博 士 ( 医 学 ) 澤 田 い ず み
学 位 論 文 題 名
母親の被暴力経験と子どもへの虐待的養育行為との 関連における Sense of Coherence (SOC) の
緩和作用に関する検討 学位論文内容の要旨
I..研究 背景と目的
我が国における児童相談所の児童虐 待相談受理件数は増加の一途をたどり、虐待の発生 予防に関する研究は重要課題である。 様々なりスク要因の中でも虐待者の被暴力経験は注 目すべき要因である。虐待を受けた親 の約3割がわが子を虐待する とされている他、夫か らの妻への暴力(以下DV)と児童虐待との関連や、夫婦間暴カの目 撃が子どもに与える心 理 的 影 響 の 大 き さ も 指 摘 さ れ 、 介 入 の 困 難 さ が 課 題 と な っ て い る 。 しかし、被暴力経験というりスクを 抱えながらも健全な育児を営む親も存在し、虐待発 生を緩和する要因が存在すると考えら れ、この要因を明らかにすることが虐待予防のあり 方に 示唆 を与 える と考えた。本研 究において、虐待の緩和要因としてAntonovskyが提唱 したSense of Coherence(以下SOC)に着目した。SOCは「首尾 一貫感覚」と訳され、SOC の強い人は様々な出来事に対して個人 の持つ資源を動員するカが強く、首尾よい対処が可 能であることから健康を維持できうる とされている。親の被暴力経験と子どもへの虐待と の関連にsOcがどのように作用するかを明らかにした論文は国内外ともに見られていない。
本研究の目的は、乳幼児期における 母親の虐待的養育行為と被暴力経験との関連と緩和 要因としてのSOCの影響を明らかにすることである。
H.研究方 法
1.研究デ ザインと対象
本 研究 は前 向き コホート研究の 一部である。対象は、2001年5月〜6月の期間、札幌市 内6か 所の 保健 セン ターの4か月健 診を受診した母親である。母親と子どもの基本的属性 を尋 ねた 質問 紙1500部を配布し、484人(32.3%)から郵送で回答を得た。この調査をべ ース ライ ンと し、 出 産か ら10か月 後、1年6か月後、3年後に郵送で追跡調査を行い、母 親の虐待的養育行為、夫の協カヘの満足度、ライフイベントの有無について尋ねた。また、
出産から1年後の時期に、幼少期の親からのひどい体罰経験、両親の身体的DVの目撃経験、
産後1年間 のDV体験 、短縮版SOC13項目について尋ねた。虐待的養育行為、暴力行為の頻 度については、「ほぽ毎日あった」「週に2、3度あった」「月に2、3度あった」「1、2度あ った」「全くなかった」の5検法で回答を求めた。
2.被暴力経験群と虐待的養育行為群の 設定 1)夫から の被暴力経験とDV群の定義
平 成13年度 の北 海道の「女性に 対する暴力調査」を参考に身体的、心理社会的、性的 暴力 行為20項 目を 調べた。心理社 会的暴カについては反復していた場合をDV群とし、身 体的 、性 的暴 カは1度で もあ った 場合 をDV群と し た。 その 結果 、DV群は69人(24.9%)
となった。
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2)幼少 期の親からの被暴力経験群 の定義
幼 少 期 の 親 か ら の 体 罰 経 験 と 両 親 の 身 体 的DVの 目 撃 に つ い て は 、1度 で も あ っ た も のを 被 暴 力 群 と し 、 体 罰 経 験 群 は93人(33.6% ) 、DV目 撃 群 は92人(33.2% ) と な っ た 。 3)虐待 的養育行為群の定義
平 成11年 度 「 首 都 圏 一 般 人 口 に お け る 児 童 虐 待 の 疫 学 調 査 報告 書」 を参 考 に、 軽度 、中 度 、 重 度 の 虐 待 的 養 育 行 為14項 目 を 設 定 し 、 軽 度 は 「 毎 日 あ る 」 も の 、 中 度 は 「 週 に2、 3度 」 以 上 あ る も の 、 重 度 は 「 こ れ ま で1、2度 」 以 上 あ る も の を 虐 待 的 養 育 行 為 群 と し、
虐待的 養育行為群は69人(24.9%) となった。
3.分析 方法
目 的 変 数 を 出 産 後1年6か 月 の 母 親 の 虐 待 的 養 育 行 為 と し てX2検 定 を 行 い 、 統 計 的 有 意 差 を 示 し た 項 目 に つ い て ロ ジ ス テ イ ッ ク 回 帰 分 析 を 行 っ た 。 さ ら に 、 被 暴 力 経 験 とSOCの 緩 和 作 用 を 明 ら か に す る た め に 、 被 暴 カ の 経 験 が な くSOCが 高 か っ た 群 を 基 準 と し て 、被 暴 カ の 経 験 が あ りSOCが 高 い 群 、 被 暴 カ の 経 験 が 無 くSOCが 低 い 群 、 被 暴 カ の 経 験 が あ り SOCが低 い群のオッズ比(OR)を算出 し比較した。
W.結果 及び考察
出 産 後1年 の 質 問 紙 の 回 収 数 は362人 ( 追 跡 率74.8% ) 、1年6か 月 後 で は355人 ( 追 跡 率73.3% ) あ っ た 。 全 質 問 紙 を 回 収 で き た の は283人 ( 追跡 率58..5%) で あり 、有 効回 答は277人(追跡率57.3%)であっ ・た。
1.虐待 的養育行為と被暴力経験の 関連
単 変 量 解 析 の 結 果 、 年 齢 、 夫 の 協 カ ヘ の 満 足 度 、 ラ イ フ イ ベ ン ト 、SOC、 幼 少 期 の 体 罰経 験 と 身 体 的DV目 撃 経 験 、DV経 験 が 統 計 学 的 有 意 差 を 示 し た 。1つ の 被 暴 力 経 験 と 年 齢 、夫 の 協 カ ヘ の 満 足 度 、 ラ イ フ イ ベ ン ト 、SOCを 含 ん だ モ デ ル に つ い て ロ ジ ス テ ィ ッ ク 回 帰分 析 を行 っ た結 果、 幼少 期の 体 罰経 験(OR=3. 85、95%CI:2. 09−7.09)、両 親の身体的DVの目 撃経験(OR=1.92、95%CI:1.04―3,52)、出産後1年間のDV経験(OR=2. 05、95%CI:1.08―3.88) は独立 して虐待的養育行為のりスク を高めることが示された。
2. SOCの緩和作用に関する検討
ロ ジ ス テ ィ ッ ク 回 帰 分 析 の 結 果 、sOcが 高 い 場 合 のORは 、 幼 少 期 の 体 罰 経 験 を 含 ん だモ デ ル で は0.45 (95%CI:O. 24ー0.84)、 両 親 の 身 体 的DV目 撃 経験 のモ デル で は0.41 (95% CI:0.22−0.77)、産後1年間のDV経験のモデルでは0.41 (95%CI:O.22―0.75)であり 、す べ て の モ デ ル に お い て 独 立 し て 虐 待 的 養 育 行 為 の り ス ク を 低 め る こ と が 示 さ れ た 。 被 暴 力 経 験 が な くSOCが 高 い 場 合 を 基 準 に 比 較 し た 緩 和 作 用 に 関 す る 分 析 で は 、 体 罰経 験 を 持 ちSOCが 高 い 場 合 のORは3.73で あり 、SOCが 低く て も体 罰経 験が 無い 場 合(OR=2. 49) よ り も 高 か っ た 。 し か し 、DV経 験 の 場 合 は 、 経 験 が あ っ て もSOCが 高 い 場 合(OR=2. 54)、 経 験 が 無 く て もSOCが 低 い 場 合(OR=3. 26)よ ル リ ス ク が 低 い と の 結 果 を 示 し た 。SOCは ス 卜 レ ッ サ ー に 首 尾 よ く 対 処 す る カ と い え る が 、DVと 子 ど も へ の 虐 待 の 関 連 の 背 景 に は ス ト レ ス 反 応 が 介 在 す る の に 対 し 、 被 虐 待 経 験 の 連 鎖 の 背 景 は 、ス トレ ス反 応 のみ でな く養 育 行 動 を 学 習 的 に 獲 得 す る 側 面 を 持 っ て お り 、 こ の よ う な 側 面 に 対 しSOCの 作 用 は 少 ない と 考 え ら れ た 。 し か し 、 い ず れ の 被 暴 力 経 験 に つ い て も 、 被 暴 力 経 験 が あ りsOcが 低 い場 合 は 最 もORが 高 く な る ( 体 罰 経 験 の 場 合OR‑12. 01、DV経 験 の 場 合OR=5. 60)と の 結 果 で あ っ た こ と か ら 、SOCは 被 暴 力 経 験 に 緩 和 的 に 作 用 す る こ と が 明 ら か と な っ た 。 1996年 に 米 国 のLit tyら が 母 親 の 被 虐 待 の 既 往 と 子 ど も へ の虐 待に おけ る ソー シャ ルサ ポ ー ト の 緩 和 作 用 を 明 ら か に し 、SOCに つ い て は2000年 に ス ウ ェ ー デ ン のKrantzら が 、 女 性 の 被 暴 力 経 験 と 一 般 的 心 身 症 状 に お け るSOCの 緩 和 作 用 を 明 ら か に し た が 、SOCと 子 ど も へ の 虐 待 と の 関 連 を 明 ら か に し た 研 究 は 行 わ れ て い な か った 。本 研究 で は、 質問 の性 質 上 、 対 象 者 の 心 象 を 害 す る 可 能 性 を 倫 理 的 に 配 慮 し 、 答 え にく い質 問に は 答え なく ても 良 い こ と を 保 証 し た た め 追 跡 率 が 低 い 結 果 と な っ た が 、SOCが 被 暴 力 経 験 と 子 ど も 虐 待と の 関 連 に お い て 緩 和 的 に 作 用 す る こ と を 初 め て 明 ら か に で き た 研 究 と な っ た 。
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以上の結果か ら、SOCは虐待の発生や再発 の予測に役立ち、乳幼児期のハイリスク家族 のスクリーニングや虐待問題を抱える家族の支援方針の指標に有効といえる。そして、SOC を 高 め る 支 援 が 今 後 の 子 ど も 虐 待 の 防 止 活 動 に 有 効 で あ る こ と が 示 唆 さ れ た 。
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学位論文審査の要旨
学位論文題名
母親の被暴力経験と子どもへの虐待的養育行為との 関連におけ る Sense of Coherence ( SOC )の 緩和作用に関する検討
この論 文の目的は、乳幼児期における母親の虐待的養育行為と被暴力経験との関連と緩 和要因とし てのSense of Coherence(以下soc)の影響を明らかにすることである。わが国 においても 、児童虐待の増加は重要課題であり、特に虐待死亡事例 の5割が乳幼児であり 虐待者の約5が実母である状況を踏まえ ると、乳幼児期の母親を対象としていることの意 義は大きい 。今回、申請者が緩和要因として着目したsOcは「首尾一貫感覚」と訳され、
健康を促進 する要因として保健医療分野でも注目されている概念である。また、この論文 が着目して いる親自身の被虐待の既往、夫から暴力(以下DV)、両親のDVの目撃経験など の被暴力経 験は介入が非常に困難であるりスクであり、この点からも、被暴力経験と虐待 の緩和に着 目したことの意義は大きいと考えられた。親の被暴力経験と子どもへの虐待と の関連にSOCがどのように作用するかを 明らかにした研究は国内外においても行われてお らず、虐待 予防活動に新たな示唆を与える研究と考えられた。
研究方法 として、前向きコホート研究を用いており、4か月健診を受診した母親に質問紙 1500部 を配 布し 回答 を 得た484人(回収率32.3%)を対象とし、出 産から1年後に幼少期 の 体罰 経験 、両 親の 身 体的DVの 目撃 経験 、産 後1年 間のDV体 験、 短縮 版SOC13項目を、
出 産か ら1年6か 月後 に 虐待的養育行為 、夫の協カヘの満足度、ライフイベントの有無を 尋ねている 。倫理的配慮から回答拒否を保証したため、全質問紙を 回収できたのは283人
(追跡率58.5%)、有効回答は277人( 追跡率57.3%)と追跡率は低い結果であったが、
口ジスティ ック回帰分析を用い交絡要因を調整したオッズ比(OR)を 算出し、さらに、SOC の緩和作用 を明らかにするため、SOCと被暴力経験を掛け合わせた交互作用に関する分析も 行っており 、研究手続きは妥当と考えられた。
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子 正
次
玲
政
賀 沢
岸 有
前
授 授
授
教 教
教
査 査
査
主 副
副
分析の 結果、幼少期の体罰経験がある場合のORは3.85、両親の身体的DVの目撃経験は 1. 92、出産後1年間のDv経験は2. 05であり、虐待的養育行為のりスクが高まることが示 された。SOCが高い場合は、どの被暴力経験がある場合でも独立して約O.4倍虐待的養育行 為のりス クが減少することが示された。さらに、被暴力経験とSOCの交互作用に関する分 析では、 体罰経験を持ちSOCが高い場合のORは3.73であり、SOCが低くても体罰経験が無 い場合(OR=2.49)よりも高いことが示されたが、DV経験の場合は、経験があってもSOCが 高い場合(OR=2.54)、経験が無くてもSOCが低い場合(OR=3.26)よルリスクが低いとの結 果が示された。この違いについて、申請者は、体罰経験と虐待的養育行為の関連のような 学習的伝達に対してはSOCの作用は少ないとし、SOCの緩和作用に関する考察を深めていた。
しかし、 いずれの被暴力経験についても、被暴力経験がありSOCが低い場合は最もORが高 くなる(体罰経験の場合OR‑12. 01、DV経験の場合OR=6. 80、身体的D'Vの目撃経験の場合 OR=5.60)との結果であり、SOCは被暴力経験に緩和的に作用することは明らかであると結 論して いる。 分析手続 きなら びに結果 からの考 察の論 旨は妥当 である と判断さ れた。
審査では、副査の前澤教授からSOC概念と基本的信頼感の類似性と乳幼児期の生成過程、
家族における育児支援の課題について、副査の有賀教授からSOCスケールの信頼性、SOCと 被虐待の既往の関連性、SOCと心身症疾患との関連について、主査の岸教授から前向きコホ ート研究の意図、追跡率の低さと一般化における課題について質問があった。申請者は、
先行研究や研究結果を引用し概ね妥当な回答をしていた。
審査委員からは、この論文は虐待が増加するなか母親゛自身の過去の被暴力経験と現在養 育してい る児への虐待行為との関連におけるSOCの緩和作用を国内外で初めて実証的に明 らかにし た論文として高く評価される。特に今後、論文のなかで提言されたSOCの臨床へ の活用は、新しく虐待予防対策のーっに取り入れることが可能であることが強く示唆され る研究になった。
審査員一同は、これらの成果を高く評価し、大学院課程における研鑽や取得単位なども 合わせ申 請者が 博士(医 学)の 学位を受けるのに十分な資格を有するものと判定した。
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