『徒然草』古注釈考―『徒然草寿命院抄』と『野槌
』の比較を中心として(1)―
著者
久保田 一弘
著者別名
KUBOTA Kazuhiro
雑誌名
東洋大学大学院紀要
巻
56
ページ
61-83
発行年
2020-03
URL
http://doi.org/10.34428/00011725
論文要旨 近世には数多くの『徒然草』の注釈書が刊行されたが、その嚆矢 は秦宗巴『徒然草寿命院抄』である。その『寿命院抄』の刊行から 一七年後に、次の『徒然草』の注釈書である林羅山『野槌』が出版 された。これまでの『徒然草』注釈書の研究では両注釈書の一部を 取り上げて特徴を論じており、各章段における注釈内容の変化は明 らかでない。そのため本論文では近世期における『徒然草』の注釈 史を考察する端緒として、最初の注釈書である『寿命院抄』と二番 目の注釈書である『野槌』について、はじめに各章段の注釈項目数 を挙げ、次に注釈で引用された書籍名を明記し、両書の特徴が見ら れる事項を記した。本論文では序から三〇段までの章段を扱った。 キーワード 『徒然草』 『徒然草寿命院抄』 『野槌』 はじめに 近世には数多くの『徒然草』の注釈書が刊行されたが、その嚆矢 は『徒然草寿命院抄』 (以下『寿命院抄』 )である。医師であり文化 人であった秦宗巴(一五五〇~一六〇七)によってまとめられ、慶 長 九( 一 六 〇 四 ) 年 に 古 活 字 本 で 刊 行 さ れ た。 『 寿 命 院 抄 』 の 特 徴 と し て は、 『 徒 然 草 』 の 冒 頭 部 分 に あ た る「 つ れ づ れ な る ま ま に 」 から「くるしうこそものぐるほしけれ」までを「序」と定義したこ と や 1 、 章 段 区 分 を 明 確 に す る た め に 一・ 二・ 三 と 数 字 を 振 っ て 分 け る 形 式 を 用 い た こ と が 挙 げ ら れ る。 2 こ の よ う に『 徒 然 草 』 を 各 章 段 に 分 け る こ と が 注 釈 の し や す さ へ と 繋 が り、 以 降 の『 徒 然 草 』
文学研究科日本文学文化専攻博士後期課程
2年
久保田
一弘
『徒然草』古注釈考
―『徒然草寿命院抄』と『野槌』の比較を中心として(1)―
研究の発展へと繋がる礎を築き上げた。 3 『 寿 命 院 抄 』 の 刊 行 か ら 一 七 年 後 に あ た る 元 和 七( 一 六 二 一 ) 年 に、林羅山(一五八三~一六五七)によって二冊目の『徒然草』注 釈 書 で あ る『 野 槌 』 が 刊 行 さ れ た。 『 野 槌 』 の 特 徴 と し て は『 寿 命 院抄』の注釈を踏まえた上で多様な和漢の書物や仏典から引用し注 釈 を 詳 細 に し た 点 や、 『 徒 然 草 』 を 個 々 の 独 立 し た 章 段 と し て 捉 え たことが指摘されている。 4 これまでの研究では『寿命院抄』と『野槌』から『徒然草』の数 段を抄出し、その特徴が論じられてきた。それにより両書の全体像 は明らかになってきたが、一方個別の注釈内容がどのように継承さ れているのか、またどのような変化が見られるのか不明な点も多い。 近世期の『徒然草』の代表的な注釈書である両書を比較することは、 『 徒 然 草 』 注 釈 史 の 変 遷 を 辿 る と い う 点 に お い て 重 要 で あ る。 そ の ため本論文では近世期における『徒然草』の注釈史を考察する端緒 として、最初の注釈書である『寿命院抄』と二番目の注釈書である 『 野 槌 』 に つ い て、 は じ め に 各 章 段 の 注 釈 項 目 数 を 挙 げ、 次 に 注 釈 で引用された書籍名を明記し、両書の特徴が見られる事項を記した。 なお本論文では字数の関係から、その一と題して序から三〇段まで の章段を扱った。 序 『寿命院抄』では、 「つれゝゝなるまゝに日くらし硯にむかひて心 にうつりゆくよしなしことをそこはかとなく書つくれはあやしうこ そ 物 く る を し け れ 」「 つ れ ゝ ゝ 草 ト ハ 」「 つ れ ゝ ゝ ト ハ 」「 日 く ら し トハ」 「硯にむかふ」 「心にうつりゆくトハ」 「よしなし事トハ」 「そ こ は か と な く と は 」「 物 く る を し け れ と は 」 の 九 箇 所 で 注 が 付 け ら れている。本段では「日くらしトハ」の注で『詞花集』巻四冬・一 五 五 番 歌 5 、「 硯 に む か ふ 」 の 注 で『 風 雅 集 』 巻 一 〇 恋 歌・ 九 七 七 番歌が引用されている。また先に挙げたように『徒然草』の冒頭部 分 を 序 と し て 定 義 し た『 寿 命 院 抄 』 で は、 序 文 の 全 文 が 引 用 さ れ 「 つ れ ゝ ゝ 草 ト ハ 」、 「 つ れ ゝ ゝ ト ハ 」 と「 徒 然 」 と い う 言 葉 の 語 義 の解釈が行われている。 『野槌』では、全文を挙げたうえで「是まて序也」と『寿命院抄』 に 倣 っ て 序 を 定 め た 後 に、 「 日 く ら し 」「 す ゝ り む か ひ て 」「 よ し な し こ と 」「 そ こ は か と な く 」 の 四 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 6 本 段 では「日くらし」の注で『寿命院抄』で出典が明記されていなかっ た和歌が『詞花集』に依ることが注記されているほか、 『伊勢物語』 四 五 段 に 見 ら れ る 用 例 が 新 た に 引 用 さ れ て お り、 「 日 く ら し 」 と い う語義の考察に進展が見られる。
一段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 い て や 此 世 に 生 れ て は ね か は し か る へ き 事 こ そ お ほ 」「 御 門 の 御 位 」「 い と も か し こ し 」「 竹 の 園 生 の 末 葉 ま て 」 「 人 間 の 種 な ら ぬ そ 」、 「 や ん こ と な き 」「 一 の 人 」「 サ ラ ナ リ ト ハ 」 「タヽウトモトネリナト給ハルキハヽユヽシトミユ」 「舎人ナトタマ ハ ル キ ハ ヽ」 「 ハ フ レ ニ タ レ ト ヽ ハ 」「 ナ マ メ カ シ 」「 ソ レ ヨ リ モ シ モツカタ」 「シタリカホナル」 「ミツカライミシ」 「法師ハカリ」 「清 少 納 言 カ 書 モ 」「 イ キ ヲ ヒ マ ウ ニ ノ ヽ シ リ 」「 増 賀 ヒ シ リ 」「 ヒ タ フ ル」 「人ハカタチアリサマノ」 「アイキヤウ」 「メテタシトミル人ノ」 「 本 性 」「 品 カ タ チ コ ソ 生 レ ツ キ タ ラ メ 」「 賢 ヨ リ 賢 ニ モ ウ ツ サ ハ ウ ツ ラ サ ラ ン 」「 カ タ チ 心 サ マ ヨ キ 人 モ 」「 サ エ ナ ク 」「 カ ケ ス ヲ サ ルヽ」 「フミノ道」 「イウソク」 「公事」 「テナトツタナカラスハシリ カキ」の三三箇所で注が付けられている。本段では「人間の種なら ぬそ」の注で『和漢朗詠集』巻下・親王付王孫「此花非是人間種」 、 「やんことなき」の注で『源氏物語』桐壺巻と『花鳥余情』 「いつれ の御時にか女御更衣あまたさふらひ給けるなかにいとやんことなき き は に は あ ら ぬ か す く れ て 時 め き 給 ふ あ り け り 」 の 注 記、 「 ハ フ レ ニ タ レ ト ヽ ハ 」 の 注 で『 古 今 集 』 巻 一 九 雑 体・ 一 〇 六 四 番 歌、 「 ナ マ メ カ シ 」 の 注 で『 古 今 集 』 巻 一 九 雑 体・ 一 〇 一 六 番 歌、 「 清 少 納 言カ書モ」の注で『枕草子』 「思はむ子を」の段、 「ヒタフル」の注 で『 八 雲 御 抄 』 巻 四 言 語 部「 ひ た ぶ る 」 と『 伊 勢 物 語 』 一 〇 段、 「 品 カ タ チ コ ソ 生 レ ツ キ タ ラ メ 」 の 注 で『 源 氏 物 語 』 帚 木 巻 と『 花 鳥余情』帚木巻「いまはたゝしなにもよらしかたちをはさらにもい は し 」 の 注 記、 「 賢 ヨ リ 賢 ニ モ ウ ツ サ ハ ウ ツ ラ サ ラ ン 」 の 注 で『 論 語』学而篇第一 ・ 七、 「テナトツタナカラスハシリカキ」の注で『河 海 抄 』 巻 二 帚 木 巻「 は し り か き 」 の 項 目 と『 東 坡 集 』 7 「 真 生 行 々 生草(中略)而能走也」が引用されている。また本段では章段区分 の問題を扱った注が四箇所あり、一箇所目は「法師ハカリ 是ヨリ 別 段 ニ シ タ ル 本 有 ワ ル サ ウ 也 」、 二 箇 所 目 は「 人 ハ カ タ チ ア リ サ マ ノ 又是ヨリ別段ニシタル本アリワルシ下ニコトハル」と、いずれ も別の章段とすることに対して否定的な評価がなされている。その 理 由 に つ い て は「 人 ハ カ タ チ ア リ サ マ ノ 」 の 注 に「 下 ニ コ ト ハ ル 」 とあるように、三箇所目の注から読み取れる。三箇所目は「カタチ 心サマヨキ人モ 是ヨリ多ハ別段ニ分タリサレトモネカハシカルヘ キト云ヲ以テミルトキハ上ノ条論也上ヘ付テミレハ文章連続セサル 歟或両段ニシテモ首尾相結スル事ハ一段ナルヘシ」とあり、諸本で は別の章段とされているが、本段が「この世に生れては、願はしか るべき事こそ多かめれ」で始まっており、以降の内容は連続してい るため同一の章段としたとの見解が示されている。また四箇所目で は「賢ヨリ賢ニモウツサハウツラサラン (中略) 是マテヲ初ヨリ 一段ニ用ヘキカ猶又此次ノ段モ別段トハ見カタシ了見互見シテ可有 工夫者乎」とあり、一段の章段区分について諸本を参考にしながら 自らの解釈を定めていった形跡が書き残されている。
『野槌』では「いてや」 「いともかしこし」 「竹の園生」 「やむこと な き 」「 一 の 人 」「 さ ら 也 」「 た ゝ 人 」「 舎 人 な と 給 は る 」「 は ふ れ に たれと」 「なまめかし」 「それよりしもつかた」 「したりかほ」 「法師 は か り 」「 木 の は し 」「 清 少 納 言 か か け る 」「 い き ほ ひ ま う に の ゝ し り」 「増賀ひしり」 「ひたふる」 「人はかたちありさまの」 「あいぎや う 」「 め て た し と み る 人 の 」「 本 性 」「 し な か た ち 」「 賢 よ り 賢 に も 」 「 さ え な く 」「 し な く た り 」「 か け す 」「 文 の 道 」「 有 職 」「 公 事 」「 人 の 鏡 」「 手 な と つ た な か ら す は し り か き 」「 げ こ 」「 又 い た ま し う す る 物 か ら け こ な ら ぬ と は 」 の 三 四 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 8 本 段 で は「 い と も か し こ し 」 の 注 で『 春 秋 左 氏 伝 』 9 と『 日 本 書 紀 』 巻 一 等 に 見 ら れ る「 可 畏 」 の 用 例、 「 竹 の 園 生 」 の 注 で『 古 文 苑 』 巻三「梁王兎園賦」 ・『史記』の世家巻五八「梁孝王世家」 ・『杜工部 集』 「美王孫哀詩」 、「一の人」の注で『職原鈔』 「執柄必蒙一座之宣 旨故称一人」 、「たゝ人」の注で『詩経』鄘風「定之方中」 、「木のは し 」 の 注 で『 古 今 集 』 巻 一 八 雑 歌 下・ 九 五 九 番 歌、 「 増 賀 ひ し り 」 の注で『撰集鈔』巻一と『元亨釈書』巻一〇に収められた増賀の高 僧伝、 「しなかたち」の注で『孟子』盡心上三八、 「しなくたり」の 注 で『 日 本 書 紀 』 巻 二 五 孝 徳 天 皇 大 化 二 年 正 月、 「 人 の 鏡 」 の 注 で 『 旧 唐 書 』 巻 七 一 列 伝 二 一「 魏 徴 」、 「 げ こ 」 の 注 で『 伊 勢 物 語 』 二 三段が新たに引用されている。また『寿命院抄』では章段区分につ い て の 注 が 四 箇 所 で 見 ら れ た が、 「 賢 ヨ リ 賢 ニ モ ウ ツ サ ハ ウ ツ ラ サ ラ ン 」「 カ タ チ 心 サ マ ヨ キ 人 モ 」 に つ い て は『 野 槌 』 に は 項 目 が な く、 「法師はかり」 「人はかたちありさまの」は立項のみで注記はさ れ て い な い。 『 野 槌 』 は 本 段 に お い て は『 寿 命 院 抄 』 で 採 用 さ れ た 章段区分を採用する一方、章段間の関連性に対する注記は引き継が れていない。なお本段の末尾には「此段人間世に生れて人の品ゝを いふに王公卿大夫士より其ありさまをいひて法師のことまていひく たし世をのからふる者をあらまほしき事といふは兼好かみのうへに よそへたるへし」と兼好の出自を踏まえた本段の解釈が行われてい る。 二段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 イ ニ シ ヘ ノ ヒ シ リ ノ 御 代 」「 ヒ シ リ ノ 御 代 ト ハ 」「 キ ヨ ラ ヲ ツ ク シ 」「 ト コ ロ セ キ サ マ シ タ ル 」「 ヲ モ フ ト コ ロ ナ ク ミ ユ レ 」「 衣 冠 ヨ リ 馬 車 ニ 」「 九 条 」「 遺 誡 ニ モ 」「 順 徳 院 」「 禁 中 ノ 事 ト モ カ ヽ セ 給 ヘ ル 」「 ヲ ホ ヤ ケ ノ 奉 リ 物 」 の 一 一 箇 所 で 注 が 付 けられている。本段では「ヒシリノ御代トハ」の注で『帝範』崇倹 篇、 「 ヲ ホ ヤ ケ ノ 奉 リ 物 」 の 注 で『 遊 仙 窟 』 の「 天 事 」 の 用 例 が 引 用 さ れ て い る。 ま た 冒 頭 部 分 に は「 此 段 人 主 タ ル 人 ニ 倹 約 ノ 道 ヲ スヽムル也」と、本段が君主に対して倹約を薦める章段との解釈が 示されている。 『野槌』では「いにしへのひしりの御代」 「きよら」 「ところせき」 「おもふところなく」 「九条殿の遺誡」 「順徳院」 「おほやけの奉りも
の」の七箇所で注が付けられている。本段では「いにしへのひしり の御代」の注で『史記』秦本紀二世二年や『群書治要』巻二四列伝 が新たに引用されている。また本段の末尾には「此段人の君として はおのれをつゝまやかにしをこりをきはめすいにしへの賢君をした ひて国をうれへ民をうれへて用を節せよといへるこゝろまことに殊 勝のこと也」と『寿命院抄』の解釈を踏まえつつ、本段を賢君を慕 い国民に対する憂いが書かれた章段として称賛している。そして日 本に仏教が伝わり「財産をつくし田園をすてゝ多の寺塔を建立」さ れてきた歴史や、仁明天皇が「よろつ粉奢を愛し器物をゑりきさみ 錦綉を縫かさり給ふによりて農業をさまたけ女功をそこなふ」と華 美 な 振 る 舞 い に よ っ て 民 の 暮 ら し が 損 な わ れ た こ と を 記 し、 「 九 條 殿の遺誡順徳院の仰せ事又殊勝に侍る」と本段の内容に立ち戻って 解釈が結ばれている。 三段 『寿命院抄』では「ヨロツニイミシクトモ」 「イトサウゝゝシクト ハ 」「 玉 ノ サ カ ツ キ ノ 当 ナ キ 」「 ア フ サ キ ル サ ニ ヲ モ ヒ ミ タ レ 」「 ヲ カ シ ケ レ 」「 ヒ タ ス ラ 」「 タ ハ レ 」 の 七 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 イ ト サ ウ ゝ ゝ シ ク ト ハ 」 で『 和 名 集 』 10、「 玉 ノ サ カ ツ キ ノ 当 ナ キ 」 で『 韻 府 』 11、「 ア フ サ キ ル サ ニ ヲ モ ヒ ミ タ レ 」 で『 八 雲 御 抄 』 巻 四 言 語 部「 あ ふ さ き る さ 」、 「 ヲ カ シ ケ レ 」 で『 源 氏 物 語 』 夕 顔 巻、 「 タ ハ レ 」 の 注 で『 古 今 集 』 巻 一 九 雑 体・ 一 〇 一 七 番 を 引 用して注が付けられている。 『野槌』では「色このまさらん」 「さうゞゝしく」 「玉のさかつき」 「あふさきるさに」 「おかしけれ」 「ひたすら」 「たはれ」の七箇所で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 色 こ の ま さ ら ん 」 の 注 で『 文 選 』 情「登徒子好色賦」 、「玉のさかつき」の注で『金楼子』巻六が新た に引用されている。また本段の末尾には「飲食男女は人の大欲存せ りと礼記に見えたり」と『礼記』礼運篇の「飲食男女」のことを引 用 す る ほ か、 「 さ れ は 色 欲 の 道 は 蘇 武 も ま ぬ か る ゝ こ と あ た は す と 東坡が論あれと然はあらす」 、「むかし孔子は関雎の詩をよみてたの しめとも淫せすとほめたまひ孟子は大王の色好むことを論して此心 を天下にをしひろめはは」と、東坡や孟子を例に挙げて本段の解釈 が行われている。 四段 『寿命院抄』では「後ノ世ノ事心ニ」に注が付けられており、 「此 段尤殊勝也源氏カホル大将ナトノ行跡思ヒ合スヘキ也前三段ニ大カ タ人間界ノアラマホシキ事ヲイヽツクシ此段ヨリ後世ニウツル次第 眼ヲ付ヘキ也」と、本段から『源氏物語』の薫が想起されることに 触れた後、一段・二段・三段では現世での出来事が書かれているの に対し、四段以降は後の世に関する内容へと変化が見られる点が指
摘されている。一段では「いでや、この世に生れては、願はしかる べき事こそ多かめれ」と、この世に生まれたからには願わしいこと について、帝や摂政関白等の身分、容姿の優れた人間などを例に挙 げて書かれている。二段では「いにしへのひじりの御代」の政治を 例に、順徳院が天皇の衣服は質素でよいと記したことが紹介される。 ま た 三 段 は 恋 の 情 趣 を 理 解 す る 男 の 魅 力 が 述 べ ら れ た 章 段 で あ る。 これら一・二・三段は、いずれも現世における願い・振る舞いが記 された内容である。しかし四段は「後の世の事心に忘れず。仏の道 うとからぬ心にくし」と、現世における願いから、来世・仏教へと 章段内容に変化が見られる。そのため『寿命院抄』では本段の注で 「 此 段 ヨ リ 後 世 ニ ウ ツ ル 次 第 眼 ヲ 付 ヘ キ 也 」 と 指 摘 す る こ と で、 近 接章段間の関連性を意識して『徒然草』を読むことが促されている。 先に挙げた一段で「賢ヨリ賢ニモウツサハウツラサラン(中略)是 マ テ ヲ 初 ヨ リ 一 段 ニ 用 ヘ キ カ、 猶 又 此 次 ノ 段 モ 別 段 ト ハ 見 カ タ シ 」 と章段区分の判断に悩む記述が見られたのは、一段・二段・三段が 内容面で関連性の高い章段であったことが影響しているためであろ う。一方『野槌』では本段に注釈は付けられておらず、近接章段間 の関連性も記されていない。 五段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 フ カ ウ ニ ウ レ ヘ ニ シ ツ ミ シ 」「 フ ツ ヽ カ ニ 」 「 サ ル カ タ ニ ア ラ マ ホ シ 」「 顕 基 ノ 中 納 言 」「 配 所 ノ 月 」 の 五 箇 所 で 注が付けられている。本段では「配所ノ月」の注で『撰集抄』巻四 第五話の「顕基卿事」が引用されている。また冒頭には「此段西行 カ作ノ選集抄ヲ以テ書タルト見タリ」と本段が『撰集抄』を基に書 かれたとの指摘が見られる。 『野槌』では「ふかう」 「ふつゝか」 「顕基の中納言」 「配色の月つ み な く て み む こ と 」 の 四 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 『 野 槌 』 で は 「 顕 基 の 中 納 言 」 の 項 目 で『 寿 命 院 抄 』 と 同 様 に 顕 基 中 納 言 の 説 話 を 引 用 し た 後、 「 案 す る に 選 集 抄 に 詳 細 の 二 本 あ る か 右 の 段 載 た る と の せ さ る と あ り 」 と し て、 『 撰 集 抄 』 巻 三 第 三 話 に 見 ら れ る 顕 基 中納言の説話が新たに引用されている。また「配色の月つみなくて みむこと」の項目では「配所の月をみむと云につきて菅右相の事お もひあはせられ侍る」と、流罪という共通項から菅原道真が連想さ れている。 六段 『寿命院抄』では「我カ身ノヤンコトナカランニモ」 「ヤンコトナ カ ラ ン 」「 女 ナ ト イ フ モ ノ ナ ク テ 」「 前 中 書 王 」「 九 条 ノ 太 政 大 臣 」 「花園左大臣」 「御ソウタエンコトヲ」 「染殿ノヲトヽ」 「世継ノ翁ノ 物 カ タ リ 」「 聖 徳 太 子 ノ 御 墓 ヲ カ ネ テ ツ カ セ 」 の 十 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 聖 徳 太 子 ノ 御 墓 ヲ カ ネ テ ツ カ セ 」 の 注 で
『 元 亨 釈 書 』 一 五 巻 に 収 め ら れ た 聖 徳 太 子 の 話 が 引 用 さ れ る ほ か、 冒頭では「此段子孫アリテ無益ト云事ヲ述タリ」と、本段が子孫を 持つ無意味さが述べられた章段として解釈されている。また「女ナ トイフモノナクテ」の項目では「此段子孫ナカラン事ヲ願ホトニ也 又下巻ノ五十四段ニ女トイフ物コソヲノコノモツマシキモノナレト アリ」と、一九〇段に同様の主題で書かれた章段があると注記され ており、遠隔章段間の関連性への指摘が見られる。 『 野 槌 』 で は「 子 と い ふ も の な く て 」「 前 中 書 王 」「 花 園 左 大 臣 」 「 御 ぞ う た え ん 事 を 」「 染 殿 の お と ゝ」 「 世 継 の 翁 の 物 語 」「 聖 徳 太 子」の七箇所で注が付け ら れ て い る。本段で は「御ぞ う た え ん事を」 の 注 で『 韵 會 』、 12「 聖 徳 太 子 」 の 注 で『 聖 徳 太 子 伝 暦 』 推 古 二 六 年 一二月の条が新たに引用されている。また本段の末尾には「此段子 孫のなきをよき事也といへるは荘子か多男子則多懼といへる意なる へ し 」 と 類 例 と し て『 荘 子 』 天 地 篇 を 引 用 し、 「 伯 夷 叔 斉 顔 淵 子 孫 あ る 事 を き か す 」 と 同 様 に 子 孫 を 持 た な か っ た 人 物 を 挙 げ て い る。 そして「聖徳太子は名たかき人なれと浮屠に淫溺し給ふゆえに後の 世の僧徒よきわか方人なれと依託して其事をしるせるものゝ陵をき りたち給ふをよき事也」と本段の解釈がなされている。 七段 『寿命院抄』では「アタシ野ノ露キユル時ナク」 「鳥辺山ノケフリ 立サラテノミ」 「命アル物ヲミルニ」 「カケロフノ夕ヲマチ夏ノ蟬ノ 春 秋 ヲ シ ラ ヌ 」「 カ ケ ロ フ 」「 コ ヨ ナ ウ 」「 チ ト セ ヲ 過 ス ト モ 一 夜 ノ 夢 」「 ミ ニ ク キ ス カ タ 」「 命 ナ カ ケ レ ハ ハ チ ヲ ホ シ 」「 夕 ノ 日 ニ 子 孫 ヲ愛シ」 「サカ行スヱ」 「ヒタスラ」の一二箇所で注が付けられてい る。本段では「アタシ野ノ露キユル時ナク」の注で『河海抄』巻二 〇手習「あたしの」の項目、 「カケロフ」の注で『弄花抄』 「かけろ ふ」 ・『新古今集』巻一三恋歌三・一一九五番歌・ 『荘子』逍遥遊篇、 「 コ ヨ ナ ウ 」 の 注 で『 八 雲 御 抄 』 巻 四 言 語 部「 こ よ な く 」 と『 河 海 抄 』 巻 一 桐 壺 の「 こ や な う 」 の 項 目、 「 命 ア ル 物 ヲ ミ ル ニ 」 の 注 で 『 荘 子 』 天 地 篇、 「 夕 ノ 日 ニ 子 孫 ヲ 愛 シ 」 の 注 で『 白 氏 文 集 』 巻 二 「 不 到 仕 」、 「 サ カ 行 ス ヱ 」 の 注 で『 古 今 集 』 巻 一 七 雑 歌 上・ 八 八 九 番歌が引用されている。また「鳥辺山ノケフリ立サラテノミ」の注 では「ケフリヲ無常ノケフリト見ヘカラスタヽ煙ト斗心得テヨシ鳥 辺山トアタシ野ト対シテ書タリ」と鳥辺山と化野が対の形式で書か れている点に注目し、章段構成の特徴への指摘が見られる。 『 野 槌 』 で は「 あ た し 野 」「 鳥 部 野 」「 か げ ろ う ふ の 夕 べ を ま ち 」 「夏の蟬の春秋をしらぬ」 「こよなう」 「見にくきすかた」 「いのちな か け れ は」 「四十に な ら ぬ ほ ど に て」 「ゆ ふ べ の ひ に子孫を愛し」 「さ か ゆ く す ゑ 」「 世 を む さ ほ る こ ゝ ろ の み ふ か く 」 の 九 箇 所 で 注 が 付 けられている。本段では「あたし野」の注で『夫木和歌抄』巻一一 秋 部 二・ 四 一 五 二 番 歌、 「 鳥 部 野 」 の 注 で『 元 亨 釈 書 』 巻 一 二「 釈 迦院文豪」 ・『性霊集』巻一〇 ・『拾遺抄註』の『拾遺抄』巻一〇雑下 ・
五 六 九 番 歌「 ト リ ヘ ヤ マ 」 の 注 記・ 『 拾 遺 抄 』 巻 一 〇 雑 下・ 五 六 九 番歌 ・『詞花集』巻一〇雑下 ・ 三九五番歌 ・『後拾遺集』第一〇哀傷 ・ 五四四番歌・ 『夫木和歌抄』巻三六雑部一八・一七〇一三番歌、 「か げ ろ う ふ の 夕 べ を ま ち 」 の 注 で『 荘 子 口 義 』 13や『 荘 子 翼 』 14、「 夏 の 蟬 の 春 秋 を し ら ぬ 」 の 注 で『 古 今 集 』 の 真 名 序、 「 四 十 に な ら ぬ ほ ど に て 」 の 注 で『 論 語 』 子 罕 篇 第 二 三 章 と 陽 貸 篇 第 二 三 章、 「 世 をむさほるこゝろのみふかく」の注で『論語』季子篇第七章が新た に引用されている。 八段 『寿命院抄』では「世ノ人ノ心マトハス事」 「衣裳ニタキ物ストシ リ ナ カ ラ 」「 エ ナ ラ ヌ ニ ホ ヒ 」「 心 ト キ メ キ ス ル 」「 ク メ ノ 仙 人 の 物 ア ラ フ 女 ノ ハ キ ノ 」「 外 ノ 色 ナ ラ ネ ハ サ モ ア ラ ン カ シ 」 の 六 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 世 ノ 人 ノ 心 マ ト ハ ス 事 」 の 注 で 『 源 氏 物 語 』 手 習 巻 と『 白 氏 文 集 』 巻 四「 古 塚 狐 」、 「 衣 裳 ニ タ キ 物 ストシリナカラ」の注で『白氏文集』巻三「大行路」 、「エナラヌニ ホヒ」の注で『八雲御抄』巻四言語部「えにこそありけれ」 、「心ト キメキスル」の注で『枕草子』 「心ときめきするもの」の段、 「クメ ノ 仙 人 の 物 ア ラ フ 女 ノ ハ キ ノ 」 の 注 で『 元 亨 釈 書 』 巻 一 八「 久 米 」 が引用されている。 『野槌』で は「世の人の心ま と は す事」 「衣裳に た き も の す と」 「え な ら ぬ 」「 心 と き め き す る 」「 久 米 の 仙 人 」「 外 の 色 」 の 六 箇 所 で 注 が付けられている。本段では「世の人の心まとはす事」の注で『礼 記 』 礼 運 篇「 飲 食 男 女 」 が 新 た に 引 用 さ れ て い る。 ま た 末 尾 に は 「 此 段 か り の 色 香 と ま こ と の 色 香 と を 以 て 人 の 心 を と ら か す 事 を い へる白氏か古塚の狐の心なるへし」と『寿命院抄』と同様に『白氏 文集』からの影響が指摘されている。その上で『野槌』では「然れ とも六根六塵何れもみな迷悟のわかるゝ門戸なれは釋氏すてに是を 論 す 」 と 釈 迦 の 例 を 持 ち 出 し、 「 久 米 の 仙 人 か 事 は 波 羅 奈 国 の 一 角 仙人が扇陀女の頸にのれる類なり」と一角仙人の逸話との類似性へ の指摘が見られる。 九段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 ケ ハ ヒ 」「 ウ チ ア ル サ マ ニ モ 」「 ウ チ ト ケ タ ル イ モ ネ ス 」「 身 ヲ オ モ シ ト モ 思 ヒ タ エ ス 」「 愛 着 ノ ミ チ 」「 六 塵 の 楽 欲」 「厭離シツヘシ」 「カノマトヒトハ」の八箇所で注が付けられて いる。本段では「ケハヒ」の注で『河海抄』巻二帚木「しねんにそ のけはひ」の項目 ・『日本書紀』 15・『新猿楽記』 、「ウチアルサマニモ」 の 注 で『 水 鏡 』 16、「 ウ チ ト ケ タ ル イ モ ネ ス 」 の 注 で『 拾 遺 抄 』 巻 八 恋 下・ 三 〇 四 番 歌、 「 カ ノ マ ト ヒ ト ハ 」 の 注 で『 源 氏 物 語 古 注 釈 書 引用和歌』 (『河海抄』所収) ・七四八番歌が引用されている。 『野槌』では「女は髪のめてたからん」 「けはひ」 「うちあるさま」
「う ち と け た る い も ね す」 「た ゆ べ く も あ ら ぬ わ ざ に も」 「愛着の み ち」 「 六 塵 の 楽 欲 」「 た ゝ か の ま と ひ 」「 女 の 髪 す ぢ を よ れ る 綱 に は 大 象 も よ く つ な か れ女の は け る屐に て つ く れ る笛」 「み つ か ら い ま し め て」 の 一 〇 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 17本 段 で は「 女 は 髪 の め て た か らん」の注で『詩経』鄘風「君子偕老」 ・『春秋左氏伝』昭公二八年 春・ 『 文 選 』 京 都 上「 西 京 賦 」、 「 女 の 髪 す ぢ を よ れ る 綱 に は 大 象 も よくつなかれ女のはける屐にてつくれる笛」の注で『太平広記』巻 四四三畜獣一〇「雑説」と『本草綱目』獣部五一巻「山獺」 、「みつ からいましめて」の注で朱子の「宿梅溪胡氏客館觀壁間題詩自警二 絶 其二」が新たに引用されている。 一〇段 『寿命院抄』では「ツキヽヽシクトハ」 「イマメカシクキララカナ ラネトトハ」 「ワサトナラネトトハ」 「スイカイ」 「テウト」 「草木マ テ 心 ノ マ ヽ ナ ラ ス ト ハ 」「 大 カ タ ハ 家 居 ニ コ ソ コ ト サ マ ハ ヲ シ ハ カ ラルレ」 「後徳大寺ノヲトヽ」 「西行」 「サハカリニコソトテ」 「綾小 路 ノ 宮 ノ ヲ ハ シ マ ス 小 坂 殿 」「 徳 大 寺 ニ モ イ カ ナ ル 」 の 一 二 箇 所 で 注が付けられている。本段では「西行」の注で『井蛙抄』第六が引 用されている。また「大カタハ家居ニコソコトサマハヲシハカラル レ」の注では「是レ上ヲ決シ下ヲ起ス辞也」とあり、章段内の文章 構成についての指摘が見られる。 『 野 槌 』 で は「 つ き ゝ ゝ し く 」「 か り の や と り 」「 さ し 入 た る 月 の 色」 「いまめかしくきらゝかならねど」 「木だち物ふりてわざとなら ぬにはの草」 「すのこ」 「すいかい」 「てうと」 「おほくのたくみの心 を つ く し て 」「 唐 の 日 本 の 」「 前 栽 の 草 木 ま て 」「 な か ら へ 住 へ き 」 「 お ほ か た は 家 居 に こ そ 」「 後 徳 大 寺 の 大 臣 」「 西 行 」「 綾 小 路 宮 」 「 鳥 の む れ ゐ て 」 の 一 七 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 さ し入たる月の色」の注で『惺窩集』一三五番歌、 「なからへ住へき」 の 注 で『 白 氏 文 集 』 巻 二 〇「 履 道 居 詩 」、 「 お ほ か た は 家 居 に こ そ 」 の 注 で『 春 秋 』 庄 公 二 三 年 春 と 庄 公 二 四 年 王 三 月・ 『 論 語 』 公 冶 長 第五・一八、 「西行」の注で『東鑑』巻六文治二年八月一五日、 「鳥 のむれゐて」の注で『白氏文集』巻二「和大觜烏詩」が引用されて いる。 一一段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 神 無 月 ノ 比 」「 栗 栖 野 」「 閼 伽 棚 ニ 」「 枝 モ タ ワヽニ」の四箇所で注が付けられている。本段では「栗栖野」の注 で『夫木抄』巻一一秋部二・四一二七番歌が引用されている。また 本段の冒頭では「此段前段ト同類也」と、一〇段との関連性の指摘 が 見 ら れ る。 一 〇 段 は「 家 居 の つ き づ き し く、 あ ら ま ほ し き こ そ、 仮の宿りとは思へど、興あるものなれ」と始まり、住居を例にして 無常な人間の営みについて述べられ、自然な生活と不自然な作為と
の対比がなされている。一方、一一段は「神無月の比」に風情のあ る庵を訪ねた際に、庭の柑子の木に厳重な囲いがあるのを見て興醒 めしたことが書かれた章段である。一〇段・一一段は、いずれも住 居と住人との関連性が書かれている点で共通しているため「此段前 段ト同類也」と捉えられている。 『 野 槌 』 で は「 栗 栖 野 」「 閼 伽 棚 」「 え だ も た は ゝ に 」 の 三 箇 所 で 注が付けられている。本段では「えだもたはゝに」の注で杜甫「又 呈呉郎」の詩が新たに引用されている。また本段の末尾には「此段 山家の景気をよくうつしてあらまほしきやうにおほえしに柑子をき ひしくかこひしをみておもひおとりせられけるさもありなん」と内 容 を 評 し た 後、 「 さ れ と も 山 林 の 法 禁 は 非 常 の ぬ す 人 を ふ せ く そ な へいにしへよりなきにもあらす」とし、類似の例として王戎や王倹 の逸話が引用されている。 一二段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 ヲ ナ シ 心 ナ ラ ン ヒ 人 」「 ウ ラ ナ ク 」「 露 タ カ ハ サラン」 「タカヒニイハンホトノコトヲハ」 「ケニハスコシカコツカ タモ」 「ヨシナシコト」 「我トヒトシカラサラン」の七箇所で注が付 けられている。本段では「ヲナシ心ナランヒ人」の注で『論語』為 政 第 二・ 九、 「 我 ト ヒ ト シ カ ラ サ ラ ン 」 の 注 で『 伊 勢 物 語 』 一 二 四 段が引用されている。本段の冒頭では「此段ヨキ友ノ内ニテ同シ心 ナルト少シタカイタルトヲ評論スル也」と評し、その例として「ヲ ナ シ 心 ナ ル マ メ ヤ カ ナ ル 心 ノ 友 ト ハ 孔 子 ト 顔 回 ト ノ 如 キ 是 也 」 と 『 論 語 』 に 見 ら れ る 孔 子 と 顔 回 の 関 係 性 を 例 に 挙 げ て い る。 ま た 「 ケ ニ ハ ス コ シ カ コ ツ カ タ モ 」 の 項 目 で は「 是 ヨ リ 畢 竟 同 心 シ 心 ナ ル友ヲ貴ル義也」と文章展開についての注記が見られ、章段構成へ の関心が窺える。 『野槌』では「うらなく」 「つゆたかはさらん」 「かこつとは」 「わ れとひとしからさらん」の四箇所で注が付けられている。末尾には 「 此 段 を の れ を し れ る 友 と 心 に 思 ふ 事 を 残 さ す 物 か た り せ ん に た か ひに評論するうちにすこしあらそふ所あるは則益友なるへし其人ま れなれはこゝろへたゝる人にたちむかはんは面友なるへし」と本段 を 評 す 一 方、 『 寿 命 院 抄 』 で 指 摘 さ れ た 孔 子 と 顔 回 の 関 係 性 や 漢 籍 からの引用は見られない。 一三段 『寿命院抄』では「ヒトリ灯ノモトニ」 「ミヌ世ノ人」 「コヨナク」 「文選」 「アハレナル」 「白氏文集」 「老子ノコトハ」 「ナンクハノ篇」 「 コ ノ 国 ノ ハ カ セ 」 の 九 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 コ ヨナク」の注で『八雲御抄』巻四言語部「こよなく」が引用されて いる。また「ナンクハノ篇」の項目で「老子ノコトハ南華ノヘント コトハニ篇ト対シテ書タリ」と章段構成に関する指摘がなされてい
る ほ か、 「 コ ノ 国 ノ ハ カ セ 」 の 項 目 で は「 兼 好 カ 文 選 白 氏 文 集 老 子 経荘子等ヲ以テ書タルトミヘタリ心ヲ付ヘシ」と、章段内に登場す る書物を列挙し影響関係についての注記が見られる。 『 野 槌 』 で は「 と も し 火 の こ と 」「 文 を ひ ろ げ て 」「 見 ぬ 世 の 人 を 友とする」 「こよなう」 「文選」 「白氏文集」 「老子」 「南華の篇」 「此 国の博士とも」の九箇所で注が付けられている。本段では『寿命院 抄』で簡略な注となっている漢籍について、詳細な説明がなされて い る。 『 文 選 』 に つ い て『 寿 命 院 抄 』 は「 六 十 巻 ア リ 梁 ノ 昭 明 太 子 撰 」 と 注 記 さ れ て い る が、 『 野 槌 』 で は「 梁 武 帝 子 昭 明 太 子 の 撰 す る所也周の末より六朝まての詩文をあつむ三十巻あり」と撰者、内 容の説明、巻数を記し「唐の李善是を註して世にひろむ李善か本に 呂延濟劉良張銑呂向李周翰五人の註をくはへて六臣註と名つく六十 巻とす李善か註なきをは五臣註と号す」と『文選』の代表的な注釈 者 と 注 釈 書 の 歴 史 に 触 れ、 「 日 本 に て 昔 よ り 読 来 る 中 に こ と に 菅 家 の點し給ふをよしとす」と日本における享受と注釈の善本が紹介さ れている。また「南華の篇」の注では章段構成には触れず「荘周字 子休宋人也隠遁して書を著す皆老子道徳の意にもとつく三十三篇あ り南華眞経とも名つく」と著者紹介、成立の背景、篇数、別書名を 記 し「 晋 の 郭 象 是 を 註 し 唐 の 玄 英 か 疏 あ り 宋 の 林 希 逸 か 口 義 あ り 」 と代表的な注釈書について触れ「荘子が文章は古今の奇筆也老子も 荘子も史記に傳あり」と著者の特徴と参考となる書物が紹介されて いる。 一四段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 和 歌 コ ソ ナ ヲ ヲ カ シ キ 物 」「 ヲ ソ ロ シ キ 猪 ノ シ ヽ モ 」「 貫 之 カ イ ト ニ ヨ ル 物 ナ ラ ナ ク 」「 古 今 集 ノ 中 ノ 歌 ク ツ 」 「源氏ノ物語ニハモノトハナシニトソカケル」 「新古今ニハノコル松 サ ヘ 峯 ニ サ ヒ シ キ 」「 家 長 」「 歌 ノ 道 ノ ミ イ ニ シ ヘ ニ カ ハ ラ ヌ 」「 イ サヤ」 「歌枕」 「スナホニシテ」 「梁塵秘抄ノ郢曲」 「コトクサ」の一 四 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 ヲ ソ ロ シ キ 猪 ノ シ ヽ モ 」 の 注 で『 八 雲 御 抄 』 巻 六 用 意 部、 「 貫 之 カ イ ト ニ ヨ ル 物 ナ ラ ナ ク 」 の 注 で『 古 今 集 』 巻 九 羈 旅 歌・ 四 一 五 番 歌、 「 源 氏 ノ 物 語 ニ ハ モ ノ ト ハ ナ シ ニ ト ソ カ ケ ル 」 の 注 で『 源 氏 物 語 』 総 角 巻、 「 新 古 今 ニ ハ ノコル松サヘ峯ニサヒシキ」の注で『新古今集』巻六冬歌・五六五 番 歌、 「 歌 ノ 道 ノ ミ イ ニ シ ヘ ニ カ ハ ラ ヌ 」 の 注 で『 八 雲 御 抄 』 巻 六 用 意 部、 「 歌 枕 」 の 注 で『 源 氏 物 語 』 玉 鬘 巻 と『 花 鳥 余 情 』 玉 鬘 巻 「 よ ろ つ の さ う し う た ま く ら 」 の 注 記 が 引 用 さ れ て い る。 ま た 本 段 の冒頭では「ナヲノ字ニ吟味アリ上ノ段ノ文選文集ナトヘアタリテ 見ルヘキ也」とあり、前段である一三段との関連性が指摘されてい る。一三段は「ひとり灯のもと」で、文選等の古典籍を読むと心が 慰められることが書かれている。一方、一四段は「和歌こそ、なほ をかしきものなれ」と、昔の歌には情緒があったと『古今集』等を 例に挙げてその魅力が述べられている。一三段・一四段は和漢の古 典籍の魅力が説かれた内容であるため、近接章段間の関連性が注記
されている。 『野槌』では「おかしき」 「をそろしき猪」 「詞の外に」 「貫之がい とによるものならなくに」 「古今集の中の哥くつ」 「源氏物語にはも の と は な し に 」「 新 古 今 に は の こ る 松 さ へ 」「 家 長 」「 哥 の 道 の み い に し へ に か は ら ぬ 」「 い さ や 」「 哥 枕 」「 梁 塵 秘 抄 」「 郢 曲 」「 こ と く さ 」 の 一 五 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 家 長 」 の 注 で 『 新 古 今 集 』 巻 七 賀 歌・ 七 四 一 番 歌、 「 梁 塵 秘 抄 」 の 注 で『 博 物 志 』 巻 八、 「 郢 曲 」 の 注 で『 文 選 』 對 問「 對 楚 王 問 」 が 新 た に 引 用 さ れ ている。また本段の冒頭では「和哥こそなをのなをの二字なき異本 ありもし前段と此段を一段とせはなをの字は文選老子なとにあたり てかけたる詞なるへし」と『寿命院抄』と同様に近接章段間の関連 性が指摘されているほか、末尾には「此段と前段と合せて一として みむもよかるへし」と一三段・一四段を連続する章段とする読み方 が推奨されている。 一五段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 イ ツ ク ニ モ ア レ シ ハ シ 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て お り、 「 此 段 羈 旅 ノ 中 ニ テ 人 ノ タ シ ナ ミ 心 モ チ ヲ 書 タ リ 」 と 本 段 の 解 釈 が 示 さ れ て い る。 一 方、 『 野 槌 』 で は 本 段 に 注 釈 は 付 け られていない。 一六段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 神 楽 コ ソ ナ マ メ カ シ ク 」 の 一 箇 所 で 注 が 付 け られており、神楽について『公事根源』内侍所御神楽からの引用が なされている。 『野槌』では「神楽のおこりは」 「和琴」の二箇所で注が付けられ ている。神楽については『寿命院抄』と同じく『公事根源』を引用 し、新たに「和琴」の項目を設けており『花鳥余情』序文からの引 用 や、 「 つ ね に き ゝ た き は 琵 琶 和 琴 と あ る を 一 本 に 常 に き ゝ た き は ひさわうみやいちとあり毘沙王宮一と書り」と他本との本文比較が 行われている。 一七段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 山 寺 に カ キ コ モ リ テ 仏 ニ 」 と、 章 段 区 分 を 示 すために冒頭部分のみが書かれており注釈は付けられていない。ま た『野槌』も同様に本文のみで注釈は付けられていない。 一八段 『寿命院抄』では「人ハヲノレヲツヽマヤカニシテ」 「ムカシヨリ カ シ コ キ 人 ノ ト メ ル ハ マ レ 也 」「 許 由 ト 云 ケ ル 人 ハ 」「 ナ リ ヒ サ コ 」
「 心 ノ ウ チ ス ヽ シ カ リ ケ ン 」「 孫 晨 ハ 冬 ノ 月 ニ 」「 モ ロ コ シ ノ 人 ハ 」 の 七 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 ナ リ ヒ サ コ 」 の 注 で 『 和 名 集 』 18が 引 用 さ れ て い る。 本 段 の 冒 頭 に は「 此 段 ヲ ノ レ カ 身 ニ 花麗ヲセスシテオコリヲシリソケ倹約ニセヨト也」とあり、教訓性 を読み取る章段内容の解釈が見られる。また「ムカシヨリカシコキ 人ノトメルハマレ也」の注では「許由ト孫晨ト二人ヲ挙テ例トスル 也顔回閔子騫等ノ賢人マツシクイヤシキ類不可勝斗也」と、許由・ 孫晨・顔回・閔子騫の四人を例に挙げて清貧の賢人について解説が なされている。 『野槌』では「つヽまやか」 「むかしよりかしこき人のとめるはま れ也」 「許由」 「なりひさこ」 「心のうちすゝしかりけむ」 「もろこし の人は」の六箇所で注が付けられている。本段では「むかしよりか し こ き 人 の と め る は ま れ 也 」 の 注 で『 孟 子 』「 滕 文 公 上 」、 「 許 由 」 の 注 で『 荘 子 』 逍 遥 遊 第 一、 「 心 の う ち す ゝ し か り け む 」 の 注 で 『白氏文集』巻一五「苦熱恒寂師禅室」や『蒙求』 「孫晨藁席」が新 たに引用されている。また「むかしよりかしこき人のとめるはまれ 也」の注では、孟子・伯夷・叔斉・顔淵・閔子騫・原憲・子夏・南 華老人(荘子) ・五柳先生(陶淵明) ・浣花・陳後山(陳師道)の一 一人を例に挙げて解説がなされている。 一九段 『寿命院抄』では「折フシノウツリカハルコソ」 「物ノ哀ハ秋コソ マ サ レ ト 人 コ ト ニ イ フ メ レ ト 」「 鳥 ノ コ エ ナ ト モ コ ト ノ ホ カ ニ 」 「 ヤ ヽ 春 フ カ ク 」「 ハ ナ タ チ 花 ハ 名 ニ コ ソ ヲ ヘ レ ハ 名 ニ コ ソ 立 タ ル 也 」「 ナ ヲ 梅 ノ 匂 ヒ 」「 山 吹 ノ キ ヨ ケ ニ 藤 ノ ヲ ホ ツ カ ナ キ サ マ 」「 灌 仏ノコロ」 「祭ノコロ」 「アヤメフク比」 「水鶏ノタヽク」 「アヤシキ 家 ニ 夕 顔 ノ 」「 蚊 ヤ リ 火 」「 六 月 祓 」「 七 夕 マ ツ ル コ ソ ナ マ メ カ シ ケ レ 」「 ヤ ウ ヽ ヽ 夜 サ ム ニ 」「 萩 ノ 下 葉 色 付 ホ ト 」「 オ ホ シ キ 事 イ ハ ヌ ハ 腹 フ ク ル ヽ」 「 カ キ ヤ リ ス ツ ヘ キ 」「 ヲ サ ヽ ヽ ヲ ト ル マ シ ケ レ 」 「スサマシキ物ニシテ見ル人モナキ」 「御仏名」 「荷前ノツカヒタツ」 「 春 ノ 御 イ ソ キ 」「 追 儺 」「 四 方 拝 ニ 」「 足 ヲ ソ ラ ニ マ ト フ 」「 ナ キ 人 ノ ク ル 夜 ト テ 玉 マ ツ ル ワ サ 」「 カ ク テ 明 行 空 ノ ケ シ キ 」 の 二 九 箇 所 で注が付けられている。本段では「物ノ哀ハ秋コソマサレト人コト ニイフメレト」の注で『拾遺集』巻九雑下・五一一番歌と『源氏物 語 』 野 分 巻、 「 ハ ナ タ チ 花 ハ 名 ニ コ ソ ヲ ヘ レ ハ 名 ニ コ ソ 立 タ ル 也 」 の注で『古今集』巻三夏歌・一三九番歌と『新古今集』巻三夏歌・ 二 四 四 番 歌、 「 ナ ヲ 梅 ノ 匂 ヒ 」 の 注 で『 古 今 集 』 巻 一 春 歌 上・ 三 三 番歌 ・『新古今集』巻一春歌上 ・ 四七番歌 ・『新古今集』巻一春歌上 ・ 四六番歌・ 『新古今集』巻一春歌上・四五番歌、 「灌仏ノコロ」の注 で『公事根源』 「灌佛」 、「祭ノコロ」の注で『公事根源』 「賀茂祭」 、 「 ア ヤ メ フ ク 比 」 の 注 で『 公 事 根 源 』「 献 菖 蒲 」 と『 歳 時 記 』 19、「 水
鶏ノタヽク」の注で『源氏物語古注釈書引用和歌』 (『奥入』 ・『紫明 抄 』・ 『 河 海 抄 』 所 収 ) 一 二 〇 番 歌 と『 源 氏 物 語 』 明 石 巻、 「 ア ヤ シ キ 家 ニ 夕 顔 ノ 」 の 注 で『 源 氏 物 語 』 夕 顔 巻、 「 蚊 ヤ リ 火 」 の 注 で 『拾玉集』第一宇治山百首・一〇三四番歌、 「六月祓」の注で『公事 根源』 「大祓」 ・『八雲御抄』巻三枝葉部「六月」 ・『後撰集』巻四夏 ・ 二一五番歌、 「七夕マツルコソナマメカシケレ」の注で『公事根源』 「 乞 巧 奠 」 と『 風 土 記 』 20、「 オ ホ シ キ 事 イ ハ ヌ ハ 腹 フ ク ル ヽ」 の 注 で『 大 鏡 』 の「 天 」 の 用 例、 「 ス サ マ シ キ 物 ニ シ テ 見 ル 人 モ ナ キ 」 の注で『枕草子』 「すさまじきもの」の段・ 『源氏物語』朝顔巻と総 角 巻・ 『 河 海 抄 』 巻 一 八 総 角「 よ の 人 の す さ ま し き こ と に い ふ な る し は す の 月 夜 の く も り な く さ し い て た る を 」 の 項 目、 「 御 仏 名 」 の 注 で『 公 事 根 源 』「 御 仏 名 」、 「 荷 前 ノ ツ カ ヒ タ ツ 」 の 注 で『 公 事 根 源』 「荷前」 、「追儺」の注で『公事根源』 「追儺」 、「四方拝ニ」の注 で『公事根源』 「四方拝」 、「足ヲソラニマトフ」の注で『源氏物語』 葵 巻、 「 ナ キ 人 ノ ク ル 夜 ト テ 玉 マ ツ ル ワ サ 」 の 注 で『 詞 花 集 』 巻 四 冬 ・ 一六〇番歌が引用されている。 『寿命院抄』は本段について「此 段枕草子源氏物語ナト所々ヲトリテ書タル也幻巻ニ別シテ十二箇月 ノ 哀 ヲ カ ヽ サ ス 書 ノ セ タ リ 此 段 ニ モ 十 二 箇 月 ノ 風 景 ヲ 略 シ テ 載 タ リ」と『枕草子』や『源氏物語』の幻巻からの影響を指摘している。 また「鳥ノコエナトモコトノホカニ 是ヨリ正月ノ事也」 、「ヤヽ春 フカク 二月也」 、「灌仏ノコロ 是ヨリ夏ノ事ヲ云ソ」 、「祭ノコロ 賀茂ノ祭也四月中ノ酉日アリ」 、「アヤメフク比 天平十九年五月ヨ リ詔有テ百官諸人迷ク菖蒲ノカツラ懸ヘシ」 、「六月祓(中略)六月 晦 也 」、 「 ヤ ウ ヽ ヽ 夜 サ ム ニ 八 月 也 」、 「 萩 ノ 下 葉 色 付 ホ ト 九 月 也」 、「御仏名 十二月十九日ヨリ二十一日マテ三箇日也」 、「追儺 十二月三十日」 、「四方拝ニ 元旦寅ノ時」と季節に関連する表現に 対して該当する季節やその月を注記することによって、章段内の文 章構成の理解が促されている。そして「カクテ明行空ノケシキ」の 注では「此結句折節ノウツリカハリ又春ニ立カヘリタルト書タル景 気尤可甘心ノミ」とあり、春から始まり春へと戻るという一年の変 化を描いた本章段の文章構成が称賛されている。 『野槌』では「折ふしのうつりかはる」 「ものゝあはれは秋こそま さ れ 」「 心 も う き た つ も の は 春 の け し き 」「 鳥 の こ ゑ な と も 」「 の と や か な る 日 影 」「 や ゝ 春 ふ か く 」「 ち り す き ぬ る 青 葉 」「 只 心 を の み そ な や ま す 」「 は な た ち は な は 名 に こ そ お へ れ 」「 な を 梅 の に ほ ひ 」 「 山 吹 の き よ け に 」「 灌 仏 の こ ろ 」「 祭 の こ ろ 」「 若 葉 の 梢 涼 し け に 」 「五月あやめふくころ」 「早苗とる」 「水鶏のたゝく」 「あやしき家に 夕 か ほ の 」「 蚊 遣 火 」「 六 月 祓 」「 七 夕 ま つ り 」「 や う ゝ ゝ 夜 さ む に 」 「鴈なきてくる比」 「萩の下葉色つくほと」 「おほしき事」 「かいやり す つ へ き 」「 さ て 冬 か れ の け し き 」「 を さ ゝ ゝ」 「 す さ ま し き 物 に し て 」「 御 仏 名 」「 荷 前 」「 公 事 」「 追 儺 」「 四 方 拝 」「 足 を 空 に ま と ふ 」 「 な き 人 の く る 夜 と て 玉 ま つ る 」「 明 ゆ く 空 の け し き 」「 大 路 の さ ま 松 た て わ た し 」 の 三 八 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 も の ゝ あ は れ は 秋 こ そ ま さ れ 」 の 注 で『 白 氏 文 集 』 巻 一 四 暮 立、 「 鳥
の こ ゑ な と も 」 の 注 で『 陳 図 南 』「 野 花 啼 鳥 一 般 春 」、 「 の と や か な る 日 影 」 の 注 で『 東 坡 内 制 集 』 21、「 ち り す き ぬ る 青 葉 」 の 注 で『 三 体 詩 』 王 駕「 晴 景 」、 「 灌 仏 の こ ろ 」 の 注 で『 遵 生 八 牋 』 第 三、 「 若 葉 の 梢 涼 し け に 」 の 注 で『 白 氏 文 集 』 巻 九 青 龍 寺 早 夏、 「 五 月 あ や めふくころ」の注で『拾芥抄』第一四年中行事部「五月四日」 、「早 苗 と る 」 の 注 で『 古 今 集 』 巻 四 秋 歌 上・ 一 七 二 番 歌 と『 白 氏 文 集 』 巻 五 三 春 題 湖 上、 「 あ や し き 家 に 夕 か ほ の 」 の 注 で 杜 甫「 除 荷 」、 「 蚊 遣 火 」 の 注 で『 詩 学 大 成 抄 』、 「 六 月 祓 」 の 注 で『 東 鑑 』 巻 一 五 文暦二年六月三〇日、 「御仏名」の注で『元亨釈書』巻九「釈静安」 、 「 追 儺 」 の 注 で 張 衡「 東 京 賦 」、 「 四 方 拝 」 の 注 で『 日 本 書 紀 』 巻 二 四 皇 極 天 皇、 「 大 路 の さ ま 松 た て わ た し 」 の 注 で『 簠 簋 内 伝 』 巻 一 「天徳神方」が新たに引用されている。 『寿命院抄』と同じく年中行 事等に該当する季節や月が注記しているほか、新たに「七夕まつり 是より秋のことをいふなり」 、「さて冬かれのけしき 是より冬をい ふ」と季節の移り変わりが表現された語彙に注記が見られ、章段内 の文章構成の理解を促す内容が加筆されている。本段の内容に関し ては「此段の発端に折節のうつりかはると書出したるによく相応せ りをんな文字に書るも男文字の文法に異ならす是を常山の蛇の首尾 相救ふといふ」と、 『寿命院抄』同様に章段構成を評価し、 「此段秋 と冬との間に源氏枕草子の例をひく是もゆるやかにしてつまらぬ筆 法 也 」 と、 『 源 氏 物 語 』 や『 枕 草 子 』 の 引 用 の 巧 み さ が 称 賛 さ れ て いる。 二〇段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 ナ ニ カ シ ト カ ヤ イ ヒ シ 」「 此 世 ノ ホ タ シ 」「 モ タラヌ身ニ」の三箇所で注が付けられている。本段では「此世ノホ タシ」の注で『古今集』巻一八雑歌下・九五五番歌が引用されてい る。 『野槌』では「なにかし」 「此世のほたし」 「もたらぬ身に」 「そら のなこり」の四箇所で注が付けられている。本段では新たに「そら のなこり」の項目を設け「年月のうつりゆくそらを名残おしく思ふ と 也 」 と 語 義 の 解 釈 を し、 「 李 白 は 豪 放 の 謫 仙 人 な れ と も 餘 春 を 惜 む こ と あ り 」 と 李 白 を 紹 介 し、 「 或 人 の か た り し は 大 徳 寺 の 僧 一 休 身まかる時に草木まてなつかしといひけるとなん此段の心にかよは んかし」と一休宗純の逸話を引用して本段の解釈が示されている。 二一段 『寿命院抄』では「ヨロツノ事ハ月ミル」 「オリニフレハ何カハ哀 ナ ラ サ ラ ン 」「 沅 湘 日 夜 」「 嵆 康 モ 山 澤 ニ 」「 人 ト ヲ ク 水 草 キ ヨ シ 」 の五箇所で注が付けられている。本段では「沅湘日夜」の注で載叔 倫「 湘 南 即 事 」、 「 嵆 康 モ 山 澤 ニ 」 の 注 で『 文 選 』「 嵆 康 與 山 濤 絶 交 書」 、「人トヲク水草キヨシ」の注で『古今著聞集』巻五「玄賓僧都 位記を樹枝に挿みて詠歌の事」が引用されている。また本段の冒頭
には「此段ハ前十九ノ段ニオリフシノウツリカハルヲ書タルニ秋コ ソ面白ケレ春コソ面白ケレト書出タリソノ筆方ニ同シ」とあり、遠 隔章段である一九段との関連性について指摘されている。一九段は 四 季 の 移 り 変 わ り の 中 に 見 ら れ る 情 緒 に つ い て、 『 源 氏 物 語 』 や 『枕草子』を引用して書かれた章段である。一方二一段は、月 ・ 花 ・ 風・水などの自然の風物によって心が慰められることが書かれた章 段である。両段は四季の自然のなかで情緒を感じる景物が書かれて い る 点 で 共 通 し て い る た め、 「 ソ ノ 筆 方 ニ 同 シ 」 と 捉 え ら れ る。 ま た本段の終わりには「已上三段天地ノ風景ヲ述タリエンニヤサシキ 類也」とあり、一九段・二〇段・二一段を「天地ノ風景」について 書かれた一連の章段としても捉えている。 『 野 槌 』 で は「 沅 湘 日 夜 」「 嵆 康 も 山 澤 に あ そ ひ て 」「 人 遠 く 水 草 き よ し 」 の 三 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 『 野 槌 』 で は 本 段 の 末 尾 に「此段月露風水をあらはによくうつし出せり李白か廬山の瀑布を 見東坡か赤壁にあそひしおもかけありしかも末にみやつかへせすし て山林に あ そ ふ を心の な く さ み と決せ り」と あ り、本段で『三体詩』 や『文選』が引用されていることを踏まえ、李白や廬山等の漢詩で 表現された世界との類似性についての指摘が見られる。 二二段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 木 ノ 道 ノ タ ク ミ 」「 コ タ イ ノ ス カ タ 」「 フ ミ ノ コ ト ハ 」「 主 殿 寮 ノ 人 数 タ テ 」「 最 勝 講 ノ 御 聴 聞 所 ナ ル ヲ ハ 」「 御 カ ウノロハ」の六箇所で注が付けられている。本段では「最勝講ノ御 聴 聞 所 ナ ル ヲ ハ 」 の 注 で『 塩 嚢 抄 』 巻 五「 最 勝 講 」 と『 公 事 根 源 』 「最勝講」を引用し、儀式の内容が記されている。 『 野 槌 』 で は「 木 の 道 の た く み 」「 古 代 の す か た 」「 文 の 詞 」「 反 古」 「たゝいふ詞」 「主殿寮人数たて」 「最勝講」 「御かうのろ」の八 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 『 野 槌 』 で は「 木 の 道 の た く み 」 の 注 で『 周 礼 』「 考 工 記 」、 「 古 代 の す か た 」 の 注 で『 論 語 』 雍 也 第 六・ 二 五、 「 反 古 」 の 注 で『 和 名 集 』 22が 新 た に 引 用 さ れ て い る。 ま た 本 段の末尾には「此段よろつの事いにしへのは末の世よりもまされり と云けにもとそおほゆる」と、本段についての解釈が見られる。 二三段 『寿命院抄』では「オトロヘタル末ノ世トハ」 「九重」 「ヨツカス」 「露臺」 「アサカレイ」 「ナニ殿ナニ門」 「小板敷」 「高遣戸」 「陣ニ夜 ノマウケセヨ」 「ヨルノオトヽノハカイトモシトウヨナトイフ」 「上 卿ノ陣ニテ」 「諸司ノシモ人トモノ」 「徳大寺ノオホキオトヽ」の一 三箇所で注が付けられている。本段では「アサカレイ」の注で『河 海 抄 』 巻 一 桐 壺「 あ さ か れ ゐ の け し き は か り 」 の 項 目、 「 小 板 敷 」 の注で『名目抄』禁中所々名篇「小板敷」 、「ヨルノオトヽノハカイ ト モ シ ト ウ ヨ ナ ト イ フ 」 の 注 で『 河 海 抄 』 巻 一 桐 壺「 よ る の お
とゝ」の項目、 「諸司ノシモ人トモノ」の注で『職原抄』 「諸司」の 項目が引用されている。本段の冒頭では「此段ハ前段ニハ上代ヲシ タヒタル事ヲ述タリ爰ニテ又末ノ世トハイヘトモ禁中ノ義ヲホメテ 書タリ」と、二二段との関係性が注記されている。二二段は「なに 事も、古き世のみぞしたはしき」と古い時代に心が惹かれることに ついて、手紙や会話での言葉遣いを例に挙げて書かれた章段である。 一方、二三段は「おとろへたる末の世とはいへど、なほ九重の神さ びたる有様こそ、世づかずめでたきものなれ」と、末世においても 宮中では品格が保たれていることが賞美された章段である。二二段 は失われた古い時代への思慕の念が書かれ、二三段では継承されて きた古い時代の文化が記された章段であるため、両段の関連性に着 目した注記となっている。 『野槌』では「九重」 「よつかす」 「露臺」 「朝餉」 「なに殿なに門」 「小板敷」 「高遣戸」 「陳に夜のもうけせよ」 「かいともしとうよなと い ふ 」「 上 卿 の 陳 に て 」「 諸 司 の し も 人 と も 」「 徳 大 寺 の お ほ き お とヽ」の一二箇所で注が付けられている。本段では「九重」の注で 『 長 恨 歌 』 が 新 た に 引 用 さ れ て い る。 本 段 の 末 尾 に は「 此 段 禁 裏 の 様は末の末にも目出度しと云兼好初は仕官せしによりてよく見きゝ しゆへなり」と、禁裏の様子を称賛する内容に触れ、兼好の出自か らその理由を考察している。そして「長安城をみて是そ天子おはし ます所也とおもふ御殿の名さへしらすかしいかむそ百官の富を見侍 るへき唐の王建か宮詞をつくれるもよくそ知てのこと也」と、詳細 に知る人物であるからこそ書ける内容であると、宮女の生活を詠っ た『宮詞』の作者である王建の例を基に注記されている。 二四段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 斎 宮 ノ 野 宮 ニ オ ハ シ マ ス ア リ 様 」「 野 ノ 宮 ノ 事」 「ヤサシクオモシロキ事ノカキリトハオホエシカ」 「経仏ナトイ ミ テ ナ カ コ ソ メ カ ミ 」「 榊 ニ ユ フ カ ケ タ ル ナ ト 」「 コ ト ニ オ カ シ キ ハ」の六箇所で注が付けられている。本段では「野ノ宮ノ事」の注 で『 延 喜 式 』 神 祇 巻 巻 五 と『 一 葉 抄 』「 野 宮 」、 「 ヤ サ シ ク オ モ シ ロ キ 事 ノ カ キ リ ト ハ オ ホ エ シ カ 」 の 注 で『 源 氏 物 語 』 賢 木 巻、 「 経 仏 ナ ト イ ミ テ ナ カ コ ソ メ カ ミ 」 の 注 で『 延 喜 式 』 神 祇 巻 巻 五「 忌 詞 」 と『 詞 花 集 』 巻 一 〇 雑 下・ 四 一 〇 番 歌、 「 榊 ニ ユ フ カ ケ タ ル ナ ト 」 の 注 で『 八 雲 御 抄 』 巻 三 枝 葉 部、 「 コ ト ニ オ カ シ キ ハ 」 の 注 で は 『枕草子』 「神は」の段が引用されている。 『 野 槌 』 で は「 斎 王 」「 や さ し く お も し ろ き こ と の 」「 経 仏 な と い み て」 「榊に ゆ ふ か け た る」 「こ と に お か し き は伊勢」 「賀茂」 「春日」 「 平 野 」「 住 吉 」「 三 輪 」「 貴 布 祢 」「 吉 田 」「 大 原 野 」「 松 尾 」「 梅 宮 」 の一五箇所で注が付けられている。本段では「斎王」の注で『三代 実録』第三「貞観元年十二月二十五日」と『三代実録』第四「貞観 二 年 八 月 二 十 五 日 」、 「 こ と に お か し き は 」 の 注 で『 日 本 書 紀 』 と 『 神 皇 正 統 紀 』、 23「 賀 茂 」 の 注 で『 古 事 記 』 上 巻「 大 国 主 命 」 と
『日本書紀』巻一神代上一書第二、 「春日」の注で『日本書紀』巻一 神 代 上 一 書 第 六、 「 平 野 」 の 注 で『 延 喜 式 』 神 名 帳 と『 公 事 根 源 』 「 平 野 」、 「 住 吉 」 の 注 で『 日 本 書 紀 』 巻 一 神 代 上 一 書 第 六 と『 続 古 今 集 』 巻 七 神 祇・ 七 二 七 番 歌、 「 三 輪 」 の 注 で『 日 本 書 紀 』 巻 一 神 代 上 一 書 第 六 と『 先 代 旧 事 本 紀 』 巻 四、 『 吉 田 』 の 注 で『 延 喜 式 』 巻 一、 「 松 尾 」 の 注 で『 延 喜 式 』 神 名 帳 が 引 用 さ れ て い る。 ま た 本 段の末尾には『寿命院抄』と同様に『枕草子』からの影響が指摘さ れ て い る ほ か、 「 古 文 に も 此 躰 あ り 」 と し て『 荘 子 』 胠 篋 篇 第 十 と 『文選』京都上・ 「西都賦」から類似例が引用されている。 二五段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 ア ス カ 川 フ チ セ 常 ナ ラ ヌ 世 ニ シ ア レ ハ 時 ウ ツ リ 事 サ リ タ ノ シ ミ カ ナ シ ミ 行 カ ヒ テ 」「 野 ラ 」「 桃 李 物 イ ハ ネ ハ 」 「 京 極 殿 法 成 寺 ナ ト ミ ル コ ソ 」「 志 ト ヽ マ リ 事 変 」「 庄 園 オ ホ ク ヨ セ ラ レ 」「 我 カ 御 ソ ウ ナ ミ 」「 金 堂 」「 正 和 ノ 比 」「 無 量 寿 院 」「 行 成 大 納 言 」「 カ ネ ユ キ カ ヽ ケ ル 扉 」 の 一 二 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本段では「アスカ川フチセ常ナラヌ世ニシアレハ時ウツリ事サリタ ノシミカナシミ行カヒテ」の注で『古今集』巻一八雑歌下・九九〇 番歌・ 『古今集』序文・ 『長恨歌傳』 、「野ラ」の注で『古今集』巻四 秋 歌 上・ 二 四 八 番 歌、 「 桃 李 物 イ ハ ネ ハ 」 の 注 で『 史 記 』 列 伝「 李 将 軍 列 伝 」、 「 京 極 殿 法 成 寺 ナ ト ミ ル コ ソ 」 の 注 で『 拾 芥 抄 』、 「 金 堂 」 で『 和 名 集 』 24が 引 用 さ れ て い る。 ま た 本 段 の 冒 頭 に は「 此 段 イニシヘヲ考テ今ヲソシルナルヘシタトヘハ東国執権天下ヲ掌ニニ キリ鎌倉ニ五山ヲ建テチカキ我カ子孫ノミ天下ノカタメト思ヒタル ヲ云ナルヘシ」とあり、章段内容の解釈が見られる。 『 野 槌 』 で は「 飛 鳥 川 の 淵 瀬 」「 時 移 」「 野 ら 」「 桃 李 も の い は ね は 」「 京 極 殿 」「 法 成 寺 」「 志 と ゝ ま り 事 変 し 」「 庄 園 多 く よ せ ら れ 」 「 我 御 そ う の み 」「 帝 の 御 う し ろ み 世 の か た め 」「 金 堂 」「 正 和 の 比 」 「 無 量 寿 院 」「 丈 六 」「 行 成 大 納 言 」「 か ね ゆ き か か け る 扉 」「 か は か り の 名 残 た に な き 」 の 一 七 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は 「 飛 鳥 川 の 淵 瀬 」 の 注 で『 古 今 集 』 巻 六 冬 歌・ 三 四 一 番 歌 と『 古 今 集 』 巻 一 八 雑 歌 下・ 九 三 三 番 歌、 「 金 堂 」 の 注 で『 風 雅 集 』 巻 一 八 釈 教 歌・ 二 一 〇 一 番 歌、 「 丈 六 」 の 注 で『 往 生 礼 讃 偈 』 25が 新 た に 引 用されている。また本段の末尾には「此段我身の栄る時に子葉孫枝 のなをしけらんことをかねておもへとも程なくうつりかはる事囲碁 の石を拾ふかことし(中略)道長公仏法をこのみて後まての福をい の り て寺を立ら れ し か寺は早く な く な れ は其福も か ひ な き こ と に や」 と章段内容の解釈が述べられている。 二六段 『寿命院抄』では「風モ吹アヘスウツロフ人ノ心ノ花ニ」 「ワカ世 ノ ホ カ ニ ナ リ 行 」「 サ レ ハ 白 キ 糸 ノ ソ マ ン 事 ヲ 」「 堀 河 院 百 首 」「 ム
カシミシイモカ垣ネハアレニケリ」の五箇所で注が付けられている。 本 段 で は「 風 モ 吹 ア ヘ ス ウ ツ ロ フ 人 ノ 心 ノ 花 ニ 」 の 注 で『 古 今 集 』 巻二春歌下 ・ 八三番歌と『古今集』巻一五恋歌五 ・ 七九七番歌、 「サ レハ白キ糸ノソマン事ヲ」の注で『淮南子』説林訓が引用されてい る。また本段の冒頭には「此段世ノウツリカハリ心の外ニナリ行事 ノアハレヲノフル也前段ニ類スル也」と前段である二五段との関連 性が指摘されている。二五段は無常の世であるのに将来を計画する 儚さについて、京極殿・法成寺・道長の遺跡等の事物を例に挙げて 書かれた章段である。一方、二六段は人間の心が移り変わっていく ことの儚さについて、和歌を例に挙げて書かれた章段である。二五 段は人間の作る事物や事業の儚さについて、二六段では移ろってい く人間の心の儚さが書かれているため、両段を類似性の高い章段と 捉えている。 『野槌では「風もふきあへすうつろふ人の心のはなに」 「わか世の 外になりゆく」 「白き糸のそまむことをかなしみ」 「堀川院百首」の 四箇所で注が付けられている。本段では「白き糸のそまむことをか なしみ」の注で『風雅集』巻一七雑歌下・一八五四番歌が新たに引 用されている。 二七段 『寿命院抄』では「御国ユツリノ節会」 「劔璽内侍所」 「新院」 「オ リヰサセ給ヒ」 「トノモリノトモノミヤツコヨソ」 「カヽル折ニソ人 ノ心モ」の六箇所で注が付けられている。本段の末尾には「此結句 筒 (ママ) ※簡要 安 也主君親昵朋友等忠節義理ヲスヽムル詞也」とあり、章段内 容の解釈が見られる。 『野槌』では「御国ゆつり」 「釼璽内侍所」 「内侍所」 「新院おりゐ させ給ひ」 「とのもりのとものみやつこ」 「とものみやつこ」の六箇 所で注が付けられている。本段では「釼璽内侍所」や「内侍所」の 注 で 三 種 の 神 器 に つ い て『 先 代 旧 事 本 紀 』・ 『 古 事 記 』・ 『 日 本 書 紀 』 が 新 た に 引 用 さ れ て い る。 26本 段 の 末 尾 に は「 此 段 譲 国 の 時 内 侍 所 剱 璽 わ た さ る ゝ と 云 」 と 本 段 の 内 容 を 述 べ た 後、 「 周 の 成 王 の 崩 し 給ふ時赤刀大訓弘壁戈弓の類をつらねて康王の位に即し事おもひや ら れ 侍 る 」 と 周 朝 の 成 王 の 同 類 の 逸 話 や、 「 末 段 に 至 て と の も り の うたまいる人もなきなんといへるをみれは唐の玄宗の心ならす」と 玄宗皇帝の例が紹介されている。 二八段 『寿命院抄』では「諒闇ノトシハカリ」 「倚廬ノ御所」 「太刀」 「ヒ ラ ヲ 」「 ユ ヽ シ キ 」 の 五 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 諒 闇ノトシハカリ」の注で『壒嚢抄』巻五「諒闇」 、「倚廬ノ御所」の 注で『壒嚢抄』巻一一「色字事付倚廬御所事」が引用されている。 『 野 槌 』 で は「 諒 闇 」「 あ し の み す 」「 太 刀 」「 平 緒 」「 ゆ ゝ し き 」
の 五 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 で は「 諒 闇 」 の 注 で 新 た に 『 論 語 集 註 』 第 一 四 憲 問 を 引 用 し、 孔 安 国・ 鄭 玄・ 朱 子 等 の 諒 闇 に 関する説を紹介している。また本段の末尾には「此段譲国の時内侍 所剱璽わたさるゝとゝ云周の成王の崩し給ふ時赤刀大訓弘壁戈弓の 類をつらねて康王の位に即し事おもひやられ侍る」と類似の例が紹 介されている。 二九段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 シ ツ カ ニ オ モ ヘ ハ 過 ニ シ カ タ ノ 恋 シ サ ノ ミ 」 「スサヒタル」 「クソク」の三箇所で注が付けられている。本段では 「シツカニオモヘハ過ニシカタノ恋シサノミ」の注で『枕草子』 「過 ぎにし方恋しきもの」の段と『源氏物語』幻巻が引用されている。 『野槌』では「過にしかたの」 「人しつまりてのち」 「すさひ」 「く そ く 」「 な き 人 の 手 な ら ひ 」 の 五 箇 所 で 注 が 付 け ら れ て い る。 本 段 では「人しつまりてのち」の項目で『後漢書』列伝五「李王鄧來列 伝」 、「なき人の手ならひ」の項目で『新拾遺集』巻一四恋歌四・一 三〇五番歌・ 『文選』誄上・楊仲武誄・ 『白氏文集』巻六四「感旧詩 巻」が新たに引用されている。 三〇段 『 寿 命 院 抄 』 で は「 人 ノ ナ キ 跡 ハ カ リ カ ナ シ キ ハ ナ シ 」「 中 陰 」 「 心 ア ハ タ ヽ シ 」「 物 ニ モ ニ ヌ 」「 ハ テ ノ 日 ハ 」「 行 ア カ レ ヌ 」「 シ カ ヽ ヽ ノ 事 ハ 」「 ア ナ カ シ コ 」「 カ ハ カ リ ノ 中 ニ 何 カ ハ 」「 年 月 ヘ テ モ 露 ワ ス ル ヽ ニ ハ ア ラ ネ ト 」「 サ ル 物 ハ 日 々 ニ ウ ト シ 」「 サ ハ イ ヘ ト 」「 カ ラ ハ 」「 ケ ウ ト キ 」「 ヨ ス カ 」「 ソ モ 又 ホ ト ナ ク ウ セ テ ト ハ 」 の一六箇所で注が付けられている。本段では「心アハタヽシ」の注 で『 源 氏 物 語 』 明 石 巻 と『 河 海 抄 』 27、「 シ カ ヽ ヽ ノ 事 ハ 」 の 注 で 『 日 本 書 紀 』 と『 河 海 抄 』 28、「 ア ナ カ シ コ 」 の 注 で『 下 学 集 』 第 一 七言辞門「穴賢」 ・『輟耕録』巻四「無恙」 ・『広韻』去聲・漾「恙」 、 「 年 月 ヘ テ モ 露 ワ ス ル ヽ ニ ハ ア ラ ネ ト 」 の 注 で「 源 氏 物 語 」 の 玉 鬘 巻、 「 カ ラ ハ 」 の 注 で『 源 氏 物 語 』 の 桐 壺 巻、 「 ケ ウ ト キ 」 の 注 で 『 河 海 抄 』 巻 二 夕 顔 巻「 け う と く 」 が 引 用 さ れ て い る。 ま た 本 段 に ついて「サル物ハ日々ニウトシ」以前を「已上文選ノ詩ノ心也」と し、 『文選』からの影響について指摘が見られる。 『野槌』で は「中陰」 「心あ は たゝし」 「も の に も に む」 「は て の日」 「行あかれぬ」 「しかゝゝのこと」 「あなかしこ」 「かはかりのなかに 何 か は 」「 年 月 へ て も 」「 さ る も の は 日 々 に う と し 」「 さ は い へ と 」 「きははかり」 「からは」 「けうとき」 「卒塔婆」 「よすか」 「そもまた ほ と な く う せ て」 「い つ れ の人と名を た に し ら て」 「其か た た に な く」 の一九箇所で注が付けられている。本段では「中陰」の注で『大蔵