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アメリカ戦争小説とその系譜―混沌からの再生 序

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Academic year: 2021

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アメリカ戦争小説とその系譜―混沌からの再生

American War Novels and their Genealogy

Preface

幡山 秀明

†   

HATAYAMA Hideaki

 本研究は、二十世紀アメリカ戦争小説が時代の進展のなかで繰り返される戦争とともにどのよう に展開してきているのか、その足跡を辿り、以前の作品から新しい作品へと受け継がれてきている 系譜を探るものである。副題である「混沌からの再生」は研究対象の各戦争小説共通のテーマであ る。  まず、T. S. エリオットの「荒地」(1922)最後の二行に置かれたウパニシャッドの教え、「施せ 」、「憐れめ」、「制御せよ」、そして「心の平安」 が、ヘミングウェイの『我々の時代に』、サリン ジャー『ナイン・ストーリーズ』、ピンチョン『重力の虹』にどのように継承されているかを探り ながら、幾多の研究がなされてきているこれら三作品それぞれの謎の解明に多少とも寄与したい。 また、(1)多くの作品に深く潜行する「荒地」の影響を辿る他に、(2)各作品間の直接的、間接的言 及を糸口にして戦争作品群に見え隠れしている具体的な共通要素を見いだす。重要な戦争小説の各 作品論は、各作品構造を分析することで構造が各テーマと密接に関連することを証明すると同時に、 それらの作品論が単なる戦争小説論の寄せ集めではなく、伝統ともいうべき共通テーマを通時的に 形成していることを示す必要がある。  『アメリカ戦争小説とその系譜―混沌からの再生』は、アンブローズ・ビアスとスティーヴン・ クレインの南北戦争を背景にする作品を起点にして、その後出版される二十世紀アメリカ戦争小説 を扱う。序章「混沌から再生へ―『荒地』の漁夫王伝説」では「荒地」の解釈を試み、この詩が 二十世紀アメリカ戦争小説にどのような影響を与えているか考える。第一章「アンブローズ・ビア スとスティーヴン・クレイン―愛国心の罠」も序章的な役割の章で、第一次世界大戦にかかわるエ リオットやヘミングウェイ登場前の、大きな影響を与えたと思われる戦争作品を取り扱う。ここで は戦争体験派と無体験派作家による戦争小説の相違を探りながら、その後の戦争作家たちに継承さ れる要素に注目する。第二章「『我々の時代に』―喪失からの再生と天地創造」から第三章『「バ ナナフィッシュに最良の日」―輪廻転生と漁夫王伝説』、そして、第六章「『重力の虹』―テクノ ロジーと曼荼羅」が本研究の中核をなす論考であり、「荒地」が後の作家たちにどのように解読さ れ、取り込まれているか、検証する。その潜行する共通要素として、古今東西の哲学・宗教・神話 などに影響を受けながら、ときには作品構造の枠組みとして利用したり、内容的にも絶望からの救 済、魂の癒し、疲弊と不毛からの回復を求めようとしたりしている点が挙げられる。第四章「『人 食い』―混沌から「歪んだ」秩序へ」と第五章「『スローターハウス 五』―混沌の万華鏡」の二 章は、『重力の虹』を論ずる際に関連する作品として選択する。ジョン・ホークス、カート・ヴォ ネガットによる第二次大戦を扱う二作品は戦後二十数年間のうちに出版されるが、一九六〇年代ヴ † 宇都宮大学 教育学部(連絡先: [email protected]

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ェトナム戦争に従軍した作家の作品としては第七章「ティム・オブライエンの短編集―〈臆病者〉 の試練」で取り扱う。エピローグ「ジョン・バースの〈第二次革命〉」では、『レターズ』を『重 力の虹』と比較しながら、例えば、戦争無体験派作家の虚構としての戦争小説の特質を考察する。  アメリカ文学史を飾るさまざまな戦争小説は、各テクスト間に思いのほか多くの関連性を秘めて いる。表面的な関連事項はともかく、縺れた見えない糸の糸口を探り、紐解き、何らかの新たな解 明へと辿りつくことはできないだろうか。まずは初歩的にそれらの類似点や相異点に注目し、次に、 戦争小説群の時代による、謂わば、断層のずれに着目しながら、解読ならぬ独断偏見や勘違いや思 い込みからでも探索を始めてみたい。  例えば、『我々の時代に』の「大きな二つの心臓の川」で描かれるニックの儀式的な鱒釣りは、 「荒地」における漁夫王伝説に因むとされる最後の釣りの場面と比喩的な意味で無関係でないわけ はない。『ナイン・ストーリーズ』の「バナナフィッシュ」も隠喩的意味はどうであれ、まずは魚 である。だが、シーモア・グラスは釣りはしていないので、作者が主人公の心身の癒しや救いを求 めるよりもむしろ最初から死と転生を意図していると考えられる。バナナといえば、難民群の避難 で始まる『重力の虹』冒頭における〈海賊〉プレンティス大尉の「バナナの樹」が思い浮かぶ。戦 時中のロンドンでアパート屋上にガラスの温室を作り、彼はそこで繁茂するバナナを使った「バナ ナ朝食」に興じる。何故、林檎やパイナップルではなく、バナナの樹なのか。  さらに、サリンジャーとピンチョンといえば、共に隠遁作家としてそれぞれがよく引き合いに出 される。こうしたライフ・スタイルは東洋人には奇異なことではなく、文人の隠遁者として唐代の 白居易、宋代の蘇東坡、日本の鴨長明など枚挙に暇がない。そして、この点もまた戦後アメリカに おける東洋思想の流行と関連があるかもしれない。戦後のその流行には先例がある。十九世紀末か ら二十世紀の初頭にかけてアメリカのインテリの間で、ピューリタニズムへの反動として古代イン ド思想などの東洋研究熱が広まり、T. S.エリオットもまたサンスクリットを学び、インド哲 学の本を読んでいたそうだ。「荒地」にはエズラ・パウンドの助言による削除と巻頭言(ペトロニ ウスの『サテュリコン』からの引用で、死を願う女預言者シビルの話へ)の変更があったこと、ま た、パウンドの漢詩や短歌への興味と東洋かぶれは文学史上よく知られている。すでに引用した 「荒地」最後の二行には、雷の音に託してウパニシャッドの「施せ」、「憐れめ」、「制御せよ」( Datta. Dayadhvam. Damyata. / Shantih shantih shantih ) という三つの教えと「心の平安」が祈り のように織り込まれ、まるで病める西洋文明社会が古代インド哲学の慈悲に縋るかのような余韻を 残して「荒地」が終わる。古代インドの一連の哲学書で、「奥義書」とも訳されるウパニシャッド は、バラモン教聖典ベーダの最後の部分を形成し、ベーダーンタとも呼ばれる。「ベーダーンタ哲 学の輪廻転生理論」は『ナイン・ストーリー』最後の短編「デディ」の輪廻転生思想の拠り所とな る。大戦後のサリンジャー登場は、まるで、戦争体験派の彼が転生して戦争作品創作を中断・放棄 し、グラス家の物語に活路を見出すという意味において転生したかのようである。  ここで所謂東洋神秘学を大まかに整理して、よく知られた関連用語に関して基礎的な説明を加え ておく。 一.中核をなすのはサンスクリットによるインド、バラモン教とその奥義書、ヴェーダ聖典ウパ ニシャド(別名、ベーダーンタ)。

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二.バラモン教の復興として発達したヒンズー教。三神一体論。ヨーガは古代インドからの宗教 的修練法で五感作用を制して平静を旨とする瞑想的修行法。導師グルは承知の通り。古代ヒン ズー教でタントラとは、女性原理であるシャクティ(性力)の教義を説く経典。 三.仏教(広義ではそのヒンズー教の一派とされる)とそこから派生したチベット仏教や密教の 曼荼羅、禅宗の禅問答。曼荼羅はサンスクリット語で「循環(サークル)」の意味で、瞑想等に よる宇宙的エネルギーと意識との交信によって生まれるヴィジョンを描いた、全宇宙の森羅万 象と一体になった悟りの境地を示す図絵。ユング心理学では、マンダラは夢の中での自己統一 と完成への努力を象徴する。『ナイン・ストーリーズ』の有名な巻頭言が「隻手音声」。 四.中国の道教や儒教。道教は不老長生をめざす神仙術に老荘思想と仏教を取り入れて形成され る。  以上、簡単な基礎情報であるが、各々先行思想の一種の解釈学であり、影響を与え、また影響を 受けて複雑に結びついている。さらに、南アジアや東アジアの東洋神秘学には含まれないだろうが、 次の神秘思想も確認しておく。 五.ユダヤ教の神秘的解釈や密儀の伝統を伝えるカバラ神秘学。旧約聖書の生命の樹(エデンの 園の中心にあるとされ、その実を食べると神に等しい永遠の命を得る)が、カバラのセフィロ トの樹の源で、セフィロトの樹はよくタロットと結び付けて解釈される。カバラ数秘術は聖書 を神秘的に解釈する際に用いる暗号解読法で、字数などで運勢を占う。他にもカバラ占星術。 六.グノーシス主義は、人間の本質と至高神とが本来同一であるという認識により救済が得られ るとする。一、二世紀頃地中海沿岸地域で広まる。 七.民間の交霊術、数霊術、バビロニアと古代中国に起源を持つ占星術、タロット占い。  これで百科万般にわたる『重力の虹』についても事足りるだろうか。タロットカードは「荒地」 の中にも散りばめられている。戦争小説を取り扱う研究の「序」がバラモン教の奥義から東洋神秘 学を確認すところから始まる理由は、戦争作品群の中にそれらの要素がまるで戦争小説のDNAの ように作品内部に組み込まれているからである。それは多分「荒地」からの遺伝形質の継承といっ ていいだろう。例えば、『我々の時代に』は旧約聖書の天地創造の枠組みを利用した自己回復の物 語であり、エリオットによる神話の枠組みの利用に倣ったと推察できる。「バナナフィッシュに最 良の日」を含む『ナイン・ストーリーズ』は、サリンジャーによる、ある意味で「荒地」のサリン ジャー流の解釈であり、また、戦争の「荒地」から戦後のアメリカ社会の「荒地」へと、作家とし て場を代え転生する宣言書にもなっている。ノルマンディー上陸作戦に参加したといわれるサリン ジャーとは異なるが、戦闘無体験派の作家ピンチョンの『重力の虹』の場合、終戦直後の欧州「ゾ ーン」が作家としての彼の目下の想像上の「荒地」であり、それ以前の歴史的世界各地の「ゾー ン」だけでなく、その先の、つまり一人のアメリカ人として現在時間で目撃する六十年代アメリカ の状況がもう一つの「ゾーン」として見え隠れしている。  『必携・重力の虹』(一九八八)の著者スティーヴン・ワイセンバーガーは、その作品構造につい て放物線ではなく、「循環(サークル)」であると力説し、テクストと曼荼羅やタッロット・カード との関連性を強調している。ただその指摘は直感的であり、論理的な実証には欠ける。ただ、「荒

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地」と比較すれば、『重力の虹』もまたそれを基にしたその発展的解釈であることがわかるが、密 教的超越や自己統一と心の平和、運命占い、愛と祈り等の問題に関してはいかんともしがたい今日 の状況を反映している。そして、地球という閉じた回路の中でその回路を破り、宇宙に飛び出す可 能性を秘めたロケット開発もまた再帰的自爆装置になりうることを示す、自滅的円環としてのウロ ボロスの蛇を思わせる物語のエンディングを考えれば、『重力の虹』の世界が曼荼羅やタッロット の枠組みに収まるのかという疑念も生じる。荒廃する西洋文明の救いや癒しとしての東洋神秘学は 文学作品の中ですでにその役目を終えようとしているのだろうか。   ピンチョンと同じく、誕生が第二次世界大戦参加に間に合わなかったにもかかわらず、ジョン・ バースも、例えば、第一作『フローティング・オペラ』で語り手に従軍場面を回想させ、また、 『ファンハウスに迷って』のタイトル・ストーリーの物語現在時間は戦時中の独立記念日七月四日 で、この話はその日メンシュ一家が遊園地に出かけ、少年がその「鏡の部屋」で迷子になる(ロス ト)というオチが付くが、その「メビウスの輪」を模した短編集の構造自体ロスト・ジェネレイシ ョンを代表する作家による『我々の時代に』の構図を看破していたバースによるそのパロディであ ることを示している。だからこそ、「枯渇の文学」でポストモダニズムの作品であるとか、プレポ ストモダニズムとか、自意識的に自作品の解説をしていたと思われる。バースと戦争についてはさ らにエピローグで取り上げてみたい。優れた作家は優れた研究者以上に優れた作品の優れた読解者 である。これは同類同士の強みであり、創造者としての苦悩によって不可視の強い絆の連鎖が常に 生まれていることを示す。  戦争小説の定義は厳密ではない。ジェイムズ・ジョーンズの『地上より永遠に』や『ザ・シン・ レッド・ライン』のような本人の体験に基づいて軍隊や戦闘を描いた作品もあれば、『イン・カン トリー』のような帰還兵やその後の社会問題に焦点を当てる女性作家の作品もある。ここで取り上 げる小説には勿論個人的嗜好と研究上の便宜による偏向がある。ただ、最終的に大作『重力の虹』 の解読のためにそこに流れ込む支流のような作品をより多く選択することが重要である。ただ、ピ ンチョンの世界は年齢的にビート世代の影響が大きいだろうし、実際に主要人物たちの性的嗜好は ギンズバーグたちを連想させるし、『裸のランチ』を思わせる文体が突然現れたり、SF漫画のよ うであったり、戦争小説という範疇には収まらない。また、作家内部においては「荒地」への関心 や時代・歴史意識を暗示する短編「低地」が『重力の虹』の萌芽となっていたとすれば、外からの 取り込みのほかに想像力の内的増殖も考慮しなければならない。  二度に及ぶ世界大戦の起きた二十世紀のアメリカ戦争小説は、まず、その展開の先駆けとして 『赤い勇気の記章』とビアスの短編作品を基盤とする。戦争無体験派と体験派それぞれによる戦争 小説とそれが二つの流れから始まるとすると、それぞれの特質を示しながらお互いそれぞれを取り 入れてより大きな流れとなる。その最初の実例がヘミングウェイであり、先駆者たちの作品を踏ま えたうえで、一九二〇年代モダニズムの戦争作品として彼の第一作『我々の時代に』が登場する。 また、『武器よ、さらば』が与える影響は『キャッチ-二十二』のみにとどまらない。言うまでも なく、好むと好まざるにかかわらず、ヘミングウェイの作品は駆け出しの戦争小説家たちにとって は一種のバイブルであったはずだ。  「荒地」は二十世紀に渡り文学に限らず幅広い影響力を持つが、内容的にも特に戦争作家や戦争 作品に隠然たる影響を与えていく。第二次世界大戦後は、ヘミングウェイの作家としての成功が模

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範となり、戦後には競うように多くの戦争文学が生まれる。その中でもホークスの『人食い』にお ける歴史への慧眼とシュールな文体は見逃せない。サリンジャーの場合は、彼が戦争体験派であり ながらほとんどそれをネタにする作品を書かない。その一方で、六十年代になっても第二次世界大 戦を扱う戦争物は途切れなく発表される。ブラック・ユーモア溢れる、戦争や社会の不条理性を風 刺する断片小説『キャッチ-二十二』や『スローターハウス 五』、そして、ヴェトナム戦争の喧 騒の真っ只中に『重力の虹』が生まれようとしていた。体制側も反体制側も、選民も賎民も一気に 吹き飛ばすような爆撃音の後には、静寂に包まれたキルギス平原やヘレロ族の村々が天啓のように 月明かりに浮かび上がる。だが、同時にその東南アジアでの戦いはまたしても「勇気」の問題を問 い続ける作家を生み出していた。    新作は先行作品の様々な要素を無意識に、または意図的に模倣し、継承してきている。継承され てきた形質を次のように予め示しておくことにする。 一 青少年兵士  二 従軍牧師と宗教観  三 勇気と臆病心の対立  四 死の尊厳 五 戦友と友情  六 組織としての軍隊  七 戦線離脱  八 徒労感  九 替え唄・戯れ唄  十 悠久の自然  「荒地」の影響 [古今東西の哲学・宗教・文学・伝説・神話とその枠組みの活用]  絶望からの救済 [魂の癒し・疲弊と不毛からの回復]   無力で無垢な幼い犠牲者  十三項目を列挙したのは、アメリカの現代戦争小説群が伝統といってもいいような連続性を内包 しているように思われるからで、それを分析するのもこの研究のもうひとつの目的である。ただ、 基本的にはディテールに拘りながらあくまで作品を一作一作ごとに客観的に理解することを旨とし ている。  戦争は男だけの世界ではない。女の戦いを描くトニ・モリソンの『ザ・ブルーエスト・アイ』の 結末では物語と同年の真珠湾攻撃について言及される。マリーゴールドの花咲かぬ「不毛の土地」 や狂気を生み出す時代が物語の背景となっている。『スーラ』は第一次世界大戦の黒人帰還兵シャ ドラックの衝撃的フラッシュバックから始まる。爆撃で首の吹飛んだ兵士がそのまま疾走する。シ ェルショックに苛まれる彼は川沿いの小屋に住み、魚を取り暮らしている。「ボトム」の集落の病 んだスティグマを、なぜモリソンは物語に配置したのか。その次作では、アメリカ南北戦争の真っ 只中にありながらも、それを尻目に子殺しの逃亡奴隷女の孕む狂気の戦いを描く。一八五六年に起 こった史実を元にしながらも、作品では敢えて子殺しを一八五五年の出来事とずらすのは、 一 二 三

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一九五五年のローザ・パークスの戦いが、作者にとってもう一つの「私には夢がある」からであり、 一九六三年のワシントン大行進へと続いていくことになるローザ・パークスの勇気への賞賛であっ たことを示している。女たちもまた戦いの歴史を刻んでいる。

参照

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