20 世紀における J.S. バッハ 《マルコ受難曲》
BWV247 の復元・補完の歴史
著者 加藤 拓未
雑誌名 明治学院大学キリスト教研究所紀要 = The
bulletin of Institute For Christian studies Meiji Gakuin University
巻 50
ページ 225‑247
発行年 2018‑01‑26
その他のタイトル Reconstruction of J. S. Bach's Markuspassion in the Twentieth Century
URL http://hdl.handle.net/10723/3308
20 世紀における J. S. バッハ《マルコ受難曲》
BWV247 の復元・補完の歴史
加 藤 拓 未
西洋音楽の歴史には,作品を復元・補完するという例がいくつか存在 する。有名な例として,すぐに思い浮かぶのはヴォルフガング・アマデ ウス・モーツァルト(1756 ~ 1791)の《レクイエム》K.626 であろう。
この作品は絶筆となったために,モーツァルトの死後直後から,ヨーゼ フ・アイブラーや,フランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーらが補完に つとめた
(1)。こうした補完の作業は 18 世紀だけにとどまらず,フラン ツ・バイヤーやリチャード・モーンダーといった現代の音楽学者たちも それぞれに校訂版を作成し,世に問うている
(2)。
ほかにもベートーヴェン研究者のバリー・クーパーが,ベートーヴェ ンの残したスケッチから仮説的な交響曲第 10 番の第 1 楽章を補作した ケース
(3)や,マーラー研究者のデリック・クックが,グスタフ・マーラー の交響曲第 10 番を実際に演奏できるよう実用版を作成したというケー スもある
(4)。そして,ヨハン・セバスティアン・バッハの《マルコ受 難曲 Markuspassion》BWV 247 も,そうした復元・補完の対象となっ てきた作品である。
ただし,バッハの《マルコ受難曲》に関して興味深いのは,その復元
版の数が数例はおろか,筆者が把握しているだけでも約 30 にも及ぶと
いう数の多さにある。現在でも,毎年のように新しい復元版が発表され
ており,その数は増える一方である。こうした一連の《マルコ受難曲》
の復元・補完の動きは,西洋音楽史においても,実に特筆すべき現象と 言えるが,それにもかかわらず,この現象がどのような性質のもので,
どのように展開されてきたのか,それを総括した研究は未だ公にされて いない。そこで本稿では,まず《マルコ受難曲》の復元・補完の歴史を 概観し,なぜこれだけ多くの復元版が生み出されるのか,その現象のメ カニズムの特定を第一の目的としたい。なお,《マルコ受難曲》の復元 版は数が多いため,今回は考察対象を 20 世紀までとし,21 世紀に発表 された復元版に関しては稿を改めることにする。
■現存する資料
バッハの《マルコ受難曲》は 1731 年の聖金曜日にライプツィヒの聖 トーマス教会で初演され,1744 年の聖金曜日に同教会で再演された。
歌詞は筆名ピカンダー(Picander)で知られるクリスティアン・フリー ドリヒ・ヘンリーツィ(Christian Friedrich Henrici, 1700 ~ 1764)
が担当している。楽譜資料はすべてが失われたとされ,写しや断片もいっ さい残っておらず,われわれの手元にある資料は,2 回の演奏のために 用意された 2 種の歌詞に限られている。
ひとつは1731年の初演の歌詞を収録したというピカンダーの詩集『ま じ め な 詩・ 諧 謔 的 な 詩・ 風 刺 的 な 詩 Ernst-Schertzhaffte und Satyrische Gedichte』第 3 部(1732 年にライプツィヒで出版)であ る
(5)。もうひとつは,2008 年にサンクトペテルブルクで発見された 1744 年の再演の際に教会で配布された印刷歌詞本である
(6)。
1732 年の詩集に収められた歌詞と 1744 年の印刷歌詞本の内容を比較
した結果,2 曲のアリアが追加されているほか,いくつかの歌詞変更も
認められた。つまり,初演と再演では,内容が異なっていたことが判明
し,このことからバッハは演奏のたびに作品に手を加える習性があった
ことを裏付けることとなった。
2 つの稿に相違は認められるが,作品としての大枠は次のように共通 している。《マルコ受難曲》の歌詞は『マルコ福音書』14,15 章の受難 物語を基本とし,「イエス逮捕」の場面である 14 章 52 節を境に,2 部 にわけられている。当時のライプツィヒの主要教会における聖金曜日の 晩課では,受難曲演奏の途中で牧師の説教が行われたため,この 2 部構 成はその式次第に応じた結果である。この受難物語に 16 曲のコラール
(第 1 部と第 2 部にそれぞれ 8 曲ずつ)と,自由詩楽曲である冒頭合唱 と最終合唱,そして 6 曲のアリア(第 1 部と第 2 部にそれぞれ 3 曲ずつ)
が挿入され,歌詞は構成されている。
■ルストの研究
バッハの《マルコ受難曲》が過去の作品の転用,つまりパロディで作 曲されていることを最初に指摘したのはヴィルヘルム・ルスト(1822
~ 1892)である。1873 年にルストは《追悼頌歌 Trauer-Ode》BWV 198 のなかに《マルコ受難曲》の自由詩楽曲と歌詞の韻律構造が共通し ている楽曲が一定数存在することに気づき,《追悼頌歌》が《マルコ受 難曲》のパロディの源泉であると看破したのである
(7)。
《追悼頌歌》は,ザクセン選帝侯妃クリスティーネ・エバーハルディー ネの死を追悼するために作曲され,1727 年 10 月 17 日にライプツィヒ 大学付属パウロ教会で初演された。パロディと指摘されたのは《マルコ 受難曲》の冒頭合唱「お進みください,イエスよ,あなたの苦しみへと Geh, Jesu, geh zu deiner Pein」と最終合唱「あなたの御墓のそばで Bei deinem Grab und Leichenstein」,および 3 曲のアリア「私の救 い主よ Mein Heiland, dich vergeß ich nicht」「彼が来る,彼がやっ てくる Er kommt, er kommt, er ist vorhanden」「私の慰めの主は Mein Tröster ist nicht mehr bei mir」である。
ルストは,これら《マルコ受難曲》の歌詞を,対応する《追悼頌歌》
の楽曲に当てはめてみたところ,見事に納まりが良いことに気づいた。
しかもそれらは《マルコ受難曲》の冒頭合唱曲や最終合唱曲,そして第 2 部の冒頭アリアといった作品の枠組みを担う主要曲ばかりであること から,《追悼頌歌》を《マルコ受難曲》の主要な原曲とする考えは非常 に説得力がある。その後,両作がパロディの関係にあるという見解は,
バッハ研究において定説となった。それと同時に 1731 年に作曲された
《マルコ受難曲》は,パロディ技法を駆使して作曲された《クリスマス・
オラトリオ Weihnachtsoratorium》BWV 248(1734 ~ 35)や「キ リエ-グローリア」ミサ曲 BWV 233 ~ 236(1738 ~ 39 頃)に対する 先駆的な作品として位置付けられることになった。
■アリアの復元について
ルストの研究によって《マルコ受難曲》に含まれる 6 曲のアリアのう ち,3 曲の原曲が特定された。その結果,残り 3 曲の原曲の特定が課題 となった。イギリスのバッハ研究家チャールズ・サンフォード・テリー
(1864 ~ 1936)は「8 つの歌のうち 5 曲が《追悼頌歌》の楽曲と特定 された(中略)それならば,残りのアリアも借用されたと推測しうる」
と主張し,1926 年にバッハ研究においてはじめて,残りの3曲のアリ アの特定作業に取り組んだ
(8)。
その結果,アリア「偽りの世よ Falsche Welt」の原曲はカンタータ 第 204 番 BWV204 の第 2 曲アリア「物静かで自ら足るを知ることは Ruhig und in sich zufrieden」,そして「嬉々とした死の叫び声!
Angenehmes Mordgeschrei !」の原曲は同じく BWV204 の第 8 曲ア
リア「天国による満足よ Himmlische Vergnugsamkeit」と結論を出
したが,アリア「天よ地よ Welt und Himmel」の原曲は特定できなかっ
た。テリーは「天よ地よ」と唯一,韻律構造が一致するバッハの楽曲と
してカンタータ第 7 番《キリスト,われらが主,ヨルダン川に来たり給
う》BWV7 の第 2 曲アリア「耳かたむけて聴け Merkt und hört」を 見つけてはいたが,当時,この曲は 1731 年よりあとに作曲されたと考 えられていたため,《マルコ受難曲》の原曲とはなりえないとし,候補 から外された。しかし,その後の研究の成果で,BWV7 の成立年代は 1724 年に修正されたので,候補曲としての資格を有することになった。
テリーのあと,1938 年にドイツのバッハ研究家フリードリヒ・スメ ント(1893 ~ 1980)が《マルコ受難曲》の 3 つのアリアの特定に挑ん だ
(9)。まず「嬉々とした死の叫び声! Angenehmes Mordgeschrei !」
に対しては,スメントはバッハのすべてのアリアのなかでも非常にユ ニークな形式であるとし,原曲の特定はできないとした。次いで「天よ 地よ Welt und Himmel」に関しては,やはり韻律構造の一致から,テ リーと同様に「耳かたむけて聴け Merkt und hört」BWV7/2 をあげ ている。ただし,歌詞の内容と曲想が合っていないとし,「これらの歌 詞を力づくでならば,音楽にはめ込むことができる」と疑問の余地を残 している。残る「偽りの世よ Falsche Welt」に関して,スメントはア リア「罪に逆らいなさい Widerstehe doch der Sunde」BWV54/1 が もっとも適合すると結論を出した。
《マルコ受難曲》の 6 つのアリアは,すべてパロディであるという仮 定のもと,テリーとスメントの研究を通して,一応の全アリアの復元は 可能となった(表 1 参照)。ただし,スメントが釘を刺しているように,
バッハの手によって《マルコ受難曲》のためにアリアが新たに作曲され た可能性も想定される以上,これらの見解が確定した結論ではないとい うことを,心に留めておく必要がある。
■コラールの復元に関して
《マルコ受難曲》に含まれている 16 曲の 4 声コラールの復元に関し
ても,1938 年にスメントが取り組んでいる
(10)。スメントが復元の際に
資料としたのは,バッハの次男エマヌエル・バッハ(Carl Philipp Emanuel Bach, 1714 ~ 1788)と弟子のヨハン・フィリップ・キルン ベルガー(Johann Philipp Kirnberger, 1721 ~ 1783)が編纂した 4 巻の『4声コラール集 Vierstimmige Choräle』(1784 ~ 87)である。
これは,バッハの 4 声コラール 371 曲を収録しており,特に出典のわ からないものは,失われたカンタータや受難曲の一部だった可能性があ るため,《マルコ受難曲》に由来するものが含まれていることも十分に 考えられるのである。
その一方で問題もある。仮に《マルコ受難曲》に由来する 4 声コラー ルを正しく特定できたとしても,調の問題が残るからである。バッハは,
たびたび移調を行うことはよく知られており,また編集を担当したエマ ヌエルも移調を行っている。したがって,『4 声コラール集』に掲載さ れている調と同じ調で《マルコ受難曲》にも使用されていたかどうか,
実は判然としない。しかしながら,スメントの研究によって,16 曲の コラールの大半がバッハ自身の手による和声で演奏できる形に整えられ たことは確かである。
■聖句部分の復元について
ここまで,《マルコ受難曲》の自由詩楽曲とコラールの復元の研究に ついて確認してきた。残る問題は受難曲の根幹とも言うべき,聖句部分 の復元となる。
聖句部分は,基本的にレチタティーヴォと群衆合唱で構成される。た だし,バッハはレチタティーヴォに関して,あまりパロディを行わない ことが知られており,そのため失われた聖句レチタティーヴォの復元は,
ほとんど不可能と言える
(11)。
しかしパロディの観点から群衆合唱の復元を試みる研究は存在する。
1916 年には,ゲルハルト・フライエスレーベンが《マルコ受難曲》に
由来すると思われる群衆合唱曲を指摘した
(12)。彼は《クリスマス・オ ラトリオ》BWV248 の第 45 曲群衆合唱「新たに誕生されたユダヤ人 の王はどこにいますか? Wo ist der neugeborene König」がバッハ にしては,かなり的外れな表現となっていることを指摘した。確かにヘ ロデ王の宮殿で,三賢者が大声をあげながら突進するように入ってくる 様子は,その場にそぐわない。むしろここはヘロデ王を敬う厳粛な様子 を音楽で描くべきである。そこに疑問を感じたフライエスレーベンは,
パロディの可能性を感じ,実は《マルコ受難曲》の群衆合唱「やい,お まえ Pfui Dich」の転用ではないかと提起した。つまり,原曲からの転 用ゆえに齟齬が生じたと考えたのである。
フライエスレーベンの提起に共感したオルトヴィン・フォン・ホルス トは,ほかにも《マルコ受難曲》の群衆合唱が《クリスマス・オラトリ オ》に紛れていないかを調べた
(13)。その結果,第 26 曲の群衆合唱「さ あ,ベツレヘムへ出かけて Lasset uns nun gehen」は, 《マルコ受難曲》
の群衆合唱「私たちは,この人が言うのを聞きました Wir haben gehort, dass er sagete」のパロディではないかと指摘した。
フライエスレーベンの指摘は,これまでのバッハ研究史のなかで,説 得力のある見解として受け入れられてきたが,ホルストの指摘に関して は,アルフレート・デュルが疑問符をつけている
(14)。このようにパロ ディの視点から,いくつかの群衆合唱の復元の試みは存在するが,仮に ホルストの仮説を認めたとしても先行研究で指摘されているのは,群衆 合唱 14 曲中,わずか 2 例にすぎないのである。したがって,一連の群 衆合唱曲は,《マルコ受難曲》復元にあたって大きな課題となる。
■ヘルマンの復元版
以上の研究史をふまえて,1964 年に最初の《マルコ受難曲》復元版
が出版された
(15)。復元を担当したのは,当時,国際バッハ協会会長だっ
たディートハルト・ヘルマン(1928 ~ 1999)である。ヘルマンの復元 版は,ルストとスメントの研究によって特定された楽曲を基本にして構 成されている。つまり,この復元版では冒頭・最終合唱曲,および 5 曲 のアリアと 12 曲のコラールに楽曲を限定している。そのため,スメン ト が 特 定 で き な い と し た ア リ ア「 嬉 々 と し た 死 の 叫 び 声!
Angenehmes Mordgeschrei !」は省略されている。
また,アリア「天よ地よ Welt und Himmel」に関しては,テリーや スメントの説である「耳かたむけて聴け Merkt und hört」BWV7/2 ではなく,ヘルマンが独自の見解から 1729 年頃に作曲された結婚カン タータ第 120a 番 BWV120a の第 3 曲アリア「おお神よ,あなたの愛に よって導いてください Leit, o Gott, durch deine Liebe」の音楽を借 用している。ただし,このアリアの歌詞は六行詩で,そのうち後半の三 行の音節数が,アリア「天よ地よ」のものよりも多いため,歌詞のくり 返しで調整をはかっている。
この復元版はルストとスメントの研究を踏まえているため,彼らが復 元しなかった聖句部分は,いっさい扱っていない。その代わり,ヘルマ ンは演奏のために 2 つの方法を提案している。ひとつは,聖句部分を音 楽ではなく,聖書の朗読とし,朗読の流れのなかでアリア 5 曲とコラー ル 12 曲を演奏する方法である。もうひとつは,コラールをさらに 5 曲 に減らし,聖句部分はいっさい演奏に含めず,演奏する曲の順番を多少 入れ替えて,アリアとコラールを交互になるようにして演奏する方法で ある(表 2 参照)。聖句部分の音楽は本来,礼拝における聖書朗読を原 形としているため,前者の方法は本質的な意味での伝統回帰と位置付け られる。後者の方法は,一種の受難カンタータ形式にまとめることを意 図している。
ヘルマン版は《マルコ受難曲》を完全には復元できない一種のトルソ
として位置付けている。つまり,ギリシア彫刻の『ミロのヴィーナス』
の両腕が復元できない以上,そのまま両腕が欠けた状態で鑑賞するしか ないのと同様に,《マルコ受難曲》の聖句部分も無いままで演奏,ない し鑑賞するしかないとしているのである。
ヘルマン版の登場によって,部分的とはいえ,失われた《マルコ受難 曲》が実際に演奏できるようになった。その点では画期的であり,バッ ハの第 3 の受難曲を知りたいと願う人びとの興味に応えるものであっ た。また,復元できる部分を学術的根拠のあるものだけに絞っていると いう姿勢も,文献学的な意味において良心的と言える。
しかし,ヘルマン版の出版から 3 年後の 1967 年から,復元不可能な 聖句部分を補完し,ひとつの音楽作品として完結させた復元版が次々と 登場する。表 3 は,筆者が把握している復元版を年代順に一覧にしたも のである。この表をもとにして,次に 20 世紀に発表された復元版の歴 史を,その特徴に注目しながら辿ってみたい。
■ 1960 ~ 70 年代の復元版
1960 ~ 70 年代には 4 つの復元版が発表されたが,最初のものはヘル マン版が出版されてから,3 年後の 1967 年に登場する。取り組んだの はウルム大学音楽監督をつとめるアルブレヒト・ハウプト(1929 ~)
である
(16)。ハウプトは,ヘルマン版をもとに欠けている聖句部分に関 しては,伝ラインハルト・カイザー(Reinhard Keiser, 1674 ~ 1739)
の《マルコ受難曲 Markuspassion》の聖句部分の音楽を借用した。伝
カイザー《マルコ受難曲》は,伝統的に 18 世紀ドイツのオペラ作曲家
ラインハルト・カイザーの作とされるもので,真作者は特定されていな
いが,1707年にハンブルク大聖堂で初演されたことが判明している
(17)。
バッハ自身もこの《マルコ受難曲》の楽譜を入手し,生涯にわたって少
なくとも3回演奏したことが知られている。ただし,伝カイザーの《マ
ルコ受難曲》は,バッハの《マルコ受難曲》よりも演奏される受難物語
の部分が短く,25 節あとの「オリーヴ山」の場面からはじまるため,バッ ハの原作通りにすべての聖句を補うことができず全体的な構成を変更し なくてはならないという問題が残る。
1974 年には,ラッツェブルクの教会音楽家のナイトハルト・ベート ケ(1942 ~)が復元版に挑んでいる
(18)。ベートケは,ヘルマン版をも とに群衆合唱は《クリスマス・オラトリオ》のそれを借用し,福音史家 の語りの部分は自らが新たに作曲した。これは聖句部分を新作した最初 の復元版である。
1978 年には,ケルンの教会音楽家グスタフ・アドルフ・タイル(1924
~ 1997)が《マルコ受難曲》の復元に挑戦した
(19)。タイルもヘルマン 版をもとにしているが,群衆合唱は《クリスマス・オラトリオ》やカン タータの合唱の一部を転用して補い,聖句のレチタティーヴォは,タイ ル自らが作曲した。その音楽は,バッハ様式を意識したもので,福音史 家はテノール,イエスはバスが担当する。タイルは復元作業の成果を 1 冊の著作にまとめたほか,復元版のレコード録音も行った
(20)。
その一年後の1979年にはヘアフォルトの教会音楽家ヨハネス・H・E・
コッホ(1918 ~ 2013)が《マルコ受難曲》の補完を行っている
(21)。コッ
ホも聖句部分をすべて自分で作曲しているが,その様式はタイル版のよ
うにバッハを意識したものではなく,現代音楽的な音楽語法で書かれて
いる。その音楽は,けっして派手ではなく,抑制されたもので,むしろ
バッハの音楽を引き立たせるような役割にとどまっている。福音史家(テ
ノール)や群衆合唱の伴奏はオルガンが担当し,イエス(バス)のこと
ばだけに 2 本のヴィオラ・ダ・ガンバが加わり,バッハの《マタイ受難
曲》BWV 244 のようにイエスを特別に強調している。コッホの聖句作
曲は,歌詞を音楽修辞的に扱ってはいるが,けっしてバロック様式の音
楽にはなっていない。つまり,控えめであっても,あえて現代音楽で書
くことで,バッハとの新旧音楽様式の対比をねらっているのである。
■ 1980 年代の復元版
1980 年代には,3 つの復元版が登場する。まず 1981 年には,ライプ ツィヒ音楽大学教授のフォルカー・ブロイティガム(1939 ~)が《マ ルコ受難曲》の補作に取り組んでいる
(22)。ブロイティガムも,ヘルマ ン版を基本としているが,ヘルマンの提案した朗読による演奏や,受難 カンタータ形式による演奏,またはタイル版のようにバッハ様式による 聖句補作に対しては異を唱え,むしろバッハと相対する様式,つまりは 明瞭な現代音楽による補作を意図した。聖句部分の伴奏にはオルガンと 打楽器群を配し,十二音技法や不協和音,トーンクラスターなども駆使 し,打楽器の乾いた響きのなか,テノールの福音史家がグレゴリオ聖歌 以来の伝統的な朗唱音風に淡々と物語る。群衆合唱は,切迫した場面で 短い発言が多く,シュプレヒコール風の表現で即物的に訴えかける。
1983 年には,ポーランドのワルシャワ室内オペラ音楽監督シュテファ ン・ストコフスキ(1932 ~)とタデウス・マチェジェフスキによる《マ ルコ受難曲》の補作が行われている
(23)。彼らは,ヘルマン版を基本と しつつ,聖句部分は主に《マタイ受難曲 Matthäuspassion》BWV 244 から並行箇所を借用し,さらに偽作の《ルカ受難曲 Lukaspassion》
BWV 246 から「聖餐の制定」の場面と「ペテロの否認」の場面を部分 的に引用して構成している。確かに音楽的にはほとんどバッハの音楽で 占められているので,様式的には統一されているかもしれないが,この 復元版は『マルコ福音書』の聖句を使っていないために《マルコ受難曲》
ではなく,《マタイ受難曲》となってしまっていることが重大な課題と して残る。
ベルリンの聖マリア教会の音楽監督であったクリストフ・アルブレヒ
ト(1930 ~ 2016)が 1984 年に行った《マルコ受難曲》の復元版では
ヘルマン版を基本とし,聖句部分に関しては 18 世紀後半にドレスデン
で活躍したゴットフリート・アウグスト・ホミリウス(Gottfried
August Homilius, 1714 ~ 1785)の《マルコ受難曲 Markuspassion》
のそれを転用した
(24)。ホミリウスはバッハの弟子で,その音楽は前古 典派時代のものであるから,バッハよりも少し新しい時代の響きを持っ ているが,時代的には比較的近いことから,バッハの音楽との親和性を ねらったものと考えられる。
■ 1990 年代の復元版
1990 年代になると復元版の発表の数もさらに増え,7 点が新たに発 表されている。1993 年に登場したのは,フライブルク州立音楽大学教 授のオトフリート・ビュージンク(1955 ~)の復元版である
(25)。ビュー ジングはヘルマン版の楽曲をもとに補完を行ったが,その方法は,これ までの前例と大幅に異なるものであった。ビュージンクは『マルコ福音 書』の聖句の代わりに 20 世紀に書かれたヴァルター・ヤンスの受難詩
『そして,私は語る Und ich erzähle』を基本とし,そこにバッハの《マ ルコ受難曲》から復元可能な 7 曲だけを取り込んだ(イエスはテノール,
福音史家はバリトンが担当)。ヤンスの詩の部分は,ビュージンクによっ てレチタティーヴォ,合唱,器楽曲の形で作曲され,様式的には現代音 楽となっている。ビュージンクは,1731 年に演奏されたであろう,本 来の姿を復元する意図はなく,実質的に新しい詩を使って,新しい作品 をつくりだしている。題材はイエスの受難を扱っていることから受難曲 であることは確かだが, 『マルコ福音書』の聖句を使用していない以上,
これを《マルコ受難曲》と見ることはできない。むしろ,ビュージング の受難曲にバッハの曲を組み込んだものと言える。
1993 年にイギリスのBBCラジオの構成作家サイモン・ハーイズが
提案した復元版は,ヘルマン版をもとにし,聖句部分については,ハウ
プト版と同じく伝カイザー《マルコ受難曲》を使用している。またカイ
ザーの方に無い受難物語の聖句はハーイズが自ら作曲して補っている
(26)
。ただし,群衆合唱に関しては,《追悼頌歌》BWV 198 の第 7 曲合 唱と《クリスマス・オラトリオ》から群衆合唱 3 曲を利用したほか,タ イル版を参考にし,そこからいくつか採用している。
1996 年には,オランダ・バッハ教会の音楽監督ヨス・ファン・フェ ルツホーフェンが《マルコ受難曲》の復元に取り組んでいる
(27)。フェ ルツホーフェンは,聴衆がバッハの音楽と,そうでない復元の部分を明 瞭に聴きわけられるようにすべきであると考え,聖句部分には 17 世紀 半ばに作曲されたマルコ・ジョゼッペ・ペランダ(Marco Gioseppe Peranda, 1625 頃~ 1675)の《マルコ受難曲》を使用した。ペランダ の《マルコ受難曲》は無伴奏のアカペラ様式で,聖句部分はグレゴリオ 聖歌の受難旋律定型を思わせるものとなっている。
1997 年に,イギリスの文学者オースティン・ハーヴェイ・ゴム(1930
~ 2008)が発表した《マルコ受難曲》の復元版は,ハーイズ版とコン セプトを共有するもので,聖句部分に伝カイザー《マルコ受難曲》の音 楽を借用している
(28)。ただし,ハーイズのように不足部分を付けたし ておらず,カイザーの原曲通りオリーヴ山の場面から開始する。そのた め,バッハの《マルコ受難曲》とは物語の構成が変わり,第 1 部はペテ ロの否認の場面まで,そして第 2 部はピラトの裁判の場面から開始する 形となっている。群衆合唱に関しても,バッハの音楽を借用せず,原曲 通りカイザーのままにしている。
ハンブルクの聖ヤコビ教会の音楽監督をつとめたルドルフ・ケルバー
(1948 ~)が 1998 年に発表した《マルコ受難曲》復元版も,聖句部分 に伝カイザー《マルコ受難曲》のそれを使用し,不足部分は自らが作曲 している
(29)。群衆合唱には,バッハやテレマンのほかの作品から転用 を行い,さらに原曲には無い,バッハのアリア 3 曲を挿入し,作品を拡 大させている。
1999 年に 3 年の歳月を費やしてオランダのトン・コープマンが《マ
ルコ受難曲》の復元版を完成させた。初演は 2000 年のバッハ没後 250 年を記念して行われたため,注目も集まった
(30)。しかし,驚くべきは その復元内容で,これまでの研究史をまったく反映していないものと なっている。コープマンは《追悼頌歌》を《マルコ受難曲》の原曲では ないと考えて退け,むしろ 1731 年以前に作曲されたバッハのカンター タから,独自の感性で適合する楽曲を選び直し,ピカンダーの歌詞に当 てはめ,復元版を作成したのである。たとえば冒頭合唱曲は,カンター タ第 25 番《およそ穏やかなところではありません Es ist nichts Gesundes an meinem Liebe》BWV 25 の冒頭合唱を用いている。群衆 合唱もバッハの既存の作品から探し出しており,たとえば群衆合唱「やい,
おまえ Pfui dich, wie fein zerbrichst du den Tempel」はフライエ スレーベン説(BWV 248/45)を退け,カンタータ第 179 番《気をつ けなさい,あなたの神への畏れは Siehe zu, dass deine Gottesfurcht》
BWV 179 の冒頭合唱を転用している。聖句のレチタティーヴォに関し てはコープマン自身が,バッハ様式を意識して作曲を行っている。
■ 20 世紀に行われた復元方法の特徴
ここまで《マルコ受難曲》の研究史から説き起こし,1960 年代から はじまった《マルコ受難曲》復元版の主な軌跡を2000年まで辿ってきた。
なぜ,このような現象が起きているのか,その現象の構造に注目してみ たい。
一見,多様に見える各種の復元版だが,ひとつ大きな共通項となって
いるのは,トン・コープマン版を除く,ほぼすべての復元版がヘルマン
版を尊重していることである。したがって,大半の復元版はヘルマン版
を共通項として有していることになり,そうした部分では,大幅な多様
化は生じないことになる。つまり,復元版の多様化は,いくつもの解決
策や,提案を示しうる聖句部分の復元において生じているのである。
そこで,各復元版の聖句部分に注目し,その復元方法を整理してみた い。その際,問題を,聖句のレチタティーヴォ部分と群衆合唱部分にわ けて考える必要がある。なぜなら,ひとつの復元版のなかで,両者の復 元方法が異なっているケースもあるからである。
表4は,聖句のレチタティーヴォの復元方法を分類したフロー・
チャートである。このチャートにそって考えてゆくと,聖句のレチタ ティーヴォを復元する場合,まず音楽化するのか,あるいはしないのか で,最初の分岐点が生じている。音楽化しない場合は,聖句部分を朗読 するか,カットして演奏に含めないかのいずれかになる。これは,
1964 年のヘルマン版が提案したふたつの演奏方法にほかならない。他 方で,音楽化する場合は,次に既存の音楽を利用するのか,あるいは新 たに作曲するかで復元の性格に相異が生まれる。
聖句のレチタティーヴォを復元するのに既存の音楽を利用する場合,
そこにはふたつの方法が認められる。ひとつは他のバッハ作品から音楽 を借用する方法,もうひとつは他者作品から音楽を借用する方法である。
前者は 1983 年のストコフスキ+マチェジェフスキ版がそうで,聖句部 分の大半を《マタイ受難曲》BWV244 から転用している。後者は,復 元担当者がどの作曲家の《マルコ受難曲》から音楽を借用するかで個性 が生じる。20 世紀中には,ペランダ,カイザー,ホミリウスらの作品 が使用されており,ハウプト版(1967),ハーイズ版(1993),ゴム版
(1997),ケルバー版(1998)など,特に伝カイザー《マルコ受難曲》
を使用する例が多い。このことから,カイザーの聖句を借用することに 有用性を認める復元担当者が複数存在することがわかる。
聖句のレチタティーヴォを新たに作曲して補おうとする場合,そこに
はふたつのスタンスが認められる。ひとつは,なるべくバッハの様式に
忠実であろうと,バッハの模倣を心がけるもので,もうひとつはバッハ
の様式やバロック様式には背を向け,あえて現代音楽の様式を選択し,
むしろバッハの音楽との対比効果を意図するというものである。前者に はベートケ版(1973),タイル版(1978),コープマン版(1999)が相 当し,後者はコッホ版(1979),ブロイティガム版(1981),ビュージ ング版(1993)が相当する。
聖句部分の復元に際しては,以上のレチタティーヴォ部分の復元パ ターンに,さらに群衆合唱部分の各種復元方法(他のバッハ作品からの 借用,他者の作品からの借用,新作曲による補完)が組み合わさること で,さらに復元版の性格に違いが生じることになる。
逆にこのチャートから逸脱したコンセプトの復元方法を見出せば,そ れは新しい価値をもった復元版となる。具体的に言えば(1)《マタイ受 難曲》以外の他のバッハ作品から音楽を借用して聖句レチタティーヴォ を補作するか,あるいは(2)前述の 3 名以外の他の作曲家の《マルコ 受難曲》から聖句部分を借用して補完するか,あるいは(3)既存とは 異なる聖句レチタティーヴォを新たに作曲するかの,いずれかになろう。
■まとめ
実際の演奏を目的とした《マルコ受難曲》の復元版の歴史は 1964 年 のヘルマン版からはじまった。このことから,《マルコ受難曲》復元の 歴史は,20 世紀後半以降の文化現象であると指摘できる。つまり,18 世紀の音楽を対象としながらも,現代的な関心を反映した現象なのであ る。
ヘルマンの復元版の登場は,それまで完全に失われていたとされてい
た《マルコ受難曲》を,現実に演奏できるものにした。その点では画期
的であり,バッハの第 3 の受難曲を知りたいと願う人びとの興味に応え
るものであった。しかし復元部分を限定したがゆえに,問題点も浮上す
ることになった。たとえば,受難カンタータ風にまとめた演奏方法は『マ
ルコ福音書』の受難物語を歌詞としていっさい含んでいないため,これ
は本質的には《マルコ受難曲》とは言えない。そこで,朗読による演奏 方法を採れば,本質的には解決するが,朗読と楽曲の受け渡しに説得力 のあるロジックが無いために,作品としてのまとまりに欠け,芸術的な 魅力に乏しいと言わざるをえない。
このような不完全さが存在するために,ヘルマン版に不満が生じ,そ れが新たな復元方法の模索へと人びとを駆り立てたと考えることができ る。それはヘルマンが手を付けなかった聖句部分の復元・補完への取り 組みであり,フロー・チャートで示したように,その多様化こそが《マ ルコ受難曲》復元・補完の歴史そのものなのである。そして,それは今 もなお継続しており,毎年の受難週が訪れるたびに新たな復元版が提案 されているのである。
表 1 ルスト,テリー,スメントによる《マルコ受難曲》の原曲推定
マルコ受難曲 原曲 候補曲
第 1 部
冒頭合唱 Geh, Jesu, geh zu deiner Pein ! BWV198/1 アリア Mein Heiland, dich vergess ich nicht BWV198/5 アリア Er kommt, er kommt, er ist vorhanden BWV198/3
アリア Falsche Welt, dein schmeichelnd Küssen ? BWV204/4 (T), BWV54/1 (S) 第 2 部
アリア Mein Tröster ist nicht mehr bei mir BWV198/8
アリア Angenehmes Mordgeschrei! ? BWV204/8 (T) アリア Welt und Himmel, nehmt zu Ohren ? BWV7/2 (T), (S) 最終合唱 Bei deinem Grab und Leichenstein BWV198/10
凡例 T:テリー(Terry)の候補曲
S:スメント(Smend)の候補曲
表 2 ヘルマン版(1964)の内容
曲種 歌詞冒頭 原曲(BWV) 方法 1 の
演奏順 方法 2 の 演奏順 第 1 部
冒頭合唱 Geh Jesu, geh zu deiner Pein 198/1 ① ① コラール Mit hat die Welt trüglich 244/32(38) ② -
コラール Ich, ich und meine Sünden 393 ③ -
アリア(A) Mein Heiland 198/5 ④ ②
コラール Wach auf, o Mensch 397 ⑤ -
コラール Betrübtes Herz 428 ⑥ ③
アリア(S) Er kommt, er kommt 198/3 ⑦ ④
アリア(A) Falsche Welt 54/1 ⑧ ⑥
コラール Jesu, ohne Missetat 355 ⑨ ⑤
コラール Ich will hier bei dir 271 ⑩ ⑦
第 2 部
アリア(T) Mein Tröst ist 198/8 ⑪ ⑧
コラール Befiel du deine Wege 270 ⑫ -
コラール Du edles Angesichte 244/54(63) ⑬ -
コラール Herr, ich habe missgehandelt 331 ⑭ -
コラール Man hat dich sehr hart 354 ⑮ ⑨
コラール Keinen hat Gott verlassen 369 ⑯ -
アリア(S) Welt und Himmel 120a/3 ⑰ ⑩
コラール O! Jesu du 404 ⑱ ⑪
最終合唱 Bei deinem Grab 198/10 ⑲ ⑫
表 3 バッハ《マルコ受難曲》BWV247 の復元・補完の歴史
年 編曲者
1964 年…Diethard Hellman 1967 年…Albrecht Haupt 1973 年…Neithard Bethke 1978 年…Gustav Adolph Theill 1979 年…Johannes H. E. Koch 1981 年…Volker Bräutigam
1983 年…Stefan Sutkowski + Tadeusz Maciejewski 1984 年…Christoph Albrecht
1993 年…Austin Harvey Gomme 1993 年…Simon Heighes 1993 年…Otfried Büsing
1994 年…Konstantin Köppelmann 1996 年…Jos van Veldhoven 1998 年…Rudolf Kelber 1999 年…Ton Koopman 2001 年…Matthias Heep 2003 年…Guido Mancusi 2005 年…Thomas Gebhardt 2005 年…Malcolm Bruno 2007 年…Philippe Pierlot 2009 年…Andreas Glöckner 2009 年…Alexander Grychtolik 2011 年…Jörn Boysen
2015 年…Freddy Eichelberger + Laurent Guillo + Itay Jedlin 2015 年…Andreas Fischer
2015 年…Steffen Schleiermacher 2015 年…Peter Uehling (Wunderkammer) 2016 年…Pablo Escande
2016 年…Andrew Wilson-Dickson
表 4 聖句レチタティーヴォ復元のフロー・チャート
ハウプト版(1967)ハーイズ版(1993)ゴム版(1997)ケルバー版(1998)
ベートケ版(1973)タイル版(1978)コープマン版(1999) フェルツホーフェン版(1996) ペランダ《マルコ受難曲》
伝カイザー《マルコ受難曲》
ホミリウス《マルコ受難曲》 《マタイ受難曲》BWV244 ストコフスキ+マチェジェフスキ版(1983)
コッホ版(1979)ブロイティガム版(1981)ビュージング版(1993) ヘルマン版(1964)
他のバッハ作品から借用
他者の作品から借用
バッハ様式で作曲
現代音楽で作曲 新作する 既存の音楽を利用 朗読する/カットする音楽化しない
音楽化する
アルブレヒト版(1984) 聖句(レチタティーヴォ)
注