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3 気候 :(1 ) 大陸 面積の6 割弱がB 気候 <1> 気候の特徴 : オーストラリアは世界唯一 一国だけで成り立っている大陸で 世界で最も平均標高が低く 国土の平地占有率は世界最大 そして南極を除けば最も乾燥した大陸です 南半球に位置することで 季節は北半球とは逆になるため 真夏が 1 月に

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Academic year: 2021

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オセアニア

(1)オセアニア概観

教科書193ページ~ 折り込みⅣの地図で、ポリネシア、ミクロネシア、メラネシアの区別をする

(2)オーストラリア

①名称の由来:ラテン語で「南の大陸」=「Terra Australis 」 ②地形 <1>安定陸に属し、かつて存在していたとされる ゴ ン ド ワ ナ ラ ン ド の 一 部 。 大 陸 の 面 積 の 6 0 % を 占 め る 西 部 台 地 は 先 カ ン ブ リ ア 代 の 岩 石 が 露 出 する楯状地。全体としては平坦な地形 教科書 折込Ⅱ ※大陸中心部一帯は、エアーズロック(1 )をはじめ壮観な大小の峡谷や岩石群が 点 在 しま す が 、 そ の 赤 く 染 ま っ た岩 肌 に よ る景 観 か ら「 レ ッド セ ンタ ー 」の 名 でよ く 知 られています。一枚岩としては世界最大のウルルは約 5 億年前に地面が持ち上げられてでき た広大な高地が、長い間に浸食されて残ったもので、その高さは350m、周囲は9.4kmに及び ます。 (オーストラリア発見http://bit.ly/qSAME8 より。以下「発見」) < 2> 資 源 と の 関 連 : 残 丘 の 連 な る ハ マ ー ズ リ ー 山 脈 、 キ ン バ リ ー 高 原 等 に は 、 世 界 有 数 の生産量を誇る(2 )の巨大な鉱山が分布している。 <3>(3 )←オーストラリアのキーワードの一つ 西部台地の東に広がる中央東部低地は、新生代に入って沈降した地域であり、古生代、 中 世 代の 基 盤の う えに 新 生代 の 地層 を のせ た 構造 平 野構造 平 野構造 平 野に な っ てい て 、地 下 水が 自 噴す る構造 平 野 盆地構造になっていることから(3)盆地と呼ばれている。 自噴する井戸=鑽井 なぜ自噴するかはよいですね。 < 4> 高 度 の 確 認 : オ - ス ト ラ リ ア 大 陸 は 、 平 均 海 抜 高 度 、 3 4 0 m の 低 平 な 大 陸 で あ り 、 全 体の4割強%が海抜高度200~500mに属している。 ※ 南回帰線の位置に注意! ※ 河川:マーレー川、ダーリング川 ※ グレードディバイディング山脈 最高峰(5 )

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③気候:(1 )大陸。面積の6割弱がB気候。 < 1> 気 候 の 特 徴 : オ ー ス ト ラ リ ア は 世 界 唯 一 、 一 国 だ け で 成 り 立 っ て い る 大 陸 で 、 世 界 で最も平均標高が低く、国土の平地占有率は世界最大、そして南極を除けば最も乾燥した 大陸です。南半球に位置することで、季節は北半球とは逆になるため、真夏が 1 月に訪 れ る こと に なり ま す。 大 陸に は 様々 な 気候 帯 があ り 、北 部 の 熱帯 地 域に 始 まっ て 、乾 燥 地帯の広がる内陸部、南部の温帯地域、沿岸の海洋性亜熱帯地域と変化に富んでいます。 気温は50℃を上回ることもあれば零度以下になることもありますが、標高の高い山脈が な く 、四 方 を海 洋 に囲 ま れて い るた め 、極 端 な寒 さ を記 録 す るこ と はあ り ませ ん 。南 東 部の山地では雪が降り、スキー場もあります。 また雨が少なく乾燥しており、年間降雨量 600mm 以下の地域が国土面積の 80 %を占 め、50%の地域が 300mm以下となっていま す 。 特 に 乾 燥 し て い る 内 陸 部 で は 、 川 も 干 上 が っ て し ま う こ と が よ く あ り ま す 。 し か し、ひとたび激しく雨が降ると川はあふれだ し、洪水の被害を受けやすいのも特徴です。 (発見より) <2>降水量の図(定番)→ ④民と生活 < 1 > オ - ス ト ラ リ ア の 人 口 は 、 (2 ) 万 人 に 過 ぎ ず 、 さ ら に 人 口 密 度 は (3 人 ) / ㎞ 2 に 過 ぎ な い 。 し か し 、 人 口 の 8 0 % 以 上 は海岸か ら100Km以内の海 岸地帯に集中していて、国土の85%は人口密度1人/㎞ 2 以下 の「過疎」地域になっている。 また、この国は都市人口率が高く、二大都市、(4 )、(5 ) に人 口 の4 0% 余 りが 集 中し て い る。 人 口1 0万 人以 上 の都 市 の人 口 は、 オ -スト ラリ アの 全人 口 の約 7 0% に達 し てい る 。 人口 規 模の 小 さい こ の国 に とっ て は、 国 土が 広 大で ある こ と は大 き な負 担 にな っ てい て、(6 )に 象 徴さ れ るよ う に、教育、保健等には日本等の「高密度」社会では考えられないコストがかかっている。 オ- ス トラ リ アで は、「 距離 の暴 虐 」距離 の暴 虐 」距離 の暴 虐 」距離 の暴 虐 」は 「 自然 の 関 税障 壁 」に な って き たと いわ れ、「距 離の暴虐」をどのように克服するかが大きな課題になっている。 ※ 国旗の由来 ※ 州と都市の確認 →以下に地図帳を見ながら記入せよ

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②先住民をめぐって <1>先住民(1 ) オーストラリアは、移民文化が多数並存する多文化社会であるだけでなく、先住民族アボ リジニの住む多民族国家でもある。アボリジニなど今日先住民族と呼ばれる人々は長い間民 族として取り扱われるどころか人間としてもまともに扱われてこなかった。 しかし、20 世紀になり、民族自決権がヨーロッパの民族集団に認められた後、アジア、 アフリカの植民地に対しても適用され多くの新興国が誕生した。これに、触発され、先進国 内の民族マイノリティーや先住民族の民族自決要求が活発化し、先進諸国も、彼らの長い居 住の歴史と独自の文化、生活を認め、自治権を拡大する政策が取られるようになった。 こうした流れから 、最 近の オース トラ リア のア ボリジ ニ の動き を見 ると 1992 年6 月 の連邦最高裁による「マボ判決」が大いに注目される。 この事例は、オーストラリアの代表的先住民族の1つであるトレス諸島民のエディ・ マ ボ とク ィ ーン ズ ラン ド 州政 府 との 間 に生 じ た小 島 (マ レ ー 島) の 所有 権 をめ ぐ る争 い であった。 マボの主張は「マレー島は先祖伝来の島であると同時に州政府の所有とはいえ何ら開 発が加えれられたものではない」として返還を求めるものであった。 マボ本人は、判決を待たずして、死亡したため、原告不在により、土地の変換は認め ら れ なか っ たが 、 連邦 最 高裁 の 判決 で は「 ア ボリ ジ ニ、 ト レ ス諸 島 民は も とも と の土 地 所 有 者 で あ り 、 先 住 者 と し て の 土地 に 対 す る 権 利 (native title) は 白 人 の入 植 に よ っ て も否定されていない。」とするものであった。 これを受けて1993年 に連邦政府は補償措置プログラムを提示し、同年12月に先住権

原法(native title act) を成立させた。 この法律によって先住民が土地とのつながりを明 ら か にで き た場 合 、土 地 の返 還 ある い は補 償 の請 求 手続 が 確 定さ れ た。 ま た、 証 明不 可

能な場合も考慮して土地買戻しの基金も設立された。

こうして、アボリジニも、その地位を与えられ、オーストラリア国内で特別地位を占

める人々であることが承認されることとなった。

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身 も それ を 不可 能 と考 え てお り 、そ の 結果 、 オー ス トラ リ ア は多 様 な移 民 によ る 多文 化 社会化すると同時に、多民族国家の性格も強めるであろう。 (http://bit.ly/nw4fLbよ り) ③白豪主義をめぐって 19 世紀の初頭まではオーストラリアへの入国に関して人種による規制は設けられてい ま せ んで し た。 し かし 、 中国 か ら数 多 くの 金 採掘 業 者が 入 っ てく る のに 従 って 、 非ヨ ー ロッパ系移民に対する反発が強まりました。このことが1901年に発足した新連邦議会に よ る 初 の 制 定 法 の ひ と つ に つ な が り ま し た 。 こ れ は 1 9 0 1 年 移 民 制 限 法 と よ ば れ 、「 白 豪 主義政策」として20世紀の後半まで続きました。 この 政 策に よ って ア ジア 、 ア フリ カ 、お よ びト レ ス海 峡 諸島 民 がオ ー スト ラ リア への 移 民 対象 か ら除 外 され る こと に なり ま した 。 政府 は 公然 と 人 種差 別 政策 が 行わ れ てい る 事 実 を隠 蔽 する た め、 移 民資 格 試験 を 設け ま した 。 これ は 移 民審 査 官が 移 民申 請 者の ヨ ーロッパ言語理解能力を試すもので、事実上形式だけの検査でした。聞き取り試験の際、 審 査 官が 申 請者 を 受け 入 れな い と判 断 すれ ば 、そ の 場で 申 請 者が 話 すこ と が出 来 ない と 思われる言語を選んで質問しました。場合によってはゲール語(アイルランド等で用いら れたケルト諸派諸語の1つ)やトランシルバニア語など非常にまれな言語が使用されるこ ともありました。 一方 、 既に オ ース ト ラリ ア に いた イ ギリ ス 系以 外 の国 民 は、 自 分の 出 身地 に かか わら ず 、 イギ リ ス系 中 心の 社 会と そ の文 化 に同 化 する こ とが 求 め られ ま した 。 つま り 、英 語 を 話 し、 優 位を 占 めて い たア ン グロ サ クソ ン 系オ ー スト ラ リ ア人 の 社会 的 習慣 に 従う こ と が 求め ら れま し た。 ま た当 時 のア ボ リジ ニ には 、 多く の 基 本的 権 利が 認 めら れ てい ま せんでした。 し か し 、 そ の 後 の 政 府 は 、 (1 ) 上 の 必 要 性 か ら 移 民 政 策 の 制 限 を 徐 々 に ゆ る め ざ る を 得 な く な り ま し た 。 特 に 第 2 次 世 界 大 戦 後 の 経 済 復 興 と 、 急 速 な 経 済 発 展 の 時 期 に は 、 人 口 の 少 な い オ ー ス ト ラ リ ア で は 、 海 外 か ら の 労 働 力 を 必 要 と し ま し た 。 そ こ で 未 熟 練 労 働 者 を 移 民 と し て 積 極 的 に 受 け 入 れ 始 め た の で す 。 こ の 多 く は 南 ヨ ー ロ ッ パ か ら の 移 民 で 、 彼 ら は (2 )の 大 規 模 な ダ ム や 水 力 発 電 所 の 建 設のた

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めに働きました(この水力発電所は、当 時急速に発達していたオーストラリアの 産業に電気を供給するために建設された ものです)。 その後、経済、文化面での (3 ) と の 結 び 付 き が 徐 々 に 強 ま る に つ れ 、 白 豪 主 義 は 国 民 の 間 か ら も 、 ま た 政 府 内 で も 、 オ ー ス ト ラ リ ア の 民 主 社 会 に お け る 平 等 主 義 の 原 理 に 反 す る と 考 え ら れ る よ う に な り ま し た 。 白 豪 主 義 が 公 式 に 撤 廃 さ れ た の は 1 9 7 2 年 で し た が、白豪主義は1950年代と1960年 代 を 通 し て 、 次 第 に そ の 影 響 が 弱 ま っ て い き ま し た 。 第 2 次 世 界 大 戦 の 直 後 で は 、 受 け 入 れ 移 民 の ほ ぼ4分の 3がイギリス、アイルランドの出身でしたが、1960年代半ばまでにはこの割合 が40%まで減少し、そのかわりにその他のヨーロッパからの移民(主に南ヨーロッパ) が同じくらいの割合を占めるようになりました。 1970 年代以降は、アジア人のオーストラリアへの移住が急激に増加しました。また、オー ストラリアはベトナム戦争後、多数の(4 )難民を受け入れました。 現代 の オー ス トラ リ アで は 、 移民 の 受け 入 れが 推 奨さ れ 、人 種 、性 別 、肌 の 色、 年齢 にかかわらず、全ての国民に平等な権利が法律で保障されています。言論の自由や文化、 宗 教 の自 由 とい っ た人 権 の保 障 に加 え 、国 民 は地 域 社会 に お ける サ ービ ス や手 当 など を 平 等 に受 け る権 利 と、 雇 用機 会 の平 等 が保 障 され て いま す 。 議会 政 治や 法 律制 度 と英 語 が 、 多様 な 民族 で 成り 立 つオ ー スト ラ リア 社 会を ま とめ て い ます 。

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④多文化主義の国へ 最近では、総人口の 4 分 の 1 近く がオーストラリア 以外で生まれ、このうちの6 割 以 上 (61%) は 英 語 圏 以 外 の 国 で 生 ま れ て い ま す 。 さ ら に オ ー ス ト ラ リ ア で 生 まれた国 民の約 3 割は少な く と も ど ち ら か の 親 が オ ー ストラリア以外の生まれで、 つ ま り オ ー ス ト ラ リ ア 人 2 世 と い う こ と に な り ま す 。 異 な る 国 や 文 化 と 深 い つ な が り を 持 つ 国 民 は 全 人 口 の 半数以上に及んでいます。 そ の 結 果 、 こ の 国 の 人 々 の 生 活 様 式 に は 多 民 族 の 文 化 が 大 き な 影 響 を 与 え て い ます。学校では英語を話し、 家 庭 で は そ の 家 族 の 母 国 語 を 話 す 子 供 も 多 く い ま す 。 オ ー ス ト ラ リ ア 社 会 の 文 化 的 背 景の 豊 かさ は 、実 に 様々 な 様式 の 料理 や 音楽 、 ダン ス 、 スポ ー ツ等 を この 国 の人 々 にもたらしています。 外国で生まれたオーストラリア人は、2001年の国勢調査によれば、410 万人に達しました。家庭で英語以外の言語を話す人の人口は全体の 16%で 280 万人を超えて います。 (発見より) ※こうした流れに対する逆流もある。それが「ハンソン論争」 70年代後半以降、多文化主義が社会に浸透していったが、その反動も80年代後半以降顕著 になってきた。つまり、アジア人の急増によりオーストラリアの伝統的文化・価値そして英語が 相対化されると同時に、多文化主義により移民・難民の文化のみが不当に尊重されて不公平であ るという批判が生じた。当初は、多文化主義の政策のもと大事には至らなかったが、先住民族に 対する特別扱いへの不満と国民の間の国民的アイデンティティに関する議論のずれの問題は96 年に忌まわしいハンソン論争を引き起こすことなった。96年3月の連邦総選挙で下院に初めて 当選したクイーンズランド出身のポーリン・ハンソン女史は、「オーストラリアの先住民は、マボ 判決以来より過剰な福祉政策により甘やかされている上に、アジア人は、自分の文化に固執しな かなか同化せずにいるので、オーストラリアの伝統文化が脅かされるだけでなく、将来的には、 アジア人が増えすぎて、オーストラリアはアジア人に乗っ取られるから、早く政府は対策を打つ べ き だ 。」 と 主 張 し て 、 政 府 の 先 住 民 政 策 、 非 差 別 移 民 政 策 、 多 文 化 政 策 を 批 判 し た 。 (http://bit.ly/pAgcR6より)

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