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イリッピンにおける会計事情

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イリッピンにおける会計事情

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一︑はしがき

二︑ブイリツピソの教育史における会計教育

三︑会計教育における当面の諸問題

四︑ブイリツピソにおける会計職業

五︑結  語

一、

ヘ し が

 本学に東南アジア産業研究所が創設された機会に東南アジア諸国に於ける会計事情や会計制度等の研究を思い

たち資料蒐集にか︑つたが︑会計関係の資料が東南アジア諸国の後進性のためか充分蒐集することができなかっ

た︒それが一九五七年に第一回極東諸国の公認会計士会議がマニラに於いて開催された機会に東南アジア諸国の

公認会計士制度の実情が︑フイリッピンの第十一回年次報告と共に公表された著作が︑本年五月頃入手するこ乏

   フイリッピンにおける会計事情       二六七

(2)

   研  露究 年 報      二六入        ︐

ができた︒

 又さきに慶応義塾大学経済学部高橋教授がデ︒ラ・クルーツ氏︵フイリッピンの姐巳く霞巴なoh荘①国餌馨

の商学部長︶のブイリッピンの会計教育の発達を企業会計誌上に発表された黒影や︑高橋教授の御紹介で筆者自

らにブイリッピンからデ・ラ・クルーツ教授自身御送付下さったブイリッピンの研究雑誌及著作を参考として︑

ブイリッピンに於ける会計教育の変遷並びに会計職業に関する実情を探究することとする︒ブイリッピンの会計

事情を知る一助ともならば筆者の幸である︒

二︑フイリッピンの教育史に於ける会計教育

 フイリッピンに於ける会計教育は研究の特別分野としては他の分野に比べて非常に歴史が浅いといえる︒然し

会計教育の起源はブイリッピンがスペインの統治時代があったことから︑米国よりもブイリッピンの方が早いと

いうことができる︒何故ならばブイリッピンのセント︒トマス︵ωO昌けω 目O旨99ω︶大学が一六=年に創立されて

いて一六三六年に創立されたアメリカのハーバート大学より二五年も古いことからでもわかる︒以下︑ ωスペ

イン統治時代︑ ㈲アメリカ統治時代︑ ㈲第二次世界戦争後独立後の順序で会計教育の変遷を述べてみよう︒

    ωスペイン時代    ・

 フイリッピソはフェルディナント・マゼラン︵団︒巳ぎΩ︒巳外心αq①=き︶が世界周航の途上︑一五二一年に発見

した︒スペインはブイリッピソの征服を数回失敗の後︑一五六高年二月︑法律家の言茜q①一ピobΦN亀①﹃o鵬器豆

と天文学者兼海上冒険家の団9誓①同︾ロ臼①ω自①da出口90とが遠征隊を導いてフ千リッピンに到着しセブ島に

(3)

スペイン最初の永久植民地建設に成功した︒比国に於けるスペイン統治の最初の百年間は﹁征服﹂︵OO口ρ蝿Φω酔︶

という重要な一時期を劃した︒ζの時期にスペインの統治権が確立された︒大体に企て︑その征服は平和裏に行

われた︒征服は兵隊達より︑むしろ宣教師達により広範囲に成し遂げられた︒そんな次第だったので歴史家の中

には︑各宣教師は兵隊の一団体に等しいと見た者もあった︒この期間中に 霊一陣冒︒ω人の生活と文化に重大な

変化がなされた︒ 葛一一甘冒︒ω達は自分達の古い異教徒の礼拝を棄てキリスト教とその生活方式を採用した︒古

い土着のアルファベットも又棄てられ国一巻貯︒︒・達はスペインの書き方︵ローマ字のア︐ルファベット︶の使用

を学んだ︒宗教的階級の人々︵︾郎ひqω注解欝ωと︑次の三人︑つまり蒔Φ周鑓一5息ω︒碧ρ爵①Uoヨぎ皆きω︾

荘①蜜ωq詳ω︶ が土着人に宗教の教訓を教える事を引受げたと同時に︑彼等は又スペイン語の読み書きの為に学

校を建てて︑土着人達に改善すべき事柄に関もて教えた︒宣教師達が入りこんだ殆んど全ての村に仮の教会ヴィ

ズィタス︵<一〇D一瓢QD︶が建てられ教義︑問答︑読書︑書き方︑唱歌︑算術が村の少年少女達に教えられた︒

 最初の宣教師達は子供達に小学校を備えてやる事に惜みなく努力した︒宣教師達の活動は少年の為のよい高等

の学校を建設する事に穿ても又熱心であった︒密ω三けとU︒巨億8昌達は教育のこの面に多大の注意を払っ

た︒ ジェスイット会は︑中等学校生徒や僧侶になろうとする者のための課程を提供する 嘗000一①αq一〇匹Φωき

回αq口990 ︵一五八九年︶や 爵ΦOoδαqδ島①ω9︒昌岡①一首Φ ︵一六四〇年にマニラに設立されたが数年後に閉鎖

された︶及び甚①Ooδoq一〇住①ω9口図匡臥︒昌ωo︵一五九五年︶を設立した︒これはωき置88の学校と同じ

課程を提供した︒この専門学校自体は長く続かなかったが ωき09二︒ωの現在の大学はこの専門学校の支流と

考えられている︒ 日げ①Oo冨αq一〇α①ω目口智ω① ︵エハ〇一年設立︶は元来僧侶になる少年の訓練のための神学

   ブイリッピンにおける会計事情      二六九

(4)

   研究年報       二七〇

校である︒現在これはジェスイット会によって所有され管理されている︾言$学&08ωき宗教学校である︒

ドミニコ教団はω9口8日︒日①ωの大学を一七世紀の初期︵一六一一年︶に設立したが︑ζの大学は︑その初期

の課程に於て開講された課程は文法︑美術︑神学︑論理学︑教会法規︑市民法であり一九世紀後期には医学︑調

剤術︑産婆術︑医術が加えられた︒

 ドミニコ教団によって設立された他の有名な学校は魯①Oo一①σqδ島Φωき匂§昌q①ピΦ#鋤口である︒この学

校は以前は陸軍大尉であった掃きO①8上記oO①嘆臼︒によって起された孤児のための学校との合併によって

一六三〇年に設立された︒又爵oO巳Φひqざ傷︒ω①口℃①費︒磯ω9︒昌℃帥三〇〇h国遂げ臼U冨ひqo島Φωき三半〇三斜

は最初は中等学校である︒しかしこれは簿記の課程を与える現存する二つの最初の学校の中の一つである︒

 早くも一八六五年︑その℃〇二8寓28算出︵文字通り﹁熟練会計士﹂︶の課程が﹀艮曇日2一8寓①容鋤口艶

︵会計︶ 目①昌①α霞冨畠①ピま目︒ω ︵簿記︶ ピ①αq一ω冨90⇔蜜興8口豊国︒808宕鋤℃o一一江8 ︵経済学︶そして

Oo疑①のbo昌侮①昌自①昌息9︒蜜①目$口蓬 ︵商業通信︶といった科目を講義した︒初期の課程は僧侶や教師の訓練に捧

げられ︑後に芸術や法律や医学が課程︻加えられた︒スペイン人がO︒ヨ①目90 ﹁商業﹂や手の労働を嫌った結

果として商業課程は︑およそ三〇〇略図︑事実ブイリッピソに於けるスペインの統治の終りに至るまで無視され

た︒ フランスの旅行家臼●罎巴一暮は彼の回顧録の中で次の様に述べている︒一八四〇年に商業学校︵﹁商業会計

と現代語の学校﹂︶が↓目ま章昌巴α①O︒日日錠8という場所に建てられていたと︒簿記︑商業︑通信︑現行国

語のコースが無料でその学校で教えられた︒一八九六年のブイリッピンの革命まで︑そのカリキェラムに会計学

を入れている学校は次のものであった︒つまり﹁商業会計と現代語の学校﹂ ︵一八四〇年︶ ︵誓①ω︒げoo一〇囲

(5)

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の中では爵①O巳①σq一〇α①ωき冒四口亀①ピ①霞きと︑ 爵Φ︾江口①o似①冒9a一9︒が殆んど同時に一八六五年︑       り会計学の課目を教えた︒それはスペイン時代末立続きアメリカ政体に入っても︑その初期にほとんど修正されず

に再開された︒

 会計学の発達は初めは勢を得たが総じて緩慢であった︒それは︑ブイリッピンの国際貿易がメキシコとスペイ

ンとの﹂カリオン船貿易に限られたからである︒近隣の東洋諸国を含むその他の国々との貿易があったとしても︑

それはわずかなものであった︒

@アメリカ統治時代

 米西戦争の結果としてフイリッピンはアメリカ合衆国に保護される様になった︒早くも一八九八年に陸軍教謳

師淘Φ<oお口q冒︒匹口昌︒昌は授業を開始した︒軍事制度の教育的仕事が↓o津委員会︵一九〇〇一一九〇一︶

の下に続けられ形式化さ.れた︒

 アメリカ人の下で教育制度は三つの普通の標準に︑即ち四年の初等教育部︑三年の中等部︑四年の高等学校の       \部の三つに分たれた︒

 一︑二年制大学︵短期大学︶程度のコースが又次の諸学校に於て授けられた︒つまり﹁ブイリッピン普通学校

﹂ 爵①℃三一昼bぼ①2霞二巴ω︒ずOO一 ︵お2︶ ﹁ブイリッピン技術及び職業学校﹂ 葺①勺三一言づぎΦω90巳

亀﹀コωき鳥日義qΦω ︵お〇一︶︑ ﹁フイリッピン海員学校﹂爵Φ℃三一首bぎ①空心寓8一ω︒げoo一︵お9︶ 及び

   フイリツピンにおける会計事情      ・     二七一

(6)

   研究年報       二七二

﹁フイリッピン商業学校﹂ 昏︒勺三一甘bヨ①︐ω90︒一︒hOoヨ日2ω①︵おO轟︶である︒

 後に政府はいくつかの第二次の普通学.校︑職業学校 ︵a門H塾側①  ωOげOO一ω︶ 及び農業学校を開設した︒一九〇八

年にブイリッピン下院の決議によって︑より高度の学問の為の官立学校を望むブイリッピン人の夢が実現してブ

イリッピソ人の大学が創設された︒この期間中に同様に私立学校の設立が著しかったので入学するにも楽であっ

た︒ 一九〇〇年に爵①ぎω江ε8餌①竃働盛①の層象8︒傷①寓目巳一P及びOo一①ひqざ藍碧8口第一︵現在︑国立大学︶

が創立された︒ ω9︒昌じdo恥9・Oo一一Φαq㊦やω野鼠き圏ω旨旨① ︵現在大学︶が一九〇一年に創立された︒他の諸

学校が次々に生じた︒ 即ち︑ O①昌霞︒国ω8冨乙①ω登霞一冨ω ︵現在大学︶が一九〇七年に︑ U①冨ω巴一⑦

Oo一一①σQ①が一九一一年に厨︒︒什津暮︒山①二一艮冨 ︵現在大学︶が一九一四年に岡目国帥挙世口Oo=①ひqΦ︵一九二八

年に設立された会計︑経営︑財政協会︵けげ① HPωけ一団β汁O Oh ︾OOOβ自傷oo しd鐸ω一﹈P①ωω ①﹈P匹 国一 9﹈PO①︶と一九三三年

に合併して後現在大学となっている︒︶が一九一四年に︑そして靹︒ω①空Np︒一〇〇=①σqoが一九一九年に又この期

間中に沢山の女学校が存在し始めた︒しかしながら︑この期間中には専門としての会計教育は真面目に注意する

に値しなかった︒教育に於ける諸コース及び芸術︵技術︶も豊実質的な登録をされたが商業︵特に会計教育︶は

傍系に属している︒

 法三一〇五号が一九二三年三月十七月に︑次いで一九二五年に法三二六四号が通過して始めて専門としての会

計がそれまでの名もない存在から出現して来たのである︒一九二三年三月十七日に先だってより以前には誰でも

公認会計士︵ρ℃●︾●︶を開業するに自由であったが︑法三一〇五号の通過後は︑公認会計士の開業は公認会計

士の称号を持っている人々に限られた︒この法が専門としての会計教育に於ける関心を刺戟し允︒

(7)

 しかしながら︑当時色々な学校︑単科大学︵Oo一一①σqo︶や総合大学︵d堅くΦ霊一翼︶のコースの中に会計学の講

座がなかったと考えるべきではない︒例えば早くも一九〇六年目簿記がブイリッピン商業学校︵現在ブイリッピ

ン商業単科大学となっている︒︶のカリキュラムで主な学科となっていた︒一九一六年にフイリッピン人の大学は

Ooコ①σqΦoh象ho目9︒一諺吋冨の経済学部でOo=ΦひqΦの第三年から会計コースを提供した︒

カリキュラムの重要かつ肝要な一部として会計の科目を設けた最初の学校は最初のブイリッピン人会計士の一人

置ざ︒口$対質げ㊦一轍匂︒ω①によって一九一九年に設立された空N巴Oo一一Φoq①爵Φであった︒開講されたコースは

次の如きものであった︒つまり会計学入門︑会計原則︑中級会計学︑上級会計学︑会計制度︑原価計算原則︑外

国貿易会計︑会計実務︑監査原則及び上級監査である︒ブイリッピゾの会計教育史に於けるもう一つの最初の学

校は局p︒目国β︒ω8旨d巳β巽巴身である︒ この学校は会計に関する専門的訓練を与える目的をもって建設され

た︒従ってこの学校の最初の名前は同口ω寓言8鼠︾ooo信ヨp︒昌︒畷であった︒この協会は一九二八年に前ブイリ

ッピン大学の︵岳Φd巳ロΦ屋一畳oh夢①勺げ一一甘b貯①¢︶経済学部長の故2一〇9け︒目口Φ団①9 吋江口9ωooU艶亭

冨P O一①日①暮① dωo口及び他に二人を加えた人々によって創設された︒荘①ぎω葺暮︒ oh ︾80ロ転け9︒昌︒嘱

は後に冒ω菖葺80h︾oooq暮ωゆ自︒︒ぎ︒のωき自団団9・昌︒①︶と改名された︒その後一九三三年に極東単科大学

︵葺①国母国聾ω$500一一︒αq①︶との合併の後︑極東大学︵夢︒周錠国霧富ヨd巳<o屋津団︶となった︒会計教

育を中心としながら専門学校程度の全ての可能な研究コースを実際にそなえている大学は今日迄繁栄した︒

 一つづつより古い学校が恐らく有資格公認会計士になる為に必要と漸次認められるものに応じて研究の特殊専

門コースとして会計学を設けた︒つまり荘①09Φσeδ傷︒ωき冒きαΦピ①#僧口が一九三六年に︑爵Φ﹀富昌①o

Oo﹈≦o昌鵠9も一九三六.年に︑ 爵Φd巳くΦ同︒・津矯ohω9昌O碧一〇ωは一九三七年に︵一五九五年に 荘ΦOoδσeδ

    ブイリッピンにおける会計事情      .       二七三

(8)

   研究 年報    ・      二七四

α①ω9ロロαΦho昌ωoとして創設された︶︑そして夢Φd巳くΦ目ω一重ohω鋤口8目︒日天ωが早くも一九三五年中設

けた︒ 第二次大戦中大部分の学校が閉鎖されたが︑又は入学が制限された為に実施が切詰めちれたのでブイリッピソ

に於ける会計教育の発展がさまたげられた︒

の第二次世界戦争後独立後

 一九四五年二月に於けるフイリッピンの解放後︑教育に対するブイリッピン人の封ぜられた望みが放免きれ

た︒商業コース︑特に会計教育が研究の最も通俗的なコースの一つとなった︒これは恐らく国を破壊した戦争の

直接の結果であったであろう︒大戦中研究を中止した事が︑より賢明な戦後の学生達に︑次の様な事を感じさせ

た︒即ち︑自分達は法律学や医学の様な古い専門職業に必要な比較的長い研究年月を与える事は出来ないこと︒

又戦争は大多数の復帰学生に戦前の観念論的流行とは著しく異って学生達は彼等の投資に早期回牧を欲するよう

になって経済というものを自覚させた︒恐らく又差迫ったブイリッピンの独立が︑ ︵ブイリッピンは一九四六年

七月四日中独立共和国となった︒︶コースの選択に関して影響を及ぼしたかもしれない︒すぐ前の十年間に於て︑

ブイリッピンは独立のための政争の渦中に投げ込まれた︒しかし政治的解放がもう切迫した現実となったのであ

るから﹁祖国の願望﹂はボソヤリ見えていた経済戦争に対してかりたてられた︒しかし乍らコースの選択の変更

に対する説明は次の如くである︒即ち︑賢明な復帰学生達は大部分が戦後多くなった色んな軍事会社に雇われ︑

かくて彼等は時代の要求するコースには入籍する事が出来なかった︒理由がどの様なものであれ︑その時以来会

計教育は学生が国の諸学校︑単科大学︑大学に入るコースの最前部にあったのである︒この要求を充たすために

(9)

休戦曝すぐ新しい商業学校や単科大学が活躍した︒これらの学校の多くは数年由なくなり︑残ったものは僅かで

ある︒残った学校の一つは爵①d叩く興ω騨団oh誓①国潜︒・什である︒ 一九四六年のブイリッピン共和国の大統領

就任式後数ヵ月して極東大学創立者の一人である国茜づ9の60∪9︒冨bきによって創立された︒

 一九四六年の公認会計士試験の為に準備していた一一〇人の商業卒業生の最初の学級から始まって︑ブイリッ

ピソ商業及び︑経営専門学校︵蓬①弓三一甘︾言①︒o離①αqo︒圃O︒ヨ日28望外ゆβω百①のω︾数目一且ω#讐一8︶と

してよく知られている大学の商業学部︵爵ΦOo=①ひqΦohOoヨ5Φおoo団爵①dξ<o目ω津嘱︶は一九四六年冬三五

〇名の学生の入学から︑一九四七年から一九四八年にわたる学年の第一学期に約一四︑○○○名の学生に迄大き

くなった︒色んな姉妹単位︵ω一〇〇什Φ目 信昌一什ω︶と一緒にこの学校は一九五〇年総合大学の地位に昇格した︒

 七つの他の学部と現在その大学によってなされている技術単位︵け①Oゴ﹈ρ一〇9一 上巳島巡︒陰︶にも拘らず商学部はこの

学校の中心として学部︵Oo一一Φ晦Φ︶に入学した学生の大多数は会計を専攻科目としているのである︒ ︵註1︶

 ブイリッピン大学︵島odづ冒︒屋青月oh夢①℃三一甘二会Φω︶やブイリッピン商業単科大学︵荘Φ ℃ぼ一首づ貯①

Oσ一一①αq①ohOo日ヨ巽8︶の如き国有の教育機関に加えて私立学校連盟︵爵①じd霞$ロoh℃良く90国αq8菖︒口︶

の昨年の正式報告に依れば︑今日専門学校程度のコースを設けている私立の単科大学や大学が三四〇ある︒この

中一一六の学校が商業課程を設けており商業課程を持っている大多数の学校が会計を設けている︒   ︐

 この様な歴史的概略を示す次のものは会計教育課程に関する私的な教育機関からの部分的な回答を表.にしたも

のである︒

フイリツピンにおける会計事情二七五

(10)

研究年︑葦囲七六

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ブイリッピンにおける会計事情ご七七

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三︑会計教育における当面の諸問題

 ブイリッピソ教育学における基本的問題として︑会計教育特に実業教育を実行するとき︑わが国の実業教育に

ても充てばまる教養課目と専門課目との関連の問題である︒

 フイリッピソに於いては︑一部の教育者は最後の専門教育に対する基礎として︑大学二年岡に広い教養諸課目

が必要であることを信じている︒実務界からの急迫した要求を知っている限られた教育指導者のみが早期の専門

教育を激しく主張するのである︒後者の人達は学生が卒業して専門家としての成長と共に教養的な面での拡がり

をも身につけていくのを望んでいるわけである︒         

 会計専門家には広い教養的基礎が必要であると信ずる前者の人々は︑もし会計専門家が実業の第一線に立つこ

とを期待するならば︑論理的にものを考え指導権を握る能力をもたねばならないと主張する︒そしてこの能力は

教養科目によって一層確実に自己のものとなると考えられているのである︒反対に早期の専門教育を主張する人

々は良き会計専門家となるには︑必然的に大部分の教養科目を排除して能う限り会計学に努力を集中しなければ

ならないと思っているのである︒

 経理関係の求職者を選考する場合︑多くの実業家は応募者の有する一般教養よりも会計素養に深い関心を払う

ものである︒雇う方からすれば︑一般的な精神的教養よりも直ちに役立つ技能に一層の感銘を容易に受けるので

ある︒しかし早晩雇用者はそうして雇った人達が自ら決定し指揮せねばならぬ事柄に出あってもよく対処し得ぬ

事実を知って失望するものである︒欧米では経営者がこの点に相当考慮を払っている︒教養科目の教育が専門的

実務にとって必須のものであるということは︑欧米の経営者の間では広く認めるところとなりつつある︒この方

   フイリツピンにおける会計事情         ・      二七九

(14)

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面に関する調査と統計によると︑教養科目の素養のある人々は専門教育を受けた人々に技能的に容易に追いつい

て行けるばかりでなく︑しばらくすれば実務の発展のなかで後者を凌駕すらするということである︒そこでこう

した事実に気のつき始めた各商科大学は︑他の単科大学と同様に︑その課程に修正を加えつつある︒フイリッピ      ︵註1︑2︑3︶ンにおいても同様の傾向がここ二︑三年来現れて来ている︒それは大学における学科課程を見れば判肥する︒

 原始的農業から今日の大量生産に至る商業や工業の発達を学生に理解させ︑きらに将来の発展に備えさせるた

めには︑実業教育において積極的かつダイナミックな学科編成を必要とする︒一九五七年二月に私立学校連盟は

全国的規模による教育指導者会議を開き︑その会議にふさわしい﹁ブイリッピンの転換期における私立学校の責

任﹂というテーマを採り上げた︒

 この協議会における数ケ月の審議の後︑実業教育に関する委員会は︑学士になるのに現在大部分の学校が課し

ている最低一二〇単位に比較して︑少くとも一六五単位を課する統一的学科編成を採択した︒さらにその後設け

られたスペイン語一二単位を加えると︑一九五八年の新学年から︑会計学の学生は﹁経営学士﹂またはそれと同

様の資格で卒業するためには︑総計一七七単位を履修しなければならない︒私学連盟案による商学関係学科目編

成を示すと左の如し︒

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   ブイリツピンにおける会計事情 二八三

参照

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