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オランダの学校における中国系新移民受け入れの現状 : イギリスとフランスとの比較から 利用統計を見る

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状 : イギリスとフランスとの比較から

著者名(日)

山本 須美子

雑誌名

東洋大学社会学部紀要

49

2

ページ

23-40

発行年

2012-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00003116/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

(2)

オランダの学校における中国系新移民受け入れの現状

―イギリスとフランスとの比較から―

The Education for New Chinese Immigrants at Schools

in the Netherlands :

The Comparison among the Netherlands, the U.K. and France

山本須美子

Sumiko YAMAMOTO

はじめに

 中国の改革開放政策以降1980年代から中国本土からヨーロッパへの移民の流入が増加し、 EU 内の 学校にも近年、中国系新移民の子どもの流入が増加している。EU 内で中国系人口が多いのは、イギ リスとフランスであり、オランダは第三位である1。オランダは西欧諸国の中では外国人労働者や移 民に対する人種的偏見が最も少なく、かつ、彼らの固有の文化的・民族的アイデンティティを受け入 れながら、経済的・社会的地位の向上に努めてきたことで、西欧諸国の間でも一つの模範的事例 (「ダッチモデル」)として評価されてきたが[久保田 1987: 83]、近年「寛容」の国からの変化が指摘 されている。本論は、オランダにおいて移民の子どもに対する教育政策の歴史的展開を検討した後 に、近年流入した中国系新移民の子どもに対して学校でどのような教育が実施されているのかを明ら かにし、イギリスとフランスの学校における中国系新移民の子どもに対する教育と比較考察する。  各国の中国系コミュニティの歴史的背景についてはここでは詳述しないが2、オランダとイギリス の場合、1960年代をピークに香港から移民が流入し主流となり、全国に散住し飲食業を営むという共 通の特徴を有した。1970年代後半からオランダには浙江省出身者が1990年代から中国東北部出身者 が、イギリスには主に福建省出身者と中国東北部出身者が新たに流入した。そして、新移民流入後も

1  イギリスの中国系人口は2001年国勢調査では約25万人[Office for National Statistics 2001]、フランスの中国 系人口は、1990年代に20万人を上回り、2002年に30万人に達した[Marc 2002: 121]。オランダは、中国系人口を 明確に示す統計はないが、1990年代後半で約10万人である[Li 1999: 42]

2  イギリスと中国系移民の歴史的背景については山本[2002: 37-48]、オランダの中国系移民の歴史的背景につ いては山本[2012]を参照。

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オランダとイギリスの中国系コミュニティは、飲食業に携わる者が多く、全国に散住するという共通 の特徴を保持しているために、中国系新移民の子どもが特定の学校に集中することはなく、各学校に 散らばっている。  他方フランスの中国系新移民の主流は、浙江省出身者と東北部出身者であるが、職業も飲食業に集 中せず多様で集住地区がある。近年、パリの中国系移民の集住地区にある一部の学校に中国系新移民 の子どもたちが多数流入している現象がみられ、フランスの学校教育現場に新たな問題を生み出して いる[山本 2010 a, 2010b]。本論では、オランダにおける中国系新移民の子どもへの教育の現状を明 らかにした後、それをイギリスとフランスの中国系新移民の子どもへの教育と比較し、その違いを生 み出す要因を明らかにする。  オランダとイギリスは多文化主義が主流の言説を構成してきたといわれているが、異文化の共存と いう課題に対して EU 内で対照的な言説を構成しているフランスは、移民のエスニシティを「私的空 間」のものとし「公的空間」で市民として結びつくという共和国の理念に基づいている。他方で、E U各国は1990年代後半から欧州評議会の先導により、シティズンシップ教育を導入し、「市民」とし ての社会統合を強調する共通の方向性を示している。本論では、このような状況下であることを踏ま えて 3 国の中国系新移民への教育の現状について比較するが、それは、移民の子どもへの教育をめぐ る言説や政策と学校現場における実践とのギャップを示すことにもなる。  なお、本論は、2008年から2011年までの主にイギリスのロンドンとオランダのアムステルダムとユ トレヒトにおける筆者による短期調査に基づいている。

Ⅰ.オランダにおける移民の子どもへの教育政策の歴史的展開

 本章では、第一にオランダの学校における移民の子どもの概要や特徴を述べた後、移民の子どもへ の教育政策の歴史的展開を、1970年代、1980年代∼1990年代、2000年代∼現在の三つに区分して検討 する。 1 .オランダの学校における移民の子ども  オランダ政府統計局(CBS)の2010年10月統計によると、オランダの総人口は16,574,989人、在住 外国人は計3,359,603人で、総人口の20.3%に及ぶ[Netherlands Central Bureau of Statistics HP]。オ ランダの場合、「外国人」とは、オランダ国籍を持っていないことを示すのではなく、国籍はオラン ダでも本人が外国出身であったり、少なくとも両親のいずれか一方が外国出身である場合を指す[河 野 2008: 79]。

 河野は戦後オランダへの移民人口が増えた要因を三つ指摘している[河野 2008: 79]。

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ル諸島から多くの出稼ぎ労働者が入国した。第二に、戦後復興に必要な労働力不足を補うための旧植 民地以外からの労働力の流入である。1950年代から60年代にかけてギリシャ、スペイン、ポルトガル から、70年代にはモロッコ、トルコ、旧ユーゴスラビアからの労働者を招き入れた。第三に寛容な難 民政策を採ってきたオランダは、1980年代以降、中東、アフリカ、アジアから多くの難民を受け入れ た。  以上の主な三つの要因で、戦後のオランダの「外国人」人口は増加の一途を辿ったが、学校にもそ の子どもが流入し、オランダの教育分野での移民政策において2006年度に公式に撤廃されるまで、 「文化的マイノリティ生徒(cumi-leerlingen)」と呼ばれてきた[見原 2009: 131]。「文化的マイノリ ティ生徒」とは、生来のオランダ人に対して社会的または文化的にマイノリティであり、またオラン ダ語と母語の間での言語的近似性がない親または保護者をもつ生徒のことを指し、2005年の時点で は、初等学校においては生徒数全体の約15%に当たる24万170人が「文化的マイノリティ生徒」に区 分されていた[見原 2009: 131]。1980年には初等学校の全生徒数1,837,383人の内の 5 %である 90,437人、1984年には1,574,817人の内の 6 %である97,721人、1985/86年には1,468,720人の内の 8 %である122,871人が「文化的マイノリティ生徒」であった[Eldering 1989: 114]。1986年から2005 年までの約20年間に、全生徒数には大きな変化がなかったが、「文化的マイノリティ生徒」は 2 倍に なった。2008年には 0 歳から20歳までの人口の16%が非西欧諸国からの移民で、その内の約70%がト ルコ系、モロッコ系、スリナム系かアンティル諸島系で、ほとんどがオランダで生まれ育った第二世 代である[Herweijer 2009: 9 ]。  また、トルコ系、モロッコ系、スリナム系とアンティル諸島系の約半数は都市に集中し、さらに、 同じ割合で各学校に分散しているわけではない[Eldering 1989: 114]。1980年から1984年の間に、 50%以上を「文化的マイノリティ生徒」が占める学校(いわゆる「ブラック・スクール:black school」) 数は、227校から368校に70%の増加をみせた。同時に「文化的マイノリティ生徒」が半数 以下の学校 (いわゆる「ホワイト・スクール :white school」) 数も増えた[Eldering 1989: 115]。アム ステルダムとロッテルダムの初等学校の40%は80%以上が非西欧出身の生徒である[Herweijer 2009: 9 ]。このような分離は、イスラム移民を中心としてマイノリティが学校に通い始めた1970年代半ば から、「黒い」生徒と「白い」生徒が混在する地域で現れるようになり、増加の一途をたどった[見 原 2009: 131]。見原はこのような分離の要因として、第一に、いわゆる「白人の逃避 :white flight」 と呼ばれる、オランダ人が「文化的マイノリティ生徒」を避けて子どもを入学・転入させたこと、第 二に、キリスト教系の私立学校が、一定数以上の非キリスト教徒に対する入学の拒否という手段を取 ることができたことを挙げている[見原 2009: 133]。初等教育レベルでは移民の集住地区に位置する 学校が、中等教育レベルでは学力の低い 4 年間の職業訓練コース3がブラック・スクールとなる。ま たカトリック系私立学校やプロテスタント系私立学校生徒の約 9 割がイスラム系の子どもであった り、さらに近年は、カトリック系私立学校とプロテスタント系私立学校と公立学校が統合して一つの 学校となる傾向がある。

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2 .1970年代の教育政策  オランダは1950年代から移民を受け入れながらも、1960年代まではオランダからの出移民も盛んで あった。1970年代に厳然たる移民受入国になり、移民問題を抱え、その解決策を打ち出し始めた[三 橋 2010: 17]。1980年代以前の政府の方針は、移民増加にもかかわらず、既に人口過密で移民国では ないという考え方に特徴づけられ、多くの移民は祖国へ帰還するものと捉えられていた[Entzinger 1993: 153]。移民の側も、確かにオランダ滞在が長引いているものの、所詮は一時的なものであり、 やがては出身国に戻るだろう、という意識がまだ強く、オランダ語によって行われる学校教育より、 子どもたちに自分たちの母語・母文化をどう教えるかという、母語・母文化教育にまず関心が集まっ た。小林は、オランダの移民の子どもへの教育は、オランダ語教育ではなく、母語・母文化教育から 始まるという、世界の中でもユニークな歴史を歩んでいると指摘している[小林 2004: 37]。  1967年にスペインからの移民労働者が、その子どもの母語・母文化維持を目的として自主的に始め たのが、母語・母文化教育の始まりである[小林 2005: 123]。これは次第に、トルコ、モロッコを中 心とする他の移民グループにも広まり、やがて帰国後の本国の教育への適応を助けるための政策とし て、オランダ文化省がその運営予算を確保するに至る[小林 2005: 123]。1974年には、継続して予算 を確保し実施するために、その主管はオランダ教育省に移行された。そして、母語・母文化教育の目 的は、これまでの帰国後の生活に備えて移民の自文化の維持を助けるのに加えて、オランダ定住者が オランダ社会に参加することを促進することも加えられ、「自文化の維持」の保障には、通常の授業 時間内外に最高で週 5 時間の予算と時間が確保された[小林 2005: 124]。  他方、オランダ語習得に関わる規定や設備は何もなく、オランダ語がわからない移民の子どもの多 くは、通常クラスでオランダ語を母語とする子ども達と一緒にオランダ語を教授語とする授業を受け る、いわゆる sink or swim(自力で泳がなければおぼれるのみ)という状況に置かれたと指摘されて いる[小林 2005: 125]。しかしながら、筆者の2011年の調査で、1970年代に中等教育レベルで「ISK: Internationale Schakelklassen、以下 ISK と略」と呼ばれる「入門クラス」が設置され、ニューカー マーの子どもにオランダ語集中学習の機会が与えられていたことがわかった。筆者が2011年にインタ ビューをした49歳の中国系女性の場合、オランダで生まれたが 3 歳から12歳まで香港の祖父母の元で 育てられ、1974年に12歳で再度オランダの両親の元に来た時に ISK で 1 年間学んだ。ISK についての 文献は管見の限りではなく、地方自治体によって政策は異なっていて、オランダ全体の状況を把握す ることはできない。2011年に筆者がインタビューをした ISK の教師によると、アムステルダムにお いては、アムステルダム市庁が1970年代にまずはオランダ語が話せても能力が低いスリナム系の子ど もを対象に ISK を 4 校に設置するように要請し、1980年代にはモロッコ系やトルコ系の子どもが主 3  オランダの学校制度は、 4 歳から小学校(基礎学校と呼ばれる)に入学し、12歳で「Cito」と呼ばれる全国 統一テストを受ける。その結果によって、中等教育は 6 年制の大学進学コース(VWO)、 5 年制の高等専門学校 進学コース(HAVO)、 4 年制の中等専門学校進学コース(VMBO)の 3 コースに分かれる。コース間の移動は可 能である。

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な対象になった。25年前に 4 校の内 1 校に併設されていた ISK が閉鎖され、2011年現在 3 校におい て ISK が存続している。 3 .1980年代~1990年代の教育政策  オランダに定住する移民人口は1980年代も増え続け、当初予測されていた、出身地への帰国はもは や実現しないことが明らかとなり[小林 2005: 125]、政府は移民が祖国に帰還するという考えを変更 せざると得なかった。この頃から、移民の子どもは、オランダ人の子どもと比較すると、求められる 学力の最も低い下級職業校への進学率が圧倒的に高く、高等教育機関への進学率が極端に低いこと が、教育関連の統計にも表れるようになった。1980年を迎える頃には移民労働者の高い失業率と、そ の社会保障のための国家財政からの支出が問題として顕在化しつつあった[小林 2005: 126]。  移民の子どもの学力不足が、やがて第二世代の高失業率の再生産につながるとの危機感を抱いた政 府は、1981年、オランダ定住移民とその子どもに関わるはじめての包括的教育政策として『教育にお ける文化的少数者政策』を打ち出した[小林 2005: 126]。この新初等教育法は1985年に発効したが、 そこに記された中央政府の「多文化社会オランダ」という新しい社会認識と、この認識に基づいた学 校教育における「異文化間教育」実施の義務化が、その後のオランダの学校教育の変化を決定づけた [小林 1997: 111]。新しい「多文化社会オランダ」においては、移民が、既存の伝統的オランダ社会 に一方的に同化することが求められるのではなく、自分の母文化を維持し、出自のアイデンティティ を積極的に持ち続けることで、初めてオランダ市民として社会に統合することが可能になるのだ、と いう論理であった[小林 2004: 39]。それは、リスクロフ等が、1985年を政策において、移民の社会 文化的アイデンティティの保持と社会経済的統合との関連が最もプラスに評価された時期であると指 摘しているのと一致する[Rijkschroeff et al. 2005: 425]。  1984年には、母語・母文化教育が正式に初等教育法の中に組み込まれ、初めてオランダの公教育シ ステムの中で法的基盤が与えられた。父母が希望すれば、最低 8 人のグループをつくることを前提と して、母言語・母文化の教育を行うことが初等教育法で定められた。翌1985年までは、正規の授業時 間内外を問わず最高週 5 時間、その後は授業時間内外にそれぞれ最高週2.5時間までの実施が可能と なった[小林 2005: 127]。初等教育在籍者の内、母語・母文化教育を受けた者は、1985年に 4 万 6 千 人(ターゲットグループの65%)、 5 年後の1990年には 6 万961人(同、67%)に増加した[小林 2005: 128]。他方、異文化間教育をカリキュラムに導入した学校は20%にも満たなかった[Eldering 1997: 335]。  1985年には社会優先政策と文化的マイノリティ政策が統合された教育優先政策が発効された [Driessen 2000: 59]。この法律の基盤にある考え方は、移民の子どもは生来のオランダ人労働者階級 の子どもに匹敵するというものである[Eldering 1989: 121]。子どもは親の教育レベルと経済的地位 と出身国によってポイントが与えられ、子どものポイントに応じて教育省によって学校に追加予算が 計上された。1993年には70%の初等学校に教育優先政策による追加予算が割り当てられた[Eldering

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1997: 335]。オランダの教育政策の特徴は、これらの予算使用に関して政府の介入が制限され、個別 の学校の決定権が大きいことである[Eldering 1989: 122]。  また、オランダは憲法23条の「教育の自由」条項により、地方自治体も私立団体も、初等・中等教 育法に定められた学校設立の規定を満たす限り、政府から同等の財政負担をえられるため、私立学校 の設立が比較的容易である。これを使用して、1980年代終わりにはイスラム教系の私立初等学校が誕 生し、イスラム教の教えに基づいた道徳・宗教教育が始まった[小林 2004: 42]。  1990年代になって政府は、地方分権化と自由化と自治拡大によって新たなアプローチを取るように なった[Driessen 2000: 67]。1990年代の移民の子どもへの教育政策は、教育の機会均等と労働市場 への参加を重視する方向に転換し、集団としての解放よりも不利益を被っている個人の解放へと焦点 が転換した。そして、徐々に母文化保持は個人の統合の成功を妨げる効果があるものと捉えられるよ うになった[Rijkschroeff et al. 2005: 430]。  1998年に発効した母語教育関連法の最大の特徴は、教育の目的や内容そのものではなく、地方分権 化というオランダ国政全体の時流に合わせ、これまで国が主体として実施してきた移民の母語教育 を、財政負担以外は基本的にすべて地方自治体に任せた点にあり、補償教育色を深めたことが指摘さ れている[小林 2005: 132]。 4 .2000年代~現在  1980年代から1990年代にかけて、寛容と不干渉を原則とするオランダの多文化社会システムの中 で、定住移民が呈してきた様々な問題点は、一向に解決されず、移民は第 2 、第 3 世代になっても、 家庭内言語がオランダ語ではない子どもの数は減らず、むしろ初等学校入学時のオランダ語能力が、 家庭言語として十分なレベルに発達していない子どもの数は増加傾向にあった。オランダ語の日常言 語運用能力が不十分な上に、オランダ人が一般に共有する生活習慣に同化しようとしない定住移民の 姿が、一般のオランダ人の目に見える形で現れるようになった[小林 2004: 46]。  そうした状況において、2002年春、新しい保守連立政権が成立した。その求心力になったのが、新 たな移民や難民の受け入れ拒否を謳い、定住移民やイスラム教に過激なまでの批判的発言を繰り返し て急成長を遂げた右派の新政党であった。新政権は短命であったが、学校教育システム内での移民の 子どもに対する母語・母文化教育実施の終了を決定し、2004年から予算が打ち切られた[小林 2004: 46-47]。リスクロフ等は、1990年代によりもさらに2000年代になって、移民の社会文化的アイデン ティティの保持は、社会経済的統合の障害として捉えられるように転換したと指摘している[Rijk-schroeff et al. 2005: 425]。母語・母文化教育に代わって言語政策が重視するのは、オランダ語の学習 となった[Herweijer 2009: 16]。  2011年筆者はアムステルダムとユトレヒトの初等・中等レベルのいわゆるブラック・スクールを数 校訪問したが、いずれの学校でもオランダ生まれでも移民の子どものオランダ語能力不足が最大の問 題とされ、オランダ語学習の必要性が強調されていた。そのための方策として、 4 歳未満の就学前幼

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稚園教育4の奨励、親を学校の教育活動に参加させるための色々な試み、オランダ語に問題のある子 どものための学年を超えた小学校補習クラス(Schakel Klassen)の設置、オランダ語学習のための 教材開発、オランダ語能力不足が「Cito テスト」と呼ばれる初等教育終了時の全国統一試験で良い 結果を出すことを妨げる子どもを対象に、初等教育終了後 1 年間のオランダ語集中学習のための 「Kop Klas」の設置等が実施されていた。母語教育を実施している学校はなかった。  また、「文化的マイノリティ生徒」が在籍する学校に対して、生徒 1 人あたりに一定額の追加予算 が計上され支給されてきたが、その措置の有効性を疑問視する結果が2004年に出されてから再検討が 重ねられ、2006年には「文化的マイノリティ」の定義を撤廃した新たな措置が設けられている[見原 2009: 131-132]。近年、生徒の民族的背景は、予算優遇措置の基準から外され、初等学校の場合は親 の教育水準が、中等学校の場合は2007年から教育優先地区の生徒数が優遇政策の対象となる基準に なっている[Herweijer 2009: 13]。  前述したオランダ語能力向上のための施策以外の移民の子どもに関する具体的政策としては、2006 年以降移民の子どもの特定の学校への集中を無くす分散政策の実施、中等学校における全生徒を対象 にした2012年までに退学者を半減させる政策[Herweijer 2009: 15]、1985年から導入された異文化間 教育に代わって、2006年以降シティズンシップや社会統合の発展を目指した教育の実施、民族的アソ シエーションと連携して移民の親の教育参加を高める試みや、教育以外の団体と学校との連帯強化等 があり、これらを実施することによって教育における不利益の是正が図られている[Herweijer 2009: 14-17]。しかし、筆者が2011年に訪問した多文化共生問題に取り組むオランダ最大の非政府専門組織 FORUMでは、近年の財政難によって、移民の子どもへの施策は構想があっても実施困難であること が強調された。

Ⅱ.オランダの学校における中国系新移民受け入れの現状

 本章では、オランダへの中国系新移民の流入について述べた後、オランダの学校における中国系新 移民の子どもに対する教育のあり方と抱える問題について明らかにする。 1 .中国系新移民の流入  近年は、かつてのオランダへの移民送り出し国であるトルコやモロッコから移民の流入は減り、 2006年に流入した新移民は、ドイツとポーランドがそれぞれ全移民の10%を占め、次いでアメリカや 中国、インドからの移民流入が多い[Shewbridge et al. 2010: 13]。表 1 は、近年15年間の中国からオ ランダへの移民数増加を示している。 4  幼稚園は小学校に併設されていても、地方自治体福祉局の管轄で、筆者の訪問した小学校の校長の一人は、 近い内に小学校の管轄にしようとする動きがあると述べた。

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 2010年はオランダへの中国系移民が100周年を迎えた記念する年であった。オランダの中国系コ ミュニティは、1960年代をピークに流入した香港出身者が主流を占めていたが、中国の改革開放政策 以降、浙江省の温州や青田、また中国東北部や福建省等の中国本土からの移民が増えている。オラン ダにはアムステルダムやロッテルダムにチャイナタウンはあるが、居住地ではなく、中国料理レスト ランや商店が集まる商業地域である。また、オランダの中国系移民は 5 、 6 割が飲食業に携わり [Benton and Pieke 1998: 142]、レストランが集まって競合しないため、全国の田舎の隅々まで散ら ばって住んでいる。このような飲食業に集中し、全国に散住しているというオランダの中国系コミュ ニティの特徴は、後から流入した浙江省出身者が、コミュニティの主流を占めていた香港出身者と同 じ飲食業に就き散住したことによって新移民流入後も保持された。 2 .中国系新移民の子どもへの教育の現状  新たにオランダに流入した移民の子どもを多く抱える地方自治体には、集中的にオランダ語を学習 するための、初等教育レベルでは「ZIOP」、中等教育レベルでは前述した「ISK」と呼ばれる「入門 クラス」が設置されている。ISK は1970年代に、 ZIOP は1990年代中頃に設置された。入門クラスは 学校に併設されている場合もあれば、一つの学校として独立した形態の場合もある。入門クラスで は、新しく流入した子どもを対象にオランダ語習得のための教育が集中的に実施され、普通クラスに 移行できるレベルにオランダ語能力を高めることが目指されている。2010年現在、アムステルダムに おける ZIOP は13クラス(その内 1 つは学校の形態)、 ISK は 3 校に併設されている。ユトレヒトの 場合は、独立した学校の形態で初等・中等レベルに各 1 校がある。2011年 9 月に筆者が訪問した教師 研修センター職員によると、ニューカマーの子どもの約15%は入門クラスに入っていなく、 ISK を卒 業して普通クラスに移行した子どもは、その後もオランダ語学習の強化が必要であり、この教師研修 センターではそのための教師向け教材開発をしていた。  オランダの中国系移民は、半数以上が飲食業に携わり全国に散住しているために、中国系の子ども が特に多く在籍する学校はない。また、入門クラスにおいて多数派を占めて目立った存在となったこ とは現在に至るまでない。2011年に筆者がインタビューをしたアムステルダムの ISK で1989年から 教えている教師によると、ISK で教えている期間中、中国系生徒数は年によって増減し、現在 ISK に 在籍する110人のニューカマーの子どもの中には中国本土出身の子どもはいなく、中国出自のチベッ ト系の子どもが 8 人在籍している。  2010年 9 月に筆者が訪問したユトレヒトの ISK には15歳から18歳の全生徒250人の内 6 名の中国系 新移民の子どもがいた。福建省福州出身が 3 名、廣州出身が 1 名、温州出身が 2 名であった。教師へ 表 1  オランダへ流入した中国系移民数 年 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 中国系移民数(人)1,392 1,397 1,788 2,105 2,017 2,789 3,848 4,101 4,204 3,649 3,341 3,325 3,911 5,088 5,241 出典:Netherlands Central Bureau of Statistics HP http://statline.cbs.nl/StatWeb/publication

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のインタビューによると、全 9 クラス、レベルは初級・中級・上級の 3 つある。2009年には約190 人、 5 クラスだったので、ここ 1 年間でかなり生徒数が増えている。 1 年中いつでも生徒を受け入 れ、オランダ語と数学と一般教養のテストをしてクラスを決める。通常は 2 年間在籍して、普通クラ スに移行する。  筆者は中級クラスの参与観察をした。このクラスの生徒数は20名で、その内中国系の子どもは 3 名 であった。 1 時間目は 4 名ずつのグループを作ってグループごとにオランダ語の自習をしていた。中 国系の子ども 3 名は同じグループであった。 2 時間目は、皆で輪になって、目、鼻、耳、肩、膝等の 体の部分を触りながら、皆でオランダ語で発音していた。体を動かしているので、笑いもあり、楽し そうであった。このクラスの 1 週間の時間割は、オランダ語が毎日 4 時間あり、他に数学 6 時間、演 劇 2 時間、美術 2 時間、体育 4 時間、カウンセリング 2 時間である。教師は 1 名で、他に大学生 1 名 が手伝っていた。この大学生によると、入門クラスの子どもは普通クラスに比べて学ぶ意欲が高いと いうことであった。教師は市役所で登録すると入門クラスに配置され、特別の資格は必要ない。  2011年 9 月に筆者が訪問したユトレヒトの初等レベルの入門クラスは13年前に設立された。36ヶ国 の子どもが在籍し、東欧からの子どもが多く、中国系の子どもは 6 名であった。通常 1 年から 1 年半 在籍するが、 3 ヶ月に 1 回オランダ語能力のテストをする。カウンセラーによると、中国系の子ども に特別の問題はなく、ここで学ぶ子どもは、自分の国を離れて様々な経験をしているので、この学校 で守られていると感じているとのことであった。母語は教えていなく、オランダ語の学習が中心で、 数学や動物園やスケート等の遠足もある。親は移民当初は色々困難を抱えて忙しいので、親の集まり はない。 3 .抱える問題  以下、二つの事例を取り上げて、中国系新移民の子どもの抱える問題について検討する。  第一の事例は、筆者が2011年 9 月にインタビューをした廣州出身の現在29歳の女性である。彼女 は、1995年に12歳で、彼女より 3 年前に先に北ホランド州の小さな町に移住した両親の元に合流し た。その間中国では祖父母に育てられた。移住前もコックであった父親がオランダのレストランの コックとしての労働許可を得ることができたので母親と共にオランダに移住した。オランダに親戚や 知り合いは誰もいなかった。オランダに移住した当初、北ホランド州にはアルクマールという都市の 学校に ISK は 1 クラスしかなく、空きがなかった。 9 ヶ月間待った後でその ISK に入学し 3 年間学 んだ。 3 年間中国系の子どもは北京出身の女子生徒が一人だけで、北京語で会話をし、母語が広東語 の彼女は、北京語の能力を上げることができた。ISK はオランダ語学習が中心で 1 年目は 1 クラス23 名、 2 、 3 年目はオランダ語のレベルによって 3 クラスに分かれ、 1 クラス13名であった。小人数ク ラスで先生がとても親切で、ミスを恐れずオランダ語を話すことを促され、 1 年目はシャイだった彼 女は、段々打ち解けていって積極的にオランダ語を話すようになっていった。中国と違って宿題もな く楽しかった。筆者が2011年にインタビューをしたアムステルダムの ISK 教師によると、中国系の

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子どもは一生懸命に勉強するが、オランダ語は一生懸命に勉強するだけでは上達せず、リラックスし て、ミスを恐れずに話してみることが必要であるが、中国系の子どもはそれが苦手であると語った。  彼女の場合、中国語とオランダ語は全く違うために他の生徒よりもオランダ語の上達はかなり遅 く、通常は 1 年から 2 年で ISK は終了するが、彼女は 3 年かかり、その後 5 年制の高等専門学校進 学コース(以下 HAVO と略す) 3 年に編入した。ここはオランダ人が多数派の学校で、初めて「オ ランダ文化」を体験しカルチャーショックを受けた。白人生徒はとても人に対してストレートである ことに違和感を抱いた。また編入した HAVO 3 年生は科目内容が難しくなっていた。今考えると ISK の 3 年間は長すぎて、 ISK は 2 年間で終えて、 HAVO 2 年に編入した方が良かった。オランダ語と特 に中国で 2 年間しか学んだことのない英語の能力不足に悩まされたが、他の教科の成績は良かった。 彼女が HAVO 5 年になる前に仕事の関係でロッテルダムに引っ越した両親に同行するために、結局 学校を中退してしまった。その後中国系旅行会社等職を転々としたり、小学校教員になるための資格 を取ろうとしたが中途半端になり、今でも自分の人生の目標が定まらないと語った。  第二の事例は、中国系アソシエーションのオランダ語教室でオランダ語を学んでいた2011年 9 月に 広東省からオランダに来たばかりの 4 歳の子どもである。彼女は、入門クラスに入らず直接近くの小 学校の普通クラスに通っている。この子どもの在籍する小学校のクラス担当教師に2011年 9 月に筆者 が話を聞いたところ、クラスにはモロッコ系やトルコ系の子どももいるが第二世代でオランダ語は理 解できる。オランダ語が全くできないのはこの中国系の子どもだけで、試行錯誤で対処していて、 ニューカマーの子どもの担任は初めての経験ということであった。この少女の母親に話を聞いたとこ ろ、この母親は 5 年前にオランダに来て、中国系第二世代の男性と出会って 2 子(現在 4 歳と 2 歳 半)を授かった。子どもはオランダ語を学ぶ前に中国語を学んだ方がいいと考えて、 3 、 4 ヶ月のス パンで中国とオランダを行き来し、子どもは中国では 1 歳半から学校に行っていたので、北京語と広 東語を話せるが、オランダ語は全くできないとのことであった。小学校入学の 4 歳になったので、 2011年 9 月からオランダの学校に通わせている。  以上の 2 つの事例は年齢は違うが、中国系新移民の子どもは、入門クラスに入る場合も入らない場 合も、オランダ語習得が最も問題であるといえる。しかし、普通クラスでも入門クラスでも少数派で 目立った存在ではなく、個々の事例として問題は把握できるが、学校において中国系という集団とし て問題が顕在化してはいない。

Ⅲ.比較考察

 本章では、まずオランダにおける中国系新移民の子どもへの教育の取り組みを、飲食業に集中し散 住するという特徴を共有するイギリスの場合と比較する。最後に、オランダとイギリスの場合を、既 に筆者が検討したフランスの中国系新移民の子どもへの教育の現状[山本 2010 a, 2010b]と比較し、

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3 国における違いを生み出す要因を明らかにする。 1 .オランダとイギリスとの比較  1960年代をピークにイギリスにもオランダにも連鎖移民によって流入した香港出身者は、両国にお いて中国系コミュニティの主流となり、飲食業に集中し全国に散住するという同じ特徴を有してい た。1980年代以降は、イギリスには特に中国本土の福建省と東北部からの移民流入が増加し、広東語 話者が主流を占める中国系コミュニティに北京語や福建語話者が流入した。福建省出身者は、飲食業 だけではなく農場季節労働や建設業や製組み立てなど、これまでイギリスの中国系移民が就労してい なかった職業にも就き単身男性の不法移民が多い。東北部出身者は、学生や家族で住む人も多く、教 育程度も高く英語力もあるが、集住することはなく散住した5。それゆえ、中国系移民の最も多いロ ンドンにおいてさえ、中国系の子どもが特に多く在籍する学校はなく、この点はオランダと共通して いる。  イギリスにおけるニューカマーに対する教育は、来たばかりで英語のわからない子どもに一週間に 2 ∼ 3 回、期限を限定し取り出しによって集中特訓を行った後は、通常授業に「追加言語としての英 語教員(English as an Additional Language:EAL と略)」6がついて教える。学校によっては、取り出

しによる集中特訓を実施しないところもあり、マジョリティとの隔離期間を最小限にしようとしてい る。以前は、語学センターで英語特訓する形態もあったが現在はない。「ニューカマーへのガイダン ス(New Arrivals Excellence Programme Guidance)」においても、ニューカマーの教育は通常の教室 で実施されることに焦点が置かれていることが述べられている[Department for Education 2007:

5 ]。佐久間は、そこに様々な分野においてマイノリティをマジョリティと区別して扱うことを違法 とした人種関係法の影響があることを指摘している[佐久間 2007: 39]。  オランダの場合は、ニューカマーを対象に入門クラスが設置されていて、ニューカマーの 8 割以上 が 1 ∼ 2 年間、Ⅱで取り上げた事例では 3 年間、オランダ語を集中的に学習している。ニューカマー の隔離期間を極力短くしようとしているイギリスと30年以上前から入門クラスで隔離教育を実施して きたオランダは、制度上は異なっている。しかし、英語を理解しない者を自集団の一員とは認めない という意識が伝統的に強いイギリスだけではなく、オランダ語へのこだわりが少なく、異言語習得が 社会経済的に利益をもたらすと判断すれば、その言語を習得するという方向性を持つオランダ[小林 2004: 44-47]においても、近年、多文化社会をつなぐものがオランダ語であり、これを共有しないも のは自集団の一員とはみなされないというこれまでにない言語観がオランダ人に共有されるように 5  イギリスの中国系コミュニティの新移民の流入による変化については、中国系アソシエーションの変化を通 して別稿[山本 2009]で検討した。

6  以前は「第二言語としての英語」(English as a Second Language : ESL と略)」と呼ばれていた。「追加言語と しての英語」に名称変更されたのは、英語を第一言語としている生徒でも、英語の補助が必要な子どももいると いう認識が高まったからである

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なっていて[小林 2004: 47]、近年のニューカマーに対して主流社会の言語学習を強調する点は共通 している。対照的に、30年前に設立された ISK についてほとんど文献がないのは、当時のオランダ 語学習への関心の低さを示しているといえる。  次に、イギリスにおける中国系新移民の子どもの事例を 2 つ取り上げて、抱える問題についてオラ ンダの場合と比較する。  第一の事例は、筆者が2008年 9 月に訪問したロンドンのイーストエンドにあるセカンダリースクー ルに 2 年前に広東省から来た当時14歳の女子生徒である。この生徒の通う学校は、家庭で英語を話す 生徒が34%だけで、ベンガル語を話す生徒13%、クレオール英語 9 %、リトアニア語 8 %、ヨルバ語 7 %、その他ウルデュー語やパンジャビー語等を話すマイノリティの多い学校である。中国系生徒は 全校で 7 名しかいない。追加言語としての英語教員は 3 名で、リトアニア語、フランス語、ヨルバ語 も話すバイリンガル教員が各 1 名ずつである。筆者によるリトアニア語を話すバイリンガル教員への インタビューによると、各学年10∼15名の新しく来た生徒を朝 7 時50分から 8 時半と放課後14時半か ら15時半に取り出して、個別にサポートしている。あるいは、通常授業で生徒についてサポートして いる。最近新しく来る生徒は、リトアニアやラトビア、ブルガリアやバングラディッシュ出身の生徒 が多い。また第二、第三世代のアフリカ系やカリブ系の低学力改善にも取り組んでいる。追加言語と しての英語教員は通常授業クラスの教員とは密接に連絡を取り合い意見交換しているとのことであっ た。  この14歳の女子生徒の父親はレストランで、母親はハンバーガーチェーン店で働いている。入学時 は、北京語の話せるボランティアの先生が週 1 回、 6 週間ついてくれた。彼女の第一言語は広東語で あるが、北京語も話せる。さらに 1 年間、週 1 回追加言語としての英語教員による取り出しサポート を受けた。彼女の場合は 1 年間であったが、追加言語としての英語教員が評価して期間は決められ る。学校にはその評価基準のためのガイドラインがある。最初イギリスに来た時はとてもおびえてい たが、 1 ヶ月位でその状態は脱し、 4 ヶ月位で日常会話では問題がほとんどなくなった。2008年 9 月 に筆者のインタビューをしたバイリンガル教員によると、シャイであった彼女が、とても自信をつけ て変わったとのことであった。学校には中国系第二世代の友人はいるが、中国から直接来た友人はい ない。  第二の事例は、全生徒の 7 割をナイジェリア系が占める女子校に通う17歳の女子生徒である。彼女 は、学校に中国系生徒は彼女 1 人だけである。筆者は2008年 9 月と2009年 9 月に彼女にインタビュー をした。北京ではトップクラスの高等学校にバスケットボールの奨学生として通っていた彼女は、 2008年 4 月に 7 年前に先にイギリスに働きに来ていた母親が永住ビザを取得したのを機に北京からロ ンドンに来て、この学校に入った。北京の高等学校の多くの友人は世界中に留学している。両親は大 卒で、母親は中国の工場のロンドン支社で働き、父親は中国で公務員として働いている。彼女は11歳 から中国で英語を学んでいたが、最初イギリスに来てから 4 ヶ月間 1 週間に 1 回、昼休みや放課後に 追加言語としての英語教員による取り出しサポートレッスンを 1 人で受けた。現在はその教員が学校

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を止めたので、特別なサポートは受けていない。他に英語に問題がある生徒としてポーランド人、フ ランス人、スペイン人もいたが、英語のレベルが違うので、個別にレッスンを受けた。北京の高校は 優秀な生徒が集まる学校でとてもモダンなので、 1 クラスの生徒数が北京では50人だったのが、ロン ドンの学校は20人であること以外、教育内容にそれ程違いは感じなかった。   1 年後の2009年のインタビュー時には、この 1 年の間に学校にも英語にもかなり慣れ、英語の授業 についていくことができるようになったが、英語を話すこともまだ不十分で、特に書く力に欠けると のことであった。GCSE7の英語の試験に落ちて、トップの大学に行きたかったのにできなくなって 落胆していた。今後は留学生のための英語資格を取りたいとのことであった。英語力不足が克服でき なく、勉強で思うような成績が上げられないのを落ち込み、イギリスでの生活を楽しんでいるとは言 えないが、現在の自分が不幸せであるとは思っていないと語った。  オランダとイギリスの中国系新移民の子どもの抱える問題を比較した場合、オランダ語や英語能力 不足が克服できないことによって自分の望む道が掴めないことが一番の問題である点が共通してい る。さらに、両国の中国系コミュニティが、飲食業に集中し全国に散住するという同じ特徴を有し、 新移民流入後もこの特徴を保持したことによって、特定の学校に中国系新移民の子どもが集中するこ とはなく学校では目立たない存在であるので、個々の事例として問題は把握できるが、学校において 中国系という集団として問題が顕在化してはいないことも共通している。 2 .フランスの場合との比較  フランスの中国系移民の職業は、イギリスやオランダのように飲食業に集中しておらず、工場労働 者や既製服縫製業など多様である。また、フランスには中国系移民の集住地区がある。特にパリには インドシナ難民も含めたアジア系移民の集住地区が 3 か所ある8 。1970年代に流入した中国系インド シナ難民が中国系コミュニティの主流であったが、1970年代後半から浙江省出身者がその後に中国東 北部出身者が流入し、飲食業よりも既製服縫製業に携わる者が多く多様である。特に1990年代以降に フランスに入国した浙江省出身者には不法移民が多く、移住先で第二子を産んで庇護申請する場合が 多い。オランダにおける中国出身の庇護申請者は2007年には270人、2008年には600人、2009年には 340人である[Netherlands Central Bureau of Statistics HP]。これに対してフランスでは1999年に 5,165人の中国人がフランスで庇護申請をし[Marc 2002: 121]、半数以上が温州出身者であり、フラ ンスにおける庇護申請者数の中では中国人が最も多い。つまり、浙江省出身の不法移民はオランダに も流入しているがその数はフランスが約10倍で圧倒的に多い。

7  GCSE とは、the General Certificate of Secondary Education の略であり、1988年夏から全国で実施されている 公的試験である。

8  パリの中国系集住地区は、第一がインドシナ難民が主に居住する13区のポルト・ド・ショワジー周辺、第二 は皮革製品や貴金属や宝石を扱う商店が集中している 3 区のタンプル通り周辺、第三は温州系移民、カンボジア 出身の潮州系、香港系の人々が1970年代を中心に移り住んだ20区周辺のベルビル地区である。

(15)

 そして、特にパリの中国系新移民の集住地区にある一部の学校に中国系新移民の子どもたちが集中 的に流入したことによって、学校現場で中国系新移民の子どもによる問題が顕在化している[山本 2010 a, 2010b]。全生徒の10%から20%が中国系新移民の子どもが占める学校も存在している。親は 温州出身の不法移民が多数派で、既製服製造業に携わっている者が多い。学校で問題のないインドシ ナ難民第二世代の子どもと対照的に、中国系新移民の子どもは勉学意欲喪失や欠席や退学問題、ある いはフランス生まれでもフランス語能力が低いという問題が筆者による学校の教師や中国系アソシ エーションの職員への調査から明らかになった。両親が先に移民してきて、子どもは中国の祖父母に 育てられて、数年後にフランスに呼び寄せられるので、子どもにとって両親との距離感があること や、自分は中国に残され、数年後にフランスに呼び寄せられ、冬でも暖房のないような小さなアパー トに住まわされて、現状が受け入れられない。フランス語ができなく、回りの友人からも「受入学級 のやつ」と言われて、自信をなくす。中国に帰りたいとしか思わず、フランスで勉強して成功しよう とは全く思わなくなり欠席が多くなったり、親の店を早く手伝うために被服科がある職業高校に中国 系の子どもが集中的に在籍し、その半数が途中で退学させられている問題があることがわかった。つ まり、子どもの抱える問題の背後には家族の移住形態や、移住のために借金をして不法滞在という地 位によって家計が安定せず子どもを早く働かせたりするという親の社会的経済的地位が関わってい る。そして、調査対象となった中国系新移民の多い学校現場では、文化的背景の差異に起因する諸問 題を親同士で話し合う「パポテック」という親の会が開かれたり、フランス語能力向上や問題がある 子どもの援助のために中国系アソシエーションとの連携がみられた[山本 2010 a, 2010b]。  フランスは学校教育において子どもを国籍や出自によって区別することはないとういう、憲法に定 める「単一不可分」の原則に基づいていて、学校での問題を移民に特有のものではなく地域の問題と してとらえるという発想に基づき、教育優先地区政策をとってきた。確かに、筆者が調査をした学校 は親の社会経済的カテゴリーを基準に特別地域に入り、特別の財政援助を受けていた。しかし、言説 レベルでは移民の子どものもつ言語的、文化的特質は尊重されていないが、実践レベルでは学校が親 や中国系アソシエーションと連携して、中国系新移民特有の問題を解決するために文化的特質に配慮 した教育を行っていることが筆者の調査から明らかとなった[山本 2010 a, 2010b]。ここに政策と学 校現場での実践のギャプが指摘できる。   3 国の中国系新移民の子どもの抱える問題と教育のあり方を比較すると、オランダとイギリスの場 合、主流社会の言語能力不足が共通の問題であったが、学校では中国系として特に問題が顕在化して いなかった。フランスの場合は主流社会の言語能力不足に加えて、中国系新移民の子どもの欠席や退 学問題が学校で顕在化していたが、それはオランダやイギリスよりも数の上で圧倒的に多い不法移民 が集住していたからであった。そして、それを解決するために、文化的特質に配慮した教育が実践さ れていた。言説レベルでは文化的異質性を排除してきたフランスの学校において問題が顕在化したゆ えに中国系移民の文化的特質に配慮していた教育が行われ、多文化主義に基づいてきたイギリスとオ ランダの学校では問題が顕在化していないので特別の取り組みはされていなかった。現在 EU 各国に

(16)

おける移民統合に関する言説はシティズンシップを基調とする共和主義的な社会統合に収斂している といえるが、文化的特質に配慮した教育実践の違いを生み出す要因としては「問題の顕在化」の方が 移民の社会統合に関わる言説や政策よりも強く作用していることが指摘できる。

おわりに

 本論ではオランダとイギリスとフランスにおける同じ文化的背景を持つ中国系新移民の子どもの抱 える問題とその教育のあり方を比較した。親の不法滞在や経済状況や職業、さらに居住形態によって 形成される移民コミュニティの特徴が、子どもの学校での問題の顕在化に違いを生み出し、それが、 各国の移民統合に関わる言説や政策よりも子どもへの教育のあり方に違いを生み出していることが明 らかになった。中国系という同じ文化的背景を持つことが、中国系の子どもに何らかの共通した問題 をもたらすわけではないといえる。 附記:本論は文部科学省科学研究費補助金基盤研究(C)( 2 )(課題番号20530785)研究課題「EU に おける中国系新移民の学校不適応に関する教育人類学的研究」(研究代表者:山本須美子、平 成20年度∼23年度)の研究成果である。 【参照文献】 河野健一  2008「イスラム系移民増に揺れるオランダ―伝統のリベラリズムと多文化主義は守れるか―」『長崎県立大学 研究紀要』 9 : 79- 9 。 久保田治郎  1987「オランダにおける外国人移民(マイノリティ)対策の動向」『自治研究』63-10: 81-100。 小林小百合  1997「多文化社会オランダの異文化間教育」『異文化間教育』11: 110-124。  2004「多文化社会をつなぐことば・分けることば―オランダの学校言語教育から―」『天理大学学報』56- 1 : 35-48。  2005「多文化社会の質的変化と寛容と変容―オランダの移民「母語」教育政策30年の変遷から見えてくるもの ―」『ひとをわけるもの・つなぐもの―異文化間教育からの挑戦―』佐藤群衛・吉谷武志編、119-156頁、 ナカニシヤ出版。 佐久間孝正  2007『移民大国イギリスの実験―学校と地域にみる多文化の現実―』勁草書房。 三橋利光  2010『国際社会学の実践―国家・移民・NGO・ソーシャルビジネス―』春風社。 見原礼子  2009『オランダとベルギーのイスラム教育―公教育における宗教の多元性と対話―』明石書店。 山本須美子  2002『文化境界とアイデンティティ―ロンドンの中国系第二世代―』九州大学出版会。  2009「イギリスにおける中国系アソシエーションと新移民の流入」『東洋大学社会学部紀要』46- 2 : 159-179。  2010a「フランスの初等教育における中国系新移民受け入れの現状」『東洋大学社会学部紀要』47- 2 : 109-126。

(17)

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【インターネット資料】

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(18)

【Abstract】

The Education for New Chinese Immigrants at Schools

in the Netherlands :

The Comparison among the Netherlands, the U.K. and France

Sumiko YAMAMOTO

 The purpose of this study is to clarify what kind of education new Chinese immigrants

have received and what kinds of problems they have faced at schools in the Netherlands, and

compare them with those in the U.K. and France to identify the factors making differences

among them.

 Chapter Ⅰ mentions the outline and characteristics of immigrant children at schools in

the Netherlands and traces the historical development of the educational policy for

immi-grant children after WW Ⅱ, dividing it into three periods, the 1970s, from the 1980s to the

1990s, and after the 2000s. After outlining the inflow of new Chinese immigrants into the

nese communities in the Netherlands, Chapter Ⅱ clarifies what kind of education new

Chi-nese immigrants have received and what kinds of problems they have faced at schools. In

Chapter Ⅲ, I compare them with those in the U.K. and France.

 As a result, in the U.K. and the Netherlands, new Chinese immigrants have faced common

problems such as the lack of the majority language skills. They share common

characteris-tics of the Chinese communities, scattering all over the country and job concentration in

res-taurant business; however, their common problems have never come to the surface at

schools. Contrarily, in addition to the lack of French skills, new Chinese immigrant children s

habitual absence from and dropping out of schools came to the surface in France. The

rea-son of the problems was that a number of illegal Chinese immigrants flowed into France and

lived together. Then, special educational practices for the Chinese have been carried out to

solve the problems. Although French insisted that they shouldn t consider cultural

differenc-es at schools in discoursdifferenc-es, they had to pay special attention to education for new Chindifferenc-ese

immigrants. Whereas, in the Netherlands and the U.K. where schools have valued

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multicul-turalism, special educational practices considering Chinese cultural background haven t

been carried out.

 In recent years the discourses about social integration of immigrants in EU have tended to

be based on the republicanism focusing on the citizenship. This paper points out that the

surfacing problems have more power to make the educational practices considering cultural

specialty carried out than opinions in the discourses and educational policies for immigrants.

参照

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