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新宮撰歌合 建仁元年三月 全注解稿(五)

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(1)

新宮撰歌合

 建仁元年三月 

全注解稿

(五)

奥野 陽子

情報科学部 情報システム学科

(2011年 5 月31日受理)

Commentaries on the Works of the

Shingū Senka-awase(Part 5)

by

Yoko OKUNO

Department of Information Systems, Faculty of Information Science (Manuscript received May 31, 2011)

Abstract

The purpose of this paper is to compare various texts of the Shingū poetry contest and provide notes on the poems and judgments given in the contest. The poems were selected in the third month of the first year (1201) of the Kennin period. It was just before the compilation of the Shin-Kokin Waka-shū began in earnest. This contest was undertaken by

Gotoba-no-in, who was later to order the compilation of the Kokin Wakashū. The central figures involved in

Shin-Kokin Waka-shū selection participated in this contest. The participants criticized each other’s works anonymously. Nine works from the contest were later included in the Shin-Kokin Waka-shū. Therefore the careful interpretation of each poem in the contest is also essential to understanding the Shin-Kokin Waka-shū.

キーワード; 和歌,新宮撰歌合,注釈

K e y w o r d; TankaShingū Senka-awaseCommentary

Memoirs of the Osaka Institute of Technology, Series B Vol. 56, No. 1(2011)pp. 22〜38

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一   本 稿 は 、「 新 宮 撰 歌 合 仁 元 年 三 月 全 注 解 稿 ( 四 )」 (『 大 阪 工 業 大 学 紀 要 人文社会編』五五巻   第一号   二〇一〇年一〇月)に続いて新宮撰歌合 全 三 十 六 番 の う ち 二 十 九 番 か ら 三 十 六 番 ま で の 注 解 を 試 み る も の で あ る 。   底 本 は、 『 新 編 国 歌 大 観 』 と 同 じ く 貞 享 二 年 刊『 歌 合 部 類 』 本 に ひ と ま ず 従 う こ と と し、 内 閣 文 庫 本( 二 ○ 一 ・ 一 四 七 ) を 用 い て、 以 下 に 掲 げる写本で校合した。書名の下の記号は所蔵者の整理番号である。↓印 の 下 に 本 稿 で の 略 称 を 示 す。 校 異 は、 和 歌 に つ い て は す べ て 掲 げ る が、 複数の写本が同じ本文である場合、用字については先頭に掲げるものに 従う。和歌以外の部分(難陳、判詞)の校異は、私意により主要な部分 のみを和歌の校異の後に記すことにする。目次・集付・歌題・作者名の 校異は省略する。   宮内庁書陵部本   五○一 ・ 五八四 ↓ 宮   京都府立総合資料館本(和泉書院影印叢刊 73による)    特貴八三一 ・ 五一 ↓ 京   水府明徳会彰考館本(国文学研究資料館紙焼写真による)巳・一二 ↓ 彰   国立公文書館内閣文庫本(同右)二○一 ・ 二〇九 ↓ 内   刈谷市中央図書館村上文庫本(同右)一六七一 ↓ 刈   神宮文庫本(同右)三 ・ 九八二 ↓ 神   島根大学附属図書館桑原文庫本(同右)九一一、 一八・Sh六二 ↓ 桑   祐徳稲荷神社中川文庫本(同右)六 ・ 二│二 ・ 一二七四 (資料館書誌ID一〇〇一八六〇六二) ↓ 中一   祐徳稲荷神社中川文庫本(同右)六 ・ 二│二 ・ 一二七四 (資料館書誌ID一〇〇一八六〇六四) ↓ 中二   熊本大学付属図書館北岡文庫本(同右)一○七 ・ 三六 ・ 七 ↓ 北   篠山市立青山歴史村本(同右)二五○ ↓ 青一   篠山市立青山歴史村本(同右)一九一 ↓ 青二   肥前嶋原松平文庫本(同右)一三八 ・ 五三 ↓ 松   本文の校訂は、底本が明らかに誤写・誤脱したと認められるものに限 り、その旨を校異の欄に示す。   本文は、読解の便宜上、次のように処置した。 用字は通行字体に改めた。 仮名遣いは底本のままとし、歴史的仮名遣いと異なる場合には、歴史 的仮名遣いを(   )に入れて傍記した。 私意により清濁を区別し、句読点・ 「   」等を付した。 仮名には、適宜漢字を宛てたが、底本の仮名表記を振り仮名として残 した。 反復記号は底本のままとした。但し、品詞の変わる場合と、漢字を宛 てることで送り仮名となった場合は仮名に改め、記号は振り仮名とし て残した。 難 読 漢 字 そ の 他 に は、 (   ) 内 に 読 み を 記 し、 漢 文 体 の 箇 所 に は 訓 点 を施した。 底本の改行とは無関係に、難陳と判詞の箇所で改行した。また、一行 空きにするなど、割付を多少変更した箇所がある。 和歌には、新編国歌大観番号を付した。

新宮撰歌合

建仁元年三月

全注解稿

情報科学部   情報システム学科    

 

  

 

(二〇 一一 年 五 月 三一 日受理)

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  注釈は、校異・他出文献・通釈・本歌の順に掲出し、その後に○を付 して、語や句を挙げ、語釈にとどまらぬ、一首の詞続きや修辞などから 生じる意味について解説した。さらに補説や考察がある場合は▽以下に 記した。   引用は、和歌・歌合等は新編国歌大観、漢詩は和漢朗詠集など出典が 新編国歌大観所収のものはそれに依った。白楽天の詩については、白楽 天全詩集(佐久節訳注   日本図書)の訓に依った。また、古来風体抄等 の歌学書は基本的に日本歌学大系に依ったが、正徹物語は日本古典文学 大系に依った。伊勢物語等の物語類は新編小学館日本古典文学全集に依 った。但し、いずれも私意により表記を改めた場合がある。 二 二十九番     遇不会恋 左   勝        釈阿 57新後撰 泊瀬川又見むとこそたのめしか思ふもつらし二もとの杉 右     寄神 祇 祝       宮内 58   数しらぬ君が 齢 よはひ か神風や 御 み も す そ 裳濯 川の 瀬 ゞのしき浪 判 者、 以 テ レ 右 ヲ 勝 と す べ き よ し 申 (まうす) を、 左 右 と も に 左 を 可 キ レ 為 ス レ           (まうしうくる) 勝 ト 之由、申    請也。 【校異】 57又見むとこそ│また み こイ むとこそ(宮) た の め し か │ た の み し に かヒ ( 宮 ) 、 た の み し か( 彰・ 神・ 青 二・ 刈・ 中 一・中二) 、憑しか(桑・松) 58君 か よ は ひ か │ 君 か よ は ひ は( 宮・ 京・ 北・ 神 ) 、 君 か よ は ひ も( 桑 ・中一・中二・松) みもすそ川の│裳濯川の(中一・中二) せゝのしき浪│世々のしき浪(京) 、よゝのし ら き 浪(刈) 、瀬々のしら なみ(内・青一) 難陳・判詞   判者以右勝とすへきよし申を│判者右をもて勝たるへきのよし申之 ( 宮 ) 、 判 者 以 右 可 為 勝 之 由 雖 申 之( 京・ 北 ) 、 判 者 以 右 可 為 勝 之 由 申 之( 刈 ) 、 判 云 以 右 可 為 勝 之 由 申 云 々( 内・ 青 一 ) 、 判 者 以 右 可 為勝由申を(桑・中一・中二・松)   左 右 と も に 左 を 可 為 勝 之 由 │ 左 右 と も に 左 の か ち た る へ き の よ し ( 宮 ) 、 左 右 共 左 か ち た る へ き よ し( 京・ 北 ) 、 左 右 共 左 為 勝( 刈 ) 、 左右共為左勝之由(内・青一) 申請也│申之(宮・京・北・内・青一) 、申請之(刈) 【他出文献】 57   新後撰集   恋五   一一一四( 「建仁元年、三首歌合に、遇不逢恋」 ) 【通釈】 二十九番     遇ひて会はぬ恋(逢った後に再び逢わぬ恋) 左   勝        釈阿(俊成) 57   泊瀬川よ、あの人との逢瀬はもう尽き果ててしまった。あの二もと の杉のように、また再び逢いましょうと頼みにさせたのに。思い浮か べるだけでも耐え難いよ。二もとの杉よ。 右     神 祇 に寄する祝      宮内 58   数限りなくいつまでも続くわが君の齢 (を見せているの) だろうか。 (神風の)御裳濯川の瀬ごとに次々と寄せる波よ。 判者は、右を勝とするのがよいと申し上げたけれども、左方も右 方もともに左を勝とすべきだとの由をお願い申し上げて、お認め いただいたのである。 【本歌】 57   初 瀨 河ふるかはのべに二本ある杉年をへて又もあひ見む二本ある杉 ( 「題しらず」よみ人しらず   古今集   雑体   一〇〇九) ○ 題 │ 左「 遇 ひ て 会 は ぬ 恋 」 、 右「 雪、 白 雲 に 似 る 」 で、 左 右 異 題。 と もに既出。 57 ○泊瀬川│泊瀬(初 瀨 )は大和国歌枕。今の奈良県桜井市初瀬町。三方 を山に囲まれた峡谷で、 「こもりく(隠国) 」という枕詞が掛かる。初 瀨 川はそこを流れる川。本歌に依り、その岸辺に結句の二本の杉があ るとする。恋の相手の住まいがある場所として設定するとともに、遇

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不 会 恋 の 題 を 受 け て、 「 逢 瀬 0 が 果 つ 0 0 」 の 意 を 掛 詞 と し て 響 か せ て い る と考える。初瀬川に「果つ」を掛ける例としては、次のようなものが あり、参考になる。 すずしさは秋やかへりて は 果つ―初 つ 瀬川 ふるかはのべのすぎの下かげ ( 「摂 政太政大臣家にて、詩歌をあはせけるに、水辺冷自秋といふこと をよみける」有家   新古今集   夏   二六一) 「初瀬 山 0 」の例だが、次の定家の歌も参考になる。 としもへぬいのるちぎりは は 果つ―初 つ せ山 をのへのかねのよそのゆふぐれ ( 「…祈恋といへるこころを」新古今集   恋二   一一四二) ○又見むとこそたのめしか│再び逢いましょうと私を頼みにさせたのに の意。已然形の結びは、 逆接の余韻を残す。 「又見む」は、 本歌の「年 を へ て 又 も あ ひ 見 む 」 を 受 け て い る。 「 た の む 」 は、 こ の 場 合 あ て に させる、 頼みに思わせるの意。頼みに思わせたのは恋の相手であるが、 本 歌 に お い て、 並 び 立 つ 二 本 の 杉 の よ う に、 年 を 経 て も 又 逢 お う と、 二本の杉が出会いの比喩になっていることから、杉もまた頼みに思わ せるものである。異文の「たのみしか」であれば、自分が、恋の相手 と二本の杉を頼みにしていたの意になる。 ○思ふもつらし│心に思い浮かべるのも耐え難いことだ、の意。この句 は、これ以前には次の例がある。 むかしまで 思ふもつらし 春風に花ちらせとはたれをしへけん(顕昭 御室五十首   六〇九) 心 な き と も の 宮 つ こ い か な ら ん お も ふ も つ ら し 花 の ゆ か り は( 「 禁 中」具親   正治後度百首   三八一) ○二もとの杉│二本の杉は、仲良く並び立っている。男女の和合の象徴 として枝を交わした連理の樹であるという説もある。 ▽古今集の旋頭歌は、源氏物語玉鬘巻に、右近が玉鬘と初瀬でめぐりあ った喜びを詠む歌の本歌となっている。 ふたもとの杉のたちどをたづねずはふる川のべに君をみましや(三四 五) さらに、源氏物語手習巻では、浮舟歌に、 はかなくて世にふる川のうき瀬にはたづねもゆかじ二もとの杉(七七 七) と本歌取りされて詠まれている。ここでは、尼の初 瀨 詣の誘いを断る意 であるが、尼は「二もとの杉」に恋の意味を読み取っており、浮舟もそ れを否定していない。また、その後この旋頭歌は、後掲六百番歌合の寂 蓮歌をはじめとして、新古今時代の本歌取りに多用された。俊成は、 57 番歌以前にも、 民部卿家歌合で、 二もとの杉の本歌取りを試みているが、 それは冬歌としたものである。 ほ の み ゆ る 梢 は そ れ か 初 瀬 山 雪 の あ し た の ふ た も と の 杉 ( 「 深 雪 」 釈 阿(俊成)民部卿家歌合   一八三   建久六年) 季節歌、賀歌にも本歌取りされたが、恋歌の例を挙げておく。 ちぎりきなまたわすれずよはつせ河ふる河野辺の ふたもとの杉 (寂蓮 六百番歌合   恋下   一〇四二・続後撰集   恋四   八九八) と し 月 を ふ る か は の べ に こ ひ わ び ぬ い つ か あ ひ み ん ふ た も と の す ぎ (家長   千五百番歌合   恋   二六一五) 本歌では、相生の二本の杉は年を経てもまた逢える希望の象徴だったの に対して、 57番歌では、再び逢えない絶望的な状況にあって、頼みにさ せた杉の表象は、あてにさせただけにかえって、思い浮かべるのも耐え 難くつらいものとなっており、杉の意味を鮮やかに変化させている。 58 ○数しらぬ君が齢か│数限りないわが君の寿命であろうか、の意。御裳 濯川の瀬々の敷浪がその比喩となっている。皇室ゆかりの伊勢神宮に 流れる川を詠むことにより、御代の悠久を寿ぐ。齢を数知らずと詠む のは賀歌の常套的発想である。 かずしらず君がよはひをのばへつつ なだたるやどのつゆとならなん ( 「 隣 に す み 侍 り け る 時、 九 月 八 日 伊 勢 が 家 の 菊 に 綿 を 着 せ に つ かはしたりければ、又のあしたに折りてかへすとて」伊勢   後撰 集   秋下   三九四・伊勢集   四七〇) みちとせにひとたびさくときく花の かずしらぬかな君がよはひは     ( 「祝」或所歌合天喜四年四月   二八) かずしらぬ まさごをふめるあしたづは よはひ をきみにゆづるとぞみ る( 「 州 浜 に 鶴 の 首 に 結 ひ つ け た り け る 」 皇 太 后 宮 歌 合   東 三 条 院   三) ○神風や│通常は伊勢に掛かる枕詞であるが、ここでは伊勢にある御裳

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濯川に掛かる。 ○御裳濯川の瀬ゞのしき浪│御裳濯川は伊勢神宮の御手洗川である五十 鈴川の別称。 きみがよはつきじとぞおもふ かみ風やみもすそがは のすまむかぎり は( 「 承 暦 二 年 内 裏 歌 合 に よ み は べ り け る 」 民 部 信   後 拾 遺 集   賀   四五〇) 「 瀬 ゞ の し き 浪 」 は 瀬 ご と に 次 か ら 次 へ と 寄 せ る 波、 の 意。 そ の 無 限 性 を 君 が 齢 の 長 久 の し る し と 寿 い で い る。 「 瀬 ゞ の し き 浪 」 は 万 葉 集 に宇治川の例があるのを御裳濯川に転用している。 宇治川の 瀬々のしき浪 しくしくに妹は心に乗りにけるかも(巻十一 二四三一) 難陳・判詞 ○申請也│「申し請く」は、お願いをしてその許可を得る、の意。判者 は右が「寄神祇祝」という特別な題だったため、また、左が判者自身 の歌であったこともあって、議論の余地なく右を勝としたのであろう が、左右の方人がどちらも、異論を唱え、左を勝とするように願い出 て許されたというのである。 ▽ 57番歌は後に新後撰集に入っており、その出来映えは衆目の一致する と こ ろ だ っ た わ け で あ る が、 俊 成 は 作 法 ど お り に 判 を 下 し た。 し か し、 左右がともに強く俊成自身の歌を勝とするように願い出て、判定を覆し たわけである。現場の雰囲気がうかがえるような一番である。 三十番      遇不会恋     左         家隆 59   今 いま こんの契りは夢かしきたへの枕の上に 有 あり 明の月 右   勝   寄神 祇 祝        女房 60   神風や八重の 榊 さかき 葉かさねても 御 み も す そ 裳濯 川の末ぞはるけき 右歌、祝によりて可 キ レ 勝 ツ 之由、判者申 ス レ 之 ヲ 。 【校異】 60かさねても│かさしても(内・青一) 末そはるけき│末のはるけさ(京・北) 難陳・判詞 右歌祝によりて可勝之由判者申之│右歌祝によりて可勝のよし判者申 て(神) 、 右歌可勝之由判者申也(内) 、 右之歌可勝之由判者申也(青 一) 、右の歌祝によりて可勝之由判者申(桑) 、右の歌祝によりて可 然之由判者申(中一・中二・松) 【他出文献】 60   夫 木 和 歌 抄   雑   一 五 九 七 四( 「 伊 勢   建 仁 元 年 十 首 歌 合 」 ) ・ 後 鳥 羽院御集   一五三四 【通釈】 三十番      遇ひて会はぬ恋(逢った後に再び逢わぬ恋)     左         家隆 59   す ぐ に 行 く よ、 と の 約 束 は 夢 な の か。 ( 来 訪 を 待 つ ま ま に 夜 は 更 け て、しきたへの)枕の上にあるのは有明の月の光であるよ。     右   勝   神 祇 に寄する祝           女房(後鳥羽院) 60   (神風や)伊勢神宮の八重に重なる榊葉を重ねても、そのように歳   月を繰り返し重ねて、まあ、御裳濯川の流れの末│君が代の末│は遙   かに悠久であることよ。    右歌、祝の歌であるから、勝とすべき由、判者が申し上げる。 【本歌】 59   今こむといひしばかりに長月のありあけの月をまちいでつるかな    ( 「題しらず」素性法師   古今集   恋四   六九一) ○ 題 │ 二 十 九 番 に 続 い て、 「 遇 不 会 恋 」 と「 寄 神 祇 祝 」 の 異 題 の 組 合 わ せである。 59 ○ 今 こ ん の 契 り │ 本 歌 に 基 づ く 縮 約 表 現。 「 今 こ ん 」 は、 す ぐ に 行 く と いう、恋の相手の頼みにさせる言葉である。本歌は、この言葉を信じ て 一 晩 待 ち 明 か し た の で あ る。 「 今 こ ん の 契 り 」 と い う 表 現 は、 正 治 百首に既出で、同じ本歌に基づき、羇旅の歌にしているものである。 いまこんの契 たえにし旅の空なほまたれぬる在明の月(隆信   正治 初度百首   一二八七) ○契りは夢か│この句は唯一例。 うつつに約束をしたと確かに思ったが、

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それは夢だったのか、 の意。有明の月が照らす、 絶望的な今となって、 相手の不実さが信じられない気持ちである。 ○しきたへの│枕にかかる枕詞。 ○枕の上に有明の月│枕の上に有明の月の光が射している、の意。 59番 歌以前には「草枕」と「有明の月」の取り合わせはあるが、恋の歌に おける枕の上の有明の月の光を詠むものはない。本歌の有明の月を空 しき床の情景として印象づける。 60 ○神風や│伊勢に掛かる枕詞だが、ここでは伊勢神宮の景物である二句 「八重の榊葉」に掛かっている。神域の雰囲気を提出する。 ○八重の榊葉│この句は 60番歌以外には例がない。 60番歌以後 「八重榊」 の句を含む歌がある。八重榊は、皇大神宮の 中 なかのえ 重 鳥居の左右に立てる 数多くの榊をいう。 太玉串并天 八重佐加岐 0 0 0 0 0 (皇大神宮儀式帳) 一、 二句は、実景でもあるが、 「かさねても」に掛かる序詞的表現。 八 重 榊 し げ き め ぐ み の 数 そ へ て い や と し の は に 君 を 祈 ら む( 「 述 懐 歌よみ侍りけるに」荒木田守成   新勅撰集   神 祇   五六八) あ ま て ら す 神 路 の 山 の 八 重 榊 た て そ め し よ り い ろ も か は ら ず( 「 寛 喜二年九月十五日、大神宮御遷宮にまうでてよみ侍りける」法輪 法師   楢葉集   五一七) ○かさねても│八重の榊葉を重ねて、という実際の情景と、歳月を重ね ての意で下句に掛かる二重の意味を持っている。 ○御裳濯川の末ぞはるけき│御裳濯川は伊勢神宮内宮境内を流れる五十 鈴川の別称。御裳濯川は皇室の綿綿と続く悠久の流れを意味する。下 句は、皇室の悠久を寿いでいる。 万代の末もはるかに 0 0 0 0 0 0 0 0 0 見ゆるかな 御裳濯川 の春の明ぼの(後鳥羽院   正治初度百首   祝   九九) 次の歌は、御裳濯川を皇室に、藤波を藤原氏に譬えている例である。 藤波 0 0 も 御裳濯川 の末なれば下枝もかけよ松の百枝に(御裳濯川歌合 七三・長秋詠藻   五九五) ▽祝の歌で、隠名であるが後鳥羽院の詠であるから、当然勝とされるべ き詠であろう。 三十一番     遇不会恋     左         長明 61   ながれてとなに 思 おも ひけんかち人の 渡 わた れど 濡 ぬ れぬ逢 瀬 せ ばかりに     右   勝   寄神 祇 祝      慈円        (よろづよ) 62   君が 代 を万   世とこそ 数 かぞ ふらめ七の 社 やしろ の 三 み つの 光 ひかり は     以 テ レ 右 ヲ 為 ス レ 勝 ト のよし、判者、左右、ともに 申 (まうす) 也。 【校異】 61な か れ て と │ な か ゝ れ と( 内・ 青 一 ) 、 な か れ て も( 桑・ 中 一・ 中 二    ・松) なにおもひけん│何おもひけ る むイ (宮) 逢 せ は か り に │ お ふ せ 斗 を( 宮 ) 、 逢 瀬 は か り は( 京・ 北・ 神・ 青 二 ・内・青一・桑) 、あふせはかり を にイ (刈) 62かそふらめ│かそふらむ(中二) み つ の ひ か り は │ み つ の ひ し り は( 宮・ 京・ 北・ 桑・ 中 一・ 中 二・ 松) 、三のひ し かイ りは(刈) 、三のひしりに(内・青一) 難陳・判詞 以 右 為 勝 の よ し │ 右 を も て 勝 と た る タ ル ハ ワ キ 付 す る よ し( 宮 ) 、 以 右 勝 の よ し( 彰・ 神・青二・桑・中一・中二・松) 判 者 左 右 と も に 申 也 │ 判 者 左 右 方 と も に 申 之( 宮・ 刈 ) 、 判 者 左 右 共 に申之(京 ・ 北 ・ 彰 ・ 青二 ・ 内 ・ 青一) 、判者左右ともに申て(神) 、 判者左右ともに申(桑・中一・中二・松) 【他出文献】 62   夫 木 和 歌 抄   雑   一 六 一 二 一( 「 建 保 元 年 十 首 歌 合 」   第 五 句「 み つのひじりは」 ) 【通釈】 三十一番    遇ひて会はぬ恋(逢った後に再び逢わぬ恋)      左         長明 61   水 が 流 れ る よ う に 長 い 期 間 に わ た っ て 末 永 く( 共 に 過 ご そ う ) と、 どうして思ったのであろうか。徒歩で川を渡る人が、裾の濡れないよ うな浅瀬ほどの、ほんのはかない逢瀬だけであるものを。

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    右   勝   神 祇 に寄する祝    慈円 62   わが君の聖代を万世と、限りなく長く続く世であると、数えておら れるでしょう。日吉山王の七の社の、三つの光は。     右歌を勝とする由を、判者も左右の方人も、申し上げる。 【本歌】 61   かち人の渡れど濡れぬえにしあれば   女    又あふ坂の関はこえなむ        男       (伊勢物語   第六十九段   一二七/一二八・業平集   一七) ○ 題 │ 三 十 番 に 続 い て、 「 遇 不 会 恋 」 と「 寄 神 祇 祝 」 の 異 題 の 組 合 わ せ である。 61 ○ながれて│「流る」 「渡る」 「濡る」 「瀬」と川の縁語で仕立てている。 人事的意味としては「流れて」は、生きながらえて、長い期間に渡っ て、の意。 山高みした行く水のしたにのみ 流れて こひむこひはしぬとも(よみ 人しらず   古今集   恋一   四九四) 水の泡の消えで憂き身といひながら 流れて 猶もたのまるるかな(友 則   古今集   恋五   七九二) ○なに思ひけん│どうしてそのように思ったのであろうかと自分の以前 の思い違いを反省している。自嘲的な響きがある。 61番歌もそうであ るが、逆接の「〜(もの)を」を伴って用いられることが多い。 た え ぬ と も 何 思 ひ け ん 涙 河 流 れ あ ふ せ も 有 り け る も の を 0 0 0 ( 「 左 大 臣 河原にいであひて侍りければ」内侍たいらけい子   後撰集   恋五 九四九) なき身とも なにおもひけん おもひしにたがはぬ事は有りける ものを 0 0 0 0 ( 「 い か が は な ど う た が は し く お も ふ 人 の、 お と せ ぬ に 」 和 泉 式 部続集   二六二) ○かち人の渡れど濡れぬ逢瀬ばかりに│本歌に依る表現。本歌では「江 │えにし」に掛かるのを、 河の瀬を縁語として「逢瀬」に掛けた。 「か ち人」は徒歩で行く人。河をかち渡りするが裾が濡れないほどの浅瀬 の イ メ ー ジ で、 「 遇 不 会 恋 」 を 形 象 化 し た。 「 ば か り に 」 は、 「 ほ ん の 〜だけのために」の意。伊勢物語狩使段の哀切な出会いが陰影を添え る。 62 ○七の社│滋賀県大津市坂本にある日吉大社の山王二十一社のうち、上 七 社 を 指 す。 西 本 宮( 大 宮 ) 、 東 本 宮( 二 宮 ) 、 宇 佐 宮( 聖 真 子 ) 、 八 王子宮、白山姫神社(客人) 、樹下神社(十禅師) 、三宮神社の称。 ○三つの光│三光の訓読みで、三つの光る天体である太陽、月、星を言 うが、 「七の社の」という修飾語が掛かる意味がわかりにくい。 「日よ し」との関係はあるにしても、三光とする意味が不詳である。異文の 「 み つ の ひ じ り 」 は、 慈 円 に 他 に 二 例 あ り、 本 文 と し て は こ ち ら が よ く、もとの形かと考えられる。 ここのしなの玉のうてなの光こそ みつのひじり の影となりけめ(慈 鎮和尚自歌合   聖真子   六三) 百草の花と思ひてたてまつる七座神の 三のひじり は(慈鎮   六華和 歌集   神 祇   一八五一) 「みつのひじり」は、上七社の大宮・二宮・聖真子の山王三聖を指す。 この本文によれば、下句は、山王七社の三聖は、という意味になる。 ▽「 万 0 世」 、 「 七 0 の社」 、 「 三 0 つの光( 三 0 つの聖) 」と数字を並べて、 「かぞ ふらむ」と照応させている。 三十二番    遇不会恋     左   持          寂蓮 63新古    恨 うら みわび 待 ま たじ 今 いま はの身なれども思ひなれにし夕暮の空     右        丹後 64同    忘れじのことの葉いかになりぬらんたのめし 暮 くれ は秋風ぞ 吹 ふ く        (まうす) 左右たがひに 宜 よろ しき 由 よし を   申   。 判者、両首共 ニ 以 テ 優也。勝負 定 さだ め 申 (まうす) に不 レ 及 バ 。 【校異】 63思ひなれにし│思ひなれぬる(神) 64なりぬらん│成にけん(宮) 、成 に ぬ ら ん イ けん (刈)

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難陳・判詞 左 右 た か ひ に よ ろ し き よ し を 申 │ 左 右 た か ひ に こ れ を ほ む( 宮・ 京・北) 、左右互褒美(刈) 、左右互称美(内・青一) 判者│判云(刈・内・青一) 両 首 共 以 優 也 │ 両 首 と も に い ふ な り( 宮 ) 、 い つ れ も 共 に 優 な り( 京 ・北) 、両首ともに心優也(神) 勝負さため申に不及│勝負をさため申 ・ に 不及(宮) 、不及定申勝負(京 ・北) 、不及定申勝劣(刈) 、不能定申勝負(内・青一) 【他出文献】 63   新古今集   恋四   一三〇二・自讃歌   一四七・定家十体   幽玄様 三 六・ 定 家 八 代 抄   一 三 九 九・ 時 代 不 同 歌 合   初 撰 本   百 十 三 番 右・ 詠 歌 一 体   二 一・ 和 歌 口 伝   一 一 ・ 三 五 記   二 〇 一・ 桐 火 桶   一 八 三 正徹物語   一〇・題林愚抄   恋二   六九一七 64   新古今集   恋四   一三〇三(第三句「なりにけむ」 ) ・三百六十番歌 合   雑   六 四 一・ 続 歌 仙 落 書   一 一 九( 「 仙 洞 歌 合 に 遇 不 逢 恋 と い ふ ことを」 ) ・題林愚抄   恋二   六九一八(第三句「成りにけん」 ) 【通釈】 三十二番      遇ひて会はぬ恋(逢った後に再び逢わぬ恋)     左   持          寂蓮 63新古 あの人のつらさを恨み尽くしてもう恨む気力もなくなり、もう待つ まい、今は、と思うわが身ではあるが、いつしか待つ思いに馴れて しまった夕暮の空であるよ。     右        丹後 64同 忘れまいというあのお言葉はどうなっているのでしょうか。来ると あてにさせたこの夕暮は、秋風が吹いています。飽き風が言の葉を 吹き散らしてしまったのでしょうか。   左方も右方も互いに結構だと申し上げる。   判者は、両方の歌はともに優美である。勝負を決め申し上げる には及ばない(とする) 。 ○ 題 │ と も に「 遇 不 会 恋 」 。 こ の 一 番 は、 新 古 今 集 に こ の 順 に 並 ん で 入 集している。 63 ○恨みわび│「〜わぶ」は、〜しあぐむ、の意。ここでは恨み続けた挙 句、恨む気力さえもなくなっている、意欲も衰弱した状態。 恨みわび ほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそをしけれ ( 「永 承六年内裏歌合に」相模   後拾遺集   恋四   八一五) ○ 待 た じ 今 は │ 今 は 待 た じ、 の 倒 置。 気 力 の な く な っ た 状 態 に あ っ て、 自らの意志による決心というよりは、わびた状況から迫られて向かう 思いである。次のような先例があり、いずれも、待つまいとする心と それを揺るがすように働きかける外界(水鶏の声、荻吹く風)との葛 藤を詠んでいる。 待たじ今は 八声の鳥も鳴きぬなりなにおどろかすくひななるらん ( 「暁天水鶏并寄月恋」六条修理大夫集   二九一) こりはてぬ 今は待たじ と思へども荻吹く風にはかられにけり(林葉 集   九三七) 六条修理大夫集歌は、初句で切れる。一晩待ち明かした暁、何度も夜 明けを告げる鳥が鳴いているのが聞こえることから、今はもう待つま いというのである。水鶏の声は、 戸をたたく音と紛われるものである。 折しも聞こえる水鶏の声に、一瞬それかと思い、もう夜が明けている のにどうしてまたはっとさせる水鶏なんだろうと、心を動揺させた水 鶏を非難するように詠んでいる。林葉集歌では、荻吹く風が恋人の来 訪と紛われるものである。何度も頼みにさせて来ぬ相手に懲り懲りし て、もう待つまいと思ったのであるが、荻の葉風にその人が来たかと だまされてしまった、というのである。これも、待たじの意志に逆ら う心の奥深くの未練に気づくという歌で、同様の発想である。 63番歌 で も、 「 待 た じ 今 は 」 の 心 を 揺 ら す 対 境 と し て、 下 句「 思 ひ な れ に し 夕暮の空」が現れる。 ○ 思 ひ な れ に し 夕 暮 の 空 │「 夕 暮 」 は 恋 の 相 手 の 来 訪 を 待 つ 時、 「 空 」 は待ちながら眺め出す場所である。相手を待つ「思ひ」に時を経て馴 れてしまった我が 「身」 が夕暮の空に対した時に意識されるのである。 水鶏の声や荻の葉音が相手の気配を帯びるのに対して、夕暮の空に於

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いては、直接に我が身の奥が覗かれており、それだけ何者かのせいに できない深刻さがある。 ▽「待恋」を詠む歌の中で、待つ心と待たじの心の葛藤を詠む歌の早い 例として次の歌がある。 たのめつつこぬ夜あまたに成りぬればまたじと思ふぞまつにまされる (人麿   拾遺集   恋三   八四八) これは、この心の葛藤を対象的に観るもう一つの心から詠まれているも ので、 ある意味でまだ心の余裕があるといえよう。それに比べると、 「待 たじ今は」の項に挙げた二首は、その葛藤に外界から気づかされること を詠んだもので、葛藤は意識下にあって、それだけに強いものとなって いる。この二首ではその葛藤に聴覚の錯覚によって気づくのだが、錯覚 させられたと表現している点、いまだその感情をみずからひきうけてい るわけではない。ところが、 63番歌では、恨む気力さえなくなったわび た状態で気力をふりしぼってもう待つまいと思っている身に、それを眺 めながら待つことに馴れてしまった夕暮の空が広がるのである。意志の 働かないわびた状態での心の奥の葛藤をよく詠み得ている。   新大系も注するように、正徹物語の「こと葉一句を残す歌」の項に 寂蓮が、   恨みわびまたじいまはの身なれども思ひなれにし夕暮の空 に て は、 は て ぬ 歌 也。 「 夕 暮 の 空 を ば さ て い か に せ ん 」 と い ひ た る 歌 也。 「さていかにせん」の一句をのこしたる也。 と あ る。 「 さ て い か に せ ん 」 は こ の 自 分 の 意 志 で は ど う に も な ら な い 葛 藤にある苦しさをいうものである。 64 ○忘れじのことの葉│「忘れじ」は、 逢った時に恋の相手が誓った言葉。 心変わりしないでいつまでも通って来ようと誓ったのである。 わすれじ の行末まではかたければけふを限りの命ともがな(帥殿母 上   前十五番歌合   二四・百人一首   五四) 「 こ と の 葉 」 は「 葉 」 の 縁 語 と し て、 下 句 の「 秋 風 」 が 吹 き 散 ら す も のとして働く。 ○いかになりぬらん│どうなってしまっているのだろうか、の意。忘れ じと誓った相手がその後訪れないことに対する不信感の表明である。 ○ た の め し 暮 │ 来 る と あ て に さ せ た 夕 暮、 の 意。 「 忘 れ じ 」 の 言 葉 か ら 当 然 相 手 が 来 る こ と が 期 待 さ れ る 夕 暮 時 で あ る。 「 た の め し 暮 」 の 句 は初出例。 ○秋風ぞ吹く│「秋」は「飽き」が掛けられている。約束を守らず、姿 を見せない恋の相手の心に 「飽き」 の気配を感じているのである。 「言 の葉」に「飽き風」が吹くと詠んだ例には次のような歌がある。 思ひいでよ草の枕に契りてし その言の葉に秋風ぞ吹く (江帥集   四 七九) 恋の相手の心変わりを、言の葉に吹く秋(飽き)風のイメージで暗示 的に表現する。 ▽ともに男に忘れられた女の立場で、来ぬ夕暮の眼前の風景を浮かびあ が ら せ て、 「 遇 不 会 恋 」 題 を 詠 ん で い る。 63 歌 は 恨 み わ び た 女 の 心 中 に目を向け、 64番歌は男の心変わりの暗示的表現に焦点があり、それぞ れに見所がある。左方右方ともによしとし、 判者もともに優とする番で、 「よき持」といえよう。 三十三番     左   勝        内大臣 65同    相 あひ 見しは昔語りのうつゝにて其かねごとを夢になせとや     右        定家朝臣 66   人こゝろほどは雲井の月ばかり忘れぬ袖の 涙 なみだ とふらむ     判者云、右の歌よろしく 聞 き こゆれど、猶左はまさるべし。 【校異】 難陳・判詞 右 の 歌 よ ろ し く き こ ゆ れ と │ 左 右 宜 き こ ゆ れ と( 神・ 青 二 ) 、 左 右 共 に宜聞ゆれと(桑・中一・中二・松) 猶 左 は ま さ る へ し │ 猶 左 歌 は ま さ り 侍 る へ し( 宮 ) 、 猶 左 歌 は 勝 な る へ し( 京・ 北・ 刈 ) 、 猶 左 は ま さ り な る へ し( 神・ 青 二・ 桑・ 中 一 ・中二・松) 、猶左歌まさるへし(内・青一) 【他出文献】

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65   三百六十番歌合 雑   六三七・新古今集   恋四   一二九九( 「建仁 元 年 三 月 歌 合 に、 逢 不 遇 恋 の こ こ ろ を 」 ) ・ 新 時 代 不 同 歌 合   下   二三三・題林愚抄   恋二   六九一四 66   拾遺愚草   二五五二( 「建仁元年三月尽歌合、遇不逢恋」 ) 【通釈】 三十三番   〔遇ひて会はぬ恋(逢った後に再び逢わぬ恋) 〕     左   勝        内大臣(通親) 65同(新古今)   二人が出逢ったことはもう昔の思い出話となった現実のことで、そ の時の約束の言葉を、今は夢だったと思ってくれとでもおっしゃるの ですか。     右        定家朝臣 66   人 の 心 は 隔 た っ て し ま っ て 雲 井 を 行 く 月 ほ ど に 遠 く な っ て し ま っ た。その雲井の月だけがなぜ忘れずに、あの人を忘れられずに涙を流 す私の袖の涙を訪れるのでしょう。   判者が申しますには、右の歌は好ましく聞こえますが、やはり 左の方がより勝っているといえるでしょう。 【本歌】 66   わするなよほどは雲ゐに成りぬともそら行く月の廻りあふまで ( 「橘 忠幹が人のむすめにしのびて物いひ侍りけるころ、遠き所にまか り侍りとて、この女のもとにいひつかはしける」拾遺集   雑上   四 七 〇・ 「 身 の う れ へ 侍 り て、 東 の 方 へ ま か り て、 友 達 の も と へ いひおくり侍」   業平集   一一一・男   伊勢物語   十一段   一六 ・大江為基   古来風体抄   三七二・定家十体   一五五・忠幹   定 家八代抄   七三二・瑩玉集   二〇・三五記   九三) ○題│引き続き「遇不会恋」の一番。 65 ○相見し│男女が互いに顔を見る、恋の逢瀬を意味する。 ○昔語りのうつつにて│「昔語り」は過去の思い出話。恋歌では、終わ った恋に関して使われる。 千 代 ま で と 契 り お き て し あ ふ こ と の 昔 語 り に な る ぞ か な し き( 「 右 大臣家百首に、遇不逢恋」経家集   五七) いまはただ 昔語り になりはてて恋も我が身を離れましかば( 「旧恋」 兼宗   六百番歌合   恋上   七七七) うつつは、夢に対して現実の意。つまり、二人の関係は確かに現実で はあったが過去のものであるとして、ということである。二人の関係 が昔語りになるほど久しく、男が訪れない状態を暗示する。 ○ そ の か ね ご と │ か ね ご と は 約 束 の 意。 「 そ の 」 は 現 実 の 逢 瀬 を さ す。 その睦言の中で、永遠の愛を誓ったのである。 ○夢になせとや│うつつの逢瀬の中でした約束なのに、夢だったと思っ てくれというのか、の意。 「命令形+とや」を結句に持つ類型があり、 下 に「 い ふ 」 が 略 さ れ た 形 で あ る。 ま さ か、 そ ん な こ と を い う の か、 それはあまりにひどいではないか、という口吻が感じられる。   ・難波潟短き芦の節の間もあはでこの世を すぐしてよとや (伊勢   新    古今集   恋一   一〇四九) ▽「もう久しく訪れず、その上約束まで認めまいとする男の不実さ、契 り の は か な さ に 苛 立 つ 女 の 暗 澹 と し た 心 」 ( 新 大 系 ) と の 評 が 要 を 得 て いる。 66 ○人ごゝろ│人の心、人の気持ち、の意。具体的には恋の相手の心であ るが、この表現は一般的な人の心というものへの広がりのあるもので ある。万葉集にはなく、平安朝になってからの表現である。拾遺愚草 には八例を数え、すべて初句に用いられている。 人 心 を だ え の 橋 に た ち か へ り 木 の は ふ り し く 秋 の 通 路( 「 寄 橋 恋 」 八八五 ・ 六百番歌合   一〇一一) 人心 かよふただぢのたえしよりうらみぞわたる夢のうきはし( 「恋」 一〇八三 ・ 千五百番歌合   二四六五) ○ほどは雲井の月ばかり│本歌に依る表現。 「ほど」は人間関係の距離。 初 句 と の 関 係 か ら は、 相 手 の 心 と の 隔 た り を い う。 「 雲 井 の 月 」 は 高 く遠い大空をめぐるものなので、相手の心がそれほどに隔たっている と い う 比 喩 と な る。 「 ば か り 」 は、 程 度 を 表 す 副 助 詞 と し て 使 わ れ て いる。三句でいったん切れる。 ○月ばかり忘れぬ袖の涙とふらむ│三句は、下の句に対しては、月だけ

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が、の限定の意味でかかる。副助詞「ばかり」を掛詞として二重の意 味をもたせているのである。 「月ばかり」 は 「とふらむ」 に掛かる。 「忘 れぬ袖の涙」は、遠く離れてしまった人心とは逆に、相手を忘れられ ない自分の袖に落ちる涙である。月が涙に影を宿すのを、 擬人的に 「訪 ふ 」 と い っ て い る。 「 ら む 」 は 原 因 理 由 を 問 う 現 在 推 量 と 考 え る。 訳 注藤原定家全歌集は「その月だけは……私の袖の涙を訪れるのでしょ う」とするが、これでは推量の「む」の意になる。月は、訪れてこな い恋人との心の隔たりの表象でありながら、しかも、忘れられず流す 袖の涙に訪れるという矛盾した存在として詠まれており、そのいぶか しさを「らむ」によって表していると解しうる。 ▽この歌の「月」のように、矛盾した意味を持たせて詞の上に緊張感を 醸し出す方法は定家ならではのものと思われる。たとえば、本歌合と同 年九月に行われた水無瀬恋十五首歌合で詠まれ、後に新古今集に入集し た次の定家歌なども、そのような詞の上の緊張感を持つ歌である。 床の霜まくらの氷きえわびぬむすびもおかぬ人の契に(四〇・ 「冬恋」 新古今集   恋二   一一三七) 「 人 の 契 り 」 は「 結 び も お か ぬ 」 な の に、 流 す 涙 の「 床 の 霜 」 「 枕 の 氷 」 は「きえわび」て、結んでいる(結ぶ=霜・氷の縁語)のである。この 涙の霜や氷にも似たあり方に、 66番歌の月はあるといえよう。 「床の霜」 歌は俊成女歌との番で負になったが、判者俊成は「右歌も、床のしもま くらの氷、 などいひて、 むすびもおかぬ、 といへるも いうには侍り 」と、 一 定 の 評 価 を し て い る。 「 床 の 霜 」 歌 は さ ら に 後 鳥 羽 院 判 の 若 宮 撰 歌 合 と 水 無 瀬 桜 宮 十 五 番 歌 合 で 宮 内 と の 番 で 持 と さ れ、 「 詞 め づ ら し 」 と い う 評 価 を 得 て い る。 判 詞 は 66番 歌 を 負 と し た が、 「 よ ろ し く 聞 こ ゆ れど」とこれも一定の評価はしていることは注意される。 ▽安井重雄氏が『明月記』に三十三番についての割書があることを注意 されている( 「建仁元年三月新宮撰歌合考」 『中世近世和歌文芸論集』龍 谷叢書 15   思文閣出版   二〇〇八年一二月) 。 恋 ∧ 頻 可 勝 之 由 雖 有 御 定、 / 判 者 左 勝 由 令 申 給 / 仍 負 了、 左 内 府 哥 也、/不及左右云々∨ 院が評定当座頻りに右勝と定められたのに、俊成が負としたことが知ら れる。しかし、結果的には、判詞に「右歌よろしくきこゆれど」とある ものの院の発言の痕跡はみられない。安井氏は「執筆役定家は、判者と の私的関係や、番の合手との身分関係を斟酌しながら、判者の批評や左 右方の難陳をどのような表現で記録するのか、 あるいは記録しないのか、 慎重に考慮して記していったのであろう」と指摘している。 三十四番    左   勝          左大臣 67続古    しばしこそ 来 こ ぬ 夜 よ あまたとかぞへても猶山の 端 は の月を 待 (まち) しか     右        具親 68   なか 〳〵 に又 頼 たの まるゝ世なりけりかゝるべしとは契りやはせし      左方申云、 右歌宜といへども、 是にお い ひ ては左歌尤 モ 可 キ レ 勝 ツ 歟。      判者、同 ジ レ 之 ニ 。 【校異】 67こぬよあまたと│こぬ夜あまた に とイ続古 (刈) 月を待しか│月 を はイ 待しか(宮) 、月はまちしか(内・青一) 、月を待し て(神) 、月を□しか(中二) 68か ゝ る へ し と は │ か ゝ る へ し と も( 宮・ 京・ 北・ 内・ 青 一 ) 、 □ □ る へしとは(中二) 、かゝるへしと も ハイ (刈) 難陳・判詞 左方申云│右歌申云(神・青二) 、左方申(刈) 、左の方申云(青一) 、 右方申云(桑・中一・中二・松) 右歌宜といへとも│右方雖宜(京 ・ 北) 、 右歌よろしくといへとも(内) 是 に お ひ て は │ 猶 此 歌 に を ひ て は( 宮 ) 、 此 歌 に を き て は( 京・ 北 ) 、 題 に お ゐ て は( 神 ) 、 於 此 歌 は( 刈 ) 、 欠 脱( 内・ 青 一 ) 、 こ れ に お □ては(中二) 左 歌 尤 可 勝 歟 │ 左 尤 か ち た る へ き か( 宮 ) 、 左 歌 尤 勝 た る へ き 由( 京 ・北) 、左歌猶まさるへきにや(内・青一) 判 者 同 之 │ 判 同 申 之( 宮 ) 、 判 者 申 之( 京・ 北・ 内・ 青 一 ) 、 判 同 之 (刈) 【他出文献】

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67   続 古 今 集   恋 五   一 三 一 二( 「 建 仁 元 年 三 月 尽 日 撰 歌 合 に、 遇 不 逢 恋」 ・秋篠月清集   一四五〇( 「院撰歌合内、遇不遇恋」 ) ・万代和歌集 恋 五   二 七 一 四( 「 後 鳥 羽 院 御 時 撰 歌 合 に、 遇 不 逢 恋 を 」 ) ・ 題 林 愚 抄 恋二   六九二四) 68   新 続 古 今 集   恋 五   一 五 五 二( 「 建 仁 元 年 三 月 新 宮 撰 歌 合 に、 お な じ 心 を 」 、 第 四 句「 か は る べ し と も 」 ) ・ 三 十 六 人 大 歌 合   弘 長 二 年   一〇六(沙弥如寂、第四句「かはるべしとも」 ) 、雲葉和歌集   恋五   一 〇 二 六( 「 前 関 白 家 左 大 臣 家 百 首 歌 」 藤 原 信 実 朝 臣、 第 二 句「 ま だ たのまるる」 、第四句「かはるべしとも」 ) 【通釈】 三十四番   〔遇ひて会はぬ恋(逢った後に再び逢わぬ恋) 〕     左   勝        左大臣(良経) 67続古   訪 れ が 途 絶 え て し ば ら く の 間 こ そ、 ( あ て に さ せ な が ら ) 来 な い 夜 の数が多いと数えても、それでもやはり山の端に出てくる月を待った ものだが……(今となってはそれをする気力もない) 。     右        具親 68   訪れは途絶えてしまったが、そうなってかえってもう一度自然に頼 みにされるあの人との間柄であるよ。このようであろうとは、約束し ただろうか、いや決してそのように約束はしなかったのだ。   左方が申しますには、右歌は好ましい出来だとはいえ、ここで は、左歌がやはり勝つべきだろうか。   判者もこれに同じである。 【本歌】 67   たのめつつこぬ夜あまたに成りぬればまたじと思ふぞまつにまされ る(人麿   拾遺集   恋三   八四八)   あしひきの山よりいづる月まつと人にはいひて君をこそまて(人ま ろ   拾遺集   恋三   七八二) ○題│引き続き「遇不会恋」 。 67 ○ し ば し こ そ │「 こ そ 」 の 結 び の 已 然 形 は、 一 首 の 最 後 の「 し か ∧ き 」 で、逆接のいいさしの形である。第三句「かぞへても」までが条件句 なのではなく、さらに結句まで続く息の長い条件句。逆接の条件句を 受ける後件は、次の例のように「いま」の状態である場合があり、 67 番歌の省略された後件も条件句とは逆接的に続く今の状態をいう。 しばしこそ ぬるる袂もしぼり しか 0 0 なみだに今はまかせてぞみる ( 「歌合し侍りける時よめる」藤原清輔朝臣   千載集   恋三   八一 六) しばしこそ しぼりもせ しか 0 0 今 は た だ 朽 ち な ば 朽 ち ね 数 な ら ぬ 袖 ( 「逐 日増恋」散位為盛   為忠家後度百首   六二〇) ○来ぬ夜あまたとかぞへても│ 「来ぬ夜あまた」 は本歌の詞。本歌では、 来るとあてにさせながら来ない夜が幾夜積もったか、ずいぶんな数に なった、と指折り数えていると想像して、このように表現した。 「も」 は「ても」の形で確定の逆態接続になる。一首全体が、逆接の条件句 で あ る 中 に、 さ ら に 逆 接 を 含 ん で い る。 来 ぬ 夜 あ ま た に な っ た な ら、 本歌のように、待たじと思う気持ちが強くなるはずなのに、それでも 猶待っていたが、と続いていく。 ○山の端の月を待ちしか│これも二首目の本歌に依る表現。本歌は、幾 晩も待たされた挙句のことを詠むわけではなく、月を待つふりをして 恋人を待っているというのであり、 人目を忍ぶ気持ちが強い。しかし、 67番歌の山の端の月を待つ気持ちは、月は名目だけという本歌とは異 なり、さらに複雑である。来ぬ夜あまたと来ぬ夜の数を数えて、待つ まいと思う気持ちが強くなっても、やはりどこか諦めきれなくて、し ばらくは、習いとなった月を待つポーズをとってしまったけれど、と い う の で あ る。 月 を 待 つ ふ り が、 今 は そ の「 ふ り 」 の 気 力 も 失 せ て、 わびはてている。茫然としている詠歌主体の前に、待つでもない待た ぬでもない月が出ているというのであろう。 68 ○なかなかに│かえって、むしろの意。一般に期待されることとは逆の 事 態 を 述 べ る と き に 使 わ れ る。 こ こ で そ の 一 般 に 期 待 さ れ る こ と は、 訪れがなくなったら、相手の不実と認めてもうあてにしないでおこう と思うということである。ところがその逆に 「又頼まるゝ世なりけり」 であったのである。

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○又頼まるゝ世なりけり│「又」は再び、もう一度、の意。 「るる∧る」 は自発で、自然に頼みにされる、の意。 「世」は男女の仲。 「けり」は そのような心の動きの意外さに気づいた驚きの詠嘆である。新編国歌 大 観 雲 葉 集 本 文 の ご と く、 「 又 」 を「 ま だ 」 と 読 む こ と も 可 能 で あ る が、 そ う す る と「 又 」 と し た 場 合 の「 思 い 返 し て も う 一 度 」 と い う、 心のゆれのニュアンスが出ない。 「又頼む」の先例は林葉集にある。 夢にだにあはずなりぬる寝覚こそ 又頼むべき 方もしられぬ(林葉集 七〇〇) ○かゝるべしとは契りやはせし│「かゝるべし」は「将来このようにし よ う 」 と い う 契 り の 言 葉 で あ る。 「 か か る 」 は、 現 在 の 絶 え て し ま っ た関係を指す。このようになろうとは約束しただろうか、いやしなか ったではないか、というのである。末長く絶ゆることなくと契ったこ とを思い出すと、いやこんなはずはないと、又しても信じてしまう気 持ちを詠む。 ▽左方は右歌を悪くはないとするが、左歌を勝とした。それに判者も特 に異を唱えなかった一番である。 三十五番    左        権中納言公継 69   絶 た えぬるはわが 心 こゝろ ともいひつべし泪を 問 と はゞいかゞ 答 こた へむ     右   勝          公経 70新古    あはれなる心の 闇 やみ のゆかりとも見し 夜 よ の夢を 誰 たれ か 定 さだ めん     右歌殊に可 キ レ 勝 ツ 之由、左右たがひに申 ス レ 之 ヲ 。     判者同 ジ レ 之 ニ 。 【校異】 70たれかさためん│たれかたのまん(神) 難陳・判詞 右歌殊に可勝之由│左右同前右歌殊に可勝之由(内・青一) 左 右 た か ひ に 申 之 │ 左 右 と も 同 申 之( 宮 ) 、 左 右 共 に 申 之( 京・ 北・ 刈) 、左右申之(内・青一) 、左右互に申(桑・中一・中二・松) 判者同之│欠脱(宮・京・北・刈・内・青一) 【他出文献】 70   新 古 今 集   恋 四   一 三 〇 〇・ 題 林 愚 抄   恋 二   六 九 一 五・ 伊 勢 物 語集注   第六十九段   三七〇   【通釈】 三十五番   〔遇ひて会はぬ恋(逢った後に再び逢わぬ恋) 〕     左        権中納言公継 69   絶えてしまったのは自分の心だともいってもよさそうだ。涙にその 訳を問えば、どのように答えるであろうか。     右   勝          公経 70新古   あのあなたと一緒に見たはかない一夜の夢が、この悲しい心の闇に 関係があると、あなた以外の誰が定めることができるでしょう。   右歌が格別によいので勝にするべきとの由を、左右互いにそのよ うに申し上げる。   判者もこれと同じである。 【本歌】 70   かきくらす心の闇に迷ひにき夢うつつとは世人さだめよ(業平朝臣 古今集   恋三   六四六・古今六帖   二〇三七・業平集   四九   第五句 「 こ よ ひ さ だ め よ 」 ・ 俊 頼 髄 脳   一 九 四・ 伊 勢 物 語   六 十 九 段   一 二 七 第 五 句「 こ よ ひ さ だ め よ 」 ・ 袖 中 抄   二 五 六   第 五 句「 よ ひ と し らせよ」 ) ○題│引き続き、 「遇不会恋」の一番。 ○絶えぬるはわが心ともいひつべし│題の「遇不会恋」からは、 「絶ゆ」 は、恋の相手が通ってこなくなり、相手との関係が絶える、の意が前 提となる。上句は、相手の訪れが絶えてしまったのだけれど、絶えて しまったのは自分の心だといってもよさそうだ、 というのである。 「心 絶ゆ」には、思う気持ちがなくなる、あきらめる、断念する、といっ た意味がある。歌には「心もたえず」の形で使われることの方が多い が、次の歌は否定形でなくて使われており、参考になる。

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わぎもこが植ゑし梅の木みるごとに 心たえつつ 涙ながるる(源氏物 語古注釈書引用和歌   河海抄   幻   一七四二) この歌は、 亡き妻が植えた梅の木をみるたびに、 心は諦めていながら、 涙 が 流 れ る と い う の で あ る。 69番 歌 は、 「 絶 ゆ 」 に 二 重 の 意 味 を 利 か せて、絶えてしまったのはあの人だけれど、私の心ももう諦めてしま って断念している、だから、絶えてしまったのは私の心の方だといっ てもよさそうだ、というのである。 ○泪を問はゞいかゞ答へむ│涙にその訳を尋ねたなら、どのように答え るだろうか、の意。心はもう思わない、諦めたのなら、流す涙はない は ず な の に、 涙 が 落 ち る の で あ る。 心 で は 思 い 切 っ た つ も り な の に、 身 は そ う で は な く、 涙 は 絶 え ず 0 0 0 流 れ て い る。 「 涙 を 問 ふ 」 の 用 例 と し て、後のものであるが、次の歌が参考になる。 老やしる人にも世にもうらみなき 涙をとへば 猶ぞ落ちそふ(草根集 (正徹)雑   一〇三五〇) 70 ○あはれなる心の闇│「心の闇」は、恋の煩悩に迷う心を、闇に譬えた 表 現 で、 本 歌 の 詞。 「 あ は れ な る 」 は 悲 し い、 哀 れ な、 の 意 で、 自 分 の状態をいう。 ○ゆかりとも│ゆかりは縁、なんらかのかかわりがあることである。上 句 は、 自 分 の 悲 し い 心 の 悩 み の 関 係 し て い る と こ ろ と、 の 意。 「 も 」 は詠嘆。 今 は た だ 寝 ら れ ぬ い を ぞ 友 と す る 恋 し き 人 の ゆ か り と 思 へ ば( 「 従 二位藤原親子家草子合に、恋の心をよめる」宣源法師   金葉集三 奏本   三五六) ○ 見 し 夜 の 夢 を 誰 か 定 め む │「 見 し 夜 の 夢 」 は 二 人 が 出 逢 っ た 一 夜 の、 夢のようにはかない出逢い、の意。それは、君しか知らないことであ るから、他の誰が、あの出逢いが私の心の闇に関わっていると判定す ることができようか、 というのである。 「誰か定めむ」は、 本歌の「世 人定めよ」を言い換えたもの。本歌の「世人」は、恋部では男女の仲 の 相 手 を 指 す と い う 解 釈 を と る。 「 本 歌 を 越 え て、 一 夜 の 逢 瀬 を 夢 と 断定する。とすれば夜のものである夢こそ私の苦しい心の 「闇」 の 「ゆ かり」であるはずだが、それが分かるのは(夢の存在を知るのは)私 の外はあなただけだという趣向。そして「心の闇」を晴らしてほしい とまたの逢瀬を訴える」 (新大系)との注が委曲を尽くしている。 ▽伊勢物語の「遇不会恋」の典型的章段の本歌取りであることから、 「右 歌殊に可 キ レ 勝 ツ 之由、 左右たがひに申 ス レ 之 ヲ 」 という判定が出たのであろう。 判者にももちろん異論はなかった。 三十六番     左   勝          通具朝臣 71同    契りきやあかぬ 別 わか れに露 置 を きし暁ばかり 形 か た み 見 なれとは     右        宮内 72   うらみてもぬるゝ袖かななき名のみ 雄 を じ ま 島 の磯の蜑ならね共     左申云、右歌、遇てあはぬ恋のこゝろおぼつかなし。     (右方申云、左歌、無 ク 下 可 キ 二 難 ジ 申 ス 一 事 上 、宜 シキ 之由、 申 (まうす) 。 )     判者云、以 テ レ 左 ヲ 可 シ レ 為 ス レ 勝 ト 。 【校異】 71あかぬわかれに│あ ら かイ新古 ぬ 別に ( 刈)   かたみなれとは│かたみなれとや(青二) 、かたみなれとも(内) 72なき名のみ│うき名のみ(宮) 、うき浪の(京・北・内・青一) 、 う なイ き 名のみ(刈) 、 をしまの磯の│をしまか磯の(宮 ・ 北 ・ 青二 ・ 内 ・ 青一 ・ 桑 ・ 中二 ・ 松) 難陳・判詞   左申云│左方申云(京・北) 、左申(刈) 右歌遇てあはぬ恋のこゝろおほつかなし│右歌あひて逢ぬ恋こゝろお ほつかなし(宮) 、右歌遇不逢恋おほつかなし(京・北・刈) 、あふ て あ は ぬ 恋 の 心 お ほ つ か な し( 神・ 青 二・ 桑・ 中 一・ 中 二・ 松 ) 、 右歌あひてあはぬ心おほつかなし(内・青一) 底本欠脱│右方申云左歌無可難申事宜之由申(京・北)   京・北本に より補訂。 判 者 云 以 左 可 為 勝 │ 判 者 以 左 為 勝( 宮・ 京・ 北・ 内・ 青 一 ) 、 判 云 以 左為勝(刈) 、判者左をもつて可為勝(中一・中二)

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【他出文献】 71   新 古 今 集   恋 四   一 三 〇 一( 「 建 仁 元 年 三 月 歌 合 に、 逢 不 遇 恋 の こ ころを」 ) ・題林愚抄   恋二   六九一六 【通釈】 三十六番    〔遇ひて会はぬ恋(逢った後に再び逢わぬ恋) 〕     左   勝          通具朝臣 71同(新古) そのように約束しただろうか、いやしなかった。名残惜しい後朝の 別れの袖にも涙の朝露が置いていた、あの暁を最後として、それだ けを二人の出逢いの形見としようなどとは。     右        宮内 72   浦 を 見 て も │( あ の 方 を ) 恨 ん で も │ 濡 れ る わ が 袖 で あ る こ と よ。 ありもしない噂ばかり立つことが惜しくて。雄島の海女の袖ではない けれども。   左方が申しますことには、右の歌は題の「遇不会恋」の意が不 明確である。 ( 右 方 が 申 し ま す に は、 左 の 歌 は、 非 難 し 申 し 上 げ る べ き こ と が無く、好ましいとのよしを申し上げる。 )   判者が言うことには、左歌をもって勝とするべきだろう。 【本歌】 72   松 島 や 雄 島 の 磯 に あ さ り せ し 蜑 の 袖 こ そ か く は ぬ れ し か( 「 題 し ら ず」源重之   後拾遺集   恋四   八二七) ○題│引き続き「遇不会恋」題。 71 契 り き や │ あ の 逢 瀬 で そ の よ う に 約 束 し た だ ろ う か、 い や し な か っ た、 と心中で相手に訴える反語。この句は初出例。二句以下がその約束の 内容である。結句の「とは」と、倒置されて呼応する。 あかぬ別れ│後朝の別れをいう成句的表現。 今 ぞ し る あ か ぬ 別 の 暁 は 君 を こ ひ ぢ に ぬ る る 物 と は( 「 男 の 初 め て 女 の も と に ま か り て あ し た に、 雨 の 降 る に 帰 り て つ か は し け る 」 後撰集   恋一   五六七) 待つ宵の更けゆく鐘の声きけば あかぬ別れ の鳥はものかは(小侍従 新古今集   恋三   一一九一) 露置きし暁│暁は、 夜半すぎから夜明けちかくの、 まだ暗い時分である。 男が女の家から帰る時で、 「あかぬ別れ」の時間帯である。 「露」はそ の時間帯に置く自然の朝露と、別れに際して名残を惜しむ涙を掛けて いる。 つ ね よ り も 起 き う か り つ る 暁 0 は 露 0 さ へ か か る 物 に ぞ あ り け る( 「 人 のもとにはじめてまかりて、つとめてつかはしける」よみ人しら ず   後撰集   恋五   九一三) わかるれば袖にみだるる 暁 0 の 露 0 をくさ葉の上とのみみし( 「寄草恋」 俊成 女   仙洞句題五十首   二六一) 暁 ば か り 形 見 な れ と は │「 形 見 」 は 思 い 出 の よ す が と な る も の で あ る。 すでに失われたものの代わりとなるものをいうわけであるから、形見 と い う 限 り は、 恋 を す で に 終 わ っ た こ と と し て い る こ と に な る。 「 ば かり」は、限定の意。ほんのあの暁だけを、ということである。あの 暁、またの機会を期して、名残惜しく別れたはずなのに、あの暁を最 後としてあればかりを形見にせよというのか、そんなことは約束しな かったのに、というのである。 72 ○うらみても│恨んでも、という恋の意味に、浦を見ても、の意を掛け る。 「浦見」は下句の「雄島の蜑」の縁語。 ○ ぬ る ゝ 袖 か な │ 恋 の 意 味 で は 涙 に 濡 れ る 袖 で あ る が、 「 浦 見 」 る 海 女 の文脈では海水に濡れる袖である。二重の意味を持つ。 ○無き名│「名」は噂である。無き名は、ありもしない噂である。逢っ てもいないのに逢ったという噂、もう通っては来ないのに恋人同士で あるという噂など、恋の内実は当の本人しか本当のことはわからない ものであり、噂というものはおおかた実態とはかけはなれているもの である。噂が立つことは不本意なことであり、悔しく惜しまれること である。 ○雄島の磯の蜑│雄島は、宮城県松島湾の島で歌枕。本歌の詞。次の歌 なども、 72番歌と同じ本歌による。雄島の蜑の袖は、ひどく濡れてい るものとして詠まれる。

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た の め つ つ こ ぬ も の ゆ ゑ に 松 島 や 雄 島 の あ ま の 袖 ぬ ら す ら ん ( 「 怠 偽恋」盛忠   為忠家初度百首   六〇九) 見 せ ば や な 雄 島 の あ ま の 袖 だ に も ぬ れ に ぞ ぬ れ し 色 は か は ら ず (「 歌 合し侍りける時、恋歌とてよめる」殷富門院大輔   千載集   恋四 八八六) 上句の「浦見ても袖ぬらす」に意味として照応する。 72番歌では、 「無 き名のみ 惜し 0 0 」と「雄島」に言い掛けて、掛詞としており、この地名 の必然性をさらに高めているのは見所である。 ▽「無き名が立つ」とは詠んでいるが、難陳の言うとおり、 「遇不会恋」 の意が不明確なために、負とされたのであろう。     左 左大臣     七首    勝四   持二   負一 内大臣     七首    勝三   持三   負一 公継     二首    負二 越前      二首    負二 釈阿      三首    勝一      負二 隆信朝臣    一首    持 通具朝臣    四首    勝二      負二 有家朝臣    二首    持一      負一 保季朝臣    持一 家隆朝臣    一首    負一 寂蓮      四首    持三      負一 長明      一首    負一 季保      一首    負一     右 女房      七首    勝五   持二 座主      六首    勝三   持二   負一 権大納言    一首    負一 兼宗      一首    持一 公経     三首    勝一   持一   負一 範光     二首    勝一   持一 宮内     三首    持一   負二 讃岐      一首    勝一 丹後      二首    勝一   持一 定家朝臣    五首    勝二   持一   負二 雅経      一首    負一 具親      一首    負一 家長      一首    負一 三   校合本の性格については、京本の影印に付された解題(山本一編『京 都府立総合資料館蔵   仙洞十人歌合他二種/神宮文庫蔵   建仁歌合』和 泉書院)に大略が記されているとおりであるが、少々補足しておく。   そこに言及されていない内本と青一本は、良く似た本文を持ち、京本 と も 共 通 す る 箇 所 が あ る が、 独 自 異 文 も 持 っ て い る( 八 番 判 詞「 ゆ う 」 は 他 本 で は「 艶 」 で あ る な ど ) 。 し か し、 そ の 多 く は 意 味 の 上 か ら 疑 問 を抱かせることが多く、欠脱も目立ち、これらも善本とは言えない。な お山本氏解題に言及されている彰本の欠脱箇所は、 三十三番以下である。   山 本 氏 は、 京 本 に 着 目 さ れ、 「 欠 脱 や 誤 写 が か な り 目 立 つ 反 面、 古 い 本文を伝えるかと思われる点もないではなく、書写が室町まで遡ること も含めて一定の価値を有するものと考えられる」とされている。その原 態をとどめている箇所として例示されている 62番下句「みつのひしり」 、 また異文の多い中で京本によるべきとされている 26番右下句「秋まつ秋 のやとりなりけり」の二点以外で、京本とその転写本とみられる北本の 持つ特徴を付け加えておく。   一つは、難陳・判詞の部分に関してである。京本・北本ともに、他本 に は な い 難 陳 が、 十 二 番「 左 歌 宜 之 由 左 右 共 申 之 」 、 三 十 六 番「 右 方 申 云左歌無可難申事宜之由申」と、存在する。また、勝負が、他本と異な る番がある。十一番は、 「左の夕浪すゝしなとよろしくきこゆるにや」 (底 本 ) 、 「 左 歌 夕 な み す ゝ し な と 宜 に や 」 ( 京 本・ 北 本 ) な ど と す べ て 左 を 褒める文言である。従って、 「左勝」 「仍為勝」という本文が期待される が、 そ の よ う に な っ て い る の は 京 本・ 北 本 の み で あ り、 他 本 は「 左 持 」

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「 仍 持 と す 」 の 判 定 と す る。 青 一 本 は「 左 持 」 「 仍 為 勝 」 と い う 矛 盾 し た 本 文 を も つ。 判 詞 の 趣 旨 か ら 京 本・ 北 本 が 支 持 さ れ る。 ま た 京 本・ 北本は、二十四番でも、他本と異なる判定になっている。底本はじめ他 本は、 「右勝」で、 「左歌宜よし人々これを申といへとも、 判者以右為勝」 と、 衆議に強く反する判定を俊成が下したことになっている。ところが、 京 本・ 北 本 で は「 左 持 」 の 判 定 で、 「 左 歌 よ ろ し き の 由 人 々 申 之、 判 者 猶為持」とする。他本よりも衆議に譲った判定である。理由は定かでな いが、あるいは、俊成が「持」から「勝」へ判定を変更した形跡が残っ ているのかも知れない。しかし、一方で、京本・北本には、当然存在す るべき判者の判定が欠脱している箇所(二番・八番・三十五番)もある ことも忘れてはならない。   また、京本・北本の本文に関しては、先の 62番歌、 26番歌以外にも 53 番歌 「宮川のきしの杉村」 (刈本も) は底本他の 「宮川のみねの杉原」 「美 みわ川のきしの杉むら」などの原態であると考えられる。が、一方で積 極的に支持することがためらわれる異文も、持っていることも書き添え ておく。例えば、 7番歌「花の夕風」 (他本は「花の夕陰」 ) 、 35番歌「枯 ての霜は」 (他本は「葉分の霜は」 ) 。   さらに、作者名に関して、双方左方に属する散位保季と散位賀茂季保 という名前の紛らわしい人物があり、 37番歌と 49番歌で作者名が本によ っ て 入 れ 替 わ っ て い る こ と も 注 意 さ れ る。 底 本 は 37番 歌 は 保 季 で あ る。 両歌とも他出文献が見当たらず、決定しかねる。刈本は、 37番歌作者を 季保とするが、後の書き入れは、それを誤りとし、イ本の保季を正とし ている。但し、これにどのような根拠が存在したか定かでない。京・北 ・宮・内・青一は、 37番歌を季保としている。   以 上、 新 古 今 前 夜 に 開 か れ た 新 宮 撰 歌 合 を 取 り 上 げ、 注 釈 を 加 え た。   本紀要に拙稿を連載している間に、安井重雄「建仁元年三月新宮撰歌 合考」 ( 『中世近世和歌文芸論集』二〇〇八年十二月)が刊行された。難 陳と判詞をとりあげ、執筆役の定家に注目して、院歌壇における執筆役 が判者と並んで重要な役割であったことについて考察されている 。三 十 三番に若干引用したが、そのような視点も今後考慮に入れていかなけれ ばならないと思われる。

参照

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