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『パディントン』シリーズとその背景

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『パディントン』シリーズとその背景

著者 安藤 聡

雑誌名 大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要

巻 20

ページ 1‑16

発行年 2019‑03‑01

URL http://id.nii.ac.jp/1114/00006684/

(2)

マイケル・ボンド︵一九二六〜二〇一七︶の代表作はやはり﹃パディントン﹄シリーズであろう︒モルモットのオルガ・ダ・ポルガ︑ネズミのサーズデイ︑ライオンのパースリー︵パセリ︶︑ロバのウィンドミル︑あるいは美食家探偵パンプルムッス氏など他にも印象的なキャラクターを創造しているものの︑最も広く深く愛されているのはやはり子熊のパディントンであり︑二〇一七年六月二八日の英国各紙に掲載されたボンドの訃報や追悼記事の見出しにも︵筆者が確認した限り︶

Paddington

の文字がないものはなかった︒﹃パディントン﹄シリーズは一九五八年に第一巻﹃くまのパディントン﹄︵

A Bear Called Paddington

1が出版されたのを皮切りに︑一章完結型の物語集十四巻に加えて一九七二年に始まった絵本のシリーズがフレッド・バンベリー︑デイヴィッド・マッキー︑

R

の挿話集が二巻︑パディントンからペルーの伯母宛てという よる︶︒他にもBBCテレビの子供番組﹃ブルー・ピーター﹄ 数点ずつ制作されている︵いずれもテクストはボンド自身に

W

・アリーといった画家によって キーワードマイケル・ボンド

  ﹃パディントン﹄

︑英国的なるもの︑移民︑他者性

設定の書簡集が一巻︑それに料理本やロンドン観光案内書など関連書籍が多数出版された︒二〇一八年に遺稿﹃パディントン︑セント・ポール大聖堂に行く﹄ 2がアリーの絵によって絵本化され出版されたので︑このシリーズは六十年続いたことになる︒この六十年間でその物語世界にはこれと言って大きな変化は見られず︑パディントンのみならず主な登場人物の年齢設定も︵途中で幾度か誕生日を迎えている割に表向きには︶特に変わらず︑オイスター・カード︵ロンドンの鉄道とバスのプリペイドカード︶やロンドン・アイ︵観覧車︶への言及があったり脇役の人物がコンピューターや携帯電話を使う場面があったりする他は当初と変わらない世界が一貫して描かれている︒本稿では物語集を中心にシリーズ全体を概観し︑その文化的背景や時代背景を考察したい︒

一  シリーズ全体の概要第一巻はペルーから密航して来た子熊がロンドンのパディントン駅でブラウン夫妻と出逢い︑︿パディントン﹀と命名

﹃パディントン﹄シリーズとその背景

   

(3)

されてブラウン家に引き取られるところから物語が始まる︒夫妻は娘ジューディが全寮制学校から帰って来るのを迎えに来て︑古い帽子を被り古いスーツケースを持ったこの子熊を発見し︑声をかけようとすると熊の方から帽子を取って丁重に挨拶する︵それも流暢な英語で︑しかもそれが正統な標準発音であることが文字からも判る︶︒熊は﹁ペルーの最も知られざる辺境﹂︵

Darkest Peru

︶から来たと言い︑親代わりだった伯母が﹁熊の養老院﹂︵

home for retired bears ︱

後の巻では大文字表記︶に入るのを機に英国に移住するべく客船の救命ボートに隠れて密航して来たと説明する︵一一︶︒首には紐を付けた札が掛けられていて﹁この熊の面倒を見てやって下さい︒お願いします﹂と︵伯母の字で︶書かれていた︵一二︶︒英語や英国式礼儀作法を教えたのも伯母であった︒ブラウン夫人がジューディを迎えに行っている間ブラウン氏はパディントンを駅の食堂に連れて行き︑ジャムとクリームが入った巨大なパンと紅茶を振る舞うが︑夢中になって食べているうちに体中をジャムとクリームで汚したりテーブルの上で転倒して立ち上がろうとして紅茶に片足を突っ込んだりの失態を重ねる︒ブラウン氏は妻と娘と合流し︑慌てて店を出てパディントンを連れ︵運転手に嫌がられつつも︶タクシーに乗って帰宅する︒ここまでが第一章であり︑続く第二章でパディントンは家政婦バード夫人に迎えられ︑荷を解く暇もなく風呂に入れられるが︑英国式の深い浴槽に不慣れなため溺死しかけてジューディと兄ジョナサンに救出される︒最初の絵本 ﹃パディントン・ベア﹄はこの第一章と第二章をより平易な英語で書き改め︑バンベリーの水彩画を添えたものであった︒第三章では翌朝ブラウン夫人とジューディに連れられて地下鉄で買い物に行き︑地下鉄に乗る前に駅のエスカレーターで騒動を起こし︑第四章では行った先の百貨店で図らずも見世物になって客を集め支配人に感謝される︒こうして一時的な滞在の予定だったパディントンはいつしかブラウン家の重要な一員となり︑ロンドンの典型的な中産階級家庭で様々な英国的経験︵ペルーの辺境では不可能だった経験︶を享受することになる︒このように︑それぞれの章でパディントンは大抵︵意図せずに︶何らかのスラップスティックを演じることになるのだが︑それは常に彼の無知や純粋な好奇心や正義感や善意に基づく行動に端を発するのであり︑最終的には偶然に助けられて彼にとっても周囲の者たちにとっても好ましい結果に終わることが多い︒これがこのシリーズの各章で展開する物語の基本構造であり︑それぞれの巻は七章︵第一巻のみ八章︶で構成されている︒例えば第一巻第六章では一家で観劇に行った際︑パディントンは舞台上の物語を真に受けて主演のサー・シーリー・ブルームを﹁娘を一文無しで追い出した非情な地主﹂だと思い込み︑休憩時間に楽屋に押しかけてサー・シーリーに苦言を呈する︒だがこれが結果的にその日調子が悪かったこの名優をスランプから救い出し︑舞台を大成功に導く︒第三巻﹃パディントンのお手伝い︵パディントンの一

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周年記念︶﹄︵

Paddington Helps Out

一九六〇︶第七章ではパディントンの﹁夏の誕生日﹂を祝うためにブラウン氏が家族︵とパディントンの親友の骨董店店主グルーバー氏︶を老舗ホテルのレストランに連れて行き︑パディントンがメニューにない好物のマーマレイド・サンドウィッチを注文してウェイターを怒らせたり小さな玉葱をフォークで刺そうとして手元が狂い飛んで行った玉葱が近くで演奏していたサックス奏者のサックスに入ってしまったりなどの波瀾の末︑グルーバー氏が注文したオムレツのフランベイを発火事故と勘違いしたパディントンが水を掛けて火を消してしまい︑駈けつけた支配人に追い出されそうになる︒だが隣のテーブルには大手マーマレイド会社を経営するサー・ハントリー・マーティン︵この店の上客︶がいて︑マーマレイド・サンドウィッチ を注文したところからパディントンを気に入っていたこの人物がその場を収め︑ブラウン一家と懇意になる︒後日︑パディントンがサー・ハントリーのマーマレイド工場に招待される話が第六巻﹃パディントンが行く︵パディントンの煙突掃除︶﹄︵

Paddington Mar ches On

一九六四︶の第二章にある︒第一巻は夏休みの始まりから終わりまでを綴る︒親友グルーバー氏や嫌われ者の隣人カリー氏もこの巻以後ほぼ全巻に登場する︵フランスを主な舞台とする第四巻では︑前者は旅行計画の相談役として重要な役割を担うが後者は登場しない︶︒第一巻は他に百貨店での買い物や観劇の他に地元の素人絵画展や海水浴︑そしてパディントンの誕生日などの話を含む︒第八章でパディントンがブラウン家に来て二カ月経ったことを祝い︑この日を彼の誕生日とするが︑これは後の巻と矛盾する︒夏休みの始まりの二カ月後ということは︑パディントンの﹁夏の誕生日﹂は晩夏か初秋のどこかのはずなのに後の巻では六月二五日ということになっている︒このような齟齬は長く続くシリーズの宿命ではあるが︒第二巻﹃パディントンのさらなる物語︵パディントンのクリスマス︶﹄︵

Mor e About Paddington

一九五九︶は夏の終わりからクリスマスまでの物語で︑古いカメラでの家族写真撮影︑部屋の改装︑探偵の真似事︑ガイ・フォークス・デイ︵一一月五日︶︑雪の日にパディントンが風邪をこじらせる話︑そしてクリスマスの買い物とブラウン家でのパーティーの話で構成されている︒続く第三巻にはテムズ河畔でのピクニック︑

セント・メアリーズ・スクエアにあるボンド とパディントンの彫像

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グルーバー氏と行く骨董品の競売︑日曜大工︑映画館︑料理︵ブラウン夫妻が病気のためパディントンが食事を用意する顛末︶︑コインランドリー︑そして先に言及した一周年記念の外食の話が収録されている︒第四巻﹃パディントンの海外旅行︵パディントン︑フランスへ︶﹄︵

Paddington Abr oad

一九六一︶はブラウン一家が夏の休暇をフランス北西部の海辺で過ごす話で︑一章で一つの﹁事件﹂が完結するものの︑全七章は緩やかに連続している︒第五巻﹃パディントン自由行動中︵パディントンとテレビ︶﹄︵

Paddington at Lar ge

一九六二︶は秋から冬にかけての時期に設定され︑一章から順にブラウン家の庭の菜園︑ピクニックと野外コンサート︑テレビアンテナ設置工事︑テレビのクイズ番組出演︑トフィー作り︑クリスマスの準備︑パントマイム︵劇︶について語る︒続く第六巻では先に触れたマーマレイド工場見学の他に雪の日の水道管凍結︑春の大掃除︑グルーバー氏とのミステリー・ツアー参加︑ジョナサンの学校のクリケット大会︑海辺の町での﹁人探し﹂︑パディントンの三周年記念パーティーの話が綴られる︒第七巻﹃パディントン作業中︵パディントン妙技公開︶﹄︵

Paddington at W ork

一九六六︶では前の第六巻の最終章で三周年を記念してペルー旅行を贈呈されたパディントンがペルーからの帰りの船でロンドンに近付いているところから始まり︑サプライズのために最後の停泊地から乗り込んだブラウン家の人々と船内でパーティーを楽しみ︑帰国後は詐欺師に偽物の株券を掴ま され︑その詐欺師は︵パディントンの手柄で︶程なく逮捕され︑カリー氏の台所の改装に巻き込まれ︑小遣い稼ぎのために理髪店で働いていてグルーバー氏を訪ねて来た米国人古物商と偶然知り合い︑最終章ではジューディの学校の舞踏観賞会に招かれる︒第八巻﹃パディントン町へ行く﹄︵

Paddington Goes to T own

一九六八︶は第五巻第七章のパントマイムで活躍した食料品店店員の青年が結婚する話に始まり︑カリー氏のゴルフに付き合わされ︑そこでカリー氏は負傷して入院し︑退院を拒んで病院に居座り︑グルーバー氏は店の裏庭にパティオを建て︑パディントンはクリスマス・キャロルを歌いに行ってパーティーに巻き込まれ︑最後はブラウン家全員とグルーバー氏で街のクリスマスの照明を見に行き大道芸人とちょっとした悶着を起こす話で終わる︒第九巻﹃パディントン外出中︵パディントンのラストダンス︶﹄︵

Paddington T akes the Air

一九七〇︶は歯医者︑古いミシン︑ジューディの学校での馬術競技会︑グルーバー氏が入手した蒸気自動車︑探偵ごっこ︑レストラン評論家︑クリスマス舞踏会のエピソードが並ぶ︒続く第十巻﹃パディントン絶好調︵パディントンの大切な家族︶﹄︵

Paddington on T op

一九七四︶でパディントンは視学官の指導で小学校に入学させられ︵教師の手に負えず自宅待機となり︶︑怪しげな実演販売員に掃除機を売りつけられ︑グルーバー氏と法廷を見学に行き︑家族で海に行って水上スキーに挑戦し︑ボディービルディング用の運動器具を購入し︑

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第一章で入学した学校での︵ペルーのチームとの︶ラグビーの試合に招待され︑その試合にペルーチームの応援団として来英した伯母ルーシーと再会を果たす︒第十一巻﹃パディントン試験を受ける﹄︵

Paddington T akes the T est

一九七九︶では干し葡萄のキャッチコピーを書いて車を当てようとしたパディントンが運転免許の試験を受ける羽目になったり︑カリー氏のハンモックを巡る騒動に巻き込まれたり︑グルーバー氏とカントリー・ハウスを訪ねそこの有名なレストランで椿事を巻き起こしたり︑ボーイ・スカウトの慈善活動に参加したり︑寒いアトリエでモデルを勤めたり︑ブラウン氏の誕生日のサプライズとして庭に設置したサウナにカリー氏が忍び込んで騒ぎになったり︑クリスマスのパントマイムを見に行って余興の奇術に参加したりする話が続く︒この最終章の冒頭で語り手はパディントンが﹁パントマイムに行ったことはそれまでに一度もない﹂と明言している︵一一二︶が︑第五巻の第七章で行っている︒これも長いシリーズに付きものの齟齬の一例であろう︒﹃パディントン試験を受ける﹄から二十九年を経て二〇〇八年に第十二巻﹃パディントン今ここで︵パディントンのどろぼう退治︶﹄︵

Paddington Her e and Now

︶がシリーズ五十周年を記念して出版された︵この間に﹃ブルー・ピーター﹄シリーズ第二巻とマッキーの絵本数点が上梓されている︶︒この巻ではパディントンの車輪付き買物籠の﹁駐車違反﹂︑近所で噂の空き巣﹁水道管男﹂︑グルーバー氏が入荷した自動演奏 ピアノ︑ハロウィーンのパーティー︑移民の実態調査︑叔父パステューゾウの突然の来訪︑そして叔父の招待によるロンドン・アイでの観光の話が綴られる︒続く第十三巻﹃パディントン先頭を走る︵パディントン︑映画に出る︶﹄︵

Paddington Races Ahead

︶は二〇一二年に出版されたためかロンドン・オリンピックに関連する話が目立つ︒パディントンの石庭とカリー氏の誕生日︑コラージュとオイスター・カード︑春の大掃除と南米のケーキのレシピなどの話に始まり︑グルーバー氏の店に向かって疾走するパディントンが練習中のオリンピック選手と間違われ︑その気になった彼は独自に練習を始め︑ペルーから映画監督が訪ねて来て彼は障害走選手役で出演することになる︒他にグルーバー氏︑ジョナサン︑ジューディとピクニックに行って﹃ハムレット﹄の野外劇を垣間見る話もある︒そして第十四巻﹃パディントンの最高の時間﹄︵

Paddington’ s Finest Hour

二〇一七︶では大雨のため車を止めて待機していたブラウン一家が警察官に因縁をつけられる話に始まり︑春が来てパディントンが石庭を作ったり︑その石庭を妬んで模倣したカリー氏と﹁春の庭コンテスト﹂で同点一位になったり︑グルーバー氏の誕生日会をブラウン家で開催し手品を披露したり︑テレビの料理番組に出演したり︑庭が注目を浴びて調子に乗ったカリー氏が醜態を晒したり︑一家で﹁ヴァラエティ・ショウ﹂を見に行って催眠術師にパディントンの得意の﹁睨み﹂で図らずも催眠術を掛けてしまったりといった物語を含む︒

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このシリーズでは言葉を話し人間のように振る舞う子熊という﹁非現実的﹂存在がロンドンのブラウン家という﹁日常﹂に設定されていて︑例えば

︵一九〇二︶から

E

・ネズビットの﹃砂の妖精﹄

P

の﹁契約﹂の段階を飛ばして途中の巻から︵あるいは第一巻 いうキャラクターはすでによく知られていることもあり︑こ 第一巻から読み始めるのが最良であろうが︑パディントンと ない︒このシリーズを初めて読む読者は︑当然のことながら 夫妻と出逢った瞬間に成立したと考えるのも面白いかも知れ の﹁契約﹂が︑物語の前提としてではなくこの熊がブラウン 作品の世界には言葉を話す熊が存在するという作者と読者と 囲気が身に付いたと考えるのも面白いかも知れないし︑この 員になったことでパディントンに人間界にいても遜色ない雰 読者が飽きてしまうという事情もあろうが︑ブラウン家の一ある 熊が話すことに人々が驚愕する描写を毎回繰り返していたら既に多くの指摘がある通りこのシリーズは優れて英国的で   話すという事実には特に違和感を持っていない︒無論それは︑二パディントンの二面性︱︱英国的なるものと他者性 多くは︵彼の突飛な行動に驚くことはあっても︶熊が言葉を ことに驚いているが︑この後でパディントンと出逢う人物の同時に飽くまでも熊であり続けているという点であろう︒ 会った場面では熊が唐突に言葉を話し人間のように振る舞う間のようでもあり︵しかも時に子供であり時に大人であり︶︑ ように見受けられる︒ブラウン夫妻が最初に駅でこの熊に出ンタジーを成立させる重要な要因の一つはパディントンが人 設定﹂が物語の最初からではなく途中から前提となっているP総合診療医︶の往診を受けている︒この特異な日常ファ 立ちが特異で︑言葉を話す熊の存在という﹁ファンタジー的り付けのスコットランド人と思しきマッカンドルー医師︵G する︒但しこのシリーズではそのファンタジー的世界の成り五章で風邪をこじらせた時にも︵獣医ではなく︶家族の掛か ンズ﹄︵一九三四︶に続く﹁日常ファンタジー﹂の系譜に属ありながら人間と同等に扱われるのであり︑例えば第二巻第

L

・トラヴァースの﹃メアリー・ポピントンは同時代のロンドンのブラウン家の一員として︑熊で 始めても支障ないよう配慮されている︒いずれにせよパディ る人物は初出時に簡単に紹介されるなどいずれの巻から読み の途中の章から︶読み始めても何ら問題はない︒毎回登場す

いるところが英国中産階級的であると言えよう︒春の大掃除︑ ではなく一か所︵この場合ブルターニュの漁村︶に滞在して はフランスでの休暇の話だが︑各地の観光名所を周遊するの の物語は英国的中産階級的生活の見本と言ってよい︒第四巻 グビー︑慈善活動︑カントリー・ハウス見学など︑それぞれ ニック︑日曜大工︑庭作り︑パントマイム︑クリケット︑ラ ティング・ヒル地区に住んでいる︶︑海水浴や川辺でのピク り︵ブラウン氏は金融街に勤める裕福な会社員で︑一家はノッ す方が余程難しいが︶︒ブラウン家は典型的な中産階級であ ︵もっとも英国児童文学の名作に英国的でないものを探 3

(8)

夏の海辺での休日︑ガイ・フォークス・デイ︵後の巻ではハロウィーン︶︑クリスマスなど︑英国の典型的な四季の行事が繰り返されているのみならず︑第一巻第三章の英国式朝食に始まって親友グルーバー氏との﹁午前の茶事﹂︵

elevenses

︶や家庭でのパーティーが頻繁に描写される点など︑このシリーズは細部に至るまで徹頭徹尾英国的である︒例えば第三巻第二章の競売は日常的ではないが極めて英国的であり︑第六巻第四章のミステリー・ツアーや第六章の海辺の人探しも︑前者はビートルズのアルバム﹃マジカル・ミステリー・ツアー﹄︵一九六七︶のタイトル︑後者はグレアム・グリーンの﹃ブライトン・ロック﹄︵一九三八︶の冒頭に見られる通り︑二十世紀中葉の英国の風物であった︒三宅興子氏は﹁くまのパディントン展﹂図録の解説文で︑このシリーズが多くの国々で人気を博している理由として︑作品が英国的であることを指摘している︒ 4パディントンは当初︑英国の生活習慣に不慣れな上に好奇心が旺盛なため様々な混乱を引き起こし︵この傾向は後の巻まで続く︶︑一方で英語や礼儀作法︑あるいはマーマレイドが好物であることなどに象徴される通り極めて英国的な特徴を始めから併せ持っている︒アンジェラ・スミスは主に第一巻を論じる文脈で︑パディントンが﹁他者﹂として﹁支配的文化﹂︵この場合は言うまでもなく英国文化︶と対照的に提示されその﹁他者性﹂︵

Otherness

︶が徹底的に強調されていると主張する︒ 5だがむしろこのシリーズではパディントンの﹁他者性﹂と彼に当初から内包さ れている︵そして後に一層強化される︶﹁イングランド的特質﹂︵

Englishness

︶あるいは﹁英国的特質﹂︵

Britishness

︶との対照に注目した方が面白い︒第一巻前半の浴室や地下鉄駅での﹁事故﹂に代表されるように︑シリーズの始めの方でパディントンが引き起こす騒動は英国の生活習慣に対する無知に起因するものが多かった︒だが英国的生活に順応するに従って︑彼は騒動を引き起こさなくなるどころか逆にその騒動がより複雑化して行く︒スミスの言う通りパディントンの﹁他者性﹂は彼が出身地を﹁ペルーの最も知られざる辺境﹂と自称する度に繰り返し強調されるが︑その意味合いが当初とその後で異なっていることを見落としてはならない︒第一巻第一章で彼がブラウン夫人に出身地を訊かれてこのように答えた際には︑大都会ロンドンの一大ターミナル駅であるパディントン駅の雑踏に対する当惑や密航して来たことに対する後ろめたさも手伝って些か自虐的に﹁ペルーの最も知られざる辺境﹂と言っていた︒だが後の物語で彼が﹁ペルーの最も知られざる辺境﹂出身だと名乗る時には︑ほぼ例外なく強い矜持を含んでいる︒この

Darkest Peru

という﹁成句﹂は最早﹁ダーケスト・ペルー﹂という固有名詞と言っても過言ではなく︑﹁ペルー﹂をわざわざ﹁ダーケスト・ペルー﹂と言い直すことも幾度かあったし︵例えば﹃パディントンのお手伝い﹄二〇︑﹃パディントン今ここで﹄一〇五︶︑彼の台詞でも語りの文でも﹁最も知られざる辺境﹂ではなく明らかにリマを指している時にもこの呼称が用いられることがある︵例えば﹃パ

(9)

ディントン作業中﹄八︶︒第十二巻第一章の﹁駐車違反﹂で警察署に出頭した際︑彼は若い警察官に外国人として扱われたことに気分を害し︑﹁外国人ではありません︒ダーケスト・ペルー出身です﹂と反論している︵一五︶︒この場面でその警官は﹁それが外国人でなければ何が外国人なのか﹂と言い返すものの︑パディントンの﹁とても良い英語﹂に舌を巻いている︒一方第四巻第五章ではブルターニュの村の祭で女占い師に外国人かと言われて﹁外国人ではありません︒イングランドから来ました﹂と応える︵七五︶︒パディントンはイングランドにあっては﹁ダーケスト・ペルー﹂︑フランスにあってはイングランドと︑つねに﹁部外者﹂であり続け︑しかもそのことを誇らしく思っているのみならず︑自分が﹁外国人﹂であるという自覚は微塵も持たない︒外国で自分は外国人ではなくイングランド人だと言い張るのは古くから指摘されるイングランド人の国民的特徴の一つであり︑ 6そうなるとイングランドで﹁外国人ではなくダーケスト・ペルー人だ﹂と言い続けるパディントンは逆説的に極めてイングランド人的だということにもなろう︒いずれにせよ︑パディントンの自己同一性はダーケスト・ペルーとイングランドの双方に基盤を置く︒この意味でグルーバー氏の存在が重要な意味を持つことになろう︒この骨董店店主は東欧からの移民であり︑しかも少年時代の一時期を南米で過ごしている︒つまりパディントンにとっては移民としての立場と南米の記憶という二つの重要 なトピックを共有する年齢の離れた親友に他ならない︒同時にグルーバー氏は古いものを愛し伝統的な価値観と礼儀作法を重んじ変化のない生活を好む一方である種の新しい物も決して嫌いではないという︑並みのイングランド人以上にイングランド人的な人物でもある︒商売柄︑彼の店には古い物が溢れている︒外国のものも無論あるが︑その多くは過去の英国のものであり︑この店内には古き良き時代の英国が温存されていると言っても過言ではない︒パディントンにとってここは最も快適な空間の一つであり︵座り心地の良い馬の毛のソファーの描写が頻繁に繰り返される︶︑彼がこの店での午前の茶事をこよなく愛することはいずれの巻でも強調されていて︑それはイングランド的なるものと他者的なるものの共存というこの両者の特徴を最も顕著に示す場面でもある︒というのは︑彼らがここで過ごす時間は午前十一時の茶事という極めて英国的な習慣でありながら︑しかもそれはこの上なく英国的な空間で行われていながら︑二人が日々愛飲しているのは︵紅茶ではなく︶ココアであるという点に︑英国的︵イングランド的︶なるものと他者的なるものの対照をなした並置という図式が見て取れるからである︒このシリーズにおいては︑本国の読者なら見慣れた風景や生活様式の中でパディントンという﹁特異な﹂存在が活躍する日常ファンタジーを楽しむことが出来るであろうし︑外国の読者はパディントンという﹁他者﹂の目を通して英国文化の﹁特異性﹂を実感することが出来よう︒この主人公が後の

(10)

巻に至ってもその他者性を保持していて︑一面で明らかにイングランドに順応しつつも一面ではダーケスト・ペルーに確固たる誇りを持っていることはスミスも指摘している︒ 8パディントンが他者性を失っていないからこそ︑この作品の英国的特質もそれだけ際立つに違いない︒彼は﹁良い英語﹂を話す一方で綴りが不正確であり︵例えば

soup

soop

と︑

itinerary

eyetinnery

と︑そして自分の名前

Paddington

Padingtun

と綴るが︑正しく綴れる数少ない﹁長い﹂単語に

marmalade

elevenses

がある︶︑こういう点にも彼の二面性が顕われていると言える︒

三  時代背景︱︱過去と現在の対照このシリーズは一九五八年に第一巻が出版され︑第五巻までは毎年一作品︑その後第十巻までが二年に一作品の頻度で発表された︒第十巻と第十一巻の間には五年︑第十一巻と第十二巻の間には二十九年の空白期間がある︒さらに第十二巻と第十三巻は四年︑第十三巻と第十四巻は五年を置いて出版されている︒三十年近いブランクを挟んでいるためか第十二巻﹃パディントン今ここで﹄以降は︵挿絵がフォートナムからアリーに代わっていることも手伝って︶些か印象が異なるものの︑既に言及した通り細部を除いて物語世界の全体像は六十年続いたシリーズにしては驚くほど変わっていない︒第一巻は第二次世界大戦後の労働力不足を背景に移民が急増した時期に書かれていて︑パディントン自身も一種の移民 に他ならない︒舞台となるノッティング・ヒル地区は十九世紀後半に広いテラスハウスが林立する郊外住宅地となり︑第二次世界大戦後は召使いを雇うことが難しくなった中産階級に敬遠され︑広い家を分割して賃貸するようになったため移民が多く住んだ︒移民の増加に反感を持った白人の若年層が移民に暴行を加えたことに始まるいわゆる﹁ノッティング・ヒル暴動﹂が勃発したのは奇しくも第一巻出版の直前であった︒この作品が実際に書かれたのは一九五七年初頭のごく短い期間だが︵﹃くまのパディントン﹄の近年の版に添えられた﹁後記﹂でボンド自身が述べているように︑この巻の大部分は十日間で書かれている︶ 8︑当時のこの地区における移民の増加とそれに伴う多文化化が物語の背景として重要な意味を持っているに違いない︒パディントン︵とグルーバー氏︶は一面では移民擁護論を体現する存在なのである︒このような形で時代を反映しつつも︑第一巻出版の時点で既にこの物語の世界は当時としてもかなり古風であった︒ボンドがその﹁後記﹂で証言している通り︑パディントンの冒険の舞台は常に同時代だがブラウン家は戦前の平和な家庭のイメージであり︑ボンド自身の幼年時代の記憶に基づいている︒

ンデント﹄紙に掲載されたボンドの追悼記事において︑この 理学者・児童文学研究家ニコラス・タッカーも﹃インディペ なった現代世界からの逃避であるとも言っている︒英国の心 10 ヴューにおいて︑このシリーズは人々が無作法で不寛容に ボンドはまた︑二〇〇七年に﹃テレグラフ﹄紙のインタ 9

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作品が今日的な社会問題をまだ知らない快適な戦前の英国を舞台としている︑と指摘する︒ 11一九五〇年代のノッティング・ヒルを舞台に︑バード夫人という有能な家政婦がいる典型的な中産階級のブラウン家を描いていること自体が︑ある種のアナクロニズムであったと言えよう︒しかも周辺の住民もグルーバー氏など一部の例外を除いて多くは普通の英国人であるし︑地下鉄の駅員やバスの運転手など移民やその子孫が多く就業する業界の人々にも移民やその子孫らしき人物は見当たらない︵もっとも移民やその子孫でないとも書かれていないが︑多くはその英語の特徴を見る限り典型的なロンドンの下町出身の労働者階級の人々

いわゆるコックニー

である︶︒いずれにせよ︑第一巻を執筆した時ボンドは三十代初頭だったので︑幼年時代の記憶を基に書かれたブラウン家は執筆当時から見て二十余年前の英国の中産階級家庭のイメージを温存しているということであろう︒このようにブラウン家やその周辺地域には戦前の英国が偲ばれるが︑物語の舞台はあくまでも同時代のロンドンである︒同時代性を保持するためか︑特に初期の巻は版を重ねるたびに細部が改訂されている︒周知の通り英国では一九七一年に百ペンスで一ポンドという現在の十進法の通貨単位に変更されていて︑それ以前は十二ペンスで一シリング︑二十シリングで一ポンドという複雑なシステムであった︒そのため始めの数巻では金額の記述に旧貨幣単位が使われていて︑それが後の版では十進法に改められている︒﹃ガーディアン﹄の記 者ヴェロニカ・ホーウェルは﹁後の版では通貨単位を十進法に改めたり小遣いの額を増やしたりしているが︑これは賢明でない︒﹃くまのプーさん﹄の百エイカーの森と同様︑パディントンの世界もインフレごときに影響されるものではない﹂と述べている︒ 12スミスもこのことについて︑当初の版における劇的効果を損ねる︑と批判する︒ 13ホーウェルが併せて言及しているように︑十進法への書き換えのみならず後の版では金額も上げられていて︑例えば一九八九年版の第一巻第二章ではパディントンの小遣いは︵ジョナサン︑ジューディと同様︶週五十ペンスということになっているが︑二〇〇三年版では一ポンドに値上げされている︵初版では一シリング六ペンス︶︒同様に第三章では地下鉄の乗車賃が二十ペンスから八十ペンスに︑第六章の劇場の貸出用オペラグラスも十ペンスから二十ペンスに上昇している︵初版ではそれぞれ四ペンスと六ペンス︶︒だがいくら書き換えてもインフレ率の高い英国の物価上昇には追い付かない︒本稿執筆時のロンドン地下鉄の初乗り運賃は大人四ポンド九十ペンス︑子供︵十歳以下︶二ポンド四十ペンスである︒いずれにせよ︑成功しているかどうかは別にしても︑このような書き換えはパディントンの世界を﹁過去﹂にしないための配慮であると考えられよう︒第二巻第七章でパディントンがクリスマス・プディングに硬貨を発見し︑それを﹁骨﹂と称する場面︵一一六︶については︑当初の版で六ペンスだったのが後に五ペンスに書き換えられている︒これは書き換えられて金額が下がった珍し

(12)

い例であるが︑十進法導入によって六ペンス硬貨が廃止された結果である︒同時代的感覚を保持するための書き換えは通貨単位や金額に留まらない︒例えば第一巻第一章冒頭のパディントン駅の描写も︑当初の﹁汽車が汽笛を︑タクシーが警笛を響かせ︑赤帽たち︵

porters

︶が互いに叫び合いながら走り回っていた﹂︵一九八九年版︑九︶という箇所が﹁列車がエンジンを唸らせ︑スピーカーの声が響き渡り︑赤帽たちが互いに叫び合いながら走り回っていた﹂︵二〇〇三年版︑八︶と書き換えられている︒一九五八年当時はまだ残っていたであろう蒸気機関車がその後ディーゼル列車に置き換えられ︵一部を除いて最近まで電化されていなかった︶︑駅の中︵プラットフォーム上︶にあったタクシー乗り場が二十世紀末頃に廃止された︵ヒースロウ・エクスプレス開通に際してのプラットフォーム増設のため︶︒むしろ赤帽の部分が書き換えられていないのが奇跡とも言えよう︒パディントンがいた場所も当初は﹁郵便袋の山の後ろ﹂︵一〇︶だったのが現行の版では﹁自転車置き場の近く﹂︵八︶になっている︵当然のことながら英国でもかつては鉄道が郵便輸送の主役であった︶︒一方で例えば第二章末尾近くの暖炉の火︵都市部での暖炉使用は一九六〇年代に禁止されている︶や第三章冒頭近くのベッドでの英国式朝食︵家政婦やメイドとともに廃れた習慣︶などは書き換えられず残っているが︑これらも過去の英国の風物となって久しい︒先にイングランド的要素と他者性の対照をなした並置 をこのシリーズの特徴の一つとして指摘したが︑同様に同時代性と古き良き英国の雰囲気が絶妙な均衡で共存しているのもこのシリーズの特徴であると言える︒第一巻冒頭の首から札を下げて駅で途方に暮れているパディントンのイメージは︑第二次世界大戦初期にレディング駅で見た疎開児童の記憶を基にしていると︑ボンド自身がインタヴューで述懐している︵児童たちは住所氏名を書いた札を首から下げスーツケースを持っていた︶︒ 14第一巻第四章で訪れた百貨店の地下では政府払下品の特売を行っている︵第一巻執筆当時︑ボンド自身が配給余剰品のダッフルコートとブッシュ・ハットをいつも着用していたという︒このことも同じインタヴューで語られている︶︒このように︑終戦の十三年後に出版された第一巻には意外なほど戦争が大きく影を落としている︒一方で第三巻第六章ではパディント

タクシーが乗り入れていた頃のパディントン駅

(13)

ンがコインランドリー︵

launderette

︶で椿事を引き起こすが︑英国初のコインランドリーがノッティング・ヒルから遠くないベイズウォーター地区に開店したのは第一巻出版の数年前のことであった︒このコインランドリーは店員が複数常駐しているなど︑現在のそれとは些か様相が異なっている︒第一巻第六章で劇場に行く際にも︑自家用車で行って劇場の近く︵のおそらくは路上︶に駐車しているが︑このようなことも現在では考えられない︒この時にバード夫人は﹁一人静かにラジオを聴いていたい﹂という理由で同行していない︵ここでは

radio

ではなく

wireless

という古風で上流階級的な言葉が使われている

八三︶︒この時点でブラウン家にテレビは存在せず︑第五巻第三章で初めてアンテナ設置工事が行われ︑この家にテレビが導入された︒英国で自家用車や各種家電製品が普及し始めたのは一九五〇年代から六〇年代にかけてであり︑ブラウン家もこうして僅かずつ時流に乗って変化しているのである︒二十九年の空白期間を挟む第十二巻以降は︑ブラウン家やその周辺の人間模様はさほど変わっていないものの︑新たな同時代的要素がその作品世界に入り込んでいる︒例えば第十二巻第四章はハロウィーンの話で︑それはすでにロンドンに来て久しいパディントンにとっての初めてのハロウィーンであった︒同じ時期の年中行事として第二巻第四章や第九巻第五章にガイ・フォークス・デイ︵ボンファイアー・ナイト︶の挿話がある︒歴史に造詣の深いジャーナリストのコリン・ ジョイスは二〇一一年に出版された本の中で﹁英国では最近の十年でガイ・フォークス・デイがハロウィーンに駆逐された﹂と証言している︒

︵非常時用にいつも磨いて携帯しているもの︶でバスに乗ろ れない︒第十三巻第二章でパディントンは古い六ペンス硬貨 〜一六五︶︒これは意図的に加えられた同時代性なのかも知 パディントンにとってまったく違ったものに見える︵一六四 これまでにすっかり見慣れていたロンドンのランドマークが ガム宮殿やロンドン塔︑あるいはセント・ポール大聖堂など︑ 切っている︒夕暮れ時のロンドン・アイから見るとバッキン 叔父は二十五人乗りの透明のカプセル型観覧車を一基借り 界最大級のものであり︑アンデス山脈に金鉱を所有するこの るこの大観覧車は二〇〇〇年に開業した︵当時としては︶世 ルーバー氏をロンドン・アイに招待する︒テムズ川南岸にあ ねて来て︑第七章ではサプライズとしてブラウン家全員とグ 叔父パステューゾウがリムジンに乗って突然ブラウン家を訪 第六章ではパディントンの︵長年行方不明とされていた︶ くなっていることも否定できない︒ の挿話に象徴されるように︑始めの方の巻より世界が世知辛 た近年の現象と考えるのが自然であろう︒また﹁駐車違反﹂ て︑これはハロウィーンがボンファイアー・ナイトを淘汰し この巻にはガイ・フォークス・デイの挿話がないこともあっ パーティーを行っていたことが暗示されている︵八二︶が︑ ジューディがごく小さい頃にブラウン家でハロウィーン・ 第十二巻第四章ではジョナサンと 15

(14)

うとして運転手に止められている︒このことに象徴されるように︑この主人公には時代の変化に影響されない﹁非時間性﹂とでも言うべき特質をも併せ持つ︒彼は一人でバスに乗ったことが何年もなかったので乗車賃の額を知らなかったらしく︑運転手に﹁︿オイスター﹀︵

Oyster

︶を買っておくといい﹂と言われて慌てて鮮魚店に走り︑牡蠣︵

oyster

︶を買ってバス停に戻り︑それで次に来たバスに乗ろうとする︵三九〜四五︶︒ロンドンでは二〇〇三年からバス︑地下鉄︑郊外電車共通の﹁オイスター・カード﹂が導入されていて︑運転手がこれを略して﹁オイスター﹂と称したこと︵およびその直前の場面でグルーバー氏に﹁君の思うがままだよ﹂

the world is your oyster

と言われたこと︶から

oyster

を持っていればいつでもどこまでも乗車できると誤解したのである︒この挿話はこのシリーズによくあるちょっとした言葉の意味の取り違いによる笑いを意図したものだが︑同時代性の一例でもある︒このような同時代性が︑第一巻執筆時よりさらに過去のイメージから基本的に何も変わらないブラウン家やその周辺の人間模様と好対照をなすだけでなく︑その過去のイメージが現在と同じ次元に存在しているという実感を読者に与え得るのである︒

四  パディントンのロンドンと同時代へのアンチテーゼパディントンがボンド宅に実在した子熊の縫いぐるみをモデルに描かれたことは愛読者の間でよく知られている︒ 16それ は一九五六年の一二月下旬のこと︑当時BBCでテレビの撮影係として働いていたボンドが︑ロンドンの有名百貨店セルフリッジーズのウィンドウに一体だけ売れ残った子熊に目を止め︵当時の︶妻への贈り物として購入したことに始まった︵このことからセルフリッジーズはパディントン駅と同程度にこの物語の﹁ゆかりの地﹂であると言えよう︶︒熊はパディントンと命名されたが︑それは以前からボンドがこの駅名の響きを気に入っていたからであった︒ 17ボンドはまた︑﹃テレグラフ﹄紙上のインタヴューにおいて︑パディントンという駅名には幼年時代に汽車でロンドンに来た時の幸福な記憶とイングランド西部︵

W est Country

︶の快適さや治安の良さを彷彿させる響きがあると証言している︒ 18ボンドはバークシャー州のニューベリーで郵便局長の父と読書家の母の許に生まれ︑生後半年で父の転勤のため同じ州のレディングに転居してそこで育った︒学校には馴染めず十四歳で退学し︑法律事務所の雑用係を経てレディングでBBCの送信機を操作する技師見習いとして働いたのちに空軍に志願︑その後陸軍に移籍してエジプトに派遣される︒カイロ駐在中に短編小説を執筆し始め︑戦後はBBCに復職してテレビの撮影係としてロンドンの本局に勤務する傍ら﹃ロンドン・オピニオン﹄誌などに短編の投稿を続けた︒バークシャー州で生まれ育ち︑エジプト滞在の時期を間に挟んで︑BBC復帰から晩年までの七十年間をロンドンで過ごしたことになる︒そしてレディングで育った故に︑幼い頃からロン

(15)

ドンで最も馴染みのある地区はパディントンであった︵レディングからロンドンに向かう列車は一部を除いてパディントンを終着駅とする︶︒また︑第一巻第一章冒頭のパディントン駅の描写に﹁海に行く人々で混み合っていた﹂︵九︶とあるように︑この駅はイングランド西部やウェイルズ南部の海辺の町とロンドンを結ぶ長距離列車が発着するターミナルである︒そういう古き良き時代の幸福な家族旅行のイメージと﹁パディントン﹂という響きの心地よさもあって︑この駅名をその子熊の名前に相応しいと考えたのである︒ノッティング・ヒルはパディントン駅の西約二キロに位置する地区で︑パディントンの日常生活の舞台はこの界隈である︒パディントン駅の北には運河があり︑北西側の運河沿いの一帯は﹁リトル・ヴェニス﹂と呼ばれ︑ボンドは長年そこに住んだ︒物語の背景となるのはこの限定された範囲における典型的な中産階級の日常生活である︒時にパディントンは ブラウン家の人々やグルーバー氏と百貨店︑劇場︑蝋人形館︑ケンジントン・ガーデンズと思しき公園︑テムズ河畔︑コヴェント・ガーデンと思われる大道芸人が集まる場所︑ロンドン・アイ︑また絵本では動物園︑バッキンガム宮殿︑ハンプトン・コート︑ロンドン塔︑セント・ポール大聖堂などを訪れていて︑さながらロンドン名所案内の様相を呈する︵ボンドはまた﹃パディントンのロンドン案内﹄ 19という名著を二〇一一年に出版している︶︒このシリーズは古き良き時代のロンドンと同時代のロンドンの双方への愛着と帰属意識の産物でもあると言えよう︒すでに引用したボンドの言葉から分かる通り︑このシリーズにおける﹁古き良き時代﹂の描き方は一面では人々が無作法で不寛容になった現代社会へのアンチテーゼであった︒この意味では︑﹃パディントン﹄シリーズの世界は同時代のあるべき状態を示しているとも言えよう︒人に挨拶する時には必ず帽子を脱ぐ礼儀正しいパディントンと︑そのパディントンの善意の行動が結果的に引き起こす混乱に対してどこまでも寛容であり続ける周囲の人々が︑この世界を成立させているのである︒註

Paddington Her e

版︵ 作品からの引用はこの版の頁数を本文中に︶で記す︒シリー

1. Michael Bond, A Bear Called Paddington (London: Collins, 1989).

帽子を取って挨拶するパディントン

(16)

and Now

以降の巻はハーパーコリンズ版︶の頁数を本文中に注る︒稿が︑稿に﹃く︵パディントンの煙突掃除︶﹄のように既存の邦題を併記する︒

2. Bond, Paddington at St Paul’ s (London: HarperCollins, 2018).

-paddington-bear -british/ etc. https://www .theversed.com/83314/quintessentially-british-makes ‘Quintessentially British: What Makes Paddington Bear So British’, of the Paddington Bear (A naheim: Bookcaps , 2014), p. 26; Ed A ngeli, Netherland, 2006), pp. 39-40; Jennifer W arner , The Unoffi cial History Ot her ne ss’ , C hild ren ’s L iter atu re in Ed uc atio n , V ol 3 7, No . 1 (Spr inger 3. Angela Smith, ‘Paddington Bear: A Case Study of Immigration and

﹂﹃

4.

子﹁︱︱

四四頁

︑二

5. Smith, op. cit. , p. 38 f f.

(T ewkesbury: September Publishing, 2016), pp. 139-140. England ; Angela Kiss, How to be an Alien in

水社︑一九六〇︶五二頁

6.

ニ・ル﹃訳︵

7. Smith, op. cit. , p. 42.

HarperCollins, 2003), p. 156. 8. Bond, ‘Postscript’, A Bear Called Paddington (London:

9. Ibid ., p. 157.

world-depressing-paddington-escape/ tel egra ph.c o.uk/ books/ aut hors/ m icha el-bond-i nt ervi ew-m ode rn- Depressing. Paddington Is My Escape’, The T elegraph , https://www . 10. John Preston, ‘Michael Bond Interview: ‘The Modern W orld Is paddington-bear -a7812426.html ne ws/ obi tua ri es/ m ic ha el-bond-obi tua ry-a ut hor -a nd-c re ator -of- Paddington Bear ’, The Independent , http://www .independent.co.uk/ 11. Nicholas Tucker , ‘Michael Bond, Obituary: Author and Creator of

jun/28/michael-bond-obituary Decade, The Guar dian , https://www .theguradian.com/books/2017/ Paddington Bear , Whose Popularity and Relevance Has Lasted Six 12. Veronica Horwell, ‘Michael Bond Obituary: Author and Creator of 13. Smith, op. cit ., p. 49.

14. Preston, op. cit .

二〇〇頁 訳︵版︑

15.

ン・ス﹃︱︱

16. Bond, ‘Postscript’, pp. 155-156; W arner , op. cit ., pp. 18-19 etc.

17. Bond, ‘Postscript’, p. 155.

18. Preston, op. cit .

19. Bond, Paddington’ s Guide to London (London: HarperCollins, 201 1).

(17)

Paddington Series and Its Background

Satoshi Ando

Michael Bond’s Paddington series ranges over sixty years: the fi rst volume, A Bear Called

Paddington, was published in 1958 and the posthumous work, Paddington at St Paul’s, a picture

book illustrated by R W Alley, was released in 2018. Most stories are located in Notting Hill, a

residential and shopping district in west London, and the Browns, the household with whom

Paddington lives, are a typical English middle-class family in the former half of the twentieth-

century. Although Paddington, the protagonist bear, came from ‘Darkest Peru’, he sometimes seems

to be quintessentially English. The London depicted in these books looks, notwithstanding there are

several contemporary elements such as an oyster card or a mobile phone, quite the same in the

oldest and latest volumes. In this article the author should like to examine the contrasts between

Englishness and otherness and ‘the good old days’ and contemporariness seen in this series to

illuminate the distinctiveness of the fi ctional world of Paddington.

参照

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