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Title ジョン デリック 図解アイルランド附ウッドカーンの活写 (1581) Author(s) 水野, 眞理 Citation 英文学評論 (2015), 87: 1-33 Issue Date URL R

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(1)

の活写』(1581)

Author(s)

水野, 眞理

Citation

英文学評論 (2015), 87: 1-33

Issue Date

2015-02

URL

https://doi.org/10.14989/RevEL_87_1

Right

Type

Departmental Bulletin Paper

Textversion

publisher

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はじめに

 本稿はジョン・デリック(John Derricke 生没年不明)の『図解アイルラン ド』The Image of Irelande, with a discouerie of Woodkarne…(1581)の部分訳で ある。デリック本人については、彼が短期にアイルランド北部の港市ドロヘダ (Drogheda)の税関に役職を得ていたことと、レスター伯(Robert Dudley, 1st Earl of Leicester)のネザーランズ遠征(1585−87)に同行したことを除いて、 ほとんど何も知られていない。従軍画家であったのかもしれないが、本書の文 章と挿画(木版画の原画)の両方をものしているところから、ある程度の教養 を備えた人物であったと想像される。クイン(D. B. Quinn)は本書の版画に 含まれるダブリンの風景が実情に忠実であることから、デリックがアイルラン ド総督ヘンリー・シドニー(Henry Sidney 1529 86)に追従し、実際に写生を 行い、その原画がロンドンで版画にされたとみなしている。本書の出版の背景 となる事情を簡単に述べておきたい。  もともとゲール系住民の国であったアイルランドは 1177 年以来イングラン ド王を太守(Lord)として、その支配を受けるようになっていたが、人口の

ジョン・デリック

『図解アイルランド 附ウッドカーンの活写』(1581)

水 野 眞 理 訳

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大半を占めるゲール系の住民は、イングランド王家、政府の支配に容易には従 わなかった。また、12 世紀以来アイルランドに領地を得て定着したアング ロ・ノルマン系の大領主たちも、世代を経る中で次第にゲール化し、イングラ ンド政府の支配に敵対的になっていった。ゲール系、アングロ・ノルマン系の アイルランド人はしばしば叛乱を起こしてイングランド政府に抵抗を続けた。 例えば 1534 年にアングロ・ノルマン系貴族のキルデア伯ジェラルド・フィッ ツジェラルド(Gerald FirzGerald, 9th Earl of Kildare)がロンドンに召喚され て客死し、その間に伯の息子トマスが叛乱を起こして鎮圧される。その結果キ ルデア伯領は容赦なくイングランド王家に没収されたのである。このような不 穏な状態は、イングランド王ヘンリー8 世(在位 1509−47)が 1534 年ローマ 教皇庁と袂を分かってイングランドをプロテスタント国としたことで、宗教上 の対立をも伴うことになる。  イングランド政府のアイルランド支配の要は王の代理を務める総督(Lord Deputy)であった。当初はアイルランドに定着していたアングロ・ノルマン 系の貴族がその任を負ったが、1534 年以降はイングランドから総督が送りこ まれるようになり、その統治は抑圧的な方向へ傾いていった。また 1541 年ヘ ンリーは自らをアイルランド王と称し、中央集権体制が固められていく。こう してアイルランドの中世は終わっていったのである。  以来、イングランドの政府軍、投機家、聖職者がアイルランドに押し寄せ、 それに呼応してアイルランド人の抵抗も激化するようになった。その抵抗の中 心は北部アルスターに拠点を持ったゲール系氏族オニール一族であった。プロ テスタントであるエリザベス女王の即位(1558)後まもなくして、総督サセッ クス伯(Thomas Radclyffe, 3rd Earl of Sussex)はオニールの族長ショーン (Shane O Neill)を叛逆者と名指して宣戦し、イングランド政府とオニール一 族 と の 長 い 争 い が 始 ま る。1567 年 に 別 の ゲ ー ル 系 氏 族 マ ク ド ネ ル 一 族 (MacDonnells)との抗争の中で殺害されたショーンに代わりターロク・レナ

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 1565 年から総督職にあったヘンリー・シドニー(Henry Sidney 1529 86)は、 1578年まで断続的に務めた総督職の中でターロク・レナクを説得してイング ランド王家に臣従させるという功績を挙げた。  本書の本文はこのようなシドニーの功績をたたえ、イングランドのアイルラ ンド政策を擁護し、さらに推進させることを主張するプロパガンダ文書である。 全体の構成はタイトルページに続いて、ヘンリー・シドニーの長男で長編ロマ ンス『アーケイディア』(Arcadia)やソネット集『アストロフェルとステラ』 (Astrophel and Stella)の詩人として名を馳せることになるフィリップ(Sir

Philip Sidney)への書簡体の献呈文 4 ページ(日付はシドニーが総督職を解か れた 1578 年の 6 月 16 日)1、アイルランドの貴族たちへの書簡体の献呈文 3 ペー ジ(日付なし)、イングランドの読者一般に向けた序文 3 ページに続いて、第 一部 34 ページ、第二部への序文 2 ページ、第二部 49 ページが置かれ、そのあ とに付録的に 12 葉の木版画(313mm、320mm×180mm)が続く。  第一部、第二部は弱強 4 歩の行と 3 歩の行を交互させるバラッド詩形による 韻文を用いて書かれている。バラッド詩形はリズミカルで民衆的な響きを持つ。 しかし、各ページの欄外には注が付けられていて、あたかもこれが注釈の必要 な古典文学であるかのような印象も与える。第一部では、アイルランド人、イ ングランド人双方の起源と由来が述べられ、イングランド人によるアイルラン ド領有が正当化されるとともに、アイルランド人を蠱惑的なニンフやサイレー ンと森の神ファウヌスとして描いている。第二部では、カーン(アイルランド の軽装歩兵)の軽蔑的描写とともに、彼らとヘンリー・シドニーととの衝突が 語られる。  しかし、皮肉なことに現代、本書が記憶され、あるいは言及されるのは、そ の本文の内容によってではなく、付録の版画によってである。それらは 16 世 1 ダンカン=ジョーンズは、フィリップ・シドニーが父ヘンリーの跡を継いでアイ ルランド総督に就任するとデリックが予想していたと見なしている。

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紀後半のアイルランド人の生活や、アイルランドに対するイングランドの征服 活動を視覚的に表現した資料として、また、イングランド人によるアイルラン ド表象を示す実例として、しばしば引用されてきた。12 葉の版画の各々にも、 デ リ ッ ク は 説 明 的 な 詩 を 付 し て い る。 第 1−10 葉 に は、 弱 強 7 歩 格 (fourteener)で 2 行ずつ韻を踏むカプレットによる 12 行の詩、第 11−12 葉 には同様のカプレットによる 20 行の詩を付している。弱強 7 歩格は 16 世紀後 半には、もっとも好んで用いられた詩形の一つであった2。それは、リズムの点 から見れば、本文第 1、第 2 部に用いられたバラッド詩形の単位をなす 2 行を 1行にまとめたもの、ということもできる。  現存する版本は 9 冊が確認されているが、そのうちで本書を完全な形で見る ことができるのは、ドラモンド(William Drummond of Hawthornden 1585 1649)が寄贈したエディンバラ大学所蔵の一冊のみである。巻末の版画が大き な紙葉を畳み込む形で付加されたために、エディンバラ大学所蔵本以外は意図 的か否かは別としてその部分が不完全または欠落しているためである。  本書は不完全ながら、オンライン・データベース EEBO(Early English Books Online)上で出版当時の形を見ることができる。それは大英図書館蔵の 一冊で、巻末の 12 葉の版画を全て欠いている。しかし、版画部分のみはエ ディンパラ大学所蔵本からインターネットサイトの Wikisource 上で公開され ており、本稿もそれに基づいている。本書は後の 1748 年、ソマーズ卿の蔵書 から選ばれた 4 巻本の政治パンフレット集の一部として出版された。この選集 は 1809 年スコット(Sir Walter Scott)が解説と注を付して A Collection of Scarce and Valuable Tracts, on the Most Interesting and Entertaining Subjectsとし て再出版したが、これはインターネット上の Google Books で見ることができ

2 本書のフィリップ・シドニーへの献辞の日付 1578 年と同年に出版された詞華集 A Gorgeous Gallery of Gallant Inventions(London: Richard Jones)の多くの詩がこ の韻律で書かれている。

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る。さらに 1883 年、エディンバラ大学所蔵本をもとに、スコットの注釈を一 部取り込んで、スモール(John Small)が編集した 286 部限定の版も刊行され ており、そのファクシミリを Internet Archive サイトで見ることができる。こ の版はさらにクインの編集を経て 1985 年ダブリンで復刻されている。  本稿は、現在最も言及されることの多い付録の版画部分につけられた詩「附 ウッドカーンの活写」を邦訳し、また必要に応じて注を施したものである。 Bibliography

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必 見 大 図 解

正しくはウッドカーン

と呼ばれる3アイルランドの野 蛮人の状態と生活の活写に、加 えて彼らが日々耽る行いと習慣、 さらにその叛乱の手筈と結末を 描 き 出 す も の。 最 後 に ヘ ン リー・シドニー閣下がアイルラ ン ド 総 督 で あ ら れ た 時 代 の 1578年、アイルランドの大オ ニール、ターロク・レナク4 自ら出頭、服従した様を述べる。 本年すなわち主の年 1581 年、 ジョン・デリック公開、出版。 その精神を高潔にも誉むべ き課題に傾注する読者 3 木版画の第 1 葉の左側には、この付録部分だけのタイトル文が付されている。 ウッドカーンはゲール語の ceithearnach coille(ceithearn kern + coill wood)を英 訳したもの。14 世紀ごろからアイルランドの軽装歩兵、雑兵を英語風に発音して カーンと呼び、彼らが森に潜むことが多いことから、16 世紀ごろからウッドカー ンという語が生まれた。いずれも英語では軽蔑的なニュアンスを伴って用いられる。 4 ターロク・レナク(Turlough Luineach O Neill 1532 1595)はアイルランド北部

ア ル ス タ ー の 大 氏 族 オ ニ ー ル の 族 長(1567−93)。 先 代 の シ ョ ー ン(Shane O Neill)が高慢・自尊で知られたのとは対照的に、その政治手腕により、イングラ ンドによるオニールへの策動が激しい時期にあって長期に族長の地位を保った。芸 術のパトロンでもあり、当時のアイルランド詩人によって高く称賛されている。 1593年、ヒュー・オニールに族長の地位を譲る。

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の楽しみと喜びの ために。 検閲通過済 ロンドン オールダズゲイト在住 ジョン・デイ印刷 1581 年 図 15 A 一目瞭然アイルランドのカーンの活写、 カーンと、主君と、従僕をこれらの絵は見せる。 そこにまざまざと描かれるはアイルランド生まれの優駿 いかなる点でもこれほどの馬が、闊歩したことはない。 その殺意の手にしかと戦斧握るカーンを見よ、 さすればこれ以上の悪漢がかの国に来たためしはないと分かるだろう。 めかしこんだあとの二人については、こういっても悪口にはなるまい、 あらゆる点で、(悪魔並みに正直、) その外面の行動においてはローマ教皇並みに正直、 5 中央にアイルランド氏族の族長と思われる人物が鉄の細い板を組んで補強した革 の兜と、同様な胴衣をつけ、マントを着て立っている。左側の家来と思われる人物 カーンが彼に槍を手渡している。カーン自身は剣を帯び、戦斧を持っている。左側 のカーンと右側の裸足の馬丁(horseboy)はともに、髪、特に前髪を伸ばすアイ ルランドの特徴的な髪形である。また、三人が共通して身に着けている袖の大きな 外衣は、アイルランド特有のものである。馬には鞍は置かれているが、鐙はない。 これもアイルランド特有の事象である。

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また、その精神作用においては変転極まりない風のごとく不変。 この後に続くページでその証拠をお見せしよう、

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図 26 A 聖フィルチャー7の隠れ家から、獲物狙いの一団が這い出す、 イングランド人のペイル8にはこの上なく有害、国家には迷惑。 イングランド人も国の同胞も区別なく略奪し 手当たり次第同じようにたっぷり害をお見舞いする。 B 機会さえあれば略奪し、火をかけ、強奪し、 悪行を働けば働くほど、それだけ称賛されると思っている。 哀れな被害者が泣き叫んでも目こぼしせず、涙などものともせず、 火がその者の耳もとまで迫るのを見て喜び、 炎と息を詰まらせる煙が澄み渡る空を暗くするのを見て喜ぶ。 だから言おう、やつらの第二の栄誉はその獲物のそばにある、と。 C 家と、牛と、貯蔵した作物を奪ったあと、 やつらはもと出てきた森へと戻っていく 6 カーンによる襲撃の様子が描かれる。画面右方では、カーンが家に火をかけてい る。手前には、この家の住人らしい男女が嘆いている。女性はアイルランドに特徴 的な帽子をかぶっている。画面後方では、族長に率いられたカーンたちが牛や馬を 奪って森の方向へ引き立てていく。画面左方では、戦斧を手にしたカーンの一団が バグパイプ吹きを先頭に進軍していく。  スモールによれば、放火、家畜略奪といった暴行は当時、同じケルト系の流れを ひくスコットランドでも横行していたことが『スコットランド枢密院記録』 (Register of the Privy Council of Scotland, 1592 1599, Vol. V)からわかるという。 7 フィルチャ―(Filcher)は filch(くすねる、盗む)する者の意。もちろん、こ

の名を持つ聖人は実在しない。泥棒の守護聖人ぐらいの意味か。

8 ペイル(pale)は柵囲いの意。ダブリンを中心として、イングランド人の支配の 及ぶ地域をそうでない地域と分離して柵で囲った。ペイルの範囲は、時代によって 増減した。

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図 39 A ならず者どもが柵で囲った砦に戻ると、 処刑役は牛を撲殺し始める、 一人は牡牛の皮を剥ぎ(彼が今着ているのもそうやって剥いだ皮) 一人は鍋の代わりに、肉を煮る皮をこしらえる。 C 泥棒どもはご馳走を料理するために火のそばに控え、 B 坊主のスメルフィースト10師がいつの間にか入り込んで、大物の間に割り 込み ローマン・カトリック風にパウロを猿真似してみせる それに報いて連中は坊主を上座に座らせる。 坊主は座る。アイルランド式の余興と混ぜられ結ばれていない限り 馳走は何の価値もないものと考えられているから。 D バルドとハープ奏者が呼ばれ、巧みな技で 客人を心から慰めて元気づける。 9 ゲール系の氏族マクスウィーニー一族の宴の様子を描いたもの。デリック自身が 読者への序文の中でこの図に触れ、また本書の第一部でもこの宴を描写するくだり がある。長いテーブルの中央に族長、その手前にその妻らしき女性、奥に僧侶とそ の従者らしき男性が座っており、族長は長い包丁で肉を切り分けている。族長の後 ろにはもう一人の僧侶が立って、二本の指を立てて祝福のしぐさをしている。テー ブルの前には族長の兜と幅広の剣がたてかけられている。テーブルを挟んで、バル ド(吟唱詩人)らしき人物が両腕を広げて立ち、地面にはハープ奏者が座って演奏 している。たき火に向かって二人の人物が尻を出している。二人は尻を温めている ように見えるが、実は、おならをするという余興を演じている。(Fergusson)一 人がラテン語で ‘Aspice spectator sic me docuere parentes’(これが親から教えられ た観客としての振る舞いだ)といえば、もう一人が ’Me quoque maiores omnes, virtute carentes’(徳を欠いた年長者もみな俺にそう教えた)と応じている。左奥で は二人の人物が牛を屠殺し、左前では牛の皮を鍋にして肉を煮込んでいる。身分の 高い人物は、男女ともに毛皮の襟をつけた外套を身に着けている。

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図 411 浮かれ騒いで腹も満ちると、 次に何が起こるか、アイルランド人の策略を分かりやすく話そう、 A 坊主は泥棒をこれまでの全ての悪行から赦罪し、 天を味方につけたければ、王の味方に厄災を祈れ、とそそのかす。 B その祈りを唱えて、泥棒は馬に乗り、 女王陛下の忠実な臣民の略奪と破壊を実行しに出かける。 C しかるに、見よ、兵士たちはこの厄災をカーンの群れに降り注ぎ、 彼らの罪に復讐せんと、武装して立ち上がる。 兵士たちは血滴る剣の力もて泥棒どもへの恨みを晴らし、 カーンが拉致した獲物をとどめ、連中の命を奪う D 坊主はその叛逆的悪漢をオウ、オウ、と声を上げて悼む 自分の従兄の悪魔の息子たちが、かかる惨い仕打ちにあうのを目にして。 11 アイルランド人が出撃するが、イングランド軍に圧倒される様を描いたもの。左 奥では、僧侶が馬上の族長らしき人物の頭に手を触れて祝福し、これから赴く行軍 での幸運を祈っている。前景の左端においても、同じことが行われている。中央で は族長を先頭にたてて槍をもったカーンたちが進軍していく。中景右ではイングラ ンド兵が火器を用いてカーンたちを攻撃し、前景右では倒れたカーンを仲間と僧侶 が取り囲んで悲しんでいる。もう一体の倒れたカーンは頭を切り落とされている。

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図 512 B 戦利品が奪還されても、ことはそれでは終わらない、 というのは、兵士たちは法に反した悪漢どもを追跡し、 手の早い泥棒どもの血に剣を浸して 牛を略奪せんと追うならこうやって、と教えるまで留まることがない。 A ある兵士がカーンを引き寄せ、 その頭を頸から切り離す念の入りようは、 また別の兵士が、威厳ある雅量もて泥棒を引き立て この悪漢がいやいや運命に従うさまは、 C[D] 立派な兵士たちからなる王権側の一団に守られて D[C] 勇敢な兵士たちが奴らのグリブ頭13を整然と運ぶさまは、いやはや実に 素晴らしい。 これらのことどもは臣民をして、ウッドカーンに相応の報いを与える 兵士を称賛せしむるに十分な材料だ。 12 アイルランド人の軍を撃破したイングランド軍が意気揚々と引き揚げる場面を描 いたもの。後景左端ではイングランド兵士がアイルランドのカーンの長髪をつかん でその頭を切り落とそうとしている。後景中央ではイングランド兵士がカーンの首 に縄をかけて引き立てている。後景右ではアイルランド人から奪った牛と馬をイン グランド兵が追っていく。前景ではイングランド軍が行進しているが、先頭の一人 は敵の首をつかみ、二人は剣の先に頭をさしてこれ見よがしに歩いている。そのあ とに銃士の一団、そのあとに槍を持った歩兵の一団が続く。中央には旗をもつ指揮 官(captain)らしき人物も描かれている。図中の C、D と文中の C、D は逆である。 13 グリブ(glib)は、アイルランド人特有の髪型で長く伸ばした前髪。

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図 614 君主の頼もしき味方によって泥棒どもはこのように苦しめられ、 その極悪の報いとして、各々が無残な終末を迎えるとはいうものの、 そのことは、やつらが後に残した連中に対する警告ではないか 長くその頭の中にわだかまっていたやつらの叛逆は、噴出せずにはおかず、 ことはついには流血の戦場へと膨張し、 叛逆者が降伏しない限り、叛逆者どもの大敗という結果に至る。 女王陛下の威光を体してアイルランドの地を治める者は その名声はしばしば叛逆者をその者の前から逃亡せしめてきた。 彼、彼こそは、マルスの尊い従者たちを率いて出撃し 君主の大義の正当性と、逆にやつらの行状の無効性を示し、 そのことによって、周囲敵だらけの女王陛下に名誉を確保し 敵の存在にもめげず、正当な君主であることを知らしめる。 14 総督シドニーがイングランドによる支配の中心、アイルランド行政府のあるダブ リン城から整列した騎兵に先導されて出発する光景を描いたもの。図中右上の三つ の晒し首について次のような説明文が入れられている:    「これらの胴体のない頭がはっきりと示すのは、叛逆者各々の終わり、    そして女王に楯突くことが、いかなる凶悪な犯罪であるか、ということ。」  北部アルスターのオニール一族を率いるショーンは、北部の氏族間の抗争中マク ドネル一族によって殺され、その首はダブリン市の門い曝された。

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図 715 B あらゆる点でそれ16を証明せんものと(彼の永遠の名誉になることだが) その名誉の証拠として彼は野戦場に進み出る。 A 女王の栄誉を守るための勇猛な指揮官からなる 目にも麗しい立派な部隊に取り囲まれて。 指揮官たちはまた、勇敢な兵士たちの部隊に守られている。 その中の最も卑しい者でもしばしば果敢な兵士であるところを見せる。 C 我らの安寧のよりどころたる女王陛下の幸せな国を守るため、 全部隊は、命と血を賭して戦う覚悟。 ところが彼らが混戦に至る前に、ヘンリー卿は望まれる: 残酷な戦争に至る前に(できれば)喜ばしき和平を結ぶことを。 もしやつらがそれを尊重しなければ(その愚はやつら自身にふりかかる) なぜなら、その時には卿が火器と剣で攻めて、陛下の力を見せつけるから。 15 イングランド軍が戦闘に臨んで整列し、その中でシドニー卿が敵の使者に書状を 手渡す場面。中央で書状を受け取っている人物は「使者ドネル・オブリーン」と書 かれ、その口からは「フン!」(Shogh)という台詞が出ている。彼の手には木の 枝を落としたばかりの粗野な槍が逆向きに握られ、攻撃の意図のないことを示して いる。ギリシア神話では使者は杖を携えるものとされており、デリックがアイルラ ンドの風景にもこの習慣を取り入れているのかもしれない。画面右には騎兵の一団、 左には歩兵の一団が描かれている。後景には天幕が数張見られ、ここが戦場である ことがわかる。モーガン(Hiram Morgan)は、この絵の構図と、ヴェラスケスの 『ブレダの降伏』(1635)の構図の類似に注目し、使者がシドニーに書状を手渡して いるとみなしている。しかし、添えられた詩の文面からは、シドニーが最後通牒を 発していると考えられ、それを使者が受け取りながら、侮蔑的な反応を見せている と考えたほうが自然ではないだろうか。 16 「それ」とは、図 6 に付された説明文の最後の行にある、女王が「正当な君主で あること」

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図 817 武装し、戦闘隊形を組んで進軍しつつ、 卿は重大な命令でもって、敵のプライドを叩き潰し、 血まみれの剣もて敵の群集を討ち倒すことを宣言される、 この挙兵は裏切りに満ちて叛乱を起こす連中をそそのかし、 連中の上から下までをおびき出してほしいままに襲撃し 黄金の宴へようこそ、と心から歓迎する。 というのも、どのようなカーンにもせよ、女王陛下に楯突いたり、 かかる強大な君主に一時間のうちの一分でも耐えることができようか、 もしそいつあるいは群集全員が、自らの大義を主張して 軍神の法によってそれを証明せんと戦場に近づこうものなら、 これら叛徒のうち一人として、自分は大丈夫などと思っても、 かの騎士[シドニー卿]に太刀打ちしたり、その威厳に耐えうる者はいない。 17 馬上のシドニー卿を中心として整然とアイルランド人討伐に向かう部隊を描いた もの。中景形の前列に槍を持った騎兵、続いて旗手、喇叭手、総督シドニー、さら に槍兵が進軍し、景には歩兵を配し、その先頭に銃士、次中に槍兵、後方にもう一 団の銃士を置いている。イングランド側の圧倒的な兵力を見せつける一枚。

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図 918 というのも、獰猛な獣の如く我らが至高の女王陛下の法を振り捨てる 連中への復讐に向けて、いったん卿の剛勇が発揮されれば、 いかに残忍な荒れ狂う猛攻も、連中の結集された力も、 べっとり脂じみたグリブもつ敵の捻じ曲がった偏屈な顔も、 卿をして、その名誉が目指したことを取り下げさせることは叶わなず、 それどころか、正義の女神が、逆う者どもに対して進軍せずにはおかない。 というのも軍神マルスが裏切り者どもの仕掛けた戦争にけりをつけ、 つい先ほどまで星を突き刺していた19叛逆者の心臓を引き倒し、 その強き刀もて彼らに相応しい報酬を与え、 返す刀で、このような蜂起を起こした彼らの心臓に切りつけるから。 見よ、見る者の目にもまごうかたなくはっきりと 我らが女王への叛逆者に当然の死の結末が見て取れる。 18 イングランド軍がアイルランド反乱軍を圧倒する場面を描いたもの。後景では歩 兵がカーンを銃で攻撃し、後方では乗馬の槍兵は何もしていない。後景中央ではア イルランドの喇叭手(バグパイプ吹き)が倒れており、そこに pyper という説明が ある。前景ではアイルランド側の騎兵がイングランド側の騎兵に圧倒されている。 19 星は運命をつかさどり、また運命を表す、という考えから、星を突き刺すとは、 天の定めた運命に逆らうことを意味している。

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図 1020 A 狂乱の敵どもの荒れ狂う軍勢と、叛乱者どもの部隊を、 かくしてこの三重の名声持つ騎士は、捕え、拘束し、 武力の勲功により堂々と彼らを女王の支配下に屈服せしめた、 彼らの叛逆行為は、女王の激しい怒りを新たにしたが。 彼はまた、血に飢えた叛逆的な欲望を追い求める連中の 栄光も誇りも塵の中に踏みにじり、跡形もなくした。 かくして彼は勝利により戦場の栄誉と名声を勝ち得て その報告を至高の女王の宮廷に提出した。 その仕上げには、赫々たる名誉が、彼の労苦に報いて かくも偉大な騎士に相応しく、彼を永遠の名声で包んだ。 これらのことどもが全て行われ尽くすと、彼は ダブリンへ向けて帰途に就く、ダブリンではどこへ行っても歓呼の声で迎 えられる。 20 勝利を収めたシドニー卿がダブリンに凱旋し、市の門(小さく Dublyn と書かれ ている)で市の有力者たちに迎えられている場面。スモールはこの有力者たちをダ ブリン市長および参事会員としている。有力者たちのうちの 4 人は片膝を少し折る という敬礼をし、その一人とシドニーとが握手をしている。シドニーの前方には権 威のシンボルであるメイスを担いだ人物が騎乗している。恐らくは上下いずれかの 議会のものであろう。図中右下には次のような文言がある:「おお女王を悩ませた 叛逆者どもにとっての疫病神として/三重の名声に値するシドニーよ 1581 年」

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図 1121 この屈強な叛徒は、いかにも裏切り者らしく、君主に叛旗を翻し、 流血の混戦によって、彼女の王笏を打ち負かそうとした。 運が此奴の悪魔的企図を支え、 野心がそいつのカーン的悪党的目を盲目にし、 自分のものでもない肩書きをを高慢にも僭称し、 他人が蒔いた種の実りを自分のものとするよう仕向けていた間は。 その女君主[運の女神]がかつての上首尾を撤回し、 この悪党を辛く深い悲しみの中に固く縛りつけると、 こいつは、自らの過去を、また空しく演じた芝居を嘆き、 そして女王陛下の法をないがしろにしたことを悔いた。 しかし、その愚行が悲しみを癒そうとしても後の祭り、 その意思に反してやつは陛下の重い一撃を受けなければならない。 というのも、最初は首尾よく運んだものの、甘味も過ぎ去れば酸味に変わり、 一時間のうちの一分の後にその栄光の地位を打ち倒し、 その結果、やつの支配は長続きせず、泥にまみれた、 なぜなら我らが尊き女王を怒らせるという罪を犯したから。 野心が高きに昇り、根拠のない高慢さが一瞬の間に 地に堕ちるのを見るとは、なんと嘆かわしいこと。 というのも、これが現在にも過去にもあらゆる叛徒の有様だからで、 我らが女王に楯突いて蜂起するものに、成功が訪れることがないように!

21 森の中に敗残のローリー・オグ・オモア(Rory Ogge O More)が立っている場 面。彼はレンスターのキルケニー(Kilkenny)に勢力を持ち、1575 年一度はシド ニ ー に 服 従 を 誓 っ た が、 そ の 後 ダ ブ リ ン 南 方 の ナ ア ス(Naas)、 カ ー ロ ウ (Carlow)の市街を焼き討ちにし、フィッツパトリック家との抗争で殺害され、そ の首はダブリン城に曝された。ケアリ(Vincent Carey)は 1578 年、ローリー・オ グの配下の軍勢を包囲して銃で撃ち殺した「マラマストの虐殺」(the Massacre at Mullaghmast)に触れ、デリックのこの図がその事件から影響を受けているとして いる。図中央の人物の台詞としてラテン語で次の文言が加えられている:Ve mihi Misero「私に災難が」これに対し、後方の狼が Ve Atque dolor「悲しみもまた」

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図 1222 シドニー(かの高潔な騎士)を称賛する比類なき報告は ちらちらとした評判となって軍の上層部の耳に入っていた。 アイルランドの地の野獣がその評判を証明したわけだが、 イングランドの正当な要求を携えて私は来た、と言える人として。 彼女の臣民の幸福を求めるという、史上比類なき かかる処女王の神聖な権利を主張するために。 その時、大オニールがそれを認める印を押しながら、打つべき手を打ち、 またこの高貴なる騎士により大きな名声を準備し このような耳にしたこともない報告に驚き、自らの意思で 出頭してきてシドニー卿の前にひれ伏し、 女王陛下の恩寵と慈悲を得るために身を低めて懇願し それを求めて卿との友好関係を得ようとする。 オニールは、命にかけて、またその手の力にかけて、約束した、 永遠に陛下の高貴なる恩寵に与し、誠実な臣下となることを、 陛下の栄光を汚さんとする者に立ちむかい あらゆる点で、陛下の名誉と名を擁護することを。 これらのことどもは、他の諸事とともに、偉大なる騎士ヘンリー・シドニー卿 と呼ばれる方の名声をいやがうえにも高めるもの。 見よ、女王の御身を代理するのにふさわしく、 卿が見るも立派に名誉の座に座っておられるのを。 終 22 アルスターの大氏族オニールの領袖ターロク・レナクがシドニー卿に服従してい る場面を描いたもの。前景ではターロク・レナクはイングランド風の髪型と服装を 身に着け部下を引き連れて、豪華な天幕中のシドニー卿に恭順を示している。後景 でも同様の場面が描かれているが、そこではシドニー卿は身を屈めてターロク・レ ナクの肩を抱いているように見える。背景の丘は、アルスターの風景を示している と考えられる。この場面に描かれる事柄は、ヘンリー・シドニーの総督としての最 大の功績であった。

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