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アボリジニ戯曲の日本上演

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アボリジニ戯曲の日本上演

2001年、 2002年に、アボリジニ戯曲「ストールン」 「嘆

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きの七段階」が日本語に翻訳され、日本人の演出家、日 本人・韓国人の俳優(楽天団)によって上演された。拙

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稿『現代の翻訳劇』では、これらの公演に触れたが、ア ボリジニ演劇の翻訳上演が西洋演劇の翻訳上演とは異な る問題を学んでいるとの指摘にとどめた。本稿では、そ の間題が何であるのか、それでもあえて日本語で上演す ることの意義が何であるかをより詳細、かつ具体的に論

じてみたい。

日本で翻訳上潰された楽天団の「ストールン」と「嘆 きの七段階」をビデオで見た、日本のアボリジニ研究を 先導する位置にある日本の文化人類学者たちは、 「この 上演はどうしようもない。せめて英語でやるべきだ」 「知 人がセミプロの劇団で西洋戯曲の翻訳上演をしている。

こんなことをやっていて何の意味があるのかと常々思っ ていた。ビデオを見てそれを思い出させられた」等とコ

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メントした。これらの発言は、日本の文化人類学者たち がアボリジニ芸術の「オーセンティシティ」と「ハイブ リデイティ」をどのように理解しているかをはっきりと 伺わせるものである。

確かに、日本の文化人類学者は、文化本質主義に偏り がちなアボリジニ研究だけではなく、都市のアボリジ ニ、スポーツをするアボリジニの文化や、おみやげ物な どの絵画など、 「ハイブリッド」というべき産物に対し ても、分析対象として関心を寄せ始めている。けれども、

この楽天団「ストールン」と「嘆きの七段階」は、アボ リジニ研究者としてアボリジニ芸術として認めうるもの から完全にかけ離れたものであることを示している。日 本の文化人類学者の分析対象がいくら多様化しようと も、いくら「ハイブリッド」なものに関心を寄せようと も、その分析の結果得られる研究成果は、常にそれらを 営んでいるアボリジニについての知識なのである。その ために、一枚の絵画から現代のアボリジニがおかれてい る社会状況や生活状況を読みとろうとする。例えば、あ る文化人類学者は、ノーザンテリトリーのオーエンペリ のアーティストたちの絵画を、 5種類のサイズにわけ、

その作品数や価格を分析する。ここでは、アボリジニの(4)

芸術は、アボリジニの生活を知るための、分析対象なの である。だから、その芸術の制作者が都市に住むなり、

奥地に住むなりどちらにしても、彼/彼女は「アボリジ ニである」ことが前提なのである。

一方演劇は、 「ハイブリッド」という概念を無限に拡 大しうる可能性を持っている。例えば日本演劇が、アジ ア演劇や西洋演劇の影響のもとに成り立っているという

レベルの話だけではない。ある一つの公演の多くの作り

佐和田 敬司

手の中に、文化的背景を異にする人々が混在していて も、それは何も不思議ではない。オーストラリアで先住 民演劇をリードしている演出家ウェスリー・イノック は、後に論じる「ストールン」の公演に象徴されるよう に、役者のアボリジニとしての「オーセンティシティ」

を極めて重視するが、その公演にはアボリジニ以外の 人々が多く関わっている。アングロ系オーストラリア人 の書いた戯曲を、アボリジニの役者が上演したり、アボ リジニの書いた戯曲をアングロ系オーストラリア人の演 出でアボリジニの役者を使って上演したりすることも、

西洋古典演劇でアボリジニ俳優にヨーロッパ人の役があ てられることも、決して珍しくはない。

したがって、日本で上演された「ストールン」や「嘆 きの七段階」は、文化人類学者が想定する「オーセンテ ィシティ」、あるいは彼らが許容できる「ハイブリデイ ティ」の範囲を逸脱したものとして、無視することには 大きな問題がある。むしろ、アボリジニ戯曲を日本人が 演出し、演じ、日本の観客に見せたときに、オリジナル が持つ様々な要素がどのように変移していくのかを詳細 に見ていくことが、無限のハイブリッドを許す演劇を扱 う姿勢であり、また、文化人類学を含めて今日の先住民 (オーストラリアに限らず)を取り巻く様々な言説を客 観的に見る可能性を切り開くのではないか。さらに、オ リジナルがどのように変移していくのかという問題は、

翻訳劇全てに負わされている命題でもある。楽天団の「ス トールン」 「嘆きの七段階」の上演が、どの点において オーストラリア上演時のコンテクストを失うといった問 題点があり、どの点において可能性を秘めているのかを 本稿で考察するのは、上記のような理由による。

日本人が「ストールン」 「嘆きの七段階」を上演する問 題点

「ストールン」のオリジナル・プロダクションの演出 を担当したアボリジニの演出家であるウェスリー・イノ ックは、 2001年の楽天団による「ストールン」と「嘆き の七段階」のリーディングを見て、次のように言った。

日本の上演を見たとき、感情的な集中力の力、関 係性の明確さ、物語の普遍性に感銘を受けたが、演 技者たちは少なくとも、この素材の理解から2ステ

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ップ隔たっていると思わされた。

まずは、イノックが指摘する隔たりがどのあたりにあ るのかの検証を試みよう。

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(言語の翻訳不可能性)

アボリジニ演劇には、戦略的な言語の使い方が存在す る。ごく限られたコミュニティーのメンバーしか理解で きないアボリジニの言葉は、抑圧されたアボリジニにと っての抵抗を示す言葉にはなり得ない。そのために、基 本的には英語のテクストの中に、アボリジニ語を混在さ せるという手法が用いられてきた。だが、英語にアボリ ジニ語を混在させることには、アボリジニのアイデンテ ィティとメッセージを発する意味とは別に、観客が分か らないアボリジニ語を織り交ぜることによって、その意 味を理解する者としない者とを分断する効果をねらった

「反読解戦略」という意味もある。このように観客をそ の言語理解能力によって幾層にも分断することで、アボ

リジニを取り巻く複雑な歴史的環境を表現する手法がと られているのも、アボリジニの社会が、無数の割れ目や 裂け目によって線引きされていて、そしてそれもまた、

彼らの独特の社会生活の形を維持していく上で重要なも のだからである。もちろん、英語をベースにしながら展 開されるこのような戦略を、他言語に翻訳することは完

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全に不可能である。

同じように、単純な言葉の意味のおきかえを翻訳不可 能にし、言葉を理解する者を限定する状況を創出する手 法は、沖縄の演劇でも指摘されている。太田好信は次の

ように言う。

この演劇集団(笑築過激団)が演じるコントには、

いろいろな種類がある。標準語と「ウテナーグチ」

(といっても、若者たちの使う「ウテナー。ヤマト グチ」)を同一コンテクストに置き、そこから生ま れる誤解から笑いを誘うもの。 (年配の)沖縄の人々 の生活を、 (若者たちが)相対化し、そこから笑う 材料を引き出すもの。基地、市場、タクシーの中、

レストラン、英語学校など日常を異化しアイロニカ ルな笑いをつくりだすものなど。

パフォーマンスを抜きにして、笑築過激団のコン トについて語っても、あまり意味はない。しかし、

たとえば、 「ヤクザ」というコント。いかにもヤク ザ風の男とすれ違いざまに、肩が触れる。すると「お たく、ヤーさん?」と哀願するように問うもう一人 の男。返答は「なま、すぼチャーかみ、わたみっち ょん」 (たったいま、沖縄ソバをたくさん食べて、

腹は一杯だ)。 「や‑さん」という表現は「標準語」

である(沖縄では、アシバーという表現がより一般 的)。ヤクザの返答は、ウテナー(ヤマト)口であ る。 「おたく、や‑さん?」という「標準語」の表 現を、 「腹がすいているか?」という意味の「ウテ

ナーロ」の表現と解釈するヤクザの発話.笑いはこ の両者を同時に対象化できる位置にいる聴衆のもの

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である。

沖縄人は、伝統的な沖縄語の使用を禁じられ、日本語 の使用を強制された歴史を持つ。沖縄には、沖縄語と標

準日本語、さらに、時代を経てうまれた、沖縄語と標準 語の融合した言葉がある。ヤクザのコントは、沖縄語と 標準語の両方を知っている上に、二つの融合した若者言 葉の使い手の言葉の意味を知るものにしかわからない笑 いである。笑築過激団は、このように、沖縄に与えられ た苦しい歴史によって生み出された状況を笑いの手法に 戦略的に取り入れている。ヤクザのコントにかかわら ず、沖縄には標準語よりは沖縄語に馴染む老人や、沖縄 語をほとんど使わない若者、両方の融合した言葉を話す 者など様々な言葉を話す人が混在する状況、そしてそれ によって生じうる混乱をコントにしたててゆく手法をと る。被抑圧者の歴史を悲劇的に訴えるよりも、その状況

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に「生きる人々の戦術」として沖縄に科せられた、沖縄 人かつ日本人という二重の意識が措かれる。これも、単 語の意味の単純なおきかえでは伝わらないものである。

さらに、アボリジニ演劇が上演されているオーストラ リアの劇場のオーストラリア人の観客、そして沖縄演劇 が上演されている沖縄の劇場の日本人の観客でさえ、こ の意味を理解できない者がいる。上演時に観客席で起こ りうる現象を想定しながら書かれた戯曲のこの趣向のね らいを損失せずに、異文化の言葉の意味‑の単純なおき かえによって再現するのは至難の業でなのである。この 点においては、翻訳によって失われるものがある。

(役者が日本人であること)

演じる者が日本人である故に失うものもある。イノッ クは、冒頭に紹介した発言の「2ステップの隔たり」の 一つとして、以下のように言う。

まず、彼らはアボリジニではないので、差別の経験 やアポリジナル.オーストラリアの社会的現実を持 っていない(また、これは研究やリサーチで代替可

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能なものではない)

これは、アボリジニ演劇における役者のアボリジニと してのオーセンティシティの重要性に言及したものでも ある。

イノックの発言について考察する前提として、ポスト コロニアル状況での演劇におけるオーセンティシティの 問題について触れておく。リチャード・シェクナ‑は、

西洋に植民された世界の演劇に対して、 「伝統性」 「純粋 性」、すなわちオーセンティシティを求める姿勢につい

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て、インドネシアのワヤンの例を引きながら、批判する。

1988年にミシガン大学でワヤンの上演会があり、 「上演 の関与者全員が、自分たちが『ジャワの正統で本物の』

ワヤンと考えているものと、ミシガン大学での上演が一

ll

致することを確認しようと視力を注いでいた」とする。

ところが、 「ジャワの正統で本物」という規範は、大き な問題をはらんでいるとシェクナ‑は批判する。その問 題の一つは、その規範そものが極めて暖昧であるとす る。シェクナ‑は「規範的なワヤンがジャワの支配者で

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あったオランダ人たちによって作られたものである」と

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指摘する。つまり、 「西側の学者たちは、今も昔も古態 や始源的要素を高く評価することで『伝統を改良』しよ うとしてきた。これは単一性と序列づけへの偏向であ り、複数制と等価性の否定である。複数の型や伝統が、

『唯一の』、 『最高で』、 『最初の』かたちや理想へと還元 される。他の型はそこから派生または発展したものと位 置づけられる。伝統は創造され(Wagner 1981, Hobsbawn

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andRanger 1983)、あるいは再現される」このような西 洋の植民地主義によって、ワヤンの伝統は、それ以前か らインドネシアにあったのではなく、作られた伝統であ ったとシェクナ‑は言う。さらなる問題は、現代におい ても、オランダによるインドネシアの植民地支配に反対 する立場をとる学者たちが、植民地主義によって創造さ れたワヤンの「伝統」を支持していることである。

問題は、それがどんなものであれ、 「純粋さ」など という.ものを手にいれることはできないのかという 点にある。そしてまた「純粋さ」は望ましいことな のだろうか。 「純粋さ」願望は取り返しのつかない 過去、つまり植民地主義‑の弁解とも聞こえる。そ しておそらくワヤン・クリだけでなく他の多くの事 柄についても、またインドネシアだけでなく他の多 くの土地でも、こうした弁解が植民地主義の思考を 矯正するどころか、温存しているのではないだろ

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うか。

シェクナ‑が指摘していることは、オーセンティシテ ィの成立過程における虚構である。その虚構は植民地主 義によって作られたものであり、虚構としてのオーセン ティシティにこだわり続けることは、植民地主義の再生 産につながっていく。

しかし、イノックは「ストールン」で、アボリジニ演 劇における役者のアボリジニとしてのオーセンティシテ ィを演出に取り入れた。イノックの「ストールン」では、

物語が終わった後に、ストールン・ジェネレーションと しての役者一人一人の現実の体験談を、それぞれ独自で 即興により語らせる場面がある。この場面が、アボリジ ニでなければならないのは、 「まず、彼ら(日本の役者) はアボリジニではないので、差別の経験やアポリジナ ル・オーストラリアの社会的現実を持っていない(ま た、これは研究やリサーチで代替可能なものではない)」

とイノックが言うことからも分かる。日本人の役者では 表現しえないのだ。

このオーセンティシティは、しかし、シェクナ‑が批 判したような植民地主義の結果生み出されたものとは異 なる。イノックは、むしろそのようなオーセテンティシ ティに懐疑的な立場をとっている。イノックはインタビ ューで以下のように言う。

多くの歴史学者は、静止した文化を探したがる:変 わらない文化だ。こういう文化は研究したり論文を 善いたりするのが簡単なのだ。もっと難しいこと

は、アボリジニの経験の多様性と、我々が環境の変 化に対応して文化を変えているという考え方に取り 組むことだ。我々の文化は生き抜くことに立脚して いる。そして世界が変わるように、我々が自己を表 すやり方も変わる。その文化人類学者たちは純粋な 文化西洋世界からの汚染から逃れた文化を探してい るのだと思う。正直言って、そんな文化はオースト ラリアには存在しない1000年以上も存在してこな かった。アジア人、スペイン人、ポルトガル人など 様々な集団と交易したことが、我々アボリジニに何 世紀も影響を与えている。イギリス人はこの国に、

つい最近来た者たちなのだ(重要な到来だが、 214 年に過ぎない)。もしその文化人類学者たちが他か らの影響の無かった1788年以前にしか真のアボリジ ニ文化が無かったと言いたいなら、アボリジニ文化

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がどのように展開しているのかを理解していない。

彼が「ストールン」のエンディングで、 「アボリジニ の役者たちに真実の物語を語せる」ことは、オーセンテ ィシティというよりむしろ、リアリティ、真実、と呼ぶ べきものなのである。役者たちが、役者の両親や親族が ストールン・ジェネレーションである、それを経験した という真実が持つ圧倒的な説得力を、イノックは戦略的 に演出に用いたのである。それをイノックは、 「私は真 実の政治学を信じる」と言う。

だからこそ、ストールン・ジェネレーションとしての 差別の経験がなく、アポリジナル・オーストラリアの社 会的現実を体験していない日本人は、いくら知識として 学習しても、イノックが評価するほどの熱演をしても、

「真実の政治学」の表現にはおよばなかった。

イノックが戦略的に、役者がストールン・ジェネレー ションに関わっているという事実を戦略的に利用するこ とは、シェクナ‑が指摘する以下のことと関連するかも しれない。

シェクナ‑は、経済的に、また政治的に先進諸国と肩 を並べることができなければ、自国の伝統文化を保存す る方法について、自己決定権を得ることは出来ないとい う。そして、 「その理由は、依存状態にある間は、何が

『伝統文化』であるかという判断や、 『伝統文化』の定義 そのものまでが、当該する民族や文化の境界の外側でな

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されしまうからだ。」とする。

アボリジニの演出家であるイノックが、ストールン・

ジェネレーションに関わる役者を使うということは、押 しつけのオーセンティシティを使ったのではなく、自ら オーセンティシティを占有する「自己決定権」を行使し たのである。

日本の役者が演じることで、このようなプロセスがあ ったことまでを表現することは確かにできなかった。

(コンテクストの分断)

日本人による翻訳上演で伝えきれない背景として、コ ンテクストの分断がある。冒頭に紹介したイノックのイ

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ンタビューの「2ステップの隔たり」のもう一つとして、

以下のように述べる。

第二に、彼らはオーストラリアに住んでいないの で、我々がこの国で持っている毎日の複雑な参照事 項を持っていないのである。しかし、これらの事項 は、我々がチェーホフの芝居や現代ドイツ戯曲を上

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演する際にも言えることである。

日本において、アボリジニはもちろん、オーストラリ アに関する知識でさえ、表面的で部分的である。ストー ルン・ジェネレーションの悲劇に関する情報は、マスメ ディアでも断片的な報道はあるが、特に関心を持つ日本 人の注意しかひかなかった。大多数の人間が知らなかっ たと言って間違いない。例えば、プレイボックスの「ス トールン」来日公演を見て、ストールン・ジェネレーシ ョンの歴史的事実を目の当たりにした日本の演劇評論家 たちは以下のような率直な感想を述べている。

越光 私、初めて観て教えられたんですね。 「スト ールン」という題名が、 「ストールン・ジェネレー ション」と言われて、アボリジニといういわゆる先 住民族を白人との同化政策ですか。

高田 はい、そうです。

越光 というような政策のもとで、子供たちをある 施設に収容して、そしてアボリジニ同化政策を進め

ていった。そこで自分の家族とか、あるいは人生と かをある意味では盗まれてしまった子供たち、その 五人を主人公にしている。それで一人一人がトラウ

マを持つわけですね。

人生の苦しい幼児期、あるいはそういう収容所で 育てられた子供たちの心の叫びを措いているという

ことで、私は初めて、恥ずかしい話ですが、こうい うこともあったんだということを知りました。

高田 僕もそうです。

一ノ瀬 オーストラリアのことというのは案外伝わ ってきていないし、特にこの先住民ですよね、アボ リジニ自体の問題とかなんかは伝わってきても、こ ういった国の政策の中に取り込まれて、こういうこ とがあったということは、実はこの芝居を通して初 めて知りました。その意味では、演劇のあり方とい

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うこともある種問いかけてくるような。

これからもわかるように、演劇に関心のある人々の中 に、オーストラリアやアボリジニのことが重なってこな いのである。オーストラリアの住人であれば、恒常的に 触れることができる情報である。アボリジニに関するパ フォーマンスについても、特に90年代以降、オーストラ リアでは継続的にアボリジニ演劇は多くの劇場で上演さ れており、メインストリーム演劇界の中で頭角を現すこ とも決して珍しくはなくなっている。アボリジニ演劇の みならず、ロック音楽、モダンダンス、映画など、アポ

リジ二によるコンテンポラリーアートの豊かさに、簡単 にアクセスすることができる。このようなプラス面の情 報だけではなくて、例えば監獄で自殺するアボリジニの 占める割合の多きや、貧困や、平均寿命の短さなどネガ ティブな情報も同じようにアクセスできる。そのような 環境の中において、上演されるアボリジニ演劇と、述べ たような日本のアボリジニに対する限定された理解の中 で、上演されるアボリジニ演劇は、その意味するところ が違ってくるのは当然だ。それは、アボリジニに関する 情報がオーストラリアは多くて、日本は少ないという違 いだけが問題なのではなく、オーストラリアの観客と、

日本の観客がアボリジニの発話をどのポジションに置く かが違うということである。たとえプレイボックスの来 日公演であっても、 「ストールン」がオーストラリアで 意味するものと日本で意味するものが違うのは当然であ る。

当然ながら日本の観客は、アボリジニの演劇というジ ャンルを獲得するまでの苦闘の歴史は知るよしもない。

一方、アボリジニと演劇の関わりの歴史も、如実に国 内でのアボリジニの存在の変遷を映し出している。

19世紀から20世紀始め、オーストラリア演劇界にはア ボリジニの作家もいなければ、アボリジニの俳優もいな かった。アボリジニの役は、白人などそれ以外の人種に よって演じられることが多かった。アボリジニは、陽気 でコミカルなストックキャラクターとしてよく措かれた が、硯実社会でのアボリジニとの抗争の激しさを反映 し、アボリジニを単なる敵役として登場させる事例も多 く見られた。

アボリジニに対する同化政策が活発だった1940、 50年 代、左翼系演劇「ニューシアター」の作家たちが、白人 社会の犠牲になるアボリジニの不幸な境遇を措くように なった。また、この時期からごくわずかではあるが、ア ボリジニの現代劇の俳優が誕生している。同時期、アボ リジニを主人公とした最初の劇映画『ジェダ』も作られ た。

民族自決権に目覚め始めた頃、 1968年には、アボリジ ニが書いた初めての戯曲『チェリー・ピッカーズ』が登 場する。作者のケヴイン・ギルバートは、詩人、プリン トメイカー、ヴィジュアル・アーティスト、写真家、画 家、作家、劇作家など多方面の芸術活動に才能を発揮し た人物であったが、最もよく知られているのはアボリジ ニ権利向上活動家としての姿であった。

土地問題など先住民の権利に対する関心がオーストラ リア社会で高まってくる1980年代には、アボリジニ演劇 の父とも貸される劇作家・俳優のジャック・デーヴイス が登場する。 「ドリーマーズ」など都市に生きる貧しい アボリジニの家族の結びつきを活写した彼の作品は、オ ーストラリア文化の多様性を認めるべきだという動きと 連動し、オーストラリア人の心を揺さぶった。

1990年代以降、アボリジニの文化や芸術がオーストラ リアの顔としてメインストリームのメディアに盛んに取

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り上げられるようになった。そしてアボリジニ演劇の表 現も多様化し、ミュージカルやアバンギャルドな手法な

どテーマをより生かす演出的な工夫が行われるようにな る。 「ストールン」や「嘆きの七段階」 「アップ・ザ・ラ ダー」もこの時代の成果である。 2000年代に入ってから のアボリジニ関連の舞台芸術の隆盛は、国内的現象にと

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どまらず、世界的に広く知られるものになった。

前に述べた、イノックの演出によるオーセンティシテ ィを戦略的に利用する方法も、このような歴史を踏まえ た上で、意味あるものとなるのだ。

アボリジニ演劇が新たな(アボリジニの「伝統」にな い)手法を取り入れていくのも、今なお単純なことでは ない。例えば、先住民の伝統的なダンスを取り入れたコ ンテンポラリーダンス・カンパニーであるバンガラ・ダ ンスシアターの芸術監督ステイ‑ヴン・ペイジは、以下 のように言う。

たくさんの都市の黒人は伝統的なダンスを使うこ とにおっかながっている。議論や文化的な懐疑がこ れまであった。そこでは、彼らは、現代世界が伝統 的なものをのっとること、そして、伝統的な素材を 悪い方法で用いること、について心配をしている。

私が今言おうとしていることは、私達は、都市のス タイルを持たなければならないということ。都市の アイデンティティをもたなければならにということ である。私達は北部に行って、北部からとってこな いと伝統的なダンスをすることができない。しか し、その時、そこには、摩擦があるだろう。なぜな らば、それは盗ることだからである、つまり北部の ひとたちのダンスを盗ることだ。私は、イルカラに 行ったとき、そこの人たちに聞かれた。 「あなたち の伝統的なダンスはどこからきたのか」。そして、

私は彼らに「もうそれはみんななくなってしまっ た」と説明しなければならなかった。イルカラで起

きていることは、若い人たちが新しい伝統的なダン スを生み出しているというこである。彼らが、初め て旗をみたとき、彼らはフラッグのダンスをしはじ めた。そして、彼らがトランプのゲームのやり方を 学んだとき、彼らはトランプのゲームのダンスをや った。これらの新しいダンスを作り上げているのは 伝統的なダンサーたちの次のジェネレーションのよ うである。そして、これは実際のところ、私がやり たいことと同じことである。私のふりつけは、基本 的にファンタジーである。それは全て夢である。そ れが基本的に私達についての全てのことなので

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ある。

都市のアボリジニは、伝統的なものを便うにしても、

それを所有している北部なり、西部砂漠なりの人々の権 利に敏感にならざるを得ない。日本の場合は、この点に おいてはむしろ鈍感だ。このようなエピソードがある。

日本の先住民問題についての影響力あるオーストラリア

の研究者テツサ・モーリス‑鈴木が、著書『辺境から眺 める アイヌが経験する近代』のカヴァ一・デザインに 北方少数民族の意匠を断りもなく改変して使用したこと に端を発する知的所有権の侵害を、日本の大手の出版社

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が侵してしまったという。

ジェーン・ハリソンの場合、筆者のインタビューに対 して、「ストールンは、明確にヴィクトリアのクーリー・

コミュニティのために書かれたローカルな物語」である

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と限定した。つまり、 「ストールン」に措かれるアボリ ジニの人々が、オーストラリア全土のアボリジニの出来 事と敷術化されることに留保を示したのである。

都市と奥地、地方を含めても、様々なコミュニティー にどのような関係があるのかということは、日本語への 翻訳や、日本人によって上演された舞台からだけでは、

読みとることはできない。ややもすると、「ストールン」

に措かれているのが、全てのアボリジニの姿だと思う観 客もいたかもしれない。このような誤解は、日本で上演 するゆえに生じるものなのである。

もし、アイヌに関する演劇が日本で上演し、日本の観 客が観たならば、その物語のみならず、アイヌの演劇が 上演されるという意味にまで思いを馳せるだろう。それ は、日本において、それまでのアイヌの被った歴史に触 れる機会があるからだ。

しかし、アボリジニ演劇の場合、アボリジニの過去と 現代という歴史、そして、それに連動した演劇の歴史、

その歴史と、現代をとりまく状況を踏まえて、目の前の 舞台の物語や演出や表現が成り立っていることが、日本 の観客にはわからないのである。

このようなコンテクストの分断に対して、楽天団の公 演では、レクチャーの機会を設け、 「アボリジニの歴史 とアボリジニの演劇の歴史」についての資料を作成し、

筆者が解説を行うということでしか、このコンテクスト の分断を補う方法はなかったのだ。

日本人が「ストールン」 「嘆きの七段階」を上演をして 見出したもの

(日本で上演する意義)

カルチュラル・スタディーズの立場からアボリジニ研 究をするステイ‑ヴン・ミュークは、次のような指摘を する。 「和解」の時代に入って、アボリジニが芸術や文 学で、迫害されてきた歴史を語るということに対して は、もはや何の障害も存在していない。例えば、アボリ ジニが文学作品を書けば、出版社が積極的に発表の場を 提供する。その文学作品の中に含まれる白人による迫害 のエピソードはむしろ白人読者の「購罪」というカタル シスのためのコンテンツとして消費される。しかし、こ のような状況は、アボリジニを彼らに対する何かロマン チックな期待から作り上げられた「被抑圧者」というカ テゴリーや、研究者の分類によって作り上げられた枠組 みに封じ込めてしまう。当然ながら、アボリジニ文学者 は、 「被抑圧者」というカテゴリーのみに分類される存

‑ ll‑

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在ではない。にもかからず、 「購罪」という形の消費に よって、彼らの様々な語りを聞き入れない構造を生み出

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す危険性を指摘する。

このような「購罪」の意識は、日本人はアボリジニに 対して持つことはないが、アボリジニに対する「哀れみ」

「同情」の気持ちでこの作品に向き合うことは、アボリ ジニ演劇の様々な語りを聞き入れない構造を生み出す危 険性をはらんでいる。前の項で、アボリジニの演劇史に 触れ、白人がアボリジニの表象を奪い、それを取り戻す 過程について触れた。また、現代においてアボリジニの 表現者が、奥地などの表現の知的所有権に配慮を行うこ

とに触れた。

ここでは、日本人がアボリジニ演劇を上演することに 伴い、あらたな知的所有権の侵害の構造が発生するので ある。日本で上演されるについてイノックは以下のよう

に考えていたと述べる。

この日本でのリーディングには私はとても好奇心が あったが、非アボリジニの人々がアボリジニの人々 のために書かれた役柄を演じることの政治学を取り 巻く問題に私は注意をし続ける。物語の所有権は私

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にとってとても重要である。

この点を踏まえて、筆者は、 「ストールン」 「嘆きの七 段階」を手がけた演出家和田喜夫に、 「白人はアボリジ ニ文化の取り扱いに慎重になっている。自分たちがアボ リジニになりきることはとうてい出来ない。また文化を

『盗まれる』と解される危険もある。そこで日本人がア ボリジニを演じることの問題点・可能性は何なのか」と 問うた。それに対して和田は、以下のように述べている。

オーストラリアでアボリジニを演じるとき、日本に いてアイヌ・沖縄のことをやるとき、同じ様な問題 があると思う。ただ、この文化はこの人たちだけの

ものなんだという考え方をするべきか。そうではな くて、共有しうるものであるはずだ。いろいろ人間 は混じっている。先住民の神話も、そこだけで生ま れたか、生まれたにしても、ある共通性を持ってい る。だから、伝統的な知恵は、時間の中で人間関係、

家族関係、自然との関係の中で生まれてきた。日本 人にとって、次の価値観を見つけるためのヒントに なるのでは。ヨーロッパや日本では価値観が、煮詰 まっている。次にどういう社会を創っていくのかと 考えている。日本にいる先住民問題も含めてヒント をくれていると思う。現象的に見えているものだけ 考えれば、差異があって出来ないのではないかとい うが、根本をとらえれば、個別性を越えていけるの ではないか。役者も時代背景知らないから、最初は 悩んでいた。でも人間関係を読み込んで、自分だけ の記憶をふくめ、資料を読み込んだりし、ある共通

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性を発見できた。同時代のものとしてだ。

和田が言う「日本人にとって、次の価値観を見つける ためのヒントになるのでは」という言葉は、アボリジニ に触れると、西欧世界に何か新しいものをもたらすので はないか、という何かロマンチックな幻想で言っている のではない。プリミティブなものによって、先進とされ る国の人々の感性を刺激するといった意味で和田は言っ .たのではない。日本の演劇では、先住民を扱うことその もがタブーであり、先住民に限らず、被抑圧者をテーマ に扱うことに臆病になりすぎている。その方法論を和田 はずっと翻訳劇を通して模索しているのだ。その意味で の、 「次の価値観」を求めているのだと思う。

イノックは、先に述べたように「物語の所有権」に関 して留保をしつつも、日本で上演することにより知的所 有権の収奪が生じる危険性を憂えるよりも、その試みが もたらすもの‑期待を抱いた。インタビューで以下のよ うに、イノックは述べる。

最初に聞いたときは、日本の観客があの物語や作品 の形式から何を理解するのか想像できなかった。こ の二つの演劇作品は、オーストラリアにおける政治 的コンテクストととても結びついているので、翻訳

(26)

するだけで十分なのではないかと思った。

やはりイノックも、上演に対して危供を感じたのは事 実である。この点については、筆者は、日本の文化人類 学者が、 「もし和田がアボリジニと日本人に共通点があ るという仮定のもとに、演出をしたのならば、和田の演 出はオリジナルの芝居が持っていたアボリジニの政治性 を失うだろう。それではアボリジニの作家に失礼とは思 わないのか」と発言した点について、イノック自身がど のように思うか質問をした。これについて、イノックは 以下のように述べる。

この日本でのリーディングには私はとても好奇心が あったが、非アボリジニの人々がアボリジニの人々 のために書かれた役柄を演じることの政治学を取り 巻く問題に注意をし続ける。物語の所有権は私にと ってとても重要である。別の演出家が、これらの物 語の中に日本の観客に語ることが重要だと信じる何 かを見つけることが出来るということに、私は興奮 する。そしていつでも私は、この演出家が見ている、

その文化人類学者のセンシティブさと正反対にある ものに、肯定的に対応する。(27)

同じ質問を「ストールン」の作者であるジェーン・ハ リソンに行った。

まず作品が、日本の人々にとって適当なのかと思っ た。しかし、興味にかられてしまった。

(中略)

まず最初に、私には、日本の人とアボリジニの人の 間に共通するものがあるという仮定は、私には全く

‑ 12‑

(7)

失礼ではない。作家としては、ユニバーサルなメッ セージを伝えようと努力している。そのような非常 に異なった文化的背景の人々がローカルな物語に普 遍性を見ることができるのは、非常に謙虚なことだ と思う。政治性ということに関しては、私は政治に は興味はない。むしろ、個々やコミュニティの暮ら しにおける政治の影響力について示すことに興味が ある。観客と感情のレベルで共鳴できる何かを作り たかった。それは何か政治的な信念で観客を分断す

るものにはしたくなかった。また、その別の文化に よって表現された何ものかは、もしかしたら私達自 身の文化にもっとシャープな視点をもたらしてくれ るかもしれない。私は、アボリジニとアイヌの人々 の経験の間に、いくつかのパラレルなものがあると いうことをわかっている。多分、自分自身の物語を 扱わうよりも、誰か他の物語を考えることの方がよ り抵抗が少ないのではないか。しかし、多分そのよ うな始まりは、自分自身の歴史を振り返ったり、確 かめたりすることに結びつけていくことができるの ではないか。私達はみんなお互いから学ぶことがで

28

きるのだ。

アボリジニ演劇に向き合うと、大きな問題を引き起こ すという事実に、日本の演劇は直面した。これは、一方 では大きな危険性をはらんだ問題であるが、他方で日本 演劇史上に非常に貴重な経験となりうるものなのではな いか。

翻訳劇がこのような文化の収奪の可能性に直面すると いうことは、日本においてはこれまでなかった。かつて の日本はただ、外国戯曲に学ぶもの、あるいは普遍的な ものを捜し求めていればそれでよかった。グローバル化 した西洋の価値観に漠然とした普遍性を日本人が感じ、

西洋演劇を上演することが普遍的なものを取り込むこと として、何の達巡もなしに翻訳劇として上演を行ってき た。アボリジニ演劇を上演することも、先住民問題を日 本より先んじて議論する国の演劇として、見習うべき普 遍性を保有するとして、何の疑いもなしに上演する危険 性が日本にはあったと思う。知らず知らずのうちに、ア

ボリジニの文化の収奪をしかねないという問題に気づか される。

これは、先に述べたように、知的所有権に関する考え 方が多元的であるということを追認したにとどまらな い。翻訳劇上演という行為、異文化を取り込むという行 為、日本人が日本人以外を演じるという行為、そのもの に知の収奪というリスクが内在していたことに気づくの だ。何の疑いもなく長い間行ってきた翻訳劇という方法 論に、そのような収奪のリスクが内在していることに気 づかされるのである。さらには、アイヌでない日本人が

アイヌを演じること、沖縄人ではない日本人が沖縄人を 演じる場合にも同様の問題に直面することにも気づかさ れる。

翻訳劇の上演をするにあたって何か普遍的なものが存

在するという前提があるが、先住民の権利の問題を考え てみた場合に、それは普遍的ではないどころか、その普 遍性があるという概念自体が、植民地主義を支える原動 力の一つであったことを痛感させられる。

このような問題に直面した時に、タブー扱いをして上 演しないという選択もある。それを敢えて上演すること が、貴重な経験につながるのである。これは、翻訳とい う仕事だけでは経験にはつながらなかったことだと思 う。なぜなら、上演を通してはじめて、日本の演劇人と 観客は、アボリジニの表現者たちと「コミュニケート」

することが出来たからだ。

上演の意義は、日本人に与えるものだけではない。 「翻 訳するだけで十分ではないか」と考えていたイノック が、楽天団「ストールン」 「嘆きの七段階」を見て以下 のように感想を述べた。

全ての経験は本当に目を見開かされるものだった。

役者たちが演じるときの感情の集中は信じられない ほどだった。オーセンティシティを持っていないが ために、役者としての技量に頼らざるを得なかった 側面はあるが、それが信じられないほどのものだっ た。ストールンを見ながら、私は泣いていた。なぜ なら舞台が心を引きつけ、胸を締め付けるものだっ たからだ。作品が上演された政治的な空自のせい で、作品がオーストラリアの国や我々の歴史につい ての政治的なコメントだけの芸術作品ではないこと

(29)

を思わされた。

イノックは、楽天団版を見て、もう一度自分の作品に出 会うことができたのである。それは、プレイボックス版 の海外公演だけを日本で上演していたのでは、経験でき なかった出会いであったことは間違いないのである。

(日本人の観客が観る意義)

前に指摘した危険性、つまり日本で日本人が日本語で 上演することによって生じる収奪の危険性は、このプロ

ジェクトならではの経験である。 「ストールン」は、オ ーストラリア以外では、ロンドン、香港などで上演され ているが、それは、オリジナル版「ストールン」なので ある。日本と同じく東アジアに存在する香港ですら英語 で上漬された。楽天団版「ストールン」 「嘆きの七段階」

が抱える収奪の危険性はそこにはない。

このように、アボリジニ演劇をとりまく環境に、日本 という存在が加わったことも意義深いと考える。例え ば、マーク・モーフオートは、 「ストールン」をポスト

(30

コロニアル文学の分斬方法を適用して論じている。一般 的に、ポストコロニアル文学は、西洋の手法を模倣し、

アブロプリエイトし、そしてそこに自分たちの独自の手 法をハイブリッドさせることによって、西洋の支配的な 芸術的キヤノンを混乱させることで、力を持つとされ る。帝国主義に見る二項対立の概念がこれまでコロニア リストたちの支配の論理を支えてきたこと、それを批判

‑ 13‑

(8)

するためにハイブリッドという概念が重要となってくる のである。

このアボリジニ演劇をポストコロニアル文学理論で分 析する手法を見る場合に、二項対立を批判しているはず の理論が、ハイブリッドといいながら、西洋と非西洋(ア ボリジニ)という二項の組み合わせとしか見ていないこ とが気になる。今回の楽天団「ストールン」 「嘆きの七 段階」が示したように、従来の対立していた二項がハイ ブリッドになるだけでは済まされない状況があることを 見逃してしまうのではないか。

イノックは、 「アボリジニの経験の多様性」と言い、 「そ んな文化(純粋な文化西洋世界からの汚染から逃れた文 化)はオーストラリアには存在しない。 1000年以上も存 在してこなかった。アジア人、スペイン人、ポルトガル 人など様々な集団と交易したことが、我々アボリジニに 何世紀も影響を与えている。イギリス人はこの国に、つ い最近来た者たちなのだ(重要な到来だが、 214年に過 ぎない)。」と言った。このように、アボリジニをとりま く環境は、イギリス対アボリジニの関係だけではない。

オーストラリア国土で行われている人間の営みにアボリ ジニが関わっていないはずはないのである。イギリス人 以外のヨーロッパやアジアからの入植者との関係性がア ボリジニの経験を成り立たせている。また、間接的な影 響もある。例えば、カカドゥのウラニウムの鉱山開発に は、日本の主要な電力会社が、本社をロンドンにおく鉱 山開発多国籍企業の子会社に資本参加している。それに

(31)

よって、アボリジニの土地と環境が破壊されている。ま た、主に日本人をターゲットとした観光業が、アボリジ ニの現代の生活に様々な影響を及ぼしているのも明らか である。

このようなアボリジニをとりまく複雑で多様な環境 は、演劇にも反映している。例えば、 2002年のアデレー ド・フェスティバルには、フリンジも含めてアボリジニ と日本、アボリジニとアジア、を考えさせる作品が目立 った。例えば、ウイリアム・ヤン作・上演の「シャドー ズ」は、アデレードのあるサウスオーストラリア州のド

イツ系移民の苦難の歴史からヤン自身が個人的に知る辺 境のアボリジニの村を訪ねた記憶を重ね合わせることに よって現代オーストラリアがかかえる民族同士の和解を′

テーマに打ち出した。フリンジでは、アボリジニ女優ニ ンガリとベトナム系のパフォーマーのハン・リーの二人 芝居「ブラック&トラン」があった。 「シャドーズ」 「ブ ラック&トラン」といった作品は、先住民と白人という 二項対立や、各エスニックグループに特化した演劇では なく、様々な人種が入り交じったよりリアルなオースト ラリア社会の今を演劇が映し出し始めたと言える。これ は、アボリジニの演劇人の姿勢だけでなく、アボリジニ をとりまく問題に一見無関心に見えたアジア人が「和 解」のプロセスに参入して、発言をするようになったと いう印象を筆者は受けた。

さらに、ウェスタンオーストラリアのブラックスワ ン・シアターカンパニーの「The Career Highlights of

払e Mamu」は、日本と関係の深い作品だ。 1950年代と 60年代にウェスタンオーストラリア州マラリンガでイギ リスが行った核実験によって、強制的に移住を強いられ たアボリジニの悲劇を、アボリジニ自身によって描き出 している。物語は、この政策の償いとして2000年に広大 な土地を与えられた現代から遡って語られる。演出面で は、舞台上にアボリジニのコミュニティを再現し、彼ら の伝統的なストーリーテリングの手法を用いた語り、ビ デオ上映、音楽の生演奏、ミュージカルの手法を全て取 り込んで、野心的でフェスティバル向けの作品に仕上げ られている。またここでは、オーストラリアで活躍する 日本人女優イザワ・アサコが重要な役割を果たしてい る。彼女は、ビデオ撮影をしたり、アボリジニの登場人 物にインタビューするドキュメンタリーの制作者だけで なく、唯一被爆した国の人を体現していた。中心的なパ フォーマーの一人トレバー・ジェイミソンが実際にヒロ シマで被爆者にインタビューを行い、それが舞台で流さ れた。そして、イザワが被爆者の詩を日本語で朗読する 横で、アボリジニの役者が「長崎の鐘」を歌い上げた。

一方は戦争という惨禍を背景とした平和の希求であり、

一方は弱者への政治的抑圧の悲劇から和解への道と、核 兵器に対するアプローチは異なる。気の遠くなるほどの 数の死の重さと、人の尊厳の問題は同列には語れない。

ヒロシマ・ナガサキとマラリンガを全くの等価の問題と して扱うことはとても難しく、消化しきれない部分も見 受けられた。しかしながら、一見まったく接点がないと 思われているアボリジニと日本人が、一つの舞台で問題 を共有できたことはきわめて重要な意味を持つだろう。

このような展開を見せているアボリジニ演劇やオース トラリア演劇を、ポストコロニアル文学理論で分析可能 だろうか。また、これまでの二項対立の組み合わせに目 を奪われているポストコロニアル文学理論では、これら のアボリジニ演劇やオーストラリア演劇が分析の対象か らこぼれ落ちる危険性がある。モーフオートは、論文の 結末に以下のような文章を述べる。

ハリソンのストールンは黒人の観客のためだけにと って置かれるべきではない。この歴史の見直しは間 違いなく、オーストラリアと海外におけるメインス トリームの観客の琴線を打つだろう。 (中略)それ は明らかに抑圧されたマイノリティの声に表現を与 える。一方で人間の故郷やアイデンティティを求め るというような普遍的なテーマを表現する。作品に おける感情の豊かさは、アボリジニ、白人の観客を 問わず魅了する。 (中略)それはポストコロニアル 世界全体だけでなく、英連邦のマージンを越えて

(32)

も、同様だろう。

だがここでは、 「英連邦のマージンを越えても有効で ある」ことの理由が述べられていない。この理由が加え られていないかぎり、彼の「ストールン」論は、インタ ーナショナル・ポストコロニアル・コンテクストから分

‑14‑

(9)

析しているといいながら、非常に限定的なものにならざ るを得ない。

では、 「ストールン」を、非西洋であり、英連邦のマ ージンを越えたところにある日本に住む我々日本人は、

どのように受け止めればよいのか。例えば中村和恵は、

アボリジニの文化について、日本人の研究者としてアポ リジナリティを定義をすることなどもはや不可能であ り、アボリジニ「として」語ることは誰にもできず、唯 一できることはアボリジニに「ついて」語るのみである

(33)

と言う。だがこのような態度も、また逆に、文化的純粋 性をひとつのキヤノンとし厳密に定義しようとする態度 も、 (いずれも)そこに拘泥しとどまっていては、ここ ぼれ落ちてしまうものがあまりに多すぎる。その損失の 方が、ずっと大きな問題である。その損失とは、これま で述べてきたように、アボリジニをとりまく環境に日本 が関わっているという認識であり、その認識を日本人に 迫るように、アボリジニ戯曲が日本の観客にコミュニケ ートをしてきているという事実である。そして、アボリ ジニ演劇が、日本語に翻訳され、日本人役者によって、

日本で上潰されることは、日本人を単なる傍観者であっ たり、かつての文化人類学者のように客観的な観察者を 装うこともできないのだ。

特に演劇は、生身の人間が舞台に立つことによって、

文字媒体から得る以上に、それを見る者に強い影響力を 与える。観客を傍観者ではいられなくしてしまう力があ る。安西徹雄は、 「戯曲は俳優の肉体という、動かしが たい一つの現実を通して、言葉の問題が、単にテキスト だけの抽象的な次元を超えて、いわば生理的次元で立ち 現れてくるし、また、観客の代表している社会を通じて、

ひろく文化的・社会的なコンテキストも視野に入ってこ

(34)

ざるをえない」と指摘している。 「ストールン」 「嘆きの 七段階」も、上演することによって、翻訳出版され読ま れるだけ以上の解釈を、受け手に与えるのである。

***

誰が文化を語る権利があるのかという問題に関して は、スピヴァックが『サバルタンは語ることができるか』

(35)

で、論じている。スピヴァックは結局、 「サバルタンは

(36)

語ることができない」という結論に行き着いた。結局最 底辺にある、サバルタンは、語ろうとした時点で、語ら せる時点で既にサバルタンではないという堂々巡りの議 論になってしまう。つきつめて考えれば、誰にも、ある 文化に属している当事者でさえも、その文化を語る権利 はない。例えばアボリジニ演劇にしても、アボリジニの ジェンダー化されたサバルタンを、アボリジニの男性作

(37)

家は語っていないという指摘がある。もちろん、当然の ことながら、日本人が、アボリジニ「として」語ること などできるはずがない。それは誰もがわかっていること だ。重要なのは、日本人がアボリジニ戯曲の上演におい て、アボリジニになろうとしたこと、何故アボリジニな ろうと思ったのか、なってみようとしてどうだったの

か、それが日本の観客にどう理解されたのか、その上演 に立ち会い観客のリアクションも見ることができたアボ リジニ演劇を作っているアボリジニの演出家やアボリジ ニの劇作家に何がフィードバックされたのか。これらの 疑問というのは、演劇というメディア、翻訳という行為

において初めてうかびあがってくる問題であり、 「アボ リジニについて」という傍観者的立場ではなく、関わっ た者として考えていく問題なのである。

注1 ) Jane Harrison. Stolen. (Sydney, Currency Press in as‑

sociation with Playbox Theatre Centre, Monash Uni‑

versity, 1998). Wesley Enoch and Deborah Mailman.

The 7 stages of grieving. (Brisbane, Playlab Press, 1996).佐和田敬司訳『アボリジニ戯曲選:ストール ン/嘆きの七段階』 (オセアニア出版社, 2001)所収.

(2)佐和田敬司「現代の翻訳劇」 『2002年度演劇研究セン ター紀要Ⅰ』 (2003).

3) 2001年12月,国立民族学博物館における筆者の口頭 発表「演劇が映しだす現代の先住民」において,日 本の文化人類学者からこのような発言があった.

(4)杉藤重信「アボリジニ芸術の現在・過去・未来 オ ーエンペリ物語」 『多文化国家の先住民:オーストラ

リア・アボリジニの現在』 (世界思想社, 2002).

5) Wesley Enoch. 2001年に行った、筆者とのインタビ

ユー .

(6)佐和田敬司「アボリジニの言語と演劇」 『囲文学:節 釈と教材の研究』 2003年3月.

(7)太田好信『民族誌的近代への介入:文化を語る権利 を誰にあるのか』 (人文書院, 2001年)pp.160‑161.

(8)前掲書p.160.

9 ) Wesley Enoch. (2001).

(10) Richard Schechner. "Wayan kulit in the colonial mar‑

gin" TDR, vol.34, no.2. 1990.リチャード・シェクナ

‑著・高橋雄一郎訳『パフォーマンス研究:演劇と 文化人類学の出会うところ』 (人文書院, 1998).

(ll)前掲書.

12 前掲書.

(13)前掲書.

(14)前掲書.

(15) wesley Enoch. (2001).

(16) Richard Scheduler (1990).

(17) Wesley Enoch. (2001).

(18) 『悲劇喜劇』 56 (3). 2003年.

(19) Maryrose Casey. "From the wings to centre stage: a production chronology of theatre and drama texts by Indigenous Australian Writers", Australasian Drama Studies. 37. October 2000.参照.

(20) Aboriginal Voices: contemporary Aboriginal artists, writers and performers, edited and photographed by Liz Thompson. (Brookvale, Simon and Schuster, 1990).

(21)テッサ・モーリス‑鈴木『辺境から眺める』 (みすず 書房, 2000)、および、テツサ・モーリス‑鈴木「知 的所有財産と先住民の権利」 『みすず』 4月号493 号, 2002年4月.

(22) Jane Harrison. 2002年に行なった、筆者とのインタビ

‑ 15‑

(10)

1‑.

(23) Stephen Muecke. Textual Spaces: Aboriginality and l studies. (Kensington, New South Wales Uni‑

versity Press, 1992).

(24) Wesley Enoch. (2001).

(25)和田喜夫. 2002年に行なった、筆者とのインタビュ

(26) Wesley Enoch. (2001).

(27) Wesley Enoch. (2001).

(28) Jane Harrison. (2002).

(29) Wesley Enoch. (2001).

(30) Marc Maufort. "Jane Harrison's Stolen and the Inter‑

national Postcolonial Context" Crucible of cultures :An‑

glophone drama at the dawn of a new millennium.

Marc Maufort & Franca Bellarsi (eds.) (Bruxelles &

New York, P.I.E. ‑Peter Lang, 2002).

(31)伊藤孝司:協力 細川弘明『日本が破壊する世界遺 産〜日本の原発とオーストラリアのウラン採掘』 (風 媒社, 2000).

(32) Marc Maufort. (2002).

(33)中村和恵「聖なるコピーライト,俗なるコピーライ ト‑先住民文化,とくにアポリジナル絵画とその

「アブロプリエーション」に関する覚書」 『ユリイカ』

29 (10) 1997年.

(34)安西徹雄「翻訳の可能性と限界:戯曲の翻訳上演を 中心に」 『英語青年』 1981年12月.

(35) G. C. Spivak. "Can the subaltern speak?" in Marxism and the interpretation of culture. (Urbana and Chi‑

cago, University of Illinois Press,   ガヤトリ・

C・スピヴァク著・上村忠男訳『サバルタンは語る ことができるか』 (みすず書房, 1998).

(36)その後のスピヴァクのこの発言に対する修正に関し ては、上村忠男「得策ではなかった結語? : 『サバル タンは語ることができるか』改訂版への熱いうちの 覚え書き」 『現代思想』 1999年7月号参照。

(37) Helen Thomson. "Aboriginal Women's Staged Autobi‑

ography" Siting the other : re‑visions of marginality Australian and English‑Canadian drama. Marc

Maufort & Franca Bellarsi, (eds.) (Bruxelles & New York, P.I.E.‑P. Lang,2001). p.29.

‑ 16‑

参照

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