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平成18年度

防災講演会

過去の災害に学ぶ・・・伝承

(要旨)

『 津 波 の 恐 怖 』

~三陸津波の教訓~

講師:地震・津波災害史

山下

文男氏

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御紹介いただきました山下です。歳が歳ですから聞き苦しい点があるかもし れませんけれども、その点はお許しください。 ■津波対策は逃げるにしかず ま ず 始 め に 申 し 上 げ ま す が 、 み な さ ん 、 津 波 が 来 る と 分 か っ た ら 何 は と も あ れ 逃 げ て く だ さ い 。 私 の 話 の 前 に イ ン ド 洋 津 波 の 映 像 を 見 て い た だ き ま し た が 、 ご 覧 の と お り 、 津 波 は 恐 ろ し い ほ ど の 力 と 速 さ で 迫 っ て き ま す 。 津 波 対 策 は 逃 げ る に し か ず 。 津 波 と の 闘 い は 時 間 と の 闘 い で す 。 極 端 な 話 、 靴 を 履 く 時 間もありません。というのも、このような事が過去にありました。 水中カメラマンの中村征夫さんという方がきれいな北海道の海を撮るため、 奥尻島の民宿に泊まっていた時のことです。民宿の奥さんから「ここは地震が 、 。」 。 あると津波がありますから その時は逃げるのですよ と言われたそうです 中村さんはただ「ああ」と言っただけでした。 ところが、その翌日、突然地震が起き、津波が襲ってきたのです。あの奥尻 島を襲った津波です。 奥さんが「逃げなさい」と言ったので、中 村さんは靴を履こうとしました。そしたら、 奥 さ ん が 怒 鳴 っ た そ う で す 「 靴 な ん か 履 い。 ている場合じゃないよ、あんた!」と。それ で慌てて表に出ると、ごうごうたる音ととも に津波が迫っていたそうです。必死になって 逃げて、やっと助かったのだといいます。 、 、 こういう実例があるわけですから 津波とはいかに速いものかということと 津波との闘いは分秒を争う時間との闘いだということを私は言い続けてきまし 。 。 、 、 た 津波対策にはいろいろな側面があります しかし 結局は逃げるにしかず 命より大事なものはありません。究極の津波対策とは、いかに早く高いところ へ逃げるか、いかに早く高いところへ逃がすか。これが究極の津波対策だと私 は言い続けているのです。 ■明治三陸津波の惨状 さて、明治の三陸津波では2万2,000人が亡くなりました。これは物凄い被害 なのです。過去に起きた災害と比べると、例えば関東大震災では42万戸が倒壊・ 焼失 し、10万5,000人 が亡くなりました。被害戸数1戸当たり0.25人 ぐらい亡 くなっています。

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人が亡くなりました。被害戸数1戸当たり2.75人ぐらい亡くなっています。つ まり、歴史上最大最悪の災害だと言われた関東大震災に比べ、約10倍も死亡率 が高かったということです。 個々の事例でいいますと特に酷いのが岩手県です。 6,000戸が全半壊・流出 し、そのうち728戸が1人も生き残らなかったのです。今と異なり、その頃の 1戸というのは7~8人が普通。10人でも別に驚かない。そういう大家族主義 時代に728戸も全滅しているわけです。いかに被害が大きかったかということ を物語っています。 ところで、岩手県の宮古と釜石の間に山田というところがあります。津波が 起きた6日後の21日に東京日日新聞の記者が山田へ行ったところ、死体が海辺 で山積みになっていたそうです。初夏です。梅雨時です。そのような非常に腐 敗の早い時期に5日も6日も放っておいたわけです。放っておかざるを得なか ったわけです。これは当時の記録にたくさん出ていますが、いたるところに転 がっている死体をどうやって処理するかということが、当時生き残った人達の 最大の課題だったようです。 それでは、なぜ死体の処理がうまくできなかったのか。当然、死体の数に対 、 、 、 して生存者が少なく また 火葬そのものにも時間が掛かったからでしょうが やはり、三陸地方の海辺と内陸が険しい山で閉ざされていることもその一因で しょう。 釜 石 を 例 に 上 げ ま す と 、 遠 野 と 釜 石 の 間 に 仙 人 峠 と い う と こ ろ が あ り ま す 。 釜 石 へ は こ の 峠 を 越 え な け れ ば 物 資 が 運 べ ず 、 救 援 が 来 る こ と も 出 来 ま せ ん で し た 。 今 度 、 立 派 な 道 路ができるそうなので喜ばしいことです。 つ い で に 申 し 上 げ ま す が 、 三 陸 地 方 の 場 合 は 、 沿 岸 と 内 陸 を 結 ぶ 道 路 、 そ れ か ら 沿 岸 を 縦貫する道路は、単に便利であるとか便利ではないとか、そんなものではなく て、災害有事の場合に非常に重要な意味を持つ道路なのです。 ■明治三陸津波の教訓 さて話は戻り、なぜこのように大きな被害になったのかと言いますと、いく つかの悪条件が重なったからなのです。 1つは、津波そのものが大きかったということです。4m、5mは普通。現 在は大船渡市になっている綾里村では、なんと38.2mもありました。これは我 が国の津波災害史上最高の高さで、10階建てのビルに相当する高さです。物凄 い津波だったということです。 もう1つの悪条件は、津波が高かっただけではなくて不意打ちを喰ったとい

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うことです。この津波が起きたのは明治29年の6月15日、旧暦でいうと5月5 日の節句の日でした。何しろこの年は、明治27・28年の日清戦争で勝利して景 気が良く、とりわけ三陸海岸では春先からイワシの大漁、マグロの大漁という こともあって、非常に賑わっていました。祝いのお膳が上がる、久々にお神酒 が付く。とても良い気分で楽しんでいた時に、突然、津波が押し寄せてきたの です。まさに不意打ちというしかありません。 当 時 の ど ん な 記 録 を 見 て も 「 津 波 を 予 測、 した人がいた」という記録は全く出てこない のです。当時の震度は2ないし3でした。こ んな地震で津波が来るとは誰1人として予測 していなかったため、岩手県では1万8,000人 の命が奪われる惨事になったわけです。これ ら2つの悪条件が重なったことが被害を非常 に大きくした原因だと言えます。 三陸津波のように小さい揺れで大きな津波を発生させる地震を「津波地震」 と言いますが、今日の気象庁の最新技術をもってしても、この津波地震を即座 に捉え、警報を出すことはなかなか難しいことなのです。しかし、これを体感 的に捉えることはできます。何かというと、長く揺れる地震です。震度2ぐら いでも30秒以上揺れが続く場合は、津波の危険があると思って間違いありませ ん。このことを頭に入れ、判断の参考にしていただきたいと思います。 ■教訓が活きた昭和三陸津波 さて、次は昭和の津波です。場所は、先ほどの明治の津波と同じ綾里村の白 浜ですが、津波の高さが明治の津波は38.2mだったのに対して、昭和の津波は 28.7m、流出した家屋は明治の津波では8,000戸だったのに対して、昭和の津 波は6,000戸でしたから、津波の高さも流出戸数も明治の津波を100とすると昭 和は75です。かなり大きな津波だったということがわかります。ところが、死 者の数は明治の2万2,000人に対 して昭和は 3,000人でしたから、明治の津波を 。 。 100とすると昭和は13.6ぐらい 明治に比べ約7分の1の被害に終わりました 何が不幸中の幸いをもたらしたのか。1つは、津波の直前の揺れが非常に大 。 、 。 きかったということ もう1つは 明治の津波の教訓が活きたということです 明治の津波から既に37年が経っていました。しかし、そのころの津波を体験し た大人達がまだたくさんいて、明治の三陸津波のことを生々しく語っていたの です。そして子供達は、その話をみんな聞いていたわけです。その大人達の活 躍で死者の数を大幅に少なくすることができたのです。 ■災害の教訓と俗説

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方で世の中には俗説というものもあります。 例えば、岩手県の田老です。田老では、明治の津波で1,867人が亡 くなった にもかかわらず、昭和の津波でも907人 が亡くなりました。なぜ、明治の津波 で大きな被害を受けたにもかかわらず、昭和の津波でも大きな被害を受けたの でしょうか。そこには、津波が高かったこともありますが、田老には俗説もあ ったのです。明治の津波の言い伝えとして、津波の時には井戸水が枯れ、川の 水も枯れるという言い伝えがあったのです。しかし、実際に井戸水を見に行く と満々と水をたたえていたそうで、心配要らないと逃げなかった人もいたので す。 さらに現在は釜石市になっている唐丹村というところでは、ある年寄りが妙 なことを言ったそうです。 「天気は良いし、今は満潮時。天気晴朗の日の満潮時に、津波は来るわけが ない 」と。。 年寄りの言うことだからといって、みんな信用してしまい、せっかく逃げた 人が戻ってしまいました。それで逃げ遅れてしまった人達も多かったのです。 しかも、逃げ遅れた一団が神社に向かって狭い道を走り、先頭の人が転んで将 棋倒しになったところに津波が襲いかかったのです。多くの人が津波に持って 行かれてしまいました。やはりこれも俗説による不幸な出来事です。 ■防災教育の必要性 さ て 、 今 日 で は 防 潮 堤 や 防 波 堤 、 津 波 監 視 シ ス テ ム な ど 物 理 的 な 準 備 は 既 に 出 来 て い ま す 。 そ れ な ら 何 が 足 り な い の か 。 や は り 住 民 の 防 災 意 識 が 足 り な い の で す 。 こ れ か ら の 津 波 対 策 の 最 大 課 題 と し て 、 こ の 防 災 意 識 を い か に 高 め る の か と い う こ と が 問 題 で し ょ う 。 防 災 意 識 を 高 め る と 同 時 に 、 先 ほ ど 言 っ た 迷信・俗説に惑わされないためにも、まずは津波のメカニズムを知ることが大 切です。つまりは防災教育が大切だということです。特に国家百年の津波防災 の大計として重視したいのは、子供達に対する防災教育です。当然、明治と昭 和の津波の教訓に学ぶこともその1つですが、本当は学校の義務教育に防災が 入らなければならないと思っています。 防災教育を通じて、子供達が頼もしい大人に成長し、地域防災の将来を担っ てもらわなければならない。そのために力を尽くす必要があると考えます。 それでは時間になりましたようですので、この辺で終わりにします。どうも ありがとうございました。

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