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創造都市における都市ガバナンスの可能性 Possibility of Urban Governance in Creative City

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西 山 志 保

Shiho NISHIYAMA

Possibility of Urban Governance in Creative City

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.創造性をはぐくむ場としての都市

工業社会からポスト工業社会への転換によって、新しい社会のパラダイムへの転換が求 められている。ポスト工業社会においては、科学技術やソフト産業にかかわる情報や知 識、サービスの重要性が高まり、工業化社会から知識社会(Knowledge Society)への転 換ともいわれる(Bell, D 1995)。知識社会においては、知識集約型産業や文化芸術を中心 とした創造産業(Creative Industry)が中心的役割を担うようになる。創造産業において は、これまでは分業して活動してきたようなアーティスト、エンジニア、研究者などが、

同じ道具を利用して問題解決を図るようになる。

都市も、消費の場から、多様な人々が交流して知的生産や文化産業を育む「場」として 極めて重要な役割を担うようになっている。実際に、産業構造の転換によって衰退を経験 した欧米の工業都市では、1980年代以降、都市計画の中心に文化や芸術を据えた都市政策 を打ち出すケースが共通の動向としてみられる。

しかし知識社会の深化は、財の「選択と集中」により都市間競争を激化させていく。日 本でも、過度な資本や人材の集中する大都市への一極集中が地方都市の人口を大きく減少 させ、中心市街地の衰退など、コミュニティの分断化を招いている。とりわけ多くの地方 都市は、自らの魅力を再発見し、「都市のアイデンティティ(City Identity)」を確立しな がら様々な戦略を打ち出す必要性に迫られている。そこには市民参加が不可欠で、コミュ ニティレベルで、政府セクター、市場セクター、そして市民セクターが共通課題の解決の ためにガバナンスを形成するかが、重要な課題になっているといえる。

都市間競争が激化する中、それぞれの都市が活力を高め、社会環境の変化に対応するた めに文化や芸術を利用し、競争力を高めていく「創造都市」という概念に注目が集まって いる(佐々木2001、佐々木・総合研究開発機構2007)。

ユネスコは、2004年に創造都市ネットワークを立ち上げ、「創造性」を持続可能な都市

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発展のために必要な戦略的要素としている。近年では、創造都市ネットワークは、72国に わたり180のメンバーが参加し、芸術、工芸、デザイン、フィルム、ガストロノミー、文 学、音楽、デジタルアートなど7つの領域で展開している。日本でも、金沢市や横浜市な どが創造都市政策を積極的に推し進めており、ビルバオやナントなどヨーロッパの諸都市 でも、比較的早い段階から都市再生の戦略として創造産業に注目し、地域のニーズに対し て創造的な価値創造や斬新な解決方法を促す動きが広がっている。それぞれの都市は、

「創造都市」という共通概念を使用しながらも、文化芸術を活用して場の「オーセンティ シティ(Real Urban Experience):Zukin 2009」を高める様々な戦略を打ち出している。

その一方で、創造都市の動きは新自由主義と親和性が高く、D. Harveyによって「企業 家主義的都市(Entrepreneurial City)」と呼ばれている(Harvey1985=1991)。企業家主義 的都市とは、自治体が積極的に企業に働きかけ、公的介入を最小限に抑えることで開発や 雇用のための企業主義的な戦略をとる都市のことである。企業家主義的都市においては、

文化芸術が消費産業の中心に価値づけられている。

本稿では、創造都市論という流れが新自由主義と調和しながら、文化芸術が消費産業の 中心に価値づけられるようになったこと、その文化芸術が都市のオーセンティシティを形 成する大きな要因になっていることを明らかにする。事例として、創造都市として有名な フランスのナント市を取り上げる。ナント市は、産業都市や貿易都市という歴史を持って おり、グローバル化に対応するために、市長主導による創造都市戦略をとり、注目を集め ている事例である1)

2.都市のオーセンティシティを生み出す文化・芸術の創造性

2.1 創造都市論の系譜と新自由主義との親和性

創造都市の理論的系譜として、J. ジェイコブズ、H. ピーター、C. ラウンドリーやフロ リダなどがあげられることが多い。日本における創造都市論の第一人者佐々木雅幸による と、創造都市とは、「科学や芸術における創造性に富み、同時に科学技術に富んだ産業を 備えた都市」として、その創造性により都市問題の解決や経済発展を図ろうとするのが、

創造都市戦略である(佐々木1997:11-16)。

その議論を大きく分けると、都市経営における文化芸術、文化産業の重要性を強調しな がらも、異なる2つの系譜がみられる。一つは、文化産業の育成を目指す文化産業政策志 向で、有名なのはR.フロリダの議論、もう一つは文化や芸術によって地域再生を図ろう とする文化政策志向のC.ラウンドリーの議論である。フロリダは、ハイテク技術やサービ ス産業といったクリエイティブ産業が都市経済を成長させ、クリエイティブクラスの人々 がそれを牽引することを指摘した。これに対して、ラウンドリーは、創造都市論により、

グローバル化によって引き起こされた格差などの諸問題に対して、地域固有の伝統文化や

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集合知、行政との協働関係など、固有の資源を組み合わせることで解決方法を模索するガ バナンスの視点を導入したといえる。

しかし創造都市論が注目を浴びるにつれ、2000年代以降、様々な批判が噴出するように なる。例えば、創造都市論において、地域再生によるジェントリフィケーションや排除の 問題が不可視化されている点や、クリエイティブクラスの集積が必ずしも経済成長につな がらないなどの指摘がなされている(Glaeser 2004)。とりわけ創造都市批判で有名なの が、D. Harveyの「企業家主義的都市論」である(Harvey1985=1991)。

文化芸術が都市を発展させる戦略として注目されるようになった背景に、オイルショッ クまで主流であった都市経営の「管理主義」が、1970年代に「企業家主義的都市」へと転 換したことがある。ハーベイによると、管理主義とは、「都市住民に対する各種サービス や施設及び便宜を地元に供給することを第一の目標」としており、行政のサービスの再分 配施策に基づく都市経営を意味する(Harvey1985=1991:277-278)。これに対して企業家主 義的都市とは、グローバル化の中で市場に対応できなくなったフォーディズムの生産体制 や管理主義的都市基盤を掘り崩し、競争の中で自治体が積極的に企業に働きかけ、開発や 雇用のための新たな方法を追求する企業主義的な戦略である

こうした戦略の中で、文化芸術の重要性が高まったのは、国際競争を生き残っていくた めに、企業家主義的都市が消費産業である文化芸術をめぐるインフラを手厚く整備するた めだという(笹島2012)。つまり文化芸術が、本来の価値から離れ、グローバルな都市間 競争に勝つための有用な資源として価値づけられるようになったということである。ハー ベイは、文化芸術までもが新自由主義的流れの中で消費されている点を批判している。

2.2 オーセンティシティをめぐる政治

しかしその一方、C. ラウンドリーは、文化と芸術などの創造産業が、都心の衰退を解決 し、再生を誘引する原動力として注目している。ここで改めて問い直すべきは、なぜ文化芸 術が地域再生を促すのか、またどのような条件のもとで可能になるのか、という点である。

都市社会学者のS. ズーキンは、都市の固有性を強調するJ. ジェイコブズの議論に依拠し ながら、多様性を担保し、地域の自生的な文化が息づく「ほんものの都市体験(Real Urban Experience)」として、「Authenticity」という概念を提示する。ズーキンは、著作 の中で概念そのものの厳密な定義はしておらず、オーセンティシティをめぐる具体的な闘 いや意味の書き換えが起きる過程を分析することで、その内実を浮かび上がらせている

(Zukin 2009=2013)。

ズーキンの議論によると、オーセンティシティとは、特定の文化的イメージを都市の理 想像として絶対化しており、地域についてある時代の文化的イメージを由来として取り上 げる過程である。地域固有の伝統や由来とみえるものは、実は歴史の編集作業が不可避的 に存在している。これに関して近森(2017:163)は、そこにみられる様々な集団のアイデ

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ンティティをめぐるポリティックスに注目し、その間の「せめぎあい」の可能性を問題に するために時間軸を導入し、オーセンティシティを力学的な均衡状態として捉える必要性 を指摘している。

このように考えると、地域固有の文化や芸術などは、様々な集団が自らのアイデンティ ティを表現する政治的ツールであり、地域のオーセンティシティをめぐって新たな価値創 造を引き起こし、歴史の編集を促す原動力となりうる。つまり地域の文化や芸術が、場の オーセンティシティをめぐるポリティックスの中で、様々な集団のアイデンティティをめ ぐる闘争を引き起こすtriggerとなるということである。

3.ナント市の階層的多様性と政治的特徴について

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 ナントの歴史

貿易都市から創造都市へ

フランスのナント市(現在人口29万人)は、ロワール地方最大の都市で、ナント市と近 隣の24コミューンでナント・メトロポール2)を形成している。ナント・メトロポールは面 積523.4km2で、人口約63万人(2015年)が暮らしている。造船業で栄えたナント市は、

1970年代の造船所の閉鎖ですっかりと衰退していた。しかし近年では、フランスで住みた い都市の第2位に選ばれるほど魅力的な都市に再生している。ここ10年間の間にナントの イメージは大きく変化し、貿易都市から創造都市へと華麗な転換を遂げた。その成功は、

産業遺産という地域文化と、ナント内外の様々な専門家の「知」の集合体が、偶然にもタ イミング良く「ナント」という場所で結びついたことにより実現されたといわれている。

しかしそのプロセスは決して平たんなものではなく、様々な集団が「ナントらしさ」

(オーセンティシティ)をめぐって議論を繰り広げる政治プロセスがあったといえる。

そもそもナントは、17世紀からアフリカとアメリカとの三角奴隷貿易で栄え、18世紀に ゴールデンエイジと呼ばれるほど莫大な富を蓄積して栄えた都市である。18世紀から織物 工場、兵器工場、海運業案連工場、製糖工場、多くはカリビア貿易に依存する産業が盛ん になり、三角貿易がピークになると、砂糖の精製会社や造船業で働く労働者階級の住宅地 がロワール川の北南部に建設され、人口増加が急速に進んだ。奴隷貿易で得た富が資本と なり、工業港へと変化を遂げていった。つまり戦前までナント市の中心に暮らしていた労 働者はほとんどが製糖業、造船業と関連する金属加工業、イワシ缶詰工場やビスケット工 場などに従事していたといえる。

1960年代になると、東部に都市化が始まり、2万人の居住者が作り出された3)。その多

くは、貿易産業で富を得たブルジョアジーと工場労働者であったといわれる。しかし1970 年代に、貿易・工業の中心がロワールのサン・ナザール市へ移動すると、ナントの造船業 は非常に厳しい状況に陥った。造船所の閉鎖が追い打ちをかけ、経済的な大打撃が都市構 造にも影響を与えるようになる。

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ナント市は、1977年に労働組合を支持基盤とした左派政権に変わったものの、1983年に はビジネスリーダー、リベラルな専門家などの支持を得て右派政権が政権をとり、苦境の 経済の立て直しを図っていった。急速な都市再開発の動きに対して、ナントの労働組合や 地理学者、哲学者のアソシエーション、海運業界(Naval Academyʼs Alumni Association)

の組織などが、ナントの産業遺産をどのように守るのか、それぞれのアイデンティティを 再構築するための闘争を繰り広げた。地元の建築家や都市計画家が都市のシンボリズムを 維持するために、歴史的建物のファサードを整備したり、海運業で栄えたナントの記憶を 残すための都市整備を担った。もともとこの地域は、ブルターニュ独自の文化伝統が継続 しており、1940年代からフランス文化への統合に危機感を抱いた教員や専門家によりその 保存に関する様々な抵抗運動が展開され、いわゆるブレトン民主主義組合(l'Union Démocratique Bretonne)が作られるなど、ブレトン社会主義4)の伝統ある地域であった。

こうした中で、経済優先の政策を批判し、環境に配慮し文化芸術による都市再生を推し 進めたのが、1989年に当選した社会党のジャンマルク・エロー(Jean-Marc Ayrault)市 長である。元々ドイツ語の教師で教育委員会の活動などを行っていたエローは、社会党、

革新、共産党、環境主義、ブレトン民主主義組合(Breton Democratic union)を支持基盤 にして当選し、その後、現在に至るまで後継者が安定的に社会党政権を維持している。エ ローの推し進めた様々なプロジェクトは「エロー方式」として注目され、市長や市役所を 中心としてトップダウンに政策決定しながらも、そのプロセスにおいては参加型民主主義 を丁寧に取り入れるという姿勢を貫いている。

エロー方式の特徴として、それまでナントの経済を支えてきた既存のブルジョアジーや ビジネスリーダーというよりは、大学教授や教員、高級官僚などの知的専門家を主に重要 ポストにつけ、政策立案などの中心を担わせるという体制を維持する点にある。とりわけ 環境エコロジストがナント市の社会党左派の基盤になっており、2013年には欧州環境都市 にも選ばれている。かつて労働組合活動の拠点であったナント市において、労働者階級が 政治ゲームや権力闘争に参加することは少なく、むしろガバナンスの中心には創造産業を 支える知識階級が存在しているといえる(Masson, P., Cartier, M., Saout, R., Retiere, J., Suteau, M., 2013)。

中でも、ナントの都市再生はアートディレクター、ジョン・ブレイズ氏(Jean Blaise)

の存在なしには実現されなかったといわれる。ブレイズ氏は、産業遺産の再活用から文化 政策にかかわる様々なイベントを企画運営し、文化によりナントの復活を実現させた。そ の成功要因は、「ナントには何もないという共通認識があったため、そこに文化的目標を 設置することができた」ことにあるという(SAMOA 2001)。

またエロー方式の特徴として、都市再生のプロジェクトを周辺都市と協力し、広域圏 ネットワークにより実現している点も指摘できる。1980年代には、地方分権改革のもとに 権限分権法が施行され、地方自治体が独自の予算執行裁量権を持つことができるように

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なった。ナント市は、実際に近隣16区の市町村とナント都市圏を構成し、広域自治体の連 携によりナント島プロジェクトを初め、ビッグプロジェクトの実行を目指すようになる。

市町村合併を推し進める日本とは逆の流れで、あくまで各コミューンの自主性を保ちなが らも、合併ではなくコミューン間の協力型の広域連携組織を作り、地方分権改革を進めて きたといえる(中田2016)。

3

2

 公共空間の再編と文化政策による「過去の書き換え」

エロー市長は1990年から1992年にかけて、研究者や建築家などの専門家と都市デザイン に関する研究会を主催し、都市再開発の方向性についてのvisionづくりから始めた。その 基本コンセプトは地域及び市民の「生活の質」を高めることであり、市民の意見を取り入 れた都市デザインが追求されている。エロー市長が行った様々なプロジェクトを分析する と、大きく分けて3つの段階に分類できると思われる。

第1段階の「公共空間の文化的再編」において、最初にインパクトを与えたのは、1950 年代に廃止されたトラムを復活させたことであった。実は、フランスでも環境的視点から トラムの再評価が高まっていたが、ヨーロッパ諸国に先駆ける形で、1985年に近代的に整 備したのがナント都市圏だったという(板谷・森本2015)。しかもナントにおいてトラム は、交通的利便性だけでなく、都市デザインによって分断されがちな階層を物理的に統合 し、文化施設などをすべての階層が使用できるようにするという階級統合の意味も大き かった。階級統合、環境配慮という理念のもとに都心の公共空間を再編し、都心部にも低 所得者向けの社会住宅を建設したり、緑を増やして衰退した都心中心部を再編させていっ たのである。

しかもこうした公共空間の文化的再編は、市長の強い主導によって様々な文化政策を通 して実施された。そのプロセスにおいて市民や専門家の提案を採用し、地域の生活の質を 最も重視する「エロー方式」が実現された。そこにはプロジェクトのアイデアを創造し共 有するプロセスは急がず、時間をかけ、実現する際には決断を早く、進めていくという理 念がある(SAMOA 2013)。

2段階である1990年代半ば以降は、市長主導のもとに文化イベントが多く開催され、

観光客などから注目を集めるようになる。とりわけエロー市長と前述したブレイズ氏に よって1990年から6年間継続された「Les Allumees」という文化イベントは、ナントが国 内外から注目される大きな契機を作り出した。このイベントにおいて、ビルバオなど文化 再生の先駆的国との文化交流、人的ネットワークが図られ、ナントにおける文化による都 市再生の方向性が決められていった。

またイベントだけでなく、都市の文化的拠点づくりも進められた。中でも、「ユニーク な場所」(Le Lieu Unique)というプロジェクトは、有名実業家がビスケット工場として 使用していたが、1990年代には写真家や劇団の稽古場として半ば不法占拠の形で利用され

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ていた。そこを専門家集団からの提案を市長が取り入れる形で、1986年にナント市が遺産 として保存し1995年に買収した。そして1998年に若手建築家集団に対して改築計画を委託 し、全面的にアート系NPO「Royal de Luxe」に運営が委託された。このNPOの代表であ るブレイズ氏が中心となり、市民団体、行政、専門家、アーティストなどが話し合いを進 め、市民の文化芸術の力を高める文化拠点として、アートの展示場、美術館や図書館、安 価なバーやレストラン、託児所などが入る施設として運営されている。

また今ではナントの顔となっている機械仕掛けのゾウがあるレ・マシーン・ド・リル(Le Machine de Lʼlle)も、エロー市長とRoyal de Luxe他、3団体が関わって進められたプロジェ クトである。技術者や彫刻家、建築家、クリエーターがともに廃墟となった造船所を改造 し、造船技術を利用して機械仕掛けのゾウなどを作り(1999年)、2002年に開始されたイル ドナントプロジェクトへの参加によって活動拠点を移し、2007年にメリーゴーランドのある 遊園地兼アトリエとしてオープンした、まさにナントの観光名所となった場所である。

さらにエロー市長の第3段階では、創造産業の拠点づくりとして、使用されなくなった 土地(brownfield)であったナント島(IL de Nantes)を再生させるプロジェクトが実施 されている。このプロジェクトの実施主体として、専門家を含めたプロジェクトチームが 結成され、さらにナント・メトロポールやナント市などをステークホルダーにした SAMOAという「公共公営企業(EPL:Enterprise Public Local)5)」が、ナント島プロジェ クトの計画を導き、土地管理策を実施したり、契約主体として事業を進めている。そして 51ヘクタールの公共空間に、新しい社会住宅を建設したり、文化的創造産業を担う高等教

ナントの顔となったレ・マシーンド・リル(左)とアトリエとなった元造船所(右)

(2017年8月筆者撮影)

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育機関や企業などを誘致し、創造地区(Creation Quarter)として再生させるというもの であった。

その際、SAMOAが中心となって何度もワークショップを重ね住民と意見交換し、コ ミュニティに対する要望などを取りまとめたという(SAMOA:2013)。つまり多様なス テークホルダーの間の意見調整がとても難しいプロジェクトだが、SAMOAが年間50回を 超える話し合いの場を設け、意見調整を行い、都市計画家とメトロポール、住民をつなぐ 役割を果たしているのである。ナント島のプロジェクトは、市長の政治力によって文化政 策と都市再開発が統合されたことで実現された。しかしそれは、決して事前に計画が決め られたのではなく、市民との合意形成をベースにして、作りあげられた点に大きな特徴が あるといえよう。

4.過去の再定義とオーセンティシティの創出

以上のように、エロー市長は、「ナントの記憶を打ち立てる」(Masson et al. : 2013)と いうコンセプトによって、創造都市戦略を促す文化政策を実施した。その政策は、単に過 去の記憶を蘇らせたのではなかった。戦略的にナントの過去の記憶を選択し、場の産業遺 産と結びつけながら、文化芸術によって「過去の記憶を書き換える」という政治的プロセ スとして理解できる。つまりナント市は自らの全く歴史から切り離すのでもノスタルジッ クになるのではなく、過去とのつながりの中で産業遺産を再定義し「都市の記憶」を新し い形で残すというプロセスによって、新しい都市のイメージを作り出してきた。この「過

市民の文化拠点となったル・ユニーク(左)、ビスケット工場を改造した面影が残る(右)

(2018年3月筆者撮影)

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去の記憶の書き換え」がナントの都市体験「authenticity」として定着化していったとい える。

しかもそれは、「ナント・プラグマティズム」と呼ばれる手法によって実現されている という(SAMOA 2013:18)。「ナント・プラグマティズム」とは、開発を急いだり、計画 をあらかじめ決めることは決してなく、自治体が公共空間の利用について住民と意見を交 換する場を設定したり、専門家がワークショップを開くなど、住民に対して説明責任を果 たす、まさにガバナンス(協働)の実践である。

もちろんこうした政策に、市民からの合意がすべて得られたわけではない。実施当初 は、観光客を引き付ける斬新なイベントを推し進める市長のやり方に対して懐疑的な市民 も多くいたという。そうした市民に対して、行政は専門家を仲介役にしながら、何度も説 明会やワークショップを開催し、街のイメージづくりに対する合意形成を取り付けてきた のだという。そこでは専門家の果たす役割が大きく、長期にわたって住民とのやり取りを 行い、様々なプロジェクトの計画を軌道修正していく。そして専門家や市民の提案した 様々な音楽イベントや都市再生イベントが、市長の強力なリーダーシップのもとにボトム アップの形で実現されている。社会党政権の継続という政治的安定性もこれを可能にして いる大きな要因だといえる。

以上、ナント市は、産業構造の転換に伴い都市衰退を経験した。しかしその後、市長や 専門家の強いリーダーシップのもとに、文化芸術というツールを利用し、文化拠点として 見事な都市再生を実現した。そのプロセスは、新自由主義的流れの中で文化芸術を消費す るというよりは、むしろ文化芸術を利用してナントの「過去を書き換え」、市民、行政、専 門家が継続的に関わり合いながら都市の「オーセンティシティ」を再発見していくプロセ

イルドナントプロジェクト(http://www.iledenantes.com)

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スとして理解できる。このように文化芸術が都市の「オーセンティシティ」を高めるツー ルとして、大きな可能性を有していることを、ナントの事例は示しているといえよう。

付記

本論文は、パリ社会科学高等研究所での在外研究期間(2017年9月〜2018年7月)にまとめた論文

「Urban Governance in Creative Cities and Possibility of Authenticity-From the Case of Nantes in France-」

の一部に加筆・修正を加えたものである。調査にあたっては、SAMOA, ナント市、Le Voyage a Nantes, The Creative Factory, にお世話になりましたこと、記してお礼申し上げます。また本調査については、日 本学術振興会科学研究費助成事業(基盤研究B代表松本康「都市再生の文化戦略―創造都市の類型学」平 成27〜30年)の成果の一部である。

1)本研究は、日本の金沢との比較研究を念頭に置いており、金沢についてはすでにNishiyama 2016、ナントについては、Nishiyama 2018で報告した。

2)メトロポールとは、フランス独自の地方分権制度で、「自治体間協力型広域行政組織」と呼 ばれる。2015年にナント都市共同体を引き継ぐ形でナント・メトロポールがつくられた。ナ ント・メトロポールを含むナント都市圏は、人口88万5000人である。

3)フットボールとカーニバルがナントの階級統合の役割をしていたが、90年代に市長との関係 悪化により衰退、カーニバルも1980年代初めから市民参加が減り、2011年に廃止された。

4) 1940年代からブレイス語の使用が禁止されるなど、独自文化のフランス文化への統合に対す

る反対運動が展開された地域である。

5)都市整備の手段かつ実施主体である地方公営企業には、官民合同出資会社(SEM)と地方 公社(SPL)の2種類ある。地方自治体は、官民合同出資会社を設立、あるいは資本参加す ることができる。民間企業の柔軟性を有しつつも、事業の公益性の判断および公益性を遵守 した事業の実施に関する監督権は出資自治体に帰属する。

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