紀年銘唐箕の形態分類
著者 近藤 雅樹
雑誌名 国立民族学博物館研究報告
巻 16
号 4
ページ 763‑842
発行年 1992‑03‑31
URL http://doi.org/10.15021/00004257
近藤 紀年銘唐箕 の形態分類
紀年銘唐箕の形態分類
近 藤 雅 樹*
Typological Classification of Winnowing Machines Inscribed with the Date of Production
Masaki KONDO
There is a variety of winnowing machines inscribed with the date of production.
Hiroshi Osaka has already reported that they are classified into two groups, one found in the western part of Japan, the other in the eastern.
As we have acquired new data and the study has progressed, more detail- ed classification is required.
In this paper, I attempt classify winnowing machines into five groups by differences in construction of the supports axles. The shape of the supports is as follows;
1) The poles which are kept in a vertical position
2) The poles which are kept in a vertical position and put on the ground
3) The short poles which are kept in a horizontal position 4) The short poles which are kept in a vertical position 5) The cross poles
For this classification, I have particulaly studied winnowing machines which have inscriptions of the Edo and Meiji eras. It becomes clear that there exist not only regional differences but also distinctive skills and styles of the makers.
i.従 来 の形 態 分 類 指 標 の欠 陥 2.新 た な形 態 分 類 指 標 の作 成 3.地 域 的傾 向
4. ま とめ
補 足 唐 箕 製 造 人 に つ い て 紀 年 銘 唐 箕 一 覧
国立民族学博物 館第1研 究部
Key Words : Japan, material culture, agricultural implement, winnowing machine, Kyo- ya family
キ ー ワ ー ド:日 本,物 質 文 化,農 具,唐 箕,京 屋
国立民族学博物館研究報告 16巻4号
1.従 来 の形 態 分 類指 標 の欠 陥
墨 書 そ の 他 の銘 文 に よ って,製 造 年 あ るい は 購 入 年 が判 明 す る唐 箕,い わ ゆ る紀 年 銘 唐 箕 の 形 態 を 比較 した と き,そ こに 地 域 的 な 差 異 が 存在 す る こ とは 明 白 で あ る。 こ の点 に 関 して,小 坂 弘 志 は,江 戸 時 代 の年 号 を 有 す る唐 箕20点(表1参 照)を 比 較 考 察 して 「東 日本 風 の 唐 箕 」 と 「西 日本 風 の 唐 箕 」 の2種 類6'大 別 した 【小 坂 1980:
125‑127】1㌧両 者 を わ か つ た め に小 坂 が 提 示 した 指 標 を要 約 して 示 す と,次 の とお り で あ るz)0
東 日本 の 唐 箕 の形 態 に認 め られ る一 般 的 特 徴(図1a参 照)
① 漏 斗 部 は,舟 型 を 呈 し,古 い時 期 の 唐 箕 は,起 風 胴部 ・選 別 胴 部 か らな る本 体 と一 体 の もの に構 成 され て お り,分 離 しな い 。
② 落 下 量 調 節 装 置 は,側 面 か らの さ しこみ 方 式 を 採 用 して い る。
③ 翼 車 軸 の 支 持 具 は,短 い束 状 の部 材 を 縦 に 取 りつ け て い る。
④ 穀 粒 を 排 出 す る樋 口は,1番 口が 前 面 に,2番 口が 後 面 に 開 口 して い る。
⑤ 多 脚 であ る。
西 日本 の唐 箕 の形 態 に認 め られ る一 般 的 特 徴(図lb参 照)
① 漏 斗 部 は,本 体 に 固 定 され て お らず,分 離 可 能 で あ る。
表1 紀年銘唐箕 の地方別伝世状況(1)
東 北 関 東 中 部 近 畿 中 国 四 国 九 州 合 計
江 戸 時 代
7 5 1 4 3 20
明 治 時 代
i 4 6 1 1 13
合 計
8 9 7 5 1 3 33
小 坂 が 指 標 設 定 に あ た り用 い た 資料 は江 戸 時 代 の20点 であ るが,参 考 までY'̀,こ の と き小 坂 が リス トア ップ した 明 治 時 代 の紀 年 銘 唐 箕 の数 量 も併 記 した 【小 坂 1980:114‑117資 料 一 覧 に よ り作 成 】。
1) 小 坂 は,唐 箕 形 態 の東 西 差 異 を 指 摘 す るに あ た っ て 「東 日本 風 」 「西 日本 風 」 とあ い ま い な表 現 を用 い て お り,明 確 な型 式 の規 定 を お こ なわ ず 印象 説 明Y'と ど ま っ て い る。 しか し, 別 の文 献 では 「東 日本 型 」 「西 日本 型 」 1小坂 1982:63‑65】 と記 して お り,唐 箕 の形 態 に2 類 型 を 認 め て い る こ とは 明 らか で あ る。
2)小 坂 が 唐 箕 形 態 の 東 西 差 異 と して 示 した 諸 要 素 を 指 標 とす る た め に は,文 献1 【小 坂 1980:125‑1261,文 献2【 小 坂 1982:62‑63】,文 献3[小 坂 1986:186】 の 記 述 の異 同 を整 理 しな けれ ば な らな い。 直接 引 用 せ ず 要 約 した の は そ のた め で あ る。 な お,文 献3で は 資 料 数 が若 干 増 加 して い る。
764
近藤 紀年銘唐箕 の形態分類
図1a 図1b 図1 唐 箕 の形 態 比 較[小 坂 1980:126‑127]
② 落 下 量 調 節 装 置 は,前 面 で操 作 す る はね 板 式 また は 回 転 式 で あ る。
③ 翼 車 軸 の支 持 具 は,天 地 の とお って い る ものが 多 い3)0
④ 樋 口は,1番 口 ・2番 口 と もに前 面 に 開 口 して い る。
⑤4脚 で あ る4)。
これ よ り以後,民 具 研 究 者 の 間 で は,小 坂 が提 示 した この指 標 に も とつ い て,日 本 の唐 箕 の形 態 を東 日本 型 と西 日本 型 お よび 両 者 の折 衷 型 の3形 式 に分 類 す る こ とが 一 般 的 とな り,こ の分 類 に則 して研 究 が す す め られ,製 造 技 術 の伝 播 あ る い は製 品 の流 通 が考 察 され て きた。 しか し,そ の後 に 報 告 され た 資料 の蓄 積 と と もに一 層 明 白 に な った の で あ るが,こ の分 類 は,実 情 に合 致 した もの で は な か った。
た とえ ば,近 畿 地 方 に伝 世 して い る江 戸 時 代 の唐 箕 に 限 定 して み た場 合 だ け で も, 起 風 胴 部 の 中 央 に 立 て た太 い柱 が あ る も の と,こ の よ うな 柱 が な く横 木 を渡 した もの
との2形 態 が 存 在 して い る。 前 者 に は,大 坂 農 人 橋 を 拠 点 と して い た 京屋 一 族 を は じ め とす る唐 箕 製 造 人 た ち の 系統 の ほ か,大 坂 周辺 に あ って 京 屋 の 唐 箕 に 準 じつ つ,そ の 形 態 に 若 干 の 変 更 を 加 え た と思 われ る唐 箕 を製 造 して いた 別 の 製 造 人 た ち の 系 統 が あ った 。 また,後 者 は,大 坂 か ら離 れ た播 磨 ・但 馬 な ど の幾 内 周 辺 地 域 に 展 開 して い た。 小 坂 に よる指 標 ③ は,翼 車 軸 の 支持 方 法 に よ り東 西 差 異 を判 定 しよ うと した もの 3),「 天地 の とお っているもの」 とい う表現 は適 さない。 小坂 自身 が図示 している ように柱 と 脚 は別材 である。
4)小 坂 は,注2に 掲 げた文献1〜3で は脚 の本数 を言 明 していないが,第44回 民具研究会で f 「年 号墨書のあ る民具について一農具 を中心 として」 と題す る発表をお こな った(1978年4 月15日 日本常民文化研 究所)際 に,東 日本に伝世 してい る唐箕 は多脚で本数が一定 してい ないが,西 日本Y'伝世 してい る唐 箕は一般に4脚 であ ると指摘 した。その発言に もとついて 「西 日本 では少 ない」 とす る文献1〜3の 曖昧な記述を修正 した。
国立民族学博物館研究報告 16巻4号 で あ るが,横 木 を 渡 して 翼 車 軸 を 支 え る方 法 を とる唐 箕 は,こ の場 合,い ず れ に も分 類 す る こ とが で き ない 。 小 坂 が 用 い た20点 の唐 箕 の なか に は,横 木 を渡 して翼 車 軸 を 支 え る方 法 を と る2点 の 唐 箕5)が 含 ま れ て い た が,小 坂 は,こ れ ら の 少 数 事 例 を 考 慮 しなか った の で あ る。
形 態 分 類 指 標 の作 成 の 目的 は,唐 箕 の形 態 差 異 に 着 目 して製 造 技 術 の 系 統 を 識 別 し, 技 術 の伝 播 と製 品 の流 通 状 況 を 明 らか に し よ う とす る こ とに あ る。 した が って,目 的 に か な う項 目の選 定 が 必 要 で あ り,こ の 点 で,指 標 ③ は,翼 車 軸 の支 持 方 法 と支 持 具 の形 状 の諸 相 を,現 存 す る資 料 に 則 して 抽 出 す る必 要 が あ っ た。 だ が,小 坂 は,東 西 差 異 の顕 現 に拘 泥 して これ を 怠 り,本 来 の 目的 を看 過 した とい わ ざ るを得 な い。また, 小坂 は,指 標 ① 〜 ⑤ の うち,い くつ の 要 素 を み た せ ば東 日本 型 また は 西 日本 型 と判 定 され るの か 明 らか に して い な い。 そ のた め,折 衷 型 の概 念 が あ い まい で あ る。 小坂 の 示 した 指 標 に も とつ く東 日本 型 ・西 日本 型 ・折 衷 型 の3形 式 分 類 には,不 確 実 性 が存 在 す る。
唐 箕 の形 態 に東 西 差 異 が存 在 す る こ とは,小 谷方 明 も認 め て い るが,西 日本 で は 「京 屋 型 も し くは そ れ に類 似 す る も の(略)が 近 畿,中 国,四 国 に集 中 して い る。 これ に 対 して 東 日本 で は 各唐 箕 に それ ぞれ 地 域 的 な 特 色 が あ って,分 散 的 な傾 向 がみ られ る」
【小 谷 1981:4‑5]と して,標 準 形 を 京 屋 製 唐 箕 に 求 め 得 る西 日本 に 関 して は,西 日 本 型 の設 定 を 容認 して い る。 しか し,東 日本 に 関 して は,標 準形 を見 出 し難 く,東 日 本 型 とい う型 式 の設 定 に無 理 が あ る こ とを 認 め て い る6)0
唐 箕 の 研 究 に 先鞭 を つ け た 小坂 の功 績 は,高 く評 価 され るべ きだ が,彼 が示 した 指 標 は,型 式 を 判 定 す るに あ た って問 題 が 多 く,こ れ に よ って 唐 箕 の形 態 を分 類 し,そ
の技 術 系 統 と流 通 を 考 察 し よ うとす る こ とは 危 険 であ る。 各 地 に 現存 す る唐 箕 の形 態 を 再 度 比 較 検 討 して 新 た な 指標 を提 示 す る必 要 が あ る所 以 で あ る。
2.新 たな形態分類指標 の作成
そ こで,ま ず,小 坂 が 提 示 した 構 成 要素 のそ れ ぞれ に つ い て,指 標 とす る に足 る適 性 が あ った か 否 か を 検 討 して 分 類 の 根拠 とな る指 標 を あ らた め て 選定 し,そ の後 に,
5)1837年 の半 唐 箕(山 形 県,置 賜 民俗 資 料 館 所 蔵)と1855年 の唐 箕(京 都 府 立 総 合 資 料 館 所 蔵)。
6)小 谷 は,西 日本 に伝 世 して い る唐 箕 の形 態 が画 一 化 して い る理 由 を,「 当 時,西 日本 の状 態 が,商 業 的 な 交 流 が 盛 ん で あ った た め 流通 した の か,あ る い は 大 阪 の 支配 力 が 強か っ た た め 」 で は な か ったか と推 定 して い る[小 谷 1982:86】。
766
近藤 紀年銘唐箕 の形態分類
選 定 した指 標 に も とつ い て,や や機 械 的す ぎ る き らい が な い で は な い が,地 方 別 に紀 年 銘 唐 箕 の 形態 を整 理 して み る こ とにす る。 な お,こ の と き対 象 とす る 資料 は,次 に 掲 げ る理 由に よ り,原 則 と して江 戸 時 代 か ら明 治 時 代 に か け て の 紀年 銘 唐 箕 に限 定 す
る。
2‑1.資 料 の 限 定 2‑1,1。 無 銘 唐 箕 の排 除
日本 に お け る唐 箕 の形 態 分 類 は,前 述 の とお り確 立 され て お らず,基 礎 的 な分 類 指 標 の 作 成 か ら出発 しなけ れ ば な らな い。 そ の た め に は,製 造 年 代 や製 造 地 ・使 用 地 な どの情 報 が豊 か で,し か も信 頼 度 の高 い 資 料 を 基礎 資料 と して選 択 す る必 要 が あ る。
した が って,無 銘 の唐 箕,特 に 年 号 の記 載 が な い 唐箕 を 分析 の た め の資 料 とす る こ と は で きな い。 それ らは,分 類 指 標 が 確 立 し,製 造 技 術 の系 統 が整 理 され ての ちに,よ
うや く帰属 す べ き系 統 の なか に 位 置 づ け る こ とが 可能 とな る もの だか ら で あ る。
2‑1,2,分 析 対 象 とす る紀 年 銘 唐 箕 の範 囲
所 在 の判 明 した 江 戸 時 代 の唐 箕54例(後 掲 「紀年 銘 唐 箕 一 覧1 江 戸 時 代 」 参 照) を みれ ば,江 戸 時 代 末 ま でに,北 海 道 を 除 く全 国 に お お む ね唐 箕 が 普 及 してい た もの
と判 断 で きる。 た だ,こ の 時 代 の 資 料 だ け で は,東 北 地 方 の16点 に対 して 四 国 地 方 が 2点 しか な い な ど,資 料 数 の ば らつ きが大 きい た め に全 国 的 な 比較 を お こな うに あ た って正 確 を期 し難 い も のが あ る。 そ こで,ば らつ きを補 正 す るた め に 明 治 時 代 の 資料 も採 用 す る。 形 態 の 上 に 前 時 代 か らの 継続 性 が認 め られ るか ら で あ る。 この場 合,下 限 の年 代 設 定 が 問 題 と な るが,ひ と まず 明 治末 年 の年 号 を有 す る もの まで を対 象 と し た。 そ の数 は71例 であ る(後 掲 「紀 年 銘唐 箕 一 覧 丑 明 治時 代 」 参 照)。 これ に よ り, 近 畿 地 方 の資 料 数 が 突 出 す る もの の,ほ か の地 方 の資 料 数 のば らつ きの程 度 は,若 干 緩 和 され る(表2参 照)。
表2 紀年 銘唐箕 の地方別伝世状況(2)
刺 し 関 東 中 部 近 畿 中 国 四 国 九 州 合 計
江 戸 時 代
16 9 4 15 4 2 4 54
明 治 時 代
6 5 12 36 4 7 1 71
合 計
22 14 16 51 8 9 5 ias
表 中 には,年 号 銘 文 は な い が製 造 ・取 得 の年 代 の記 憶 が 明 らか で あ って,紀 年 銘 資 料 に 準 じ る と判 断 され る若 千 の 資料 を含 む。
国立民族学博物館研究報告 16巻4号
次 に,年 代 の下 限 を 明 治 末 年 に 設 定 した こ とに つ い て,私 の見 解 を 明 らか に して お く。 江 戸 時代 に成 立 した 唐 箕 の形 態 は,大 正 時 代 に な って 以後 も踏 襲 され て製 造 は 続 け られ て い く。 た とえば 「森 川 屋 」 とい う製 造 人 に よる1925年 と1931年 の 唐 箕 【兵 庫 県 立歴 史博 物 館 1991:19,16]や,川 崎 市 内 で使 用 され て い た1935年 と1937年 の唐 箕
【小 坂 1980:ll8‑ll9,142,1471な どが あ る。 しか し,こ の よ うに後 年 の紀 年 銘 唐 箕 ま で対 象 と した場 合 に は,次 の よ うな問 題 が 生 じる。
明治 時 代 もな か ば以 降 に な る と,さ ま ざ まな 工 夫 を 加 味 した 改造 唐 箕 が 登 場 しは じ め る。 特 許 ・実用 新 案 登 録 の制 度 が 実 施 され て 新 発 明 ・改 良 に拍 車 が か か り,近 代 の 発 想 に よる新 しい形 態 の 唐 箕 が 続 々 と登 場 して く るの で あ る。 『特 許 明 細 書 』 の 「第 13類 農 具 」 部 門 に 初 出 す る唐 箕 の特 許 番 号 は,第314号(1887年 公 布)で,こ れ は
「唐 箕 の改 良」 と題 され,1886年 に東 京 府 の 相 原 吉 之 助 か ら出 願 され た。 漏 斗 部 下 口 に も うけ た 糠 芥 除 去具 の軸 に翼 車 軸 の 回転 運 動 を 伝 達 す るた め ベ ル トを導 入 した も の で あ る7)。こ う した 発 明 ・改 良 の な かTyは,多 分 に非 現 実 的 な もの もあ った で あ ろ う が,い くつ か は 実 用 化 され て 流通 して い った 。 特 に金 属 製 歯 車 の 導 入 に と もな う翼 回 転 の高 速 化 ひい て は 小 型 化 ・軽 量化 が はか られ る と,従 来 とは い ち じる し く異 な った 形 態 の唐 箕 が 出現 す る こ と とな った。 この よ うな近 代 にお け る改 良の 結果 登場 して く
る唐 箕 を近 代 唐 箕 と呼 ぶ こ とに す るな ら,近 世 に成 立 した 唐 箕 の 形 態 分 類 指 標 を設 定 す るた め に必 要 な基 礎 資 料 の なか に,こ の よ うな近 代 唐 箕 が 過 剰 に 混 入 す る と余 計 な 混 乱 が生 じる。 下 限 を 明治 末 年 と して,そ れ よ り以後 の資 料 を 捨 象 す る理 由 は,こ の 点 に あ る8)0
2‑2.構 成 要 素 の 適 性 検 討
小坂 は,分 類 指 標 を提 示 す るに あた って,漏 斗 部 ・落 下 量 調 節 装 置 ・翼 車 軸 支 持 具
・樋 口 ・脚 の本 数 とい う5つ の構 成 要 素 を選 び だ した。 これ らは,い ず れ も唐 箕 の機 能 と形 態 の 印 象 を決 定 す る うえで 重 要 な構 成要 素 で あ る。 しか し,唐 箕 の 形 態 を 分 類
しよ うとす る場 合 に,は た して,こ れ ほ ど多 くの指 標 を必 要 とす る であ ろ うか 。 分 類 指 標 は,複 雑 な ほ ど間 違 い を生 じや す い 。分 類 作 業 に要 す る労 力 も増 加 す る。
だ か ら,本 論 で は,つ とめ て単 純 な指 標 の 作 成 を め ざ した い。 そ こで,こ れ ら5つ の 構 成 要 素 に つ い て指 標 と して の適 性 を検 討 し,じ ゅ うぶ ん な効 果 が期 待 で き ない もの を 排 除 す る こ とに す る。
7) 大 阪 府 立 夕 陽 丘 図 書 館架 蔵 資料 に よる。
8)近 代 唐 箕 に 対 して は,別 の ア プ ロー チ に よ る分 析 を 試 み る必要 が あ ろ う。
768
近藤 紀年銘唐箕 の形態分類
適 性 判 定 基 準 の必 須 条 件 は,耐 久 度 で あ る。 対 象 とす る資 料 は,も っ と も年 代 の新 しい もの で も現 在 よ りお よそ80年 以 前 か ら使 用 され て きた もの で あ り,後 世 の 修 理 や 改造 を経 て も製 造 当初 の形 態 が 容 易 に は 変 更 され に くい 要 素 を 選 定 しな け れ ば な らな い た め で あ る。 そ の うえ で,で き るだ け 単 純 な 分 類 指 標 の 設 定 が 可 能 で あ る こ とが あ げ られ る。
2‑2,1.漏 斗 部
漏 斗 部 は,本 体 と一 体 に構 成 され て い て 取 りは ず せ な い か,あ るい は 本 体 か ら独 立 して い るか とい う相 違 だ け で な く,漏 斗 部 の 形 態 そ の もの に も,三 角 形 ・台 形 な どの 諸 相 が あ る。 しか し,本 体 か ら分 離 可 能 な 漏 斗 部 は,製 作 当 初 の 組 み あ わ せ と異 な っ て い る場 合 が あ る9)。1850年 の 「巧 工 佐 七 」 の 銘 が あ る資 料 は,漏 斗 部 だ け が残 存 し て い る例 で あ る。 これ は,寸 法 が あ えば,ほ か の 唐 箕 に 使 用 す る こ と も可 能 で あ る 。
した が って,漏 斗 部 は,指 標 と して の適 性 を 欠 く。
2‑2,2.落 下 量 調 節 装 置
落 下 量 調 節 装 置 は,必 ず しも唐 箕 本 体 に 作 りこ まれ て い な い 。 た とえ ば1884年 頃 に 入手 した とされ る 「京 屋 太 兵 衛 」 銘 の 唐 箕 の よ うに,独 立 した 部 品 と して 選 別 胴部 上 部 に は め込 む よ うに 作 られ た も のが あ る[小 谷 1981:2,お よび 口絵 】。 これ は,選 別 す る穀 物 の種 類 に よって,た とえ ば 米 と麦 とで 調 節 装 置 を 取 りか え るな ど,当 初 よ
り部 品 の交 換 を前 提 と して い る。 部 品 と して 独 立 して い るた め,後 日に 改 良 され た 新 しい調 節 装 置 に置 きか え る こ とも可 能 で あ る。 また,さ し こみ 式 の構 造 で あ った唐 箕 の調 節 版 を引 きぬ いた 後 に こ の よ うな部 品 を 取 りつ け て,は ね 板 ・回 転 式 の構 造 に変 更 す る こ とも容 易 で あ る。 した が って,こ れ も指 標 と して の 適 性 を 欠 く。
2‑2,3.翼 車 軸 支 持 具
落 下 量 調 節 装 置 の交 換 と違 って,翼 車 軸 支 持 具 の 取 りか え は,唐 箕 の 本 体 を 分 解す るほ どの大 修 理 ・改 造 とな る。 前 後 面 一 対 の 支 持 具 を と もに取 りか え な け れ ば な らな い よ うで あれ ば,そ の唐 箕 は,お そ ら くほ か の 部 分 に も相 当 の 損 傷 が あ り,全 面 的 に 大 改 造 され る こ とに な るの では ない か と思 わ れ る。1832年 の銘 が あ る笠 岡市 で使 用 さ れ て いた 唐 箕 は,こ うした 大 改造 に よ って形 態 が変 化 した一 例 で あ るが,こ の 場 合 は, 唐 箕 そ の もの を 考 察 対 象 とす る こ とを あ き らめ な け れ ば な らな い。
後 世 に金 属 製 歯 車 を 取 りつ け た もの も多 く見 か け るが,起 風 胴 部 を縮 小 して小 型 化 9)組 合 せ の と り違 え は,博 物 館 な どが 資料 と して収 集 す る と きに も よ く発 生 す る。
国立民族学博物館研究報告 16巻4号
す る よ うな大 幅 な改 造 を 施 され た もの で な い か ぎ り,旧 状 は よ く保 た れ て い る。 歯 車 を取 りつ け るた め に,仮 に 前 面 の 支 持 具 が取 りか え られ た 場 合 も,後 面 の支 持 具 は残 り,ま た,取 りはず され た 痕 跡 か ら旧 状 の判 明す る例 も多 い。 翼 車 軸 支 持 具 は,耐 久 度 の 点 で適 性 が み た され て い る と認 め て よい。
2‑2,4. 樋 口
樋 口は,漏 斗 部 や 落 下 量 調 節 装 置 と違 って 本体 に固 定 され て い るの で,交 換 され る お そ れ は な い。 しか し,小 坂 が 言 うよ うに 単 に2口 の配 列 だ け が 問 題 な の で は な く, 選 別 され た穀 粒 が 混 じ りあ うこ とを どの よ うな形 態 処 理 に よ って 防 い で い るの か,そ の構 造 が判 断 で きる もの で なけ れ ば な らな い。 と ころが,本 体 下 部 に 突 出 した部 分 で あ るた め か,樋 口の損 傷 事 例 は 多 く,滅 失 ・補 修 の頻 度 が 高 いた めY'製 造 当初 の形 態 が わ か らな い もの も多 い。 した が って,樋 口も指 標 と して適 して い る とは い いが た い 。 2‑2,5.脚 の本 数
脚 の 本数 も,修 理 改 造 に あた って そ れ ほ ど容 易 に変 化 す る も の では な い。 耐 久 度 の 点 で は,翼 車 軸 支 持 具 と同様 に 適 性 が あ る と認 め て よい。 しか も脚 の 取 りつ け位 置 に は 規 則性 が あ り,そ の本 数 を正 面 形 態 で み るな ら2〜7の6種 類 と な るの で,単 純 な 分 類 指標 の設 定 とい う第2条 件 に もか な うよ うで あ る。
た だ,問 題 は,脚 の配 列 には さ ま ざ まな ヴ ァ リエ ー シ ョンが 認 め られ る こ とで あ る (図2参 照)。 脚 の 本 数 に よ る形 態 分 類 に は,脚 の取 りつ け 位 置 の 順 列 組 み あわ せ と い う盲 点 が存 在 す る。 この問 題 を 克 服 して 現 実 的 な指 標 を求 め る こ とは,か な り困難 で あ ろ うと思わ れ る。
2‑3.分 類 指 標 の 作 成
図2 脚の取 りつけ位置
漏 斗 部 ・落 下 量 調 節 装 置 に は,独 立 した部 品 と して の互 換 性 が あ る。
樋 口は,損 傷 事 例 が 多 く,滅 失 ・補 修 の頻 度 が 高 い。 いず れ も耐 久 度 の 点 で 問題 が あ る。 残 る2つ の 構 成 要 素 の うち,脚 の本 数 に よ る分 類 は, 一 見 単純 にこみ え る。 しか し,実 際に
は,複 雑 な順 列 組 み あわ せ とい う盲 点 が存 在 して お り現 実 的 で な い 。 こ
770
近藤 紀年銘唐箕の形態分類
れ に 対 して,翼 車 軸 支 持 具 の ヴ ァ リエ ー シ ョンに は,そ の よ うな複 雑 さは な い 。 5つ の構 成 要 素 に つ い て検 討 した 結 果,翼 車 軸 支 持 具 に よる分 類 を お こ な うこ とが
も っ と も単 純 か つ有 効 であ る と判 断 され る。 したが って,本 論 では,形 態 比 較 の 分 類 指 標 を,伝 世 す る唐 箕 の翼 車 軸 支 持具 に み られ る翼 車 軸 の支 持 方 法 の 違 い に 求 め る こ
とにす る。
唐 箕 の形 態 を,翼 車 軸 の 支 持 方 法 に よ って分 類 す る と,次 の5形 式 に わ け られ る。
翼 車 軸 の 指 示 方 法 に よ る唐 箕 の形 態 分 類
① 主 柱 支 持 型 翼 車軸 が 太 い柱 に よ って支 持 され る もの で あ る。
② 脚 柱 支 持 型 翼 車 軸 が 起 風 胴 部 中 央 を貫 通 す る脚 に よ り支 持 され る も の で あ る。 主 柱 支 持 型 は,翼 車 軸 を支 持 す る柱 が 脚 と別 材 で あ る が,こ れ は,脚 が柱 を
兼 ね て い る。
③ 横 木 支 持 型 翼車 軸 が短 い横 木 に よ り支 持 され る もの で あ る。
④ 縦 木 支 持 型 翼 車軸 が短 い縦 木 に よ り支 持 され る もの で あ る。
⑤X脚 支 持 型 翼 車軸 が脚 の交 点 で支 持 され る もの で あ る。
以 下 で は,こ こ に設 定 した5形 式 に よ って,各 地 の唐 箕 の形 態 を分 類 し,考 察 す る。
3.地 域 的傾 向
江戸 ・明 治時 代 の紀 年 銘 唐 箕,ま た,年 号 は な くと も取 得年 代 の記 億 が具 体 的 か つ 明 瞭 で あ り,こ れ に準 じる と考 え て よい と判 断 され る唐 箕 は,先 に もふ れ た よ うに 「紀 年 銘 唐m覧1 江 戸 時 代 」 「紀 年 銘 唐m覧 皿 明 治 時 代 」 と して,文 末 に 年 代 順 に 列記 した とお りで あ る。 これ らを,各 地 方 ご とに 先 の5形 式 に即 して分 類 す る と,
どの よ うな傾 向 が認 め られ る であ ろ うか 。
3‑1.近 畿 地 方 の 唐 箕
近 畿 地 方 に現 存 す る唐 箕 は,51点 で あ る。 うちわ け は,江 戸 時 代 の年 号 銘 が あ る も の15点,明 治 時 代 の年 号 銘 が あ る もの36点 で あ る。
3‑1,1.主 柱 支 持 型
主 柱 支 持 型 に 該 当 す る唐 箕 は,以 下 の29点 で あ る。
国立民族学博物館研究報告 16巻4号
西 暦(和 暦) 製造 人名銘文 製造地名銘文 使 用地(所蔵先)名 備 考
1767 明 和4 船井郡八木町 *
.1. ..
文 化5 車屋 八良兵衛 三津屋膕 鬮 筋 伊丹市 *1825 文 政8 京屋 小三郎 富 田林 河内長野市石見川
1826 同 9 團 屋八良兵 衛 三 津屋村通筋 吹 田市豊 津 *
1827 同 10 山内口口兵衛 住吉安立町口口口 (堺市 博 物 館) *
1832 天 保3 扇米風車屋惣八 加西郡口口 神崎郡福 崎町 棚 付
.. 同 9 西宮市越木岩 町 *
.,. 嘉 永1 車 屋[コ之 輔 印南郡國包口 西宮市塩 瀬町 棚 付
1861 文 久1 京屋清兵衛 大阪農人橋弐丁 目 磯城郡川西町
1863 同 3 (和歌 山市立博物館)
1867 慶 応3 京屋猪之助 若 山 中 埜 島北 ノ丁 (和歌 山市立博物館)
1873 明 治6 京屋清兵衛 大坂農人橋 貮丁 目 八尾市 山畑
1874 同 7 京屋治兵衛 大坂農人橋弐丁 目 芦屋市西蔵町
.. ..!
同 13 本家京屋七兵衛 大坂農人橋貮丁 目 八尾市亀井1884? 同 17? 本家京屋太兵衛 大坂農人橋貮丁 目 堺市豊 田
.. 同 20 唐箕屋亦吉郎 住吉安立町九丁 目 河 内長野市長野町 *
... 同 21 風 車 製 造 所 金 … 枚 方 市 出 口 *
... 同 21 中家清蔵 ・大 谷 村 (淡路町郷土資料 室) 棚 付
1889 同 22 元 祖 唐 箕 萬 ・白 大和添上郡な ら村 (大阪市立博物館) * 井 式 ・製 造 販 売
元脇坂商店
1895 同 28 … 屋 弥 右 門 ・私 河 内交 野 郡 私 部 … 枚方市交野 * 部 機細工所大寅
1896 同 29 大工中井兵吉 北 淡 町斗 ノ内 津名郡北淡町 棚 付
1899 同 32 小野市 棚 付
1899 同 32 ・や 弥 吉 印 南郡 國 … 神戸市西区岩 岡町 棚 付
1902 同 35 長谷川清右衛門 乙訓郡寺戸 長岡京市神足 棚 付
1903 同 36 本家京屋七兵衛 大阪農人橋二丁 目 八尾市
1905 同 38 ・・衛 淀 川 西岸 桂 本 … (大 阪市 立 博 物 館) *
1907 同 40 本家京屋太兵衛 大坂農人橋詰 八尾市
1908 同 41 京屋太兵衛 大坂農人橋 東詰 東大阪市
772
近藤 紀年 銘唐箕 の形態分類
1911 同 44 さ し文山田文三 氷上郡石負村 氷上郡春 日町 棚 付 郎
この型 の唐 箕 に は,起 風 胴 部 上 部 に棚 板 が あ る も の とな い もの とが あ る。 そ こで, 棚 板 の有 無 に よ り,上 記 の唐 箕 を細 分 類 して各 唐 箕 の製 造 地 を 点 検 す る と,次 の とお
りで あ る(※ 印 は,製 造 地 不 明 の た め,使 用 地 また は 収 蔵 地 に よ り分 類 した こ とを示 す)。
棚板 がある唐箕8点 の製造地
「扇 米 風 車 屋 惣 八 」
「車 屋 口 之 輔 」
「… や弥 吉 」
「山 田文 三 郎 」
「中 家 清蔵 」
「中井 兵 吉 」 無 名 ※
「長 谷 川 清右 衛 門」
加西市付近 加古川市 同
兵庫県氷上郡 同 津名郡 同
小野市 城陽市
棚 板 が な い唐 箕21点 の製 造 地
「京 屋 清兵 衛」2点
「京 家 治 兵 衛 」
「京 屋 七兵 衛 」2点
「京 屋 太 兵衛 」3点
「山 内 口 口兵 衛 」
「唐 箕 屋 亦 吉 郎 」
「車 屋 八 良 兵 衛 」2点
「…衛 」
「京 屋 小 三 郎 」
「金 …」 ※
「…屋 弥 右 門 」
「唐 箕 萬 ・白井 式 」
「京 屋 猪 之 助 」 無 名 ※3点
大阪市東区 同 同 同
同 住之江区 同
同 淀川 区 高槻市 富田林市 枚方市
交野市 奈良県添上郡 和歌 山市
京都府船井郡 ・西宮市 ・和歌 山市
国立民族学博物館研究報告 16巻4号
両 者 を 比較 す る こ とに よっ て,次 の こ とが 明 らか にこな る。
1.棚 板 が あ る唐 箕 の 製 造 人 た ち は,主 に大 坂 の西 ない しは北 方 に展 開 して い る。
2.対 す るに,棚 板 が な い唐 箕 の製 造 人 た ちは,大 坂 中心 の分 布 を 示 す と と もに, 主 に大 坂 の 東 な い し南方 に展 開 して い る。
3.棚 板 が な い唐 箕 の製 造 人 に は,京 屋 を な の る者 が多 く,10点 が 京屋 製 で あ る。
4.京 屋 を な の る者 た ち は,東 区 に集 中 して い る。 そ して,各 唐 箕 の銘 文 で 明 らか な とお り,彼 らは,農 人 橋 界 隈 を 拠点 と して いた 。 ほ か の地 の京 屋 も,1825年 の
写真1 1825年 京屋小三郎製 河 内長野市立郷土資料 館所蔵
写真2 1867年 京屋猪之助製 和歌 山市立博物館所蔵
唐 箕(写 真1参 照)の 銘 文 に 「大 坂 農 人 橋 本 家 出店 富 田林京 屋 小 三 郎 細 工 」,1867年 の 唐 箕(写 真2参 照)の 銘 文 に 「若 山中 埜 島北
ノ丁 大 坂 店 卜・・京 屋 猪 之助 」 とあ る ので,や は り農 人 橋 界 隈 に本 拠 が あ っ た こ とが わ か る。 ち な み に京 屋 猪 之 助 は,1876年 に京 屋 治 兵 衛 を 襲 名 した人 物 で あ る こ とが,芳 井 敬郎 の報 告 に よ って 判 明 し て い る 【芳 井 1981:
19]。 し か し,京 屋 以 外 に 旧市 内 を拠 点 と し た 製造 人 はみ あた らな い 。
京 屋 一 族 の 動 静 は, 芳 井 の 報 告 に 詳 し い
【芳 井 1981: ll‑21]。
こ の 一 族 は,早 くか ら
774
近藤 紀年銘唐箕 の形 態分類
農 人 橋 界 隈 を拠 点 と して 農 具 の 生 産 に携 わ って いた 。 小 谷 が 「京 屋 型 」 と呼 ん で 西 日 本 に普 及 した 唐 箕 の代 表 と した 【小 谷 1981:4‑5】 唐 箕 は,彼 らが 製 造 した もの に ほ か な ら な い。
京 屋 製 の 唐 箕 は,起 風胴 部 の 主柱 ・支 柱 と もに上 端 を 円弧 に あわ せ て切 断 す る こ と で起 風 胴 部 の 円 形 を きわ だ た せ て い る。 す なわ ち,唐 箕 の正 面 形 態 に お いて,起 風胴 部 の 円形 と選 別 胴 部 の 方形 そ して漏 斗部 の三 角 形 とい う,単 純 な幾 何 学 形 態 の 組 み あ わ せ に よ る洗 練 され た 造形 処理 を お こな っ て い る のが 特 徴 で あ る。 こ の よ うな 京 屋 製 の唐 箕 の形 態 は,意 匠 と して 定 型 化 され て い た こ とが 明 らか で あ る。 棚 板 が 取 りつ け られ た 方 が 便 利 で あ ろ うと考 え られ る に もか か わ らず,京 屋 製 の唐 箕 には,後 年 まで そ う した 改 変 が み られ な い。 お そ ら く,京 屋 の信 用 にか か わ る意 匠 と して,変 更 され る こ とな く継 承 され て い た の で あ ろ う。 京 屋 の老 舗 意 識 が うか が え る よ うで あ り,わ が 国 に お け る唐 箕 の 開 発 者 が誰 で あ ったか を推 理 す る場 合 に,大 変 興 味 深 い 現 象 で あ る。
しか し,ほ か に も備 考 欄 に*印 を 付 した 製 造 人 名 不 明 の唐 箕,た と えば1767年 の 唐 箕(写 真3参 照)や,同 じ く*印 を付 した京 屋 以 外 の製 造 人 名 のあ る1808年 「車 屋 八 良兵 衛 」 製 の 唐 箕(写 真4参 照),1887年 「唐 箕 屋 亦 吉 郎 」 製 の唐 箕(写 真5参 照) な ど,京 屋 製 の 唐 箕 に 酷 似 した形 態 を示 す 資 料 は少 な くな い。 これ ら の唐 箕 は,京 屋 を な の る者 以外 の 資 料 を 含 め て,京 屋 系 の唐 箕 で あ る と認 め る こ とが で き る(図3a
参 照)。 この 系 統 の 製 造 人 は,大 坂 農 人 橋 を 本 拠 地 と して いた 京 屋 を 中心 に 「三 津屋 村 通 筋 」 「住 吉 安 立 町 」 な ど,大 坂 近 辺 に 展 開 して い た者 が 多 か った。
棚 板 の な い,全 体 の 形 状 も非 常 に よ く似 た 唐 箕 が,京 屋 を 中 心 に 大 坂 近 郊 の 製造 人 の唐 箕 に 集 中 的 に あ らわ れ る理 由 は何 か 。
単 な る意 匠 盗 用 の 結 果 で あ る との疑 念 も抱 か な くは な い。 しか し,き わ め て よ く似
図3a 近畿 主柱支持型 京屋系 図3b 近畿 主柱支持型 準京屋系
国立民族学博物館研究報告 16巻4号
写 真3 1767年 京 都 府 立 総 合 資 料 館 所 蔵 複 写 【福 田 1978:口 絵 】
写真4 :!.年 車屋八 良 兵衛製
伊丹市立博物館所 蔵
写真5 1887年 唐箕屋亦 吉郎製
河内長野市立郷土 資料 館所蔵
776
近藤 紀年銘唐箕の形態分類
写真6 1832年 扇米風車 屋惣八製 兵庫県立歴 史博物 館所蔵
写真7 1888年 中家清蔵製 淡路町郷土資料室 所蔵
写真8 1863年
和歌山市立博物館 所蔵
国立民族学博物館研究報 告 16巻4号
た 形 態 の唐 箕 を 製 造 して い た者 た ち と京 屋 一 族 との 間 に は,本 分 家 あ る い は婚 姻 関 係 な どに も とつ くな ん らか の技 術 提 携 が あ った ので あ ろ う。 そ して,そ れ は,京 屋 系 の 唐 箕 が,大 坂(上 方)産 とい うブ ラ ン ド商 品 と して世 間 の 評 価 を 得 て い た こ とを示 し
て い る の で は な いだ ろ うか。
京 屋 系 の唐 箕 が,大 坂 産 の 一 流 ブ ラ ン ドで あ る とす るな らば,ロ ー カル な製 造 人 た ち が これ に対 抗 して シ ェ アを 獲 得 す るた め に は,使 用 者 に 対 して これ に ま さる利 点 を 訴 え か け な けれ ば な ら な い。 棚 板 を取 りつ け た こ とは,そ う した ア ピール の 一 つ で あ って,こ の よ うな唐 箕 の製 造 人 た ちは,起 風胴 部 の 円形 を きわ だ た せ る造 形 感 覚 よ り 使 用 者 の便 利 さを考 慮 した も の と思 わ れ る。 した が って,京 屋 製 の 唐 箕 の 改 良 型 とい って も よい が,本 論 で は,準 京 屋 系 の 唐 箕 と呼 ぶ こ とに した い(図3b参 照)。 この 系 統 に 属 す る製造 人 に は,1832年 の唐 箕(写 真6参 照)に み え る 「扇 米 風 車 屋 惣 八 」 を は じめ,1848年 の 「車 屋 口 之輔 」,1888年 の唐 箕(写 真7参 照)の 「中 家 清 蔵 」, 1902年 の 「長 谷 川 清右 衛 門」 な どが あ った 。
京 屋 系 の 唐 箕 に 特徴 的 な形 態 に部 分 的 な変 形 を 加 えた とみ られ る唐 箕 に は,ほ か に も脚 や 樋 口の 配 列 を 変 え た もの が あ る。1911年 の唐 箕 の 「山 田文 三 郎 」 は 「氷 上 郡 石 負 村 」 とあ って,こ れ は 現在 の氷 上 郡 氷 上 町 石 生 に該 当 す る。 近 接 して 同町 横 田 には
「森 川 屋 吉 竹 麻 夫 」 とい う唐 箕 製 造 人 もい た。 【兵 庫 県 立 歴 史博 物 館 1991:16,19】 。 両 人 の製 造 に か か る唐 箕 の形 態 は よ く似 て お り,脚 が 起 風 胴部 端 部 に な く,内 側 に よ せ られ て い る。1863年 の 唐 箕(写 真8参 照)は,棚 板 は ない が,樋 口が前 後 に振 りわ け られ て い る。近 畿 地 方 で は,樋 口が 前 後 に振 りわ け られ た唐 箕 は あ ま りみ られ な い 。
これ らの唐 箕 も,京 屋 製 の 唐 箕 の 意 匠 に部 分 的 な 改変 を加 えて い る とい う点 で は,棚 板 を取 りつ けた 唐 箕 と同 じ く準 京 屋 系 の 唐 箕 と して よい。 準 京 屋 系 の唐 箕 を て が け た 製 造 人 た ち に 関 しては,改 変 の施 し方 の 相 違 に よ って さ らに い くつ か の 系 統 に 整理 可 能 で あ ろ う。
3‑1,2.脚 柱 支 持 型
脚 柱 支 持 型 に該 当す る唐 箕 は,以 下 の1点 で あ る。
西暦(和暦) 製造人名銘文 製造地名銘文 使用地(所蔵先)名 備 考
.. 明 治19大 工 近 藤 佐 十 郎 神崎郡福 崎町
この資 料 は,起 風胴 部 下 部 に千 石 とお しの よ うに網 を 取 りつ け た きわ め て特 異 な形 態 を示 す(写 真9参 照)。 近 畿 地 方 に は,千 石 とお し と唐 箕 を 合体 させ た こ の よ うな
778
近藤 紀年銘唐箕 の形態分類
特 異 な形 態 の 唐 箕(以 下,と お しつ き唐 箕 と記 す)が ほ か に もい くつか 伝 世 してい る が,紀 年 銘 の あ る資 料 は この1点 だけ で あ る。
とお しつ き唐 箕 に つ い て は,他 地 方 の特 異 な 形 態 の 唐 箕 と と もに検 討 す る必 要 が あ り,後 述 す る。
3‑1,3.横 木 支 持 型
横 木 支 持 型 に 該 当 す る 唐 箕 は,以 下 の13点 で あ る 。
西 暦(和 暦) 製造人名銘文 製造地名銘文 使 用 地(所 蔵 先)名 備 考
1854 嘉 永7 大道屋利兵衛 播州竜野在二塚村 神戸市北 区八多町 棚付F
1855 安政2 藤 箕 屋 忠 治 ・同 但馬 出石新町 福知山市甘栗 棚 付1 兵吉
1863 文 久3 澤 困豊治 出石新町 出石郡但東 町 棚 付1 平右衛 門
1870 明 治3 澤木忠次 但州 出石新甼 舞鶴市西方寺 棚 付1
1876 同 9 養 父郡養 父町 F
.. 同 ll 本家 隠居屋 二塚村 揖保郡揖保川町 棚付F
.. 同 14 但 馬 出石 … 与謝郡加悦町 棚 付1
1882? 同1固 大工林栄蔵 但馬国出石材木町 (上夜久野町資料館) 棚 付1
.. 同 20 大 工 林 源 六 ・同 但馬国出石材木町 福知 山市上野条 棚 付1 万吉
"1
同 23 富屋 良三郎 佐方村 相生市 棚付F1893 同 26 細工人野村徳蔵 但馬国七美郡村岡町 小野市 棚 付1
1893 同 26 大工口囲 因 出石材木町 (上夜久野町資料館) 棚 付1
1911 同 44 上 田達造 出石内町 (福知山市文化史料 棚付F
館)
1893年 の 唐 箕 に み え る 「但 馬 国 出 石 材 木 町 口 囲 因 」 は,1887年 の 唐 箕(写 真10 参 照)の 製 造 人 「大 工 林 源 六 」 で あ ろ う。 また,1870年 の唐 箕(写 真ll参 照)の 製 造 人 「澤 木 忠 次 」 は,1863年 の唐 箕(写 真12参 照)の 製 造 人 厂澤 困:豊治 」 と無 縁 で は な か ろ う。 この型 の唐 箕 の全 体 形 態 は,京 屋製 の唐 箕 に酷 似 して い る。 京 屋 製 の唐 箕 の 翼 車軸 支 持 具 を ア レ ンジ した 準 京 屋 系 の唐 箕 で あ る と もい え な くな いが,翼 車軸 の 支 持 方式 を変 更 して い る点 で,構 造 の 根 幹 に か か わ る相違 を生 じて い る。 この 型 の唐
国立民族学博 物館研究報告 16巻4号
写真9 1886年 大工近藤佐十郎製 三 木家所蔵
箕 に も,起 風 胴 部 上 部 に棚 板 が あ る も の とな い もの が あ る。 ただ,棚 板 が な い も の は1876年 の 唐 箕1点 だ け で あ り,棚 板 の 有 無 は,こ こで は主 柱 支 持 型 の 場 合 の よ うに 有効 な細 分 類 の てが か りY'は な らな い 。 しか し,別 の形 態 差 に よ るな らそ れ が 可 能 で あ る。
この 型 の 唐 箕 は,本 体下 部 の木 取 り の違 いに よ って2種 類 に わ け る こ とが で き る。 つ ま り,起 風 胴 部下 部 の選 別 同部 へ の接 続 点 が 樋 口部 に 接 した もの (写真13参 照)と,か な り離 れ た もの (写真14参 照)の2種 類 で あ る。 備 考 欄 に,接 続 点 が 樋 口部 に 接 した もの に はF記 号 を,離 れ た も の に は1記 号 を 付 して両 者 の違 いを 示 した 。 F記 号 を 付 した 唐 箕 の 製 造 人 た ち は,播 磨 地 方 西部 に 展 開 して お り 【近 藤 1988:135‑138],1記 号 を 付 した唐 箕 の 製 造 人 た ちは,出 石 郡 出 石 町 を拠 点 と して活 動 して い た 。 そ の こ とか ら,両 者 は,き わ め て近 似 した 形 態 を 示 して は い る もの の,一 応 別 の 系 統 とみ る こ とが で き る。 前 者 を 二 塚 系 の唐 箕(図3c参 照),後 者 を 出 石 系 の唐 箕(図3d参 照)と 呼 ぶ こ とに す る。
この型 の唐 箕 に も,脚 の配 列 を 変 え て い る もの が あ る。1911年 の唐 箕(写 真15参 照) で あ る。 脚 の 配 列 の み に着 目す る な ら,「 山 田文 三 郎 」 や森 川屋 の 唐 箕 との 類 似 が 指 摘 で き る。 「上 田達 造 」 は 「出 石 内 町 」 に居 住 して い た。 しか し,そ の 製 造 に か か る
図3c 近畿 横木支持型 二塚系 図3d 近畿 横木支持型 出石系
Aso
近藤 紀年銘唐箕の形態分類
写真10 1887年 大工林源六 ・万 吉製
福知 山市文化史料館所蔵
写真11 1870年 大工澤木 忠次製
京都府立丹後郷土 資料館所蔵
写真121863年 大工澤困 豊次 ・平右衛門製 赤花郷土資料館所 蔵
国立民族学博物 館研究報告 16巻4号
写真13 1854年 大道屋利兵衛製
神戸市農政局 複写1和 田 1974:27]
写 真14 1855年 大 工 藤 箕 屋 忠 治 ・兵 吉 製
京 都 府 立 総 合 資 料 館所 蔵 複 写 【福 田 1978:38】
唐 箕 の 形 態 は,ほ か の 出 石系 の唐 箕 と異 な り,起 風胴 部 端 部 の脚 が廃 され て 内側 に よ せ られ,ま た,起 風胴 部 下 部 の選 別 胴 部 へ の 接 続 点 の位 置 を み る な ら二 塚 系 を 示 して い る。 この よ うな形 態 上 の特 徴 は,二 塚 系 と出 石 系 の唐 箕 の 関係 を考 え る うえ で 注 目
され る。
782
近藤 紀年銘唐箕の形態分類
写真15 1911年 上 田達蔵製 福知 山市文化史料館所蔵
3‑1,4.縦 木 支 持 型 該 当資 料 な し。
3‑1,5.X脚 支 持 型 該 当資 料 な し。
3‑1,6.支 持 型 不 明
後世 に大 幅 な 改変 を お こな っ た と判 断 され る もの や,銘 文 の み が知 られ て形 態 の不 明 な 資料 は,以 下 の8点 で あ る。
西 暦(和 暦) 製造 人名銘文 製造地名銘文 使 用地(所 蔵 先)名 備 考
1850 嘉 永3 細工 人巧工佐七 播州尼口[]東大寺筋 西 宮市 甲子 園 口 1872 明 治5 扇 口車屋重兵衛 印南郡加古川 高砂市 米田町
.. 同 20 勝 田栄 吉 寺垣戸村 吉野郡下北 山村
::・ 同 22 (原 田式) 鳥羽市本浦
1891 同 24 製造 職工小田仙 天 田郡夜久野町
治郎
1903 同 36 鳥羽市岩倉町
1905 同 38 (和歌 山市立博物館)
国立民族学博物館研 究報告 16巻4号 1906 同 39 (佐 々木 鶴 吉 佐治村) 氷上郡青垣町
1850年 の 「巧工 佐 七 」銘 資 料 は,漏 斗部 のみ が残 る。1872年 の 「重 兵 衛 」銘 唐 箕 は, 加 古 川市 域 で製 造 され て いた 。 加 古 川 周 辺 で み られ る無 銘 の唐 箕 には,準 京 屋 系 の形 態 を示 す 唐 箕 が 多 くみ られ る こ とか ら,こ れ も準 京 屋 系 の唐 箕 で あ る と推 定 され る。
1891年 の 「小 田仙 治 郎 」 銘 唐 箕 も出 石 系 の 可能 性 が 高 い が,断 定 は さけ る。1906年 の 唐 箕 の 「佐 々木 鶴 吉 」 は,製 造 人 名 で あ るの か使 用 者 名 で あ る のか 不 明で あ る。
3‑1,7.分 布 の傾 向
近 畿 地 方 にお い て は,大 坂 を 中心 に 主柱 支 持 型 の唐 箕 が 生 産 され て い た。これ に は, 大 坂 を拠 点 と した 京 屋 系 の 唐 箕 と,こ れ を模 倣 改 良 した と考 え られ る準 京 屋 系 の唐 箕 が あ り,後 者 は 前 者 の 周 縁 部 地 域 に 居 住 す る製 造 人 に よっ て生 産 され て い た。 横 木支 持 型 の唐 箕 も 同様 に 周 縁 部 地 域 に 展 開 して い て,こ れ に は二 塚 系 の唐 箕 と出 石系 の唐 箕 が あ った。 京 屋 系 ・準 京 屋 系 ・二 塚 系 ・出石 系 の各 唐 箕 の伝 世 状 況 か らは,そ れ ぞ れ の シ ェアが か な り明 確 に わ か れ て い た様 子 が うか が え る。 反 面,そ れ らの唐 箕 は, 全 体 の形 態 が お お む ね 共 通Lて お り,各 系 統 の製 造 人 の あ いだ に比較 的 親 密 な交 渉 の あ った こ とが 想 像 され る。
3‑2.中 国 地 方 の 唐 箕
中 国地 方 に 現 存 す る唐 箕 は,8点 で あ る。 うちわ け は,江 戸 時 代 の 年 号 銘 が あ る も の4点,明 治 時 代 の 年 号 銘 が あ る もの4点 で あ る。
3‑2,1.主 柱 支 持 型
主 柱 支 持 型 に 該 当 す る 唐 箕 は,以 下 の2点 で あ る 。
西 暦(和 暦) 製造人名銘文 製造地名銘文 使用地(所蔵先)名 備 考
1834天 保5
1874 明 治7 水戸仙助 豊 田郡野 良村
岡山市一宮 御調郡久井 町
ともに 京 屋 系 に 近 似 した 形 態 を示 す。 た だ し,1874年 の唐 箕 は,樋 口が前 後 に振 り わ け とな って い るほ か,1922年 に 「貞谷 茂 一一」 に よって 「改 良唐箕 米粒 排 出 加減 機 」 を 取 りつ け る改 造 が お こな わ れ て い る。
3‑2,2.脚 柱 支 持 型 該 当 資 料 な し。
Asa
近藤 紀年 銘唐箕 の形態分類 3‑2,3.横 木 支 持 型
横 木 支 持 型 に該 当す る唐 箕 は,以 下 の3点 で あ る。
西暦(和 暦) 製造人名銘文 製造地名銘文 使 用地(所蔵先)名 備 考
1861文 久1 高梁市方谷 F
1861〜3文 久 口 都窪郡早 島町 F
1898明 治31 本藤屋吉川屋平 鳥取市瓦町 東伯郡大栄町 F
四郎
1861年 の唐 箕(写 真16参 照),1861〜3年 に あた る 「文 久 」 年 間 の 銘 が あ る唐 箕 は, 二 塚 系 の唐 箕 の形 態 を示 して い る。と もに製 造 人名 は 明 らか で な いが,こ の こ とか ら, 二 塚 系 の製 造 人 の製 作 に な る もの と判 断 され る。1898年 の 「本藤 屋 吉 川 屋 平 四郎 」 製 の唐 箕(写 真17参 照)も,ほ ぼ 二 塚 系 の唐 箕 の 形 態 を 示 す が,1911年 の 「上 田達 造 」 製 の 唐 箕 に 似 て起 風 胴 部 の脚 が 内側 に よって い る。 この 唐箕 の年 号 は,本 体 に貼 りつ け られ た 「褒 状写 」 記 載 の もの で あ る。 した が って,こ の年 に製 造 され た唐 箕 で あ る と断 定 す る こ とは で きな い。 唐 箕 そ の もの の 製 造 年 代 は,い くぶ んか 前 後 す る可 能 性 が 咼い 。
近 畿 地 方 に お け る この型 の唐 箕 す なわ ち出 石 系 ・二 塚 系唐 箕 の場 合 に は,1876年 の 唐 箕 の み 棚 板 が な か った が,中 国地 方 の この 型 の 唐 箕 に は い ず れ も棚 板 が な い。 横 木 支 持 型 の 唐 箕 に み られ る この現 象 は,今 後,資 料 の蓄 積 を ま って 検 討 す る必 要 が あ る。
写 真15 1861年
高 梁 市 郷 土 資 料 館所 蔵
国立民族学博物館研究報告 16巻4号
写真17 1898年 吉川屋平四郎製 鳥取 県立博物館所蔵
3‑2,4.縦 木 支 持 型
中 国地 方 に お い て は,江 戸 ・明 治 時代 の資 料 に関 して この 型 に 分 類 され る資 料 の所 在 が 知 られ て い な い。 た だ,若 干補 足 して お くな ら,神 田三 亀 男 が 広 島 県世 羅 郡 甲 山 町 宇 津 戸(旧 御 調 郡 宇 津 戸 村)に,数 代 に わ た り,多 くの唐 箕 製 造 人 が あ った こ とを 報 告 して い る [神 田 1990:1‑5】 。 宇 津 戸 で製 造 され た古 い大 型 唐 箕 と して掲 載 され た 写 真 は,1940年 頃 まで 製 造 され て い た唐 箕 の一 例10)の よ うで あ り,翼 車 軸 の支 持 方 法 は,縦 木支 持 型 を採 用 して い る。 棚 板 は な く,脚 の位 置 が 起 風 胴 部 端部 で な く内 側 に お か れ て い る。
この 型 の唐 箕 は,山 口県 大 島 郡 東 和 町 で も使 用 され て いた 【宮 本 1979:221】 。 3‑2,5.X脚 支 持 型
該 当 資 料 な し。
3‑2,6.支 持 型 不 明
西 暦(和 暦) 製造人名銘文 製造 地名銘文 使用地(所蔵先)名 備 考
1832天 保3 笠岡市吉 田
1881明 治14
大工赤松又郎 備前市香登本1888 同 21 菊三郎 御庄村山里 岩 国市 中津
10) 神 田 三 亀 男 は,広 島 県 世 羅 郡 甲 山 町在 住 の唐 箕 職 人 か らの 聞 き書 き と して,同 地 で は1930 年 代 に 小型 唐箕 の製 造 が開 始 され た こ とを 報 告 して い る 【神 田 1990:3‑4】 。