茅 原 雅 之 鴨長明 ﹃ 無名抄 ﹄ の 構成 と 編纂過程 について ︿論文﹀

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(1)

はじめに

鴨長明の晩年の著作として︑随筆﹃方丈記﹄︑仏教説話集﹃発心集﹄︑歌論書﹃無名抄﹄が広く知られている︒このうちの﹃無名抄﹄については︑歌道随筆の性格を強くする歌論書であると

され︑近代研究における評価を記すならば︑﹃無名抄﹄は︿歌人

を指導する立場になかった長明が︑特に構成などを意識するこ

ともなく︑筆に任せて和歌に関する知識と自身の経験を書き綴った書﹀というものになるであろう

1

さて︑稿者は先に︑﹁﹃無名抄﹄における︿六条源家﹀尊崇の意識

̶̶

﹃無名抄﹄の構成と執筆意図について

̶̶

の論文に 2

て︑﹃無名抄﹄内部の幾つかの章段群を取り上げながら︑この章段群を単位として︑そこに長明の構成意識が作用しているこ

とを論じた︒加えて︑その構成意識から導き出される﹃無名抄﹄

の執筆意図として︑﹃無名抄﹄が六条源家歌学への尊崇の念を語る書であり︑ひいては六条源家歌学を学んだ長明自身の歌人 キーワード鴨長明・無名抄・構成・編纂・歌論書

要  旨

従来の研究において︑﹃無名抄﹄は歌道随筆の性格を色濃く

する歌論書とされ︑全体としての組織的な構成を持たない歌論書として理解されてきた︒和歌に関する諸事を筆に任せて書き記したとする︑﹃無名抄﹄に対するこのような理解のあり方は︑

﹃無名抄﹄の歌論書としての評価を低くする大きな要因となる

ものであった︒本稿は︑﹃無名抄﹄全体の構成について論じていくものであ

り︑本稿考察をとおして︑﹃無名抄﹄が項目別分類を基本にし

て構成される歌論書であったことを明らかにする︒また﹃無名抄﹄の項目別構成には︑一部に組織の乱れが生じており︑この部位が長明自身の編集作業による挿入部位であったことを論じ

る︒

茅 原 雅 之 鴨長明無名抄 ﹄ の 構成編纂過程 について ︿

論文

(2)

に一つの性質を与へる契機となつたのである︒それは何

かと云ふに︑雑談的要素である︒即ち論に対する話であ

り︑研究的要素に対する趣味的要素である︒無名抄はか

くしてこの二つの性質を帯びるべく約束せられたが為め

に︑全体としては︑いかにも雑然たる寄せ集め的な随筆

と見られる様になつたのである︒︹中略︺もはや︑これ以上この先々を︑一段一段と︑その内容に於て関連する

ものをたどつてゆく必要はないと思ふ︒︹中略︺無名抄

は既に︑初数段が遵守した歌論書としての形態を自ら放棄して︑歌に関する雑談集としての自由な形式の内に︑

その初めの意図︵作歌上の教科書的要素︶をも解消し去

つたからである︒簗瀬氏は︑

11

話を境にするこの質的変化を﹁横ぞれ﹂と指摘

し︑﹃無名抄﹄が﹁歌論書としての形態を自ら放棄し﹂た︑﹁雑談集としての自由な形式﹂の書であると解釈する︒﹃無名抄﹄を自由な形式の書とするこの理解のあり方は︑後の﹃無名抄﹄研究の基本になるものであり︑近代における﹃無名抄﹄研究の定説となって現在に至る︒次に﹃無名抄﹄の章段配列に関する研究として︑比良輝夫

4

および辻勝美

抄﹄の章段の続き方が︑︿連想の糸﹀比良氏説や︿ある主題や明確 氏の研究が注目される︒両氏の各研究は︑﹃無名 5

な意図の下での一連﹀辻氏説によって連続する様子を調査したも

のであり︑章段個々の続きに見られる高い連続性を︑具体的例証をもとに論じたものである︒また両氏は︑それぞれの調査結果として︑﹃無名抄﹄の章段配列が同類・同傾向の章段を大き 的価値を語る書であることを論じた︒本稿は︑﹃無名抄﹄の構成に関する更なる調査結果の報告と

して︑﹃無名抄﹄全体の構成を明らかにするものであり︑加え

て﹃無名抄﹄がいかなる編纂の過程を経て︑現状の形態へと再編されたのかについて論じるものである︒よって等しく﹃無名抄﹄の構成に目を向ける前稿と本稿は︑前稿が﹃無名抄﹄内部

の部分的な構成を論じているのに対し︑本稿は﹃無名抄﹄全体

の組織を論じるものであり︑﹁部分﹂と﹁全体﹂という二つの視点から︑併せて﹃無名抄﹄の構成を明らかにするものとなる︒

1.﹃無名抄﹄の構成に関するこれまでの研究

﹃無名抄﹄の構成を論じるにあたり︑まずは﹃無名抄﹄の構成

に関わるこれまでの研究を確かめておきたい︒はじめに︑簗瀬一雄氏﹃鴨長明の新研究

名抄﹄の序盤に関する指摘の中で︑第 ﹄の指摘から見ていく︒簗瀬氏は﹃無 3

1

話から第

和歌初学者向けの歌論的事項が継続するのに対して︑

10

話までが︑

11

話﹁せ

みのをがはの事﹂に至って長明自身の経験談が自讃のごとく語

られることに着目し︑この

11

話を境にして内容の質的変化が生

じていることを指摘する︒

◎簗瀬一雄氏﹃鴨長明の新研究﹄抜粋   この段が一面に於て長明の回旧談であり︑自慢話である

と云ふ性質を以て︑﹁千載集に予一首を悦ふ事﹂﹁不可立歌仙之由教訓事﹂と自己を語る次々の項目をよび出した

ものと解せられる︒︹中略︺これは歌論に対しては正に

﹁横ぞれ﹂ではあるが︑この﹁横ぞれ﹂は遂にこの無名抄

(3)

之躬恒勝劣〜

36

   女の歌よみかけたる故実

C 大夫墓〜

37

2猿丸   

40

榎の葉井

41

歌の半臂句〜

   事

54

近代会狼藉 D2

55

俊成入道物語〜

  

70

式部赤染勝劣事

70

式部赤染勝劣事〜

  

75

仮名筆

C3

76

諸浪名〜︹

83

とこ

ねのこと︺両氏の調査は︑章段の分類方法に視点の小差はあるものの︑大枠の区分に大きな違いは見られない︒両氏の調査を比較して図表化すれば︑﹃無名抄﹄内部における同類・同傾向の章段の

まとまりは︑以下のような状態にある︒

章段番号

16 16 17 26 27 36

37 40

41 54

55 70 70 71 75 76 82

83

ABC1D

1

C2ED2FC3

大枠の推移から﹃無名抄﹄の全体像を俯瞰すれば︑﹃無名抄﹄

の章段配列は︑同一カテゴリーに分類される章段群が︑複数に分散した状態でもって配置されている様子を窺うことが出来

る︒このような章段配列の様子は︑﹃無名抄﹄全体が組織的に構成されていない可能性を強くするものであり︑︿特に構成な

どを意識することもなく︑筆に任せ書き進めた﹀とする︑これ

までの定説と符合するようにも見える︒また両氏が指摘する連続性による配列方法は︑﹃無名抄﹄全体に及んで隣接する章段

との結びつきを円滑にしているにせよ︑﹃無名抄﹄全体の骨格

として︑その構成を説明できるものではない

7

よって従来の研究を要略すれば︑﹃無名抄﹄の章段の並びに

は高い連続性が認められ︑また同類・同傾向の話が大きくまと

まった状態で配されてはいるが︑﹃無名抄﹄全体としての構成 くまとめた状

態で配置している様子について︑その大枠の区分 6

を示し︑内容の分類と併せて図示している︒以下に︑両氏によ

る章段群の内容分類と︑大枠の様子︵=同類・同傾向の章段の

まとまり︶を簡略に引用しながら︑稿者の見解を交えて﹃無名抄﹄の配列状況についてまとめておきたい︒なお引用にあたり︑章段番号および章段名については︑本稿が底本とする﹃鴨長明全集﹄︵貴重本刊行会︶の表記に統一した︒

◎辻勝美氏︵﹃無名抄考察̶内容構成問題中心として̶

   Ⅰ歌論・歌評・作歌上の注意に関する章段   Ⅱ歌語・歌詞の知識に関する章段   Ⅲ名所・歌枕に関する章段    Ⅳ歌人評に関する章段

1

題心〜

  

8

頼政歌俊恵撰事

9

鳰の浮巣〜

16

ます

ほのすすき  

17

井手の山吹並かはづ〜

  

26

人丸墓

27

Ⅳ貫之躬恒勝劣〜

36

   女の歌よみかけたる故実

37

猿丸大夫墓〜

40

   榎の葉井

41

Ⅰ歌の半臂句〜

   狼藉事

54

近代会

55

Ⅳ俊成入道物語〜

  

70

式部赤染勝劣事

71

近代歌体〜

  

75

仮名筆

76

諸浪名〜

82

をのとはい

はじといふ事

Ⅰ︹

83

とこねのこと︺

◎比良輝夫氏︵﹁無名抄﹂の構成をめぐって︶

A題詠・歌合の心得   B歌語・歌詞に関する知識

C歌枕・名所・旧跡・伝説  D歌人評   E作歌論・歌人論   F歌体論

1

題心〜

  

9

鳰の浮巣

9

鳰の浮巣〜

16

ますほのす

すき  

C1

16

ますほのすすき〜

26

   人丸墓

D1

27

(4)

後関係︑すなわち︿主題の継続﹀︿主題の変更﹀︿付随・導入と しての補足﹀といった前後の文脈が考慮されることはなく︑見出しを節目にして全てが一律に切断されている︒章段の前後関係①  ︿主題の継続﹀と︿主題の変更﹀の様子

︻題と詞︼

1題心 2けがら善悪ある 3隔海路論 いて︒ 4我与人︑をなじにて﹂︑︿をめぐるにつ ﹁或所にて歌合﹂の︿隔海路恋について︒ ﹁﹂の︒ ﹁﹂をどうむか︒

︻晴の歌︼

5晴歌可見合人事 6無名大将事 7いやしきをよむ せて名誉︒ 8頼政歌俊恵撰事わ はせぬあやまり﹂ ﹁これら︵︶はみなにみせあ ﹁をなじたび﹂の仲綱失敗談︒ の失敗談における︑長明経験談わすべきこと︒

序盤を例に︑﹃無名抄﹄における章段間の前後関係を確かめ

ていきたい︒右の表には上段に見出し︵=章段名︶を︑下段に

はその内容を簡略に示した︒﹃無名抄﹄を歌道随筆の理解でもっ

て︑章段個々を独立した記事として読むことは可能である︒し

かしここで

1

話〜

4

話の内容に改めて注目すれば︑

1

話と

2

で﹁題﹂と﹁詞﹂のあり方がそれぞれ概念的に述べられた後︑

3

話と

4

話では同所﹁或所﹂の実例をもとに︑

3

話で﹁題﹂を︑

4

話で﹁詞﹂のあり方を具体的に論じている︒つまり

1

話〜

4

の章段群は︑︻題と詞︼を主題にして語られる一連の文章であっ は無いものと考えられている︑という理解になるであろう︒

2.﹃無名抄﹄の章段について

続いて︑﹃無名抄﹄を構成する最小単位として扱われる︑︿章段﹀の状態についても確かめておきたい︒現在︑章段として区切られ︑その冒頭に付されている章段名は︑本来は﹃無名抄﹄

の本文行間に付されていた見出しである︒本稿が底本にする︑現存最古の可能性を有する東京国立博物館蔵梅沢記念館旧蔵

﹃無名抄﹄︵﹃鴨長明全集﹄貴重本刊行会

見出しは朱書きによる一行書き︑あるいは本文行間に細く記さ ︶について言えば︑この 8

れた状態で︑都合八二箇所に記されている︒古い伝本にはこの見出しを有さないものもあり︑この見出しは後人によって付さ

れた可能性が高いと考えられている︒

さて︑本文中に見出しが付されることの利点を挙げるなら

ば︑それは文章各部に目印と呼称が付されることの利便性であ

り︑加えて文章冒頭に内容が示されることの注釈的効果であろ

う︒しかし︑行間に付されていた︿見出し﹀が節目となって章段化していった経緯を考えるならば︑章段化による弊害につい

ても考慮しておく必要がある︒まず見出しが後人の付加であっ

た場合︑︿見出し﹀が節目となって章段化するということは︑

すなわち後人の解釈によって文章が区切られ︑切り離されたこ

とを意味している︒切断箇所の適否︑見出し語の内容について

は︑改めて検証する必要があると考えられよう︒次に︑文章が切り離されることの弊害として︑この切断が︑見出しを節目に

した一律的な切断であった点が挙げられる︒ここには章段の前

(5)

内﹂ 

右に掲げた一連の章段群では︑和歌に関わる名跡が記事とし

26

名跡話﹁人丸墓﹂

て並んでいる︒しかしこの中では︑

24

話﹁和琴のおこり﹂だけ

が和琴の起源を語る章段であり︑和歌名跡の内容からは外れた章段となっている︒各話を章段という理解のもと︑個々に独立

する対等な記事という認識で捉えるならば︑

24

話は章段配列に

おける連続性や調和を乱す章段として解釈されよう︒しかし

﹃無名抄﹄の原態を想定して考えれば︑章段という様式を基に

して﹃無名抄﹄を解釈することは避けるべきであろう︒

琴のおこり﹂が︑

24

話﹁和

23

話﹁関明神﹂︵=蝉丸のこと︒﹃俊頼髄脳﹄に

よれば蝉丸は琴の名手︶からの連想に導かれた記事であること

に注視するならば︑

24

話はもともと

連想によって派生した付属的な記事が︑各所に織り込まれるよ 事であったと考えるべきである︒このように︑﹃無名抄﹄では

23

話に従属する付属的な記

うにして記されている

︒本来は付属的に記されていたはずのこ 9

のような記事も︑章段化することで独立する記事として解釈さ

れ︑あたかも連続性や調和性を乱しているかのような状態に

なっているのである︒またこのような付属的な記事は︑ときに導入として主要記事の前に配されている場合もある︒

64

  話﹁隆信定長一双事﹂

65

  話﹁大輔小侍従一双事﹂

66

﹁俊成女宮内卿両人歌のよみやうのかはる事﹂ 

  歌を不入心事﹂

67

話﹁具親  

68

話﹁会歌にすがたわかつ事﹂

  蓮顕昭両人心事﹂

69

話﹁寂

一連の記事では好一対の歌人二人を比べるかたちで歌人それぞ 見出し︵=章段名︶により内容が示されているように︑この

70

話﹁式部赤染勝劣事﹂ たことがわかる︒ここで主題が変更され︑

歌はかならず人にみせあはすべき﹂ことが記された後︑続けて

5

話冒頭で﹁はれの

その効用の一例として︑高松女院北面菊合の折︑勝命に歌を見

せ合わせたことで長明が難を逃れたとする自身の経験談が語ら

れていく︒更に

6

話と 挙げられ︑長明はこれを︑﹁これらはみな人にみせあはせぬあ 二年右大臣家百首における兼実・実定・俊成・仲綱の失敗談が

7

話では︑これとは逆の例として︑治承

やまりどもなり﹂と語る︒そして

見せ合わせることの効用として︑頼政が俊恵に歌を見せ合わせ

8

話では再び︑晴の歌を人に

たことで名誉を得たときの様子を語る︒すなわち

5

話〜 章段群も︑︻晴の歌︼を詠むときには必ず人に見せ合わすべき

8

話の

ことを主張した一連の文章であることがわかる︒右のように︑本来は︑大きく︻題と詞︼︻晴の歌︼の二つを主題にして記されていたはずのものが︑見出しが節目となって切断されたことにより︑個々に独立した記事であるかのような状態に分割されているのである︒見出しを節目とするこの一律的

な切断に︑主題の継続や変更といった文章の前後関係は考慮さ

れていない︒一つの可能性を述べるならば︑見出しが付された時点で︑大きな主題ごとの見出しとして︑︻題と詞︼︿

1

4

﹀︑

︻晴の歌︼︿

5

〜   章段の前後関係②︿付随・導入部としての記事﹀ 考えられる︒

8

﹀といった見出しの付し方も可能であったと

18

名跡話﹁関の清水﹂

19

名跡話﹁貫之家﹂

20

名跡話﹁業平家﹂  

21

名跡話﹁周防内侍家﹂

22

名跡話﹁あさもがはの明神﹂

23

名跡﹁関明神﹂ 

24

  話﹁和琴のおこり﹂

25

名跡話﹁中将の垣

(6)

  67

話﹁具親歌を不入心事﹂

宮内 兄の具親を嘆く話︵ 卿に感心した寂蓮が︑義

 

66

話の︿宮内卿﹀からの連想︶

68

話﹁会歌にすがたわかつ事﹂

三体 和歌 会について︵

69

において︿三体和歌会﹀の折の寂蓮を語ることへの導入︶⑧

75

話﹁仮名筆﹂仮名書きの

故実︵

72

話・

73

話・

⑨ 体の︿故実﹀を語ることからの連想︶

74

話で︑歌

80

話﹁頼実が数奇の事﹂頼実が

数寄であること︵

業平を︿数寄﹀として語ることへの導入︶

81

話の

3.﹃無名抄﹄全体の基本構成について 

﹃無名抄﹄の構成に関する研究状況︑および章段配列の様子

を確かめたところで︑以下に﹃無名抄﹄全体の構成について検証していく︒︻題と詞︼︵

1

4

︶︑︻晴の歌︼︵

5

8

︶で構成さ

れる序盤については既に検証していることから︑これに続く

9

話以降の様子を検証していきたい︒

︻歌語︼︿歌林苑関連=祐盛法師・登蓮法師﹀

9歌語浮巣祐盛法師頼政建春門院北面歌合浮巣 挿入部A︵

10〜 13︶

︵ 14千鳥鶴毛衣 15歌風情相似忠胤説法事︶ 16ますほのすすき 17井手山吹並かはづ ︵ 歌語毛衣祐盛法師歌林苑建春門院北面歌合

歌語井手山吹登蓮法師長明    歌語﹁ますほの登蓮法師長明 14付随記事祐盛法師言説︶ れに歌人評が記されているが︑この一連の中では

67

話と 内容が好一対の歌人評から外れており︑歌人評一連の構成を乱

68

話の

した状態になっている︒しかし

67

話は︑

66

話で語られる宮内卿

の話に関連して寂蓮が具親を語る話であり︑

66

話に付随して記

されるものである︒続く

68

話で話は一変し︑長明の回想によっ

て三体和歌会の様子が詳細に語られていくのであるが︑この

68

話は三体和歌会の折の寂蓮を称賛する

69

話に続いており︑

68

69

話への導入の役割を担っていることがわかる︒

さて︑

24

話・

67

話・ 名抄﹄においては︑本来は付随・導入の関係でもって記されて

68

話を具体例として見てきたように︑﹃無

いた記事も︑章段化することで切り離され︑個々に独立するこ

とで︑あたかも構成から外れているかのような状態でもって配

されている︒﹃無名抄﹄全体では︑八二章段のうちの九章段が︑

このような付随・導入の関係でもって記された派生記事であ

る︒①

13

話﹁不可立歌仙之由教訓事﹂

有安の訓戒︵

12

話の︿有安﹀

からの連想︶②

15

話﹁歌風情相似忠胤説法事﹂

祐盛 法師の言説︵

③ 盛法師﹀からの連想︶

14

話の︿祐

24

話﹁和琴のおこり﹂

和琴の起源︵

23

話の蝉丸︿琴の名手﹀

からの連想︶④

42

話﹁蘇合の姿﹂雅楽における

半臂︵

41

話の︿半臂句﹀か

らの連想︶⑤

62

話﹁隠作者事﹂歌合で隠名をすること︵

偏頗を語ることからの連想︶

61

話で歌合の

(7)

9話の延長として︑建春門院北面歌合を意識して語られるもの

である︒そして

9

14

話の主要人物として焦点になる祐盛につ

いては︑続く

言説が紹介されている︒また

15

話でもって︑関連する付随記事として︑祐盛の

16

話・ 様︑歌林苑ゆかりの歌人である登蓮に意識が向けられ︑歌語﹁ま

17

話では︑頼政や祐盛と同

すほの薄﹂﹁井手の山吹・蛙﹂が述べられていく︒続けて︑︻和歌名跡︼を主題にする章段群

18

話〜

40

話を確認

する︒この章段群が和歌名跡に関わる記事を並べたものであ

り︑

23

話の付随記事として

24

話﹁和琴のおこり﹂が記されてい

る様子については先にも触れた︒この和歌名跡の構成部では︑記事の配列方法として︑類似する内容の記事を並べようとする意識が強く働いており︑

19

貫之の家・

20

業平の家・

21

周防内侍

の家といった歌人の屋敷跡にまつわる記事配列や︑

神・

22

浅茂川明

23

関明神といった神社関連の記事の連続が意識されてい

る︒同様にして︑

26

人麻呂の墓と

37

猿丸大夫の墓も︑古き歌人

の墓所として連続する状態にあったと推測される︒この

26

話と

37

話の間にも︑和歌名跡とは異なる主題の構成部︵挿入部B︶

が割り込んだ状態になっており︑和歌名跡の構成部の中に︑主題の断層をつくり出している︒

︻歌語︼︻和歌名跡︼に差し込まれた挿入部ABについて

︻歌語︼︻和歌名跡︼の構成部には︑それぞれ異なる主題の章段群AおよびBが割り込んだ状態となっている︒ここで全体の構成に関する検証からいったん外れて︑AB二箇所の挿入の様子について述べておきたい︒ABが後の挿入部であることは︑ ︻和歌名跡︼

18清水 19貫之家 20業平家 21周防内侍家 22あさもがはの明神 23関明神

24和琴のおこり︶

25中将垣内

26人丸墓 ︵ の名手名跡︿明神関蝉丸神社蝉丸︵﹃俊頼髄脳﹄には 名跡︿浅茂川明神網野神社 名跡︿周防内侍家名跡︿業平家跡名跡︿貫之家跡名跡︿清水

名跡︿人麻呂名跡︿業平った家跡﹀ 23付随記事和琴起源 挿入部B︵

27〜 36︶ 37猿丸大夫墓 38黒主神成事 39喜撰 40葉井名跡︿榎葉井名跡︿喜撰家跡名跡︿黒主神社名跡︿猿丸大夫

9

話〜

17

話は︑︻歌語︼を主題にする章段によって構成され

ている︒歌林苑を意識しながら歌語について語ろうとするこの構成群の途中には︑まるで断層のようにして異なる主題の構成部︵=挿入部A︶が割り込んだ状態になっており︑これは﹃無名抄﹄編纂の最終段階で差し込まれた挿入箇所と考えられる︒歌語の構成部として︑まずはこの挿入部Aの箇所を除いた状態

でもって考えていきたい︒

まず

9

話は︑

8

話との連接を意識しながら建春門院北面歌合

における頼政の歌が示され︑この歌に用いられている歌語﹁鳰

の浮巣﹂について語られる︒続く

14

話では︑

難じた祐盛の歌をもとに︑

9

話で頼政の歌を 毛衣﹂が語られていく︒またこの

9

話に続いて鳥に関わる歌語﹁鶴の

14

話には︑﹁さきにや申侍つ

る建春門院の殿上の哥合にも﹂と記されているように︑

8

話・

(8)

︻和歌表現︼

︵ 41半臂句 42      蘇合姿︶ 43句劣れる秀歌 44歌詞糟糠 45をいたくつくろへば必劣事 46依秀句心劣する 47案過成失事 48静縁こけうたよむ

49代々恋中秀歌表現論︿半臂

顕輔撰俊恵撰長明撰表現論︿恋歌秀歌撰表現論︿こけ表現論︿ぎて耳障りな表現論︿秀句があるのに失敗している表現論︿技巧らしぎて失敗した表現論︿になるをもつ表現論︿二句目三句目﹀ 41付随記事雅楽における半臂︒﹁蘇合﹂︶

41

話〜 記事の構成部となる︒まず

49

話は︑和歌表現に関わる技巧・難点・秀歌に関する

句目に枕詞を用いた歌として︿半臂の句﹀が語られる︒続く 稽古の場面が回想され︑この中で俊恵と長明の会話により︑三

41

話では︑和歌の師である俊恵との

42

話でもってこの︿半臂﹀からの連想による雅楽の﹁蘇合﹂が述べ

られた後︑

43

話から

48

話まで︑表現技法に関わって失敗した歌

の例が次々に語られていく︒そして

歌表現のあるべき模範として︑秀歌の具体例が列挙されてい

49

話ではこれとは逆に︑和

10

︻歌人の心得︼

  

50歌人不可証得事 51非歌仙歌じたる ︒ 52思余比自然よまるる心得︿ずからまるるとして心得︿とする長守った逸話心得︿歌人証得すべからざる俊恵訓戒

50

話〜

52

話は︑歌人が心得ておくべき教戒を語る章段群であ

る︒

50

話では和歌の師・俊恵の回想が語られ︑長明が俊恵に受

けた最初の教えが︑歌人としての﹁証得︵=体得したと己惚れ

ること︶﹂の禁止であったことが語られる︒続く

51

話と

52

話で

は︑和歌とは道理に従うもの︑人の心に自然と湧き出てくるも 次の三つの理由により知ることができる︒①AB共に︑その前後とは異る主題から成る章段群であり︑

ABが除かれることで︑︻歌語︼︻和歌名跡︼の構成部はい

ずれも単一主題の構成部へと復元されること︒︵ABの内容および主題については後述︒︶②﹃無名抄﹄の章段配列には連続性や関連性が熟慮されてい

るが︑ABそれぞれの前後︑すなわち9話と

14

話︑

26

話と

37

話は内容的に明らかに連接しており︑ABが差し込まれ

たことによって︑連接が断ち切られた状態になっているこ

と︒③﹃無名抄﹄全体を通じて︑構成が大きく乱れているのは︑

ABの二箇所のみであること︒章段の配列状況①②③の理由によって︑ABの二箇所が挿入部位であったことを知ることができる︒またABの内容面での特徴から④の理由を更に挙げておくと︑後述するように︑AB

は共に﹃袋草紙﹄関与の記事を含む章段群であり︑これが﹃無名抄﹄最末部と同じ特徴を備えていることから︑このABの挿入が︑﹃無名抄﹄最末部の執筆に続く最終的な作業であったこ

とが推測される︒

さて︑AB挿入の様子を確認したところで︑再び﹃無名抄﹄全体の構成論に戻り︑検証を進めることにする︒

(9)

この

55

話〜

70

話では︑長明から見た近代の歌人を対象に︑そ

の人物評や歌人評価が語られていく︒この構成部は前半と後半

とに大きく分かれており︑高位の近代歌仙を個々に記した前半

と︑好一対の歌人二人を並べて比較する後半とに分かれてい

る︒前半は︑﹃金葉集﹄から﹃千載集﹄の時代を中心に︑その時代

を代表し得る傑出した歌人達の評価が記されていく

11

55

話〜

61

話にかけては︑語り手を示して記述の客観性を図る一方︑評価

の比較対象として常に俊成が意識されており︑実際には長明の主観が強く作用している点に特徴をもつ

︒続く 12

62

話は︑

名のあり方を記したものである︒ 記された歌合の偏頗に関わる付随記事であり︑歌合における隠

61

話で

なお

並んで集中の七位︶であることから︑近代歌仙の一人として扱

63

話の道因については︑﹃千載集﹄入集が二〇首︵清輔に

うことは可能であろう︒しかし

63

話における道因の評価は︑他

の歌仙らと異なり︑和歌の力量でなく︑歌道への志を評価する点で他とは区別される

︒また 13

形式的には︻歌人評︼後半の好一対型の歌人評に分類可能であ

61

話﹁俊成清輔歌判有偏頗事﹂が︑

る点に注視するならば︑これに付属する派生話

62

話に続くべき

は︑

道因評が排列を乱しているのは︑道因の歌人評価が他の歌仙

64

話﹁隆信定長一双事﹂以降の好一対型の歌人評群である︒

︵俊頼・俊成・俊恵・清輔・頼政︶と基準を別にしているため

と考えられる︒後半

64

話〜

者を比較することで︑その特徴と差異を明確にしようとするも

70

話の好一対形式の歌人評は︑評価が接近する二 ︻歌会の作法︼ れている︒ のとする教えが示され︑歌人としての和歌への心構えが述べら

53範兼家会優なる 54近代会狼藉事近代歌会様子 範兼家歌会様子

53

話および

法が時代とともに乱れていく様子について語られる︒

54

話は語り手を俊恵とする一連の話で︑歌会の作

53

話で

は︑旧き歌会の例として範兼の家で催された歌会が取りあげら

れ︑その優美で洗練された歌会の様子が詳細に語られる︒対す

54

話は︑﹁この比﹂の歌会が﹁みだれがはしき事かぎりなし﹂

として︑その雑然とした様子を具体的に指摘する︒

︻歌人評︼批評対象﹈ 55 俊成入道物語 56頼政歌道にすける 57 清輔弘才事 58 俊成自讃歌事 59俊恵難俊成秀歌事 60 俊恵秀歌

︵ 61俊成清輔歌判有偏頗事

62隠作者事︶︵ 俊成清輔顕昭 俊恵俊恵 俊成俊恵 俊成俊恵 清輔勝命      頼政俊恵俊恵俊頼頼政俊成

61付随記事隠名近代歌仙 63道因歌志深事道因数寄者

28にも︶

64隆信定長一双事 65大輔小侍従一双事

︵ よみやうのかはる 66

︵ 67具親歌不入心事︶ 68 にすがたわかつ 69寂蓮顕昭両人心事

70式部赤染勝劣事 俊成女宮内卿 大輔小侍従 隆信定長

︵ 66付随記事具親︶ 69話導入記事三体和歌

寂蓮顕昭和泉式部赤染衛門 好一対歌人

(10)

語られた後︑

書きの故実﹀が述べられている︒

75

話で﹁故実﹂に関わる付随的事項として︿仮名

︻諸国の和歌︼︿歌語・和歌説話﹀

76諸浪名 77あさりいさりの差別 78五日かつみをふく りて 79 歌語 歌語為仲安積かつみ﹂︵陸奥歌語り﹁あさり・いさり﹂︵東国︶ なみ・さなみ﹂︵筑紫歌語﹁おなみ・さなみ・ささらなみ﹂諸国︶︒﹁う

為仲宮城野﹂︵陸奥

80頼実数奇︶︵

81         導入記事・﹁数寄﹂︶数寄 81業平本鳥きらるる 82 をのとはいはじとい説話業平小町陸奥説話業平数寄にことせてへ﹂小町陸奥 ︹とこねのこと︺  

83底本見出しナシ        歌語歌人評清輔への不当評価

76

話〜

82

話では︑歌語と和歌説話を列挙しながら︑諸国にお

ける和歌の様相が述べられていく︒

関わる諸国の歌語が挙げられる︒

76

話では︑範綱を始めとする三者の見聞をもとに︑︿波﹀に

紹介され︑ 歌語である︑︿漁﹀を表す東国の歌語﹁あさり﹂と﹁いさり﹂が

77

話では続けて海辺に関わる

78

話と 奥の歌語が記される︒

79

話では︑何れも為仲の逸話をもとにして陸

78

話と 姿にも視点が向けられており︑

79

話では︑数寄者としての為仲の

80

話で改めて﹁数寄者﹂の例と

して頼実が紹介された後︑これを導入にして︑

81

話で﹁数寄に

こと寄せて東の方へ﹂下っていった業平が語られていく︒

81

82

話は︑陸奥での業平と小町に関する伝説を描いたものであ

る︒ のである︒

67

話と

68

話の箇所が︑前後の付属的な記事であるこ

とは先に述べたとおりである︒

︻歌体︼

幽玄 71近代歌体中比﹂と﹁歌体変遷歌体論 72俊恵定歌体事浮紋故実

歌体故実

73取名所様 74新古歌

75仮名筆︶︵ ることの 名所ることの故実

︶ 74きの

71

話〜

75

話では︑各種の歌体について語られている︒

体﹂と︑これとは異なる新しい歌体として︑後鳥羽院歌壇のも

71

話では︑三代集から続く伝統的な王朝和歌の歌体﹁中比の

とで隆盛する﹁今の世の歌︵幽玄の体︶﹂について語られる︒こ

の中で長明は︑対話形式をとりながら自身を﹁ある人﹂の言葉

に仮託しながら︑﹁今の世の歌﹂の理念が﹁幽玄﹂であり︑その本質が余情と景気にあることを説いている︒続く

72

話で長明

は︑和歌の師・俊恵が語る理想の歌体﹁浮紋﹂を取りあげ︑﹁浮紋﹂の本質がやはり余情と景気であることを示して︑六条源家

の和歌が﹁幽玄﹂にも通じていることを説く︒

また

72

話では﹁浮紋﹂の歌体に続けて︑﹁良き歌﹂の例が長短

の指摘と併せて種別に示された後︑和歌を実際に詠む上での典型として﹁故実の体﹂が示されていく︒﹁故実﹂とは模範となる古い先例のことであり︑王朝和歌の長き伝統によって培われて

きた様式的な和歌の詠み方を指すものと考えられる︒この﹁故実の体﹂が︑﹁一には﹂の発語のもと︑

74

話まで種別に継続して

(11)

挿入されたことで︑現状の﹃無名抄﹄は︑項目別分類の組織を一部に乱した状態になっているのである︒

さて︑編纂初期の状態と推測される︑右の基本構成をもとに

して︑歌論書﹃無名抄﹄の構成と記事配列の方法について確認

しておきたい︒まず﹃無名抄﹄全体の構成は︑項目別分類を基本にすることが確かめられた︒加えて﹃無名抄﹄は︑項目内部

においても記事の配列に二次的な構成が意図されており

︑全体 14

と内部の両方で︑綿密に構成が意識されたものとなっている︒従来の研究において︑﹃無名抄﹄は構成を持たない歌論書とさ

れ︑筆にまかせて自由に書き進められた書︑歌道随筆の書とし

て理解されてきた︒しかし実際の﹃無名抄﹄は︑構成から配列

にいたるまで︑緻密な計算のもとに執筆された歌論書であると考えるべきである︒

4.挿入部Aと挿入部Bについて

﹃無名抄﹄の構成が項目別分類を基本とする様子を確かめて

きた︒ここで当然問題になるのは︑この項目別分類の組織を乱

して挿入されたABの二箇所である︒次にこのABの章段群に

ついて検証する︒まずは︻和歌名跡︼の構成部に挿入されたB

の章段群から検証する︒ また

82

話の続きには︑見出しの無い状態でもって︑清輔に関

する歌人評が記されており︑

83

話目に相当する記事となってい

る︒この清輔の歌人評については︑諸国の歌語・和歌説話を記

した︻

76

話〜 出しが無いことと併せて︑疑問点の多い記事であると言えよ 底本とする東京国立博物館蔵梅沢記念館旧蔵﹃無名抄﹄では見

82

話︼と主題を隔てるものであり︑加えて本稿が

う︒

さて︑挿入の痕跡を残すABの章段群を除きながら︑﹃無名抄﹄全編の内容と構成を検証してきた︒これを章段番号の順に

まとめると以下のようになる︒

  

﹃無名抄﹄編纂当初の基本構成挿入部分Aおよびいた構成︒︶

項目別分類主題章段番号

1.

1〜 4

2.

5〜 8

3.歌語

9︑ 14〜 17

4.和歌名跡

18〜 26︑ 37〜 40

5.和歌表現

41〜 49

6.歌人心得

50〜 52

7.歌会作法

53〜 54

8.歌人評

55〜 70

9.歌体

71〜 75 10.諸国和歌︿歌語和歌説話

76〜 82

ABの章段群を除くことで︑﹃無名抄﹄は項目別分類に組織

された歌論書として︑完全な状態︵見出しナシ

類を基本とする歌論書だったのであり︑これにABの二箇所が 元されることになる︒つまり編纂当初︑﹃無名抄﹄は項目別分

83

を除く︶に復

(12)

いても言及しておくと︑和歌名跡の

部B冒頭の

26

話﹁人丸墓﹂に続く挿入

27

話﹁貫之躬恒勝劣﹂は︑

26

話に続いて柿本人麻呂

に関わる記事である

︒B部の挿入は︑ 16

続けて︑︻歌語︼の構成部に差し込まれたAの章段群を検証 い︒ 挿入になっており︑偶発的に生じた錯簡であるとは考えられな

26

話との連鎖を意識した

する︒挿入部A︵

10

13

︻歌人評︼︵清輔と長明への不当な評価︶︒

10このもかのもの 11せみのをがはの 12千載集予一首入悦事

13不可立歌仙之由教訓事︶︵ ︵不当評価俊成歌人評長明千載集入集一首有安     歌人評長明歌語瀬見小川﹂︵不当評価︶ ︵不当評価俊成 歌人評清輔歌語﹁このもかのも﹂﹃袋草紙﹄と重複

挿入部Aは︑清輔と長明に関する不当な評価を記した 12付随記事有安訓戒

10

話・

11

話・

12

話と︑

12

話の有安言説に付随して語られる派生記事

13

話から成る

17

またA部について︑︻歌語︼構成部への挿入のあり方につい

ても言及しておくと︑清輔と長明の歌人的評価を語る

10

話と

11

話は︑﹁このもかのも﹂﹁瀬見の小川﹂という何れも歌語の使用

に関わる記事であり︑

9

話の﹁鳰の浮巣﹂に続けることで歌語

の記事が連続し︑︻歌語︼構成部への挿入に違和感が生じない

よう配慮した挿入になっている

作業の結果により︑この位置に意図して配されていることを知 事の配列を考慮した挿入になっているのであり︑これらが編集 ︒つまりAB共に︑明らかに記 18

ることができるであろう︒ 挿入部B︵

27

36

︻歌人評︼︵俊頼の称賛・基俊の軽視︶

27貫之躬恒勝劣 28俊頼歌をくぐつうたふ 29同人歌名字をよむ 30三位基俊弟子になる 31俊頼基俊いどむ 32腰句のて文字難事 33琳賢基俊をたばかる

34基俊僻難する 歌人評俊頼称賛俊忠軽視貫之躬恒優劣論

人麻呂赤人歌人評俊頼称賛 歌人評俊頼称賛 歌人評俊頼称賛基俊軽視である ことを明記歌人評俊頼称賛基俊軽視 歌人評     基俊軽視歌人評     基俊軽視歌人評俊頼称賛基俊軽視

︻恋歌の贈答︼

 

35艶書古歌書 36        よみかけたる故実恋歌贈答故実袋草紙﹄と重複 艶書古歌

挿入部Bは︑俊頼と基俊に関する︻歌人評︼

27

34

と︑︻恋歌

の贈答︼

35

36

︑この二つの構成部から成る︒︻歌人評︼

27

34

の項目内部には︑二次的な構成として俊頼と基俊の対比が意図

されており︑ここでは俊成を強く意識しつつ俊成の和歌的系譜

である俊忠と基俊に関する否定的な記事が記されていく一方︑

これと対比するかたちで︑長明の和歌的系譜となる六条源家歌人俊頼への称賛が語られている

︒またB部後半の︻恋歌の贈答︼ 15

は︑

35

﹁ある古き人﹂と

36

﹁勝命﹂の二者によって︑恋歌の贈答

に関わる故実が語られている︒以上のように︑︻和歌名跡︼の構成内部には︑これと異なる主題の章段群︻歌人評︼︻恋歌の贈答︼が入り込んだ状態になっ

ている︒

なお挿入部Bの︑︻和歌名跡︼群への挿入方法のあり方につ

(13)

5.﹃袋草紙﹄の資料的利用と記事の加筆

AB挿入の経緯を探るべく︑その執筆内容を更に検証してい

く︒挿入部ABの記述内容で特に注目すべき点は︑第一にその大部分が歌人評であること︑そして第二に︑清輔﹃袋草紙﹄と

の記事重複が生じている点である︒ここでは﹃袋草紙﹄との関係から︑AB挿入の様子を考えていく︒

﹃無名抄﹄に﹃袋草紙﹄との記事重複が目立つことは︑既に先学諸氏によって折々に指摘されてきたところである︒ここで

﹃袋草紙﹄からの影響を考慮すべき章段を示すと︑以下に挙げ

80

話・

81

話・

82

話・

10

話・

36

話である

19

無名抄最末部

80﹁頼実数奇

81﹁業平本鳥きらるる

︵ 82﹁をのとはいはじといふ﹂ への不当評価 83 ︶﹁とこねのこと﹂底本見出しナシ歌語清輔 挿入部

評価 10  ﹁このもかのものへの挿入部

36﹁よみかけたる故実

﹃無名抄﹄に生じている﹃袋草紙﹄との記事重複は︑﹃無名抄﹄

の最末部と挿入部AとBに偏って生じている︒また︿清輔への不当な評価﹀を記した記事が︑﹃無名抄﹄末尾︵﹁とこねのとこ﹂東京国立博物館蔵梅沢記念館旧蔵本は見出しナシ︶と︑挿入部

Aにあることも注目すべきであろう︒ここから導かれる推論と

して︑﹃無名抄﹄の最終部︻諸国の和歌︼の執筆に際して︑長明

は﹃袋草紙﹄を資料として用いているのであり︑この﹃袋草紙﹄ さて先の﹃無名抄﹄基本構成に︑挿入部ABを含めて全体の組織構成を一覧すると︑以下のようになる︒

 

﹃無名抄﹄︵再編後︶の全体の構成︵見出し番号順︶

1.

1〜 4

2.

5〜 8

3.歌語Ⅰ

9

A.歌人評Ⅰ清輔長明    

10〜 13

3.歌語Ⅱ

14〜 17

4.和歌名跡Ⅰ

18〜 26

B.歌人評Ⅱ俊頼基俊    

27〜 34

B.恋歌贈答      

35〜 36

4.和歌名跡Ⅱ

37〜 40

5.和歌表現

41〜 49

6.歌人心得

50〜 52

7.歌会作法

53〜 54

8.歌人評Ⅲ︿近代歌仙好一対歌人

55〜 70

9.歌体

71〜 75 10.︿﹀︵+

76〜 82︵+

83︶

ABの章段群が差し込まれたことで︑歌語︵Ⅰ・Ⅱ︶・和歌名跡︵Ⅰ・Ⅱ︶・歌人評︵Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ︶の構成部が︑複数に分散

した状態になっており︑﹃無名抄﹄の組織が乱れている様子が確かめられる︒﹃無名抄﹄において同一カテゴリーが各所に分散した状態にあるのは︑ABの挿入が直接の原因で生じていた

のである︒

(14)

行われたこの再編作業が︑実際には︻歌人評︼構成部の再編作業であったことを見逃してはならないであろう︒すなわち︑本来の︻歌人評︼構成部から歌人評の一部を切り出し︑加筆記事

と併せて︑︻歌語︼と︻和歌名跡︼の構成部に差し込むという作業が行われたのである︒長明は︑﹃無名抄﹄の執筆が終了した何れかの段階において︑︻歌人評︼構成部を再編する必要性を意識したのである︒長明は︑なぜ歌人評を分割して切り離す必要があったのだろうか︒挿入部Aは︑清輔に対する不当な評価に続けて︑長明自身に対する不当な評価を記すものであった︒筆者である長明が︑長明自らの歌人評価を語っているA部の記述が︑歌人評としての客観性を著しく欠いたものであることは言うまでもない︒また六条源家の歌学を学んだ長明が︑六条源家の和歌大成者である俊頼の称賛を繰り返し︑これと対比させて基俊嘲笑の記事を並

べるB部の記述も︑客観的な立場からの歌人評価であるとは考

えにくい︒このようなABの歌人評の様子に注目するならば︑長明が︻歌人評︼構成部を再編しようと意識した理由の一つに

は︑長明個人の主観や立場に偏った歌人評の記述部分を︑︻歌人評︼構成部から切り離そうとする意識が働いた可能性が考え

られる︒

おわりに

﹃無名抄﹄に関するこれまでの理解は︑後人によって付され

たであろう見出しをもとにして︑章段を強く意識してなされる

ものであった︒また歌道随筆としての理解のもと︑﹃無名抄﹄ の利用がきっかけとなって

20

10

﹁このもかのもの論﹂と︑

36

﹁女

の歌よみかけたる故実﹂の記事が加筆されたと考えるべきであ

ろう︒清輔の不当な評価を記した加筆記事

論﹂は︑同じく長明の不当な評価を記した歌人評と併せてA部

10

﹁このもかのもの

へと挿入され︑同様にして︑

主体にして記された加筆部︻恋歌の贈答︼︵

36

﹁女の歌よみかけたる故実﹂を

35 36

︶もまた︑俊頼

と基俊の歌人評と併せてB部に挿入されたと考えられる︒

また︑

10

﹁このもかのもの論﹂と

82

付属﹁とこねのこと﹂は︑

いずれも歌語を論じながら清輔への不当な評価を記したもので

あり︑内容の類似が著しい︒﹃無名抄﹄の配列方法は︑項目別構成の下︑同種・類似の記事を並べるものであり︑この二つの記事も類例として︑当然︑同所に配されるべき記事である︒挿入部Bにおける俊頼と基俊の記述が︑その類例をいくつも並べ

ているように︑当初はA部においても清輔の記事を並べようと

する構想があったと考えられ︑結局はA部に使用されなかった

﹁とこねのこと﹂が︑そのまま﹃無名抄﹄末尾に残されたものと推測される︒

このように︑ABの挿入作業は︑﹃無名抄﹄最末部の執筆と直接に結びついて︑これに継続する作業として行われているの

であり︑その作業が長明自身の手によって行われていた様子を見て取ることができるのである︒

6.﹃無名抄﹄の再編について

次に︑挿入部ABの大部分が歌人評であることの意味につい

て考えていきたい︒歌人評を主体とするABを挿入することで

(15)

の各話は個々に独立した記事として扱われ︑各論的に解釈され

るのが一般的であった︒このため︑これまでの﹃無名抄﹄の理解は︑全体の組織や構成への視点を欠いた理解にとどまるもの

であったと言える︒しかし実際には︑﹃無名抄﹄は項目別分類

を基本にして︑組織的な構成のもとに編纂された歌論書であ

り︑再編集がなされたことによって︑構成の一部が乱れた状態

となっていたのである︒また︑この﹃無名抄﹄全体の組織に目

を向けるならば︑項目別の基本構成は︑詞・題・晴の歌といっ

た歌学的な内容に始まり︑表現論・歌人評・歌体論へと徐々に歌論的な内容へと移行していく様子も確かめることができるの

である︒

さて︑本稿考察で明かにしてきたように︑編纂当初の﹃無名抄﹄は︑全体の構成から細部の配列に至るまで︑綿密な配慮の

もとに編纂された歌論書であった︒しかし一度は完成した状態

の歌論書を︑その構成を乱してまでして︑なぜ再編する必要が

あったのかという問題については︑いまだ大きな疑問を残すと

ころであろう︒記事の加筆や歌人評の再編をその理由の一部と

して指摘したが︑これが直接の動機であったと考えるのは︑や

はり難しいように思われる︒なぜ歌人評を分割し︑﹃無名抄﹄

を再編する必要があったのか︒その理由を探るためには︑これ

までのように章段を個々に読み解くという︑各論的な理解のあ

り方では不十分であり︑再編前の︻歌人評︼構成部を復元し︑歌人評全体としての長明の主張を整理する必要がある︒その上

で︑︻歌人評︼構成部に続けて語られる︻歌体︼構成部との整合性を量りながら︑歌人評再編の必要性がどこにあったのかを 探っていく必要がある︒挿入部ABの記述が︑長明個人に対す

る不当な評価を記し︑六条源家や御子左家︵俊成︶を強く意識

していることを考慮すれば︑それは︻歌体︼構成部にて語られ

る新旧歌体の対立と併せて︑歌壇に対しての長明の主張と関わ

るものであると推測されるが︑その解明については︑稿を改め

ての更なる調査が必要になるであろう︒

注︵

含め︑近代研究における認識はいずれも同様︒小林一彦氏﹁筆

1

︶具体例として近年の研究から一部を挙げる︒以下の指摘を

にまかせて書きつづられた︑いわば和歌随筆とでもいうべき本書は︑学者の手になる和歌の作法書や歌学書とは︑明らか

に一線を画している﹂︵歌論歌学集成第七巻  ﹃無名抄﹄解題

三弥井書店

2006

︶︒久保田淳氏﹁本書には構想らしいものはほ とんどうかがえない︒︹中略︺歌論書というよりはむしろ和歌随筆または歌話とでも呼ぶほうがふさわしい﹂︵角川ソフィア文庫﹃無名抄﹄解説 

2013

︶︒木下華子氏﹁連続する章段の連続性は高いが︑雑纂的・随筆的であろう﹂︵﹃和歌文学大辞典﹄

︽無名抄︾の項目  株式会社古典ライブラリー

2014

̶̶ 164 2019 .06

構成と執筆意図について﹂︵語文輯︶

̶̶ 2

︶﹁﹃無名抄﹄における︿六条源家﹀尊崇の意識﹃無名抄﹄の

1938 1962 3

︶簗瀬一雄氏﹃鴨長明の新研究﹄︵中文館/風間書房︶

  語国文研究通号

̶̶ ̶̶ 4

︶比良輝夫氏﹁﹃無名抄﹂小考説話連続をめぐって﹂︵国

50 1972 .10

︶︒同氏﹁﹃無名抄﹄の構成をめ ぐって﹂︵国語国文研究  通号

57

1977 .02

̶̶ 5

︶辻勝美氏﹁﹃無名抄﹄の考察内容構成の問題を中心とし て

̶̶

﹂︵語文

39

1974 .03

輯︶

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