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下田歌子再考―評伝作成のために(一)

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Academic year: 2021

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実 践 女 子 学 園 の 創 始 者 で あ る 下 田 歌 子 に つ い て 、 本 格 評 伝 の 作 成 が 待 た れ て 久 し い 。 し か し 、 そ も そ も 明 治 か ら 昭 和 前 期 の 著 名 な 女 性 で あ っ た 彼 女 は 、 ど の よ う な 描 か れ 方 を し て き た で あ ろ う か 。 小 説 と し て は 、 明 治 二 十 一 ( 一 八 八 八 ) 年 、 三 宅 花 圃 の 『 藪 の 鶯 』 や 明 治 四 十 三 ( 一 九 一 〇 ) 年 か ら 明 治 四 十 四 ( 一 九 一 一 ) 年 に か け て 発 表 さ れ た 森 鴎 外 の 『 青 年 』 で は 、 さ ら り と 描 か れ 描 か れ て い る も の の 、 ど こ か 当 時 の 一 般 女 性 と は 、 明 ら か に 違 っ て 抜 き ん で て い る 描 写 が 見 ら れ る 。 と こ ろ が 、 太 平 洋 戦 争 後 、 戦 前 ま で の 価 値 観 が 敗 戦 に よ っ て 全 く 覆 っ た 現 代 に お い て は 、 昭 和 五 十 ( 一 九 七 五 ) 年 、 井 上 ひ さ し 『 合 牢 者 』、 昭 和 五 十 九 ( 一 九 八 四 ) 年 、 志 茂 田 景 樹 の 『 花 の 嵐

明 治 の 女 帝 ・ 下 田 歌 子 の 愛 と 野 望 』、 平 成 二 ( 一 九 九 〇 ) 年 、 林 真 理 子 の 『 ミ カ ド の 淑 お 女 平 成 六 ( 一 九 九 四 ) 年 、 南 條 範 夫 の 『 妖 傑   下 田 歌 子 』、 平 成 一 ( 一 九 九 九 ) 年 、山 本 博 雄 の 『 妖 婦   下 田 歌 子

「 平 民 新 聞 よ り 』、 平 成 十 二 ( 二 〇 〇 〇 ) 年 、 三 好 徹 『 妖 婦 の 伝 説 』 な ど 作 品 の 登 場 を 見 て い る 。 い わ ゆ る 「 平 民 新 聞 」 や 当 時 の ゴ シ ッ 等 の 資 料 を 用 い た 小 説 等 が 多 く 出 現 す る 。 お そ ら く 、 帝 国 婦 協 会 や 愛 国 婦 人 会 の 重 鎮 と し て 活 動 し て い た も の が 、 歌 子 の 後 、 国 防 婦 人 会 の 勢 力 拡 大 の 影 響 を 受 け 、 い わ ゆ る 婦 人 会 そ の の が 、 軍 国 主 義 に 飲 み 込 ま れ た ネ ガ テ ィ ブ な 歴 史 認 識 の 影 響 受 け て い る と 思 わ れ 、 男 尊 女 卑 が ま か り 通 っ て い た 中 で 、 女 は 結 婚 し て 夫 の 庇 護 の 下 に あ ら ね ば な ら な い 時 代 に 、 美 子 皇 に 実 力 を 見 い だ さ れ て 男 性 と 互 し て 以 上 の 働 き が あ っ た が 故 に

髙瀨

  真理子

のた

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中 傷 に さ ら さ れ た も の で も あ っ た 。 ま た 、 品 格 を 重 ん じ る が 故 に 、 こ れ ら の ゴ シ ッ プ 等 が 面 白 お か し く 出 さ れ る 中 で 、 毅 然 と し て 沈 黙 を 守 っ た こ と が 、 放 置 し た と 同 様 の 結 果 も 招 い て し ま っ て い る よ う に 思 わ れ る 。 ところが、最近、男女共同参画が進み、時代に変化が見られる た め か、 歌 子 の 業 績 を 再 評 価 す る 内 容 が 出 る よ う に な っ て き た。 平成二十六(二〇一四)年、仲俊二郎『凜として

近代日本女 子教育の先駆者下田歌子』や平成二十七(二〇一五)年、浅見雅 男 の『 学 習 院 』、 平 成 二 十 八( 二 〇 一 六 ) 年、 み の ご さ く『 日 英 同 盟 カ ゲ の 立 役 者   下 田 歌 子 』、 長 尾 剛 の『 近 代 日 本 を 創 っ た 7 人 の 女 性 』、 平 成 二 十 九( 二 〇 一 七 ) 年、 石 川 真 理 子 の『 乙 女 の 心得

世界が恋した日本女性』のような書籍である。 一 方、 評 伝 と し て は、 昭 和 十 一( 一 九 三 六 ) 年、 西 尾 豊 作 の 『下田歌子伝』 、昭和十八(一九四三)年、故下田校長先生伝記編 纂所による『下田歌子先生 伝』などが早期のものとして存在する。 特 に『下田歌子伝』については、歌子没年の成立であり、同時代 にあっては評価できるものである。しかし、その後に『下田歌子 先生伝』の成立があり、本格評伝として認識することは逆に難し く な る。 つ ま り、 「 平 民 新 聞 」 に 代 表 さ れ る よ う な 下 田 歌 子 バ ッ シングに対抗する意味合いがあったのかもしれないが、カリスマ 性のあった下田歌子を必要以上に祭り上げる姿勢のものであった。 それは、昭和十二(一九三七)年、香雪神社大殿祭が千家尊宣に よって斉行され、下田が神格化されたこととも関係があると考え られる。 そのことは、 とりもなおさず下田がそれほどの存在であっ たことの証左でもあり、女性としては、まったく稀な存在であっ たとも言うことができよう。しかし、皮肉なことに、神格化され ることによって等身大の下田歌子を知ろうとする機会が奪われる ことにもなってしまったのである。 昭和二十一(一九四六)年、文部省 (当時)の指示により香雪 神 社が廃祀となる。その後、下田歌子について長く語り難い時代 を経たが、女性の活躍が注目される時代を迎え、再び一人の先駆 的な女性として、下田歌子の生き方や業績を再評価していく必要 性が増している。 従って、本研究では、評伝作成のための資料として、下田歌子 の生涯を概観することを目的とし、下田が生きた時代の女性の地 位 や 置 か れ た 状 況 等 に も 細 か く 配 慮 し て 考 察 を 加 え、 ま た 最 近、 新資料の出現によって見直されている幕末維新の研究にも目を向 け、資料を駆使して下田歌子の生き方や業績を再評価しながら評 伝として組み上げていくことを最終目標としたい。 つまり、 この稿では、 改めて下田歌子の血統について整理し、 「下 田歌子」となる以前の「平尾鉐」の背景を固めておきたい。また、 この先、改訂を続けることは辞さないものの、現段階までの時代

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背景を付した下田歌子の年譜資料(明治十二年まで)を評伝作成 の基礎資料として掲げておきたい。

一、家系図

『 下 田 歌 子 伝 』 の 巻 末 資 料 と『 下 田 歌 子 先 生 伝 』 に 縷 々 述 べ ら れている血統を家系図に起こしてみたものの違いは、下田歌子の とらえ方そのものと密接につながっている。 この家系図については、 『下田歌子伝』 『下田歌子先生伝』を基 底 に 据 え な が ら も、 『 姓 氏 家 系 大 辞 典 』『 國 史 大 辞 典 』『 幕 末 維 新 人名辞典』 『明治維新人名辞典』 『日本史小百科』で照合・修正す ることによって客観性を保ちながら、楜澤龍吉『平尾守芳とその 一統』 、中村勝実『疾風武田軍団』 、山口典子「平尾它山略記」 (『り んどう』第 2号   一九七七年)等も含めて照合した結果を次頁に 示す。 なお、これら家系についての考察の詳細は、拙稿「下田歌子再 考

血統と家系について

」( 『歌子』第 5号   一九九七年3 月)を参照されたい。

二、年譜

下 田 歌 子 の 年 譜 の 明 治 十 二 年 ま で を 整 理 し 、年 表 と し て ま め た 。 明 治五年までのところは、月日の表記に太陰暦を用いているも のが多い。下段の一般社会に関する記事は、すべて太陽暦に揃え ることができたが、上段の下田歌子や一部岩村のものについては、 混在していると言わざるを得ず、確認がとれたものから、この先 も太陽暦への修正統一を加える必要がある。 こ の 年 譜 に つ い て は、 全 体 を『 近 代 日 本 総 合 年 表 』( 一 九 九 年   岩 波 書 店 )、 『 日 本 文 化 総 合 年 表 』( 一 九 九 〇 年   岩 波 書 店 を 基 底 に 据 え、 上 段 の 項 目 に つ い て は、 西 尾 豊 作『 下 田 歌 子 伝 (一九三六年   咬菜塾) 、『下田歌子先生伝』 (一九四三年   故下田 校長先生伝記編纂所)から採用しつつも、 飛鳥井雅道『明治大帝』 (一九八九年   筑摩書房) 、アリス・ベーコン『華族女学校教師の 見 た 明 治 日 本 の 内 側 』( 一 九 九 四 年   中 央 公 論 社 )、 『 津 田 梅 子 書』 (一九八〇年   津田塾大学) 、小田部雄次『ミカドと女官』 (二 〇〇一年   恒文社

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)、大庭みな子『津田梅子』 (一九九〇年   日新聞社刊)などの関連資料からも採用している。

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清和天皇 貞純親王 源経基 満国 為満 (信濃守) 為公 (伊那) 為扶 (依田) 太郎 為実 2     昌朝 ⑤平三   昌秀 守芳 1 ③ 守信 3 良信系 雄誓 慶寿院 女 伊織 守次 (依田) 源蔵 照冬 ④ 為信 重保女 源次郎 武者重忠 女 信芳 為守 守俊 快英 ②円智★ 守弘 為弘 (依田) 長久 右近将監 為頼 (芳美) 為家 ①修理亮 為泰 (平尾良信) (九代略) 満仲 満政 満季 満快 〔平尾家家系図〕 ■注 1 守信は、 永正年間に平尾城を築城し、 一五二八(大永八)年に平尾八幡宮を、 一五三二(天文元)年   皎月庵を建立している。 2 守 芳 は、 一 五 五 七( 弘 治 三 ) 年   守 芳 院 を 建 立 し、 一 五 七 三( 元 亀 年   平 尾 大 社 本 殿 を 建 立、 ま た 天 正 年 間 に は、 従 弟 伊 織 と と も に 平 尾 用 を普請している。戦国時代を生き抜いた知将である。 3 雄 誓 に つ い て は 、 平 尾 良 信 の 系 列 で あ る と い う こ と 以 外 は 未 詳 。 4 大正九年四月二十五日、下田歌子は守芳院にて平尾生三と対面している。 5 若 君 近 習 か ら、 太 田 錦 城 に 学 び、 知 親 館 教 授 と な る。 平 尾 家 が 学 問 の 家 なったのは、この他山からである。 6 「 藩 士 暦 世 略 譜 」 等 を 根 拠 に 楜 澤 龍 吉 は、 孝 蔵 の 出 身 を 諏 訪 藩 御 殿 医 取 家 と し て い る が、 他 の 多 数 の 説 に よ っ た。 す な わ ち、 出 身 は 信 州 だ 江 戸 町 医 東 条 享 哲 の 三 男 と し て、 江 戸、 芝 宇 田 川 町 に 出 生。 一 時 平 尾 氏 養子に入ったが、学派の相違から離縁し、旧姓に復した。

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② 市三郎 (信與) 米十石、 役料三石代官等 ③熊次郎 平藏 (信明) 米八石、 役料二石代官 友吉 (夭折) 6文左衛門 東条家   三男   号   琴台 孝藏 (信耕) ⑤中小姓 ⑥復太郎   信左衛門 鍒藏 (信享) 五十石、 馬廻席、 近習 武久家 房子 鈴木家 角太郎 壽子 4 生三 勝 純 三郎 養子 廉亮 明治 27年生死不明 武久家 りう 鍗藏 ⑦ 歌子 (鉐) 下田猛雄 5 男 女 力丸家 ・ 次男   号   他山 鍬藏 (信順) ④郡奉行、 五十石役料二十俵 男 常 女 貞子 辰次郎 澤家 (信器) 米六石、 中小姓 ⑦ 盛信 ⑧(野村) 伊織 信濃上田 半左衛門 信濃上田 ・ 平尾氏 忠左衛門 ①岩村 ・ 平尾氏 杢右衛門 (信敏) 石川乗紀家臣 郷方手代 ・ 米五石 下総古河 ・ 堀田家臣 弥三右衛門

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▼   1854 (安政元) 年   当歳     藩主   松平乗喬 8・ 8 岐 阜 県 美 濃 国 恵 那 郡 岩 村 町 大 字 熊 の 原 、岩 村 藩 士 平 尾 家 に て 、父 、平 尾 信 左 右 衛 門 信 享 、母 、房 子 の 長 女 と し て 誕 生 。 幼名、 せ き(鉐) 。 ▼   1855 (安政 2)年   1歳    藩主   松平乗命 7・ 26 藩主、 松平乗喬 ( 30歳) 没。 9・ 18 松平乗命 ( 8歳) 遺領 を 継 ぐ 。 ▼   1856 (安政 3)年   2歳 孝明 天 皇   将軍十 三 代家定 2・ 13 ペ リ ー(軍艦 七 隻) 、江戸湾内 に 投錨。 3・ 28 ク リ ミ ア 戦争始 ま る 。 3・ 31 日米和親条約 を 結 ぶ 。 5・ 2 京都大火、 内裏炎上。 10・ 14 日英和親条約 を 長崎 で 結 ぶ 。 12・ 23 東海地方 で 大地震。 2・ 7 日露和親条約 を 下 田 で 結 ぶ 。 11・ 11 夜、 江戸 で 大地震、 余震 八 十回、 火災各地。 (安政大地震) 11・ 18 幕府、 堀 田 正睦 を 老中首座 に 任命。 12・ 3 幕府、 長崎 で 海軍伝習 を 開始。 (伝習員、 勝安芳 ら ) 1・ 30 日蘭和親条約 を 長崎 で 調印。 3・ 17 幕府、 洋学所 を 設 立 、蕃書調所 と称 す る 。 8・ 21 米国総領事 ハ リ ス 、下 田 に 入港。 9・ 20 吉 田 松陰、 近隣 の 子弟 に 講義。 (松下村塾 の 起源) 9・ 23 江戸大風雨、 洪水。 (下 田 歌子 の 年譜) 歌子(岩村藩) 社会・世界の動き   

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▼   1857 (安政 4)年   3歳 せ き 子、 こ の 頃 よ り、 俳句、 和歌 を 口 ず さ む 。 父、 信左右衛門、 眼病治療 の た め 、御暇 を 願 い 出 る 。 ▼   1858 (安政 5)年   4歳 1・ 1 せ き 子 、正 月 に 歌 が で き た と 祖 母 の 部 屋 に 駆 け 込 ん で 、口 頭 で 歌 を 詠 ん だ 。 6・ 11 父、 信左右衛門、 思慮不行届 の 次第恐入差控。 父 の 謹 慎 に 伴 い 、従 者 の す べ て に 暇 を 出 し 、食 事 も 茶 漬 け と 漬 物 で 節約 を 始 め る 。 こ の 頃 、祖 母 、貞 子 か ら 平 尾 家 の 先 祖 が 南 朝 の 忠 臣 で あ る こ と と 尊 皇 思 想 に つ い て 教 え を 受 け 、幽 閉 さ れ て い る 父 の 正 し さ を 説 き 聞 か せ ら れ る 。 10・ 8 清 で ア ロ ー号事件。 (和歌) 八 田 知紀 『 し の ぶ 草』 2・ 12 蕃書調書開校、 幕臣 の 子弟 の み 入学可。 2・ 24 オ ラ ン ダ 商 館 長 ク ル チ ウ ス 、幕 府 に ア ロ ー 号 事 件 を 報 ず る 。 5・ 4 幕府、 軍艦教授所 を 設置。 5・ 10 イ ン ド 独 立 戦争。 ( セ ポ イ の 反乱) 9・ 20 英軍 に よ り、 ム ガ ー ル 帝国滅亡。 10・ 16 日蘭追加条約。 (事実上、 初 の 通商条約) 12・ 7 ハ リ ス 、大 統 領 親 書 を 渡 し 、幕 府 に 通 商 開 始 の 必 要 性 を 説 く 。   将軍十 四 代家茂 ( 11・ 30―   ) 6・ 4 彦根藩主、 井伊直弼 が 大老 と な る 。 6・   清、 露米英仏 の 四 カ 国 と 天 津条約 を 結 ぶ 。 6・   長崎 で コ レ ラ 発生、 全国 に 流行。 (江戸 の 死者 三 万人余) 7・   幕府、 長崎 に 英語伝習所 を 設 立 。 7・ 29 勅許 の な い ま ま 日米通商条約 に 調印。 8・ 2 英、 イ ン ド 統治法 を 公布 し 、直轄統治 す る 。 8・ 14 将軍家定 ( 35歳) 没。 8・   蘭、 露、 英 と修好通商条約 に 調印。 9・ 14 違勅調印 に 関 す る 密勅 が 水戸藩 に 下 る 。 10・ 安政 の 大獄始 ま る 。 10・ 福沢諭吉、 蘭学塾開設。

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▼   1859 (安政 6)年   5歳 4・末 せ き 子 、お 節 句 の 幟 を 誂 え て 欲 し い と 言 っ た り 、男 に な り た い と言う。 5、 6歳 の 頃 、父 、信 左 右 衛 門 、せ き 子 の 神 童 ぶ り を 祖 父 、東 條 琴 臺 に 書 き 送 っ た と こ ろ 、返 書 に 女 子 の 為 す べ き と こ ろ を さ せ るよ う に と あ り 、せ き 子 の 読 書 が 禁 じ ら れ 、裁 縫 、灑 掃 に 力 を 注 が せ る よ う に な っ た 。 こ の 頃 、ガ ラ ガ ラ 煎 餅 と い う の を 好 み 、同 時 に 玩 具 の お 金 を 溜 め て 父親 の 罪 を 許 し て も ら お う と考 え 、祖母 に 諫 め ら れ る 。 ▼   1860 (万延元) 年   6歳 3・ 17 弟、 鍗藏出生。 せ き 子、 井伊大老横死 の 報 を 聞 き 、句 を 詠 む 。 こ の 頃 よ り 、漢 籍 を 父 に 、和 歌 を 同 藩 の 大 野 鏡 光 尼 に 学 び 、漢 詩 も 作 り始 め る 。 ▼   1861 (文久元) 年   7歳 前 年 よ り 、せ き 子 、平 尾 家 の 蔵 書 を 片 っ 端 か ら 読 み 始 め 、そ れ を 実 行 に 移 そ う と 試 み た 。時 に 、逸 話 を 真 似 て 奇 異 な 行 動 に 走 り 、家 人 に 叱責 さ れ る 。 家財 を 売 り食 い す る よ う な 状況 に 陥 る 。 11・ 30 徳 川 家茂、 征夷大将軍、 内大臣 に 任 じ ら れ る 。 3・ 26 江戸大火。 (青山、 広島藩下屋敷 よ り出火) 6・ 28 幕 府 、神 奈 川 ・ 長 崎 ・ 箱 館 で 、英 米 露 仏 蘭 と の 自 由 貿 易 を 許可 す る 。 10・ 18 ヘ ボ ン 夫妻、 神奈 川 に 来航。 10・ 19 佐藤 一 斎没。 9― 11 橋本左内、 吉 田 松陰 ら 死罪、 他多く を 処刑。 11・ 11 江戸城、 本丸焼 け る 。 嘉永 ・ 安政年間 に か け て 寺子屋開設、 最 も隆盛。 2・ 4 咸臨丸、 品 川 か ら 米国 へ 出発。 (福沢諭吉→ 5・ 6帰国) 2・ 26 オ ラ ン ダ 商船長 ら 横浜 で 殺 さ れ る 。 3・ 3 大 老 井 伊 直 弼 、水 戸 浪 士 ら に 殺 害 さ れ る 。( 桜 田 門 外 の 変 ) 10・ 18 条約破棄 を 条件 に 、皇女和宮降嫁 の 勅許。 10・ 英仏連合軍北京占領。 (北京条約 へ ) 11・ 露、 清 と条約 を 結 び 、沿海州 を 領有。 2・ 3 露軍艦、 対馬 に 基地 を 設 け よ う と す る 。(対馬事件) 4・ 12 米、 南北戦争起 こ る 。 5・ 1 グ ラ バ ー商会、 設 立 。 5・ 7 幕府 の 長崎製鉄所、 落成式。

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▼   1862 (文久 2)年   8歳 こ の 頃 、せ き 子 、父 の 身 代 わ り に な る こ と を 考 え な が ら 過 ご す 。 小 さ な 糸 車 を 造 っ て も ら い 、糸 を 繰 り な が ら 、本 を 読 む 術 を 覚 え る 。 9・ 9 重陽 の 節句 ( 九 つ の 祝 い )を さ さ や か に 祝う。    こ の 年、 「冬河」 と い う和歌短冊 あ り。 ▼   1863 (文久 3)年   9歳 こ の 頃、 父 か ら 小太刀 の 型 と、 遠縁 の 老人 か ら 柔道 の 型 を 習う。 9・   水戸 の 勤皇 の 志士 た ち が 平尾家 を 訪 ね て く る 。 こ の 頃、 裏合 わ せ の 隣家 に 太平記 の 輪読 に 通う。    こ の 年、 二 十 一 首 の 和歌短冊 が あ る 。 7・ 10 露艦長、 対馬藩 へ 土地租借 な ど 十 二 箇条 の 要請書提出。 8・ 17 前 年 の オ ラ ン ダ 人 殺 害 事 件 で 、幕 府 、償 金 の 支 払 い を 受 諾 。 8・ 28 英艦 二 隻、 対馬 へ 赴 き 、露艦退去 を 要求。 9・ 29 幕府、 横浜 に 英学校 と漢学所 を 設 立 。 こ の 年、 諸国 で 農民 の 暴動、 打 ち こ わ し 、強訴 な ど 起 こ る 。 1・ 1 蕃書調所 か ら『官版 バ タ ビ ア 新聞』 発行。 1・ 22 遣欧使節、 品 川 か ら 出航。 (福沢諭吉、 福地桜痴 ら ) 2・ 13 老中安藤信行、 水戸浪士 に 襲 わ れ る 。(坂下門外 の 変) 3・ 11 将軍家茂、 和宮 と の 婚儀。 5・ 6 土佐藩、 吉 田 東洋、 土佐勤皇党 に 暗殺 さ れ る 。 5・ 21 島 津 久 光 の 命 に よ り 、尊 皇 攘 夷 派 が 暗 殺 さ れ る 。( 寺 田 屋 騒動) 6・ 6 幕府、 英外相 と の 間 に ロ ン ド ン 覚書 を 調印。 7・ 6 萩藩、 公武合体論 を 尊皇攘夷 に 方針転換。 9・ 14 島津久光 の 行列 を 横切 っ た 英人切 ら れ る 。(生麦事件) 11・ 2 幕府、 長崎 か ら オ ラ ン ダ に 留学生 (榎本武揚、 西 周 ら )を 派遣。 12・ 22 将軍家茂、 幕議 で 攘夷勅旨 の 遵奉 を 決定。 1・ 28 朝廷、 国事御用掛 を 設置。 2・ 6 幕府、 陸 ・ 海軍総裁設置。 6・ 24 老 中 小 笠 原 長 行 、各 国 に 三 港 閉 鎖 を 通 達 、独 断 で 生 麦 事 件 の 償金 を 支払う。

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▼   1864 (元治元) 年   10歳 父、 信左右衛門、 謹慎 を 解 か れ る 。 原 田 文嶺 を 知新館儒員 に 招く。 父、 信左右衛門、 知新館 に 出役 と な る 。 せ き 子 の 袴 ぎ の 祝 を す る 。    こ の 年、 一 冊 の 和歌詠草 と十 六 首 の 短冊 が あ る 。 ▼   1865 (慶応元) 年   11歳    こ の 年、 三 十 七 首 の 和歌短冊 が あ る 。 6・   萩藩、 米商船 ・ 仏軍艦 ・ 蘭軍艦 を 砲撃。 (下関事件) 6・ 27 井上馨、 伊藤博文 ら 萩藩士 五 人、 英国 へ 密出国。 7・ 16 米軍艦、 下関砲台 を 砲撃。 7・ 21 萩藩士高杉晋作、 奇兵隊 を 編成。 8・ 15 英艦隊 七 隻、 鹿児島湾 に 侵入。 (薩英戦争) 9・ 21 米、 英 と合 わ せ て 、上海 に 共 同 租界 を 設 け る 。 9・ 30 公武合体派、 宮中 ク ー デ タ を 実行。 ( 八 月十 八 日 の 政変) 10・ 11 幕府、 洋書調所 を 開成所 と改称。 11・ 9 鹿児島藩、 生麦事件 を 解決。 11・ 24 生野 の 変失敗。 朝廷、 攘夷令 を 改 め る 。 6・ 1 太平 天 国、 洪秀全、 自殺。 6・ 24 幕府、 海軍操練所 を お く。 8・ 12 佐久間象山、 京都 で 暗殺。 8・ 19 萩藩兵 ら 、御所 を 襲撃、 幕軍 と戦 っ て 敗 れ る 。(禁門 の 変) 8・ 20 禁門 の 変 に よ り、 京都兵火 に 焼 け る 。 9・ 5 英 米 仏 蘭 連 合 艦 隊 、下 関 砲 撃 、占 領 。同 14、講 和 条 約 締 結 。 10・ 22 幕府、 四 ヶ 国代表 と下関事件賠償 に 関 す る 約定調印。 11・ 2 萩藩、 幕府 へ 恭順 の 意 を 示 し 、服罪。 こ の 年、 ヘ ボ ン 夫人横浜 に 女塾 を 開く。 幕府、 洋学者 (加藤弘之、 福沢諭吉 な ど )を 直参 に 抜擢。 4・ 9 米、 南北戦争終 わ る 。

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▼   1866 (慶応 2)年   12歳    こ の 年、 二 十 七 首 の 和歌短冊 が あ る 。 ▼   1867 (慶応 3)年   13歳 3・   父 、信 左 右 衛 門 、高 田 の 東 條 琴 臺 を 訪 ね 、見 舞 う 。 4月 帰 着 。     春 下 田 猛 雄 一 行 が 、武 者 修 行 と 称 し て 岩 村 に 滞 在 。藩 士 に 剣 道 を 4・ 17 鹿 児 島 藩 士 五 代 友 厚 、森 有 礼 ら 十 九 名 、密 か に 英 国 へ 出 航 。 7・   幕府 の 露留学 六 名、 箱館 を 出航。 8・ 15 坂本龍馬 ら 、京都 で 薩長間 を 周旋。 8・ 23 幕府、 仏公使 の 勧 め を 入 れ 、パ リ 万博 へ の 参加 を 決定。 11・ 4 英米仏蘭連合艦隊、 兵庫 か ら 条約勅許 を 要求。 11・ 22 天 皇、 条約 は 勅許、 兵庫先期開港 は 不許可 と の 勅書。 1・ 28 江戸浅草 ・ 本所大火、 雷門焼失。 3・ 7 坂本龍馬 の 周旋 に よ り京都 で 薩長提携密約成 立 。 5・   幕府、 石 川 島造船所 で 日本人設計 の 蒸気軍艦建造。 6・ 14 普墺戦争始 ま る 。 7・ 10 米価騰貴 に よ り江戸 で 窮民暴動多発。 7・ 18 幕府、 第 二 次征長 の 役。 8・ 29 将軍家茂 ( 21歳) 、大坂城 で 急死。 9・   英 公 使 パ ー ク ス 、連 合 艦 隊 へ の 賠 償 金 に 代 え て 、燈 台 八 カ 所、 燈明船 二 カ 所 の 要求。 12・ 2 幕府、 中村正直 ら 十 二 名、 英 へ 留学 の た め 横浜出航。 こ の 年 よ り明治 二 年 ま で 連年大凶作。 (幕末 三 大飢饉) 明治 天 皇 ( 2・ 13―   )   十 五代将軍慶喜 ( 1・ 10―   ) 1・ 3 徳 川 昭武、 幕命 に よ り、 パ リ 万博参加 の た め 横浜出航。 1・ 10 慶喜、 征夷大将軍、 内大臣 と な る 。

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教 え 、信左右衛門 に 文学 を 学 ん だ 。 8・ 25 藩主乗命、 奏者番 と な る 。 11・ 3 藩主乗命、 陸軍奉行 と な る 。 11・ 21 岩 村 藩 、謹 慎 中 だ っ た 岩 松 穀 に 京 都 の 情 勢 を 視 察 す る よ う に 内命 を 下 す 。 12・ 20 岩松、 岩村 へ 帰着。 維新 の 大号令 を 報告。 ▼   1868 (慶応 4= 明治元) 年   14歳 1・   藩主乗命、 願 い に よ り、 陸軍奉行 を 免 ぜ ら れ る 。 1・ 27 岩 村 藩 、東 征 東 山 道 先 鋒 総 督 兼 鎮 撫 使 岩 倉 具 定 が 藩 境 に 臨 ん だ に 際 し 、陳謝 す る 。 1・ 29 藩主乗命、 江戸 を 発 し て 帰城 し 、朝廷 に 対 し 謹慎 す る 。 2・   岩村藩、 新政府軍 に 帰順 し 、東山道鎮撫使 に 従う。 父 、信 左 右 衛 門 、、 岩 村 藩 の 勤 皇 周 旋 の た め 、名 古 屋 に 出 役 。 4・   藩 に 帰着。 4・ 13 岩村藩議行局 よ り信左右衛門宛 「不埒 に 付隠居被仰付」 5・ 2 不審 の 筋 あ り と し て 御預 け 謹慎被仰付 け ら る 。 1・ 30 孝明 天 皇( 37歳) 、崩御。 2・ 13 睦仁親王践祚、 関白 二 条斉敬摂政。 2・ 27 福沢諭吉、 幕府 の 軍艦受取委員 と し て 渡米。 3・ 4 幕府、 幕臣 の 子弟 で 八 歳 以 上 の 者 は 、昌平坂学問所 に 就学 す る よ う布達。 4・ 1 パ リ 万博開会。 6・ 23 薩長 土藩士 ら に よ っ て 討幕運動 が 計画 さ れ る 。 7・ 23 龍馬、 西 郷 ら 、大政奉還 の 盟約結 ぶ 。 7・ 15 長崎、 浦上 の キ リ ス ト 教徒 六 十 八 人 を 捕 ら え る 。 11・ 8 岩倉具視、 鹿児島藩 に 討幕 の 密勅 を 手交 す る 。 11・ 10 徳 川 慶喜、 大政奉還 を 上奏 し 、勅許 さ れ る 。 12・ 10 坂本龍馬、 中岡慎太郎、 暗殺 さ れ る 。 明治 天 皇   有栖 川 宮熾仁総裁→ 三 条実美、 岩倉具視輔相 1・ 3 王政復古 の 大号令。 1・ 27 鳥羽伏見 の 戦、 戊辰戦争起 こ る 。 2・ 8 王政復古 を 各国公使 に 通告。 2・ 10 新政府、 官制 ( 三 職 七 科) を 発布。 2・ 18 英 ・ 米 ・ 仏 ・ 伊 ・ 蘭 ・ 普 六 国、 局外中 立 を 宣言。 3・ 2 有 栖 川 宮 、東 征 大 総 督と な り 、東 海 ・ 東 山 ・ 北 陸 三 道 軍 を 指揮。 3・ 5 徳 川 慶喜、 上野寛永寺 に 蟄居。 4・ 4 新政府、 京都 に 学習院復興 を 決定。 (大学寮代→漢学所)

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8・   藩主乗命、 京 に 上 り、 勤皇 の 誓詞 を 奉 っ た 。    こ の 年、 父、 信左右衛門、 名 を 鍒藏 と改 め る 。 ▼   1869 (明治 2)年   15歳 2・   岩村藩、 版籍奉還 す る 。 3・ 15 御 一 新大赦 の 恩典 に 与 り た き 旨陳情。 明 治 新 政 府 の 設 け た 弾 上 台 が 中 山 道 を 巡 行 す る と 聞 き 、せ き 子 、祖 母 よ り 直 訴 の 書 面 を 預 か り 、自 決 の 作 法 を 教 え ら れ る 。 9・   中 山 道 の 大 井 宿 に 泊 ま っ た 巡 察 使 が 、せ き 子 の 短 冊 を 所 望 し 4・   福沢諭吉、 授業料制度 を 設 け て 慶應義塾 と名付 け る 。 4・ 5 西 郷、 勝会談。 新政府、 神祇官再興。 4・ 6 五 箇条 の 誓文公布。 5・ 22 英公使 パ ー ク ス 、天 皇 へ 信任状 を 提出。 (新政府承認 一 号) 6・ 22 奥羽越列藩 同 盟成 立 。( 三 十 三 藩) 7・ 4 新政府、 新紙幣 (太政官札) 五 種発行。 8・ 14 新政府、 旧幕府 の 医学校復興。 同 17、昌平学校復興。 8・   築 地 ホ テ ル 竣 工 。( 最 初 の 洋 館 )  加 藤 弘 之『 立 憲 政 体 略 』発 表 。 9・ 3 江戸 を 東京 と改称。 10・ 8 新政府軍、 会津若松城総攻撃、 会津藩降伏。 10・ 12 明治 天 皇、 即位 の 大礼。 10・ 23 明治 と改元。 一 世 一 元 の 制。 10・ 27 新政府、 旧幕府 の 開成所 を 復興。 11・ 4 天 皇、 東京 に 到着。 江戸城 を 皇居 と定 め る 。 三 条実美輔相 1・ 1 新政府、 築地 に 外国人居留地設置 3・ 2 薩 長 土 肥 の 四 藩 主 、版 籍 奉 還 を 上 奏 。新 政 府 、諸 道 の 関 門 廃止。 3・ 6 御代始 の 歌御会始 の 式行 わ れ る 。(歌会始 の 復興) 3・ 17 府県 に 小学校設置 を 奨励。 4・ 3 新政府、 外国官 に 通商司 (外国貿易事務管理) を 設置。

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て 使 い を よ こ す 。 11・ 高 田 の 祖 父 、東 條 琴 臺( 75)、 居 生 活 か ら 解 放 さ れ 、一 家 上 京 し て 池之端高 田 侯藩邸 に 住 む 。 12・ 鍗藏宛、 岩村藩行政庁 よ り補 五 等辞令。     晦 父、 鍒藏、 謹慎解 か れ る 。    こ の 年、 鍒藏、 隠居仰付 ら れ る 。 ▼   1870 (明治 3)年   16歳 6・   父 、鍒 藏 、神 祇 官 附 屬 宣 教 師 養 成 の 制 の 選 に 入 り 、上 京 す る 。 本所花町旧藩主松平邸内 に 居住。 7・   祖父、 琴臺、 「聖世 紹胤録」 を 著 す 。 9・   琴 臺 、神 祇 官 宣 教 少 博 士 に 任 ぜ ら れ 、ま も な く 、権 中 講 義 に 補 せ ら れ る 。鍒藏、 平 田 鉄胤 に 入門 し 、皇学修行 を 始 め る 。 10・ 鍒藏、 宣教使史生 に 召 さ れ る 。 12・ 鍒藏、 岩村藩庁 へ「国許 よ り家族呼寄 せ 度御願」 を 出 す 。 岩村藩庁 よ り鍗藏宛、 四 書 五 経素読相済候褒状。 4・   新政府、 東京遷都。 6・ 27 政 府 軍 、五 稜 郭 総 攻 撃 、榎 本 武 揚 降 伏 。( 戊 辰 戦 争 終 わ る ) 7・ 25 諸藩主 の 版籍奉還 を 許 し 、知藩事 ( 二 七 四 人) に 任命。 8・ 6 招魂社創建、 戊辰戦争戦死者祀 る 。 8・ 15 政 府 、大 学 校 設 立 、昌 平 学 校 を 中 心 に 開 成 ・ 医 学 校 は 分 局 。 官制改革 (神祇官 ・ 太政官 の 二 官 六 省 ・ 集議院 ・ 開拓使等) 8・ 29 英国王 の 第 二 王子 エ デ ィ ン バ ラ 公来 日。 (最初 の 国賓) 9・ 6 英公使 パ ー ク ス 、樺太 が 露領 と な る 危険性 を 指摘。 10・ 6 集議院 の 議事、 初 め て 開く。 10・ 西 園 寺 公 望 、自 邸 に 家 塾 立 命 館( 後 の 立 命 館 大 学 )を 開 く 。 10・ 22 海軍操練所 を 築地 に 設 立 。(後 の 海軍兵学校) 11・ 8 皇后、 京都 を 発 ち 、陸路東京 へ 向 か う。 (和歌) 八 田 知紀 『白雲 日記』 1・ 26 東京 ・ 横浜間 に 電信開通。 1・ 政府、 浦上 キ リ シ タ ン 三 千人余 を 捕 ら え る 。 長崎駐在 の 各国領事、 新政府 の キ リ ス ト 教弾圧 に 抗議。 2・ 3 大教宣布 の 詔。 2・ 大 学 規 則 、中 小 学 規 則 を 制 定 。ド イ ツ 医 学 採 用 の 方 針 決 定 。 3・ 6 華族 の お 歯黒、 点眉 を 禁 ず 。 6・ 26 集議院開院。 戸籍編製 の 準備 に 着手。 7・ 6 小学校 を 東京府 六 カ 所 に 開設 と布達。

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▼   1871 (明治 4)年   17歳 1・   琴臺著 「聖世 紹胤録」 発禁。 4・ 8 父 の 後 を 追 っ て 岩 村 出 立 。従 者 2名 と 共 に 上 京 の 途 に 上 る 。 4・ 9 夜、 岡崎 の 母方、 武久家 に 着く。 4・ 20 三 島 を 発 っ て 箱根山 を 越 え る 。     下 父 の い る 岩村侯藩邸 に 入 る 。 4・ 27 歌人、 加藤千浪 を 訪 ね る 。 祖 父 、琴 臺 の 教 え を 受 け る 。読 書 や 学 事 に 直 接 触 れ る こ と な く、 日常 の 家事 や 立 居振舞 か ら 学 ぶ 。 6・   下 田 猛雄、 東京 に 出 る 。 橘正国 か ら 三 代調鶴集、 八 代集抄 を 贈 ら れ る 。 7・   岩村藩、 廃藩 に 至 る 。 せ き 子、 八 田 友紀 に 入門 す る 。 8・   父 、鍒 藏 、神 祇 官 廃 止 に よ り 、宣 教 掛 を 解 か れ 、帰 藩 被 仰 付 。 7・ 19 普仏戦争始 ま る 。 8・ 24 政府、 普仏戦争 に 関 し 、局外中 立 を 宣言。 8・   加藤弘之 「真政大意」 発表。 9・ 4 仏、 共和国 を 宣言。 9・ 20 伊、 統 一 完了。 9・ 28 東京府下 に 中学校 を 開設 を 布告。 10・ 26 兵制統 一 。海軍 は 英式、 陸軍 は 、仏式 と布告。 自転車輸入。 12・ 12 工 部省 を お く。 12・ 25 西 周、 家塾育英舎 を 開く。 三 条実美太政大臣 1・ 18 ド イ ツ 帝国成 立 。 2・ 23 境内 を 除 き 、寺社領上地。 3・ 14 郵便規則 を 定 め る 。 5・ 22 戸籍法 を 定 め る 。 6・ 27 新 貨 条 例 を 定 め 、一 円 を 単 位 と す る 。( 日 本 最 初 の 金 本 位 制 ) 7・ 1 神社 の 社格 を 制定。 7・ 17 元 田 永孚、 宮内省 に 出仕、 侍読 を 担当。 8・ 24 刑部省 ・ 弾正台 を 廃 し 、司法省 を 置く。 8・ 29 廃藩置県 の 詔。 9・ 2 大 学 を 廃 し 、文 部 省 を 置 く 。同 5、東 校 ・ 南 校 、文 部 省 直 轄 。 9・ 13 太政官制 を 改 め る 。三 条実美、 太政大臣就任。 日清修好条規締結。

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?   鍒 藏 、岩 村 藩 庁 へ 再 度「 国 許 よ り 家 族 呼 寄 せ 度 御 願 」を 出 す 。 10・ せ き 子 、絵 師 河 野 栄 斎 に つ い て 絵 を 学 び 、団 扇 や 扇 子 に 花 鳥 を 描 い て 家計 を 助 け る 。 12・ 家族、 す べ て 上京。 こ の 頃、 父 の 漢学教授 と書籍等 を 売 っ て 、細 々 と暮 ら す 。 ▼   1872 (明治 5)年   18歳 こ の 頃、 せ き 子、 八 田 友紀 よ り詠草 の 批評 を 受 け る 。 こ の 頃 、父 、鍒 藏 、下 谷 羅 卒( 警 察 官 )の 屯 所 に 出 講 し 、漢 学 を 教 授 す る 。下 田 猛雄 と再会 す る 。 5・   平尾家、 本所 三 笠町 へ 転居。 8・   琴臺、 亀戸 天 神 の 宮司 と な る 。 10・ 19 宮中 に 出仕。 宮内省十 五 等出仕 に 補 せ ら れ た 。 宮内省辞令 は 10月 23日付。 12・ 10 父 、鍒 藏 よ り 書 簡 。ご 奉 公 の 心 構 え 、仙 台 で 木 材 の 伐 採 に 従 事 し て い る 下 田 猛雄 と の 連絡雑件。 12・ 皇后 よ り、 詠歌 を 奉 り、 叡感 に あ ず か り歌子 の 名 を 賜 る 。 爾来、 平尾歌子 と改名 す る 。 9・ 22 神祇官 を 改 め 、神祇省 に 降格 す る 。 10・ 7 華士族 と平民 の 結婚許可。 同 12、穢多 ・ 非人 の 呼称廃止。 10・ 20 田 畑勝手作 を 許可。 11・ 20 岩 倉 具 視 、木 戸 孝 允 、大 久 保 利 通 、伊 藤 博 文 ら を 欧 米 に 派 遣 。 文 部 大 丞 田 中 不 二 麿 、岩 倉 に 随 行 し て 欧 米 へ 教 育 事 情 を 視察。 11・ 24 大蔵省、 新紙幣発行 と旧紙幣 と の 兌換 を 布告。 12・ 23 津 田 梅子 ら 女子留学生、 ア メ リ カ 留学。 12・ 県知事 を 県令 と し 、全国 の 県 を 改廃。 1・ 5 府県 の 学校 を 文部省 に 移管。 1・ 14 東京長崎間 に 郵便開始。 ( 九 十 五 時間) 2・ 4 東京裁判所 を 司法省 に お く。 (裁判所設置 の は じ め ) 2・   外人女教師 に よ る 共 立 女学校設 立 を 定 め る 。 3・ 4 滞米中 の 岩倉具視、 米大統領 グ ラ ン ト に 謁見。 3・   福沢諭吉 「学問 の す ゝ め 」初編発表。 3・ 9 全国戸籍調査。 ( 壬 申戸籍) 3・ 23 土地永代売買 の 禁 を 解く。 4・ 5 兵部省 を 廃 し 、陸軍省、 海軍省 を お く。 4・ 20 天 皇、 東校 に 行幸。 (学校 へ の 行幸初 め ) 4・ 21 神祇省 を 廃 し 、教部省 を お く。 6・ 28 天 皇、 中国 ・ 四 国 ・ 九 州 の 巡幸 に 出発。

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▼   1873 (明治 6)年   19歳 7・ 4 文部省、 東京 に 師範学校 を 設 立 。 8・ 22 参議 西 郷隆盛 を 陸軍元帥 と し 、近衛都督 を 兼 ね さ せ る 。 8・ 28 集議院建白規則制定。 9・ 5 学制 を 頒布。 (国民皆学 を 期 す る ) 10・ 14 新橋 ・ 横浜間鉄道開業式。 ( 日本最初 の 鉄道) 11・ 17 文 部 省 に 教 科 書 編 成 掛 を お く 。同 25、教 部 省 を 文 部 省 に 合併。 12・ 5 岩倉具視、 英国女王 に 謁見。 12・ 9 太 陽 暦 の 採 用 に よ り 、旧 暦 三 日 を 明 治 六 年 一 月 一 日 と す る 。 12・ 15 国 立 銀行条例。 神武 天 皇即位 の 年 を 紀元 と す る 。 12・ 28 徴兵 の 詔書。 1・ 10 徴兵令 を 制定。 1・ 18 妻 ・ 妾 以 外 の 婦 女 が 分 娩 し た 子 は 私 生 児 と し て 取 扱 い 、 相 手 男 子 の 認 知 し な い 場 合 、そ の 婦 女 に 養 育 の 責 任 が あ る こ と を 定 め る 。 2・ 24 キ リ ス ト 教解禁。 3・ 3 皇后、 お 歯黒 を は ぎ 、眉墨 を 落 と す 。 3・ 7 神武 天 皇即位 日 を 紀元節 と改称。 3・ 14 浦 上 キ リ シ タ ン 一 九 三 八 人 釈 放 指 示 。外 国 人 と の 婚 姻 を 許 可 。 3・ 20 天 皇、 断髪 す る 。 3・   師範学校編 《小学読本》 《小学算術書》

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4・   歌子、 宿下 が り を 許 さ れ る 。 5・ 5 皇居炎上。 「皇居炎上後 の 控」 を 書く。 せ き 子 幼 少 の 著 作 三 部 の 内 、そ の 二「 忠 孝 二 株 松 」と そ の 三 「源流及蝦外伝」 を 焼失 す る 。 5・   平尾家本所南 二 葉町 よ り本所柳原 一 丁目 へ 転居。 10・ 4 下 田 猛雄書簡。 仙台 で の 近況 な ど 。 10・ 25 歌子、 皇后 の お 供 で 濱御殿 へ 陪席 す る 。 陪従記 「濱御殿 に 候 し て 」 12・ 5 十 三 等出仕、 御書籍掛 を 拝命。 ▼   1874 (明治 7)年   20歳 4・   祖父、 東條琴臺 ( 80歳) 、勝海舟 の「尚齒會」 に 招 か れ る 。 5・   歌子、 宿下 が り を 許 さ れ る 。 4・   師範学校附属小学校授業開始。 (師範付属 の 初 め ) 5・ 1 ウ ィ ー ン 万国博覧会開く。 (出品) 5・ 3 太 政 官 制 改 正 、参 議 の 職 権 強 化 。東 京 外 国 語 学 校 教 則 を 頒布。 5・ 5 皇居、 お よ び 太政官 ・ 宮内省庁舎炎上。 赤坂離宮、 仮皇居。 5・ 15 妻 の 離婚請求 の 道 ひ ら く。 6・ 11 国 立 第 一 銀行設 立 。 6・   師範学校、 生徒全員寄宿制 を 採用。 7・ 28 地租改正条例 を 布告。 7・   文部省、 チ ェ ン バ ー ス の 百科全書和訳版、 刊行開始。 9・ 1 八 田 知紀死去。 9・ 13 岩倉全権大使 一 行、 欧州 よ り帰国。 9・   元 田 永孚、 〈君徳輔導 の 上言〉 を 起草 し 、岩倉具視 に 提出。 10・ 9 天 皇、 開成学校 で 体操 を 天 覧。 10・ 西 郷隆盛 の 朝鮮派遣 を め ぐ っ て 政府内分裂 す る 。 11・ 10 内務省設置。 12・ 1 郵便葉書 と封筒発行。 12・ 9 皇族 は 陸海軍 に 従事 す べ き こ と を 定 め る 。 こ の 年、 徴兵令反対 の 農民騒擾 が 頻発。 開成学校 の 米人教師、 初 め て 野球 を 紹介。 1・ 4 歌始 め を 行う。 ( 以 後恒例) 1・ 15 東京警視庁 を お く。

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琴臺、 教部省十等出仕 に 補 せ ら れ 、考證掛 を 拝命。 歌子、 皇后 の お 供 で 洗心亭 に 陪席 す る 。 陪従記 「洗心亭 に 陪 し て 」 ▼   1875 (明治 8)年   21歳     春 祖父、 琴臺、 眼疾 を 患う。 5・   平尾家、 本所小泉町 へ 転居。 5・ 14 宮内省十 二 等出仕。 5・ 27 歌子、 病気 の た め 宿下 が り。   ― 10・ 10 6・   平尾家、 本所相生町 三 丁目 へ 転居。 下 田 猛雄 同 居。 6・ 25 権命婦 に 任 じ ら れ 、竹命婦 の 名 と香合 を 皇后 よ り賜 る 。 7・   琴臺、 失明 の た め 亀戸 天 神 の 宮司 を 辞職。 9・   鍗藏、 宮内省十等出仕、 侍従試補 に な る 。 11・ 29 歌子、 皇后 に 供奉 し て 女子師範学校開校式 に 参列。 12・ 平尾家、 永 田 町 の 高崎邸内 へ 越 す 。 下 田 猛雄、 赤坂仲之町 へ 転居。 1・ 17 板 垣 ・ 副 島 ・ 後 藤 ・ 江 藤 ら 八 人 、民 撰 議 院 設 立 建 白 書 提 出 。 1・ 21 露臨時代理公使、 千島樺太交換 を 提議。 2・   江藤新平 ら 佐賀士族 の 暴動。 (佐賀 の 乱) 清 と の 間 に 台湾問題。 3・ 13 東京 に 女子師範学校 を 設 立 。 3・ 15 ベ ト ナ ム 、仏 の 保護国 と な る 。 10・ 31 清国 と台湾問題 の 条款 に 調印。 五 姓 田 芳柳、 明治 天 皇 の 肖像画 を 描く 1・ 21 北海道 に 屯 田 兵 を 創設。 1・ 27 英仏公使、 横浜駐屯軍隊 の 引揚 を 通告。 2・ 20 酒類税則、 車税規則 を 制定。 4・   元老院 ・ 大審院 ・ 地方官会議 を 設置。 4・ 14 漸次 立 憲政体樹 立 の 旨 の 詔書。 5・ 7 露 と樺太 ・ 千島交換条約 に 調印。 6・ 1 東京気象台設 立 。 6・ 28 反政府運動取締 の た め 、讒謗律、 新聞紙条例。 8・   福沢諭吉 「文明論之概略」 9・ 20 江華島事件 (朝鮮江華島守兵 と交戦) 9・   森有礼、 商法講習所 (後 の 一 橋大学) 設 立 。 10・ 2 日露間 に 千島列島譲渡式。 11・ 1 三 菱商船学校 (東京高等商船) 設 立 。 11・ 29 新島襄、 同 志社英学校 (後 の 同 志社大学) 設 立 。

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▼   1876 (明治 9)年   22歳 3・   下 田 猛 雄 、赤 坂 仲 之 町 よ り 、永 田 町 二 丁 目 の 平 尾 方 へ 転 居 。 6・ 2 歌 子 、明 治 天 皇 が 東 北 御 巡 幸 の 途 に つ か れ た 際 の 扈 従 の 記 「 ご 發輦 の あ し た 」を 記 す 。 6・   歌子、 命婦十等 に 昇進 す る 。 父 、鍒 藏 の 医 師 宛 書 簡 に 、歌 子 が 昨 年 と 同 じ よ う な 症 状 で あ り 、 宿 下 が り を さ せ た い の で 、よ ろ し く 周 旋 を 願 上 候 と あ る 。 7・   歌子、 宿下 が り。 8・   箱 根 御 用 邸 に 赴 く 皇 后 に 従 う 税 所 敦 子 と の し ば し の 別 れ を 惜 し ん だ「楓 の も と を 離 れ て 」を 記 す 。     秋 御苑 の 楓鑑賞 に 伺候 し 、「御苑観楓伺候之記」 を 記 す 。    こ の 年、 高崎正風、 宮中御歌掛 を 拝命。 ▼   1877 (明治 10)年   23歳 1・   祖父、 琴臺、 栄次郎 へ 、家督譲渡証書 を 書く。     春 歌子、 西 南 の 変 の 折 り、 「寂 し き 宮居」 を 記 す 。 5・   歌 子 、宮 中 よ り 、数 回 に わ た り 下 田 猛 雄 宛 に は 成 り 行 き を 待 つ よ う に と い う 内 容 、家 族 へ は 御 所 を 下 が る 打 ち 合 わ せ の 書簡 を 送 っ て い る 。 8・   歌子、 祖父、 琴臺 の 見舞 い の た め 宿下 が り。 2・ 26 黒 田 清隆、 朝鮮国 と 日鮮修好条規 に 調印。 3・ 28 帯刀 を 禁止。 (廃刀令) 4・ 4 天 皇・皇后、 岩倉邸 で 観能。 6・ 2 天 皇、 東北巡幸 に 出発。 7・ 1 私 立 三 井銀行開業。 7・ 5 新聞 ・ 雑誌等 の 国安妨害 の も の は 、発行停止 と定 め る 。 8・ 5 金禄公債証書発行条例 を 定 め る 。 8・ 14 札幌学校 (札幌農学校) 開設。 9・   (和歌) 高崎正風編 『埋木廼花』 10・ 熊本、 神風連 の 乱。 秋月 の 乱。 萩 の 乱。 千葉 の 乱。 11・ 3 宮中雅楽師、 洋楽演奏。 11・ 14 東京女子師範学校 に 幼稚園設置。 製糸業好況 で 、女 工 増加。 1・ 4 地租軽減 の 詔。 同 24、天 皇、 関 西 巡幸 に 出発。 1・ 30 朝鮮 と の 釜山港借入条約 に 調印。 2・ 15 西 郷隆盛、 兵 を 率 い て 東上、 熊本城 を 包囲。 ( 西 南戦争) 4・ 12 開成 ・ 医学校 を 合併。 東京大学発足。 東 京 英 語 学 校 を 東 京 大 学 予 備 門 と 改 称 。( 後 の 第 一 高 等 学 校 ) 4・ 24 露 土戦争始 ま る 。 5・ 1 博 愛 社( 後 の 日 本 赤 十 字 社 )創 立 、西 南 戦 争 の 負 傷 者 救 護 。 6・ 1 万国郵便連合条約 に 加入調印。

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▼   1878 (明治 11)年   24歳 4・   平尾家、 飯倉片町 に 引 っ 越 す 。下 田 猛雄 同 居。 5・   歌子、 宿下 が り。 7・   岐阜岩村 よ り東京 へ 平尾家戸籍 を 送籍 す る 。 9・ 26 祖 父 、琴 臺 、浅 草 区 鳥 越 町 旧 武 州 忍 藩 邸 内 の 僑 居 に て 逝 去 。行 年 八 十 四 歳。 9・ 27 谷中 の 天 眼寺 で 神式 の 葬式 を 執 り行う。 12・ 平尾家、 家作普請中。 12・ 23 鍒藏隠居 し 、鍗藏 に 家督相続 さ せ る 。 8・ 21 第 一 回 内 国 勧 業 博 覧 会 、開 会 。( ― 11・ 30、入 場 者 四 十 五万 四 六 六 八 人) 8・   コ レ ラ 上 海 か ら 上 陸 、全 国 に 蔓 延 。( 罹 病 者   一 万 三 八 一 六 人 ) 9・ 6 宮内省 に 天 皇常時輔導 の 侍補局 を お く。 9・ 24 西 南戦争終結。 ( 西 郷自刃) 10・ 17 華族学校 (学習院) 開校、 天 皇臨席。 11・ 7 東京 一 致神学校 (明治学院) 創 立 。 こ の 年、 国庫 に 正貨 の 準備 な く、 紙幣 の 信用低落、 物価約 二 倍。 1・ 20 東京府勧 工 場開設。 4・ 15 工 部大学校開校式。 5・ 1 パ リ 万国博覧会 に 参加。 (― 11月) 5・ 14 大久保利通暗殺。 (紀尾井坂 の 変) 5・ 16 佐 々 木高行、 元 田 永孚 ら 、侍補 の 国政参画要請。 5・ 27 貿易通貨 の 一 般通用 を 許可 す る 。 6・ 1 東京株式取引所開業。 7・ 22 郡区町村編制法 を 定 め る 。 8・ 23 近衛砲兵隊、 不満 に よ り大隈邸 な ど に 発砲。 (竹橋騒動) 9・ 7 東京海上保険会社 (後 の 東京海上火災保険) 設 立 出願。 9・ 10 公 立 学校 の 開設認可権限 を 地方官 に 委譲。 11・ 2 英 外 相 、条 約 改 正 に 際 し 、工 業 保 護 の た め に 企 画 す る 関 税 の 増加 に は 同 意 で き な い と通告。 12・ 19 文部省、 東京大学 に 学位授与権 を 与 え る 。

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(たかせ・まりこ/実践女子大学下田歌子研究所研究員) 1・ 15 東京学士会院発足。 (会長、 福沢諭吉) 2・   東京法学社 (後 の 法政大学) 創 立 。 3・ 13 東京女子師範学校、 第 一 回卒業式。 (卒業生十 五 人) 3・ 14 松山 に コ レ ラ 発生、 全国 に 蔓延。 (死者十万余) 4・ 4 琉球藩 を 廃 し 、沖縄県 を お く。 (清国抗議) 6・ 4 招魂社 を 別格官幣社 と し 、靖国神社 と改称。 6・   元 老 院 の 依 頼 に よ り 、高 橋 由 一 が 天 皇 を 、五 姓 田 義 松 が 皇 后 を 、荒木寛畝 が 皇太后 の 肖像画 を 油絵 で 描く。 7・ 8 前 米 大 統 領 グ ラ ン ト 、岩 倉 具 視 邸 で 観 能 、同 10、天 皇 と 会 談 。 7・ 15 英 公 使 、日 本 政 府 が 連 合 談 判 の 基 礎 と な る 条 約 案 を 提 出 す る ま で は 、条約改正交渉 に 応 じ な い 旨、 申 し 入 れ 。 8・   天 皇、 元 田 永孚 を 通 じ「教学聖旨」 を 示 す 。 9・ 29 学制 を 廃 し 、教育令 を 制定。 9・   伊 藤 博 文 、「 教 育 議 」を 出 し て「 教 学 聖 旨 」批 判 。元 田 永 孚 、 「教育議附議」 で 反批判。 10・ 7 文部省 に 音楽取調掛設置。 10・ 13 侍補制度 を 廃止。 ▼   1879 (明治 12)年   25歳 1・   歌子、 宮中歌会始御会勅題 「新年 の 祝言」 を 詠 じ 、入選。 2・   下 田 猛雄、 鍒藏 と と も に 練養学舎開業。 8・   下 田 猛雄、 練養学舎廃業。 10・ 歌子 の 和歌、 篠 田 笠亭編 『明治英名 百詠撰』 に 収録。 11・ 20 歌子、 病気 の た め 、宮中奉仕 を 拝辞。

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