Japanese Association for Tibetan Studies
NII-Electronic Library Service Japanese Assoolatlon for Tlbetan Studles
『
般
若 灯 論
』
中
の
『
無 畏
』
一
ルイゲ
ン ツェ ン の翻
訳手
続
き に関
す
る一
試論
三
谷
真
澄
1
は じめ
に
チベ ッ ト語 翻 訳 文 献 を 取 り
扱
う場合
の通念
と い う も の が あ る。一
つ は、
チ ベ ッ ト語 訳は、
散失
し て し まっ た サ ンス ク リッ ト原 典を復
元し得 る ほど
の 逐 語 訳 的 な 文 献で あるという 理 解 である。
しか し、
その 理 解 は、
そこから派 生 して、
チベ ット語訳 は原 典に忠実
で あ る が故
に、
そこ に翻 訳 者の 介 在 が 存 在 しない かの よ うに取り扱
うことがで きるという、
もう一
つ の固定
的
な 理解
に向
か いか ねない。前 者につ いて
関説
す れ ば、
イン ド仏教
研究
の 重 要な資料的価
値を持
っ てい るこ と は周 知の事実
で あ る。
イン ド中 観 学 派の よ うに依 拠 すべ き サン ス ク リッ ト本の乏 しい場 合、
資 料 と し てチベ ッ ト語 訳 を 利 用 す る他 は な く、
先学
の夥
しい研究
成 果 は、
それに依拠す
る こ と大
で あっ たこと は 言 を 待た な い。
し か し後者
につ い て は、
そ れ が翻 訳である に も か か わ らず、
研究者
に よっ て は翻 訳者
の介
在が ほ と ん ど意 識され るこ と な く 扱 わ れているのでは あるまい か。 それ が翻 訳である限 り、 訳 者の存 在 が 全 く等 閑 視 さ れて よいの で あろ う か。
斎 藤明氏の一
連の 「中 論」ω 頌 チベ ッ ト訳 成 立に関 する研究
ω は、
重要
な視点
を与
え て い る。
つま り、
「中論
」 の諸注釈
のテ キス トに引か れ る偈 頌の異 同 か ら、
翻 訳 者 ル イゲ
ン ツ ェ ン の 翻 訳 手続
き を明ら か に してお られ るのである。
も ちろん、
そ れ は 偈 頌 だ けの 問 題 に と ど まらず、
テ キス ト全 体 に 渡る問 題でも ある。
本 稿では
、特
に、
『般 若灯
論』 の注釈文
に顕著
に見ら れる 『無畏
』(4>の文 章との パ ラレルな箇所
の う ち、
特 徴 的 な 部 分 をい くつ か 列 挙 し、
ル イゲン ツェ ンの翻訳上の問題
と、未
だに謎 とし て未解
決の注釈書、
チベ ッ ト訳のみ 現 存 するr
無 畏』の成 立につ い て仮 説 を 示したい (s)。2
斎 藤
明 氏 の
想 定
さ て
、
斎 藤 明 氏は、9
世 紀 初 頭の ル イ ゲン ツェ ン (Klu
’i
rgyal mtshan )の 「中論」注 翻 訳 手 順にっ いて、
『般若
灯 論複
註』 を翻 訳 する中
から、
その解 説
に照ら し て所 引
の 『般若
灯論
』部
分の訳 語 を 決 定。
したがっ て後者
の中
に引か れ る 『根 本中
論』の部
分も、
こ のと き に出 来上 が る こ と にな る。 (中 略 〉 その後 に、 『無 畏 論』 お よ び 『仏 護 注』 の翻 訳 は 手 掛 け られ たの一
17一
N工 工一
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一
『般若 灯論盞中の 冒無畏』一
である が
、
両 注 釈 文 献に引 用さ れ るr
根本 中論
』本論
の 訳文
は、
すで に確 定 さ れ た 先のそ れ が
、
ほ ぼ 機 械 的 に 当ては め られて し ま う。とされ
、
「中 論」諸 注 釈 チベ ッ ト訳の翻 訳 段階
につ い て、
以 下の よ う に ま と め ておられる 。《
ルイ ゲン ツェ ンKlu
’i
rgyal mtshan 訳》
9C
初頭
(
1
)prr .
PR
P −MK .
(
2
)BP .
ABh .
《
ニ マタ クnyi magrags
訳》11C 後半
く
3
)PSP
.
P −
MK
.
事 実、 偈 頌 部 分では、 ル イ
ゲ
ン ツェ ン訳の 『無 畏』 (ABh .
)、
『仏護註
』(
BP .
)、
『般若灯論
』 (PP
.
)の 三注 釈 がほぼ 共通 であり、
ニ マタ ク訳の 『明 らか なこ と ば』 (PSP
.
) が 相 違 するとい う例
は多
い わけである が、
ところが、各注釈者
の偈
頌理解
を 無視
して、
偈 頌 部 分の訳 が 共 通 している 場 合 が 見 られ るの であ る。 つ ま り、 すで に出 来 上 がっ ていた 偈 頌 部 分の訳を機械的
に仏護
や 『無畏
』を翻訳
する際
にあては め、注釈
部分
の解
釈 と齟 齬 を き た す ことになっ たの で あ る。
『デンカルマ 目録
』 (824 年
)の中
の 「中
観の論書
dbu
ma ’i
bstan
bcosj
の項において は、r
般 若 とい う 名の根 本 中 論 頌』 (P
−MK .
) が 筆 頭に置か れ、
その 後にPP .
PPT .
BP .
ABh .
の 順に、MK
関 係の注 釈 文 献 が 並べ られている。
この順 序 は 著 作 順では な く、
訳 出 順であった ものと思わ れ る。 これ が事 実で あれば、r
無 畏』 は、
r
般若
灯 論』及 びその複註
の訳出
の後
で、
その訳文 を 利用 しな がら訳 出できる こと になる。
実 はそ こ に、
『無 畏』とい う注釈 書
の特殊
性
があろう。3
ル
イ
ゲ
ンツ
ェ ン訳
「中論
」註
テ
キ
スト
同じくル イ
ゲ
ン ツェ ンの翻 訳 に なる、
『無 畏』、
『仏 護 註』、
『般 若 灯 論』 の テ キス トの間に は、
相 互 にパ ラレル な 箇 所 が多
数 存 在 する。
それ を便 宜 的 に 以 下の よ う に 分 類 してお き たい。
嘸
畏』、r
仏 護 註』.
r
般 若 灯 論』 が 全て 共 通 する場 合『無 畏』 と 『
仏護註
』 が共 通す
る場合
『
仏
護 註』 と 『般 若 灯 論』 が 共 通 する場 合『無 畏』 と 『般 若 灯 論』が 共 通 する場 合
先
ず、
につ い て は
、
偈 頌 部 分を除い て は寡
少である。 ただし斎藤氏
も指摘
さ れ る よ う に、
偈 頌の語 句 が 全 同 だ か ら と言っ て も、
必ず
し も 各 注 釈 家の 見 解 を 反 映 してい ると は 言 え ない ものも含 ま れる点
に注
意 し なけ
れ ば な らない。
について は
、若
干散
見さ れ るが、
まとまっ た もの と して はの
場合
よ り も少
な い。
に つ いては
、一
般 に は、
仏 護 と 月 称 が 帰 謬 論 証 派、
清 弁 が 自立 論 証 派 と して、
相 互 に対 立 した と い う常識的
理解
が あるため に、奇
異に見 られがちである が、偈
頌そ のもの の理解
につい て は、 共 通 する箇
所 は随所
に見
られる。
さ らに最
も特徴的
なのは 聖提婆
(Aryadeva
、
アー
リャ一18 一
N工 工一
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一
『般若 灯論 』中の 『無畏』一
デ
ー
ヴ
ァ)の偈の引 用で あり、
注 釈 中の 引用箇
所・
引 用 偈 と もに完 全に共 通し ている。最 後 に
挙げ
たの場 合 が
、本稿
のテー
マ と か か わるもの で あ る。 かな り長 文で、
しか も ま と まっ て全 く同
一
の注釈
文 が 現 れる こ と に注意
したい 。4
チ
ベ ット
訳
テ
キ
スト間
の
平 行
箇
所
以 下
、
具 体的
な記述
を見てい くが、丹治
昭義
氏が、 第18
章 全章
に渡
る詳 細 な 諸 注 釈の解
釈 を示 し て お られ、 その中で 『般若
灯 論』の注 釈 文 と 先 行 する二 注 釈 書との間 に 多 数のパ ラ レ ルな 部 分 が 存 在 する こ と を指摘
し てお られる。
す な わ ち
、
『般若
灯 論』 では、
その方法
を 「他 学 派の 定 説の論 駁 」と 「自己の定 説の論 述」 に お い ているが、 他学
派の定説
の 「論 駁 は 最 初の 三偈
の 理論 的 問 題 に 限 られて い て、
他
の偈 の注 釈では、
(中 略 )多
く 『無 畏』 に従っ てい るの で、
自 己の定 説と さ れるものは、
多 くの 場 合、
実 質的
に は 『無 畏』 の見解
を指す
ことになる。
(下 線 は引
用者
)1
(7)と される。
具体
的 に は 「清弁
は第四 偈の場 合 は、仏護
の注 釈 文に手 を 加えて文意
の説 明に充
て、
第五偈の前 半 の一
部 と後 半の大半
で は 『無 畏』 を その ま ま使
用 し ている。
この よ う に清 弁 は 既 存の注 釈書
を 借 用 しているの であ る が、
その取 捨 や削
除と加筆
と に彼 自身
の見 解 を盛 り込 んで い る と言
え よ う。」 と さ れ、
清 弁 が仏護
を敵 視 したり、
r
無
畏』 を 無 視 した り して い る わけでは な く、 む しろ 『無 畏』の解釈
を尊重
し ている と理 解 し てお られる。
4
.
1
r
無畏 』
注釈文
の検討
第
18
章第
6
偈一
『
無
畏』の注 釈 文 が、一
部 は 『仏護
註』 に、一
部 がr
般若
灯 論』 に共通 な箇
所をもつ 、 第18 章
第6
偈につ いて 引 用す
るe イ タ リック で 示 し た箇 所 が、
『仏護註
』 との共 通 箇 所で あり、
下 線 部 が 『般 若灯論
』 との共 通 箇 所であ る。
1
ABh
.
adXV
川■
6
[
ABh .
tsa
,
70a6 〜
b6
]Italic
:ABh .
=BP
.
;underline :ABh .
=PR
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4
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11
[
XVIII−
6
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一19一
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一
『般若灯論』中の 『無 畏S 一
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BP
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’
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’
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pa
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’
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P
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PP .
・t・ha
・186bl
〜6
]t
・〃以上 の
例は
、 『無畏
』 の注釈文
が、
『仏
護 註』 と 『般若
灯論
』 の両者別個
に共 有 せ られて い る場
合であ る が、
その場合、清弁
は既存
の注釈書
であるr
無 畏』 を自
己の注釈
の一
部
と して 「借用
」 して い る の で あっ て、
特 別 に その名
を挙 げ
て引
用 して い るわ けでは ない。既存
の注釈書
として 『無畏
』が存
在 した な らば、
そ れ 以後
に成
立 した と さ れ る 諸 注 釈書
に ど う して引 用 さ れ ない の であ
ろう
か。伝承
に あるよ う に 龍 樹の著 作 で あ れば
なお
さ らである が、龍樹
の著 作では ない注釈書
と して存在
したとして も、
その名
が 挙 がっ て こない の はな ぜ で あろ うか。 こ の問題
は、第 18 章
に限
っ たことで は な く、
い くつ か の章
で、
『般
若 灯 論』 の叙述
が 『無 畏』 のそ れ と全
く同一
か同
一
と考
え られる注
釈 文 が 見 出せ る の である。
4
.
2
『
般 若 灯論
』注 釈
文
の
検討
一
第
22
章第
13
偈
〜
15
侶
一
次
に第 22 章
につい て見
て みたい。
この章 は 「如来
の考察
」 と名
づけ
られ、16
偈 か らな る。 「中 論」 で は数少
ない、直接覚
りの問題、悟
りの人 格 者 た る如来
につ いて扱 う章
である。 ま た仏護 自身
の注釈
と して は実 質 的 な 最終章
に あ たる章
で もあ
る。『般
若
灯論
』の注釈文
を引
用す
るが、
イ タ リッ クで示 し た箇所が、
『仏護註
』 との共 通 箇所
であ
り、下
線部
が
『無
畏』との共通箇所
である。一見
して、
『無 畏』と 『般若灯論
』との共 通箇所
が顕著
であ
るこ とは明
かであ
る。
Italic
:PP
.
=BP .
;underline :PP .
=ABh .
・20 一
Japanese Association for Tibetan Studies
NII-Electronic Library Service JapaneseAssociation forTibetanStudies
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Tfi.eem
2
PRadXXII-13
[PRtsha,217b3・v6]
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3
PR
adXXII-14
[PRtsha,217b6・v7]
yang
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[XXII-14]
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4PR
adXXII-15[PR
tsha,
217b7・v218a4]
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-21-Japanese Association for Tibetan Studies
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般 若 灯論』中の 『無 畏』一
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XXII −15
]
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XXII −15]
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ste〃skyebo
des
ni nga mi mthong 〃zhesgsungs
pa
lta
bu’
o 〃上 に 挙
げ
た よ う に、
第15
偈 に おいて 『無畏
』は 「戯論
を超越
して不滅
なる仏
世 尊 を、 有、無、常住、無常、色
身、法
身、 教 説身
、 能 相、所相
、 因、果、智、所証、
空、不
空 な ど という戯
論によっ て戯論
し、分
別し、妄想す
る者達
」云々 と 注 釈 す る が、
清 弁 は、 戯 論 に 関す
る解
説
で あ る 下 線 部 を そっ く りその ま ま 偈の前
に置
い て い る。
ま た第 13 偈
にっ いて 『無 畏』は偈
の 「深
い執着
に と らわ れて いる者
」を 「種
々 の分別な
どの薫習
によっ て汚染
され た 知 恵 を 持つ 者」 「これのみ が真
理(
諦)
であ
っ て他
は無意
味である と執 着 を もつ者」 と しているが、
前 者 は 『般 若 灯 論』に後者
は 『仏護註
』にそのま ま同
一
文
が見 出
せる。
こ の よう な 『
無畏
』= 『般若灯論
』、
『無 畏』 = 『仏 護 註』 の一
致の他、
『仏護註
』= 『般若
灯論
』 の一致
も、第 ll 偈
の注釈
に見
られる。仏
護 は、
(本 来 説 か れ るべ き で ない)空、
不 空等
の 四句
が、 「虚妄
なる分別
を断
つ た め に、勝義
の真実
を施設す
る目的
で 」説
か れ た とす る が、 その前
半句
の 「虚妄分
別」 の語
の使
用 が 『般
若
灯
論
』(
「虚妄分別
の垢
を洗
うた めに 」 = 『無 畏』) に見 え る。 (後
半 は 『無
畏』 と同一
)
ま た、仏護
はこ の第11
偈 注 釈 下に、
Aryadeva
の偈
を引用
して い るが、
こ の同
じ偈 がr
般 若 灯 論』に あ る。 こ のAryadeva
の偈 (
大半
『四百
論
』 に同定
しうる)
は、
『仏護註
』全体
で合計
25
箇 所23
偈 引 用 さ れて いる が、 『般若灯論
』 では13
箇 所 に 過ぎ
ない。 その 『般若
灯論
』の引
用す
る偈
はす
べて、
『仏護註
』 のそ れ と 同一
とな
っ て い る。 つま り清弁
は、同一
章 同一
偈の注釈
下 に仏護が引
用していた
ものを取捨
し ただ
け で、独 自
の引
用 は して いな
い の である(9)。
5
r
無
畏
』 と
r
般
若
灯
論
』
以 上
、
『般若灯論
』中
に引用
という形
では 現 れ ないが、
確 実 に一
致 す るr
無
畏』 の文章を抽
出 した が、
先 述 した ル イゲ
ン ツェ ンの翻 訳方法 が、単
に偈頌
のみにと ど ま らない ことが 示 さ れる であ
ろう
。清弁
は、論証 因
が 成 立 しない と か、喩例
が成立
しない と か、章
の最初
に挙 げ
一
22 一
N工 工一
Eleotronlo LlbraryJapanese Association for Tibetan Studies
NII-Electronic Library Service Japanese Assooiation for Tibetan Studies
一
r
般 若灯 論』中の 『無畏』一
た、 反 論 者の推 論式に付 随 する過 失 を指摘す
る論 理 学の術 語 を 駆使
し な が ら解 釈 すること が 特 徴 と して考
え られる他は、
ほ と ん どr
無 畏』 と共 通で ある。 これほ ど、
『般 若 灯 論』が 『無 畏』 とい う注 釈書
に従っ て いるな ら ば、
その名
を挙げ
て引
用す
るか、 あるいは 『無 畏』 と い う書物
の名
を挙 げ
て参 照 すべ き旨を述べ るべき であ ろ う。 しか し、
清弁
は そ れ を せず
、 丹 治 氏の言 葉 を 用いるならば、
「借用 ] で あ るe ま た 、r
無 畏』 と い う現行
のチベ ッ ト訳テキス ト の 原 典 がす
で に仏 護や清弁
よ り以 前 に存 在 して い た と いう前 提の下 に、
「踏襲
」 と か 「従
う」 とい う表 現 が使
わ れて いる わ けである。
こ の よ うに見て くると
、
『無 畏』 は簡
単で取る に 足 ら ぬ注 釈であると か、
清 弁は仏護
に 対 し空 性 論 証の方法
の相違
か ら厳 しい批 判を加え るのであ る か ら、
偈解
釈 やその 他の注 釈方法
につ いて も冷淡
な 態 度 を取っ ている との見 方 が あ れ ば、
そ れ は誤 りで あること が理解
され よ う。
し か し清 弁 は、
「中論
」偈 そのもの の解 釈につ い て、
先 行 する二 注 釈 書、
特に 『無 畏』の 解 説 を 取 捨 し な が ら、
自己の注 釈 文の一
部
と し て取り込ん で い るのであっ て、
そ の名 称に言 及 して の引用で はない。
この あた り に 『無 畏』の成
立にか か わる問 題 が 潜ん で い る ように思 われる。丹 治 氏 は
、
「(印度
)、
西域に おい て、r
無 畏』 の名で伝
え ら れ、 その同 じ注 釈 書 が、
そ の伝 承 成 立 以前
に、
羅什
に よっ て 青 目Hfigala
の著作
と して中 国に伝 え られ たの で はないであ
ろ うか。」( lo)と される が 、 羅 什の見 た 「中
論」注 と、 ル イ ゲン ツェ ン が見 た 「中 論」注 が、
元 来同
じ ものであっ た とす れ ば.
そ れ が、
中 国 において は、
青 目註r
中 論』と な り、
チベ ッ ト に おい て は龍 樹 自注 『無 畏』 となっ た と して も不思議で はない。
そこに、一方
で は、漢
訳者
鳩 摩 羅 什 が か か わり、
もう一
方でル イ ゲンツ ェ ン という チベ ッ ト翻
訳官
が大 き くか か わっ てい たの で は な いであろ うか。
ルイゲ
ン ツェ ンは、
チベ ッ ト訳にの み 現 存 するr
無畏』 とい う名
称
の冠せ られ た 注 釈書
の成 立に深 く か か わっ て い るよ う に 思 わ れる(1D。
6
『無 畏』
の
特
異 性
「中
論
」注 釈 書の研 究 に おい て は、
お び ただ しい学的業績
が 積 み 重 ね ら れているが、
依 然 として 『無
畏』 とい う 注釈書
の置かれてい る立場
は明 確でない。
チベ ッ ト訳の奥
書に記さ れ る龍 樹 自 注 という評価
は、
今 日、
否 定的
に取り扱 わ れるの が学界
の常識
である。
ま た その注 釈 史的価値
につ いて も、
偈 文の繰り返しや、
意 味 不 明な喩 例 が 挙 がっ ている など、
あまり顧 み ら れ ない のが 普 通である。
最 古の注 釈 書とい うことで一
部
の研究者
が取 り上げ
る に 過ぎ
な い。 しか し、最古
の注 釈 書であるならば、
な ぜ 後の仏護
や清 弁は 、 こ の注 釈 を 引 用 しないの か。 『無畏』 と い う名 前 を 挙 げて引
用す
る こと も なけれ ば 、 その注 釈 内 容 を批判す
る こ と も な い。
先 行 する注釈書
に対 する にして はあまりに冷 淡 な 態 度で あ る。
ま してや 龍 樹の 自注で あっ た とす れ ば なお さらである。
と こ ろ が
、
上来 見て き た ように、 仏 護 や清弁
の注 釈には、
引用 と い う形で はないが、
現 行 の 『無
畏』の注 釈と パ ラ レ ル な 文 章 が、多
数 見 られる、 それは引 用で は な く、
自己の注 釈と して、
いわば 取 り込 まれた形と して存 在 しているの で あ る。
これ は 翻 訳者
が共 通 し て い るこ一
23一
N工 工一
Eleotronio LibraryJapanese Association for Tibetan Studies
NII-Electronic Library Service Japanese Assooiation for Tibetan Studies
一
『般 若 灯 論』 中の 『無畏』一
と か ら、 常 識 的には 現テキス トの文 章 も 同一
であっ た とい う よ うに考 え られる。 従っ て、
も し仮 に 龍 樹 自注
と い う こ とが インドに お い て知
ら れ て い た な らば、後
の注釈家
が一
貫し て無
視
し た態 度 を とっ た り、
ま してや 勝 手 に 自 己の注 釈 と して取 捨 選 択 すること は許
さ れ ない で あろう。
ま た 龍 樹 自注
で な か っ た と し て も、
先行す
る注釈書
の文章
を採
用す
る につ い て、
引 用である旨を示さないのは ど う してなの かe 仏 護 や 清 弁 は 先 行 す る 『四百 論』を 引 用 する 場 合、
「アー
リャ デー
ヴァ も…
」 と 示 して い ること に 反 して
冷淡
な態度
と言わ ざる を得
ない。
こ の こ とを
解
決 する鍵は、
イン ド に お け る著作
の成
立と、
チベ ッ ト に おける翻 訳の成 立と いう、
二 つ の成
立時期
を想 定 することで は ない か と 思 わ れる。 つ ま り、 イン ドに おいては、 仏 護 や 清 弁 に 先 行 する現 行 チベ ッ ト訳のr
無 畏』の原 典 に 相 当 する著作
は、少
な くと も彼
ら には知
られて お らず、
現行
のr
無
畏』 はチベ ッ ト訳の段 階で成立
した と考 え れ ば 説 明 がつ く よ う に思わ れ る。 実 際、 『無 畏』 が 注 釈 書 と して重 要 視 さ れ たのは、
チベ ッ トに おいて であ り、 斎 藤 氏の指 摘 される ル イゲン ツェ ン の訳出手続
きを さ ら に、注釈文
の訳出
に も敷
衍す
れ ば、
先 ず複注
と と も にr
般若
灯 論』 の翻 訳が完
成せ られ、r
仏 護 註』と並んで、
その翻 訳 文 が 適 用されて成 立 し た 注 釈 書 にr
無 畏』 という 名 称 が 冠 せ られ、
龍 樹の著 作 と して権 威 づ け ら れ た と考 えるのが 妥 当 なの ではないだろ う か。
7
r
中論
』
と
r
無 畏
』
の成 立
鳩
摩 羅什
の生 没 年 は、
350
〜409
年 頃 (344
〜413
年 と も) とい わ れるが、
大 乗 仏 教の論 書 を は じ めて中国 に も た ら し、
そ れ以後
の中
国仏教
は大
乗 仏 教を中 心とする ものに再 編さ れて い くの である。35 部 294 巻
の翻 訳の内、
『中 論』 の 果 た した 役 割 は 重 大であっ た が、
その翻 訳の際に底 本 と した 青 目註 は、
いか なる 形態であっ たの か は不 明で あ る。
ま た翻
訳 がいつ完
成 したのか も明
かでない。
し か し401 年
に長安
入り した 羅什
の翻 訳 年代
を考 慮 すれば、5
世紀
の初
頭に は、
現 行 漢 訳 大 蔵 経 本の基になる青
目註 『中
論』 の テキス トが成
立し ていな けれ ば な らない。従
っ て底本
である青
目註
の原典
は、
羅什
がイン ド滞
在中
の4
世 紀の 中頃 まで に は成 立 し ていた と考え られ る。 仏 護 (470 〜
540
。 た だ しこ の 年 代 は 再 検 討 が 必 要 と思 わ れ る ) や 清 弁 (500
〜70
) 及 び 月 称 (600
〜
50
)の年 代 を考 慮 す れ ば、
それ がイ ン ド成 立であ れ ば、
当 然 彼 ら よ り先に成
立し て い なければな らない。 し か し、
そのテ キス トは原 典 は おろか チベ ッ ト訳 に おいて もその名 称 をみない。 そ して何 よ り重 要 なのは、
仏 護 や 清 弁及び月称
の注釈
に そ の言 及が な い こ と で あ る。最古
の注釈
で あ れ ば、
なにが しかの言
及 があっ て し か るべ き であ ろ うが、名
称を挙げ
て の引 用 も批 判 も ない の であ る。 ただ
テキス トの批 判 的 研 究の成 果 は、
現 行 蔵 経 本の漢訳 『中 論』 が、
チベ ッ ト訳 にのみ存 在 する 『無 畏』 と近親関係
にあること を指摘
し、
同一
テ キス トであっ た可能性
を示唆
さ れ る に至っ てい る(12)。
こ の こと を 事 実 とす れば、
9
世
紀初頭
に、他
の諸注釈
と同時期
に チベ ッ ト訳されて、
『無
畏』 という名
称 を 冠され、 龍 樹 自注 と さ れ た ということにな る。 そ の間の 経 緯は明 らか で はない が、 少 な く と も、 チベ ッ トでは、 龍 樹 著 と しセ
権 威 づ け られ、
一24 一
N工 工一
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NII-Electronic Library Service Japanese Assooiation for Tibetan Studies
一
『般 若 灯 論 』中のr
無畏』一
目録
やテンギュル に も編
入さ れ たの で ある。
原テキス トは青
目註
『中
論』 と同 系 統の もので あっ た が、
チベ ッ ト訳 成 立の際 に、
諸 注 釈 統合
と い う形で 『無 畏』 という 名 称 を付
し、龍樹
自注
とい う権 威 付 け を施
し た の で はないだ ろ うか。
大 胆 な 推
測
をす
れば、
チベ ッ ト訳 『無畏 』の原
テキス トと し ての 『無
畏』 とい う名
前の注釈書
はイン ドに おいては存 在 し なかっ たの で はない か とい うこと である。 従っ て、 後 代の注
釈 家 達 に よっ て言
及や 引用 が ない のは 当然
である。 チベ ッ ト訳 に 存 在 する表 現上 の パ ラ レ ル な箇所
は、
翻 訳 者 ルイゲンツェ ンの諸 注 釈の解 釈 統 合の意思 の現
れ と見るべ き か も しれ な い 。以
下に 『無
畏』 の成 立 過 程 に 関 する推 測 をま と め て お き たい。中論
註 (『無 畏』 の原テキス ト、名称 ・著
者 不 明…
青 目?)
→
5
世 紀初
頭鳩
摩 羅 什の漢 訳 『中 論 』(青
目註)…
羅
什
の意 訳→
9
世 紀 初 頭ル イ ゲン ツ ェ ン の チベ ッ ト訳 (
r
無 畏』 と 命 名 )・・.
・
諸 注 釈 との校 合・
統 合 整 理、龍樹 自
注 と し て→
824
年
『デ
ン カ ルマ 目 録』 に記 載(13)→
現存
敦煌
写 本 と して流 布 (新
訳 語採
用 以 降、
綴字
は旧規則
に従
う)q4)→ 現 行 チベ ッ ト大
蔵経
のテキス ト (新 綴 字規
則に従い変 更、
写 本 )→ 現
行
チベ ッ ト大 蔵 経のテ キ ス ト (版 本 )8
お わ りに
従来、
『無 畏』、
『仏 護 註』、
『般若
灯 論』 の三注 釈 書 は、
いず れもイン ド に おい て こ の順序
に著 述 さ れ、
月称
の 『明 らか なこと ば』 に先行
し、
し か もチベ ッ ト訳 者 が 共通 で あ る と い う こ とが、中
期 中 観 学 派の 研 究及び 『中論
』注 釈 書 を 平 行 し て読
む 上 での常 識で あった 。 本 稿 は、
『般 若 灯 論』 の中
の 『無
畏』を探る中で、
チベ ッ ト訳と して伝 わる現 行の 『無畏』の成 立 につ いて問 題提起す
る ことになっ た。
『
無
畏』 が、
「中 論」 頌 を書
い た龍 樹の著 作で は ないq5)こ と は お そ ら く 首 肯 し うるに して も、
ではいつ だれ に よっ て書 か れ たのか という点は未 だ明 か で な い。
し か し、
その成 立の 問 題 は、
漢 訳者
に 「意 訳」 ま た は 「恣 意的
漢
訳」 と いう翻 訳上の裁 量 が 承 認 さ れて い る よ う に、
同様
にチベッ ト訳の場 合 も翻
訳官
の意
図 という ものを 考 慮 しな け れ ばな ら な いの で はない か と考 える。本 稿で
扱
い得た ところは、
r
般 若灯論
』 と い う注 釈 書に頻 出 する 『無 畏』 や 『仏護
註』、
特 に 『無 畏』 との平行箇所
を指摘
することであっ た。
単 なる テ キス トii
,.
リ テ ィー
クの材 料と し てチベ ッ ト訳 を 見る の で はな く、
あ く までも翻
訳者
とい う意志
を持
っ た 人 間の介
在を無 視 す る こ と は で きないとい うこ とを指摘
し たい (16)。一
25一
N工 工一
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一
『般 若 灯論』中の 『無 畏』
一
テ
キスト
P ・
MK .
P
吻龍一
加一
mu’
lamadhyamaha −ha“
rika (『般 若とい う名
の根本
中 論 頌』)D .
Ne .
3824
,
PNo .
5224
ABh
.
BP
.
PP
.
PSP .
PPT
.
MuJlamadhyamaka −
vrttiAkutobhaya”
(『無 畏』)D
.
No
.
3829
,P
.
No
.
5229
Buddhapa
’
lita
−
mu’
lamadhyamaka
−
vrtti (『仏護
註』)D .
No .
3842,
P.
No .
5242
P
吻 苑@rα41p
α一
mu−
lamadhyamaka −
vltti (『般 若 灯 論』)D .
No .
3853
,
P
No
.
5253
Mu
“
lamadhyamaka −
vpttiPrasannapada−
(r
明 らか なこと ば』)D
.
No
.
3860
,
P
No5260
Pr
姻
勿毋4
脚一
∫葡 (『般若
灯論註
』)D .
No .
3859 ,
P.
No .
5259
注
(1
) 以 下の論 述では 「中 論」は、
ナー
ガー
ル ジュ ナ (Nagatjuna,
150〜
250)の主著としての、
約 450 偈 か らなる 「中 論 (頌 )」を意 味し、
『中論』 は、
鳩摩羅什訳青目釈r
中論』 (大正巻30
) を指す こととする。
(2) 斎 藤 明 「『根 本 中 論』 チペ ッ ト訳 批 判亅平川彰編 『仏 教研 究の諸問題』1987,
pp.
246〜221.
斎 藤 明 「根 本 中論テ ク ス ト考」 『高崎 直 道 博 士 還 暦 記 念
・
イン ド学 仏 教 学 論 集』1987,pp.
764〜
755.
(3
) 原田覺 氏 は、
ル イゲン ツェ ン につ い て、
以 下の よ う に指 摘さ れて い る。 チベ ッ トの伝 承によると、
吐蕃 期の大翻 訳 師として上述のイェ シェデとペ ル ッェ ク.
そ して ル イ ゲ ンツェ ン
Klu
’
irgyal
mtshan の三者が 並 び称さ れるが、
ルイゲン ッェ ンは共訳 者と の関 係 か らペルツェ ク と殆 ど 同 時 期の者 と 考 え られる
。
ル イ ゲン ツェ ン の著 作は、
『デン カ ルマ 目 録』 (五 三一
番 ) と プ トゥン (H
二 二〜
二 六番)に記載されて い るが、
蔵 経 (『北 京 版』一
四 四巻、
五八 四 番 等 参 照 ) と 敦 煌 本 中 に は ま だ 確 認 さ れて いない。
ル イ ゲン ツェ ン の 翻訳は蔵経 中に幾 点か が収載され、
敦 煌 本 中にも見 出 さ れる。
彼の翻 訳 点 数 はペ ルッェ ク の 約 四分の一
に過 ぎな い が、
その う ち 約三分の一
が仏 説 部であ り、
論 部で は約二 分の一
が 律 疏 部であって、
約三分の一
が中観 部に属 してい る。
(原 田 覺 「吐 蕃 訳 経 史」 講 座 敦 煌 第6
巻 『敦煌 胡語文 献』IV−1
チベ ッ ト語文 献一
仏 教 文献一
七 「吐 蕃 訳 経史」,
1985,
p.
436」) ま た、
こ の時 期の翻 訳 動 向 と して、
「イェ シェデ 等によって仏 説 部、
特に大 乗 経典と、
さ ら に唯識部 等の翻 訳 が 行 わ れ た
。
次いで ルイ ゲン ッェ ン等に よって戒 律 部と律 疏部、
そ し て中観 部の 翻 訳 が 行 わ れ たe さ ら にペルツェ ク 等 に よっ て阿 毘 達 磨 や 因 明 部 を中心に して、
以前の翻訳 を補う形 で諸部の翻 訳 が 行 わ れ たの である
。
(原田同 論 文,
p.
437
)」 と想 像 さ れて い る。
(4
) 梶 山 雄一
氏は、
「ナー
ガー
ル ジュ ナに帰せ られて い る 『無 畏 注』 (チベ ッ ト訳に の み現 存 ) は 語 句 の解 釈に終始する簡 単な注釈であるう えに、
第二 三 章第一
七 詩 以 下 は 『ブッダパー
リタ 注』と 同一
の テキス トになっ て い る。 こ の間の事 情は 不 明 で あ る が、
『無 畏 注』 自体 は あ ま り有 用 で な い う えに、
ナー
ガー
ル ジュ ナ作と い うことも疑わ しい。
」 と さ れ、
こ の注 釈 書の資 料 的 価 値 を あまり評価されて いない。 梶山雄
一
「中観派の歴 史 と文 献」 『講 座 大 乗 仏 教』7
「中 観 思 想1.
春 秋社
,1982,
p.
10。
(5
) す でにこ の問 題 につ いては、1993
年9
月12
日、
北 海道 大 学で開催され た第 52回 日本 宗教 学会学術 大 会に おいて
、
「『無 畏』 『仏 護 註』『般 若 灯 論』相互 の文献上 の問 題」・
と題し て、
口頭 発表を 行った。
表 題 は 大 き な もの であるが、
そ の趣旨 は清弁の注 釈 文には、r
無畏』や、
『仏護 註』 の文章とパ ラ レ ル な もの が 多 数 あ ること を 指 摘 する ことであった
。
本 稿は、
そ の後検 討し たこと も一26 一
N工 工一
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NII-Electronic Library Service Japanese Assooiation for Tibetan Studies
一
『般 若 灯 論』 中の 『無 畏』一
ふ ま え、
若 干の考 察 を 加 え た もの である。
ま た 最 後 に、r
無 畏』 という 注 釈 書の問 題に つ い て い くつ かの間題を指 摘する。
(6
)斎 藤前 掲 論文 「『根本中論』チベッ ト訳 批 判」p.
230
参 照。
(7
)丹治昭義 『沈黙と教説中観思 想 研究 1』関 西 大 学 東 西 学 術 研 究 所 研 究 叢 刊 六
,
1988,
関 西 大 学 出版 部
,
p.
51.
(8
) 丹 治 前 掲 書p.
57.
(9)本 稿末 尾の対 照 表 を 参 照。
『般 若 灯 論』 の引 用 は、r
仏 護註』 の引用箇所、
引 用偈と も同一
で あ り、
明 らかに仏 護に従っていること が 知 ら れる。
な お、
『仏 護 註』 の日本語 訳につ い て は、
拙 稿「中論 『仏 護 註』第
22
章 和 訳」『龍 谷 大 学 大 学 院 研 究 紀要一
人文 科 学』9,1988,pp.
22〜40
参照。
(10
) 丹 治昭義 氏は、r
無畏』(Akutobhaya) は、
「唯識派 が 確立す る 以 前の、
初 期 中 観 派の時 代の論 書 と考え ら れ る。」 と、
最 初 期の注 釈 書であるこ と を認め た上 で、
「『無畏』の著 者は龍 樹でな く、
青目 と考えられ る。 従っ て、 青目釈、
羅 什 訳 というのは、
『無 畏』 の羅 什 訳 とい うこと に なる。
」と さ れる
。
丹 治前 掲書 p.
41.
(11
) 本 稿 で は、
主 と して 『無 畏』 に か か わるル イ ゲン ツェ ンの翻 訳 手続きにつ い て 問題として いる が、
『仏 護 註』 のテキス トの問 題として、
第23
章以下が 『無畏』 か ら補わ れ た こ と が推測されて いる。
こ の ことに関 して、
『般 若 灯 論』第23
章 以 下 は、
以下の一
覧 表に示すよ う に、
仏 護 批 判 が 全 く存 在 し ていない。
こ の こと か ら 清 弁 はr
仏 護 註』 の第 23章 以 下 を 知ること が な かっ たの で はないか とも 考 え られる。
あるい は ル イ ゲン ツェ ンが、
すで に翻 訳の完 成し た 丁無畏』 か ら補っ て
、
『仏 護 註』の注 釈 書 と しての体 裁 を 整 え たのか も しれ ないが、
少な くとも、
こ こ には清 弁に よ る批 判箇 所は見 あ た らない。
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の仏 護 批 判の箇所 (〜
の数 字は批 判箇 所の通し番 号 )
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−kari
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