15
一人権外交とその論拠
外国の人権問題を国家の外交の対象に組み入れることを人
権外交と呼ぶのだとすれば、カーター前米政府の人権外交が
その典型といえよう。そこで、まず、カーター人権外交を簡
単に跡づけることによって、人権外交がもつ国際法上の問題
を明らかにしておきたい。
たとえば、「国際的に承認された人権の重大な侵害の一貫
したパターンを呈する政府には異例の事情がない限り軍事援
助又は武器売却を禁止する」、「抑圧的政府に対する開発援助
は貧窮した民衆に直接給付されるものを除き禁止する」とい
う条項を対外援助法に付することによって、米連邦議会が政
府の援助政策に枠をはめようとする動きはすでに一九七三年
人権外交と国内事項不干渉の原則 薬師寺 公夫
頃から強まっていた。しかし、カーター以前の政府は、「基
本的人権の保護は各国国内管轄の微妙な面であり、他国の国
内政策をアメリカ外交の直接の目的とすることは危険であ
る」(キッシンジャー)等として、議会の意向を拒否してきた。
これに対し、カーター政府は、世界各国での人権遵守の促
進こそアメリカ外交の中心目標におかれるべきだとする立場
から、政府内人権部局の整備拡充をはかり、その調査報告に
基づいて、各国(ソ連・東欧はもとより中南米諸国、ウガンダ、
エチオピア、韓国等々)の人権問題を取り上げ、さまざまの場
でこれを非難するとともに、議会と協調しながら、人権侵害
国と認定した諸国に対して軍事もしくは開発援助を停止、ま
たは削減したり、国際機関による援助に反対する措置をとっ
た。こうした諸措置によって、中南米の若干の諸国では政治 (
) 3 (
) 1
(
) 2
16
囚の釈放等、若干の人権状態の改善があったといわれるが、
韓国、フィリピン等安全保障が優先する諸国では、人権外交
はたんなるレトリックにすぎなかったと指摘される。 ()
カーター人権外交を米国の同盟国・友好国を弱体化させ、
安全保障を危険ならしめるものと批判したレーガン政府も、
人権外交そのものを放棄したわけではない。ただしレーガン
政権のもとでは、同盟・友好国にみられる「権威主義国家」
と東側の「全体主義国家」とを区別し、より重大な人権侵害
を後者にみて、人権外交の矛先をいっそう東側諸国に向ける
ほか、同盟国・友好国に対しては人権侵害の個々の局面に対
する対応よりも、西欧的民主制度の安定的育成そのものに重
点をおくなど、強調点に変化がみられるといわれる。 ()
こうした人権外交は優れて米国の対外戦略を色濃く反映し
たものであるが、その対象とされた諸国から国家主権の侵害、
内政干渉といった非難を招いた。それでは、人権外交はそれ
を支持ないし擁護する論者によって、国際法上どのように弁
護されていたのだろうか。
一例として、リリック(
R . L ill ich
)は、通常武力を伴う命令的な干渉(
in te rv en tio n
)と 干 渉 に 至 ら ぬ
in te rc es sio n
を区別しながら、世界の良心を震憾させる人権侵害(最近の例とし
て、ウガンダ、ウルグアイ、ブルンジの人権侵害が示唆される)に 対しては、一定の要件を厳守すれば武力による人道的干渉
(h um an ita ria n in te rv en tio n)
も慣習国際法上許容されると述べる。国連による制裁の不備を衝いて人道的干渉を正当化し、
その発動要件の確定に注意を払うリリックは、それに至らぬ
人道的
in te rc es sio n
を威圧の程度が低いものから高いものまで五つに分類して説明するが、それは政策的選択のためのも
のであって、それらの合法性は当然の前提とされているよう
である。 ()
5 4
(
)6
しかし、こうした強硬な弁護論ばかりではない。いま一つ
の例として、バーゲンタル(
T. B ue rg en th al
)は、干渉概念そのものには政治的および経済的強制も含めて考えなければな
らないとの立場をとりつつも、むしろ一定の人権問題はもは
や国内問題でなくなったから干渉が許されるという論法をと
る。すなわち、国連の実行によって、大規模で系統的な人権
侵害の場合、さらに、個々の人権侵害であってもそれが偶発
的事件でなく国の一般的政策の症状を示す場合には、国連加
盟諸国の間では、人権侵害追及の干渉は禁止された国内管轄
事項への干渉ではないとされる。 ()
以上は二例にすぎないが、人権の国際関心事項化、さらに
は国際法上禁止される干渉概念の限定という二重の論拠によ
って、経済制裁や極端な場合、武力行使さえ含む人権のため
7 8
17 人権外交と国内事項不干渉の原則
の干渉が弁護されるのである。しかし、こうした議論ははた
して妥当であろうか。とりわけ問題と思われるのは、人権の
国際的保障のため諸国家が今日まで営々と各種の人権条約制
度の創設に努力してきたのは、個別国家による干渉といった
形から、国際組織または国際手続による保障に転換させるこ
とによって、国家的性格を払拭できないまでもそれを緩和す
るためであったのではないか、という点との整合性である。
以下では、こうした問題意識をもちつつも、とりあえず、前
述の議論に即して、現在人権問題が具体的人権条約を離れた
ところでどの程度国際関心事項とされているのか、また、人
権を理由とする介入がどの程度許容されると考えられている
のかを、まず国連の実行をみることによって、つづいて人権
の尊重と内政不干渉の関係がしばしば問題にされた、欧州安
全保障・協力会議の最終議定書およびその再検討会議を素材
とするこ ()
() とによって、若干の考察をしてみたい。
(1) see, D. Fraser, “Congress’s Role in the Making of International Human Rights Policy,” D. Kommers and G.Loescher (ed.), Human Rights & American Foreign Policy(以下、American Foreign Policy), 1979, pp. 247―249; L.Schoultz, “U.S. Economic Aid as an Instrument of ForeignPolicy: The Case of Human Rights in Latin America,” J.Nelson and V. Green(ed.), International Human Rights: Contemporary Issues, 1980, pp. 317―329; N. Petro, The Predicament of Human Rights, The Carter and Reagan Po-licies, 1983, pp. 1014.
9
10
―(2) R. Cohen, “Human Rights Descison-Making in the Executive Branch: Some Proposals for a Coordinated St-rategy,” American Foreign Policy, op. cit., p. 217; see also, L. Schoultz, op cit., pp. 317319. .―(3) see, R. Cohen, op. cit., pp. 226―240; N. Petro, op.cit., pp. 1531; L. Schoultz, op.cti., pp. 329339. ――(4) see, L. Schoultz, op. cit., p. 333; N. Petro,op. cit.,pp. 32―42; D. Carleton and M. Stohl, “The Foreign Policyof Human Rights: Rhetoric and Reality from Jimmy Car-ter to Ronald Reagan,”Human Rights Quarterly, Vol. 7,1985, pp. 215―216; F. Pflüger, “U.S. Human Rights Po-licy―from Carter to Reagan,” Aussen Politik(Eng. ed.), Vol. 35, 1984, pp. 336338. ―(5) see, N. Petro. op. cit., pp. 43―59; D. Carleton and M. Stohl,op. cit., pp. 205, 208―210, 217―227; F. Pflüger,op. cit., pp. 339349. ―(6) R. Lillich, “A United States Policy of HumanitarianIntervention and Intercession,” American Foreign Policy,opct.2. i, pp. 287―91. (7)Ibid., pp. 280―287, 289; see also, P. Matthews and C. Pratt, “Human Rights and Foreign Policy: Principles and Canadian Practice,” Human Rights Quarterly, Vol. 7, 1985,pp. 169―171. (8) T. Buergenthal, “Domestic Jurisdiction, Interventionand Human Rights: The International Law Perspective,”P. Brown and D. MacLean (ed.), Human Rights and U.S.Foreign Policy, 1979, p. 115
.
18
(9)
田
畑茂二郎、法学理論篇一五八『人権と国際法』、日本評論新社、昭和二七年、一三〇―一三四ページ参照。(
10) 人
権保護と内政不干渉に論究した、松田竹男「現代国際法と内政不干渉の原則
(下)」季
刊『科学と思想』第五四号(一九八四年一〇月)、三一―三六ページを併せて参照されたい。
二国連による人権保護と国内問題不干渉
国連憲章第五五条は、「人権及び基本的自由の普遍的な尊
重及び遵守」の促進を国連の活動目的として設定し、第五六
条は、右の目的達成のため加盟国が「この機構と協力して、
共同及び個別の行動をとることを誓約する」と定める。他方、
憲章第二条七項は、「憲章のいかなる規定も、本質上いずれ
かの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合
に与えるものでな(い)」と規定する。
国連による人権保障に関連しては、しばしば右の規定の相
互関係が問題とされてきたが、これまでの研究から従来次の
ような指摘がなされてきた。
まず、憲章第五五条および第五六条から、加盟国が直接人
権保障義務を負っているか否かの点については論争があるが、
少なくともこれらの規定によって、いかなる人権問題も加盟
国が自由に決定できる国内問題だとすることは困難になった。 ()
()
さらに、国連の実践過程からは、「一般的人権問題」の場合 にはなお基本的には加盟国の国内管轄事項であって、ただ国
際摩擦を生じるようなときには国連の「干渉」に至らぬ措置
が認められるのに対し、アパルトヘイトのような人種差別に
基づく制度的、恣意的人権侵害の場合には国連加盟国の義務
と両立せず、当初より国内事項でなく、それへの固執が国際
平和に対する脅威となるときには憲章第七章の強制措置も発
動可能となる、とされてきた。 ()
1
2
こうした国連の対応は、一九六〇年代後半から人権委員会
を中心に新たな展開をみせる。一例を示せば、六七年の人権
委員会決議八(
X X II I
)および経済社会理事会決議一二三五(X L II )
により、また七〇年の 経済社会理
事 会決議一五
〇 三
(X LV II I)
により、人権委員会は、人権小委員会(正式名は差別防止・少数者保護小委員会)の補助を得て、毎年開催される
公開ならびに非公開の二つの手続において、寄せられた情報
あるいは個人、団体の通報から、加盟国の大規模な人権侵害
を示す事態、決議一五〇三(
X LV II I
)用語を用いるならば、「 重大な人権侵
害の一貫したパターンを示す事態
rig ht s)
を研究または検討し、その調査を行ない、適当な勧告w hic h r ev ea l a co ns ist en t p att er n of gr os s v iol ati on s o f h u m an (s itu at io n s
」を付した報告書を経済社会理事会に提出する権限を付与され
た。これらの決議に基づく手続、さらには、国連総会や人権 (
) 4
3
19 人権外交と国内事項不干渉の原則
委員会が設置する特別の作業団や特別報告者の調査活動によ
って、国連は南アフリカのアパルトヘイトをはじめ、イスラ
エル占領地域で行なわれた人権侵害、チリ軍事政権下での大
規模な人権侵害を告発し、その是正を求める勧告を行なって
きたほか、さらに赤道ギニア、ボリビア、エルサルバドル、
グアテマラ、イラン、ポーランド(特別調査手続にかけられた
例)、アフガニスタン、アルゼンチン、東ドイツ、ハイチ、
韓国、ウルグアイ、中央アフリカ、エチオピア、インドネシ
ア、ウガンダ、パラグアイ等々(一五〇三手続)といった諸
国の人権侵害問題の討議、研究を行なってきている。 ()
以上のような最近の国連の実行をみると、次のような点が
指摘できるように思われる。
⑴すでに指摘されてきていることではあるが、国連のレ
ベルでは、個別的な人権侵害と大規模な人権侵害を区別し、
後者を国際関心事項とみなして、国連の介入のもとにおく傾
向がいっそう顕著になってきている。つまり国連では、「重
大な入権侵害の一貫したパターンを示す事態」は、もはや加
盟国の国内管轄事項とはいえなくなった。こうした区別は、
社会主義諸国や開発途上諸国の主張に沿うものであるが、た
だ次の点には注意しておく必要がある。社会主義国や開発途
上国は、当初国連が介入すべき大規模な人権侵害を、アパル トヘイトや植民地体制下もしくは軍事占領下の特定のものに
限定する提案を行なってきていた。もっとも大規模な人権侵
害がしばしばそうした状況下で生じていたことから、そこに
これらの国の関心が集中したのも不思議なことではない。こ
れに対し、「すべての国」の人権侵害を取り上げるべきだと
主張したのが欧米諸国であり、「人権侵害の一貫したパター
ン」という表現を、こうした脈絡ではじめて使用したのは
人権小委員会の米国の専門家だったといわれる。米国の専門
家は、拷問や殺害、武力紛争時の文民の虐待、人種的および
宗教的差別に加えて、出国および再入国の権利の侵害、およ
び表現の自由の侵害の「一貫したパターン」を示すすべての
国の事態を国連の介入の対象にしようとした。この経緯に照
らしてみると、「重大な人権侵害の一貫したパターンを示す
事態」という概念も一つの妥協の産物であり、この概念の運
用の仕方によっては、国連が介入の対象とする人権侵害の事
態は拡大していく可能性がある。実際、人権委員会の守備範
囲は、アパルトヘイト、イスラエル占領下およびチリ軍事政
権下といった特定地域での人権侵害から、すべての国の重大
な人権侵害に拡大していく傾向にある。 () ()
()
(
) 6
5 7
⑵いまのことに関連するが、国連が大規模な人権侵害に
介入する根拠についても、意見に差異がある。最近では、憲
9
8
20
章第五五条および第五六条によって、国遮加盟国は人権の促
進に協力することを約束したのだから、少なくともユダヤ人
虐殺のような人権侵害を行なわない法的義務を負っているの
であり(なお国連総会決議二一四四A(XXI)
のよ
うに
、憲
章第
五
六条のもとでのすべての加盟国の義務という表現を用いるものもあ
る)、さらに世界人権宣言が憲章人権規定に有権的解釈を与
えるという、《憲章上の加盟国の義務プラス世界人権宣言》
の定式によって、加盟国は世界人権宣言に掲げられた人権の
重大な侵害を行なわない法的義務を負っているとみる見解が
有力に唱えられており、世界人権宣言を活用していると推定
される一五〇三手続も、このテーゼに立脚しているのだとい
われる。しかし、社会主義国や開発途上国の間では、むしろ
重大な人権侵害は国際摩擦を生じさせ、平和を脅かすがゆえ
に国際関心事項になるのだとする見方がとられているとされ
る。後者の見解に従えば、重大な人権侵害とみられるすべて
の場合に国連の介入が認められることには必ずしもならない
だろう。 ()
()
⑶「重大な人権侵害の一貫したパターンを示す事態」だ
と人権委員会が認定する場合にも、国連がとりうる介入の形
態は手続的に制約されている。すなわち、国連の活動は、原
則として人権侵害の事態の研究、討議、調査が主体であって、 それらの結果に基づいて、せいぜい対象国の人権侵害を非難
し、事態を改善するよう勧告するにとどまる。 ()
11
10
ただし、南アフリカのアパルトヘイトのように国連の勧告
を執拗に無視し、事態が平和に対する脅威に発展するような
場合は別である。シャープビル事件(一九六〇年)、ソウェト
事件(一九七七年)
、部
分的
非 常 事 態 宣 言
(一九八五年)
、全
土非
常事態宣言(一九八六年)と事態がますます深刻化するなかで、
安全保障理事会もついに、一九七七年の決議四一八において
アパルトヘイトが国際の平和と安全に対する危険だと認め、
対南ア武器禁輸を決定し、さらに八五年の決議五六九(米・
英棄権)では、対南ア新規投資の禁止、南ア金貨の販売禁止、
輸出信用供与の停止、原子力分野での新規契約の禁止等、一
定の経済的制裁を勧告するに至っている。 (
13)
⑷以上のように、国連では「重大な人権侵害の一貫した
パターンを示す事態」はもはや国内管轄事項といえず、憲章
第二条七項の国内事項不介入の原則は適用が排除される。し
かしこのことは、あくまで国連という枠組み内でのことであ
って、大規模な人権侵害か否かの認定も、大規模な人権侵害
に対する介入の形態も、いちおう国連の機関によって、定め
られた手続に従って組織的に行なわれることに注意しておか
ねばならない。
12
21 人権外交と国内事項不干渉の原則
ところで、昨年以来、いくつかの国が南アフリカのアパル
ヘイトに反対して新たに部分的な経済制裁措置を実施してき
たが、本年六月の南ア非常事態宣言布告による事態のいっそ
うの悪化に伴って、ウラン・石炭・鉄鉱石等の輸入禁止を含
むさらに強い経済制裁を要求する動きが、
「 懲罰的
制裁
を拒 」
否してきたサッチャーおよびレーガン政権の膝元でも急速に
強まりつつある。しかし、こうした経済制裁措置の発動に際
しても、多くの国はすでに幾度となくだされてきたアパルト
ヘイトを非難し、および経済制裁を勧告してきた国連総会お
よび安全保障理事会の諸決議の趣旨を尊重し、これに協力す
るという形をとっているように見受けられる。 ()
()
(1)田畑、前掲書、八〇―九〇ページ、金東勲『人権・自決権と現代国際法』、新有堂、昭和五四年、一一七―一六四ページおよび一八九―一九二ページ参照。see also, H. Lauterpacht,International Law and Human Rights, 1968, pp. 145―160,T. Zuijdwijk, Petitioning the United Nations: A Study in Hu-man Rights, 1982, pp. 94―100. (2)田畑、前掲書、九六―九七ページ。(3)びジ。. 金、前掲書、一六〇ページおよ一九〇ペー(4) T. Zuijdwijk, op cit., pp. 18―21, 25―27. (5)ジャンーベルナール・マリ(斎藤恵彦訳)「国連人権委員会とその差別防止・少数者保護小委員会」、久保田洋「国連における人権侵害通報申立システム―一五〇三手続とB規約選択議定書による手続」、今井直「人権調査のためのアド・ホック機関」、 いずれも高野雄一・宮崎繁樹・斎藤恵彦編『国際人権法入門』、三省堂、一九六三年、所収を参照されたい。see also, T. Zu-ijdwijk, op. cit., pp. 39―54 and Chapters VII―XI.
14
15
(6)松井芳郎「人権の国際的保護への新しいアプローチ」『現代人権論〔公法学研究Ⅰ〕』、法律文化社、一九八二年、六七―七六ページ、松田、前掲論文、三一―三六ページ参照。(7)松井、前掲論文、六九―七〇ページ、松田、前掲論文、三三―三五ページ参照。(8), cit., pp. 17―18 T. Zuijdwijkop.(9)Ibid., pp. 2728―(
( 10 see, Ibid., pp. 94105 )―
( 11)ジ。松井、前掲論文、七〇―七一ペー
( 12uj., T. Zijdwik, op. cit p. 90. )
( 15481549 and Vol. XXIV, 1985, pp. 14831484―― 13 see, International Legal Materials, Vol. XVL, 1977, pp.)
( Materials, Vol. XXIV, 1985, pp. 14641482, 14851499. ―― see, International Legal措置をとった。その内容については、 14)たとえば、カナダ、EC諸国外相会議、米国が一連の経済 年八月五日、国際面)。 一九八五年七月号、五五―五六ページ。『朝日新聞』、一九八六 新たな措施実施を検討中といわれる(外務省『国際政経情報』、 ってきたが、本年九月をめどに石炭・鉄鉱石の輸入禁止を含む ポーツ・文化交流の制限、新規投融資の制限などの諸措置をと 六日、一六日、国際面)。わが国は従来から外交関係不開設、ス 案が集中審議されている(『朝日新聞』一九八六年八月一日、 院でも繊維製品・ウラン・石炭の輸入禁止等を含む南ア制裁法 石炭・鉄鉱石の輸入禁止等の共同制裁実施を確認したし、米上 く六ヵ国は航空路打切り、新規投資の禁止、農産物・ウラン・ 15)たとえば、本年八月の英連邦七ヵ国首脳会議で、英国を除
22
三ヘルシンキ最終議定書における人権尊重と国内事項不干渉
一九七五年に米国、カナダを含む欧州三五ヵ国間で署名さ
れたヘルシンキ最終議定書は、国家間の関係を規律する諸原
則のなかに国内問題不干渉の原則と人権尊重の原則を入れ、
併せてバスケット3で人道その他の協力に関する定めをおい
たが、その後その実施をめぐって論争を生ぜしめている。ヘ
ルシンキ最終議定書は条約として作成されたものではなく、
それ自体としては一般に政治的または道徳的約束を規定した
ものにすぎないとされる。ただし、議定書がいくつかの既存
の国際法原則を含んでいるとみられること、さらに、再検討
会議による実施の検証手続を定めていることなどから、その
法的意義については諸説がある。しかし、ここでは議定書の
法的性格そのものに立ち入ることなく、そこに規定された人
権尊重と国内問題不干渉の関連に焦点を絞って検討を行なう。 ()
()
() フオローアツプ
(1)議定書の規定の概要
人権の尊重に関する原則Ⅶは、八つの規定から構成される
がその特徴は次のようである。参加国は、平和および協力の
不可欠の基礎として、人種、性、言語または宗教による差別
なくすべてのものの思想、良心、宗教または信条の自由を含 む人権および基本的自由を尊重することを約束する。尊重す
べき人権の内容については、宗教的実践の自由と少数民族構
成員の権利の平等がとくに強調されているほかは、一般的に
市民的政治的権利と経済的社会的文化的権利の双方が掲げら
れ、参加国は、それらにつき国連憲章の目的および原則と世
界人権宣言に従うこと、ならびに、国際人権規約を含む人権
条約の当事国としての義務を履行することを要請される。以
上の約束を履行するため、参加国は国連との協力を含め、共
同および個別の努力をするほか、自己の権利・義務を知り行
動する個人の権利を認めることを約束する。()
2
( 1
) 4
3
さらに、バスケット3は、人権という形では規定されてい
ないが、欧米諸国がしばしば出国の権利および表現の自由の
名のもとに、社会主義諸国に対して要求してきた措置が、
「 家
族の絆に基づく接触と定期的面会
「 」 、
家 族 の 再 結 合
」 、 「
異 な
る国の市民間の結婚」、「個人的又は職業的旅行」、「情報の流
布、それへのアクセス及び交換の改善」、「ジャーナリストの
活動条件の改善」といった諸項目のなかで相当細かく規定さ
れている。
*原則Ⅶおよびバスケット3の以上の項目はもともと、現行の国
境の追認と不可侵を最大の目標としていたソ連・東欧諸国に対抗し
て欧米諸国が提案したものである。実際、これらの規定は、英国、 *
5
23 人権外交と国内事項不干渉の原則
オランダ、西ドイツ、イタリア、カナダ、スイス、バチカンといっ
た諸国の提案が基礎となっている。これらの諸国は、より明確で具
体的な措置を要求するとともに、国家の規制権に口実を与えるよう
な制限句の挿入に反対した。これに対し、ソ連・東欧諸国は、当初
人権、人道に関する諸規定は国内問題であるとして議定書に掲げる
こと自体に反対したが、やがて妥協し議題とすることを認めた。し
かし、原則Ⅶについては国家の規制権についても定めた国際人権規
約の基準を基礎にすることを要求するとともに、バスケット3の規
定については、国内法と国内慣習に従うこと、相互に合意する条件
に従う等々の条件を付すことを求めた。コンセンサス方式により起
草された議定書の規定は、双方の立場の妥協の産物でモザイクの様
相を呈しているが、その特徴のごく一部を述べれば次のようである。
原則Ⅶで宗教的実践の自由が強調されたのはバチカンの要求によ
る。ソ連も宗教的実践の自由までは譲歩したが、beliefを広く解する
ことには政治的多元主義を強要するものとして反対した。少数民族
構成員の権利規定はユーゴスラビアの要求によるが、ユーゴスラビ
アが主張した集団としての権利は削除されている。恣意的逮捕・拘
禁からの自由についても、とくに言及するよう求めたスイス案はソ
連により拒否された。人権について知り行動する個人の権利は英国
が提案したが、ソ連・東欧の反発により義務という文言を追加して
いる。バスケット3では、前記諸項目のための具体的措置として、旅券・
査証の合理的期間内の発行、申請費用の適度な水準への引下げと維 持、申請を理由とした権利義務の不変更、不許可処分の相当期間内
の再考、家財・動産の搬出、外国の新聞・刊行物の輸入拡大と販売・
閲覧の機会の改善、取材旅行の規制緩和と取材源への接触機会の拡
大、記事の完全な送信と正当な取材活動を理由とする追放の禁止等
等、西側諸国の要求した措置が、即時実施の約束としてではないが
多数盛り込まれた。また西側諸国の反対で、ソ連が提案していた「国
内法及び国内慣習に従う」という一般的制限条項も、バスケット1
の諸原則を尊重するという規定の仕方に改められている。ただし、
市民の妨げられない通信の権利(オランダ案)、出国拒否に対する訴
訟の権利(カナダ案)、外国放送の自由な受信と人為的妨害の禁止
(スイス、ギリシア、英国各案)等は拒否された。 ()
() 以上の人権関連規定に対し、原則Ⅵは国内問題不干渉につ
7
6
24
いて定める。その特徴は次のようである。参加国は他の参加
国の国内管轄事項に対し、いかなる干渉(
an y in te rv en tio n
)も慎むことを約束するが、慎むべき干渉の形態としてあげら
ているのは、まず、あらゆる形態の武力干渉とその威嚇であ
る。同様に原則Ⅵは、あらゆる事情のもとでも(
in a ll cir - cu m sta nc es
)慎むべき干渉形態として、他のいかなる軍事的、政治的、経済的もしくはその他の強制的行為を掲げるが、こ
れらの強制的行為の場合、「他の参加国の主権に固有の権利
の行使を自国の利益に従属させ、何らかの利益を得るため」
という干渉目的に関する限定句が付されている。 ()
さて、先の人権関連規定とこの原則Ⅵの関係でもっとも問
題になるのは、人権尊重の約束と国内管轄事項の関連をどう
とらえるのかということであろう。この点では、次のいきさ
つが想起される。人権の具体的実施に関して国家の規制権を
強調し、バスケット3の前文に
「 国内
法及び国内慣習に従う
」
という条件の明記を強く求めるソ連の譲歩を得るためにフィ
ンランドは、原則Ⅵに、ソ連案の規定も考慮して、「国家の
政治的、経済的、文化的基盤ならびに自国の法律及び規則を
決定する国家の権利を尊重する」という規定を追加すること
で調整をはかろうとしたが、西側諸国が強く反発し、結局ス
イスの仲介で、「参加国は政治的、社会的、経済的及び文化 的制度を自由に選択し発展させ、ならびに、自らの法律及び
規則を決定する互いの国家の権利を尊重する」という一文を
原則Ⅰのほうに配し、「法律及び規則を決定する権利を含む
主権的権利の行使において参加国は国際法上の法的義務に従
う」という一文を原則Xに追加することで、ようやく妥協に
達したのである。しかしながらこの苦心の妥協も、人権につ
きどこまでが国家の権利で、どこまでが国際法上の法的義務
なのかについては何も触れてはいない。原則Xは、各原則が
平等であって、各原則は他の原則を考慮して解釈されると定
めるが、この規定もまた根本的決指針を与えてはいない。
() ()
9
8
な解
(2)二原則をめぐる学説の対立
欧米諸国の学者はおよそ次のような見解をとる。第一に、
原則Ⅵは人権の尊重を国際関心事項とするよう企図したもの
だから、人権問題はもはや国内事項ではない。参加国中、国
際人権規約当事国間および国連加盟国間では、それぞれ規約
の規定および憲章第五六条によって人権尊重の法的義務を相
互に負っているほか、そうした法的義務を負っていない国家
間同士であっても、非拘束的合意とはいえ議定書が国家間の
約束である以上は、人権の尊重は国内管轄事項といえなくな
ったという説明や、世界人権宣言の諸規定はいまや慣習国際
法となったという説明がなされる。したがって主権に固有の ()
()
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25 人権外交と国内事項不干渉の原則
権利の尊重を求める原則Ⅰの規定と、人権尊重の約束の不履
行を批判することとは矛盾しないとされる。ところで、具体
的条約を離れると人権規定の実施のどの側面が国内管轄事項
にとどまっているのかについては一般的合意がないと指摘す
る見解もあるが、この点について突っ込んだ議論はほとんど
されていない。それでは国連の場合のように重大な人権侵害
のみが国際関心事項かというと、憲章は侵害の大小を区別し
ておらず、現在のところそれは不十分に適用されているだけ
だという議論もある。第二に、原則Ⅶの不履行を批判し抗議
することは、そもそも強制的要素がないから干渉ではないと
する点で学説は一致する。第三に、若干の異論はあるが、貿
易や援助の停止といった制裁も、政治的・経済的強制行為は
誤った目的の場合にのみ違法な干渉となるのであって、それ
が人権尊重義務の督促または違反に対する抗議として行なわ
れる場合は正当な干与だと説明される。また、条約や議定書
が定める実施の手続は、あくまで補足的手段にすぎず、外交
的強制に訴える国家の一般国際法上の固有の権利は、補足手
段の創設によって排除されないとも主張される。 ()
()
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これに対し、社会主義国の学者は次のように主張する。人
権は国の社会経済体制の性格により、その質および量を決定
されるから国内問題であり、このことは国の法律および規則 決定権の尊重を定めた原則Ⅰにより確認される。ただし、大
規模な人権侵害で平和および安全を脅かす場合は国内問題で
はない。一般的勧告を伴う報告制度のように、合意された手
続に則った干与の場合は別として、平和とのリンクを断ち切
った人権の議論は干渉の道具となる。他方、人権の窮極の源
泉は人間の尊厳であって戦争の防止ではないとし、人権に関
する国際的視野からの関心の表明は、他国の政治過程に介入
しない限り許容されると述べるユーゴスラビアの学者も、人
権が国の政治社会構造と有機的に結びついていることを指摘
し、必要な行動はその国の活動主体に委ねられるべきで、他
国の制裁や直接行動は多くの場合、かえって非生産的だと主
張する。 ()
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以上のように二原則の関係をめぐっては、東西の学者の間
に原則的な見解の対立がある。
(3)再検討会議の状況(これまで、ベオグラード
(
一九七七年一〇月―一九七八年三月)とマドリード(一九八〇年一一月―一九八三年九月)で、二回の再検討会議が開催された。これらの会議では議定書の履行状
況について、「徹底的な意見交換」を行なうために一定期間
が割かれた。原則Ⅶの実施については、西側諸国から、ソ連・
東欧諸国の反体制派グループや知識人の訴追および刑の執行 )
(
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の問題、ユダヤ人の出国問題、宗教活動に対する規制、アフ
ガニスタン侵攻に伴う大規模な人権侵害、ポーランドにおけ
る戒厳令布告と「連帯」の禁止等々の諸問題が取り上げられ、
原則Ⅶの違反が非難され、とくに、マドリード会議の最中に
生じたポーランドの事態に対しては、西側諸国は戒厳令の撤
回、被逮捕者の釈放、「連帯」との対話再開等を強く求め、
これらの改善措置がとられるまで審議に応じない態度をとっ
たため、約八ヵ月会議が中断した。また会議での批判とは別
に、ソ連のアフガニスタン侵攻に対しては、米国を中心に石
油採掘プラントの輸出規制、小麦輸出禁止、モスクワ・オリ
ンピックのボイコット等の制裁措置が、また、ポーランドの
事態に対しては米国の農産物船積み停止、輸出信用供与の更
新停止、米国水域内でポーランド漁船団の操業停止等の経済
制裁措置がとられた。ただし西側諸国の足並みは必ずしも揃
わなかった。
これに対し、東側諸国は、人権問題は国内問題であり、他
国の実施について口をはさむことは内政干渉であるとする従
来の公式的見解を維持するかたわら、西側諸国の非難に対抗
して、西ドイツにおける公務員のレッドパージ問題やネオナ
チズムの問題、北アイルランド問題、失業問題等を取り上げ
て、西側諸国も原則Ⅶを履行していないと応酬した。 再検討会議もコンセンサス方式が採用されている関係で、
最終文書には直接特定国を非難するような表現は見当たらな
い。たとえば、マドリード会議のそれも、
「 議定書の実施
の程度
について相異なる、そしてときには矛盾しあう意見が表明さ
れた。若干の前進は注目されたが、この文書の実施における
重大な欠陥に関心が表明された。最終議定書の諸原則の適用
および尊重に関して異なる見解から批判的評価が与えられた。
これらの評価のなかで、数多くの諸原則の重大な侵害に遺憾
の意が表明された
と述べるにとどまる。こうした状況から、 」
再検討会議も国家の死活的利益にかかわるような問題では、
政府に対する影響力はきわめて微々たるものにしかならない
との評価がある。確かに、これまでの経過をみる限り、ソ連・
東欧諸国は原則Ⅶによっても国内事項不干渉の原則は影響を
受けず、重大な人権侵害で欧州諸国間の安全を脅かすような
事態を除いては、人権問題は国内管轄事項であって、それへの
介入は干渉であるとのリジッドな立場を崩していない。これ
らの諸国がポーランドのような事態を、例外的に国際関心事
項となる場合に該当すると認めることはまずないであろう。
この限りでは、東西諸国間の原則的立場の対立はなんら解消
されてはいないといえよう。 ()
()
しかし、この間の再検討会議でなんらの進展もなかったと
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みるのは誤りであろう。マドリード会議では、原則Ⅶの具
体化に関して東西からいくつかの提案があった。議定書の実
施を監視し意見を公表する市民の権利を認めよとする西側一
七ヵ国案、労働権に関するルーマニア案は合意が得られなか
ったが、宗教団体の法的承認、および宗教的実践についての
宗教団体と、政府の協議に関するバチカン案ならびに、自由
に労働組合を設立し結集する労働者の権利および自由に活動
し国際文書に定められた権利を行使する労働組合の権利に関
する西側一五ヵ国案は(それぞれ「憲法の枠内で」という制限の
追加、ストライキ権規定の削除がなされたが)、新たに合意をみ
た。またバスケット3に関連しても、家族再結合や結婚の申
請に対する処理の期間が通常六ヵ月以内と明示されたり、申
請を理由とする差別待遇が禁止される権利および利益の明確
化、常駐特派員への一年有効の数次査証の発給等、若干の具
体化がはかられた。これらの具体化は、何が国家に留保され、
何が国際的に約束されたかを明確化することにつながる。 ()()
()
()
()
ところで西欧の学者のなかにも、意見の徹底的交換を評価
し、具体的事件の追及よりは構造的な実施の問題に焦点をあ
てて報告制度と同様のアプローチをしていくほうが、窮極的
には人権の促進により効果的だとする意見がある。ソ連・東
欧諸国も報告制度のもとでなされる人権の実施状況に対する 意見の表明には必ずしも反対してこなかった。ベオグラード
会議およびマドリード会議の最終文書にも「意見の徹底的交
換はそれ自体欧州安全保障・協力会議が設定した目標の達成
に向かっての貴重な貢献となる」という一文がみられる。人
権観念が大きく異なる東西諸国間では、人権と不干渉をめぐ
ってなお根深い対立があるが、議定書実施の意見交換の場を
通じて、共通の理解が少しでも前進するこ ()
()
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27 28 31
とが望まれる。
(1)
最終議
定 書のテ
キ スト については、
see, I. Kavass, J. Granier and M. Dominick (ed.), Human Rights, EuropeanPolitics, and the Helsinki Accord: The Documentary Evolu-tion of the Conference on Securicy and Co-operation in Eu-rope 1973―1975(以下、Documentary Evolution of CSCE), 1981, Vol. 6, pp. 185―250. (2) see, H. Russell, “The Helsinki Declaration: Brobdin-gnag or Lilliput?” American Journal of International Law,Vol. 70, 1976, pp. 247―248; G. Arangio‐Ruiz, “HumanRights and Non-Intervention in the Helsinki Final Act,”Recueil des Cours de l'Academie de Droit International, 1977―IV, p. 214; V. Dimitrijević, “The place of Helsinkion the Long Road to Human Rights,” M. Dominich (ed.),Human Rights and the Helsinki Accord―A Five Year Roadto Madrid (以下、Human Rights and the Helsinki Accord),1981, p. 26; L. Henkin, “Human Rights and ‘DomesticJurisdictoin’,” T. Buergenthal and J. Hall (ed.), HumanRights, International Law and the Helsinki Accord (以下、Int'lLaw and the Helsinki Accord), 1977, p. 29; A.H. Robert-
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son, “The Helsinki Agreement and Human Rights” Am-erican Foreign Policy, op. cit., pp. 130―131. (3)議定書は、再検討を通じて条約と同様の効果を生じさせる
から 新 し い 国 際 法 文 書 で あ ると い う 説 5; L. Ferraris, Report on Negotiation: Helsinki-Geneva- Documentary Evolution of CSCE, op. cit., Vol. 3 and Vol. (6)起草過程の公式文書はないが、とりあえず次のものを参照。 see, ibid, pp. 221239. (5)― pp. 189190. ― see, Documentary Evolution of CSCE, op. cit., Vol. 6,(4) (Helsinki Process), 1985, p. 7. 以下、 Dijk (ed.), Essays on Human Rights in the Helsinki Process Concluding Document of Madrid,” A. Bloed and P. van A. Bloed, “Detente and the規範的性格を高めるという説。 が履行の検証と原則の精緻化をもたらすことによって、原則の Law and the Helsinki Accord, op. cit., p. 6. 再検討手続 Human Rights Law and the Helsinki Final Act,” Int’l T. Buergenthal, “International 法的意義をもちうるという説。 porary Issues, 1980, p. 265. 生じつつある規則の証抛として and V. Green (ed.), International Human Rights: Contem- Transnational Movement: Belgrade and Beyond,” J. Nelson lems, Vol. 45, 1982, pp. 5960; D. Turack, “Freedom of― of the Helsinki Final Act,” Law and Contemporary Prob- J. Paust, “Transnational Freedom of Speech: Legal Aspect G. ArangioRuiz,op. cit., p. 214;たは含んでいるという説。‐ランス提案に基づくものであるが、ブレジネフ・ドクトリンを 6266. ―議定書は既存の国際法規のいくつかを想起させ、ま「相互の関係がいかなるものであっても」といった文言は、フ Human Rights and the Helsinki Accord, op. cit., pp. 56,する立場をとった。ここでは省略したが、たとえば第一文の Human Rights Provisions of the Helsinki Final Act,” レジネフ・ドクトリンに基づく干渉をできるだけ排除しようと Dominick, “The International Legal Significance of the ニアが東欧諸国のなかでは特異の立場、すなわち、いわゆるブ A. Kiss and M. 。(8)不干渉原則の起草にあたっては、ユーゴスラビアやルーマ p. 189. see, Documentary Evolution of CSCE, op, cit., Vol. 6,(7) He1719,, p.9,4,2lsinki9275 1979p40 991699327. ――――
lti 否定しようとしたものである。(9) see,Documentary Evouon of CSCE, op, cit., Vol. 3, p.171. (
( to Human Rights,” Helsinki Process, op cit., pp. 6970..― P. van Dijk, “The Approach of the Helsinki Declaration 10 see, L. Ferraris,op. cit., pp. 129131; A. Bloed and )―
( 11 A. Kiss and M. Dominick, op cit., pp. 5657. .)―
( 12 L. Henkin, op. cit., pp. 2529. )―
( sinki Accord, op. cit., p. 72. Convention on Human Rights,” Int'l Law and the Hel- International Covenants on Human Rights and the European “The Interrelationship between the Helsinki Final Act, the 13 G. Arangio-Ruiz, op. cit., p. 241; see also, J. Frowein,)
( op. cit., pp. 4243. ― to Human Rights,” Human Rights and the Helsinki Accord, 14 A. Cassese, “The Approach of the Helsinki Declaration)
( 15 A. Bloed and P. van Dijk, op cit., p. 61. .)
( 16 G. Arangio-Ruiz, p cit., pp. 239240. o.)― cit., p. 57; T. Buergenthal, op. cit., p. 7; L. Henkin,op. 17 A. Cassese, op. cit., p. 43; A. Kiss and Dominick, op.)
29 人権外交と国内事項不干渉の原則
cit., p. 25; G. Arangio-Ruiz, op. cit., p. 307; D. Fascell,“The CSCE Follow-Up Mechanism for Belgrade to Madrid,”Human Rights and the Helsinki Accord, op. cit., p. 99.(
( 18u 2280, 303, 307. G. Arangio-Riz, op. cit., pp.77)―
( 19 L. Henkin, op. cit., pp. 25, 3033. )―
( op. cit., pp. 6970. ― of the Socialist View of Human Rights,”Helsinki Prccess, 519; see also, A. Bloed and F. van Hoof, “Some Aspects― nce,” Revue des droits de l'homme, Vol. IX1, 1976, pp.― 20 V. Kartashkin, “Human Rights and Peaceful Coexiste-)
( 21V. Dimitrijević, op. cit., pp. 1926. )―
( des Science Diplomatiques et Poliiques, 1980, pp. 196224.t― Compatible with DETENTE?” Revue de Droit International pp. 92113; R. Russel, “Are Human Rights Violations― Helsinki Accord, op. cit., pp. 7377; D. Fascell,op. cit.,― Rights and the Belgrade Meeting,” Human Rights and the 22see, A. Goldberg, “Human)ベオグラード会議については、
( Witness Account,” Helsinki Process, pp. 9―27. Hazewinkel, “The Madrid Meeting 19801983: An Eye-― 8, 1984, pp. 4972; A. Bloed, op. cit., pp. 18; H.―― and Cooperation in Europe,” International Relations, Vol. Madrid Follow-Up Meeting to the Conference on Security 23see, G. Edwards, “The )マドリード会議については、
( 24 2Helsinki Process, op. cit., p.04.)
( 25 G. Edwards, op cit., pp. 7071. .)―
Conférance sur lar Sécurité et la Coopération en Europe,” L’Homme à la Réunion de Madrid sur les Suites de la op. cit., p. 17; V.Y. Chebali, “La Question des Droits de 26Helsinki Process, op. cit., p. 243; see also, Hazewinkel,) ( Anuraieal,naieFrncasd Droit Internation 1983, pp. 73―74.
( East and West,” ibid., pp. 103126. ― van den Berg and R. Guldenmund, “The Right to Work in 27Helsinki Process, op. cit., pp. 258259; see also, G.)―
( 28s ee, Chebali, op. cit., p. 74. )
( Union,” ibid., pp. 79101. ― Madrid Meeting: with Special Reference to the Soviet Berg, “Trade Union Freedom in Socialist States and the 29Helsinki Process, op. cit., p. 251; see also, G. van den)
( 30Helsinki Process, op cit., pp. 220223. .)
( 31A. .n ..Bloed andP vaDijk, op. cit, pp 7375.)― ― the Helsinki Accord, op. cit., p. 404. 32Helsinki Process, op. cit., p. 203,Human Rights and)