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談話室-香川大学学術情報リポジトリ

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Academic year: 2021

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85 話 室

終 着 駅

秦 隆 「終着駅」という言葉が日本で使われ始 めたのほ,ブイットリオ・ヂ・シカ監督の 往年の名画が封切られて以後のことではな いかと思う。この映画の評判紅加えて二,そ の題名の「終着駅」という言尭がまた当時 の日本人紅は非常に受けたらしい。このた め国鉄の案内アナクンスの用語が,それま での「終点」から,この「’終着駅」に.変えら れた程である。この言葉ほ僧緒性に.富み, 哀愁を含んでいる。それが日本人受けした ものであろう。 所で,私はヨーロッパの鉄道に乗ってみ て:,この「終着駅」紅ほ私の全く知らない 意味が含まれていることに気が付いた。 1971年7月2日のことである。私は友人に 会うために.スぺインからイギリスに向かっ ていた。前日の年後7時に.マドリ−・ドを出 た寝台列車が終着のバリ・か−・スチルリツ ツ駅に看いたのは朝の9時50分頃であっ た。そこからは更に.列車を乗り継いで,ド −バーー海峡に.面したダンケルク匿向かい, イギリス紅は船で渡る予定に.しでいた。ダ ンケルク行きの列車の発車までには未だ充 分時間があったが,その始発駅であるパリ・ 北駅に,とりあえず荷物だけは運んでおこ うと考えた。所が,オ−スチルリツツ駅と 北駅を陪ふ 日本でいえば国電のような乗 物がないことがここで初めてご分かったので ある。日本人なら,例えば新幹線で新大阪 から東京に屑■き,更に.上野から東北本線を 利用する場合,東京一上野間に.は当然連絡 の国電が走って:いると考えるに.違いない。 しかしこの常識はパリでは通用しない。私 は仕方なく重い荷物をさげて駅の外に.出 て,タクレ・−を拾い,北駅紅向かわねばな らなかった。ここで分かったことは,ヨー ロッパの「’終着駅」というのは単に一つの 列車の終点を意味するだけでなく,本当に そこで線路が切れていて,そとから先へは 進めない構造の駅をさしていることであ る。フランス語にはこの終着駅を表わす のにgare terminusの他にgare en cuト

de−SaC「袋小路の駅」といういい方もあ る。その日で見るとヨーロッパの主要な駅 ほ殆どすべてこの種のものである。映画 「終着駅」の舞台となったロ」−マの中央駅 もその例外ではない。イタリア人ほこの駅 にStazionediTerminiという名前をつけ てし、る。 ter・miniは「末端」「終点」という意味の 名詞termineの複数形で,従ってtermini 駅は幾つかの線の「終点.」が集まっている 駅の意味になる。勿論「終点」というのは 逆方向紅見れば「起点」にもなる訳で,「終 着駅」は同時に.「始発駅」でもある。イタ リア語のteI■mineの関連語であるラテン

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秦 隆昌・松田修一・ 86 語のteIminusはもともと所有地の墳を示 すために地面紅立てられた「境界石」を意 味した。従ってteI・minusは先ず「中心か ら離れた末端」「周辺」を意味していたが, 次第に「行きつく所」「目ざす所」「目標」 という意味を合わせ持つように.なって来た らしい。ロ−マのteI■mini駅はムツソリ− ニの置き土産といわれているが,この駅名 には,日本人が「人生の終着駅」といった 表現から感じるような落日のイメー・汐は含 まれていない。その駅はすぺての括動の中 心であって,人々がそこを目ざして集まっ て来る場所なのである。teI’mini駅という 名前に.はこうした誇りが込められているよ うにり思われる。 所で,この種の駅を鉄道関係の用語では 東端駅というそうである。こ.れは恐らく ドイツ語の Kopfbahnhof,フランス語の garetete deligne等のようなヨ一口ツパ 語の潮訳であろう。駅の機能面からいえば この訳語はかなり正確に.その原意を伝えて いる。しかし情緒性にほ全く乏しい表現で ある。映画の題名にはとても使えそうに・な い。そこに.翻訳のむつかしさがある。翻訳 紅おいては原語の一つ一つの語句や表現は 仙対一・で日本語と対応しない。従ってそ の原文が伝え.ようとしていることを総体 的に.捉えた上で訳語を選ばなければならな い。また逆に訳語は原語が意味する内容の 一画しか伝えていないことが多い。映画の 題名に当てられた「終着駅」という訳語は 駅の機能面に.まで資任を持っている訳でほ ない。 蛇足になるが,日本の国鉄は殆どの駅を 「通過式」の構造に.し,誇り高い,しかし機 能の上からは効率の悪いtermini駅は例外 的忙しか採用しなかった。四国の高松駅は 日本では珍しいte【・mini駅の一例である。 「 ̄一般教育を思い返して」 松 田 修 一 率も,講義ノ−トを印刷して配布してくれ れば簡単に.解消し,しかも我々は受講時間 内に考えることができ,教官も内容につい て.もっと丁寧な解説が施せるのに.と考える と,教官ほいかに遅くいかに少く教えるか に腐心しているのではあるまいかとさえ思 われたものです。教育はどこまでも能率的 でなければならず,短時間庭.いか紅多くを 望みうるかということでなけれはならない でしょう。たとえそのことで教官の語るぺ き材料が減ろうと構わない。もはや語るぺ 十年余り前に.私が受けた−・般教育の感想 をこ点はかり述べてこみます。講義は概し て,教官の講義ノ−・トの口述を我々は必死 で書き取って:ゆくという形式をとっていま したが,私紅はこの講義の進め方がどうに も納得のゆかないとでも奇異な現象と映り ました。スローテンポな読み上げ,聞き取 れない声,裔き耽り虹専念することからく る思考停止,肉体労働による手の膵れとい う具合に.,非能率極まりないやり方であっ たからです。そして,これらすべての非能

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談 き事がなくなれば赦すればい−いのであり休 講配すればよいとさえ思う。希薄で遅々と した年三十回の講義よ 無黙のない月一・回の方が良いに決まってい るのだから。と紅かくも,学問は知識と知 恵の出し惜しみによって存立するような卑 小なものであってはならないでしょう。千 円持って書店へ行けば,本は惜しみなく能 率的に知識も知恵も提供してくれるのです から,朗読講義には出席しないことが人の 取るべき当然の道だと思ったものです。 次に.,一般の英語に.はかなり英面目に出 席しましたが,アンドレ・モロワの「生汚術 技」の英語版テキストは興味深く,感激し た個所に次々と赤鉛筆で下線を引いていっ たものです。ただ無念であったのは,内容 についての教官の感想ほついに「富も聞か れなかったことで,これを我々受講生に対 する裏切り行為のよう紅感じました。私に はこれほ以外と大きな問題に.思えます。教 官の義務ほ学を教授することであって私見 を語ることではないとする立場は,学問を 自己目的化した形でしか取り扱わないこと に.なり,そのためにたとえば,語学修得そ 室 87 れ自体ほ我々人間の目的ではなく手段でし かないという事実を,即ち学の本来的位置 を曖醸紅してしまうからです・。そして学生 は学習意欲と動機を失うということに.もな るのです。英語に限らず特町人文科目の多 くに失望した原因も思えばこの辺に.あった のでしょう。自らを教育者と限定する立場 からの説明と解釈の言葉は多いが,個人と して当然感じているはずの当の学問紅対す る興味と関心の所在を,又,我々学生に提示 する学の知識と理解から心紅何が芽ばえ, いかなる思考を誘われ,どんな意欲が育っ ているのかという辺りの個人的で主観的な 感想が欠けていたため,言わば入口と出口 がない閉じられた学問内容だけが空漠と伝 わってくるという印象を免れないのです。 当然,僕達は生きるために.大学に入り生き るため紅受講しているのに.,,教官はどう も学問のため紅生きているようだと感じた としてこも当然のことでしょう。学内容に留 まらず,学を個人が受容してゆく棟を公開 することは,何よりも,学問に対する信頼 の気持を学生に.呼び起こすことができるは ずだと私ほ信じます。

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