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異端書『愛のイメージ』(The Ymage of Loue)の出版に関する考察:「 異端」から「王室の特権付き」へ

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「文藝と思想」第 85 号 2021 年 2 月 (27) ~ (46) 頁

異端書『愛のイメージ』(The Ymage of Loue)

の出版に関する考察

― 「異端」から「王室の特権付き」へ * ―

都 地 沙央里

1 はじめに 英国の初期印刷本期を代表する印刷者の一人、ウィンキン・ド・ウォード (Wynkyn de Worde)は、彼の師から印刷工房を受け継いで以来40年あまり にわたり、700点以上もの出版物を刊行した。彼の出版物を概観すると、文 学作品や文法書など多岐にわたるもののなかで、折を見て宗教関連の書物を 世に送り出し続けたことがわかる。宗教改革の波が押し寄せ、1520年代に英 国でも書物の規制が始まったとき、すでに熟練した出版業者として経験を積 んでいたド・ウォードがその影響を受けた形跡はほとんどないとされる(注1)  唯一、彼の商売が宗教的な問題に実際に巻き込まれた事例として記録されて いるのは、『愛のイメージ』(The Ymage of Loue)という小品にまつわる出来 事である。印行した作品に関して、彼が宗教法廷に召喚された記録が、次の ように残っている。

On 19th December, 1525, in St. Paul’s Cathedral before Master Wharton ... there appeared the aforesaid Winandus ... he confessed that since the aforesaid monition he had printed a certain work in the vulgar tongue called The Image of Love, alleged to contain heresy, of which he said he sent

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sixty to the Nuns of Syon, and as many more he sold. John Gough, Printer, likewise of the City also appeared and confessed that he had translated the said book or work for the said Winandus to print, ... and then the Vicar-General warned them that if they had any of these books to sell not to sell or part with them, and that they should get back those already sold and have them brought in before Christmas; and that they should also have copies of this work that had been sold or sent to the Universities of Cambridge or Oxford, brought in before the Feast of the Epiphany; further he warned them to appear before him in Consistory on the third day after St. Hilary to reply to articles concerning suspicion of heresy ...(注2) 

‘THE CASE OF THE VICAR-GENERAL AGAINST WYNKYN DE WOEDE, PRINTER’ という項目名が付されたこの記録によると、ド・ウォードは、異 端的な内容を含んだ『愛のイメージ』を出版したとして、翻訳者のジョン・ ゴフ(John Gough)とともに警告を受け、サイオン修道院に送った60部を含 めすでに販売したものをクリスマスまでに、またケンブリッジ、オックス フォード両大学に販売したものを公現祭までに、それぞれ回収するように命 じられ、さらに後日審問のために再び出廷するように申し渡されている。1524 年10月、ロンドン司教は書籍商たちを集め、ルター派の異端の内容を含む本 の輸入や販売を禁じ、新たに輸入する本は販売前に検閲を受けることとし、 さらに1525年10月25日、同司教は書籍商たちを再び集め、ラテン語であれ英 語であれ、ルター派の書物を扱わないこと、また、輸入本だけでなく、許可 なしに新書を販売しないことを厳重に命じている(注3)  。『イメージ』の初版の 奥付に「1525年10月7日」と日付が刻まれていることからすると、この頃に 活字の組み上げが完了し、同月の25日に規制が導入された際には問題の本が すでに完成間近、もしくは完成していたため、許可を得ずに販売することに 決めたのかもしれない。しかし結果的に、この書物が新たに導入された検閲 の網を免れることはなく、印刷者と翻訳者は、同年の12月に召喚されること となった。 回収の憂き目を見ただけでなく、さらにこの作品は、トマス・モア(Thomas More)によって公然と非難されることになる。1530年に出版された『異端に ついての対話』(Dialogue Concerning Heresies)の第2版で、モアは、同作品

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の偶像崇拝に関する議論を取り上げ、それに反駁している(注4) 

ド・ウォードにとっては商売の痛手を被った『イメージ』の出版・回収問 題から7年後、またモアによる教義面での攻撃から2年後の1532年、ド・ ウォードはこの作品の再版に乗り出す。しかもこの度は、「王室の特権付き」 (‘Cum priuilegio regali’)という文言を、タイトルページと奥付の二箇所に付

して出版している。1535年に生涯を閉じたド・ウォードが、その晩年にあっ て、一度は問題視された書物をこのような形態で再版することにしたのはな ぜなのか、本稿では、作品を取り巻く人々の信仰心、また当時の出版文化や 宗教時勢などと関連付けながら、その意図を推測したい。 2 『愛のイメージ』の概要とモアによる非難 『愛のイメージ』は、三つの異なる版で現存している。 1525  Wynkyn de Worde: quarto, STC 21471.5(注5) 

1532  Wynkyn de Worde: octavo, STC 21472(注6) 

1587  John Charlewood: octavo, STC 21801

ド・ウォードの第2版以降、しばらく再版されることはなく、第3版の出版 は50年以上先まで待たれることとなった。読みつがれ続けたベストセラーと は言えないが、初版がルター派への対抗を試みるカトリックの風潮のもとで、 第2版が英国国教会成立に向かう過渡期に、第3版がエリザベス一世時代の 英国国教会樹立後に出版されており、各版がそれぞれ異なる宗教的背景で出 版されていることは興味深い。 この書は、フランシスコ会修道士のジョン・リックス(John Ryckes)に よってラテン語で書かれ、ド・ウォードとともに召喚され警告を受けたジョ ン・ゴフによって英訳された。初版では著者は明示されず、第2版のタイト ル ペ ー ジ で 初 め て ‘Co[m]pyled by John Ryckes / bacheler in diuinite / an obseruant fryre.’ とその出自が明かされた。第2版の奥付には、‘Imprynted at London in flete strete by Wynkyn de Worde / for John Gough / dwellynge at Poules gate.’ と記されており、再版にもゴフが関わっていたことが分かる。判 型が変わったために挿入される挿絵の数も変更され、初版には、タイトルペー

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ジおよび本文の初めと終わりに一つずつの計三つの挿絵が使われているが、 第2版ではタイトルページのみに挿絵が添えられている。 話のプロットは、修道女のための新年の贈り物として、語り手が真の愛の 像を見つけようとする、というものである(注7)  。以下、モアによって問題視 された第4章を中心に概要を述べると、親族や友への愛、世への愛、肉的な 愛などは真の愛の姿ではないと考え、模索を続けていた語り手は、金属や木 石など、様々な素材から見事な像を作り出す職人のもとを訪れる。語り手は、 それらが真に愛を映し出すものではないことを悟りつつも、神への献身と愛 を掻き立てる物のように感じ、像の一つを買おうとする。そこへ「聖なる敬 虔な博士」(‘a holy deuoute doctour’)なる者が現れ、助けを必要としている 人がいるのに、なぜそのような無価値なものにお金を費やすのかと叱責す る(注8)  。語り手は、お金は自分のものであり、罪深いことに用いるわけでは ない、自分よりもたくさんの施しものをできる人が他にいると反論する。議 論の末、博士は、クリスチャンは、余剰のものを施しとして与えるべきであ ることを、ルカによる福音書、アウグスティヌス、ヒエロニムス、アクィナ スなどの言葉を引用して語り手に教えようとする。一方で、高価で巧みに製 造された像よりも、安価な像が有益であることを述べつつ、言葉や行いで信 心を深めるようにと促す。 ここで語り手は、この師の発言が、多くの金銀宝石からなる高価な像を有 する、現存する教会を非難するものであるとして、困惑を示す。これに対し 師は、アンブローズやアウグスティヌスの時代にはそのような高価な像はな く、彼らの時代の木製の聖杯と金のような司祭は、今では、金の聖杯と木や 土のような司祭になりさがっている、と嘆く(注9)  。さらに、石でできた神殿 は神聖ではなく、生きた神の神殿こそより神聖であり、手入れをして美しく 飾るようにしなければならない。キリストは、貧しい人々を世話するように 何度も命じたが、今では人々は、書士やパリサイ派のように、自分たちの伝 統と儀式のために、神の命令から離れてしまっている。豪奢な造りであった モーセの幕屋やソロモンの神殿は、当時は施しをするべき貧しい人がいなかっ ただけで、高価な像を是認するものではなく、それらは影に過ぎない。影を 離れ、不完全なものを避け、真理に従うべきである、との論を展開する(注10)  そして最後に、誰のことも特定して非難しているわけではないとの但書を述 べつつ、聖書と過去の善良なるクリスチャンの生き方をよく見るならば、我々

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は今道を踏み外しており、古き時代の司祭や宗教のようではなくなっている、 と結論を述べる(注11)  。そして語り手に、聖書の中にこそ、真の愛の像を求め るようにと勧めて、話を締めくくる。 最終的に語り手は、聖書の助けを得て、真の愛の像を、高潔で清い魂のう ちにある神の反映として捉えようとし、この像、あるいは魂のうちの反映は、 徳高く、神聖で、慈悲深い行いによってのみ高められると考える。それは、 神の神殿の心の祭壇という、クリスチャンの魂に据えられるものであり、こ れこそが、キリストの述べた「霊と真理のうちに」(‘in spirit and in truth’)崇 拝するという命令を意味していると理解する。教会で行われる高潔で信心深 い習慣や神聖な儀式を捨て去ることはできないが、祈りや、断食、外面的な 儀式は、霊的な心の働きほど重要ではない、と結論する。 著者リックスの思想は、過激な改革思想とまでは言えない。真の愛の姿を 内なる心における神の反映として捉えようとする姿勢は、想定読者であった サイオン修道院で当時読まれていた、他の宗教書のメッセージと呼応すると される(注12)  。全体を通して、像の使用や教会を完全に否定してはおらず、く わえて、当時の教会の豪華主義への批判は、耳新しい嘆きではなかったと言 える。しかしながら、教会にある礼拝に用いる器具の代わりに信心深き心で 神に向かおうとする著者リックスの主張は、装飾品や儀式や聖像などを否定 するロラード派を想起させるものであるとされる。また、リックスは簡素化 と霊性を重視しており、その思想は、ルター派とも共通するものがある。『イ メージ』が伝えようとするメッセージは、それ自体は極めて急進的ではない ものの、1520年代という時代背景ゆえに危険視されたと考えられる(注13)  モアは『異端についての対話』の第2版で、新たに三つの大きな加筆を行っ ているが、『イメージ』についての議論に、6ページに及ぶ最も長いページを 割いている(注14)  。その中でモアは、初版では明かされていない著者について、 善良な人でも時には熱意から賢明でない発言をすることがあると述べて、彼 の意図や目的については寛容な態度を示しつつ(注15)  、それでも、弁護できな い行き過ぎた発言をしているとして(注16)  、具体的な反証を列挙している。た とえば、「アンブローズらの時代の、木製の聖杯と金に喩えられる司祭が、今 では、金の聖杯と木や土のような司祭になりさがっている」という記述に触 れ、彼らの時代にも金製の聖杯はあったし、教会の装飾品も高価であったは ずであると反論する。さらに、モーセの後の時代にも貧しい人は存在してい

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たが、彼らに施すために幕屋が取り壊されるようなことはなかったし、ソロ モンの時代も、王が豊かであった一方で民は貧しかったはずだが、神殿を犠 牲にして彼らに施しがなされたことはなかったと主張し、貧者に与えられる はずの富を偶像に与えてしまっているとするリックスの主張に反対する。さ らに、どんな種類の像も禁じられているわけではなく、禁じられたのは異教 の神々の偶像であり、像が表象する聖人に対する崇敬として像を拝すること は、聖書でも禁じられてはいない、そして、著者の「信仰生活において不完 全な、無知で学のない平信徒にとって、このような像は本(聖書)となる」 (‘these ymages be the bokes of lay people symple and vnlerned that be

vnperfyte in ghostly lyfe’ (Ymage I, b4r))という発言に対して、人の考えを表

象する像は、平信徒だけでなく学識ある人にも有益であると訴える(注17)  。像 を支持するこのようなモアの主張は、像を否定するロラード派に対してなさ れていた反論と一致している(注18)  初版の出版後、数年経過した後のこのような弁駁は、『イメージ』が回収さ れた後も実は密かに読みつがれていたことを暗示しているとの指摘がある(注19)  また皮肉にも、モアによるこの言及がかえってこの書に対する関心を高め、 そのすぐ後の第二版出版に結びついたとも考えられている(注20)  3 『愛のイメージ』第2版の編集 先行研究では、初版と第2版で、本文に際立った書きかえはないとされて いる(注21)  。Harvey によると、いくつかの例で語順や時制の変更が行われ、注 釈の削除と、意味を明確にするための語の加筆がなされている。また、二箇 所で誤った綴りがそのまま踏襲されていることから、第2版の組版に、オリ ジナルの原稿ではなく初版に訂正をくわえたものが使用された可能性が指摘 されている(注22)  ド・ウォードのテクスト編集の方針として、本文の正確さを重視するとい う、同時代の印刷者のなかで特異な特徴が挙げれている(注23)  。『イメージ』の 第2版でも、Harvey の述べるように内容面での主だった改変は見受けられな いが、たとえば以下のような、精確さに重きを置いた編集ぶりが見て取れる。

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Ymage I      it is so confedered w[i]t[h] the deuyll that it can not do no seruyce vnto god (B1r)

Ymage II      it is so co[n]federed w[i]t[h] the deuyll that it can do no seruyce vnto god. (A7r)

Ymage I      and therfore it maye well be assembled vnto the vyolent loue yt is onely caused by the obedience of goddes co[m]mau[n]dement / (D3v)

Ymage II      & therfore it may well be resembled to the violent loue / that is onely cuased by the obedyence of goddes co[m]mau[n]dement /... (C8v)

Ymage I      The ymage of loue th[a]t saynt Paule drewe / whiche these holy fathers had set forth ope[n]ly in there monasteryes / warnynge theyr diseyples & successors before all thynges to loke therupon vnder gret co[m]munycacions and payne of cursynge / is now new portrayed with dyspensacyons dysceyued with vayne customs ... (C4r)

Ymage II      The ymage of loue that saint Paule drewe which these holy fathers had set forth openly in theyr monasteryes / warny[n]g theyr discyples & successours before al thynges to loke thervpon vnder great exco[m]munycacyons & payne of cursyng is now newe portrayed w[i]t[h] dispe[n]sacyo[n]s deceyued w[i]t[h] vayne customes /... (C2r-C2v)

一つ目の例では、中英語に特徴的な多重否定を、より進歩的な表現に書きか えている。二つ目の例では、文章の意味は変えずに、‘assemble’ を意味する

自動詞 ‘resemble’ にわざわざ語彙を置き換えている(注24)  。同じような例は、

‘state’(Ymage I, A4v) を ‘estate’(Ymage II, A6r) に、‘adourne’(Ymage I, E3r) を

‘enourne’(Ymage II, D5v) に書きかえる例にも見られ、変更する必要のない語

に同義語を用いている。これは彼が、宗教書によりふさわしいとみなす語彙 に変更した結果かもしれない。三つ目の例では、初版の ‘communication’ を

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‘excommunication’ に書きかえ、「大いなる破門と呪いの痛み」という本来の 意味に訂正している。 以上のような細微な書きかえは、第2版を出版する際に、底本として用い る初版に細かな編集の手を入れたことを暗示している。また同時に、「異端 書」として回収を命じられたにもかかわらず、7年後に再版する際には、内 容面での変更は不必要だと判断したことを示している。 Harvey は、第2版での最も重要な書きかえは、タイトルページで著者を明 らかにしたことであると述べている(注25)  。第2版のタイトルページでは、本 の内容の紹介と信仰心の深い人にとっての必要性を訴えた初版のパラグラフ タイトルは削除され、著者リックスがフランシスコ会原会則派の学者である と紹介し、簡素化された木版画を用いている。それに加えてもう一つ、初版 にはなく、第2版のタイトルページで初めて印字されているのは、「王室の特 権付き」という言葉である。初期印刷本で頻繁に用いられたこの表現が、『イ メージ』の第2版でどのような意味合いをもっているのか、その起源を追っ て考察する。 4 「王室の特権付き」の発展

「王室の特権付き」を表す ‘cum privilegio regali’ という言葉の発展について は(注26)  、A. W. Reed による詳細な研究がある(注27)  。それによると、この語は 元来、商売敵や海賊版に対抗するため、数年間の独占的な出版権を示す語と して用いられ始めたものであり、教義の上で問題をはらむ内容ではないこと を保証するものではなかったようである(注28)  。A. W. Pollard が挙げるその最 初期の例は、1518年にリチャード・ピンソン(Richard Pynson)によって印 刷されたリチャード・ペース(Richard Pace)によるラテン語の説教で、そ こには ‘cum priuilegio à rege indulto ne quis hanc orationem intra biennium in regno Angliæ imprimat aut alibi impressam et importatam in eodem regno Angliævendat.’ と刻まれている(注29) 

Reed によると、この特権(privilege)は、(1)単独の作品に与えられる場 合と、(2)印刷者や書籍商のオリジナル作品すべてに包括的に与えれるもの、 の二種類が存在しており、前者(1)が先に与えられるようになったようであ る。ピンソンとともに最初期にこの表現を使い出したのはジョン・ラステル

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(John Rastell)であるが、両者とも1519-20年頃に、単独作品にではなく全般 的に出版物に特権(タイプ(2))を与えられるようになり、後者(2)の使 用が始まっていった。さらに1525年以降、より若い世代の印刷者たちが「王 室の特権付き」という表現を使うようになり、印刷物に特権を与えることが 急速に発展していった。その背景には、異端の嫌疑をかけられかねないとい う、当時の不穏な宗教事情が関係していると考えられる。Reed は、所持して いるという理由により宗教法廷に召喚されはしまいかと、書籍を買うことを 恐れた教養のない読者にとって「王室の特権付き」という言葉は、信用を与 える言葉であったと述べている(注30)  。Reed のこの論に依ると、本来は内容面 での正統性を何ら保証するものではなく、印刷者の権利を守るために使われ 始めた表現が、宗教改革の時勢にあって、読者の安全を保証するような働き へと変化していったと言うことができる。 このことを示す一つの例として Reed は、1534年にランガムのプロテスタ ント的な住民が、教区牧師について書いた次のような訴状を取り上げている。

(The King) puts forthwith Certyne bookes printed and openly sold with his ryght royal privyledge sett unto the same to the intente truly (as we do take it) that no man shoulde feare but rather be encoragede to occupye them, ...(注31)  ここで教区民たちは、「王室の特権」が付された本は、なんら恐れることなく その本を読むことを認めるという趣旨である、と主張している。そして続く 部分で、自分たちが読んでいるのは「特権付き」の本であるにもかかわらず、 教区牧師から不当な扱いを受けていると哀訴している。Reed はこの訴状を、 異端的な傾向を持った人々が、「王室の特権付き」で出版された本はどれも異 端書ではないはずであるとして、自分たちを弁護しようとしている例である と述べている。 1530年代前半のこのような書物にまつわる事例は、当時の複雑な宗教情勢 に影響を受けていると考えられる。1527年にヘンリー8世の離婚問題が浮上 して以来、ローマ・カトリックからの乖離を推し進める7つの法案が段階的 に可決され、最終的に1534年に「国王至上法 」で「キリストの法の許す限り において」という条件を除いた最高首長の称号と、教義面での権限がヘンリー

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に与えられることとなった(注32)  。そしてこの時期は、英国がローマ・カトリッ ク教会からの離反を図る過渡期であったと言える。1532年から34年における ローマ教皇からの断絶は、それ以前に行われていたプロテスタントに対する 迫害の波を若干弱めることになり、結果としてルター派その他のプロテスタ ント的思想の流入を促し( 注33)  、 また、 トマス・ クロムウ ェ ル(Thomas Cromwell)や改革派の大司教トマス・クランマー(Thomas Cranmer)など の影響によって、ヘンリー8世の意図に反してプロテスタント的な教義が次 第に取り入れられていった(注34)  。結果的には、1539年の「六か条法」で英国 国教会においてカトリックの教義が保持されたものの、カトリックとプロテ スタントの折衷的な内容となっている1536年の「十か条法」や、偶像崇拝を 禁止し、巡礼よりも労働を勧める1536年の『指令』などは(注35)  、「六か条法」 に至るまでに教義のうえで揺らぎがあったことを物語っている。 英国の宗教改革の進展とともに、英訳聖書に対しては風向きが変わり、そ の必要性が認められるようになった。1535年にはカヴァデール聖書が国王に 献上され、また、1539年には『大聖書』が教会に設置されるようになり、参 考図書として用いられるようになっていった(注36)  。しかしながら、H. S. Bennett によれば、この英訳聖書に対して見られる寛容な態度の変化は、ル ター派や異端を宣伝する他の書籍に対する敵意を弱めるものではなかっ た(注37)  。そのことは、1529年の布告の中で異端書のリストが公表され、同種 の布告が1530年の6月、1536年の1月にも公布されていることに見て取れ る(注38)  。そして「王室の特権付き」という印が頻用されるようになったのは、 ローマ・カトリックからの離反が進展し、迫害の熱がいくぶん和らいだこと でプロテスタント的な思想が流入するなかで、書物に対する規制がいまだ続 いているという、このような状況下であった。そのなかで Reed が挙げてい る上述の例のように、プロテスタント的思想の書物も「特権付き」という文 言を冠して出版されていたのであろう。また言い換えると、書物に付された この語の信頼性が疑わしいものになっていたとも言える。 そのような事態を正すため、ヘンリー8世は1538年に勅令を発布する。国 王自らが手を加えた最終稿を確認する前に、その草稿を見てみるならば、「王 室の特権付き」という表現が当時どのように受け取られ、用いられていたの か、その一端を垣間見ることができる。最初の草稿は次のようなものである。

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[初校]

item that no person or persons usyng the occupacion of pryntyng in this Realme shall from henceforth prynte any boke in the Englishe tong with theise wordes, (cum privilegis Regali) onless the true understonding of the same wordes be plainlie declard and expressed in the Englshe tong underneth them to the intent that the Reders may plainlie perceve the effect therof.(注39)  この初稿から分かることは、まず、この勅令が「王室の特権付き」という言 葉を規制することを意図して起草されたものであるという点である。また、 同表現がラテン語で書かれていたため、意味が分からない読者が多かったこ とも示している。これに手を加えたものが、次の草稿である。 [第2稿]

item that no person or persons usyng the occupacion of pryntyng in this Realme shall from henc-forth prynte eny boke in the Englishe tong with theise wordes (cum privilegio Regali) onless they have first licence of his higness graunted upon examinacion made by some of his graces privy counsaill to printe the same. And have a privilege in dede that no man but they shall printe the same for a tyme plainly declard and expressed in the Englishe tong underneth them to the extent that the Reders may plainlie perceve the effect therof.(注40) 

中盤の下線を引いた部分が、初稿に新たに付け加えられた箇所である。前半 部分では、枢密院による検閲を受けて最初に「認可」(‘licence’)を得ない限 り、「王室の特権付き」という言葉を英語の書籍に載せてはならない、という 禁止事項が述べられている。これは逆に言えば、同表現が、検閲の有無に関 わりなく濫用されていた状況を暗示している。後半の部分では、数年間当該 の本を排他的に出版する「特権」(‘a privilege in dede that no man but they shall printe the same for a tyme’)について述べられており、それを読者に分かるよ うに英語で平易に明記するように指示されている。これによると、認可 (‘licence’)は必然的に特権(‘privilege’)を伴うことになるが、ここにおいて

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両者は区別されており、元々版権を意味していたにもかかわらず認可と混同 されるようになった ‘cum privilegio regali’ という言葉の誤解を解き、現状の 混乱を鎮めようとしたとも読み取れる。そして結果的に、‘cum privilegio regali’ には、元来の意図ではない、内容検閲の上の出版許可の意味合いがあてがわ れているようであるが、それはその混同がすでに広まっていたために、むし ろその意味で定着させようとしたためであろうか。

その後、後半部分に手を入れた、二度目の訂正が加えられる。 [第3稿]

item that no person or persons usyng the occupacion of pryntyng in this Realme shall from henc-forth prynte eny boke in the Englishe tong with theise words / cum privilegio Regali / onless they have firste licence of his higness graunted upon examinacions made by some of his graces privy counsaill or other such as his highnes shal appointe And that theeffecte of his licence and privilege be thereto prynted and plainlie declared and expressed in the English tong underneth them.(注41) 

二回目の改訂では、枢密院にくわえて王が任命する他の者にも検閲を行う権 限が与えられている。また後半の書き換えられた箇所では、「認可」と「特 権」の両方の意味するところを英語で明瞭に表記するようにという内容が踏 襲されている。国王の承認を得るために、王の手元に渡る直前の版ではさら に、最終部分の ‘theeffecte of his licence and privilege’ に ‘the hole copie or els at the least’ が加えられ、それに王が筆を入れ、トマス・ベルテレット(Thomas Berthelet)によって印刷された、最終的な勅令は以下のようになっている。

[国王承認の最終稿]

Item that no person or persons in this realm shall from henceforth printe any booke in the Englishe tong unless upon examination made by some of his Grace’s pryvie counsaille or other such as His Highnesse shall appoint they shall have lycence so to do and yet so havynge nott to put these words Cum peivilegio regali without addying Ad imprimendum solum, and that the hole copie, or els at the least theeffect of his licence and privilege be

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therwith printed, and playnely declared and expressed in the Englisshe tonge underneth them.(注42) 

最終稿では主に、英語の書物を出版する際には必ず検閲の上認可を得ること、 その上で‘Cum privilegio regali’に、 ‘Ad imprimendum solum’(‘for printing only’

を意味すると考えられる(注43)  )という言葉を添えること、認可と特権の意味 を英語で明示することが命じられている。Pollard はこの指令について、出版 認可と、海賊版からの保護となる特権とは本来区別されているべきであった が、当時の国王の主眼が商業上のものにではなく、あくまでも検閲に関する 権利にあったため、ラテン語の ‘privilegio’ 一語で両者がまとめられてしまっ たと考察している(注44)  。このようにしてこの勅令は、1538年以降出版された

書物に ‘Cum peivilegio regali ad imprimendum solum’ という言葉が付記され る起源となった。

ここまで、‘cum privilegio regali’ という文言の使用と受容についてその発展 を見てきたが、その起源を見ても、また、その使用について権威による是正 が試みられたことを考えても、1525年頃から1538年以前の初期印刷本に付さ れたこの表現は、当時の読者の想定に反して、それを戴いた本が「異端」と みなされていた思想と何ら無関係であることを保証するものではなかったと 結論できそうである。Reed はまた、この語を乱用したり、特権を持っていな い者が偽ってそれを持っていると主張したりしていたとも述べている(注45)  。個 別の作品の例において、印刷者の側が、独占権を主張するという本来の意図 でこの表現を用いているのか、それとも、認可を得た印として読者に安心感 を与える意図で用いているのかを区別するのは容易ではないが、不穏な宗教 時勢にあっては後者の働きのほうが大きかったのではないかと推察できる。 このような「国王の認可付き」という表現に関する出版事情のなかで、『愛の イメージ』に付された同表現をどのように解釈すべきであろうか。 5 『愛のイメージ』での「王室の特権付き」の意味 ヘンリー7世の母、マーガレット・ボーフォート(Margaret Beaufort)か ら度々出版依頼を受けていたド・ウォードは、「国王の母であらせられる偉大 な皇太后の印刷業者」また、ヘンリー8世の即位後は、「国王の祖母の印刷業

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者」と名乗ることはあったが(注46)  、同時代の同業者とは異なり、「王室の特権

付き」という表現を好んでは用いなかったようである。彼がこの表現を載せ たのは、『イメージ』の場合のように、主に「特権」を持っている誰かのため

に代理で出版するときであった(注47)  。実際、ゴフのために印刷した1532年の

The maner of the tryumphe at Caleys [and] Bulleyn(注48)  という作品にも、‘vnder

the grace [and] preuylege of our moost royall and redoubted prynce kynge Henry the viii.’ という言葉が付けられており、ゴフだけでなく、たとえばジョ ン・ビドル(John Byddell)のために1533年と34年に出版した三つの作品す

べてに、「特権付き」と書かれている(注49) 

作品の出版を依頼したゴフは、ド・ウォードと関係のある人物の中で、最

も過激なプロテスタント的改革派であったようである(注50)  。彼は1528年に異

端書を出版したとして取り調べを受けており(注51)  、また恐らく、1535年に出

版された聖像崇拝を否定する作品 Das einigerlei Bild(注52)  の出版に関与してい

たと考えられている。1538年にはロンドンにある聖マーガレット・パッテン ズ教会(St Margaret Pattens)にある教会内装飾を破壊した暴徒の一人とし て逮捕されており、さらに1541年には扇動的な内容の本を出版したかどで収 監されている(注53)  。くわえて、1540年の Dore of Holy Scripture(注54)  の出版に

は、2、3人の学者による査読を受けるという条件を付けられている(注55)  。そ の一方で『イメージ』が出版された当時の彼の書籍すべてに、「王室の特権付 き」が付されていることは興味深い(注56)  ゴフは、同じくプロテスタントに改宗し、クロムウェルとも親交のあった ジョン・ラステルの工房の一部を借りており、1532年までにはラステルのか つての工房に移転している(注57)  。Reed はその繋がりから、『イメージ』の第 2版を含むゴフの「特権」は、ラステルの推薦でクロムウェルを通して獲得 したと推測している(注58)  。ゴフのプロテスタント的傾向と、刊行物に好んで 「王室の特権付き」という文言を加えたこととを関連付けて考えるならば、当 初の意図である版権を主張するためというよりはむしろ、読者の安心材料の ためにこの語を付して印刷しているように思えてくる。そして『イメージ』 も、その例の一つと考えることができるのではないか。また、第2版が出さ れる少し前にモアによってその内容が非難されたことを考えても、同書を手 に取る読者に身の安全を保証する必要があったと言える。 一方、出版を請け負ったド・ウォードは、かつて禁書であった『神の子の

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懲らしめ』(The chastising of God’s children)や、ロラード派の思想に近いこ とで危険視されていた『富者と貧者』(Dives and Pauper)などを出版しては いるが、プロテスタントに傾倒した形跡はないとされる。Hellinga は、15世 紀に刊行したド・ウォードの宗教関連の作品の特徴として、彼が教育を受け たネーデルランドで起こっていた「新しい信心」の動きとの類似を指摘して いるが(注59)  、『イメージ』の真の愛の姿を見出そうとするテーマ、聖書や教父 たちの著作を重んじる態度、また、外面的なものよりも霊的な心の働きのほ うが大切であるという語り手の主張は、その運動の特性とも通ずるものがあ る(注60)  また Hellinga は、ド・ウォードの出版した宗教テクストは、平信徒の信心 に寄り添ったものであったことも特徴として挙げている。『イメージ』の第2 版が廉価な八つ折りで出版されていることは、対象が初版よりもより下層の 読者に設定されていたことを示している。また、モアが問題視した聖像崇拝 は、第2版の出版当時、人々にとって関心ある話題であったと言える。1536 年と38年に出された教会における偶像崇拝の禁止とその取り壊しを命じる指 令や(注61)  、前述したゴフも一部関与した反聖像キャンペーンなど(注62)  、聖像 崇拝を否定する風潮は1530年代後半に増大したが、聖母マリアや聖人への崇 拝がすでに1530年代初めから以前に比べて勢いを失っていたことを考える と(注63)  、その胎動はプロテスタントの見解が押し寄せていた1530年代前半に すでに始まっていたと考えられる。『イメージ』の第2版出版は、テクスト選 択と対象読者の両方において、平信徒の信仰に寄り添うという、ド・ウォー ドの宗教書の傾向と一致していると言える。 ド・ウォードが宗教書や文学作品などの独創性のある作品を数多く刊行し たのはおもに15世紀末までで、最後の15年間は方向性を変え、高い割合で文 法書を印刷するようになり、その出版物の魅力は薄れていったと Hellinga は 述べている(注64)  。そして、財政的には文法書に依存するなかで刊行した作品、 たとえばエラスムスの著作の英訳や、イスラム教を扱ったもの、『イメージ』 の初版などに、彼の出版の意向がよく表れていると言える(注65)  。そしてさら に最晩年に出版された『イメージ』の第2版は、印刷物の種類の点で独創性 を失ったド・ウォードの刊行物の中で、その経歴を通して一貫して見られる 態度をよく表した、小品ながら看過できない作品の一つと言える。初版の誤 りや文体に精緻に手を入れる編集には、本文の質の高さを重んじる彼のテク

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ストの特性が変わらずよく表れている。聖像というタイムリーな話題に関し てモアによる言及によって注目を集めた作品を、挿絵を減らし、版型を変え ることによって、廉価版として出版したことには、平信徒も含めたより広い 読者層に作品を届けようとした意図を読み取ることができる。さらに、タイ トルページと末尾に加えられた「王室の特権付き」の文言にはゴフの影響が 認められ、そこには、宗教的に複雑な情勢の中で、作品を安心して購入して もらうための、印刷者側の配慮が表れているのかもしれない。 ド・ウォードにとってこの作品の出版が何を意味していたのかは、彼が印 刷した他の宗教テクストなどと比較してさらに精査する必要がある。また『イ メージ』は、その後英国の宗教改革の過渡期に再版されることはなく、再び 日の目をみたのは、エリザベス一世時代の1587年であった。この第3版の内 容に関する調査も、同書の受容史をたどるうえで欠かせないものであり、今 後の研究の課題としたい。 * 本研究は JSPS 科研費 JP18K12322の助成を受けたものである。

(1)   Lotte Hellinga, William Caxton and Early Printing in England (London: British Library, 2010), p. 154.

(2)   A. W. Reed, Early Tudor Drama (New York: Octagon Books, 1969), pp. 166-67. この記 録は London Metropolitan Archives: City of London に所蔵されている、Vicar-General’s Books と呼ばれる司教総代理による記録簿から転記されている。

(3)   H. S. Bennett, English Books and Readers 1475 to 1557, 2nd edn (Cambridge: Cambridge University Press, 1696; digitally printed version, 2009)) p. 33. Reed はこの書 籍商たちへの警告を1526年と記載しているが、本稿では Bennett にならい、また前述 のド・ウォード召喚の記述内容から判断して、1525年とする。Reed, p. 173.

(4)   Hellinga, pp. 168-69.

(5)   書誌情報は、English Short Title Catalogue(『初期英国印刷簡略目録』、以下 ESTC) による。なお本稿では、Early English Books Online(EEBO)のデジタル版を使用し た。初版には5つの現存コピーがあり、所蔵図書館は以下の通り:British Library; Cambridge University Trinity College; Stonyhurst College; Kongelige Bibliotek; Henry E. Huntington Library and Art Gallery. 本稿が参照した版は、ハンティントン図書館所 蔵のデジタル版である。

(6)   以下引用では、初版を ‘Ymage I’、第2版を ‘Ymage II’ と記載する。

(7)   E. Ruth Harvey, ‘The Ymage of Loue’, in ‘Appendix A’ to The Complete Works of St.

(17)

University Press, 1981), Vol. VI, part 2, pp.739-42.

(8)   ‘why doest thou cast away thy monye vpon these corruptyble and vayne thynges / thy goodes were not gyuen to the for that entente thou arte moche to blame / seyst not thou the goodly lyuynge ymage of god moost pyetefull fade & decaye euery daye in grete multytude / & yet yt wylte bestowe thy mony vpon these / yf thou hauynge worldly substaunce seyste thy broder haue nede / & thou sparest frome hym the treasure of mercy and pyete in thy herte how is the charite of god in the /’ (Ymage I, B3r)

(9)   ‘than were treen chalyces & golden preestes / now be golden chalyces & treen preestes or rather erthen preestes /’ (Ymage I, B4v)

(10)  ‘therfore we shold leue the shadowe and folowe the treuth auoydynge that is Imperfyte / & take that that is perfyte.’ (Ymage I, C1r)

(11)  ‘yet I condempne no man pertycularly / but yf we loke well vpon holy scrypture and vpon the olde lyuynge of good crysten men / yf bokes be trewe / we may se and knowe that we be nowe out of the waye / and full vnlyke vnto the preestes and relygyouse in olde tyme /’ (Ymage I, C1r)

(12)  Jennifer Bryan, Looking Inward: Devotional Reading and the Private Self in Late

Medieval England, (Philadelphia: University of Pennsylvania Press), pp. 55-56. (13)  Harvey, pp. 741-42.

(14)  The Complete Works of St. Thomas More, 15 vols, ed. by Thomas M. C. Lawler and others (New Haven: Yale University Press, 1981), Vol. VI, part 2, pp. 556-57.

(15)  ‘that boke haue I sene / whereof who was the maker I knowe not. But the man myght peraduenture meane well & renne vp so hyghe in his contemplacyon spyrytuall ... And verely of his entente and purpose I wyll not moche medle. For a ryght good man maye happe at a tyme in a feruent vndyscrete / to saye some thyng and wryte it to / whiche ...’

The Complete Works of St. Thomas More, 15 vols, ed. by Thomas M. C. Lawler and others (New Haven: Yale University Press, 1981), Vol. VI, part 1, p. 40.

(16)  ‘but this dare I be bolde to say / that his wordes go somwhat further then he is able to defende.’ Thomas More, Vol. VI, part 1, p. 40.

(17)  Thomas More, Vol. VI, part 1, pp. 40-46. (18)  Harvey, pp. 748-52.

(19)  Thomas More, Vol. VI, part 2, p. 556. (20)  Harvey, p. 735.

(21)  Harvey, p. 735.

(22)  ‘speciem’ と綴るべきところを ‘spem’ (Ymage I, B2r) と、‘cōuert’ を ‘couerte’ (Ymage I, E2v) としている。Harvey, p. 735.

(23)  Hellinga、p. 139. (24)  OED, v2. 1. (25)  Harvey, p. 735.

(18)

であるが、本稿では ‘cum privilegio regali’ で統一する。 (27)  Reed, pp. 160-86.

(28)  A. W. Reed, pp. 176-77. 

(29)  A. W. Pollard, Shakespeare’s Fight with the Privates: and the Problems of the Transmission

of His Texts (Cambridge: Cambridge University Press, 1967; digitally printed version 2010), p. 3. (30)  Reed, p. 179. (31)  Reed, p. 180. (32)  J. R. H. ムアマン『イギリス教会史』八代崇他訳(東京:聖公会出版、1991)pp. 213-15. (33)  G. R. エルトン『宗教改革の時代 1517-1559』越智武臣訳(東京:みすず書房、1973) p. 87. (34)  浜林正夫『イギリス宗教史』(東京:大月書店、1987)p. 103. (35)  浜林、pp. 104-5. (36)  ムアマン、pp. 220-21. (37)  Bennett, p. 35. (38)  Pollard, p. 5. (39)  Reed, p. 182. (40)  Reed, p. 182. (41)  Reed, p. 183. (42)  Reed, p. 184.

(43)  この語の意味については、従来 ‘for printing sole (=exclusive)’ として版権を意味する と考えられていたが、Pollard は ‘for printing only’ を指すとして通説を覆した。E. M. Albright ‘Ad Imprimendum Solum’, Modern Language Notes, 34 (1919), 97-104.

(44)  Pollard, p. 6. Pollard はこの指令の意味について、次のようにまとめている。‘Every book, as I understand the proclamation, required a licence; but this licence was not to be paraded by the use of the words “Cum priuilegio regali,” without these words being limited and restricted by the addition “ad imprimendum solum.”’ (pp. 6-7) つまり、‘cum privilegio regali’ という言葉でその書籍が認可付きであることを示すためには、その認 可が出版に関してのみに限定されていることを示す ‘Ad imprimendum solum’ を追加し て添えなければならない、という意味に解釈している。

(45)  Reed, p. 186. ‘... some printers abused the privilege and others who had never received it falsely claimed to have it.’

(46)  ロッテ・ヘリンガ『初期イングランド印刷史 ― キャクストンと後継者たち』徳永 聡子訳、髙宮利行監修(東京:雄松堂、2013)p. 162.

(47)  Reed, p. 179. (48)  STC (2nd ed.), 4351

(49)  STC (2nd ed.), 10479; 10480; 23552

(19)

Their Contexts: Papers from the Early Book Society, ed by John Scattergood and Julia Boffey

(Dublin: Four Courts Press, 1997), pp. 87-149 (p. 98). (51)  Bennett, p. 34. (52)  STC (2nd ed.), 24239 (53)  Driver, p. 98. (54)  STC (2nd ed.), 25587.5 (55)  Reed, p. 184. (56)  Reed, p. 169.

(57)  E. Gordon. Duff, A Century of the English Book Trade (Memphis: General Books, 2010), p. 58 and p. 105. (58)  Reed, p. 168. 著者リックスもまた、クロムウェルと結びつきがあったと考えられる。 1532年にクロムウェルによって書かれたフランシスコ会修道士のリストの中にリック スの名前が挙げられている。さらに、彼のもう一つの作品 Prognostication (STC (2nd ed.), 421.17) は、クロムウェルに献じられている。Harvey, pp. 738-39. (59)  ヘリンガ、p. 162. (60)  五野井隆史「『イミタティオ・クリスティ』から 『こんてむつすむん地』まで ― “De Imitatione Christi”(『キリストに倣いて』)と イエズス会と日本のキリシタン ― 」『藤 女子大学キリスト教文化研究所紀要』9 (2008) 1-15 (pp. 6-8). (61)  W. J. シールズ「イングランドの宗教改革 1520~1640年」『イギリス宗教史:前ロー マ時代から現代まで』シェリダン・ギリー、ウィリアム・J・シールズ編、指 昭博訳、 pp. 187-207, (pp. 101-2). (62)  シールズ、p. 190. ムアマン、pp. 218-19. (63)  シールズ、p. 191. (64)  ヘリンガ、p. 139. (65)  ヘリンガ、pp. 153-54. 参考文献 Primary Sources

Wynkyn de Worde (1525) The Ymage of Loue. STC 21471.5 (EEBO) Wynkyn de Worde (1532) The Ymage of Loue. STC 21472 (EEBO)

Secondary Sources

Albright, E. M., ‘Ad Imprimendum Solum’, Modern Language Notes, 34 (1919), 97-104 Bennett, H. S., English Books and Readers 1475 to 1557, 2nd edn (Cambridge: Cambridge

University Press, 1696; digitally printed version in 2009)

Bryan, Jennifer, Looking Inward: Devotional Reading and the Private Self in Late Medieval

England, (Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 2008)

(20)

Contexts: Papers from the Early Book Society, ed. by John Scattergood and Julia Boffey

(Dublin: Four Courts Press, 1997), pp. 87-149

Duff, E. Gordon, A Century of the English Book Trade (London: Bibliographical Society, 1905; digitally printed version in 2010)

Harvey, E. Ruth, ‘The Ymage of Loue’, in ‘Appendix A’ to The Complete Works of St. Thomas

More, 15 vols, Vol. VI, part 2, ed. by Thomas M. C. Lawler and others (New Haven: Yale University Press, 1981)

Hellinga, Lotte, William Caxton and Early Printing in England. (London: British Library, 2010) Reed, A. W., Early Tudor Drama (New York: Octagon Books, 1969)

More, Thomas, The Complete Works of St. Thomas More, 15 vols, Vol. VI, part 1&2, ed. by Thomas M. C. Lawler and others (New Haven: Yale University Press, 1981)

Pollard, A. W., Shakespeare’s Fight with the Privates: and the Problems of the Transmission of His

Texts (Cambridge: Cambridge University Press, 1967; digitally printed version in 2010) エルトン , G. R.『宗教改革の時代 1517-1559』越智武臣訳(東京:みすず書房、1973) 五野井隆史「『イミタティオ・クリスティ』から 『こんてむつすむん地』まで ― “De Imitatione Christi”(『キリストに倣いて』)と イエズス会と日本のキリシタン ― 」『藤 女子大学キリスト教文化研究所紀要』9 (2008) 1-15 シールズ , W. J. 「イングランドの宗教改革 1520~1640年」『イギリス宗教史:前ローマ時代 から現代まで』シェリダン・ギリー、ウィリアム・J・シールズ編、指 昭博訳、pp. 187-207 浜林正夫『イギリス宗教史』(東京:大月書店、1987) ヘリンガ,ロッテ『初期イングランド印刷史 ― キャクストンと後継者たち』徳永聡子訳、 髙宮利行監修(東京:雄松堂、2013) ムアマン, J. R. H. 『イギリス教会史』八代崇他訳(東京:聖公会出版、1991)

参照

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