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東北の衣生活で育まれた刺し子の文化(北の風土とデザイン)

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(1)

Japanese Society for the Science of Design

NII-Electronic Library Service Japanese  Sooiety  for  the  Soienoe  of  Design

東 北

生 活

ま れ た

文化

Aculture

 of 

quilted

 textiles 

in

 

the

 

Tohoku

 

district

 

Japan

玉 田  真 紀

尚綱女学院短期 大 学

Tamada

 

Maki

Shokei Women

sJuniorCollege

 

ロ ッパ か ら アメリカに渡っ 発 展 し き た

布か ら作るキル トに 関心 を

生活の 中で果た し た役 割や価 値につ い て調べ て き た。 東 北には形や技 法は 違っ て も布に込め た思い の さ や創造力とい

点では

共 通 した 北 国の

文化

じ る

工芸があ る。 こぎんや菱刺 しか ら

地の刺し子を見 聞 する機 会に恵 まれる ようにな り

北 国に

ま れ た刺し縫の

化につ いて、 な ぜ こ

し た

女 性 達 か ら見

な物が生み出さ れ たの か

どんな 土壌がこ の ような 手

1

五芸 を育 むのか

キ ル ト と

北の刺し子の文 化を 比 較し な が ら考 えて見たい と思 うようになっ た。

 

東北地 方とい っ ても各地の歴史も気 候 風

ヒも様々 で

そこ に見ら れる衣生活は実に

様で ある

。交

通 や情 報が

、大

量 生産さ れ た既 製 服を どの地 域で も消 費 する ように なっ た現 在は

衣生活多 様 性 を見い

の は

し く なっ た。 し か し、 刺 し縫 が 実用 的 な物 作 りの た めに盛ん に や られ て い た 頃

そらく遅 くまであっ た所で は昭

和 30

年 頃まで は

東 北 全 域 を到

りで ま と め ら れ ない 生活の

様 さ が あっ た。 こ こ では刺し子の種 類とその発 生 理 由 につ い て

かつ て 衣 生活で 育 まれ た地域 性や刺 し縫に込め た祈 りにつ い て見 直した い と 思

1

刺 し 子の刺 し技 法 の種 類

 

刺し技 法を 分類す る と大き く二つ に分 けら れる。

、 津 軽こぎん と南 部 菱 刺 しに用い られ た 目塞 ぎ刺 しの技 法で織 物の糸 目 を規 則 正し く拾っ て刺 す

う 

つ は

、東

地に見られ る ぼ ろ刺しの 法で

重 ねた布 が ず れ ない ように並 縫で

える よ

に刺 す。 どち ら も

布 を丈

に長

ちさ せ る た め に 発 生 した刺し

r

の種

だが

目 塞 ぎ刺し は、

憐 、緯

を織 り出 し た

赦 の織 物か、 刺 繍の ような 印 象を持つ 。 し か しその発 生理 由 を

える と

刺し 子の範 疇に入る ことが 納 得で きる

2 .

目塞 ぎ刺 し の 津 軽 こぎ んの 発 生

 

津 軽地

の こ ぎん は

、藩

の財政 を守る た め

農 民 に衣 食 住 全 般に渡る厳 しい倹 約 个 を出 し たこ と か ら 生 ま れた。 江戸幕 府の衣 服

法令

1615 年

か ら 1866 年 まで約

250

年 余に渡っ て出 さ れ た

幕 府が公 布 した もの は武七に比べ 農 民対 す規 制が少な い 。 しか し

さ らに

藩 か ら出さ れ た

制は

民の 米の生産 を上げる た め

髪結の紐

衣服の 素 材

色や柄、 履 物

、傘

や合羽 に至るまで

、贅

沢 を戒め る

しい

が数

く出 さ れ た。 温 暖で米の収穫 量 が

い 豊 か な 地方と

凶作に悩む貧 しい 地 方で はこ の 衣 服 規 制は著しく異 なっ て い た

本 州

北端に位 置 する津 軽地

は 長 く雪も

い 。 早く か ら弘 前 盆 地の新田開 発 を進め た藩は

稲 作に力 を注 い だ が

冷 害に度々襲われ て財 政は大 変

し か っ た。 弘 前 藩は

1703年

に は農 民に

出用 は木

綿

の使 用を許 可するが

労働 着は木 綿 を 禁じ

、布

使用

つ まり麻 布 使 用に限ると

じ た。

1724年

の 「

農家倹約分

令」

で は

肌 着

被 り物

帯以外は木 綿 使 用を禁じた。 さ らに1808 年に は

庄 屋 より以 下の

短かア ワセ の

用 を禁

ヒは差

差小

巾 (

の短 か物の

用 を

じて い る。

 

大麻は強い が

硬くて肌

りが 悪 く保温性に欠 け る。 夏は涼しい 。 し か し

雪の

い こ の 地の冬 を乗 り切る には 誠に適 さ ない 素 材である

暖かい 木 綿を 着る こ と ができな かっ た

民が

を少し で も

か く、 ま た

自給で賄わ なけれ ばならなかっ た麻 布 を

し で も長 持ち さ せ る た めに、 初 め か ら刺 して補 強 する た め に生 ま れ たの が、 津 軽こ ぎん であっ た。

 

初 期の こぎん は藍 染の麻

に自

麻糸

した もの だっ た。 古 記 録には

津 軽 藩 侍の比 良 野 貞 彦 が 1788 年に庶 民の様 子を書い た 『奥 民図彙 』があり

「サ シ コ

、布

を糸に て さま ざ ま

を 刺 す な り

だ見 事な り。 男 女 共に着 す。

くは紺 地に白き糸を 以て刺 す。」とある。 白麻 糸で な く

白い カナ (木 綿 糸

使

わ れ出 し たの は、

1791年

、 他

か ら木 綿の 織 物が 入 っ て くるの を防 ぐ ために

木 綿 を

内 で織

22

   sPEclA し issuEoF  JssD vol

5 No

1 199ア デ サ イ ン学 研 究 特 集 号

(2)

Japanese Society for the Science of Design

NII-Electronic Library Service Japanese  Sooiety  for  the  Soienoe  of  Design

ること を奨 励 した こと が契

らしい 。 木 綿 糸 を刺

こ と は禁 止しなかっ た。 木 綿 糸は滑 りが よ く刺 し

きっ ち り刺せ ば肌 触 り もよい の で益々 こぎんを 発 展さ せる こ とになっ た。 東

西

三縞こ ぎん と地 域 差 が あるほ ど

村々 で 文 様が作られ

母か ら娘へ 伝 承さ れ た。 刺し た肩の部 分は

痛んだ袖や裾を付 け替 えて大 切に繰 り回さ れ た。 若い 頃 白い カナで刺 した コ ギン を

老 齢になる と藍に染め直 して着た と い

う紺

色の

糸刺

しの コ ギン も見 ら れる。

3 .

菱 刺 しを 生ん だ南 部の風 土  

一.

南 部 藩 領だっ た岩 手 県 北上高 地 北 部の 二戸 や九戸

青 森 県 東 部の 三戸

小 川原 湖 周 辺の五 戸な ど

こ ぎんに比べ て狭い 範 囲で見 られる菱 刺しは

占記 録も な く起 源につ い て はよ くわ かっ てい ない 。 南 部 藩は

木 綿の使 用を農 民に禁 止 してはい なかっ た。 こ の点は津 軽の状況と異なっ てい る。 し か し、こ れ らの 地域は雪は少ない が稲 作に 適 した地 が な く、 春か ら夏にかけて

側か ら吹 くヤマ セ に よ る冷 気のた め凶 作が頻 繁におこ、 雪 深い 津 軽 地 方 と同

様、農

民の生

し かっ た。

 

室 町 時 代に

鮮 や 中 国か ら輸 入さ れ た木 綿は

戦 国 時代には国 内栽 培が開 始されて兵 衣 など軍 需 品の 用 途に盛ん に使わ れ始めた。 江戸時代 初 期に は関

以西 で は木 綿

培 だけでな く

や織

われ てい る。 しか し

寒 冷 地である東北 地方で は木綿の

栽培

は かな わ ず

、木綿

衣の

用 を

止さ れ るまで も な く、 自家生産で きない 木

綿

布は農 民に とっ て購 入 する こ との で きない 高 価で無 縁 な もの だ っ た。 唯

木 綿着 用 し よえ ば

古 手 」ば れ

や ぼ ろ布 を交 易や市の と き手に 入 れ るこ と はで きた。 し か し

菱 刺しを生んだ南 部の由間部では

閉 ざさ れた山

の 地域であっ た た め

この

古手

さえ も 入

で きな かっ た

 高橋

・一

と麻の

に は

1

や 九戸の農 民の 生活が描か れてい る。 「食べ 物は稗 と 稗 糠で何 と か間に合わせた が、 困るの は着 物だっ た よ。 とにか く

麻 を

っ て

っ て

物に して

族み んなの分を み な渡さ ね ば な ら ない か ら

とても

容易

じゃ なかっ た ナ

そ れ 以

ヒは捨て子さ。」とい う痛 烈 な 明 治生 れのあばあさん の話がある。麻は山 間の寒 冷 地でよく育つ の で、 木 綿が入 手でき ない土 地で は 自給 用と して栽 培して き た。 だ が栽 培 する の も糸に 績み織る ま で も大変

間が か か り

家 族全部の麻 布 を調 達 す る苦

は並大 抵 で は な かっ た。 着る ものが な く

て ら れ ない子 供を間引 きする話は大正の初 め までっ た とい

自家 製

をい かに長 く持た せることが必要だっ た か

生 きるには刺し縫しな け ればならなかっ たかを 思い 知らさ れる話であ る。

4

ぼろ刺 し の発展

 

占手

綿布

交易

な どで

に 入 る 土地で は、 ぼ ろ刺しが様々 な形で 行 なわれて

ぼ ろ刺し は

本来

ぼ ろ

補強す

る た め に

何枚

も重 ねて初め か ら

し た

方法

ボ ド

ズ ブ

ッ ヅレな どの

で 東北全 域に見ら れ

手間をか け ない縦 や横に

し た だの べ たしか ら

縦横の 縫 目 を

らす 目落と し 刺しを紅 合せ た小柄文 様や

大 柄の 文 様を構 成 した ものまで見 ら れる。 刺 し物の

類は襦 絆な どの上 衣

股 引 な どの 下衣は もちろん

前 だ れ

荷 す り

手 甲

腕 貫

脚 絆

袋、

甲 掛

おむつ

風 呂

敷、雑

巾な ど幅 広 く

、各

地の作 業や 生業の必 要に応 じて :

し てきたこ と がわか る

。気

候 が 比 較 的穏や か で作 物 も豊か に

綿

の古

を容

に買 える 太平

側の 地域で は

、実

用 的 で

間 をか け ない

調

し 子が多い

山 間の豪 雪 地

や 日本 海側の地 吹 雪や潮 風の つ い 地域は 文

を 駆使 し た ものが

く 見ら れ る。 文

に は

麻 畑

、 桝

波な ど作 物 の豊 穰や家の安 泰、 夫の無 事な どの祈 りが込め ら れ

女性が

人 前の 腕 を持つ か ど かがし技 術 か ら計 られ た。 また

雪で 閉 ざ され た時 間や きつ い 野良 仕

わっ た夜

半、

刺し縫 に没

するこ と は

に とっ て心の

らぎにもなっ た。

さ ねば 使 えない

古手

を最 大 限に 生 かす 実 用 性と

刺 すこ と で夫や

F

供へ 析 り精 神 的 な安 ら ぎ が得ら れ

さ らに

言 葉で は 発言 を許さ れ な かっ た 自 己の主張を刺 すこ とで表わ したのであろ

。  ア メ リ カ に も、 辺 境の地、 豪 雪や原 野の厳 しい 境 遇に耐

刺し縫によっ て 自分や家 族の生 き様 や 歴 史を綴っ た キ ル トが

数多

さ れ てい る。 どちら か らも北国の 厳しい風 土で生 命と精 神を支えた

刺 し縫の果た した大 き な 役 割 を痛 感 する の で ある。

デ ザ イ ン学 研 究特集号 sPEcIAL  ISSuEOF  JsSD vol

5 No

1 1997   23

参照

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