行政命令型保護から参加型保護へ -- 潘文石教授に
よる中国的自然保護の模索 (特集 生態危機とサス
テイナビリティ -- フィールドからのアプローチ)
著者
包 茂紅
権利
Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア
経済研究所 / Institute of Developing
Economies, Japan External Trade Organization
(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp
雑誌名
アジ研ワールド・トレンド
巻
214
ページ
13-14
発行年
2013-07
出版者
日本貿易振興機構アジア経済研究所
URL
http://hdl.handle.net/2344/00003669
一九九〇年代、中国でパンダの 「 保 護 神 」 と し て 著 名 に な っ た 北 京大学生命科学院の潘文石教授は 現在、広西省チワン族自治区祟左 県 に お け る「 白 頭 葉 猿 」( シ ロ ア タマラングール)の保護活動に携 わっている。潘教授の絶滅危惧動 物の保護・研究の軌跡は、中国に おける社会参加と環境保護の紆余 曲折の歴史を表している。
一.
行政命令型保護―ジャイ
アントパンダ―
一九八〇年、海外の科学者が世 界自然保護基金の資金援助を受け て、既に一九六三年に設立されて いたジャイアントパンダの保護区 を 訪 問 し、 絶 滅 危 惧 動 物 で あ る ジャイアントパンダの保護・研究 に参加した。潘文石教授は青年期 の夢をかなえるため、既に成果が 出ていた病毒学の研究を放棄し、 ジャイアントパンダの研究と保護 の隊列のなかに飛び込んだ。共同 研究の過程で潘教授は一九八四年 秋に中国中部の秦嶺山脈に入り、 独自の研究・保護を始めた。 一〇年余りの野外研究を経て、 潘教授のチームはジャイアントパ ンダを現地における生物群集のフ ラッグシップ種であると確定し、 「 秦 嶺 の ジ ャ イ ア ン ト パ ン ダ の 生 存は自然の力だけではなく、我々 の 愛 護 と 管 理 」 が 重 要 と 考 え た ( 参 考 文 献 ① )。 こ の 研 究 成 果 に よって潘教授はジャイアントパン ダの保護に関する様々な論争に対 応した。竹の開花がもたらす危機 から沸き起こった「ジャイアント パンダを救え」という議論のなか で、一部の権威ある学者はクロー ン技術によってジャイアントパン ダの数を増やすという提案をした り、生息の核心地域にジャイアン トパンダ飼養場を建設する提案を したりした。潘教授は野生のジャ イアントパンダの飼養に断固とし て 反 対 し、 「 あ る 生 物 種 を 救 う 最 善の方法はそれが生息する生物群 集の全体性、安定性および種内の 遺伝子多様性を保護することであ る」と主張した。 秦嶺地域の森林を管理する機構 は長青林業局である。同林業局は 森林工業企業であるが、一九八〇 年に「栽培と育成」を共に進める 政策を行い森林および生物多様性 が保護されていた。一九八八年、 潘教授らは、長青林業の年伐採量 を森林の成長量より小さく管理で きる限りにおいて「伐採、育成、 選択、間伐」による生産を推進す るという措置を提案し、同局二四 〇〇名の正職員 およ び六〇〇名の 臨時労働者に就業機会を提供し、 ジャイアントパンダの生存空間を 確 保 し た( 参 考 文 献 ② )。 当 時、 教 授 と 林 業 局 の 関 係 は 良 好 で あ り、教授の活動は林業局幹部や職 員労働者から理解を得ていた。 しかし、一九九二年以降、長青 林業局は、伐採を加速させ、 皆 かい 伐 ばつ 後に速成量産樹種を植えるように なった。そのため、ジャイアント パンダの生息環境は急激に悪化し た。これは一九九二年の 鄧 小平の 「 南 巡 講 話 」 の 後 に 中 国 各 地 で み られた成長過熱と密接な関係があ る。潘教授は現地の人達の豊かさ を求める衝動を変えることはでき なかったものの、黙ってパンダの 生息地が消失するのをみていられ なかった。潘教授の研究チームは 内外の科学者と連名で国務院指導 層 に 手 紙 を 書 き、 「 秦 嶺 で 現 在 発 生している生態危機とそれを回避 するための方法提案」を行った。 朱 鎔 基 副 総 理( 当 時 ) は、 「 直 ち に伐採を停止し、職員労働者は生 産方法を転換し、新たな自然保護 区 を 建 設 せ よ 」 と の 指 示 を 行 っ た。一九九四年七月一日、潘教授 と長年協力してきた長青林業局は 生産転換を行い、管轄林区におい て伐採を全面的に停止し、管轄区 は自然保護区となった。しかし、 当時の職員労働者はこの措置に納包
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生態危機とサステイナビリティ
― フィールドからのアプローチ ―
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アジ研ワールド・トレンド No.214 (2013. 7)得せず、彼らは潘教授への恨みか ら、 科 学 研 究 装 置 を 略 奪 し た た め、潘教授らは長年活動を行って きた研究基地から撤退を余儀なく された。潘教授は「私は一体人々 のために良い事を行ってきたのか 悪い事を行ってきたのか」と問い 始めた。 潘教授の秦嶺ジャイアントパン ダの実践は自ら長年研究してきた 科学の基礎の上に立っているもの の、彼が後にとったのは基本的に 自らのコネを通して国家に行政命 令を下させて保護をするというや り方であった。しかし、当時現地 の職員労働者の切実な利益を考慮 し な か っ た た め 専 門 家 と 現 地 の 人々との間に対立が生じた。この 対立は五年後に現地の人々が徐々 に 保 護 区 か ら 利 益 を 得 る よ う に なって緩和されたものの、大きな 教訓が残された。