『相模集』六十五首歌群について(上) : 先行歌と の関連と百首歌との比較
著者名(日) 柏木 由夫
雑誌名 大妻国文
巻 26
ページ 21‑45
発行年 1995‑03
URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001461/
Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja
﹃相 模集
﹄ 六十 五首 歌群 につ いて
︵上
︶
||先行歌との関連と百首歌との比較||
柏
木 由夫
﹃後拾遺和歌集﹄で和泉式部に次ぎ第二の入集歌を有する女流歌人相模についての研究は︑この十数年目覚ましい進展
を見せている︒中でも武内はる恵・林マリヤ・吉田ミスズの三氏によって﹃相模集全釈﹄が編まれたことは︑大きな成果の
︵注 1
︶ひとつに数えられるだろう︒相模集の注釈はほかに後藤祥子・近藤みゆき両氏によっても予定されていると灰聞するが︑そ
の近藤氏が今日までに示されたきた意欲的な諸論は︑相模に関する多くの知見を与える特に優れた研究であると言えるだ
︵ 注
2︶ろう︒本稿も近藤︵満田︶氏の論考によって﹁初事歌群﹂と名付けられた︑流布本相模集末尾近くに配されている六十五首
の歌群について︑氏の研究成果の騨尾に付して卑見を述べようとするものである︒
さて︑近藤氏はこの歌群の原初形態に百首歌を想定する立場から︑好忠以下相模に至る百首歌につき︑その四季部の題
材を比較し︑中でも相模百首と特に関連が強いことを指摘された︒それは夏部冒頭の﹁卯花﹂・秋部の﹁扇一﹂および︑こ
の歌群と密接に関わる針切と重ねることで明らかになる﹁思﹂﹁夢﹂の歌群など共通する他の諸点によっても証されると
﹃相
模集
﹄六
十五
首歌
群に
つい
て︵
上﹀
され
た︒
氏の指摘は至当なものと判断されるが︑この歌群の実態と作者相模がこの歌群に託した思いについては︑なおより細か な検証による考察を加える余地が残されているように思われる︒そうした方向での必要な第一歩として︑本稿ではまずこ の歌群二百一首の表現について︑同時代までの平安和歌との関連を調査した結果を示したい︒
﹃全釈﹄の注との重複もあ るが︑それらをも合わせて相模歌の成り立ちに関わる事として指摘することとする︒
まず春の第一首
︵ 注
3︶
つれづれと長き春のみ見つくせど飽かぬは花の匂ひなりけり圭一八︶
につ
いて
は︑
つれづれと花を見つつぞ暮らしつる今日をし春の限りと思へば︵古今六帖第一
弱恒
︶ 行き残す所なきまで尋ぬれど飽かぬは花の匂ひなりけり︵明王院本定頼集
一 八 六 ︶ の二首を指摘出来る︒特に定頼歌は下旬が完全に一致し︑直接的な影響関係を想定出来るが︑相模歌と定頼歌の関連は改
めて
まと
めて
考え
たい
︒ 早 第三首
蕨や
萌え
出で
ぬら
む春
の野
に焼
け原
あさ
る人
しげ
く見
ゆ︵
五ゴ
一
O
︶につ
いて
は︑
春日野の荻の焼け原あさるとも見えぬなき名をおぼずなるかな︵拾遺集
雑 春
一O
二
︵
︶
中宮 内侍
﹀
を先行歌として挙げられる︒第四句はそのまま拾遺集歌に拠ったと思われるが︑第三句﹁春の野﹂も﹁春日野﹂からの連 想と 考え 得る
︒
第七首は沢
水に 蛙も 鳴け ば咲 きぬ らむ 井手 の渡 りの 山吹 の花
︵豆 一面
︶
だが︑井手の山吹と蛙は三代集時代から多く詠まれ︑直接的な影響を指摘することはできない︒
色も香も懐かしきかな蛙なく井出の渡りの山吹の花︵小町集
は下旬が完全に相撲と一致する点で注目に値するだろう︒なお︑
しか
し︑
プ マ
、
、
,J
千早振る神無備川に影見えて今や咲くらん山吹の花︵古今六帖第六
今日聞けば井出の蛙もすだくなり苗代水を誰まかすらん︵重之百首
三三
; f t . .
P
、読み 人知 らず
︶
春
、
A
、
J
は︑この歌群と密接に関係する針切の異伝歌
︵ 注
4︶沢水に蛙もいたくすだくなり今や咲くらん井出の山吹
の先行歌として関連深いものと思われる︒
次に夏では︑第一首
山が つの 柴の 垣根 を見 渡せ ばあ な卯 の花 の咲 ける 所や
︵五 三六
︶
については︑﹃全釈﹄で一首中唯一の技巧﹁あな憂﹂の懸詞が古今集歌︵雑下九四九読み人知らず︶に拠るものであると
指摘 され てい る︒
しかし︑初期百首歌の
﹃相
模集
﹄六
十五
首歌
群に
つい
て︵
上﹀
二四
山賎の垣根に見えし卯花はみみ
卯花の咲ける山辺倒削賎はいづれとも見し峰の白雲︵重之女百首 ︵ママ︶にこそ咲きのさかりなりけれ︵和泉式部百首
夏
プミ、、_;
夏
τ
=一
、、,ノ
との関連も︑特に﹁山がつ﹂の一致から無視出来ないだろう︒
第二首
昔見 し人 をぞ 偲ぶ 宿近 く花 橘の 香る をり をり
︵五 一一 石︶
で︑花橘から昔の人を偲ぶことは︑古今集の名歌﹁五月待つ花橘の呑をかげば:::﹂が本であるに違いないが︑この歌で
はな
お︑
浅茅原荒れたる相は北目見し人を偲ぶの渡りなりけり︵後拾遺集
宿近く花橘は掘り植ゑじ昔を偲ぶつまとなりけり︵調花集
昔見し宿は葎や茂るらん花橘は盛りなりけり︵惟成弁集
染住
八九 三
能困
︶ 夏 苫
花山
院︶
一一
、、,,
など
を︑
より近似するものとして指摘出来る︒
第四首夜を知る蛍は多く飛び交へどおぼつかなしゃ五月雨の闇宝ゴ一九︶
では
まず
︑
楊柳風高うして雁秋を送る︵和漢朗詠集
壁
許葎
︶
という漢詩の影響が考えられる︒
しか
L︑相模以外にも
夜を知る賛を見ても悲しきは時ぞともなき思ひなりけり︵源氏物語
幻、ーノ
漁火の浮かべる影と見えつるは波の夜知る賛なりけり︵惟成弁集
プミ
t
、 _ _ ;
とあり︑当時としては割合知られた表現だったようである︒ほかに︑この歌に関連するものとして次の一首がある︒
五月闇くらはし山の時鳥おぼつかなくも鳴きわたるかな︵拾遺集
夏
区豆
実方
︶
第五首の早苗引き裳裾よごるといふ因子も我がごと袖はしほとからじな︵五回O︶
については
ながめにはそらさへ濡れぬ五月雨に下り立つ因子の裳裾ならねど︵和泉式部百首
が︑先行百首の一首である点から注目される︒
夏
ヨヨ己
、 、 _ ,
第六首
跡絶えで人も分け来ぬ夏草のしげくも物を思ふころかな︵丘四一︶
では
かりにても思へばこそは夏草のしげれる中を分けつつも来れ︵好忠集 ︑
庭のままゆるゆる生ふる夏草を分けてばかりに来む人もがな︵和泉式部百首 毎月集
五月
中︶
夏
一一
一
、 、 _ ,
の初期百首歌歌人の二首と︑下旬が完全に一致する次の兼輔歌が関わりあると思われる︒
時鳥鳴きのみ渡る夏山のしげくも物を思ふころかな︵兼輔集
ーで==含
一
、 、 _ ,
第八首
蚊遣火は煙のみこそたちあされ下のこがれは我ぞわびしき︵吾一ユ︶
では︑すでに﹃全釈﹄で指摘している
蚊遺火の小夜ふけがたのしたこがれ苦しゃ我身人知れずのみ︵好忠集毎月集
六月 はじ め︶
との関連が確実と思われる︒なお﹃全釈﹄では第三句﹁たちあされ﹂を諸本の異文によって﹁たちまされ﹂と校訂してい
るが
︑
﹃相
模集
﹄六
十五
首歌
群に
つい
てハ
上﹀
二五
:: 神の まに まに と
の我こひ祷めどしましくもよけくはなしに︵万葉集立ちあざり
とある万葉語と考えるべきと思われる︒
夏末尾の第九首
ひとへなる夏の衣は薄けれど暑しとのみも言はれぬるかな︵吾回︶
は 全﹃ 釈﹄ で能 因集 の ひと へな る蝉 の羽 衣夏 はな ほ薄 しと 言へ どあ っく もあ るか な︵ 九一
︶
を引くが︑合わせて
今日よりは立つ夏衣薄くともあっしとのみや思ひわたらむ︵詞花集
夏衣うすくや人の思ふらん我はあつれて過ぐす月日を︵好忠集
も注 意す べき だろ う︒
四
秋では︑第一首
ぬるかりし扇の風も秋来れば思ひなしにぞ涼しかりける︵豆豆︶
について︑﹃全釈﹄で掲げる
手もたゆく扇の風もぬるければ闘の清水にみなれてぞ行く︵好忠集
が第一に関連深いものだろうが︑ほかに︑
茜さす背水無月の日をいたみ扇の手風ぬるくもあるかな︵恵慶百首 毎月集
夏
毎月集 夏
九﹀
ヨ三
増基
︶
四月
をは
り︶
五月
はて
︶
巻五
一 一 六
九
O
九 ︶
秋なれば涼しくのみぞなりまざる扇の風は求めざらなむ︵高遠集
︒四
︶
も指 摘で きる
︒
第三首色変はる萩の下葉を見るとても人の心の秋ぞ知らるる︵五四七︶
は︑﹃全釈﹄にある
風吹けば臓障く浅茅は我なれや人の心の秋を知らする︵後拾遺集
雑 九 七 ︵ ︶ 斎宮 女御
︶
の下旬をほぼ取り入れた如くだが︑同時に
色変はる萩の下葉もあるものをいかでか秋を知らずと言ふらん︵本院侍従集
一 一 冗
︶
をも上句に利用したかと思われる︒
第四首荻の葉を擁かす風の音聞けばあはれ身にしむ秋の夕暮れ︵五四八︶
については
音すれば訪ふか訪ふかと荻の葉に耳のみとまる秋の夕暮︵和泉式部集続集
秋吹くはいかなる色の風なれば身にLむばかりあはれなるらん︵和泉式部集
身にしみであはれなるかないかなりし秋吹く風をよそに聞きけん︵和泉式部集
一 三 一 回
一 ︶
一一一一
、、../
主 ︿︶
の三首の和泉式部詠と明王院本定頼集の
秋風 の身 にし みま さる 心地 して 荻の 上葉 をほ のめ かす かな
︵一 一一 八︶
が特に近似するものとして注目される︒
第五首
﹃相
模集
﹄六
十五
首歌
群に
つい
て︵
上︶
二七
わがごとやいねがてにする山田守りかりでふ声に自を覚ましつつ
︵ 五 回 九 ︶
では︑﹃全釈﹄で挙げる
あしひきの山時鳥わがごとや君に恋ひっつ寝ねがてにする︵古今集
恋 四 九 九
山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ
の二首の古今集歌とともに︑
︵古
今集
秋 上
山田守りいや寝ざるらん雁がねの秋の夜深く鳴き渡るなり︵夫木抄
秋
豆 ︵︶
O
が関係深いと思われる︒
第七首浅茅原野分にあへる露よりもなほありがたき身をいかにせむ︵霊一︶
では
かくしつつ月日を経ぬる世の中にありがたき身を我いかにせん︵西宮左大臣集 ︑
はかもなき露をばさらに言ひおきであるにもあらぬ身をいかにせん︵和泉式部続集 の二 首が 注目 され る︒
秋末尾の第九首
女郎花盛りすぎたる色見れば秋はてがたになりぞしにける︵五五三︶
では︑次の二首
女郎花なべて草葉に置く露の秋果てがたに見ゆる心か︵元真集
白露の晩生の稲も刈りてけり秋果てがたになりやしぬらん︵頼基集
との類似を指摘出来る︒
宅
=
冗
、 、 , J
、
医耳
』〆読み 人知 らず
︶
二回
忠ヰ
︶
花山
院︶
、、_./
四 九 六
︶
二八
五
次に︑冬の第一首
木の葉散る嵐の風の吹くころは涙さへこそ落ちまさりけれ室五回︶
では
川上に時雨のみ降る網代木は紅葉さへこそ落ちまさりけれ︵婦恒集 ︑
霜枯れの草枕には君恋ふる一択の露ぞ落ちまさりける︵古今六帖第四
寸ゴ
、 、 _ ,
ニ四 一八が最も近似した表現を持っていて︑これらを前提に作られたかと思われる︒
第三首
このごろは小野の渡りに急ぐらむ冬待ち顔に見えし炭焼き︵五五六︶
の炭焼きは他に例があるが︑﹃全釈﹄に挙げられた
深山木を朝な夕な樵りつみて寒さを願ふ小野の炭焼き︵好忠集毎月集
が炭焼きの心まで一致しており︑表現だけでなく︑内容的にも最も近いだろう︒
第四首
一人 寝る 我身 は霜 にあ らね ども 冬の 夜な 夜な おき ぞゐ らる る︵ 五五 七︶
tま
一人寝る我身は荒れて草むらの野良風よりも寒くもあるかな︵好忠集毎月集
君待つと閣の板戸を聞けおきて寒さも知らず冬の夜な夜な︵好忠集毎月集
の好 忠詠 及び
︑
﹃相
模集
﹄六
十五
首歌
群に
つい
て︵
上︶
読み 人知 らず
︶ 十二
月を はり
︶ 十一
月を はり
︶ 十二 月は
じめ
︶
九
こる露の冬の夜な夜な鴛喬ぞ鳴く払ふばかりに霜やおくらむ︵千頴集
恋せじと思ひ入りにし床中に心弱さはおきぞゐらるる︵千頴集
の千頴詠が︑ともに相模と特に近似している︒
第五首霜置かぬ人の心もいかなれば草よりさきに枯れ果てぬらむ︵歪八︶
は︑
﹃全
釈﹄
の指
摘す
る
時雨つつ色まさりゆく草よりも人の心ぞかれにけらしな︵新勅撰集
が最
も近
似す
るが
︑
忘れ草枯れもやするとつれもなき人の心に霜はおかなむ︵宗子集
も同発想を本とするものだろう︒
第六首冬の池に浮き寝をしたる水鳥の夜声を聞けばものぞ悲しき︵霊九︶
も﹃全釈﹄の挙げる
冬の池の水に流るる芦鴨の浮き寝ながらにいく夜経ぬらん︵後撰集
が似
てい
るが
︑同
時に
︑
冬の池の氷りゆくらん水鳥の夜︑深く騒ぐ声聞こゆなり︵公任集
も似た情景に基づくものだろう︒
第七首涙川汀に凍る上氷下にかよひて過ぐすころかな︵実O︶
塁 ︶
五 七
︶
恋 四
一一 一
、 、 , 〆
冬
一一
一一 一
、 、 . /
八 六 八
延喜
御製
︶
四九
︵︶
読み
人知
らず
︶
。
では
︑
﹃全
釈﹄
の引
く
言に出でて言はぬばかりぞ水無瀬川下に通ひて恋しきものを︵古今集
恋
六 ︵︺ 七
友則
︶
とと
もに
︑
高瀬さす淀の汀の上氷下にぞ嘆く常ならぬ夜は︵好忠百首
生L
C
コ、ーノ
との関連も想定出来るのではなかろうか︒
第八首
埋み火をよそに見るこそはかなけれ消ゆれば竪灰となる身を︵美一︶
は︑やはり﹃全釈﹄の掲げる
埋み火の下に憂き身と嘆きつつはかなく消えむことをしぞ思ふ︵好忠集毎月集
十二
月は
じめ
︶
とと
もに
︑
君恋ふと忍び忍びに身を焼きて風のあなづる灰となしてん︵好忠百首
をも︑身を灰となすという珍しい内容から見て︑発想の木として良いのではないだろうか︒
冬末尾の第九首は︑同時に歳末の歌で︑
数ふ
れば
年の
終り
にな
りに
けり
我身
の果
てぞ
いと
ど悲
しき
︵五
さ一
︶
恋,
、、、
J
と歳末の思いに老いの述懐を重ねるが︑
魂祭る年の終りになりにけり今日にはまたや会はむとすらんハ好忠集
かぞふれば年の残りもなかりけり老いぬるばかり悲しきはなし︵和泉式部百首
の二首︑特に和泉式部詠と強く関わって詠まれているように思われる︒ 毎月集
十二
月を
はり
︶
冬一O︶
﹃相
撲集
﹄六
十五
首歌
群に
つい
てハ
上﹀
﹁憂し﹂と﹁辛し﹂を対照させた点に技巧があるが︑同様のものに︑
我や憂き人や辛きと千早振る神てふ神に間ひ見てしかな︵拾遺集恋四
身の憂きも人の辛きも知りぬるをこは誰が誰を恋ふるなるらむ︵和泉式部集
がある︒二首ともに相模と比べて︑人と我身の感情が逆だが︑技巧としては同じと見なされよう︒
‑‑1.‑
ノ、
雑では︑まず第一首
数ならぬ身のことわりを知らざれば恨みつべくも見ゆる君かな宣言一︶
は︑
次の
人やりにあらぬものから倒制引も身のことわりも思ひ矧則明や︵西宮左大臣集
と表現・内容ともに極めて近似している︒
第三首人も憂し我身も辛しと思ふにはうらうへにこそ袖は濡れけれ︵皇室︶
tま
第四首我
がご
とや
憂き
につ
けて
も忘
れぬ
とか
たみ
につ
らく
見え
まし
もの
を︵
五六
六︶
については︑その第二・三句の範囲内だが︑
何にとも憂きにつけつつ思ひ出でて忘るる時の間だにあらじな︵和泉式部集
の全
体を
締約
した
感が
ある
︒
第六首
、
7L
../八六 八
読み
人知
らず
︶
芸品
八︶
三:a:
=
τ 1
、、,,
一一一 一一
︿ 注
6﹀忘れ草種を心にまかせてや我がためにしも人のしげらす︵五六八︶
は
忘れ草種の限りは果てななん人の心に任せざるべく︵古今六帖第六
を本としていると言えるのではないだろうか︒六帖歌で打ち消された忘れ草への人の心が︑相模歌では人の思いのままに
2 A
己ヨ読み 人知 らず
︶
なったと逆転している点に差がある︒
第七首身にしみて立干しとぞ思ふ人にのみ移る心の色に見ゆれば宣完︶
は︑次の紫式部詠
紅の涙ぞいとど疎まるる移る心の色に見ゆれば︵紫式部集
、
、
J
が下旬を完全に同じくしている点で注目される︒
第八首
はやくより下の恨みは深けれど上ぞつれなき淀川の水︵君︒︶
では︑同じく﹁淀川﹂に人の心を託したものとして︑﹃全釈﹄に
淀川の淀むと人は見るらめど流れて深き心あるものを︵古今集
恋 四
寸 ニ ゴ
読み 人知 らず
︶
を挙げるが︑心の表面と奥の相違を歌う
芦根這ふうきは上こそつれなけれ下はえならず思ふ心を︵拾遺集
うもれずの上は寸判制剖さまにして判には淵劃恋もするかな︵能宣集
恋 四
八 九 ゴ 一 読み 人知 らず
︶
七九
︶
鳩鳥の下の心はいかなれやみなるる水の上ぞつれなき︵和泉式部集
一 一 己 一 ニ ︶
など
が︑
一つ の類 型を 示し てい る︒
﹁恨み﹂の深さを詠むことは
﹃相
模集
﹄六
十五
首歌
群に
つい
て︵
上︶
一一 一一 一
四
辛けれど人には言はずいはみがた倒剖ぞ欄劃心ひとつに︵拾遺集
恋五
アL
. r ¥ . 0
読み
人知
らず
︶
の例
があ
る︒
第九首で
は︑
明石浜いくら重ねにあらねども恨みぞっくす人の心を︵若一︶
﹁明石浜﹂について﹃全釈﹄では﹁明石須磨﹂と訂するが︑底本本文のままで解することとする︒むしろ﹁いくら
かさ
ね﹂
が意
味不
明で
︑そ
れは
︑
芦鶴の群れ居る末の松山はいくそかさねの千年なるらむ︵能宣集
とある﹁いくそかさね﹂が正しいかと思う︒
四八 三
兼盛集
六七
︶
第十一首
ひま
なく
ぞ難
波の
こと
も嘆
かる
るこ
や津
の国
の芦
の八
重葺
き︵
五七
三︶
は︑﹃全釈﹄に掲げる次の二首との関連が疑いないだろう︒
津の国の芦の八重葺きひまをなみ恋しき人に逢はぬ頃かな︵古今六帖第二
津の国のこやとも人を言ふべきにひまこそなけれ芦の八重葺き︵後拾遺集和泉式部︶
とくに和泉式部詠とは﹁こや﹂といった措辞まで共通する点で︑直接関係があると確認出来るだろう︒
恋 夫
プ マ
ブL第十
一一
一首
音に聞く野洲の懸け橋かけてのみ嘆きぞ渡る心ひとつに
宜主
︶
では
︑
﹁渡
る﹂
の縁
語仕
立て
は先
例に
東路の佐野の船橋かけてのみ思ひ渡るを知る人のなさ︵後撰集
﹁ 橋 ﹂
﹁懸
け﹂
恋
穴一 九
源等
︶
があり︑他の部分では
言へばえに言はねば胸に騒がれて心一つに嘆く頃かな︵書陵部本業平集
宅
が共
通す
る︒
第十四首菅原や伏見を君がことぐさにうち嘆かるることや何事︵毛穴︶
につ
いて
︑
﹃全釈﹄では︑第二句を﹁伏し見起き見﹂とするが︑上記の如く解し︑﹁共寝をしてあなたを見たいというの
﹁菅原や伏見﹂は﹃全釈﹄に次の例を挙げるが︑類例は少なくない︒が相手の口癖なのに﹂とした方が素直かと思う︒
恋しきをなぐさみかねて菅原や伏見に来ても寝られざりけり︵拾遺集恋五
むしろ︑下旬の特徴的な表現が一致する次の和泉式部詠との関連が注目される︒
九ゴ 穴
重之
︶
身の憂さを知るべき限り知りぬるをなほ嘆かるることや何事︵和泉式部集
六八
茸﹀
第十六首
思ひ
きや
知ら
ぬ山
辺を
なが
めつ
つ都
恋し
き音
を泣
かむ
とは
︵豆
七八
︶
では
︑
一首
の構
成は
忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは︵古今集
に倣ったと思われる︒下旬は
雑下
九 七 ︵ ︶
業平
︶
明け暮れは篠の島をながめつつ都恋しき音をのみぞ泣く︵信明集
τ
=子 ζ
、..../
が近
似す
る︒
第十七首
かづ
きす
る海
女の
たく
縄う
ちは
へで
もの
嘆か
しく
思ほ
ゆる
かな
︵五
七九
︶
では
︑
﹃相
模集
﹄六
十五
首歌
群に
つい
て︵
上﹀
五
ノ~
、
心得つ海女のたく縄うちはへてくるを苦しと思ふなるべし︵後拾遺集
が第二・一二匂の一致から本になっているかと思われる︒
雑
九六
︵︶
土御 門御 匝殿
︶
第十八首
いともけにおぼつかなしゃ目に近く憂きをば見じと思ひしものを
2 8
︶
土 ︑
よそにのみ思ひしものを目に近き人を恋ふるも恋にざりける︵重之女百首
恋
、
主王、 , ノ
ヵ
:
﹁憂きを見る﹂ことと﹁恋ふる﹂の差はあるが︑予想に反した間近な事とする点で︑表現内容ともに近似する︒
第十九首t土、
しば しだ に慰 むや とて 狭衣 の返 す返 すも なほ ぞ恋 しき
︵五 八一
︶
﹃全 釈﹄ にも ある が︑
唐衣ひも夕暮れになる時は返す返すぞ人は恋しき︵古今集
が本となっていると思われる︒
恋
ヨヨ己
ヨ 三
読み 人知 らず
︶
第二十一首
繰り返し我は恋ふれどもろかづらもろ心なる人のなきかな
/ "、
ヨ王/丸
、
』d
〆
で ︑
﹁もろかづら﹂は﹃全釈﹄に引かれるように︑
足引きの山に生ふてふもろかづらもろともにこそいらまほしけれ︵後撰集
恋
六九 回
読み 人知 らず
︶
﹁も ろ心
﹂は 珍し く︑ 他に 六条 院宣 旨集
︵ニ ニ︶ にあ るが
︑
さしながらみなことわりは音に聞く札の神ともろ心にして︵相模百首第二
と相模百首にあることが近藤氏の論考と﹃全釈﹄で指摘されている︒しかし︑なお見るとそれは権現の返しとされる百首 が
ある
が︑
憂へ
ヨ玉
だが 示唆 して いる
︒
︵ 注
7︶第二であり︑この百首については︑作者が公夫資あるいは相模自身との両説あり︑ここでは相模自身説の可能性をかすか
第二十二首
いつとなく恋するがなる有度浜のうとくも人のなりまさるかな︵五八四︶
+ふ
︑
﹃全 釈﹄ の掲 げる
年経れば駿河なるてふ有度浜のうとくのみなどなりまさるらん︵古今六帖第二
に拠ったことは間違いないだろう︒
第二十三首
命だ にあ らば とば かり 頼め ども 何か この ごろ 恋ひ
︑そ しぬ べき
︵五 八五
︶
につ
いて
は︑
今ははや恋ひ死なましをあひ見むと頼めしことぞ命なりける︵古今集
恋
、
命だにあらば頼まむ逢ふことのいと生きがたき心地こそすれ︵実方集
の二首が表現・内容ともに近似する︒
一九
七︶
第二十四首
つれ もな き人 をし もや は偲 ぶべ きね たさ もね たき 我が 心か な︵ 五八 六︶
では︑次の
つれもなき人をやねたく白露の起くとは嘆き寝とは偲ばむ︵古今集
恋
が最も内容・表現ともに最も近いが︑
人知らでねたさもねたし紫の根摺りの衣うはぎにを着ん︵後拾遺集
来 在
﹃相
模集
﹄六
十五
首歌
群に
つい
て︵
上︶
プて
、ーノ
一 』ノ、
深養
父︶
四 八 六 読み 人知 らず
︶
ブ
L頼宗
︶
七
の表現の一致は頼宗一誌に倣ったものと思われる︒
第二十五首
下紐の結ふ手たゆくや思ふらむ寝ても覚めても我が恋ふる人︵五八七︶
は﹃全釈﹄の挙げる二首︑
思ふとも恋ふとも逢はむものなれや結ふ手もたゆく解くる下紐︵古今集
わりなくも寝ても覚めても恋しきか心をいやっちゃらば忘れむ︵古今集
を本とすると思われる︒
第二十七首
身の 憂き を思 はぬ 山に 行き しよ り一 俣を えこ そと どめ ざり けれ
︵五 八九
︶
世の中の憂さから山に逃れることは﹃全釈﹄の挙げる
み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時の隠れ家にせむ︵古今集
ほかに多くあるもの︒下旬は
逢坂の関とは聞けど走井の水をばえこそとどめざりけれ︵後拾遺集
との一致が注意される︒
第二十八首
汲みしより心づくLに嘆くかな君ゆゑ物を思ひ染川︵売O︶
は︑次の﹁染川﹂という歌枕の詠法に拠ったものだろう︒
劃劇なる思ひ染川渡りなば水やまさらん淀む時なく︵後撰集
渡りでは仇になるてふ染川の心づくしになりもこそすれ︵後撰集
亦企
ハ
恋六 雑下
鴎 旅
恋 恋
︒四
六
五 ︵ ︺ 七 読み 人知 らず
︶ 君 ︒ 読み 人知 らず
︶ 九 五 ︵ ︶
読み 人知 らず
︶ 五
︵
︶
O
頼宗
︶
真忠
︶
一
O
四七
読み 人知 らず
︶
八
第二十九首
東路の浅聞の山にあらねども思ひに燃ゆる胸ぞ信しき︵豆九一︶
は︑第二十八首同様︑歌枕の詠法に拠ったもので︑﹁思ひ﹂に﹁火﹂をこめることも珍しくない︒
信濃なる浅間の山も燃ゆなれば富士の煙の甲斐ゃなからん︵後撰集
離別
宍
駿河
︶
富士の嶺をよそにぞ聞きし今は我が思ひに燃ゆる煙なりけり︵後撰集
恋六
︒ 一 回
朝よ
り︶
七
以上︑春夏秋冬雑からなる六十五首について︑平安和歌の中で類似性が濃くて直接ないし間接に関わるものを列挙した
が︑その数はかなり多数になったと言えるだろう︒それらの先行歌として挙げたものでは︑古今集以下の三代集および後
拾遺集の歌が多く認められることはごく自然な事と思われるが︑最も特徴的な事は︑好忠・和泉式部の歌が多いことだろ
ぅ︒それはそれぞれの家集の百首歌および他の部分l好忠で言えば毎月集だがーにも及び︑二人の和歌の強い影響あるい
は摂取があると言える︒
また四季と雑の末尾に注目することで︑この歌群の構成に関わる事が明らかになると思われる︒まず四季末尾が和泉式
部百首の同位置の歌の強い影響下に成ったものであり︑それは四季三十五首の綴じ目として位置付けされたものと思われ
るこ とで ある
︒
一方逆に雑末尾はその先行歌が見いだせないが︑後述する雑の内容考察を先取りして言えば︑雑末尾の歌
は雑全体の総括的役割を担って作られていると思われることである︒つまりこの歌群は六十五首という耳慣れないね拠だ
が︑四季・雑の末尾に注目することで︑これで完結性が図られているということを確認できると思うのである︒
きて︑上述のように先行歌が多いということは相模の作歌上の力量が不足なために先行歌に頼ったという︑相模の歌人
﹃相
模集
﹄六
十五
首歌
群に
つい
てハ
上﹀
九
四0
としての幼さを表したものと考えることも可能だろう︒しかし︑逆に相模の和歌学びあるいは和歌の教養が広範囲に渡る
豊かなものであることを示し︑歌人としてのある程度の経験の豊かさを示すものと評する考えもあり得る︒歌群末尾に︑
これはまことにいはけなかりしうゐことに書き付けて︑人に見せむこそあさましけれ
とあるものを言葉どおり評価すれば︑前者となろう︒確かに先行歌を全く安易に利用したかと評L得る歌も混在している
と言 えな くは ない
︒
しか
し︑
一方後者の考え方も捨て難いと思われる︒すなわち一首一首および歌群全体は多くを先行歌
に拠りつつも︑相模独自の世界を形作ろうとしており︑単に安易な作歌による歌群とは評し切れない内容を持っていると
も言えるのである︒むしろ歌群末尾のことばは︑一種の謙辞と考えるべきだろうと思う︒これについては︑なお改めて考
察したいが︑近藤氏ほかが指摘しているように︑この歌群は百首歌と関連深いとされ︑それは和泉式部と好忠のほか重之
女・恵慶の百首歌からのものもわずかだが挙げ得ることで証される︒以下ではこの六十五首に幼きを見るか巧みさを見る
まず歌枕︵地か︑またこの歌群全体としての特色ないし相模の意図などについて考えるために︑初期百首歌との比較を︑
名︶ の一 詠み 方か ら見 るこ とと した い︒
百首歌でも男性と女性で詠み方に差があるようである︒男性歌人達の歌枕︵地名︶を詠んだ歌として︑
四季では次の歌々が挙げられる︒ まず好忠百首の
昨日まで冬こもれりし暗部山今日は春ベと峰もさやけみ
︵ 春 ︶
まきもくのあなしの桧原春立てば花か雪かとみゆる木綿四手︵同︶
み吉野の象山陰に立てる松いく秋風にそなれ来ぬらん︵秋︶
久木生ふるひさのの原も冬くれば雲雀の床ぞあらはれにける︵冬︶
高瀬さす淀の汀の上氷下にぞ嘆く常ならぬ世は︵同︶
これらから読み取れることとしては︑歌枕︵地名︶は季節の叙景に現実感を与えるものとして詠みこまれていることと︑