一つである︒これに真正面から取り組んだ論攻も未だ
少なく︑研究の鍬が入れられたばかりのような状態にあるといってもよい︒小稿では︑会計学方法論に対する筆者な
りの構想を纒める一里塚として︑次のような点に検討を加えてみたいと思う︒会計学において︑整合的に体系化され
た理論を構築しようとする場合︑どのような研究方法が選択されることになるのか︒研究対象たる会計がもつ特性
は︑その選択にどのような影響を及ぼすことになるのか︒選択された研究方法のいかんによっては︑事実判断ばかり
ではなく価値判断を伴うこともあり︑構築された理論の性格に︑どのような影響が生ずることになるのか︒そして︑
このような選択と関連して︑他にどのようなことが考慮されなければならないか︒これらの点である︒
︵1︶ 例えば︑倉地教授は︑会計学における方法論の重要性を早くから強調してきておられる︹倉地幹三稿﹁会計学方法論に関
する一考察﹂︵明治学院論叢 第一八九号 四八五頁以下︶︑同稿﹁会計学における研究課題と研究方法﹂︵一橋論叢 第六
十八巻第一号 三二頁以下︶︑玉稿﹁会計学における挑戦のあり方﹂︵企業会計 第二十五巻第五号 一一二頁以下︶参照︺︒
︵2︶ このための研究方法として︑S器耳︒霧Φ日︒暮︒ロとか風①oΦ80言口Φ90ロなどと呼ばれるものがあり︑提示された
各解決策の間に全体的整合性を貫けない弱点はあるが︑かって英米で主流を成していた︒
︵2︶ 近藤洋逸・好並英司著﹁論理学概論﹂︵岩波書店︶二一二頁〜二七〇頁参照︒
二︑研究方法と構築される理論の性格
会計 学と研究方法
一般に︑理論形成にあたって用いられる推論の方法には︑大別して︑演繹推理と蓋然的推理の二つがあるといわれ
菊前者は・設定した前提のみから必然的に結論を導き出す推論方法で・その特徴は・前提が真ならば結論も必ず真 ︵2︶になる点︑および結論の内容がすでに前提のなかに暗々裏に含まれている点にある︒後者は︑前提のほかに観察など
を用い蓋然的な結論を導き出す推論方法で︑一般に帰納法と呼ばれているものがその代表的な方法とされ︑その特徴
は︑前提が真であっても結論は必ず真になるとはかぎらず︑その蓋然性が高まるだけという点︑および︑結論の内容 ︵3︶が必ずしも前提のなかに暗々裏に含まれているとはかぎらない点にある︒そして︑理論形成にあたっては︑これら二
つの方法がしかるべく組み合わされて併用される︒最初と最後の段階では蓋然的推理が︑その中間の段階では演繹推
理が︑それぞれ行われるのである︒すなわち︑現実と接触して仮説や前提を設定する最初の段階では︑まず蓋然的推
理が行われ︑次にこの仮説や前提から演繹推理を用いて結論が導き出され︑そして最後に︑この結論を現実に突き合 ︵4︶わせて検証する段階では︑再び蓋然的推理が行われるというわけである︒
このような推論方法そのものについて研究するのは︑論理学の仕事であるが︑これらの利用を各科学で考えるとぎ
には︑当然︑各科学ごとの方法論が成立し︑それぞれの事情に応じて附帯的に生起してくる特殊な問題の検討も迫ら ︵5︶れることになる︒このことは︑会計学の場合についても同じである︒会計学の分野では︑会計というその研究対象が
もつ特殊性をも考慮に入れて︑これら二つの推論方法を︑多種多様に組み合わせ併用したものが︑斯学特有の研究方
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︵6︶法としていろいろ提唱されている︒これらの研究方法について一々ここで取り上げることは割愛するが︑急ぎくいっ
て︑これらは二つに分類でぎるように思う︒一つは︑会計のもつ手段的性格に着目し︑これが充足している何らかの
目的との関連で︑会計理論を整合的に構築せんとする方法で︑これを︑仮に︑目的論的研究方法と呼ぶことにする︒
いま一つは︑会計の背後にある複式簿記という独特の計算思考に着目し︑会計固有の計算機構との関連で︑会計理論
を整合的に構築せんとする方法で︑これを︑仮に︑計算構造論的研究方法と呼ぶことにする︒以下では︑このような
分類を用いて話を進めて行くことにする︒
ところで︑一口に会計学といっても︑倉地教授も指摘しておられるように︑そこで構築される理論には︑性格のま ︵7︶つたく異ったものが二つある︒いま倉地教授の命名に倣って示せば︑一つは︑ ﹁説明理論﹂としての会計理論と呼ば ︵8︶れるものであり︑他は︑ ﹁指導理論﹂としての会計理論と呼ばれるものである︒前者は︑哲学にいうザイン論とか存
在論に相当するもので︑事実判断のみに依拠して︑現に存在している会計実践を在るがままに認識し︑何故そう在る
のかその存在の仕組みや理由を解明する会計理論である︒これに対し後者は︑哲学にいうゾルレン論とか当為論に相
当するもので︑立論にあたって価値判断の介入をも伴うが︑現存の会計実践を望ましいと考える方向へ指導・改革
し︑ひいては在るべぎ望ましい会計を擁立せんとする会計理論である︒したがって︑これら両理論の妥当性の検証
は︑もちろん両者とも︑会計という社会現象を研究対象としているので︑実験による検証は不可能であるが︑前老に
ついては︑現実の会計実践との対比による経験的検証が可能である︒しかし︑後者については︑この検証も不可能で
ある︒なお︑以下では︑前者の会計理論を﹁説明理論﹂と︑また後者のそれを﹁指導理論﹂と略称して論を運ぶこと
にする︒
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目的論的研究方法や計算構造論的研究方法は︑このような二つの理論の構築にあたり︑
くるのであろうか︒項を改めて考えてみることにする︒ それぞれどのように係って
︵1︶ 近藤洋逸・好並英司著︑前掲書︑七八頁︒
︵2︶ 同 右︑およびW・C・サモン著・山下正男訳﹁論理学︵改訂版︶﹂︵空風館︶ 一九頁〜二四頁参照︒
︵3︶ 近藤洋逸・好並英司著︑前掲書︑七八頁︑および一六四頁〜一六五頁︑ならびにW・C・サモン著・山下正男訳︑前掲
書︑一九頁〜二四頁参照︒
︵4︶ 近藤洋逸・好並英司著︑薗掲書︑四頁︒︵5︶同 右参照︒
︵6︶ 会計学で用いられる各種研究方法の解説については︑若杉明豊﹁会計学方法論﹂︵同文館︶や村上仁一郎著﹁会計方法論﹂
︵中央経済社︶などに詳しい︒
︵7︶ 倉地幹三稿︑前掲論文︵一橋論叢 第六十八巻第一号︶︑四六頁︒
︵8︶ 同 右︑ 一二六頁︒
三︑﹁説明理論﹂の構築と目的論的研究方法の宿命
会計学と研究方法
先にも少し触れたように︑会計学の研究対象たる会計は︑それ自体︑自己目的をもっているわけではない︒何らか
の目的を充足するための手段として︑その存在を認められているにすぎない︒会計のもっかような手段的性格からみ 旧れば︑ ﹁説明理論﹂であろうと﹁指導理論﹂であろうとそのいかんを問わず︑目的論的研究方法を用いて︑会計目的
を中心とする整合的な会計理論の構築を試みたほうが︑合理的といえるかもしれない︒
まず︑ ﹁説明理論﹂についていえば︑確かに︑この研究方法を用いて︑現存の会計実践を在るがままに事実認識
し︑その存在の仕組みや理由を解明せんと試みることは可能であろう︒しかも︑会計学の科学性を追究せんとする立
場からすれば︑形成された理論体系の整合性を後で現実と対比して経験的に検証できる︑この理論をぜひとも完成さ
せたいところであろう︒だが︑これには二つの点で大きな困難が伴う︒一つは︑ ﹁説明理論﹂そのものの本質に根ざ
す困難であり︑いま一つは︑目的論的研究方法の利用から生ずる困難である︒
初めの困難についてであるが︑そもそも﹁説明理論﹂に︑理論体系としての完全な整合性を期待するなどというこ
とが可能なのだろうか︒ ﹁説明理論﹂というものは︑もともと仮説演繹体系として形成されているはずである︒した
がって︑このような期待を抱くこと自体すでに自己矛盾を犯したことにならないか︒というのは︑仮説としての理論
は︑現実の会計実践と対比して︑いかに多くの経験的検証を積み重ねたとしても︑それが真であるとの蓋然性が単に
高められただけにすぎ覚絶対的に真であると断定でぎるよう蓮池は︑永久に出現しえないからである︒﹁説明理
論﹂であっても︑現行の会計実践を矛盾なく説明しえないようなものならば︑あるいは例外を認めざるをえないよう
なものならば︑それは﹁説明理論﹂として失格である︑との批判の声をしぼしぼ耳にする︒だが︑これは的外れの批
判といえよう︒これまでで明らかなように︑このような批判に耐えうるような﹁説明理論﹂など論理的にあるはずが
ない︒ ﹁説明理論﹂というものは︑本来︑永遠に未完成の仮りの理論なのである︒その精緻化への努力が永久に続け
られるべき筋合いのものなのである︒このように︑ ﹁説明理論﹂そのもののなかに︑完全な理論的整合性を求めにく
い厄介な体質をもっていることは︑銘記しておく必要があろう︒
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会計学と研究方法
次にもう︑つの困難についてであるが︑目的論的研究方法を利用すると︑それに伴って宿命的に避けて通れない問
題が起ってくる︒この方法を用いる場合︑果して﹁説明理論﹂の段階で留っていられるのだろうか︒必然的に﹁指導 ︵2︶理論﹂へ移行せざるをえなくなるのではないか︒ということである︒倉地教授が再三警告を発しておられるように︑
会計学の研究が混乱に陥る危険を避けるためには︑ ﹁説明理論﹂と﹁指導理論﹂の差異を明確に認識し各自その研究
に取り組むべきことは︑確かに既究態度としてはきわめて重要である︒しかし︑そのような態度を果して堅持できる
ものなのだろうか︒否︑それどころか逆に︑ ﹁説明理論﹂の毅階で甘んじていたのでは︑研究態度として怠慢との解
りを免れられないのではないか︒何故ならば︑この﹁説明理論﹂で究明の対象にしている肝心の会計実践そのもの
が︑もともと何らかの所与の目的の達成を目指しすべて矛盾なく統合的に行われているわけではなく︑この研究方法
の趣旨からすれば︑そこでは当然︑首尾一貫した合目的的会計実践へ改革せよとか︑さらには︑ヨリ有効な新しい合
目的的会計を開発し実施せよ︑などの議論へ発展して行くはずだからである︒いいかえれば︑目的論的研究方法とい
う立場からみれば︑矛盾だらけで不完全な会計実践を相手にして︑整合性のある完全な﹁説明理論﹂を構築せんとす
ること自体︑矛盾であって︑そのようなことが可能なわけがないということである︒
このようにみてくると︑経験的検証に耐えうるような整合的な﹁説明理論﹂を︑目的論的研究方法を用いて構築す
るなどということは︑実際にはありえないことになってしまう︒では︑どこに解決の緒口を見い出したならばよいの
か︒どうしても︑かかる研究方法によって﹁説明理論﹂を構築したいというのであれば︑この理論も会計学にとって ︵3︶重要な任務をもっているので︑現存の会計実践は在るがままに事実認識し︑そのなかに含まれる矛盾は矛盾として統
一的解明のない説明のままで留め︑理論的整合性の追究は断念するよりほかはないであろう︒また逆に︑かかる研究
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方法によって専ら理論的整合性のみを追究したいというのであれば︑ ﹁説明理論﹂は諦らめてむしろ﹁指導理論﹂の m構築に方向転換したほうが得策かもしれない︒さちにはまた︑ ﹁指導理論﹂は︑価値判断が介入し︑その経験的検証
が不可能なため︑科学性の点で若干疑問が残るから︑あくまでも整合的な﹁説明理論﹂の構築を目指したいというの
であれば︑計算構造論的研究方法など他の研究方法を探し︑活路を切り開くほかはないであろう︒研究の方向として
は︑これら三つの行き方のうちのいずれかを選ばざるをえなくなる︒
︵1︶ 倉地幹三稿︑前掲論文︵企業会計 第二十五巻第五号︶︑=二﹁頁参照︒
︵2︶同 稿︑前掲論文︵明治学院論叢第一八九号︶︑五一一頁︑および同
号︶︑四六頁︒
︵3︶ 同 右︵一橋論叢 第六十八巻第一号︶︑四五頁〜四六頁参照︒ 稿︑前掲論文︵一橋論叢 第六十八巻第一
四︑目的論的研究方法と﹁指導理論﹂の性格
いま述べたようなわけで︑目的論的研究方法を用いて形成せんとしている会計理論のなかに︑︸註した整合性を求
めるとなると︑究極的には︑﹁説明理論﹂の構築は断念し︑﹁指導理論﹂のほうへ転向せざるをえなくなる︒構築され
た﹁説明理論﹂をもって︑現存の会計実践を矛盾なく説明できないのは︑推論がまだ未熟だからだとの批判を受け︑
いくら努力を積み重ねてみても︑所詮︑現実を整合的に説明できる理論など作れるわけがない︒実は︑構築された
︻説明理論﹂自体に欠点があったからではなくて︑肝心の研究対象そのもののなかに欠陥があったからである︒もと
会計学と研究:方法
もと会計実践というものは︑その時々の必要性に応じて創意工夫された経験の寄せ集めにすぎない︒最初から全体的
整合性を考えて集積していった結果ではないのである︒このような会計実践の説明に︑理論的整合性を探し出すこと
など︑永遠に不可能に近いといえる︒ならば︑会計実践に囚われずに︑全体的整合性のある理論の構築を試みてはど
うか︑という発想が当然出てくる︒ここで作られた理論が︑実践の指導や改革のために適用されれば︑それは結果と
して﹁指導理論﹂ということになる︒
目的論的研究方法を用いて﹁指導理論﹂の構築を図る場合︑会計のもつ手段的性格に立脚して理詰めでいえば︑こ
れは次のように行われるはずである︒まず︑実態調査などを行って︑会計に対する社会からの全ゆる要求を︑会計目
的として把握する︒次に︑それら各目的ごとに︑その目的達成に最善の会計を個々に樹立する︒こうなるはずであ
︵1︶る︒しかし︑これを実施に移すとなると︑その経済性の面からみてほぼ不可能であろう︒そこで次善の策が考えられ
る︒これは︑各会計目的のなかでもっとも重要度の高いものについては︑まず一個入会計を樹立するが︑他の相対的
に重要度の低いものにつ︑いては︑これに何らかの補正を加えて転用する便法である︒ただし︑これには︑多種多様な
会計目的のなかから︑その前提となるもっとも重要度の高いものを︑いかに選定するかという︑きわめて困難な問題
が伴う︒だが︑これは解決可能であろう︒というのは︑現存の会計実践では︑この便法に近い︑いわば混合会計が実際 ︵2︶に行われているとみられるからである︒したがって︑これを分析すれば︑その背後に隠れている種々の目的意識が分
かるはずである︒恐らくは︑そのなかに大多数が重視している支配的なものがあるはずである︒結局これをもって︑
もっとも重要度の高い会計目的と理解すればよいわけである︒その後は︑これを立論の出発点にして︑現在種々の目
的のための会計が渾然一体となっている実践を整理し︑そこに含まれている矛盾点は修正して︑最終的には整合性の
111
ある会計に纏め上げて行けばよいことになる︒
ところで︑このようにして構築された﹁指導理論﹂の妥当性は︑どのように検証するのだろうか︒そのような内容
の会計は︑まだ実践で行われたことがないはずであるから︑ ﹁説明理論﹂の場合とは異なって︑現実との対比による
経験的検証などもちろんできるわけがない︒さらには︑会計は自然現象ではないので︑実験によって検証するわけに
もゆかない︒では︑どうするか︒
同一の会計目的を前提に置いて構築された異なった﹁指導理論﹂の間で︑そのいずれが妥当かの検証は︑それぞれ ︵3︶の推論に内在的批判を加えれば可能であろう︒というのは︑ここでの推論は︑事実判断の問題だからである︒しかし
前提に置かれた会計目的が異なる﹁指導理論﹂の間での妥当性の検証は不可能である︒何故ならば︑この場合には外
在的批判が加えられることになり︑結局は︑それぞれが前提に置いた会計目的の妥当性まで遡って価値判断をしなけ ︵4︶ればならず︑永遠に決着のつかない﹁神々の争い﹂といえるからである︒ただ︑この場合︑現実には次のような妥協
的解決で満足することになる︒つまり︑結果論ではあるが︑大多数が実際に選択した理論をもって︑そのような結果
になったのは︑これがもっとも妥当性をもっていたからだと理解するわけである︒そして︑その選択が本当に妥当で ︵5︶あったか否かの最終的な判断は︑後世史家の評価に待つことになるのである︒
﹁指導理論﹂の構築に目的論的研究方法を用いれば︑確かに︑理論的整合性は貫徹し易いが︑それには以上のよう
な難点が伴う︒そこで︑いま一度原点に立ち返り︑本質的に価値判断が介入するはずがなく︑かつ経験的検証の可能
な﹁説明理論﹂を︑計算構造論的研究方法など他の研究方法を用いて整合的に構築しうる途を︑模索せんとの動きが
当然出てくる︒
112
︵1︶ 拙 稿﹁財務会計目的の遂行と貨幣価値変動﹂ ︵福島大学経済学会 商学論集 第三十四巻第三号︶一頁以下︑および 拙稿﹁貨幣価値の変動と資本維持﹂︵同学会商学論集第三十七巻第四号︶七五頁〜七八頁参照︒
︵2︶ 例えば︑中小企業では税務会計を︑また大企業では証取会計を︑それぞれ中心にして会計を実施しているとみられてい
る︒︵3︶ 近藤洋逸・好並英司著︑前掲書︑二七六頁〜二七七頁参照︒
︵4︶ マックス・ウェーバー著・尾高邦雄訳﹁職業としての学問﹂︵岩波文庫︶五四頁︒
︵5︶ 近藤洋逸・好並英司著︑前掲書︑二七八頁参照︒
五︑価値判断の回避と計算構造論的研究方法の限界
会計学と研究方法
﹁指導理論﹂には必然的に価値判断が介入する︒会計学の科学性を高めようとの動機から︑目的論的研究方法を用
いてせっかく整合性のある理論を組み立てたとしても︑これではいかんともし難たい︒会計学も含め社会科学が︑自
然科学と較べて︑これまで科学性の点で遜色がみられたのは︑その科学的探究にあたり価値判断が混入し事実認識を ︵1︶歪曲させる恐れがあったことに︑その原因の一つがあるといわれる︒かつて︑マックス・ウェーバ1も︑このことを
憂えて︑社会科学の研究に価値判断が介入しその科学性を損うことのないよう︑科学と政策の分離を強調したわけで
︵2︶ある︒したがって︑会計学においても︑その科学としての昇華を目指すのであるならば︑当然そこでは︑価値判断の
混入の恐れのない何らかの研究方法を探し出し︑これを用いて整合性のある﹁説明理論﹂の構築を試みてみる必要が 13 1あろう︒このための方法が︑計算構造論的研究方法である︒
既述のように︑計算構造論的研究方法では︑会計の背後にある複式簿記という独特の計算思考に着目し︑会計固有
の計算機構と関連させて︑現存の会計実践を解明して行こうというのである︒この方法の主たる狙いは︑推論への価
値判断介入の防止にあるとみられる︒このため︑そこではまず会計目的への論及は避けられている︒これに触れる
と︑前述したように︑必然的に﹁指導理論﹂へと展開せざるをえなくなるからである︒さらにそこでは︑会計という
ものを︑純粋に︑計算の仕組みに関する問題とだけみて︑取り上げようとしている︒会計実践も社会現象の一つでは
あるが︑数値をもって表現するのを特色としているため︑多分に自然現象に近い性質をもっているものと理解するな ︵3︶らば︑価値判断のまったく介入する余地のない自然科学と同じように取り扱うことができるからである︒このよう
に︑この研究方法は︑価値判断の介入を回避せんとの発想から考え出されたものといえる︒
では︑計算構造論的研究方法を用いてみて︑実際に︑推論への価値判断の介入を排除し︑整合性のある﹁説明理
論﹂の構築に成功したのであろうか︒この方法では︑会計実践を単純に計算機構としてのみ解明して行くので︑価値
判断の入り込む余地はなく︑この点は︑一応︑成功したものといえるかもしれない︒しかし︑整合性ある﹁説明理
論﹂の構築という点では︑大きくいって︑次のような二つの限界があり︑首尾一貫した矛盾なき説明を行うには無理
があるようである︒
一つは︑この研究方法による場合︑いくら新しい独創的な説明を試みようとしても︑結局︑複式簿記という独特の
計算思考の枠組みから抜け出せないということである︒例えば︑説明の難しい例としてよく使われる引当金や繰延資
産などの問題にしても︑この計算思考がなければ︑この世に存在するはずがなく︑これ以上の変った新しい説明など
試みようもない︒どのような複雑な会計実践であっても︑その背後にはこの計算思考が貫かれているからである︒そ
114
して︑いま一つは︑たとえこの研究方法に基づいたとしても︑推論の過程で究極的には会計目的に論及せざるをえな
くなることである︒例えば︑この研究方法では︑よく︑会計は損益計算のための計算構造に成っている︑というが︑
まさか損益計算そのものが自己目的をもっているわけではあるまい︒何故︑損益計算を行うのかと︑順次遡って問い
詰めて行けば︑結局︑社会から求められている何らかの会計目的に突き当るはずである︒もともと︑会計実践という
ものは︑何らかの目的意識をもって行われた行動の結果を︑会計数値を用いて表現しただけにすぎず︑その背後には ︵4︶必ず目的意識が存在しているはずだからである︒
このようなわけで︑計算構造論的研究方法も︑価値判断の回避には成功したが︑目標の整合性ある﹁説明理論﹂の
構築にはいま一歩といったところである︒
︵1︶ 近藤洋逸・好並英司著︑前掲書︑二七一頁〜二七八頁参照︒
︵2︶ マックス・ウェーバー著・富永祐治・立野保男共訳﹁社会科学方法論﹂︵岩波文庫︶九頁〜三一頁︑および一〇五頁〜一
会計学と研究方法
○八頁参照︒
︵3︶ 近藤洋逸・好並英司著︑前掲書︑二七六頁参照︒
︵4︶ 倉地幹三稿︑前掲論文︵一橋論叢 第六十八巻第一号︶︑
共訳︑前掲書︑一四頁〜一五頁参照︒
六︑むす
び
三五頁︑およびマックス・ウェーバー著・富永祐治・立野保男
恥以上︑会計学を科学として追究して行くための研究方法について︑それを用いて構築されるはずの会計理論の性格
と関連させて︑検討を試みてきたが︑そこでは次のような点を明らかにできたと思う︒
e 研究対象の会計がもっている特性から︑会計学における研究方法は︑大きくいって︑二つに分類できる︒一つ
は︑会計の手段的性格に着目し︑これが充足を目指している何らかの会計目的と関連させて研究して行く目的論的
研究方法である︒いま一つは︑会計の背後にある複式簿記という独特の計算思考に着目し︑会計固有の計算機構と
関連させて研究して行く計算構造論的研究方法である︒そしてこれらのうちいずれを選択するかは︑構築を意図し
ている会計理論の性格によって決まる︒
口 会計学で構築される理論には︑性格のまったく異ったものが二つある︒一つは︑現存の会計実践を事実判断に基
づいて解明する﹁説明理論﹂である︒いま一つは︑この実践の指導・改革を目指す﹁指導理論﹂で︑そこには当
然︑価値判断が介入する︒これら両者とも︑会計実践という社会現象を研究対象としているため︑その妥当性にっ
いて実験による検証は不可能であるが︑前者は︑現実との対比による経験的検証が可能である︒しかし︑後者にっ
いては︑大多数が会計実践で実際に採択した理論をもって︑もっとも妥当性が高いものと見倣すか︑あるいは後世
史家の評価に待つよりほかはない︒
日 会計学の科学性を高めるという視点からみれば︑価値判断が混入せず事実認識を歪める恐れのない﹁説明理論﹂
の構築を試みるのが︑本筋であるが︑目的論的研究方法の場合には︑二つの点でこれが難しい︒一つは︑仮説演繹
体系として理論形成が行われるため︑永久に理論的整合性が求められない点である︒いま一つは︑研究対象になつ
ている肝心の会計実践そのものに欠陥がみられるため︑この研究方法の趣旨からすれば︑ ﹁指導理論﹂へ移行せざ
るをえない点である︒
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四 会計のもつ手段的性格を重視するならば︑目的論的研究方法によって︑整合性ある﹁指導理論﹂を構築すること
になる︒この場合︑前提に置かれた会計目的については︑価値判断の問題なので︑理論構築時点ではその妥当性を
検証できないが︑その後の推論過程については︑事実判断の問題なので︑論理的に検証できる︒
㈲ 前述の日と同じ立場から︑計算構造論的研究方法による﹁説明理論﹂の構築が試みられている︒そこでは︑会計
実践を自然現象に近い性質のものと理解しようとしているため︑価値判断介入の回避には成功しているが︑整合性
ある﹁説明理論﹂の構築という面では︑次のような二つの限界があり︑必ずしも成功しているとはいえない︒一つ
は︑会計実践なるものが複式簿記という計算思考の適用による産物なので︑実践の解明もこの計算思考の枠組みか
ら抜け出せないことである︒いま一つは︑会計の背後には必ず目的意識が存在しているので︑理論形成にあたって
会計目的を無視するわけには行かないことである︒
以上である︒方法論は会計学においてもきわめて重要な問題といえる︒したがって︑これらの諸点を踏えて︑その精
緻化のために今後の一層の研究が待たれる︒
︵一九八六・一・一〇︶