海保青陵「娼説」訳注改稿

全文

(1)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

【研究ノート】

海保青陵「娼説」訳注改稿

坂 本 頼 之

【はじめに】

本稿は『国士舘哲学』第十六号(国士舘大学哲学会

2 0 1 2

年3月) p. 

1 4 2  

‑p. 

1 6 4

に掲載された「海保青陵「娼説」訳注稿」(以下本稿では旧稿と 記述)の改稿である。

2 0 1 7

年9月1

1

日に行われた海保青陵研究会の有志と、翌9月1

2

日に金沢 に調査に向かい、金沢の松田文華堂様が所蔵されていた「娼説」の海保 青陵直筆本「青陵先生法帖」(以下直筆本と記述)、及び三田良信氏が遺 された直筆本から文字おこしした原文と書き下し・注釈を拝見すること ができ、撮影もさせていただいた (l)

またその後、金沢市吃玉川図書館近世資料館に収蔵されている「松田 文華堂文書

J

内に、「娼説」青陵直筆本及び松田文華堂九世松田平四郎 の「青陵先生書繹文娼説」(以下平四郎本と記述) (2)の写真版が含まれ ていることを知り、資料を複写して入手することができた。これらの資 料と旧稿で用いた「娼説」各版本とを比較校合したところ、旧稿の各本 は誤りや脱字があり、また誤入と思われる文があるなど、直筆本と比較 すると大きな異同が散見され、また旧稿に筆者の誤りもあったため、稿 を改めて訂正し現代語訳を試みた次第である。

旧稿では「娼説」が加賀藩士富田景周が編纂した『燕豪風雅』に収め られていることから、『燕嘉風雅』全七冊(観文堂

1 9 1 5

年1

1

月)(以下 七冊本と記述)の巻之十八収録「娼説」を底本とし、国立国会図書館蔵

『燕憂風雅』全十冊(出版年不明)(以下十冊本と記述)と谷村一太郎 氏『青陵遺編集』内「青陵雑纂」(國本出版社

1 9 3 5

年7月 以下『遺編

(2)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

集』本と記述)に収録しているものとで校合した。今回本稿で、直筆本 とこれらの版本ならびに平四郎本とを併せて比較したところ、『遺編集』

本と平四郎本との文字の誤脱や文章の乱れなどが殆ど一致していた。そ のため『遺編集』本と平四郎本とが参照した『燕憂風雅』は、同系統か、

少なくとも非常に近い版本ではないかと考えられる (3)

本稿は松田文華堂所蔵の直筆本を内容に従って適宜(‑) (二)(三)

の3つに分割し、【原文】[書き下し)[現代語訳)の順にならべ、[原文】

の下に版本ごとの異同について注をつけた。【原文】[書き下し】を作成 する際は三田良信氏の研究を主に参照している。【現代語訳】に関して は、旧稿のままの部分はそのままにし、旧稿と大きく異なる部分につい て注をつけた。

本稿はこのように様々な方の多大なご協力を頂いた結果、再試訳にまで至った ものです。海保青陵研究会に誘っていただき、金沢調査もご一緒させていただい た徳盛誠先生、ミヒャエル・キンスキー先生、小島康敬先生、青柳淳子先生、特 に青柳先生には金沢の案内や松田文華堂関係者の皆様への紹介もしていただき有 り難うございました。また資料の閲覧と撮影を許可してくださった松田文華堂様、

緻密な文字おこしと書き下し・注釈を遺された三田良信先生、資料の複写の際に ご助力いただいた金沢市立玉川図書館近世資料館の皆様、この場をお借りして御 礼を述べさせていただきます。まことに有り難うございました。

(1)  実物は折本となっており「青陵先生法帖」の題が有る。松田文華 堂は金沢・尾張町に現存する藩政期から続く筆・墨を商う老舗の 文房具店で、海保青陵の描いた額も所蔵されている。

(2)  九世平四郎「青陵先生書繹文娼説」には践文があり「昭和十四、

五年の頃先九世平四郎 富田景周先生著の燕壼風雅より娼説海保 青陵識の一文は弊家所蔵の青陵先生の書一巻に該当するものと判 明して熟讀三再 しかして、風雅に識せる本文と、七、八処所に、

挿字、脱字あり、いづれがよろしきかを判讀して弊家所蔵のもの を墨書して、これに、本文と相違する所を朱書して参考とするも のなり」と執筆の経緯や目的が述べられている。この跛文の内容

(3)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

からすると、平四郎本の本文は直筆本によったものに見えるが、

実際は『燕豪風雅』を本文としていることは、本文末に「燕嚢風 雅所載」とあること、直筆本にはない十字余りの文が他の『燕壷 風雅』本同様に本文にあることなどから明らかであり、一方で欄 外の書き込みにある「一本」が松田家所蔵の直筆本を指している と考えられる。またこの政文の経緯からだけ見ると、九世平四郎 は『遺編集』を読んでいないと推察されるが断定は出来ない。

(3)  『遺編集』が底本とした「娼説」は不明であるが、旧稿の「はじ めに」注 (8)で述べたように、文政八 (1825) 年刊の『燕蚤風 雅』を底本としたと考えられる。平四郎本は注

( 2 )

にあげたよ うに、跛文に「昭和十四、五年」とあってその頃の作成だとは考 えられるが、どの『燕蛋風雅』を参照したかは末尾に「燕蛋風雅 所載」と記してあるだけで、敗文にも記述しておらず不明である。

【原文(一)]

聖人無恒徳、必輿道相行 (I)。故日、恒其徳夫子凶也。所謂適無恒形必 輿世相移(2)。故夏之道。殷若周之道云爾 (3)。所謂世元恒俗必輿治相期。

故生干今之世為古之俗者栽必及其身 (4)以害於治故也。所謂治預禦乱之 所由来是而已。能禦乱者必得治也。治自知世始也。知世者自習道始也。

習道者自徳無固執始也 (5)。民有億萬之心、故政有億萬之機。登可一執 古之朽物寒事守之乎哉。且唯君子忍欲而益堅、如小人則忍斯濫 (6)。故 善御民者不使飽干欲焉、使忍其可忍者也。不使饒干欲焉。不使忍其不可 忍者也。是之謂張而弛也。不可偏廃突。一丁弛則淫、一干張則盗。食輿 色、大欲之所在乃不能忍而不為也。夫食之階乱古今不易轍也。大者争土 地、小者争箪瓢。色之招乱、以今校古、千百之十一而已。古之時、有蒸 先王之妾者焉。有奪太子之婦者焉。萬乗之主猶然突。攘君之母、逼兄之 妻、亦何怪焉 (7)。士大夫猶然突。庶人之醜行宜益甚焉。今之時、雖下 農小商 (8)猶知比之禽獣、況士大夫乎。在侯公則吾未嘗之聞也 (9)。或日

(10)、美事自尊貴而順下、醜事自卑賤而逆上。卑賤之能超古俗者、娼妓 救之也。世之以古自高者 (11)、必日、聖教知聖賢之言、無娼妓而不知聖

(4)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

賢之意輿治期也。必日、亡八知買娼之私養欲而不知盗淫之公養乱也。養 欲者衆人之所不能忍也。養乱者非其所不能忍也。且天下之人、尊貴寡而 卑賤衆、君子少而小人多。賢智塞蓼愚不肖浩沿、然則守之益堅者十百而 壊之益濫者萬億、以+百之所難而強之萬億、吾見其無益於治安而其有助 於乱危也。

(1)直筆本、七冊本では「行」だが、『遺編集』本、十冊本、平四郎本 では「行」が「待」になっている。また平四郎本は脇に「行」字 が附されている。

(2) 

『遺編集』本、平四郎本には「必」字が無い。

(3) 

「殷若周之道云爾」が七冊本、十冊本では「殷如周之道云爾」、平 四郎本、『遺編集』本では「殷之道周之道云爾」になっている。ま た平四郎本は欄外に「一本二之道字ナシ」とある。

(4)

平四郎本、『遺編集』本では「必」の字がない。

(5)平四郎本、『遺編集』本では「徳自無固執始也」となっている。

(6)平四郎本、七冊本、十冊本、『遺編集』本は「如小人則忍欲斯濫」

と「欲」の字がある。また平四郎本には欄外に「一本二欲字ナシ」

とある。

(7) 

「怪」字は七冊本のみ「佑」と異体字にしている。

(8) 

『遺編集』本のみ「小」の字がない。また平四郎本の欄外に「一 本二小ノ字アリ」とあり、本文に「小」の字が加えられている。

(9)

平四郎本と『遺編集』本では「侯公」が「公侯」になっている。

( 1 0 )

平四郎本と『遺編集』本では「或人日」となっている。

(11)  「世之以古自高者」が平四郎本、七冊本、+冊本、『遺編集』本で は「世之以知自扁者」となっており、平四郎本の欄外に「以ノ下 知字ナシ」とある。

【書き下し(一)】

聖人に恒徳無し、必ず道と相ひ行ふ。故に日<、其の徳を恒にするは、

夫子凶なりと。所謂道に恒形無し、必ず世と相ひ移る。故に夏の道、殷

(5)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

若くは周の道しかいふ。所謂世に恒俗無し、必ず治と相ひ期す。故に今 の世に生まれて、古の俗を為す者は、栽必ず其の身に及ぶ。治に害ある を以ての故なり。所謂治とは、預め乱の由りて来る所を禦ぐ、是れのみ。

能く乱を禦ぐ者は、必ず治を得るなり。治は世を知るより始まるなり。

世を知るとは、道に習れるより始まるなり。道に習れるとは、徳に固執 すること無きより始まるなり。民に萬億の心有り。故に政に萬億の機有 り。崖に一に古の朽物寒事を執りて之を守るべけんや。且つ唯だ君子の み欲を忍ぴて益々堅し。小人の如きは則ち忍ぴて斯に濫る。故に善く民 を御する者は、欲に飽かしめず。其の忍ぶべき者を忍ばしむるなり。欲 に餓えしめず。其の忍ぶべからざる者を忍ばしめざるなり。是れを之れ 張して弛すと謂ふなり。偏廃すべらかず。弛にーなれば則ち淫す。張に ーなれば則ち盗す。食と色とは大欲の在る所なり。乃ち忍びて為さざる 能わざるなり。夫れ食の乱を階するや、古今轍を易えざるなり。大は土 地を争い、小は箪瓢を争う。色の乱を招くや、今を以て古に校ぶるに、

千百の十一のみ。古の時、先王の妾に蒸する者有り。太子の婦を奪う者 有り。萬乗の主すら猶ほ然り。君の母を攘き兄の妻に逼るも亦何ぞ怪し まん。士大夫すら猶ほ然り。庶人の醜行は、宜ど益々甚だし。今の時、

下農小商と雖も、猶ほ之を禽獣に比するを知る。況や士大夫をや。侯公 に在りては則ち吾れ未だ嘗て之を聞かざるなり。或ひと日く、美事は尊 貴よりして順下し、醜事は卑賤よりして逆上すと。卑賤の能く古俗を超 ゆるは、娼妓之を救へばなり。世の古きを以て自ら高しとする者は、必 ず聖教を日ひ、聖賢の言に娼妓無きを知るも、聖賢の意は治と期するを 知らざるなり。必ず亡八を日ひ、買娼の私に欲を養うを知るも、盗淫の 公に乱を養うを知らざるなり。欲を養うは衆人の忍ぶ能わざる所なり。

乱を養うは其の忍ぶ能わざる所に非ざるなり。且つ天下の人、尊貴は寡 くして卑賤は衆く、君子は少なくして小人は多く、賢智は蓼蓼にして、

愚不肖は淫淫たり。然れば則ち之を守りて益々堅き者は十百にして、之 を壊して益々濫る者は萬億なり。十百の難き所を以て、之を萬億に強う。

吾れ其れ治安に益すること無くして、其れ乱危に助くること有るを見る なり。

【現代語訳(一)】

すぐれた人には、不変の知恵というものはなく、必ず理と互いに(合致 して)行動する。だから「ある徳に固執すれば、男子にとっては凶であ る」というのである。理に定まった形はなく、必ず世と互いに(合致し て)移り変わるという。だから夏の道は、(形は異なれども)殷もしく

(6)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

は周の道にほかならないのである(!)。世には不変の風俗というものは なく、必ず政治と互いに(合致して)きまるものであるという。だから 今の世に生まれたにも関わらず、古の風俗を行おうとする者は、きっと

(刑戯という)災いがその身にふりかかる。平安に治める上で邪魔にな るためである。いわゆる政治とは、前もって世の乱れる原因を防ぎ止め ること、これだけなのである。世の乱れる原因を防ぎ止めることが出来 る者は、きっと(平安に)治めることが出来る。政治とは(当今の)世 間を知ることから始まる。世間を知るとは、(己の行動が)作為無く理 になじむことから始まる。作為無く理になじむとは、一定の知恵に固執 しない(で自己を確立する)ことから始まる。民衆それぞれに何万何億 もの心があるのだから、(その民衆を天理へと導く)政治にも何万何億 もの(民衆を天理へと導く)きっかけというものがある。どうして古の 腐って役に立たないお寒い事物だけに固執して守り行うべきであろうか

(決してそんなことはないはずだ)。それにくわえ、立派な人物だけが、

おのれの欲望を堪え忍んでも、いよいよ(志操を)堅くするのであって、

くだらない人物達に欲望を堪え忍ばせようとすれば、人の道に外れた行 為をしてしまう。だから民衆を上手に制御して(天理に従うように導く)

者は、民衆の欲望を飽きたらせ過ぎないようにさせる。堪え忍べるもの を我慢させるのである。(また)欲望を飢えきわまらせない。堪え忍ぶ ことが出来ないものを我慢させることはしないのである。これを緊張と 弛緩といい、どちらか一方だけをやめてはいけない。(政治が)弛緩だ けになってしまうと(民衆は欲望に溺れて)節度なくみだれる。緊張だ けになってしまうと(民衆はかくれて)悪事をはたらくようになる。食 欲と性欲は、人間の最も大きい欲望であって、そして(両者ともに)我 慢して行わないということが不可能なものである。そもそも食が争乱の きっかけとなることといったら、古も今も(その争乱へと至る)みちの りに変化はないのである。(その争乱の)大きいものは士地を争い、小 さいものはたった一日分の貧しい食事を争う。男女の間が争乱の原因と なることといったら、今と古をくらべてみると、十分の一ほどだけ(な ほど、それが原因で争われることは少ないの)だ。むかしは、先君の妻 妾と姦通する者がいたり、自分の息子の婦人とすべき女性を奪い取る者

(7)

海 保 青 陵 「 娼 説J訳注改稿(坂本頼之)

がいた。諸侯の身分ですらそのような状態なのである。君主の母親を抱 き寄せ、兄嫁に言い寄るといったことがあっても、どうして(あり得な いことであると)財しむことがあるだろうか(誇しむことはないのであ る)。官職につくような上流の人たちですらこのような状態なのである。

(史書に記録が残らない)庶民のみにくい行いは、おそらくより一層は なはだしかったのだろう。今の時代は、下等の農夫や小商人のような低 い身分の者ですら、このような男女の醜聞を動物たちの振る舞いに擬え ることを知っている。ましてや官職に就くような上流の人々はいうまで もない。(であるから)大名旗本等身分ある方々の間で、私はいまだか つてこれらの醜聞を聞いたことがない。ある人の話では「善いことは身 分の高い人々からおこって、次第に下々の人々へと広まっていき、みに くいことは身分の低い人々からおこって、逆に上の人々へと広まってい く」と。(今の)身分の低い人々が、古の風俗よりまさる事が出来てい るのは、遊女の存在がそれを助けたのである。世間にいる古いというこ とをそれだけで上等であると考える者達は (2)、必ず「聖人の教え」と いうことを口にするが、(ただ)遊女の存在が聖人や賢者の言葉(を記

した経典書物)にないことを(知識として)知ってはいても、しかしそ れらすぐれた人たちの「意」が、政治に沿うかたちで決定されているこ とを理解していないのである。(またそういった人々は)必ず(置屋や 遊女たちを指して)「亡八」と(蔑称を)口にするが、(ただ)置屋通い がこっそりと欲望を満たす(蔑むべき行為である)ことを知ってはいて も、しかし節度無く乱れ悪事をはたらくことが、おおっぴらに争乱の原 因を培養することを理解してないのである。(生きる上での基本の)欲 望を満たすということは、多くの者達が堪え忍ぶことが出来ないことで ある。争乱の原因を培養することは、多くの者達が堪え忍ぶことが出来 ないものではない。さらにまた世界の人は、身分高いものは少なくて身 分低いものが多く、人格的に優れたものは少なくて、人格的に劣ったも のが多く、自己確立した本当の智を身につけたものは疎らにしかおらず、

愚かで古の智者たちの真意を理解しないものたちが溢れかえっている。

そうであるならば、(欲望を堪え忍ぶことを)守っていよいよ(志操を)

堅くするものはほとんどおらず、(欲望を堪え忍ぶことを)守れずに、

(8)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本額之)

いよいよみだれるものは億万といる。ほとんどいないものたちが困難な ことを、億万の人々に無理矢理やらせる、私はそれが治安にとって無益 で、争乱を助長するものであることを知るのである。

(1)各本では意味が通らない文章となっていたが、直筆本の文からする と、『論語』為政篇「子張問十世可知也。子日。殷因於夏證。所損 益可知也。周因於殷證。所損益可知也。其或継周者、雖百世可知 也」のように、夏の遵、殷の道、周の道は、世の移り変わりと共 に形の上で損益する所あること、そして形が変われども、それぞ れ「道」(理)であることに変わりはないことを述べていると考え

られる。

(2)

各本では「知」字が入っていたたため「自」を[みづから」ととっ たが、直筆本には「知」がないため「自」を「おのづから」とと った。

[原文(二)】

鶴昔見、國家之不絶禁之而疑焉。聞或人之論以為未可逮絶禁焉(!)。及 得謝畳山之言而後知、叱亡八亡八者之下於亡八焉 (2)。元人制江南人為 十等。一官二吏、先之者貴之也。貴之者、謂有益於國也。七匠八娼九儒 十弔、後之者賤之也。賤之者、謂元益於國也。孔子孟子儒者也。語所以 治今天下於今之意 (3)、日麻冤證也。今也純倹、吾従今。日、以斉而王 猶反手也。唯今之時、為易然突。荀便於治則不必用古器、不必奉古辞、

縦令元人制孔孟、其果叙之匠娼下乎。後之或卑卑伏讀注疏、窺窺勉正音 韻、論句讀、議字書、以為孟子復出 (4)、或汲汲孜孜研究周漢之槽櫃.

香・管・ 菫・笠・唾壺.襦・揮・襴.濶厠 (5)、虎子、以総孔子再生、

是亦謂之儒者也。昂頬以語所以治古天下 (6)。於古之朽器寒辟、瑣細褻 猥(7)此事昭琶、而非所以有加於治也(8)。此物詳察而非所以有救於乱也。

此人之生死存亡、固無損益於世。猶切歯拒腕日、必長其鑽、必長其袂、

外建連帥 (9)、内置六卿、用其建子、徹其士田 (10)、復虞部之楽、輿三年 之喪、放牛馬於華山桃林、壊劇場、殺娼妓而後可以為治突。是無用之辮

(9)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

(I!)、無功之労、能含歯以嘆粟而已。使之為官吏則不知今、為農則不辣 寂泰、為エ典商則手指頑而会計不裳。縦令孔孟制此輩其果叙之匠娼之上 乎。孔子謂子夏日、汝為君子儒 (12)、母為小人儒。彼唱勉於句讀字蓋者

(13)、抑将下於小人儒者乎。子滸日、子夏門人抑末也。彼研究憫厠・虎 子者則或子滸所謂末儒者乎。抑将下於末儒者乎。子夏在十哲中、偽孔子 親弟子。椴令不得為君子儒亦必不至署名於娼之下、則後之卑卑窺窪者果 下於小人儒突。子夏之門人親聞孔子之啓欽 (14)而為十哲之親弟子。椴令 失儒之本亦必不至耕首於弔之上、則後之汲汲孜孜者 (15)果下於末儒癸。

(1)直筆本では「鶴昔見」で改行されている。平四郎本と『遺編集』

本では「禁」字がなく、平四郎本の欄外に「一本二絶ノ下禁ノ字 アリ」とある。

(2)  『遺編集』本は最後の「亡八」が「込八」となっている。「亡」の 本字「込」を「込」と誤ったのだと思われる。

(3)  『遺編集』本は「語所以治今下於亡八者之意」となっている。平 四郎本では同じ本文「語所以治今下於亡八者之意」の「今」と「下J の間に「天」字が加えられ、「亡八」の隣に「今」字が附されて「語 所以治今天下於今者之意」としている。また欄外に「一本ニハ天 及今ヲ加へ亡八者ノ三字ノ欠」(原文ママ)とある。十冊本は「語 所以治今下於之意」、七冊本は「語所以治天下於之意」(欄外に「於 字恐術」とある)となっており、かなり誤謬がある箇所となって いる。

(4)七冊本、十冊本ともに「以孟子復出」として「為」字がない。七 冊本の欄外に「以下恐脱為」とある。

(5)  『遺編集』本、七冊本、+冊本ともに「槽握・香・笥・藁・笠・

唾壺.襦・揮・襴• 履.濶厠」と「履」字が加えられている。平 四郎本では「履」が「履」字となっている。

(6)平四郎本、『遺編集』本は「昂頬以語所以古之治天下」となってい る。七冊本、十冊本は「昂頬以語所治古天下」となっている。

(7)  「瑣細褻猥」が七冊本、十冊本は「瑣瑣細醜褻」となっており、

平四郎本、『遺編集』本は「鎖細醜褻」となっている。

(10)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

(8)

この箇所で旧稿「娼説訳注稿」において「有」字を誤脱してしま い、併せて訓読、現代語訳共に誤ってしまった。ここにお詫びし て訂正する。

(9)  「連帥」が七冊本、十冊本では「連師」、平四郎本、『遺編集』本 では「再師」になっている。

( 1 0 )

平四郎本、『遺編集』本では「土田」が「士田」になっている。

(11)「無用之辮」の「辮」字が七冊本、十冊本、平四郎本、『遺編集』

本ともに「緋」字になっている。

( 1 2 )

平四郎本と『遺編集』本では「君子之儒」となっている。

(13)平四郎本と『遺編集』本は「書」字がない。またこの後に七冊本、

十冊本には「則或孔子所謂小人儒者乎」の十一字が、平四郎本、『遺 編集』本では「則或子所謂小人儒者乎」の十字が加えられている。

平四郎本欄外には「蓋字加へ則以下者乎マデノ十字ノ削ル」(原文 ママ)とある。

(14)  「馨欽」を平四郎本、『遺編集』本は「墜規」にしている。平四郎 本の欄外に「声規ハ馨故トアリ」とある。

(15)  『遺編集』本は「汲汲孜孜者」が「汲汲者」となっている。平四 郎本は脇から「孜孜」が挿入されている。

【書き下し(二))

鶴は昔、国家の之を絶禁せざるを見て、焉を疑へり。或る人の論を聞く に、以為く未だ逮かに焉を絶禁すべからずと。謝畳山の言を得るに及び て、而る後亡八亡八と叱る者の亡八より下るを知る。元人、江南の人を 制して十等と為す。一官、二吏、之を先にするは之を貴べばなり。之を 貴ぶとは国に益有るを謂ふなり。七匠、八娼、九儒、十巧、之を後にす るは之を賤しめばなり。之を賤しむとは国に益無きを謂ふなり。孔子孟 子は儒者なり。今の天下を治むる所以を語るに、今の意に於いてす。曰 く、麻冤は礼なり。今や純なるは倹なり。吾は今に従はんと。日く、斉 を以て王たらしむるは、猶ほ手を反すがごときなり。唯今の時は然し易 きと為すと。荀も治に便あれば、則ち必ずしも古器を用いず、必ずしも 古辞を奉ぜず。縦令ひ元人、孔孟を制すとも、其れ果たして之を匠娼の 下に叙せんや。後の或いは卑卑として伏して注疏を読み、窃窃として勉 めて音約を正し、句読を論じ、字画を議して、以為<孟子復た出ずと。

(11)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

或いは汲汲孜孜として周漢の槽握、香、貸、菫、笠、唾壺、襦、揮、擁、

憫厠、虎子を研究し、以為<孔子再び生ずと。是れも亦た之を儒者と謂 ふなり。頬を昂ぶらせ以て古の天下を治むる所以を語るに、古の朽器、

寒辞、瑣細褻猥なるに於いてす。此の事昭琶しても、治に加うる有る所 以に非ざるなり。此の物詳察しても、乱に救ふ有る所以に非ざるなり。

此の人の生死存亡は、固より世に損益無し。猶ほ切歯据腕して日く、必 ず其の鑽を長くし、必ず其の袂を長くし、外は連帥を建て、内は六卿を 置き、其の建子を用ひ、其の土田を徹め、虞詔の楽と三年の喪とを復し、

牛馬を華山桃林に放ち、劇場を壊し、娼妓を殺して、而る後に以て治を 為すべしと。是れ無用の辮、無功の労にして、能く歯を含んで以て粟を 嘆むのみ。之をして官吏為らしむれば、則ち今を知らず、農為らしむれ ば、則ち寂奏を辣ぜず、エと商為らしむれば、則ち手指頑にして会計当 たらず。縦令ひ孔孟此の輩を制すとも、其れ果たして之を匠娼の上に叙 せんや。孔子は子夏に謂ひて日く、汝君子の儒と為れ、小人の儒と為る 母かれと。彼の句読字画に唱勉する者は、抑も将た小人の儒より下る者 か。子滸日く、子夏の門人抑も末なりと。彼の濶厠、虎子を研究する者 は、則ち或いは子滸の所謂末儒なる者か。抑も将た末儒より下る者か。

子夏は十哲中に在りて、孔子の親弟子為り。椴令ひ君子の儒為り得ずと も、亦た必ずや娼の下に署名するに至らず。則ち後の卑卑窃窃たる者は、

果たして小人の儒より下れり。子夏の門人は親しく孔子の馨放を聞きて、

十哲の親弟子為り。椴令ひ儒の本を失ふとも、亦た必ず汚の上に絣首す るに至らず。則ち後の汲汲孜孜たる者は、果たして末儒より下れり。

(現代語訳(二)】

私は以前、遊女を禁絶しない領内があることを知り、(風俗を乱す遊女 を許すのはなぜだろうかと)理解できずにとまどった。ある人の意見を 聞くことで、(遊女は)慌てふためいて禁絶しなければならないもので もないと思いはじめた。謝畳山の文を入手し読んでから、(遊女や置屋 を)「亡八亡八」と大きな声で非難する者が、かえってそれらの「亡八」

と称される者達よりもくだらない者であることを知った。(謝畳山の文 に)「元の人が南宋の人を支配して区分する際に十等級の階級を設けた。

その一級は上級役人、その二級は下等役人で、これらが一、二という上 級に位置づけられたのは、役人達を貴重としたからである。なぜ貴重だ としたのかというと、国にとって有益だと考えられたからである。<+

(12)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

等級の)七級はエ匠で、八級は遊女、九級が儒者で、最下等の十級は乞 食であった。これらが下級に位置づけられたのは、これらの人々がいや しまれたからである。なぜいやしまれたのかというと、これらの人々が 国にとって無益であると考えられたからである」とある。

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子や孟子は 儒者である。(彼らの目の前のまさに)今の天下を治める方法を論述す るのに、(彼らの目の前のまさに)今の「意(天理)」によった(!)。(例 えば孔子は)「手の込んだ麻製の糸で飾られた冠を使うことが礼として のきまりである。今世間で使っている絹製の糸で飾られた冠は(それに くらべれば)倹約である。私も(古来の礼のきまりではなく)今の人た ちに従おう」と述べている。また(孟子は)「斉を壬にするのは、手の ひらを返すようにたやすいことである]「(天下の王となるのは)ただ今 の時勢なら、簡単である」と述べている。(このように孔子や孟子の述 べている「意」によれば、)もし政治に役立つものであれば、必ずしも 古の道具でなければならない必要はなく、必ずしも古の言葉を忠実に守 る必要はないのである。かりに元の人々が孔子や孟子のような儒者を支 配して区分したとしても、はたして彼らを(国に無益であるとして)エ 匠や遊女の下に階級づけたでろうか(いや、そんなことは決してしなか っただろう)。後の時代のある人は、勉め励みへりくだって経典の注疏 を読み、こせこせ知ったかぶりしながら励んで文字の発音を整理し、文 章の句読、文字の字画について議論して、それによって孟子が再び(現 世に)現れると考え、またある人は休まず怠らずに励んで周や漢の時代 の飼い葉桶(馬小屋)、もっこ、あじか、かさすげ、かぶりかさ、たん つぼ、下着、ふんどし、くつした、便所、おまるについて研究し、それ によって孔子が(現世に)再生されると考えている。これらの人もまた

(孔子や孟子と同様に)儒者といわれるのである。(それらの人々は)

興奮しながら古の天下を治めるための方法を、古の腐って役に立たない 器物や寒々しい言葉、細々とした汚らわしいものによって論述する (2)。 これらの事物への知識が広まり明らかとなっても、政治に有効性が加わ るわけではない。これらの器物を詳細に考察しても、混乱に対して急を 救うわけではないのである。このような人々が生きようが死のうがなど ということは、間違いなく世界にとって意味はない。(しかしこの人た

(13)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

ちは)依然として歯を噛みしめ腕を握りしめて(激しく憤り)「きっと あごひげを長く伸ばして、衣服のそでのたもとを長くし、朝廷外には諸 侯の長官をおき (3)、朝廷内には『周礼』にならった六つの官職をおい て政治をとらせ、建子の暦を用いて、田畑を開拓し、舜の作った「部」

の音楽と三年間の服喪とを復活させ、牛馬を華山の桃林に放牧し、低俗 な演芸の舞台を取り壊し、遊女たちを殺して、そうして後(やっと)治 める事が出来る」などという。これらは必要ない議論であり、意味のな い労力であり、(彼らは)口があっても食べる事しか出来ないのである。

もし彼らを役人にしたとしても、今の時勢が理解できず、もし農夫にし たとしても、豆と麦の区別が出来ないほど使いものにならず、商工人に したとしても、手指は軽やかに動かず、会計はびったり合致しないだろ う。かりに孔子や孟子がこれらの人々を支配して区分したとしても、は たして彼らを工匠や遊女よりも上に階級づけるだろうか(いや、けっし てしないだろう)。孔子は弟子の子夏に「お前は君子としての儒者にな りなさい。小人の儒者になってはいけない」と言った。あの句読字画に こせこせと勉め励む者達は、あるいは「小人の儒」よりも下の(階級に 位置づけられる)ものであろうか (4)。(孔子の弟子の)子滸は「子夏の 門人達は、つまりは末である」と言った。あの便所やおまるを研究する 者達は、あるいは子滸が言う末儒というものであろうか、それとも末儒 よりも下の(階級に位置づけられる)ものであろうか。子夏は孔子の門 人中の十哲に数え上げられるほどの人であり、孔子の直弟子である。た とえ「君子の儒」となることが出来なかったとしても(たとえ小人の儒 だったとしても)、きっと遊女の下に名が記されるまでにはならない。

それならば、後の時代のへりくだってこせこせと知ったかぶりをする者 達は、やはり小人の儒よりも下に位置づけられる者だろう。子夏の門人 たちは、身近に孔子の息づかいを聞くほど(孔子の側近くで教えを受け て)、そして孔門十哲たる子夏の直弟子である。たとえ儒者としての根 本を失っていたとしても、きっと乞食の上に頭をならべるまでにはなら ない。それならば、後の時代の休まず励んで(下らない物を研究して)

いる者達は、やはり末儒よりも下に位置づけられる者だろう。

(14)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

(1)各本ともに誤脱混入が多く文意が取りにくいが、直筆本によれば 文意は明らかである。また青陵にとって[意」とは「孟子の意は 天理なり。孔子の意は天理なり」(『養心談』 蔵並省自編『海保 青陵全集』(八千代出版

1 9 7 6

年9月)

p .  4 2 0 )

とあるように、聖賢 たちが見出した「天理」のことであるため、ここではそれを参考 に現代語訳した。

(2)

七冊本と十冊本は「以」字を欠落して文意が混乱しているが、直 筆本も「以」字をあとから脇に附しており、元々の本文に「以」

字が無い状態の時点で『燕壷風雅』にとられた可能性もあるのか もしれない。

(3)

各本「連帥」を「連師」「再師」と誤ったため意味がとれなかった。

「連帥」は『礼記』王制に「千里之外設方伯、五國以為属、属有 長、十國以為連、連有帥、三十國以為卒、卒有正、二百一十國以 為州、州有伯」とあり、その疏に「正義日此一節論千里之外設方 伯及連帥卒正」とあって、それによれば天子が直轄領外に設置す

る十ヶ国の長官のこと。

(4) 

【原文(二)】

( 1 3 )

でふれたように、各本には「則或孔子所謂小 人儒者乎(または則或子所謂小人儒者乎)」の一文があり、旧稿 では「あるいは孔子の言う「小人の儒」というものであろうか、

それとも「小人の儒」よりも下の(階級に位置づけられる)もの であろうか」と訳したが、直筆本ではこの一文は無い。この一文 がどのような経緯で誤入したのかは今のところ不明であるが、下 文に「彼研究濶厠・虎子者則或子滸所謂末儒者乎。抑将下於末儒 者乎」とあることから、後人がこの箇所を対句であり「或〜乎。

抑将〜乎(あるいは〜か。そもそもはた〜か)」の選択の構文で あったとみて、対句であればここにあると考えた一文を注記した 結果、誤入に繋がったのではないかと考えられる。

【原文(三))

余自十五六時、既已資衣食於教授三十年於今。鶏鳴而起其所憤動以俳勉

(15)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

者、末儒之憧竪、小人儒之輿優而巳。及其梢長知非是儒之君子、非是儒 之本業、然不為之則餓寒。是亦非甘居娼弔之間者乎。巧輿娼在四民之外 而遊千太平之中皆我類也 (I)。弔在我下乃愛之而可也。娼在我上乃敬之 而可也。如唾而傲之則得罪於詳道徳世治者突 (2)

文化二年乙丑之夏、遊干金澤之府、輿巌手明耀不密喜余學又喜余文稽々 喜余所為而遂至書、是最奇僻之事於余、則最可漸然 (3)、曾哲之羊棗是 亦真知己乎。青陵道人鶴。

(1)

平四郎本、『遺編集』本は「干」字がない。

(2) 

「如唾而傲之則得罪於詳道徳世治者癸」は誤りが多い。七冊本は

「如唾而傲之則得於詳道徳世治者突」と「罪」の字が無く、十冊 本は「如唾傲之則得於詳道徳世治者突」と「而」字部分が空襴、

「罪」字がない。平四郎本は「如唾而傲之則不得於詳道徳世治者 突」となっており、欄外に「一本不ノ削」「罪ノアリ」(原文ママ)

とあって、「罪」字が本文脇に附されている。『遺編集』本は「如 唾而傲之則不得於詳道徳世治者突」と「罪」字がなく、「不」字 がある。

(3) 

「娼説跛」(谷村一太郎編『陰陽談』(野村書店 一九三五年十月)

「娼説跛」)では「是則最可漸」と「是」字が加えられている。

【書き下し(三)】

余十五六の時より、既已に衣食を教授に資すること今に三十年。鶏鳴し て起き、其の憤励して以て俳勉する所は、末儒の憧竪、小人の儒の輿優 のみ。其の稽く長ずるに及び、是れ儒の君子に非ずして、是れ儒の本業 に非ざるを知る。然れども之を為さざれば則ち餓寒す。是れも亦た甘ん じて娼汚の間に居る者に非ずや。巧と娼とは四民の外に在りて、太平の 中に遊ぶ。皆な我が類なり。巧は我が下に在り、乃ち之を愛して可なら んや。娼は我が上に在り、乃ち之を敬して可ならんや。如し唾して之に 傲れば、則ち罪を道徳世治に詳しき者に得るなり。

(16)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

文化二年乙丑の夏、金沢の府に遊び、巌手明と罐しむ。音に余の学を喜 むのみならず、又た余の文を喜み、梢々余の為す所を喜み、而して遂に 書に至る。是れ最も奇僻の事。余に於いては則ち最も断ずべし。然るに 曾哲の羊棗あり。是れも亦た真の知己たるか。青陵道人鶴。

【現代語訳(三)】

私は十五〜六のころから、人に学問を教えることで生活すること既に三 十年あまりになる。朝早く起きて、奮い立って心の中でわだかまりなが らも励んでいることといったら、末儒に仕える小僧か、小人の儒の召使 いのようなことだけである。次第に(自分が実は孔子が子夏に諭したよ うな)儒者としての君子というものではなく、(自分がやっていること が){需者としての本業ではないことを理解した。しかし今やっているこ とをやめてしまったら、生活できなくなってしまう。こんな私もまた(古 い事物や言葉にこだわっている儒者と同様に)遊女と乞食の間に階級づ けられていることに廿んじているものではないだろうか(きっとそうに 違いない)。乞食と遊女は士農工商の四民の外に位置づけられて、この 太平の世の中で自由に振る舞う。これらの人々はみな私の仲間である。

乞食は私の下に(イ吃置づけられて)いる。乞食たちを愛おしんでもよい のである。遊女は私の上に(位置づけられて)いる。遊女たちに敬意を 払ってもよいのである。もしも彼らに唾を吐いてののしり、おごりたか ぶるようなことがあれば、(私は)道徳世治に詳しい者から罪を得るこ

とになる(!)。

文化二年乙丑の夏、金沢に旅行し、巌手明と友人となる。(彼は)私の 学問を愛好してくれだけではなく、私の文章も愛好してくれ、だんだん と私の振る舞いについても愛好してくれ、そしてついには書まで愛好し てくれた。これは尋常ではないことであり、私にしてみても大変恥ずか しいことではある。しかし「曾哲の羊棗」ということもある。これこそ 本当の親友というものなのだなあ。

青陵道人鶴 (2)

(17)

海保青陵「娼説」訳注改稿(坂本頼之)

(1) この箇所は各本の誤りが非常に多く文意が取りづらかったが、直 筆本の文章では何のこともない文章であって文意も明らかである。

ここでの「道徳世治に詳しい」とは【原文(一)】に見られるよう な、時代が移り形が変わっていく中で、過去の道徳の形に拘るこ となく、今の世から理を見出して政治に活かす者といった意味だ と考えられ、起結が一本につながった文章ともなる。

(2) この敗文は各本には付随していないが、直筆本では「娼説」の結 句から、一行空け、一段下げて続いている。そのため旧稿では【付 録】としたが、本稿では【付録】とはせずに記載した。

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