67 談 話
紙背に徹す
棚 橋 光 男 大学に.於ける日本史の授業科目の一つ こもんじよ 軋∵塙文苔学”峨古文昏演習けというものが ある。・一般に歴史学の扱う資料紅は,記録 (編其物)・古文審・文学作品・考古資料 ・民俗資料などがあり,それぞれに異った 資料的価値と性格を持っているから,歴史 研究者は.それぞれの分析結果を綜合するこ とによって−歴史的英美紅近づくことができ る。このうら古文寄とは,行政命令沓や訴 訟文番や土地証文や審状などをさしてい て,政治史・法制史や社会経済史を分析す る瞭の基礎資料となっている。大学で日本 史を専攻としようとする学生は,∝古文沓 演習”という科目の申で,資料操作の技術 −一台又番を解読し解釈し其偽を判別する 技術鵬を習得することになっている。演 習でほ清文番の写英複製なとをテキストに して,それを読み取って原稿用紙に沓き写 してし、くのであるが,最初に.渡されるのが 土地売券で,これは「売り渡し申す何々の 事,右何々は先祖相伝の所領たりと難,要 用あるに依って誰某紅何買何文にて売り渡 じつしよう し申し候処実正明白地,云々,偽て後日の くだん ために状件の如し」という定型があるか ら,一つ一つの字が読めなくとも定型の申 に周有名詞をあてはめていくこと紅よって 成程度の見当がつく。 土地売券で字体・字 形についての訓練を経たのち,訴訟文苔や 雑多な種類の公文書に進み,然る後に沓状 紅移るわけであるが,番状は個人個人の字 の癖が強い上に(本当の苔状というもの は)内容の類型的でないことを以て身上と するから,一つ山つの字を正確に読み取る 能力が要請される。だから,沓状とくに仮 名霹きの番状が読み取れれば一応卒業とい うことに.なる。 ところで牧童文審演習〝のときによく聞か ぎようか人 される訓話紅「行間を読め」ということが じづら あって二,これほ古文番の字面を読み取るだ けでなく,それを番いた人間の精神的位相 であるとか歴史的環境であるとか,要する に.文寄の表面にあらわれない背景を知れと テキストクリティーク いうこと,ひいては史料批判をしっかり行 なえという戒めである。これとよく似た言 いまわし紅「眼光紙背に徹す」というのが ある。とれも文召の表面たとどまることな く賽の装まで見通すという比喩であるが, 勿論これほ比喩であって,実際に文苔を裟 返して英側を読めという具体的な事柄をさ したものでほない。 しかし,最近ほ歴史研究の進展軋伴って ¶紙背文書”の史料的価値がクロ−ズアップ されてきている。昔は紙が蟄重品であるか ら,ある文苔の時間的効力が消滅すると棚 橋 光 男 て対決尋問が行われたのであろうが,その とき本所側が後の証拠のために控えとった 案文がこの秘密対法集の紙背文番である。 本来4通の地頭詣文の貼り牲がれていたも のが,前半3通が裁ちきられその塞が秘密 対法其の料紙となったわけである。秘密対 法集の筆写者ほ小野三宝院流の関係者と知 られるから,加賀国中村庄の本所は輿醐寺 であろうと推定され,醍醐寺紅於て反故と なった所領証文の裳を使い,南北朝動乱の 尖只中に秘密対法集の審写がなされたこと が判明する。この秘密対法典が弥谷寺紀伝 来した時期は不明であるが,その伝来の経 路を復元することによって我々は当時の宗 派の勢力範囲や人脈を知ることができる。 また加資国中村庄の鎌倉時代の本所は従来 知られていないし石川県に.も現在関係史料 は残っていないから,我々は偶然の事情か ら今日紅残され幾多の人の手を経て西讃弥 谷寺に.現存するこの紙背文番匡よって−鎌倉 時代の加賀国のある庄園の実感を申ること ができるし,また数少ない鎌倉時代の裁判 撃料紅毘重な・一例を付け加えることができ るのである。 紙背文書の語る世界は文番の流転の経路 とそれに.よって明らか乾される当時の人々 の人的交流・人的移動の実態であり,それ おもて ほ紙の面が決レて語らないところの世界で ある・・・今日紹介したのはあまりいい実 例とほいえないが,要はわれわれは文沓の もんご人 表面的な文言のみにとらわれてはいけない ということである。云々・・・という棟に 今年の日本史特諦ⅡAは始まった。談話室 樹の資重な余白を借りながら講義の・一機の 紹介紅終始したこと,末筆ながら読者の御 海容を乞いたい。 68 i三こ (反故になると)その英側が再利用され た。こうしたことは,大抵は公式文昏でな あんもん く,公式文沓の控(案文という)を作成す るときや,出版技術の発達していない当時 にあっては故実容や聖教など典籍を借覧・ 華写するとき,また写経のときの料紙など 私的需要に充てられたのである。つまり, こうした形で残っている紙背文沓は,反故 になっで用済みになったものであって当時 の人々が意識的に残そうとしたのでなく, 無意識的把.,結果的紅残されて偶々今日に 伝わったものであるだけに,記録(編纂 物)や古文書の表面的な記述によっては知 りえない当時の社会の実線,表面的な主張 の背後に.隠された実態を知る手懸り紅なる わけである。 いやだに 香川県三豊郡三野町に弥谷寺という高利 があり,との寺は室町時代に西讃一層の守 護代として輝据した凌族香川氏の祈願寺で あったため紅,中世紀撃写された秘法伝授 ・聖教類700点余が今に残されている。そ のうらの一つに.建武2(1335)年の年紀を もつ秘密対法集(密教紅関する問答集)が あるが,三巻のうち下巻は,嘉元3(13 05)年4月18日右衛門尉信親詩文案・同6 月5日沙弥定u・(怯名の一字を悍りあっ て省略したもの)審状薬(前者の添審)の袈 を使って■準写が行なわれている。これは文 面から加党国中村庄の地頭が年貢を抑留し 検注を強行したことを同庄の領家側が幕府 に訴えたときの閑適文霹であり,後者の文 ろんにん 面から本来被告(当時の裁判用語で論人と いった)地頭側の詩文が4通提出されこれ をうけつけた幕府裁判所職員の沙弥定一− そにん が原告(これを訴人といった)中村庄の本 所に.伝達したものであることがわかる。中 村庄の本所はこれに反駁を加え裁判所に於
談 話
教育学部の教育
童 69伊 藤
寛 最近,学部を卒発した若い現役教師諸氏 と雑談する機会が多い。自分は理学部から 釆て,教育学部学生の持つ雰囲気に若干の 違和感を持ったので少々気になっていた。 これを「現代っ子学生(自分も現代っ子の 内ではあるのだが)」の独特のものだろう位 にしか考えて■来なかった。しかし,年令も はとんど彼らと適わない先輩教員諸氏から 見てもかなりの「違和感」を持つらしい。 もう1つ奥の所に何物かが在る様な気にな って来た。 最近,物理学教室で現役学生と話す機会 を持った。特に或る学年は,自分から見て も,先輩教師諸氏から見ても,特に理解で きなくなっている様である。計蔑の可能な 現象としては「単位を取った数が極めて少 ない。」のであり特にその中でも物理学の単 位がはとんどないのである。物理で将来卒 業論文を書こうという学生がこうなのだか ら,他の生活面に関してもおして知るべし だろう。「摸索が理解できない。」と言いな がら同時に.「はとんど勉強していない。」と か「2時間も勉強すると,後続かない。」と か,「1人で勉強した事がない。.」などと言 うわけであるが,では「大学で何をしてい るのか。」と聞かれても,何々をやっている と言った様な確たる物は返って来ないのが 現実である。又何故教師に.なりたいのかと 言った様な質問に対しては大多数の学生は 生徒と人間的なつながりが在るからそこに 優きがいがある(他の職業と比べて)と言 った返事が返って来る。教育学部の高学年 になってこの程度の問題意識であるなら ば,教師は別に大学を卒業した者のみがな らなくても良いのではないかと思いさえす る。 この様な現象ほ先輩教員諸氏から見ても 不思議なものらしく「彼らは何をしている のだ。」と言う事になる。はんの数年しか違 わない彼らとも随分意識のずれが有るよう である。大学紛争以後はぼ10年。異なる質 を持った学生が出現した所で不思議でほな いかも知れないが,それなりに理由を知り たいものである。この種の問題は全国的に 見られる様で,群馬大の矢吹氏*らも「 手だけでなぐて,頑を使う楽しさをあま り経験していない・,数学すら暗記もの と思えと訓練され」」その結果「…“学 生ほ負の状態に押し込められており\入 学した時の学生の状態を放っておいても (物理が)好きな人はみな好きに.なるとい うレベルに.ある事は私ほ楽観できなぐて そのようなレベルまで戻してやる必要が ある‥・」と言う。矢吹氏は−・般教育の物 理学実験にかかわっている方であるが,実 際は,実験の時など,物を扱う方法の知ら なさに儲かされる場合がしばしばある。実 験目的に対する認識の度合紅も関係する が,実験装置の意味をあまり考えずに,自 分なりの結論を出して動かそうとする。あ るいは,実際の装置が参考番と少々速・つて いたりすると,なぜか参考番の雷き方を押教育の園外の問題をも考えなければならな いのはある意味で悲しい事である。 矢吹氏の言う「戻してやる…」為紅何 か必要なのであろうか。物理的発想で見れ ば,科学的な物の見方,論理の組立て方を 物理学を通して学ぶ番屋なると思う。その 意味で物理が面白くなる段階まで最低の所 で徹底する穿カが必要であると思われる。 又学生が強く興味を引く様な問題提起の仕 方も重要だろう。特紅−・般教育に於いては 最低「…0の所まで戻す…」ことの重要性 は大きく,その意味で「リベラル・ア−ツ 約数養概念**なる言葉での定式化は当を得 ていると考える。専門教育の継承主体紅と って,重要な点は,その具体的な習得課程 が如何であろうとも,1人の人格紅とって は,あくまで「0の所まで戻し」た上 に専門的知識の体系化の作業がなされるべ きであろう。そこに教職に於ける「専門性 」が初めて問われるのであって,教養的不 具の人格に付加された「専門性」を持って しては「次代に文化を継承させる」ことを 目的とする職業には不適な様紅思われる。 *日本物理学会誌BUTSURI蓑979,
1977
**国立大学−・般教育責任体制に関する調 査検討報告沓 その3 一緒括− 伊 藤 70 し通そうとして,白から実験装置に新たな 名称を加えたりする。教育の現場紅立った 時,やはり同様な仕方で教育を見るのでは ないかと心配になる。 種々の分野に於いてもそうであるよう に,物理学ほ学部で勉強する範囲では各論 は何もなく,極めて体系化されていて,全 てに.ついて地道に顧み上げて行く努力をし ないと,次に本当に「物理学が面白くなる 。」べき段階で何も手に付かず,卒論などは 言うに及ばない種類の分野である。(すで に理学部物理学科でほ卒論なる名称を廃止 してしまっている。)試験前に出そうな問題 を暗記する程度でほ残念ながら「単位」で すら取れない。現代に於いては,本当の勉 強は大学にしか無いとも思われるが,その 勉強の仕方とかおもしろさを知っていない 様である。特にこの時期に1つの意識の断 絶が見られる原因の1つに教育課程の改革 があげられる。種々の教科の先生方もー・様 に「幼児化して.いる」と言う認識を持って いる様であるが,改革後の新しい質を持っ た学生が今後大学に入って来る。それにつ れて大学の質も自ずから変質を迫られてい る。このまま手を掛けずに放任したら「幼 児化」傾向ほ−・歩進むだろう,しかし,手 の掛け方紅よっては,ますます「幼児化」 に拍車がかけられる可能性も大きい。大学外国語の履習一昔と今「−
植 松 芳 率 遠い昔のこと。2年間を−・般教育と考え ると,英語・独語・仏語・ラテン語を受け (らされ)た。興味本位で露語も自ら進ん で受講した革もあったが,必習語で手が回談 らず断念した。嬉しい事紅,女も娯楽も知 る暇はなく,辞革めくりが一層のマスタ・− べ−ジョンであった。記憶に新しい自慢話 をひとつ。−中級仏語,『星の王子さま』, 教師の朗読,沓き取り,一作者の発想の 面白さと仏語の心地よい音の流れに惹か れ,20ぺ一一汐ずつ丸暗記していたので何の 雑作もなかった。外国語履習の根本はやは り何度も声に出して読む事紅あるようだ。 考えてみると,全く未知の言語だった事 が第ニ・第三外語の履習を楽しくしてくれ ていた様紅思う。必習とはいえつらいと 思った事もある。しかし,たまたま戦中の 東大生の遺稿番『我が命,月明紅燃ゆ』を 読んでからは,つらいと思う挙が如何に怠 慢であるかを痛感させられた。(生協に厭 いてあったから学生諸君も・−・読されたし。) 従って,何の為に外国語を履習するのか などと自問し,茸を外界に求める以前に, 自らを苦しめるサド的喜びと,学生たる者 の貿務遂行意識に.よって何とか生きぬいて きた。そしてその事は自らを鍛練する事に 他ならなかった。 それ故に予習もせずに授業に出る事など まるで頭に.なかったし,恥でもあった。日 本古来から伝わる美徳である「恥かしさ」へ の思いなど現代では稀である。現在の学生 諸 室 71 さん方は平然と,否,むしろ当然という感 度で「出席する事」にサド的音びを見い出 しておられる。彼らに教える事などもほや 不可能である。役に立つか立たないか紅よ ってしか興味を示さないし,又,その興味 も有効性の前にはもろくも崩れ去る。外国 語の授業に.出席する事さえ苦痛とおっしゃ るのである。まして言わんや自己鍛練など という下劣な思想は見拾られてしまう。更 に.は,科学合理主義万能の時代に.あっては 偶然性(文学は科学の網の目でほ把えられ ない領域を扱う)など爪はどの価値も有し ていない事紅なる。 劇体どうすりやいいの。学生諸君の「学 ぶ」事への自己革新を期待しよう。興味を 持たせよう。・−…無理,無理。外国語の有 用性をつとに強調するしかないが,それと て眼前の効果が現われない。八方ふさがり の外国語教育。時代ほ変るから,無用の有 用性を理解してくれる日を夢みて過ごそう か。 大学は思索を深め,理想を追求する場。 現実紅屈服することを拒む唯・−・の場。現実 に屈服するなど何時でもできる。理想(無 用)が現実(有用)を凌ぐはずの大学に, 今や数えきれないはどの現実主義者が群を なしている。 事 実 上 杉 正 幸 我輩ほ黒い顔をしているが猪でほない。 教務手帳である。私の主人は授菜のたびに 教秦やグランドに私を連れてゆき,学生の 名前を−・人一人呼びながら出欠を私の顔に つけていく。したがって−,私を見れば学生 の出欠状況が−一骨でわかるのであり,期末
上 杉 正 幸 た。いやしくも私達は自由の砦に身を置く ものであり,いくら主人とほいえ私達の知 り得た事実をか・つてに論評してもらっては 困るということを。EI頃独断と偏見に満ち た言動をする主人紅とって耳の痛いことに ちがいないが,それ以上に公表の欲望が強 いらしく,しぶしぶこの条件紅同意した。 したがって以下に述べることは事実以外の 何ものでもないことを,私薙が保証する。 さてその事実は次の表に如実に示されて いる。それは学部・学年どとに各年度の欠 席状況を示した表である。この表をみる と,各学部・学年とも後期の欠席率が高く なっている。そして最っとも欠席率が低か ったのは51年前期・経済2年の時間(2.2 %)であり,逆に最っとも高かったのほ. 52年後期・教育2年の時間(17.7%)であ る。その率を1クラス50人の平均としてみ ると,前者の欠席者は毎時間1.1人であり, 後者は8.9人となる,さらに各学部・学年 ごとの平均をみると,欠席率の高さは教育 2年・農学2年・教育1年・農学1年・経 済1年・経済2年の順になっている。 この表から考えられることは.∴いや 論評ほひかえるという約束であった。 72 にはそれが成績判定に生かされている。そ んなに重要な私ほていねいに扱われてもよ さそうなのに,主人はいつもバッグの底に 私を投げ入れ,しかもその上にゼッケンを ぎゅうぎゅうつめ込むので,一年間の任務 を終えると私はあの黒の容姿から発っする 威厳を失ってしまうはど老れてしまう。 その老れた私達が再度登場することにな ったのであるが,そこに深い意味が秘めら れていようとは。 私にほ,すでに退役した三人の仲間がい る。きょうの主役は彼らである。主人はこ の三年間彼らとつきあっていく中で,ある ことに気づいたようである。それは彼らの 体のよごれがぺ−ジによっでずいぶんちが うということである。というのは,主人は 学生の名前を呼び休んでいる者の欄紅斜線 を入れて−いくので,休む者が多いクラスほ ど私達の体がよどれることになる。このよ ごれの差に.興味をもった主人ほ,そのこと を他の人紅知らせたいという欲望に.から れ,私達に周意を求めてきた。私達として も,それが主人のため学生のためになるこ とならと思い,その申し出を受け入れた。 しかし,一層だけ条件を付けることにし
談 話 室 表 ある体育実技における欠席率 燕仏)延べ人数受講学生数×授業時間数 (B)欠席者数…欠席者の総数 IC)欠席率“(Bト刷 不合格出席時間数不足のため不合格となった者の総数今回は彼らを除外して 計算した。 (慧警雪見急P翌警詣警ニラ平賀L;ニr姦窟妄‡見三言妄言ンドポ ̄■ル1コマが )