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体 育科教 育 の戦後50年

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創大教育研究第5号

体 育科教 育 の戦後50年

工 藤 英 三

I H m W V W 注

は じめ に

先 行 研 究 に つ い て 研 究 の 手 が か り 本 論

考 察 ま とめ

1 は じ め に

1本 稿 の ね ら い

昭 和20年(1945)8月15日 、 日本 は ポ ッ ダ ム 宣 言 を受 諾 し、 米 英 両 国 を は じめ とす る 連 合 国 に 無 条 件 降 伏 を した 。 米 英 両 国 へ の 戦 争 宣 言 は昭 和16年(1941)12月 で あ り、fI(本軍 が ハ ワ イ 、 マ レ ー シ ア 等 を 攻 撃 す る こ と に よ り交 戦 状 態 に 突 入 し た の で あ る が 、 日本 は 既 に 昭 和6年

(1931)、 中 国 に一 方 的 に 出 兵 、 進 攻 して お り、 満 州 事 変 と言 わ れ る侵 略 戦 争 を 開 始 して い た 。 そ の 後15年 続 き、 拡 大 され た ア ジ ア へ の 侵 略 戦 争一 い わ ゆ る15年 戦 争 も終 結 し、 世 界 史 的 に

も第 二 次 世 界 大 戦 の 終 結 を 見 た の で あ る 。

この15年 戦 争 は ア ジ ア の 国 々 へ 限 りな い被 害 を与 え た 。 天 皇 の 命 を受 け た 日本 の 軍 隊 は 、 進 攻 す る国 々 の 国 土 を破 壊 し、 財 産 を収 奪 し、 人権 を迫 奪 し、 何 に も変 え が た い生 命 、2000万 に 及 ぶ 人 々 の 生 命 を奪 っ た 。 そ れ は 日本 軍 に よ る爆 撃 、 殺 教 、 暴 行 の 他 、 餓 死 、 病 死 を免 れ 得 な か っ た 人 々 の 数 で あ っ た。

戦 後 の 日本 の 課 題 は 、 自 らの 戦 争 開 始 に よ る国 土 の 疲 弊 か らの 復 興 と、 い わ れ な き侵 略 に よ る他 国 へ の 償 い で あ る。 戦 後50年 を経 て 、 前 者 に つ い て ほa°そ の 目標 は 達 せ られ て い る が 、 後 者 の 目標 は始 め か ら認 識 が 不 十 分 で あ り、今 な お 多 くの 問題 を残 す 。「慰 安 婦 」「731部隊 被 害 中 国 人 」「 韓 国 人 軍 人 へ の 保 償 」等 、 日本 の 戦 争 責 任 へ の 裁 判 が 提 起 され て い る の が そ の 例 で あ る。

敗 戦 のf1寺 、1945年 を湖 る50年 前 は、 日本 が 国 家 主 権 の 名 で 、 始 め て 他 国 へ 戦 争 を仕 掛 け た 時 で あ っ た 。 す な な ち 、 明 治27年(1895)の 日清 戦 争 で あ る 。 そ の 後 独 占 資 本 の膨 張 に よ る権 益 占取 へ の 野 望 は 、 天 皇 制 と い う特 異 な 国 家 体 制 をバ ッ ク に 、 坂 道 を下 る よ う に 軍 事 大 国 へ の 道 を蕎 進 した 。 そ の 方 向 へ 傾 斜 させ る最 大 の 手 段 は 教 育 で あ っ た 。 す べ て の 教 育 は 、 天 皇 制 讃 歌 と軍 国 思 想 鼓 舞 、な らび に そ の 実 行 に 集 約 され た 。わ れ わ れ は この 証 檬 を早 く も明 治23年(1890) 発 布 の 教 育 勅 語 に見 る こ とが で き る。「 一 旦 緩 急 ア レバ 義 勇 公 二 奉 ジ 以 テ 天 壊 無 窮 ノ皇 運 ヲ扶 翼

ス ベ シ」 で あ る。 この 前 段 は 「汝 臣 民 父 母 二 孝 二 兄 弟 二 友 二 夫 婦 相 和 シ … … 」 と諸 徳 目の 教 え

が 続 くの で あ るが 、 そ れ ら は す べ て 「 皇 運 ヲ扶 翼 ス ベ シ」 に 集 約 さ れ る。 若 し 「父 母 二 孝 二 」

の 徳 目 が独 立 して い るの で あ れ ば 、 年 老 い た 、 あ る い は病 弱 の 父 母 を捨 て て戦 士 と して 入 隊 す

る必 要 は 無 か っ た ろ う し、 「夫 婦 相 和 シ 」 と い う こ と と、 離 別 して 軍 隊 に 入 るの とは 、180度 異

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体 育 科 教 育:工 藤

な る筈 で あ る 。 一 緒 に い られ な い 夫 婦 に相 和 す る こ と を説 い て も無 意 味 で あ る 。 これ ら の徳 目 はす べ て 従 属 的 な もの で あ っ た 。 そ の 終 点 は 「義 勇 公 二 奉 ジ天 壊 無 窮 ノ 皇 運 ヲ扶 翼 」 す る と こ ろ に あ っ た 。

「義 勇 公 二 奉 ジ」の くだ り は 明 らか に 戦 争 を予 想 した もの で あ る。 「勇 」と は 身 体 行 為 を さ す 。 勇 ま し く体 を 動 か す こ と で あ る。 「 奉 ジ 」は犠 牲 とな る、 捧 げ るの 意 で あ る。 す な わ ち こ の くだ

りは 、「戦 争 で 国 家 の 為 に 勇 ま し く戦 っ て 身 を捧 げ な さい 。そ れ が 天 壊 無 窮 の 天 皇 制 を保 持 す る こ と に な るの で す よ」 と い う こ と に な る。

こ の 「義 勇 」 の くだ りが 実 は 戦 前 の 体 育 の 眼 目で あ っ た 。 戦 前 の 体 育 科 教 育 は この 「 義 勇 」 を 中 心 に 展 開 され た と言 っ て い い 。 そ の 帰 結 と して の 、 昭 和17年(1942)の 「国 民 学 校 体 錬 科 教 授 要 項 」 の 「1.教 授 方 針 」 を 次 に示 して お く。

国民学校体錬科 教授要項

1.教 授 方 針

1体 錬 科 二 於 テ ハ 身 体 ヲ鍛 練 シ精 神 ヲ錬 磨 シ テ潤 達 剛 健 ナ ル 心 身 ヲ育 成 シ 献 身 奉 公 ノ実 践 力 二 培 ヒ皇 国 民 トシ テ 必 要 ナ ル 基 礎 的 能 力 ノ 錬 磨 育 成 二 力 ム ベ シ

2体 錬 科 ノ各 科 目各 教 材 ハ 之 ヲ緊 密 ナ ル 関 連 ノ下 二 綜 合 シ テ 実 施 シ 夫 々 其 ノ特 色 ヲ 発 揮 セ シ ム ル ト共 二 不 断 ノ修 錬 二 依 リ着 実 二 其 ノ効 果 ヲ収 メ シ ム ル ニ カ ム ベ シ

3児 童 心 身 ノ 発 達 、 男 女 ノ特 性 ヲ考 慮 シ テ 教 授 ヲ 之 二 適 合 ス ル ヤ ウ 工 夫 シ鍛 練 養 護 ヲー 体 ト す る指 導 ヲ行 フ ベ シ

4衛 生 養 護 二 留 意 シ身 体 検 査 ノ 結 果 等 ヲ参 酌 シ テ 指 導 ノ 適 正 ヲ期 ス ベ シ

5快 活 ナ ル 心 情 、 公 明 ナ ル 態 度 ヲ養 ヒ礼 節 ヲ 尚 ビ廉 恥 ヲ重 ン ズ ル ノ 気 風 ヲ振 作 ス ル ト共 二 規 律 節 制 、 堅 忍持 久 、 質 実 剛 健 、 協 同 団 結 等 ノ 諸 徳 ヲ{G養 ス ル ニ カ ム ベ シ

6団 体 的 行 動 二 慣 然 セ シ メ 規 律 協 同 ヲ尚 ビ服 従 ノ精 神 ヲ養 ヒ責 任 ヲ重 ン ジ 率 先 躬 行 ス ル 気 象 ヲ振 動 ス ル ニ カ ム ベ シ

7強 靱 ナ ル 体 力 ト旺 盛 ナ ル 精 利1カ トハ 国 力 発 展 ノ根 基 ニ シ テ特 二 国 防 二 必 要 ナ ル 所 以 ヲ体 認 セ シ メ健 全 ナ ル 心 身 ヲ 鍛 練 シ 以 テ 尽 忠 報 国 ノ信 念 二 培 フ ベ シ

8体 練 科 二 於 テ 修 錬 シ タル 成 果 ハ 之 ヲ 日常 ノ6・ ・ 生 活 二 拡 充 具 現 セ シ ム ル ニ カ ム ベ シ

こ こ で の 体 育 は

潤 達 剛 健 ナ ル 心 身 ノ 育 成 、 献 身 奉 公 ノ実 践 力

規 律 節 制 、 堅 忍 持 久 、 質 実 剛 健 、 協 同 団 結 等 ノ 諸 徳 ノ 洒 養 強 靱 ナ ル 体 力 ト旺 盛 ナ ル 精 神 力 トハ … … 国 防 二 必 要 ナ ル 所 以 健 全 ナ ル 心 身 ヲ鍛 練 シ以 テ尽 忠 報 国 ノ 信 念 二 培 フベ シ

で あ る。 さ らに 「3.教 授 上 ノ 注 意 」 の 「武 道 二 関 ス ル 事 項 」 で は 「武 道 ハ 常 二 攻 撃 ヲ主 眼 トシ テ修 練 セ シ ム ベ シ 」とな る。 相 手 をや っ っ け る た め の み の 運 動 は ス ポ ー ッ とは 無 縁 で あ る。

い か に早 く重 い 弾 薬 を 運 び 大 砲 に 込 め る か 、 ま た そ の 体 力 を養 う か 、 と い う戦 争 目 的 の 身 体 の 修 練 の 別 法 で あ る。

こ の よ う に戦 闘 行 為 の 能 力 と戦 闘 に お い て 「 公 二 奉 ジ」 身 を捧 げ て悔 い な い 精 神 力 を 洒 養 す る体 育 は、 戦 前 の 教 育 の 中 で も重 要 な役 割 を果 して い た 。 そ れ は 当 時 の 戦 闘 に お け る2つ の 要 素 を 保 有 して い た か らで あ る。 第1は 戦 争 が 今 の よ う に ボ タ ン を押 す だ け 運 動 能 力 で な く、 実

一104一

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創大教育研究第5号

質 的 な体 力 を要 求 した か らで あ る。 当 時 の 日本 の 兵 士 は 、 銃 を担 ぎ食 糧 を携 帯 して 行 進 し、 実 際 の 戦 闘 で は1対1の 格 闘 に な る こ と もあ り得 た の で あ る 。 第2は 、 運 動 で の 辛 さや 苦 し さ に 堪 え る こ とが ・ 戦 争 に お け る非 日常 的 状 態 、 暑 さ、 寒 さ、 空 腹 、 疲 労 な ど に堪 え る こ と に転 化 され 得 た の で あ る 。そ れ は 内面 的 な精 神 の 葛 藤 よ り単純 な もの で 、運 動 と同 じ傾 向 の 辛 さ で あ っ た為 で あ る。

敗 戦 を ス タ ー トと して、 世 界 観 は 大 き く変 っ た 。 しか しわ れ わ れ は 日本 の 国 り 中 い る 。 同 じ 国 土 ・ 似 た よ うな 社 会 構 造 の 中 で の 過 去 の 残 澤 を 引 きず り乍 らの 戦 後50年 で あ る。 戦 後 の 体 育 科 教 育 を 見 る と き、 戦 前 と比 較 し、 そ の 残 澤 を み な が ら そ の 変 貌 と新 しい 役 割 を 明 らか に す る

こ とが 必 要 で あ ろ う。

本 稿 の ね らい の ま とめ

戦 前 の50年 間 の 体 育 科 教 育 は 、 戦 争 へ の 身 体 準 備 と天 皇 制 国 家 へ の 献 身 の 精 神 的 修 練 に 集 約 され て い た。 戦 後 の50年 の 体 育 科 教 育 が 、 そ の 残 澤 を抱 え な が ら、 ど の よ う に変 貌 し、 個 人 な らび に 国 家 に 対 し どの よ う な 役 割 を果 した の か を実 証 し、 考 察 す る の が 本 稿 の ね らい で あ る。

2定 義

体育科教育 とは

「 体 育 」 とい う教 科 名 が 登 場 す る の は 戦 後(1945年 以 降)で あ る。 「体 育 科 教 育 」 は 、 戦 前 の

「体 操 科 教 育 」を意 味 す る。 「体 育 」そ の もの に す で に教 育 の 意 味 を もた せ 、 さ ら に … … 科 教 育 と い う重 複 を 見 せ て い る。 音 楽 教 育 科 教 育 と い う呼 称 が 不 自然 な よ う に、 「 体 育 」と い う呼 称 に は 問 題 が あ る 。 戦 前 の 「 体 操 科 」 の 方 が 自然 で あ っ た 。 「体 育 科 」 と い う呼 称 へ の 変 更 は 、 戦 後 昭 和22年(1947)に 、 「学 校 体 育 指 導 要 綱 」が 発 表 され 、 こ の 要 綱 を基 本 と して 戦 前 の 体 操 に該 当 す る教 科 の 展 開 が 図 られ た か らで あ る。 そ の 「 体 育 」は 実 は欄 み ど こ ろ の な い こ と ば で あ り、

こ の こ と ば を造 り出 した ア メ リカ で も問 題 に さ れ て い る。1)日 本 で は 狭 義 の 意 味 で 学 校 体 育 に 限 定 され るが 、 広 義 に な る と体 育 と い う名 辞 で は 繰 く られ な い 場 合 が 多 く、 「体 育 ・ス ポ ー ッ 」 の 呼 称 を 用 い る。 文 部 省 発 行 の 月 刊 誌 「健 康 と体 」 な ど に は、 こ の 呼 称 が 頻 繁 に あ ら わ れ る。

ま た 学 会 等 の 研 究 会 で も 「 体 育 ・ス ポ ー ツ 史 セ ミナ ー 」2)「体 育 ・ス ポ ー ツ 評 論 」3)「体 育 ス ポ ー ツ の 哲 学 」4)な な どの 呼 称 が 使 用 さ れ る。 「体 育 の 日」 「国 民 体 育 大 会 」 「日本 体 育 協 会 」 な ど と 公 的機 関 で こ の 名 称 が 使 用 さ れ るが 、 こ れ は 「体 育 」 を 意 味 し な い 。 「体 育 」 と い う こ とば が 、 知 ・徳 ・体 の 一 つ で あ り、 重 み が あ るの で 、 使 用 者 は魅 力 を感 ず るの で あ ろ う。

しか し、 「 体 育 科 教 育 」とい う1っ の こ とば に な る と き、 こ の 意 味 は 殆 ど 明 瞭 で あ る。 学 校 教 育 の 教 科 で あ る 「 体 育 」 に つ い て 、 どの よ う な教 育 を す る か を 意 味 す る か らで あ る 。 殆 ど、 と い う の は 、 そ れ が 小 ・中 ・高 の 文 部 省 が 支 配 す る 学 校 分 野 に 限 定 され て い る か らで あ る。 「体 育」

と い う教 科 は 嘗 っ て 大 学 に存 在 して い た が 、 大 学 設 置 基 準 の 改 正(平 成4年)に よ っ て 必 修 科 目の 座 を 降 り、 そ の 存 廃 の 態 様 は個 々 の 大 学 の 自 由 に委 せ られ る こ とに な り、 各 大 学 が 嘗 っ て の 「体 育 」教 科 名 を廃 止 し、 そ の 名 称 を 「健 康 科 学 」 「ス ポ ー ツ 」な ど と独 自 の 名 称 で 読 み 換 え る よ う に な っ て い る。

本 稿 に お い て 「 体 育 科 教 育 」 は 、 小 ・中 ・高 の 学 校 の 「 体 育 」 に 関 す る教 育 を さす が 、 こ ・

で は そ の 研 究 の 中 心 を 小 学 校 に しぼ りた い 。 しか し 「体 育 」 と い う こ とば が 広 い意 味 を も って

い る こ とか ら、 そ の と りあ げ る 内 容 が 「ス ポ ー ツ 」に 及 ぶ こ と、 ま た小 学 校 体 育 の 内容 に 、 「保

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体 育 科 教 育:工 藤

健 」 が 含 まれ る の で 、 「保 健 」 に つ い て も言 及 す る こ と が あ る。

3仮 説

学 習 指 導 要 領 が 、 戦 前 の 体 育 の 残 澤 を 引 きず り、 復 古 的 な は た ら き を して い る で あ ろ う、

と の こ と

学 校 教 育 に お け る 学 習 指 導 要 領(以 下 指 導 要 領 と略 記)の 権 能 は絶 大 で あ る。 教 育 の 職 に 乙 る もの ・ こ の 指 導 要 領 の 支 配 力 か ら フ リー で あ る こ と は不 可 能 で あ る。 また教 育 に関係 す る' 版 社 、 教 科 書 執 筆 者 に至 る ま で 、 そ 拘 束 の 枠 か ら フ リー で あ る こ とは で き な い 。 い わ ば 国 は才 導 要 領 で 大 き な タ ガ を は め 、 体 育 科 教 育 の 方 向 を リー ドして い る の で あ る。 省 令 以 下 の 規 程}

あ り、 諮 意 的 に 改 定 で き る指 導 要 領 に 、 法 的 拘 束 力 が あ る と文 部 省 は 主 張 す る。 教 育 基 本 法 、 ユ ネ ス コ の 「 教 師 の 地 位 に つ い て の 勧 告 」(1978)等 か ら

、 文 部 省 の 言 い 分 に つ い て は 充分 にrI 論 し得 る が 、 今 は しば ら く措 き、 国 家 権 力 をバ ッ ク に もつ 指 導 要 領 が 、 「体 育科 教 育 」の復 古 イ に作 用 し、 戦 前 の 残 澤 を 引 きず ろ う と し、 志 あ る教 員 が そ れ に抵 抗 し、 新 しい 「体 育科 教 育」

の 樹 立 に 、 しん ど い 努 力 を 続 け て い る で あ ろ う、 との仮 説で あ る。

そ れ で は何 故 国 家 権 力 が 指 導 要 領 を通 じ、 「 体 育科 教 育 」の 復 古 化 をめ ざ して い る 、 との 仮 言 を立 て た の で あ ろ う か 。 他 教 科 に対 して の 指 導 要 領 の 締 め つ け の 例 を2〜3挙 げ 、 その理 由 老 推 論 して い た だ く こ と に す る。

1993年 の 小 学 校 新 教 科 書(社 会 科)は 、 学 習 指 導 要 領 「内 容 の 取 扱 い 」 で 例 示 さ れ た42人a 人 物 を す べ て 載 せ 、 そ の 中 に は 、 日露 戦 争 で 戦 っ た 東 郷 平 八 郎 を指 導 要 領 の 意 に 沿 っ て 「軍 神 と記 述 して い る。

同 じ く 「神 話 は 国 土 統 一 との 関 係 で 扱 う」 と さ れ た た め 、 そ れ ま で 数 あ る神 話 か ら題 材 を 遣 ん で い た 教 科 書 の 記 述 は 、 す べ て 「ヤ マ トタ ケ ル ノ ミ コ ト」 と な ら ざ る を得 な か っ た 。 上 記fL 件 と も、 国 が 権 力 に よ り復 古 的 な価 値 判 断 を お しつ け た もの で あ る。

ま た 中 学 校 新 社 会 科 の 教 科 書 の 原 稿 本 は 、 戦 前 の 天 皇 に つ い て 「国 家 の最 高 の権 力(主 権) は 天 皇 に あ り… … 軍 隊 は 直 接 天 皇 の 命 令 に よ り従 う もの と され る な ど 天 皇 に絶 大 な権 限 が 認 ダ られ た 。(中 略)治 安 維 持 法 な ど に よ っ て 、 思 想 や 言 論 が き び し く制 限 され 、 しだい に天皇 へQ 絶 対 服 従 が 強 要 され る よ う に な っ た 。」 で あ っ た が 、 検 定 後 は 「国 家 の最 高 の 権 力(主 権)は ヲ 巣 に あ り… … 軍 隊 め 指 揮 権 も天 皇 が 持 つ な ど 憲法 上 は 天 皇 に絶 大 な権 限 が 認 め られ た.(1儲:

治 安 維 持 法 な ど に よ っ て 、 しだ い に思 想 や 言 論 が きび し く制 限 され 、15年 戦 争 中 に は軍 部 へ4 絶 対 服 従 が 強 要 さ れ る よ う に な っ た 。」と書 き直 し させ られ て い る。 天皇 の絶 大 な権 限 を憲法1 め もの と して そ の 本 質 を ぼ か し、 天 皇 へ の 絶 対 服 従 を軍 部 へ の 絶 対 服 従 とす り換 え て い る 。

平 成 元 年(1989)改 訂 の 学 習 指 導 要 領(小 学 校)の 特 別 活 動 で は 「日本 人 と して の 自覚 を煮 い 国 を 愛 す る と と も に す べ て の 国 の 国 旗 及 び 国 歌 に対 し等 し く敬 意 を表 す る態 度 を 育 て る観 片 か ら・ 国 旗 を掲 揚 し国 歌 を 斉 唱 す る こ と を 明 確 に す る。」 と学校 儀 式 等 での 国旗 ・国歌 の 強要 を して い る。 戦 前 の 国 旗 ・国 歌 な る もの が どの よ う な 役 割 を果 し、戦 後 どの よ うな価値 を認 め ら 耗 て きた か の 歴 史 的 過 程 を 無 視 して い る の で あ る。 学 習 指 導 要 領 と い う行 政 上 の 手 続 き に 国 家 権 力 を付 し、 学 習 内 容 の 押 しつ け 、 規 則 な ど して い る例 で あ る。 この よ う な 方 向 が 国 の 方 針 て あ る こ と は 明 らか で あ り、1〜2の 教 科 に と ど ま らず 、 体 育科 の教 育 に関 して も該 当の事 項 か あ る と解 さ れ る の で あ る 。

4限 界

一106一

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創大教育研究第5号

史料 的限界 と歴史的限界

本 稿 が ど こ ま で 論 を及 ぼ し得 るか に つ い て は2つ の 限 界 が あ る。 そ の 第 一 は 史 料 的 限 界 で あ る。 戦 後 の 小 学 校 体 育 につ い て は 、 そ の あ り方 や 実 際 の 指 導 、 効 果 につ い て 、 個 々 の 研 究 、 学 校 、 団 体 等 の 研 究 が 全 国 に 散 らば り、そ の 量 は 莫 大 で あ る。学 校 体 育 の 研 究 月刊 誌 と して は 「新 体 育 」 「学 校 体 育 」 「 体 育 科 教 育 」 が 代 表 的 で あ る が 、 そ の 他 に季 刊 、 年 刊 の 研 究 誌 が あ る 。 そ れ に 大 学 等 の 研 究 者 、 現 役 の 教 師 等 に よ る著 書 ・論 文 を加 え る と、 そ の 量 は 際 限 が な い 。 本 稿 は お そ ら くそ の い くつ か を 論 拠 に して い る に 過 ぎ な い こ と を 憂 え る もの で あ る。

第 二 の 歴 史 的 限 界 につ い て は 言 う まで もな い 。 体 育 科 教 育 につ い て の 幾 多 の 事 実 は 現 実 で あ り、 直 接 わ れ わ れ が そ れ を見 、 聞 き、 確 め た もの で あ る。 こ れ は 現 代 に 生 き る人 々 の 特 権 で あ る。 しか し そ れ を ど の よ う に解 釈 し、 評 価 す る か に つ い て は 、 確 め 得 た 実 事 の も と と な る 実 体 を把 え な け れ ば な らな い 。 変 化 は 急 激 に は起 らな い 。 実 体 は 急 激 に は そ の 姿 を あ らわ さ な い 。 実 体 が 見 え る ま で は 、 歴 史 的 な 時 間 が 必 要 で あ る。1

こ の 実 例 は枚 挙 に暇 な い 。 昭 和6年(1931)日 本 が 中 国 を侵 略 す る 発 端 と な っ た 満 州 事 変 は 、 中 国 人 が 日本 兵 を拉 致 した とい う もの で あ っ た 。 殆 どの 日本 人 は 、 日本 軍 の 軍 事 行 為 を 、 中 国 の 暴 虐 に 対 す る正 当 な 反 攻 と し て支 持 した 。 こ の 軍 事 行 為 が 謀 略 に よ る もの で あ っ た こ とは あ ま りに も有 名 で あ る。

家 永 教 科 書 訴 訟 は 、 国 家 に よ る教 科 書 検 定 の 違 法 をつ い た もの で あ る 。 こ こ に は有 名 な 「侵 略 」 表 現 が あ る。 家 永 三 郎 が そ の 執 筆 す る 日本 史 の教 科 書 で 、15年 戦 争 に お け る 日本 軍 の 出 兵 行 為 を 「 侵 略 」 と表 記 し た こ と に対 し、 国 家 権 力 をバ ッ ク に もつ 教 科 書 調 査 官 が 「 進 出 」 と書 き改 め させ た もの で あ る。 こ の 事 実 が ア ジ ア の 国 々 に報 じ られ る と、 強 硬 な 抗 議 が あ り、 文 部 省 は 国 の 責 任 に お い て 是 正 す る と言 わ ざ る を 得 な か っ た 。事 実 は、「進 攻 」が 余 りに も虚 構 で あ っ た か らで あ る。 この 後 も 「 侵 略 」 を 隠 敵 し、 日本 の 軍 事 行 為 を正 当化 し よ う とす る発 言 が 政 府 の 閣 僚 の 中 に しば しば 登 場 し、 大 臣 の 辞 任 、 罷 免 とな っ た こ と も有 名 で あ る。

学 校 の 授 業 に お い て 「進 攻 」 と教 わ っ た 時 代 の 子 ど も は 、15年 戦 争 に お け る 日本 軍 の 暴 虐 的 行 為 に大 き な 眼 を向 け な か っ た か も知 れ な い 。 「 侵 略 」の 表 記 で15年 戦 争 の 性 格 を 知 っ た 子 ど も

は 、 日本 軍 の 「 焼 き尽 し、 奪 い 尽 し、 殺 し尽 す 」 の 三 光 作 戦 の 意 味 を よ く理 解 した で あ ろ う。

僅 か の 歴 史 的 時 間 の 推 移 に お い て も事 実 の 評 価 は 変 り得 る 。

体 育 科 教 育 に お い て も、 こ の よ う な こ とが 起 り得 る で あ ろ う。 例 え ば 、 昭 和43年(1968)小 学校 学 習 指 導 要 領 の 体 育 科 の 目標 の 中 に 、 「・・ 体 力 の 向 上 を図 る」とい う表 現 が 登 場 す る と、 小 学 校 で 体 力 づ く りの 一 貫 と して 「 業 間体 操 」 が 流 行 す る。 授 業 間 の 休 憩 時 間 を利 用 して 一 斉 に

「体 力 づ く り」 を 目標 と した 運 動 が 行 わ れ 、 そ れ が 体 操 で あ っ た り、 ラ ン ニ ン グ で あ っ た りす るの で あ る 。 そ れ が 「体 力 づ く り」 に役 立 っ た か ど う か は 、 そ れ を経 験 した 時 代 の 子 ど も と、

未 経 験 の 子 ど もの 追 跡 調 査 を し な け れ ば分 ら な い で あ ろ うが 、 少 く と もそ の 流 行 が す た れ た と い う こ と は 、 「 業 間 体 操 」 の 体 力 づ く り効 果 に疑 問 が あ っ た こ と を 物 語 ろ う。

体 育 科 教 育 の 戦 後50年 を執 筆 す る に 当 り、 本 稿 の 論 述 は 、 そ れ が 未 だ 歴 史 的 経 過 の 時 日 が 浅 い こ と、 そ れ が 事 実 の 評 価 を 困 難 にす る と い う 限 界 を伝 え て お か な け れ ば な ら な い 。

II先 行 研 究 に つ い て

戦 後50年 は本 年 で あ るが 、 学 校 体 育 の 分 野 で 標 題 の よ う に、 戦 後 の 時 代 を ま とめ て の 歴 史 的

研 究 は 数 少 い 、 本 稿 は、 個 々 の 具 体 的 事 実 を積 み 上 げ 、 通 観 して 戦 後 の 体 育 科 教 育50年 の 軌 跡

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体 育 科教 育:工 藤

を辿 ろ う とす るが 、 い くつ か の 時 代 を見 通 した 先 行 研 究 に学 ぶ こ とが で き る。 そ れ らの 史料 の 概 要 を述 べ る。

1日 本 教 職 員 組 合 中 央 執 行 委 員 長 愼 枝 元 文 よ り、 文 部 大 臣 永 井 道 雄 な らび に 日本 体 育 協 会 会 長 河 野 謙 三 宛 の 「国 民 体 育 大 会 改 革 に 関 す る 申 入 書 」1975年(昭 和50年)6 月2日

日本 教 職 員 組 合(以 下 日教 組)が 、1973年 以 来3年 の 年 月 を か け て 、 国 民 体 育 大 会(以 下 国 体)の 民 主 的 な あ り方 を 求 め て 調 査 研 究 の 結 果 、 改 革 の 提 言 を した もの で あ る。 こ こ で 取 り上 げ られ て い る の は 、生 徒 が 中 学 時 代 か ら国 体 の 強 化 選 手 に な っ た り、特 定 高 校 入 学 の 条 件 と な っ た りす る こ と、 小 学 生 の 鼓 笛 隊 の 度 を 過 ぎ た練 習 、 マ ス ゲ ー ム練 習 の 為 に 正 規 の 体 育 時 間 が す べ て 振 り当 て ら れ とい う動 員 体 制 、 そ れ が 国 体 と い う錦 の 御 織 の 下 に行 わ れ る こ とへ の 批 判 で あ っ た 。 教 育 評 論(日 教 組 機 関 誌)'67年1月 号 に掲 載 さ れ て い る埼 玉 高 教 組 の 「体 育 白 書 歪 め られ て い る国 体 、 学 校 体 育 の 実 態 」は と く に こ れ らの 実 態 を 詳 細 に報 告 を して い る。(改 革 の 提 言 に つ い て は 省 略)

2日 教 組 中 央 執 行 委 員 長 槙 枝 元 文 よ り、 文 部 大 臣 砂 田 重 民 宛 の 「 要 望 書 」 昭 和 52年(1979年)12月12日

上 記1の 「申 入 書 」 の2年 後 に 行 っ た 国 体 問 題 に つ い て の 「要 望 書 」 で あ る。 日本 体 育 協 会 が 競 技 力 の 国 際 水 準 を維 持 す る為 と して 、 中 学 校 生 徒 の 対 外 試 合 を全 国 レベ ル に 拡 大 し よ う と す る こ と に反 対 を表 明 し、 高 校 生 の 国 体 競 技 へ の 「参 加 を廃 止 す る こ と」 を提 言 し た もの で あ る。 これ は 中 学 生 ・高 校 生 の ス ポ ー ッ 試 合 出 場 に よ る授 業 放 棄 、 ま た そ の 為 の 厳 し い練 習 に よ る体 力 ダ メ ー ジ を 問 題 に した もの で あ る。

文 部 省 が 昭 和23年(1948年)に 出 した 「 学 徒 の 対 外 試 合 に つ い て 」 の 通 達 は 学 徒 の対 外 試 合 が 、 学 校 体 育 の 一 環 と して 重 要 な 位 置 を 占 め る もの と され 、 中学 校 で は 宿 泊 を要 しな い小 範 囲 の もの と し、 校 内 競 技 を は る か に 重 要 な もの とす る よ う指 示 して い る。

そ の 後 、 この 「学 徒 の 対 外 試 合 に つ い て 」 の 通 達 は 、 昭 和24年 、29年(2回)、32年 、36年 、 44年 と5回 の 改 訂 が な さ れ 、 最 終 段 階 で は 中 学 校 の 対 外 競 技 の 行 わ れ る地 域 の 範 囲 が 都 道 府 県 内 に拡 大 さ れ 、 宿 泊 を 伴 な う こ と を必 然 と し乍 ら、 関 係 都 道 府 県 の 教 育 委 員 が 認 め れ ば 、 隣 接 都 道 府 県 程 度 に 範 囲 を拡 大 して も宜 しい 、 と変 更 され て きて い る 。 日教 組 の 「 要 望 書 」 は 、 こ の 拡 大 の 経 過 を問 題 に し た もの で あ る。

3伊 ケ 崎 暁 生 国 民 体 育 大 会 の 民 主 的 あ り方 を求 め て一一 一 健 全 な 国 民 ス ポ ー ツ の 振 興 に寄 与 す る 国 体 実 現 の た め に 労 働 旬 報 社 国 民 教 育24号(1975年 春 号)

伊 ケ 崎 は 日教 組 ・民 研 共 同 研 究 者 と して 、 日教 組 の 都 道 府 県 教 祖 の 支 援 も得 て 、 国 体 の ゆ が み に 言 及 、 青 少 年 ・国 民 の ス ポ ー ツ要 求 と国 体 ・ス ポ ー ツ 行 政 に つ い て分 析 し、 国体 の 民 主 的 あ り方 を求 め て い る。 伊 ケ 崎 は 、 昭 和40年(1965年)第20回 岐 阜 国 体 か らの 国 体 の 経 過 を見 通 し て 、国 体 が 学 校 教 育 、 また そ の 中 の 体 育 に と っ て 非 民 主 的 な 方 向 に進 ん で い る こ と を指 摘 した 。

4中 森 孜 郎 、 戦 後 学 校 体 育 の 歩 み 、 第 一 回 全 国 体 育 ・ス ポ ー ツ 総 合 研 究 集 会 報 告 集

一108一

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創大教 育研究第5号

(1970,10.10〜11)

中 森 は、 ポ ツ ダ ム 宣 言 受 諾(1945)後 の 戦 後 の 初 期 の 日本 の 体 育 が ・ 米 国 を 中 心 と した 占領 軍 の 管 理 政 策 に よ って 大 き く変 え られ た こ と を指 摘 す る 。 米 国 の 派 遣 した 教 育 使 節 団 は こ の役 割 を大 き く果 した 。 民 主 政 治 下 で 、 佃 人 の 価 値 と尊 厳 を 認 め る 自 由 主 義 的 な 教 育 理 念 の 下 に 、 戦 前 の 体 操 と武 道 を 中 心 と し た体 操 科 一 体 錬 科 は ・ ス ポ ー ツ 中 心 の 体 育 科 へ と啄 変 され た の で あ る。 しか しそ こ に は 、 日本 をア ジ ア の 共 産 主 義 浸 透 の 防波 堤 に す る と い う米 国 占領 政 策 の 枠 が あ り、 日本 の 体 育 指 導 の 中 心 的 指 導 者 も、 戦 前 の 日本 体 育 の 指 導 に か か わ っ て き参 こ とへ の 厳 しい 批 判 な しに 、 ひ た す らア メ リカ 体 育 の 吸 収 に とび つ く とい う弱 点 が あ っ た 。

サ ン フ ラ ン シ ス コ講 和 条 約(1953)に よ っ て米 国 の ア ジ ア 戦 略 の 一 端 を担 う こ と ζな っ た 日 本 は 独 占 資 本 主 義 の 復 活 と両 軍 備 へ の 始 動 を 始 め る こ と に な る。 す で に 第 二 次 教 育 使 節 団

(1950)は 反 共 政 策 の 方 向 を打 ち 出 して お り、 日本 政 府 は 次 々 と反 動 政 策 を うち 出 し・ 「 教 育 逆 コ ー ス 」 時 期 を迎 え る こ とに な る。 教 育 界 で は 、 こ の 反 動 政 策 に反 対 す る 諸 活 動 が1950年 代 か ら全 国 的 に盛 り上 る 。 体 育 で は 、 研 究 書 の 発 刊 、 研 究 団 体 の 結 成 の 運 動 が1956年 こ ろ か ら始 め られる.佐 々木 賢太郎r体 育の子穐 村禾ロ 夫 「 考える体育」の発刊・丹罫 呆夫 「 口 日 題解決学習」

の提唱、教育科学研究会(以 下教科研)「 身体 と教育」部会 の発足 「 か らだ作 り論」 、学校体育 研 究 同 志 会 の 「 運 動 文 化 論 」 な ど は こ う し た時 期 に主 張 さ れ る よ う に 奄 っ た 。

1960年 の 新 安 保 条 約 の 強 行 批 准 後 、 「人 づ く り政 策 」(池 田 首 相)の 下 で 体 育 の 振 興 政 策 が 進 め られ 、 ス ポ ー ツ振 興 法(1961)、 ス ポ ー ツ 少 年 団 組 織(1962)、 東 京 オ リ ン ピ ッ ク ・ス ポ ー ツ テ ス ト(1964)、 体 力 づ く り国 民 会 議 、 体 育 の 日(1966)な ど が 設 定 さ れ 、1968年 の 新 学 習 指 導 要 領 で は、 体 力 向 上 が 新 しい 目標 に掲 げ られ 、 現 場 の 教 師 は教 育 委 員 会 な ど の 管 理 の も と、 業 問 体 操 な ど を 通 して そ の 実 施 に奔 走 す る こ と とな る。

1970年 に は 日米 安 保 条 約 が 自動 延 長 され 、 日本 は積 極 的 に米 国 の ア ジ ア 極 東 政 策 に組 み 込 ま れ る こ とな る。 中森 は 、 体 育 に お い て 、 「 体 力 づ く り」 「 武 道 の 振 興 」 「集 団 行 動 の 徹 底 」な どの 非 民 主 的 政 策 が 推 し進 め ら れ で あ ろ う、 と し、 体 育 を再 び 軍 国 主 義 の 手 段 と しな い 為 に 、 民 主 体 育 を め ざ す 人 々 の 大 同 団 結 と、 創 造 的 実 践 と、 理 論 の 展 開 を 求 め て い る。

中 森 の 研 究 は 、 体 育 が 教 育 の 小 さ な 枠 内 で な く、 政 治 ・社 会 ・経 済 の 情 勢 と関 わ り、 そ の 中 で 改 変 さ られ て き た こ と を 如 実 に 示 して い る と言 え よ う。

5山 本 徳 郎 、 「体 育 ・ス ポ ー ツ の 歴 史 と1945年 」体 育 ・ス ポ ー ツ 評 論1985年 版 、 特 集 戦 後40 年 と体 育 ・ス ポ ー ツ 、 国 民 ス ポ ー ツ 研 究 所 ・不 昧 堂 出 版1985.12.5発 行

山 本 は、 ポ ツ ダ ム 宣 言 受 諾(1985,8.15)後 の 戦 後 初 期 の 体 育 の 改 変 を分 析 し、 そ れ が ア メ リ カ の 占 領 政 策 の 枠 組 み の 中 で 行 わ れ た に 拘 らず 、 体 育 分 野 で は ア メ リカ の 民 主 々 義 を無 条 件 、 無 批 判 に承 認 した こ と を実 証 す る。 ま た戦 後 体 育 の 理 論 的 中枢 と な っiW「学 校 体 育 指 導 要 綱(昭 和22年 、1947)」 が 、 戦 前 の 軍 国 主 義 体 育 と全 く断 絶 した もの と言 っ てgい か ど うか ㍉ 少 く と も 戦 前 体 育 の 中 心 的 指 導 者 が 委 員 とな っ て お り、 人 間 の 思 想 は 数 年 で 急 速 に 変 る もの で は な い か

ら、 こ の 委 員 会 の 民 主 化 が ど の程 度 の もの で あ っ た の か 、 と疑 問 を表 明 して い る。

6中 村 敏 雄 、 自分 史 の な か の 戦 後 教 育 ス ポ ー ツ評 論1945年 版 出版 社 は前 掲 と同 じ

中村 は 、1950年 代 の後 半 、 日本 の 学 校 教 育 の 中 で 大 き く取 り上 げ ら れ た グル ー プ 学 習 に つ い

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体 育 科 教 育:工 藤

て 、 体 育 分 野 に お け る 実 践 者 と して の 経 験 を述 べ る。 中村 は 、 教 師 の 立 て た 全 体 計 画 を 子 ど も た ち に移 す(い わ ゆ る 竹 之 下 方 式)で は な く、 学 習 の 全 体 計 画 を教 師 が 子 ど もた ち に批 判 さゼ 修 正 させ る とい う丹 下 方 式 を採 用 し、 生 徒 た ち が い か に学 習 活 動 に 自主 的 な 取 り組 み を見 せ た

か を例 証 す る。

丹 下 保 夫 は 「学 校 体 育 同 志 会 」(以 下 同 志 会)の 育 て の 親 で あ る が 、 中村 は や が て 丹 下 保 夫 に 直 接 師 事 し、 体 育 実 践 は 「運 動 文 化 の 継 承 と発 展 」を 自己 目的 とす べ きで あ る とい う研 究 グ ル ー プ を発 展 させ る。 同 志 会 の 活 動 は 、 学 習 指 導 要 領 の 批 判 グル ー プ と して 、 こ の 後 学 校 体 育 界 に 1つ の 勢 力 を築 く こ と に な る。 丹 下 は 「 生 活 体 育 」 を提 唱 し、 昭 和28年(1953)の 学 習 指 導 に そ の 理 念 が 具 現 さ れ るが 、 や が て 昭 和33年(1958)の 学 習 指 導 要 領 で 根 本 的 に 改 訂 され る。 丁 村 に よ っ て 戦 後 初 期 の 学 校 体 育 の 理 想 を伺 い 知 る こ とが で き る。

7本 稿 の立場

以 上6点 の 先 行 研 究 を か い つ ま ん で 紹 介 した が 、 中 森 孜 郎 の 「戦 後 学 校 体 育 の 歩 み 」 の 研 突 は 、 戦 後 約35年 の 学 校 体 育 の 情 勢 を 、 政 治 ・社 会 ・経 済 の 動 向 か ら把 握 し、 学 校 体 育 と錐 も時 代 の 政 治 的 趨 勢 か ら独 立 して 存 在 し得 な い こ と、 む しろ 体 制 側 が 学 校 体 育 の 理 想 、 目標 を 無 視 して 諮 意 的 に働 きか け て くる こ と を 示 唆 して い る。 本 稿 は 中 森 の 研 究 を継 続 して そ の 後 の15年 の体 育 科 教 育 の 変 遷 に つ い て 述 べ る と共 に 、 中森 の 叙 述 した 部 分 につ い て も、若 干 の 史料 の補 充 を 試 み る もの で あ る。

戦 後 の 体 育 科 教 育 を論 じ る と き、 体 育 界 の 情 勢 の み な らず 、 そ の 背 後 に あ る体 制 側 の 要 求 は 無 視 し得 な い 。 む しろ体 育 は体 制 の 枠 内 で 動 か させ られ て い る と言 っ て い い。 時 代 の趨 勢 との 関 連 の 中 で 体 育 科 教 育 の 戦 後50年 を論 じ る こ とが で きれ ば 幸 い で あ る。

III研 究 の 手 が か り

戦 後 の 体 育 科 教 育 は 、 敗 戦 に よ る戦 時 体 育 の 追 放 に始 ま り、2年 後 の ア メ リカ 式 体 育 を 受 け 入 れ た 「学 校 体 育 指 導 要 綱 」 を も と に して 展 開 さ れ た。 こ の 展 開 に学 習 指 導 要 領 が 大 き く作 用 して い る こ と は 論 を侯 た な い 。 学 習 指 導 要 領 は 、 昭 和24年(1949)の 試 案 発 表 以 来 、 小 学校 体 育 に関 して 、 昭 和28年 、33年 、43年 、52年 、 平 成 元 年(1989)と5回 の 改 訂 を行 っ て い る。 と

くに 昭 和33年(1958)、 指 導 要 領 が 文 部 省 告 示 とな り、 国 に よ っ て 、 法 的拘 束 力 を もつ もの と主 張 され て 以 来 、 指 導 要 領 を批 判 す る側 も、 そ の 存 在 を根 本 か ら否 定 す る力 を持 ち得 ず 、好 む と 好 ま ざ る に 拘 ら ず 、 指 導 要 領 の 枠 内 で 体 育 の 教 育 を行 わ ざ る を得 な か っ た。 よ っ て 戦 後50年 の 体 育科 教 育(小 学 校 を 主 と して)が い か に 展 開 さ れ た か を論 ず る場 合 、 そ れ が 指 導 要 領 を軸 と

した もの で あ る こ と を述 べ ざ る を得 な い 。

指 導 要 領 は、 時 の 社 会 の 情 勢 を 反 映 して 改 訂 さ れ る。 戦 後 の 日本 は 、 ア メ リカ の 世 界 戦 略 と 結 び つ き、 天 皇 制 を護 持 し、 独 占 資 本 の復 活 を果 し、 高 度 経 済 成 長 の 道 を進 み 、 自衛 隊 を膨 張

して世 界 第 三 の 軍 備 を持 たせ ・PKOの 形 で 海 外 派 兵 へ の 道 を 開 き・ 政 ・官 ・財 の 体 制 を強 化 セ 1 て 、 権 力 に よ りそ の 支 配 構 造 を確 立 し よ う と して い る。 こ れ らの 支 配 グル ー プ が 、真 に国 民 の 主 権 を尊 重 し、 そ の 平 和 と幸 福 に 寄 与 し よ う と して い るか は 疑 わ しい。 近 年 と くにそ の疑 念 を 裏 づ け る事 実 が 社 会 の 大 きな 事 象 と して あ らわ れ て い る 。 国 民 の 健 康 を守 る べ き厚 生 省 の 薬 害

一lIO一

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創 大教育研 究第5号

エ イ ズ へ の 対 応 及 び そ の 資 料 隠 し、 大 蔵 省 の 住 専 問 題 処 理 案 に み られ る省 の 責 任 不 在 と天 下 り 官 僚 の 擁 護 、 国 会 で の 偽 証 、 そ れ を 受 け て の 関 係 者 の 退 職 金 等 の 喰 い 逃 げ 取 得 、 そ して 沖 縄 県 民 の 人 権 を無 視 して の 米 軍 基 地 の 温 存 等 で あ る。 時 の 教 育 が 政 治 か ら独 立 し得 ず 、 時 の 支 配 グ ル ー プ の 政 治 の 方 向 へ 寄 与 す る よ う に導 か れ る こ とは 、 戦 前 の 天 皇 制 国 家 に み る まで もな く、

歴 史 の 示 す 所 で あ る。

昭 和62年(1987)12月 の 教 育 課 程 審 議 会 の 答 申(小 ・中 ・高 の教 育 課 程 基 準 ρ 改 善 に つ い て) の 前 文 に 、 「 教 育 基 本 法 及 び 学 校 教 育 法 に 定 め る教 育 の 目的 と 目標 に沿 い … 」と述 べ る が 、 教 育 基 本 法 に お け る平 和 と国 民 主 権 に は 言 及 せ ず 「次 代 を 担 う心 身 と も に健 康 な 国 民 の 育 成 」 と視 点 を そ らす 。 そ もそ も教 育 課 程 及 び そ れ に基 づ い て 学 習 指 導 要 領 を 決 め る人 た ち の 手 が 、 責 任 逃 れ 、 資 料 隠 蔽 、 不 正 な 蓄 財 、 疑 わ しい 金 銭 の 授 受 、 虚 偽 の 発 言 な ど の グ ル ー プ か ち選 ば れ て 汚 れ て い る た め か 、 そ の よ う な 社 会 の 改 革 に 一 言 も触 れ な い 。 心 身 共...一 健 全 な 国 民 め 育 成 を 説 くな らば 、 そ れ は 誰 の た め 、 ど ん な 国 民 の 育 成 か が 疑 わ れ る。 新 学 習 指 導 要 領 に っ̀・て 、 地 方 自治 体 か らの 再 考 、 撤 廃 の 動 きが 見 ら れ る所 以 で あ る 。

そ の 指 導 要 領 に よ る体 育 科 教 育 の 展 開 に は2つ の 現 実 が あ る。指 導 要 領 を そ の ま ま受 け と め 、 その 方 向 で 子 ど も た ち の 教 育 に 当 た ろ う とす る現 実 と、 指 導 要 領 の 矛 盾 を 追 求 し、 子 ど も た ち の 心 身 の 発 達 、 運 動 要 求 、 健 康 に 寄 与 し よ う とす る現 実 で あ る。 前 者 は 指 導 書 の 執 筆 者 、 指 導 要 領 の 解 説 者 、 指 導 要 領 に 沿 っ て の 実 践 報 告 者 な ど多 数 で あ り、 大 勢 で あ る 。 後 者 は 指 導 要 領 に疑 い を も ち 、 批 判 し、 改 革 を求 め な が らの 少 数 の 実 践 者 で あ る。 体 育 科 教 育 の50年 を論 ず る と き、 後 者 の 立 場 を 理 解 し、 指 導 要 領 の 表 の み な らず 裏 を 見 な が ら、 戦 後50年 の 姿 を み る こ と が 、 そ の 全 貌 を 明 らか に し得 る もの と考 え る。 本 論 が ア ンチ 指 導 要 領 を手 が か り と して 述 べ ら れ る所 以 で あ る。

IV本 論

1戦 後 体 育 へ の 切 換 え

昭 和20年(1945)8月15日 、 日本 は ポ ッ ダ ム 宣 言 を受 諾 し連 合 国 に 無 条 件 降 伏 を す る 。 これ に よ っ て 昭 和16年(1941)12月8日 、 日本 が 米 国 及 び 英 国 に戦 争 を 宣 言 し攻 撃 した 太 平 洋 は 終 ・ 結 した 。 同 時 に1昭和6年(1931)年 、FI本 が 謀 略 に よ っ て 中 国 に 出 兵 し た満 州 事 変 以 来 の15年 戦 争 の 終 結 を み た の で あ る。

敗 戦 の 日以 来 、 日本 は米 国 を主 体 とす る連 合 国 の 管 理 下 に置 か れ るが 、 教 育 に 関 し て ま ず や ら な け れ ば な ら な い こ と は、 戦 時 教 育 体 制 を終 止 させ る こ と で あ っ た 。,20年(1945)8月16日 の 学 徒 勤 労 動 員 の 解 除 以 来 、 軍 国 主 義 的 教 材 の 禁 止(9月20日)、 復 員 牽 徒 の 復 学 ・ 卒 業 の 措 置 な どの 一 連 の 措 置 が 取 られ 、 同 時 に 文 部 省 は20年9月i5.n、 自 ら 「新 巨本 建 設 の 教 育 方 針 」 を 発 表 す る。 す な わ ち、 「国 家 主 義 、 軍 国 主 義 的 思 想 及 び 教 育 施 設 の 排 除 」 「文 化 国 家 、 平 和 国 家 の 建 設 」 「 科 学 的 思 想 力 の 養 成 」 「 平 和 愛 好 」、を う ち 出 した もの で あ っ だ 。

連 綱 最 高 司 令 離 、10月;22日 、 日本1髄 以 来2ケ 朋 「日本 教 醐 度 に 関 す る管 理 政 策 」 ・ を覚 書 と して 日本 政 府 に 示 す 。 「 軍 国 主 義1国 家 主 義 の 、上 か らお しつ け る教 育 で な い 公 民 教 育 をす る こ と」 で あ り、(1)教 科 内 容(2>・ 教 育機 関 の 教 育 者(3)教 科 目、 教 科 書 、 教 材 等 の 事 項 か ら な っ て い た。

体 育 は 戦 時 教 育 に 直 接 関 わ る部 分 が 多 くま た 重 要 な 位 置 を 占 め て い た 。20年10月3日 、 銃 剣

道 、 教 練 の 禁 止 、11月6日 「 終 戦 に 伴 う体 錬 科 教 授 要 項(目)取 扱 に 関 す る件 」(発 体80号)の

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体 育 科 教 育:工 藤

通 牒 に よ る 軍 事 的 色 彩 の教 材 の 削 除 、 武 道(剣 道 、 柔 道 、 薙 刀 、 弓 道)の 中 止 、21年(1946) 8月 「秩 序 、 行 進 、 徒 手 体 操 実 施 に 関 す る 件 」 の 通 達 に よ る軍 隊 的 傾 向 の廃 止 で あ る。

敗 戦 の 年20年 は戦 時 的 色 彩 の 払 拭 に最 大 の 努 力 が 払 わ れ た が 、 食 糧 事 情 の 悪 化 は 、 体 を 動f して 体 育 ・ス ポ ー ツ をす る状 況 で は な く、 同 時 に 新 しい体 育 の 方 向 を探 りか ね て い た 。

戦 後 の 新 しい体 育 の 動 向 を打 ち 出 した の は 昭 和22年(1947)6月22日 の 「学 校 体 育 指 導 要 綱 で あ る。 昭 和21年9月 、 文 部 省 に 設 置 され た 学 校 体 育研 究 委 員 会 の 作 成 した もの を採 り入 れ 犬

もの で あ る。 こ こ に至 る ま で 若 干 の 伏 線 が あ る。

占領 軍 は 日本 の 教 育 の あ り方 を 示 す た め 、米 国 か ら教 育 使 節 団 を招 い て お り、そ の 報 告 書(日i 和21年 く1946>3月31日)に 示 され て い る事 項 が こ の 要 綱 の 基 礎 に な っ て い る の で あ る。 「 教 躊1 の 最 善 の 能 力 は、 自 由 の 空 気 の 中 に お い て の み 十 分 に現 わ さ れ る」、 「子 ど もの 持 つ 測 り知 れf い 資 質 は、 自 由主 義 と い う 日光 の も と に お い て の み 、豊 か な実 を結 ぶ もの で あ る」 と述べ 「B 主 政 治 下 の 教 育 制 度 は個 人 の 価 値 と尊 厳 を認 め る こ とが 基 に な るで あ ろ う」 と個 人 主 義 的 自 巨 主 義 の 教 育 理 念 を う ち 出 し、 カ リキ ュ ラ ム の 考 え 方 も 「まず 生 徒 の 興 味 か ら 出 発 して … … そQ 興 味 を拡 大 充 実 す る もの で な け れ ば な らな い 」 と して い る。 体 育 に つ い て は 「 身 体 を強 壮 に し

調 整 し、身 体 技 術 を教 授 す る他 に 、ス ポ ー ツ マ ン シ ップ と協 力 の 精 神 とが 有 す る固 有 の 価 値 を、

学 校 は認 識 す べ きで あ る」 と説 い て い る。 文 部 省 は この 報 告 書 の 直 後 、 昭 和21年(1946)5長 に 出 した 「新 教 育 指 針 」で 、 「 戦 争 は終 わ っ た。 だ か ら戦 争 を 目 あ て と して 行 わ れ た 教 育 は 無 月 と な っ た 」 と平 和 国 家 、 文 化 国 家 建 設 をめ ざ す 体 育 を唱 え 「取 り除 れ た体 育 の 諸種 目(柔 ・萸 道 等)に 代 るべ き もの と して 、 新 に取 り入 れ よ う とす る 場 合 に は 何 よ り もス ポ ー ツ が よ い 」 と し、 指 導 法 につ い て も 「 個 性 に適 応 す る よ う に 改 め るた め に は 、 一 斉 指,・の 代 りに個 別 指 導 、 あ る い は 班 別 指 導 の 形 式 を もっ て す る こ と に な る わ け で あ る」 と示 して い る。

こ の よ う に教 育 使 節 団 報 告 書 の趣 旨 を汲 み と な りな が ら、 当時 来 朝 して い た コ ッ ク ス 博 士 ペ ア メ リカ の 指 導 者 の 協 力 と示 唆 を 受 け な が ら、 戦 後 の 新 しい体 育 の 方 向 が 打 ち 出 さ れ た の で 芝 る 。

要 綱 の 特 色 と して つ ぎの こ とが あ げ られ るb.

① 教 科 の 名 称 を体 操 科 → 体 育 科 に 改 め た こ と

② 従 来 の 教 授 要 目(学 校 体 操 教 授 要 目)時 代 の 強 制 的 な性 格 を取 り除 き、 指 導 者 の 基 本 向f 指 針 と し、 創 意 工 夫 を 重 ん じた こ と

③ 体 育 と は何 か 、 の 概 念 規 定 を した こ と

④ 児 童 生 徒 の 発 達 段 階 を 重 視 した こ と

⑤ 社 会 的 性 格 の 育 成 と、 レ ク リエ ー シ ョン と して の ス ポ ー ッ を強 調 、 児 童 中 心 の 立 場 か ら 教 材 選 択 を 試 み て い る こ と

⑥ 健 康 教 育 の 重 視

⑦ 小 ・中 ・高 ・大 学 と一 貫 性 を も たせ た こ と

⑧ 考 査 、 測 定 を う ち 出 し た こ と

⑨ 女 子 体 育 の特 性 に考 慮 を払 っ た こ と

以 上 は 従 来 の 体 操 科 に較 べ 、 と くに体 錬 科 体 操 の 狂 気 な 指 導 方 針 に較 べ て 科 学 的 で あ っ た 。 しか し要 綱 の 採 択 に 問 題 が な か っ た わ けで は な い 。

第 一 に 、山 本5)の指 摘 す る よ う に 、戦 時 体 育 の 中 心 的 指 導 者 が そ の ま ま横 す べ りを して作 成 に か か わ っ た こ と、 冷 静 に体 育 の 本 質 を見 通 した の で は な く、 ア メ リカ 式 体 育 に あ ま りに も迎a

した の で は な い か 、 とい う こ と で あ る。 例 え ば根 本 的 な 体 育 の 目的 を、 健 全 で 有 能 な 身 体 の 育

一112一

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創大教育研究第5号

成 ・ 身 体 活 動 の 価 値 の 認 識 ・ 社 会 生 活 に お け る 各 自の 責 任 を 自覚 させ る こ と、 とす る が 、体 育 とい う運 動 と社 会 的 責 任 の 結 び つ き が あ ま りに も急 突 で あ っ た 。 、7

第 二 に 、 児 童 中 心 主 義 の 教 育 理 念 か ら、 子 ど もの 興 味 を 出 発 点 と した ス ポ ー ッ 、 遊 戯 を採 り 入 れ た た め 、 教 師 が 子 ど もた ち に振 り ま わ され 、 ス ポ ー ッ=遊 び が あ っ て教 育 が な い 、 とい う 混 乱 を 現 場 の 教 師 に もた ら した 。(中森 孜 郎 の 指 摘)兎 も角 、体 育 は 民 主 的 な 衣 を つ け て登 場 し、

戦 後 の 体 育 が 始 ま るの で あ る 。

2戦 後 体 育 科 教 育 の概 観 そ の1(1945〜1975)

1)戦 後 体 育 科 教 育 の2区 分 に つ い て

戦 後 の 体 育 科 教 育 を2つ の 時 代 に 分 け て 概 括 的 に 検 討 す る こ と に す る。 昭 和20年 〜50年 (1945〜75)の 前 半 の30年 と、 昭 和50年 か ら平 成7年(1975〜95)の 後 半 の20年 の2区 分 で あ る。 前 半 の30年 を ひ と区切 り と した の は 学 習 指 導 要 領 に お け る体 育 の 目標 が 、 昭 和52年 の 指 導 要 領 で 、「楽 し く明 る い 生 活 を営 む 態 度 を 育 て る」と い う従 来 に な い概 念 を導 入 した こ とに よ る。

生 涯 生 活 を見 通 して 立 て られ た こ の 体 育 科 目標 が 、 こ こ か らの 体 育 を ど う変 え た の か を検 討 す る必 要 が あ る、 と思 わ れ る か らで あ る。

2)戦 後 の民主教 育の限界

戦 後 出 発 した 新 しい 体 育 は 、ア メ リカ の 指 導 の も と、ア メ リカ体 育 の 影 響 を受 け て 出 発 した 。 ア メ リカ は 日本 の 教 育 の 非 軍 事 化 、 民 主 化 政 策 を図 っ た が 、 そ れ は 日本 を ア ジ ア に お け る 、 ア メ リカ に とっ て都 合 の い い 忠 実 な 同 盟 者 と して 再 建 す る と い う 目的 の 枠 内 で 行 わ れ た こ とで あ る。(1945年9月22日 「降 服 後 二 於 ケ ル 米 国 ノ 初 期 ノ 対 日 方 針 」 参 照)一 方 、 占領 政 策 の 下 で 、 ア メ リカ 方 式 を す べ て 受 け 入 れ た 日本 の 支 配 層 は 、 そ の 引 き換 え に 「国 体 護 持 」 を か ち と り、

そ こ に 資 本 の 再 興 を狙 っ て い た の で あ る。

3)生 活 体 育 の 試 み

昭 和22年(1947)、 ア メ リカ 式 民 主 主 義 を取 り入 れ 、 学 校 体 育 指 導 要 綱 の も とで 出 発 した 「新 体 育 」 は、 昭 和24年(1947)の 「学 習指 導 要 領 小 学 校 体 育 科 編(試 案)」 に み られ る よ う に 、 従 来 の 技 能 体 系 を主 とす る考 え 方 で な く、 子 ど もの 生 活 現 実 や 、 発 達 ・興 味 ・関 心 を主 眼 に お い た もの で あ っ た。 こ こ か ら「正 課 と 自 由時 の 融 合 す る体 育 的 な 場 を学 校 生 活 の 場 に機 能 し」 「 体 育 に よ る学 校 の 生 活 化 及 び 社 会 化 を 目指 す 」 と い う児 童 中 心 主 義 の 「 生 活 体 育 」 の 提 唱 が 生 れ た 。 丹 下 保 夫6)を 中 心 とす る グ ル ー プ に よ る もの で あ っ た 。

しか しそ こ に は 、 体 育 の 本 来 的 な任 務 で あ る 「身 体 発 達 、 運 動 技 能 」 へ の ア プ ロ ー チ の 弱 さ

や 、 児 童 中 心 と い う名 の も との 自 由放 任 主 義 、 教 師 の 指 導 性 放 棄 とい う弱 点 を残 して い た 。 昭

和28年(1953)の 学 習 指 導 要 領 改 訂 版 は 、 学 校 現 場 の 具 体 的 問題 解 決 が 図 られ る よ う、 体 育 の

目的 、 目標 、 内 容 、 方 法 の 一 貫 性 を追 求 し、 学 習 形 態 を モ デ ル 化 した が 「 教 科 と して の 体 育 の

根 本 方 針 は 変 わ っ て い な い」「身 体 活 動 の 能 力 を もつ こ とが 体 育 の 窮 極 の 目的 で は な く、そ の 能

力 を ど う使 う か 、 ど う役 立 て るか が 大 切 」 とい うプ ラ グ マ テ ィズ ム で 、 生 活 の 場 を 重 視 す る立

場 を と って い た 。 しか し「生 活 体 育 」を根 本 的 に受 け 入 れ る 土 壌 は 当 時 の 教 育 の 場 に存 在 し難 っ

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体 育 科 教 育:工 藤

た の で あ る 。

4)朝 鮮 戦 争 と教 育 の 逆 コ ー ス

昭 和25年(1950)朝 鮮 戦 争 が 勃 発 す る。 そ れ よ り1年 前1949年 、 中 華 人 民 共 和 国 の 成 立 を み て い た が 、 ア ジ ア が 共 産 主 義 化 す る の に 危 機 感 を覚 え て い た ア メ リカ が 朝 鮮 戦 争 に参 加 した の で あ る。 ア メ リカ の 対 日政 策 は 、1948年1月 、 ロ イヤ ル 米 陸 軍 長 官 の 言 明 の よ う に 「日本 を反 共 の 砦 」 とす る、 とい う もの で あ っ た 。 こ の 前 後 か ら政 府 と 占領 権 力 に よ る民 主 勢 力 へ の 弾 圧 は 厳 し くな り、イ ー ル ズ 演 説7)に 呼 応 す る文 相 の 共 産 主 義 教 授 不 適 言 明 、 レ ッ ドパ ー ジ、在 日朝 鮮 人 学 校 の 閉 鎖 と続 き、 折 し も来 日 した 第 二 次 米 国 教 育使 節 団 は 、 そ の 報 告 書 に お い て反 共 政 策 を明 確 に 打 ち 出 し、 文 部 省 は 「日の 丸 」 「 君 ケ 代 」通 達 を 出 す 。1951年 、 朝 鮮 戦 争 の 停 戦 中 に 結 ば れ た サ ン フ ラ ン シ ス コ講 和 条 約 は 、 太 平 洋 戦 の相 手 国 で あ る ソ ビエ トや 、 中 国 を欠 い た 講 和 条 約 で あ り、 同 時 に締 結 され た 日米 安 全 保 障 条 約 や 在 日米 軍 の 地 位 に 関 す る行 政 協 定 は 、 日 本 を対 米 従 属 の 同 盟 国 に す る代 り に、 「国 体 護 持 」 な らび に独 占資 本 の 復 活 を 目指 した もの で あ っ た 。 教 育 の 逆 コ ー ス 化 は 一 層 強 化 さ れ 、 旭 丘 中 学 事 件(1953年)、 教 育 の 政 治 的 中立 確 保 に 関 す る二 法 成 立(1954年)、 教 育 委 員 任 命 制 化(1956年)、 教 師 の 勤 務 評 定 の 実 施(1958年)、 学 習 指 導 要 領 の 文 部 省 告 示 と して の 改 訂(1958)、 「道 徳 」 の特 設 と い う よ う に 教 育 に 対 す る国 家 規 制 の 手 が 相 次 い で 打 た れ 強 化 され た 。

5)昭 和33年(1958)の 学 習 指 導 要 領 の 改 訂 と体 育

改 訂 さ れ た58年 の 学 習 指 導 要 領 は 、53年 の 指:=要 領 が 体 育 の 目標 と して掲 げ た 「民 主 的 態 度 」

「自主 的 態 度 」 「他 人 の権 利 の 尊 重 」 「 規 制 を つ く り、 改 善 す る こ と」 を継 承 せ ず 、 逆 に 「 組 織 集 団 の 一 員 」 と して の 協 力 、 役 割 分 担 、 責 任 の 遂 行 を強 調 し、 「正 当 な権 威 に 従 う」 「礼 儀 を重 ん ず る 」 こ と を示 し、 か つ て の 民 主 的 人 間 像 の 目標 を後 退 させ 、 こ のll寺 期 の 政 治 的 要 求 に迎 合 す る もの と な っ て い た 。 こ の 新 指 導 要 領 に つ い て 、2年 後1960年 に 発 行 され た 文 部 省 編 「巾 学 校 保 健 体 育 指 導 害 」 に よれ ば 、 文 部 省 は 、 体 育 の 目標 は 社 会 性 や レ ク リエ ー シ ョ ン性 で は な く

「身 体 的 目標 を 第 一 義 とす る」 と して お り、 教 科 と して の 体 育 が 、 身体 の 鍛 練 と道 徳 教 育 の 場 と して 位 置 づ け られ た こ と を示 す もの で あ っ た 。(高津 勝 、国 民 運 動 文 化 の 創 造 、大 修 館 書 店 、 76ペ ー ジ)

6)体 育の国家規制強化 に反対す る動向

1958年 の 指 導 要 領 が 、 政 府 の 反 動 文 教 政 策 と深 くか か わ っ て い た と の 批 判 が 、 民 間 の 研 究 団 体 で あ る学 校 体 育 研 究 同 志 会 、 教 育 科 学 研 究 会(教 科 研 〉 の 「身 体 と教 育 部 会 」 か ら出 され た 。 前 者 代 表 の 丹 下 保 夫 は 、 新 指 導 要 領 の 、 既 存 の 運 動 財 を 至 上 の もの と して技 能 と体 力 の 養 成 を 第 一 とす る傾 向 や 国 家 的 基 準 を 強 く批 判 し 「実 質 的 に は 戦 後 民 主 体 育 の 否 定 で あ る」 と断 じた 。

また 後 者 の 理 念 的 指 導 者 で あ る城 丸 章 夫 は 、 「ス ポ ー ツ 主 義 とお しつ け 主 義 」 と特 徴 づ け、 「身 体 づ く り」 を設 け た こ と を評 価 しつ つ も 「子 ど もを 知 ら な い 指 導 要 領 」 と批 判 した。 そ れ はつ ま り、 子 ど もの 内 か らの 認 識 ・意 欲 ・意 識 を 育 て よ う と しな い 体 育 で あ っ た 。 これ らの 団体 、 と くに体 育 同 志 会 は 、 体 育 の 問 題 の み な らず 勤 評 や 学 力 テ ス ト、 国 家 基 準 の 教 育 課 程 政 策 との 対 決 に精 力 を 削 が れ る こ と に な っ た 。

一一一114一

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創大教 育研 究第5号

7)1960年 の 日米 新 安 保 条 約 の 成 立 、 高 度 経 済 成 長 政 策 に お け る体 育

こ の 時 代 は 、 池 田 首 相 の 「人 づ く り政 策 」 が 唱 導 され 、 教 育 に大 き な 変 化 を も た ら した 。 そ れ は 、 産 業 の再 編 成 ・近 代 化 に見 合 う労 働 力 を再 編 成 す る た め の 人 づ く り政 策 、 そ の 計 画 的 養 成 で あ っ た 。1962年 度 に 出 さ れ た 文 部 省 の 「 教 育 投 資 論 」 は 、 資 本 の 論 理 に教 育 を屈 服 させ よ

う と した もの で あ り、 もは や 逆 コ ー ス な ど と云 うべ く もな い こ とで あ っ た 。

文 部 省 は こ の 「 人 づ く り政 策 」 の 進 行 に 呼 応 す る た め 、 「ス ポ ー ツ振 興 法 」(1961)、 「ス ポ ー ツ少 年 団 結 成 」(1962)、 「東 京 オ リ ン ピ ッ ク 」(1964)、 ス ポ ー ツ テ ス ト(1964)、 「体 力 づ く り国 民 会 議 」(1965)「 体 育 の 日」(1965)な ど一 連 の 政 策 を進 行 し た。 そ の 帰 結 と して 、1968年 の 新 学 習 指 導 要 領 に 「 体 力 の 向 上 」 が 体 育 科 の 目標 と して盛 りこ まれ る こ とに な る。

8)昭 和43年(1968)の 指 導 要 領 に登 場 す る体 力 づ く り

指 導 要 領 に 初 め て 「体 力 」 の こ とば が 登 場 す る が 、 こ れ は指 導 要 領 に登 場 す るが 故 に重 い 意 味 を も っ て い た。 何 故 な らば 、 教 育 委 員 会 、 指 導 主 事 等 を通 して キ ャ ンペ ー ン が 行 わ れ 、 研 究 指 定 校 、 協 力校 な どの 施 策 が す す め られ 、 批 判 以 前 に 「 体 力づ く り」 が 前 提 と存 在 し、 そ れ を い か に す す め る か と い う方 法 論 に 突 入 す る こ と に な るか ら で あ る。 そ こ に は提 起 され た 「体 力 づ く り」 そ の もの を根 本 か ら問 い 直 す こ と は過 去 の こ とに な っ て 了 う の で あ る。 指 導 要 領 は っ

ぎの よ う に示 す 。

体 育 科 の 目標

適 切 な 運 動 の 経 験 や 心 身 の 健 康 に つ い て の 理 解 を 通 して 、 健 康 の 増 進 と体 力 の 向 上 を図 る と と も に、 健 康 で 安 全 な 生 活 を営 む 態 度 を育 て る。

「体 力 」 の 伏 線 は1956年 に 遡 る。 戦 後 始 め て1952年 の ヘ ル シ ン キ オ リ ン ピ ッ ク に 出 場 、 続 い て つ ぎの ロ ー マ オ リ ン ピ ッ ク に 出 場 した 日本 は 、 外 国 人 と の体 力 の 差 を ま ざ ま ざ と感 じ させ ら れ た 。 体 協 が 「 体 力 づ く り」 を 唱 え だ し、 サ ー キ ッ ト トレ ー ニ ン グ 、 ウエ イ ト トレー ニ ン グ な どが 運 動 選 手 の 間 に 行 わ れ る よ う に な る。ア メ リカ の ケ ネ デ ィ大 統 領 は 、ク ラ ウ ス ・ウ ェ ー バ ー テ ス ト8)で自 国 の 若 者 の 体 力 が ヨ ー一ロ ッパ の 国 々 に 比 較 して 著 しい 差 が あ る こ と を知 り、1956 年 に、 大 統 領 直 属 の 諮 問 機 関 と して 「 体 力 委 員 会 」(FitnessConference)を 設 け た が 、 た ま た ま 渡 米 して い た 日本 の 有 力 な政 治 家 、 体 協会 長 で あ る河 野 一 郎 が そ の ア イ デ ィ ア を持 ち 帰 っ た こ とな ど に よ る もの で あ るが 、 そ れ は 当 時 、 企 業 側 が 高 度 経 済 を 目指 して 、 生 産 性 の 高 い 労 働 力 を欲 して い た こ と とマ ッチ した もの で あ る。1964年 の 東 京 オ リン ピ ッ ク で 、 日本 の 成 績 が 思 わ し くな か っ た こ と も 「体 力 」 キ ャ ン ペ ー ン に 力 を与 え た 。64年12月 の 閣 議 決 定 で あ る 「国 民 の 健 康 ・体 力 増 強 対 策 」 の 基 本 方 針 の 中 に 「 我 が 国 民 の 健 康 ・体 力 は年 を 追 っ て 改 善 の 方 向 に 向 っ て い る が 、 諸 外 国 の 水 準 に 比 べ る と、 な お 立 ち お くれ が 痛 感 さ れ る。 国 民 す べ て が 健 康 を 楽 しみ 、 ひ い て は労 働 の 生 産 性 を高 め 、 経 済 発 展 の 原 動 力 を培 い 、 国 際 社 会 に お け る 日本 の 躍 進 の 礎 を築 くた め 、 健 康 の 増 進 、 体 力 の 増 強 に つ い て 国 民 の 自覚 を 高 め 、 そ の 積 極 的 な 実 践 を 図 る 必 要 が あ る」(ア ン ダ ー ラ イ ン 筆 者)と あ る が 、 体 力 キ ャ ンペ ー ンの 実 質 が 、 経 済 界 の 要 請 に よ り強 く応 え た もの で あ る こ とが 知 られ よ う。

こ の68年 の 指 導 要 領 を契 機 と して 、 「 体 力 づ く り」 ま た そ れ をね らい と した 「業 間 体 操 」が 学

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体 育 科 教 育:工 藤

校 の 体 育 科 教 育 の 現 場 で 大 きな 比 重 を 占 め る こ とに な る。 体 育 の 研 究 会 一 と くに 日教 組 の 全 国 研 究 集 会 な どで 体 力 問題 は必 須 の 課 題 とな っ て登 場 す る。 しか し体 力づ く り に は い ろ い ろ な 問 題 が あ る。 中 高 生 に お け る受 験 勉 強 の た め の 睡 眠 不 足 な どそ の 一 例 で あ る。 体 力づ く りを し た 結 果 、 運 動 技 術 の 向 上 が お くれ た 、 下 手 な体 力づ く り は体 を こ わ す 、 体 力 づ く り を して も病 気 は 減 っ て い な い 、 そ の 上 、 子 ど も の 自 主 性 、 自主 的 な 思 考 を 妨 げ た 、 な どで あ る 。 こ の 問 題 は 改 め て 「V考 察 の 部 」 で と りあ げ る こ と に す る。

3戦 後 体 育 科 教 育 の 概 観 そ の2(1975〜1995)

1)昭 和52年(1977>の 学 習 指 導 要 領 改 訂 の 背 景

学 習 指 導 要 領 は お よ そ10年 を 単位 に 改 訂 され て い る。 昭 和24年(1949)の 小 学 校 学 習 指 導 要 催 体 育 科 編(試 案)の 発 表 、 中 聞 に 昭 和28年 の 改 訂 が 戦 後 の 社 会 の 落 ち着 き と共 に み られ は した

が 、24年 の 試 案 発 表 後 約10年 を経 て 、 文 部 省 告 示 と して 法 的 規 制 を 強 め た 昭 和33年(1958)の 麟 訂 が あ り、 高 度 経 済 成 長 の 時 期 に呼 応 し、 経 済 界 の 要 請 に応 え 、 日本 経 済 を支 え る 「人づ く り 政 策 」 を ね ら い と した 昭 和43年(1968)の 改 訂 、 そ して そ の 後 約10年 の 昭 和52年 の 改 訂 で あ る。

前 回43年(1968)の 改 訂 は1963年 の 「 経 済 審 議 会 」 の 要 請 を受 け て構 成 さ れ た もの で あ っ 大 が 、 あ ま り に も過 重 な 要 求 の た め 、 学 習 内 容 が 多 く雑 多 と な り、 しか も子 ど もの 認 識 の 発 達}⊂

そ ぐわ な い 内 容 で あ る た め 、 学 習 に つ い て 行 け な い 子 ど もが2/3も で て い る(日 本 教 職 員 組 合 日本 の 教 育 、1974、236ペ ー ジ)、 で き る子 、 で き な い 子 の 差 別 、 選 別 の た め ・ 過 重 な 競 争 意 瀞 を生 じ、 で き な い 子 は コ ンプ レ ッ ク ス か ら 自殺 す る な ど、 子 ど もの 心 身 の 正 常 な 発 達 を妨 げ そ よ う事 態 が 生 じて い る こ と を指 摘 さ れ て い た もの で あ る。

昭 和52年 の 改 訂 は 、 前 年51年 の 教 育 課 程 審 議 会 の 答 申 を受 け 、 従 来 の 知 育 偏 重 に陥 ち 入 っ 犬 弊 を 改 め 、 徳 育 ・体 育 を 重 視 し、 調 和 の とれ た 人 間 づ く りを す る、 学 校 生 活 を ゆ と りの あ る{

の に す る と い う も の で あ っ た 。 こ れ は 、 過 重 な 負 担 に あ え い だ 学 校 教 育 の 転 換 を は か りつ つ 、 国 家 に 有 能 な 人 材 を育 成 す る と い う もの で あ っ た が 、 教 育 基 本 法 の 教 育 の 目的 で あ る、 民 主 向 平 和 的 な 国 民 社 会 の 形 成 者 た る 人格 をつ く る、 とい う こ と は異 な っ て 、 国 家 の も と で の 人 材 ノ

く り を前 面 に お し 出 した もの で あ っ た 。

2)指 導 要 領 に あ らわ れ る 「楽 し く明 る い体 育 」

指 導 要 領 に よ る と体 育 科 の 目標 は つ ぎの よ う に示 され て い る。

小 学 校 学 習 指 ≡ 導 要 領 文 部 省 昭 和52年7月23日 (文 部 省 告 示 第268号)

第8節 体 育

第1目 標

適 切 な 運 動 の 経 験 を 通 し て 運 動 に親 しませ る と と も に、 身 近 な 生 活 に お け る健 康 ・安 全 に ・ い て 理 解 させ 、 健 康 の 増 進 及 び 体 力 の 向 上 を 図 り、 楽 し く明 る い 生 活 を営 む 態 度 を 育 て る。

第2各 学 年 の 目標 及 び 内 容 省 略

こ こ で の 「 楽 し く明 る い 生 活 を営 む 態 度 を育 て る」 と は 、 文 脈 上 、 体 育 の 終 局 の ね らい を1

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