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[“The Imagined Community” : A Critique from the Viewpoint of “World Uits”]

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東南 ア ジア研究 34巻 1号 1996年6月

(

想 像 の 共 同 体) 論 批 判

-

(

世界単位) の立場か

ら-高

一 *

``TheImagined Community":

A

Critiquefrom theViewpointof"W orld Units''

YoshikazuT AKAYA*

TheviewoftheHimaginedcommunity"thatBenedictAndersonproposedindiscussingthe formationofthenation-stateinIndonesiacannotbeconsideredtobecorrectinthatit overlookstwopoints. First,thisregionisnotthehomogeneousentitythatAnderson considersittobe,sinceitconsistsoftwoworldunits,theJavaWorldandtheMaritime SoutheastAsiaWorld(Fig.1).Second,SoutheastAsiaisaworldofpantheism,wherethe forcethatattractspeopletakestheform ofanelectrodethatemitsa"pointdischarge" ratherthantheHcanopytype"seeninEurope (Fig.2A,B).

じ め

土屋 さん, あなた は, ことイ ン ドネ シアに関 して は熱烈 な国民国家擁護派 で した。一方,坐 態派 の私 は国家 なんて どうで もよい じゃないかな どと考 えていま した。 この違 いはお互 いに了 解 して いたのですが, ち ゃん と した議論 な ど一度 もいた しませんで した。 だが,今度 あなたが 逝 って しま ってか ら私 は, あなたの論文 を読 み ま した。 それにあなたがよ く推賞 していたベ ネ デ ィク ト・ア ンダー ソンの 『想像 の共同体』 も読 み ま した。 そ して今, あなたは居 ないのです が, これ はや っぱ り一度議論 しておかねばな らない, とい う気 にな って, この一文 を書 くので す。 あなたは,土屋健治編著 『東南 ア ジアの思想, その展開』 のなかの 「知識人論」で次 のよ う な ことを言 っています。 ナ シ ョナ リズムが燃 え盛 っていたスカル ノ時代 には知的 エ リー トは生 きていた。だが,ス-ル ト時代 にな ると,彼等 は口をつ ぐまされて しま った。それ はいけない。 知識人 は再 び,頑張 って,無告 の民 の世界 に耳 を傾 け,彼等 の世界 を語 らねばな らない [土屋

滋賀県立大学人間文化学部 ;SchoolofHumanCultures,TheUniversityofShigaPrefecture,

2500Yasaka-cho,Hikone,Shiga552,Japan

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東南 ア ジア研 究 34巻

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]。 このあなたの主張 には私 も大賛成 です。 だが,上 のあなたの 「知識人論」 で も本 当の ことをい うと私 は, もう一 つ物足 りない ものを 感ず るのです。私 は上 の文章 の中 に,例 えば民族 だの タナ ・アイルな どとい う言葉 を探 したの です。 だが, それ は見 出せなか った。 た しか に, (無告 の民) とい う言葉 は出て きます。 だが, 文面 か ら察 す るか ぎり,それ は 「普遍主義的な理念」を知 ったけれ どもそれを言 い出せない 「無 告 の民」とい うふ うに聞 こえ ます。それで は私 は不満 なのです。(無告 の民)は普遍論理 などと い うものよ りも極 めて個別 な考 え方 を持 っているに違 いない, と思 うか らです。 多分, あなたは (想像 の共 同体) とい うものを中心 に据 えて, そ こか ら話 を進 めたか らそ う い うことにな ったので しょう。 私 ははっきりい って, この (想像 の共 同体)論 は曲者 で はない か と思 っています。そんな (想像 の世界)よ りも,実態 のあ る故郷 な り,(世界単位)があ るの だ, とい うのが,私 の素直な気持 ちなのです。 叱正 いただ けないのが,残念 ですが,私 の考 えている処 を述 べ させて下 さい 。

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想像 の共 同体)請

ア ンダー ソンは, (想像 の共同体) とい う発想 を ヨーロ ッパの事例か ら見 出 して いるのです ね。それ は,次 のよ うな順序 を経 て作 られた, とされています。① 王 による重商主義 の採用, ② 地方語 を話 す役人達 の登用,③ 地方語文化 の拡大,④ 王の地方語文化への (帰化), とあ っ て,(9国民国家 の誕生 があ った とい うものですね。 こうして,国民国家 とい うのは,元 々はと 言 えば,王 によ って作 られた ものなのだが,一旦 それが出来上 が って しま うと, もう別 の もの にな る。 そ こで はお互 いに見知 らぬ人 々が共 同体意識 を持っ よ うにな り, その共 同体 のために は命を投 げ出す よ うにさえなるのだ, とい うのですね。 同氏 は, こうして作 られた ヨーロ ッパ の国民国家 は一つの (モデュール) にな り, やがて,世界中 に拡 が ってい った。 イ ン ドネシア な ども, まさにそれ と同 じ方法 で作 られた, とい うのですね。 イ ン ドネシアの場合 だ と, この プロセスは次 のよ うに説明 されています。 1) 元 々の東南 アジアにおいて は,人 々はジャワ語,ス ンダ語,ミナ ンカバ ウ語,ブギス語, 等 々 と全 くバ ラバ ラの言葉 を話 し, バ ラバ ラに生活 していた。 2) そ こにオ ランダがや って きて,全体 を植民地 に した。オ ランダは広大 な植民地 の統治 を す るにあた って,下級官僚養成 を 目的に学校 を建 てた。す ると,そ こに地方 か ら優秀 な若 者達 がや って きて,共 に学 び,卒業 し,役人 にな って,地方 を遍歴 した。 こうして,それ まで はバ ラバ ラだ った所 に,一 つの共通 の文化 ネ ッ トワークが出来 ることにな った。 3) ェ リー ト達 は例 の 「モデュール」を知 ることにな った。そ して,自分達 の国 を作 るとい うことに急転回 してい った。オ ラ ンダ語 にかえて,イ ン ドネシア語が代表地方語 に選 ばれ

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高谷 :(想像 の共同体)論批判 た。 オ ラ ンダ語 を使 って いた エ リー ト達 はイ ン ドネ シアに (帰化) した。か くして,植民 地 国家 とい うネガはその ままイ ン ドネ シア とい うポ ジに焼 き付 け られ た。 以上 が国民 国家 イ ン ドネ シアの形成 に関 す る説 明 です ね。 そ う した こ とが あ って, その後 の 国民 国家 は深化 して い く。 その深 化 に関 して あな た は次 の よ うに述 べ て い ます。 国民 と国家 の至上性 を示 す シ ンボルが作 られて きた。憲 法, 国旗 と国歌,独立記 念 碑,英 雄 墓地, 国会 と大統領 官邸, 国立 大学 と国立 図書 館等 々が それで あ る。 これ とと もに, 愛 国歌 と 愛 国教 育 を は じめ

,

「うるわ しの祖国」を讃 え る営 みが,官民 を あ げて行 われて きて い る。 この 過程 で は,遠 い昔 の栄光 が あたか も現在 に直結 す るか の よ うにみ な され る。 伝統 的国家 と国民 国家 とが溶接 され

,

「想像 の共 同体 」が歴史 的 な被規定性 を離脱 して万古 不易 の永遠 の相貌 を常 び るので あ る。 ここで は, 国民 国家 がかっ て王 と王宮 が それ を果 た した よ うに, 時 間 と空 間 の 形 を示 しこれ に意 味 を与 え る至上 の主宰者 とな る。 ひ とが そ こで生 まれ そ こで死 ぬ こと, つ ま り, そのため に生 まれ そのため に死 ぬ その至上 の単位, 無 私 と献身 の至 高 の対 象 とな るので あ る [土 屋

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] 。 あ なたや ア ンダー ソ ンの説 明 はた しか に一面 で は筋 が通 って います。 だが,私 に は,外 来 の (モ デ ュール)が そん な に も簡単 に移植 しうるのだ ろ うか,とい うと ころに大 きな疑 問 を感 ず る のです。伝統 的国家 と国民 国家 の溶接 が そん な に簡単 に い くとは考 え られ な いので す。 ⅠⅠ 「世 界単 位」 の考 え方 私 はか な り基本 的 な所 で ア ンダー ソ ンの考 え方 に は反対 です。 第-, 事実 にお いて も彼 は誤 りを犯 して い る と思 う し, 第二 に,仮 にそ うい う考 え方 が あ った と して も,世 の中, そん なふ うに進 んで い って は困 る と思 うか らです。詳 しい議論 は後 に します が, こ うい うことです。 ア ンダー ソ ンはナ シ ョナ リズムの昂湯 に対 して,言語 を共有 す る ことの重要性 , と りわ け, 斉唱 され た時 の威 力 を主張 して い ます [ア ンダー ソ ン

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] 。 その ことは認 め ます。だ が本 当 に,例 え ば, その斉 唱 の時,彼等 はイ ン ドネ シア語 で その情景 を思 い浮 かべ て い るので しょうか。ひ ょっと した ら,ジ ャワ語 や ブギ ス語 で思 い浮 かべ て い るので はな いので しょうか。 同 じ問題 は タナ ・アイル とい う言 葉 につ いて も考 え られ るのです。 イ ン ドネ シアの人達 は何 か とい うと, タナ ・アイル とい う言葉 を使 い ます。 自分達 の国 と言 う時 に, タナ ・アイル といい ます。私 は こ こにひ っかか るのです。 彼等 は タナ ・ア イル とい う時 (想像 の共 同体 ) で あ る国 家 を想 い描 いて い るので し ょうか。 そ うで はな く (風 土) を イ メー ジ して い るの で はな いで しょうか。 こ この所 にひ っか か るのです。 この種 の問題 に関 して は, すで にい ろい ろの議論 もあ るよ うです。 例 えば, ウ ォー カー ・コ ナ -

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の議 論 が それです。宗教 や歴 史等 とい った文化 的 な要 因 を秤 に して結 ばれ た く想 309

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東南 ア ジア研究 34巻 1守

倭) の集団 とは別 に, 出 自を粋 と した集 団 とい うのが あ って, それ- の愛着 は結局 は無視 し得 ない とコナ-は主 張 して います。 私 は同氏 の考 え方 に賛成 です。 ただ, 私 は彼 の言 う (出 自の 秤) とは少 し別 の ものを考 えて い ます。私 は人 々 はsocio-cultural-eco-dynamicに結 ばれた集

団 を作 ってお り, それが大変 強力 な もの と して持続 して い ると考 えて い るのです。 もっと簡単 に言 って しま うと,ecO-logicに結 ばれ た集団 が大事 だ と考 えて い るのです。そ う した集団 の作 る地理 的範 囲 を私 は 「世界単位」 と言 って います。 (世界単位)の ことを具体 的 に考 えてみ ま しょう。私 は東 南 ア ジアな らびにその周辺 には図 1 に示 した よ うな (世 界単位) が あ ると考 えて います。 図 には この地域 に存在 す る全 ての (世界 単位) が示 されて い るわ けで はあ りませんが,代表 的 な ものを示 して います。 これ らの (世界 単位) はそれぞれ に皆,固有 の性質 を持 って い るのですが, どれ もこれ もそれな りの社会文化 生 態 的 な入 れ寵 構 造 にな って いて, なか なか壊 し難 い もの にな って い ます。 そ の強靭 さは, 言 ってみれ ば宿命 的 とさえ感 じさせ るほどの ものです。 大 図1 東南 ア ジアな らびにその周辺 にあ る (世界単位)

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高谷 :(想像 の共同体)論批判 ここで はジャワ世界 とい うものが一つの (世界単位) にな って います。 ここは火山山麓 を中 核 と した世界です。年 中高温多湿で療病 の熱帯 にあ って,ここだ けは特別住 み良 い ところです。 オース トラ リアの島陰 にな っていて,降雨量 も少 ないのですが, それ以上 に, 山腹 の風 当た り の良 さが この居住環境 の良 さを作 っているのです。加 えて ここは肥沃 な火山灰土壌 と,高みか ら流 れ下 る谷川 の水 が豊 富 なために,農業 に も好適 な条件 を備 えて います。 こ うい うことが あ って, ここは古 くか ら人が多 く住 んで きま した。 おかげで今 で はそ こは見 ただ けで も高 い熟 成度 を感 じさせ る所 にな っています。 どの家 もこん もりと茂 った屋敷林 の中にあ り, その屋敷 林 は果樹 や野菜や薬草がキ ッチ リと植 え られています。 それ は荒 々 しい自然が まだ残 る周辺 の 島々,例 えば, スマ トラやボルネオな どとは全 く違 った ものです。 そ して, この熟成 は景観 だ けで はあ りません。 社会 や文化 に も及 んでいます。社会 は階層化 していて,人 々は階層 に従 っ た立 ち居振舞 いをいた します。数多 い段階に分 かれた敬語 な ど もその-例 です。 そ して, いか に も伝統 の中で磨 き上 げた芸術 があ ります。 ワヤ ンな どはその例 で しょう。 演ず る芸術家 の方 だ けでな く, それを楽 しむ方 の観客が また, その固有 の芸術 を,言 ってみれば, 自分達 の生活 の一部 と しています。要す るに, ここには, いか に もジャワ的な世界 とい うのがあ るのです。 それ は,周辺 の熱帯多雨林 で覆 われた外領 とは全 く別 の ものなのです。 だか ら,私 は, これを 固有 の一 つの世界 と して括 り出 し,一つの く世界単位) としている, とい うことなのです。 ここで は詳 しくは説明す る余裕 があ りませんが, 同 じよ うに,別 の生態 の上 には別 の生業が あ り,別 の社会 が存在 していることを申 し添 えてお きたい と思 います。例 えば,熱帯多雨林 の 上 には焼畑集落が散在 し,そ こには ジャワな どとは全 く違 った社会 が出来 ています。19世紀後 半 にな って開 けたデル タにはまた, いかに も開拓地的な水 田農家が展開 します。 それで, これ らを私 はまた別 の (世界単位) とす るのです。 ところで,この (世界単位) も本 当 は一筋縄 で は参 りません。今 までに見て きた く世界単位) はいずれ も基本的 には,一つの生態 の上 には一 つの生業が乗 り, そ こにはそれに応 じた社会 が 出来,文化が発達 す るとい う具合 の もので,比較的捉 え易 い ものなのですが, この地球上 には そんな ものばか りで もないよ うなのです。全 く違 う原理 で独 自の世界 を作 っているところ もあ るよ うなのです。今 の ところで は私 は, あ と二つの類型 があろ うか と考 えています。 その うちの一 つ は,例 えば, シンガポールのよ うな ものです。 ジャカル タもそ うい うものの 一部 だ と思 います。 これ らはいずれ も港 です。 そ こには,前 に見 たよ うな生産基盤 と しての生 態 とい うよ うな もの はあ りません。 生態 とい うことにな ると, それ は海 であ り,汀線 だ とい う ことにな ります。 そ こで,交易 とい う生業 が行 われているのです。 そ して, いわゆ る港社会が 作 られ,港文化 とで もい った ものが発達 しているのです。 ところで,この種 の港 の (世界単位)はそれを地図 の上 に明示 しよ うとす ると,例 えば,ジャ ワ世界やデル タ世界 のよ うには描 けないのです。私 はシ ンガポール とよ く似 た港 をマ ラバ ール 311

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東 南 ア ジア研 究 34巻 1号 海岸 で も, ペル シャ湾で も見て いるのです。 中国 の沿岸都市 や 日本 の港 に も同 じものを感 じま す [高谷 1994]。 こうな ると, その広 が りは地 図 には示せないのです。地図 に示す とす ると, 港 とい う点 をつ らねて どこまでで も拡 が ってい くものにな るわけです。 あ るいは, その交易網 を中心 に描 くと, それはクモの巣状 の ものにな り,際限 な く拡が ってい くのです。 こんな次第 で, これ は, ジャワ世界 な どとは全 く違 うとい うことにな るのです。 それで私 は ジャワの もの を仮 に (生態型 の世界単位) と名付 け,港 の方 の ものを (ネ ッ トワーク型 の世界単位) と名付 け,両者 を区別 しています。要す るに,両者 は (世界単位) を作 る仕組 みが全 く別 の もの とい うことにな るわ けです。 中国 とイ ン ドを考 えてみた時,私 は, ここで また,先 の二者 とは違 う地域形成 の仕組 みのあ ることを発見 いた しま した。 中国 の場合 は儒教 とい う思想 が中華世界 を作 ってい ることを発見 したのです [高谷 1993]。ジャワに比べ た ら 100倍 もあ りそ うな,この範囲 はそれ こそ多様 な 生態 と生業 を含んでいます。 それ に も関わ らず, ここには中華世界 とい う, ひ とつのまとま り が出来 ている, と私 は考 えたのです。 そ して, それ は他 で もない,儒教 とい う大思想 が この世 界 を纏 めあげているか らだ と考 えたのです。 同 じ様 な ことをイ ン ドの場合 に も考 えま した [高 谷 1994]。 ここで は ヒン ドゥ教 とい うものが, このイ ン ド世界を作 っているのです。 ここで も, この大思想 は生態 や生業 の差 を越 えて,一つの (世界単位) を作 っています。 それで, 中 国やイ ン ドに見 るよ うな, こうい う大文 明圏 とで もい うべ きものの作 られている所 は, これ ま たその仕組 みが全 く違 うものだ と考えて, これを (大文明型 の世界単位) と したのです。 さて, もう一度,先 の コナ-の く出 自を秤 と した集団) に戻 りますが,同氏 によると, その 出 自とい うの は決 して狭義 の もので はないよ うです。 同氏 によると, それ は,人 々が主観的 に そ うだ と確信 しておればそれで よいよ うです。 こうな って くると, これ は私 が言 っている (世 界単位) にかな り接近 して来 ます。 ただ,私 の方 は, コナ-よ りも,更 に生態 を重 く見て いる のです。 それに, コナーは総論 的 に述 べているのですが,私 は地図にそれを示 してみているの です。 私 の理解 は,地球上 にはこうい う (世界単位)が宿命的 ともいえ る息 の長 さで存在 し続 けて い る, とい うものです。 そ して, そ うした実態 の上 に, ときどき,かな り広 い範囲 に, いわば 流行病 のよ うに,"普遍的論理"とい うものが覆 い被 さって くる,とい う考 え方 です。その流行 病 が,固有 の (世界単位)に全 く影響 を与 えないな どとは私 は決 して申 しません。ただ,(世界 単位) とい うのは, そんなに易 々 とその根底か ら崩れ る もので はない, とい うことを言 ってお きたいのです。

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高谷 :(想像 の共 同体)論批判

伝 統 を生 か す タ イ国 (想 像 の共 同体 ) 論 か らす る と, ヨー ロ ッパ の列 強 が植民地 の官 僚組織 を作 り上 げて くれ な か った ら, 東南 ア ジアの国民 国家 はあ り得 なか った, とい った ことに もな りそ うなのですが, 本 当 にそ うだ ったので しょうか。 ず っと昔 か ら東南 ア ジアに は伝統 的 な王国 が あ り, それが今 日の国民 国家 を作 る時 の最 も重要 な核 にな った, とい うふ うに は考 え られ な いので しょうか。 あなたの言 う 「伝統 的国家 と国民 国家 との溶接」 の実態 を もう少 し詳 しく見 てみ ま しょう。 イ ン ドネ シアの例 で はあ りませんが,タイの場 合 を見 てみ ま しょう。タイの王家 は19世紀 の 中 頃 まで は, 先 に見 た くネ ッ トワー ク型世 界単 位) の中 の一 員 で,一 つ の港 の経 営 者 で した。 東 南 ア ジアの物産 を中国人商 人 を利用 して中国 に運 ん だ り, オ ラ ンダな ど, ヨー ロ ッパ商人 に 港 湾使 用 を許 した り して,それで金儲 けを して いたわ けです。いわ ゆ る海商 で あ ったので あ り, 領域 国家 な ど作 って いなか ったのです。 ラーマ4世 は まだ, 自分 の タイ トルを 「シ ャムのバ ン コクの首 都 ラ ックナ コー シ ン ・マ ヒン ドラユ タヤ ー市 の河 川流 の所有者 」 と して いた といい ま す [矢野 1990]。 この王国 はち っぽ けな もので, 当時 の ヨー ロ ッパ人 の 目か らみれ ば取 るに足 りな い ものに し か過 ぎなか ったか も知 れ ませ ん。 しか し, 私達 は決 して これ らを無視 して はな らな い と思 うの です。 何故 な ら, 現 に国威 を発 揚 して い る今 日の タイ国 は, ま さに, この ち っぽ けな河川流 の 所有 者 の直接 的 な発展形 で あ るか らなのです。 ち っぽ けな河川流 の所有者 は ヨー ロ ッパ列 強 が 現 れ,彼等 が通 商 と開 田 を求 めた時,実 に的確 に対応 いた しま した。通 商 は と もか く, デル タ の開 田 は彼等 に は全 く経験 の無 か った もの なのです。 それ に も拘 わ らず, 見事 にそれ をや って の けま した。最初 ,華僑 の労 働 力 を用 いて開拓 事業 を始 め たのですが, それで は間 に合 わな い とな る と,民 間会 社 を作 らせ, ヨー ロ ッパか ら ドレッジ ャーを入 れて, 大変 な ス ピー ドで開 田 して い ったのです。1860年代 に開始 され た開 田だ ったのですが,1900年 に は このデ ル タの ほぼ 全域 を開 田 しま した。海 商 は見事 に巨大米 プ ラ ンターに転 身 したのです。 時代 は経済 が急拡大 して いた時 ですか ら, 王 はそれ に便乗 して 巨大 な金 を儲 け る ことにな りま した。植民 地 国家 の ネ ガが あ って, そ こか ら焼 き付 けが始 ま るな ど とい う恰好 で はな いよ うです。 転身 の内容 を詳 しく見 て い くと,独 自の展 開 が もっと明 らか にな って きます。河川 流 の所有 者 か ら,領域 を支配 す る王 にな るために は,単 に経 済 の問題 だ けで はあ りません,実 にい ろい ろの ことを しな けれ ばな りませ んで した。 王 はそ この所 を次 々 に ク リアー して い った のです。 そ して, それ は ヨー ロ ッパ の王 がや った よ うな方 法 とは全 く違 った方 法 でや って いた のです。 例 え ば, ここで王 の (帰 化 )が あ ったか とい うと,そん な ことはち ょっと考 え られ な いのです。 貝体 的 に見 てみ ま しょう。19世 紀 の中 頃, イギ リスが現 れ た時, タイの王 は侵 略 されて しま 313

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東南 ア ジア研究 34巻 1号 うので はないか と大変心配 しま した。 それで,大馬力で国造 りを開始 したのです。 それを極 め て見事 にや り通 したのが ラーマ5世王 です。貴族 を抑 え,絶対 王制 を確立 して,官僚制 を整 え ま した。鉄道 を敷 き,濯概施設 を造 って,足腰 を しっか り した ものにいた しま した。 この こと 自体 を (モデ ュール)の導入 だ った と言 って しまえばそれ までですが,それで は (モデ ュール) の意味 はあま り面 白い もので はな くな るので はないで しょうか。 それか ら,次 の王, すなわち6世王 にな ると, また別 の ことをや っています。 この王 は 「我 らタイ民族」 とい うものを創造 し,育 て上 げたのです。 そ して, それ は 「ラク ・タイ

とい う 形 で,完成 した ものにされ た といわれて います [矢野 1990]。この タイ ・デル タ世界 とい う所 には,原初 の昔 か らタイ族 とい う民族 が住 んで い,彼等 は嘗仏教 を信 じて いた, とい う話 を作 り上 げたのです。 そ してその仏教 を擁護 し, タイ族 を守 るのが国王であ るとい う理論 を作 り上 げたのです。 タイ族,仏教,国王 とい う三つが, が っち りと組 み合 って国家 が作 られて いると い う,国家 の正統性原理, それが 「ラク ・タイ」 です。6世 王 はそれを考 え出 した とい うので す。こうい うことだ とす ると,これ は (帰化)な どとい うこととはだいぶ違 うので はないで しょ うか。 タイで こうい うことが起 こりえたの は,実 はそれな りの歴史的背景 が あ ったのです。東南 ア ジアの この辺 りには太古 の昔 か ら,極 めて しっか りした王国 の伝統 があ りま した。 それ な るが 故 に, タイの王達 はその伝統 を用 いて国 を創造 し,強化 す ることが出来 たのです。 それ はこう い うことです。 ここには 8世紀 の昔 か らクメール王国が厳然 と して存在 してお りま した. あのア ンコール ト ムや ア ンコール ワ ッ トを建 てた王国 です。そ この王 はデ ワ ・ラジャで した。シバの化身 であ り, 神 な る王 であ ったわ けです。 その伝統 が何百年 も続 いていま した。 ヒン ドゥが下火 にな ると, 13世紀 には南方上座部仏教 が入 って きますが,人 々の間 にお ける 「王 は神 な り」の観念 はそん なに簡単 に消え る もので はあ りませんで した。 か くして,実際 には王 はダルマ ・ラジャとい う 受 け取 り方 を されたわ けです。神 に して, かつサ ンガの擁護者 とい う観念 があ りえたのです。 こうい う観念 がず っと生 き続 けて来 たか らこそ, ラーマ 6世 はそれを掘 り起 こ し,整理 して くラク ・タイ)とい う形 に纏 め ることがで きたのです。こうい うことだ とす ると,私 と して はま す ます (モデ ュール) を借 りて きた, だの, (帰化) だの とい うことは考 え られないのです。 タイ ・デル タ世界 には厳然 として土地 の王国 の伝統 があ ったのであ った。 そ して,賢 明な王 は十分 にその伝統 を利用 した とい う風 に,私 と して は考 えたいのです。勿論, タイの王が伝統 の強化 だ けで国家 を経営 して い ったな ど とは,私 も考 えてお りません。 タイの王 は近代 ヨー ロ ッパが もた らす いろいろの ものに曝 され, それを も受 け入 れていきます。時 には王 と して は 受 け入 れた くないよ うな もの も受 け入 れざ るを得 ませんで した。例 えば立憲革命 だの,民主化 だの とい うもの も結局 は受 け入 れてい きます。新 しい時代 の中で生 き延 びてい くためには, そ

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高谷 :(想像 の共同体)論批判 れが賢 明 な方法 で あ ると王 は知 って いたか らです。 だか ら, 結局 は矢野 暢 さんのい うよ うに, タイ国 は伝統 の力 と近代 の力 とい う, いわ ゆ る二 重 コー ド [矢野 1990] の中で生 きて い くことにな ったので しょう。 二重 コー ドにはな って い るけれ ど, そ こには厳然 と して伝統 の線 が一本通 ってい る。 そ この所 を私 と して は軽 く見 た く はないのです。 む しろ, それが心棒 だ と見 たいのです。

Ⅴ 東南 ア ジアの特質

国家 な どを論 ず る時 には, しば しば王制 だの革 命 だの とい った政治 の側面 に視点 を据 えて議 論 が され ます。それ はそれで一 つの見方 で しょうが,私 は ここで は地域研究 の立場,す なわ ち, もう少 し泥臭 い面 も考慮 して,私 な りの, 東南 ア ジアの国 と民 に対 す る見方 を述 べてみ たいの です。

Ⅴ-1

王国 の伝統 ヨー ロ ッパ の学者 のなか には, ま るで,東南 ア ジアには伝統 的 な国家 な どとい うもの は全 く 存在 して いな くて, 国家概念 な どは ヨー ロ ッパ人 によ って持 ち込 まれた もので あ るか の如 く考 えて い る人達 が い ます。 これで は大変 困 るのです。 それで, ここで は,東南 ア ジアの国家形成 史 を概観 してお きま しょう。 東南 ア ジアの国家史 は三 つ の エポ ックを想定 す ると理解 し易 いので はないで しょうか。第一 は王権思想 の到来 とその在地化 の時期 です。 在地化 とい う点 に焦点 を絞 ると, これ は8世紀 頃 です。 第二 はその王国が よ り東南 ア ジア的 にな る時期 で, これ は 14世紀 頃 です。 第三 は ヨー ロ ッパ の軍艦 と大砲 が圧倒 的威力 を発揮 す るよ うにな る19世紀 です。以下,簡単 に一通 り見 て み ま しょう。 東南 ア ジアに は4- 5世紀 か ら,幾 つかの王国がで きます。大抵 はイ ン ド系 の文化 を持 った 人達 が港 を中心 に国 を作 った よ うです。 ところが,8世紀 頃 にな る と, これ らのイ ン ド風 の王 が東南 ア ジア化 して い くよ うです。 サ ンス ク リッ ト系 に混 じって,東南 ア ジア系 の言葉 で書 か れ た碑文 が出て くるのが この時期 です。最 も早 い もの は, スマ トラの低湿地 か らでて くるス リ ウ ィジャヤの ものです。 これ は古 マ レ-語 で書 かれた碑文 だ といわれて います。 同 じ頃, カ ン ボ ジアか らは古 クメール語 の碑 文 が出 ます。 ここで もイ ン ド文化 の在地化 は起 こって いたので しょう。 ところで, 8世紀 か ら 9世紀 にな ると,幾 っかの王国 の性格 はか な りは っき り して きます。 ア ンコール トムに,見 られ るよ うに巨大 な石造寺 院が建造 され, 王都 の姿 もは っきり して くる か らです。 また,『通典』 な どとい う漢籍 か ら社会 の仕組 みがかな り判 るよ うにな って きます。 315

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東 南 ア ジア研 究 34巻 1号 ど うや ら, この頃, こう した巨大 な王都 を治 めて いたの はデ ヴ ァ ・ラジャで あ ったよ うです。 既 に先 に少 し触 れ た通 りです。 神 な る王 の治 め る国家 とい うの は, こう して,東南 ア ジアに は 遅 くと も8- 9世紀 には存在 して いたよ うです。 こう した強大 な古代王国 は,一 つ は大河河 口の港市 国 と して,今一 つ はカ ンボ ジアの平原 と ジ ャワの火 山山麓 にあ ったのです。だが,14世紀 にな ると,その布陣 が変 わ ります。 旧来 の も の は新 しい生産基盤 の出現 で相対 的 に後退 させ られたか らです。新 しい生産基盤 とい うの は大 平野 で した。 そ こでの米作 りとそれ に伴 う人 口増大 が,新 しい政治地 図 を作 ることにな ったよ うです。この時,出現 す る代表 的 な国家 が アユ タヤ とマ ジャバ ヒ トとい うことにな りそ うです。 この 14世紀 の大平 野 の出現 は域外 の政 治 ・経済情勢 の変化 と関係 して いた よ うで す。 この 時 はイ ス ラー ム世 界 の第二 の大展 開 の時期 に当 た って い ま した。 イ ン ドや東 南 ア ジアが イ ス ラー ム経 済圏 に組 み入 れ られ ることにな ったのです。大平野 の開拓 はそれを受 けて行 われ たの で しょう。 この時 には南方上座部仏教圏 の拡大 も起 こ りま した。 こ う して, イス ラーム教徒 と 仏教徒 が据 う経済 は,東南 ア ジア周辺 で は急激 に活発 にな って い ったのです。 チ ャオ プ ラヤ下 流 で は仏教 を採 用 した王 が アユ タヤを建 て たのです が, この王 は ス リグ ィ ジャヤ型 の森林物産交 易 を継承 す ると同時 に大平野 か らとれ る米 を も集 め るよ うにな ったので す。 ジャワ島の プ ラ ンタス流域 で は, マ ジ ャバ ヒ トが起 こりま した。 この王国 は伝統 的 な ヒン ドゥ王国 を堅持 しなが ら, その一方 で, プラ ンタス流域 の開 田を推 し進 め ま した。 そ して,港 岸 にや って きたイス ラーム教徒 と盛 ん に取 引を した。 この時期以 降 の数百年 を とって見 ると, この よ うに して,東南 ア ジアには三 っの型 の王国 が あ ったわ けです。第一 はチ ャオ プ ラヤ下流 の新興仏教国 アユ タヤ,第二 は ジャワ火 山山麓 の ヒ ン ドゥ王 国 マ ジ ャバ ヒ ト, それ に第三 に は この二 つ に比 べ る とず っと小 さい港 の小 王 国群 で すO群小 の港市 国 の多 くは, イス ラームの商人王 や,在地 の ダ トゥを小王 とす る もので あ った よ うです。 こう した時代 が何百年 か続 きます。 その後, ポル トガルが入 って き, オ ラ ンダが入 って きま すが,17- 18世紀 だ と,まだ この構造 は基本 的 には変 わ って いなか ったよ うです。勿論 この間 にアユ タヤの王朝 はバ ンコクの王朝 に変 わ るわ けですが, その基本 的 な性格 は変 わ って いない と思 います。 この時期,東南 ア ジア はその東南 ア ジア らしさを確実 に作 って い くのです。 だが,19世紀 に入 ると, この様子 は急激 に変 わ って い きます。結局 は ヨー ロ ッパ の産業革 命 が この ことを結果 したので しょう。 彼等 は東南 ア ジアの直接 的 な経 済支配 に入 ります。 この段 階で東南 ア ジアの伝統 的王国 はあ る もの は潰 れ, あ るいは急激 に変容 して い ったので す。 この後 の ことは既 に現代史 で よ く論 じられて い る通 りの ことです0 以上 が東 南 ア ジアの王国史 です。 こ こで私 が言 いた い ことは,東 南 ア ジアに は一 部 の ヨー ロ ッパ人達 が考 えて い るよ りも, は るか に古 くか ら王国 の伝統 が あ った とい うことです。伝統

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高谷 :(想像の共同体)論批判 も何 もない ところに, 国家 の概念 が導入 されて,真新 しく,主権 国家 がで きたな どとい うふ う には間違 って も考 えて もらって はな らない,とい うことです。歴史 的事実 の再確認 で あ ります。 ⅠⅤ-2 尖端放電す る王 こ う して古 くか ら東 南 ア ジア に いた王 は皆,尖 端放 電 す る王 だ った と私 は考 え て い ます。 ヨー ロ ッパ の王 な どとは全 く違 うのです。 ここの ところを少 し説 明 させて下 さい。 この ことを説 明す るためには,宗教 的 な力 の分布 の様子 が, ヨー ロ ッパ と東南 ア ジアで は全 く違 うとい うことを言 うとは っき りす るで しょう。 結論 か ら先 に言 うと, ヨー ロ ッパ にお いて は宗教 的力 は天蓋 にかか った天幕 のよ うに広域 に 分布 して い るのですが, 東 南 ア ジアにおいて は,尖端放電 して い るのです。異形 な る ものがそ の先端 に超 自然 的 な力 を集 中 させて, 強烈 な磁 力 を発散 させて い るのです。 図2はその二 つ の 有様 を模式 的 に措 いた ものです。 図 2の A は ヨー ロ ッパ の ものです。ここに は ヨー ロ ッパ人 の宇宙認識 が示 して あ ります。神 が上段 にい,人間が中段, そ して下段 に 自然 が あ ります。人 間界 はい くつ もの小 山を作 って い て, それぞれの小 山の頂 に王がお ります。伝統 的 な ヨー ロ ッパ で は, いわゆ る権威 とい うもの は二層構造 にな って いたので はないで しょうか。上層 にはキ リス ト教 の教会 が持 って いた宗教 的権威 とい うものが あ りま した。 もう一方 は王 の世俗 的権威 です。宗教 的権威 の方 は ヨー ロ ッ パ全域 を, いわば均質 に覆 って い ま した。 人 々 は誰 も彼 もが "天 にま します唯一 の父" を信 じ てお りま した。一方,世俗 的権威 の方 は,封建領主 や王 が持 って いま した。 こう した王達 は武 力 を持 って いたわ けですが, それ と同時 に文化 的 な権威 を持 って いま した。領民 が田舎 の地方 語 を話 して いたの に王 だ けは ラテ ン語 を話 して いま した。 この ラテ ン語 は,地方語 とは無縁 の もので, 全 ての ヨー ロ ッパ の王族達 の共通 言語 で したか ら, ここに, 王達 と領民 の間 にはは っ ヨーロッパ 天 蓋 状 に懸 っ て い た権 威 (A) SEA 尖端 放電 型 の 力 血 tu de、ra raja (B) 図2 東南アジアとヨーロッパにおける権威のあり方 317

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東南 ア ジア研究 34巻 1号 きりと した断絶 があ ったわ けです。 ヨー ロ ッパの構造 はこんな もので したか ら, ア ンダー ソ ンの言 うあの (帰化)現象 が起 こり えたのです。 これ は次 のよ うに して起 こりま した。産業 が発達 し,経済が膨張 して きま した。 そ うい う趨勢 の中で,弱小 の領主達 は次 々 と強 い王達 に吸収 され て行 くわ けですが,大 き く な った王 の方 で は,新事態 の中で国 を経営 して い くために経済 に明 るい官僚群 を作 らねばな ら な くな りま した。多 くの優秀 な人材 を王族以外 か ら選 ばねばな らな くな りま した。 だが, こう な るとラテ ン語 に固執 してい るわ けにはゆ きません。 地方語 を話す一般人 を登用 しなければな らな くな りま した。一般人 の登用が増 え ると,地方語 を官僚語 に しなければな らな くな りま し た。 やがて,地方語文化 が広 が ることにな るわ けです。 こうした状況 の中で,国 の運営 を能率 よ くや ってい こうとす ると,結局 の ところは,王家 も密室的 な ラテ ン語 に こだわ ってい るわ け にはい きません。生 き残 りを考 えた王 は, ここで ラテ ン語世界 か ら地元語世界-の "帰化" 杏 した とい う次第 です。 これが ア ンダー ソンのイメー ジ している国民国家形成 のプ ロセスの主要 な一つの ステ ップな のです。 ところが,東南 ア ジアにはこんな もの とは全 く違 った世界が広が ってい るのです。 図

2

B

はその東南 アジアの模式図です。 東南 ア ジアは, いわゆる汎神論 の世界です。 ここにはキ リス ト教世界が持 っていたよ うな一 元的な権威 が, まるで天蓋 をな して存在 してい るとい ったよ うな図 は存在 しません。実 に様 々 な ものが, それ独 自の霊力 を発 して林立 してい るのです。 山頂 が宗教的権威 を備 えて奪 えてい ます。古木 に も,苔む した大岩 に もカ ミが宿 って います。 もっと小 さい草木虫魚 に もカ ミガ ミ は宿 って いるのです。 そ うした中で異形 の ものには, よ り強力 なカ ミが宿 っています。 これが 汎神論 的世界 なのです。 そ うい うものの一 つ と して,王や酋長 が い, その王 や酋長 に もカ ミが 宿 って い るのです。 富沢寿勇 [1990]はフィ リピンの ダ トゥの ことを論 じて次 のよ うに言 って います。 ダ トゥは 武力 な どとい う点 で は決 して強 くない。 む しろ,慣 習法 に精通 して,平和推進者 であ り,争 い の仲裁者 で あ る。 そ して, その 「ダ トゥの知恵 の源泉 は トゥマ ノ ドと呼 ばれ る聖 な る精霊 で, ダ トゥにだ けつ く特別 な精霊 であ り,彼 が ダ トゥと して行動す る時 に,知恵 と知識 を与 え る」 ものであ る, とい うのです。 東南 ア ジアには, 山や川,草木虫魚 な ど自然界 の ものであれ,人間であれ, およそ異形 な る もの に は精霊 が と りつ く, と, そ うい う宇宙観 が あ るので はな いで しょうか。集 落 の中で ダ トゥは異形 な ものです。だか ら精霊 がつ くのです。王 は もっと巨大 な異形 の ものです。だか ら, もっと巨大 な精霊 が くっつ くのです。天蓋型 の超俗性 の認識 に対 して,私 な どは東南 ア ジアに は尖端潰依型 あ るいは尖端放電型 の超俗性 を感 じざるをえないのです。

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高谷 :(想像の共同体)論批判 異形 をなす尖端 か らあ る力が四周 に発散 して い る。 それ は磁極 の近 くで は全 てをそれ に惹 き つ けず にはおか ない強烈 な ものですが,磁極 か ら遠 ざか るとその引力 は弱 くな って い く。 いわ ゆ る圏型 の揚 がで きて い るわ けです。 そ う した磁場 が, い くつ もい くっ もあ るが, その性質 が 皆違 う。 プノム と呼 ばれ る磁石 の力が あれば木魂 もあ る。酋長 の持 つ力 もあれば, デ ヴ ァ ・ラ ジャが持 って い る力 もあ るとい う次第 です。 東南 ア ジアが こうい うものだ とす ると, その組織 の在 り方 は ヨー ロ ッパ の場合 とは基本的 な ところで違 うとい うことにな るわ けです。 王 の (帰化) な どとい う発想 はそれ 自体,全 く的外 れ とい う気 がせ ざ るをえないのです。 ⅠⅤ-3 二重 コー ド性 (帰化)な どとい うことは東南 ア ジアの王達 は全 くしないで,その代 わ り,矢野暢 さんの言 う (二重 コー ド)とい うことをや る,とい うことにな るので はないで しょうか。古 くか らあ る伝統 の コー ドは, その ままの性質 を消 しえないで存在 す る。 しか し, 同時 に新 しい考 え方 も取 り入 れ る。新 旧二 つ の考 え方 は糾 え る縄 の ごと く,絡 み合 い,(二重 コー ド)をなす とい うものです。 矢野 さん はシャム王国 を例 に して, この (二重 コー ド性) を論 じて いるのですが, それ は先 に タイ国史 を通覧 して確 かめてみた通 りです。 いささか くどいよ うですが, もう一度見 てお き ま しょう。 8世紀段階で はすで に, この近 くには クメールの ヒン ドゥ王国が あ りま した。 その王 は神 で あ ったわ けです。そ うい う世界 の中で,14世紀 には大平野 の開拓 が あ り, アユ タヤ王国が作 ら れたのです。新 しい王国 は仏教 を奉 じたのですが,古代 か らの伝統 は否定 で きませんで した。 王 は ダルマ ・ラジャと して受 け取 られ ることにな ったのです。 ヒン ドゥ時代 と同 じよ うに,王 は, 巨大 な尖端放電 を して いたわ けです。全 く同 じことは, もっと時代 が下 って, バ ンコク王 朝 に入 って も認 め られて います。 バ ンコク王朝 の出 自はそれ ほど高貴 な もので あ るとは決 して いえないのですが, その王朝 が隆盛 に向か うと, そ こには精霊 が とりつ き,放電 を始 め るので す。 バ ンコク王朝 の王 もダルマ ・ラジ ャにな りま した。 すで に ここには尖端放電 す るラジャと仏教 の二重 コー ドが見 られ るのですが,後 には, もっ と新 しい二重 コー ドが見 られ ます。 それが矢野暢 さんの議論 す る (二重 コー ド) です。矢野 さ ん は,バ ンコク王朝 が20世紀 に入 って とった経国 の姿勢 を捉 えて言 って い るのです。ラーマ 5 世 が とった官僚機構 の整備 や鉄道建設 は近代 とい う外来 の コー ドです。一方, ラーマ6世 の作 り上 げた くラク ・タイ) は伝統 とい う自前 の コー ドです。 これが両 々相侯 って,今 日の タイ国 はで きて い る, とい うのが矢野 さんの見方 です。私 は この見方 は正 しいと患 います。 この よ うな見方 をす る時, イ ン ドネ シアは, どの よ うに考 えた らよいので しょうか。 319

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東南 ア ジア研究 34巻 1早

Ⅴ-4

故郷 とエ リー ト 話 はガ ラ ッと変 わ りますが,体験 的 エ リー ト論 を させて下 さい。東南 ア ジアで も似 たよ うな ことがあ るので はないか と思 って話題 にす るのです。 エ リー トとい うの は故郷 とは極 めて しば しば帝離 し,時 に故郷 と敵対 す るものにな るので はな いで しょうか。 また一方で は,故郷 に錦 を飾 るために無理 な行動 を とることもあ るので はないで しょうか。 こうい うことは特 に農村 出 身 のエ リー トの場合 は強烈 に起 こるので はないで しょうか。 エ リー トの もつ, この不安定性 を 見 てみたいのです。 私 の場合 だ と, こうい うことです。私 は故郷 がいやで した。 その貧 しさや,不合理 な因習が た ま らな く,何 とか して ど こか に逃 れたいと思 っていま した。外 には もっと良 い世界があ るに 違 いない。 だか ら,勉強を して, ここか ら飛 び出 し,新 しい世界で生 きてみたい と考 えていた のです。新 しい世界 に飛 び出 して,立派 になれば,故郷 の人達 も私 を認 め るだろ うし, ひ ょっ とす ると,私 は故郷 に良 い ことをす ることにな るか も知 れない。 そん な気持 ちで私 は故郷 を飛 び出 したのです。 しか し, その後 に起 こった ことは必 ず しもそ う一本調子 の もので はあ りませんで した。実際 に町住 みを してみ ると,数十年 の時間の中で,私 は変化 していきま した。 その変化 はごく単純 化 してみ ると,次 のよ うな三段階であ った と思 います。 第一段 階 は少年 の夢 だけを持 って,新天地 に生 きた時代 です。生活 は顧刺 と して いま した。 第二段 階 は故郷 の ことが気 にな りだ した段階 です。具体的 にい うと,父母 が困 って いること が気 にな りだ したのです。本来 な らば, もう私 自身 が家 を代表 して,近所付 き合 いや親戚付 き 合 いを しなければな らないのに, それを しない か ら,両親 が大変肩身 の狭 い思 いを していると い うことが, ひ しひ しとわか るよ うにな った段 階であ ります。 しか し, この時期,私 は, それ を受 け入 れ ませんで した。む しろ逆 に,私 の生活 はます ます ラデ ィカルにな っていきま した。 ラデ ィカル とい うの は両面 に向か ってです。一 つ はよ り徹底 して,新世界 を求 め るとい う方向 で した。それ と今一つ は

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「故郷 に錦 を飾 らねばな らない」とい う方向で した。この時期 の私 は, 分裂的な状況 にあ った とい うことがで きま しょう。 第三段階 は, その分裂 がある種 の収数へ向か う段 階です。 これ は現在 の私 自身 の状態 で,事 態 は目下進行 中ですか ら, いささか述 べ難 いのですが,言 ってみれば一種 の発見 とそれ に続 く 納得 の段階 とい うことにな ります。故郷 の因習 も悪 い点 ばか りで はない。 む しろ,積極的 に評 価すべ き点 が多 々あ るで はないか, とい う発見が あ ったわ けであ ります。 これ は,新天地 に こ そ良 きものがあ る, と期待 していた ことに対 す る,期待 はずれ とい っしょにな っているとい っ てよいか も知 れ ません。 町の生活 でのむ き出 しの欲望 や寒 々 と した人間関係 を見 た後 で は, 田 舎 の因習が俄然, か けがえのない安全装 置 のよ うにさえ見 えて きたか らなのか も知 れません。 今 で は私 は,次 のよ うに考 えています。現実 の生活 には常 に両面 があるのだ。苦痛 に見え る面

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高谷 :(想像の共同体)論批判 と快適 に見 え る面,悪 と見 え る面 と善 と見え る面, その両面 が剥 が し難 く密着 して いるのが世 の中の常 とい うものだ, それが文化 とい うものだ, とそんな風 に考 えてい るのです。 私 は今で は自分 の故郷 の文化 をそれ ほど最高 の もの と して持 ち上 げた りした くあ りません。 しか し,だか らとい って,価値 な きもの と して切 り捨 て よ うな どとはさ らさ ら考 えていません。 それ はそれな りの表 と裏 を持 ち, それな りの存在価値 を持 ってい る。 だか ら,永続 きすべ き も のだ, と考 えて います。 あ る時 には, そ こにいる当事者 は相 当大 きな苦痛 を感 ず るか も しれ ま せん。 しか し, その中で生 きて い くべ きなのです。何故 な ら, それが,生 きるとい うことで あ り,普通 の ことだか ら, とい うことです。 ところで, ち ょっと周 りを見渡 してみ ます と,全 ての人達 が,私 が苦 しんだ と同 じよ うに は 苦 しんで はいな い ことに気付 くのです。一部 の人達 に とって葛藤 は極 めて強烈 です。 だが別 の 人達 に とって はそれ程 で もない らしい。 そ して, この差 は,個人 の資質 とい うよ りも, む しろ その人 が出て きた故郷 の差 によるよ うに私 には見 え るのです。私 は近江 の産 なのですが,近江 の よ うに固有文化 がが っち りと築 かれて い る所 と, 見知 らぬ人 の混住 してい る都会 のよ うな所 とで は,大 きな差 があ る, とい う風 に私 には見え るのです。 利発 であ ったが故 に田舎 を出て しま ったエ リー トの立場 とい うのは, えて して実 に微妙 な も のです。彼 は彼 自身 の変身 の段 階で, いろいろの故郷観 を持 ちます。 そ してそれを告 白的 に表 明 した りします。 だが, それ は,彼 の故郷観 であ り,実態 で は必 ず しもないのです。実 の とこ ろを言 うと, そ うい う彼 の独 白 とは別 に,故郷 は厳然 と して, それ 自体 の もの と して存在 し続 けてい るのです。 それ は,太古 よ り不変 だな どとは言 わないまで も,極 めてゆ っ くりと しか変 わ らない, いわば,宇宙 の摂理 に したが って,悠然 と生 き続 けて い る もの と して存在 して い る のです。そ うい う故郷 が確 かに一部 の所 にはあ るのです。私 は (世 界単位)のなかで,(生態適 応型 の世界単位) とい うのを,一 つ の類型 と しま したが, そ こには,今 ここに言 ってい るよ う な故郷 が存在 して いるよ うに思 え るのです。 私 が ここで,故郷 の ことを特 に持 ち出 したのは, ジャワの ことを考 えての ことです。 Ⅴ

イ ン ドネ シアを考える

土屋 さん, あなたは, ス- ル ト時代 にな って イ ン ドネ シアは硬 直化 した,今 こそ知識人 が真 剣 に考 え, もっと発言 すべ きだ, と言って います。私 も賛成 です。私 な りに,今 のイ ン ドネシ アを見て, イ ン ドネシアはどうあるべ きか につ いて発言 させていただ きま しょう。 それを言 う ため には, イ ン ドネシアの地理 的,歴史的背景 を少 し見 ておかねばな りません。 321

(16)

東南 ア ジア研究

3

4

巻1号 V-1 二 つの世界 イ ン ドネ シアは私流 にい うと二つの (世界単位)か らな っています。 ジャワ世界 と東南 アジ ア海域世界です。前者 は火山山麓 に住 む農民 の作 る世界であ り,後者 は海岸 で森林物産採取 や 交易 に携 わ る海民 の作 る世界です。 この ことはすでに述べ たか ら,繰 り返す必要 はないで しょ う。 ただ, ここで, もう一 つ想 い起 こ しておかなければな らない ことは, ジャワ世界 は農民世 界 と言 って はいますが, そ こには強烈 な尖端放電 をす る王が いた とい うことです。 ここは伝統 に満 ちみちた王国で もあ ったわ けです。 海域世界 に も尖端放電 す る港 の小王達 や森林物産採取集落 の ダ トゥ達 はいま した。 ただ, そ の磁力 は ジャワの大王 のそれに比 べ ると, はるかに小 さい もので した。小 さな灯台のよ うに点 在 しているそ うした中小 の明か りを頼 りに,採取者 や交易者が動 きまわ っていたのです。 こう して,海域世界 は人 々が流動 し,混住 す る場 で した。 イ ン ドネ シアを諭ず る場合 には,何 よ りもまず, この二 つの世界 の存在 の ことは最低限お さ えておかなければな らない ことで はないで しょうか。

Ⅴ-2

二 つのエ リー ト この ジャワと海域 の対照 はエ リー トにつ いて も言 えます。 植民地時代 に入 ると,多 くの ヨー ロッパ人 がや って きま した。港が大 き くな り,港 には混血 がで きま した。そ うした港 の中で,最大 の ものが,バ クビアであ り,ここには,多数 のバ タビー がで きたのです。一方, ジャワの農村部 はこれ らに比 べ ると,閉鎖 的であ り,在来 の文化 を守 り続 けま した。 いわゆ る (想像 の共同体) を作 り上 げるエ リー ト達 は, こうい う,背景 の中か ら生 まれて き たのですが,私 はこのエ リー トのなかに明瞭 な二種 の人達 を見 出すのです。海域 出身 のエ リー トとジャワ出身 のエ リー トとい う二種 です。 この ことに関 しては, あなたの 『イ ン ドネ シア- 思想 の系譜』 は実 に面 白い資料 を示 して います。「ロ ンゴワル シ トとカルテ ィニ」[土屋

1

9

9

4:5

4-8

2

],それ と

,

「スカル ノと- ッタ」 [同上書 :

1

0

9-1

6

9

]の対比 がそれです。ロ ンゴワル シ ト

(

1

8

0

2-7

3

)

はジャワ王家 に仕 えた最 後 の宮廷詩人 で, ジャワ王家 の栄光 とジャワ人 の魂 を, ジャワ語 で語 り続 けた人 とい うことで す。 この人 は今 もジャワ人 の心 の中に生 き続 けている, とあなたは言 っています。一方, カル テ ィニ

(

1

8

7

9-1

9

0

4

)

は, ジェパ ラ県知事 の娘 です。 オ ラ ンダ語 を学 び, それに習熟 して, オ ランダ語 で友人達 に多 くの書簡 を したためま した。 そのカルテ ィニにつ いて, あなたは次 のよ うに言 っています。 書簡集 に措 かれ るジャワの風景 は,絵葉書 のよ うに,芝居 の書割 りのよ うに美 しい。紋

3

2

2

(17)

高谷 :(想像の共同体)論批判 切 り型 の美辞 に近 い。 それ らは,彼女 が耽読 したで あ ろ うオ ラ ンダのお とぎ話 の中の幻想 の風景 のよ うに,澄 明で美 しく, リア リテ ィを欠 いて い る。 それ は,過剰 な熱気 と湿気 の 底 で ゆ らめ いて い る ジ ャワの現 実 の風景 か らは は るか に遠 く,一連 の決 ま り文句 (ク リ シェ) によ って表現 され,普遍 的 な美 しさを もち, あまね く存在す る風景, 肉体性 を欠落 させた風景 で あ るとい って よい。 だが彼女 は, それ こそがふ るさとの風景 だ といい切 る。 風景 が このよ うな観念性 において捉 え られたのち, それがか けがえのない (ふ るさと) の 風景 とされ るので あ る。 ジャワの文化史上初 めて提示 された この よ うな (風景) を通 して, カルテ ィ二の精神 は 近代民族意識 の原点 に到達 して いた といえ よ う。 何故 な らば, この よ うな風景 こそ,後 の 人 々が同調 してや まぬ 「うるわ しのわが祖国」 とい う共同体観念 の核心 をな して いたか ら で あ る。 [同上書 :79] ロ ンゴワル シ トは ジャワの核心域 ス ラカル タに住 んだのに対 して, カルテ ィ二は ジ ャワの北 海岸 ジェパ ラに住 んだのです。 ここに私 は伝統 その ものに生 きた内陸 のエ リー トと,新 しい文 化 に生 きた海岸 のエ リー トの違 いを明瞭 に見 るのです。 似 たよ うな対比 を私 はスカル ノ (1901-70) と- ッタ (1902-80) の うちに も見 るのです。 スカル ノは民衆 を鼓舞す る時, よ くワヤ ンの中の人物 を持 ち出 して, 「民族 の魂」 に訴 え ま し た。す ると,- ッタはそれ に対 して

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「それ に酔 い しれ る民衆 とはmembebek(ア ヒルの行列)」 [同上 書:159]だ と言 って文句 を付 けま した。- ッタは,民衆 は もっと理性 的 にな り,本 当の 意 味で 冒醒 め るべ きだ とい うので したね。 - ッタよ りももっと徹底 した合理主義者 だ った シャフ リルが, その- ッタにつ いて述 べて い ます。「心 の中 は,彼 はオ ラ ンダ人 であ った。 とい う意 味 は,彼 は植民地支配者 を,心底 か ら外 国人 で あ り, また敵 で あ ると見 な して いたので はな くて,例 えば, オ ラ ンダ政府 に対決 す る際 の左翼社会主義者 の よ うな見方 で植民地支配者 を見 て いたのであ る」 [同上書 :158-159]。 ブ ラ ンタスの上流 ブ リタルで育 ち, ジ ャワ人 エ リー トの薫陶 を受 け続 けて きた スカル ノと, 青春 の10年 間 を オ ラ ンダで過 ご した ミナ ンカバ ウ人- ッタの違 いを私 は ここに見 るのです。 同 じよ うな違 いは ジ ャワ貴族 のデ ワ ン トロとスマ トラのナ タル生 まれのア リシャバ ナの間 に も 見 出す ことがで きます。 イ ン ドネ シア とい う (想像 の共 同体) を 目指 したェ リー トの中 には,混血 のユ- ラシア ンか ら,海域 出身 のエ リー ト, 内陸 ジャワ世界 出身 のエ リー トまで の幅が あ った とい うことを考 え てお きたい と思 うのですo ユー ラシア ンは除外 す ると して も,私 は ここで海域 出身 の エ リー ト とジャワ出身 の エ リー トは峻別 しな ければな らないので あろ うと思 うのです。 極 めて粗 っぼ く言 って しま うな ら, ジ ャワの エ リー トは重 い ジ ャワの故郷 を引 きず るエ リー 323

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東 南 ア ジ ア研 究 34巻 1早 トであ り,海域 出身 のエ リー トは軽 々 と して弾力 に とんだ世界 に生 き続 け られ るエ リー トなの です。

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(憩像 の共同体) の実態 共通 の敵 が 目の前 にいる間 は,全 てのエ リー ト達 は共闘す ることがで きたで しょう。しか し, その共通 の敵 が消えた後 も,彼等 はまだ共闘 しえたので しょうか。 (聖 な る空間) (か けがえの ない空間) は植民地国家 とい うネガがあ ったか らこそ, そ こか ら出て きたのだ とい うことは, その通 りなのですが, ひ ょっとす ると, そのネガが消えた後 には, ポジもまたいっの 日か色越 せ, もう焼 き直 しがで きないよ うな状況が起 こるので はないで しょうか。 あ るいはまた この こ とは,次 の よ うに言 うこともで きます。海域 出身 のエ リー トに とって は,植民地勢力が作 った ネガは彼 自身 のネガであ ったで しょう。 だか ら, それ はいっ もポ ジに焼 き付 けることがで きま した。 だが, ジャワ出身 のエ リー トにとって は, もう一 つ別 のよ り強烈 な, よ り持 ちのよいネ ガがあ って,時間の経過 と共 に, その持 ちのよいネガだ けが残 る。結果 と して起 こることは時 間が経 つ と,海域 のエ リー トとジャワのエ リ- トの作 り出す ポジは違 った ものになる可能性 が 大 きい。 そ うい うことになるので はないので しょうか。 現実 に起 こっていることはそ うい うことなのか も知れないのです。 イ ン ドネ シアは もう独立 を獲得 しま した。 そればか りか,開発 の時代 は成功裡 に進 んでいます。独立 を戦 った時 とは も うす っか り状況が変 わ って しまっています。組織 などほとん どなか った所か ら,今で は官僚組 織 はほぼ完蟹 な ものにな り,経済 的繁栄 も誼歌 しています。結構 な ことが多 いのです。 しか し, こうした中で, その反面 で は "制服 の氾濫"[白石

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や, "エスニ シテ ィの飼育" [加藤

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が起 こっています。土屋 さんのい う,いわゆ る 「知 の逼塞状況」 [土屋

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が起 こっ ているのです。 この息づ ま りそ うな状況 を どう考 えた らよいので しょうか。 これで もまだ国家 は (想像 の共 同体) とい うふ うに言 うべ きなので しょうか。 こうな って しま うと (想像 の共 同体) は,少 な くとも, もうあの独立闘争 の時 のよ うな恰好 で は存在 していない と考 えざるをえないので はないで しょうか。 エ リ- ト達 の多 くは固 く口を つ ぐんでいます。 だが,実際 には皆,心 の中で は, 自分 の故郷 の ことを考 えているのです。 こ の ことは至極 当然 な ことだ と思 います。 私 はエ リー ト達 を非難す るつ もりはあ りません。皆, 自分 に忠実 なのです。 自分 が生 まれて きた タナ ・アイルに忠実 なのです。 間違 っているのは, その タナ ・アイルを国家 だ と異訳 し, (想像 の共同体) があ るのだ, な どとい う幻想 を抱 かせ過 ぎた所 にあ るので はないで しょうか。 それ は, か けがえのない ものだか ら,人 々がそれに命 を賭 けるなどとい う公式 す ぎる解釈 を し ている所 に誤 りがあるので はないで しょうか。

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高谷 :(想像 の共 同体)論批判 む しろ,私達 は,最 初 か らもう一 度,(想像 の共 同体) とい うよ うな発想法 を考 え直すべ きな ので しょう。 ま るで,何 の伝統 もない所 に, ヨー ロ ッパで発 明 された (モ ジュール) が到来 し て, それで新 しい共 同体 にで きるな どとい う考 え方 自体 を見直 してみ る必要 が あ るので はない ので しょうか。 私達 の住 む, この ア ジアには固有 の風土 が あ り,固有 の伝統 的 な共 同体 が ち ゃ ん と大昔 か らで きて しま って い るのです。 そ して,結局私達 はそ こか ら外 れて い くことはで き ないのです。 (世界単位 )とい うものが大昔 か らあ る。そ して,その上 に国民 国家 とい う流行 の思想 が到来 した とい うことを充分 に認識 してお くことが必要 なので はないので しょうか。繰 り返 しにな り ますが, イ ン ドネ シアの場 合 だ と, ジャワ世界 とい う保守 的 自己中心 的 な世 界 と,海域世 界 と い う反構造 的, 開放 的 な世界 が あ る とい うことです。 その ことをまず何 よ りも先 に認 めて お く べ きなので しょう。 それ らが,一 つ の国家 を作 るな ら, この事実 を認 めた上 で国家 を作 ること を考 え るべ きだ と思 います。 複数 の世 界, と りわ け陸 の世 界 と海 の世界 が, お互 いに話 し合 いなが ら一 つ の単位 をっ くっ て いかね ばな らない とい うの は,今 や汎世 界的 な要 請 で あろ うか と思 います。 中国 はまさに, 今, この ことを極 めて大 きな規模 でや ってお ります。 日本 はかって, この問題 で苦 しみ ま した。近 い将来, また もう一度 同 じ問題 で苦 しまねばな らない可能性 が大 きい と私 は思 い ます。 陸 の世 界 と海 の世界 は,私流 にいわせて も らうと, 自形 の世 界 と他形 の世 界 [高谷 1994] です。本来 これ は全 く異質 な く世界単位) を作 る ものなのですが, それが一組 にな って,初 め て地球世 界 は うま くい くのです。 イ ン ドネ シアの場合 もま さにその通 りなのです。 よ り広 い範 囲で の統 合, いわゆ る地域統合 な どとい うことが議論 され るよ うにな った今, この問題 は,義 も大事 な問題 の一 つ と して議論 されねばな らないので しょう。 独立 して主権 国家 を克 ち得 た こと,そ して,その主権国家 は く聖 な る もの)(か けが えのない もの) で あ る ことは認 め るのですが, それが ただ単 に,政治社会学 的 な分析 だ けで (想 像 の共 同体) な どと して,処理 されて しま うことに対 して は,私 は地域研究者 と して はい ささかの異 論 を述 べ ざ るをえ ないので あ ります。 引 用 文 献 ア ンダー ソ ン,B.1987.『想像 の共 同体- ナ シ ョナ リズムの起 源 と流行』白石 隆,白石 さや (訳). リブ ロポー ト. 加 藤 剛.1993.「飼育 され るエ スニ シテ ィ」 『地域研究 の フロ ンテ ィア』矢野 暢 (編). 弘文堂. コナ-, ウ ォーカー.1995.「エスノナ シ ョナ リズム」 石川一雄 (訳). 『思想』1995年4月号.岩波書店. 白石 隆.1986.「学校 唱歌,制服, ドラキ ュ ラ」『東南 ア ジアか らの知 的冒険』原洋之介 (編). リブロポー ト. 高谷好一.1993.『新世界秩序 を求 めて』 中公新書. 325

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東南 アジア研究 34巻 1早 . 1994.「世界のなかの (世界単位)

『世界単位論』矢野 暢 (蘇).弘文堂. 土屋建治. 1990a.

(想像 の共同体) と しての国民国家

『東南 アジア学 の手法』矢野 暢 (宿).弘文堂. .1990b.「知識人論

『東南 アジアの思想』土屋建治 (編).弘文堂. .1994.『イ ン ドネシア- 思想 の系譜』勤葦書房. 富沢寿勇. 1990.「王権観念の原理 と諸相

『東南 アジアの思想』土屋建治 (編).弘文堂. 矢野 唆. 1990.

(政治) の成立」『東南 アジア学 の手法』矢野 暢 (宿).弘文堂. 326

参照

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