中国における都市の統治構造と改革の行方 : 「単 位制」からの転換
その他のタイトル The Governmental Structure and the Future of Its Reform in Urban China
著者 小林 弘二
雑誌名 關西大學法學論集
巻 49
号 1
ページ 1‑51
発行年 1999‑05‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00024476
中国
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ける
都市
の統
治構
造と
改革
の行
方
にな
った
のは
︑
一九九二年の鄭小平の﹁南巡講話﹂に続いて︑一九九四年の第十四回党大会が全面的な市場経済化を
中国の都市はいままさに改革の激動期に突入しようとしている︒部小平が﹁改革と解放﹂を提起して以来ほぼ二〇 年が経過したが︑その間都市の変動は比較的緩慢であった︒高層ビルや道路の建設ラッシュによって都市の外観は大 きく変わり︑外資や外国技術の導入をテコに一部の産業分野︑たとえば電気製品や自動車などの製造業や︑いわゆる 第三次産業の分野は急拡張を遂げたが︑都市社会の基底部分は︑つい最近まで﹁城郷分割﹂︵都市と農村の分断︶の 政策と﹁単位制﹂に支えられて︑大きな変動を免れてぎたからである︒都市社会が全体として激変にさらされるよう
提起して以降のことである︒
都市の基層レベルの統治構造は﹁街居制﹂と﹁単位制﹂という二元構造を特徴としている︒大都市の末端の行政機
一
︑ は じ め に
│
│
﹁ 単 位 制
﹂ か ら の 転
換I
小 林
中国における都市の統治構造と改革の行方
弘
老人︑農村からの流入者など︑
一部の都市住民に限られている︒
構としては︑区政府の下にその出先機関である街道弁事処が設置されていて︑さらにその下には住民の自治組織とさ
れている居民委員会が置かれている︒街道弁事処ー居民委員会からなる街居制︵﹁街居制﹂というのは筆者の呼び
名で
あっ
て︑
末端の行政がこの機構を通じて実施されていれば理解が比較的容易なのであるが︑実はそうではない︒都市住民の圧 倒的多数を占める︑企・事業単位︵企業や事業団体である﹁単位﹂︶や︑党・政機関︵これもさまざまな﹁単位﹂か
らな
る︶
第四九巻第一号 一般的ではない︒﹁街居体系﹂と呼ばれることがある︶
の下に都市住民のすべてが組み込まれていて︑
で働く住民は︑家族をも含めて︑実は街居制の管轄外に置かれている︒それというのも︑単位それ自体が閉 鎖的で︑多機能かつ自足的な政治社会システムを構成していて︑単位に所属する職員・労働者とその家族は︑都市行 政を代行している単位の統制下に置かれているからである︒単位は︑職場であると同時に︑構成員にとっては行政機
構でもあり︑ひとつの自己完結的なコミュニティ
︵ ﹁
社 区
﹂ ︶
でもある︑という特異な性格を有している︒本来行政が
提供するはずの都市住民に対する各種の社会的サービスも︑単位が提供している︒住宅︑医療︑社会保障︑福祉︑さ らには子女の学校教育から就職にいたるまで︑単位が構成員の面倒をみている︒したがって街居制の対象となる都市 住民は︑単位からはみ出した︑個人商工業者︑私営企業の経営者とその従業員︑外資系企業の関係者とその従業員︑
単位制を根幹とし︑街居制をもってこれを補完する︒都市の統治構造は︑都市改革が本格化するまでは︑長年にわ たってこれが基本構造であった︒ところがつい最近になって異変がおきている︒単位制が変容をよぎなくされ︑統治
構造の根幹たりえなくなりつつある︒
中国では初対面の相手に対して︑身元確認の意味も含めて︑﹁あなたの単位は何ですか﹂と訊ねるのがふつうであ
関法
る︒訊ねられた方は︑自分が所属する機関名や工場名を口にする︒それによって双方の了解が成り立ち︑会話が始ま
る︒ところが最近︑こうした習慣に変化の兆しがみられるという︒ラジオの音楽番組のディスクジョッキーに運よく
取り次いでもらえた若者が︑あなたの単位はと聴かれて︑﹁身分証の番号でもいいでしょうか﹂と遠慮がちに問い返
( 1 )
す例が増えているといわれる︒職はなくてもよいが単位がなくては生活できないというが︑長年にわたって都市住民
のあいだでは常識となっていた︒しかし最近になって単位に所属しない都市住民が急増している︒権力者の側からす
れば︑単位を統制下に置くことで都市の統治が安泰だ︑という時代ではもはやなくなりつつある︒
まことに奇妙なことがら︑都市統治の実態を明らかにする情報︑資料は︑今日なおきわめて乏しい︒あの広大な農
村の統治に関する情報︑資料よりもかえって少ないくらいである︒最近大都市では︑﹁改革と開放﹂政策を象徴する
かのように︑外資系の外食チェーン店が繁華街のいたるところに出現しており︑外国人居住者も著増している︒とこ
ろがそれにもかかわらず︑基層の都市住民がどのような統治下に置かれているのか︑実態は今日もなお深い霧の中に
閉ざされたままである︒外国人にとっては︑都市統治はまさにプラックボックスとでも呼ぶほかないような状況にあ
る︒中国当局が関連情報・資料をほとんど公開しないし︑中国の研究者が公開の出版物でその実態に言及することも
まれである︒外国人研究者が街居制や単位制の実態に迫るには多大の困難がともなう︒
近年欧米の研究者たちを中心に単位制に対する関心が高まっている︒主要な動機は︑権威主義的政治体制から民主
主義的政治体制への転換を視野に入れて︑﹁国家と社会﹂の新たな関係︑萌芽的な市民社会の形成如何を︑探ろうと
するところにあるように思われる︒都市改革の深化にともなって単位制にどのような変化が起きているのか︑欧米の
( 2 )
研究者たちの関心がその点に集中している︒また最近中国の研究者たちによる﹁単位制﹂への言及も少しずつふえる
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第四九巻第一号
小稿の課題は︑都市の旧来の統治構造と︑最近の都市改革に起因するその変容を︑乏しい情報︑資料を綜合するこ
とによって解明しょうとするものである︒単位制と街居制を同時に視野に入れて構造と変容の概況把握を試みること
に︑主眼がある︒以下︑次の順序で課題に接近することにしたい︒第一に︑都市の統治構造の形成と統治構造の概要
を明らかにすること︑第二に︑最近の上海における街居制改革の模索について概説することと︑北京の流入人口集中
居住地区である﹁浙江村﹂が都市統治に投じている問題点を探ること︑第三に︑国有企業改革が単位制にもたらした
影響について解明するとともに︑単位制後の統治構造について考察すること︑以上である︒
二︑都市の統治構造
統治構造の形成
中国革命︵新民主主義革命︶においては︑主要都市は︑長期にわたった革命戦争の最終段階で人民解放軍の武力に
よって制覇された︒﹁農村をもって都市を包囲する﹂という革命戦略の帰結であった︒都市の労働者階級が蜂起して
ブルジョア政権を打倒し︑権力を奪取する︑というプロレタリア革命の公式とは︑まったく異質の過程がそこでは展
開されたのである︒
都市を攻略した人民解放軍は︑軍事管制委員会を設置し︑その統一指揮の下で軍事代表や工作組を派遣して国民党
の政府諸機関を接収するとともに︑官僚資本︵大規模企業︶の没収を進めた︒広範囲にわたった上からの接収工作は︑
﹁接管︵接収・管理︶工作﹂の名で呼ばれている︒そして接管工作の遂行とあわせて︑軍と共産党は︑治安の維持と
( 1 )
関 法
( 3 )
傾向
にあ
る︒
四
四
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( 4 )
革命政権の基盤強化のために︑ただちに都市住民の組織化に乗り出した︒
一九四九年一月の天津︑北京の制覇の直後に︑大衆の起ち上がりを期待して︑土地革命後の農村の一二級政権︵県│郷—村)建設方式にならって、共産党は都市でも三級政権(市~区|街)の樹立を試みた。土地革命と同様、旧支配
秩序を打破するために大衆を動員して︑大衆の破壊のエネルギーを基層政権樹立へと誘導しょうとしたのである︒だ
がこの試みはわずかニカ月で挫折した︒農村での経験をそのまま都市に持ち込むことは︑都市住民を不安に陥れて混
乱を増すだけで︑弊害の方が大きかったのである︒国民党支配下の基層住民に対する統治手段であった保甲制度︵一
を負
わせ
る制
度︶
五
五
1 0
甲ないし三〇甲をもって保とする住民組織によって︑地域ぐるみで連帯責任
への対応も︑当初の破壊の方針から︑利用・改造の方針へと変わった︒また基層の政権機構という
ことでいったんは成立した区︑街政府が撤廃されて︑街道︵区の下の準行政区画︶では公安局の派出所が街政府に
( 5 )
とって代わった︒また区政府も市政府の出先機関である区公所に改組された︵区政府は翌年復活した︶︒撤廃理由に
ついて当時の説明は︑都市の特徴は経済︑人口︑地域の集中性と交通手段が整備されていることにあるのだから︑行
政機構もそうした特徴に適合した高度の集中性を備えたものでなければならないと述べている︒そして具体的にはこ
ういう問題があるとして指摘されているのが︑都市統治の根幹に関わる次の点︑すなわち各区︑街にある工場︑銀行︑
機関︑学校などは区︑街政府が管理できないし︑また管理すべきでないという︑大衆の組織化という視点に立っての
問題点であった︒工場︑銀行などの単位は︑それらが所属している系統や部門ごとの︑タテ割りの管理体制下に置か
れるべきだとしている︒したがってそこに働く職員や労働者も︑業種別︑部門別で組織されることになり︑区︑街政
府の管理の対象から除外された︒基層の行政機構が管理の対象とする住民は︑未組織の都市住民のみになった︒単位
0
戸ないし三0
戸を
もっ
て甲
とし
︑
第四九巻第一号
︵ 六
(
︶6 )
の起源については諸説があるが︑単位制と街居制という都市統治の二元構造の成立は︑ここに始まる︒
北京︑天津よりも四カ月遅れて共産党統治下に入った上海では︑三級政権建設方式は最初から回避された︒そして
翌一九五
0
年︳︱‑月に︑区接管委員会を母体として︑区人民政府の編成が開始された︒区レベルに末端の政権機構を置くことにしたのは︑北京︑天津でその必要性が再確認されたことに加えて︑モスクワでの政権建設を参考にしたもの
( 7 )
ニ
r ,
とし
都市における政権建設は︑数年にわたる試行錯誤の過程を経て︑区政府︵区を置かない市では市政府︶の下にその
︵以下﹁街弁条例﹂と記す︶が公布されて︑それ以後基層の行政機構として街道弁事処が全国の都市に導入された︒
このとき﹁城市居民委員会組織条例﹂も同時に公布されている︒これによって都市住民の自治組織とされる居民委員
会の正式導入が決まったのである︒単位に所属しない住民の組織化に強い意欲を示していた毛沢東の意向に沿うもの
( 8 )
という︒こうして街道弁事処ー居民委員会からなる街居制が発足した︒この方式については︑国民党支配下の保甲
( 9 )
制度を継承︑転化させたものだという指摘がなされている︒
街居制が成立したばかりの頃︑その管理対象となる︑工場︑企業︑学校︑機関に所属しないいわゆる﹁街道居民﹂
( 1 0 )
は︑都市によっては六
0
%以上にも達していた︒しかしその後工業化の進展と私営工商業の社会主義的改造にともなって︑都市住民の大半が集団所有制を含む何らかの公有制単位に吸収されて︑街居制の対象となる人口が激減した︒
毛沢東時代に繰り返された政治の激動は︑都市の統治構造の基底をたびたび揺るがせた︒大躍進期には都市にも人
民公社制度が導入されたし︑文化大革命期には街道革命委員会と革命居民委員会が出現し︑軍隊式編成︵営ー連ー 出先機関である街道弁事処を設置するということで決着をみた︒一九五四年︱二月に﹁城市街道弁事処組織条例﹂
関法 六
( 2 )
作を担当してもよいとする︵第一九条︶︒実際には︑規模の大きい単位はすべて家族委員会を設置しており︑単位が( 1 4 )
街居制の行政機能を代行している︒
ま ︑
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改革
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方
と記す︶が公布された︒修正時の主要な争点の︱つは︑居民委員会の活動として
生産1 1
I I 服務事業︑すなわち企業経
営を認めるべきか否かという問題であった︒基層レベルで失業者などの就業の場を確保すると同時に︑収益を福利事
( 1 2 )
業に回したいというのである︒最近では一部の居民委員会が大々的な事業展開を行っている︒一方﹁街弁条例﹂の方
( 1 3 )
は︑主要都市での試行を経て修正案がすでに固まったとされるが︑いまだに公布されていない︒
都市統治の二元構造は今日も変わっていない︒修正後の﹁居委会法﹂は︑﹁機関︑団体︑部隊︑企業事業組織は︑
所在地の居民委員会に参加しない﹂と明記している︒ただし︑居民委員会が単位と関係のある問題について協議する
際には︑必要に応じて代表の参加を求めることになっている︒また単位に所属する職員︑労働者とその家族について
一応は居民委員会に参加させることにしているが︑単位が別途に家族委員会を設置し︑居民委員会に代わってエ
都市統治の二元構造 たらした激動への対応を迫られることになり︑
七 七
一九七八年の十一期三中全会で部小平の指導権が確立されると︑文革期の法規や制度の混乱を是正するための措置
が相次いで打ち出された︒そしてその一環として︑文革期以前の法規の点検が行われ︑その一部が再公布された︒
﹁城市居民委員会組織条例﹂もこのとき再公布されている︒しかし再建された街居制は︑やがて﹁改革と開放﹂がも
( 1 1 )
排︶によって都市の統治が行われた︒
一九八九年には修正を経た﹁居民委員会組織法﹂︵以下﹁居委会法﹂
都市の基層の統治構造は︑街居制と単位制からなる二元構造を特徴としているが︑政治権力を実質的に掌握して政
策遂行のカナメとしての役割を果たしているのは︑共産党の組織機構である︒またそれに加えて︑労働組合や婦女連
合会などの有力な団体の下部組織も影響力を行使しているので︑実際には統治構造が三元構造︑さらには多元構造か
らなっていると見ることもできる︒ただ共産党の都市住民に対する権力行使は︑通常は︑街居制と単位制という行政
上のチャンネルを通じて実現される︒
近年の都市化の加速と市制実施基準の緩和によって︑過去数年来﹁市﹂の数が急増しており︑
が六
0
0
を上回った︒大小さまざまの市に対して︑市の規模に見合う形で行政上の格付けがなされているが︑大きく分けると直轄市︵北京︑天津︑上海︑重慶︶︑省轄市︵各省の省都など大都市が多い︒地級市とも呼ばれる︶︑県級市
︵小都市︶の三種類に分かれる︒巨大都市である直轄市のほか︑省轄市の多くも︑市の下に区︵市轄区︶を設置して
( 1 5 )
いる︵市轄区にも都市部の城区のほか近郊農村の郊区が含まれる︶︒
大会が設置されている︒区人民代表は︑居住地域や工作単位ごとに設置されている︑選挙区から選出される︒
都市の末端の行政機構である街道弁事処は︑政権機構ではなく︑区政府の出先機関である︒街道弁事処の管轄下の
一九八二年末の街道弁事処︱二二のうち︑人口が五万人を越える
弁事処が六九あった︒最大規模は九万人以上︑最小規模は一万二︑
000
人余である︒一九七0
年代の広東市の一弁事処当たりの居民委員会の数は平均で約二
0
であった︒なお行政上の格付けからすると︑直轄市のレベルがいわゆる 人口規模にはかなりの幅がある︒上海市の例では︑ 区レベルは都市における末端の政権機構のレベル︵農村では郷レベル︶とされていて︑区には区政府と区人民代表 ①街 居 制
関法
第四九巻第一号
八
一九九四年には総数 八
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九
︵ 九
省級に相当するので︑直轄市の区は通常の市級︑街道弁事処は県級とされている︒行政機関から国有企業に至るまで
いわゆる国有の単位もまた︑それぞれの階層︵﹁層次﹂︶が定められていて︑省級︑地︵区︶級︑県級などの格付けがな
( 1 6 )
されている︒そしてこの階層がノーメンクラツーラと呼ばれる職務上のポストの序列と照応する形になっている︒
都市統治の特徴として指摘されるのが︑﹁整体性﹂︵一体性︶と﹁集中性﹂である︒市党委員会が︑市の全域を対象
に、集中的に権限を行使する仕組みをいう。したがって市~区|街の三層からなる行政機構のうち、区と街の権限行
使の範囲は極めて限定されていて︑しかも下のレベルにゆくほど権限行使の幅が狭まる︒街居制が発足したばかりの
頃︑﹁街弁条例﹂の規定する幹部数はわずかに七人で︑任務についてもごく簡単な規定︑すなわちい上級政府に
よって課された任務の遂行︑国居民委員会に対する指導︑詞住民の意見の吸い上げ︑という三項目が設けられている
だけであった︒しかし最近では︑管轄下の人口が急増し︑弁事処の業務内容が激変したために︑﹁街弁条例﹂の規定
が実態と大きく乖離してしまった︒そこで弁事処の任務について︑各地で実情に応じて新たに規定を定めているよう
( 1 7 )
であ
る︒
みられる
五I I
科へ
三
室"
は︑
機構
図︵
図
1 )
街道弁事処の機構は地域差が大きいといわれるが︑通常は一
0
余の工作部門からなるとされる︒各地に共通すると( 1 8 )
の示す通りである︒このほか街道には上級の業務部門の出先機関が置
かれている︒これにも地域と時期によって差があるが︑上海では一九八
0
年代
半ば
の機
構の
急膨
張ま
では
︑"
五所
一
院一場といわれていた︵図1参照︶︒これらの出先機関は上級の各分支機構︵公安分局など︶と直結していて︑級
別からすると弁事処と同格で︑弁事処に指揮権はない︒後述する﹁条塊﹂︵タテとヨコ︶関係の複雑さを示す一例で
ある︒これらの機関は区レベルにおいてもタテの統制を強く受けており︑︵区政府からの︶独立色が強いものと推察
図
1
街 居 制 機 構 図関法 第 四 九 巻 第 一 号 行 政 弁 公 室
社会治安綜合治理弁公室 計 画 生 育 弁 公 室 居 民 工 作 科 城 市 管 理 科 労 働 管 理 科 文 教 衛 生 科 財 政 管 理 科
公 安 派 出
所 工 商 行 政 管 理 所
房 管 所 ( 住
宅 )
糧 管 所 ( 食 糧)
環 衛 所 ( 環 境 衛 生 ) 地段医院(横町医院)
菜 場(市 場)
(出所)
は在職の職員労働者︑学生︑離退職者︑ 民﹂が管理の対象であったが︑最近で
筆者が推測により作成。矢印は指揮系統を示す。
また以前は単位からはみ出した﹁純居 る事実に示されている︒これは天津市
( 2 1 )
の年間の財政収入に相当するという︒ 道の納税額が一
0
0
億元にも達してい の一端は︑全国九万五︑000
余の街
な比重を占めるようになっている︒そ までは企業経営などの経済活動が大き 業︑出産規制の四項目であったが︑い 理︵公共事業︑環境衛生等︶︑福利事 されていたのは︑治安の維持︑市政管 る︒最近まで弁事処の中心的な任務と 街道弁事処の業務が近年激増してい までは数十人から一
00
人︑二
0
人
0
( 2 0 )
といった規模に達しているという︒
( 1 9 )
される︒なお街道弁事処の幹部数はい
10
(10
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の行
方
ばかと思われるが︑上海で平均四︑
000
人︵
最大
八︑
000
人︶
︑北
京で
は平
均二
︑
000
余人
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って
いる
︒
( 2 5 )
は一
︑
0
0 0
ーニ
︑五
0
0
人といったところである︒居民委員会にも主任︑副主任のほか数人の幹部がいる︒﹁居委会法﹂では五ー九人︑実際には平均四・五人だという︒
幹部構成をみると︑例えば一九九三年春に天津市の二︑
0
六四居民委員会の正規の︵﹁任職証書﹂を所持する︶幹部数一万
三︑
000
余人のうち︑退・休職の教員や幹部が六一%︑共産党員が二六・六%を占め︑平均年齢は五三・九歳で
あった︒国家幹部である街道弁事処の幹部と違って︑居民委員会幹部には給与でなく少額の手当が支給されることに
なっている︒しかし︑最近経済活動が活発な一部の居民委員会ではかなりの手当を支給している︒居民委員会幹部は
( 2 6 )
タテマエとしては住民の選挙で選ばれることになっているが︑実際には上級が任命する場合もある︒
居民委員会にはいくつかの委員会が付設されている︒各地にほぼ共通しているのは治安維持︑衛生︑住民紛争の調
停︑出産規制︵﹁計画生育﹂︶︑社会福利︑文教の各委員会である︒居民委員会の幹部が分担して指導にあたっている︒
自治組織とはいうものの︑実際には委員会の任務の多くが国の方針や政策の遂行とかかわっており︑その請け負いと の
規模
は︑
﹁居
委会
法﹂
によ
ると
︑
個人商工業者︑私営企業主と従業員なども対象として包摂されることになった︒さらに街道に位置する機関︑工場︑
( 2 2 )
学校等の単位に提供される各種のサービスも急増しているという
街居制を構成する居民委員会は︑﹁住民が自己管理︑自己教育︑自己奉仕する基層の大衆による自治組織﹂である
︵﹁居委会法﹂第六条︶︒自治組織であるゆえんについては後述するが︑その点は農村における村民委員会と同様であ
( 2 3 )
︵
2 4 )
る︒居民委員会は公安派出所︵管轄区域は街道弁事処と同じ︶の戸籍区画︵﹁地段﹂︶ごとに設置される︒居民委員会
‑ o
o i
七
0
戸からなるとされている︒各地の実際の規模は︑
0
一般
に
一九
八
0
年代半第四九巻第一号
( ︱
二 ︶
いった色彩を強く帯びている︒政策の徹底を保障することと引き替えに︑企業経営をも含めてある程度の自主的な活
動を許容する︑というのが自治たるゆえんである︒居民委員会は街道弁事処の﹁委託弁事処﹂になっている︑という
( 2 7 )
批判がなされても不思議でない︒
近年居民委員会の性格を大きく変えることになったのは︑その経済活動である︒文革後に下放先の農村から都会に
戻っ
て来
た一
︑
000
万人にものぼる失業青年の救済や︑地域住民の福利厚生を目的として開設された︑小規模な家
内工業や修理業︑小商店︑食堂︑託児所などが︑おりからの市場経済化の波に乗って急成長を遂げ︑いまでは多額の
税金を支払ったうえ︑年間一
0
0
万元以上の利潤をあげているところがある︒だがそれにともなって︑公私混同など( 2 8 )
の弊害も最近では指摘されている︒
居民委員会の所属メンバーは︑さらにその下部機構である居民小組に編制されている︒小組は一四ー四
0
戸くらいが適当だとされていて︑集合住宅の場合は各棟ごとに一ないし数個の居民小組が設置されている︒都市住民の組織化
( 2 9 )
と動員を主眼としており︑上からの政策の周知徹底や︑住民の相互監視︑治安の維持といった役割を担っている︒か
つては︑毛沢東思想の学習の場として重視されていた︒今日も居民小組単位で住民の政治学習が行われているものと
つい最近まで都市住民はその大部分が工場︑商店︑学校︑党政機関などの国有単位に所属していた︒単位に所属し
ているということは︑単にある職場で働いているというにとどまらず︑働く当人が︑家族ぐるみで︑閉鎖的で独立し
た小社会である単位に全面的に依存して生活することを意味する︒働く当人は︑職場である単位の一員として仕事を
② 単 位 制
思われるが︑形骸化は避け難いであろう︒
関法
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方
し︑生活の糧を得る︒その限りにおいては︑中国の勤労者も他国の場合と大差ない︒だが中国においては︑職場以外
の生活空間が単位と直結しており︑従業員は生活面や個人の行動面においても単位の統制に服さざるをえないところ
に︑単位なるものの特異性がある︒第一に︑単位は従業員にとっては統治機構でもある︒単位は都市における政治支
配の基礎であって︑単位を通じて政策の徹底がはかられ︑単位を通じて選挙をはじめとする政治動員が指令される︒
単位はまた︑従業員の﹁梢案﹂︵個人履歴︶の管理︑移動の規制︑異端分子や犯罪行為の摘発といった手段を通じて︑
基層レベルの秩序維持の機能を果たしている︒従業員は︑単位外での活動であっても︑単位の証明書や紹介状なしに
行動することはほとんど不可能であるし︑また航空券の購入︑ホテルでの宿泊︑婚姻届︑出産許可にいたるまで︑す
( 3 0 )
べて単位による合法性の証明が要求される︒第二に︑単位は︑本来ならば国や地方政府が提供するはずの各種の社会
的サービスを構成員に提供している︒住宅︑医療︑福利︑教育︑就職︑老後保障など︑まさに
ゆり籠から墓場まI I
でといわれる各種のサービスを提供しており︑これこそが都市住民の特権だと最近までみなされていた︒だがそれ
( 3 1 )
はまた︑都市住民を単位に緊縛し︑離脱をほとんど不可能にする足枷でもあった︒
単位とは何か︒あまりにも漠然として捉え難い語であるが︑近刊の英文書は︑機能面からみたその属性として︑次
の五項目をあげてい酎︒い従業員に対する人事権行使
療施設︑食堂︑車輛等︶詞独立会計・予算の実施
︵党
政機
関︑
国有
企業
など
︶︒
伺従業員の生活保障のための諸施設の維持︑管理︵住宅︑医
屈都市または非農業地域の管轄圏
りパプリック・セクター
単位は大きく分けて企業単位︑事業単位︑行政単位︑からなる︒まず工場や商店などからなる企業単位は︑単位数
三
0
万余(‑九九0
年︶
︑被
雇用
者一
億一
︑三
七
0
万人(‑九九四年末︶を数える︒次に事業単位というのは︑非生産︑︵ 一
三 ︶
第四九巻第一号
非営利の各種事業を営む単位で︑研究所︑学校︑病院︑文化体育施設︑社会事業団体︑などからなっている︒
五年時点で単位数は一三
0
万以上にのぼる︒行政単位は︑その数が一九九0
年に二五万三︑五八七︑雇用者数は一九九四年末で約一︑
000
万人であった︒行政単位は︑中央から基層レベルに至るまで各級に分かれており︑独立性を( 3 3 )
保持している機関はそれぞれが︱つの単位である︒なお階層による区分がなされているのは行政単位だけでなく︑企
業︑事業単位についても同様である︒国有企業は通常大型︑中型︑小型に区分される︒区分の具体的な基準は明らか
でないが︑この規模の大小が国有企業を管理する行政機構の階層とほぼ照応しているようである︒中央政府所属の国
有企業数は︵その大半は地方に分散︶
( 3 4 )
級政府に所属している︒中央の部級にランク付けされる単位には︑大規模企業だけでなく︑病院なども含まれる︒地
一万
四︑
0
五二で︑企業数の五・ O
%を占める︒残りの九五%の企業は︑地方各
方の場合も同様である︒省級の公司や研究所︑地市級の学校や商店︑処県級︵処は県に相当する行政機構の一レベ
( 3 5 )
ル︶の供錯合作社といった区分けがなされている︒
単位の統治構造としての側面については情報が乏しい︒党の組織機構を通じて党の政治支配が貫徹している点は︑
各単位に共通しているものと想像される︒重要なのは単位の人事部門が行っている梢案の管理である︒本人の履歴︑
それも業務と政治の両面にわたる本人の行動記録と組織がそれに対して行う評価など︑数十種類もの項目にわたって
( 3 6 )
記録されているという︒この梢案が︑有形︑無形の圧力となって︑本人の行動を規制することになる︒各単位は業務
部門のほか後方勤務部門を抱えている︒構成員に各種のサービスを提供するための要員を擁しているのであるが︑こ
れらの要員のなかには党務担当者や行政的な職務︑たとえば治安の維持や出産規制などの担当者が含まれている︒家
族ぐるみで数十万人にものぼる構成員をかかえている巨大単位のなかには︑
関法
一 ︑
000
人以上もの治安要員をかかえ一
四
︵ 一 四 ︶
一九
九
中国
にお
ける
都市
の統
治構
造と
改革
の行
方
まず区政府との関係では︑街道弁事処は区政府の出先機関とされているので︑両者の関係は命令への服従を意味す の関係がそれである︒ ここでは中国の論者たちがしばしば指摘している以下の三つの問題点に的を絞って︑概説することにする︒中国における都市の統治構造の最大の特徴はそれが二元構造ないし多元構造からなっている点にあるが︑そのことは行政面での地域としての一体性の確保や︑ヨコの調整の難しさを示唆している︒事実街居制と単位制の並存は︑長期にわたって都市統治にいわば﹁分割統治﹂の状態をもたらしていた︒だがヨコの調整のむずかしさは︑街居制と単位制のあいだにのみ存在するわけではない︒行政機構全体が﹁条条専政﹂と呼ばれるような部門ごとのタテ割りの強力な統制下に置かれているため︑行政機構内においてもヨコの調整が多大の制約を蒙るのである︒
街道弁事処から見てタテの関係というのは︑第一に上級の区政府との関係であり︑第二に︑管轄下の居民委員会と
③
都市住民の多くは単位が割当てる住宅に居住している︒詳細については後述するが︑都市の公共住宅の九0
%は単位が支配しており︵管理だけを市の管理部門に委ねている場合がある︶︑地方政府が管理しているのは一
0
%だけで( 3 8 )
ある︒単位が管理している住宅が︑多数の集合住宅からなり︑
ざされたコミュニティとなっている︒また単位社会の基底には﹁街居制﹂の居民委員会に相当する家族委員会が設置
( 3 9 )
されていて︑居民委員会と同様に治安の維持や政策伝達の責務を担っている︒
統治構造の問題点
﹁条
塊︵
タテ
とヨ
コ︶
﹂関
係
( 3 7 )
ているところがある︒
一 五
︵ 一
五 ︶
一街区を形成しているような場合は︑そこが︱つの閉
第四九巻第一号
︵﹁領導﹂は﹁指導﹂と区別されていて︑強権的色彩を帯びている︶︒区政府の領導
は︑区政府の各部門が街道弁事処の受け皿に直接指示を発するという形で行われる︵﹁対口指導﹂︶︒区政府の多数の
部門が街道に受け皿を要求するので︑弁事処にとってはそれへの対応が大きな負担となっていて︑機構膨張の一因と
なっているのに加えて︑弁事処が地域行政の一体性を保つのを著しく困難にしている︒弁事処が独自の裁量でなしう
る事業は︑上級政府の計画外︑予算外の事業に限られる︒ところが最近では︑この予算外の資金が弁事処の資金総額
の二分の一からときには四分の三にまで達しているという︒弁事処が企業経営などを通じて収入増に努めているから
( 4 0 )
であ
る︒
次に居民委員会との関係であるが︑街道弁事処は︑自治組織である居民委員会に対して︑﹁指導︑支持と援助を与
える﹂︵﹁居委会法﹂第二条︶ものとされている︒だが自治組織とはいうものの︑実際には居民委員会が主体的に行動
しうる余地はきわめて限られている︒弁事処から多くの任務を課されて︑﹁委託弁事処﹂化していることについては
前述した︒しかも一部の任務については﹁領導関係﹂としての責務を負わされている︒また上級からの﹁条々専政﹂
は︑ときには居民委員会にまで達しているようである︒たとえば民政部の居民委員会工作は︑
一九
八
0
年代に入って( 4 1 )
から︑タテ割りの﹁帰口管理﹂︵中央から末端まで各級の受け皿を通じての直接管理︶によって行われているという
街道弁事処からみてヨコの関係というのは︑第一に管轄区域内に事業所や集合住宅等の施設を置いている単位との
関係であり︑第二に街道弁事処と同格とされる︑上級の業務部門が街道に設置している出先関係との関係である︒
街道弁事処の区域内には工場︑学校︑機関などいくつもの単位が施設を置いているのが普通である︒地域の諸問題
について︑すなわち環境衛生や治安維持から住宅の管理︑営利行為の規制︑税務などに至るまで︑単位に対しても弁 る﹁領導と被領導﹂の関係にある
関法
一 六
︵一
六
今日に至っている︒ 伽 党 政 関 係
一 七
︵ 一
七 ︶
事処は監督権を有すべきなのであろうが︑その点について明確な規定はないのだという︒近年大規模な市街地の再開
発が進められたり︑単位がこれまで担っていた一部の社会的サービスを弁事処が肩代わりする︑といったことも増え
ている︒そのため︑街道の各分野の代表者からなる日常的なヨコの連絡︑調整のための機構の設置が必要となる︒街
道弁事処の幹部と単位の代表や各出先機関の責任者などからなる﹁聯席会議﹂が各地で設置されているようであるが︑
( 4 2 )
地域によって取り組みにかなりの違いがあるもの思われる︒
街道には上級の出先機関︑いわゆる﹁五所一院一場﹂が置かれている︒これらは区レベルの﹁分支機構﹂の指揮下
にあるため︑街道弁事処に統括する権限はない︒しかも上級の業務部門のなかには︑公安派出所︵戸籍の管理を担っ
てい
る︶
の上級機構である公安分局のように︑区政府の所管でなく︑市政府の公安局に直結している機関もあるとい
う︒これらの機構の指揮系統がはっきりしないが︑ともあれこのような部門別のタテ割り行政は︑街道におけるヨコ
の調整を難しくしているだけでなく︑後述するように利権がらみの﹁条塊衝突﹂を引き起こすもとになる︒かねてか
ら﹁条条専政﹂を改めてヨコの管理権限を強化するために︑下部への権限の委譲が急務だと叫ばれているものの︑改
( 4 3 )
革は遅々として進んでいないようである︒
中国政治において共産党の一元的支配が貫徹していることは周知の通りである︒
機に﹁党政分離﹂にはずみがつくかと思われたが︑天安門の流血事件後の逆流によって改革前に引き戻されたまま︑
都市の統治構造に関する近刊の概説書も︑﹁街道党委員会が︑街道の各種組織と諸種の工作の領導核心である﹂こ
中国
にお
ける
都市
の統
治構
造と
改革
の行
方
一九八七年の第十三回党大会を契
い党委員会が経済発展︑都市管理︑社会的サービス提供︑治安維持など
の重要な問題について方策を定める︑伺﹁党が幹部を管理する﹂という原則を堅持し︑党が人事権を行使する︑伺街
道弁事処︑労働組合など地域の各種組織の活動を統括する︑という方式でなされる︒
街道は党と行政の二つの系列のそれぞれの基層単位とされている︒街道弁事処には︑党の優位を前提に︑党の機構
と行政機構が併置されている︒党の一元的指導と党政一体化の構造に対してかねてから﹁党政分離﹂の必要が主張さ
れているものの︑現在のところ基本構造は変わっていないようである︒街道の党委員会の中心メンバー︵﹁領導班
子﹂︶は︑通常は書記一人︑副書記一ないし二人︑委員数名からなり︑全体で五ー七人︑最多でも七人を超えないと
されている︒党機構は︑党の本来の活動領域とされる組織︑宣伝︑関係団体︵青年団︑労働組合︑婦女連合会など︶
にたいする領導︑民兵︑等の所部門とは別に︑行政諸部門を統括する機構を有している︒街道弁事処の実質的なトッ
プは党委員会書記であって︑弁事処主任には通常は副書記か党委員会委員があてられる︒党委員会の指導体制は︑い
( 4 5 )
くつかの工作部門ごとに︑副書記や委員が分担して指導する仕組みとなっている︒
都市の統治構造は二元構造ないし多元構造からなり︑指揮命令系統も極めて錯綜しているなかで︑都市統治の一体
性を辛うじて保っているのが党の指導体制である︒街道の居民区党支部や街道企業の党支部を統括することに加えて︑
各単位の基層党支部との協調を保つことが︑街道党委員会の重要な職責となっている︒上海における実情の一端は次
の項
でと
りあ
げる
︒
国有企業における党政関係については︑工場長責任制が明確にされてから(‑九八八年の﹁企業法﹂︶すでに一〇
年が経過した︒だが党委員会と工場長︵または総経理︶との関係は︑ときの政治情勢に大きく左右されることもあっ
第四九巻第一号
( 4 4 )
とを強調している︒党の領導は︑主として
関法
一八
︵一 八
いる
︒
中国
にお
ける
都市
の統
治構
造と
改革
の行
方
て︑今日なお流動的である︒
一 九
︵一
九︶
一方では党の﹁領導﹂が政治面︵党の路線や政策の貫徹︶に限られるとしながら︑他方
﹁党が幹部を管理する﹂原則を強調したり︑工場長や董事会︵役員会︶が重要な決定を行う前に党委員会の了解を求
( 4 6 )
めるよう要求している︒このように制度的に曖昧さを残しているので︑党書記と工場長との関係は︑実際には個人の
資質や人間関係によって決まっているようである︒赤字企業などでは︑党書記の指導力がまったく発揮されないケー
ような経歴の持ち主であることが多く︑工場長と党書記が入れ代わったり︑ スも増えているものと思われる︒ただし︑かねてから指摘されているように︑中国の場合は︑党書記も工場長も同じ
( 4 7 )
一人が兼任していることも珍しくない︒
﹁政
企関
係﹂
近年の街道や居民区における集団企業の大量出現にともなって︑企業自体の経営上の問題︵非効率︑技術水準の低
さ︶も深刻化しているが︑それと同時に政府と企業の関係︑いわゆる﹁政企関係﹂においても︑深刻な矛盾が生じて
街道企業や﹁居民委員会経済﹂の実態については情報が乏しいが︑それらが抱える矛盾には︑市場経済化の波に
乗って急成長を遂げた郷鎮企業が今日抱えている﹁官弁企業﹂︵お役所経営企業︶問題と共通するものがあるように
思われる︒ただし︑都市の集団企業にみられる特徴の︱つは︑経営主体がきわめて多様なことである︒街道弁事処直
属の街道工業公司︑街道商業公司︑不動産︵﹁房地産﹂︶開発公司などのほか︑街道の行政部門である﹁労働服務公
司﹂や﹁第三産業弁公室﹂が経営する企業︑街道弁事処がエ商管理部門と提携して開設しているショッピングセン
ターや卸売市場の類︑さらには街道に位置する企・事業単位も最近ではそれぞれ企業の経営を行ったりしている︒こ
うしたお役所による企業経営には︑最近の弁事処業務の急増に対処するための資金獲得︑とくに都市貧困層の救済な
表
1
天津市河西区の企業形態別企業数街道経営集団企業 三 資 企 業
(外資系) 株式制企業 私 営 企 業
企 業 数
3 5 6 1 4 1 5
7 2 0
関法
職員労働者数
8 , 7 0 0 1 , 0 0 0
余3,300 4 , 5 0 0
(出所) 『内部文稿J,
1 9 9 6
年第1 3
期。第四九巻第一号
額︑利潤などを競う︶
三︑改革の模索と都市統治の破綻
︵ 二
0)
どの社会保障的な責務遂行のため︑といった狙いも込められているであろう︒だが弊害もまた 大きい︒企業収益の使途がきわめて不透明であって︑幹部の腐敗︑汚職の一因となっているで あろうことは想像に難くない︒また区・街政府幹部の点数稼ぎ︵上級からの指標の達成︑生産
( 4 8 )
といった色彩も際立っているようである︒
天津市河西区についてのある調査(‑九九五年?︶によれば︑この地区の各種形態の企業と
従業員数は︑表1
の通りである︒街道経営の集団企業の比重がきわめて大きいことが︑この表
からもうかがえる︒なおこの区には二
0
の街道弁事処があるが︑多数ある企業のなかに一八党支部しかないというので︑党支部のない企業に党の政治指導員を派遣することによって︑
最近の国有企業改革などに起因する単位制の変容にともなって︑旧来の単位制を根幹とし街 居制をもってこれを補完する形の都市の統治構造が︑いま大きく変わろうとしているかにみえ る︒市場経済化への適応を迫られている企・事業単位が︑生き残りをかけて本来の業務の効率
化をはかるために︑本業以外の付随的な施設︵住宅︑学校︑医療施設など︶
や業
務︵
社会
保障
︑
( 4 9 )
食料の安定供給︶を本業から分離して︑街道の管理に委ねる方向が示されたからである︒
今日都市の統治構造の根幹を揺るがすかに思える要因は︑しかしながら単位制の変容だけで 党の指導を強化しょうとしている︒ 二0
中国
にお
ける
都市
の統
治構
造と
改革
の行
方
きている激変の一端を解明するのが︑この項の課題である︒
れて
いる
︒
④ ③
② ゜二 つ( 5 0 )
はない︒ある論者は︑最近街道で起きている激震に四つの要因があるとしている︒
単位制が担っていた一部の機能とレイオフされた職員労働者の再就業の斡旋などが︑企業の一部費用の負担と
引き換えに︑街道に移管された︒上海市五里橋街道では企業から移管された業務が一
1 1 0
余項目に達しているとい ①
﹁改革﹂が単位制外の﹁空間の急膨張﹂をもたらした︒個人工商業者︑私営企業とその従業員︑流動人口など︑
単位制を根幹とする旧来の統治構造からはみ出した層が急増しており︑これも街道で管理しなければならない︒
住民の生活水準の向上とともに地域社会の環境改善や社会的サービスに対する住民の期待が高まると同時に︑
合法的権益擁護の姿勢も強まっており︑行政秩序の動揺を引き起こしている︒
高速道路建設など都市の再開発計画にともなう住民の集団移転を実施するため︑基層行政能力の強化が求めら
都市の基層レベルの統治構造に起きている最近の変容と改革の模索について︑具体的な情報がきわめて乏しいなか
で︑上海市五里橋街道の具体例が﹃戦略与管理﹄誌に紹介されてい底︒主としてこれに依拠することによって︑街居
制を中心とする最近の基層レベルの改革の概要を摘記することにしたい︒それともう一点︑ここでの課題は︑都市の
統治構造の基底を震撼させているかにみえる要因の一っ︑農村からの流入人口が都市統治に与えているインパクトの
一端を︑﹁浙江村﹂の事例を通じて探ってみることである︒以上の二つの具体例を通じて︑最近都市の統治構造に起
︵ ニ
︱ )
て ︑
一九七九年に街道弁事処の名称が復活した︒ における街道経営企業等の実態は記されていない︒ 第四九巻第一号
まられ︑隣接地に集団移住した︒現在の人口と戸数は約八・一万人︑三・一万戸である︒
︵ 二
ニ ︶
( 5 2 )
南に黄浦江をのぞむ五里橋街道は︑昔ここに江南総局が置かれていて︑中国造船業の濫腸の地であった︒新中国誕
生以前はこの一体にはスラム化した労働者住宅が密集していた︒建国後労働者用の集合住宅の建設が進むにつれて︑
茅屋は徐々に減っていった︒しかし街の様相が急変し始めたのは近年のことである︒再開発プロジェクトの実施にと
もなって高速道路の建設や港湾の整備が進み︑この地が交通の要衝に変わった︒そのため一部の住民は立ち退きをせ
近年街道の経済が急成長を遂げている︒現在街道内には市と区に属する一二六
0
余の大小企・事業単位があり︑大型の工場用地が二〇カ所ある︒企・事業単位には国有企業と集団企業の両方が含まれているものと思われるが︑この地
五里橋に街道弁事処が設置されたのは一九六
0
年である︒その前身として︑解放直後に保甲制度の基礎の上に一〇ー一五保ごとに設置された区政府の出先機関があったが︑きわめて小規模であった︒その後大躍進期の都市人民公社
による﹁政社合こ︵集団経済組織と一体化︶の体制︑さらに文革期の革命委員会による不断の政治動員の時期を経
一九
八
0
年代半ばまでは︑街道弁事処の仕事はそれほど重視されていなかった︒区政府の各部門がそれぞれの出先機関︵五所一院一場︶を通じて政策を遂行していて︑弁事処は補助的な仕事をするにとどまっていたという︒住民に
対する宣伝と動員︑上級の各部門の工作に協力すること︑などである︒当時基層における行政機能は単位が代行して
いた︒三六