創造的な教育実践を求めて〈1〉
特集
21世紀型学力・コンピテンシーの開発と
育成をめぐる問題
日本大学黒田 友紀
はじめに
本稿の目的は,21世紀の学校における教育実践の在り方を考える上で,新 しい能力をめぐる世界的な動向の整理を行うことにある。グローバル化した 社会に対応するために,学校教育における学びと実践の問い直しが求められ ている。これまでの学習指導要領の改訂の度に,新しい学力や能力が議論さ れ,その学力観に基づいた教育実践が検討されてきた。しかし,グローバル な動きのなかで,「資質・能力」の育成を中心に据える次期学習指導要領の 改訂は,能力観のみならず,「アクティブ・ラーニング」などに代表される 教育方法や新しい評価を含む教育実践にこれまで以上に大きな変化をもたら し得る。 新しい学力・能力についての一連の動きは,OECD(経済開発協力機構) の「キー・コンピテンシー」を中心として,世界的に大きなうねりをもたら してきた。この,キー・コンピテンシーという新しい能力を広め,「世界的 なスタンダード」としての存在感を強めたのは,国際学習到達度調査である 「PISA」であったことに疑いはない。PISAへの参加は,2012年には65ヶ国 (内,OECD加盟国34ヶ国)と増加し続けており,PISA結果の分析を通して, 各国の教育制度・政策が「評価」され,OECDが直接的/間接的に各国の教 育実践に影響を及ぼしている。本稿では,新しい能力としてどのような能力 が各国・地域で展開されているのかを概観し,新しい能力が求められる背景や,新しい能力と評価をめぐって生じる課題について検討する。
1.新しい能力の世界的な動向
新しい能力として,大きな二つの流れを源流として,それぞれの国や地域 において,コンピテンシーにもとづく能力が定義されている。ひとつは, 2005年にOECDの「コンピテンシーの定義と選択(DeSeCo)」プロジェクト によって提案された「キー・コンピテンシー」であり,もう一つが,21世紀 スキルの定義と評価をめぐるプロジェクトである。 キー・コンピテンシーとは何かについては,多くの論文や著書ですでに提 示されているが,いま一度確認しておこう。DeSeCoプロジェクトによって 90年代後半からキー・コンピテンシーの策定がすすめられ,「(認知的・非認 知的側面の両方を含む)社会心理学上の前提条件が流動する状況で,固有の 文脈に対して,複雑な要求にうまく対応する能力」としてコンピテンシーが 定義されている(ライチェン&サルガニク 2006,65頁)。そして,その特徴 は,①個人の人生の成功と,うまく機能する社会に資すること,②幅広い文 脈において,重要で複雑な要求や課題に答えるために有用であること,③す べての個人にとって重要であることである。このコンピテンシーとして選択 されたのが,「異質な人々からなる集団のなかで相互に関わりあう力」「自律 的に行動する力」「道具を相互作用的に用いる力」という3つの領域である (ライチェン&サルガニク2006)。この3つの領域は,単なる能力リストの列 挙ではなく,全体的なモデルとして相互に依存しあって機能するものである (図1)。 一方,21世紀型スキルを定義する試みについては,米国を中心に「21世紀 型スキル・パートナーシップ(21st century skills partnership)」が,21世紀型スキルの育成を目指した教育改革運動を展開している。また,「21世紀型 ス キ ル の 学 び と 評 価(Assessment and teaching of twenty-first century skills)」(以下,ATC21Sとする)という国際的なプロジェクトによってス キルが提案されている。ATC21Sの特徴として,シスコシステムズ,インテ
ル,マイクロソフトといったIT企業が教育に関するタスクフォースを立ち 上げ,政策立案者や研究者やOECD元教育局長であったマクゴー(McGaw, Barry)を代表理事としてATC21Sが立ち上がっていることである。加えて, このプロジェクトのワーキンググループの協議には,ダーリング-ハモンド (Darling-Hammond, Linda)らをはじめとする世界中の250人以上の著名な 研究者も参加している。 図2の①に示したように,21世紀スキル・パートナーシップは,21世紀型 スキルの枠組みとして,「主要教科(3Rsと21世紀に必要なテーマ)」を中心 に,「学習とイノベーションのスキル(批判的思考・コミュニケーション・ 協働・創造性=4Cs)」,「情報・メディア・テクノロジースキル」,「生活と キャリアのスキル」を配置している。一方のATC21Sは,「思考の方法」, 図1 キー・コンピテンシーの枠組みと構造 社会のビジョン 生活の必要性 人権,持続可能性,平等, 生産性,社会的結束 テクノロジー,多様性, 可能性,責任,グローバル化 出典:ライチェン&サルガニク(2006,196頁)および松尾(2015,15頁)より筆者が作成。 キー・コンピテンシー 異質な集団で 交流する 自律的に 活動する 相互作用的に 道具を用いる A 他者と良好 な関係を作る B 協働する C 争いを処理 し,解決する A 言語,シンボル, テクストを相互作 用的に用いる B 知 識 や 情 報 を 相 互作用的に用いる C 技 術 を 相 互 作 用 的に用いる A 大きな展望の中で 活動する B 人生計画や個人的 プロジェクトを設計 し実行する C 自らの権利,利害, 限界やニーズを表明 する 思慮深さ (Reflectiveness) コンピテンシー の核心
生活と キャリアの スキル 学習と イノベーションのスキル (4Cs=批判的思考・コミュニケーション・ 協働・創造性) 情報・メディア ・テクノロジー スキル 主要教科 (3Rsと21世紀に必要なテーマ) スタンダードと評価 カリキュラムと授業 専門的な能力と開発 学習環境 ①21世紀型パートナーシップの21世紀の学びのフレームワーク 図2 21世紀型スキル ②ATC21の提案する10のスキル 思考の方法:創造性とイノベーション,批判的思考・問題解決・意思決定,学ぶため の学習/メタ認知 活動のためのツール:情報リテラシー,ICTリテラシー 活動の方法:コミュニケーション,コラボレーション(チームワーク) 世界のなかで生きる方法:シティズンシップ(地域とグローバル),人生とキャリア, 個人と社会的な責任(異文化理解と適応力) 出典:21st partnershipのHP(http://www.p21.org/our-work/p21-framework)および,ATC21Sの HP(http://www.atc21s.org/)より筆者作成。 「活動のためのツール」,「活動の方法」,「世界の中で生きる方法」の4つの なかに10のスキルを提案している。両者とも,グローバル化とICTの普及・ 発達に伴い教育の在り方を革新し,コンピューター・ベースのこれまでとは 異なる新しい評価やテストの開発と普及を想定して議論され,新たな市場を 形成している点は留意しておきたい。 また,21世紀型スキルが米国を中心に議論されてはいるが,このプロジェ
クトにはヨーロッパの国々も参加しており,ATC21SのメンバーにはOECD やIEAなどの関係者が主要メンバーとして構成されていることから,キー・ コンピテンシーなどと複合的に結びつきながら世界的に展開している点も注 目すべき特徴である。
2.新しい能力の世界的な展開
次に,新しい能力が各国においてどのように展開されているかを確認して おきたい。表1には,国立教育政策研究所の報告書等より,各国において, どのような能力観のもとで教育課程が設定され,評価が行われているかを示 した。 各国や地域の状況や文脈に応じて,能力や用語にさまざまな名称が用いら れている。しかし,能力の構成要素は,言語や数や情報を扱う「基礎的リテ ラシー」,批判的思考力や学び方の学習などを中心とする高次の「認知スキ ル」,社会や他者との関係などに関わる「社会スキル」の3つに大きく分け られる(松下 2010,国立教育政策研究所 2014及び2016)。 欧州連合(European Union,以下「EU」とする)域内では,2006年に勧 告された「生涯学習のためのキー・コンピテンス(Key competences for lifelong learning)」に則ってナショナル・カリキュラムやスタンダードやス キルを取り入れているが,欧州も一様ではない。アメリカとカナダは分権化 された連邦国家であるため,ナショナル・カリキュラムは規定されておらず, 各州において,21世紀型スキルなどの育成と新しい評価が開発されているが, その現れは一様ではない。例えば,アメリカにおいては,「コモン・コア・ ステート・スタンダード(Common core state standards)」が開発され,46 州とワシントンDCで採択されている。しかし,その評価方法についても, 各州がテスト会社と契約を結び,独自に展開されている(黒田 2014)。オセ アニア・アジアについては,DeSeCoに参加したニュージーランドは,キー・ コンピテンシーにもとづいてナショナル・スタンダード化をすすめ,オース トラリアは,汎用的能力の育成と体系的なナショナル・カリキュラム開発を表1 能力に基づく教育課程の編成と評価方法 国 能力 能力に基づく教育課程 教育課程の編成 評価 イギリス キースキル ・1999年ナショナルカリキュラム ・キースキルと思考 スキルをカリキュ ラム全体を通して 育成 ・11歳時の全国テスト (英語・数学) ・16歳時のGCSE試験 ドイツ キー・コンピテンシー ・2002年KMK決議(基 礎学校,基幹学校, 前期中等学校)の教 育スタンダード策定 ・教科で育成すべき コンピテンシーを もとに,測定可能 な形でスタンダー ドを設定 ・各州が教育スタン ダードを教育課程 に編入 ・全国学力調査の実施 ・3,8年時(悉皆), 9年時(サンプリン グ),10年時(中等 前期終了試験),12 または13年時(アビ ツゥア) フィンラン ド コンピテンシー ・1994年教育課程の大 綱化と学力観の転換 ・2001年 コ ン ピ テ ン シー・モデルの提示 ・各教科の内容に埋 め込まれる ・1998年より全国学力 調査の実施 ・2004年より到達目標 の導入 ニュージー ランド キー・コンピテンシー ・1993年「必須のスキ ル」をもつカリキュ ラム枠組み ・2007年 か ら ニ ュ ー ジーランドカリキュ ラムの段階的実施 ・2010年ナショナルス タンダード(読み, 書き,数学) ・総則にキーコンピ テンシーの理念 ・理念と内容をつな ぐのは学校や教師 ・学びのためのアセス メント重視(ポート フォリオ,ラーニン グ・ ス ト ー リ ー な ど) ・ナショナルスタン ダードの評価結果を 保護者および教育省 へ報告 ・義務教育終了年齢 (11学年時)に全国 学力試験 オーストラ リア 汎用的能力 ・2008年メルボルン宣 言 ・2013年よりナショナ ルカリキュラムの段 階的実施 ・汎用的能力を教科 横断的に配列 ・育成する能力を教 科の内容に具体的 に記述 ・汎用的能力の達成 目標の設定 ・全国共通テスト:3, 5,7,9年生の悉皆 調査(リテラシーと ニューメラシー) ・ICTリテラシーと市 民性(3年時) ・評価のためのフレー ムワークの開発予定 アメリカ 大学・キャ リ ア・ レ デ ィ ネ ス (21世 紀 型 スキル) ・2010年 コ モ ン・ コ ア・ステート・スタ ンダードの策定(現 在42州とワシントン DCが採択) ・21世紀型スキルを 反映 ・ 各 州 が コ モ ン・ コ ア・スタンダードに 対応したテストを実 施 シンガポー ル 21世紀型コ ン ピ テ ン シー ・2010年カリキュラム 2015 ・2012~2014シラバス の改定 ・目標や改正のポイ ント,公正原理, 学年ごとの学習目 標や内容,教授法, 評価方法の順で記 述 ・小学校卒業試験(英 語,民族母語,数学, 理科)・普通教育終 了試験(標準,普通, 上級のレベル別) 出典:国立教育政策研究所(2014,65-68頁)などを参考に,筆者が作成。
行っている。日本は現在,国立教育政策研究所による「21世紀型能力」が提 案されている(国立教育政策研究所2014,2016)。各国により状況は違えど も,私たちが考えていかなければならないのは,新しい能力や学力がどのよ うな文脈のもとで開発され,授業実践のなかで,何をどのように評価しよう とするかということである。
3.どのような社会を構想するか
―生涯学習社会のビジョンとキー・コンピテンシー
前節でみてきたように,新しい能力の開発と育成が世界的に展開されてお り,その背景としては,知識基盤社会/知識経済への移行や,コンピテン シー概念への着目など,既に指摘されている(松下 2010,安彦 2014,中野 2015,石井 2015など)。本節では,90年代のとりわけEUの生涯学習を求め る動きと,OECDの変容,そして新自由主義的な改革の広まりについて確認 しておきたい。 生涯学習については,UNESCOが1993年に21世紀の教育改革の提言を行 うことを目的とする委員会を立ち上げ,1996年に『学習:秘められた宝 (Learning : The treasure within)』を発表した。その背景には,冷戦構造 とバブル経済の崩壊によって,深刻な失業問題,格差の増大,暴力,人種/ 外国人差別,環境破壊,紛争や戦争などの問題があり,人々が共に生きるた めには学習が重要な役割を果たし得ること,なかでも生きていく基礎となる 学びとして生涯学習が推進された(天野1997)。この動きに合わせるように, EUは1996 年 を「 ヨ ー ロ ッ パ 生 涯 学 習 年(European Year of Lifelong Learning)」とし,同年,OECDも「すべての者に生涯学習を(Lifelong learning for all)」のなかで,基礎教育の重要性と,経済成長だけではなく 民主主義や社会結合を重視する提案を行った。当時,国際機関である UNESCOやOECDやEUや世界銀行は協同歩調をとっており,生涯学習とい う基盤の上に基礎教育や雇用を位置づけていた。しかし,主に米国を主とす る市場経済と競争原理にもとづく新自由主義と,欧州を中心とした市場経済を認めつつ社会民主主義の二つの方向性が交錯する場でもあった(福田 2008)。 こうした方向性の違いが具体的に現れてくるのは2000年代である。EUは, 2000年の「リスボン戦略」においても,持続可能な経済成長が可能な,世界 で最もダイナミックで経済的競争力のある知識基盤型経済を目指し,生涯学 習を通した人材開発と就労支援への投資を拡大し,2006年には「生涯学習の ためのキー・コンピテンス」を勧告して生涯学習社会のビジョンのもとで各 国が教育改革をすすめた(澤野 2009)。EUはキー・コンピテンス策定の議 論の過程で,DeSeCoのキー・コンピテンシーが経済的側面に偏向し新たな 格差を生み出しかねないという危惧から,社会統合を強く意識し,個々の能 力を引き出すことを重視することに合意し(本所 2015),すべての子どもが 学校教育において継続的な学習の基礎を身に付け,成人後の社会生活の準備 として十分なレベルにまでキー・コンピテンスを身に付けることを保障する ことを重視した。 一方で,OECDは,90年代後半から策定をすすめていたキー・コンピテン シーを2005年に公表し,2000年よりPISAの実施とその結果によってそれぞ れの国や地域の教育システムや政策の成果を評価する機関としての地位を確 立していく。OECDのキー・コンピテンシーは,Takayamaが指摘するよう に,PISAの中にキー・コンピテンシーが統合されてから,教育システムの 成果をフォーマルな教育システム内のみにますます限定し,キー・コンピテ ンシーが社会全体を通したインフォーマル・フォーマル両方の広範な学びの なかで育成されるとしていた90年代のOECDの生涯学習社会の枠組みから 「離脱(decoupling)」していることは重要である(Takayama 2013, pp. 73-75)。PISAで測定される能力については,ペーパー試験で測定可能な DeSeCoのキー・コンピテンシーのカテゴリーの一部分でしかなく,表1に 示されている残りの領域こそ,むしろ当時生涯学習社会で求められ重視され た内容であろう。PISAの拡大とともに,生涯学習社会の枠組みから離脱し たキー・コンピテンシーが,新しい能力として各国・地域で再文脈化されて 取り入れられている。
日本に目を転じるならば,現在強調されているのは,「社会を生き抜く力」 であり,幼稚園から初等中等教育における「生きる力の確実な育成」と,社 会を生き抜くために自立・協働・創造に向けた力の習得を「生涯を通じて身 に付ける」ことである。このような生涯学習観は,生涯にわたってグローバ ル経済からの要求に応じ,知識経済のなかで能力があるということを絶えず アピールし続ける主体であることを求められる新自由主義的な方向性と合致 する(中野 2015,18-19頁)。日本は,1981年に中央教育審議会が『生涯教 育について』を答申した後,1988年に文部省内に生涯学習局(現在の生涯学 習政策局)が設置され,生涯学習社会の実現が目指された。しかし,生涯学 習が求められた背景は,急激な社会の変化への対応と長寿・高齢化に対応し た余暇の充実にあり,日本は,EUのような歴史・社会的な背景と理念を持 ち得ずに生涯学習社会が構想されたことと,90年代以降,生涯学習社会の実 現のために,主体的に学ぶ個人の能力の育成を目指す教育方針をとり,「生 きる力」に統合してきたことも,新自由主義的な方向性に結びついた要因で あろう。 世界的に展開している新しい能力の育成は,国や地域の歴史・社会的な文 脈,すなわち,キー・コンピテンシーが登場した当時は生涯学習のビジョン がバックボーンにあり,当然社会の状況によって変容し得るが,それぞれの 国・地域の社会構造のうえに,「どのような社会を目指すのか」というグラ ンドデザインとビジョンをいかに構想するかが重要になろう。
4.新しい能力とPISA・テスト体制への批判
コンピテンシーや21世紀型学力をめぐる問題として,OECDのPISA結果 によって「世界標準」の枠組みを国や地域に自発的に組み込むように要請す る「ソフト・ガバナンス」といわれるPISA支配が挙げられる。OECDと PISAが及ぼす各国への影響や批判については,近年日本でも研究が蓄積さ れつつあるが(松下 2012,二宮・佐々木・佐藤・大野 2010,久田 2014,中 野 2015など),PISA体制への世界的な批判として,2014年4月に,世界的に著名な教育学者らがOECDのPISA統括責任者であるアンドレアス・シュ ライヒャー氏に宛てた「公開書簡(open letter)」を公開し,PISAによるテ スト支配と順位付けがもたらす問題点を指摘し,その問題点の改善を提案し た。 公開書簡で挙げられた問題点は,たとえば,標準化されたテストを加速さ せ,量的に測定できるものへの依存度を劇的に高めること,短期的な教育政 策・制度の変更ばかりに関心が向けられること,PISAにより教育の計測可 能な領域のみを強調し,身体的,道徳的,市民的,芸術的な発達のような計 測困難な教育対象に関心を払わないこと,元々経済開発に関する国際機関で あったOECDには,ユネスコやユニセフなどの機関のように教育や子どもの 生活を改善するための正当な権限がなく,OECDの教育の意思決定プロセス には効果的な民主的参加のメカニズムも存在しないこと等である。なかでも, グローバルなテストが繰り返されることによって,教育実践が貧しいものに なること,新しいPISAの体制により多項選択式テストと業者製の授業が増 え,教師の自律性が奪われることを最も重要な懸念として挙げている (Meyer et al, 2014)。 公開書簡の代表者の一人であるニューヨーク州立大学のマイヤー(Meyer, Heinz-Dieter)は,PISAの方法論的な欠陥や,文化の違いに対する配慮の 欠如やテストの妥当性に関する批判がこれまで展開されてきたが,無視され 続けてきたという(マイヤー 2014)。マイヤーとベナヴォット(Benavot, Aaron)編著のPISA, power and policy(2013)では,PISAに関する批判的検 討が行われている。たとえば,PISAで好成績を修めたフィンランドは, OECDの枠組みにおいて世界で最もうまくいっている教育システムとみなさ れる。しかし,フィンランドは1994年に教育課程の大綱化と学力観の転換を 行った結果としてPISAで好成績を修めたのであって,フィンランド自体は OECDのスタンダード化の改革とは一線を画しているという。すなわち, フィンランドでは,学校を競争下に置き,学校や教師にアカウンタビリティ を課すようなアカウンタビリティ運動には従ってはおらず(pp. 15-16),学 校や教師に責任と自律性を与えて新しい教育方法やカリキュラムや創造的な
学習を促してきたという⑴。しかし,PISA体制の中での成功国として位置づ けられることで,フィンランドの固有の社会・教育状況やPISA体制への抵 抗としての側面は捨象される。当然のことながら,それぞれの国や地域によ るPISAの受容は必ずしもOECDの枠組みとは同一ではなく,固有の展開を みせている点を見過ごしてはならないし,松下の主張するように,PISAリ テラシーの性格とその影響を批判的に読み解く私たちのリテラシーが問われ ており(松下 2014),それぞれの国や地域において能力や知識をどのように 位置づけ,その過程にいかに関与していくかが問われている。 加えて,新しい能力が定義され,それに則った教育が行われる場合,教育 実践のなかでその能力を,誰がどのように測るかという評価の問題がある。 現在,PISAに代表されるように,21世紀型学力やコンピテンシー,そして 評価=テストをめぐって,グローバルなテスト・ガバナンスが拡大している。 OECDはPISAに関わる膨大なデータ収集の大半をテストなどの教育出版関 係を手掛けるピアソン社(Pearson)や教育テスト・サービス(Educational Test Services)に委託している。とくにピアソン社については,PISA2015 のテスト枠組みなどの開発業務を含むテストの開発,運営,評価などの任務 を繰り返し委託しており,PISAから民間企業が莫大な利益を得る構造になっ ている(マイヤー2014)⑵。このような民間企業の参入は,公立学校の評価 を(公教育にはおよそ関心のない)外部者に委託し,教育の民営化と公教育 の解体とを導きかねない危険性を孕んでいる(Hursh2015)。評価の方法と その機能によっては,教育実践を規定することさえあることを認識しておく ことが重要である。米国のようにテストとアカウンタビリティが密接に結び ついている国では,測定しにくく,試験科目ではない芸術教科が削減され軽 視されている実態がある。PISAへ参加するOECD非加盟国や途上国が増え ていることを考慮すると,グローバルかつローカルなテスト・ガバナンスの 影響と,新しい能力の開発・育成と評価が教育実践にどのような影響を与え るかの検討が必要であろう。
おわりに
新しい能力の開発と育成をめぐって,マイヤーとベナヴォットはグローバ ルな教育のガバナンスの2つの未来の可能性を提示する。ひとつは,ますま す強力な世界標準のもとで,教育の画一化と監視が進む未来であり,もう一 方は,異文化間の学びと多様性とイノベーションをもたらす未来である (Myere & Benavot 2014, pp. 20-22)。エビデンスとしてのテスト成績や PDCAサイクルといった手法が,日本の学校や教育実践にまでかなり浸透し ている現状を考えるとき,異文化間の学びと多様性とイノベーションをもた らし得るためには,どのような方略が必要だろうか。 多様で豊かな授業とカリキュラムをデザインするために,たとえば,学習 科学の知見などが活用されることや,試験科目ではない芸術・実技科目を含 む多様な教育実践を試みる授業研究を教師と学校に保障することが重要にな るだろう。その際に,アカウンタビリティの構造の組み換えも必要になろう。 日本は学力テストと学校改善や教員評価とが直接結びついていない点でアカ ウンタビリティは強くない。しかし,学校・授業改善については,資金面・ リソース面での支援がほとんどないまま,各学校の自助努力に任されている 状況がある。それゆえ,誰がどのような責任を果たし,教育実践の何を支援 できるのかについて,いくつかのレベルに分けてアカウンタビリティの議論 が進められるべきである。少なくとも,国家・地域政府レベル,地域(都道 府県および市区町村の教育委員会)レベル,学校レベルで,政策面と実践面 の責任を明確にして責任を分有することが求められよう。このとき,国際学 力調査や国内の学力調査から得られたデータによる実証的なエビデンスの有 効範囲と,授業実践上のエビデンスは分けて考えられるべきであり(石井 2014),多様な教育実践から実践の質を高めるための新しい評価やエビデン スを生成することも求められるだろう。 また,教育の目的を知識経済のなかで生き抜く力の形成に置くことから距 離を置き,労働に従属させられた教育の構造を変革することも重要だろう。
社会の発展に人的資本の活用という観点は不可欠ではあるが,社会の要請を 是とし,労働や生産という価値を重視しすぎるのは危険でもある。なぜなら, 私たちは,人生のすべてを生産と労働に費やすことができるわけではないし, 労働という価値ではなく人間としての尊厳が守られる生き方と在り方を模索 する必要があるからである。イリイチ(Illich, Ivan)は,『シャドウ・ワー ク』のなかで,生産に対するインフォーマルな部分について,主に家庭の女 性に割り当てられてきた「シャドウ・ワーク」と,「土地に根差す」「土地に 固有の」という意味を持つ「ヴァナキュラー」な価値を取り上げる。ヴァナ キュラーな価値とは,「生活のあらゆる局面に埋め込まれている互酬性の型 に由来する人間の暮らし」であるという(イリイチ/玉野井・栗原訳 2006)。 そして,「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」という,ヴァナキュラー な領域でともに生きる,生き生きとした共生する社会を提示している。この ようなイリイチの主張がユートピア的であるとしても,私たちは,PISA体 制や新しい能力と評価の体制に回収されずに,学校のある土地に根差した固 有の実践を生きるとともに,子どもも教師も生き生きとした在り方を共に生 きる社会のなかで教育実践を追求することが求められていよう。 [キーワード] キーコンピテンシー,21世紀型スキル,PISA 〈注〉 ⑴ 松下は,フィンランドの教育政策に関わったサールベルグの主張から,フィ ンランドは,グローバルな教育改革運動(GERM)とは一線を画していると指 摘している(2010,41-42頁)。 ⑵ シュライヒャーは,ピアソン社内のLearning Curveという組織の諮問委員を 務めている(マイヤー 2014)。 〈引用・参考文献〉 安彦忠彦,2014『「コンピテンシー・ベース」を超える授業づくり』図書文化。 天城勲監訳,1997『学習:秘められた宝:ユネスコ「21世紀教育国際委員会」報 告書』ぎょうせい。
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