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ウルフからの手紙 : 『ダロウェイ夫人』における 暗号解読

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暗号解読

著者 臼井 雅美

雑誌名 同志社大学英語英文学研究

号 94

ページ 1‑34

発行年 2014‑11

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014233

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臼 井 雅 美

Ⅰ 序 文

 ヴァージニア・ウルフ(Virginia Woolf)の『ダロウェイ夫人』(Mrs.

Dalloway,1925)は第一次世界大戦後,1923年の6月のある一日に時を設 定した上で,激動の20世紀前半を背景に無限の空間を包括している作品で ある。大戦後の傷跡と経済的困窮,そして近づきつつある第二次世界大戦が 背景にあるこの小説には,19世紀後半から20世紀前半にかけての半世紀 に生きた男女の人生が交差している。そして,その人生の交差には,手紙が 重要な役割を果たしていると言えよう。『ダロウェイ夫人』における手紙は,

書簡体文学というスタイルを超えて,ウルフが駆使する「意識の流れ」手法 の中に手紙というさらなる特質を加えることにより,そのイデオロギーの根 底にある人間の心理を解読する役割を巧妙に果たしている。

 『ダロウェイ夫人』には,レイディー・ミリセント・ブルートン(Lady

Millicent Bruton)により『タイムズ』(The Times)に投稿される政治的な意

見を述べる手紙から,クラリッサ・ダロウェイ(Clarissa Dalloway)のパー ティーの招待状,そして最もプライベートな手紙までが点在する。第一次世 界大戦によってそれ以前の世界観が崩壊する過程において,それらの手紙を 繋ぎ合わせていくと,空間が可能な限り拡張され,そして新たな心理状況が 推測され,さらには新たな人間観が構築されていると言える。即ち,『ダロウェ イ夫人』自体が,ウルフからの手紙なのである。

 本論では,手紙という文化記号を歴史的に解読した上で,『ダロウェイ夫人』

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の中に出てくる内容上政治的色彩が強い書簡あるいは政治的意図を持って投 函される紹介状,即ち,ポリティカル・レターと,個人的な色彩が強いプラ イベート・レターをそれぞれ分析し,モダニズムのテキストとしての手紙が 内包するダブル・ミッションの意義を見出すことを目的とする。

Ⅱ 手紙という文化記号解読

 手紙という媒体は,様々な歴史的な変遷を経て現代に至るまで,最も基本 的なコミュニケーション手段であった。しかし今世紀において,伝統的な手 紙はコンピューターやタブレット,携帯電話の普及によりインターネットに よるコミュニケーション・ツールであるe-mail,Facebook,twitter,lineにとっ て代わられ,手書きの手紙を投函するということ自体が過去の文化遺産のよ うになってしまった。郵便に頼っていた時代が過ぎ,コンピューターの前で,

あるいはiPhoneさえあればどこにいても,オンラインで様々なサービスにア

クセスすることができる時代となった。しかし,この時間と空間を自由自在 に行き交う現代のコミュニケーション・ツールには即時性と便宜性という利 点はあるが,コミュニケーションのあり方自体を一変させる技術は無いと言 えよう。そこに,この現代の視点から,手紙という古典的なコミュニケーショ ン手段を考察する意義がある。

 この通信の電子化は,19世紀後半から20世紀初頭にかけて,電報や電 話が発明され実用化されたことに始まる。それは,産業革命,電気の発明な どの科学技術の進歩により,ラジオやテレビが新聞という印刷媒体にとっ て代わる時期と重なり,ギリシャ語で“distant”を意味する“Tele”がつく発明 物の時代となる(Inglis 22)。1900年までに電報,電話,カメラ,ラジオ,

そしてテレビの前身までもが登場した(Inglis 23)。その結果,第一次世界 大戦中,ニュースは,ラジオと電報を通じて数時間内に世界に配信され,新 聞紙上には写真が多く掲載されることとなる(Lake 111)。このような変遷

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を経ても,手紙という媒体は生き残ってきた。現代においては,個人的な礼 状や招待状さえも投函する時代はすでに終わったとも言えるが,それでも手 紙を投函することは完全に消滅したわけではない。人と人との間でコミュニ ケーションを取るために文字で表現するという行為自体が消滅したのではな く,相手に文章で伝達する際の形態が変貌を遂げたのだ。そして,手紙の発 展がなければ,現代のコミュニケーション社会も存在してはいない。

 手紙は,近代社会から現代社会に移行する際に,公的なコミュニケーショ ン伝達の確立から私的なコミュニケーション伝達の必要性が誕生する時点 で大きな転換期を迎える。1966年のロバート・アダムズ・デイ(Robert

Adams Day)の研究よると,イギリスにおいては,オリヴァー・クロムウェ

ル(Oliver Cromwell)の命によって1680年に設立されたロンドン・ペニー・

ポスト(The London Penny Post)が果たした貢献が大きく,それにより敏速

な郵便サービスが可能となった(How 7)。18世紀には,コーヒー・ハウス における文芸から政治に至るまでの議論が,同様に手紙という媒体において も行われるようになる(How 14-15)。さらに,大英帝国の発展と共に旅行や 移住により他者との距離が誕生し,新しい書簡(“epistolary”)空間が生まれ,

大衆の小説の勃興と共にサミュエル・リチャードソン(Samuel Richardson)

の『クラリッサ』(Clarissa)に代表される書簡体文学も誕生した(How 2-3)。この書簡空間は,手紙という一つの表現形態を生み出し,そして個人 が他者とのコミュニケーションを取るというプライバシーの確立を手助けす るのである。

 この郵便サービスの確立は,特に19世紀のイギリスにおいて一般国民に とって最も革新的な出来事であった。それ以前は,特権的な高い料金と着払 いという壁に阻まれ,多くの庶民が手紙を書くことのみならず,受け取るこ とさえもできなかった。それを,ローランド・ヒル(Rowland Hill)という 商人であり学校校長でもあった一人の改革者が1837年に『郵便改革』(Post Office Reform: Its Importance and Practicability)を出版し,その理念を実践に

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移し,郵便の大衆化が可能となったのだ。

Sending letters, newspapers, books, and other information by post was as revolutionary to the Victorians as e-mail, text messaging and handheld

“igadgets” are to us today: G. R. Porter deemed affordable postage a “moral progress” in The Progress of the Nation (1847), and Henry Cole heralded the adoption of Uniform Penny Postage as “the glory of England for all time” in Fifty Years of Public Work (1884). (Golden 4)

19世紀以前の限られたエリートのみに開かれていた郵便というシステムが,

大衆へと門戸が開かれ,同時にそれはイギリス帝国の植民地支配へも大きな 影響を与える。さらに公的要素が強かった郵便が,きわめて私的なものとな り,大衆化とグローバル化により,イギリス帝国の在り方も問われることと なる。

Both the designations “universal” and “Great Britain” entangled questions of class, geography, politics, and race: did they include all of the population within the British Isles, those within the colonies and ex-colonies, or other allied Anglo-populations and nations? The empire was a geographical miscellany and as Imperial Penny Postage was being called upon to aggregate and unify the empire, it opened for question what lay behind its aggregation and what could maintain its unification. (Thomas 23)

郵便により,人と人,場所と場所という点を結ぶことが可能となり,情報か ら感情に至るまでの流れを作り,イギリス帝国は郵便によって統一されて いったとも言えよう。植民地政策により世界地図が塗り替えられ,同時に郵 便地図も広がっていったとも言える。人と人との距離ができると,その距離 を超えてつながろうとする動きがより強く生まれ,書簡がその接着剤の役割

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を果たしていく。

 そして,手紙は極めて密度の濃い公的伝達手段でありながら,プライ バシーの砦として圧倒的なものとなる。手紙の役割は時代と共に推移し ているが,基本的には次のように定義することができるであろう。手紙 とは,“instruments of freedom that allowed escape from the everyday, as a direct consequence of the fact that they were private”であり,また“recorded desires that were as a matter of necessity silenced by established norms”(How 15)なのであ る。即ち,手紙は非日常という砦であり,表現の自由が可能となる空間であ り,究極的には自己表現のツールなのである。その中で,法的,社会的に抑 圧された女性の“desire”こそが,女性の書簡体という一つの表現形態を確立 した。1669年に出版されて以来,様々な翻訳が試みられ,時代時代に応 じた批評が絶えない『ポルトガル文』(Lettres portugaises)が生み出した女 性と手紙の深い関連性は,現代に至るまで重要な課題である(Goldstein 571- 72)。そして,書簡体文学への道が敷かれ,レイディー・メアリー・ウォートレー・

モンタギュー(Lady Mary Wortley Montagu,1689-1761)の『トルコ書簡集』

The Turkish Embassy Letters of Mongatu,1716-18)が誕生するに至った。彼女は,

夫の赴任地であったトルコのイスタンブール滞在中に,トルコという異文化 圏において見聞を深めてはそれを手紙にしたため,特にトルコにおける天然 痘の効果的予防法をイギリスに伝えたことで知られている。女性であるとい う条件の下であったからこそ,手紙を通して,“the world of high politics”(How 5)へと参入するという快挙を成し遂げている。

 レイディ―・ブルートンが新聞に投稿する手紙は,彼女個人の意見を反映 させた手紙であるが,政界を揺るがす影響力がある公的書簡に近いもので ある。手紙と同様に,新聞もまた公的なメディアでありながらも,私的要 素を含むものであったのだ。新聞の起源は,新聞が“newsbooks, newsletters, newspamphlets and broadsides”(Lake 17)という別名を持っていたことからも わかるように,私的書簡に始まるとされている。

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Private letters on trade and politics slowly turned into more public documents to be passed from hand to hand. Couriers who carries [sic] these letters became known as “Intelligencers” – providers of information on events, indulgences, proclamations, military feats, atrocities, marvels and monsters. (Lake 19)

 そして,この私的書簡を,世論に訴えるために,レイディー・ブルートン は上流階級や知的階層に最も影響力がある高級紙『タイムズ』に手紙を投稿 しようと試みる。1785年に『デイリー・ユニバーサル・レジスター』(The Daily Universal Register)として創刊された最古の日刊新聞と言われる『タイ ムズ』は,外国や戦地に特派員を初めて送るなど先駆的役割を果たしてきた。

中でも,郵便サービスの大衆化と並行して,二代目ジョン・ウォルター(John Walter)は海外ニュースを配信することが新聞の成功を握る鍵だと確信する

(Crawford 16)。19世紀多くのペニー・プレスが刊行される中,『タイムズ』

はイギリス新聞界の頂点に立つ。

The Times appealed to a wide spectrum of middle- and upper-class opinion.

Conservative in politics and religion, the paper had, with the conspicuous exception of free trade in journalism, kept fully abreast of the progressive forces that were fashioning a workable balance of political and economic interests in mid-Victorian society. (Crawford 17-18)

そして,19世紀を通して,新聞には参考資料としての価値が付加された。

新聞を製本し図書室に資料として置く習慣が紳士たちの間で生まれ,特に『タ イムズ』は,“as respectable, responsible and reliable and, therefore, the one to be bound up as an excellent source of reference”(Lake 97)となる。20世紀に入り,

戦争中に新聞が故紙として処分されるようになるまで,この習慣は続いた。

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 さらに,新聞が世論(public opinion)を反映し,政権さえも動かす 力は,ニュースだけでなく現在ではOpinion Sectionと総称される投稿欄

(Correspondence Columns)に顕著にみられる。18世紀後半,即ち日刊新聞 の誕生と発達の時代に,すでに新聞が政治と世論を動かしていた。

In newspapers, letters to the editor offered the public the opportunity to contribute to public debate. Individuals were encouraged by the press to exercise their constitutional rights, and the familiarity with which those in government were described assumed that the well-informed reader had a degree of political knowledge which made her or him more than just a passive observer. (Barker 5)

そして,この投書欄は,社会改革の時代である19世紀になるとより強い 影響力を持ってくる。19世紀後半,特に1880年代から1890年代に かけてのイギリスにおける新聞改革期には,投稿欄の拡大は, “one of the consciously ‘democratic’ policies adopted by the liberal editors of the self-styled New Journalism” (Stokes 10) を意味した。H.G.ウェルズ(H.G.Wells)はこの 投稿欄の未来における役割を予想し,オスカー・ワイルド(Oscar Wilde)は

“epistolary debate”を引き起こした(Stokes 10-11)。一般市民から専門家に至 るまでが,この投稿欄において様々な議論を繰り広げ,その議論が特に『タ イムズ』のような高級紙の政治色も決定し,最終的にはイギリスの議会制民 主主義を支える重要な役割を現代に至るまで果たしてきているのだ。

 このように19世紀にニュース・ソースに加え,参考資料として,意見を 投書する場として確立した新聞は,第一次世界大戦において最も重要な役割 を果たす。

The First World War clinched their [newspapers’] position and their success.

The newspaper became a social institution, and reading the news a widely-

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felt and gratified need. The newspaper oriented its readers to the world and to the day. It gave (and gives) them an intelligible space and moment in relation to all that’s going on amongst people one cannot know but can claim to understand. It gives an account, both defiant and obedient, of what the powerful are going to do to people (to us). And it keeps your chin up with a dose of briskness. (Inglis 29)

新聞の紙面において多くのニュース,写真,意見が飛び交った第一次世界大 戦が終わり,イギリス社会を再建するための策を講じる62歳のレイディー・

ブルートンは,この『タイムズ』投稿欄に執着する20世紀のレイディー・

モンタギューなのだ。

 『ダロウェイ夫人』における手紙は,公的空間である政界への参入をしな がらも,日常生活において沈黙を強いられる中で生まれた “desire”である表 現の自由を渇望する女性が,その伝達者としての役割を担っている。レイ ディー・ブルートンが政治に関するご意見番としてのリチャード・ダロウェ

イ(Richard Dalloway)の知恵を借り,公文書作成力にかけては信頼性があ

るヒュー・ホイットブレッド(Hugh Whitbread)にゆだねる『タイムズ』へ の投稿文,そして政治的な意図で計画されたクラリッサのパーティーの招待 状は,時代の産物であり,ポリティカル・レターと言えよう。それに対して,

若い頃のクラリッサ,ピーター・ウォルシュ(Peter Walsh),サリー・シー トン(Sally Seton)の間に交わされた手紙はプライベート・レターなのであ る。彼らは,人生50年の間に,最も大きな世界変遷を見てきた証人であり,

彼らの間に交わされた手紙には,変貌を遂げる社会と失われつつある自我 が描かれている。ウルフの作品の中で唯一『ダロウェイ夫人』において,“a complex web of temporal and spatial references”(Wood n.pag.)を構築している と言える。その“web”を構築する要素の一つである手紙が持つ様々な役割に 注目し,それらの手紙を,交差する時間,超越する空間,逸脱する心理を軸

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に分析することにより,文化記号としての手紙の特質とその変遷の軌跡を辿 り,20世紀前半に生きたウルフからの手紙を解読する。「意識の流れ」手 法を最も駆使したとされる『ダロウェイ夫人』にはウルフからの手紙が内包 され,その暗号を解読することが,作品を理解する道に通じるのである。

Ⅲ ウルフからのポリティカル・レター

 『ダロウェイ夫人』には,第一次世界大戦の傷跡が残るロンドンを背景に,

イギリス社会が直面している問題が散りばめられている。作品の冒頭でクラ リッサとヒューとの会話で表されているように,大戦後に失ったものは,未 来を完全に閉ざされ戦死した若者たち,彼らの遺族と後継者を失った名家,

経済的な安定,そして何よりも健全な精神であろう。これらの崩壊した社会 を再建築するための議論の幕開けを可能とするのがポリティカル・レターで ある。

 クラリッサがダロウェイ夫人としてポリティカル・ホステスとなり,国会 議員の夫を支えるために首相や各界の有力者を招いてパーティーを開く。

1このパーティーへの一日が小説の軸である。この軸の中で,レイディー・

ブルートンが自宅で昼食会を開き,リチャードとヒューを招いて,政界へ一 石を投じようとする。どちらのパーティーもプライベートなものであるにも 拘らず,政治的意味が根底にある。クラリッサは,パーティーへの招待状を 出して人々を集め,レイディー・ブルートンは『タイムズ』に手紙を投稿し ようとする。戦後崩壊した社会の断片を継ぎ接ぎするために,これらのパー ティーにおいてポリティカル・レターが重要な役割を果たす。

 ダロウェイ夫人とレイディー・ブルートンは,互いに反目しながらも,ロ ンドンという政治,司法,経済の中心において,ポリティカル・ホステス として君臨する。実際,20世紀初頭には,レイディー・ドロシー・ネヴィ ル(Lady Dorothy Nevill, 1826-1913),レイディー・ロンドンデリー(Edith

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Van-Tempest-Steward, Marchioness of Londonderry, 1878-1959),フローラ・ショ

ウ(Flora Shaw, 1852-1929),メアリー・ヘンリエッタ・キングスレイ(Mary

Henrietta Kingsley, 1862-1900)など,後世に名を残すポリティカル・ホステ スが出現した。

At luncheons, dinners, and receptions which they organized, these women might meet, converse with, impress, even influence the men who ran Great Britain and the empire. They could not have accomplished the same thing elsewhere because in no other part of the country were there gathered so many politicians, cabinet ministers, and diplomats. (Schneer 122)

19世紀後半から20世紀にかけての時代を代表したポリティカル・ホステ スの中で,特にレイディー・ネヴィルの自宅はロンドンで最も知られたサロ ンとなり,そこで彼女の“regular Sunday luncheon”は“the liveliest political salon meeting on a weekly basis in the imperial metropolis”(Schneer 123)として確立 される。政治に間接的に関わりながら,彼女は政治家や官僚だけでなく,各 界の著名人を,“discriminatingly indiscriminate”を基準として選定しては,招 待したことで知られている(Schneer 123)。また,攻撃的な性格で知られて いたレイディー・ロンドンデリーは10歳の頃から政治に興味を持ち,彼女 の豪華絢爛たる私邸において“the queen of receptions, luncheons, and dinners”と して,イギリス国内だけでなく海外からの政治家をもてなし,レイディー・

ネヴィルより直接的な影響力があったとされている(Schneer 126-28)。これ ら上流階級出身のポリティカル・ホステスは女性参政権運動には賛同するこ とは殆どなく,あくまで女性の領域の中で,保守派としての姿勢を崩さず,

特権として持つ経済力,環境,そしてコネクションを駆使して,政治に影響 力をもたらした。

 これらの保守派でサロン主催者としての役割を果たしたポリティカル・ホ

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ステスに対して,それらのサロンに出入りし,自らの発言力と行動力で政 界に関与したポリティカル・ホステスもいた。ショウは,上流階級出身で ありながら,経済的理由のためロマンス小説の出版をして成功をおさめた 後,ジャーナリストへと転身した。その後,ジャーナリストとして頭角を現 した彼女は,1891年には『タイムズ』の“Colonial”欄でコラムを担当し,

『タイムズ』社で最も影響力を持つ編集者にまでなる。最初は女性であると いうことを隠して記事を書いていたが,『タイムズ』に入る前から海外特派 員としての経験があった彼女は,『タイムズ』の特派員として南アフリカに 派遣され,“Letters from South Africa”を世に出す。当時,トランスヴァール

共和国(Transvaal Republic)大統領であったポール・クリューガー(Paulus

Kruger)が,1896年1月3日に送ったクリューガー電報(Kruger Telegram)

が引き金となって,第二次ボーア戦争が勃発する。その1899年の宣戦布 告の直前,1898年から1899年の間,ショウは多くの記事をイギリスに 送り,“to shape public opinion so that it would support certain policies” (Schneer 142)という役割を果たした。また,ニュージーランド,オーストラリア,ア メリカ,カナダへも派遣され,コロニアル問題の専門家としての名声を得 た彼女は,“helped not merely to disseminate but also to shape Britain’s imperialist ideology and policy”(Schneer 134)として評価されている。

 一方で,作家の家系に,しかも医者の父のもと生まれたキングスレイは,

父の書斎で科学書や探検記に親しみながらも,女性の領域を出ることができ ずに独身のまま父親の世話をした。しかし、父の死後,1893年と1895 年にアフリカへ単身渡り,長年の夢をかなえることとなる。帰国後,『西ア フリカ紀行』(Travels in West Africa, 1897)と『西アフリカ学』(West-African

Studies, 1899)を出版し,民俗学者として名声を得る。キングスレイは,『タ

イムズ』という大きな砦を持っていたショウとは相反する立場で,それま で未知であり理解されてなかったアフリカ先住民族の生活や風習を紹介し,

“the leader of a movement to make the British West African traders governors of the

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region in which they did their business”(Schneer 151)となった。帝国主義や植 民地支配を擁護しながらも,そこにある矛盾を鋭く指摘し,アフリカ先住民 族の文化を迫害したキリスト教宣教師を批判し,当時の植民地大臣であった ジョゼフ・チェンバレン(Joseph Chamberlain)の攻撃的な帝国主義政策に 反論をした(Schneer 149-51)。彼女は第二次ボーア戦争中ケープタウンに渡 り,看護ボランティアとしてボーア戦争捕虜が収容されていたキャンプにお いて働いていた時にチフスに感染し,短い人生を閉じることとなる。政治的 見解の相違はあれ,ショウもキングスレイもペンの力で政治に影響力を与え,

行動力と表現力によりポリティカル・ホステスとして後世に名を残した。

 1923年のロンドンにおけるレイディー・ブルートンとダロウェイ夫人 は,前述のポリティカル・ホステスの役割を継承していると言えよう。ダロ ウェイ夫人主催のパーティーへの招待状は,政治議論参加へのチケットであ る。この招待状は,首相をはじめとする政治家,世論を動かすことができる 知識人,著名人,レイディー・ブルートンのようなアマチュア政治家などに 送られている。そして,クラリッサのパーティーが開かれるダロウェイの私 邸自体が,ウェストミンスター寺院地区に代表される政治の中心地に位置し,

それはイギリス帝国の中心であり,イギリス植民地政策の縮図であった。

British colonists sensed it. Their governments set their London offices as close to the center of power in Whitehall as possible. Walking up Victoria Street toward Westminster Abbey, one passed the Cape of Good Hope Government Agency, the offices of the colony of Natal, of the Canadian Dominion, of Western Australia, Victoria, New Zealand, New South Wales, Tasmania, and Queensland. At the end of Whitehall, on Trafalgar Square, the government of South Africa eventually established its English headquarters.

(Schneer 9)

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この様な環境において開かれたクラリッサのパーティーは,彼女の過度の心 配をよそに,成功を収める。その成功の尺度は,人々の間で飛び交う議論と,

その渦の大きさなのだ。クラリッサが首相と共に現れたことにより,イギリ スの内政と外交に関してさらなる議論が起こる。フォーマル・パーティーで あるからこそ,人々は議論の真髄へと向かうのだ(Reed 123)。

Clarissa muses that her formal parties are in some ways “much more real”:

partly “their clothes, partly being taken out of their ordinary ways, partly the background” enable the guests to say things they couldn’t say otherwise and

“to go much deeper.” (Reed 123).

ウルフの語りは多角的であり,また内的独白というコミュニケーションと対 立する手法をとりながら,公的議論の場としてパーティーを設定しているの だ。パーティーへの招待状は,政治討論への参加を許す特権を与えるという 証であり,同じ目的のために集まった人々の間に生まれる白熱した議論によ り,その役割は終わるのである。

 クラリッサのパーティーへの招待状を受け取る意味が皆無と言ってよい人 物が,レイディー・ブルートンの投稿文に関係しているというアイロニーに より,ポリティカル・ホステスとしてのクラリッサとレイディー・ブルート ンは繋がっている。クラリッサの招待状がぎりぎりに届いたが故に深く傷 ついた従妹のエリー・ヘンダーソン(Ellie Henderson)こそが,キーとなる 人物であり,彼女の置かれた状況こそが,レイディ―・ブルートンが解決 しようとしている社会問題そのものなのである。ヘンダーソンは,“a sort of feeling that Clarissa had not meant to ask her this year”(185)を抱き,クラリッ サが彼女をパーティーに招待することに悩んだことを敏感に察知する。クラ リッサの家系の中では,周囲の人にとっては存在感がほとんど無いヘンダー ソンは,19世紀から続く女性問題を表象している。名誉ある家系の独身女

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性が辿る道は限られたもので,クラリッサと同世代で50歳を過ぎても経済 的に独立することもできず,職業に就くこともできない。彼女の“panic fear”

は,“three hundred pounds income”しかない上に一ペニーも稼ぐこともできな

い“weaponless state”によるものである(185)。この経済的困窮により,招待

状を受け取っても新しいドレスを新調することができず,着古した黒いドレ スにショールをかけて出かけるしか方法がない。この政治的色彩が強いクラ リッサのパーティーへのチケットに値しないと判断されるヘンダーソンに は,その場に適合する社会的地位も経済的バックグラウンドも無い。

 クラリッサと同世代であるヘンダーソンは,イギリス帝国が繁栄したヴィ クトリア女王の時代に生まれ,その価値観の中で理想の「家庭の天使」とな るべく教育を受け,結婚することが唯一の選択肢であった典型的な中産階級 出身の女性である。しかし,その現実は理想とは異なり,19世紀には婚期 を迎えた女性の数が圧倒的に男性を上回り,多くの女性が結婚することがで きず,ヘンダーソンのような独身女性は家族の重荷となる (Steinback 143)。 20世紀に入り,女性の教育や職業に関して発展がありながらも,第一次世 界大戦後は失業率が高くなり,19世紀の産物である「家庭の天使」は生き る術も希望も失っていく。ヘンダーソンのような女性を作り上げないことが イギリス政府にとり必要だと考えたのが,レイディー・ブルートンである。

“The project for emigrating young people of both sexes born of respectable parents and setting them up with a fair prospect of doing well in Canada”(119)という彼 女の策は,戦後の経済悪化と中産階級の労働問題を解決しようとするもので ある。

 戦後の失業率の高さはイギリスの国内外政策において緊急に解決すべき問 題であり,失業により国民の秩序が崩壊し,政治家達は反乱の可能性さえも 危惧したという(Cain and Hopkins 215)。

Anxiety about unemployment in Britain provided the background to the

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legislation introduced in the 1920’s, and to this extent it can be said that parliament was responsive to the needs of manufacturing interests, especially the older staple industries. (Cain and Hopkins 215)

 移民に関しては,19世紀以降,上流階級や上層中流階級(upper middle- class)の男性達は,主にインドにおいて政府高官,軍人,その他の専門職に 就いていた。それに対して,下層中流階級(lower middle-class)と労働者 階級の男性達は,19世紀前半にはオーストラリアとニュージーランドへ,

19世紀後半から20世紀初頭にかけてはカナダと南アフリカの入植地へと 渡った(Steinback 72-72)。女性は男性よりは数は少ないものの,仕事と結 婚相手を求めて入植地へと渡り,特に1851年以降は, 結婚できない女性の

“redundancy crisis”により,その数は増加した(Steinback 73-74)。そして何よ りも,第一次世界大戦後,カナダはアメリカの影響の下,経済成長を遂げて いた(Cain and Hopkins 138-39)。レイディー・ブルートンの策略は,19世 紀から潜在し,第一次世界大戦後にはピークを迎えるイギリスの経済不振と 上流および中産階級の子弟の就労問題に着目し,移民政策を立て将来性があ る若者たちをカナダに送ることなのである。

 そして何より,彼女の家系とその影響力は計り知れないものなのだ。

Indeed, Lady Bruton had the reputation of being more interested in politics than people; of talking like a man; of having had a finger in some notorious intrigue of the eighties, which was now beginning to be mentioned in memoirs. Certainly there was an alcove in her drawing-room, and a table in that alcove, and a photograph upon that table of General Sir Talbot Moore, now deceased, who had written there (one evening in the eighties) in Lady Bruton’s presence, with her cognisance, perhaps advice, a telegram ordering the British troops to advance upon an historical occasion. (She kept the pen

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and told the story.) (115-16)

レイディー・ブルートンのポリティカル・レターは,イギリスの政治に影響 力を持つ一族を象徴するものであり,1880年代に亡父が送った電報は最も顕 著な例でありながらも,それが“some notorious intrigue”として歴史に刻まれ ている。それは,おそらく1880年から1881年の第一次ボーア戦争(First

Anglo-Boer War)に関連することであろう。1881年,マジュバ・ヒルで英

国軍が敗れ,現在の南アフリカ共和国であるトランスヴァール共和国の独立 を再承認することになり,イギリスには大きな痛手となった。アフリカ大陸 の支配権をめぐり英独間の緊張が高まる中,1899年から始まった第二次 ボーア戦争では勝利は収めたものの,多くの犠牲者を出し,さらに強制収容 所の設立などによりイギリスは国際社会からの孤立に直面する(Aikin 11)。

 これら一連の歴史的事件の一端を担った父親の名誉を回復するかのよう に,レイディー・ブルートンは人生の最後に政治への影響力を確立しようと する。そして,何よりも手紙を書くことに執着するのだ―― “But she had to write. And one letter to the Times, she used to say to Miss Brush, cost her more than to organise an expedition to South Africa (which she had done in the war)”(119)。

この手紙は,彼女が父の意志を継いで,第一次世界大戦中に南アフリカへの 視察団を結成したという政治的関与を超える一大業績を生み出そうとする,

政治的野心の表れである。

 レイディー・ブルートンの手紙が書かれた1923年には,戦後の労働問 題を解決するべく二人の首相は退陣し,1924年になって初めての労働党 出身である首相ラムゼイ・マクドナルド(Ramsay McDonald)が就任するに 至っていた(Showalter xv)。何よりも,この1920年代は,イギリスの植 民地政策の転換期であった。1922年から準備され1924年に開催された ウェンブリー万国博覧会(Wembley British Empire Exhibition)は,1851年 のロンドン万国博覧会(The Great Exhibition)とは異なり,第一次世界大戦

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において危機的な状況に陥ったイギリス帝国が,経済の立て直しとイギリス 連邦の絆を強化するために連邦国のみを招待して開催され,“opportunities to admire the rich products of empire and reflect on the benefits of Britain’s ‘civilizing

mission’”(Hall 202)を与えたとされる。しかし,1926年のバルフォア報

告書(Balfour Declaration)においては,第一次世界大戦後のイギリス帝国 の衰退に歯止めをかけるため,自治領の政治的および外交上の独立を認め,

イギリス本国と自治領との新たな関係を定義することになった(Ward 235)。

この報告書が,南アフリカのジェームズ・ヘルツォーク首相(James B. M.

Hertzog)とカナダのウィリアム・マッケンジー・キング首相(William Lyon

Mackenzie King)により提案されたことが,何よりも第一次世界大戦後のイ

ギリス帝国の崩壊とイギリス連邦の発展を物語っている。

 このイギリス帝国の危機的状況の中,レイディー・ブルートンの手紙には,

イギリス社会に必要な改革の一端を担う可能性があると言えよう。そして,

このような政治的影響力を誇示するポリィティカル・レターが,完成に至 るまでには,助言を与えることができる政治家と公文書作成に卓越したライ ターが必要なのである。レイディー・ブルートンは,国会議員であるリチャー ドと役人であるヒューに白羽の矢を立てる。彼女は,リチャードに関しては,

ヒューよりも“much finer material”(114)で出来ていると心の中で思い,さ らにクラリッサに対してリチャードを“the greatest possible help”(196)と最 大限の評価をする。しかし,実際,彼女はお気に入りである有能なリチャー ドよりも平均的な頭脳の持ち主のヒューに頼っている。それは,ヒューが,

55年の人生の間に,変遷を遂げるイギリス社会を見てきた証人であり,歴 代の首相と面識もあり,マイナーではあるが政治的改革や法案が施行される 現場にいて公的書類の作成に携わり,ゴースト・ライターとして適している からである。

And if it were true that he [Hugh] had not taken part in any of the great

(19)

movements of the time or held important office, one or two humble reforms stood to his credit; an improvement in public shelters was one; the protection of owls in Norfolk another; servant girls had reason to be greateful to him;

and his name at the end of letters to the Times, asking for funds, appealing to the public to protect, to preserve, to clear up litter, to abate smoke, and stamp out immorality in parks, commanded respect. (113)

 ヒューが持つコネクション,実務経験,そして人柄さえも,公的書簡に 必要とされる要素である。ヒューにとって書簡作成は仕事上に必要不可欠 な技術なのだ。それは,レイディー・ブルートンの昼食会で,ピーターの 帰国を知るとすぐに,ヒューは無職のピーターに職を紹介する必要を感じ,

自分が推薦状を書くことになるのを推測する。 “He wrinkled lugubriously, consequentially, at the thought of the letters he would write to the heads of Government offices about ‘my old friend, Peter Walsh,’ and so on”(118)。ヒュー にとって,投稿原稿を書くことも推薦状を書くことも,同じ技術と同じ精神 が必要とされるものである。

 ヒューの自己犠牲精神は,公的書簡を作成する者には最も必要とされる 気質である。若い頃には,イギリスの寄宿学校教育が生み出した“a perfect specimen”で“the greatest snob”(80)とサリーに非難されながらも,病気の母親 を気遣い自己犠牲を惜しまなかった。50歳を過ぎて,今度は精神的病いで 入院している妻を気遣いながら,ヒューはロンドンで仕事を続けている。必 要以上に主張をせず,自己犠牲の精神があり,決して感情に身をゆだねない。

そのようなヒューこそが,“the art of writing letters to the Times”(120)を持ち 合わせており,『タイムズ』への投稿原稿を書くためにはリチャードよりも 必要とされたのである。

 ヒューの原稿の投稿先が『タイムズ』であるということは,イギリスを代 表する高級紙であるというだけでなく,イギリス帝国とその植民地全土の知

(20)

識人に,イギリスを代表する情報誌として配送され,その影響力が拡充され ているからである。インドで暮らしたピーターが,クラリッサのパーティー において,『タイムズ』に掲載される投稿書簡とヒューとの関連性に関して 皮肉をこめて語る部分がある。

Inevitably one made up things like that about Hugh; that was his style;

the style of those admirable letters which Peter had read thousands of miles across the sea in the Times, and had thanked God he was out of that pernicious hubble-bubble if it were only to hear baboons chatter and coolies beat their wives. (189)

 ヒューが『タイムズ』に掲載される手紙の文体を表し,それは植民地であ るインドにおいても読むことができ,イギリス社会の出来事を知るだけでな く,イギリス社会を体感することができるというスタイルそのものなのであ る。ヒューに代表される最も信頼に値する手紙は,イギリス帝国の精神性の 地図を作り上げるものであったのだ。

Hugh was slow. Hugh was pertinacious. Richard said one must take risks.

Hugh proposed modifications in deference to people’s feelings, which, he said rather tartly when Richard laughed, ‘had to be considered,’ and read out

‘how, therefore, we are of opinions that the times are ripe . . . the superfluous youth of our ever-increasing population . . . what we owe to the dead . . . ’ which Richard thought all stuffing and bunkum, but no harm in it, of course, and Hugh went on drafting sentiments in alphabetical order of the highest nobility, brushing the cigar ash from his waistcoat, and summing up now and then the progress they had made until, finally, he read out the draft of a letter which Lady Bruton felt certain was a masterpiece. Could her own meaning sound like that? (120-21)

(21)

緩慢なヒューは,レイディー・ブルートンの代弁者としての役割をリチャー ドよりも効率よくこなし,草稿を完成させる。レイディー・ブルートンは ヒューが必要な理由について,彼女が戦闘的でありながらも女性であるが故 に,また論理的な議論に弱いという性質上,自分自身が投稿原稿を書くこと ができないからだと認識している。その事実が,よりレイディー・ブルート ンを押し進めるのである。

Debarred by her sex, and some truancy too, of the logical faculty (she found it impossible to write a letter to the Times), she had the thought of Empire always at hand, . . . To be not English even among the dead – no, no!

Impossible! (198)

レイディー・ブルートンの『タイムズ』への投稿文は,内容は彼女の政治的 見解と時世を見据えた能力の結晶である。しかし,彼女の父や年下のヒュー のように,その内容を文章にして世に送り出すことはできないのだ。

 ポリティカル・ホステスであるクラリッサのパーティーへの招待状には,

書簡という空間が許す自由な表現やプライベートな感情は存在せず,招待状 自体に政治的な意図が潜んでいる。その究極的な目的は,国会議員である夫 リチャードのための時間と空間を作るためである。その一方で,クラリッサ と表面的には対立しているレイディー・ブルートンも,手紙の主体でありそ の内容にも独自性がありながら,リチャードやヒューの助けを借りるのであ る。公職に就けない女性であるが故に,手紙という手段を完全に自分と政治 との関係にもっていくことができず,その一端を担う役割を果たすしかない。

『ダロウェイ夫人』におけるポリティカル・レターは,女性と政治との間に 起こる葛藤と,それを解決しようとする力の表象なのである。

(22)

Ⅳ ウルフからのプライベート・レター

 手紙に内包されたプライバシ−は,クラリッサが18歳から50代まで,

即ち,1870年代から1923年にかけての間の時空に内在する。『ダロウェ イ夫人』には,個々の人間が経験,想像,記憶を通して互い交じり合う“network of communication”(Littleton 39)があるという。しかし同時に,コミュニケー ションを妨げる壁が存在し,その壁を超えたところに理想的なコミュニケー ションがあるという視点で『ダロウェイ夫人』を論じることも重要である

(Reed 129)。青年期から壮年期にかけてのクラリッサの人生と19世紀から

20世紀にかけてのイギリスの激動期が,手紙の中に埋め込まれているのだ。

 大衆化された手紙という媒介は,19世紀ヴィクトリア女王の時代の文化 遺産であり,『ダロウェイ夫人』の中における50代の男女は,そのヴィク リア女王時代に発展した手紙文化の中でコミュニケーションを育んできた。

子供時代から壮年期に至るまで手紙という文化を担ってきた彼らにとって,

手紙とは必要不可欠な伝達手段なのである。インドから帰国したピーターと の再会後クラリッサがすぐに出した手紙を,夕食にホテルに戻ったピーター が受け取るシーンには,この郵便制度の確立と手紙が持つ重要性が凝縮され ている。

. . . And it was Clarissa’s letter that made him see all this. ‘Heavenly to see you. She must say so!’ He folded the paper; pushed it away; nothing would induce him to read it again!

To get that letter to him by six o’clock she must have sat down and written it directly he left her; stamped it; sent somebody to the post. It was, as people say, very like her. She was upset by his visit. She had felt a great deal. (170)

(23)

短いクラリッサからの手紙により,ピーターは心を大きく揺さぶられ,午 前の短い再会時に沸き起こった激情と戦いながら,さらにその原因である 30年前の苦悩へのフィードバックを経て,クラリッサのパーティーへ行く 決意をする。しかし,この情景はピーターの視点で想像され,手紙を書く という行為はクラリッサの手紙を書かせた心理と同時に語られている事が,

“Peter’s extended narrativization of Clarissa”(Edmondson 29)として重要でも ある。そこには,ピーターが不在であった第一次世界大戦終戦の1918年 から1923年の5年間で変化したイギリス社会において,変化していない 媒体を受け止めているピーターがいる。

Those five years – 1918 to 1923 – had been, he suspected, somehow very important. People looked different. Newspapers seemed different. Now, for instance, there was a man writing quite openly in one of the respectable weeklies about water-closets. (78)

終戦後,価値観が変わり,生活様式も変化し,そして公的な情報誌である新 聞に載る記事も変わったことをピーターは感じる。このような中で,クラリッ サからの手紙は,戦争前から変っていない習慣であり,古き良き時代の名残 りである。パーティーのディナーが終わり,婦人たちが二階に移ることをキッ チンのメイドに知らせるクラリッサのメモにも,その慣習が伺われる。“Mrs.

Dalloway walking last and almost always sending back some message to the kitchen,

‘My love to Mrs. Walker,’ that was it one night”(181)と描がかれている状況は,

ポリティカル・ホステスとしてのダロウェイ夫人の義務,配慮,また行動力 を表している。手紙を書く習慣は,単に優美な生活様式や価値観だけではな く,人間と人間とのコミュニケーションのあり方を再認識させてくれるもの なのである。手紙を受け取った側は,書き手の状況を読み取り,その根底に ある心理を探ることにより,手紙に込められた思いを総合的に察知する。

(24)

 この手紙の受け取り手であるピーターの“narrativization”には,クラリッサ が計算した手紙が創り出す時間差と心理的効果が集約されているのだ。クラ リッサが花屋から帰宅して見つけるのは,レイディー・ブルートンから夫へ の電話の伝言である。 “Clarissa read on the telephone pad, ‘Lady Bruton wishes to know if Mr. Dalloway will lunch with her today’”(32)という行為の中には,

手紙とは異なる効果が生まれる。ランチの招待を当日の午前中に伝える場合 のように,緊急性と即時性を満たすことが可能である電話は,時間的にも距 離的にも最短であるいう条件さえ揃えば,有効に活用できる。しかし,クラ リッサは,11時頃にピーターが突然訪問して帰った直後,夕方のパーティー への招待状を郵便で送るのである。このクラリッサの行為は,ヴィクトリア 女王の時代においては,同じ町に住む友人に訪問するという意思を伝える時 にも手紙を用いた(Golden 19)という点から考察すると,彼女が教育を受 けた19世紀の書簡文化を表象するものである。そして,それは,計算され た時間と空間を生み出すものである。二人の再会は,短く衝動的なものであ り,ピーターの動揺が収まりホテルに帰る頃に,手紙が届いている。この時 間差が生み出す手紙の効果は,手紙の書き手が受け取る相手に対して抱く感 情や配慮により生まれるのである。

 この手紙の時間と空間を生み出す効果は,プライバシーの確立において最 も重要な役割を果たす。クラリッサの短いプライベートな招待状は,実は,

帰国を知らせるピーターからの手紙への返事でもあるのだ。クラリッサのプ ライバシーという砦にピーターが突然侵入し,二人の時間と空間を一挙に縮 小する。そして,ピーターからの手紙が心をよぎる。

She heard a hand upon the door. She made to hide her dress, like a virgin protecting chastity, respecting privacy. Now the brass knob slipped. Now the door opened, and in came – for a single second she could not remember what he was called! so surprised she was to see him, so glad, so shy, so utterly

(25)

taken aback to have Peter Walsh come to her unexpectedly in the morning!

(She had not read his letter). (43-44)

クラリッサがピーターからの手紙を読んでいなかったというカッコ書きの 記述には矛盾があり,その矛盾が二人の複雑な関係を示唆している。クラ リッサが朝の空気の中で過去への思いを巡らす時に,“He[Peter] would be back from India one of these days, June or July, she forgot which, for his letters were awfully dull” (3) と,クラリッサはすでにピーターから帰国を知らせる手紙を 受け取ったことを思い出す。ここで,クラリッサはピーターからの手紙を すでに読んでいたという事実がわかる。しかし,クラリッサは,ピーター の正確な帰国日時に関しては覚えていないとピーターへの興味を否定し,

ピーターの手紙自体が退屈なものだと自己弁解する。これは,クラリッサの

“willful avoidance of his letter”(Wolfe 47)とも解釈される心の根底にある思 いにより,ピーターの名前さえも浮かばないとまでも言い切る独白は,ピー ターとの過去がもたらす複雑な心境に起因する。ピーターは約30年以上も の間,クラリッサに手紙を送り続けており,イギリスに帰国するという手 紙も送っていたのだ。この小説の冒頭におけるクラリッサの18歳の頃への フィードバックは,実は,ピーターからすでに届いていた手紙により喚起さ れたものであり,帰国を知らせるその内容自体により,花屋への朝の散歩時 に,クラリッサの心はピーターとの過去の出来事へ埋没していくのである。

 この埋没した過去の出来事には,青春期にクラリッサ,ピーター,サリー の間で交わされた多くの長い手紙が存在した。ピーターとサリーは,クラリッ サにとって若い頃の掛け替えのない友人であるにも拘らず,恋愛と友情の拗 れで30年以上も顔を合わせていない。この二人は,正式な招待状を受け取っ てはいなかったにも拘らず,クラリッサのパーティーに侵入してくる。この 侵入こそが,プライバシーの復活であり,プライベート・レターがその復活 を手助けする役割を果たすのである。

(26)

 クラリッサ,ピーター,そしてサリーが共有するプライバシーは30年前 の過去に遡り,そこではサリーの長い手紙が重要な役割を果たしていた。こ の過去とは,“It was at Bourton that summer, early in the ’nineties, when he was so passionately in love with Clarissa”(64)と誰にも記憶され,ピーターが帰国し たという知らせに誰もがこの出来事を思い起こす。結局,ピーターはクラリッ サに拒否され,傷心のままイギリスを去りインドへと渡り,作家として大成 するという夢も破れ,自分の人生は“journeys; rides; quarrels; adventures; bridge parties; love affairs; work; work, work!”(47)の連続だったと嘆く。そのピーター が最も傷ついたことがクラリッサの結婚であり,その痛みを理解できるのが サリーである。ピーターとサリーの間には,手紙を交わしながらも,全てを 伝える必要が無い共感と理解が存在する。

But to be frank (and she [Sally] felt that Peter was an old friend, a real friend – did absence matter? did distance matter? She had often wanted to write to him, but torn it up, yet felt he understood, for people understand without things being said, as one realises growing old, and old she was, had been that afternoon to see her sons at Eton, where they had the mumps), to be quite frank, then, how could Clarissa have done it? – married Richard Dalloway?

(207)

ピーターとの破局を迎え,クラリッサがリチャードと結婚した時,サリーは 何度もピーターに手紙を書こうと試みた。クラリッサのピーターへのあまり にも残酷な仕打ちに打ちのめされたピーターの心情を理解しているが故に,

サリーは手紙を書くことができなかった。そしてそのサリーの心情をピー ターは理解していると確信している。つまり,“private, intimate, unspoken thought”は“the spoken”と交わり,全てがシェアされ,“the implicit expectation of being understood” と共に読者に伝わる(Reed 128)。このように,サリーの

(27)

手紙は,常にプライバシーの確立を前提にして書かれている。サリーの手紙 が果たす役割は,クラリッサとピーターの間にできた深い溝をいかに埋める かということだったのだ。

 30年前,破局を迎える直前のクラリッサとピーターの中を取り持とうと したのがサリーの手紙であった。

For himself, he was absurd. His demands upon Clarissa (he could see it now) were absurd. He asked impossible things. He made terrible scenes. She would have accepted him still, perhaps, if he had been less absurd. Sally thought so. She wrote him all that summer long letters; how they had talked of him; how she had praised him, how Clarissa burst into tears! It was an extraordinary summer – all letters, scenes, telegrams – arriving at Bourton early in the morning, hanging about till the servants were up. (69)

若い頃のクラリッサとピーターには,文学という共通の話題があり,同 等な立場で議論をする時間も共有し,そして何より“this queer power of communicating without words”(65)が存在した。しかし,ピーターの過剰な 独占欲と利己的な要求にクラリッサは悩み,献身的に仲裁に入ったサリーの 努力にも拘らず,クラリッサはピーターに別れを告げることとなる。サリー の長い手紙は,クラリッサの気持ちを代弁するものであり,その代弁者であ るサリーはクラリッサとピーター両者のよき理解者であったのだ。その最 後の決定的な場面も,書簡により伝達される。 “He sent a note to her by Sally asking her to meet him by the fountain at three. ‘Something very important has happened,’ he scribbled at the end of it”(70)というように思い出されるこの噴 水の場面というのが,クラリッサにも,ピーターにとっても,別れを決めた 場であり,その場を構築したのも手紙だった。サリーの手紙は,二人の様々 な場面を作り出し,双方の意見や感情が吹き出し,時には電報さえも飛び交っ

(28)

た短い夏のプライバシーを集約する役割を果たしたのだ。

 サリーの手紙は,30年後にもクラリッサとピーターを繋げる役割を果た す。人生の落伍者となり,50歳を過ぎたピーターは,若い既婚女性と結婚 する前提で法的処置を取るためにイギリスに帰国する。クラリッサとピー ターの間に30年間に手紙のやり取りがあったように,サリーとピーターの 間にも手紙が交わされていた。そして,ごく最近にも,ピーターはサリーか らの手紙を受け取っている。

Somebody who had written him a long, gushing letter quite lately about ‘blue hydrangeas.’ It was seeing blue hydrangeas that made her think of him and the old days – Sally Seton, of course! It was Sally Seton – the last person in the world one would have expected to marry a rich man and live in a large house near Manchester, the wild, the daring, the romantic Sally! (79)

「ブルーの紫陽花」がピーターと30年前の出来事を思い起こさせるという サリーの手紙は,ピーターが最近受け取ったものであるという点から考察す ると,ピーターがサリーにも帰国を知らせる手紙を送っており,それに喚起 された返事がこの手紙であったと推察できる。そして同時に,ロンドンに来 ていたサリーは,クラリッサのパーティーが開かれることを聞き,招待状な しで会場に現れ,クラリッサとの再会を果たす。

All on top of each other, embarrassed, laughing, words tumbled out – passing through London; heard from Clara Haydon; what a chance of seeing you! So I thrust myself in – without an invitation . . . (188)

マンチェスターの労働者階級出身の大金持ちと結婚してレイディー・ロゼッ

ター(Lady Rosseter)となったサリーをクラリッサは決して許さず,二人の

友情は決裂していた。招待状なしでパーティーに来るという最も常識に欠け

(29)

た行動にサリーが出るのは,ピーターの帰国という事実により,過去が最も 近くに再来し,心理的距離が縮小された結果であろう。サリーは,議論を交 わすことが目的であるパーティーにおいて,30年間の間に書くことができな かった手紙を書くように語る。それは,パーティーに象徴される公的社会に おいて,人間はいかにプライバシーを犠牲にしているかということである。

そして,招待状という公的書簡の不在が,サリーという最も深くプライバシー を共有することができる存在を強調しているのだ。

 招待状というポリティカル・レターの枠の外にいるピーターとサリーは,

クラリッサにとってプライバシーの領域に存在する人物である。招待状を受 け取らずに来るのがサリーであり,また当日の夕方に受け取るのがピーター である。人生の岐路を曲がり,再会する旧友たちにとっては,このパーティー はポリティカル・パーティーではなく,プライベートな同窓会なのだ。30 年ぶりの再会時に,サリーの結婚の件で,クラリッサとピーターが書簡で繋 がっていたことが判明する。

She was still attractive, still a personage. Sally Seton. But who was this Rosseter? He wore two camellias on his wedding day – that was all Peter knew of him. ‘They have myriads of servants, miles of conservatories,’

Clarissa wrote; something like that. Sally owned it with a shout of laughter.

(206)

イギリスを去ったピーターにサリーの結婚式のことを手紙で報告していたの はクラリッサであり,その手紙でしかピーターは彼女の結婚相手のことを知 らなかった。しかし,クラリッサはピーターには一度も手紙を書いたことが ないと断言する。“For they might be parted for hundreds of years, she and Peter;

she never wrote a letter and his were dry sticks”(7)というクラリッサの主張は,

ピーターとの苦い思い出により,ピーターに手紙を書いたということを認め

(30)

たくない所以である。しかし,サリーの結婚はクラリッサには許すことがで きないものであり,サリーの家には決して訪問しなかったことが手紙で明か されている。親友との決別による痛恨の思いを,クラリッサはピーターには 手紙で伝えていたのである。しかし,若く,大胆で,家庭に恵まれず,経済 的に困窮していたサリーが,新興階級の大金持ちと結婚し,五人の息子にも 恵まれる。結婚後のサリーの物理的な生活だけでなく,精神的な幸福感を,

クラリッサは,このサリーの突然のパーティー出席により知るのである。ピー ターからの手紙により,クラリッサとサリーは過去の蟠りから解放されるこ とになり,そしてサリーとクラリッサからの手紙により,ピーターもまた自 己を解放するのである。

 プライベート・レターは,クラリッサ,ピーター,サリーの間に介在する 接着剤であり,その関係に大きな影響を与える。現代において見られるよう に,手紙が女性の内的苦悩を明示する重要な役割を果たしている。書簡は,

女性がコミュニティーを構築し,他者との変わりゆく関係に対処し,そして その愛憎を記録する上で必要なものであるという論がある(Jolly)。女性に とってのプライバシーへの願望は,手紙という媒体によって構築され,そし て個々が共有するプライバシーの空間が確立していく。若い頃のクラリッサ は,ピーターとの議論の中で,“how little one knew people”(167)と人間は そう容易には理解しえないことに不満であると一致した意見を持っていた。

しかし,時代を経て結ばれた手紙による点と点を辿り,その流れを作ってい く中で,人間は理解を深めていくことができるのである。手紙が,プライベー トな空間と時間を生み出し,時代を経てもプライバシーを復活させ,そして 深い心理の深層へと人を誘導するのである。

(31)

Ⅴ 結論

 第一次世界大戦を経て,物理的・精神的に荒廃したイギリス社会には,人 間性への新たな問いかけが生まれ,モダニスト作家たちはそれに応えるべく 作品を描こうとした。ウルフにとっても,この一度崩壊した世界観や人間性 は重要な課題であったと言えよう。『ダロウェイ夫人』の中で,現代社会か ら消滅しつつあった手紙という媒体によって,新たな“web”が紡がれている。

 その“web”は,ポリティカル・レターとプライベート・レターという二層 構造により強化された。クラリッサの招待状により創り出されるポリティカ ル・パーティーとレイディー・ブルートンが『タイムズ』に投稿する手紙に より世論と政界に訴える社会改革は,20世紀前半における女性と政治とい う議論を示唆している。このポリティカル・レターと対抗するかたちで存 在するプライベート・レターは,クラリッサとサリーの手紙に代表される。

彼女たちの手紙は,イギリス社会の中枢から逸脱したピーターとのプライ バシーを構築し,30年後にはさらに復活させる。『ダロウェイ夫人』では,

これら二つの書簡により,過去から現在に至るまで渦巻く社会変遷と人間関 係が交差する。この二重構造こそが,現代のインターネット時代のWebを彷 彿とさせるコミュニケーション・ネットワークであるのだ。

* 本論文は,平成26年度から平成30年度科学研究費基盤研究(C)(一般)

「ボーダレスな知的財産への道:グローバル文化・文学の共生ディスコー スを探る」の平成26年度における研究成果の一部である。

1 ポリティカル・ホステスに関しては Usui 参照。

2 このレイディ―・ブルートンの移民政策に関して,Alex Zwerdlingは,Virginia Woolf and the Real Worldにおいて,実際第一次世界大戦後のイギリスの失業率は深

(32)

刻なものであり,そのイデオロギーが反映されていると論じている(129)。

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参照

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