揺らぐ国政選挙への信頼 -- 選挙後暴力後のケニア
(特集 選挙の風景)
著者
津田 みわ
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
251
ページ
30-33
発行年
2016-08
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00002896
東アフリカに位置する旧イギリ ス 領 の 国、 ケ ニ ア 共 和 国( 以 下、 ケ ニ ア )。 一 九 六 三 年 に 独 立 し、 一九九一年に民主化を果たして今 年で二五年目となる、新興民主主 義国のひとつである。このケニア で、選挙の典型的な風景といえば、 五年おきに開かれる国政選挙の日 に投票所にできる長蛇の列だ。 「ス ラム」といわれる低所得者居住地 域であれ、大臣や外交官の邸宅が 並ぶ高級住宅街であれ、行列がで き る こ と に は か わ り が な い( 写 真 )。 そ の 映 像 は、 B B C な ど 国 際メディアでもケニアの選挙報道 で決まって使われる。 「行列」は、 民主化後のケニアにおける選挙の ひとつのアイコンになってきたの である。 早朝から辛抱強く投票の順番を 待つたくさんの人々。そこからも 想像できるように、ケニアのこれ までの国政選挙では、投票率は高 まる一方であり、一番最近に行わ れ た 二 〇 一 三 年 の 大 統 領 選 挙 で、 そ の 値 は つ い に 八 六 % に 達 し た。 暴力的に人々が動員されての数値 で は な い。 ケ ニ ア で は、 大 統 領、 国会議員らが、ほぼ五年に一度開 かれる同日選挙で国民の直接投票 によって選出される仕組みがとら れている。いずれも有権者は一八 歳以上の男女、一人一票による秘 密投票であり、投票するしないは 自由である。
●
集
計
段
階
で
の
混
乱
選挙当日の投票と開票の段階ま でに限るなら、民主化後ケニアの 国政選挙はかなり平和的に行われ てきた。まったく混乱がなかった わけではないが、国内の選挙監視 団もイギリス連邦など国際的な選 挙監視団も、投開票段階までは 0 0 0 0 0 0 0 0 相 当程度に自由で公正、そして平和 裡に選挙が行われてきたとの見解 で一致してきた(たとえば参考文 献①) 。 しかし、最近一〇年間の国政選 挙では、投開票のあと、すなわち 首都のナイロビに置かれた選挙管 理委員会(以下、選管)本部にお ける集計以後の段階で、大規模な 紛争や混乱が残念ながらくりかえ し発生してきた。 二〇〇二年、ケニアでは野党側 の大同団結が実を結び、独立後初 めて選挙による政権交代が起こり、 M・キバキ大統領を首班とする新 政権が誕生した。しかし、キバキ 政権は、その後五年間の政権運営 において、民主的な新憲法の早期 制定など重要な公約を放棄し、大 統領が属する民族――キクユ―― びいきとみられがちな政治を行う など、大同団結結成の理念から逸 脱していった。結果、二〇〇七年 選挙時点の政権への支持は、キバ キ大統領の出身地域とその周縁に ほぼ限定されていた。●
「
選
挙
後
暴
力
」
の
発
生
最悪の武力紛争が発生したのは、 このキバキ大統領の再選が問われ た二〇〇七年末の大統領選挙にお いて、集計結果が発表された直後 であった。ケニアの国会議員選挙 区は全国 (国土面積は日本の約一 ・ 五倍)を百数十~数百に細分して 設けられてきており、国会議員に ついては選挙区のレベルで得票が 集計された段階で当選者が事実上 確定する。一方、大統領について は全国一区であり、全国の投票結 果をすべて集計し、得票数で一位、特集
選挙の風景
津
田
み
わ
揺
ら
ぐ
国政選挙
へ
の
信頼
︱選挙後暴力後
の
ケ
ニ
ア
︱
ナイロビの高級住宅街。投票を待つ有権者たち(2007 年 12 月 27 日増古剛久氏撮影)かつ全国八州(当時)のうち五州 以上での得票率が二五%以上ある かどうか――この二つが大統領の 当選要件だった――を確認する必 要があった。 その確認作業にあたってきたの が、 ナ イ ロ ビ の 選 管 本 部 だ っ た。 二〇〇七年一二月、この選管本部 での集計プロセスで、集計結果の 不正な操作疑惑が発生したのだっ た。 投 票 か ら 数 日 が 経 過 し て も、 選管本部は大統領選挙の集計結果 をなかなか発表しなかった。選挙 監視団は、通例に従い投票所や選 挙区レベルの集計所だけでなくナ イロビの選管本部にも立ち入るこ とができたが、このときは投票か ら数日間にわたって選管本部から 閉め出された(参考文献①) 。 一方で、選挙区レベルの集計結 果 は 時 々 刻 々 と 報 道 さ れ て お り、 当時の野党側が国会での最大議席 を獲得したことが早々と確実にな った。加えて、与党側の現職閣僚 多数が国会議員選挙で落選確実で あることも続々と報じられ、野党 側優位で選挙結果が出そろいつつ あった。さらには、選管本部によ る集計の暫定速報でも、野党側で 最有力だったR・オディンガ大統 領候補が数十万票の規模でリード していると伝えられた。大統領選 挙の最終的な集計結果の発表前で はあったが、選挙戦はこの段階で はオディンガ候補の勝利と政権交 代が必至の様相を呈していた。 と こ ろ が、 投 票 か ら 三 日 が 経 過 し た 一 二 月 三 〇 日 午 後、 選 管 委 員 長 は、 突 如 と し て 国 営 テ レ ビ に 出 演 し、 現 職 の キ バ キ 大 統 領 が 僅 差 で オ デ ィ ン ガ 候 補 を 下 し て 再 選 し た と 発 表 し た。 「 キ バ キ 再 選 」 と い う 結 果 発 表 は、 多 く の 野 党 支 持 者 に と っ て は 青 天 の 霹 靂 だったといえる。発表の直後から、 選挙に不正があったとして首都ナ イロビをはじめ多くの都市部で暴 動が自然発生した。現職支持とみ られた住民――その多くはキバキ 大統領と同じキクユ人だった―― が襲われ、命を落とした。農村部 でも、キクユ人の入植世帯が襲撃 された。一方、野党支持者に対し て警察・治安組織は過度な鎮圧を 行い、銃弾を受けて数百人が亡く なった。キクユ人の一部が構成す る過激な自警団は、野党支持者と みられる住民――野党側のオディ ンガ大統領候補と同じルオ人、そ の他ルヒャ人など――を襲撃した (民族名などは図1参照) 。
●
様
々
な
改
革
努
力
後 に「 選 挙 後 暴 力 」( P E V ) と呼び慣らわされていくこの紛争 は、ケニアの独立史上最悪の規模 となり、少なくとも一一三三人が 死亡した。放火や排斥などで自宅 に 戻 れ な く な っ た 国 内 避 難 民 も、 一時六五万人に達した。国際調停 が功を奏し、紛争は数カ月で何と か収束したものの、その後のケニ アは現在もなお、国民和解のため の長い道のりをたどっている。 再 度 の 紛 争 を 抑 止 す る た め の 様々な試みのなかで、暫定憲法の 下でキバキを大統領とし野党側の オディンガを首相とする大連立政 権が、二〇〇八年に発足した。こ の暫定政権下で、二〇一〇年には 抜本的に新しい憲法(以下、新憲 法)の制定にケニアはこぎつけた。 新憲法では、紛争の重要な原因と みられた大統領への権力一局集中 の解消が試みられ、二〇〇七年選 挙の運営に失敗したといってよい 当時の選管――全員を大統領が任 命 し て い た ―― は 解 散 と な っ た。 かわりに新憲法の規定に沿い、独 立の人選委員会による公募と選定 および国会下院の承認を経て、新 委員長と八人のコミッショナーで 構成される新しい 「独立選挙管理 ・ 選挙区確定委員会」 (以下、 新選管) が結成された。 選挙に関し、新憲法では大統領 の当選要件もあらためられ、広範 囲での一定以上の得票という枠組 みは維持された一方で、これまで のように立候補した候補者の間で 最大の得票であれば当選とするの ではなく、投票総数の過半 0 0 0 0 0 0 0 の得票 を義務づけた。要件を満たさない 場合は上位二人の決選投票でより 多く得票した候補が当選するもの とされた。新選管のもとではその 図 1 ケニアの州(~ 2010 年)と主な民族 カレンジン キクユ カンバ ルオ ルヒャ リフトバレー州 東部州 北東州 沿岸州 西部州 ニャンザ州 中央州 ナイロビ N (注) 1)州県制は 2010 年の新憲法制定によって廃止され、 以後は 1990 年代の県区分に基づいて設置した 47 のカ ウンティを単位とする地方分権制が敷かれている。 2)民族名は、2009 年国勢調査時にケニア総人口に対す る比率が 10% 以上のもののみを記した。 (出所) 津田みわ「2007 年ケニア総選挙後の危機」『アフリカ レポート』No.47、3 ページを一部改訂。他、有権者登録と集計プロセスで、 紙ベースだけではなく電子媒体の 併用が試みられた。選挙区レベル から選管本部へと開票結果が伝達 される過程で数字に齟齬の生じた 二〇〇七年選挙の教訓に学んだう えでの改革であった。
●
再
発
し
た
集
計
段
階
で
の
混
乱
ところが、何重にも試みられた これらの改革努力が実を結んだか といえば、答えは芳しくない。集 計段階での混乱は、次の大統領選 挙でも再び繰り返されたのである。 二〇一三年三月、新憲法の下で 紛争後初の大統領選挙――上下国 会議員などもあわせた同日選―― が 実 施 さ れ た。 関 心 の 高 さ か ら、 投票率は冒頭で触れたように八六 %と過去最高の値に達し、投票所 の長い行列という選挙の風景がい つもどおりみられた。紛争後初め ての国政選挙だったにもかかわら ず、 「 伝 統 」 ど お り、 投 票・ 開 票 のプロセスまでは平和裡に進んだ ことは、改革努力の重要な果実だ ったといえるのかもしれない。し かし、このときもやはり、ナイロ ビの新選管本部において全国レベ ルの集計が行われる段階になって、 大きな混乱が生じてしまった。 電子化され、自動的に集計され て速報されるはずだった大統領選 挙結果だったが、投票日翌日の夕 方になっても新選管のウェブサイ トで表示される開票率は四割にと どまった。表示によれば、現職キ バキ大統領の支持を受け、キバキ と近い支持基盤をもったU・ケニ ヤ ッ タ 候 補 の 得 票 率 が 五 三 %、 二〇〇七年選挙に続き野党側候補 として最大の支持率を誇ったオデ ィンガ候補の得票率が四二%であ った。結局、ウェブサイトの更新 はこの時点で予告なく停止し、同 日夜、新選管は電子集計システム に不備があったと発表して集計を 手動に切り替えた。 混 乱 は こ れ で 終 わ ら な か っ た。 この夜の発表で新選管は、各候補 の得票率について、本来ならすべ ての投票を母数として産出される べきだったにもかかわらず、これ まで速報していた投票率は、総投 票数から誤って無効票を除いて計 算されていたものだった、と発表 した。 開票率四割の時点でのケニヤッ タ候補の得票率は五〇%をわずか に超えたのみとされていたが、母 数が大きくなればそれだけ最終的 な過半数超えは難しくなる。新憲 法では、過半の票を得られなけれ ば決選投票となり、ケニヤッタは オディンガと一騎打ちしなくては ならなくなる。決選投票となれば オディンガ側は野党票の結集を期 待できる。ケニヤッタ候補が初回 に過半数をとれるか否かは、結果 を 左 右 す る 重 大 性 を 帯 び て い た。 その重要な計算方法を、新選管が 間違えていた、という発表であっ た。大統領選挙の集計は大混乱の 様相を呈していった。 最終的な大統領選挙の結果発表 は、集計の手動への切り替えから さらに数日後となった。新選管は、 総投票数(一二三三万二八票)に 占 め る ケ ニ ヤ ッ タ の 得 票 率 が 五 〇 ・ 〇 七 % で 過 半 に 達 し た と し て ケ ニ ヤ ッ タ の 当 選 を 発 表 し た。 次 点 は オ デ ィ ン ガ で 得 票 率 は 四 三 ・ 三 一 % と 発 表 さ れ た。 ケ ニ ヤッタの得票(六一七万三四三三 票)は、過半をわずか八〇〇〇票 ほ ど 越 え た に 過 ぎ な い。 し か も、 これに至る新選管本部での集計過 程はきわめて混乱していた。オデ ィンガ側にとって結果の受入は困 難であり、オディンガ側は、集計 に不備があったなどとして大統領 選挙結果への不服を最高裁判所に 申し立てた。●
加
速
す
る
社
会
不
安
オ デ ィ ン ガ 側 が 支 持 者 に 対 し、 法を守り民主主義の手続きに従お うと呼び掛けたこともあり、表立 っ た 暴 力 は 基 本 的 に 回 避 さ れ た。 しかし、この集計プロセスの混乱 以後、ケニア社会では、オディン ガ(ルオ人)支持か、ケニヤッタ ( キ ク ユ 人 ) 支 持 か を め ぐ っ て、 フェイスブックなどのSNSを中 心に民族的なヘイトスピーチが日 常的に繰り返されるようになった。 紛争の再発につながるとして、こ うした傾向を諫めようとする各大 手新聞紙上での論説や、国民和解 に携わる国内・国際機関双方から のメッセージなどが多数出された が、目立った効果は現れなかった。 申し立てから二週間後、最高裁 がケニヤッタ候補の当選を支持す るとの判断を示すと、オディンガ は記者会見で「不満ながらも司法 判断には従う」と述べて結果を受 け入れた。ここでも表立った暴力 は回避された。しかし、判決の中 で最高裁は、大統領の当選要件で ある「投票総数」のなかに無効票 は含まれないとする疑惑の判断を 下した。最高裁判断によれば、新 選管の発表よりも計算の母数はさ らに減ることとなり、ケニヤッタ候 補 の 得 票 率 は 五 〇 ・ 〇 七 % で な く、過半数をさらに大きく超える ことになる。ゆえにケニヤッタの 当選は揺るがないというのが最高 裁の判断であった。 これで果たして司法が中立だと いえるのか――憲法解釈の面で疑 問の残る見解として、判決は直後 から法曹家を含め広範な層から批 判を受けた。野党支持者を中心に、 以後は司法の中立性にすら疑義が 呈される結果となった。 さらには、新選管の中立性につ いても、国際監視団が集計の不備 を指摘したことに加え、投票を数 学的・統計的に分析した複数の学 術研究が、ケニヤッタ候補を有利 にするような集計過程での水増し が想定されるとの結論で一致した (参考文献②、③、④) 。現在のケ ニアは、紛争後の制度改革により 中立性を高めたはずだった新選管 だけでなく、司法のトップである 最高裁についても、共に信頼性が 損なわれた状態にあるといってよ い。 社 会 不 安 は 強 ま り こ そ す れ、 弱まる気配はない。