• 検索結果がありません。

Vol.22 , No.2(1974)042北村 聡「近世寺院の開帳と講中の役割について」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Vol.22 , No.2(1974)042北村 聡「近世寺院の開帳と講中の役割について」"

Copied!
5
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

近 世 寺 院 め 開 帳 と 講 中 の 役 割 に つ い て ( 北 村) 二 六 二

本 報 告 は、 近 世 期 盛 ん に 行 わ れ た 寺 院 の 開 帳 と、 そ こ で の 講 中 の 役 割 を 通 じ て、 寺 領 や 寺 檀 制 に 基 づ く 檀 信 徒 等 の 確 た る 経 済 基 盤 を 持 た ぬ 近 世 寺 院 の 存 立 形 態 を、 そ の 経 済 面 か ら 考 察 し よ う と す る も の で あ り、 且 ハ 体 的 に は 鎌 倉 の 日 蓮 宗 寺 院 妙 法 寺 に 事 例 を 求 め て 考 察 し て 行 こ う と す る も の で あ る。 ま ず、 事 の 次 第 と し て 若 干 妙 法 寺 の 説 明 を し て お く 必 要 が あ ろ う。 こ の 寺 の 由 緒 に つ い て は、 嘉 永 七 年 の 江 戸 出 開 帳 に 際 し て 開 板 さ れ た ﹃ 樗 厳 山 妙 法 寺 大 日 本 法 華 宗 門 根 本 最 初 ( 1) 寺 院 一 高 祖 小 奄 法 華 堂 旧 地 鎌 倉 松 葉 谷 ﹄ と 題 す る 略 縁 起 に よ れ ば、 建 長 五 年 鎌 倉 に 出 て 来 た 日 蓮 が、 松 葉 谷 に 結 ん だ 奄 で あ る 法 華 堂 の 旧 地 に、 延 文 二 年 大 塔 宮 護 良 親 王 の 若 宮 樗 厳 親 王 妙 法 房 日 叡 上 人 が 再 興 し た 寺 で あ る と し て い る。 し か し、 縁 起 の 性 格 上 こ の 記 載 を す べ て そ の ま ま 信 用 す る こ と は で き な い。 そ の こ と は、 近 隣 の 安 国 論 寺 ・ 長 勝 寺 の ニ ケ 寺 に お い て も 妙 法 寺 同 様 の 寺 伝 を 有 し て い る こ と、 そ れ に と も な つ て、 長 勝 寺 と の 聞 で は 法 華 堂 の 旧 地 を め ぐ つ て 度 々 論 争 を し て い る こ と な ど に よ つ て も 指 摘 で き よ う。 こ の よ う に 妙 法 寺 の 起 源 ・ 由 緒 に つ い て は、 今 後 の 研 究 に 待 た ね ば な ら ぬ が、 近 世 の 妙 法 寺 は、 寺 格 的 に は ﹁ 片 瀬 八 箇 寺 京 都 本 囲 寺 末 本 蓮 寺 ・ 甲 州 身 延 末 常 立 寺 ・ 豆 州 玉 沢 末 勧 行 寺 ・ 下 総 中 山 末 法 源 寺 ・ 同 末 東 漸 寺 ・ 鎌 倉 比 企 谷 末 本 竜 寺 ・ 同 末 妙 典 寺 ・ 鎌 倉 本 覚 寺 末 本 成 寺 右 之 八 箇 寺 往 古 よ り 妙 法 寺 . 妙 本 寺 ・ 本 覚 寺 此 二 而 支 配 之 事 ﹂ と あ る 如 く、 妙 本 寺 ・ 本 覚 寺 と 並 ん で 片 瀬 八 ケ 寺 を 支 配 す る 鎌 倉 三 山 の 一 つ で あ り、 又 鎌 倉 日 蓮 宗 寺 院 七 ケ 寺 の 触 頭 と し て の 地 位 に あ つ た。 一 方、 経 済 的 に は、 そ の 経 済 基 盤 が ﹁ 寺 禄 之 儀 者 永 銭 壱 貫 文 目 之 処 御 除 地 二 頂 載 仕 罷 在 候 檀 那 者 貧 家 唯 壱 軒 御 座 候 ﹂ と い う も の で あ つ た た め、 ﹁ 第 一 之 食 物 乏 キ 故 二 住 居 難 致 依 去 二 無 住 之 時 多 し 夫 故 甚 タ 零 落 仕 候 ﹂ と い う 状 態 に あ つ た。 以 上 近 世 期 の 妙 法 寺 は、 寺 格 的 に は 由 緒 あ る 寺 院 と し て、 そ の 真 偽 は と も か く ﹁ 大 日 本 法 華 宗 門 寺 院 最 初 ﹂ ﹁ 高 祖 大 菩 薩 御 小 奄 霊 躍 ﹂ と い う 由 緒 を 誇 つ て い た が、 経 済 的 に は ま っ

(2)

た く の 貧 寺 で 充 分 な 収 入 源 を 持 た な い =寺 院 で あ つ た と い え る。 以 下、 か か る 状 態 の 妙 法 寺 が、 近 世 期 ど の よ う な 形 で 存 立 し た か、 開 帳 と 講 中 の 関 係 を 通 じ て 考 察 す る こ と に す る。 妙 法 寺 の 開 帳 の 内 容 は、 表 1 に 示 す 如 く で あ る。 こ れ に よ る と、 寛 政 八 年 以 降 祖 師 堂 と 奥 之 院 の 開 帳 を 交 互 に し て い る こ と が 知 ら れ る。 こ れ は、 嘉 永 七 年 の ﹃ 開 帳 用 留 ﹄ に ﹁ 拙 寺 表1 (妙法寺文書 よ り作成) 近 世 寺 院 の 開 帳 と 講 中 の 役 割 に つ い て ( 北 村)、 二 六 三

(3)

近 世 寺 院 の 開 帳 と 講 中 の 役 割 に つ い て ( 北 村) 二 六 四 儀 奥 之 院 ト 祖 師 堂 ト 打 而 替 二 開 帳 仕 候 L ど 見 え、 意 識 的 で あ る こ と が わ か る。 こ の 理 由 は、 開 帳 間 隔 と も 関 係 あ る と 考 え ら れ る の で、 次 に 開 帳 間 隔 に つ い て 説 明 し、 妙 法 寺 の 開 帳 の 特 徴 を 述 べ て み た い と 思 う。 開 帳 の 間 隔 は、 普 通 三 十 三 年 と い わ れ る が、 そ れ は ﹃ 百 箇 ( 2) 条 調 書 ﹄ の ﹁ 勧 化 開 帳 説 法 回 向 供 養 願 能 相 撲 ﹂ に ﹁ 享 保 五 子 年 極 開 帳 之 儀 凡 三 十 三 年 を 限 差 免 候 然 共 火 災 等 二 而 建 立 之 た め 願 候 ハ ・ 格 別 二 付 其 節 相 伺 候 ﹂ と あ る こ と に よ る も の と 思 わ れ る。 ま た、 安 永 四 年 の ﹁ 寺 社 開 帳 年 限 満 差 免 方 申 合 之 ( 3) 事 ﹂ に は ﹁ 前 々 三 十 三 年 目 願 出 候 分 不 及 伺 二 差 免 候 方 多 分 有 之 候 二 付 以 来 ハ 三 拾 三 年 目 二 願 出 候 得 ハ 不 及 伺 差 免 可 申 ﹂ と あ る。 そ し て、 文 政 十 二 年 の ﹁ 作 州 荒 木 田 村 天 満 宮 開 帳 之 儀 ( 4) 伺 ﹂、 天 保 三 年 の ﹁遠 州 大 河 内 村 金 剛 院 本 尊 大 日 如 来 其 外 開 ( 5) 帳 伺 ﹂ に 対 す る 寺 社 奉 行 所 の 申 達 の 文 中 に も、 そ れ ぞ れ ﹁ 都 而 開 帳 ハ 三 拾 三 ケ 年 未 満 二 而 ハ 難 承 届 筋 二 候 ﹂、 ﹁ 都 而 開 帳 之 儀 ハ 三 十 三 ケ 年 目 よ り 差 免 ﹂ と い う 記 載 が 見 ら れ る。 こ の よ う に 開 帳 の 間 隔 は、 享 保 五 年 に 三 十 三 年 と 定 め ら れ、 こ の 原 則 は 一 応 幕 末 ま で 維 持 さ れ た も の と 考 え ら れ る。 し か し、 文 政 三 年 妙 法 寺 が 寺 社 奉 行 所 に 提 出 し た 願 書 に は ﹁ 拙 寺 儀 弐 拾 五 ケ 年 以 前 寛 政 七 卯 歳 中 ( 中 略) 開 帳 奉 願 候 処 ( 中 略) 願 之 通 被 為 仰 付 ( 中 略) 難 有 奉 存 候 然 処 此 節 本 堂 丼 釈 迦 堂 鐘 撞 堂 屋 上 及 大 破 候 処 檀 禄 無 之 貧 寺 一一 而 修 覆 自 力 二 難 叶 因 絃 ( 中 略) 開 帳 仕 此 助 力 を 以 修 覆 仕 度 右 開 帳 之 儀 奉 願 上 候 尤 年 数 未 満 二 而 至 極 奉 恐 入 候 得 共 ( 後 略) L と 年 限 未 満 の 開 帳 を 願 い、 翌 四 年 開 帳 を 実 施 し て い る 事 実 が あ る。 こ れ は 年 限 未 満 の 開 帳 が 全 く 不 可 能 で は な い こ と を 示 し て い る。 こ の 年 限 未 満 の 開 帳 に 対 す る 幕 府 の 態 度 は、 明 和 六 年 寺 社 奉 行 ( 6) よ り 老 中 へ 直 達 さ れ た ﹁ 年 限 未 満 開 帳 之 儀 二 付 申 上 候 書 付 ﹂ に ﹁ 開 帳 願 出 候 節 三 十 三 年 之 年 限 未 満 二 御 座 候 と も 類 焼 或 ハ 及 大 破 訳 立 候 得 は 伺 之 上 差 免 候 心 得 二 罷 在 候 ( 中 略) 年 限 未 満 之 開 帳 伺 之 上 差 免 候 儀 は 数 多 有 之 候 ﹂ と み え、 又 前 記 天 保 三 年 の 遠 州 大 河 内 村 金 剛 院 の 開 帳 伺 に は ﹁ 右 年 限 未 満 二 候 得 ぐ 御 老 中 江 伺 之 上 差 免 事 二 候 ﹂ と あ り、 ﹁ 御 老 中 江 伺 之 上 ﹂ と い う 段 階 を 経 て 許 可 し て い た こ と が 知 ら れ る。 さ て、 妙 法 寺 の 開 帳 間 隔 に つ い て 見 て み る と、 寛 政 八 年 以 降 四 年 ・ 二 十 一 年 ・ 十 五 年 ・ 十 八 年 と な り、 す べ て 年 限 未 満 で あ る。 そ こ で、 祖 師 堂 と 奥 之 院 と の 開 帳 を そ れ ぞ れ 別 々 に 見 て み る と、 祖 師 堂 が 三 十 六 年 ・ 二 十 五 年 ・ 三 十 三 年 で、 奥 之 院 が 三 十 六 年 と い う 年 数 に な る。 仮 に 開 帳 物 が 異 な れ ば、 年 限 未 満 で も 年 限 に か か わ り な く 開 帳 を 許 可 し ℃ い た と 考 え れ ば、 妙 法 寺 の 開 帳 は 文 政 四 年 の 開 帳 以 外 は 開 帳 年 限 を 満 た し て い た こ と に な る の で あ る が、 幕 府 は こ の よ う な 処 置 を 取 つ て い た の で あ ろ う か。 安 永 三 年 三 田 魚 藍 寺 の 開 帳 願 に つ い て ( 7) の 寺 社 奉 行 か ら 老 中 へ の 伺 書 に 次 の よ う に あ る。

(4)

右 之 通 願 出 候 二 付 相 糺 候 処 此 度 開 帳 相 願 候 塵 馬 良 自 画 之 魚 藍 観 音 像 者 什 物 二 而 是 迄 開 帳 仕 候 儀 無 之 候 然 ル 処 本 尊 魚 藍 観 音 十 一 年 以 前 致 開 帳 未 間 茂 無 之 開 帳 物 ハ 違 ひ 候 得 と も 同 所 二 而 之 開 帳 之 儀 二 御 座 候 間 年 限 未 満 之 開 帳 ユ 相 准 し 可 申 哉 相 当 之 例 ハ 無 之 候 得 と も 年 限 未 満 之 開 帳 二 而 も 無 拠 有 之 候 得 は 伺 之 上 願 之 通 申 付 候 儀 二 御 座 候 間 願 之 通 可 申 渡 候 哉 此 段 奉 伺 候 こ れ に ょ る と、 幕 府 は 年 限 未 満 の 開 帳 物 の 異 な る 開 帳 は、 年 限 未 満 の 開 帳 に 准 ず る 開 桟 と い う 取 り 扱 い 方 を し て い る。 "年 限 未 満 の 開 帳 に 准 ず る 開 帳 " と い う 扱 い 方 は、 " 年 限 未 満 の 開 帳 " の 場 合 よ り 開 帳 を 許 さ れ る 割 合 が 大 で あ る こ と は 当 然 で あ ろ う。 し か し、 単 に 開 帳 物 が 異 な つ て さ え い れ ば、 開 帳 か ら 次 の 開 帳 ま で の 年 数 に 関 係 な く " 年 限 未 満 の 開 帳 に 准 ず る " と い う 扱 い を 受 け た の で あ ろ う か。 妙 法 寺 の 場 合 に ( 8) つ い て 考 え て み よ う。 ﹃ 開 帳 差 免 帳 ﹄ は 寛 政 十 二 年 ・ 天 保 七 年 ・ 嘉 永 七 年 の 開 帳 を ﹁ 開 帳 仏 者 違 候 得 共 年 限 未 満 之 開 帳 二 准 候 ﹂、 文 政 四 年 の 開 帳 を ﹁ 年 限 未 満 二 付 ﹂ と 記 す。 文 政 四 年 の 開 帳 の み ﹁ 年 限 未 満 二 付 L と い う 扱 い で あ る の は、 そ れ 以 前 の 同 一 開 帳 物 と の 間 隔 が、 文 政 四 年 の み 二 十 五 年 と 開 帳 年 限 を 満 た し て い な か つ た た め と 考 え ら れ る。 す な わ ち、 妙 法 寺 の よ う に 祖 師 堂 ( A) と 奥 之 院 ( B) の 開 帳 を A- B- A-B の よ う に 交 互 に し て い る 場 合 は、 B-A 或 は A-B の 間 隔 が 三 十 三 年 と い う 開 帳 年 限 を 満 た し て い な く て も、 そ れ 以 前 の 同 一 開 帳 物 で あ る A 或 は B と の 間 隔 が 年 限 を 満 た し て い れ ば、 A 或 は B の 開 帳 は " 年 限 未 満 の 開 帳 に 准 ず る " と い う 扱 い を さ れ る が、 そ の 間 隔 も 年 限 未 満 で あ れ ば、 A 或 は B の 開 帳 は " 年 限 未 満 の 開 帳 " と さ れ る と 考 え ら れ る。 妙 法 寺 が 祖 師 堂 と 奥 之 院 の 開 帳 を 交 互 に 実 施 し な が ら、 九 十 七 年 間 に 六 回、 開 帳 年 限 の ほ ぼ 半 分 に 当 る 十 六 年 に 一 回 の 割 で 開 帳 を 行 な い え た の は、 こ う し た 理 由 に よ る も の と 考 え ら れ る。 そ れ で は、 妙 法 寺 は な ぜ こ れ 程 の 回 数 江 戸 で 出 開 帳 を し た の だ ろ う か。 そ れ は、 江 戸 で の 出 開 帳 の 収 入 に 魅 力 を 感 じ た た め と 思 わ れ る。 す な わ ち、 文 政 四 年 に は 約 三 百 両 余、 天 保 七 年 に は 約 四 百 五 十 両 余 の 収 入 を 得 て い る。 既 述 の 如 き 経 済 状 態 の 妙 法 寺 を 考 え た 時、 こ の 開 帳 で の 収 入 は 最 大 の 収 入 源 で あ つ た と い え る わ け で、 こ こ に、 妙 法 寺 が こ の 開 帳 と い う も の を 如 何 に 重 要 視 し て い た か 窺 い 知 る こ と が で き よ う。 次 に、 こ の 開 帳 で の 講 中 の 役 割 に つ い て 見 て み よ う。 普 通 開 帳 に は 講 中 の 取 り 持 ち が 必 要 で あ り、 そ の 模 様 は ﹃ 武 江 年 表 ﹄ に ﹁ 甲 州 身 延 山 祖 師 開 帳 に 付 き 江 戸 到 着 の 日 迎 ひ の 人 数 品 川 よ り 日 本 橋 迄 つ ゴ く 何 町 講 中 と 書 き た る 旗 幟 あ ま た 立 つ ( 9) る ト と み え、 又 善 光 寺 の 開 帳 で は、 ﹁ 開 帳 場 取 持 之 儀 堂 番 衆 江 及 相 談 霊 宝 揚 之 方 浅 草 講 中 取 持 所 本 堂 向 善 光 寺 講 中 与 相 定 (10) メ 候 ﹂ と 講 中 が 開 帳 場 の 世 話 の 分 担 を し た り、 ﹁ 江 戸 中 二 而 善 光 寺 講 三 十 組 有 之 候 所 一 組 二 而 二 人 宛 致 日 勤 候 而 一 日 二 六 十 近 世 寺 院 の 開 帳 と 講 中 の 役 割 に つ い て ( 北 村) 二 六 五

(5)

近 世 寺 院 の 開 帳 と 講 中 の 役 割 に つ い て ( 北 村) 二 六 六 (11) 人 宛 御 開 帳 場 二 罷 出 御 取 持 申 万 端 御 世 話 可 致 ﹂ と 講 中 が 交 替 で 開 帳 場 に 出 向 き、 L種 々 の 世 話 を し て い る こ と が 知 れ る。 以 下、 妙 法 寺 の 天 保 七 年 の 出 開 帳 に お け る 講 中 の 役 割 を み て い く。 こ の 開 帳 の 準 備 は、 天 保 六 年 二 月 願 書 を 寺 社 奉 行 所 に 提 出 し た 時 か ら 具 体 的 に 始 ま る の で あ る が、 講 中 と の 関 係 に お い て は、 同 年 四 月 十 七 日 に 開 帳 建 札 の 許 可 さ れ た 旨 を 江 戸 の 世 話 人 中 へ 知 ら せ て い る こ と、 翌 七 年 二 月 二 十 六 日 に は、 諸 講 中 へ 着 触 れ し た い 旨 を 寺 社 奉 行 所 へ 願 い 出 て い る こ と が 知 ら れ る。 前 者 は、 ﹁ 開 帳 建 札 之 場 所 其 所 々 江 拙 僧 罷 越 最 寄 世 話 人 と も 江 念 頃 ニ 相 頼 候 而 建 札 い た し 候 ﹂ と あ り、 江 戸 の 町 の 辻 々 に 開 帳 場 所 ・ 日 時 等 を 記 し た 建 札 を 立 て る 作 業 を 講 中 に 依 頼 す る た め で あ る。 後 者 に つ い て は、 二 十 九 日 に 許 可 に な り、 晦 日 に は 開 帳 場 ま で の 道 順 を 記 し た 手 紙 を 講 中 世 話 人 に 四 十 六 通 送 つ て い る。 こ れ は、 開 帳 仏 の 到 着 を 講 中 の 人 々 に 賑 や か に 迎 え て も ら い、 開 帳 の 雰 囲 気 を 盛 り 上 げ よ う と す る た め で あ ろ う。 こ の ほ か、 開 帳 仏 の 運 搬 は 御 蓮 台 講 中 が 世 話 を し、 種 々 の 奉 納 物 な ど も 講 中 が 世 話 を し て い る。 こ の よ う に、 妙 法 寺 の 開 帳 に あ つ て も、 そ の 準 備 や 江 戸 で の 宣 伝 に 講 中 が 働 い て い る こ と が 知 ら れ る。 し か し、 善 光 寺 の 開 帳 に 見 ら れ る よ う な、 開 帳 期 間 中 の 講 中 の 具 体 的 な 働 き は、 史 料 不 足 で 判 ら な い。 た だ 文 政 四 年 の 開 帳 に つ い て は、 ﹁ 開 帳 中 寄 附 施 入 之 金 子 者 欝 中 共 取 扱 諸 堂 修 復 造 営 二 相 用 候 ﹂ と あ り、 開 帳 収 入 を 講 中 が 管 理 し て い た こ と が 知 ら れ る。 以 上、 妙 法 寺 の 開 帳 と そ こ で の 講 中 の 役 割 に つ い て 若 干 考 察 を 試 み て き た わ け で あ る が、 最 後 に 妙 法 寺 と 講 中 の 関 係 に つ い て 触 れ て お こ う。 文 化 十 一 年 江 戸 の 役 寺 に 出 し た 隠 居 後 住 願 に は ﹁ 無 禄 無 檀 故 携 中 寄 依 之 人 二 無 之 候 而 者 跡 々 相 続 不 仕 候 L と 記 さ れ、 江 戸 講 中 惣 代 十 九 人 が 連 印 を し て い る。 こ れ は、 既 述 の 如 き 経 済 基 盤 に め ぐ ま れ ぬ 妙 法 寺 に と つ て 自 坊 を 維 持 さ せ る 上 に、 法 華 信 仰 者 す な わ ち 講 中 の 帰 依 が 必 要 で あ る こ と を 示 し て い る。 更 に、、 妙 法 寺 に お け る 唯 一 の 収 入 源 と も い え る 開 帳 に 際 し て は、 こ れ ま た 講 中 の 全 面 的 な 協 力 が 不 可 欠 で あ つ た。 こ の よ う に、 妙 法 寺 に あ つ て は 講 中 と の 関 係 は 密 接 不 可 分 な も の と し て 存 在 し て い る。 そ し て、 妙 法 寺 と こ の よ う な 関 係 に あ る 講 中 が、 開 帳 収 入 を 管 理 し て い た と い う こ と を 考 え た 時、 妙 法 寺 の 開 帳 は 講 中 が 主 導 権 を 握 つ て 実 施 し て い た の で は な か ろ う か と 推 測 さ せ る。 1 妙 法 寺 所 蔵 文 書。 尚、 以 下 特 に 註 記 し な い 限 り、 引 用 史 料 は す べ て 妙 法 寺 所 蔵 文 書 で あ る。 2 ・3 ・ 6 ・ 7 ﹃ 百 箇 条 調 書 ﹄ 第 五 巻。 ' 4 ・ 5 ﹃ 徳 川 禁 令 考 ﹄ 前 集 第 五 巻。 8 国 会 図 書 館 蔵。 9 宝 暦 三 年 三 月 十 六 日 条。 10 . 11 鷹 司 誓 玉 氏 ﹁ 善 光 寺 の 江 戸 出 開 帳 に つ い て ﹂ よ り 引 用。

参照

関連したドキュメント

必要な食物を購入したり,寺院の現金を村民や他

[r]

ヨーロッパにおいても、似たような生者と死者との関係ぱみられる。中世農村社会における祭り

今回の SSLRT において、1 日目の授業を受けた受講者が日常生活でゲートキーパーの役割を実

【フリーア】 CIPFA の役割の一つは、地方自治体が従うべきガイダンスをつくるというもの になっております。それもあって、我々、

大村 その場合に、なぜ成り立たなくなったのか ということ、つまりあの図式でいうと基本的には S1 という 場

(6) 管理者研修:夏に、 「中長期計画策定」の演習/年度末の 3 月は、 「管理者の役割につ

社内弁護士の会社内部の立場と役割, 社内弁護 士の外的役割』