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Ⅲ 団 岡□ 田囮 団団 田 団剛幽

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全文

(1)

□ □

□ □

田 田 胆 田

□ □

□ □

□ □

□ □

□ 固 団

□ □

□ 団

□ □

Ⅲ 団 岡□ 田囮 団団 田 団剛 幽

藤原宮 北 京Ilj大

(一)

一 条大路

(二)

二 条大路

(三)

三 条大路 (四)

四条大路

(五)

五 条大路

(六)

六 条大路

(ヒ)

七 条大路

(八)

入条大路

(九)

九条大路

(十)

十 条大路

(十一 条)

十 一条大路

(十二 条)

南 京極 大路

Ⅱ   藤原京の調査

西

西

西

西

11図

 

藤原京内調査位置図 (1:20000,網 目は既調査地

 

条坊 は模式図)

(2)

左京九条 四坊 の調 査 (第 54‑25次

)

(1988年3月 〜 4月)

この調査 は、 農道新設 工事 に伴 う事前調査 と して橿原市 南浦 町で実施 した も ので あ る。 農道 は幅

6mで

総 延 長

590mに

わ た って新 設 され る計 画 で あ り、 今 回 は初年度分 と して、東西44m。 南北

5.5mの

範 囲 の調 査 を行 った。 調 査地 は、

国指 定 史跡 大 官 大 寺 寺 域 北 限 の北 方 約

100mの

水 田で、 香 久 山 の南 麓 の末 端 部 に位 置す る。 藤原京 の条坊 呼称 で は左 京九条 四坊東北坪 にあた り、 当地 区 の土 地 利 用状 況 の把握 を 目的 に調 査 を行 った。

層 序 は、 耕 土、 灰 褐 色 土、 黄 灰 色 土、 整地 上、 暗灰 色 粘 土 (地

)と

な る。

整地 土 は地 表 下

0.7m前

後 に あ り、 黄 色 な い し橙 色 を した 山土 を多 く含 む粘 質 土 か らな り、 西 に厚 く、 東 に薄 い。 厚 さ は0.6〜

0,7mで

ぁ る。 この整 地 は同 層 か ら出土 した

7世

紀前 半 代 の上 器 や後 述 す る遺 構 の状 況 を考 慮 す る と

7世

紀 中 頃 まで に は終 了 した と考 え られ る。 遺 構 の検 出 は整地 上 の上 面 で行 った。

遺 構

 

検 出 した遺 構 に は小 溝 の ほか に、 南 流 す る素 掘 溝

3条

、 西流 す る素 掘溝

1条

、 建 物

1棟

と約70個の小柱穴 や浅 い土坑状 の凹 みが あ る。

溝SD2240は調 査 区 中央 寄 りに あ り、 炭 化 物 を多 く含 む 暗褐 色 粘 質 土 が堆 積 す る。 堆 積 土 か らは

7世

紀 中頃 の土 器 が 出土 して い るので、 整 地 後 す ぐに この 溝 が掘 削 され た とみ られ る。 他 の

3条

の素掘溝 は藤原京期 に属 し、 上層 はいず れ も焼 土 や炭 化 物 を含 ん だ 暗灰 色 粘 質 土 を用 いて埋 め戻 され て い る。 溝

SD

2237は幅

4m・

深 さ

0,3mで

、 下 層 に灰 色 粘 土、 中層 に砂 混 灰褐 色 粘 質 上 が堆 積 す る。 溝SD2241は 幅

6m・

深 さ

0.2mで

、 下 層 に灰 色 粘 土 が堆 積 す る。 両

IY16440 IY16420 IY16400

A

X167688

│       │

Dm

12図

 

第54‑25次 調査遺構配置図 (11400) 品殆

I SB2238

―‑ 24 ‑一

(3)

溝 は ほ ぼ方 位 に沿 って 南 流 して お り、 溝 肩 間 の距 離 は

14.6mと

な る。 溝

SD

2242は南流 して い た もの が調 査 区 内 で ほぼ西 折 して い る。 幅 は

1.5m〜 2m、

深 さ は

0.3mで

、 下 層 に淡 褐 色 砂 質 土 が堆 積 す る。 これ らの溝 か らは

7世

紀 後 半 か ら藤 原宮 期 にか けて の土 器 が 出土 した。

柱 穴 は主 に溝SD2237と SD2241と の あ い だ で検 出 した が、 建 物 と して ま と ま る の はSB 2238の み で あ る。 桁 行

2間 (3.8m)。

梁 行

2間 (3.6m)以

上 の南北棟 で あ る。 柱穴 か らの出土遺物 が皆無 のため年代 を確定 し難 いが、 柱掘 形 の形 状 や周 囲 に平 安 時代 前 期 の上 器 を出土 す る柱 穴 が あ る ことな どを考慮 す る と、 平安 時代 に位 置付 け る こと もで き る。 そ の他 の柱 穴 は一辺

0.5m前

後 の もの と

0.3m前

後 の もの に大 別 で き る。 出土 土 器 か らみ て前 者 は

7世

紀 代 、 後 者 は平 安 時代 以 降 と考 え られ る。 な お柱 穴 は深 い もの で も僅 か

0.3m前

後 で あ

り、 この地 区 が後 世 に相 当削平 され た ことを示 して い る。

遺 物

 

出土 遺 物 に は

7世

紀 中 頃か ら

8世

紀 初 め にか けて の上 師器 、 須 恵 器 の ほ か に土馬、 円面硯、 ル ツボ、 フイ ゴ羽 口、銅滓、大官大寺所用瓦片、 さ らに円 筒 埴 輪 や金 環 な ど もあ る。

ま とめ

 

今 回 の調 査 に よ って、 当地 区 の古 代 にお け る土 地利 用形 態 につ いて新 た に二 つ の知見 を得 た。 一 つ は

7世

紀 中頃 に は完成 して い た とみ られ る大 規模 な整地 上 の存在 で あ る。 同様 の整地 は、 調 査 地 の西 方 約

300mで

もす で に確 認 され て お り、 藤原宮成立前 の飛鳥諸宮 の造営 との関連 で理解 されて い る (耳成 線 第

2次

調 査 、 概 報12)。 今 回 の確 認 に よ って、 そ の整 地 は東 西400m、 南 北

380mの

範 囲 に及 ん で い る こ とが判 明 した。 さ らに藤 原京 期 の遺 構 は素 掘 溝 の みで あ る。 この うち、 南 北 溝SD2241、 SD2237は東 四坊 坊 間路 心 か ら東 へ 各 々 約52m、

72mの

位 置 にあ た る。 そ の位 置 や規 模 か らみて、 単 に宅地 を分 割 す るだ けの溝 とは考 え難 く、 おそ ら く香久 山南麓一帯 の基幹排 水路 の機 能 を有 し て い た もの と推 定 され る。 今 回 の調査 は道路敷 とい う限定 され た調査 で あ った た め、 整地 に伴 う施設 や藤原京期 の建物等 は未検 出で あ る。 今後 の周辺 の調査 が期待 され る。

(4)

右京二条― ・二 ・三坊 の調査 (第 58‑7次 等

)

この地域 は藤原宮 の北側 にあ って、外周帯 を はさんで藤原宮 に接 す るとい う、

きわ めて重 要 な場所 にあた って い る。 この地域一帯 は、 開発 の速度 が特 に速 い こと もあ って、調査件数 が多 い。 このため、 藤原宮・ 京 関係 の資料、 なかで も 条坊 遺 構 に関 す る資料 が特 に沢 山蓄積 され て い る。 本 年 度 にお いて も これ らに 関 す る重要 な知 見 の追 加 が あ いつ いだ ので、 ここに この地 域 の調 査 を ま とめて 報 告 す る ことにす る。

58‑13

│ │

13図

 

右京二条一〜三坊周辺図

一‑ 26 ‑―

(5)

58‑7次

調 査

(1988年7月)

この調査 は駐車場造成 に伴 う事前調査 と して橿原 市 醍 醐 町 で実施 した。 調 査 地 は右京 二 条二坊 にあ っ て、 南半 に二条条 間路北側溝 が予想 されて いた。調 査 区 の層序 は上 か ら順 に耕土、 床土、灰褐色土、 暗 褐 色 砂 質 土 で あ り、 地 表 下

0.6mで

茶 褐 色 粘 質 上 の 地 山面 とな る。 遺構 の検 出 は この地 山面 で行 った。

検 出 した遺 構 に は、 藤 原 京 期 の東 西 溝 とそれ以 降 の井戸、 斜行溝 な どが あ る。

東 西 溝 SD 6270は 幅

1,lm。

深 さ

0.15mで

、 暗 灰 色 粗 砂 が堆 積 して い る。 遺 構 の遺 存 状 態 は きわ め

∴ 一

Dm

14図

 

58‑7次調査 遺構配置図 (1:400)

て悪 く、 特 に東半 は痕跡 が残 る程度 で あ った。 この溝 か らは、 藤原宮期 の上器 が少量 出土 して い る。 次節 で報告 す る二条条 間路 と西二坊坊 間路 の交 差点位 置 を確認 した第

54‑23次

調 査 の成 果 と出土 遺 物 か らこの溝 を二 条 条 間路 の北 側 溝

と考 え る ことがで きる。

斜 行 溝SD6272は幅 1.6m、 深 さ

0.3mで

流 水 に よ る灰 色 砂 が厚 く堆 積 す る。

調 査 区 内 を南北 に蛇 行 して流 れて お り、 自然流 路 と考 え られ る。 ここか らは瓦 器 の小 片 が 出土 して い る。

井 戸SE6271は径

3.3mの

ほ ぼ 円形 で、 深 さ は

1.8mで

ぁ る。 壁 は ほ ぼ垂 直 に掘 られ、 中心 部 が一 段深 い。 井戸枠 は残 って いない。 下層 には黒褐色 の粘土 が堆積 し、上 層 は褐色粘土・黄色粘土 で人為 的 な埋土 に埋 めたて られて い る。

埋 土 か らは12世紀 後 半 か ら13世 紀 にか けて の瓦 器 が 出土 して い る。 斜 行 溝

SD

6272よ り新 しい。

今 回 の調 査 で、 二 条条 間路北 側 溝 を確認 す る ことが で きた。 また調 査 区 の位 置 は東 北 坪 の東 西 中心 線 に ほぼ あ た って いたが、 坪 内 の区画施 設 や建 物 等 の藤 原 京 に関連 す る遺 構 を確認 す る ことはで きなか った。

(6)

54‑23次

調 査

(1988年2月4月)

この調査 は、 私道建設 に伴 う事前調査 と して橿原市醍醐 町で行 った もので あ る。 調査地 は右京二条二坊 の中央部分 にあた り、条 間 。坊 間両路 の交差点 を含 む条 坊 関連遺構 の存在 が予想 され た。 このため、調査 は道路予定地全域 を対象 と し、東 区 (東西

6m・

南 北

68m)と

西 区 (東西6.6m。 南 北

73m)の 2本

の 調 査 区 を設 けて行 い、 遺構 の状 況 に よ リー 部 を拡 張 した。 調 査 区 の層 序 は上 か ら耕土、 床土、 暗褐色上 の順 で あ り、 藤原京期 を含 む大半 の遺構 は、 この暗褐 色 土上 面 で検 出 した。 この層 序 は、 東 西 両調 査 区 と も基 本 的 に同様 で あ る。 調 査 の結 果、 西二坊坊 間路 とその東西両側溝、二条条 間路 とその南北両側溝、 お

よび両 路 の交差点、 井戸

3基

な どを検 出 した。

東 区 の調 査

 

西 二 坊 坊 間 路 SF1082は 、 調 査 区 の輪 郭 線 に ほぼ重 複 して検 出 し た。 坊 間 路 の溝 心 心 距 離 は約

6.5mで

あ る。 そ の東 側 溝SD 6334・ 6335は 幅

1.2m・

深 さ0.2m、 西 側 溝 SD6336・ 6387は 最 大 幅

2m。

深 さ

0,2mで

あ る。

この うち西側溝 は、二条 条 間路 との交差点以南 で は、痕 跡 的 に しか確認 で きな い。 二 条条 間路 SF6330は 、 調 査 区 の中央 部 やや北 寄 りで検 出 した。 条 間路 は 坊 間 路 と同 じ く溝 心 心 距 離 で約

6.5mぁ

る。 そ の南 側 溝 SD 6331は 幅

1.3m。

深 さ0.15m、 北 側溝 SD6332・ 6333は幅1.2m・ 深 さ0。

3mで

ぁ る。

西二 坊 坊 間路 と二 条 条 間路 が交 わ る交 差点 の状 況 は、 交 差 点 北 側 で は坊 間路 の東 西 両 側 溝 SD6335。 6337と 条 間 路 北 側 溝SD 6332・ 6333が そ れ ぞ れ

L字

形 な い し逆

L字

形 に接 続 して い る。 これ に対 し、 交 差 点以 南 の坊 間路 東 西両 側 溝 SD6334・ 6386は 、 削 平 を うけて や や不 明確 な点 も残 るが、 条 間 路 南 側 溝

SD

6331に それ ぞ れが

T字

形 に接 続 して い た よ うだ。 北 西 に下 が る地 形 か ら考 え る と、条 間路以南 の水 は条 間路南側溝 に集 めて西 に流 し、 条 間路北側 溝 の水 は坊 間路東側溝 を経 て北 へ、 また交差点 の水 は条 間路北側溝 と坊 間路西側溝 に分 け、

それ ぞれ西 と北 へ流 した もので あ ろ う。

調 査 区 南 端 で 円形 の掘 形 を もつ 井 戸 SE6388を 検 出 した。 直 径

1.lm。

深 さ

0.8mの

浅 い もので、 井 戸 枠 な ど はみ られ な い。 これ は11世紀 代 に属 す。

―‑ 28 ‑―

(7)

西 区 の調 査

 

調 査 区 中央 北 寄 りで、

東 区 で 確 認 し た 二 条 条 間 路

SF

6330と そ の南北両 側溝 の西延 長 部 分 を検 出 した。 南 側 溝SD6331は 幅

lm・

深 さ0.25m、

 

引ヒ狽1溝 S

D6333は

1.3m・

深 さ

0.2m

で あ る。

この他、 条 間路 の北方 で井戸2 基 を検 出 した。 東 側 で確認 した井 戸 SE 6340は 、 直 径

3.5mの

円 形 の掘 形 を持 ち、 中央部 に横 板 組 の方形 の井戸枠 が あ った。 枠組 は 四隅 に角 柱 を立 てて横 板 を固定 す る もの で、 内寸 法 は一 辺

0.9m・ ̲

深 さ

3.5mの

規 模 で あ る。 横 板 15段分 を残 し、 井 戸底 部 に は玉 石 が敷 かれて いた。 井戸枠 の内部 に は暗灰色粘土 層 が堆積 してお り、

そ の下部 な どで藤原宮期 の完形土 器 が多数 出土 した。 そ の内訳 は、

須 恵 器 の杯

B2点

・ 平瓶

7点

・ 俵 ― 形 瓶

1点

・ 甕

1点

、 土 師器 の杯

A

2点

・ 杯

Cl点

・ 甕

7点

で あ る。

この内、 甕 に は墨 や箆 で記号 を記 した ものが あ る。

西 側 の 井 戸 SE 6339は 径

1.9m

・ 深 さ

1,7mの

円 形 の 掘 形 を 持 ち、 中央部 に丼戸枠 を抜 き取 った

IYl'820

165940

│   

15図

 

第54‑23次 調査遺構配置図 (1:400)

X165900

X165920 IY17 8'0

碑 ︒︒  

S E 6 3 3 9 Λ︶︒ ο ∞    o 静

SF6330

SD6331

フ クた

フ 斧

︱ 劇

︱ 0

︒︒

︒︒

︒  

︒︒ど

︒︒

︒ も

︒︒

﹄ ο

︒ 測  

10 33

E 6 3 3 ◎

▲ 二 員

(8)

痕跡 を と どめ る。 出土 遺 物 か らみ て11世紀 代 の遺 構 で あ ろ う。

ま とめ

 

本 調 査 で は、 当初 の予 想 どお り、 西 二 坊坊 間路 と二 条 条 間路 の交 差 点 を検 出 し、 藤原京 の条坊 を復原 す る上 に、 一 つ の新 たな手 がか りを得 る ことが で きた。 ただ し、 宅地 内 の状況 を復 原 す る上 に重要 な遺構、 と くに建物 や塀 な どの遺 構 は確認 で きなか った。 そん な なか で、 今 回検 出 した井 戸 SE6340は 右 京二 条 二 坊 西 北 坪 の東 南 隅付近 に位 置 して お り、15段以 上 に も積 み上 げた井 戸 枠 の規 模 か ら して も、 宅地 内 で重 要 な役 割 を担 って いた もの と思 わ れ る。 お そ ら く周 囲 に は、 井戸 に伴 う建物 な どが建 って いた可能性 は高 く、 今後 の調査 の 進 展 に期 待 した い。

58‑13次

調 査

(1988年■月〜12月)

この調 査 は住 宅 新 築 に伴 う事 前 調 査 と して 橿 原 市 醍 醐 町 で 行 った もの で あ る。

調査地 は右京二条二坊東南坪 の西南部 で、 南端部 は二条大路 の想定位 置で あ る。

調 査 は東 西

7m・

南 北

27.4mの

調 査 区 を設 けて行 った。 調 査 区 の層 序 は上 か ら耕 土、 床上、 灰色砂質 土 ない し褐灰色粘質土 が あ り、 その下 が藤原京期 の遺

IY17 800 IY17 780

―X186020

―X166040

二 条 大路 58‑13次

西

8‑7次SD5240

58‑13次調査遺構配置図 (1:600)

一‑ 30 ‑―

IY 17 840

SD3211

33‑3 VA ‖

16図

(9)

構 検 出面 とな る。 検 出面 は南 が高 く北 に低 い。北半 で は灰褐 色砂質土 な い し暗 灰 色 粘質 上 の地 山が露 呈 し、 南半 に は東 南 か ら西北 へ 向か う古 い河川 が あ る。

検 出 した遺 構 は東 西 溝

1条

と小 穴 数個 で あ る。 東 西 溝

SD01は

、 二 条 大 路 北 側 溝 に あ た る。 幅 1.3〜1.4m・ 深 さ

0.45mの

素 掘 溝 で、 底 に灰 緑 色 粘 土 が堆 積 し、淡褐色粘土 で埋 め られて い る。 溝 中か ら藤原宮期 の土器・ 軒平 瓦 が 出上 し た。 二 条 大 路 南 側 溝 は当調 査 区 の南 西 約

40mの

33‑3次

48‑7次

調 査 区 (概12・

17)で

検 出 して お り、 二条 大路 の幅員 は15.Om、 両側溝 心心距 離 は

16.4mと

復 原 で き る。 これ は第39次 調 査 で の成 果 (幅員 15.2m、 側 溝 心 心 距 離 16.2m、 概報

15)と

ほぼ一 致 す る。 坪 内 につ いて は、坪 の外周 を区画 す る塀 な

どの施設 や建物 は検 出で きなか った。

第58‑14・ 15次調 査

(1988年12月)

この調査 は橿原市醍醐 町 にお け る共 同住 宅 お よび農業用倉庫 の新築 に伴 う事 前 調 査 と して実施 した もので あ る。 当該 地 は藤 原 宮 に北 面 す る二 条 大路 にあた る。 また藤原宮西面 外濠 は第36次調 査 で北 隅 か ら西 へ振 れ る こ とを確 認 して は い るが、北延長位 置 で現在 の水 田面 が大 きな段差 を生 じてお り、 これが 旧地形 を反映 した ものか否 かが注 目され た。 このため二条大路 の南側溝想 定位 置 に東 西

2枚

の水 田を またいで東西 18m・ 南北

4mの

調 査 区 を設 定 した。

東 区 の層 序 は上 か ら耕 土、 床 土、 暗灰 褐 色 粘質土、 灰褐色砂質土、 明灰色粘 質 土 とな る。 検 出 した主 な遺構 は東 西 溝

2条

と南北 大 溝

1条

で あ る。 東 西 溝 S

IY17 910 IY17 900

X166050

笙 1̲̲̲̲̲二 ̲̲̲̲剃

Dm

17図

 

第58‑14・ 15次調査遺構配置図 (1:150)

(10)

D3201・ 6370は明灰色 粘質土上面 で検 出 した もので ほぼ同位 置 で重 複 して い る。

東 西 溝S D 3201は 最 大 幅

0.9m.深

0.15mで

、東区の両端 で の溝底 は西 で0.2

m低

い。 この溝 を第

33‑3次

調 査 東 区 で検 出 した二 条大 路 南 側溝 の西延 長 部 と 理 解 す る と、 西 で南 に約10分振 れ て い る。 東 西 溝SD6370は 幅0,13m。 深 さ0.

05mほ

どが残 り、 溝底 はほぼ平坦 で あ る。 西端 で は急 な落 ち込 みが あ り西側 と の地 形 の段 差 が生 じた時点 で機 能 して いた もの と思 われ る。 南北 大 溝

SD3220

は幅

4m・

深 さ

0.6mほ

どで、

1層

上 の灰 褐 色 砂 質土 面 で掘 り込 ん で い る。 第

33‑3次

調 査 西 区 で検 出 した遺構 と一 連 と考 え られ る。 存 続 年 代 は明 らか で な いが埋 上 を覆 う暗灰褐色粘質土 に は瓦器 を含 む。

西 区 で は床 土下 の暗茶褐 色 土 上 面 で、 中世 以 降 の浅 い南北 溝 と小 穴 の ほか、

西 端 で東 区 で検 出 した南 側 溝SD3201の延 長 部 を確 認 で きた。 溝 底 は東 区 西 端 よ りさ らに

0.2m下

が って い る。 遺 構 面 は東 区 よ り

0.4m低

い が削 平 され た形 跡 が強 く、 本 来 は西 側 になだ らか に傾 斜 して いた もの と考 え られ た。

58‑8次

調 査

(1988年8月)

この調査 は住宅建設 に伴 う事前調査 と して橿原市醍醐町で行 った もので あ る。

調 査 地 は右 京 二 条三 坊 の東 北 坪 にあた り、 第

41‑16次

調 査 (概

15)の

成 果 か らす ると一条大路 の存在 も予想 され た。 このため東 西

3m・

南 北 1l mの 調 査 区 を設 けて調査 したが、 藤原京期 の明確 な遺構 は検 出で きなか った。

58‑12次

調 査

(1988年11月)

この調査 は住宅改築 に伴 う事前調査 と して橿原市醍醐 町で行 った もので あ る。

調 査地 は右 京二 条 二 坊 東 南坪 にあ た る。 東 西

5m。

南北

3mの

調 査 区 を設 けて 調 査 した。 藤 原 京 期 の遺 構 は検 出 され なか ったが、 中世 の環 濠 の一 部 で あ る可 能 性 の高 い沼状 の落 ち込 み と、 東 南 隅 で柱 穴 1を検 出 した。

―‑ 32 ‑―

(11)

3.右 京七・八条一坊 の調査 (第 54‑19次

)

藤原宮 の朱雀門 の南 に は南東 か ら北西方 向 にむ けて 日高山が横 たわ ってお り、

この西側 には飛 鳥川 が 日高 山 に ほぼ平行 して流 れて い る。 日高 山 と飛 鳥川 に は さ まれ た右京七条一坊西南坪 で は、 第19次調 査 と第49次 調査 (藤原 京 右 京 七 条 一 坊 西南坪発掘調査報 告

)が

実 施 され て お り、 一 町規模 で整然 と配 置 した邸 宅 の遺構 が みつ か って い る。 今 回 の

2件

の調査地 の うち

1件

は、七条大路 と西一 坊 坊 間路 を は さん だ南東側 に位 置 して お り、調 査面積 が大 きいので、 同規模 の 建 物群 の検 出が大 いに期待 され た。 もう

1件

の調査地 は七条大路 にあた って い た ので、 その手 がか りを得 るのを 目的 と した。

17引

17‑1

麟い 朱一 雀 大 路

(12)

54‑19次

調 査

(1987年12月1988年3月)

この調査 は道路建設・ グ ラ ン ド造成 の事 前調査 と して、橿 原市上飛騨 町で行 った もので あ る。 調 査地 は、 日高 山 の ほぼ中央 の面斜面 か ら、 その山裾 を西 に 降 りた平 坦 地 まで お よん で い る。 藤原 京 の条 坊 で いえ ば、 七 条 大 路 を は さんで 北 側 で わず か に右 京七 条 一 坊 東 南坪 に は りだ して お り、 大 部分 は南 側 の同八 条 一 坊東北坪 に属 す。

調 査 は

4箇

所 に分 けて行 った。

I区

 

調 査 地 の北 東 部 に設 けた東 西 約20m。 南北 約

5mの

調 査 区 で あ る。 表 土 を取 り除 くとす ぐ花 南岩質 の地 山 にな った。 ここは 日高 山 の西斜面 にあた って お り、 地 山面 の高低差 は東 端 と西 端 で約

0,7mぁ

る。 遺 構 は現代 の もの に限 ら れ て お り、北側 へ の落 ちが

3箇

所 あ った。

‖区

 I区

の南約

20mに

設 定 した東 西約 20m・ 南 北 約

4mの

調 査 区 で あ る。 地 表 面 か ら、 東 端 で約 1.7m、 西 端 で約

3.2m掘

り下 げ た が、 土 層 は赤 褐 色 砂 質 土 の現代 置土 に限 られ て いた。 第

48‑6次

調 査 (概

17)が

本 調 査 区 の東 に約

4m隔

て た位 置 で行 われて い る。 その成果 と組 み合 わせ れ ば、 日高 山 の西斜面 は きわ めて急 角度 に落 ちて い る ことを示 して い る。

Ⅲ区

 

調 査 地 の東北 端 で

1区

の西側約

15m隔

て て設 けた東西約24m。 南北 約 4

mと

、 東 西 に長 い調 査 区 で あ る。 表 土 の直下 は花 向岩 質 の地 山 で あ る。 日高 山 の西斜面 にあた ってお り、 西端 か ら西

10m足

らず で平坦地 に達 す る。 東端 と西 端 との高 低 差 は約

2.lmで

あ る。 また北 に もゆ るや か な落 ちが あ る。 現在 調 査 区 の南 側 は崖 面 を呈 して お り、 高 低 差 は約

2.8mぁ

る。 この調 査 区 で も藤 原 京 に関連 した遺 構 はみつ か らなか った。

Ⅳ区

 

Ⅲ区 の南 に接 して設 けた調査 区で、

2度

南 側 に拡 張 した こと もあ って、

調 査 区 の外 形 は不整 形 とな った。 東西 約36m。 南北 約

70mの

範 囲 にお よぶ。 層 序 は北 端、 中央、 南 端 で異 な る。 北 端 で は、 赤 褐 色 砂質 土 を取 り除 くと、 す ぐ 花筒岩質 の地 山 とな る。 中央付近 で は、上 か ら、 赤褐色砂質土、 暗緑色砂質土、

茶色土、茶灰色砂質 土、 赤褐色土、 暗褐色土、 それか ら花 筒岩質 の地 山 とな る。

―‑ 34 ‑―

(13)

X167360

X167380

SA 128

S3130 SB129

SAl S0116

X167 420

0       20m

i

IY'7500      1Y17480 19図

 

第54‑19次 調査遺構配置図 (11400)

。 て

 

  sqti

8‑D疑 >つ

(14)

この うち赤褐色 土 は藤原京期 の整地 層、 暗褐色土 は

7世

紀 前 半 の土 器 を含 む包 含層 で あ る。 南 端 で は、 上 か ら、 赤 褐 色 砂 質 土、 淡茶 褐 色 土、 茶 褐 色 土、 礫 混 褐 色 上、 黄 褐 色 上、 赤褐 色 上 、 礫 混 褐 色 砂 とな る。 この うち、 礫 混 褐 色砂 が地 山で あ る。 遺 構 検 出面 は、 北 半 部 で花 南岩 質 の地 山面、 南半部 で赤褐色土 の上 面 か これ を取 り除 い た面 で行 った。 この調 査 区 で南半 部 に限 って、 藤原 京 期 や 中世 な どの時期 の遺 構 が みつ か った。

遺 構

検 出 した遺 構 に は、 掘 立 柱 建 物、 掘立 柱塀 、 素 掘 溝、 石組 井 戸 な どが あ り、

これ らは主 に

7世

紀、 藤原 京 期、 中世 に属 す。

7世

紀 の遺 構

 

溝 S D 120が これ に あ た る。 Ⅳ 区 の 中央 を屈 折 しな が ら、 ほ ぼ 西 に流 れ る小 溝 で、 幅 約

0.6m・

深 さ0.05〜

0.lmで

ぁ る。

藤 原 京 期 の遺 構

 

この時期 の遺構 は柱穴 の重複 関係 な どか ら、 A・

Bの 2時

期 に分 け る ことがで きる。 なお、 どち らの時期 の遺構 も、 国土方 眼方位 で北 に対

して ほん のわず か西 に振 れて い る。

(A期 )掘

立 柱建物

2棟

、 掘立 柱塀

1条

が あ る。

S B 104は 、 南 半 中央 に あ る大 規 模 な掘 立 柱 東 西 棟 建 物 で あ る。 桁 行

7間 (19,6m)・

梁 行

3間

(7.2m)。 柱 間 寸 法 は桁 行 2.8m、 梁 行 は

2.4mで

ぁ る。 柱 掘形 は、 や や不 揃 いだ が、 一 辺0,9〜

1,3mで

方 形 を 呈 す る。 断 ち割 り 調 査 を行 った柱 穴 で は、 南 側 柱 穴 に限 って、 底 に拳 大 の礫 を厚 さ0.1〜

0.3m

ほ ど敷 き詰 めて い る ものが みつか って い る。 また南側柱列東第

2柱

穴 で は、 山 土 混 褐 色 土 と茶色粗 砂 を厚 さ

0,05mず

っ交互 に入 れて版築状 につ き固 めた状 況 が確 か め られ た。 柱 掘形 の深 さは現 状 で0.3〜

1.Omほ

どで ぁ る。 柱 は、 抜 き 取 られ た形 跡 はな く、 それ とわか る もの はす べ て柱痕 跡 が あ った。 また北 東 隅 柱 穴 や南 側 柱 列 東 第

6柱

穴 で は柱 根 が わず か に残 って いた。

S B 101は 、 調 査 区南 端 にか か った、 南 北 棟 とみ られ る掘 立 柱 建 物 で あ る。

調 査 区 内 に は、 北 側 柱

2間

(4.8m)の

み を検 出 した。 柱 間寸 法 は

2.4mで

あ る。 柱 掘 形 は、 一 辺 1.1〜

1.3mで

、 方 形 を呈 す る。 深 さ は0.5ま た は0.6

mで

あ った。

―‑ 36 ‑一

(15)

S Al161ま 、 南半 に あ って、 東 西 に延 び る掘 立 柱 塀 で あ る。 東 方・ 西 方 と も 調 査 区外 に延 び る。 調査 区内で15間分

(34.8m)を

確認 した。 柱 間寸 法 は多少 ば らつ くが、

2.32m前

後 で あ る。 柱 掘形 は一 辺 1.1〜

1.4mで

、 方 形 を呈 し、

深 さ は現 状 で0.6〜

0,9mほ

どで ぁ る。 な お柱 を抜 き取 った形 跡 はな い。

(B期 ) 

掘 立 柱建 物

5棟

、 掘 立 柱塀

5条

が あ る。

S B 105は 、 南 半 東 端 にあ る掘 立 柱 の東 西 棟 建物 で あ る。 この建 物 の北 側 柱 筋 は

A期

の建 物S B 104の そ れ の北 約

0.6mに

あ る。 さ らに北 側 柱 筋 と南 側 柱 筋 は、 この西 に並 ぶ 建 物S B 106・ 107に一 致 す る。 桁 行

3間 (7.8m)。

梁 行

3間

(5。85m)。 柱 間寸 法 は、 桁 行

2.6m・

梁 行

1,95mで

ぁ る。 柱 掘 形 は、

一 辺 が、 0.7〜

1.Omで

、 方 形 を呈 す る。

S B 106は 、 南半 中央 に あ る掘立 柱 の方形 とみ られ る建 物 で あ る。 桁 行 と梁 行 が と もに

2間 (5,4m)で

、 柱 間 寸 法 は

2.7mで

ぁ る。 柱 掘 形 は、 一 辺 が

0。7〜

1.2mで

、 方 形 を呈 す る。 東 妻 柱 穴 の断 ち割 り調 査 を行 った が、 そ れ に よれ ば、 この柱穴 は、現状 の深 さが約

0.8mで

、 山土 混 褐 色 土 や淡 茶 色 砂 質 土 な どを厚 さ0.05〜0。

lm程

度 ず つ入 れ て版 築 状 につ き固 めて いた。

S B 107は 、 南 半 西 半 に あ る掘 立 柱 の東 西 棟 建 物 で あ る。 桁 行 は

4間

以 上 (10.52m)、 梁 行 は

2間

(5。

4m)で

ぁ る。 柱 間 寸 法 は桁 行

2.63m。

梁 行

2,7mで

ぁ る。 柱 掘 形 は一 辺 が0。9〜

1.lmの

方 形 を 呈 す る。

S B l18は 、 中央 東半 にあ る東西棟 の掘立柱建物 で あ る。 桁行

3間

以 上 (5。 2

m)。

梁 行

2間

(3.8m)。 柱 間寸 法 は桁 行1.73m。 梁 行

1.9mで

あ る。 柱 掘 形 は、 一 辺 約

0.5mと

小 さ く、 方 形 を呈 す る。

S B 129は 、 中央 の西 半 に あ る東 西 棟 の掘立 柱建 物 で あ る。 北 側 柱

1間

以 上 (2.2m)、 東 側 柱

2間 (3.8m)の

み を 検 出 した。 梁 行 の柱 間 寸 法 は

1.9m

で あ る。 柱 掘 形 は、 S B l10よ りや や大 き く

0.7mで

、 方 形 を呈 す る。

S A l17は 、 塀 S A l16の 位 置 を基 本 的 に踏 襲 した掘 立 柱 の東 西 塀 で あ る。

調 査 区 内 で は、 桁 行15間

(35,3m)検

出 した。 柱 間寸 法 は不 揃 いで

2.4m前

後 で あ る。 柱 掘 形 は、 一 辺 約

0.7mで

、 方 形 を呈 す る。 深 さ は現 状 で0.7m。

S A 125は 、 塀 S A l17で 調 査 区 内 の西 第

5柱

穴 か ら北 に伸 び る掘 立 柱 の南

(16)

北塀 で あ る。桁 行

4間 (8.6m)で

東方 向 に鍵手 状 に折 れ 曲 が る。 柱 間寸 法 は、

2.15mで

あ る。 S A 126は 、 塀 S A 125の 北 隅 の柱 穴 か ら始 ま る。 桁 行

3間 (7.3m)の

み を、 調査 区 内で検 出 した。 柱 間寸 法 は、

2.43mで

ぁ る。 塀

SA

125と S A 126の 柱 掘 形 は と もに、 一 辺

0.8m前

後 で、 方 形 を 呈 す る。 な お 建 物 S B l181よ、 塀 S A l17・ 125。 126で 囲 ま れ て い る。

S A 127も 、 調 査 区 内 の塀S Al17の 西 第

4柱

穴 か ら北 に伸 び る掘 立 柱 の南 北塀 で あ る。 桁行

4間 (7.8m)で

西方 向 に鍵手 状 に折 れ曲 が る。 柱 間寸 法 は、

1.95mで

あ る。 S A 1281ま、 塀 S A 127の 北 隅 の柱 穴 か ら始 ま る。 桁 行

2間 (5,Om)の

み を、 調 査 区 内で検 出 した。 柱 間寸 法 は、

2.5mで

あ る。 塀

SA

127・ 128の柱 掘 形 は と もに、 一 辺

0.8m前

後 で、 方 形 を呈 す る。 な お 建 物

S B129は

、 塀 S A l17・ 127・ 128で 囲 ま れ て い る。

中世 の遺 構

 

掘 立 柱 建物

2棟

、 井 戸

2基

、 素 掘 溝

5条

な どが あ る。

S B 102は 、 南 端 に あ る掘 立 柱 の南 北 棟 建 物 で、 国土 方 眼 方 位 に対 して、 北 で西 にか な り振 れ て い る。 桁 行

3間

以 上

(6.5m)・

梁 行

2間 (5.Om)と

われ るが、妻柱 穴 はみつ か って いな い。 柱 掘形 は、 直径 約0。

7mで

あ る。

S B 130は、 中央西端 にあ る掘立柱 の東 西棟 建 物 で、 国土 方 眼方 位 に対 して、

北 で西 に振 れ て い る。 桁 行

5間

以 上

(5,7m)あ

り、 東 か ら

3間

目の位 置 に間

仕 切 りが あ る。 梁 行 は

2間

(2.9m)。 柱 間寸 法 は、 桁 行2.85m・ 梁 行

1.45m

で あ る。 柱 掘形 は一 辺 約

0,4mで

、 ほぼ方 形 で あ る。

S E 108は 、 南半 東 端 にあ る石 組井 戸 で あ る。 平 面 形 は、 円形 で 直径 約 1.8 m、 深 さ は現 状 で約0。

9mぁ

る。 底面 に は直径0,35m。 高 さ

0.26mの

曲物 を据 えて い た。 井戸 の掘形 は、現 状 で 直径 約

2.2mの

円形 を な して お り、 掘 形 内 に は人頭大 の石 を密 に放 り込 んで いた。

S E 124は 、 中央 にあ る石 組井 戸 で あ る。 平 面 形 は、 円形 で 直径 約 1.Om、

深 さ は現 状 で約

2.4mぁ

る。 井 戸 の底 部 は花 蘭岩 質 の脆 い岩 盤 に、 直径 約 1.2 m・ 深 さ約0。

75mで

半 球 状 に掘 り くば め て い た。 井 戸 の掘 形 は、 直 径 約

3.4m

の円形 で、 掘形 内 の裏込 め に、 山土混 青灰色砂質土 や褐色土 を用 いて い る。

S D 109は 、 南 半 東 端 の素 掘 溝 で あ る。 幅 約

4.4m・

深 さ約

1.lmで

ぁ る。

―‑ 38 ‑一

(17)

西 に約

3m隔

て て溝 S D l13が 、 この南 に あ らた に溝 S D lllが 掘 られ た。 幅 や 深 さ は溝S D 109と あ ま り変 わ らな い。 調 査 区 の西 端 で 溝 S D l14・ 112が 溝S D l13・ 111に接 続 して、 南 北 に連 な る。 これ らの溝 に は青 灰 色 粘 土 や 暗 灰 色 粘土 な どの粘 土 が厚 く堆積 して いたので、 本来 は濠状 に水 を たたえて いた もの と思 われ る。 したが って、溝S D 109と S D l13の 間 が途 切 れ て い るの は、

こ こが陸橋 と して利 用 され たためだ ろ う。

中世 の遺構 には、 環濠 とみ られ る施設 の ほか、建物 や井戸 がみつか って い る。

これ らが有機 的 に どの よ うに関係 す るか は分 か らない。

遺 物

そ の 内容 は、 土 器、 陶磁器、 瓦 な どで、 年 代 は弥 生 時 代 か ら中世 にお よぶ が、 藤 原 京 の時期 の もの は少 な く、 む しろ中世 の遺 物 が豊 富 で あ る。 瓦 類 と して は丸・ 平瓦 の ほか に、 押捺 パ ル メ ッ ト紋軒平 瓦 が

1点

、 四重 弧文軒 平 瓦 が

1点

、 英斗 瓦 が

2点

出土 した。 また井 戸 S E 124か ら古 瀬 戸 とみ られ る水 注 が ほぼ完形 で 出上 して い る。 なお弥生 時代 の遺物 に伴 う遺構 は検 出 して いな い。

ま とめ

今 回 の調 査 地 にお いて は、 藤原京 に関す る遺構 はⅣ区南半 に限 られてお り、

IoⅢ

区 とⅣ 区北 半 で は、 表 土 直下 で花 南岩質 の地 山を確認 したが、 遺構 はす べ て現代 の もので あ った。 これ らの調査 区で は、 ここを通過 す ることが想定 さ れ て い る七条大路 の路面 や側溝 はい うにお よばず、坪 の外郭 を閉 じる塀 な ど藤 原 京 の時期 に属 す遺構 は後代 の削平 で こと ごと く失 われ た とみ られ る。

こ こで、 当坪 の周辺 で明 らか にな って い る条坊遺構 を手 がか りに して、 今 回 検 出 した藤 原 京 期 の建 物 の配 置 につ いて検 討 して み よ う。 七 条 大 路 は検 出 で きな か った ので、 第

29‑7次

調 査 (概

11)で

検 出 した六 条 大 路 と本 薬 師寺 の西 南 隅 で実 施 した調 査 (概報

6)で

検 出 した八 条 大 路 の位 置 か ら、 七 条 大 路 の位 置 を割 りだ そ う。 八 条条 間路 につ いて は第

45‑6次

調 査 (概報

16)の

成 果 を使 お う。 また朱 雀大路 につ いて は第

17‑2・ 3次

(概

7)の

成 果 を、 西 一 坊坊 間路 につ いて は第17次調査 (概

6)の

成 果 を用 い る こ とにす る。

藤 原 京

A期

に建 て られ た塀 S A l16は 、 坪 を南 北 に四等 分 す る位 置 に はぼ相

(18)

当 す る。 建 物 S B 104で は東 西 の 中軸 線 は坪 の 中軸 線 の西 約

2.2mに

あ って や やず れて い るが、 南側柱筋 は坪 を南北 に二等分 す る位 置 に ほぼあた って い る。

B期

に は、 塀S A l17を 塀S Al16の 位 置 に基 本 的 に踏 襲 して 建 て た。 この 塀 の南 側 す な わ ち坪 の 内 側 に、

3棟

の建 物S B 105。 106・ 107を 建 て た が 、 そ の北 側柱筋 を建 物S B 104の 北 側 柱 筋 の位 置 の や や北 側 にお い た ので、 坪 を 南北 に二 等 分 す る位 置 か らほん の少 しだ けず れ る ことにな った。

この坪 は、北 側 で推定七条大路心 か ら南 に坪 の

6分

1か

5分

1ぐ らい、

東 側 で朱 雀 大 路心 か ら西 に坪 の

4分

1か

3分

の 1ぐ らい、 日高 山が当坪 のな か にせ りだ していた とみなす ことがで きる。 た とえば東側 の落差 は特 にきつ く、

48‑6次

調 査 で検 出 した 日高 山 の岩 盤 の傾 斜 変 換点 とⅣ 区遺 構 検 出面 との高 低 差 は、 約

5,lmに

も達 して い るの で あ る。

今 回 の調 査 に よ って、 この よ うに 自然地 形 上 の制約 が特 に大 きい右 京八 条 一 坊東 北 坪 に、 藤原 京 期 に

2時

期 にわ た って大規 模 な建 物 群 が整 然 と建設 され て お り、 かつ坪 のなか に条坊 を割 り付 けの基 準 と して建物 や塀 が配 置 されて いた ことが 明 らか とな った。七条大路 こそ検 出す る ことはで きなか った ものの、 こ の実例 は、京 内 の土地利用 の実態 につ いて検討 す る際、貴重 な資料 とな ろ う。

周辺 地 域 で の なお一 層 の調査 の進 展 が待 たれ る。

b 54‑24次

調 査

(1988年3月)

この調 査 は、 道路建設 に伴 う事前調査 と して、 橿原市飛騨 町で実施 した もの である。調査地 の基本層序 は上 か ら表土、焼土、 暗褐色土、灰褐色砂礫 とな る。

暗褐色 上 に は近 代 まで の遺 物 を含 み、 その上面 か らは旧幼 稚 園舎 の撤 去 に伴 う 大型 の焼 土土 坑 が多数掘 り込 まれて い る。 灰褐色砂礫層 は高 い と ころで は現地 表下

0.4mで

ぁ るが著 しく削 平 を受 けて お り、 藤 原 京 期 に遡 る遺 構 は確認 で き

なか った。

この砂礫層 は隣接 す る飛鳥川 によ って形成 され た もの と判 断 され る。 なお、

砂 礫層 か らは遺 物 は出土 して いな い。

―‑ 40 ‑―

(19)

4.西 京極大 路 (下 ツ道 )の 調 査 (第 58‑5次

)

(1988年6月 〜 7月)

この調査 は店舗新築 に伴 う事前調査 と して橿原市城殿 町で行 った もので あ る。

こ こに は遺存地割 な どか らも岸俊男説 の藤原京西京極大路、下 ツ道 の存在 が予 想 され た。 藤原京 の条坊 呼称 で は右京七条 四坊 にあた る。

下 ツ道 の東 側 溝 を検 出す る目的で、 当該地 の南端 と北 端 に東西 16m。 南 北 6

mの

2つの調査 区 を設 定 して調査 したが、両調査 区 の様相 が異 な るため、 東西

6m・

南北

25mの

拡張 区 を設 けて結 び、 最終 的 に「 I」 字形 の調査 区 とな った。

調 査地 の層 序 は上 か ら耕 土、 床 土、 赤褐 色 砂 質土 、 赤褐 色 粘 質 上 の順 で、遺 構 は赤 褐色 粘質 上 の上 面 で検 出 した。

遺 構

 

検 出 した主 な遺 構 は

4条

の南北溝 と溝 をせ きとめた溜 りで あ る。

S D 181は 、 下 ツ道 東 側 溝 の検 出面 よ り

1層

下 層 で検 出 した古 墳 時代 の南 北 溝 で、 幅

0.8m。

深 さ

0.3mで

ぁ る。

南 北 溝 S D 182は 幅

0.8m。

深 さ

0.3mで

ぁ る。 埋 土 は砂 が 中心 で、 底 面 は 凹 凸 が激 しい。

下 ツ道 東 側 溝S D 1901ま南 に流 れ る南 北 溝 で、 調 査 区 の中央部以北 で は

1条

だ が、 南調査 区で は心 が ず れ た古

(A)・

(B)の 2条

が あ る。 規模 は と

も に 幅 1.5〜

2.5m。

深 さ0.8〜

1.2mで

ぁ る。

溜 り S X 195は 調 査 地 南 端 で下 ツ道 東 側 溝 (古)

S D 190Aに 伴 って検 出 した もの で あ る。 お そ ら く しが らみ S X 196を 組 ん で水 を貯 め た の で あ ろ う。

S D 190Aの

底 面 は、 S X 195の 部 分 で 約

0.6m北

側 に比 べ て低 い。

池 状 施 設 S X 180は

S D 190Aの

東 に あ って、 溝 と連 な って いた。 平面形 は東 西

8m。

南北

7mの

不 整 円形 を呈 す る もの と推 定 で き る。 S X 180は 埋 ま

卜4凹 50

6●7●

1〜 4平城宮 5〜 7平城 京

8稗田遺跡

礫原 貫

9本調査地

9

平城 京

20図

 

下 ツ道関係調査位置図

(20)

21図

 

58‑5次調査遺構配置図

って東 西 溝 S D 185で 東 側 溝

SD

190Aと

つ な が る こ と もあ った。

遺 物

 

土器 、木簡、木器、 瓦、銭 貨 が 出土 した。 そ の大 半 は下 ツ道 東側溝S D 190か らの もので あ る。

土器 は土 師器、 須恵器 が出土 し た。

S D190 Aか

7世

紀 後 半 代 の時期 の ものが出土 してお り、 漆 容 器 の須 恵 器 の 壼 も あ る。

SD

190Bか

らは10世 紀 代 の上 器 が 出 土 して お り、 下 ツ道 S F 200の 存 続 期 間 の下 限 を推 定 で き る。

木簡 は

4点

出土 したが墨 痕 を残 す だ けで釈読 で きな い。 木 器 に は 曲物 側板・ 底 板、 匙 、 斎 串、 工 具 の柄 な どが あ る。

銭 貨 は高 年 通 宝

1枚

・ 神功 開宝

1枚

が S D 190 Bか ら出上 した。

I

(1:300)

22図

 

下 ツ道東側溝変遷図

―‑ 42 ‑―

(21)

ま とめ

 

今 回 の調 査 の最 大 の成 果 は藤 原 京域 で初 めて下 ツ道 を検 出す る ことが で きた こと と、 改修 をへ て10世紀 まで下 ツ道 が存在 した ことを明 らか に した こ との

2点

で あ る。 特 に

7世

紀 代 の下 ツ道 東 側 溝 は溜 り S X 195を 中心 と して何 回かの改修 が行 われて い る ことが注 目で きる。 掘削 当初 の情況 は不 明であ るが、

1.溜

り S X 195の 東 側 に池 状 の施 設 S X 180が 設 け られ る。

2.溜

り S X 195と 池 状 施 設 S X 180が 溝 S D 185で 結 ば れ る。

3.池

状 施 設 S X 180が 廃 され て、 溜 り S X 195だ け と な る。

とい う変遷 を た どる。

下 ツ道 は これ まで に平 城 京 内 。平 城 京外 で

8箇

所 確認 され て い る。 これ に今 回 の成 果 を加 え る と、 表 の とお り下 ツ道 が藤 原 京域 まで ほぼ一 直線 に設 定 され て た ことが判 明 し、 測量技術 の水準 の高 さをあ らためて知 る ことがで きる。

X Y

平 城 宮 朱 雀 門 下 層 平 城 京 六 条 一 坊

藤原宮第

58‑5次

調査 (藤原京右京七条) 9.

‑145,903.72

‑‑147,830.70

‑151,660,00

‑167.321.00

‑18,575,82

‑18,566.16

‑18,547.00

‑18,459.85 第 2表

 

下 ツ道東側溝座標値

Nで

W

距 離

4‑7 4‑8 4‑9 7‑8 7‑9 8‑9

0°  17′  14〃

0°  17′ 13〃

0°  18′ 37〃

0°  17′  12〃

0°  18′  45〃

0°  19′ 08〃

1,927.004m 5,756.352rn 21,417594m

3,829,348m 19,490.590m

15、661.242m 第 3表

 

方眼方位 との偏角

(22)

5。

その他 の調査概要

左 京九条一坊 の調査 (第

58‑6次

)

(1988年7月)

この調 査 は橿原市 田中町 にお いて、 住 宅新築 に伴 う事前調査 と して実施 した もので あ る。 調査地 は藤原京左京九条一坊東北坪 にあた り、飛鳥川 の東岸 に位 置 す る。 東 西

2m。

南北

16mの

調 査 区 を調 査 した。 飛 鳥川 の流 水 に よ る堆 積 層 を確認 した に とどま り、 藤原京 に関連 す る遺構 は一切検 出 され なか った。

右 京三 条三 坊 の調 査 (第

54‑20次

)

(1988年 1月)

この調査 は橿原市醍醐 町 にお いて、 店舗新築 に伴 う事前調査 と して行 った も ので、 当該地 は西二 坊大路 に位 置 す る。 調査 区 の東 端 で 自然流路 の西肩 の一部 を検 出 し、 出土遺物 か らこの流路 が中世 まで生 きて いた ことを確認 した。

右京 七 条 二 坊 の調 査 (第

54‑21次

)

(1988年1月)

この調 査 は橿 原市飛騨 町 にお いて、 宅地 造成 に伴 う事 前調査 と して行 った も ので あ る。 暗褐色 上 の上面 で中世 の小規模 な掘立柱建物

1棟

、 塀

1条

、 井 戸 1 基 お よ び弥生 時代 の斜行溝

3条

と土坑

2基

を検 出 したが、 藤原京期 の遺構 はみ つ か らなか った。

右京 九 条二 坊 の調 査 (第

58‑10次

)

(1988年8月)

この調査 は橿原市 城殿 町 にお いて、 宅地造成 に伴 う事前調 査 と して行 った も ので あ る。 調査 は東西

3m。

南 北

20mの

調 査 区 を設 けて実施 したが、 飛 鳥 川 の 氾 濫 に よ って著 し く削平 されてお り、 予想 された八条大路 と西一 坊大路 の交差 点 は検 出で きなか った。

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参照

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