ベトナムにおける裾野産業の発展に関わる基礎問題
―産業間及び企業間のリンケージについての分析―
ド・マン・ホーン要約
2010年から中所得になったベトナムにとってこれまでの経済の好成長を維持するため、自力 で工業生産の競争力を本格的に強化する必要がある。しかし工業生産の競争力を高めるには、 現代製造業の土台である(部品、中間財の生産を中心とする)裾野産業の健全的な発展が不可 欠である。本研究はこうした問題意識を念頭に、ベトナムの裾野産業が抱える根本的な問題点 を明らかにし、現在ベトナムの裾野産業の脆弱さを克服するための政策含意を提示した。 具体的に、経済学及び経営学的な視点から裾野産業の発展のための条件を理論的に検討した 後、製造業における産業間及び企業間の関係の欠如に注目しながらベトナムの裾野産業の現状 を分析し、今後自力で裾野産業を発展させるため、民間セクターの裾野産業ネットワークの重 要性を強調した。Ⅰ.はじめに
近年ベトナムでは、裾野産業(supporting industries - SI)は大変注目されている。裾野産業 の振興の必要性かつ緊急性については、国内外の産学官ともに認識される課題である。しかし 様々のサポートを受けたにもかかわらず、裾野産業振興政策は円滑に展開できない。国内では 中小企業推進機構や裾野産業振興機構などが設置されたり、国際機関から現地企業向けの資 本、人材、経営ノウハウなどの支援が行われたりしていたが、なかなか効果がでない。例えば、 国際協力銀行の「ツー・ステップ・ローン」(地場企業向けの資金サポートプログラム)や国際 協力機構の「シニア海外ボランティア」(地場企業の経営支援目的で専門家の派遣プログラム)、 又は海外技術者研修協会の「海外産業技術者の研修の受入れ」、或いは日本貿易振興機構の「逆 見本市」1などは10年前から行われていたが、最新の調査結果によるとベトナムの裾野産業の 脆弱さはあまり改善されていない2。 なぜこれまでの裾野産業の振興政策が失敗したのか。重要な要因の一つは、この政策はベト ナムの政府(政策立案者)と国際機関(日本)との協力で策定されてきたが、両者の間には裾野 産業振興の目的と方法についての理解に大きなギャップが存在したからである。すなわち、国 際機関の支援は市場経済化を進め、民間企業の発展を推進、外資系企業がより進出し易いビジ ネス・投資環境を改善することを目的としていた。これに対して、ベトナム政府は単に物的な 1 ホンダ、ヤマハ、キャノンなどの日本の大手メーカー側の現地調達必要な部品の展示会。 2 国際協力銀行の『我が海外製造企業調査 2011』を参照。
支援(開発援助資金)を求め、しかもそれらの支援を非効率的な国有企業部門だけに注いでい た。 今後より効果的な推進政策を策定するためには、まずベトナムの裾野産業が抱える根本的な 問題点を明らかにする必要がある。本稿は経済学及び経営学的な視点から裾野産業の発展のた めの条件を理論的に検討し、産業間及び企業間の関係に注目しながらベトナムの裾野産業の現 状を分析し、如何にすればベトナムの裾野産業を振興できるかという問いを解くことを目的と する。 本稿の構成は、以下の通りである。まず第II節では先行研究を考察した結果を踏まえ、本論 で議論される裾野産業の概念を再確認し、その次ぎ、産業レベル及び企業レベルでの競争力を 強化させるための条件として、裾野産業の形成パターンと裾野産業のネットワークの役割を検 討していく。ここでいう裾野産業のネットワークとは、具体的な組織形態の意味ではなく、産 業間及び企業間の密接的且つ体系的な連結網のことである。第III節は、以上の理論的な分析枠 組みを基に、ベトナムの裾野産業の発展の実態と関連条件を分析する。具体的に、この節では ベトナムの主要製造業品輸出のデータを使い、同分野での高い輸入依存度の特徴を示しながら 裾野産業の脆弱な競争力を指摘する。またベトナム統計総局の企業活動の調査データと筆者が 独自に行った現地調査のヒアリング結果を使い、企業レベルから見る問題点を分析する。これ らの現状分析の結果に基づいて第IV節では、裾野産業の振興に関する政策含意を提示しなが ら、民間セクターにおける裾野産業ネットワークの重要性を強調する。しかし、移行経済体制 の条件の下でどうすればこのネットワークを構築することができるかについては残された課題 として次の段階で引き続き研究したい。
Ⅱ.裾野産業の発展の基本条件
i. 裾野産業の概念 これまでの研究において裾野産業は自動車や家電の部品の生産のことを意味し、比較的にシ ンプルに定義された。例えば、タマサート大学の研究グループ(Kriengkrai T., Thamavit T. 2004)は、タイの工業省の規定を基に、車体、フレーム、ブレーキ、ミッションギアー、エン ジンなどの19種類の自動車部品の製造を裾野産業と定義した。一方、大野(2006)は、日本の 1990年代の対アセアン現加盟国(タイ、マレーシア、インドネシア)又は2000年代以降の対ベ トナムの開発援助により実施されたサポートプログラムを参考に、自動車、家電と電子産業用 のすべての部品の生産を裾野産業と定義した。 D.M.Hong(2004)は、生産工程技術の特性に基づいて、自動車や家電、パソコンなどの組 立産業の投入財となるすべての部品、中間財の生産活動を裾野産業に分類した。具体的には、 金属及びプラスチック、ゴムなどを含む非金属素材に対する定型加工(例えば切削、フライス、 削り、切断、プレス加工、ラミネート加工、鋳造、鍛冶、溶接等々)及び表面処理加工(例え ば鍍金、塗装など)技術を採用する生産活動の総称である。また、労働及び資本の規模をみる と大部分は中小企業である。一般に製造プロセスを、研究開発(I)、部品の製造(II)、組立(III)という三つの工程に分け れば、上述の先行研究による裾野産業の概念はいずれも第IIの生産工程のことを意味する。本 研究では基本的にこれらと同じ見解を採る。ただし、ここでいう裾野産業の概念は、自動車や 家電、情報機器(パソコン、携帯電話など)の部品の製造に限定せず、資本財(各種機械設備) や建設、造船、鉄道などのあらゆる分野の部品、中間財を生産することを意味する。 裾野産業は重層構造があり、単一の産業分野から複数産業分野まで幅広くかつ多様な生産技 術に関わる(図1を参照)。例えば、それはネジやボルトの製造のように、旋盤などの切削加工 技術だけを使用する産業もあれば、自動車シートの製造のように、樹脂加工や金属加工などの 複数分野での技術を同時に使用する産業もある。ここで特に注目すべきは産業機械設備などの 生産財の製造に関わる裾野産業分野である。 図1.裾野産業の概念図 資料)筆者作成 このように定義すると、裾野産業は二つの種類に分けられる。第一は一様的な製造技術を使 用、大量生産する活動である。第二は多様的な製造技術(複合分野での製造技術)を使用、多 種少量生産する活動である。例えば試作品や特定の産業機械の部品、電気コンポーネントなど である。但し、ここで言及される裾野産業は、製鉄、製鋼、化学財などの基礎素材の製造を含 まらない。その理由は、こうした重化学産業は高度技術及び資本集約的な産業であり、工業化 の初期段階には比較優位がないからである。 産業組織論からみると、裾野産業の担い手は無数の独立中小企業又は大手セットメーカーの 下請け企業の群れである。よって裾野産業振興の問題は中小企業ネットワークの発展を推進す る問題でもある。 ii. 裾野産業の形成(発展)パターン 理論的に、自由競争の条件の下での裾野産業の形成は、二つのパターンがある。それらは
「伝統的な形成パターン」と「外来的な形成パターン」である。 a. 裾野産業の伝統的な形成パターン 伝統的な形成パターンは一貫生産方式の発展の結果である(図表2を参照)。 図 2 裾野産業の伝統的な形成パターン 資料:筆者作成 工業化の初期段階にどの産業分野でも「製品の開発・設計」から「部品の加工」、「組立」まで のすべての生産工程は同一の経営体の下に展開される傾向がある。例えば、日本の家電産業で のソニー、パナソニックや自動車産業でのトヨタ、ホンダの設立当初、大部分の部品が内製又 は系列会社から調達されたのはその典型的な例である。この時、部品の製造工程(裾野産業) は一貫生産の一部であり、まだ組立の生産工程から切り離されていなかった。しかし生産技術 の発達、生産規模の拡大、経営組織の変化により、一貫生産方式は生産の効率化が限界に直面 する。理論上、一定の生産技術及び経営管理能力の下で最適の生産規模が存在する。その規模 を超えれば、生産効率が低下していく。この理由により生産効率を改善するため、生産システ ムを再構築する必要がある。この生産システムの再構築の過程で、ヴァリューチェーン(価値 連鎖)の中に付加価値が一番低い「部品の加工」の工程は、生産規模の拡大による生産管理の 複雑化が要因で、一貫生産システムから独立に切り離される傾向がある。こうした生産システ ムの再構築プロセスにより、裾野産業が形成されると考えられる3。 経営学の視点からみる、伝統的な形成パターンの特徴としては、従来同一的な経営体から独 立化されるので部品メーカー(裾野産業)はセットメーカー(組立産業)と密接な関係を持つ 傾向がある。これらの関係は単なる取引だけではなく、技術協力や経営指導などの面にも関わ っている。これは藤本(2002)の製品アーキテクチャー論によるインテグラル(擦り合わせ) 3 バリューチェーン理論により、生産経営プロセスは「設計、開発」、「部品加工」、「組立」、「流通・販売」 に分けられ、その中に川上と川下の生産工程は比較的に付加価値が高く、川中の工程は付加価値が一番低い。
生産方式の基礎となる。但し、これらの関係は裾野産業を分断させる傾向があり、外部からの 新規参入を阻害する。トヨタ、ホンダ、松下、ソニーなどの大手セットメーカーに付属するサ プライヤーシステム(部品調達子会社又は下請け)の形成はその例である。 b. 外来的な形成パターン 伝統的な形成パターンに対して外来的な形成パターンの場合、裾野産業は組立産業から乖離 的に発展する特徴がある(図3を参照)。 図 3 裾野産業の外来的な形成パターン 資料:筆者作成 これは今日工業化の初期段階にある開発途上国でしばしば起こる現象である。貿易及び投資 の自由化に伴い、多国籍企業をはじめとする外国直接投資は受入れ国に工業発展機会をもたら す。外資導入と輸出振興政策は輸出向けの組立加工を中心とする製造業を活発化させる効果が ある。当初大部分の部品及び中間財は輸入に依存する傾向があるが、その後価格競争力の強化 の目的で、現地調達の需要が徐々に拡大していく。これは現地(開発途上国)での部品や中間 財の生産活動、即ち裾野産業の発展を誘発する。これらの分野で活躍する企業は外資系部品メ ーカーもあり、現地資本系企業又は両者の合弁企業もあり得るが、大部分は中小及び零細企業 である。 この外来的なパターンによる裾野産業の形成は、 藤本(2002)の製品アーキテクチャー論や 國領(1999)の経営のアーキテクチャー戦略に示されたモジュール型生産方式の普及の結果で ある。即ち、生産技術の発達により、あらゆる産業分野で各種部品の標準化が広まる。新製品 は標準化される部品、モジュールを基に設計、開発されることが可能となる。こうした動きは 標準化された部品、モジュールの生産システムの発展を誘発する。この生産システムは、裾野 産業そのものである。 一般的に、外来的な形成パターンは一国内に限って起こる訳ではなく、木村(2005)に示さ れたように、国境を超える貿易及び投資の自由化の動きに伴い、多国籍企業の生産ネットワー
クの拡大により地域全体の国際分業が推進される。例えば、東南アジア地域の投資、貿易の自 由化によりタイでは自動車の部品産業のクラスターが形成され、またマレーシアでは電子部品 産業のクラスターが形成される傾向がある。これは一国の裾野産業を発展させる政策を考える 時、地域内の分業ネットワーク全体を考慮に入れる必要があることを意味する。 経営学の視点からみると、外来的な形成パターンでは裾野産業(企業)と組立産業(企業)と の関係は後から結ばれるので、その緊密さは伝統的な形成パターンより弱い。しかしこの場合、 裾野産業はセットメーカーによる系列化或は分断化はなされないので、一社の部品製造企業は 同時に異なる組立メーカーに供給することが可能である。言い換えれば、新規参入の条件は伝 統的な形成パターンほど厳しくはない。 iii. 裾野産業の発展のための条件 実際上、今日の開発途上国においては初期条件によって裾野産業は伝統的なパターンか外来 的なパターン、又は混合的なパターンにより形成されると考えられる。例えば、日本の裾野産 業は伝統的な形成パターンにより発展してきた。逆にタイの場合、外国直接投資の流入に伴い 外来的な形成パターンにより発展してきた裾野産業が主流であった。中国の場合は、日本や韓 国からの直接投資の流入に伴う裾野産業部門の発展(外来的な形成パターン)と、台湾、香港、 シンガポールから華人ネットワークの(加工貿易契約で地元企業との密着関係の)直接投資の 流入に伴う裾野産業部門の発展(伝統的な形成パターン)が平行に起こっていたという混合的 な形成パターンの典型的な事例である4。 こうした事実は、ベトナムのような後から工業化を図る開発途上国にとって、必ずしも一つ のパターンに限って選択するのではなく、それぞれの分野での比較優位を基に、伝統的なパタ ーンか外来的なパターン、又は混合的なパターンを選ぶ必要があることを意味する。但し、最 も重要なのはそれぞれの形成パターンに対する相応しい条件を整えることである。簡単にいえ ばそれらは、「産業間のリンケージの構築」と「企業間のリンケージの推進」である。前者は産 業間での効率的な分業ネットワークを形成させ、後者は企業間での有効な分業関係をもたら す。これらは、別の言い方をすると産業間及び企業間の裾野産業ネットワークの構築すること である5。 a. 裾野産業の発展と産業間のリンケージの必要性 上述の定義により、裾野産業は機械設備(資本財)から最終消費財まで幅広い製造分野に関 わる。伝統的な形成パターンにおいても外来的な形成パターンにおいても裾野産業の発展は 様々な産業分野間のリンケージの形成プロセスと密接に関わる。もしそれぞれの産業の発展が 他の関連産業と相互に刺激し合う効果がなければ、その経済(国)に裾野産業は発展出来ない と考えられる。例えば、繊維、アパレル産業は発展するが、織機やミシンなどの機械製造産業 4 この点の詳細について D.M.Hong(2007, 2010)に参考。 5 査読者は裾野産業ネットワークの構築と企業及び産業の競争力の強化との関係についてより具体的な説 明が必要と指摘したが、本稿では個別企業の技術面での競争力の問題ではなく、裾野産業ネットワークの 構築は産業間及び企業間のリンケージを形成させることにより経済主体(生産者)としての企業及び産業 全般の競争力を強化する効果があると主張したい。
を誘発させる効果がない場合、又は建設業は飛躍的に発展するが、建設産業分野用の中間財か ら機械設備まで完全に輸入に依存する場合は、産業間の関係が脆弱で、裾野産業を誘発するこ とが出来ない証しである。 理論的に、産業間のリンケージを形成させるための「必要条件」は、組立(最終財)産業の存 在(発展)である。これは裾野産業を誘発させる効果がある。低賃金水準などの静態的な比較 優位を持つ途上国にとって、この条件を整えるため、積極的に貿易投資の自由化を進め、労働 集約的な産業分野における外国の組立メーカーの直接投資を誘致するのは有効的な戦略だと考 えられる。Vernon(1966)の「プロダクトライフサイクル論」や赤松(1962)、山澤(1985)な どの「雁行形態論」により、自由競争(市場経済)の条件の下で、製造産業は必然的に国境を越 え、より比較優位を持つところに移転する傾向がある。 しかし裾野産業の発展のため、以上の必要条件の他、「十分条件」も不可欠である。それは裾 野産業の「シード(種)」の存在である。裾野産業のシードとは、一般に激しい自由競争環境に 育てられる有力な中小及び零細企業の集まりである。この裾野産業のシードを発展させる問題 は、企業間のリンケージの形成に依存する。 b. 裾野産業の発展と企業間のリンケージの必要性 一般に、裾野産業分野に活動する企業(以下裾野企業と呼ぶ)の発展は組立産業分野に活動 する企業(以下組立企業又は組立メーカーを呼ぶ)及び他の裾野企業とのリンケージの形成過 程に密接に関わる。これらの企業間のリンケージは、S.Lall(1980)に示された市場のチャネル (取引関係)により形成されるフォワードリンケージ(前方連関)とバクワードリンケージ(後 方連関)だけではなく、日本の経験にみられるように、特に中小企業の場合、非市場のチャネ ル(例えば、ビジネス協会の自発的な組織、参加)による協力関係もある。こうした非市場チ ャネルにより、異なる分野で活動する企業の間だけではなく、同分野で活動する(ライバル関 係を持つ)企業の間でも生産技術や大手企業に対する交渉能力の強化などに関する情報シャー リングなどの協力し合う関係が形成される。実際、こうした非市場のチャネルのリンケージの 形成を推進させるため、多様的なビジネス協会の設立に対する政府の支援政策及び非政府組織 のサポートは大変重要である。 裾野企業間のリンケージには、外資系企業と国内資本系企業との関係も注目されるべきであ る。これらの企業間のリンケージは、裾野産業を安定的かつ長期的に発展させる効果がある。 なぜなら片方の企業部門だけを重視すれば、その企業部門の固有的な属性により裾野産業の長 期的な発展が期待できないからである。具体的には、国内企業部門は本来生産技術レベルが低 く、国際分業ネットワークに参入する能力が弱いので裾野産業を持続的に発展させることがで きない。一方、外資系(中小)企業部門は生産技術、経営管理レベルが比較的に高いが、異文 化経営の環境による様々な問題に直面するため、長期的に発展し続けることも難しい。しかし、 これらの企業部門間のリンケージは、国内資本系企業には(外資系企業から)生産技術及び経 営ノウハウを学習する機会をもたらし、逆に外資系企業は(国内資本系企業との関係で)労働 管理や言語の壁などの障害を克服することができる。実際上、外資系裾野企業と国内資本系裾
野企業とのリンケージは、両者の間の技術契約や合弁企業などの様々な形態がある。 しかし、これらの企業間のリンケージを形成させるためには、自由かつ公平な競争環境を整 えることと同時に、国内資本系の中小企業に対する資本金の動員、情報ネットワークの構築な どについての支援、また外資系裾野企業を対象とした投資の誘致政策の実施は大切である。 企業間の健全なリンケージは投資の相乗効果をもたらし、一定の投入材量でより多くの付加 価値を生産することが可能になる。比喩的に言えば、1プラス1は2以上の結果となる。こうし たリンケージが地理的な拡大及び様々な産業分野に広まるのは裾野産業の競争力を強化させる 上で決定的な要因である。 上述の理論的な枠組みを基に、次の節では経済体制が変わり始めてから最近までのベトナム での裾野産業発展の実態を考察したい。
Ⅲ.ベトナムの裾野産業発展の実態
ベトナムでの裾野産業の発展とその制約要因を明らかにするため、以下では産業レベル及び 企業レベルそれぞれの視点から裾野産業及び企業の競争力を考察していく。産業レベルでの分 析は、主要な分野での工業生産及び輸出入のデータを使用し、組立産業と裾野産業との相関関 係に注目する。また、企業レベルでの分析は、ベトナム統計総局の2000 –2009年の全国企業調 査のデータ及び筆者の現地調査で収集された情報を基に、裾野企業即ち製造業分野における中 小企業間の関係及び競争力の実態を明らかにする。 i. 経済発展と裾野産業 への波及効果の限界 一言でいえば、市場経済制度を導入してからベトナムの経済は大きく変化してきたが、その マクロ経済成長は裾野産業の発展とは相関関係が弱い。これまで、労働及び資源に関わる比較 優位を持つ軽工業(例えば、アパレル、履物や食品加工など)は急速に発展しているにも関わ らず、伝統的な形成パターンによる裾野産業はあまり発展できていない。その決定的な制約要 因は、各経済部門(外資系企業と国内資本系企業)間のリンケージが全くないことである。こ うした(裾野産業の発展に関する)特徴と制約要因は、以下の工業生産及び輸出入のデータに 裏付けられる6。 ベトナムの経済規模(国内総生産)は約1,000億米ドル(2010年末)で、その内、工業生産の シェアは約4割であった。所有形態別の国内総生産の構造をみると民間企業(PRVs)、国有企 業(SOEs)、外資系企業(FDI)は、それぞれ50%、37% と13%のシェアを占めた。しかし、 工業部門の総生産は、FDI、PVRs、とSOEsの順でそれぞれ約41%、35%と23%であった(表 1を参照)。さらに製造業だけに注目すれば、これらの数字の変化はもっと印象的であった。即 ち、FDIとPRVsのシェアは益々拡大する一方で、SOEsのシェアが縮小している。この所有形 態別工業生産構造の変化は、ベトナムでの裾野産業の発展はFDI及びPRVsの発展過程に密接 に関わることを示している。 6 以下で、国内資本系企業は国有企業と民族資本系企業のことを意味し、民間企業は外資系企業と民族資 本系民間企業のことを意味する。表1 所有形態別工業生産のシェアの変化(%) 注)FDIは外国直接投資(外資系企業)、SOEsは国有企業、PRVs は民間企業である。 各年に工業全体及び製造業のシェアはそれぞれ100%。 資料)ベトナム統計総局(GSO)のデータから計算、作成 次にFDI、PVRs、とSOEsの産業構造(表2)をみると、それぞれの企業部門は異なる分野に 集中する傾向があり、WTO加盟の前(2005年)とその後(2010年)の分野別投資の構造の変化 も一様ではなかった。 表 2 所有形態別の工業生産構造の変化(%) 注)列aの数値は当該企業部門の工業生産の構造を示す。列b当該企業部門の一つの産業に占めるシェ アを示す。 資料)ベトナム統計総局(GSO)のデータから計算、作成 即ち、FDIは幅広い分野に分布し、WTO加盟後も投資構造は大きく変わらなかった。2005 年も2010年も、食品加工産業(約15%前後)、タバコ、印刷、石油精製(0.1 ~ 0.4%)を例外に、
大部分の産業はFDIの工業生産全体の2 ~ 9%のシェアを占めた。SOEsは主に食品加工、タ バコと非金属、石油精製という4つ分野に集中する傾向がある。PRVsは食品加工(33%)以外、 4%~ 10%と1%台以下の二つのグループに分けられた。 一方、所有形態別各産業内の構造の変化を示すデータ(列bの数値)を見ると、いずれの分野 でも新しい市場の秩序が形成されつつあると観察できる。具体的には、FDIのシェアは大部分 の産業分野で拡大していた。逆に、SOEsのシェアは石油精製以外、殆どの分野で縮小する傾 向があった。但し、印刷及びタバコのような分野ではSOEsは依然として独占的地位を占め、 他の企業部門を圧倒した。一方、PRVsは木製品、紙パルプ、家具、食品加工、ゴムプラスチ ック、金属、鉄製品、非金属、自動車、繊維アパレルの分野で急速に発展していた。 理論的に、労働集約及び資源集約的な軽工業分野でのFDIとPRVsの生産の増加は、最終消 費財及び資本財(産業機械、設備)の製造活動向けの部品と中間材についての需要市場を拡大 させる効果で、裾野産業の発展にプラスの影響を及ぼすと考えられる。即ち、一般的に健全な 経済構造と産業競争力の場合、資本財産業(産業機械など)と軽工業(食品加工、アパレルな ど)の発展は強い相関関係があるべきである。しかしベトナムの場合、これらの産業間の関係 は殆ど相関せず、それそれの企業部門の産業構造においても食品加工、アパレル、革製品など の軽工業と比較すると金属、電気機器、機械などの資本財産業のシェアがかなり小さかった (表2を参照)。 また、製造工業品の貿易データをみるとベトナムの裾野産業の幼稚さも確認できる。即ち、 裾野産業が弱いため、中間材・部品の輸入への依存度が大変高い。 図 4 ベトナムの輸出入の推移 資料)国際連合貿易開発会議, UNCTADstat(online database)から計算、作成
まず図4によると、総輸出入の中に占める製造業品の輸出入のシェアは持続的に拡大し続け た。但し、一次産品の貿易黒字に対して、製造業品の貿易赤字はますます拡大していた。この 産業部門の貿易赤字の持続的な拡大は、経済全体の貿易赤字をもたらした。 バリューチェーン論による貿易構造(表3)を詳細にみると、(アパレル、履物、加工食品、 石油、鉱物などの)労働及び資源集約的な製品の輸出は急速に拡大し、2005年に18億ドルから 2010年に240億ドルに上り、輸出全体の約6割以上のシェアを占めた。逆に、総輸入の中では (産業機械、自動車、電気電子などの完成品及び部品、中間材を含む)高付加価値と中付加価値 の商品のシェアが大きかった。 表 3 生産要素集約度別の製品の輸出入額の推移 注)品目はSITCにより分類された(詳細は付録を参照)。 資料)図4と同じ。 これらの輸入データの中、特に高付加価値の製品には完成品が多く含まれたが、こうした産 業機械や電気機器などの輸入の急速な拡大は、直接的及び間接的にベトナムの裾野産業の脆弱 さを明白に反映する。但し、この輸入の急拡大の原因となっているのが、中国である。 ベトナムの最大貿易相手国である中国への工業品の輸入依存度(図5)をみると、製造業全 体も、各産業分野も、部品中間財から完成品まで中国への輸入の依存は深刻となる。 図5の輸入依存度は、貿易収支(X – M)対貿易総額(X + M)の比である。理論的に、この数 値はマイナス1からプラス1の間を変動し、マイナス1となる時、輸入に完全に依存する状態 を反映し、プラス1になる時、輸入に全く依存しない状態を表す。 実際、ベトナムの対中貿易関係をみると、比較優位がある労働・資源集約的産業は、中国へ の輸入依存度が逓減していく傾向があるが、その変化は安定的ではなくまた依存度がマイナス 0.7で依然としてまだ高い。中付加価値の産業の対中への依存度も軽く改善される傾向がある が、変化は大きくなかった。一方、高付加価値の産業は逆に対中への輸入依存度が増していく 傾向があった。大部分が軽工業品である低付加価値の産業は、1990年代後半から最近まで中国 への輸入依存度がマイナス1近くに維持されてきた。実際にみると、これらの製造業品は殆ど 低価格で低い技術レベルの産業機械及び部品、中間財であった。
図 5 中国への輸入の依存度 注)製品の分類は表4と同じ。輸入依存度は、(X - M)/(X + M)という貿易特化係数 に測定される。 資料)図4と同じ 図 6 主要産業の貿易収支の推移 資料)図4と同じ。
次に、主要産業の貿易収支の推移(図6)をみると、2005年以後全体的に貿易赤字が拡大す る傾向があり、その中で製造業の貿易赤字拡大は一番大きな要因であった。輸出製品の中、農 産物、鉱物、繊維、アパレルの輸出は輸入を上回ったが、それ以外の産業の貿易赤字を補完で きる額ではなかった。 表 4 アパレル産業の製品とミシン、部品の輸出入 資料)図4と同じ。 もう一点留意すべきは繊維アパレル産業の生産、輸出は拡大し続けるが織機やミシンなどを 含む産業機械産業の貿易赤字を縮小させる効果が全くないことである(表4を参照)。こことは 織機やミシンなどの需要市場が拡大されるにもかかわらず、現地の裾野産業は繊維アパレル関 連の産業機械、部品を供給する能力がないという実態を反映している。 アパレル産業機械及び部品の輸出入の状態をより詳しくみると、表5に示されたようにこれ らの品目の貿易赤字は主に中国、韓国と日本からの工業ミシンの入超によってもたらされた。 一方、家庭用ミシン及び部品は、特に米国と欧州市場に対して輸出が輸入を上回った。輸出入 の単価(輸出又は輸入額対総重量の比)を考慮に入れれば、米国と欧州市場への家庭用ミシン の輸出単価は輸入単価よりも安いとみられる。すなわち、これらの市場に対する輸出は低付加 価値の品目に集中する傾向がある。逆に、日本と韓国からの工業ミシンの輸入単価は中国から の輸入単価より安い。一方、日本への工業ミシンの輸出は、金額が小さいが、輸出単価が別格 に高い。 ミシン部品については、貿易収支全体の中、赤字の大部分を日本向け黒字でカバーしている。 しかし、これらの品目の輸入は主に日本と中国からであった。ただしミシン部品の輸出単価と 輸入単価をみると、日越間の輸出入は高い価格の品目に集中し、逆に中越間の輸出入は主に安 い価格の製品に集中する傾向が観察できる。 これらの貿易データをみる限り、ミシンや関連部品産業の発展は、繊維アパレル産業の発展
との関連性があるかどうかはまだ分からないが、実際の観察によればこれらの産業の発展の相 関関係は殆どないとみられる。即ち、現在ベトナムでは繊維、アパレル、履物産業向けの産業 機械(織機、ミシン、製革機)及び部品の生産は、国内資本系企業が存在せず、全てが外資系 企業である7。これらの外資系企業によって生産される織機、ミシン及び関連部品は、現地輸出 型を含め、殆ど輸出に回され、国内市場(繊維やアパレル企業)に販売されていないのが現状 である。つまり、事実上現在ベトナムにおいて国内市場向けの織機やミシン及び関連部品産業 はまだ発展しない状態である。 要するに産業レベルでみると、これまでのベトナムの工業発展は、食品加工やアパレル又は 単純な組立などの労働集約的な産業を中心に、経済成長に大きく貢献し、裾野産業に関する国 内(需要)市場を拡大させる効果が大きい。しかし現段階、ベトナムでの裾野産業(供給側)は まだ幼稚で、外資系企業の活動によるごく一部の需要にしか対応できず、それはベトナム工業 の持続的かつ長期的な発展を保障できない。 それではなぜベトナムの裾野産業はこうした行き詰まり状態に直面しているのであろうか。 7 筆者は今まで 9 回ほどの現地調査で、無作為に選択された国内資本系の製造企業 400 社程度をみたが、 繊維アパレル用の産業機械または関連部品(針など)を製造する企業は 1 社もなかった。 表 5 2011年、ベトナムのミシンと部品の輸出入 注)単価は、一キロ当たりの価格である。 資料)図4と同じ。
これを理解するため、ミクロ的な視点即ち企業レベルからベトナムの裾野分野における企業の 競争力の実態をみる必要がある。 ii. 企業活動の混乱、断片的かつ脆弱な競争力 市場経済体制への移行の中、ベトナムの工業発展の担い手は、3つの企業部門、つまり国有 企業(SOEs)、外資系企業(FDI)と国内資本系民間企業(PRVs)である。しかし、製造業、と りわけ裾野産業の発展に限定すると、FDIとPRVsの貢献が大きい。SOEsは非効率的な企業体 制で改革が遅れ、大量の資本(国家の財産、経営資源)を占有し、独占又は寡占の維持で、民 間企業に対する不正な競争をし続ける結果、逆に製造業及び裾野産業の発展の支障となった。 以下、ベトナム統計総局の2000年から2009年までの全国の企業活動についての調査データ を使い、こうした結論の裏付けを示したい。 図 7 所有形態別企業数の推移 資料)ベトナム統計総局『2000–2009年の企業活動についての調査』から計算、作成 まず、所有形態別各企業部門の発展をみると、全企業数と同様な傾向で、FDIとPRVsの企 業数が急速に増加していた。これは経済制度の自由化(市場経済化)の進展と一致した。この 中、実際に大部分のPRVsは、中小規模で国内裾野産業の担い手である。一方、(国が過半の株 を保有する株式会社を含む)国有企業部門は国有企業の改革の進展により企業数が逓減してい た。これは、一見経済改革にプラスの効果をもたらすと評価できる。 しかし、より詳細なデータをみると、解体や民営化される国有企業の大部分は地方レベル (地方政府直轄)の中小規模の企業であり、一方中央レベル(中央政府直轄)企業の数は、逆に 増えつづけた。この中、新規大手国有企業は、国有企業部門の資本金を増加させ、社会全体の 総資本に占めるシェアを拡大させた(図8を参照)。ここで注目すべきは、国有企業経営の非効 率という点を考慮に入れると国有企業部門の資本規模の拡大は、工業発展プロセスにマイナス 影響を及ぼすと想定できる。
図 8 所有形態別企業の総資本金 資料)図7と同じ 但し、SOEsの他に、全体の総資本の拡大はFDI及びPRVsに貢献した。特に、WTO加盟後、 非国営企業部門の資本が急速に増えていった。2005年の非国有企業部門の資本は全体の約25% であったが、2008年には約40%となった。FDIの資本は2000年から安定的に増えつづけ、2008 年には2000年の約4倍となった。これらの企業部門の投資拡大は、実際にベトナムの製造業全 体及び裾野産業の競争力を強化させる効果が大きい。 図 9 所有形態別企業の流動資本対固定資本の比率 資料)図7と同じ
固定資本の使用効率(工場、機械の稼働率)を反映する流動資本対固定資本の比(図9)をみ ると、FDIは2000年から安定に上がり続ける数値により、固定資本の使用効率が上がり、競争 力が強化され続けたと考えられる。一方、SOEsとPRVsの同指標は、2000年代前半は安定す る一方、ベトナムのWTO加盟後、下がる傾向があった。これは、SOEsの経営効率はますます 悪化となり、またPRVsの競争力も対外経済の開放(国内市場の自由化)に伴い低下していた ことを示している。 次にこれらの企業部門の労働使用の変化をみると、全体的に労働市場の需要は2000年以降 急速に拡大されていた。しかし、この新しい雇用の創出に貢献した主力な企業部門はPRVsで あり、FDIの雇用創出効果は限定的であった(図10)。 図10 所有形態別企業の労働者数 資料)図7と同じ SOEsでの労働者数は、2005年まで200万人以上の規模に拡大していたが、その後急速に縮 小して2008年に約150万人の規模になった。この労働規模の縮小は、主に地方レベルの中小国 有企業の民営化の結果であった。資本金が拡大するにもかかわらず雇用が縮小するという特徴 を持つSOEsは、明らかに裾野分野を含む全体の産業競争の強化プロセスを妨げていた。
図11 企業部門別納税額の推移 資料)図7と同じ。 また、納税額(図11)を参照すると、SOEsの非効率性がより明白となる。即ち、この企業部 門には大規模な資金が投入されたが、納税額は比例的には増えず、しかも近年減少する傾向が あった。一方WTOへの加盟後、FDIからの納税額はトップとなり、またPRVsの納税額も安定 的かつ急速に増え続け、2008年にSOEsを上回り、2位となった。 以上の3つの企業部門の実態についての分析により、過去10年のベトナムの工業発展は一定 の成果を上げたものの、工業生産の3つの柱(SOEs, PVEs とFDI)は全く連関関係がなかった から、産業の国際競争力は決して強化されていたわけではないと考えられる。つまり、これま での経済成長は、まさにクルーグマン(1994)に批判された東アジアの工業発展パターンと同 様、生産性の向上の要因ではなく、労働や資源の投入だけによってもたらされたと考えられる。 こうした工業生産の脆弱な体質という特徴はベトナムの裾野産業発展の実態を反映している。 上記の定量的な分析の他に、定性的な観察からも、数多くの専門家、研究者、外国投資家、 政策立案者などの意見に指摘されるように、現段階のベトナムでは裾野産業がまだ発展してい ないと厳しく評価する意見がしばしば耳にされる8。 しかし、裾野産業の担い手となる各企業部門の実態を観察すれば、この脆弱さは当然な結果 だと分かる。まず裾野分野で活動するSOEsをみると、国有企業の改革に伴い、大部分の中小 製造国有企業は解体又は売却されたが、残りの企業は当事者の利害関係により組織再編ができ ず、本格的に活動することも出来ない。2010年に筆者が現地調査を実施した際に、計画経済時 代の官僚的な管理体制の下に運営されている国有企業を訪問したこともあった。これらの企業 は大規模な工場を保有しているが殆どの機械設備が稼働せず、優遇的な地代で分譲される工場 8 例えば、2006 - 2010 年の間に在ベトナム日本大使は、自分のブローグに「ベトナムの裾野産業はまだ 瓶のキャップを製造することが出来ない」と辛口で有名なコメントを残した。
の一部を外部(民間企業)に貸し出し、地代の差額は企業の収入とした。こうした企業の存在 だけでも工業発展を妨げてしまうと考えられる。 一方、裾野分野で活動するFDI系企業の中、トヨタやキャノンなどの大手セットメーカーの 系列子会社、下請けの他に、独自で進出している外資系企業は大変少ない。近年、ベトナムで の部品調達の潜在需要に注目して独自で進出している外資系企業が増えて来たが、現時点で は、現地部品調達の需要は供給能力を超過する状態がまだ続いている。 また裾野産業の第3番目の担い手としての国内資本系民間企業は、生産技術レベルが低く、 資金調達能力も弱いため、国際競争力が殆ど存在しない。大部分の民間製造企業は本格的に設 備投資を展開したのが2000年からである9。よって、まだ10年前後の経験で幼稚な生産技術及 び乏しい経営ノウハウしか持たないこの民間企業部門は、世論や多くの外国人専門家によく指 摘されるように、トヨタや本田又はキャノンなどの世界のトップクラスの大手メーカー(ベト ナムでの生産拠点)に部品及び中間材を調達する競争力が整っていないのは当然なことであろ う。 全般的にみると民間セクターは、製造業全般でも、裾野産業分野でも競争力が大変弱い。し かし詳細な現地調査の結果によると、国際競争力がある零細規模の製造企業は全くないわけで もない。民間製造企業部門だけに注目すれば、現在ベトナムの裾野産業の競争力は「ミクロレ ベルでは強いが、マクロレベルでは弱い」という特徴がある。 ここでいうミクロレベルでの競争力とは、零細規模で、なお設立年数も少ないが健全な経営 体制で良好なファンダメンタルズの下で発展し続ける民間企業の存在のことである。これらの 企業の多くは自営業またはファミリービジネスから始まったが、2000年以降市場経済制度の本 格化に伴い、現代的な経営手法を取り入れ、有限責任会社または株式会社として生まれ変わっ た。以下では2つの例を紹介したい。 例一:梱包材製造企業(A社) A社は段ボール箱を製造する企業である。オーナー兼経営者はある40代の夫婦である。夫は 社長で、会社の生産技術、設備投資の責任者である。妻は副社長として経理と労務管理を担当 する。二人はそれぞれエンジニアと建築士として5年前に地方レベルの国有企業に努めていた。 国有企業の改革(人事削減)により二人はリストラの通告を受け、ともに辞職を決断した。約 半年無職でありながら夫は全国を廻り、市場を調査し、独立の事業を起こすための情報をヒア リングした。そして知人からのヒントを貰い、最小限の(段ボール材製造用)再生厚紙の生産 ライン(全長約7メートル)を購入、製紙工場を立ち上げ、起業した。第一号の生産ラインは、 その後に導入された生産ラインの約3分の1の規模で、主要なパーツ(メインローラー、製紙 ベルト、モーターなど)を中国から輸入、その他構造上比較的簡単な部品(金属製ラック、専 用タンクなど)は地元の企業に注文した。エンジニア出身の社長(夫)と一人の製紙機械専門 家(知人)は自力で生産ラインを設計した。これらの努力によって厳しい資金規模で生産活動 9 民間セクターに対する第 2 段の制度上の自由化の時点、David O. Dapice (2003) を参照。
をスタートすることができた。 副社長の話によると、自家製の第1号の製紙ラインは、会社設立当初から一刻も止まらず、 厚紙を作り続けていた(2010年の現地調査の時点)。当初A社は、低精度の厚紙を生産、現地の 段ボール材製造メーカーに納めた。生産開始ごろの製品は、段ボール材の波状の厚紙であった (この部分は段ボールの裏面にあり、表面の精度、 強度、 厚さなどについて厳しい基準が要求さ れない)。 その後、生産活動からあげられた利益のすべては再投資にまわされ、新しい製紙ラインを導 入していった。現在最初のラインの他に、4つの製紙ラインもあり、いずれも第1号のラインの 3倍の規模で、より精度の高い厚紙を製造している。また、段ボール材用の材料(再生厚紙)の 生産に留まらず、より完成度の高い梱包材の製造まで生産技術を多様化していった。製紙機械 だけではなく、段ボール材と段ボール箱の製造用の機械、例えばウェイビングマシン(waving machine)、特殊切断機、ラミネーティングマシン(laminating machine)、印刷機といった様々 な機械設備が導入され、再生厚紙から段ボール箱までの一貫生産に転換した。生産開始から約 5年しか経っていなかったが、現在A社は高水準の段ボール箱を生産する能力があり、同社の 製品の5割強は現地の日本企業を含む外資系企業に納められている。 政府の支援政策について何か要望があるかと聞かれた時、同社の副社長は次のように返答し た。現在工場がフル稼働しているにもかかわらず生産は注文には及ばない状況であるので生産 規模を拡大したいため、資金調達や借地についての需要があるが、政府からのサポートはあま り期待しない。なぜならそれらのサポートを受けられるまで、時間と取引コストがかかりすぎ るからである。 一方、新しい機械設備の投入に対する国内の機械製造メーカーや中小部品企業からの調達可 能性について聞かれた時、同副社長はメイン工場外の庭に置かれている製紙ライン組立用の中 国製のローラーセットを指しながら、国内の企業からごく簡単な部品だけを調達したが、この ような主要な部品はベトナム企業が生産できないわけでもないが、コストや時間など総合的に みると輸入の方が効率的だと説明した。 上述の例からみると、A社のような有力企業の発展と現地中小部品製造企業の発展を結び付 けるため、広範囲での現地企業に対する情報サポートネットワークの構築が必要であるに違い ない。 例②:機械製造企業(B社) B社は約3年前から、大学卒の若いエンジニア3人に設立された機械製造企業である。工場 の規模も小さく、機械設備もまだ少ない。中古の切断機、溶接機、旋盤、ドリルの数台以外、 CNCワイヤカットマシン(wire cut machine)1台もある。当初、ショッピングカートや工業 用の鉄製ラックなどの簡単な構造かつ低精度の製品から生産をスタートし、その後徐々により 複雑な構造及び高い精度の製品、例えば手動リフト車、ローラーコンベヤ(パレット搬送設備) の生産へと多様化し続けている。現在生産される製品は、OEM(original equipment
manufacturing)の受託の他に、自社で開発されるものもある。 若いエンジニア出身の経営者の情熱により、B社は積極的に高精度及び複雑な構造が要求さ れる製品・部品調達の入札に参加し、自らの力で徐々に顧客からの信頼を受け、国内だけでは なく外国からの注文や現地大手日系企業への部品の調達などの仕事もできるようになった。同 社を訪問する際に、副社長は1セットの自動検査システム(自動生産ラインの一部)を見せな がら、この設備は全部自社の技術で製造し、ベトナムでの東芝の新設工場に納められるもので あると紹介した。製造現場を見なければ、このようなハイテク装置がこの零細規模かつ若いB 社のようなところで製造されることは想像できない。 これまでの(筆者が実施した)現地調査により、上記のような零細規模の民間製造企業はあ ちらこちらに存在していることが判明した10。これらの企業の共通な特徴としては経営者が情 熱的でモノづくり精神を持ち、能動的な考えを持っていることが挙げられる。それぞれの企業 は自助努力で自社の競争力を高める意識が強く、受動的に政府からのサポートを待ってない。 理論上、市場経済体制の下で、自由競争により参入と撤退の繰り返しの中、生き残る企業の 競争力の強化は産業発展プロセスの基礎となる。但し、こうした「見えざる手」の力だけに頼 れば、膨大な時間がかかるであろう。また、経済の自由化により外国からの競争の圧力が絶え ず増していく中、自由競争の結果として裾野産業が一定のレベルに発展できるかもしれない が、その中に長期且つ自立的な工業発展の担い手となるべきの民族資本系企業がどれぐらい生 き残れるかは重要なポイントとなる。よって、経済の自由化と平行に、裾野産業分野における 民族資本系企業部門の発展のための政策的なサポートが必要不可欠である。
Ⅳ.結びに代えて―裾野産業の振興に関する政策含意と残る課題
以上マクロ(産業レベル)及びミクロ(企業レベル)の視点からの裾野産業の実態の分析に 示されたように、これまでのベトナムの工業発展には裾野産業の貢献はあまりなかった。裾野 産業の発展は輸出向けの少数外資系企業だけによって担われたが、国内資本系企業部門は競争 力も弱く、参入企業数も少なかった。近年、組立産業分野を中心とする外資系企業及び国内民 間資本系企業活動の活発化は、伝統的な形成パターンでも外来的な形成パターンでも、裾野産 業発展の機会を作り出したが、現段階ではこれらのチャンスが殆ど活かされていなかった11。 現状を踏まえてみれば、これまでベトナムの裾野産業の振興政策の失敗には三つの要因があ る。それらは、「支援政策の不明瞭さ」、「市場に対する政府の過度の介入及び国有企業の過度 の保護」、「政府(政策)に対する民間企業の不信感」である12。よって、裾野産業を効果的に振 10 筆者が 1999 年と 2003–2011 年の間 9 回で民間製造企業を対象に現地調査を行った。 11 査読者により外資系組立メーカーと部品メーカー(特に自動車やバイクなどの産業分野で)の選別的な 導入について議論すべきという指摘があったが、この問題は「中国 –ASEAN の貿易自由化と地域内裾野産 業の発展」(D.M.Hong [2007])に分析された。本稿は、外資導入自由化の前提で、裾野産業ネットワーク の構築と(外資系企業と民族資本系企業を含む)現地部品メーカの振興の問題を注目した。また上述した ように、ここでいう裾野(部品)産業は、自動車や機械、電子だけではなく、広義の製造業(モノづくり) に関わるものとする。 12 第 3 の要因について詳しくは D.M.Hong(2010)を参考興するには、これらの障害要因を抜本的に解消する必要がある。新しい裾野産業振興政策は、 民間企業部門の自発性を重視しなければならない。 現在ベトナムの裾野産業はまだ幼稚であるが、民間セクターには零細規模でありながら潜在 的な競争力を持つ企業があちらこちらで出現している。筆者個人レベルでの調査結果では、上 述の2つの事例の他に、強い企業家精神(経営者としての情熱、努力)を持つ中小及び零細企業 が北部、中部、南部各地に存在していることが判明した。ただし、これらの企業は国有企業と 外資系企業との競争を避けるため、乖離的な市場セグメント(例えば、農村地域向けの低価の バイクと部品市場)に集中する傾向があり、またそれぞれの企業の活動は自発的で、企業間の 関係が殆ど存在しない。結果的に、個々の企業の潜在的な競争力があっても、相互に相乗効果 が働かなく、グループ全体(裾野産業)の発展につながらない。 この課題を解決するには、裾野産業ネットワークを構築する必要がある。こうしたネットワ ークを通じてメンバー企業は共通問題についての情報を共有し、協力し合い、また制度的な改 革や支援政策などに関する提案するなどの形でお互いに支え合っていくことができる13。 しかし、最も重要なのは、こうしたネットワークの構築は政府に依存せず、民間企業部門自 身が能動的かつ自発的に行うことである。現在ベトナムでは様々なビジネス協会や投資貿易推 進機構、中小企業支援機構などがあるが、これら機構・組織はいずれも政府によってつくられ たものであり、運営も行政指導かつ官僚的な性格が強い。この中には、天下りの受け皿を作る 目的で設立されたものも少なくない。こうしたビジネス協会や企業支援機構の設立は実際上民 間企業へのサポートの効果が全くなく、逆に民間企業の政府への信頼をなくさせてしまう。 原則的に、この裾野産業ネットワークは、全てのメンバーの力で運営され、全てのメンバー のために働くべきである。日本、韓国や最近のタイ、マレーシアなどの経験をみると、同じ産 業分野だけではなく異なる産業分野で活動する裾野企業は様々なネットワークを通じてお互い に情報交換、協力し合いながら、ビジネス環境の改善に関わる政策提言を能動的に提案してい た。実際、これらの国々では裾野産業支援政策は、ベトナム風の政策立案プロセス(政府の専 門家の偏見的な考えを中心となる提案)の結果ではなく、企業活動の現場からの提案を中心に、 産学官の間での議論を通じ、立案されたものである14。こうした支援政策は、特定企業をサポー トする目的ではなく、企業の潜在能力を最大限に発揮させる良質な自由競争環境を創造するこ とを狙う傾向がある。 以上の議論ではベトナムの裾野産業の現状と阻害要因の分析を基に、新しい裾野産業振興政 策における、民間企業への本格的な支援及び裾野産業ネットワークの構築の重要性を強調し た。しかし、移行経済の条件の下に民間企業の発展にとって最適なネットワークの形態はどの ような特徴があるか、またそれはどのように組織され得るかなども極めて重要な課題である。 これら疑問に回答するためには、企業活動に対する移行経済制度の詳細な条件の精査、さらに 民間製造企業の実態を把握する目的で大規模の調査を行うことが必要不可欠である。本稿は、 13 査読者のコメントによりネットワーク作りについて販売提携や取引関係などの具体的に分類する必要が あるという指摘があったが、今回残された課題の研究に参考したい。 14 ベトナムの政策立案のプロセスについて大野(2011)を参照。
裾野産業ネットワークの重要性を提示することに限定したので、これらの問題については残さ れた課題として次のステップで解明したい。 *)本稿は、2009–2012年の科研費助成金(基盤研究(C)、課題番号22530278)による研究成 果の一部であり、2012年度比較経済体制学会第11回秋期大会(2012年10月20日、大阪大学) での報告内容を基に修正加筆したものである。学会の発表で弘前大学の秋葉まり子教授(討論 者)から貴重なコメントを戴き、本誌に投稿に際して2名の匿名レフェリーから有益なご指摘 を戴いた。さらに、本稿を執筆する段階で本学リベラルアーツ学群の松尾昌弘教授から多々ご 助力を戴いた。これらの方々に深く感謝申し上げたい。
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