最
晩
年
の
空
海
武
内
孝
善
は じ め に 一 、 天 長 七 年 以 降 の 空 海 の 事 績 ( 1) 死 の 予 感 ( 2) 高 野 山 へ の 隠 棲 ( 3) 高 野 山 萬 燈 会 ( 4) 法 界 体 性 の 塔 二 基 ( 5) 後 七 日 御 修 法 の 勅 許 ( 6) 東 寺 三 綱 の 選 任 ( 7) 功 徳 料 千 戸 の う ち 、 二 百 戸 を 僧 供 料 と す ( 8) 年 分 度 者 三 人 の 勅 許 ( 9) 金 剛 峯 寺 が 定 額 寺 と な る ( 10) 真 雅 へ の 付 法 、 真 然 へ の 付 嘱 、 実 恵 の 神 護 寺 別 当 補 任 最 晩 年 の 空 海密 教 文 化 二 、 後 七 日 御 修 法 上 表 文 の 検 討. 三 、 空 海 と 藤 原 三 守 お わ り に は じ め に 弘 法 大 師 空 海 は 、 元 号 が 天 長 ( 八 二 四-八 三 三) か ら 承 和 ( 八 三 四-八 四 八) に か わ る こ ろ か ら 、 真 言 宗 教 団 と 東 寺 ・ 高 野 山 の 永 続 化 を は か る た め の 方 策 を 、 矢 継 ぎ ぼ や に 打 た れ た 。 具 体 的 に そ れ ら の 事 績 を あ げ る と 、 (1) (1) 承 和 元 年 ( 八 三 四) 八 月 二 十 三 日 の ﹁ 仏 塔 を 造 り 奉 る 知 識 の 書 ﹂ に よ る 檀 越 へ の 勧 進 (2) (2) 同 年 十 二 月 十 九 日 の 宮 中 真 言 院 に お け る 御 修 法 の 勅 許 (3) (3) 同 年 十 二 月 二 十 四 日 の 東 寺 五 十 口 の う ち か ら 三 綱 を 選 任 す る 勅 許 (4) (4) 翌二 年 ( 八 三 五) 正 月 六 日 の 東 寺 に 僧 供 料 を 置 き 、 修 講 す べ き 勅 許 (5) (5) 同 年 正 月 二 十 二 日 ( 二 十 三 日) の 真 言 宗 年 分 度 者 の 勅 許 ( 三 業 度 人 の 制) (6) 同 年 二 月 三 十 日 の 金 剛 峯 寺 の 定 額 寺 認 運 な ど を あ げ る こ と が で き る 。 こ れ ら 空 海 最 晩 年 の 事 績 に 注 目 さ れ た の が 、 石 田 尚 豊 先 生 で あ る 。 石 田 先 生 は 、 ﹁ 弘 法 大 師 と 後 七 日 御 修 法 -空 海
の 実 像 ( 死 を 決 し て 何 を 為 し た か)-﹂ を ま と め ら れ 、 そ の 書 き 出 し を つ ぎ の よ う に 記 し て お ら れ る 。 空 海 は 承 和 元 年 ( 八 三 四) 十 二 月 十 九 日 に 、 宮 中 に 別 に 一 室 を 設 け 、 真 言 宗 の み の 僧 侶 に よ っ て 、 玉 体 安 穏 、 鎮 護 国 家 、 五 穀 豊 穣 を 祈 願 す る た め の 後 七 日 御 修 法 を 行 う こ と を 上 奏 し ( ﹃ 性 霊 集 ﹄ 巻 第 九 、 ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ 巻 第 三) 、 十 日 後 の 同 月 二 十 九 日 に は 勅 許 が 下 さ れ て い る ( ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹂ 巻 二) 。 翌 年 正 月 八 日 か ら 行 お う と す る 新 規 の 修 法 に 対 し て 、 暮 も 押 し 迫 っ た 十 九 日 に 上 奏 す る な ど 尋 常 の 沙 汰 で は な い 。 そ れ も わ ず か 十 日 間 で 行 政 処 理 を す ま せ 勅 許 が 下 る と い う 迅 速 さ に は 、 た だ な ら ぬ 気 配 を 感 じ さ せ る 。 果 せ る か な 、 翌 承 和 二 年 三 月 二 十 一 日 に 到 っ て 空 海 は 示 寂 す る ( ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ 巻 第 四) 。 こ の 切 迫 感 の 根 源 は 空 海 の 示 寂 に あ っ た の で あ る 。 死 の わ ず か 三 か 月 前 、 死 期 を 予 側 し た 空 海 は 、 も し こ の 期 を 逸 す な ら ば 、 生 き て 後 七 日 御 修 法 を 迎 え る こ と は 永 遠 に で き な い し 、 ま た 己 が 死 ね ば こ の 御 修 法 を 実 現 す る こ と す ら 覚 束 な い 。 そ う 諦 観 し た 空 海 は 、 何 と し て も 年 内 に 勅 許 を 得 な け れ ば な ら な い と い う 、 死 に 直 面 し て の 空 海 の 、 こ の 御 修 法 に か け る す さ ま じ い ば か り の 執 念 が う か が わ れ る 。 後 七 日 御 修 法 の 上 奏 が 、 確 実 に 死 期 を 予 測 し た う え で の こ と で あ っ た と す る な ら ば 、 空 海 は 何 時 死 を 意 識 し 、 示 寂 に 到 る ま で に い か な る 行 動 を と っ た か と い う 、 空 海 の 史 的 背 景 の う え か ら 、 あ ら た め て 後 七 日 御 修 法 上 奏 の (7) 時 点 に 想 を よ せ る こ と と し よ う 。 こ こ で 石 田 先 生 は 、 暮 も 押 し 迫 っ た 十 二 月 十 九 日 に 上 奏 す る こ と 自 体 尋 常 で は な い が 、 そ れ に も ま し て 、 十 日 後 の 二 十 九 日 に 勅 許 が 下 る と い う 迅 速 さ に は 、 た だ な ら ぬ 気 配 を 感 じ る 。 こ の 背 後 に は 、 死 を 意 識 し た 空 海 の す さ ま じ い ば か り の 執 念 が 感 じ ら れ る と い い 、 後 七 日 御 修 法 の 上 奏 は 、 死 期 を 予 測 し た う え で の こ と で あ っ た と す れ ば 、 ( 一) 空 海 が 死 期 を 意 識 し た の は い つ で あ っ た か 、 ( 二) そ れ か ら 示 寂 に 到 る ま で に い か な る 行 動 を と っ た か 、 を 問 題 と さ 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 れ 、 後 七 日 御 修 法 の 上 奏 を 中 心 に 論 じ ら れ た 。 そ う し て 、 な ぜ 、 わ ず か 十 日 間 で 行 政 処 理 を す ま せ 、 後 七 日 御 修 法 の 勅 許 が 下 さ れ た の か の 理 由 と し て 、 二 つ の こ と を 指 摘 さ れ た 。 す な わ ち 、 一 つ に は 、 空 海 は 南 都 諸 大 寺 の 学 僧 と 早 く よ り 交 渉 を 持 ち 、 顕 教 に 対 し て も 深 い 造 詣 を 有 し た た め で あ っ (8) た 。 特 に 、 空 海 と 関 係 の 深 い 、(1) 元 興 寺 ⋮ ⋮ 護 命 ・ 仲 継 ・ 泰 範 ・ 守 寵 ・ 道 昌 、(2) 大 安 寺 ⋮ ⋮ 佐 伯 院 ・ 実 恵 ・ 智 泉 ・ 真 然 ・ 戒 明 ・ 道 慈 ・ 善 議 ・ 勤 操 、(3) 東 大 寺 ⋮ ⋮ 真 言 院 ・ 道 雄 ・ 実 忠 ・ 真 如 、(4) 興 福 寺 ⋮ ⋮ 修 円 ・ 徳 一 ・ 賢 憬 、 な ど と の 交 流 に ふ れ 、 長 年 に わ た る 空 海 の 南 都 仏 教 に 対 す る 布 石 を あ げ て お ら れ る 。 第 二 に は 、 し か し な が ら 後 七 日 御 修 法 の 上 奏 文 に は 、 南 都 仏 教 と の 単 な る 融 和 策 で は 済 ま さ れ な い 障 壁 が あ り 、 そ れ を 敢 然 と 越 え え た 背 景 と し て 、 す で に 上 奏 文 と 符 合 す る 理 論 が ﹃ 十 住 心 論 ﹄ 中 に 披 渥 さ れ て お り 、 無 理 な く 受 け 入 れ ら れ る 下 地 が で き て い た 、 と み な さ れ (9) た 。 た し か に 、 こ の よ う な 根 回 し と も い え る 行 動 が 布 石 と し て あ っ た こ と も 事 実 で あ る け れ ど も 、 後 七 日 御 修 法 の 勅 許 を は じ め と す る 空 海 最 晩 年 の 一 連 の 行 動 の 裏 に は 、 別 の 一 面 が う か が え る よ う に 思 わ れ る 。 そ こ で 、 は じ あ に 空 海 が 最 晩 年 に 打 た れ た 真 言 宗 教 団 と 東 寺 ・ 高 野 山 の 永 続 化 を は か る た め の 方 策 を 一 瞥 す る と と と も に 、 こ の 別 の 一 面 に ひ か り を あ て て み る こ と に し た い 。 一 、 天 長 七 年 以 降 の 空 海 の 事 績 か か 石 田 先 生 は 、 空 海 が 死 期 を 意 識 さ れ た の は 、 天 長 八 年 ( 八 三 一) 六 月 十 四 日 付 で 淳 和 天 皇 に 奉 っ た ﹁ 疾 に 嬰 っ て 上
表 し て 職 を 辞 す る 奏 状 ﹂ の と き か ら で あ ろ う と み な さ れ た 。 そ の 当 否 は し ば ら く 措 き 、 わ れ わ れ も 空 海 の 晩 年 の 事 績 (10) を ﹁ 空 海 略 年 表 ﹂ に よ っ て み て お き た い 。 こ ご こ に は 、 空 海 示 寂 の 五 年 前 に あ た る 天 長 七 年 ( 八 三 〇) か ら 承 和 二 年 ( 八 三 五) 三 月 の 閉 眼 に い た る ま で を と り あ げ た 。 主 だ っ た 事 績 に つ い て は 、 あ と に 根 本 史 料 を あ げ て 詳 述 す る の で 、 こ こ で は ま ず 概 略 を つ か ん で い た だ き た い 。 空 海 略 年 表 (ゴ チ は 石 田 先 生 が と り あ げ ら れ た 項 目 、 傍 線 部 は 教 団 内 の 後 継 者 養 成 に 関 す る 項 目) 天 長 七 年 (八 三 〇) こ の 年 勅 に よ り ﹃ 秘 密 漫 茶 羅 十 住 心 論 ﹄ 十 巻 、 ﹃ 秘 蔵 宝 鍮 ﹄ 三 巻 を 撰 述 し 、 進 献 す 。 天 長 八 年 ( 八 三 一) 六 月 七 日 東 寺 に お い て 、 真 雅 に 伝 法 灌 頂 職 位 を 授 く ︹血 脈 類 集 記 二 ︺ 六 月 一 四 日 病 に よ り 、 大 僧 都 を 辞 せ ん こ と を 上 表 す 。 許 さ れ ず ︹性 霊 集 九 、 紀 略 十 四 、 空 海 僧 都 伝 、 行 化 記 ︺ 九 月 二 五 日 延 暦 寺 の 円 澄 等 、 空 海 に 書 状 を 寄 せ て 、 真 言 教 法 を 受 学 せ ん こ と を 請 う ︹仁 和 寺 (11) 記 録 十 九 、 戒 文 下 ︺ 天 長 九 年 ( 八 三 二) 一 月 一 四 日 最 勝 会 結 願 し 、 紫 哀 殿 に お い て 護 命 等 と 議 論 す ︹紀 略 十 四 、 国 史 一 一 七 ︺ 八 月 二 二 日 高 野 山 に お い て 、 萬 燈 萬 華 会 を 修 す ︹性 霊 集 八 ︺ 十 一 月 一 二 日 高 野 山 に 帰 り 、 穀 味 を 厭 い て 専 ら 坐 禅 す ︹遺 告 、 東 寺 文 書 ︺ 天 長 十 年 ( 八 三 三) 二 月 一 一 日 真 雅 に 真 言 の 秘 印 を 授 く ︹ 血 脈 類 集 記 二 ︺ こ の 年 高 野 山 ( 金 剛 峯 寺) を 真 然 に 付 嘱 し 、 実 恵 に 助 成 せ し む ︹行 化 記 、 弘 法 大 師 伝 裏 書 ︺ 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 承 和 元 年 ( 八 三 四) 二 月 二 日 故 如 宝 の た め に 、 寿 延 等 を 率 い て ﹃ 大 般 浬 藥 経 ﹂ な ど 百 二 十 七 巻 を 書 写 し 、 百 僧 を 請 じ て 講 讃 供 養 す ︹性 霊 集 八 ︺ 二 月 東 大 寺 真 言 院 に お い て 、 ﹃ 法 華 経 ﹂ を 釈 し ︹法 華 経 釈 ︺ 、 ﹃ 般 若 心 経 秘 鍵 ﹂ を 道 昌 に 講 ぜ し め る ︹東 大 寺 要 録 四 、 行 化 記 ︺ 八 月 二 一二 日 高 野 山 に 毘 盧 遮 那 法 界 体 性 塔 二 基 、 並 に 両 部 曼 茶 羅 を 建 立 せ ん が た め に 檀 越 を 勧 進 す ︹性 霊 集 八 ︺ 十 二 月 一 九 日 後 七 日 御 修 法 の 勅 許 下 る 。 毎 年 、 内 裏 で 行 な わ れ る 御 斎 会 の 期 間 に 、 宮 中 真 言 院 に お い て 真 言 法 を 修 す こ と を 恒 例 と す ︹続 日 本 後 紀 三 ︺ 十 二 月 二 四 日 東 寺 真 言 僧 五 十 口 の な か よ り 、 東 寺 三 綱 を 撰 任 せ し む ︹類 聚 三 代 格 二 ︺ こ の 年 実 恵 、 神 護 寺 別 当 に 補 任 さ れ る ︹東 寺 長 者 補 任 一 ︺ 承 和 二 年 ( 八 三 五) 一 月 六 日 奏 請 に よ り 、 東 寺 の 功 徳 料 千 戸 の う ち 、 二 百 戸 を 僧 供 料 と す る こ と を 勅 許 さ れ る ︹続 日 本 後 紀 四 ︺ 一 月 八 日 内 裏 に お い て 後 七 日 御 修 法 を 厳 修 す ︹東 寺 長 者 補 任 一 ︺ 一 月 二 二 日 奏 請 に よ り 、 真 言 宗 年 分 度 者 三 人 を 賜 う ︹続 日 本 後 紀 四 、 類 聚 三 代 格 二 ︺ 二 月 三 〇 日 金 剛 峯 寺 が 定 額 寺 と な る ︹続 日 本 後 紀 一 〇 、 国 史 一 八 ○ ︺ 三 月 一 五 日 諸 弟 子 等 に 遺 告 す ︹遺 告 、 高 野 大 師 御 広 伝 、 行 化 記 ︺ 三 月 二 一 日 高 野 山 に お い て 閉 眼 す 。 御 年 六 十 二 ︹続 日 本 後 紀 四 ︺
( 12) 八 月 二 〇 日 分 度 者 三 人 の 試 度 ・ 六 年 の 籠 山 な ど の 細 目 が 勅 許 さ れ る ︹ 高 野 大 師 御 広 伝 ︺ こ の 略 年 表 か ら も 、 承 和 元 年 ( 八 三 四) 八 月 以 降 の 項 目 の 多 さ が 目 に つ く で あ ろ う 。 と も あ れ 、 空 海 は 死 の 意 識 を い つ か ら 懐 い て お ら れ た か 、 か ら 見 て い こ う 。 ( 1) 死 の 予 感 ( 13) かか は じ め に 、 石 田 先 生 が 、 空 海 が 死 期 を 意 識 さ れ た と み な さ れ た 天 長 八 年 ( 八 三 一) 六 月 十 四 日 付 の ﹁ 疾 に 嬰 っ て 上 表 し て 職 を 辞 す る 奏 状 ﹂ を あ げ よ う 。 こ れ は 、 淳 和 天 皇 に 奉 っ た 上 表 文 で あ る 。 も う ぼ く よ つ く ぶ ん ぼ う 沙 門 空 海 言 す 。 空 海 恩 沢 に 沐 せ し 従 り 、 力 を 端 し て 国 に 報 ず る こ と 歳 月 既 に 久 し 。 常 に 願 ふ ら く は 、 蚊 虻 の 力 を 奮 っ て 海 岳 の 徳 を 答 せ ん と 。 じ じ あ く そ う へ え い り ゅ う が ん し た 然 る に 今 、(1) じ 月 の 心 日 に 心 瘡 艦 に 己 っ て 口 相 ぜ ず 。 両 榴 夢 に 在 り 、 三 泉 忽 ち に 至 る 。 龍 顔 を 懸 ひ て こ え つ ら ん け つ き も た だ ら き ょ ゆ う ま ぬ 呼 咽 し 、 鷺 閾 を 顧 み て 肝 を 燗 す 。 夫 れ 許 由 が 小 子 な る 、 猶 、 萬 乗 を 脱 か る 。 況 や 沙 門 何 ぞ 三 界 を 願 は ん 。 し ょ し き を る い う れ 伏 し て 乞 ふ 。(2) 永 所 職 を 解 い て 吊 に 描累 に ば ん 。 但 愁 ふ ら く は 、 幸 に 輪 王 に 逢 ひ た て ま っ て 所 願 を 遂 げ ざ ら ん こ と を 。 い ち げ こ し ょ う い ち げ こ し ょ う 伏 し て 請 ふ 。 陛 下 、(3) 終 わ り に 臨 む の 三二 口 を 雇 み る こ と を ふ て 三三 當 の 、 、 を て た ま は さ ら ん こ と を じ ょ う な こ う こ つ の 生に の 注 堀 と 燕 り に の 法 将 と 作 ら ん 。 心 神 侃 忽 と し て 思 慮 陳 べ ず 、 と 云 々 。 ( 14) 天 長 八 年 五 月 庚 辰 の 日 大 僧 都 空 海 上 表 す 。 ( 傍 線 筆 者) 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 こ の 奏 状 か ら は 、 つ ぎ の 三 つ の こ と ( 傍 線 部) が 注 目 さ れ る と 考 え る 。 第 一 、 先 月 の 晦 日 つ ま り 五 月 三 十 日 に 悪 瘡 が 体 に で 、 半 月 た っ た 今 日 に い た っ て も 快 方 に 向 う き ざ し が ま っ た く み ら れ な い こ と で あ る 。 第 二 、 そ こ で お 願 い い た し た き こ と は 、 何 と ぞ 大 僧 都 の 職 を お 解 き い た だ き 、 自 由 の 身 と な っ て 利 他 行 に 励 ま せ て い た だ き た い 。 そ れ に つ け て も 残 念 な こ と は 、 金 輪 聖 王 に も 等 し い 陛 下 に め ぐ り 逢 え た の に 、 い ま だ 鎮 護 国 家 ・ 万 民 豊 楽 の 所 願 を 十 分 に 成 し 遂 げ て い な い こ と で あ る 。 第 三 、 さ ら な る お 願 い は 、 こ の 最 後 の 願 い ( 解 任) を お 聞 き 届 け い た だ き ま す と と も に 、 三 密 の 法 教 " 密 教 を お 見 捨 て な き よ う 。 ま た 末 永 く 陛 下 の 麗 し き 治 世 が つ づ き ま す こ と と 、 代 々 陛 下 の 法 将 と し て 守 護 い た し た き こ と で あ る 。 こ の う ち 、 重 要 な こ と は 、 ( ア) 悪 瘡 と は 具 体 的 に ど の よ う な も の で あ っ た の か 、 ま た ( イ) こ の 悪 瘡 は そ の 後 の 空 海 に い か な る 影 響 を 及 ぼ し た の か 、 で あ る 。 ( ア) の 悪 瘡 は 何 を さ す か に つ い て は 腫 物 の 一 種 と 見 な さ れ る 以 外 、 り ょ う え い 明 確 で は な い 。 し か し 、 ﹁ 両 榴 夢 に 在 り 、 三 泉 忽 ち に 至 る ﹂ と あ っ て 、 死 を 予 感 さ せ る こ と ば が 綴 ら れ て お り 、 発 症 か ら 半 月 あ ま り で 職 を 辞 し た い と 申 し 出 て お ら れ る こ と か ら も 、 空 海 の 身 体 上 に は 深 刻 な 状 態 が 惹 起 し て い た こ と は 間 違 い な い で あ ろ う 。 ( イ) の こ の と き の 悪 瘡 は し ば ら く し て 回 復 し た の か 、 そ れ と も 承 和 二 年 ま で 続 い た の か 、 で あ る が 、 石 田 先 生 は 後 者 の 立 場 を と ら れ て い る と 思 わ れ る 。 す な わ ち 、 な か で も 承 和 元 年 十 二 月 十 四 日 以 降 の 一 連 の 行 動 は 、 東 寺 三 綱 の 設 置 、 後 七 日 御 修 法 の 勅 許 、 東 寺 僧 供 料 二 百 戸 の 充 当 、 真 言 宗 年 分 度 僧 の 決 定 、 金 剛 峯 寺 の 定 額 寺 昇 格 な ど 、 死 を 前 に し た 空 海 は 、 息 も つ か せ ぬ 早 業 で 、 積
年 の 宿 願 を 逐 一 上 奏 し 、 こ れ ら す べ て に 勅 許 を 得 て 立 法 化 す る こ と に 成 功 し た こ と は 、 ま こ と に 驚 嘆 の ほ か は な い 。 し か し 空 海 は こ れ ら 立 法 化 に 傾 注 す る ば か り で な く 、 空 海 な き 後 の 真 言 諸 寺 院 を ど の よ う に 経 営 す る か に 心 を 砕 い た の で あ る 。 ( 中 略) 空 海 は 死 の 迫 る と と も に 、 同 族 同 郷 の 実 慧 を 中 心 に 、 次 の 世 代 を 担 う 若 い 弟 の 真 雅 や 、 甥 の 真 然 に 後 者 を 託 す べ く 、 万 全 の 布 陣 を 着 々 と 進 め て い っ た の で あ る 。 以 の 糸 糸 か ら 後 七 日 御 修 、 の 奏が 八 ( 八三一) の を 居 言 し て よ り 示 小 に 到 る 空 、、 石 の 軸 を な す も の で あ っ た こ と を め て 認 言 ( 15) す べ き で あ ろ う 。 ( 傍 線 筆 者) と 記 し て お ら れ る 。 私 は 、 こ の と き の 悪 瘡 は 承 和 元 年 八 月 以 降 の 事 績 に 直 接 の 影 響 は な か っ た の で は な い か 、 と 考 え る 。 そ の 理 由 の 一 つ は 、 翌 天 長 九 年 ( 八 三 二) 八 月 、 高 野 山 で 修 さ れ た 最 初 の 法 会 ・ 萬 燈 萬 華 会 に 登 山 さ れ た と み な さ れ る こ と で あ る 。 あ と 一 つ は 、 空 海 は 、 弘 仁 三 年 ( 八 一 二) 十 月 ・ 同 十 二 年 ( 八 二 一) 十 一 月 、 そ し て こ の 天 長 八 年 ( 八 三 一) 六 月 と ほ ぼ 十 年 に 一 度 の 割 で 、 体 調 を 崩 さ れ て い た こ と が 指 摘 さ れ て い る こ と で あ る 。 前 者 に つ い て は 、 あ と で 触 れ る の で そ こ に ゆ ず り 、 こ こ で は 後 者 に つ い て み て お き た い 。 ま ず 、 弘 仁 三 年 ( 八 一 二) 十 月 で あ る が 、 最 澄 が 泰 範 に 宛 て て 出 し た 同 年 十 一 月 五 日 付 の 書 状 に 、 つ ぎ の よ う に 記 さ れ て い る 。 つ い で 右 、 最 澄 、 去 る 月 の 二 十 七 日 、 頭 陀 の 次 を 以 っ て 乙 訓 寺 に 宿 し 、 空 海 阿 闊 梨 に 頂 謁 す 。 ( 中 略) 同 月 二 十 九 日 を 以 っ て 、 阿 閣 梨 は 永 く 乙 訓 寺 を 辞 し 、 永 く 高 雄 山 寺 に 住 す 。 即 ち 告 げ て 日 く 。 空 海 生 年 四 十 、 期 命 尽 く べ し 。 こ こ 是 を 以 っ て 、 仏 を 念 ぜ ん が た め の 故 に 、 此 の 山 寺 に 住 す 。 東 西 す る こ と 欲 せ ず 。 宜 し く 持 す る と こ ろ の 真 言 の 法 ね が を 最 澄 閣 梨 に 付 属 す べ し 。 惟 わ く は 、 早 速 に 今 年 の 内 に 付 法 を 受 取 せ ら れ よ 、 と 云 々 。 (中 略) 来 る 十 二 月 十 日 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 (16) を 以 っ て 、 受 法 の 日 と 定 め る こ と 已 に 畢 ん ぬ 、 と 云 々 。 ( 以 下 略 ・ 傍 線 筆 者) 周 知 の よ う に 、 最 澄 は 空 海 と の 交 友 が は じ ま っ た 大 同 四 年 ( 八 〇 九) か ら 伝 法 灌 頂 の 受 法 を 願 っ て い た け れ ど も 、 な か な か 実 現 し な か っ た 。 こ の 手 紙 は 、 興 福 寺 維 摩 会 か ら 帰 り の 十 月 二 十 七 日 、 弟 子 の 光 定 と と も に 乙 訓 寺 に 空 海 を 訪 ね 、 念 願 の 灌 頂 受 法 の こ と を お 願 い し た と こ ろ 、 十 二 月 十 日 に 約 諾 が 得 ら れ た 。 そ こ で 、 最 澄 の も と を 去 り 近 江 国 高 島 郡 に い た 泰 範 に 、 と も に 入 壇 す る こ と を 勧 あ た も の で あ る 。 お そ ら く 初 対 面 の 両 者 で あ っ た が 、 そ の 最 澄 に 対 し て ﹁ 空 海 生 年 四 十 、 期 命 尽 く べ し ﹂ 、 と 空 海 は 語 っ た と い う 。 ま た 、 最 澄 は 十 一 月 十 四 日 、 受 法 の 準 備 の た め 高 雄 山 寺 に 登 山 し た と こ ろ 、 突 然 、 あ す 胎 蔵 灌 頂 壇 を 開 く と 告 げ ら れ 、 同 月 十 五 日 、 和 気 真 綱 ・ 和 気 仲 世 ・ 美 濃 種 人 と と も (17) に 急 遽 受 法 し て い る 。 十 月 二 十 七 日 の 時 点 で の 約 束 が 十 二 月 十 日 で あ っ た こ と か ら 、 約 一 ヶ 月 早 ま っ た こ と に な る 。 こ の 授 法 を 急 い だ 裏 に は 、 空 海 の ﹁ 期 命 尽 く べ し ﹂ に 象 徴 さ れ る 体 調 の 十 全 で な か っ た こ と が 指 摘 さ れ て い る 。 弘 仁 十 二 年 ( 八 二 一) 十 一 月 の 事 例 を み て お こ う 。 ﹃ 高 野 雑 筆 集 ﹄ 上 所 収 の 藤 原 冬 嗣 等 に あ て た 空 海 書 状 に 、 つ ぎ の よ う に 記 さ れ て い る 。 あ あ ふ さ 嵯 乎 、 俗 に あ っ て 道 を 障 ぐ こ と 、 妻 子 尤 も 甚 だ し 。 道 家 の 重 累 は 弟 子 、 是 れ 魔 な り 。 弟 子 の 愛 を 絶 っ て 国 家 の し り そ し た が ご つ ぜ ん へ き ら 粒 を 却 け ん に は 如 か ず 。 斗 籔 し て 道 に 殉 い 、 兀 然 と し て 独 坐 せ ば 、 水 菜 能 く 命 を 支 え 、 蒋 薙 是 れ 吾 が 衣 た り 。 修 す る 所 の 功 徳 、 以 っ て 国 の 徳 に 酬 う 。 所 有 の 経 仏 等 は 呆 隣 、 実 恵 等 に 伝 授 す 。 恐 ら く は 、 人 、 金 剛 に 非 ず 。 蝉 ゆつ 蟻 是 れ 寿 な り 。 一 去 の 後 、 再 面 期 し 難 し 。 二 ・ 三 の 弟 子 等 、 両 相 国 に 属 し 奉 る 。 伏 し て 願 わ く は 、 時 々 検 を 垂 れ て 秘 教 を 流 伝 せ ば 、 幸 甚 、 幸 甚 。 白 雲 の 中 ・ 松 柏 豊 に 変 ぜ ん や 。 此 生 と 他 生 と 、 形 異 に す る も 心 同 じ 。 ( 以 下 略 ・ 傍 線 筆 者) (18)
空 海 は 、 こ の 年 四 月 か ら 九 月 に か け て 、 唐 か ら 請 来 し た と こ ろ の 曼 茶 羅 等 の 剥 落 ・ 損 傷 が は げ し い の で 、 あ ら た に ﹁ 大 悲 胎 蔵 大 曼 茶 羅 一 鋪 八 幅 、 金 剛 界 大 曼 茶 羅 一 鋪 九 幅 、 五 大 虚 空 蔵 菩 薩 ・ 五 葱 怒 尊 ・ 金 剛 薩 垣 ・ 仏 母 明 王 き ゃ う だ て ん 各 四 幅 一 丈 、 十 大 護 の 天 王 、 蘂 噌 肇 天 の 像 、 龍 猛 菩 薩 ・ 龍 智 菩 薩 の 真 影 等 、 都 て 二 十 六 鋪 ﹂ を 図 絵 し 、 同 年 九 月 (19) 七 日 、 開 眼 供 養 を 修 さ れ た 。 ま た 、 五 月 か ら 約 三 ヶ 月 に わ た り 、 郷 里 の 満 濃 池 の 築 堤 別 当 と し て 堤 防 の 修 理 に (20) あ た り 、 見 事 に 完 成 さ せ た 。 こ の よ う な こ と が 重 な っ た た め で あ ろ う か 、 こ の 手 紙 で は 身 心 の 不 調 を 訴 え ら れ 、 弟 子 の 面 倒 を お 願 い し た い 、 ま た 密 教 の 流 伝 に も 意 を 注 い で い た だ き た い 、 と 綴 ら れ て い る 。 特 に 、 ﹁ 人 、 金 剛 ふ ゆ う に あ ら ず 。 婬 蟻 こ れ 寿 な り 。 一 去 の 後 、 再 面 期 し が た し ﹂ ﹁ 此 生 と 他 生 と 、 形 異 に す る も 心 同 じ ﹂ と い っ た こ と ば に 、 死 を 予 感 さ せ る も の が 感 じ ら れ る の で あ る 。 そ う し て 、 天 長 八 年 ( 八 三 一) 六 月 の 大 僧 都 辞 任 の 上 表 と な る わ け で あ る 。 こ の よ う に 、 空 海 は 約 十 年 ご と に 身 体 の 不 調 を 訴 え て お ら れ る が 、 弘 仁 三 年 十 月 ・ 同 十 二 年 十 一 月 の 二 回 は 、 程 な く 回 復 な さ れ た よ う に み う け ら れ る 。 確 か に 、 天 長 八 年 ( 八 三 一) 六 月 の 大 僧 都 辞 任 の 場 合 は 、 訴 え ら れ た 相 手 も 立 場 も 前 二 回 と は 異 な っ て い る け れ ど も 、 翌 九 年 八 月 の 高 野 山 に お け る 萬 燈 萬 華 会 に 参 列 さ れ た と み な す な ら ば 、 生 命 に 別 状 な き 状 態 に ま で 回 復 さ れ て い た と い え よ う 。 よ っ て 、 こ の 天 長 八 年 ( 八 三 一) 六 月 の 上 表 と 承 和 元 年 ( 八 三 四) 八 月 以 降 の 事 績 と は 、 直 接 は 結 び つ か な い 、 結 び つ け て 論 じ る べ き で は な い 、 と 考 え る 。 ( 2) 高 野 山 へ の 隠 棲 い ん せ い 古 来 、 さ き の 悪 瘡 の 影 響 か ら か 、 空 海 は 天 長 九 年 ( 八 三 二) 十 一 月 十 二 日 、 高 野 山 に 隠 棲 さ れ た と み な さ れ て き た 。 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 た と え ば 、 高 木 諦 元 先 生 も つ ぎ の よ う に 記 し て お ら れ る 。 こ の 年 十 一 月 、 空 海 は 高 雄 山 寺 を 実 恵 や 真 済 等 の 弟 子 に ゆ だ ね て 高 野 山 に 隠 棲 し 、 永 く 穀 味 を い と っ て 山 中 に 仏 を 念 じ た 。 翌 年 の 天 長 十 年 ( 八 三 三) に は 、 高 野 山 を 弟 子 の 真 然 に 付 属 し 、 実 恵 に 助 成 せ し め た と い う ( ﹃ 弘 法 大 師 行 化 記 ﹄) 。 す で に 智 泉 な き 今 、 同 じ 讃 岐 の 佐 伯 氏 出 身 で 甥 で も あ っ た 真 然 に 高 野 山 の 後 事 を 託 し た こ と に (21) な る 。 こ の 年 の 高 野 山 隠 棲 を 記 す 根 本 史 料 は 、 ﹃ 遺 告 二 十 五 ヶ 条 ﹄ の つ ぎ の 一 文 と 考 え ら れ る 。 い と 吾 れ 去 る 天 長 九 年 十 一 月 十 二 日 よ り 、 深 く 穀 味 を 厭 い て 、 専 っ ば ら 坐 禅 を 好 む 。 皆 、 是 れ 令 法 久 住 の 勝 計 、 井 び に 末 世 後 生 の 弟 子 ・ 門 徒 等 の 為 な り 。 方 に 今 、 諸 弟 子 等 、 諦 聴 せ よ 、 諦 聴 せ よ 。 吾 が 生 期 、 今 幾 な ら ず 。 仁 等 好 (22) く 住 し 、 慎 ん で 教 法 を 守 れ 。 吾 れ 永 く 山 に 帰 ら ん 。 し か し な が ら 、 こ の 天 長 九 年 十 一 月 の 高 野 山 隠 棲 説 を 、 私 は 採 ら な い 。 な ぜ な ら 、 ﹃ 御 遺 告 ﹄ よ り も 史 料 的 に 信 愚 性 の 高 い 実 恵 等 の 書 状 が 伝 存 す る か ら で あ る 。 そ の 書 状 と は 、 空 海 閉 眼 の 翌 年 に あ た る 承 和 三 年 ( 八 三 六) 五 月 五 日 付 で 、 入 唐 す る 真 済 ・ 真 然 に 託 し て 、 青 龍 寺 東 塔 院 の 恵 果 和 尚 の 墓 前 に 、 空 海 が 示 寂 さ れ た こ と を 報 告 し た と き の も の で あ る 。 そ こ に は 、 つ ぎ の よ う に 記 さ れ て い る 。 す 其 の 後 、 和 尚 、 南 山 を 卜 地 し て 、 一 つ の 伽 藍 を 置 き 、 終 焉 の 庭 と 為 。 其 れ を 名 づ け て 金 剛 峯 寺 と 日 う 。 今 上 の 承 (23) 和 元 年 を 以 っ て 、 都 を 去 り 行 き て 住 す 。 二 年 の 季 春 、 薪 尽 き 火 滅 す 。 行 年 六 十 二 。 こ の 書 状 は 、 さ き に も 記 し た よ う に 、 空 海 が 示 寂 さ れ た こ と を 青 龍 寺 東 塔 院 の 恵 果 和 尚 の 墓 前 に 報 告 す る も の で あ り 、 嘘 ・ 偽 り を 書 く 必 要 は な か っ た と 考 え る と 、 そ の 記 載 内 容 は 限 り な く 史 実 に 近 い も の と い え よ う 。 こ こ に ﹁ 今 上
の 承 和 元 年 を 以 っ て 、 都 を 去 り 行 き て 住 す ﹂ と あ る こ と か ら 、 空 海 が 高 野 山 で 最 期 を む か え る た め 、 最 終 的 に 山 に 帰 ら れ た の は 閉 眼 な さ れ る 前 年 、 つ ま り 承 和 元 年 で あ っ た こ と は 間 違 い な い 、 と 私 は 考 え る 。 ま た 、 高 木 先 生 が 天 長 九 年 ( 八 三 二) に 諸 寺 の 管 理 ・ 運 営 を 諸 弟 子 に ゆ だ ね 、 翌 十 年 に 高 野 山 を 真 然 に 付 嘱 し た と み な さ れ て い る こ と も 、 承 和 元 年 以 降 の こ と で あ っ た と い え よ う 。 特 に 、 真 然 へ の 高 野 山 の 付 属 は 、 こ の 当 時 の 真 然 (24) の 立 場 か ら は 事 実 と は 考 え ら れ ず 、 後 世 、 空 海 が 計 画 し た 伽 藍 を 真 然 が 完 成 さ せ た こ と か ら 派 生 し た 説 と い え る 。 ( 3) 高 野 山 萬 燈 会 空 海 は 、 天 長 九 年 ( 八 三 二) 八 月 二 十 二 日 、 高 野 山 に お け る 最 初 の 法 会 ・ 萬 燈 萬 華 会 の 願 文 を 草 し て お ら れ る 。 空 海 の 入 定 信 仰 の 拠 り ど こ ろ と も い わ れ る 、 有 名 な ﹁ 虚 空 尽 き 、 衆 生 尽 き 、 浬 葉 尽 き な ば 、 我 が 願 い も 尽 き ん ﹂ と 誓 願 さ れ た 法 会 が 、 こ の 萬 燈 萬 華 会 で あ っ た 。 参 考 ま で に 、 願 文 の 全 文 を あ げ て み よ う 。 つ つ し こ く あ ん み な も と も と た つ お の お の 恭 ん で 聞 く 。 黒 暗 は 生 死 の 源 、 遍 明 は 円 寂 の 本 な り 。 其 の 元 始 を 原 ぬ れ ば 、 各 因 縁 有 り 。 に っ と う か か た だ あ ん が っ き ょ う な 日 燈 空 に 攣 げ て 唯 一 天 の 暗 を 除 き 、 月 鏡 漢 に 懸 け て 誰 か 三 千 の 明 を 作 さ ん や 。 大 日 遍 く 法 界 を 照 ら し 、 智 鏡 か ん が み あ お も 高 く 霊 墓 を 蓼 る が 如 く に 至 っ て は 、 内 外 の 障 り 悉 く 除 き 、 自 他 の 光 り 普 く 挙 ぐ 。 彼 の 光 り を 取 ら ん と 欲 は ば 、 ぎ ょ う し 何 ぞ 仰 止 せ ざ ら ん 。 こ こ と も へ さ さか も う 是 に 於 い て 、 空 海 、 諸 の 金 剛 子 等 と 與 ん じ て 、 金 剛 峯 寺 に 於 い て 、 柳 か 萬 燈 萬 華 の 会 を 設 け て 両 部 の 曼 茶 羅 、 ご こ 四 種 の 智 印 に 奉 献 す 。 期 す る 所 は 、 毎 年 一 度 、 斯 の 事 を 設 け 奉 っ て 、 四 恩 を 答 し 奉 つ ら ん 。 虚 空 尽 き 、 衆 生 尽 き 、 浬 葉 尽 き な ば 、 我 が 願 い も 尽 き ん 。 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 し か す な わ き ん ぷ そ び ほ う ろ う み ぎ ょ く こ う ぼ ん じ ゃ く か く じ つ け 爾 れ ば 廼 ち 、 金 峯 高 く 聲 え て 安 明 の 培 縷 を 下 し 睨 、 玉 毫 光 り を 放 っ て 忽 ち に 梵 釈 の 赫 日 を 滅 さ ん 。 濫 字 の 一 た ち ま へ う し っ た え み ま な ご 炎 、 乍 ち に 法 界 に 鷹 し て 病 を 除 き 、 質 多 の 萬 華 、 笑 を 含 ん で 諸 尊 眼 を 開 か ん 。 こ ご う ご う よ た ち ま 仰 ぎ 願 く ば 、 斯 の 光 業 に 籍 っ て 自 他 を 抜 済 せ ん 。 無 明 の 他 、 忽 ち に 自 明 に 帰 し 、 本 覚 の 自 、 乍 ち に 他 身 を 奪 は ひ ら が ん と こ ろ ん 。 無 書 の 荘 厳 、 大 日 の 慧 光 を 放 ち 、 刹 塵 の 智 印 、 朗 月 の 定 照 を 嚢 か ん 。 六 大 の 遍 ず る 所 、 五 智 の 含 ず る 仮 、 は い き ょ ち ん ち す 排 虚 沈 地 、 流 水 遊 林 、 惣 べ て 是 れ 我 が 四 恩 な り 。 同 じ く 共 に 一 覚 に 入 ら ん 。 (25) 天 長 九 年 八 月 二 十 二 日 ( 傍 線 筆 者) こ こ で 問 題 と な る の は 、 願 文 の 内 容 も さ る こ と な が ら 、 こ の 萬 燈 萬 華 会 に 際 し て 、 空 海 が 高 野 山 に 足 を 運 ば れ た か 否 か 、 の 点 で あ る 。 言 い 換 え る と 、 前 年 の 六 月 、 悪 瘡 に よ っ て 大 僧 都 を 辞 任 し た い と 願 わ れ た 空 海 の 健 康 は 、 こ の 時 点 で 回 復 し て い た か 否 か 、 で あ る 。 結 論 か ら い う と 、 こ の と き 空 海 は 高 野 山 に 足 を 運 ば れ て い た と 考 え る 。 そ れ は 、 こ の 願 文 の 傍 線 部 に 、 こ こ と も い さ さ 是 に 於 て 空 海 、 諸 の 金 剛 子 等 と 與 ん じ て 、 金 剛 峯 寺 に 於 い て 、 柳 か 萬 燈 萬 華 の 会 を 設 け て 両 部 の 曼 茶 羅 、 四 種 の (26) 智 印 に 奉 献 す 。 と 記 さ れ て い る か ら で あ る 。 わ た く し 空 海 は 、 も ろ も ろ の 弟 子 た ち と と も に 、 金 剛 峯 寺 に お い て 、 さ さ や か な が ら も 萬 燈 萬 華 の 会 を 設 け 、 多 く の 灯 明 ・ 多 く の 花 で も っ て 両 部 の 曼 茶 羅 諸 尊 、 四 種 の 曼 茶 羅 諸 尊 を 荘 厳 し た て ま つ る 、 と い い 切 っ て お ら れ る と こ ろ は 、 み ず か ら そ の 場 に 臨 ま れ て の こ と ば と 解 し た い 。 つ づ く 、 ご こ 期 す る 所 は 、 毎 年 一 度 、 斯 の 事 を 設 け 奉 っ て 、 四 恩 を 答 し 奉 つ ら ん 。 虚 空 尽 き 、 衆 生 尽 き 、 浬 藥 尽 き な ば 、 我 (27) が 願 い も 尽 き ん 。
も 、 空 海 自 身 が 発 せ ら れ た こ と ば と み た と き 、 よ り 効 力 を 増 す の で あ っ て 、 代 読 さ せ た と は 考 え が た い 。 特 に 、 後 半 の ﹁ 虚 空 尽 き ﹂ 以 下 は 、 ﹃ 華 厳 経 ﹄ 十 地 品 を 下 敷 き に し た 大 誓 願 と は い え 、 こ の 宇 宙 に 存 在 す る 一 切 の も の を 心 安 ら か な 世 界 、 浬 藥 に 送 り と ど け る の が 私 の 願 い で あ り 、 一 切 の も の を 浬 藥 に 送 り と ど け た 暁 に 、 私 の 願 い も 終 わ る 、 は 、 大 乗 の 菩 薩 行 の 極 致 と い え よ う 。 く り 返 し に な る が 、 空 海 は こ の 時 点 で 健 康 を 回 復 さ れ て い た 、 と 私 は 考 え る 。 ( 4) 法 界 体 性 の 塔 二 基 空 海 は 、 承 和 元 年 ( 八 三 四) 八 月 二 十 三 日 、 高 野 山 に 建 設 中 の 伽 藍 の 一 日 も は や い 完 成 を 願 っ て 、 檀 越 に ﹁ 一 銭 一 粒 ﹂ の 喜 捨 を お 願 い さ れ た 。 そ の と き の 勧 進 の 文 が 、 ﹁ 勧 進 し て 仏 塔 を 造 り 奉 る 知 識 の 書 ﹂ ( ﹃ 性 霊 集 ﹂ 巻 八) で あ る 。 本 文 を あ げ る と 、 敬 っ て 勧 む 、 応 に 仏 塔 ・ 曼 茶 羅 等 を 造 り 奉 る べ き の 書 。 し す よ 夫 れ 諸 仏 の 事 業 は 大 慈 を 以 っ て 先 と 為 、 菩 薩 の 行 願 は 大 悲 を 以 っ て 本 と 為 。 慈 は 能 く 楽 を 與 え 、 悲 は 能 く 苦 を も と い し ょ う ろ 抜 く 。 抜 苦 與 楽 の 基 、 人 に 正 路 を 示 す 、 是 れ な り 。 所 謂 ゆ る 正 路 に 二 種 有 り 。 一 に は 定 慧 門 、 二 に は 福 徳 門 な り 。 し す 定 慧 は 正 法 を 開 き 、 禅 定 を 修 す る を 以 っ て 旨 と 為 、 福 徳 は 仏 塔 を 建 て 、 仏 像 を 造 す る を 以 っ て 要 と 為 。 三 世 の 諸 こ 仏 、 十 方 の 薩 垣 、 皆 斯 の 福 智 を 営 ん で 仏 果 を 円 満 す 。 し き り 是 の 故 に 比 の 年 、 四 恩 を 抜 済 し 、 二 利 を 具 足 せ ん が 為 に 、 金 剛 峯 寺 に 於 い て 毘 盧 遮 那 法 界 膿 性 の 塔 二 基 、 及 び 胎 蔵 金 剛 界 両 部 の 曼 茶 羅 を 建 て 奉 る 。 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 し ゅ た ろ う し ょ く つ こ く こ う た こ 然 る に 今 、 工 夫 数 多 に し て 根 食 給 き 難 し 。 今 思 は く 、 諸 の 貴 賎 の 四 衆 と 斯 の 功 業 を 同 う せ ん 。 一 塵 大 嶽 を 崇 あ は う し 、 一 滴 広 海 を 深 う す る 所 以 は 、 心 を 同 う し 力 を 獄 す る が 致 す 所 な り 。 お の お の こ す く 伏 し て 乞 ふ 。 諸 の 檀 越 等 、 各 一 銭 一 粒 の 物 を 添 へ て 斯 の 功 徳 を 相 い 済 へ 。 然 れ ば 則 ち 、 営 む 所 の 事 業 不 日 に な あ ゆ た か し て 成 り 、 生 す 所 の 功 徳 萬 劫 に し て 広 か ら ん 。 四 恩 は 現 当 の 徳 に 飽 き 、 五 類 は 幽 顕 の 福 を 饒 に せ ん 。 同 じ く 無 明 さ と ひ と の 郷 を 脱 し て 斉 し く 大 日 の 殿 に 遊 ば ん 。 敬 っ て 勧 む 。 ( 28) 承 和 元 年 八 月 二 十 三 日 (傍 線 筆 者) と あ る 。 こ の 日 付 ・ 八 月 二 十 三 日 か ら は 、 萬 燈 萬 華 会 を 修 す る た め に 高 野 山 に 登 っ て 、 伽 藍 の 建 設 事 業 が 予 想 以 上 に 遅 れ て い る こ と に 心 を 痛 め ら れ 、 筆 を と ら れ た も の と い え よ う 。 と も あ れ 、 こ こ で は 二 つ の こ と を 問 題 と し た い 。 第 一 は こ こ に 記 さ れ た ﹁ 毘 盧 遮 那 法 界 髄 性 の 塔 二 基 、 及 び 胎 蔵 金 剛 界 両 部 の 曼 茶 羅 ﹂ は 何 を さ す の か で あ り 、 第 二 は こ の 時 点 で 高 野 山 の 伽 藍 は ど の 程 度 で き て い た の か で あ る 。 第 一 の ﹁ 毘 盧 遮 那 法 界 艘 性 の 塔 二 基 ﹂ は 、 ﹃ 大 日 経 ﹄ の 世 界 を 象 徴 す る 塔 で あ る 大 塔 と ﹃ 金 剛 頂 経 ﹄ の 世 界 を 象 徴 す る 塔 (29) で あ る 西 塔 を さ す こ と で 、 ほ ぼ 一 致 し た 見 解 が み ら れ る 。 し か し 、 ﹁ 胎 蔵 金 剛 界 両 部 の 曼 茶 羅 ﹂ に つ い て は 、 字 面 の と お り に 胎 蔵 ・ 金 剛 界 の 二 部 の 曼 茶 羅 と 解 す る も の と 、 胎 ・ 金 を 合 わ せ た 堂 と み な さ れ る 講 堂 、 い ま の 金 堂 と み な す (30) 見 解 が あ る 。 い ま は 、 後 者 の 解 釈 に し た が っ て お き た い 。 し ゅ た つ 第 二 の 問 題 は 、 史 料 の 制 約 も あ っ て い ま 一 つ 明 ら か で は な い 。 と は い え 、 こ こ に ﹁ 工 夫 数 多 に し て 根 食 給 き 難 し ﹂ と い い 、 そ れ が た め に 諸 の 檀 越 ら に ﹁ わ ず か ば か り の 金 子 ・ 食 糧 で も い い か ら 喜 捨 い た だ き 、 こ の 堂 塔 建 立 と い う 善 す く 業 を 助 け て い た だ き た い ( 各 一 銭 一 粒 の 物 を 添 へ て 斯 の 功 徳 を 相 い 済 へ) ﹂ と い っ て い る こ と か ら 、 空 海 の 在 世 中 に
何 と か 完 成 さ せ た い と の 思 い で 、 工 事 が 急 が れ て い た こ と が 窺 が え る 。 康 保 五 年 ( 九 六 八) 六 月 十 四 日 の 奥 書 を 有 す る ﹃ 金 剛 峯 寺 建 立 修 行 縁 起 ﹄ に は 、 空 海 在 世 中 に 十 八 丈 の 多 宝 塔 一 基 ・ 三 問 四 面 の 講 堂 一 宇 ・ 二 十 一 問 僧 坊 一 宇 が 完 (31) 成 し て い た と 記 す け れ ど も 、 二 十 一 問 僧 坊 だ け が で き て い た ら し い 。 と も あ れ 、 こ の 知 識 の 書 か ら は 、 承 和 元 年 八 月 ( 32) の 時 点 で 工 事 が 急 が れ て い た こ と と 大 々 的 に 勧 進 活 動 が 行 わ れ た で あ ろ う こ と が 知 ら れ る の で あ る 。 ( 5) 後 七 日 御 修 法 の 勅 許 時 代 的 に は 、 こ の あ と に 承 和 元 年 ( 八 三 四) 十 二 月 十 九 日 付 の 後 七 日 御 修 法 の 勅 許 が く る け れ ど も 、 あ と に 詳 述 す る の で 、 こ こ で は 触 れ な い で お く 。 ( 6) 東 寺 三 綱 の 選 任 承 和 元 年 ( 八 三 四) 十 二 月 二 十 四 日 、 東 寺 に 置 か れ た 五 十 口 の 真 言 宗 僧 の な か か ら 、 東 寺 の 三 綱 を 選 任 す べ き 勅 許 が 下 っ た 。 そ の と き の 太 政 官 符 は 、 つ ぎ の 通 り で あ る 。 太 政 官 符 す 応 に 真 言 宗 五 十 僧 の 内 を 以 っ て 東 寺 三 綱 に 充 つ べ き の 事 へ ま へ ま 右 、(1) 大 僧 都 傳 燈 大 法 師 位 空 海 の 表 に 僻 く 。 ﹁ 謹 ん で 太 政 官 去 る(2) 弘 仁 十 四 年 十 月 十 日 の 符 を 案 ず る に 僻 く 。 う け た ま わ こ の か た ﹃ 右 大 臣 宣 す 。 勅 を 奉 る に 、 今 よ り 以 後 、 真 言 宗 僧 五 十 人 を し て 東 寺 に 住 さ し む 。 若 し 僧 に 閾 有 ら ば 、 一 尊 法 て へ り を 受 学 し 、 次 第 功 業 有 る 僧 を 以 っ て 之 に 補 せ よ 。 道 は 是 れ 密 教 、 他 宗 の 僧 を 雑 住 せ し む る こ と 莫 れ 、 ﹂ 者 。(3) 伏 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 てへ り し て 望 む ら く は 、 三 綱 の 外 、 鎮 知 事 等 は 、 一 切 省 除 せ ん 。 其 れ 三 綱 は 、 五 十 僧 の 内 よ り 択 び 充 て 用 い ん 、 ﹂ 者 。 うけ こまわ 従 二 位 行 大 納 言 兼 皇 太 子 傅 藤 原 朝 臣 三 守 宣 す 。(4) 勅 を 奉 る に 、 請 う る に 依 れ 。 (33) 承 和 元 年 十 二 月 廿 四 日 ( 傍 線 筆 者) こ の 官 符 か ら は 、 つ ぎ の 四 つ の こ と を 知 り う る 。 す な わ ち 、 い は 第 一 は 、 ﹁ 大 僧 都 傳 燈 大 法 師 位 空 海 の 表 に 僻 く ﹂ と あ る こ と か ら 、 こ の 官 符 は 空 海 の 上 表 に も と つ い て 出 さ れ た こ と 。 第 二 は 、 こ こ に 弘 仁 十 四 年 ( 八 二 三) 十 月 十 日 付 の 官 符 が 引 用 さ れ て い る こ と か ら 、 弘 仁 十 四 年 十 月 十 日 付 で 真 言 宗 僧 五 十 人 を 東 寺 に 住 ま わ せ た こ と は 間 違 い な い こ と 。 第 三 は 、 こ の 時 点 で お 願 い さ れ た の は 、 ﹁ 三 綱 の 外 、 鎮 知 事 等 は 、 一 切 省 除 せ ん 。 其 れ 三 綱 は 、 五 十 僧 の 内 よ り (34) 択 び 充 て 用 い ん ﹂ と あ っ て 、 五 十 僧 の な か か ら 三 綱 だ け を 選 任 し 、 鎮 知 事 ら は 省 除 す る こ と で あ っ た 。 う け た ま わ 第 四 は 、 ﹁ 勅 を 奉 る に 、 請 う る に 依 れ ﹂ と あ る こ と か ら 、 空 海 の 願 い は す べ て 允 許 さ れ た こ と 。 で あ る 。 な お 、 記 憶 に と ど め て お い て い た だ き た い の は 、 ﹁ 従 二 位 行 大 納 言 兼 皇 太 子 傅 藤 原 朝 臣 三 守 宣 す ﹂ の 箇 所 で あ る 。 な ぜ な ら 、 空 海 の 願 い を 天 皇 に 取 り つ ぎ 、 天 皇 の 意 向 を 聞 き 、 こ の 官 符 を 作 成 さ せ て 下 達 し た の が 、 こ の 藤 原 三 守 で あ っ た か ら で あ る 。 ( 7) 功 徳 料 千 戸 の う ち 、 二 百 戸 を 僧 供 料 と す る 承 和 二 年 ( 八 三 五) 正 月 六 日 、 東 寺 の 功 徳 料 千 戸 の う ち 、 甲 斐 国 五 十 戸 ・ 下 総 国 百 五 十 戸 の 計 二 百 戸 を 僧 供 料 と し 、
東 寺 に お い て 経 典 を 講 讃 す る こ と が 勅 許 さ れ た 。 ﹃ 続 日 本 後 紀 ﹄ 巻 四 、 正 月 壬 子 ( 六 日) の 条 に 、 み こ と の り (1) 大 僧 都 傳 燈 大 法 師 位 空 海 の 奏 に 曰 く 。 ﹁ 弘 仁 十 四 年 の 詔 に 依 り 、 真 言 宗 僧 五 十 人 を し て 東 寺 に 住 ま わ せ 、 三 ほ い ま じ か つ う 密 門 を 修 せ し め ん と 欲 っ す 。(2) 今 、 堂 舎 已 に 建 つ 。(3) 修 講 未 だ 創 ま ら ず 。 願 わ く ば 、 且 は(4) 東 寺 に 入 れ ら る る 官 家 功 徳 料 千 戸 の 内 、 二 百 戸 < 甲 斐 国 五 十 戸 下 総 国 百 五 十 戸 > を 以 っ て 僧 供 に 充 て 、 国 家 の 為 に 薫 修 し 、 人 天 を 利 ま 済 せ ん 。 ﹂(5) 之 を 許 す 。 ( 傍 線 筆 者 、 < > は 二 行 割 注) と あ り 、 こ の 一 文 か ら 四 つ の こ と を 知 り う る 。 第 一 は 、 こ こ に も ﹁ 大 僧 都 傳 燈 大 法 師 位 空 海 の 奏 に 曰 く ﹂ と あ っ て 、 こ の 件 も 空 海 の 上 奏 に 応 え て 勅 許 さ れ た こ と で あ る 。 第 二 は 、 ﹁ 今 、 堂 舎 已 に 建 つ ﹂ と あ り 、 こ の 当 時 、 東 寺 の 建 物 が ほ ぼ で き 上 が っ て い た こ と で あ る 。 は じ 第 三 は 、 つ づ い て ﹁ 修 講 未 だ 創 ま ら ず ﹂ と あ っ て 、 い ま だ 修 講 は 行 な わ れ て い な か っ た こ と で あ る 。 こ こ に い う ﹁ 修 講 ﹂ と は 、 経 典 の 講 讃 と 解 す る こ と が で き る け れ ど も 、 あ と の ﹁ 国 家 の 為 に 薫 修 し 、 人 天 を 利 済 せ ん ﹂ か ら は 、 修 法 ・ 密 教 儀 礼 も 含 ま れ て い る と み な し た 方 が よ さ そ う で あ る 。 第 四 は 、 ﹁ 東 寺 に 入 れ ら る る 官 家 功 徳 料 千 戸 の 内 、 二 百 戸 を 以 っ て 僧 供 に 充 て ﹂ と は 、 真 言 宗 僧 五 十 人 が 修 講 を お こ な う 供 料 に 二 百 戸 が 割 き 充 て ら れ た こ と で あ る 。 さ い ご に 、 ﹁ 之 を 許 す ﹂ と あ っ て 、 こ の 件 で も 全 面 的 に 、 空 海 の 上 奏 が 認 め ら れ た こ と が 判 る 。 ( 8) 年 分 度 者 三 人 の 勅 許 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 つ ぎ は 、 承 和 二 年 ( 八 三 五) 正 月 二 十 二 二 付 で 真 言 宗 年 分 度 者 三 人 が 勅 許 さ れ た 事 績 ( 三 業 度 人 の 制) で あ る が 、 (36) 別 に 詳 述 し た こ と が あ る の で 、 こ こ で は 太 政 官 符 の 引 用 な ど は お こ な わ な い 。 ( 9) 金 剛 峯 寺 が 定 額 寺 と な る 承 和 二 年 ( 八 三 五) 二 月 三 十 二 、 金 剛 峯 寺 が 定 額 寺 に 列 せ ら れ 、 官 寺 に 准 ず る 寺 と な っ た 。 定 額 寺 の 定 義 は 、 い ま ( 37 ) ぶ っ し ょ う だ 定 か で な い 。 し か し 、 つ ぎ に あ げ る 三 文 か ら は 、 毎 年 、 一 定 の 仏 餉 燈 分 料 を 支 給 さ れ る こ と が 約 束 さ れ た 寺 と い え そ う で あ る 。 と こ ろ で 、 こ の 定 額 寺 の 記 録 は 、 ﹃ 続 二 本 後 紀 ﹄ 巻 十 承 和 八 年 ( 八 四 三) 二 月 戊 申 ( 七 二) の 条 に 、 も う さ 少 僧 都 大 法 師 位 実 恵 言 く 。 紀 伊 国 伊 都 郡 高 野 山 に 在 る 金 剛 峯 寺 は 、 去 る 承 和 二 年 二 月 計 二 、 定 額 に 預 か り 畢 ん ぬ 。 今 深 山 に 在 り 、 灯 明 有 る こ と 無 し 。 望 む ら く は 定 額 の 諸 寺 に 准 じ て 、 灯 分 を 施 れ ら れ 、 井 に 仏 聖 二 座 を 供 養 (38) せ ら れ ん こ と を 。 之 を 許 す 。 と あ る 。 こ こ で 注 目 し た い の が 、 ア 、 ﹁ 去 る 承 和 二 年 二 月 三 十 二 、 定 額 に 預 か り 畢 ん ぬ ﹂ イ 、 ﹁ 今 深 山 に 在 り 、 灯 明 有 る こ と 無 し ﹂ ウ 、 ﹁ 定 額 の 諸 寺 に 准 じ て 、 灯 分 を 施 れ ら れ 、 井 に 仏 聖 二 座 を 供 養 せ ら れ ん こ と を ﹂ の 三 つ で あ る 。 特 に 、 ア か ら は 、 承 和 二 年 ( 八 三 五) 二 月 三 十 二 、 金 剛 峯 寺 が 定 額 寺 に 列 せ ら れ た こ と 。 イ ・ ウ か ら は 、 こ の 当 時 、 高 野 山 が 灯 明 料 も 確 保 で き ず き び し い 状 況 に お か れ て い た こ と 、 が わ か る 。 後 者 か ら は 、 実 恵 の 悲 痛
な 叫 び が 聞 こ え て き そ う で あ る 。 ( 10) 真 雅 へ の 付 法 、 高 野 山 の 真 然 へ の 付 嘱 、 実 恵 の 神 護 寺 別 当 補 任 、 さ き の ﹁ 略 年 表 ﹂ に 、 天 長 八 年 ( 八 三 三) 六 月 七 二 東 寺 に お い て 、 真 雅 に 伝 法 灌 頂 職 位 を 授 く ︹血 脈 類 集 記 二 ︺ 天 長 十 年 ( 八 三 三) 二 月一一 日 真 雅 に 真 言 の 秘 印 を 授 く ︹血 脈 類 集 記 二 ︺ 承 和 元 年 ( 八 三 四) こ の 年 実 恵 、 神 護 寺 別 当 に 補 任 さ れ る ︹東 寺 長 者 補 任 一 ︺ と 記 し て お い た が 、 い ず れ も 確 証 は な い と 思 わ れ る 。 な ぜ な ら 、 空 海 か ら 伝 法 灌 頂 を 受 法 し た 諸 弟 子 の な か 、 そ の 受 法 の 年 次 が 明 ら か な の は 、 天 長 元 年 ( 八 二 四) に 二 十 五 歳 の 若 さ で 受 法 し た 真 済 だ け で あ る 。 ﹃ 二 本 三 代 実 録 ﹄ 巻 四 貞 観 二 年 ( 八 六 〇) 二 月 二 十 五 二 の 真 済 卒 伝 に よ る と 、 真 済 、 少 年 に し て 出 家 し 、 大 乗 道 を 学 び 兼 ね て 外 伝 に 通 ず 。 夙 に 識 悟 有 り 。 大 僧 都 空 海 に 従 い 、 真 言 教 を 受 く 。 大 師 海 公 、 其 の 器 量 を 鑑 み 、 特 に 提 誘 を 加 う 。 遂 に 両 部 の 大 法 を 授 け 、 伝 法 阿 閣 梨 と 為 す 。 真 済 、 時 に 年 廿 五 、 (39) 時 の 人 、 之 を 奇 と す 。 ( 傍 線 筆 者) と あ る 。 後 世 の 史 料 は 、 主 だ っ た 弟 子 の 空 海 か ら の 伝 法 灌 頂 受 法 を 、 こ れ に 倣 っ て 二 十 五 歳 と す る こ と が 多 い 。 特 に 真 雅 に は 、 そ の 二 十 五 歳 の 天 長 二 年 ( 八 二 五) に 、 空 海 か ら 伝 法 灌 頂 を 受 法 し た こ と を 記 す 印 信 ﹁ 天 長 の 大 事 ﹂ な る も の が 伝 存 し て い 麺 が 、 印 信 そ の も の の 歴 史 か ら 考 え て も 、 後 世 に 偽 作 さ れ た こ と は 明 か で あ る。 (41) し た が っ て 、 空 海 か ら の 受 法 の 年 次 ・ 種 類 な ど に は 種 々 な る 手 続 き を 経 る 必 要 が あ り 、 た だ ち に 真 偽 を 云 々 す る こ と は で き な い 。 三 応 、 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 疑 っ て か か っ た 方 が 賢 明 で あ ろ う と 考 え る 。 上 に あ げ た 三 項 目 の う ち 、 実 恵 が 承 和 七 年 ( 八 四 〇) ま で 神 護 寺 別 当 で あ っ た こ と は 、 ﹃ 原 本 東 宝 記 ﹂ 第 十 三 僧 宝 上 草 稿 本 所 収 の 承 和 七 年 ( 八 四 〇) 十 二 月 五 二 付 の 太 政 官 符 か ら ほ ぼ 信 じ て よ い 。 そ の 官 符 に は 、 伝 燈 大 法 師 位 真 済 東 大 寺 右 、 神 護 寺 別 当 に 定 む 。 少 僧 都 伝 灯 大 法 師 位 実 恵 の 替 な り %) と あ り 、 実 恵 に 替 わ っ て 真 済 が 神 護 寺 別 当 に 任 ぜ ら れ た こ と が 知 ら れ る 。 し か し 、 実 恵 が い つ 神 護 寺 別 当 に 補 任 さ れ た か は 明 ら か で な い 。 空 海 が 最 終 的 に 高 野 山 に 隠 棲 し た の が 承 和 元 年 で あ っ た こ と か ら 考 え る と 、 ﹃ 東 寺 長 者 補 任 ﹄ (43) 巻 第 三 承 和 十 四 年 ( 八 四 七) 条 の ﹁ 承 和 の 初 め に 神 護 寺 別 当 に 補 さ る ﹂ は 、 ほ ぼ 妥 当 な 説 と い え よ う 。 二 、 後 七 二 御 修 法 上 表 文 の 検 討 前 節 で は 、 空 海 晩 年 の 事 績 を 根 本 史 料 に よ っ て 一 瞥 し た 。 本 節 で は 、 石 田 先 生 が 注 目 さ れ た 後 七 二 御 修 法 に 関 す る 上 奏 文 と 勅 許 さ れ た と き の 太 政 官 符 の 内 容 を 分 析 し て お き た い 。 ま ず 、 ﹃ 続 二 本 後 紀 ﹄ 巻 三 承 和 元 年 ( 八 三 四) 十 二 月 乙 未 (十 九 二) 条 に よ っ て 、 空 海 の ﹁ 宮 中 真 言 院 の 正 月 御 修 法 の 奏 状 ﹂ の 全 文 と 、 こ れ に 応 え て 出 さ れ た 勅 許 の 内 容 を あ げ て み よ う 。 わ か り や す さ を 慮 っ て 、 私 に 改 行 を 多 く し た 。 も ゆつ 大 僧 都 伝 燈 大 法 師 位 空 海 上 奏 し て 二 さ く 。
お も む き 空 海 聞 く 。 如 来 の 説 法 に 二 種 の 趣 有 り 。 三 つ に は 浅 略 趣 、 二 つ に は 秘 密 趣 な り 。 ち よ う こ う げ じ ゅ 浅 略 趣 と 言 っ ぱ 、 諸 経 の 中 の 長 行 偶 頗 、 是 な り 。 秘 密 趣 と 言 っ ぱ 、 諸 経 の 中 の 陀 羅 尼 、 是 な り 。 や く し ょ う 浅 略 趣 と は 、 太 素 、 本 草 等 の 経 に 病 源 を 論 説 し 、 薬 性 を 分 別 す る が 如 し 。 ほ う ぶ く じ き む か 陀 羅 尼 の 秘 法 と は 、 方 に 依 っ て 薬 を 合 わ せ 、 服 食 し て 病 を 除 く が 如 し 。 若 し 病 人 に 対 っ て 、 方 経 を 披 き 談 ず と や ま い せ い め い も 痢 を 療 す る に 由 無 し 。 必 ず 須 ら く 病 に 当 て て 薬 を 合 わ せ 、 方 に 依 っ て 服 食 す れ ば 、 乃 ち 病 患 を 消 除 し 、 性 命 を 保 持 す る こ と を 得 べ し 。 た だ 然 る に 今 、 講 じ 奉 る 所 の 最 勝 王 経 は 、 但 其 の 文 を 読 み 、 空 し く 其 の 義 を 談 ず れ ど も 、 曾 っ て 法 に 依 っ て 像 を 画 な き 、 壇 を 結 び て 修 行 せ ず 。 甘 露 の 義 を 演 説 す る を 聞 く と 錐 も 、 恐 ら く は 醍 醐 の 味 を 嘗 む る こ と を 閾 か む こ と を 。 も っ ぱ ら げ ほ う 伏 し て 乞 ふ 。 今 よ り 以 後 、 一 経 法 に 依 っ て 、 経 を 講 じ る 七 二 の 間 、 特 に 解 法 の 僧 二 七 人 、 沙 弥 二 七 人 を 択 む て ん ぷ で 、 別 に 一 室 を 荘 厳 し 、 諸 の 尊 像 を 陳 列 し 、 供 具 を 萸 布 し て 真 言 を 持 諦 せ む 。 然 れ ば 則 ち 、 顕 密 の 二 趣 、 如 来 の か な ふ く じ ゅ え 本 意 に 契 ひ 、 現 当 の 福 聚 、 諸 尊 の 悲 願 を 獲 む 。 (44) 勅 す 。 請 う る に 依 れ 。 之 を 修 し て 、 永 く 恒 例 と 為 よ 。 (傍 線 筆 者) こ の ﹃ 続 二 本 後 紀 ﹄ の 記 事 に よ り 、 内 容 を 分 析 ・ 検 討 す る ま え に 、 解 決 し て お か な け れ ば な ら な い 問 題 が 出 来 し た 。 そ れ は 、 後 七 二 御 修 法 の 勅 許 が 下 さ れ た の は い つ で あ っ た か 、 の 問 題 で あ る 。 さ き に 紹 介 し た 石 田 先 生 は 、 承 和 元 年 (45) 十 二 月 十 九 二 に 空 海 が 上 奏 し 、 同 月 二 十 九 二 に 勅 許 を え た 、 と み な さ れ た 。 し か し な が ら 、 こ の ﹃ 続 二 本 後 紀 ﹄ の せ 傍 線 部 ﹁ 勅 す 。 請 う る に 依 れ 。 之 を 修 し て 、 永 く 恒 例 と 為 よ 。 ﹂ に よ る な ら ば 、 承 和 元 年 ( 八 三 四) 十 二 月 十 九 二 は 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 勅 許 が 下 っ た 二 と な る 。 で は な ぜ 、 石 田 先 生 は 十 二 月 十 九 二 を 上 奏 の 二 、 同 月 二 十 九 二 を 勅 許 の 二 と み な さ れ た の で あ ろ う か 。 お そ ら く 、 上 掲 の ﹃ 続 二 本 後 紀 ﹂ の 記 事 を そ っ く り 収 録 す る ﹃ 性 霊 集 補 閾 鋤 ﹂ 巻 九 所 収 ﹁ 宮 中 真 言 院 の 正 月 御 修 法 の 奏 状 ﹂ の 書 き 出 し が マ マ も う(46) 承 和 元 年 十 一 月 乙 未 、 大 僧 都 伝 燈 大 法 師 位 空 海 上 奏 し て 二 さ く 。 で は じ ま っ て い る こ と 、 ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 二 に 収 録 さ れ て い る 後 七 二 御 修 法 を 勅 許 し た と き の 太 政 官 符 の 二 付 が 承 和 (47) 元 年 十 二 月 二 十 九 二 と な っ て い る こ と 、 の 二 つ か ら 、 導 き 出 さ れ た も の と 考 え る 。 し か し 、 さ き に 記 し た よ う に 、 十 二 月 十 九 二 は 勅 許 さ れ た 二 と み な す べ き で あ っ て 、 空 海 が 上 奏 し た 二 と は い え な い 。 後 七 二 御 修 法 の 上 奏 ・ 勅 許 に 関 す る 信 頼 で き る 史 料 は 、 上 掲 の ﹃ 続 二 本 後 紀 ﹄ の 記 事 と ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 二 所 収 の 太 政 官 符 の 二 つ で あ る 。 こ の 二 ・ つ の 史 料 は 、 い ず れ も 勅 許 に 関 す る 記 録 で あ る が 、 そ こ に は 空 海 が 上 奏 し た 二 は 明 記 さ れ て い な い 。 よ っ て 、 空 海 が 上 奏 し た 二 は 不 明 と い わ ざ る を え な い 。 残 さ れ た 問 題 は 、 勅 許 さ れ た 二 を い つ と み な す か 、 で あ る 。 い ま 三 度 史 料 を 整 理 す る と 、 ﹃ 続 二 本 後 紀 ﹄ は 承 和 元 年 十 二 月 十 九 二 で あ っ た と し 、 ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 所 収 の 太 政 官 符 は 同 月 二 十 九 二 と 記 す 。 十 二 を 隔 て て 二 度 勅 許 が 下 さ れ た と は 考 え が た い の で 、 十 九 二 ・ 二 十 九 二 の い ず れ か が 正 し く 、 ど ち ら か が 誤 記 、 ま た は 誤 写 と い え よ う 。 こ こ に 、 太 政 官 符 の 二 付 を 承 和 元 年 十 二 月 十 九 二 と 記 す 史 料 が あ る の で 紹 介 し た い 。 そ れ は 、 高 野 山 正 智 院 蔵 の ﹃ 東 寺 官 符 集 ﹂ で あ る 。 鎌 倉 時 代 に 書 写 さ れ た こ の ﹃ 官 符 集 ﹂ に は 、 真 言 宗 に 出 さ れ た 平 安 ・ 鎌 倉 時 代 の 太 政 官 符 十 六 通 ・ 太 政 官 牒 六 通 ・ 官 宣 旨 一 通 が 収 録 さ れ て い る 。 こ の な か に 、 い ま 問 題 と し て い る 後 七 二 御 修 法 が 勅 許 さ れ た と
(48) き の 太 政 官 符 も 収 載 さ れ て お り 、 そ の 二 付 は ﹁ 承 和 元 年 十 二 月 十 九 二 ﹂ と な っ て い る 。 十 九 二 ・ 二 十 九 二 の い ず れ が 正 し い か を 断 定 す る に は 、 さ ら に い く つ か の 写 本 を 参 酌 し な け れ ば な ら な い け れ ど も 、 ﹃ 続 二 本 後 紀 ﹂ ・ 正 智 院 本 ﹃ 東 寺 官 符 集 ﹄ に よ り 、 ひ と ま ず 、 勅 許 が 下 さ れ た の は 十 二 月 十 九 二 と み な し て お き た い 。 こ れ よ り 、 石 田 先 生 の い わ れ る 十 二 月 十 九 二 上 奏 、 十 二 後 の 二 十 九 二 勅 許 説 は 再 検 討 さ れ る べ き で あ る と 考 え る 。 し か し な が ら 、 石 田 先 生 が い わ れ る よ う に 、 上 奏 か ら 勅 許 ま で に 要 し た 時 間 は 数 ヶ 月 に は 及 ぼ な か っ た 、 お そ ら く 一 月 を 超 え る こ と は な か っ た で あ ろ う と 、 私 も 考 え た い 。 そ れ は 、 つ ぎ の 三 つ の 理 由 に よ る 。 第 三 は 、 二 ヶ 月 あ ま り の 間 に 五 つ の 勅 許 が 下 さ れ て お り 、 こ こ に は や は り 尋 常 で な い も の が 感 じ ら れ る か ら で あ る 。 こ の 裏 に は 、 政 治 的 な 力 の 介 在 が あ っ た も の と 考 え る 。 し ょ う け い 第 二 は 、 そ の 政 治 力 を 大 い に 発 揮 し た の が 、 上 卿 を 務 め た 藤 原 三 守 で あ っ た と 考 え ら れ る こ と で あ る 。 こ の こ と に つ い て は 後 述 し た い 。 第 三 は 、 空 海 に は 短 期 間 で 勅 許 を え た 前 例 が あ る こ と で あ る 。 そ れ は 高 野 山 の 下 賜 が 勅 許 さ れ た と き で あ り 、 弘 仁 (49)(50) 七 年 ( 八 一 六) 六 月 十 九 二 に 上 表 し 、 二 十 二 後 の 七 月 八 二 、 太 政 官 符 が 紀 伊 国 司 に 下 さ れ て い る 。 以 上 よ り 、 石 田 先 生 の い わ れ る 十 二 後 は 根 拠 の と ぼ し い 数 字 と い え そ う で あ る け れ ど も 、 上 奏 し て か ら 短 期 間 の う ち に 勅 許 を た ま わ っ た こ と は ほ ぼ 間 違 い な い と 考 え る 。 で は 、 後 七 二 御 修 法 の 上 奏 は い か な る 考 え 、 目 的 の も と に な さ れ た の で あ ろ う か 。 上 奏 文 の 内 容 を み て お こ う 。 空 お も む き 海 は 、 ﹁ 如 来 の 説 法 に 二 種 の 趣 有 り 。 一 つ に は 浅 略 趣 、 二 つ に は 秘 密 趣 な り 。 ﹂ と 書 き 出 し て 、 浅 略 趣 目 顕 教 と 秘 密 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 趣= 密 教 と の 相 違 ・ 優 劣 を 明 確 に し 、 い ま 御 斎 会 で 行 な わ れ て い る ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ の 講 讃 だ け で は 不 十 分 で あ り 、 密 教 の 修 法 が 不 可 欠 で あ っ て 、 二 つ が 揃 う こ と に よ り 、 大 き な 効 果 ・ 功 徳 が え ら れ る こ と を 強 く 訴 え ら れ た 。 上 奏 文 の 内 容 を 要 約 す る と 、 つ ぎ の 五 つ と な ろ う 。 (1) 如 来 の 説 法 に は 二 つ の 趣 き が あ る 。 つ ま り 、 浅 略 趣 と 秘 密 趣 の 二 つ で あ る 。 ち ょ う こ う げ じ ゅ (2) 浅 略 趣 と は 、 諸 経 の な か の 長 行 と 偶 頒 を さ し 、 秘 密 趣 と は 、 諸 経 の な か の 陀 羅 尼 で あ る 。 (3) 淺 略 趣 は 、 病 の 原 因 ・ 理 由 と そ の 病 を と り の ぞ く に 効 果 が あ る 薬 物 ・ 植 物 ( 病 理 ・ 薬 草 学) を 説 く ﹃ 太 素 経 ﹄ ﹃ 本 草 経 ﹂ の ご と き 教 え で あ る 。 た と え ば 、 病 人 に 対 し て 、 そ の 病 の 原 因 と 何 が 効 く か ( 病 理 ・ 薬 草 学) を 説 く だ け で 、 病 を と り の ぞ く に 実 効 が な い 教 え で あ る 。 こ れ に 対 し て 秘 密 趣 は 、 ﹃ 太 素 経 ﹂ ﹃ 本 草 経 ﹄ の 記 述 に も と づ き 、 薬 を 調 合 し 飲 む こ と に よ っ て 、 実 際 に 病 を 取 り 除 く 教 え で あ ぶ く じ き せ い め い り 、 病 に 応 じ て 薬 を あ わ せ 、 実 際 に 服 食 し て 疾 患 を 消 除 し 、 性 命 を 保 持 す る こ と が で き る 教 え で あ る 。 ご さ い え (4) いま 、 御 斎 会 で 行 な わ れ て い る ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ の 講 讃 は 、 ま さ に 浅 略 趣 の そ れ で あ り 、 し き り に 文 を 読 み 、 義 を 談 ず と い え ど も 効 果 は 期 待 で き な い 。 な ぜ な ら 、 法 に よ っ て 諸 尊 の 像 を 画 き 、 壇 を 築 い て 修 法 し な い か ら で あ り 、 甘 露 に も 等 し い 講 讃 を い く ら 聞 い て も 、 醍 醐 の 味 ( 最 高 の 功 徳) を え る こ と は で き な い 。 そ こ で お 願 い が あ る 。 秘 密 趣 で あ る 密 教 の 経 法 に も と つ い て 修 法 を 行 い た い 。 す な わ ち 、 御 斎 会 が 行 な わ れ る 七 二 間 、 善 く 密 教 の 法 に 通 達 し た 僧 ( 解 法 の 僧) 十 四 人 と 沙 弥 十 四 人 を 択 び 、 別 に 一 つ の 部 屋 を 荘 厳 し 、 諸 の 尊 像 を 陳 列 し 、 供 養 の 道 具 を 整 え て 、 諸 尊 を た た え る 真 言 を 持 諦 し た い 。
(5) 顕 密 の 二 趣 、 す な わ ち ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ の 講 讃 と 密 教 の 経 法 に も と つ い た 修 法 と の 二 つ が 揃 う な ら ば 、 如 来 出 世 の 本 意 に か な い 、 現 在 と 未 来 に わ た る 福 聚 、 顕 密 諸 尊 の 大 悲 の 本 願 を 獲 得 す る こ と が で き る で あ ろ う 。 こ の 論 法 か ら す る と 、 浅 略 趣 に 比 定 さ れ る 御 斎 会 に は ま っ た く 効 果 が 期 待 で き な い 。 し た が っ て 、 石 田 先 生 の い わ れ る よ う に 、 南 都 諸 宗 の 僧 た ち か ら の 反 駁 ・ 非 難 が あ っ て も お か し く な い 。 に も か か わ ら ず 、 勅 許 を み た の は 、 一 つ に は 空 海 の 長 年 に わ た る 南 都 諸 寺 の 僧 た ち と の 交 友 の し か ら し め る と こ ろ で あ り 、 一 つ に は 空 海 の 強 い 意 志 と 空 海 の (51) 理 想 実 現 の た め に 奮 闘 し た 藤 原 三 守 の 力 に よ る と こ ろ 大 で あ っ た 、 と 私 は 考 え る 。 そ の 正 否 は と も あ れ 、 つ ぎ に 、 こ の 上 奏 に も と つ い て 勅 許 さ れ た と き の 太 政 官 符 が あ る の で み て お き た い 。 そ の 官 符 と は 、 ﹃ 類 聚 三 代 格 ﹄ 巻 二 所 収 の 承 和 元 年 ( 八 三 四) 十 二 月 二 十 九 二 付 の も の で あ る 。 本 文 を あ げ る と 、 太 政 官 符 す ま さ 応 に 年 毎 に 修 法 せ し む べ き の 事 こ う へ ま う け た ま わ 右 、(2) 従 二 位 行 大 納 言 兼 皇 太 子 傅 藤 原 朝 臣 三 守 の 宣 を 被 む る に 僻 く 。 勅 を 奉 る に 、 宜 し く(1) 大 僧 都 傳 燈 大 法 師 位 空 海 の 表 に 依 り 、 毎 年 、 宮 中 の 金 光 明 会 講 経 一 七 二 の 間 、 真 言 宗 の 解 法 の 僧 二 七 人 、 沙 弥 二 七 人 を 択 ん で 、 一 室 を 荘 厳 し 、 別 に 修 法 せ し め 、(3) 同 じ く 国 家 を 護 持 し 、 共 に 五 穀 を 成 熟 せ し む べ し 。 (52) 承 和 元 年 十 二 月 二 十 九 二 ( 傍 線 筆 者) と あ る 。 最 晩 年 の 空 海
密 教 文 化 き わ め て 短 い も の で あ る が 、 三 つ の こ と を 指 摘 し て お き た い (傍 線 部 参 照) 。 第 一 は 、 ﹁ 大 僧 都 傳 燈 大 法 師 位 空 海 の 表 に 依 り ﹂ と あ っ て 、 こ の 官 符 は 空 海 の 上 表 に も と つ い て 出 さ れ た こ と で あ る 。 第 二 は 、 ﹁ 従 二 位 行 大 納 言 兼 皇 太 こ う い は 子 傅 藤 原 朝 臣 三 守 の 宣 を 被 む る に 僻 く ﹂ か ら 、 空 海 の 上 表 を 天 皇 に 取 り つ ぎ 、 意 向 を う か が っ て こ の 官 符 を 下 し た の が 藤 原 三 守 で あ っ た こ と で あ る 。 第 三 は 、 後 七 二 御 修 法 勅 許 の 目 的 を 、 ﹁ 同 じ く 国 家 を 護 持 し 、 共 に 五 穀 を 成 熟 せ し む べ し ﹂ と 御 斎 会 に 准 じ て い る こ と で あ る 。 こ の う ち 、 第 二 と 三 は 、 さ き に あ げ た ﹃ 続 二 本 後 紀 ﹄ 承 和 元 年 十 二 月 乙 未 ( 十 九 二) 条 に は み ら れ な い 新 し い 事 項 で あ る 。 特 に 、 第 二 の 藤 原 三 守 に 留 意 い た だ き た い 。 な お 、 こ の 官 符 の 二 付 ・ 十 二 月 二 十 九 二 は 、 先 述 の よ う に 、 本 来 十 九 二 で あ っ た も の が 、 転 写 の 際 ま た は 何 ら か の 理 由 で あ や ま っ て ﹁ 二 ﹂ (53) が 加 え ら れ 、 二 十 九 二 と 記 さ れ る よ う に な っ た も の と み な し て お き た い 。 三 、 空 海 と 藤 原 三 守 石 田 先 生 は 、 後 七 二 御 修 法 の 勅 許 が 十 二 間 と い う 超 ス ピ ー ド で 下 さ れ た こ と に 注 目 さ れ 、 そ の 理 由 を 二 つ 提 示 さ れ た 。 す な わ ち 、 一 つ は 空 海 が 南 都 諸 大 寺 の 学 僧 と 早 く よ り 交 渉 を 持 ち 、 顕 教 に 対 し て も 深 い 造 詣 を 有 し て い た こ と 、 三 つ は 上 奏 文 と 符 合 す る 理 論 が ﹃ 十 住 心 論 ﹄ 中 に 披 渥 さ れ て お り 、 無 理 な く 受 け 入 れ ら れ る 下 地 が で き て い た こ と 、 の 二 つ で あ る 。 後 七 二 御 修 法 の 勅 許 だ け に 限 定 す る と 、 こ れ で い い の で あ ろ う が 、 最 晩 年 の 五 つ の 勅 許 を 綜 合 し て 考 え た と き 、 別 の 側 面 を 指 摘 で き そ う で あ る 。 承 和 元 年 十 二 月 十 九 二 か ら 翌 二 年 二 月 三 十 二 ま で の わ す か 二 ヶ 月 あ ま り と い う 短 期 間 に 、 空 海 が 申 請 し た 五 つ の 事
し ょ う け い 柄 が す べ て 勅 許 さ れ て い る 。 五 つ の 事 柄 と 上 卿 を 務 め た 藤 原 三 守 の 官 符 に 記 さ れ た 肩 書 き を あ げ る と 、 1 、 承 和 元 年 十 二 月 十 九 二 、 宮 中 真 言 院 に お け る 御 修 法 の 勅 許 、 こ う い は ﹁ 従 二 位 行 大 納 言 兼 皇 太 子 傅 藤 原 朝 臣 三 守 の 宣 を 被 む る に 僻 く ﹂ 2 、 同 年 十 二 月 二 十 四 二 、 東 寺 真 言 宗 僧 五 十 口 の う ち か ら 三 綱 を 選 任 す る 勅 許 、 ﹁ 従 二 位 行 大 納 言 兼 皇 太 子 傅 藤 原 朝 臣 三 守 宣 す ﹂ 3 、 承 和 二 年 正 月 六 二 、 東 寺 に 僧 供 料 を 置 き 、 修 講 す べ き 勅 許 、 4 、 同 年 正 月 二 十 二 二 ( 二 十 三 二) 、 真 言 宗 年 分 度 者 の 勅 許 ( 三 業 度 人 の 制) 、 ﹁ 従 二 位 行 大 納 言 兼 皇 太 子 傅 藤 原 朝 臣 三 守 宣 す ﹂ 5 、 同 年 二 月 三 十 二 、 金 剛 峯 寺 が 定 額 寺 に 認 定 さ れ る 。 * 官 符 、 現 存 せ ず 。 6 、 同 年 八 月 二 十 二 、 真 言 宗 年 分 度 者 の 試 業 並 び に 得 度 の 二 庭 を 定 む べ き 勅 許 、 (54) ﹁ 従 二 位 行 大 納 言 兼 皇 太 子 傅 藤 原 朝 臣 三 守 宣 す ﹂ と な る 。 石 田 先 生 の 言 を か り る と 、 一 つ の 勅 許 を 得 る だ け で も 数 ヶ 月 か ら 半 年 は か か る と 考 え ら れ る 事 柄 が 、 な ぜ 、 こ の 二 ヶ 月 あ ま り の あ い だ に 集 中 し て 勅 許 さ れ た の か 、 し か も 後 七 二 御 修 法 に い た っ て は 暮 の 押 し せ ま っ た こ の 時 期 し ょ う け い に 、 神 業 に 近 い 猛 ス ピ ー ド で 勅 許 さ れ た の か 、 を 考 え た と き 、 私 は 空 海 の 上 表 を 天 皇 に 取 り つ い だ 上 卿 の 藤 原 三 守 に 注 目 し た い 。 上 卿 に つ い て 、 土 田 直 鎮 先 生 は つ ぎ の よ う に 記 し て お ら れ る 。 最 晩 年 の 空 海