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労災補償の法構造-1- 利用統計を見る

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労災補償の法構造-1-著者

水野 勝

著者別名

M. Mizuno

雑誌名

東洋法学

12

1

ページ

75-99

発行年

1968-09

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00006143/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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労災補償の法構造 ︵一︶

 は じ め に 一 本質論とその補償の法構造への投映 ω 殿損回復・填補説とその法構造の検討 ② 生活保障説とその法構造の検討︵以上本号︶ 二 補償の法構造         ︵以下次号︶    ;総括と私見1 ω補償の法制度的構造 ② 業務上災害のとらえ方  む す び 労災補償の法構造 日 七五

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東洋法学

七六

は じ め に

 労災補償の本質およびその法構造については伝統的に.工場制機械生産の採用と進展にともなう災害によってもた らされた損害の填補にあると理解され.無過失損害賠償責任として構成する立場が支配的であった.戦後、労働保護 法制の確立のもとでも.こうした立場を踏襲し.不法行為責任の延長線上で理解する立場︵末弘・時報二〇巻六号二五 頁以下およ釜妻貢.基準局編著労基法下七二五頁など︶も.なお.ねづよく存在するが.今β.学説の大勢は.労災補償 の定率補償や行政的履行確保に典型的にあらわれているごとく.茅転の特質は市民法原理をこえるものであるとして. 労働法上の独自の鷺的と根拠をもとめてゆく方向にある.とはいえ、そうした傾向の枠内においてさえ、労災補償の 本質如何は多岐にわかれ.それに応じて補償の構造の把握も帰一するところをしらない状況である、そうした対立に つき.これまでも.目的、根拠をメルクマ⋮ルとして.あるいは性質を基準として、本質論の対立を分類し.その法 構造に検討をくわえた論稿がすくなからずあらわれている.しかし.その態度は.概して.本質論をめぐる目的根拠 の対立を.いわば.伝統的な無過失賠償責任との異質性にむすびつけて強調するというにとどまり.そうした見地か ら.いかに把握ないし構成されるべきかという接近視角は.必ずしも.十分に堀下げられていなかったといえよう. そのため.目的、根拠の差異がなにに起因し.いかなる意味を担い、その本質観および法構造をどのように規定して いくかという側面が十分に解明されることなく.漢然と法運用の背景にすえられ、本質論の対立の固定化を生み、無

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意味な法解釈上の対立をもたらしているということができる。本稿は、まさに、そうした問題意識のもとに、本質論 の対立をこれを規定した要因に遡って検討し、それが法構造にいかに投映していくかを明らかにし、そこから帰結さ れる補償本質論の接近視角のもつ意味の検討のうえに、筆者の見解を明らかにしようとしたものである。そのさい、 不法行為の延長線上で補償の法構造をとらえる立場は、一応、検討のそとにおかれるが、それはこの立場がナンセン スだからではなく、むしろ、今日の学説の動向にしぽって検討して行く過程で、そのもつ意義が明らかになると解す るからである。

本質論と補償の法構造

 さて、補償の法構造を規定する本質論の対立は、不法行為責任の延長線上においてとらえる説を別とすれば、目 的、根拠を基準にして、殿損労働力の回復を目的とし、その根拠を衡平の観念にもとめる説︵以下、殿損回復説と略称︶、 労働力殿損のもたらす損害の填補を目的とし、その根拠を労働契約にもとめる説︵以下、殿損填補説と略称︶、労働力殿 損のもたらす生活の困窮にたいする保障を目的ないし指導理念とし、その根拠を生存権、労働権の主張ないし従属労 働関係、社会正義の理念にもとめる説︵以下、生活保障説と総称︶ とに大別できよう。  もちろん、右のように大別したからといって、それぞれのカテゴリーに属する本質論が真向から対立し、相容れな い関係にあるとするわけではない ︵松岡・業務上災害労働法演習一八一頁参照く観点の相異にすぎないとするV︶。むしろ、    労災補償の法構造 8       七七

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   東洋法学      七八

生存権理念の導入による目的の修正や根拠のもとめ方如何によっては、事実上、相互の接近と同化すらみられるとい うことができる、だが、まさに、そうした事実がみられるにもかかわらず、目的、根拠の差異はなにに起因し、いか なる意味をもつかが問題なのである。  ①鍛損回復・填補説とその法構造の検討  右の諸説のうち.致損回復説と殿損填補説とは労災の特質を資本と 労働力の所有の分離という体制のもとに労働力を支配する特殊資本制的労使関係の構造趨体に内包される危険にもと め.かかる危険を規定する労使関係の構造に関連づけ.その責任の基礎を明確化して.はじめて.労災補償制度は労働法 上の独自の制度として基礎づけられるとする基本的視角を共通の立論の基礎とする︵吾妻・基本閲題︸七〇⋮一頁.同労 働塗三五ー六頁.蓼沼・災害補償・講座労働閥題㈱二〇七ー八頁.沼田・権利闘争二八三頁︶。すなわち.労災は資本と労働 の体制的分離のもとで.自己の労働力の処分を使胴者の支配にゆだねざるをえないがために.労働関係における労働 者が.そのゆえに不可避的に蒙むる労働力聾損であり.それは、なによりも. ﹁近代的生産機構に伴う危険﹂ないし ﹁就業関係に内在する客観的災害の危険﹂の現実化 ︵吾妻・概強二九一貢、蓼沼・論文二〇八頁、慶谷・災害補優・講座⑤ ;西五頁︶、または原則として﹁作業に伴う特別危険﹂の顕在化︵沼愚・権利闘争二九六頁︶としてとらえられ.かか る災害の特質に関連づけて災害補償責任の本質も把握されなくてはならないとするわけである.したがって、災害補 償の特質として、﹁無過失責任﹂. ﹁業務上災害の限定﹂、 ﹁定率補償﹂、 ﹁救済の担保﹂が一般にあげられるが、後者 二点を別とすれば、右の危険が労使関係の構造に規定された﹁客観的災害の危険﹂ないし﹁特別危険﹂として、個別 労働者の注意力をこえるゆえに、無過失責任とされ、また、それが、抽象的にもせよ、合意︵黙示の合意をふくめて︶

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を契機とする労働力の支配従属関係に内在し、もしくは根源的にこの関係自体に規定された危険として、原理的に私 生活関係のそれと区別されるゆえに、業務上災害に限定されるとともに、個別資本の排他的責任とされるのだとする ︵吾妻・基本問題二七二頁、蓼沼・前掲論文二〇八頁、慶谷・前掲論文一三四八頁、沼田・権利闘争・二八三頁・二九四頁︶もち ろん、これらの立場でも、災害補償制度の生活保障ないし生存確保の機能を否定するものでないことは、さきにも指 摘したとおりであり、この機能に、災害補償の制度上、どの程度の意味をもたせるかに応じて、他の二特質のとらえ 方に、微妙な屈折を生じ、また、業務上外認定の方法および範囲に差異をきたしていくことは後述するとおりである が、なによりも、災害補償責任の本質を﹁無過失目業務上﹂災害とされていることに力点をおいてこれを労災の﹁補 償﹂ではなく、 ﹁労災﹂の補償の責任としてとらえ、災害の特質を規定する労使関係の構造を重視し、責任の基礎を       ︵王︶ 明確にすべしとする点で、後述の生活保障説と対置されるべき共通の視角をみとめることができよう。  そこで、さらに、以上で明らかにされた本質把握の共通の視角にもかかわらず、目的、根拠を異にするのはなぜ か。また、それはいかなる意味で異なり、その本質観および法構造といかにかかわるかが明らかにされなければなら ない。この点の検討はたんに轡損回復説と殿損填補説との本質論のもつ意義と評価のためだけでなく、これと対置さ れる生活保障説の本質観との差異を明確にする意味でも、不可欠の前提作業といえよう。  さて、殿損回復説の目的と根拠は、究極的に、なにに帰し、いかなる意味を担うものであろうか。その点の解明の 手掛は、この立場の提唱者たる吾妻教授が、補償の特質たる賃金を基準とする定額制、履行の行政的担保につき、と もに﹁労働力保全﹂の観点を基礎として、前者については﹁単なる生活保障の思想を越え、労働力に対する補償﹂と    労災補償の法構造 8      七九

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   東洋法学       八○ しての性格﹂をしめしたものでその﹁社会的価値﹂の評価にほかならないとし、後者も﹁労働カー⋮補償は労働力の 回復という意味からも.またその酬いという意味からも急を要すること﹂に帰され ︵量婁・基本問題一七一貢二七五 頁、同・概論三九茎貝︶, さらに.   差押の禁止︵八三条墳︶さえ補償が現実におこなわれることの祉会的意義に 存し.労働者保護の観点からではない.としている点である︵吾妻・概塗二九三頁︶.そこに.殿損労働力の回復という 羅的が労働力保全という政策縫的を前提として帰結され.いわば.上からの政策麟的に傾斜し.これを成立せしめ. かつ規定する下からの条件を軽視する補償本質観を看取することがでぎよう、だからこ蕩、.つま参.二灘的な上から の政策簸的を基礎としで、、制度目的を毅損労働力の回復にあるとするからこそ.補償責任と賠償責任との異質性が帰   ︵2︶ 結され.そこから.ただちに.         、葺、すなわち、労災につぎ.原則として不法行為の成立する余地 なく、補償制度によってのみ処理されるべぎであるとの見解 ︵吾妻・労基法四四五ー六頁.問・概論三九三頁︶が帰結さ れたのである.形式論理としては.両者の異質性から二つの展開.すなわち、異質性善請求権競合と異質性垂講求権 非競合とが可能であるにもかかわらず.後者の展開を採用したということは異質性が政策目的を基礎として.殿損労 働力回復という補償目的から帰結されるためということができる、まさに.殿損労働力の回復に補償目的をもとめた ことは講求権非競合を帰結する伏線としての機能をもつといえよう、そこに.無過失にもかかわらず、業務上災害を 条件に労働者の救済がなされる以上.不法行為責任が原則として排除され.補償額が実損害の回復以下におさえられ たとしても.救済として十分であるとする.すぐれて政策的なバランス論が介在するということができる。こうした バランス論は業務上概念の厳格な限定ーー資本の支配圏内にあることと.支配圏に内在する危険の現実化ーー、と帰責

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事由の客観化︵無過失性︶とにも看取できるが、まさに、抽象的衡平の観念はかかる政策的バラソス論にたつ本質論 を基礎づける意味をもつといえよう。それも、所詮、一面的な労働力保全政策を本質把握の立論の基礎とした必然の 帰結といえまいか。  これにたいし.以上の背景をふまえて提唱された見解が殿損填補説であると評することができる。すなわち.、労災 補償制度を労働力保全という総資本の合理的理性に支えられたものとしながらも、この政策自体、労災を﹁資本の 悪﹂と意識する労働者階級の多年の権利闘争にたいする総資本の譲歩と規定し︵沼田・権利闘争・二八二頁以下.とくに 二八四頁、蓼沼・前掲論文二一〇頁︶、下からの権利主張を社会政策立法の成立および規定の条件ーこれを形づくる運 動の高揚こそ、生存権・労働権思想形成の基盤であるーとして配慮していく立場である。下からの条件を配慮する点 に、殿損回復説の欠陥を克服し、これと異なる本質観を形成する基礎が存するといえよう。だからこそ、致損填補説 は、補償責任の目的を規定するにさいしても、社会政策立法成立の条件ー労働運動の高揚ーにともなう権利感情 権利意識に即応した客観的危険にたいする責任の承認i帰責事由の客観性  として率直にその目的を労働力殿損 による損害の填補ないし賠償にもとめたものと解される︵沼甲権利闘争二八六−七頁二天九!二九三頁、蓼沼・前掲論文 二〇六ー七頁参照︶。したがって、補償の特質とされる定率・補率と行政的確保とは、右の本質観に対応して、実損額算 定の煩をさけ、訴訟による救済の遅延をふせぎ、迅速な被災者の救済を意図したものとして、生活保障機能をもつと され、ただ、定率補償が賃金を基準とする点は労働力保全が嬢的であることに帰せられたのである︵蓼沼・前掲論文二 〇九頁・二二二頁註六、慶谷・前掲論文二二四四頁。なお、沼田・労働法論上四五〇頁では、生存権に制度の指導理念としての地    労災補償の法構造 e       八一

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   東洋法学      

八二 位をあたえ、そこから、刑罰による強制と行政的監督との存する由縁を明らかにされるが、とくに補償の特質に言及されていな い。しかし.生存権を制度の指導理念と位置づけられるので、一層つよく、生活保障機能が是認されよう。︶。総じて、労働力保 全を立論の基礎としながらも.補償の内容・方法の把握に生活保障的視角からの接近をうけいれていく態度が.労働 力保全政策の成立条件である運動の高揚にともなう生存権思想への配慮ーもちろん.配慮の程度に差異はあるが⋮ ーに起因することが理解でぎよう.そこに殿損回復説と異なる補償本質観を看取でぎる.しかし.そこでの差異は. いずれも実定法上.明文の規定を有し.いずれにしても説明上の差異に帰し.実際上の効果において差異はきたさな い.間題は.本質論に関連して.理論上解決しなければならない論争点たる﹁業務上﹂概念について.右の見解が. すでにのべたごとく。無過失.業務上の災害を個別資本の排他的責任とする規範的根拠如何という本質論の基本的接 近視角に規定されて、労災が今鑓の﹁経済的社会的体制そのもの﹂に起因することをみとめながらも. ﹁業務外﹂と 峻別する立場を帰結する点である︵蓼沼・前掲論文二二貢︶。そこに無過失における帰責事由の加重と業務上概念の厳 格な把握ー資本の支配圏にとりこまれており、かつ.支配圏に内在する客観的危険の現実化たることを要するー とを安易にバランスにかける本質観がみとめられ.しかも.それは結局.労働力保全政策を立論の基礎にし、これに 傾斜したことに帰因するといえよう.もっともこの点、同じく殿損填補説にたつ沼田教授は労災補償を生存権理念に ささえられたものと規定され、各法条の解釈運営は保護法たる﹁労基法自体の精神﹂にてらしておこなわれるべきで あるとして︵沼田・権利闘争・二九七ー八頁、同・労働法論上四四六頁︶、いわば、生存権の理念を制度の解釈運用の指導理 念にまでたかめられる、したがって.労働力保全政策を規定した条件にともなう生存権.生活権の主張は補償制度に

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十分に投映され、 ﹁業務上﹂概念も﹁災害の危険が使用老の支配圏内  資本の機能をいとなむ範囲1にあるか否 か、にもとめうる﹂︵沼田・労働法論上四一三頁︶とされる。もちろん業務起因性を﹁業務上﹂概念の認定要件から理論 上排除するものでないことは、殿損回復説、鍛損填補説の共通の本質把握の視角からみて、当然の理といえる。だ が、この要件は﹁制度の趣旨にてらして、その災害を資本機能の範囲に帰して、個別資本をして補償せしめることが 社会正義に合致するか否か﹂を基準に決定すべきものと規定される︵同書璽二頁︶。すなわち、業務帰因性は業務遂 行性−資本機能の範囲  に規定され、たんなる原因と結果との経緯にそくした相当性の認定基準とは異なる損害 分配の評価基準として、資本機能の範囲そのものの確定に還元される論理をくみとることができよう。そのかぎり で、労災の特質に着目し、その原因を労使関係の構造自体に規定されたものとして、責任の所在を明確化する視角と 補償制度の生活保障機能との調整を志向し、後者の要因を制度内にくみいれることを意図したものとして評価するこ とができる。だが、反面、この立場が、事実上、生活保障説との差異を解消することとなるだけに︵後述二ω∬参照︶ 右のように生存権思想に制度運用の、いわば指導理念としての地位をあたえ、補償の諸特質、とりわけ、業務上災害 をこの理念にしたがってとらえていく態度と、それにもかかわらず、なお責任の所在を明確化するという接近視角と が、果してよく調和するものということができるか疑問といえよう。すくなくとも、業務上概念を資本の機能の範囲 とみることは個別資本の責任の論理をこえるものというべきでなかろうか。  ともあれ、以上のような殿損填補説の本質接近視角は労使関係の構造自体に規定される危険の現実化にたいする使 用者個有の責任の基礎づけという趣旨かれら、市民法上の保護義務とは異質の、いわば労働保護法の展開のもとで具    労災補償の法構造 8       八三

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   東洋法学      八四

体的内容をあたえられた﹁労働力保全の一般的義務﹂︵蓼沼・前掲論客二二頁、同旨・慶谷、前掲論文;西五頁︶.また は・今βのいいかえれば生存権理念に照射された﹁法意識﹂︵沼田・権利闘争二九六頁以下︶を媒介として.その根拠を        ︵3︶ 労働契約自体にもとめていくことになる、しかし.労働契約に根拠をもとめる媒介項が.それぞれの本質観にしめる 生活保障機能の相違に応じて.前者が上からの労働政策に.後者が下からの成立条件に接近するという差異はあれ. 基本的には.ともに一種の  労働法をささえる法理念に照射され.そのかぎりで.市民法上のそれと異なるにして もー保護義務を肯定するものといえまいか.蛮た.茶転の結果.労働契約関係において.かかる義務に対応する代償 ないし権利制限の論理を生む危険性なしとしな㌧とゆわけ.前者では.労働力保全の一般的義務という媒介項が. それ自体資本の利益であるとともに.その隈度に労災補償を限定する機能に対応することも.右の意昧で看過される       ︵魂︶ べきであるまい、  ② 生活保障説とその法構造の検討  以上、検討をくわえてぎた殿損回復ないし填補説にたいし、生活保障説は. 補償方法の特質の統一的把握、すなわち.典型的には.定額補償制、行政的監督による担保.譲渡差押の禁止.遺族 補償︵七六条.七七条.七九条.八○条.八三条.八五条、八六条︶にあらわれた生活確保.生存保障の機能をふくめて. 制度全体の統一把握がなされなくてはならないという基本的な共通の理由のもとに ︵松岡・労基法下八二九頁、荒木・ 労災補償の生活保障理論・労働法一九号一六一頁、同・労災補償と社会補償・民商法雑誌五四巻二号一四六頁以下、窪賦・災害補 償と損害賠償・季労二七号二六頁、安屋・労働災害補償の法理・労働法一三号四頁、有泉・労基法四三七頁︶、副次的に、労働力 の殿損は﹁同時に労働者の生活に対する障害﹂になることをあげ︵窪顧。前掲論客西頁、安屋・前掲論文一六頁.荒木・

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労働法一九号一六〇頁︶、その目的ないし基本理念として労働者︵および遺族︶の生存保障を重視し、程度の差こそあれ、 損害填補ないし賠償からの乖離を認容する、したがって、段損填補説が生活確保の機能をみとめる補償の特質はもち ろんのこと、殿損労働力の価値の填補ないし回復という視点から把握された定額補償の基準が平均賃金であるという 点も、労災による労働力殿損のもたらす労働者や遺族の生活の脅威を﹁従来の生活水準を基礎として一定限度におい て﹂保障したことをしめすものとしてとられられる︵荒木・労働法一九号一六〇頁、安屋.前掲論文一七頁、松岡.労基法下八 一三頁く労働者の具体的生存権の保障の狙いを示したものとされるV、なお、窪田・前掲論文二六頁・二二頁註八にょれぽき補償が賃 金を基準とすることを﹁立法政策の問題ともからみ合う﹂ことに帰し、その非填補性は定率補償から基礎づけている。だが、間頭はま さに現存の実定法規の意味内容を立法政策との関連でいかにとらえるかという点にあるのであって。論点を見失った説明である。︶。  右のように社活保障説が一様に労働者、遺族の生活確保、生存保障を強調し、これを目的ないし基本理念として本 質的モメントにまで高めていくのは、すでに殿損回復ないし填補説の本質観の検討をへてきた現在、下からの運動に ともなう生存権ないし労働権の思想を本質観の基礎にするためであることはみやすい道理といえよう。そのため、権 利の主張という側面が前面にで、労災の危険に着目して責任の処在を明確化するという視角が相対的に稀薄化するこ とは否めないが、反面、労災にたいする労働者、遺族の生活権、生存権の主張に対応する使用者の義務の履行要求と して、責任追求のモメントが、最少限度、随伴することも後述するとおりである。とはいえ、本質論のそうした最大 公約数としての共通性にもかかわらず、根拠を具体的になににもとめるか、それにいかなる機能を担わせるかに応じ て、殿損填補説と乖離し、あるいは接近するという変容がみられる。    労災補償の法構造 日       八五

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   東洋法学      

八六  まず、第一の類型は生存権説である。ひとしく生存権を根拠とするといっても、これがいかなる機能を担うものと してとらえるかによって、その本質論に相異をきたすことはいうまでもない.  さて.はやくから生存権説を提唱された松岡教授によれば、生存権は.補償の方法内容にあらわれた﹁無過失責任 プラスαの義務を説明する⋮⋮論理﹂としてとらえられ、この説明機能と﹁従属関係からの生存の保障貴任﹂という 労基法上の他の諸権利との統一的基礎づけという理由から.これをその根拠とされる︵松岡・労基法下八二九頁.緯・前 掲論文一八一頁︶.茅・こに.災害補償の特質にあらわれた生活保障.生存確保の機能と保護法の麟的にしたがって卒直 に生存権を根拠とする旨が表明されているといえる.したがって、本質論にかかわるもっとも重要な問題である﹁業 務上﹂災害の概念も.主観的帰責事由  故音学過失ーの抽象化  無過失責任⋮にしめされた労働者保護の思 想を重視し、こうした変化をうながした労災の危険を配慮するにしても、業務上災害の枠組ないし範囲にかかわるも のとして.概念確定にさいして配慮されるにとどまり.これを使用者個有の排他的責任とされるのはなぜかという形 で、責任の所在を明確化していくという論理の展開がみられるわけではない、むしろ.今日の労使関係の構造自体が 労働者の私的生活をも﹁資本の必要﹂に即応して規制をくわえていくという認識のもとに.業務上外の区別は﹁スコ ラ的態度﹂だとする社会政策学上の見解︵大河内・社会政策︵各論︶九一頁︶に親近性をしめし.法解釈上も.業務上災 害の要件は﹁現在の労資の力関係を反映して﹂.無過失責任の範囲を﹁労働力と施設の支配権内の事故﹂に限定した ものにすぎないとされ、それは﹁無過失補償の根拠というよりはその限界﹂にかかわるものとされる︵松岡・労基法下 八二九頁︶。それは、立法論としては、ひろく、私生活上の災害を包摂する立場に傾きながらも、解釈上、従属労働関

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係にたつ労働者の生存保障という見地から、業務上概念をいわゆる﹁支配圏内の事故﹂にまで拡張することを意図す るものといえよう。もっとも、この見解においても、業務起因性が認定要件から排除されるわけではない。だが、そ の要件は支配圏に内在する危険の現実化という関係は必要でなく、当該の業務を行っていなかったならば、その事故 が生じなかったという関係︵松岡・前掲書八三六頁・八六〇頁・八六八頁︶、いわば、業務を事故の条件関係にまで緩和さ れる。それは﹁労働力と施設の支配権内の事故﹂という責任の枠組を設定することによって、業務起因性を緩和し、 その認定阻止の作用を抑制するとともに、災害の危険が支配圏の外部からくわえられた場合をも包摂する可能性をし めすもので、生活保障説によって、ひろくとられる態度という意味でも注目に価するといえよう。だが、反面、災害 の原因たる事由、つまり危険は多種多様であり、それが事業ないし支配圏の内部からきたか、外部からきたか、また その結果たる災害が同時に発生するか、時間的に遅れるか等によって、かなり異なる性格をもつが、それが直接的に 認定基準の設定で配慮されず、間接的に支配圏内の事故という面からとらえられるため、因果関係の緩和といって も、実際にはそこでの諸般の事情に左右され、認定基準の明確性に疑問がもたれるといえよう。  なお、労働力と施設の支配という枠組が前提とされるため、その支配圏外とされる通退勤の途上の災害は、原則と して、業務外とされる︵通説・実務上も、使用者の支配下にないため、例外的な特殊事情のため!たとえば、労務管理の必要 上特定の宿舎も提供し、通勤に特定の乗物の利用を四囲の状況から強制されるというような事情∼支配下にあるとみられる場合 を別として、業務外とする。昭二六・一〇・一九・基収三七八二号、昭三八・六・二九・昭三七労一六二号、昭三八・二・三〇・ 昭三八労一〇七ー一一五号︶。    労災補償の法構造 e       八七

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   東洋法学       

八八  これにたいし同じく生存権説にたつ荒木教授は、労働災害は﹁労働者の義務履行と不可分関係にあるものというべ く﹂.それが﹁企業施設から直接発したか否かは﹂決定的要素ではなく、﹁労働者の義務履行⋮⋮に結合した危険であ るかが重要性をもつ﹂ ︵荒木・民商法雑誌五四巻二号一四五頁︶とされ. ﹁労働関係における義務履行との関連性﹂が明 白に否定される場合は別として.業務の遂行およびこれに必要な行為の過程における災害は原則として業務上災害と して.業務遂行性を中心に決定すべきものとされる︵荒木・労働法一九号ニハニ頁︶.それは.業務遂行性を生存権保障 の見地から.ひろくとらえ、これを原則的認定基準とし.災害と労働関係における義務履行との関係の明臼性ーい わゆる業務起因性に相当  を前者の、いわば.阻劫事由として位置づけ、これが業務上災害の認定にさいし限定的 に作用することの回避を意図したものと解されよう.だが概念拡張のために降加された﹁業務遂行に必要な行為﹂と いう概念自体は必ずしも明確でなく.いわゆる﹁作業に伴う必要行為﹂︵基準局編著・業務上外認定基準の詳解一六九頁・ 昭二三・一二・一七、墓災発二三四号.昭二四・一、一四、基災発一二号.昭二四・四・八・基収八九一号︶幅 いいかえれば. 担当業務に直結した.そのかぎりで、労働契約上の義務の履行性をみとめることのできる行為はもちろん.義務履行       ︵5︶ 性の枠をこえた出退勤の途上をふくみーその結論を否定するものではないがーーその結果.さらに私的生活領域へ ひろがる余地があり.実質的認定にさいしては.例外的阻却事由とされた﹁労働関係における義務履行との関係の明        ︵6︶ 白性﹂の判断が.たえず.おこなわれざるをえないこととなろう。ところが.このメルクマ⋮ル自体は﹁業務﹂を労 働契約上の義務の側面から、おきかえたものにすぎず、 ﹁業務と災害の関係の明白性﹂ということに帰し、その基準 としての明確性に疑問がもたれるといえまいか、しかし、そうした不明確さを別とすれば、労災の危険を﹁義務履行

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との結合﹂と規定し、労働関係﹁から﹂の危険のみならず、労働関係﹁への﹂危険を包摂する意図をみとめうるかぎ りで、業務上概念の意義を﹁国が使用者に被災労働者の生活保障義務を負担せしめる条件﹂ ︵同・労働法一九号工ハニ 頁︶にあるとする把握とともに注目すべき見解といえよう。もっとも、そのため、責任の所在が稀薄化することは否 めない。だが、その点は、個別資本の責任の所在を明確化するという接近視角が、これまでの検討および後述する第 二類型︵労働権説、従属労働説︶の検討から明らかなごとく、必然的に業務上災害の認定基準の厳格化をもたらし、ま た生存権理念の導入ないし生活保障の目的によって、右の欠陥を回避しても、それを合理的に基礎づけるためには、 結局、労働契約上、一種の保護義務の存在を肯定せざるをえず、そうした把握に疑問の存するとしたことと相関的に 評価されるべきことというべぎであろう。  とはいえ、教授の補償本質観を原則的に承認しようとするものではない。その点で、もっとも間題となるのは、教 授が補償制度の根拠とした﹁生存権﹂に担わせる機能ないし意昧である。教授の見解によれば、生存権は、労災を個 別資本の責任としてとらえる段階をこえ、総資本ないし国家の責任とする段階の権利主張を担い、かつ基礎づける機 能をはたすものとされ、労基法から労災保険法への補償制度の展開はそうした権利主張の発展に対応するものとして 把握される︵同・民商法雑誌五四巻二号一五四ー五頁.同労働法一九号一五九頁以下︶。したがって、労災保険法における政 府管掌保険制︵同法二条︶、国庫補助の導入︵同塗一西条の二︶などにしめされた公権力の補償法制の前景への登場は、 補償内容における年金制の導入︵障害補償年金く同法一五条の一▽、遺族補償年金︿同法一六条の二⋮四﹀︶および遺族補 償の家族構成にそくした給付内容の具体化と給付の加算制の採用︵同法一六条の二上δにあらわれた生活保障機能の    労災補償の法構造 e       八九

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   東洋法学      

九〇 進展とともに、補償制度が国家の生存権保障主体たる地位に対応すると同時に、総資本の社会的責任の表明たること をしめすものとされ、必然的に労災補償を﹁労働条件保護の系列﹂口労働保護法の系列をはなれ. ﹁生存権・生活権 の直接的に麦配する社会保護︵障?︶法の体系﹂のもとに構成する立場に傾斜される︵同・民商法雑誌五四巻二号一四六 ー五一頁土五三⋮五七頁∴六〇頁︶。だが、それは業務上概念に業務遂行性の限定をくわえたことの意義を自ら軽視 し、労働法上の制度としての独自性すら否定することに通ずるといえよう.とりわけ、国庫補助の導入を﹁補償の生存 権的性格.したがって国家の補償に対する法的義務を明瞭ならしめたもの﹂ ︵罰∴努働法一九号ニハニ頁︶ とされると き.その感をつよくする.それは、結局.労災による生存の侵害にたいする保障の主張が資本機能の担い手と区別さ れる労働者集団に属する者によって担われることを看過し.実定法上.直接的義務主体として国家が登場すること! ーそれは.労資の対立関係を捨象し、国民一般にたいする第三者としての性格をもつ  を生存権の主張に対応する ものとして受け入れ.無批判に立法の動向を肯定したものといっても過言ではあるまい。たしかに労災保険法の近時の 動向は生活保障としての性格を強化してきたといえよう、だが.労基法上の補償請求権を保険制度で確保するという 基本原則は維持され︵同法一条・二秦.労基法七五ー七条、七九ー八○条参照︶、 国庫補助も予算措置の可能性をみとめ たにとどまり、原鋼としてその費用は業種ごとの予想給付費総額と災害率を基礎に算定される保険料率にもとづき、 各事業主から徴収される︵同法二⋮四六条、令二条、則二七条、刷表六︶のであって、年金制の導入も.こうした原則の       ︵7︶ もとでは、生活保障機能の推進と同時に個別資本の負担軽減の機能をもつことを看過すべきではあるまい。このよう にみてくると、国庫負担の導入の道をひらいたことを評価する前に、その立法政策の妥当性こそーたとえ例外的要

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因にせよー問題にされるべぎではあるまいか。  以上、生存権説につき、それが担う機能にそくして若干の検討をくわえ、ひとしく、業務上災害の概念が責任の根 拠というよりは限界にかかわるとの見地にたちながらも、その本質観にかなりの振幅の生ずる由縁を明らかにしてき た。これにたいし、生活保障を目的とみとめながらも、個別資本の責任の所在の明確化を意図し、その根拠を労働権 の主張ないし従属労働にもとめる立場がある。これが根拠に関する第二の類型である。この立場が損害填補との異質 性を強調し、生活保障を目的としてとらえるにあたり、労働力殿損が同時に労働者の生活の脅威としてあらわれる点 を重視したことは、すでに指摘したが、労災の危険を労使関係の構造自体にむすびつける点で、殿損回復ないし填補 説、とりわけ後者に近似するとともに、そうした状況下の労災にたいする労働者の権利意識を補償制度の本質的モメ ントとしてとらえる点でこれと区別される。  まず、労働権説にたつ窪田教授によれば、労働力殿損にょる生活の脅威は﹁人間らしい労働の持続︵労働権︶﹂によ って確保されるべき労働者の﹁人間らしい生活︵生存権どの侵害を意味し、したがって﹁災害補償をうけるべぎ権利 を基礎づけるものは彼の就労状態を不可能ならしめたことに対する労働権の主張のうちに求めることができる﹂ ︵窪 田・前掲論文二四頁、西村他・基準法論く窪田V三二五頁︶とされる自。その論理の基本的仕組は﹁失業状態から発する権利 としての限定的勤労の権利﹂と﹁就労状態における勤労の権利﹂との承認として労働権をとらえ︵沼田.擁護論一〇八 頁以下︶、これを﹁災害補償をうける権利を基礎づける労働基本権﹂としてとらえる立場︵蓼沼.前掲論文二;下四頁註︶ を前提にするものといえるが、 ﹁労働権の主張﹂をその直接的根拠とする点で抽象的にすぎるきらいはあるにせよ    労災補償の法構造 の       九一

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   東洋法学      九二 fまたそのかぎりで、責任の所在を稀薄化するおそれも否めないがー損害填補と異質の労働者の生活保障を懲的 とした﹁いわゆる社会的請求権﹁︵西村他・基準法論く窪繊V三二三頁︶を基礎づけ、かつ補償制度の労働法上の独自性 をとらえたものということができる。ところが、そうした本質観にたつにもかかわらず.業務上外の認定について は.︸転して.補償が本質的に個別資本の責任とされていることを理由に.使用者の支配領域内にとりこまれている こと︵業務遂行性︶と従属関係を基礎とした企業の内在的危険の現実化︵業務起闘性︶との二要件を基準とすべきもの とされ.たかだか業務上災害の範雛の拡大解釈が説かれるにすぎない︵同欝三三一ー一三頁・三三九頁︶.そこでは.個別 資本の責任の所在に関連づけて認定基準をとらえようとする意図は明瞭に看取でぎよう.しかし、個別資本の責任を 明確にしようとすればするほど.業務上の概念を無過失にしめされる生活保障の視点からの把握にとどまらず.いわ ば.帰責事由の客観化という側面を配慮した把握に接近せざるをえず.その結果、労使関係の構造自体に規定され. ないし内在する危険のもたらす損害の填補として.その賠償佳を帰結するのが.論理必然の成行というべく.生活 保障を綴的とし.損害填補との異質性を強調する観点と個別資本の責任の所在の明確化を基礎とした認定基準の把握        ︵8︶ とが理論上よく統一をたもつものといいうるか否か大いに疑間であるといえよう。もっとも.教授は災害補償をうけ る権利を労働権が基礎づけるという見地にたてば.個別資本の個有の責任とする根拠は労働契約自体にもとめること が可能であるとして、その両立を前提とされる、すなわち.市民法原理にたつ雇傭契約にたいし、労働契約が従属労 働関係の存在を認容する独自の法概念として設定されたという事実は労働者の生存権ないし労働権確保の社会的要請 を担うものであるゆえに.かかる関係を設定し.媒介する﹁労働契約的そのもののうちに.⋮⋮労働権思想に支えら

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れた災害補償責任を使用者の個有の責任とすることの可能性が見出される﹂︵同書三二六頁。三二九頁註九︶と。たしか に、労使の結合を従属労働関係としてとらえることは労働者の生存権ないし労働権確保の要請に対応するものであ り、これが労働契約に投映することも疑をいれない。しかし、従属関係は、原子論的構造をもつ市民法原理が契約自 由の原則をとおして資本の一方的意思の貫徹を正当化することの虚偽性の自覚に対応するものであり、労働契約にお ける労働者保護もその成立、存続、終了における使用者の恣意の抑制を原理的にこえるものではない。したがって、 労災の危険が従属労働関係に根源的には規定され、かかる関係自体に内在するとしても、当然には労働契約自体にそ の根拠をもとめうるものではない。そのためには、そうした危険を前提として、いわゆる保護義務の存在ないし労働 力保全の義務を労働契約上の義務として肯定しなければなるまい。それが個別資本の責任の所在の明確化という接近 視角を本質観の基礎にもちこむかぎり、論理必然の成行といえよう。もっとも、窪田説とほぼ同一の本質接近視角に たって個別資本の責任の所在と生存権保障の基本理念との調和をもたらすものとして、その根拠を﹁労使の支配関 係、従属関係﹂にもとめる見解︵安屋・前掲論文一〇1一頁︶がある。しかし、それは、責任の社会的存在性格の把握 であるということはできるが、規範的・法理的意義における根拠をとらえたものと称することはできまい。そのこと は、個別資本の責任の所在の明確化という視角が、その規範的根拠を問うかぎり必然的に労働契約に根拠をもとめし め、その結果、教授が、まさに回避せんとして労使関係の債権共同体関係としての構成へ︵同.前掲論文二貢︶、ない しその変型へ、一種の保護義務を媒介としていぎつくことを意味するといえないだろうか。  なお、安屋説は支配関係、従属関係を責任の根拠とすることによって、責任の範囲、いいかえれば業務上災害の範    労災補償の法構造 e       九三

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   東洋法学       九四

囲を資本の存在性格にそくしてとらえる方向をとることによって、生産手段と労働者の支配という枠組の限定こそ存 するがーしたがって、通退勤の途上の災害は必然的に業務外となるが  業務上災害の認定基準を﹁使用者の支配 下に行動する労働者について.その支配下にあることによって蒙った災害﹂︵同、前掲論文一四頁︶と規定したことは、 災害の危険が事業の外部から生ずる場合をも業務上災害に包摂するメルクマールの設定として注目に価する見解とい えよう.  以上の二類型が生存権ないし生活権の保障を補償の醸的ないし基本理念とし.損害填補との異質性を強調するとい 養点で.個別資本の責任の所在の明確化という視点にたって補償の損害履補性を欝定する殿損環補説と対立すること は.これまでの検討から理解でぎよう.これにたいし.そうした対立を不法行為法の過失責任から無過失責任への発 展に対応する損害賠償原理の後退と危険ないし損害分配原理の麦配への移行のなかでとらえ.右の対立を解消し.補 償制度を損害分配原理の支配をうけるものとして、その根拠を﹁災害抑制という政策的意図と社会正義の実現という 理念﹂にもとめる立場 ︵有泉・前掲書四三七頁、同冒、三島・佐藤・労働者の災害補償六二頁以下︶がある、これが根拠に関す る第三の類型である、したがって.これによれば、補償の本質は損害分配にあるとされるが.そのことは補償を﹁労 働者に生じた損害の填補﹂とみることと矛盾せず.むしろ﹁表裏の関係﹂にあるものとされる︵同書四五三頁︶.その ため、一見、損害填補との異質性を強調する生活保障説と区別すべきもののごとくみえるが、なによりも、責任の所 在の明確化という視角が後退し、生存保障の見地がつよくうちだされること1社会正義の理念を根拠としたこと は.まさにそうした見地にたちながら、損害分配の原理を担わせるため、その機能にそくして﹁具体的﹂規定をされ

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たものにほかならない︵同・書四三七頁参照︶ 、また生活保障説も、必ずしも損害填補の機能を否定するものでない こと︵安屋・前掲論文一八頁は副次的に損害填補の機能を肯定し、荒木・労働法一九号一六三頁は機能面における重複性を肯定す る︶からみて、なお、生活保障説の類型とみるべきものといえよう。  ともあれ、損害分配が本質であるとの前提のもとに、業務上災害の認定にさいしても、理論上、業務起因性は必ず しも必要とされないこと⋮ー損害賠償性の後退−他方、認定技術上、業務上疾病は業務遂行性が問題にならず、業 務起因性こそ重要である反面、業務上負傷は業務遂行中の負傷がなんといっても重点をしめることを理由に、 ﹁業務 起因性と業務遂行性の相関関係によって判断﹂すべく、 ﹁一方の要件が十分に充足されている場合には他方の要件は 極めて軽微でもよく、場合によっては零でもよい﹂とされる︵有泉.前掲書四三九ー四〇頁、同旨.三島.佐藤.前掲書七 二頁以下ただし、相関的判断にたって、さらに、これをおし進め、業務遂行中に生じた災害は原則として、業務起因性があると推 定すべきであるとする。逆の推定もみとめるものと思われる︶。 しかし、損害分配原理を基礎に帰結される二要件の相関関 係的判断とはいっても、教授自身、自認されるごとく、業務上の負傷につぎ、業務遂行性が零となる二要件のウエ⋮ トの振幅は考えられず、逆に、業務上の疾病について、業務起因性が零となるような要件の振幅は考えられていな い。それは、いわば、業務上負傷の場合には、事実上、業務遂行性の度合がたかまれば、業務起因性が問題になら ず、前者から推定され、また、災害の危険が、企業の外部から生じる場合ーたとえぼ、路道に面する商店の労働者 がトラックの突入で被災するといった例ーには、 ﹁使用者の指揮下で使用者のために仕事して﹂いるという厳格な 業務遂行性を条件に起因性を事業にともなう危険から事故の蓋然性にまで緩和するといった認定態度を損害分配の原    労災補償の法構造 e       九五

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   東洋法学       九六 理による相関関係的判断と表現したものにほかならない。業務上疾病は右の二要件の操作を逆転させたものにすぎな い。そこに.生活保障を目的ないし基本理念とし.その趣旨にそくして.二要件を緩和し、とりわけ.業務起因性の 認定阻止の機能を抑制しようとした生活保障説の認定方法の典型をみることができよう、  以上の検討から明らかなように.総じて.生活保障説はーもちろん根拠の如何によって.かなりの補償本質観の 屈折はみられるがー制度鶴的にしたがって業務上災害を﹁支配圏﹂内の事故にまで.拡大し.災害の危険が.必ず しも.業務に内在ないしともなう場合にかぎらず.ひろく.企業の外部からの災害を﹁業務上﹂と認定する可能性を もたらすということができる.しかし.反面.災害の危険と業務との直接的連関にそくして業務上災害の認定をおこ なうという方法の長所が失われ、実際上.二要件を手掛として.諸般の事情を考慮して判断するという曖昧な認定基 準になるおそれが大きいといえまいか.とりわけ、実務担当の行政当局が.補償責任を不法行為の延長線上でとらえ   そのため認定が厳格化する傾向をともなうがi認定基準につき. ﹁法律上要件となるのは業務起因性であり. 業務遂行性は業務起因性を判断するための認定技術上のメルクマール﹂にすぎないとし.災害の﹁原因となる事由﹂ いいかえれば、危険と業務遂行性の時問的連関を媒介として、業務起因性を業務遂行性から推定するという明確な 認定方法 ︵基準局編著・業務上外認定基準の詳解八O頁以下.八九⋮九〇頁.一〇一頁︶を確立していることを思うとき. その感がつよい、もっとも、そこでは技術的認定基準とされる業務遂行性が、厳格なため、業務起因性の推定される 余地は相対的にせばまるが、生活保障説にしても、支配圏という概念でひろげられるが、業務起因性の指定ないし緩 和は.この枠組をこえるものではない、総じて、 ﹁業務﹂上という文言にとららわれ、被災労働者の契約上の義務の

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履行ーーそれが支配圏まで拡張されるにせよーという接近視角にたつため、この枠をこえる行為は、すべて業務外 とされるとともに、この枠内で、危険原因にかかわりなく生ずる災害の業務との因果関係を間題にしていくという処 理方法をとるため、因果関係の認定の緩和といっても実際上、その他の要因、いわば諸般の事情を配慮していかざる をえない。それが、果して生存権保障の目的ないし基本理念にそくした合理的かつ明確な基準ということができる か、疑間といえよう、それは、また、業務上災害の認定という本質論のもっとも重要な論点の把握において無過失責 任論の延長線上で理解する段階をこえていないといえまいか。むしろ、二要件を認定のてがかりとして、従属労働関 係に規定される災害の存在性格を直視し、保護法の趣旨にてらして﹁業務上﹂災害の概念の再構成をはかり、災害補 償請求権の権利性を徹底すべきものと解する。 ︵1︶ まさに、この責任所在の明確化という視点が稀薄化するというところに、ひろく、生活保障を目的ないし基本理念と  する立場を殿損回復・填補説と区別してとらえる合理的基礎がある。こうした接近視角の相異がなにに起因し、法構造の  把握にいかに投映してゆくかは、以下の検討で、明らかにしていくが、概して、従来の本質論の検討は右の対立を伝統的  無過失責任をこえる補償責任の統一的全体的把握と部分的把握という相異に解消し、その立論の根拠をふまえて検討する  という点が看過されてきたといえよう。 ︵2︶ もっとも、副次的に、競合を肯定すると、減免されるべき人的・物的範囲の決定に困難な問題の生ずること、個人の  有責な加害行為という観点からの不法行為と労使関係を基盤とする労災補償と異なることをあげている︵吾妻・労基法四  四五ー六頁、同・概論三三九頁︶。 しかし前者は実状論で理論的根拠をしめすものでなく、後者も、労災補償と不法行為  が基盤を異にするということからは両者の異質性は帰結でぎるにしても、減免関係を否定する意昧での請求権非競合との 労災補償の法構造 e       九七

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東洋法学      九八

 結論はただちには帰結されえない。そのためには、やはり、本文であげた理由づけが必要とされる。 ︵3︶ ドイツでは.労災補償責任を保護義務を根拠として基礎づける通説的見解のもとで、労災保険上、労災が故意にもと  づくことが刑事裁判上確認された場合を別として.民事責任が排除され︵留器即く○︶.補償が実損害以下となることの  説明どしてとられている。くσq一6顕き。7鷺ε需箆零いのぼ¢O J㍗ω0 9’きOF断薩 ︵誌︶ なお.不法行為責任と契約責任とを一般的︵契約外の︶生活危険と契約特劉危険との相違に応じた異なる規律の必要  を理由に.両者を﹁損害賠償という同一の臓的に向って互に簿、の適用範畷を分ち.機能を分担する二箇の制度﹂として峻  別する立場.いわゆる法条競禽論︵耀島・民法解釈学の諸縄題∴二九頁︶によれば.災害補償責任も.右のような特別  危険にたいする二種の安全保証義務﹂を契約上おうこと根拠に契約責任としてとらえられ睦︵同書・一五四頁︶. 労働  法学上.これを支持する見解もみられる︵花見・災害補償と民事寅任・労働法大系纈一八五⋮六頁︶.これにたいし.労働  契約上.そうした義務の存在灘体にたいする疑閲︵蓼沼・前掲論文土二二頁.安屋・労働災害補償の法理・労働法一九  号八頁︶やその範囲にたいする疑問︵窪繊・災害補償と損害賠償・季労二七号二一頁註2︶が表明されていることを別と  しても︵私霞身としては.契約関係特有の危険といっても、契約関係がその羅的賊給付の達成にかかわる関係であるた  め.危険の性質がこれで規定されて特定化するということ以上の.換覆すれば.履行遅滞.履行不能.危険負担.受領遅  滞などに解消される危険以上の特有性は契約法理上帰結することは疑問と思う。したがって.労災も.それが使用者の故  意過失にもとづくかぎりで、 ﹁債権者の責に帰すべき事由しによる履行不能︵民法五三六条二項︶として.契約法上.得  べかりし賃金の請求は可能であると解するが.それは安全保障義務の存否とかかわりがない。また右以外の療養その他の  損害は不法行為の対象になることはもちろん.得べかりし利益の請求も不法行為法と競合すると解すべきものと思う。︶.  そうした義務をみとめていくことは、一種の保護義務の存在を一般化することに通じ.契約関係を共同体関係としてとら  える立場に転化する危険性があるという意味で支持できない。 ︵5︶ たとえば、出勤途上の災害は業務の遂行に必要な行為の過程における災害として業務上とされる︵同・民商法雑誌五  四巻二号一四三頁以下︶。   退勤途上の災審については、ふれていないが、もちろん業務の履行に必要な行為として

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 とらえるものと解されよう。そこでは、すくなくとも労働契約上の義務の履行性という枠が撤廃されるので、これだけで  は自宅における食事や睡眠を排除する根拠がかけることになる。したがって、実際上、 ﹁労働関係における義務履行との  関係﹂がウェートをもつといえよう。 ︵6︶ その後の教授の論文では、 ﹁補償の要件としては、労働者の労働不能が労働関係に起因したことが必要であり、かつ  それで十分である﹂︵同・災害補償の主要問題・法文論集一四号六〇頁︶とされ、業務起因性を明白に要件とされている。 ︵7︶ 障害補償年金は障害度の高い場合︵一⋮七級︶の補償形式で、その額は分割補償のそれと同一で、一時金の約五分の  一弱である。また、遺族補償年金は妻を別とすれば、受給資格者は六〇歳以上の高令老または年少者にかぎられ、その額  は給付基礎年額︵詳‡膳灘m慧×ω①α︶ の二五%で、受給権者が復数でも等分される。右の条件を満す受給権者および受  給資格者について、 一人五%の加算給付がみとめられるが、それも二五%までで打切られる。右の高令者、年少老が遺族  でない場合には、一時金︵給付基礎日額の四〇〇β分︶が支給されるが、それは労基法上の一時給付たる遺族補償の五分  の二であり︵労災保険法一五条・一五条の二二六条・一六条の二⋮六、同法別表一および二参照。なお通達昭四一・  一・三一基発七三号︶。 五分の三は年金のための積立に廻されるといえようか。 ︵8︶ とりわけ、民事賠償と相互の減免関係について、補償責任の性質、目的のとらえ方にかかわらず、二次的に損害填補  の機能をみとめ、あるいは衝平の見地から、実質的に肯定する多数説のなかで、教授はとくに第三者が加害者である場  合、唯一人、実質的にもこれを否定するというほどに、両者の異質性を強調されるだけに、その感がつよい︵西村他・基  準法論く窪田V三六七頁、窪田・前掲論文二七頁以下参照︶。        ︵本学兼任講師︶ 労災補償の法構造 e 九九

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讐剛号の訂”正繍

 前号論文中、明白に誤植と判明するものを刷として.つぎのように葡正いたします。七八頁九行欝の労働関係における寺

労働闘係にはいる.八一頁一行瞬の事霞の客観化︵無過矢性︶とにも垂事由の客観化︵無過失性︶との関係にも、八一頁一

三行目の壷定率補率壷定率補償.八五頁七行撰の問頭豪問題、八八頁七行目の阻劫事由壷阻却事由、同八行羅の降加墨附加、

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