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B.C.L.ナトルプとベル=ランカスター・システム(3) : 近代学校システムの形成と教授・教育方法の改革(その一の3)

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(1)Title. B.C.L.ナトルプとベル=ランカスター・システム(3) : 近代学校システム の形成と教授・教育方法の改革(その一の3). Author(s). 大崎, 功雄. Citation. 北海道教育大学紀要. 教育科学編, 50(2): 1-12. Issue Date. 2000-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/194. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 0巻 第2号 北海道教育大学紀要(教育科学編) 第5. 平 成12年 2 月. i fEduca i i l 5 0 JournalofHokka i doUniver tyo t t s on(Educa on)Vo . .2 ,No. February,2000. B. C. L. ナ ト ル ブ と ベ ル = ラ ンカ ス タ ー ・ シ ス テ ム (3) -近代 学校シス テム の形成 と教授 ・教育方法の改革 (その一の3)-. 崎. 大. 功. 雄. 北海道教育大学旭川校教育学教室. l=Lancaster B. C‐ L‐ Natorp and Bel. Syst em (3). - Format ion of the Modern School -Syste1h and Reform of the Teaching‐ and Educational ‐M ethod (Part,1, No.3)-. lsao. OHSAKI. ience of Educat Depar ion, Asahikawa Campus, tment of Sc Hokkaido Universi ion ty of Bducat. 目. 次. は じめに 1. ナ トル プ 『ベ ル=ラ ンカス ター・ シス テム に関する 所見』( 1817 )-成立事情- 「 ベル= とは何か一そ ンカスター・シス 2‐ ラ テム」 の制度的側 面. ) 『無償貧民学校論』 の概略 1 ( ( 2 ) ドイツは教育後進国か? ( 3 ) 無償貧民学校は是か非か ( 4 ) 学校制度の比較-公・私優劣論 ( 5 ) 私学校は安価か? (以上, 本学紀要 第4 9巻 第2号) 3. 「ベ ル=ラ ンカス ター・シス テム」 と規律=訓練シス テム 1 ) 多 人数収容の問題と学 校シス テム (. 2 ) 教室構造-一望監視の空間 ( ( 3 ) 「学校助手 (モニター) 」 は不可欠か?-学校と 「教師-生徒関係」 4 ( ) シス テム と しての学校 ( 5 ) 学校 システム と 「教師-生徒関係」. (以上, 本学紀要 第5 0巻 題1号) 4‐ 学校シス テム と近 代の教育4ゞ注 1 ) 学校 システムと近代 国家 (統治システム) ( 2 ( ) 学校 シス テム の自 己駆動 ( 3 ) 学校 システム の推力 -競争原理か, くよ り良く> の原理か. (以上, 本号).

(3) . 大. 崎 功. 雄. 4. 学校システムと近代の教育心性. ( 1 ) 学校システムと近代国家 (統治システム) すでに何度かふれてきたように, ナトルプが学校をシステムとしてとらえるその思想的背景には, 学校を 近代国家 (特にその統治システム) の模写とも, またその形成機関ともとらえる学校観があった. ナトル プ d Lern;Anstalt) によれば, 「学校とは明らかにまず以て教授=学習機関 (Lehr; u 1 ・. 1 1 で あ る」(. が, 同時. ( ) でも な けれ ばな らな か っ た 教 育 機 関 2 i l t)」 にそ れ以上 の も の, す な わち 「教育 機 関 (日rz ehungsansta ‐. と しての学校はより大きな社会 (国家) を模写して作られる 「小国家」 であり, その生徒はこの 「小国家の. 市民 (Burger als eines・kleinen staats)」 と して位 置 づ け ら れる. か く して 生 徒 は, 学 校 社 会 に お い て 「賢明で善良な市民 (we 」 として生活することを通じて, 本来の 「より大きな社会 i r) se und gute Burge 3 ) したがって 学校は規律=訓練機関として における生活にむけて適切に準備され」 なければならない( . , , l そ の た め の 特別 な装 置 (Verwa tungen) を装 備 してい な けれ ばな らな い. そ の た め に は 「学 校 の 基 本 的 体. の確定が必要であり, 「学校規則」 がこれを定めていなけれ ばならな い. かくて教育機関として学校の機能がつぎのように確定される. 制 (Grundverfassung der s ) l chu e. [前略] 青少年は学校に対して確定された秩序に力強い意志をもってしたがう ように, かれらの義務を 絶えず努力して履行し, 凡帳面であるように, 法の権威に対して畏敬を抱くように, 教師としてあるい は監督者として彼らのために法を取り扱う人々 を, 尊敬と信頼を以て敬うように, 彼らの同級生として, 彼らとともに組合 (学校組合のこと-大崎) 内にいる者と和合し, かつ率直に関わって生活するように, ) の自覚をかれらの名誉とするよう に, 習慣 づ け t そして自由, 自治および高速な心意 (Denkungsar 4 } ら れな け れ ばな らな い( . こ の 点 にお い て, ナ トル プはベ ル =ラ ンカス タ ー . シス テ ム を 高 く 評 価 す る. そ の 学 校 シ ス テ ム で は,. 「確たる基本的体制」 とそれを規定した 「最高規範としての学校法」 が支配しており, 「家庭的および市民的 ) ととら { 5 ichen Lebens) が模写 さ れている」 生活の制度 (d i e Verfassung des hauslichen und burgerl と部下」 「命令者と 服従者」 「主人と従 えるからである. 言う ところの 「家庭的.市民的生活」 には, 「長官- 者」 「管理主任と管理助手」 「首長, 副首長と下役」 などが存在するとともに, そこにおいて は, 「職務が所 定の計画にしたがって分割され, 個々人の関係がそれにしたがって確定され, 作業が適切に整序され, そし て管理を構成する個々の要素すべてが家庭的ないし公民的団体の一般的秩序と法の下に置かれている」 の だ が, 同様に 「 [ベル=ランカスターの-大崎] 学校においても, すべての関係は, 生徒が彼らの小国家のな かで, 家庭的および公民的制度の姿を見, その小国家内における彼らの生活を通じて家族およ び国家状態に 〉 前章で見たシステム化された学校 6 おける彼らの来る べき生活にむけて準備される」 ようになっている( . 「 の管理組織 (管理委員会の諸機能とさまざまな服務) は, かかる 家庭的・市民的生活」 に含まれる諸機能・ 服務に対応するものと して押さえられるのである. このようなナトルプの視点からすると, 社会ないし国家と学校との関係, 国家内における学校の機能につ いて の 理解 は, ベ ル= ラ ンカス タ ー ・ シス テ ム と基本 的 に一 致する. した が っ て, ナ トル プは, かの 『無償. 貧民学校論』 の主張を次のように評価してみせる‐ [前略] 学校の法を尊敬できる者は国家の法にも自発的に服するのである, とパリの文士はまっ たく正.

(4) . B‐ C. L. ナ トル プと ベ ル = ラ ン カ ス タ ー ・ シ ス テ ム (3). 当にも, また意味深長にも語っている. 私は, 学校において学校の事項を合憲的, 計画的に管理するこ と を学 ん だ 者 は, そ の こと に よ っ て 他 日, 国家, 町, 村, 家 政の 合 憲 的管 理 に よ く 整 え ら れた や り 方 で. 7 ) 参加することにも熟達するということを付け加えるものである{ . 見られるように, 学校は国家と市民社会の模写であると同時に, その生徒を他日国家や市民社会の法に基づ く管理に参加させていくという, 近代市民づくりの機関である ことを期待されているのである. そのために, 学校は法に基 づき合憲的に管理されることが不可欠であり, その管理機能そのものが生徒の規律=訓練機能 になることが求められたのである. 教師個人の懇意的管理や支配に学校を委ねず, 学校を学校法の支配する ・ そ の 評価 の核 心 である‐ こ の 場 合 の 教 師の個 人 的 学校 管 理と は, 前 近 シス テム と して と らえ て いる こ と が,. 代的な家父長制的な管理支配を意味している‐ ナトルプにおいては, 学校の近代化をとりわけその管理シス テム にお い て 実 現 しよう と した わ けで ある. そ して, こ の 管 理シス テム がそ の ま ま 教育 シス テ ム になる と こ ろ に, ベ ル= ラ ンカ ス タ ー ・ シス テ ム の 特 質 がある と 評価 して いる わ けであ る‐. ( 2 ) 学校システムの自己駆動 とこ ろ で, こ のよう な ベ ル=ラ ンカ ス タ ー 学 校 の規 律=訓 練 シス テム は何 に よ っ て 駆 動 す る の だろう か. この シス テム を動 かす 駆 動力 の所 在 の仕 方 にこ そ, ベ ル= ラ ンカス タ ー ・ シス テム の 特 質 がある. 結 論 を先 取 り する と, 学 校 の シス テム その も の が自 己駆 動 す る 仕 組 み と な っ て いる. そ れ は どう いう こと か. ナ トル プは, ベ ル = ラ ンカ ス タ ー ・ シス テム の特 質 と して, 前 章 にお い て 挙 げた二 つ の 特 質 (多 人 数 収容. および学校助手=モニターの使用)の他に, さらに学校規律の特質を挙げ, ① 「生徒の厳密な分類 (genaue 8 ) お よ び ② 規 律 面 の 「異 常 に甚 だ しい 精確 さ (d ich groBe i i f icat ion der Schu C1ass l e ungewohl er)」( , ,. i i ) と監督の仕方 の 「厳重な綿密さ と絶え ざる活動」 (d Punkt l i t e strenge chke. sorgfal i t und d e sich. }の2 点を指摘する 9 ichble ibende Tha i i t t)」( stets gle gke .. これらのうち, 生徒の厳密な分類とは, すでにふれたように個々の授業科目 ごとの教授過程における生徒 )の こ と を意 味 して いる した が っ て そ れ は基 本 的 に は 教 科 内 容 の 1 0 ( の 区 分 (ク ラス, 分 団 な い し班編 成) . ,. 構造と教授の段階に関する問題であるが, ナトル プはそれを生徒の規律=訓練の問題としてもとらえるので ある‐ それは, この生徒の分類が授業における認識過程のありよう を規定しているだけでなく, 授業におけ る生徒の行動体系 をも規定しているからである. 一例を挙げてみよう. ランカスターの学校では読み教授の ために八つの分団 (班) を作る. 第1分団 (最下級班) は文字を知る. 第2分団は二つの文字, 第3分団は 三つの, 第4分団は四つの, 第5分団は五つの文字の組み合わせやその発音を学習し, 第6分団から第8分 2クラス (分団) 編成で行われる. 第1クラスでは数の発音, 第2 団は読み練習全般を行う. 計算の教授は1 ク ラス で は足 し算, 第3ク ラス で は複雑 な足 し算, 第4 ク ラス で は引 き 算, 第5ク ラス で は複 雑 な引 き算,. 第6クラスでは掛け算, 第7クラスでは複雑な掛け算, 第8クラスでは割り算, 第9クラスでは複雑な割り ーラス で は約 分, 第11ク ラス で は比例 法, 第12ク ラス で は 演 習 (Prac i 算, 第10ク t ca) が 行 わ れ る. 書 き 方. の教授では読みのクラス区分と歩調を合わせている. すなわち, 最下級班は3コースに分かれ1文字の書き 方を, 第2班は2文字, 第3班は3文字, 第4班は4文字, そして第5班は5文字以上の書き方を, 第6班 から第8班は沢山の音節を単語に, そして単語を文章に組み合わせることを学ぶ. だから, これらの班は, そ れ ぞ れ1 文 字ク ラス, 2 文 字ク ラス, 3 文 字ク ラス, 4 文 字ク ラス, 多 文 字ク ラス, 2 音 節 ク ラス, 3 音. 節クラス, 多音節クラスなどとも呼ばれる. だがここで問題なのは, こうした編成における教授段階の合理 性 ・ 妥 当性如 何 にある の で はなく, 分類 ・ク ラス 編 成 そ の も の にあ る. つ ま り, こ のク ラスない し分団 (班). 編成が教科の構造や教授過程の合理性に即しているかどうかが問題なのではなく, この編成が生徒の行動様.

(5) . 大. 崎 功. 雄. 式・行動体系と結びついているがゆえに問題とされるのである‐ 生徒は, たとえば読み教授の第1分団では , その分団において同一の読み練習 (文字の発音) を担当モニターの指導 (号令) のもとに定められた手順に 則っ て行うことになる (行動の斉一化) ‐ 要するに, この学習過程そのものが規律=訓練過程となるのであ る. したがって, ナトルブの指摘する 「生徒の厳密な分類」 は, もう一つの特質である規律面の 「異常に甚 だしい精確さ」 等と結びついてはじめて意味をなす‐ ベ ル= ラ ンカス タ ー . シス テム にお い て は 「一 定 レベ ルの 秩序 で満 足 す る の で はな く あ ら ゆ る 点 で の , ,. 精確さを要求する. そして, この精確さは・ あらゆる点において等しく 厳密でなければならず, きわめて取る に足りない些事にまでおよばなければならない」 . この教育目標を端的に示しているのが, ランカスター学 校の教師の席上に掲げられた 「物にはすべてその置き場があり, すべての物をそのもとの位置に (整塾 騨頂 , h ing and every th ing in i a place for every t lace)」 ts p. 1 1 ) ナト と いう 「題字 (lnschr f i t)」 で あ る{ .. ルプは, この秩序の厳格さを軍隊的訓練と評し÷ ランカスターの学校運営全体の魂として押さえている. [前略] 導入された秩序は学校内のあらゆることがそれに関係する中心点である. それは, すべてのこ とがきわめて厳密に従わなければならない法である. 生徒たちは, 入室のときも, 退室のときも, 座っ ているときも, 立っているときも, 起立するときも, 学習するときも, 暗唱するときも, 練習するとき も, その他のときも, この法に従うのである‐ 教師と助手は, 教授に際し, 受け取りに際し, 図書, 表, そして紙の配布と跡片づけに際し, 出席簿の検査に際し, 欠席者の記帳に際し, 一の分団から他の分団 への移動に際し, 懲罰係の管理等々に際して, この法に従うのである‐ 学校のなかには, あらゆる業務 に対してはきわめて厳密な規則が, すべての物に対しては指定された場所が, 指導のあらゆる部分に対 しては厳密に定められた時間が, すべての生徒と監督者に対しては指定された位置が, 為されるべきす 1 ) 2 べ てのう ごき お よ び行 わ れる べ,き す べ て の 課業 に対 して は合 図あ る い は指 令 語 が存在 す る( .. これは, 可視的空間と時間の徹底した管理であり, 生徒の身体と行動の一切が空間と時間の管理に即して管 理されることを意味する. しかもそれが, 権威者による人格的支配としてではなく, 全体の法的規制として, また生徒相互の監視として規制される仕組みであることが特徴的である. <システムが管理する〉 とはこの ことを言うのである‐ ナトルプはさらにこの秩序の規律=訓練の事例を糸召介してい・ るが, 以下その概略を示 ) 1 3 してお こう( .. まず, 学校の開始の様子-午前8時半 (および午後1時半) に振鈴:最上級の助手 (監督モニター) が学校を開ける準備のために登校. 8時45分 (および午後1時45分) に振鈴:クラス助手 (クラスモニ ター) が各分団用の諸準備のために登校‐ 鈴が強く鳴らされ玄関が開けられる. 助手たちは指定席のあ る ベンチの上に立ち, 彼らの分団に所属する生徒を受け取る. 生徒たちは指定されたベンチの後ろに立 ち, 検 査 を受 ける. ラ ンカス タ ー の 学校 で は次の よう にな さ れる. 「検 査よ ‐ い (Zur Musterung)」. の号令で, 生徒は数字の書かれた壁の前に, 各人に与えられたナンバー にしたがっ て整列. 次に生徒が そ の下 に 立 っ て な い ナ ンバ ー が特 別 なモ ニ タ ー によ っ て 記 帳さ れ, 欠席 者リ ス トを携 え ている モ ニタ ー. (出欠監督モニター) に手渡される. (出欠監督モニターは両親の許に子どもの欠席について照会しなけ ればならないが, これは印刷された手紙を当該児童の両親の許に送付することによっ てなされる.) こ の出欠検査を済ませると玄関は閉められるゞ 玄関が開けられてからわずか5分で以上のことが済まされ る. 以後, 学校が終了するまで玄関は開けられない. 入り口近くに座っている生徒は, 教師の許可がな く とも, 誰も出入りしないように門番の役目をする. 4.

(6) . B. C. L. ナ ト ル プと ベ ル = ラ ンカ ス タ ー ・ シ ス テ ム (3). 次に祈祷と授業の開始の様子-校長が鈴によっ て合図する と, 全児童はひざまずき祈祷‐ 第2の鈴の 合 図 で立ち 上 がり, 最 上 級 のモ ニ ター (監 督モ ニ タ ー) が 「す わ れ- ベ ンチ の上 に」 の号 令 を 掛 ける‐. ブルの上に 「すわれ」 の号令でベンチの背後に立っ ている生徒たちは左手でテーブルを叩き, ‐手をテー 置 き, 次 い で片 脚 を上 げて ベ ンチ をま た ぐ‐ 「ベ ンチ の上 に」 の 号 令 で もう 片 方 の 脚 を 上 げ て ベ ン チ を 乗 り 越 え, ベ ンチ に座 る. そ こ に は, 各生 徒用 の石 盤 が細 ひも で釘 に 掛 けら れて ある‐. 書き方の授業の様子一石盤の取扱いも号令にしたがって行われる‐ 「石盤を持て」 - 「石盤を拭け」 - 「石盤を見せよ」 - 「監督者, 調べ」 - 「石盤を下ろ せ」 - 「手を膝の上に」 - 「書き方よ‐い」 - 「監督者, 石筆を配れ」 - 「石盤を掛けよ」 - 「監督者, 石筆を取 れ」 - 「ベンチを去れ」 ÷ 「手を背 に組んで」 - 「前へ進め」 等々‐ モニターによる教授 (読みと計算の授業) を受ける様子 - 生徒たちは分団を編成 し, 隊列を組み行 進し, 壁に沿って直径5 フィ ー ト, 相 互 に1 フィ ー ト離 れた 半 円に 沿 っ て 集 合す る. この 半 円 内 に立 っ ている ドラ フ ト. モ ニ タ ー によ り, 壁 に掛 けら れて いる 表 を 使 っ て 読 みや 計算 が教 え ら れる‐ 課業 は時. 間どおりに分刻みで行われ, 班が交代する. あらゆる授業の内容一覧が分刻みで定められ, それにした がうことにより, 最大限の精確さが遵守される. このため, 学校のいたるところにボンボン時計が設置 さ れて いる‐ 教室 内 の さま ざま な装 置 - す べ てのク ラス の壁 際の モ ニ タ ー 席 に は, そ の上 に ク ラ ス や 分 団 を 表 す. 数字が描かれた, 連絡板 (5フィートの長さの棒の上方に板きれが付設されているもの)カミ設けられて おり, 各クラス担当モニターが上級監督 (監督モニター) に課業の終了をこの連絡板を使って知らせる. 授業担当のモニターは図書や表を指示するために利用する指示棒を持っている. この指示棒は教師の机 の正面に列状に掛けられているゞ さまざまな表も部屋の周囲の壁の所定の場所に置かれている. 生徒の 席の前には石盤の他に石盤を拭くための海綿が1箇掛けられている‐ 石筆は薄い鉄板製の筒のなかに収 められていて, 授業開始前に各クラスモニターにより点検され, 必要に応じて先端を尖らせられる‐ 生 徒の名簿がクラス ごとに壁に向かい合った連絡板に掛けられる. 号令はときに応じて, 教師や監督モニ ターの合図や身振りに置き換えられる (したがっ て, 生徒は絶えず注視していなければならな い)‐ 大. 帳簿 (das groBe Schulbuch) と 呼 ばれる 「登記 簿 (Einschreibe‐Register)」 に は, 生 徒 の 名 前, 年齢, 両親, 入学, 転校および退学について記載される‐ この他にもう一つの名簿があり, そこには入 学を申告した児童の名前が記載されている. 各助 手 (モ ニ ター) は, そ の 服 務規 程 に 反 したり, 怠 慢 だ っ た り, 不 注 意 だ っ たり, ある い は十 分 に. 精確ではないことが分かっ たら, 教師 (校長) によりその職を停止されるかあるいは罷免され, 他の者 がその交代をする. 校長は練習のあいだ中監督するために絶えず教室内を巡回し, 一のクラスあるいは 別のクラスに立ち止まり, しっ かりと監督する‐ 彼は監督モニター (管理主任) やその他のモニター (特別の管理者) とつねに結 びついており, 彼らにその都度命令を与え, その実行を監視する. かくして, 「彼 (校長) が一瞬のうちに発見しないものは教室のなかに何も現れなし, 何も行われ得ない‐ あらゆる中断は, 無秩序をもたらすのであり, それは機械の連動機のなかの車輪の停止のようにその場で直 ち に 分かる も の である‐ 学校 の 体制 化 (Verfassung) によ っ て, 指導 様式 の 整 備 によ っ て, 規 律 を 管 理 す. るやり方によっ て, 校長と彼の助手はつねに熱心に, 注意深く, そして活動的であることをひとりでに強制 されるのである. 怠惰, 不注意, そして不規則は学校全体を混乱させずには入り込み得ない. 要するに, 人 は学校のなかに, 多面的で, 活発なそして生き生きしたう ごきにおいて, 規則正しい精確さを見い出すので 1 4 ) ある‐ そ して, こ の こ と はま さ しく, き わ めて 重 要 で, 注 目 に値 する こ と である」( ‐.

(7) . 大. 崎 功. 雄. 以上 の シス テム を再 考 して みよう. こ の秩序 シス テム は, そ の 内部 に個々 の生徒 を位 置 づ け, 取り 込 む.. 生徒は, その位置=役割に応じて, 指定された (る) 場所, 指示された (る) 時間にしたがい, 一斉に行動 する. この行動の斉÷性が肝心である. もし, 生徒が一人でもこの斉一化された行動からはずれると, 全体 の秩序を狂わせることになり, 全体の目に秩序破壊者・逸脱者として映る (相互監視システム) . こ のシス テムからはずれることは, 学校の秩序からはずれることであり, 言わ ば破壊者・逸脱者と して排除されるこ とを意味する (それを効果的にするために, 以下に述べる 「賞」 と 「罰j の シス テム が 用 意 さ れる). し た が っ て, こ の シス テム 内 に止 まろう とする か ぎり, シス テ ム の 忠実な稼働者となることを強制されるのであ. る. 要するに, この学校システムは, それ自身その内部に駆動力 (推進力) を埋め込まれたシス テムなので ある. そして, ナトルプが高く評価する点もまた, (過度の人為的技巧は除くとして) この学校 のシステム 1 5 ) そ れ は 教 師 の性能 に左右されないシステムと見なされる 性 な の であ る( . . , [前略] まさにこの点において, 私たちの学校に明確に定められた憲法 (Ver fassung) と内的な制度, そ, してしかも生徒の生命と教師の生命とを一様に活動させ, 秩序の軌道のなかに保つような内的制度が 与えられることが二重に (活力のある教師がいる場合でも, いない場合でも-大崎) 重要なのである. 私は, 学校のなかの秩序や活動はただたんに教師の意思と‘ゞ情の力から生まれる だけであってはなら ず, 訓練システムのなかに, そして学校訓育を実施する様式のなかに, 教師ならびに生徒を強制して規 則的な仕方で活動させ, 秩序を定められたとおりに保たせるような強制的な動力装置がなければならな いと考えている. 教師が教え, 生徒が学ぶだけでは十分でない. ・ 同時に, 学校は両者にとって, そのな [学校内で かで何 ごとかが合憲的・規則的に管理されるところの機関でなければならないのだ. [中略]. 行われる生徒のさま ざまな-大崎] 活動の惹起はひとり教師に依存するだけであってはならず, 学校の ればならない. これがラン 体制と訓練の仕組みそのものが教師ならびに生徒を活動させ, 秩序 づけなけ, カスター=ベルの学校のなかに明らかに見られる事情であり・ , この点にとりわけその卓越した特性が存 1 6 ) する の で ある( . 前 章 でも 見 たと ころ の, 以上 の ナ トル プによる ベ ル= ラ ンカス ター ・ シス テ ム の評価 は, . 何 度 強調 して. もしすぎることはない. それは, 近代の学校システムがその内部者を自縛する所以を端的に語るものと して示唆的でさえある. もとより, ナトル プは, さきに見たように, 学校のシステム性を超える契機を 模索し, ‐ <教師-生徒関係〉 の問題としても とらえ返すのではあるが, 少なくともこの 『所見』 におい このシステム性を学校の本質的機能としてとらえ, いささかも否定することはなかったのである. ては,▲ したがって, ナトルプは, 『所見』 第2章をつぎの文章を以て締め括るのであった. [前略] ランカスターとベルが彼らの学校において習慣という力から作りだした方式は, ただ適用する だけでよくて, 他のあらゆる積極的な訓練手段の代わりに役立つことができる, もっ とも効果的な連動 ter) の 懇意 で はな く, 学校 法 と導 入さ れた規 律 (obser ‐ 機 (発動機) である. 学校管理者 (Schulhal. vanz) が支配するところでは, 生徒はまもなく, そして自分で予期する前に, 支配的秩序の軌道のな } 1 7 か にはまる の で ある( ..

(8) . B‐ C. L. ナ トル プと ベ ル = ラ ンカ ス タ ー ・ シ ス テ ム (3). ( 3 ) 学校システムの推力 - 競争原理か, 〈より良く〉 の原理か ベ ル= ラ ンカス ター ‐ シス テム はそ の 内部 に駆 動 力 を埋 め 込 ま れた シス テム であ っ た‐ しか し, 同 時 に そ の シス テム を支 える もう 一 つ の推 力 が措 定さ れて いた. そ れ は, 賞 と 罰 を柱 と する 競争 原理であ っ た. だが, { 1 8 ) 安川 哲 夫 の指摘 する よう に, こ の競 争 原 理 に はベ ルと ラ ンカス タ ー と で は 重 大 な 相 違 が あ っ た ‐ こ の 点 で は, ナ トル プは ベ ル= ラ ンカス タ ー . シス テム を一つ の 原 理で しかと ら えて い な い‐ しかも, そ れをラ ン カス タ ー に代 表さ せ て とら え て いる の が特 徴 的 である」 そ して, そ のう え で この 競 争 原 理 を 問 題 にする の で あ っ た.. ものとして子 どもの活動衝動を措定す ナトル プは, 前章において見たよう に, 学校システム を駆動させる一 る の だ が, この 視 点 か らベ ル=ラ ンカス タ ー ・ シス テム の ある 一 面 を批判 す る. 日く, 「ラ ン カ ス タ ー = ベ. ルの学校では, 子どもの絶え ざる作業が配慮されている‐ ただ, 子どもの活動衝動が鼓舞され, 方向づけら { 1 9 )と その是認されないやり方とは 「競争心 名誉心 叱責への恐れ と褒 れるやり方だけは是認できない」 , , ‐ 美への期待」 を学習促進のための主要な原動力 としている点である. この点で, 特にランカスターの学校に 顕 著 に 現 れて いる 賞 ・罰 のや り 方 を, ナトル プ の整 理 に即 して見 てお こう.. 「賞」 : 〔名誉切符の賞〕 優秀な生徒に対し, 読み・書きな どの学習でとっ た良い成績が記されている l der ) 」 「名誉切符 (Bhr ) i l l -などが名誉の印 として生徒 」 を与える. 〔賞品〕 また, 「絵 (Bi t e enb の胸につけられる.・賞品として本も与えられる‐ 〔金券賞〕 さらに, 換金券が与えられる. 〔優秀 グループ賞〕 学業および道徳的向上に優秀な成績を収めたグループが設けられ, そのメンバー に は銀のメ ダルが授与される (この場合, グループに重きが置かれるのではなく, あくまでも優秀 グルー プに所属 す る 個 人 に対 してメ ダル が授 与 さ れる の で あ っ て, -賞 の個 人 性 が 原 則 で あ る).. 〔席次進級の賞〕 授業で他の生徒に優る正 しい回答をすれ ば, その都度席次が繰り 上 げられる (したがって, 逆に繰り下げられる生徒も出ることになる). 「罰」 :怠け者あるいは学則違反者に対して加えられる. 〔首棚の罰〕 4から6ポン ドの重さの木材を 首の周りに固定する‐ これは被罰者がう ごいて平衡を失うと大きな負担になる. 〔足柳の罰〕 1 本ないし多数の足柳で拘束し, 片腕を背中に結びつけるか両肘を背中にま わして一緒に結び合わ と小股で歩‐ き回らせる. せる. そして, 被罰者が許しを請い改善を誓うまで学校中 をゆ っ くり. [寵の鳥の罰〕 非罰者を龍あるいは袋に押し込め, 教室の天井に吊し, 教室中の笑いものにする. 一種の差恥罰である. 〔監禁罰〕 授業終了後, 被罰者を机に縛り付け学校に監禁す‐ る. 〔引き回し ‐ の罰〕 被罰者の頭に紙製の冠を載せ, 違反内容を記したプラカー ドを首に掛け, 学校中を引き回 す. その際, 被罰者の前に2人の少年が立ち, 彼の違反をふれ回る. 〔不潔者の罰〕 不潔な少年 については, 学校中の生徒の目の前でそのために指定された少女に体を洗わせ, みんなのからか いの的にさせる. [強情者への罰〕 強情な生徒たちに対しては, 首の周りに1本の木材を当てて 彼らを数珠繋ぎにし, この朝 をつけたまま後ろ向きに学校中を行進させる. また, 可罰的生徒た l i ち は, 罰 と して 調刺 歌 (Spot t eder) な どを歌 わせ ら れ た り す る. い ず れ も 苦 痛 を 伴 う が, そ i れよ り も子 ども の差 恥 心 を重 視 した罰 である. そ の 他 に は, 一 般 に 鞭打 ち や 木 馬 刑 具 (Ese sbr 2 0 ) t)責 め な どが行 わ れる{ e ‐. こう した賞罰システムについてナトルプは, 次のように論評する. 「なるほど, 褒美も懲罰も とも に効果 的な動機であることはきわめて確かなことである. 一方は鼓舞し, 他方はびくつかせる. 両親の家で完全に 7.

(9) . 大. 崎 功. 雄. 放っておかれ, 粗暴で冷酷な状態に陥ってしまった子どもたちについては, おそらく学校における罰による 厳しい懲戒と, 際だった褒美による著しい鼓舞だけが矯正可能だっ たのかもしれない‐ だが, 多くの学校で は, 多くの刑務所や感化院におけると同様, 導入された罰や褒美は期待されたつとめをほとんど果たしてい ない, ということも確かである. 毎日, 毎時間, 誉めたり, 叱ったり, 木馬刑具に掛けたり, 進級させたり, 遊び時間を与えたり, 鞭で打ったり, 絵を贈っ たり, 等々する学校が存在する. しかし, 生徒がそれによっ ( }と それ ばかりでは 2 1 てより良くなり, そして学校の雰囲気が純化されたということを人は認めていない」 ‐ ない. 「懲戒に際してあらゆる非人間的で品位をおとすような刑具の使用を必ず, 例外なく 止めなければな らないこと, そして未成年者の誤っ た取扱いは二重の犯罪, すなわち子どものなかにある人間に対する犯罪 と人間のなかの子どもに対する犯罪であるということも, はっ きりした」 のである. 見られるとおり, ナト ルプはランカスター式学校における懲戒システムの非教育性を特に強調する. [前略] 教師が彼の生徒たちを罵り-彼らの歯の間に木か鉄の棒を噛ませ, エンドウ豆の上に座らせ- 彼らが不注意ならその頭 にバイブルを投げつ ける-彼らを血まみれになるほどむち打つ-彼らの耳をつ かんで高く引っ 張る-彼らを叩きのめすために, 長い棒に固定された鉄鈎で引き寄せる-彼らを鞭で懲 戒する際に恥知らずにも裸にする-彼らの頭を叩く-同級生から彼らに対する朔笑を惹起する-個々の 子どもに対する不可解なえこひいきによって他の子どもをいつも冷遇し, 抑圧する, 等々のことをする なら (純然たる刑具がま だあちこちの学校で流布しているの だが-原文) , そういう場合には, ノ心情に おいて完全にはねじ曲がっていない人間なら誰でも, かかる暴虐によって何かが抑えつけられているの 2 2 )(傍点は大崎) を感じ取るものである{ . ナ トル ブ によ れ ば, ベ ル= ラ ンカス タ ー ・ シス テム にお ける 懲戒, 特 にその 蓋恥 罰 は; 子 ども (人 間) の 向. 上心を刺激するのではなく, むしろ不名誉感を刺激し, 人間性を抑圧するものである. だからそれは, 「子 と人間のなか どものなかにある人間に対する犯罪 (e i n Verbrechen gegen den Menschen im Kind i にある子どもに対する犯罪 (e n Verbrechen. ndim Menschen)と い う 二 重 の 犯 罪」 を 犯 gegen das Ki. すものである. 「刑務所長や監獄の監視人ではないすべての人の自然な感情は, それ以上考慮しなくとも, ( 2 3 ) かかる措置は不名誉であると判決を下すのである」 . ところで, ナトル プの以上のような懲罰批判の特徴は何であろう か‐ それは, 子ども (人間) を <個人> としてとらえ, その個人としての人間存在の基底的感情が 「人間性」 や 「人間的品位」 に代表される 〈自我 感情> <自尊心〉 である とする人間観であり, 教育観である. 「抑えつけられる」 何かとは, まさにこの人 間存在の基底的感情である <自尊心> であり <自 我 感情〉 であ っ た. ナ トル プにお い て は, ラ ンカス タ ー の 立場とことなり, 〈自尊心〉 への侵害は決して向上心とは結びつかず↓ むしろ子ども (人間) の自己否定に しかならないと考えられていた. 子どもと言えども人間的品位を求める <自尊心> があり (蓋恥罰は 「子ど ものなかにある人間に対する犯罪」 である) , また子どもらしさこそ人間性である (差恥罰は 「人間のなか とするナトルプの人間観 (子ども観) は, 前章で見たナトルプの く教 にある子どもに対する犯罪」 である)- 師-生徒> 関係観に通底するものでもある‐ したがって, かかる <個人> 観は, 利己的欲求の充足を起動力 とする競争原理とは相容れないものであることも明瞭である. 褒美の導入はどうか. 「学校への積極的な褒美の導入は, 一面においてはなるほど, 勤勉を鼓舞 し, 怠惰 を励まし, 一方の他者との競争心を刺激することができるが, しかし他面においては褒賞欲, 名誉欲, 嫉妬 心を促進するのも希ではなく, そして才能や精神の活発さに欠けた生徒たちを意気消沈させ, ‐無気力にする ことも希ではないのである」 . だから, 「一般的には, 生徒の積極的な懲罰や褒美はできるだけ避けられなけ.

(10) . B. C. L. ナ トル プと ベ ル = ラ ン カ ス タ ー ・ シ ス テ ム (3). ( 2 4 ) れ ばな らな い」 .. 以上のように, ナトルプは賞罰の原理-競争の原理-の導入を明確に否定する‐ 特に, 褒美の導入は 「才 能や精神の活発さに欠けた生徒たちを意気消沈させ, 無気力にする」 ととらえる視点は, 功利主義的競争原 理の 限界 を指摘 する もの でも あ っ た. で は, ナ トル プはそ れ に何 を対 置 した の か‐ そ れは, <よ り 良く> の 原 理 であ っ た.. [前略] より良いもの, より完全なものにむけて進歩することの喜ばしい感情が生徒にとって褒美でな ければならない. そして, より良いもの, より完全なものにむけて努力することにより, より高貴な人間 獅 こと で あろう. その 反対 のこ とが 彼 に は罰 となろう{ の 部 類 に入る と いう 自 覚 が彼 を励 ま し, 鼓舞 する‐ .. ナトルプの対置する原理は, 「より良いもの」 , 「より完全なもの」 にむけての向上心であり, その絶え ざる 努力であった‐ それは近代社会を創り出した進歩と向上心, <より良く> の原理であっ た. かかる観点から, ナ トル プはベ ル = ラ ンカス タ 」 ・ シス テム に 見 ら れる 分類 ・等 級 シス テム だけを 評価 す る. 日 く, 「学 校 内 f i i i i (e)rung) と 進 級 (Promov (e)ren) は, 昔 か ら 習 慣 に な っ て い る あ の 子 ども の 分類 (等 級 化, C1ass c f らゆる 褒 美 や懲 罰 に取 っ て代 わる だ ろう‐ 分類 シス テム (等 級 制, C1ass i i i onsytem) は 事 柄 の 本 性 に cat ( 2 6 } も っ と も 適 合 した もの である」 ‐. ところで, この 「等級制」 と 「進級制」 は競争原理に基づくものではないのか?だが, ナトル プはそれを f f f i i (e)rung)」 と は 言 う が, 「差 異 化 (Di 競争原理とは見なさない. ナ トル プは 「等 級 化 (C1assi c eren‐ i erung)」 と は 言 わな い. つま り, ここ で ナ トル プの 導 入 する シス テ ム は, た し か に 教 室 内 の 子 ども の 分 z. 類 (等級化) ではあるが, それは子 どもの学習到達度の分類 (等級化) を意味するのであっ て, 子どもの比 較・差異化に目的があるのではない‐ 当該の等級に対応する学習内容の達成を通じて子 どもが進級すること が目的となる. だから, より上位の等級の子どもとの比較・競争というカテ ゴリY rから導き出された等級化 ではなく, より良いもの (より上位の等級) にむけて自己を向上させるという 〈より良く > の原理から導き . 出される等級化である. 「すべての生徒は, 他者と競争する というよりも, 自分自身と競争するということ がその本質的な特性である」 ととらえるのである‐ つまり, 他者との比較 (=競争) ではなく, 自己自身と の比 較 (=よ り 良く の 向上 心) が基 本原 理と さ れる の であ る. こ こ に, ベ ル= ラ ンカス タ ー ‐ シス テ ム と の. 微妙だが決定的な相違が浮かび上がるのである‐ それは, 近代社会を生み出した くより良く> の原理の確認 であ り, <他人よりもより良く> に転化する以前の, そのそもそもの原理の高調であった. そこには 道徳 , 論 的 に は, 『エミ ー ル』 にお ける 「自 尊心 (amour propre)」 と 「自 己 愛 (amour de s i )」 の相違にも o. 通じる人間把握が見られ, 思想史的にも興味深い‐ そして, この自己の向上は自己内部の問題であるが, そ れを見える形に外化したものが, 「等級化」 であり, 「等級制」 ということになる. ‐ なお この 〈よ り 良く> の 原 理 が他 者 と の比 較 の 原 理 で はな い という こと は ナ トル プのつ ぎの引 用 か ら , , も 明 かと なる‐ 「ホ ルシ ュ ティ ヒ (Hors i t g) は 語 っ て いる が, 賞 や懲 戒 は, ペ ス タ ロ ッ チ 一 の 授 業 で は 行. われていない‐ 同じく人為的な励ましや刺激もなされていない‐ 人間は自ら活動するものであり 自分の諸 , 力の感情や自覚が彼を一段一段導くのである. 彼が為すことは, それが彼のその都度の諸能力に正確に適合 している がゆ え に, 正 しく, かつ, 善 な の である‐ 完 全 生の欠如を教師たちは彼 (生徒) 自身に感じさせる の で ある‐ 不 正 確 に 描 か れた 四角 形 を彼 ら は測 定さ せ る‐ そう する と どれ だ け多 く ある い は どれ だけ少 , ,. なく完全性に欠けているかが自ずと明らかになる‐ 教師たちは, それは正しくない, とは言わない. 測りな ( 2 ) ここ で は 他者 と の比 較 = 競 争 で はなく よ り 完 全 なも の をめ ざして の 自 己 の 7 さ い, と 言う の である」 . , , ) 2 8 向上= <より良く> が教 育 原 理 と な っ ている( ‐ 9.

(11) . 大. こう した. 崎 功. 雄. <より良く> の原理は, 教師の活動にも適用される. 教師には, 生徒の く自我感情> を抑圧する. 懲罰ではもちろんなく, 生徒の人格的な支配や統制でも, また生徒の競争心の喚起でもなく, 授業 (教材と 教育法) の絶えざる工夫改善, <教師-生徒関係〉 の質的向上, 自らの模範による学園生活の絶えざる改善 が求められる. [前略] 学校における教師は, もし彼が教授の題材や形態によってのみ彼の生徒の精神を鼓舞し, その 心を獲得しようとするならば, 彼自身の模範により秩序, 勤勉, 親切, 礼儀正しさ, そして良い習慣を 教え, 導入された学校法の精確な遵守を厳格に保ち, そしてそれを自らも精確に守り, あらゆる無秩序 をその萌芽のうちに摘み取り, そして彼の生徒たちのあいだに, ちょう ど彼の子 どもたちのあいだにあ る父親のように, 情愛のこもった真面目さと高貴で優雅な威厳をもって住まうなら ば, これでもって満 足できるであろう(翻 さて, 以上見てきたナr トルプの学校訓育の立場を改めて整理しておこう. .ナトルプにあっ て は, 「人間的 品位」 を基底とする <自我感情〉 に貫かれた く個人〉 が, <より良く〉 の向上心を起動力として発達するこ と を 保障す る シス テム が学 校 であ っ た‐ そ こ には, 近代 の教 育ンふ性が明確 に貫 か れて い た. 同 時 に, この 心 .. 性は, 他者との比較=競争を挺子とする競争原理とは相容れなかっ た. 特に, 利己的欲求の達成を活動の原 動力とするランカスターの功利主義的競争原理とは対立するものであった. しか し, 学 校 が秩序 形 成 を 目 的 と する か ぎり, ベ ル=ラ ンカス ター ・ シス テム に見 ら れる シス テム 原 理は. 積極的に評価される● . それは, 自動的な規律=訓練システムとして, 規律=秩序の習慣化を保障するものだ らく子 からである. だが, ナトルプにおいては, この規律;秩序自体が目的なのではなく, その内部ではた‐ る規律= どもの活動 (〈より良く> の向上的活動) の保障こそが重要であっ た‐ したがって, そこで想定され. 訓練の性格は, ナトル プが 「自由, 自治および高選な心意の自覚」 と呼んでいるように‐ , たんに外部から付 与された秩序への訓練というものではなく, 子どもの自発的活動と発意から導かれるはずのものだっ た. ナ トルプが, 生徒を含んだ学校管理委員会を積極的に構想していたのは, かかる方向を示唆していた. にも拘わらず, ナトルプは, 学校のシステム性を無条件に肯定した. 学校は, 生徒はもとより教師の意思 からも独立したシステムであること,.そしてその内部に止まるかぎり, 教師と生徒の活動が 「ひとりでに強 ′自動システムである・ ことが肯定された. ここにおいても, 私たちはまたもや宙づり状態になる. 制される」 一方ではシス テム内に取り込まれつつ, 他方ではシステムを超える活動が保障されるとは, いったいいかに して可 能 な の か. ナ トル プにお い て は, こ の 問題 性 は自 覚さ れてい ない. そ して こ れ は,▲ひ とり ナ トル プに. おける問題なのではなく, 近代の学校システムが抱えるジレンマであり, ナトルプにおいてはその端緒的姿 が自覚されることなく明示されていたのである. ここに, この時期の歴史のリアリティ が塔する. こうして, 近代の学校とその教育方法を, それらが形成されてきた始原にまで遡ってとらえるときはじめて, その固有 の問題性が赤裸々に明かとなるのである.. (続く) :. 註 { 1 ) B‐C‐L‐Natorp, A九drms βe” ”れd Jos馨れ Lαれcα鋤け, Be溺死r”た”九geれ 防 げ 〆誇 りoれ 彼九s鋸膨れ のれgがり九だesc九“- 817 sburg, bey G‐D.Badeker 1 eZr食んZ移れg, sc九琵友彦cん≠ ”九α Le九rαだ, Essen und Dui . ,S.62 2 ( )/ bid ・ ‐ ,S.63 )ヱ 6 3 { 3 bi d S ‐ ・ ・ , . 64. 1 0.

(12) . B. C. L. ナ トル プと ベ ル = ラ ンカ ス タ ー . シ ス テ ム (3). 4 ) ヱも緩‐ ( . ,s.64 5 ( )ノ もZd . ・ ,S・67 ( 6 )/ S 6 7 68 もZd ‐ ‐ . . , ( 7 ) Z錠α,S‐69 ・ ( 8 )ヱ bid ・ 9 4 ( )Z biα,S.7 . he i lung) 」 と が区別 i l 」 と 「分団 (班, Abt Q ) ナトル プにお ける生 徒区分 (Schul O erabthe ung) の概念で は, 「クラス (C1ass) されていない‐ したがっ て, 本稿においては適宜訳 し分けるが, 生徒の基 本集団を指す場合, 等級を指す場合には 「ク ラス」 を, ドラフ トにお いて グルー プ学習 をする 集団を指す場 合を 「分団」 ない し 「班」 と訳 し分け た‐ た だ し, 意 味 して いる 対 71 による. bid 象が, 同一の場合もある. この授業の生 徒区分の概要 は, ご ‐ ‐ ,S.69 ( )ヱ bid 4 1 1 ‐ . ,S・7 回 ヱ 5 76 bi dリ S.7 ‐ ‐ 80 から整理 した‐ ( 1 勃 以下の概要は,ごbid ‐ . ,S.76 8 8 1 ( 1 4 ヱ i S 0 bd‐ , . 一・ 鰯 ナトル プは, 以上のベル=ラ ンカスター・シス テム を, その過 度に人為 的な仕組みにつ いて だけ度 外 視 す れ ば, 高く 評 価 できるとする. だが, ナ トル プは, ベ ル=ランカス タr ・シス テム の一般的原則 「物に はすべて そ の 置 き 場 があ り, す べ て. の物をもとの位置に」 は重要ではあるが, 学校の調度・教育用器具の位置と貯蔵に関することしか表現されておらず, 学校 の訓練システム に含ま れる その他のすべてのことは含ま れていない, 学校の主要なこと, 「指導と教育」 は暗示されて い な い と して, ロホーの学校 にお ける モ ッ トー 「子 どもらを私の許に来させよ, そ して彼らを妨 げる でな い, 何 と な れ ば, 神 の 国 ) は彼らのものであるから」 をそれに対置する ( ご bid . . ,S.87 { 1 6 )工 s 8 5 8 6 bi d ご ‐ . . , ・ 8 ロガ ヱ bid . ‐ そ して, ベ ル=ランカス ター・シス テム が模倣 できるシス テム である ことを端的に示 して いる の が, ナ トル ,S.9. プが編集する 『教師間の往復書簡集』 第1巻に収められたクライの教師シュタープ( St ab) の書簡における実践報告である. このクライの学校 は, 教師シュ ター プが18 04年 に着任 して 以来さま ざま な改善を重ねた結果, 教 区 の 父 母 の 信 頼 を 得, 1年 0人を超えよう と していた‐ このため, 多 数の生 半後には生徒数は70人から100人, そ してこの書 簡執 筆の頃 (1 808年) に は15. 徒を一人で指導・統制し教授するために種々の工夫改善を計らざるを得なくなった. その努力の過程で試みていっ たのが奇 しく もランカスター 的な規律=訓 練方式と 分団方式の教授であつ た‐ そ して, やがて1808年 にナ ト ル プに よ り 翻 訳 さ れ たラ ンカスターの著作に出会い, ランカス ター・シス テム (Lankas iani t e r sumus) を, 自らの 改 良 を加 え な が ら 導 入 して い っ たのである. シ ュ ター プはラ ンカス ター・シス テム か ら 「厳格な精確 さ (足帳面さ, e i i l i t)」 をそ の ne strenge punkt chke 核心と して受け入 れた‐ 以下, やや長いが, その件を見てみよう. 「私の学校では秩序の精神 が支配 していま した. しかも, 通例 の民衆学校 にお いてあり得る 以 上 の 高 い レベ ル に お い て であります. しか し, 私はラ ンカスターから, , 私がず っ と以前 に知り,,そ して肝に銘 じてお かなけれ ばな らなかっ た こと,. すなわち非常に多数の生徒のいる学校での訓練には, 秩序だけでは十分ではなく, 厳格な精確さが行われなければならな ノ. いという ことを, 学んだのであります. これが私が導入 した第一 のことで した」 学校 にお いて命 じら れ, 行 わ れる こ と の すべてについて, 私はそ れを極度に厳密 に取り扱う ことを始めま した‐ 子 ども たち は, た だおお よ そ 適 当 な 時 間 に学 校 の 私の前に現れな けれ ばならない ので はなく, 時を打つ 鐘を合図に現れな けれ ばなりませんで した‐ 彼 ら が清 潔 に, き ち ん と顔を洗い, 髪 をとか し, きち んと着 衣 しているよう に見える だけでは十分でなく, 彼 らに はほ ん の 取 る に 足 り な い 無秩 序でも発見されて はならなか っ たのであります. また私 は, もっ とも貧 しい子 どもたち にあ っ ても, ぼろ を ま と っ て い て も完全にきちんと し, 清潔 でな けれ ばならないよう にしたのであります‐ 湿潤 な天候に際 して, 遠く か ら 泥 どろ に な っ て やっ て来る子 ども たちのために, 学校の近く に水汲みポン プが設 けられ, 泥取りマ ッ トが置いてあ り ま した. 合 図 の 鐘 と ともに, 課業が始まり, そ して終了 しま した. 命令されたこと はすべ て, ほんのかすかな合図 で そ して 直 ち に そ の場 で , 為 されなけれ ばなりませ んで した‐ すべての生 徒は, 私が学校 に入る や否や, 私の前をゆっ く り と 通 り す ぎ そ して 検 査 , にパス しなけれ ばなりませんで した‐ 各生徒 は, 番号で示 され, 2 本の線で測 られた, 彼に指定された場 所をもっ て お り, 彼はこの場所にだけ座る ことができたのです‐ 机も, ベ ンチも, 黒板も, 表も, ほんの少 しでも ずら して はなら な か っ た‐ 本も, 書 字板も, イ ンク壷も, その他のものも, 彼 らにはっ きりと割り当て られた場 所以外に 置 か れ て はな ら な か っ た の. です. 学校法は細大漏らさずこのうえなく厳密に遵守される必要がありました‐ ほんのわずかな違反でも直ちに注意され, 答められました. 要するに, 最高に厳しい精確さを私は学校訓練の最初で最後の原則にしたのであります‐ そして私自身 , 学校では誰よりも最高に精確な者でありました. この精確さ (凡帳面さ) があらゆる乱暴や無秩序を萌芽のうちに摘み取 るもっとも確かな方法なのであります. 人は学校をただ一度だけこの軌道に乗せさえすれば良いのです‐ そうすれば, 勝 負に勝っ たことになるのです‐ や がて, すべての者 は習慣の影響と 法の力 にしたがう のです. この規律訓 練的な取扱 い が, 11.

(13) . 大. 崎 功. 雄. 学校の体制 だけでなく, 人間の全生涯のための陶冶にも いかに多く の作用 をもたらすものであるか につ い て, 私 は君 に注 意 を 促 す に は お よ ば な い で し ょ う」 (Sechst l lehrer Winzer zu ehrer stab zu K1 ey an Schul er Brief .Der Schul Regenau, 〔den 4ten Nov ‘ erer ”九d s靴“ダだ”た彼, 1. Ue cねsd のれ虐げ scん“Z .1808〕,in, B.C‐L.Natorp, βだけz Bandchen, Dui 12 ) 1 sburg und Es sen,1811 ‐ ‐ . ,S.110 このシ ュ ター プの書簡を見る か ぎり, 彼がランカス ター・シス テム から受け入れたも のは, 徹底 した 規 則 性 ・ 精 確 さを 中 心的特徴とする秩序シス テム であ っ た‐ モニター制やクラス制 (等級制) も導入 しているよう だが, 褒 賞 と 懲罰 を 柱 とす る 競争原理は見あたらない. この点で, ナ トル ブのベル=ラ ンカス ター・ シス テム評価 と同一の傾向と見なすことができよ う‐. ナトルプは, この 『書簡集』 出版の時期 ( i 8 1 1年) における自らの立場を 『所見』( 1 8 1 7年) においてはさらに一歩進め, ベ ル=ラ ンカス ター ・シス テム への批判 的立場を明らかに したのである. ◎ 安川哲夫は, 既存の社会の価値体系を前提と して, その学校内にお ける具現化と しての権威的ヒエ ラ ル ヒ ー に 基 づ く ベ ル ( 1. の競争原理と, 約束された報償に対する個人の利己的な欲望, 動機に基づくランカスターの競争原理とを, 両者を支える社 ”Sc 会基盤の思想史的文脈に即して的確に浮き彫りにしている‐ 安川哲夫 「 hoo l sfor A1r の成立過程について (上) - 『ペルーランカスター論争』 の分析を中心として・一」『金沢大学教育学部紀要』(教育科学編) 第29号, 昭和56年1月, 同 「実際的教育の改革者A. ベルの教育=訓練思想とその実践 (続) - 『ペルーランカスター論争』 研究の一環として -」 『金沢大学教育学部紀要』(教育科学編) 第3 0号, 昭和5 6年9月, 参照‐ ( り NatorP A九dreαs β〆と秘九α JosePん 乙α凡cα総er OP.c比 S.90 1 9 . , , , ,. 2 をの 街司. 9 - . ここでは, ナ トル プの紹 介する賞罰 の実際 しか挙 げなかっ たが, ラ ンカスター・シス テムの質 と 罰 の詳 細 ,S.91 については, 安川 哲夫 「“School s for A1r の成立過程につ いて (上) - 『ペルーランカ ス タ ー 論 争』 の 分 析 を 中 心と し て. -」 前掲, 参照‐ 乾 9 )上 る幼. 3 1 ‐ . ,S.92 惚 ) 上玩ぼ,S.93 2 . 復 4 ) Z玩ば 3 ,S‐9 ‐ , 惚 )上 4 9 4 るZd,S.9 5 ‐ . 95 吃 )Z 5 も粥. ・ ,S・ 偶 )上 る幼. 6 師 Z旗α ig) につ いて は, ビュッ ケ ブルク (Buckebu1g) の 速 記 法 改 革 者 である 6 . . なお, このホ ルシュ ティ ヒ (Horst ,S‐9 Kar I Got l i i t eb Horst g を指すのか, 目下のところ不明である.. 鰯 ) だが, ナトルプの主張にもきわめて危う いものがある‐ 彼においては, 〈より 良く〉 は く他者と の 競 争〉 で はな く く自 己 と の競争〉 であ っ たはず だが, さきの引用 にもある よう に, 「より良いもの, より完全なもの にむけて努力する ことに より,. より高貴な人間の部類に入るという自覚が彼を励まし, 鼓舞する」(傍点は大崎, めど ) という, 他者との比較, 高貴 α 5 . .9 ,S な人間の部類への所属感が同時に肯定されているのである. これが利己的動機からの向上心でないことば明らかだが, 道義 的な意味においてであると しても上位 グルー プへの所属感が肯定さ れる という ことは, そこに比較原理 が貫 か れて い ること. を意味し, それが社会的な比較原理へと転化しないという保証はない‐ 比較的早く から産業的基盤が形成されていたヴェス , トフ ァ ー レンで地方長官フ ォ ン・フィ ンケの片腕と して はたらき, かつ改革期 プロイ センにおいて は社 会 的 近 代 化 ・ 立憲 制. を志向していたナトルプは, その立脚する社会基盤としては決して保守的・身分制的秩序を志向していたわけではないが, 彼の聖職者として地位と‘ゞ情が道義的高貴さを至上とする信条を支えたものと思われる. こうした意味において, 彼の宗教 思想が社会思想とともに検討される必要がある. 能動 上玩ば,S. 95 96 ‐ .. (本研究は, 平成10~13年度文部省科学研究費補助金による研究 - 「プロイセン・ ドイツにおける 近代学校装置の形成と教育方法の改革」 〔課題番号 10610 223〕 - の研究成果の一部である). (本学教授 旭川校). 12.

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