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企業における SDGs 実践の規範的アプローチ

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企業における SDGs 実践の規範的アプローチ

      大塚祐一

(就実大学経営学部)

Normative Approach to Corporate SDGs Activities

Yuichi Otsuka

要旨:本稿の目的は、規範倫理学の視点(功利主義、義務論、徳倫理学)から企業の

SDGs 実践に 期待されることは何であり、またその際の留意点は何であるかを検討することである。各倫理学説 の特徴を簡潔に述べた後、本稿では次の点を企業への要請事項として提示した。すなわち、功利主 義的アプローチにおいては、 「ビジネスを通じて SDGs の各目標に貢献し社会の厚生を高めること」、

義務論的アプローチにおいては「社会の公器としての企業の使命や義務感に従って(無条件的な命 令としての経営理念に従って)SDGs に貢献すること」、徳倫理学的アプローチにおいては「SDGs 実践を通じて従業員の徳を育むこと」などである。これらを踏まえた上で本稿では、企業が SDGs を捉える際には各アプローチが掲げる理想をバランスよく考慮に入れることの重要性を指摘した。

ABSTRACT: The purpose of this paper is to examine the SDGs practices required of companies from the perspective of normative ethics (utilitarianism, deontology and virtue ethics). After briefly describing the characteristics of each ethical theory, this paper presents the following points as requirements for companies. Utilitarianism requires companies to contribute the SDGs through business activities and to enhance the welfare of society, and deontology requires companies to contribute to the SDGs according to corporate mission and sense of duty. In addition, virtue ethics requires companies to cultivate the virtue of employees through the corporate SDGs practices. Based on these discussions, this paper points out the importance of contributing to the SDGs while considering these ethical requirements in a balanced manner.

キーワード:

持続可能な開発目標(SDGs)、規範倫理学、無条件的な義務としての経営理念、目指       すべき理想としての経営理念

Keywords: Sustainable Development Goals, Normative Ethics, Management Philosophy as

      unconditional duty, Management Philosophy as ideal to strive towards

(2)

1.はじめに

 近年、持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)に対する関心が高まってい る。その関心は国際機関や各国政府の枠を越え、地方自治体や市民社会、さらには教育機関などに も広まりつつある。グローバル社会を構成するあらゆる主体が2030年の目標達成に向けて独自の取 り組みを展開しているが、その中でも特に高い期待が寄せられているのが企業である。例えば、

SDGsが採択された当初より、国連は企業を「重要なパートナー」と位置づけ、人類共通の課題に 対する積極的な貢献を求めている

1

。また近年では、環境問題や社会問題に関心を持つESG投資家 が影響力を持つようになり、市場からの圧力も一段とその強さを増してきている。企業にとって SDGsは今や「取り組むべきか否か」という選択の問題ではなく、取り組むことが不可避であると の前提に立って「いかに経営に組み込んでいくか」という戦略の問題になってきている。

 こうした状況から明らかなのは、企業にとってSDGsは「リスク」と「機会」の両面を併せ持つ ものであるということである。周知の通り、SDGsは17の目標と169のターゲットから構成されてい るが、別の見方をすれば、これら目標郡は「多様なステークホルダーからの期待と要請の束」ある いは「未だ満たされていないニーズの束」とも捉えることができる。このように考えるならば、多 様なステークホルダーからの期待や要請に応えずに目を背けることは企業にとって大きなリスクと なり得るが、他方で未だ満たされないニーズをビジネスによって充足することができれば、企業に とって成長の機会にもなり得るわけである

2

 そのような中にあって、企業倫理学の視点から現状を眺めてみると、上辺だけの体裁を取り繕う だけで実態が伴っていない企業の存在(SDGsウォッシュ)を問題視する声や、SDGsに取り組むこ とと企業の経済的利益を過度に結び付けようとする風潮に懸念を示す声などが徐々に大きくなって きているように思われる。このままのペースでは2030年までに目標を達成することが難しいとの見 方も出てきている中

3

、社会の公器としての企業はいかにSDGsを捉えるべきであるか、またいかな る実践が期待されるのかといった根本的な問いに立ち返って考える必要があるのではないだろう か。かかる問題意識のもと、本稿では、規範倫理学の知見を応用し、規範的な観点から企業に期待 されるSDGs実践のあり方を検討する。具体的には、功利主義(utilitarianism)、義務論(deontology)、

徳倫理学(virtue ethics)の3つの倫理学を取り上げ、各アプローチが企業に何を期待するか、ま たその際の留意点は何であるかを考察する。功利主義、義務論、徳倫理学はそれぞれ異なる理想を 掲げ、異なる実践を企業に期待するが、かかる相異性を念頭に置いた上で多様な視点からSDGs実 践のあるべき姿を描き出すことが本稿の狙いとなる。 

      

1 

GRI., United Nations Global Compact. & WBCSD. (Eds). (2015). SDGs Compass: The Guide for Business Action on the SDGs, p.4.

2 

本稿における「リスク」と「機会」に対応する説明として、沖(2018, 163-168頁)は「守り(消極的)」と「攻め(積 極的)」という視点からSDGsの二面性を整理している。

3 

日本経済新聞「世界の投資家、視線厳しく」2020年11月17日付。

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2. SDGsの功利主義的アプローチ

 本節では、代表的な倫理学説の1つである功利主義を取り上げ、功利主義的な考えに立脚した際 にいかなる実践が企業に求められるのかを検討していく。その後、SDGsの功利主義的アプローチ が抱える落とし穴について指摘する。

2.1 功利主義とは何か

 まずは功利主義の基本的な立場を押さえていきたい。ただし、功利主義と言ってもその種類・バ ージョンは一様ではないため、ここでは本稿の目的を果たすのに十分な範囲での説明に留めておく。

第1に功利主義は、帰結主義(Consequentialism)の立場を取る。帰結主義とは、ある行為が道徳 的に正しいのは、その行為によってもたらされる帰結が最善である場合に限られるという立場であ る。ここに最善とは、「快−不快(苦痛)」によって判断され、快が増大することもしくは不快(苦 痛)が減少することを指す。例えば残りの寿命が僅かとなった病床の母に対し、あなたが「病状は 少しだが回復に向かっている」と嘘をついたとしよう。嘘をつくという行為は、多くのケースや状 況で不道徳と見なされるが、その行為によって母の苦痛が減少し、苦痛が和らいだ母の姿を見てあ なたの快も増大するとすれば、最善の帰結がもたらされたと見なされ、その行為(母に嘘をついた こと)は許容されるわけである。なお、功利主義の代表論者であるジェレミー・ベンサムは『道徳 および立法の諸原理序説』において、人間が感じる快楽の一例として、感覚の快楽、富の快楽、熟 練の快楽、親睦の快楽、敬虔の快楽、慈愛の快楽などを挙げている

4

 第2に功利主義は、「私」的な幸福や快を強調する利己主義とは異なり、公益性を重視する。先 程の病床の母のケースをもう一度考えてみたい。あなたが母に嘘をつくことで、もしあなた自身の 快が増大したとしても、母をはじめ他の家族の不快が増大するという結果がもたらされる場合、功 利主義はこの行為(あなたが嘘をついて母を励ます行為)を最善だとは見なさない。功利主義にお ける最善とは「最大多数の最大幸福」という言葉で示されるように、より公益性を重視したものと なる。それゆえ功利主義における正しい行為とは、その行為が結果として当事者全体の最大多数の 最大幸福に資するものであるか否かによって判断されることになる。

2.2 功利主義は企業に何を期待するか

 功利主義の考え方は、既にビジネス社会の至るところで応用されている。例えば、近年では株主 や従業員のみならず、多様なステークホルダーの利益を考慮に入れた経営が求められているが、こ れは企業を取り巻く当事者(利害関係者)全体の「最大多数の最大幸福の実現」を目指そうとして いるという意味で功利主義的であると言える

5

。また、マイケル・ポーターが2011年に提唱したCSV       

4 

なお、苦痛については、欠乏の苦痛、感覚の苦痛、気まずさの苦痛、敵意の苦痛、悪名の苦痛、敬虔の苦痛、慈愛 の苦痛、記憶の苦痛、想像の苦痛、期待の苦痛、連想に基づく苦痛を挙げている。Bentham. (1970). An Introduction to the Principles of Morals and Legislation, pp.42 50. ベンサム(1967)『道徳および立法の諸原理序説』116 124頁。

5 

これに関連して、2019年8月、米国を代表する企業によって構成されるビジネス・ラウンドテーブルがこれまでの 株主資本主義から脱却し、あらゆるステークホルダーの利益を考慮にいれる声明を発表したこと(「株主資本主義」

から「ステークホルダー資本主義」への転換を表明したこと)は記憶に新しい。

(4)

(Creating Shared Value:共通価値の創造)のコンセプトも、その根底には功利主義的な発想を見て 取ることができる。Porter & Kramer (2011, p.64)はCSVを「社会のニーズや問題に取り組むことで 社会的価値を創造し、その結果、経済的価値が創造されるというアプローチ」と定義しているが、

これを端的に示せば「企業と社会のWin-Winを目指す経営コンセプト」となり、功利主義が掲げる 最大多数の最大幸福のスローガンと極めて整合的であると言える。

 ではSDGsの目標達成に向けて、功利主義は企業に対し何を求め、いかなる実践を期待するだろ うか。その実践内容は複数考えられるだろうが、本稿では一先ず次の点を挙げておきたい。それは

「ビジネスを通じてSDGsに貢献し社会の厚生を高めること。すなわち、SDGsへの貢献を通じて社 会に新たな価値を創造すること

6

。」である。換言すれば、SDGsの諸課題に取り組むことでより多 くのステークホルダーの快を増大し、同時に苦痛を減少させること、となろう。既述の通り、

SDGsは「未だ満たされていないニーズの束」と捉えることができるが、功利主義的な発想に立てば、

ビジネスを通じてより多くの人々のニーズを満たすこと(快を増大させ、苦痛を和らげること)が 企業に期待されることとなる。例えば、貧困層向けの低価格商品の開発や教育ツールの普及などを 通じて貧困に苦しむ人を減少させること、ICT技術を通じて消費者や社会の利便性を高めること、

自社商品を通じて人々の健康や福祉の増大に貢献すること、誰もがきれいな水を飲める社会の実現 に貢献すること、性別や人種を問わず多くの従業員にとってやりがいある仕事を創出すること、イ ンフラを整備し生活者の生活の質を高めることなどがほんの一例である。さらに、ステークホルダ ーの範囲を環境や将来世代にまで広げて考えるならば、環境配慮型商品を積極的に世に送り出すこ とや環境効率をより一層高めること、海の豊かさを守ること、生物多様性の保護などが期待されよ う。

 さて、SDGs実践における功利主義的アプローチの魅力は、ビジネス(営利活動)との整合性が 高く、企業をSDGs実践に駆り立てるインセンティブとして有益であるということである。実際、

「SDGsに取り組むことで社会の厚生を高めながら、企業としての利益も確保せよ」「SDGsの諸課題 に貢献することで、企業と社会のWin-Winを達成せよ」といった功利主義「的」なメッセージが、

企業とSDGsの結び付きを語る際の1つの潮流となっているように思われる。ここで注目したいのは、

功利計算の中に企業自身も含まれているということである。当然と言えば当然であるが、ビジネス やその他の活動を通じて仮に社会の厚生が高まったとしても、企業にとっての利益が創出されなけ れば最大多数の最大幸福が達成されたとは見なさないということである。その意味において、

SDGsの功利主義的アプローチは、「社会にとって良いことをしながら利益を稼ぐ」というCSV的な 発想と強く結びついていると言える。

      

6 

これについては高(2013)『ビジネスエシックス』128 129頁を参照した。高は「社会はどうあるべきか」という問

いを扱う社会哲学(功利主義、自由至上主義(リバタリアニズム) 、社会自由主義(ニューリベラリズム)、共同体主

義(コミュニタリアニズム))の思想をビジネスに応用させて「企業はどうあるべきか」を論じているが、本稿にお

ける功利主義的アプローチの発想は、高(2013)に多くを負うものである。また、規範倫理学の視点から企業の

SDGs実践のあるべき姿を導出するという本稿の着想も高(2013)から得たものである。

(5)

2.3 功利主義的アプローチの落とし穴

 SDGsの功利主義的アプローチがCSV的な発想と強く結びついているということは、その全てと までは言えないにせよ、CSVに向けられる批判の多くが同じく当てはまることを意味する。拙稿

(2019, 45‑74頁)では、CSVに対する批判について、(1) CSR(企業の社会的責任)の概念を過度に 歪曲しているという批判、(2) CSVによって期待される成果への批判、(3)ビジネス活動に伴う負 の影響を最小化するという視点が欠如しているという批判、(4)古典的パラダイムから未脱却であ るという批判、(5)倫理的価値観が欠如しているという批判、の5つに分類し先行研究をレビュー したが、本稿では5つ目の「倫理的価値観の欠如」について簡潔に示すことにしたい。これらの批 判は、SDGsの功利主義的アプローチが抱える課題にも繋がると考えられるからである。

 倫理という観点からCSVを批判する論者の多くは、CSVを功利主義的な色彩を強く帯びるもので あると認識した上で、この後に見る義務論的な価値志向を併せ持つことの重要性を指摘する。De George(2006, p.56)は、「企業(business)は伝統的に善を金銭に還元し、金銭単位でコストと利 益の計算を行う。ビジネスの目的は営利であるがゆえに、収益をもたらすことにつながる行為が善 であり、損失を生む行為は悪と考えられる」と述べているが、CSVにおいてもこれに類似した認識 が背景にあるものと考えられる。これに関連し、例えば、Beschormer(2013, pp.110‑111)は、企業 はCSVが前提とする「経済主体としての企業」という視点のみならず、社会的主体としての企業が 拠って立つような義務論的な視点に立った企業理念や戦略を示す必要があると主張する。すなわち、

企業にとって利益は重要であるが、それが過度に強調されるのではなく、「社会に対する我々の貢 献とは何であるか」「我々にとって根本的となる価値は一体何であり、その価値から導き出される 戦略とは何であるか」といった視点を持ち合わせることが重要であるということだ。また、

Donaldson(2014)も、CSVの功利主義的な側面に言及しながら、企業価値というものを考える際に 戦略的な側面を強調し過ぎることや、企業価値向上の単なる手段として社会的価値を理解してしま えば価値それ自体の重要な側面を見失ってしまうと指摘した上で、ビジネスにおいては義務論的な 考え方が求められると主張する。

 こうした主張に類似するものが、SDGs実践の脈絡においても指摘され始めている。例えば、國 部他(2019, 228頁)は、「結果として成果が上がるのであれば問題はないが」と断った上で、経済 的成果を目指してSDGs活動を行うことや、SDGsを企業が果たすべき社会的責任の一貫としてでは なく、単なるビジネスチャンスとして捉えようとする社会的風潮に警鐘を鳴らしている。また、

CSVと同様に企業のSDGs活動を企業と社会のWin-Win (最大多数の最大幸福)を目指すものとして 限定的に捉えようとすれば、高田(2019, 595頁)が指摘するように「儲からなそうであればそこか ら手を引く経営が企業にとって望ましい」との論理も成り立つことになる。

 SDGsの功利主義的アプローチは、「企業と社会の双方にとっての善を最大化する」という1つの

目指すべき理想を提示してくれる一方で、上記のような落とし穴もある。CSVに対する批判や企業

のSDGs実践に対する上記の指摘から言えることは、企業がSDGsに取り組むに際し功利主義的な価

値観のみを持っていれば十分かと言えばそうではない、ということである。結論を先取るならば、

(6)

企業と社会のWin-Winを目指すにしても、自社が果たすべき使命や義務は何であるかという視点(義 務論的視点)が必要になるだろうし、企業と社会の持続可能な発展を支えるような美徳の陶冶とい う視点(徳倫理的視点)も抜きにすることはできない。そこで以下、まずはSDGsの義務論的アプ ローチについて検討してく。

3.SDGsの義務論的アプローチ

 本節では、功利主義と並ぶ代表的な倫理学説の1つである義務論を取り上げ、義務論的な考えに 立脚した際にいかなる実践が企業に求められるのかを検討していく。その後、義務論的アプローチ の留意点および功利主義的アプローチとの関係性について述べる。

3.1 義務論とは何か

 義務論は功利主義とは対照的に非帰結主義(Non-consequentialism)の立場を取る。すなわち、

ある行為の善悪の判断を当該行為によってもたらされた帰結によってではなく、その行為が義務や 優れた動機からなされたものであるか否かによって判断する立場である。以下では、義務論の代表 論者イマヌエル・カントの所論を概観する。

 カントが目指したのは、人間の道徳を導く手引きとしての実践的原則と、道徳を正しく判定する ための規範を普遍性と絶対性を備えた道徳の最高原理として確立することであった。そこでカント が着目したのが、個々の人間の善意志と義務である。カントによれば、理性的存在者としての人間 の行為や判断を善とするのは、その行為や判断の背後にある善意志(意図や動機)のみであり、善 意志のみがすべての倫理的行為の正当化根拠であるとした(梅津, 2004, 44頁)

7

。そして、善意志に よって促される人間の行為として、彼は「義務」の概念を取り上げる。カントは、我々の行為が「義 務」に基づくという理由から行われる時、その行いは純粋に道徳的に正しいと言えるのだと考えた

8

。 しかしながら、「義務」に基づく行為が直ちに倫理的であると見なされるわけではない。例えば、

ある経営者が不正に手を染め「私には経営者として従業員とその家族の生活を守る義務がある。私 はその義務を忠実に果たしただけである」と弁明したところで、不正行為が正当化されることはな い。では「義務に基づく」とはいかなることを意味するのだろうか。

 カントは、何が道徳的な行いであるかを規定するための普遍的な原理の必要性を訴えるが、他方 で彼は個々の人間がそれぞれ主観的原則(原理)を持っていることを認めていた。カントはこれを

「格率(Maxime)」と呼ぶ。そして個々の格率(主観的な行動原則)が真に道徳的であるか否かは、

「定言命法」が教えてくれると言う。定言命法とは、無条件的な命令として与えられるもので、 「〜

      

7 

カントは『道徳形而上学原論』において、「我々の住む世界においてはもとより、およそこの世界のそとでも、無 制限に善と見なされ得るものは、善意志のほかにはまったく考えることはできない(22頁)」とし、善意志を「いっ さいの善を成立せしめる条件をなすもの(30頁)」と説明する。

8 

「純粋に」というのは、経験によって認識される(アポステリオリ)のではなく、ただ理性のみによって見出され

得るという意味である。カントのこうした立場は、道徳的認識の源泉を理性に置くという意味から理性主義とも言わ

れる(田中, 2012, 28頁)。

(7)

すべし」という形式で述べられる義務を指す。これは、条件付きの命令である仮言命法( 「もし〜

ならば、〜すべし」)とは区別される。例えば「野球が上手くなりたければ熱心に練習せよ」「良い 成績を取りたければ勉強せよ」は仮言命法である。仮言命法は、Aという目的を達成することを望 むのであれば、Bという行動を取らなければならないと規定する。他方、定言命法は何か特定の目 的を達成することを望む・望まざるに関係なく無条件にその命令に従うことを求めるものである。

「汝殺すなかれ」「汝の隣人を愛せよ」などは、いずれも定言命法の形を取る。

 そしてカントは、究極的な道徳原理を仮言命法ではなく定言命法に求める。ただし、彼が定言命 法として提示しているものは、「汝殺すなかれ」「汝の隣人を愛せよ」といったような個別具体的な 行為を指示・命令するものではなく、個々の格率(主観的な行動原則)が真に道徳的であると認め られるための「形式(テスト)」についてである。すなわち、個々人の格率が次の定言命法に合致 している場合、その限りにおいて当該格率は道徳的であると認められるということである。定言命 法は,以下の3つの法則から成る。

(1)第1の法則:格率の普遍性

「あなたの行為の格率があなたの意志によって、あたかも普遍的自然法則となるかのように行為 せよ。」

 第1の法則では、その格率が理論的一貫性を保持し、自己矛盾に陥ることはないか否かを問う。

ここでの要諦は、もし万人がその格率に従って行動した際、そこに社会生活が成り立たなくなるよ うな矛盾は存在しないか、また仮にそのような社会が成り立つとしても、そのような社会に住みた いと思うかを考えよ、ということである(梅津, 2004, 47頁)。その結果、自己矛盾に陥るならばそ の格率は道徳的であるとは認められない。例えば、カントは、返済の当てが無いにも拘わらず、そ れを偽って返済を約束すること(嘘をつくこと)は自己矛盾に陥るとし、第1の法則に適合しない ものとして退ける。なぜなら、世の中の人が皆嘘をついて、返済の当てのない約束をすることを普 遍的法則とすれば、そもそも「約束すること」自体を不可能にしてしまうからである(カント, 2005, 88‑89頁)。

(2)第2の法則:理性的存在(人格)の尊重

「あなた自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存在する人間性を、いつでもまた いかなる場合にも、同時に目的として使用し、決して単なる手段としてのみ使用してはならない。」

 これは有名な「人を手段として扱ってはならない」の命法であり、理性的存在者(人間)に対す

る尊敬を表現したものである。カントは、あるものが手段としての相対的価値だけを持つ場合、そ

れを「物件」と呼び、また目的それ自体としての絶対的価値を持つ存在である理性的存在者を「人

格」と呼び、人格は手段としてではなく目的として扱われなければならないと言う(カント, 2005,

(8)

101‑102頁;田中, 2012, 33頁)。先の「返済の当てのない偽りの約束」について考えてみれば、偽り の約束を持ち掛けた人は、貸し手の存在(人格)を単なる手段としてしか捉えていないことが分か る。

(3)第3の法則:自律性の法則

「普遍的に立法する意志としての、それぞれの理性的存在者という理念」あるいは「各人の意志が、

自らのすべての格率を通じて普遍的に立法する意志であるという原理。」

 これは、理性的存在者である人間は、自分が従うその道徳法則を自ら立法する能力を持っており、

定言命法を道徳法則とするという意志の自発性を持っているということを意味するものである(意 志の自律の原理)

9

3.2 義務論は企業に何を期待するか

 ここでは企業のSDGs実践について、義務論的な視点から期待されることを検討してみたい。功 利主義的アプローチと同様に、具体的な実践内容については複数考えられようが、本稿では一先ず 次の1点を挙げておく。それは「仮言命法ではなく、定言命法に従うこと。すなわち、SDGsを利益 追求の手段としてのみ位置づけるのではなく、社会の公器としての使命や義務に従ってSDGsに貢 献すること」である。既述の通り、義務論において従うべき義務とは、条件付きの命令である仮言 命法ではなく、無条件的な命令である定言命法である。ビジネスの脈絡に当てはめれば、 「経済的 利益を得たいのであれば、SDGsに熱心に貢献せよ」「投資家からの評価を高めたいのであれば、

SDGs活動に取り組め」「評判を落としたくないのであれば、真摯にSDGsに向き合え」などは仮言 命法(条件付きの命令)となる。取り組みの結果として企業と社会により多くの善が生み出された としても、それが仮言命法に従うものであったならば、義務論的な視点からは歓迎されないことと なる。

 ではこの場合における無条件的な命令とは何であろうか。例えば次のようなものが挙げられるか もしれない。「自動車メーカーとして、環境に優しい車づくりを通じてSDGs上の環境目標に貢献せ よ」「食品メーカーとして、食を通じて貧困や栄養改善などの目標達成に貢献せよ」 「金融機関とし て、SDGs活動に取り組む企業を間接的に支援せよ」「教育機関として、持続可能な社会の実現を担 う人材を育成せよ」などが無条件的な命令の一例である。一見するとこうした要請は過度に理想主 義的な内容にも聞こえるが、実際には多くの企業が経営理念(あるいは経営哲学)という名の下で、

従うべき無条件的な命令としての定言命法が設定されている。そこには、自社の使命や達成すべき 義務が無条件的な命令として記されており、基本的には定言命法的な形式がとられている。少なく

      

9 

第1及び第2の法則とは異なり、この第3の法則については命法の形を取っていないが、田中(2012, 35頁)は、 「カ

ント自身がこの理念ないしは原理について、第3の法式という説明を繰り返しているので、これを3つ目の法式であ

ると理解するのが妥当であろう」と述べている。

(9)

とも、「利益を得るために社会に貢献する」「評判を落とさないために社会に貢献する」などといっ た経営理念は皆無である。

 もっとも、営利を主たる目的とする企業としては、採算を度外視してまでSDGs活動を行うこと は難しいし、現実的でもない。また、ESG投資家や国際NGOなどといった外部ステークホルダー からの評判・評価を意識することは当然のことである。新たな収益源としてSDGsを捉える企業や、

外部ステークホルダーからの評判を気にしてSDGsに取り組む企業は、カントの目には「打算的」

と映るかもしれないが、ビジネスという脈絡においては打算的な行動原理を完全に捨て去ることは 容易ではないし、ましてや現実的でもない。したがって、企業の取り組みが打算的であるか否かに ついて深く掘り下げて議論することにはほとんど意味はなく、「SDGsを利益最大化の手段に使うべ きではない」などと主張したとしても、そこから実践的な示唆はほとんど得られない。企業の実践 が打算的であるか否かではなく、むしろ義務論的な観点から提起される重要な示唆は、ESG評価機 関から高い評価を得ることや、社外からの評判を高めることがSDGs活動の「第一目的」になって いないか、ということであろう。自社の持続的成長やステークホルダーからの高い信頼を得るとい う目的意識のもとでSDGs実践に真摯に向き合うのであれば−その中に多少の打算が見え隠れした としても−批判されるべきではないが、無条件的な義務としての経営理念が脇へ追いやられ、その 義務を果たすことに労力を割くのではなく、本来の趣旨から外れESGの評価機関からお墨付きをも らうことなどが目的化してしまっているような企業があるとすれば、そうした企業は批判の対象に なり得るだろう。

3.3 義務論的アプローチの留意点

 ビジネス社会を見てみると、多くの企業が功利主義的な発想に立ちながら義務論的な価値を尊重 した実践を展開しているように思われる。すなわち、自社が果たすべき無条件の命令・義務として の経営理念を拠り所として(義務論的アプローチ)、企業と社会のWin-Winを目指し(功利主義的 アプローチ) SDGs活動に取り組んでいるということである。

 他方で留意点を挙げるとすれば、企業として成果があがらないことの方便として義務論的な価値

観を用いるべきではないということである。「義務の念からSDGsに取り組んでいるのだから成果が

あがらなくても問題ない」「そもそもSDGsに取り組むことで、経済的な成果をあげようなどとは考

えてはいない」などがその一例である。義務論的な視点に立った時、経済的利益の追求のみを目的

としてSDGsを捉えることや、単に自社の評判を高める目的でSDGsへの貢献を標榜することなどは

許容されないが、企業がビジネス活動を通じて経済的利益を享受すること自体が直ちに避難される

わけではない。義務論的アプローチが示唆することは、SDGs活動を通じて利益を上げることへの

批判ではなく、SDGs活動を通じて正しく利益をあげることの重要性である。自社の使命や義務を

遂行するという背景から、各ステークホルダーの尊厳を保つ形でSDGsへの貢献がなされたのであ

れば、その結果として企業に経済的利益がもたらされたとしても、その利益は正当なものとして許

容されるだろう。少なくとも、倫理的に誤りであるとは言えない。それゆえ、義務の念からSDGs

(10)

に取り組むことと利益の創出を二項対立の構図で捉えることや、義務や使命感からSDGsに取り組 みさえすれば成果があがらなくても仕方のないことなどと主張し、成果が不十分であることの方便 として義務論的な価値観を持ち出すことは避けるべきである。

 ところで、功利主義と義務論は一方が結果(成果)を重んじるのに対し、もう一方は行為の動機 に着目するという点で通常は対峙する関係として位置づけられている。換言すれば、功利主義は「持 続可能な発展に合致するように経営することは有益である」という発想を持ち、また義務論は「持 続可能な発展に合致するよう経営することは義務である」という発想を持つ(Heikurinen, 2017, p.1402)。これをSDGs実践に当てはめてみると、功利主義的な発想のもとでは「持続可能な発展に 合致するようにSDGsに取り組むことは(結果として)企業の経済利益に貢献するし、社会にもプ ラスの影響を与えるため有益である。(企業と社会に利益をもたらす限りにおいて許容される)」と なり、義務論的な発想のもとでは「持続可能な発展に合致するようにSDGsに取り組むことは、社 会的存在としての企業が果たすべき義務である。(ステークホルダーの尊厳を考慮し、自社の使命 や義務という背景から取り組む限りにおいて許容される)」となろう。一見すると両者の関係や交 わりは希薄のように思われるかもしれないが、両アプローチが強調する「結果」と「義務」は実際 には相互補完的な関係にある。すなわち、営利組織である企業にとって経済的利益という1つの成 果を生み出すことは重要であるが、その成果を出すには企業としての確固たる義務感や使命感(ミ ッション)が不可欠であるということだ。そもそもSDGsに取り組むといっても、義務感や使命感 が不在のままでは、自社として何に向かって何に取り組めば良いかが曖昧なままとなってしまい、

その部分が不明確なままでは社会的価値の創出はおろか、経済的利益など望むべくもない。その意 味において、企業がSDGsに取り組む際には、功利主義的発想と義務論的発想を持ち合わせなけれ ばならない。

 ただし、本稿ではこれら2つの倫理学に加えて、徳倫理についても言及する。企業がビジネスを 行う際、考慮すべきステークホルダーの範囲を過度に限定してしまうことには大きなリスクが付き まとうが、これと同様に倫理学の理論を功利主義と義務論だけに限定してしまっては重要な点を見 落としてしまうことになるからである。そこで最後に、SDGsの徳倫理学的アプローチを検討して いく。

4.SDGsの徳倫理学的アプローチ

 本節では、功利主義・義務論と対比させながら徳倫理学の主な特徴を整理していく。その後、徳 倫理学のレンズを通じて企業のSDGs活動を眺めた際にいかなる実践が期待されるのか、またどの ような留意点が考えられるのかを検討していく。

4.1 徳倫理学とは何か

 倫理学の最も一般的な問いは「いかなる行為が道徳的に正しいのか」「我々はいかなる原理原則

に従って行為すべきか」である。既述の通り、この問いに対する功利主義の答えは、正しい行為と

(11)

は快を増大させるか苦痛を減少させる行為であり、従うべきは最大多数の最大幸福の原則となる。

また義務論の答えは、正しい行為とは定言命法によって導かれる義務に従う行為となる。ところが、

徳倫理学は、上記の問いとは全く異なる問いから出発する。それは「人間にとって善い生き方とは 何か」であり、かかる問いに対し徳倫理学は善き性格(美徳)を備えることの重要性を説く。一見 すると、人間にとって善い生き方とは何かという問いは 倫理 あるいは 倫理学 とは無関係で あるように思われるかもしれないが、アリストテレスの生きた古代ギリシャでは人間にとっての幸 福や善き生き方を探求する試みこそが、倫理学のなすべき仕事であると考えられていたのである。

その意味において、徳倫理学は「倫理学」という名称こそ付されているが、功利主義や義務論とは 全く異なる点に関心を寄せるものである。これが徳倫理学の第1の特徴である。

 第2の特徴は、功利主義と義務論が「行為」の道徳的な正しさを論じるのに対し、徳倫理学は「行 為者」の性格に焦点を当てることである。アリストテレスは、人間が達成し得る善のうち最高位の 善を「エウダイモニア(善く生きること)」とした上で、他の動植物とは異なり人間が人間として の機能を首尾よく発揮しながら送られる生を幸福な生き方(理想的な生き方)であると説く。ここ に、他の動物とは異なり人間が人間としての機能を首尾よく発揮する(すなわち善く生きている)

とは、理性的な生き方を涵養することであり、また社会的存在(関係性の中に生きる存在)として の生を充実したものにする諸々の徳を涵養することである(Hartman, 2013, p.247)。アリストテレ スは『ニコマコス倫理学』及び『政治学』において、人間を「社会的存在(社会的動物)」として 特徴付けたが、これを踏まえるならば徳とは、理性的・社会的存在としての人間が他者との良好な 関係を築き、自らの生を実り豊かなものにすることを促す性格特性と言い表すことができる

10

。なお、

アリストテレスは、節制、勇敢、思慮、友愛などをはじめとする多くの徳を例示しているが、これ 意外にも、勤勉さ、慎重さ、誠実さ、慈悲、社交性、謙虚さ、正直、寛容さ、ユーモアなどを徳の 一例として挙げることができよう。このように、徳倫理学は「人間として善く生きるためには、ど のような性格を身に付けるべきか」という問いに関心を持つことから、行為者基底の倫理学(agent- based ethics)や、性格に関する倫理学(character ethics)、さらには人間本性に関する倫理学(human nature ethics)などとも言われる(Arjoon, 2000, pp.161‑162)。

 第3の特徴は、「行為ではなく行為者に関心を向ける」と言っても徳倫理学が行為そのものを軽 視しているわけではないということである

11

。なぜなら、アリストテレス(2011, 45‑46頁)によれば、

徳を所有していることと、それを発揮することには大きな差異があり、徳を正しい仕方で発揮する 人こそが善き生を達成する人だからである。ここに言う徳の発揮とは、まさに「行為」そのもので       

10 

アリストテレス(2011, 225頁)は、「最も善き人とはその徳を自己に対してはたらかせるひとではなく、他に対し てはたらかせるところのひと」と言うが、この点を取ってみても徳や善き生とは、社会的な存在としての人間(人と 人との関係性の中に生きる存在)に関わる概念であることが分かる。

11 

Koehn (1995, pp.533 539)によれば、アリストテレスは「結果」を過去及び未来における諸結果と切り離すのでは

なく、また「結果」とはある特定の行為のみの結果に帰するものではなく、当該行為者による一連の行為の結果であ

ると見なしており、この点から徳倫理学が「行為の結果」を軽視するものではないこと、及び善き生とは幸福な人生

であり、人生を通じた徳の実践なしには幸福な人生を送ることはできないという意味で「行為それ自体」に重きを置

くと指摘している。

(12)

あり、この点からも徳倫理学が行為自体を軽視するものではないことが分かる。例えば、親切であ ることは1つの徳である。しかしながら、親切であるとはどのような振る舞いを指し、また親切な 人とは具体的にどのような人を指すのかについて、その知識を多分に有していたとしても、その人 が直ちに「親切である」とは言えない。親切な人であるような仕方で、親切さが求められる状況に おいて、実際に親切な行いを成すことで初めて親切な人となるということである。この点における 重要な示唆は、「今日の自分が明日(将来)の自分を作っていく」ということを自覚しながら生き ることの大切さである

12

。アリストテレス(2011, 71頁)は「人は、建築することによって大工とな り、琴を弾ずることによって琴弾きとなる。それと同じように、われわれは、もろもろの正しい行 為をなすことによって正しい人となり、もろもろの節制的な行為をなすことによって節制的なひと となり、もろもろの勇敢な行為をなすことによって勇敢なひととなる」と指摘しているが、その要 諦は、「行為によってその人がつくられていく」「行為によって善き人にも悪しき人にもなる」とい うことである。

4.2 徳倫理学は企業に何を期待するか

 功利主義・義務論と同様に、ここでは徳倫理学が企業のSDGs実践に期待することを検討していく。

第1に挙げられるのは、「企業のSDGs活動を通じて、従業員の徳を育むこと。換言すれば従業員の 人間的な成長に寄与すること」であろう。これはSDGs実践に限ったものではないが、徳倫理学を 支持する企業倫理学者の多くが善い企業の条件として指摘していることでもある。例えば、

Hartman (2017, p.10)は「善き組織とは、単に参加者に経済的な利益を提供するだけではない。アリ ストテレスの概念である善きポリスと同様に、徳の発展に応じるような組織を言う。」と述べている。

また、Solomon (1999, p.xxiv)も「善き企業とは、単に利益を上げているだけでなく、従業員のスキ ルに加え彼らの徳の発展に資するような環境を提供する企業である。」と述べている。両者の主張 に共通するのは、徳倫理学的な視点からビジネス活動を通じて従業員の徳を育むことを企業に期待 しているということである。 

 既に見たように、徳倫理学は、徳の獲得のための具体的な実践を重視する。勇敢さが求められる 時に勇敢な人間であるような仕方で実際に勇敢な行いを成すことで初めて勇敢な人となる。したが って、勇敢な人になるためには勇敢さが試されるような「経験」が必要になるわけだが、このよう に考えると企業によるSDGs実践は、その活動に参加する従業員に諸々の徳を育む「経験」の機会 を提供する実践、とも捉えることができるかもしれない。例えば、 SDGsの目標1「貧困をなくそう」

に取り組む食品メーカーがいるとしよう。その際、ターゲットとする貧困国や地域に直接訪れ現地 の人たちの声に耳を傾けることで得られる徳(思いやり、配慮、慈悲など)もあるだろうし、他の ステークホルダーと協働しながらプロジェクトを進めることで育まれる美徳(協調、信頼、気遣い

      

12 

これに関連して、例えばAudi(2012, p.274)は,徳倫理学は日々の行い(day-to-day-activity)を強調する所に特徴

があると述べており、また、Koehn(1995, p.536)は徳倫理学を日々の行いや振る舞い、判断が将来における自分の

品格や性格を決定付ける要素になるとの考えに立つ理論であると述べている。

(13)

など)や、プロジェクトの成功のために尽力する中で獲得される徳(責任感、粘り強さ、熱意、誇 りなど)もあるかもしれない。徳倫理学的アプローチが企業に期待することは、企業にとっての経 済的価値と社会にとっての価値だけではなく、その活動に参加することで育まれる美徳の存在にも 目を向けることである

13

。当然、上辺だけの体裁を取り繕うこと(SDGsウォッシュ)に躍起になる 企業は、HartmanやSolomonが言うような「従業員の徳の発展に応じる企業」とは言えない。SDGs ウォッシュによって育まれるのは美徳とは反対の悪徳だからである。

 第2に、自社が目指す理想の姿(こうありたいと願う企業の姿や実現したいと願う社会の姿)を 描き、その理想を愚直に追求していくことである。徳倫理学は「生き方の理想に関わる理論(田中,

2012, 147頁)」とも言い換えることができるが、既述の通りアリストテレスは、徳を涵養すること を理想的な生き方の必要条件とした。これをビジネスの脈絡に当てはめれば「企業としての生き方 の理想とは何であるか」を問うことであるが、企業が目指すべき理想は、既に多くの企業が経営理 念(経営哲学)として掲げている。そのように考えれば、企業にとってSDGsとは、企業が掲げる 理想を実現するために避けて通ることのできない課題群であることが分かる。例えば「食を通じて 豊かな社会を実現すること」を自社が目指す理想(経営理念)に掲げている会社があるとすれば、

貧困や飢餓はその理想の実現のために解消されるべき課題となろう。義務論的アプローチにおいて は「無条件的な命令」という視点から経営理念を取り上げたが、徳倫理学的アプローチにおいては

「目指すべき理想」というニュアンスで経営理念を捉えることができる。Solomon(1992, p.110)は徳 倫理学的な観点から経営理念を「働く意味、生きることの意味を謳うもの」と定義しているが、こ れは従うべき命令としての経営理念という意味合いではなく、自社の存在意義(パーパス)を示す もの、あるいは追求すべき理想としての経営理念という意味合いを強く帯びるものだと言える。

 第3に、SDGsの各目標を達成すべき「共通善(common good)」として捉え、社会というより大 きな共同体の構成員として善き社会の実現に向けて積極的にその責任を引き受けることである。共 通善とは、アリストテレスの伝統を引き継ぐ現代の共同体主義(communitarianism)の主要概念で あり、その代表論者であるEtzioni(1996, pp.85‑86)によれば、共同体やコミュニティによって、共 通して善きものと認識されているような社会価値を指す。また同じく共同体主義の代表論者である MacIntyre(2007, pp.236‑237)は共通善を「個人的欲望と利益の総計に先立ち、それとは独立に性格 づけ可能な公的な善」と定義している。共同体主義は過度な個人主義的な社会哲学へのアンチテー ゼとして1980年代以降関心を集めるようになったが、彼らが共通善を重視する理由は「個々がそれ ぞれにとっての善だけを自由に追求すれば、社会の秩序は維持されない」「何が善であるかを個々 の判断にすべて委ねるのではなく(道徳的価値の議論を棚上げするのではなく)、我々人間が共通 して目指すべき善を議論していくべきである」といった考えが背景にある。なお、Etzioni(1996, pp.102‑108)によれば、共通善は共同体の構成員によってなされる価値を巡る議論(「モラル対話」)

      

13 

これに関連して、拙稿(2020, 61 63頁)では、企業がSDGsに貢献するによって創出される非経済的な価値として、

従業員にとっての「よい仕事」を取り上げ、経済的価値だけではなく非経済的な価値にも目を向けることの重要性を

指摘した。

(14)

によって形成されるものであり、例えば1970年代以降、地球レベルでのモラル対話によって、「環 境保護」という新たな共通善が合意に至ったと述べている。これを踏まえれば、国連加盟国政府を はじめ、多くのステークホルダーの参画によって採択・合意に至ったSDGsは「現代社会における 共通善のリスト」と捉えることができよう。徳倫理学(共同体主義)的アプローチにおいては、地 域社会の構成員として、またグローバル社会の構成員として、SDGsという共通善に貢献すること が企業に求められることになる。また、徳倫理学や共同体主義を支持する企業倫理学者の多くは、

企業それ自体を1つの共同体として捉え、企業共同体における共通善の実現を期待する。SDGsの 目標に則して考えれば、例えば「従業員が誇りとやりがいを持って働ける環境を整備すること(目 標8)」「個を尊重しジェンダーの平等に努めること(目標5)」などが企業を共同体として捉えた 場合の共通善の一例となろう。

4.3 徳倫理学的アプローチの留意点

 企業が徳倫理学的なアプローチでSDGs活動を進める際の留意点もいくつか指摘しておきたい。

第1に挙げられるのは、「フィランソロピー(純粋な社会貢献活動)に留まらず、可能な限り本業を 通じたSDGsへの貢献を目指すこと」である。徳倫理学的アプローチが期待する「徳を育む」とい う点に着目すれば、本業とは異なる利益を目的としない活動においてもそれは可能であり、また同 時にSDGsに貢献することも可能である。例えば、フィランソロピー活動を通じて環境課題に貢献 すること、出前授業などを通じて自社の持つ技術やその可能性を若い世代に伝授すること、地域の NPOと協働してSDGs普及のイベントを開催すること、などが挙げられよう。もちろん、こうした 取り組みも共同体の一員としての企業が果たすべき責任の1つではあるが、純粋な社会貢献活動の 段階に留まることなく、本業(ビジネス)を通じてSDGsの諸課題を解決していくことが期待される。

言うは易く行うは難しではあるが、 「自分たちには何ができるのか」「自分たちがすべきことは何か」

「それをどう達成していくか」「採算が取れる形でどう成功させるか」という難題に向き合い熟慮す るプロセスこそ、真に徳の陶冶に資する実践だからである。

 第2に挙げられるのは、「企業自身が新たな共通善の形成に積極的に関与していくこと」である。

既述の通り、グローバル社会という共同体の構成員として、企業には現代社会の共通善とも言うべ きSDGsに貢献することが求められるが、それと同時に企業は、新たな共通善の形成・合意に関与 することのできる大きな影響力を持つ存在でもある。SDGsは確かにあらゆる課題が網羅されてい るが、社会は常に変化しており、必ずしも配慮すべき全ての課題がカバーされているわけではない。

例えば、近年では性的マイノリティを指す「LGBT」への対応が重視されつつあるが、SDGsの169 のターゲットのいずれを見てもLGBTの文言は記載されていない。日本においても、日本航空(JAL)

や資生堂といった先進的な企業では既に取り組みが進められているが、そうした実践の輪が広がる

ことで同問題への関心が一層高まり共通善として合意されることになる。かかるがゆえに、企業に

は既存の共通善への貢献に加えて、新たな共通善の形成主体として積極的に社会課題に関与してい

くことが期待されるのである。

(15)

5.むすびにかえて

 本稿では、功利主義、義務論、徳倫理学の3つの視点から、企業のSDGs実践として何が期待され るのかを検討してきた。各アプローチは、それぞれ異なる理想を掲げ、異なる実践を企業に求める が、企業はそのどれか1つに偏ることなく、多様な視点からSDGsに取り組む意義や目的を理解する ことが重要であろう。例えば、企業とステークホルダーのWin-Win(最大多数の最大幸福)を期待 する功利主義的アプローチは、企業にとって最も受入れやすい反面、企業利益の最大化が強調され 過ぎてしまう可能性がある。また功利主義的な理想が歪曲されれば「儲かりそうになければ手を引 く」と考える企業も出てくるかもしれない。当然、営利組織である企業にとって利益を上げること は必要であるが、他方で利益に適わないなら取り組む必要はないという主張は果たして通るのだろ うか。企業には、功利主義的な価値観に加えて、義務論的な価値観に基づくSDGsへの貢献が求め られる。それは、儲かるか儲からないか(企業にとって得か損か)といった理由からだけではなく、

無条件的な命令としての経営理念に従ってその義務を果たしていくという使命感に基づく実践であ る。SDGs活動を通じて企業としての利益を上げていくにしても、かかる使命感を抜きにしてはそ の実現は容易ではないだろう。その意味において、功利主義的アプローチと義務論的アプローチは 対峙するものというよりは、相互補完的なものとして理解されるべきである。これとは別に徳倫理 学的アプローチは、「SDGs活動を通じた徳の陶冶」「共通善への貢献」といった全く異なることを 企業に要請する。それは同時に、SDGs活動を通じて創出される新たな価値の存在(美徳という目 には見えないが持続可能な社会の実現に必要な価値の存在)に気付かせてくれるものでもある。

 しかしながら、本稿で議論してきた内容はいずれも暫定的・限定的なものであり、企業に期待さ れる内容を網羅的に説明できてはいない。功利主義、義務論、徳倫理の立場から、さらなる企業実 践の方向性を示すことができるだろうし、そもそも規範倫理学の理論はこの3つ以外にも存在する からである。例えば、義務論の流れを汲むジョン・ロールズの「正義論」や「ケアの倫理」などは、

本稿で取り上げなかった規範倫理学の一例である。ロールズの正義論に則して言えば「社会的弱者 の保護」「格差の是正」といった観点からSDGsの諸課題に貢献することを企業に期待するかもしれ ない。このように残された課題は少なくないが、本稿の議論を通じてSDGsを捉える多様な視点を 規範的な立場から示すことができたのではないだろうか。今後は、各アプローチから導き出される 要請事項の精緻化を図り、より体系的・網羅的な議論をおこなっていきたい。 

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