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1 西隆寺の発掘調査

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Academic year: 2021

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(1)

第 1章 圭早

この報告書 は、奈良 フ ァ ミリー建設 に伴 う西隆寺跡 の発掘調査 および都市計画道路建設 に伴 う西隆寺跡 の発掘調査 の成果 をまとめた ものである。

奈良 フ ァ ミリー建設 に伴 う調査 は、 1989年 度 の第209次 調査・ 第210次 調査、 1990年 度 の第21 2次 調査 。第219次 調査 の

4回

にわた り、発掘面積 は3990だ で ある。

都市計画道路建設 に伴 う調査 は、 1990年 度 の第221次 調査、 1991年 度 の第

223‑4次

調査・ 第2 27次 調査・ 第228次 調査 。第223‑21次調査 の5回にわた り、発掘面積 は2081だ である。

1  西隆寺 の発掘調査

西隆寺跡 は、奈良市西大寺東 町 の一帯 にあ り、近畿 日本鉄道西大寺駅 の北東 にあた る。西大 寺駅 は、京都・ 大 阪・ 奈良・ 橿原各方面 へ の乗 り換 え駅 として、周辺での宅地開発 の進展 に伴 っ て、近畿 日本鉄道有数 の ター ミナル駅 と して成長 して きた。駅周辺、特 に西隆寺跡 の位置す る 駅北東一帯 は、 シ ョッピングセ ンターを核 に した商業地 区 と して開発 が著 しい。現在 で は、地 上

5階

程度 の

RC建

築 が林立 す る景観 とな っている。 開発 に伴 う発掘調査 は随時行 われ、奈良 時代末期創立 の尼寺 で あ る西 隆寺、奈良 時代 の平城京、古墳 時代 の建物跡 の様子 が明 らか にな

りつつ あ る。

西 隆寺 の発掘調査 は1970年 代前半 と1980年 代末 か ら90年 代初頭 の

2時

期 に区分 で きる。

A 1970年 代前半 の調査

1960年 代 に 日本住宅公団が計画 した平城 ニ ュー タウ ン建設構想 を契機 と して、1970年 代前半 に西大寺駅周辺 は急速 な開発 ラッシュとな り、駅北 口か ら東へ伸 びる市道沿 いには、 シ ョッピ ングセ ンターや銀行 などが建設 され、水 田 は急速 に減少す ることとな ったЬ

この開発 に伴 い、1971年3月か ら5月 にか けて

7件

の開発 に伴 う発掘届 が提 出 され、仮設建 物 の建築 を除 く

6件

につ いて発掘調査 を行 った。 その結果、西隆寺 の金堂・ 塔・ 東門・ 南面 を 画す る築地 を確認 す るとと もに、西 隆寺造営以前 の井戸 や掘立柱建物 を検 出 し、西隆寺造営 に 関す る木簡 の出土 が あ った。 その調査成果 は西 隆寺調査委員会『 西 隆寺 発 掘調 査 報告 』(1976 年3月)と して刊行 されている。

B 1980年 代末か ら 90年 代初頭の調査

(1)シ

ョッピングセ ンター改築 に伴 う調査

1970年 代前半 の調査 の後建設 された シ ョピングセ ンターが古 くな り手狭 とな ったため、改築 計画 が起 こった。今 回 は シ ョッピングセ ンターの大幅 な増床及 び立体駐車場 を伴 う工事 のため、

先 回 には調査対 象 とな らなか った部分 に も開発行為が及ぶ こととな った。 そのため奈良県教育 委員会 の依頼 の もとに、奈良国立文化財研究所 が発掘調査 を行 った。発掘調査 は旧 シ ョッピン

(2)

グセ ンターが解体 され る以前 に、開発者 の所有地 で増床予定部分・ 立体駐車場予定部分を行い、

その後開発者 の土地買収 に伴 って発掘調査 を随時行 い、1989年 9月 か ら1991年 3月 にか けて合 計

4回

で総面積3990ド の調査 を行 った。

(2)都

市計画道路建設 に伴 う調査

奈良市 は都市計画道路整備事業 の促進 を図 ってい るが、 その一環 と して西大寺一条線 の計画 が1960年 代 に決定 されていた。

西大寺一条線 は西大寺駅北 日か ら東北方向へ約

400m延

び る幅員20〜

28mの

全 く新 たな道路 で あ り、 この うち北

3分

2部

分 が1992年 度 までの事業 と して決定 された。事業主体 は奈良市 で、国庫補助 を受 けて行 われた。 当該区を南 か ら便宜的 にI〜

V区

に分 け、発掘調査が可能 な 状況 にな った部分 につ いて、随時発掘 を行 った。

発掘調査 は奈良市 の依頼 の もとに奈良国立文化財研究所 が行 い、 1991年 1月 か ら1992年 2月 にか けて、221次

(I区

)・

223‑4次 (V区

)・ 227次 (Ⅳ区)・ 228次 (Ⅲ区

)・ 223‑21次

(Π区

)の

順 に合計5回で総面積2081ド の調査 を行 った。

□ 日 回

・田 団 一

Fig l 

西隆寺周辺の平城京条坊 と現状図

(3)

報告書の作成

今 回報告 す るの は奈良 フ ァ ミリー建設 に伴 う西隆寺跡 の調査4回分 と、 都市計 画道路建設 に 伴 う西隆寺跡 の調査5回分 で あ る。

以下発掘責任者 と発掘担 当者・ 発掘 関係者 を列記 す る。

 

  

発掘年度

 

 

  

平城宮跡発

  

発掘担当者 掘調査部長

第209次

   1989 

鈴木嘉吉

  

町田

 

  

島田

 

敏男

  

金子

 

裕之

  

 

淳一郎

  

寺崎

 

保広 佐川

 

正敏

  

村上

 

210次

   1989 

鈴木嘉吉

  

町田

 

  

 

淳一郎

  

金子

 

裕之

  

寺崎

 

保広

  

佐川

 

正敏 村上

 

  

島田

 

敏男

212次

   1990 

鈴木嘉吉

  

町田

 

  

杉山

 

   

高瀬

 

要一

  

山崎

 

信二

  

浅川

 

滋男 渡辺

 

晃宏

第219次

   1990 

鈴木嘉吉

  

町田

 

  

玉 田

 

芳英

  

上野

 

邦一

  

森本

 

   

 

公章 小沢

 

松本

 

修 白

  

金子

 

裕之

  

 

淳一郎

  

寺崎

 

保広 佐川

 

正敏

  

小野

 

健吉

  

中村

 

慎一 第221次

   1990 

鈴木嘉吉

  

町田

 

  

小野

 

健吉

  

金子

 

裕之

  

 

淳一郎

  

松本

 

修 自

寺崎

 

保広

  

佐川

 

正敏

第2234次

  1991 

鈴木嘉吉

  

町田

 

  

島田

 

敏男

  

毛利光俊彦

  

舘野

 

和己

  

本中

  

真 小池

 

伸彦

  

岸本

 

直文

227次

   1991 

鈴木嘉吉

  

町田

 

  

玉田

 

芳英

  

上野

 

邦一

  

森本

 

   

 

公章 小沢

 

228次

   1991 

鈴木嘉吉

  

町田

 

  

森本

 

  

上野

 

邦一

  

玉田

 

芳実

  

 

公章 小沢

 

  

岸本

 

直文

松本

 

修 白

  

金子

 

裕之

  

 

淳一郎

  

寺崎

 

保広 佐川

 

正敏

  

小野

 

健吉

223‑21次

 1991 

鈴木嘉吉

  

町田

 

  

浅川

 

滋男

  

高瀬

 

要一

  

山崎

 

信二

  

杉山

 

洋 渡辺

 

晃宏

報告書の作成 は1991年度か ら開始 し、遺構関係の整理 については遺構調査室 。計測修景調査 室があた り、遺物 については考古第一調査室 。考古第二調査室・ 考古第二調査室が分担 し、執 筆分担 はつ ぎのとお りである。

第I章

  

山崎

 

信二 第 Ⅱ章

  

舘野

 

和己

第Ⅲ章

 1小

 

健吉

 2杉

 

 3山

 

信二 第Ⅳ章

  

松本

 

修 自

V章  1小

  

 2A・

B・

D杉

 

 2C・ E〜 H玉

 

芳英 3.4中

 

‑ 5杉

 

第Ⅵ章

 1光

 

拓実

 2古

環境研究所

3中

 

益男 。福島

 

道広 。中野

 

寛子 。明瀬

 

雅子・ 長田

 

正宏

第Ⅶ章

 1小

 

健吉

 2.3.4松

 

修 自

 5杉

 

 6小

 

 7山

 

信二 英文要 旨

 

佐々木

 

憲一

絵図類の掲載については西大寺 。東京大学文学部の許可を受 け、東京大学史料編纂所、同大 学文学部佐藤信助教授の協力を得た。なお、布の鑑定 については布 目順郎氏に依頼 し、 その成 果 は結語 に記 した。

(4)

遺 構 。遺物 の写真撮影 は佃幹雄 。牛 島茂 が行 な ったが、 プラン ト・ オパ ールは古環境 研 究所 に よ る。

編 集 は町 田章 の指導 の もとに山崎信二 が担 当 した。

図面 浄書 はそれぞれ執筆者 が分担 し、上 田素土子 。信夫利子・ 杉本陽子 。松岡緑・ 吉 田佐 恵 子 。吉村純子・ 吉本妙子 の助 力が あ った。

なお、平城宮跡発掘調査部では平城宮跡の発掘調査 に次数を付 けてきたが、昭和48年 の平城 京調査以降、平城京で も平城宮調査 と同 じ続 き番号の次数を付 け始めた。ただ、南都諸大寺 の 発掘調査では、薬師寺 。大安寺 。西大寺など次数を付 けてはいなか った。

これ ら諸大寺の調査 も含めて、平城宮 。京調査 と同 じ続 き番号 の次数 を付 け始 めたの は、

1989年の薬師寺東面回廊の調査 (第 207次

)以

降の ことである。『西隆寺発掘調査報告』 (1976 年

)で

は、1971年か ら73年までの調査を第1次〜6次と呼んでお り、本報告 にかかわ る第209次 か ら第223‑21次調査を

,そ

れぞれ西隆寺第7次〜15次調査 と呼ぶ ことも可能である。 しか し、

2つの次数を連記することは混乱を招 く恐れがあ り、本報告では第210次か ら第

223‑21次

の呼 称 を用いている。

Tab l 

各次 調 査 の期 間・ 面積等

調査次数 調査地 区 地区名 面積(ゴ) 調査期間 調査担当者 原  因 報

 

西隆寺旧境内

6BSR

,800 1989

9 28‑11 29 島 田 敏 男

奈良ファミリー 建設

1989年度概報 奈文研年報1990

210 西隆寺旧境内

6BSR 6AGA

1989

11 20‑12 12 巽 淳 一 郎 奈良ファミリー 建設

1989年度概報 奈文研年報1990

212 西隆寺旧境内

6BSR

1990

5 7〜 619 杉 山

 

洋 奈良ファミリー 建設

1990年度概報 奈文研年報1991

西隆寺 旧境 内

6BSR

1,030 1990 11  7‑1122

1991

1 22‑ 329

玉 田 芳 英

松 本 修 自

奈良ファミリー 建設

1990年度概報 奈文研年報1991

西隆寺旧境内

6BSR

1991

1 22‑ 3 14 小野 健 吉 奈良市都市 計画道路

1990年度概報 奈文研年報1991 223‑4 右京北辺三坊

6AGR

1991

613‑ 614

島 田敏 男 奈良市都市

計画道路

227 西隆寺旧境内

6BSR 6AGR

1991

7 2‑731

玉 田芳 英

奈良市都市 計画道路

1991年度概報 奈文研年報1992

西隆寺旧境内

6BSR

1991

8 5〜10

10 3〜11

森 本

 

晋 松 本 修 自

奈良市都市 計画道路

1991年度概報 奈文研年報1992

223‑21 西隆寺旧境内

6BSR

1992

16〜 26

浅 川 滋 男

奈良市都市 計画道路

1991年度概報 奈文研年報1992

参照

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