<書評>倉石一郎著『アメリカ教育福祉社会史序説
ビジティング・ティーチャーとその時代』
著者
宮本 健市郎
雑誌名
教育学研究
巻
82
号
2
ページ
332-334
発行年
2015-06-30
URL
http://hdl.handle.net/10236/00027893
倉石 一郎 著 『アメリカ教育福祉社会史序説 ビジティング・ティーチャーとその時代』 宮本 健市郎(関西学院大学) 本書は、アメリカにおいてビジティング・ティ ーチャー(訪問教師)が20世紀初頭に出現した時 期から、積極的な社会改革があった革新主義の時 代、大衆消費社会が出現した1920年代、そして、 大恐慌期から第二次世界大戦後に至るまで、訪問 教師の普及と変容の過程を、主としてニューヨー ク市等での実例に即して解明したものである。訪 問教師は、学業不振、貧困な家庭環境、非行、不 登校など、様々な問題を抱えている子どもの救済 や支援に取り組み、学校と家庭をつなぐ役割を担 っていた。その普及は、義務教育制度の実質化の 一環として捉えられることが多い。実際、1919年 に結成された訪問教師・ 家 庭 訪 問 者 全 国 協 会 (NAVTHSV)は、1924年に訪問教師全国協会 ( NAVT )、 1929年 に 訪 問 教 師 全 米 協 会 (AAVT)、1942年に学校ソーシャルワーカー全 米協会(AASSW)、1945年に学校ソーシャルワ ーカー全国協会(NASSW)に名称を変更しつ つ存続し続けた。その後、1955年にソーシャルワ ーカー全国協会(NASW)に統合されて現在に 至っている。NASW は、NASSW のほか、ソー シャルワーカー全米協会、医療ソーシャルワーカ ー全米協会、精神科医ソーシャルワーカー全米協 会、グループワーカー全米協会、コミュニティ組 織研究協会、およびソーシャルワーク研究グルー プが、合同で結成した団体である。こうしてみる と、訪問教師が現代の学校ソーシャルワーカーに 連なる流れにあることは明らかである。 しかし、訪問教師の全貌は捉えにくい。その理 由は、ひとつには、類似の業務に取り組んでいた ものに、ソーシャルワーカー、セツルメントワー カー、スクールカウンセラー、児童相談家など多 種多様なものがあったこと、もうひとつには、そ の名称や業務内容が、20世紀の前半に限っても、 変化を続けていたことなどが えられる。本書は、 この複雑な性格をもつ訪問教師に焦点を当てて、 主としてニューヨーク市での活動実態を示す一次 資料に基づいて、時代の流れに翻弄され、変貌し ていった過程を詳細に描き出している。 まず、本書の概要を紹介しておこう。目次は以 下のとおりである。 序 章 「ビジティング・ティーチャーの時代」 の今日的意義 第1章 すべての始まり ニューヨーク市公 教育協会(PEA)に集まった女性た ち 第2章 「誰からも嫌われた男」からニュー・ ヒロイン登場へ 第3章 精神薄弱児向け特別学級へのコミット メント 第4章 「精神衛生」ブームの中での全米への 拡大 一九二〇年代 第5章 大恐慌ですべてが「終わった」のか 一九三〇年代から戦時体制へ 第6章 第二次世界大戦後の南部諸州における 制度化の展開 黒人の不可視化と人 種隔離下での活動 終 章 改めて、「ビジティング・ティーチャ ーの時代」を問う 序章で、著者は訪問教師の原型になったものが 二種類あったことを指摘する。ひとつは、貧困を 個人の道徳的欠陥とみなし、ケースワークによっ て個別援助を図ろうとした活動であり、もうひと つは、貧困そのものの消滅と社会改革を目指した 活動である。前者は慈善組織協会であり、これが 社会福祉の背骨になった。後者はセツルメント運 動であり、実際に訪問教師を輩出した。そして、 その後の訪問教師の変容を見るための前提として、 個別援助を中心に活動することと、社会改革に取 り組むこと、という二つの観点を提示する。 第1章では、訪問教師が出現した経緯を、ニュ ーヨーク市を例に紹介する。慈善組織であったニ ューヨーク市公立学校協会(PEA)は、その活 動の一環として学校訪問委員会などを組織して、 地域の学校を訪問し、怠学児や長欠児、非行少年 や障害児など学校で困難な状況にある子どもの問 題に対処しようとした。PEA はセツルメント活 動家と連携したり、学校を地域のセンターにしよ うとしていた教育委員会に働きかけたりして、訪 問教師を派遣する事業に取り組んだ。 第2章でもニューヨーク市を取りあげて、革新 主義の時代に訪問教師が教育行政システムに組み 332 ―146― 「教育学研究」第82巻 第2号 2015年6月
込まれていったこと、そして訪問教師の業務がケ ースワークに近づいたことを示す。これまで欠席 や怠学などの問題を扱っていた「嫌われ男」の出 欠取締官に代わって、訪問教師が専門家として、 知能検査や障害児教育や英才教育などのケースを 扱うようになり、活躍の場を広げたのである。 第3章では、ニューヨーク市で精神薄弱児のた めの特別学級が設置された経緯を取りあげて、訪 問教師が訪問から撤退し、オフィスでの業務が中 心になったことを示す。その業務は、特別学級に 入れるべき子どもを、知能検査などを使って選り 分けることであり、欠陥の原因を個人の身体や精 神に帰すようになっていた。 第4章では、社会改革の機運が遠のいた1920年 代に、訪問教師はケースワークの技術をもち、精 神医学や精神分析の知識を駆使することで、専門 職化していったことが論じられる。訪問教師が専 門家であるなら、問題を起こしそうな子どもに対 しては、科学に基づく予防が可能である。そこで、 訪問教師の業務は、矯正より予防を重視するよう になった。その結果、訪問教師は、精神医学に従 属すると同時に、中流層や富裕層を対象とするよ うになり、学校での職業指導との結びつきを強め た。著者は、この時期に、訪問教師が精神衛生ブ ームに呑み込まれ、学校ソーシャルワーカーの原 型になったとみる。 第5章では、大恐慌期と戦時体制の時期を取り あげ、社会全体の傾向としては社会改良を求める 動きがあったにもかかわらず、訪問教師は精神衛 生への傾斜を強めたこと、そして、ハイスクール 進学者の増加とともに、中産階級との結びつきを 強め、学校での職業カウンセリングの専門家とし て活動するようになったことが示される。戦時下 になると、訪問教師を支援し普及させようとする 州が出現し、連邦教育局も訪問教師の普及に強い 関心を示すようになった。その結果、かつて社会 の周辺に位置していた貧困層や障害児も、訪問教 師の活動によって総力戦体制のなかに組み込まれ ることになったという。第6章では、戦後の南部 諸州では、北部よりも遅れて訪問教師が普及した 経緯を紹介している。 終章では、訪問教師の変容の歴史を振り返り、 教育と福祉の連携の困難さについて論じる。著者 のまとめでは、訪問教師が学校教育に入ってきた とき、教師は彼らに移民や貧困層の子どもへの 「手当」を期待していた。しかし、訪問教師は、 自らの専門職化を追求するなかで、その期待を裏 切り、貧困者や下層階層への直接的な援助を縮小 させた。その代りに、「該当者の主体的参加を促 すという社会保障形態」、いいかえると「富の再 分配を必ずしも伴わなくてもよい社会保障策」を 提示したのである。全体を通して、訪問教師が専 門性を高めるとともに、社会改革から離れ、ケー スワークの技法をつかった個人の救済へと変貌し ていった過程と背景がみえてくる。 本書の意義は、第一に、20世紀前半のアメリカ 社会の変貌のなかで訪問教師の意義を捉えたとこ ろにある。これまでの研究では、訪問教師は社会 福祉史の文脈で言及されることが多く、その場合、 たとえば中典子『アメリカにおける学校ソーシャ ルワークの成立過程』(みらい、2007年)に典型 的に見られるように、学校ソーシャルワーカーの 前身として訪問教師を位置づけ、訪問教師の制度 が発展して、現代につながったと評価されてきた。 だが、複雑で変化しつつあった訪問教師の存在を、 学校ソーシャルワーカーへと発展する前史として 片づけてしまえば、訪問教師がその時代に抱えて いた問題が見えなくなるだけでなく、現代の学校 ソーシャルワークに対する批判的検討も難しくな る。本書が、ビジティング・ティーチャーという 現代ではあまり一般的ではなくなった呼称をあえ て用いていることは、訪問教師がその時代の産物 であったことを示すだけでなく、学校ソーシャル ワークの業務が、社会改革への指向性を失い、個 人の問題に焦点を当てる精神科医等に従属してし まったことに対する批判を込めているのである。 第二の意義は、学校教育と福祉との関係構築の 困難さ、あるいは危険性を示したことである。訪 問教師が学校ソーシャルワーカーに変貌した事例 が証明しているのは、学校教育の主役であるはず の教師が、心理セラピーや職業カウンセリングの 専門家に従属したということである。この従属化 の過程には大きな逆説が含まれていた。訪問教師 が自らの専門性を追求すればするほど、精神医学 や精神分析の技術を応用したケースワークを採用 することで、職業指導を強化し、学校教育から社 会改革の視点を消し去った。訪問教師が自らの科 学性と専門性を高める努力の結果、独自性を喪失 させたのである。 本書は詳細な事例分析に基づいており、共感す 333 ―147― 書 評
るところが多いのだが、本書に触発されて、気が 付いた疑問を三点提示させてもらう。第一に、進 歩主義教育の教育思想と訪問教師の変容との関係 についてである。よく知られているとおり、デュ ーイに代表される進歩主義の思想には、個人尊重 と同時に、教育による社会改造という理念があっ た。ところが、著者が「福祉と教育のどちらに軸 足を置くかという二項対立」は「福祉に軍配」 (273)というとき、社会改造と個人への働きかけ との背反を前提としているようにみえる。「二項 対立」だけでなく、両者をつなぐ論理と思想はな かったのであろうか。もしあるなら、どのような ものであっただろうか。 第二に、訪問教師が学校教育と一体化したこと が、進歩主義教育のカリキュラムや学校経営に与 えた影響についてである。進歩主義教育は、職業 教育、芸術教育、体育、公民教育など、カリキュ ラム改造に積極的に取り組んだ。また、目に見え るカリキュラムだけでなく、時間割編成や校舎の 構造の変化など、隠れたカリキュラムの変化も促 していた。訪問教師の業務の変化は、こうした学 校改革との強い関連があったはずである。それと も、このようなカリキュラムの変化による影響を できるだけ排除しつつ、精神医学等の理論にもと づいた職業ガイダンスが学校で行われていたのだ ろうか。いずれであれ、その実態を解明する必要 がある。 第三に、教師の専門性と学校ソーシャルワーカ ーの専門性との相互関係ないしは力関係である。 20世紀の前半に、どちらも専門性を追求しながら、 「福祉に軍配」が上がったのはなぜであろうか。 訪問教師が「教育の側からの期待から距離を取 る」(324頁)ことで専門化せざるを得なかったの はなぜであろうか。 これらの問題に対して、本書を注意深く読めば、 ある程度の説明を導きだすことは可能である。お そらく、科学と専門化ということが鍵になるであ ろう。この点は随所で言及されているが、整理さ れることを望む。そうすることで、教育が福祉に 利用され、「富の再分配を必ずしも伴わない社会 保障策」(324頁)が広まりつつある現状への有効 な批判が可能になると思われる。 (春風社刊 2014年9月発行 四六判 368頁 本 体価格3,000円) 334 ―148― 「教育学研究」第82巻 第2号 2015年6月