<論説>安全第一協会について
31
0
0
全文
(2) 近畿大学法学. 第55巻第3号. 年 以 降、 「全 国 安 全 週 間」 とな った。)が あ る。 しか し、 これ らの 遺 産 が、 現 在 の わ れ わ れ の社 会 生 活 に深 く浸 透 して い る反 面 、 安 全 第 一 協 会 につ い て は、 ほ とん ど知 られ て い な い のが 現 状 で あ る。 そ の 最 大 の 理 由は 、 安 全 第 一 協 会 の機 関誌 『安 全 第 一 』 の所 在 が 最 近 まで 分 か らな か った こ とに よ る㌔ 以 下 で は、 機 関 誌 『安 全 第 一 』 を 手 が か り に、 安 全 第 一 協 会 の実 態 を 明 らか に した上 で、 そ の歴 史 的 意 義 につ いて 論 じて み た い。. 1安. 全 第 一協 会の設 立. 日本 に お け る安 全 運 動 は、 米 国 の 安 全運 動 に強 い影 響 を受 け、 そ れ を模 範 に誕 生 した。 その 最 初 の 動 き は、 足 尾銅 山(古 河 鉱 業 足 尾 鉱 業 所)に いて 米 国 の 安 全 運 動 の 標 語SafetyFirstを. お. 「安 全 専 一」 と訳 して始 ま った. 鉱 山の 労 働 災 害 防 止 運 動 で あ った。 当 時、 足 尾 銅 山 の所 長 を務 め て い た小 田川 全 之(安 全 第 一 協 会 賛 助 会 員)は 、 社 内報 『鉱 夫 之 友 』 を1913年5月 か ら毎 月 発 行 し、 そ の 中 で1914年11月 に採 鉱 課 長 ・小 島甚 太 郎(安 全 第 一 協 会 理 事)が 米 国 視 察 の 際 に見 聞 した安 全 運 動 を 「鉱 夫 諸 君 へ」 とい う記 事 で 紹 介 した り、ま た、1915年1月. に は百 ペ ー ジほ どの小 冊 子 『安 全 専 一 』. を 付 録 と して 配 った り して、 安 全運 動 の啓 蒙 普 及 に努 め て い た(1(2):10 -12) 。 た だ、 この 「安 全 専 一 」 運 動 は 足 尾 銅 山 の 内 部 に留 ま り、 社 会 運 動 へ と発 展 す る こ とは な か った。 また 、 ほぼ 同 時 期 の1914年 、 東 京 電 気 株 式 会 社(現 が. ・株 式 会 社 東 芝)で. も う と しぶ み. 労務 管理 を 担 当 して い た蒲 生 俊 文(1883-1966年. 、 安 全 第 一 協 会 理事)は 、. 自社 で 起 きた 労 働 災害 を契 機 に社 内 の安 全 運 動 を立 ち上 げ て い た(堀 口良 一2002:137-139). 。 そ して 、 この 蒲 生 が 主 導 す る社 内 安 全 運 動 は、 足 尾. 銅 山 の安 全 運 動 と と もに、 や が て 「内 田嘉 吉 氏 が 、 一 九 一 六 年 合 衆 国 よ り 2.
(3) 安 全 第 一 協 会 につ い て. 帰 り てSafetyFirstの. 宣 伝 を 開 始 し た の と 協 力 し て 」(蒲 生 俊 文1930:. 12)、 内 田 や 蒲 生 ら が1917年. に 安 全 第 一 協 会 を 設 立 し た こ と に よ って 、企 業. の 枠 組 み を 越 え 社 会 全 体 を 対 象 と し た 日本 で 最 初 の 安 全 運 動 へ 繋 が っ て い く(堀. 口 良 一2002:135)。. 安 全 第 一 協 会 は 、 米 国 で1913年. に 設 立 さ れ たNationalSafetyCouncil. (全 米 安 全 評 議 会 。 機 関 誌 『安 全 第 一 』 で は 「安 全 第 一 協 会 」 あ る い は 「国 民 安 全 協 会 」 と 呼 ば れ て い た 。)を 模 範 に 、 前 台 湾 総 督 府 民 政 長 官 で 、 当 か きち. 時、 逓 信 次 官(1917年3月 (1866-1933年)と. か ら翌 年9月. まで 在 任)を 務 め て い た 内 田嘉 吉. 「最 も熱 心 な る方 々数 名 」(1(2):62編. 著 者 ・発 行. 年 無 記 名 の もの は機 関 誌 『安 全 第 一 』 の 巻号 お よ び ペ ー ジ数 を表 わす 。 以 下 同 じ。)に よ って、 設 立 す る こ とが1917年2月11日. に決 め られ た。 こ の. 「最 も熱 心 な る方 々 数 名 」 が 誰 で あ る か は 示 され て い な い が 、 彼 ら発 起 人 は、 の ち協 会 の 役 員 や編 輯 兼 発行 者(発 行 兼 編 輯 者 と も表 記)な. どに就 い. た の で は な いか と考 え られ る。 そ して、2月11日. の発 会 式 以 後 、 発 起 人 は安 全 第 一 協 会 設 立 の 「準 備 に. 取 りか \ り、 先 づ 実 行 の 第 一 歩 と して 本 誌 〔機 関 誌 『安 全 第 一 』 〔. 〕内 は 引用 者 注 。 以 下 同 じ。〕の発 行 を見 る に至 つ た」(1(1):3)。. い て、 同年4月3日. 続. に設 立 総 会 を 開 いて 内 田を 会 頭 に選 び、 安 全 第 一 協 会. は正 式 に発 足 す る こ とに な る。 こ う して安 全 第 一 協 会 は設 立 を見 たわ けで あ るが 、 設 立 の 動 機 は 、 内 田 が米 国 の安 全 運 動 を 目の 当 た りに した こ と に始 ま る。 内 田 は 、 これ に つ い て次 の よ うに語 って い る。. 私 は 先 年 病 気 保 養 の 為 七 ヶ月 に渉 り南 北 亜 米 利 加 を 漫 遊 して 昨 年 〔 一 九 一 六 年 〕 初 夏 帰 朝 した 、 這 回 漫 遊 中 見 聞 せ し事 項 も少 くは無 い が 、 最 も深 く私 の 脳 裡 に留 まつ た の は 此 の安 全 第一 主 義 の普 及 さ れ実 3.
(4) 近畿大学法学. 第55巻第3号. 行 さ れ て居 る事 で あ る、 〔…〕。 私 は帰 朝 以 来 折 に触 れ 機 に乗 じ之 れ が鼓 吹 に努 め た の で あ るが、 殆 ん ど一 人 の反 対 者 と云 ふ 者 も無 く、 賛 成 を 得 た の は、 人 も亦 私 と同感 で あつ た の だ ナ と、 衷 心 頗 る愉 快 に感 じた の で あ る、 中 に は熱 心 な る 賛 成 者 もあつ たの で 、 已 に米 国 に於 て 、之 れ が実 行 を 図 るべ く安 全 第 一一協 会 〔NationalSafetyCouncil〕. な る もの が設 立 され市 街 交 通 部 、. 火 災 部 、衛 生 部 、災 害 部 、立 法 部 、運 輸 部 と云ふ や うに分 課 さ れ、著 々 効 果 を挙 げ実 効 を図 りつ つ あ る例 に倣 ひ、 協 会 を設 立 す る事 に 決定 し 〔た〕。(1(1):3). こ こ で 内 田 が 語 っ て い る 「安 全 第 一 主 義 の 普 及 」 と は 、 「一 九 一 〇 年 初 め に は 『安 全 第 一 』SafetyFirstは. 国民 的 な ス ロー ガ ンで あ る とい わ れ る. ほ ど の 普 及 を み た 」(上 野 継 義1993:1)も ろ か らSafetyFirstと 1999:208)。. の で あ り 、 米 国 で は1907-8年. ご. い う標 語 の 下 に 安 全 運 動 が 始 ま っ て い た(上 野 継 義. 内 田 は そ れ を 目 撃 し、「最 も深 く私 の 脳 裡 に 留 ま つ た 」 も の で. あ っ た が ゆ え に 、 帰 国 後 、 内 田 は 直 ち に そ の 普 及 に 乗 り 出 した の で あ る2。 と こ ろ で、 安 全 第 一 協 会 の 目標 は、 内 田が次 に述 べ る よ うに、 全 米 安 全 評 議 会 の 日本 版 を 作 る こ と に あ っ た 。 す な わ ち、 「安 全 第 一 『Safetyfirst』 と は 今 よ り三 四 年 前 北 米 合 衆 国 西 部 に 於 て 唱 道 せ ら れ た 主 義 」 で 、「已 に 米 国 に於 て、 之 れ. 〔 安 全 第 一 主 義 〕 が 実 行 を 図 る べ く安 全 第 一 協 会. 全 評 議 会 〕 な る ものが 設 立 され 例 に 倣 ひ 」(1(1):2-3)、. 〔全 米 安. 〔 … 〕 著 々効 果 を 挙 げ実 行 を 図 りつ つ あ る. 「亜 米 利 加 に 於 て 実 行 を 致 し て 居 り ま す る安 全 第. 一 協 会 等 の 趣 旨 と 全 く 同 一 」(2(7):2)の. も の と して. 、 日本 で 安 全 第一 協. 会 を 設 立 す る こ と に し た 、 と 内 田 は 語 っ て い る。 具 体 的 に い え ば 、 そ れ は 、 機 関 誌 『安 全 第 一 』 に掲 載 さ れ た 「安 全 第 一 協 会 趣 旨 書 」 に あ る と お り、 「世 運 の 進 歩 」 に と も な う事 故 や 災 害 な ど の. 4.
(5) 安 全 第 一 協 会 につ い て. 「世 の 文 明 に 避 くべ か らざ る現 象 」 と して の 「大 危 険 を 未 発 に防 遇 す るの 良 法 と して 『安 全 第 一 』 主 義 を社 会 に鼓 吹 し、 鉄 道 、 船 舶 、 鉱 山 、 工 場 等 は 固 よ り、 道 路 、 住 宅 に之 を 普 及 せ しめ て 、 衛 生 に火 災 に 死 傷 に 、 不幸 な る災 厄 を防 禦 せ ん とす る」 こ と にあ った 。. 2安. 全 第一 協会 の事 業. そ れ で は 、 安 全 第 一 協 会 は 、 具体 的 に、 どの よ うな事 業 を お こ な っ て い た の で あ ろ うか。 安 全 第 一 協 会 の 事 業 は 、会 則 第9条. で 、以 下 の7項. 目が定 め られ て い た。. 1⊥. 安 全 第一 二 関 ス ル雑 誌 ヲ刊 行 ス ル コ ト. ∩乙. 安 全 第一 二 関 ス ル 図書 ヲ出版 ス ル コ ト. 9σ. 安 全 第 一 二 関 ス ル講 演 会 ヲ催 ス コ ト. 4. 安 全 第 一 二関 ス ル活 動 写 真 会 、 幻 燈 会 、 音 楽 会 ヲ催 ス コ ト ロ﹂. 災 害 二関 ス ル統 計 ヲ調 製 スル コ ト. ρU. 災 害 予 防 ノ装 置 二 関 スル 研 究 ヲ為 ス コ ト. 7. 安 全 第 一 二 関 スル 博 物 館 ヲ設 クル コ ト 以 下 、 これ らにつ いて 、 具 体 的 に見 て い こ う。 まず 、 「安 全 第 一 二 関 ス ル 雑 誌 」 につ い て は、 協 会 は安 全 第一 主 義 を普 及 す るた め の 機 関 誌r安 全 第一 』 を 発行 し、 これ は協 会 の最 も中心 的 な事 業 で あ った。 第2の. 「安 全 第一 二 関 ス ル 図書 」 は、 機 関 誌 『安 全 第 一 』 の編 輯 兼 発 行 しん. し ろう. 者 と な る 伊 東 信 止 郎 著 ・発 行 『鉄 道 と安 全 第 一 』(1917年2月)お 頭 の 内 田嘉 吉 著 『安 全 第 一 』(丁 未 出版 社 、1917年9月)が. よび会. 挙 げ られ る。 と. もに、 協 会 が発 行 主 体 で は な い が、 前 者 は 内 田が 資 料 を 提 供 し校 閲 す るな ど して、 どち らの 出版 物 も協 会 の代 表 者 で あ る内 田が 深 く関 わ って い る。 5.
(6) 近畿大学法学. 第55巻第3号. 第3の. 「安 全 第 一 二 関 ス ル講 演会 」 は、 機 関 誌 に掲 載 され た もの だ けで. 13回(臨. 時 講 演 会1回 を含 む)を 数 え、 内 田会 頭 を は じめ と して 、 協 会 の. 理 事 や 委 員(村 澤英 助 、 中 島信 忠)ら 表1安 日. 時. 1917年. 講. が講 師 を務 め た(表1、. 参 照)。. 全 第一 に 関 す る講 演 会. 師. 参加者. 場. 人数(人). 所. 内田嘉吉. 東京電気株式会社. 900. 神奈川県川崎町. 内田嘉吉 内田嘉吉. 鉄道青年会 鉄道青年会. 300. 同上. 大宮 宇都宮. 6月8日. 内田嘉吉. 八 日会. 100余. 横 浜 オ リエ ンタ ル ホテル. 6月11日. 内田嘉吉. 通俗教育会. 不明. 小石川区表町礫 川 小学校. 6月16日. 内田嘉吉. 日本改良豆粕株式会社. 不明. 川崎工場. 9月1日. 中島信忠. 商工労働慰安会. 200. 麻布区森元町高砂 亭. 9月4日. 中島信忠. 千住隣人会. 200. 9月15日. 村澤英助. 商工労働慰安 会. 不明. 同上. 村澤英助. 隣人会. 不明. 内 田嘉吉. 大阪工業会総 会. 100余. 不明. 内田嘉吉、中川 彌 吉(日 本 改 良 豆粕株式会社取 締 役)、 伊 東 祐 忠、蒲生俊文. 明治 製糖株式会社. 300余. 川崎工場. 山縣慨 介 (農商務 省工 場 監 督官). 朝野 の名士新 聞記者等. 80余. 保険協会. 3月31日 5月27日. 1918年 5月6日. 6月1日. 6月10日 (臨時 講 演 会). 300. 不明 本所太平 町報恩寺 小 石川区久堅町是 照院. 出 所1(4):62;1(7):68;1(9):52;2(6):63;2(7):52.. 第4の. 「安 全 第一 二 関 ス ル活 動 写 真 会 、 幻 燈 会 、 音 楽 会 」 は、 機 関 誌 で. 見 る限 り、1918年6月10日. 開 催 の 臨 時 講 演 会 に お い て、講 演 の 後 、「余 興 の 6.
(7) 安全第一協会について. 活動 写 真 二 種 を 映写 」(2(7):52)と 第5の. あ るの み で、 そ れ以 外 は不 明 で あ る。. 「災 害 二 関 ス ル統 計 」 につ いて は、 協 会 が 適 宜 、 事 故 や 災 害 に関. す る統 計 デ ー タ を 「調 製 」 して機 関 誌 に掲 載 して い た。 第6の. 「災 害 予 防 ノ装 置 二 関 スル 研 究」 は 、 協 会 内 に 災害 予 防研 究委 員. 会 を組 織 して 、「災 害 予 防 に関 す る研 究 」を お こな って い た。 この研 究 委 員 会 は、当 初、8月 を 除 く毎 月 開 催 す る こ とが 申 し合 わ され た が(1(5):77)、 機 関 誌 に掲 載 され た 記 事 を 見 る限 り、6回 に止 ま った(表2、 参 照)。 また 、 こ の研 究 委 員 会 へ の 出席 頻 度 は 、 毎 回 出席 した 内 田 を 除 く と、 伊 東 祐 忠. 表2災 日. 第1回. 時. 1917年7月25日. 害予防研 究委員会 場. 所. 出 席. 者. 内田嘉 吉、伊東 祐 忠、井村 大 吉 、蒲 生 俊 文 、 中松 盛 雄 、野 田 忠 廣(内 務 技 師)、小 島 甚 太 郎 、. 丸 の内中央亭. 宮 本 貞 三 郎(警 視 庁 工 場 課 長)、 四 條 隆 英 、新 荘 吉 生(東 京 電 気 株 式 会 社 専 務 取 締 役). 第2回. 同年9月25日. 本会事務所. 内 田嘉 吉、中松 盛雄、野 田忠 廣 、 小 幡 豊 治(警 視 庁 保 安 部 長)、 小 島 甚 太 郎 、 蒲 生 俊 文. 第3回. 同年11月12日. 丸の内中央亭. 内 田 嘉 吉 、 四 條 隆 英、 勝 田一 、 野 田 忠 廣 、岩井 精次 、伴 東、小 島 甚 太 郎 、 中松 盛 雄(注1)、 伊 東 祐忠 、井 村 大 吉. 第4回. 同 年12月7日. 内 田 官 舎(内 田 邸). 内 田嘉 吉 、宮 本 貞 三 郎 、蒲 生 俊 文 、伊 東祐 忠 、井 村 大 吉 等(注 2). 第5回. 1918年2月26日. 本会事務所. 内 田 嘉 吉 、 伊 東 祐 忠 、 中松 盛 雄、蒲生俊文、伴東. 第6回. 同 年5月21日. 本会事務所. 内 田嘉 吉 、四 條 隆 英 、伊 藤 祐 忠 〔 伊 東 祐 忠 〕、 蒲 生 俊 文. 注1中 注2「. 松 は 掲 載 さ れ て い る 記 事(1(9):53)と 等 」 が 存 在 す る 記 事(2(1):53)と. 不 掲 載 の 記 事(2(5):61)が 存 在 し な い 記 事(2(5):61)が. 出 所1(5):77;1(8):63;1(9):53;2(1):53;2(5):61;2(6):63.. 7. あ る。 あ る。.
(8) 近畿大学法学. 第55巻第3号. (安 全 第一 協 会 理 事)と 蒲 生 が と もに5回 で最 多 で あ った。 最 後 の 「安 全 第 一 二 関 スル 博 物 館 」 に つ い て は 、 財 政 的 な 理 由 か ら協 会 自身 で 設 立 す る には 実 現 困 難 な 状 況 に あ った が 、 そ れ に 代 え て とい うべ き か 、 協 会 主 催 で は な い が 、 展 覧 会 を 開 催 して い る。 一 つ は 、1917年 秋 に上 野 の 不 忍 池 に て 開 催 され た 化 学工 業 展 覧 会 で、 内 田 が会 長 を務 め、 協 会 と して も 「安 全 装 置 の 出 品」(1(2):48)を. お こ な った よ うで あ る。 も う一. つ は 、 協 会 を 挙 げ て の取 り組 み と して、 後 で述 べ る1919年5月. に始 ま る災. 害 防止 展 覧 会 で あ る。 も っ と も、 協 会 は発 足 以 来 、 会 期 の な い展 覧会 とい え る 「安 全 博 物 館 」 が 災 害 予 防 に と って 「最 も効 果 の 完 全 な る」 方 法 で あ る との 認 識 か ら(1 (6):2)、. 安 全 博 物 館 の 設 置 に向 けて 努 力 を 傾 けて い た が 、 「設 立 後 日尚 ほ. 浅 く、 僅 に雑 誌 を刊 行 す る外 、 充 分 の活 動 を為 し得 ざ る を遺 憾 」 と しなが ら も、結 局 、実 現 す る 目処 が 付 いて い なか っ た。 この た め、「速 に政 府 当局 者 に於 て安 全 博 物 館 を設 置 せ られ ん こ と を刻 下 の急 務 な りと思 料 し、 只 答 〔 管 の誤 記 〕 其 実 行 を祈 つ て止 ま ざ る」 を得 な か った(1(6):9)。 そ の後 、1919年6月. の安 全 週 間 に お いて 「剰 余 金 あ らば悉 く安 全 博 物 館. 設 立 費 に寄 付 す べ し」 との こ とか ら、 剰 余 金5千 円 余 りが 中央 災 害 防 止 協 会(1919年. 設 立)に 寄 贈 され た が(『 安 全 週 間報 告 』:95,105)、. わ ず か5. 千 円で は実 現 不 可 能 で あ った 。 ちな み に、 この 念 願 が 叶 うの は、 実 業 家 の 伊 藤 一 郎 の 寄 付50万 円 を 基 に、 厚 生 省 産 業 安 全 研 究 所 付 属 産 業 安 全 参 考 館 が 設 置 され た1943年9月. の こ とで あ った。. な お 、 事 業 に含 まれ な い が 、 会 則 で 「春 秋二 回」 開 くと定 め て い る総 会 は 、 機 関 誌 で 見 る限 り、3回 開 か れ、1918年 秋 の総 会 に つ い て は 開催 され た か 否 か は不 明 で あ る(表3、. 参照)。. 8.
(9) 安 全第一協会について 表3総 日. 場. 時. 会. 所. 内. 容. 生命保険協 議 事:内 田 嘉 吉 の挨 拶 、 会 頭 会 倶 楽 部 の選 出等. 1917年. 4月3日. (麹 町 区 有 楽 町). 第1回 (春 季総 会). 来会者 人数 80余 名. 講 演:岡 実(農 商 務 省 商 工 局 長)、 小 田 川 全 之(古 川 合 名 会 社 理 事)、 中松 盛 雄(前 特 許 局 長)、 甲 賀 卯吉(大 阪 鉄 工 所. 監査役) 第2回 (秋季 総 会). 1917年. 東京商業学. 会頭挨拶. 10月31日. 校(神 田錦 町 二 丁 目). 議 事:伊 東 祐 忠 講 演:粟 津 清 亮 、江 原素 六(貴. 約100名. 族院議員) 東京地学協. 会頭挨拶. 会(京 橋 区 西 紺 屋 町). 議 事:蒲 生 俊 文 、 伊 東 祐 忠 講 演:古 瀬 安 俊(農 商 務 省 工 場 監 督 官)、長 尾 半 平(鉄 道 院 中 部 鉄 道 管 理 局 長 、 た だ し鉄 道 院 参事 ・田 中代 読)、 長松 篤. 1918年. 4月3日 第3回 (春季 総 会). 不明. 栞、 中 川 彌 吉(日 本 改 良 豆 粕. 株式 会社取締役) 出 所1(2):59-671(9):50-52;2(5):60-61.. 3安. 全第 一協 会 の役員 お よび会 員. 安 全 第一 協 会 は事 業 と して、 い ま 見 た よ う に、 機 関 誌 の発 行 、 講 演 会 の 開催 、 災 害 予 防研 究 委 員 会 に お け る研 究 を 中心 に、 出版 物 の 刊 行 、 災 害 統 計 の作 成 、 展 覧 会 へ の協 賛 な ど を お こ な って いた 。 この 事 業 の 実 施 運 営 は 協 会 の役 員 、 と くに理 事 会 役 員 が 当 た って いた 。 また 、 事 業 の 継 続 は会 員 の 支 援 と賛 同 に よ って 可 能 で あ った 。 そ こで 、次 に 、安 全 第 一 協 会 の役 員 お よ び会 員 につ いて 述 べ て お き た い。 会 則 第5条. に よれ ば 、 役 員 は 会 頭(1名)、. 干 名)、 会 計 監 督(1名)、. 評 議 員(若 干 名)、 理 事(若. 書 記(若 干 名)と な って い る。 しか し、 会 頭 と. 理 事 以 外 の 役 員 は 明 らか で な い。 た だ し、 会 計 監 督 に つ い て は、 総 会 議 事 9.
(10) 近畿大学法学. 第55巻第3号. 速 記 録 に よ れ ば、 理 事 で あ る 伊 東 祐 忠 が 会 計 報 告 を お こな って い る の で (1(9):50-52;2(5):60-61)、. 伊 東 が 会 計 監 督 を兼 務 して い た と考 え られ. る。 協 会 の運 営 は、会 則 第7条. に よ って 「会 頭 及 理 事 ヲ以 テ組 織 」3さ れ た理. 事 会 が担 っ て い たが 、 会 頭 に よ って 指 名 され た理 事 は 、1919年1月1日 在 で 見 る と(3(1):1)、. 大 学 卒 業 年 順 に 、 中 松 盛 雄(1891年. 忠(1894年. 卒)、 小 島 甚 太 郎(1898年. 文(1907年. 卒)の5名. 井 村 が1917年9月25日. 理 事5名. 卒)、 伊 東 祐. 卒)、 井 村 大 吉(1899年. 卒)、 蒲 生 俊. で あ る。 た だ し、理 事 就 任 の 時 期 は 、 中松 、 伊 東 、 、蒲生 が 同年12月7日. 小 島 が工 学 士(東 京 帝 国 大 学)で は東 京 帝 国 大 学)で. 現. で、小 島 は不 明 で あ る。 また 、. あ る他 は 、 す べ て 法学 士(帝. 国大 学 ま た. あ る。. の う ち、 最 も中 心 的 な 存 在 は 蒲生 で あ った。 確 か に、 第1回 総. 会(1917年4月3日)の. 議 事 進 行 役 や 第2回 総 会(同 年10月31日)の. 事業. 報 告 お よ び会 計 報 告 は伊 東 が務 め て い る が4、 第3回 総 会(1918年4月3 日)で は事 業 報 告 を蒲 生 が 、 会 計 報 告 を 伊 東 が 分 担 し、 蒲生 理 事 が筆 頭 理 事 の役 割 を果 たす よ う にな った か らで あ る。 ま た、 機 関 誌 へ の 論 文 の 寄 稿 数 を 比 較 す れ ば、 内 田 と蒲生 が と もに22本 で、 ほ ぼ毎 号 に寄 稿 して い るの に対 し、 中 松1本 、 他 の理 事0本. で、 内 田. と蒲 生 が 群 を 抜 い て い た。 さ らに 、 蒲 生 の もの と推 定 さ れ る論 文 や 雑 文 (「蒲 生 大 愚 」 お よ び蒲 生 の 雅 号 で あ った 「水 月」 や そ の類 似 の筆 名 「水 辺 月 下 翁 」 「水 辺 月 下 郎 」 「水 月 隠 士 」 で 寄 稿 して い る もの)16本. を合 わ せ れ. ば、 蒲 生 の寄 稿 数 は38本 とな り、 他 を 圧 倒 して い た。 蒲生 の理 事 就 任 の 時 期 は、 彼 が 最 年 少 で あ った た め か 遅 れ た が 、 協 会 の 中 で最 も健 筆 を揮 った の は蒲 生 で あ っ た。 理 事 会 を構 成 す る役 員6名(内. 田会 頭 お よび理 事5名)は. 、 それぞれ 自. らの仕 事 を抱 え なが ら、 協 会 の 業 務 に携 わ って い た。 実 際 、 内 田 は逓 信 次 一10一.
(11) 安 全 第 一 協 会 につ い て. 官 、 中松 は弁 護 士 ・弁 理 士 、 伊 東 は 東 洋汽 船 お よ び 沖電 気 の取 締 役 、 小 島 は古 河 鉱 業 、 蒲 生 は 東 京 電 気 で 、 そ れ ぞ れ管 理 職 に就 い て い た。 た だ し、 井 村 につ い て は 不 明 で あ る。 次 に、 理 事 会 役 員 の 経歴 や 人 脈 に つ い て検 討 して み よ う。 まず 、 内 田 は逓 信 省 で 「主 と して海 事 行 政 に携 り」(故 内 田嘉 吉 氏 記 念 事 業 会1937:略. 伝)、 管 船 局 長 な どを経 て、1915年10月 に 台 湾 総 督 府 民 政. 長 官 を辞 め た の ち は、 「病 気 保 養 の為 七 ヶ月 に 渉 り南 北 亜 米 利 加 を 漫 遊 」 (1(1):3)す. るが 、 こ の時 に 米 国 の 安 全 運 動 を 見 聞 し感 銘 を 受 け、 「最 も. 深 く私 〔内 田 〕 の 脳 裡 に留 ま つ た」(1(1):3)の. で あ る。 内 田 は、 帰 国後. の1916年 夏 以 降 、 この安 全 第一・ 主 義 の鼓 吹 に努 め、 同年8月4日. 、東京朝. 日新 聞 紙 上 で 「此 両 三 年 来 亜 米 利 加 で セ ー フチ ー 、フ ア ー ス ト(安 全 第一) とい ふ 言 葉 が 社 会 の あ らゆ る方 面 に使 用 さ れ て居 る 〔…〕 吾 々 は此 際 一 日 も早 く我 国 に安 全 第一 主 義 を鼓 吹 し普 及 して人 力 の許 す 限 り同胞 の生 命 を 安 全 に した い と思 ふ の で あ る」(朝 日新 聞社1990)と. 呼 び か け た。. この 呼 び か け に応 じた の が、 蒲 生 で あ った。 蒲 生 は1914年 に勤 務 先 の東 京 電 気 で 従 業員 が感 電 死 す る事 故 に衝 撃 を受 け、 社 内 に安 全 運 動 を立 ち上 げ て い た。 東 京 電 気 の取 締 役(の. ち社 長)で. あ っ た新 荘 吉 生(安 全 第 一 協. 会特 別会 員)は 、 蒲 生 が取 り組 む社 内 の安 全 運 動 だ け で な く、 安 全 第 一 協 会 の 活動 に 対 して も、 惜 しみ の な い支 援 者 で あ っ た。 そ して、 蒲 生 が 関 心 を寄 せ て い た足 尾 銅 山 の安 全 運 動 で、 「『安 全 第 一 』 と いふ 米 国 の流 行 語 を 紹 介」 した小 島甚 太 郎 が理 事 に就 き、 所 長 の小 田川 全 之 も協 会 を支 援 す る こ とに な る(1(2):10-12)。 こ う した現 場 で安 全 運 動 に従 事 して い た蒲 生 や 小 島 に対 し、伊 東 、中松 、 井 村 は 内 田人 脈 に連 な る理 事 で あ った。 当初 、 筆 頭 理 事 の役 割 を担 って い た伊 東 は、 逓 信 省 に入 省 後 、 高 等 海 員 審判 所 理 事 官 を最 後 に官 を辞 し、1910年 に社 長 の浅 野 総 一 郎 に乞 わ れ 東 洋 一11一.
(12) 近畿大学法学. 第55巻第3号. 汽 船 取 締 役 に就 く(五 十 嵐 栄 吉1987:294;中 安 全 第 一 協 会 発 足 後 の1917年5月. 野 秀雄1964:434)。. ま た、. に は 、 同 じ く浅野 が会 長 を務 め る沖 電 気. に常 務 取 締 役 と して 入 り、 社 長 を 置 か な い 浅野=伊 東 体 制 の下 、 経 営 実 務 を 取 り仕 切 って い た。 こ の た め、 伊 東 は東 洋 汽 船 と沖 電 気 の 経 営 に多 忙 で 、 内 田 の 右 腕 と して 協 会 の 筆頭 理 事 を続 け る余 裕 は乏 しか った と推 測 で き る。 伊 東 に 代 わ って 蒲 生 が 主 役 に就 い た一 因 で あ ろ う。 ち な み に、 内 田 は 逓 信 省 時 代 の 伊 東 の 上 司 に 当 た り、 の ち 沖 電 気 の 顧 問 に 就 任 して い る が 、 伊 東 と内 田 は 官 界 を 離 れ て も親交 を続 け た 間柄 で あ った(日 本 経 営 史 研 究 所1981:98,104-105;日. 本 経 営 史 研 究 所2001:44,52)。. 理 事 最 年 長 の 中 松 は 、 内 田 よ り1年 年 長 で あ る。 内 田 とは大 学 の卒 業 同 期(1891年. 卒)で 、2人. は 「極 め て親 密 な る 友 誼 的 関 係 」(1(2):17)に. あ った だ け で な く、 中 松 は 内 田 の 死 に 際 して 「記 念 事 業 を興 し其 の功 績 を 永 久 に 記 念 せ ん との 計 画 を 発 表、賛 同 を求 め た る」(故 内 田嘉 吉 氏 記 念 事 業 会1937:内. 田嘉 吉 文 庫 設 立 並 に 同文 庫 稀 襯 書 解 題 編 纂 に就 て)ほ ど、2人. は 終 生 に わ た り強 い 信 頼 関 係 で結 ば れ て い た。 しか し、 中 松 は機 関 誌 に1本 寄 稿 す る の み で、 伊 東 や 蒲 生 の よ う に表 立 って 活 躍 した わ け で は な く、 不 思 議 な こ とに、 他 の理 事 とは異 な り、 会 員 名 簿 に 氏 名 が 見 当 た らな い。 中 松 は 農 商務 省 に 入 省 し、 特 許 局 長 官 を最 後 に退 官 した あ と、 安 全 第 一 協 会 発 足 時 に は 、 丸 の 内 に 竣工 して 間 もな い最 新 の オ フ ィス ビル三 菱 第21 号 館 に 中 松 特 許 法 律事 務 所 を構 え て い た。 当 時、 中松 は弁 護 士 ・弁 理 士 業 務 に忙 しか った に 違 い な い が、「友 誼 」か ら安 全 第一 協 会 に 中松 事 務 所 を無 償 で 間 借 り させ て い た と考 え られ る。 そ れ は、 次 の3点 に基 づ く。 第1点 は 、 安 全 第 一 協 会 の 後継 団体 で あ る 日本 安 全 協 会(会 長 は 内 田嘉 吉)の 事 務 所 も三 菱 第21号 館 内 に あ った が、 三 菱 地 所 の社 史 に記 載 さ れ て い る1922 年 当 時 の テ ナ ン トー 覧 に 「中 松盛 雄 」 の 名 は見 当 た る が、 日本 安 全 協 会 あ 一12一.
(13) 安全第一協会について. る い は 内 田嘉 吉 の名 は見 当 た ら な い こ とか ら、 安 全 第 一 協 会 が テ ナ ン トと して 入 って い た可 能 性 は 低 い こ と5(三 菱 地 所 株 式 会 社 社 史 編 纂 室1993: 194)。 第2点. は、 中松 事 務 所 と 日本 安 全 協 会 の事 務 所 の 電 話 番 号 が一 致 す. る こ と(谷 元 二1987:705;機. 関 誌 『安 全 第 一 』 奥 付)。 そ して 、 第3点. は、 安 全 第 一 協 会 の 会 計 報 告 にお い て事 務 所 の 賃 借料 が 計 上 され て い な い こ と(1(9):50-52;2(5):60-61)、. が挙 げ られ る6。. した が って 、 中 松 は会 員 で す らな か った が、 「親 密 」 に して い た 内 田 が 会 頭 を 務 め る安 全 第 一 協 会 に 対 して事 務 所 を融 通 して い た の で あ る。 これ は 日本 安 全 協 会 に な った 後 も変 わ らな か っ た が 、 協 会 に 対 して とい う よ り、 む しろ内 田 個 人 に 対 す る 「友 誼 」 と して続 け て い た の だ と思 わ れ る。 いず れ にせ よ、 中 松 が安 全 第一 協 会 に と って影 な が ら重 要 な役 割 を担 って い た こ とに 変 わ りは な い。 な お、 安 全 第一 協 会 は1917年6月 務 所 を移 転 して い る(1(4):60)が. に三 菱 第26号 館 か ら三 菱 第21号 館 へ 事 、 これ は 中松 事 務 所 の移 転 に伴 う もの. か、 安 全 第一 協 会 が事 務 所 の テ ナ ン ト料 を負 担 で き な くな った た め に移 転 した もの か、 今 の と ころ分 か らな い。 最 後 に、 井 村 は1900年 に農 商 務 省 入 省 の の ち、1916年 に退 官 す る まで 官 庁 勤 め で あ った が(秦 郁 彦2001:181)、. 内 田 が 台 湾 総 督 府 民 政 長 官 時 代、. 井 村 も台 湾 に勤 務 し、 台 北 庁 の庁 長 を務 め、 しか も内 田が 会 長 を 務 め る台 湾 中央 衛 生 会 の 委 員 も兼 務 し て い る の で(「 職 員 録(甲)大 1103,1118,1159)、. 正 三 年 』:. この と き の 内 田 と の繋 が りが 縁 とな っ て、 安 全 第 一 一. 協 会 に参 加 した の で は な いか と思 わ れ る。 た だ 、 退 官 後 の 井 村 は1924年 に 台 湾 日 日新 報 の社 長 に就 いて い るが 、 足 跡 は不 明 な 点 が 多 い。 また 、 協 会 で も特 に 目立 った存 在 で もな か った の で 、 内 田 に可 愛 が られ た 部 下 で あ っ た こ と は想 像 で き るが 、 そ れ 以 上 の 詳 細 は明 らか で な い 。 い ま述 べ て き た理 事 会 役 員 は安 全 運 動 の 先 駆 者 や 内 田 個 人 と極 め て 親 し 一13一.
(14) 近 畿大学法学. 第55巻第3号. い 間柄 に あ った の に対 し、 会 員 は安 全 第 一 協 会 の 趣 旨 に賛 同 し、 財 政 的 に も支 援 す る一 般 の 団体 や個 人 か ら構 成 され て いた 。 と くに、 賛 助 会 員 と特 別 会 員 は、警 視 庁 巡 査 の 初 任 給 が 月 収45円(秦. 郁 彦2001:390)の. 時 代 に、. 会 費 月5円 以 上(賛 助 会 員)や 月1円 以 上(特 別 会 員)を 負 担 で き る経 済 力 と熱 意 を兼 ね 備 え た熱 心 な 支 持 者 で あ った 。 こ の熱 心 な支 持 者 に は、 協 会 の 理 事 会 役 員(内 田 と伊 東 が 賛 助 会 員 、 蒲 生 と井 村 が 特 別 会 員 、小 島 は最 初 正 会 員 で あ った が、の ち特 別 会 員)の 他 、 足 尾 銅 山 を経 営 す る古 河 鉱 業 関 係 者(小 田 川 全 之 、 井 上 公 二)や 東 京 電 気 関 係 者(新. 荘 吉 生 、 伊 東 二 三)、 造 船 ・海 運 業 関 係 者(緒. 明圭造、松本 良. 太 郎 、 佐 伯 俊 太 郎)、 星 製 薬 を興 した星 一 な ど の実 業 家 が い た。 つ いで に いえ ば 、 星 は 、 「親 切 第 一 」 を 自 らの 信 条 と し、 「安 全 第一 の人 生 は全 く進 歩 の な い 、老 人 の 社 会 で あ る」(大 山恵 佐1997:140)と. 安 全第. 一 主 義 を 批 判 す る一 方 で 、 安 全 第 一 協 会 の 賛助 会 員 に 名 を連 ね て い た の は 筋 が 通 らな い が 、 お そ ら く、 この 理 由 は、 星 の 東 京 商 業 学校 時代 の恩 師 で も あ った 内 田 嘉 吉(星. の 在 学 中 、 同 校 講 師 を務 め て い た。)に 対 す る 「親. 切 第 一 」 の 実 践 だ った か らで は な い だ ろ うか。 と こ ろ で、 会 則 第3条. お よ び 第4条. 員 」 「正 会 員 」 「賛助 会 員」 の4種. で は、 会 員 を 「名 誉 会 員 」 「特 別 会. と し、 次 の よ うに定 め て い た(表4、. 参. 照)。 な お、名 誉 会 員 は 会 員 名 簿 に 記 載 が な い た め、存 在 しな か った と思 わ れ る。 機 関 誌 に掲 載 され た会 員 名簿(1917年4月 年7月. 発 行 の第1巻 第1号 か ら1918. 発 行 の 第2巻 第7号 ま で掲 載 、それ 以 降 は不 掲 載 。)を手 が か りに会. 員数 を集 計 す る と、1917年8月. ま で の最 初 の約 半 年 間 は急 増 し、 会 員 数 を. 300台 ま で増 やす が、 そ の 後 は微 増 状 態 が続 き、1918年6月 体 ・個 人(内 訳 は表4、 1917年10月 に2減. 参 照)と. の 時点 で392団. な っ て い る。 ま た、 増 減 に つ い て は、. した他 は、 一 貫 して増 加 状 態 に あ った。 一14一.
(15) 安全第一協会について. 表4会 資. 員. 格. 会. 費. 会員数(注). 名誉会員. 評議員会 ノ決議 ヲ以 テ会頭之 ヲ推薦 ス. 規定 な し. 記載な し. 特 別会員. 安 全第 一 主 義 ヲ実 行 シ特 二 本 会 ノ事 業 ヲ常 助 ス ル者 トス. 年12円 以 上. 42団 体 ・個 人. 正 会員. 安 全第 一 主 義 ヲ実 行 ス ル者 ト 1917年11月16日 ス. 年2円40銭. よ. 327団 体 ・個 人. り 年1円20銭. 賛助 会員. 安 全 第 一 主 義 ノ実 行 ヲ賛 助 ス ル者 トス. 注1918年6月. 現 在(2(7):巻. 一 時 金50円 以 上 の 寄 付 と月5円 以 上. 23団 体 ・個 人. 末)。. と はい え 、期 待 して い た よ うに は会 員 は増 えず 、苦 戦 を 強 い られ て い た。 実 際 、 内 田 は 第1回 総 会 の 席 上、 全 米安 全 評 議 会 の会 員 数 が 「僅 か の 間 に 余 程 増 加 した 」(1(2):64)こ. とを例 に挙 げ て い た が 、 同 じよ うに は行 か. な か った。 また 、協会 の年 間事 業 費 は約3,300円 に過 ぎ ず、 しか も収 入 の ほ とん どを 会 費 お よ び 寄 付 に頼 って い た た め、 会 員 数 の伸 び 悩 み は事 業 の継 続 困 難 に 直 結 して い た(1(9):50-52;2(5):60-61)。. この 状 況 を 打 開. す るの は 、1919年 の 春 か ら初 夏 に か け て 開催 さ れ た災 害 防止 展 覧 会 と安 全 週 間 で あ った。. 4災. 害防止展覧会 と安全週間. 災害 防止 展 覧 会 は 、1919年5月4日. か ら7月10日. まで7文 部 省 東 京 教 育. 博 物 館 に て 開催 さ れ た。 こ の展 覧 会 は東 京 教 育 博 物 館 館 長 の 棚 橋 源 太 郎 が しマ マ . 企 画 し、 安 全 第一 協 会 が 「一 致 共 力 社 会 公 共 の 為 め に尽 痒 」 して 開 催 した もの で、 「安 全 第 一 展 覧 会」 と も呼 ば れ て い た(3(3):48-51)。 この展 覧 会 の入 場 者 は延 べ18万3,605人 に達 し、 当時 、東 京 教 育 博 物 館 で 開 か れ た他 の展 覧 会 と比 較 して も盛 況 で(宮 崎 一15一. 惇1992:112)、. 東京市の.
(16) 近畿大学法学. 第55巻第3号. 人 口約217万 人8の1割. 近 くに も及 ん だ。 これ は、棚 橋 の 企 画 力 、安 全 第 一. 協 会 の協 力 、 会 期 中 に実 施 さ れ た安 全 週 間 の 宣 伝 効 果 、 皇 太 子 の 行 啓 な ど に よ って集 客 効 果 が高 め られ た と考 え られ る。 安 全 第 一 協 会 は、 出 品9や 講 演 な どを通 じて展 覧 会 へ の 協 力 を惜 しまな か った。 そ して、 こ の講 演 に お いて 理 事 の 蒲 生 が 「北 米 合 衆 国 セ ン ト ・ル イ ス の安 全 週 間 運 動 の話 を した」 こ とが 契 機 とな り、 日本 で 最 初 の 安 全週 間 が 開催 さ れ る こ とに な った(蒲 生 俊 文1942:7)。. そ れ は まず 、 「五 月 中. 一 日東 京 教 育 博 物 館 に少 数 の 有 志 者 の 会 合 を 催 して 協 議 」 した結 果、 安 全 週 間 を6月. 中 に東 京 で 挙 行 す る こ とが 申 し合 わ され 、 これ を受 けて5月29. 日 に東 京 教 育 博 物 館 講 演 室 にて 発 起 人 会 を 開 くこ とに な った が、 発 起 人 に は、 安 全 第 一 協 会 の 関 係 者 や 東 京 教 育博 物 館 の棚 橋 館 長 を は じめ 「約 三 百 名 」10が集 ま る ほ どの 社 会 的 関心 の 高 さ を見 せ た。 そ して、 内 田 嘉 吉 を主 催 者 総 代 とす る安 全 週 間 は、 災害 防止 展 覧 会 の会 期 中 の6月15日. か ら6月. 21日 まで 、 東 京 市 とそ の 隣接 町 村 にお いて 挙 行 さ れ る こ とに な った(『 安 全週 間 報告 』:1-11)。 この 時、 戸 別 に配 布 した安 全 週 間 の ビラ 「各 家 庭 軒 別 に配 布 した る注 意 書 」 は 「六 十 六 万 枚」 に 上 り(『安 全 週 間 報 告 』:19)、 東 京 市 と 隣 接 町 村 の世 帯 数 約71万11の ほ ぼ全 世 帯 に行 き渡 った勘 定 に な る。 ま た、 この 時 に決 め られ た安 全 徽 章(バ. ッ ジ)は 菊 模 様 の赤 い輪 郭 に 白. 地 に緑 十 字 の デ ザ イ ンで(『 安 全週 間 報告 』:1,27)、 で あ り(蒲 生 俊 文1942:8)、. 蒲 生 が 発 案 した もの. 現 在 の安 全 旗(横 長 の 長 方 形 の 白地 に緑 十 字. の デ ザ イ ン)の 原 型 とな って い る。 そ して 、 この 安 全 週 間 は、1928年 か ら 全 国安 全 週 間へ と発 展 し、 現 在 ま で続 いて い る。 この よ うに、 災 害 防 止 展 覧 会 も安 全 週 間 も、 安 全 第 一 協 会 が 推 進 す る安 全 運 動 か ら生 ま れ 出 た成 果 で あ っ た。 以 上 の よ うに、 安 全 第 一 協 会 は設 立2年 一16一. 目 に入 って 会 員 数4百 弱 で 低 迷.
(17) 安全第一協会について. して い た が、災 害 防 止 展 覧 会 の 開催 で 多 くの人 々 が 「安 全 」に 関心 を 向 け、 安 全 週 間 の実 施 に よ って東 京 在 住 の多 くの人 々が 「安 全 」 を 意 識 す る き っ か け とな った。 こ れ は、 安 全 第 一 協 会 が 低 迷 す る 中で 、 協 会 の 目的 で あ る 「安 全 第一 主 義 ノ普 及 」(会 則 第1条)が. 設 立3年. 目 に入 り達 成 した 快 挙 で. あ った。 た だ し、 こ の達 成 は、 機 関 誌 『安 全 第 一 』 の 休 刊 を 伴 う もの で あ った。 次 に、 機 関誌 につ い て触 れ て お こ う。. 5機. 関 誌 『安 全 第 一 』. 機 関 誌 『安 全 第 一 』 は安 全 第 一 協 会 が 発 行 した 月 刊 誌 で あ り、 安 全 運 動 を普 及 させ る た め の メ デ ィ アで あ った 。 まず 機 関 誌 の編 輯 兼 発 行 者(発 行 兼 編 輯 者)の 伊 東 信 止 郎 につ い て述 べ た後 、 機 関 誌 の発 行 期 間 の 考 証 と休 刊 後 の 状 況 につ いて 論 じた い。 安 全 第 一 協 会 の 設 立 に際 して 、内 田 は、伊 東 信 止 郎 著 『鉄 道 と安 全 第 一 』 に寄 せ た 「序 」 に お いて 、 安 全 第 一 主 義 が 「就 中 鉄 道 に関 し事 故 防 圧 の 為 顕 著 な る効 果 を 奏 せ り」(伊 東 信 止 郎1917:序2)と. 、 鉄 道 事 故 に対 して. 強 い関 心 を払 って い た。 それ は、1916年11月29日. に青 森 県 で 起 きた 列車 衝. 突 事 故 に よ る 「大 惨 事 」(鶴 見 祐 輔1937:693)に. 起 因 す る。 な ぜ な ら、 当. 時 、 この 事 故 の 最 高 責 任 者 で あ った 鉄 道 院 総 裁 ・後 藤 新 平 が、 この事 故 で 「総 裁 と して の 責 任 を痛 感 して、 進 退 伺 を 出 した 」(鶴 見 祐 輔1937:693) こ と か ら、 逓 信 官 僚 時 代 に 「密 接 な 関 係 を持 つ よ う に な った」(李 武 嘉 也 1987:11)後. 藤 系 官 僚 の 内 田 に と って、 鉄 道事 故 は見 過 ごす こ との で きな. い事 態 で あ っ たか らで あ る。 これ こ そ、 安 全 第 一 協 会 が 最 初 の 事 業 と して 『鉄 道 と安 全 第 一 』 を 発 会 式 直 後 に 出版 した主 た る理 由で あ ろ う。 この 書 の 著 者 ・伊 東 信 止 郎 は 内 田 一17一.
(18) 近畿大学法学. 第55巻第3号. を 「内 田先 生 」 と呼 ん で い る が、 そ れ は 内 田が 資 料 を提 供 し、 伊 東 が 内 田 の談 話 を ま とめ、 内 田 が 内容 を校 閲 したか らだ け で な く、 内 田 の唱 え る安 全 第 一 主 義 に感 銘 を受 け た た め で もあ る。 ま た、 伊 東 は、 著 書 の 「は しが き」 で後 藤 新 平 を 「著 者 の恩 人 」 と断 って い る よ う に、 後 藤 と も繋 が りの あ る人 物 で あ った。 伊 東 信 止 郎 の 経 歴 につ いて は、 管 見 の 限 りで は、1960年 の 第29回 衆 議 院 議 員 選 挙 に立 候 補(宮 城 一 区 、 無 所 属 、 最 下 位 で 落 選)し た 時 の 経 歴 しか 見 当た らな い。 そ れ に よれ ば 、 伊 東 は 当 時75歳 で 、 自 ら語 る 「私 の 経 歴 」 は 、 以 下 の とお りで あ る。. 私 は 明 治 十 八 年 五 月 二 十 一 日、 宮城 県 名 取 郡 岩 沼 町 字 南 館 下 六 十 四 番 地 に 生 れ ま した。 独 学 、 星 亨 、 創 設 の 自由通 信 社 経 済 部 長 に な り、 大 正 初 期 、 安 全 第 一 協 会 を 創 立、 事 故 撲 滅 と労 資調 整運 動 に挺 身 、 昭 和三 年 、 仙 台 に お い て 新東 北五 代 目社長 に な り、 後 、 四 六版 日刊 紙 奥 州 日報 発 刊、 昭和 十 年 よ り終 戦 ま で、 硫 黄 の科 学 処 理 研 究。 昭和 二 十 九年 東 北 電 波学 校 創 立 、 現 会 長 。 公 明選 挙 実 行 連 盟 理 事 長 、 機 関紙 火 曜新 聞主 幹 と して現 在 に至 た る。(宮 城 県 選 挙 管 理 委 員 会1961:52). こ の経 歴 を見 る 限 り、 伊 東 と 内 田 の人 脈 的 繋 が りは判 然 と しな い。 内 田 は1900年 に短 期 間 で あ る が星 亨 逓 信 大 臣 の秘 書 官 を務 め て い た こ とが あ る が、 星 は1901年 に亡 くな って い る の で、 直 接 、 星 を介 して伊 東 と 内 田が 知 り合 った 可 能 性 は低 い。 また 、 「独 学 」 と記 して い る こ と を踏 ま え れ ば、 星 一 と 内 田の 繋 が りの よ う に東 京 商 業 学 校 を 通 じて 生 まれ た こ と も あ りえ な い。 た だ 、 伊 東 が 機 関 誌 『安 全 第 一 』 の 編 輯 兼 発 行 者 に就 いた の は、 内 田が 信 頼 を 寄 せ て いた か らで あ ろ う。 しか し、 自 らの 経 歴 に 「安 全 第 一 協 会 を 一18一.
(19) 安全第一協会について. 創 立 、事 故 撲 滅 と労 資 調整 運 動 に挺 身 」 と書 く伊 東 が 、理 事 で な い にせ よ、 編 輯 兼 発 行 者 で あ る に もか か わ らず 、 協 会 の 会 員 にな って い な い こ とは理 解 しが た い。 理 事 会 の役 員 は 内 田会 頭 お よび 伊 東 祐 忠 理 事 が 賛 助 会 員 、 蒲 生 、 井 村 、 小 島 の三 理 事 が 特 別 会 員(た だ し、 小 島 は 最 初 、 正 会 員 で あ っ た)で 、 中松 理 事 は会 員 で はな か った が 、 事 務 所 の 提 供 を 通 じて 、 協 会 の 経 費 を負 担 して い た。 さ らに、 役 員 以 外 で は 、 「記 者 」 「委 員」 の 肩 書 き を 持 った村 澤 英 助 や 「委 員 」 の 中 島 信 忠 も正 会 員 に な って い た。 加 え て、 伊 東 が 寄 稿 した 論 文 「鉄 道 と安 全 第 一 」 で 「安 全 第一 協 会 に一 刻 も早 く加 盟 す る こ と」(1(1):34)と. 呼 び か けて い る だ け に、 本 人 が 会 員 で な い こ と. は一 層 違 和 感 を 抱 か せ る。 この 点 につ いて 考 え られ る こ とは 、 伊 東 は 会 員 で もな く災害 予 防研 究委 員 会 に も出 席 せ ず 、 安 全 第 一 協 会 との 関 わ りは、 著 書 『鉄 道 と安 全 第一 』 の 刊 行 と機 関 誌 『安 全 第 一 』 の編 輯 兼 発行 者 で あ った こ との み で あ る が、 安 全 第 一 協 会 の 設 立 に初 め か ら参 加 し、 内 田 の 唱 え る安 全第 一 主 義 の信 奉 者 と して、 『鉄 道 と安 全 第 一』 を 執 筆 し出版 した こ と が、 創 設 時 の 重 要 な 節 目 にお い て 協 会 へ の 何 よ りの 貢献 だ った の で な い だ ろ うか。 さて 、 次 に 機 関 誌 の 発 行期 間 と休 刊 後 の状 況 に つ い て の検 討 に移 ろ う。 前 述 した よ うに 、1919年5月. に始 ま った災 害 防止 展 覧 会 お よ び 同年6月. に 実 施 され た 安 全 週 間 は 、協 会 の低 迷 を打 破 し、 協 会 の 目的 を達 成 す る も の に 違 い な か った が、 反 面 で、 蒲 生 が 「一 九 一 七 年 四月 よ り一 九 一 九 年 三 月 迄 『安 全 第 一 』 な る機 関 雑 誌 を発 行 した」(蒲 生 俊 文1930:12)と て い るよ うに 、 機 関誌 『安 全 第一 』 の発 行 は 同年3月. 語っ. を も って途 絶 え る こ. と とな った。 ま た、 蒲 生 が籍 を置 い て い た 内務 省 社 会 局 労 働 部 発 行 のr我 国 二於 ケ ル 産 業 災 害 予 防 ノ概 況 』 に お い て も、 機 関 誌 『安 全 第 一 』 の発 行 期 間 に つ い て、 「大 正 六 年 四 月 創 刊 大 正 八 年 三 月 迄 継 続 」(社 会 局 労 働 部 1928:15)と. 記 され て い る。 一19一.
(20) 近畿大学法学. 第55巻第3号. もっ と も、 最 終 号 に当 た る第3巻 第3号(1919年3月)の. 内容 を見 れ ば. 明 らか な よ う に、 休 刊 あ るい は廃 刊 を 予告 す る記 事 が見 当 た らな い どこ ろ か 、 蒲 生 自身 が 寄 稿 した論 文 「照 明 と安 全 第 一 」 の末 尾 に は 「未 完 」 と記 され 、 巻 末 に は 投 稿 規 定 ま で 載 せ て い る(3(3):11)。. こ れ は、 次 号 の 発. 行 を 予 定 して い た こ とを物 語 って い る。 また 、 協 会 の 活動 に つ い て も、 休 会 で は な く、 継 続 す る こ とが 示 唆 され て い た。 た とえ ば、 最 終 号 に掲 載 さ れ た会 報 で は、 災 害 防 止 展 覧 会 を 予 告 す る と と もに、 「此 時 に 当 りて会 員 諸 君 が 益 々安 全 第 一 主 義 の宣 伝 に 努 力 せ られ 、 入 会 勧 誘 の 機 を 失 せ ざ らん こ とを希 望 致 候 」(3(3):51)と. 告げ. て お り、 翌 月 以 降 も協 会 は存 続 し活 動 を続 け る意 思 の あ る こ とを 示 す もの で あ る。 しか し、 実 際 は、1919年3月. で 発 行 は 中止 とな った 。 そ の 理 由 は 、 財 政. 的 な理 由 も否 定 で き な いが 、 決 定 的 な 理 由 は、 開 催 が 間 近 に迫 って い た 災 害 防止 展 覧 会 の企 画 や準 備 に追 わ れ た こ とや 、 急 遽 、 実 施 が 決 ま った 安 全 週 間 の開 催 準 備 に奔 走 した こ とで 、 協 会 関 係 者 が 多 忙 を 極 め た か らで は な い だ ろ うか 。 つ ま り、3月 以 降 、 実 質 的 に安 全 週 間 が 終 わ るま で の 間 、 安 全 第 一 協 会 の役 員 らは多 忙 を 極 め 、 機 関 誌 の 編 集 お よ び 発 行 に 割 く余 裕 が なか っ た と推 測 され る。 加 え て 、 安 全 週 間 を 機 に安 全 第 一 協 会 と似 た 中央 災 害 防 止 協 会 が設 立 さ れ た こ と で、 安 全 第 一 協 会 の 存 在 意 義 は半 減 して し ま った た め で も あ ろ う。 の ち に 安 全 第 一 協 会 と 中央 災 害 防止 協 会 が 統 合 され る伏 線 が 、 こ の 時 、 出来 上 が って い た とい え る。 そ れ で は、安 全 第 一 協 会 お よび 機 関 誌 『安 全 第 一 』は、そ の後 、 ど うな っ た で あ ろ うか 。 安 全 週 間 が6月21日. に 終 わ った 後 、 災害 防止 展 覧会 も7月10日. に会 期 を. 終 え 、 機 関 誌 『安 全 第 一 』 の 発 行 を は じめ とす る安 全 第一 協 会 の事 業 を再 一20一.
(21) 安 全 第 一 協 会 につ いて. 開 す る こ とは で きた で あ ろ う。 しか し、 機 関 誌 は再 び発 行 され る こ と は な か った。 ま た 、 安 全 第一 協 会 も、 形 式 上 は存 続 して い たが 、 実 質 的 に活 動 を 停 止 して しま った よ うで あ る。 そ れ は、 「安 全 週 間 の 実 施 せ られ た るを 機 と し 〔…〕 新 に 中央 災 害 防 止 協 会 な る もの \創 設 を 見 る に至 」(『安 全週 間報 告 』:104)っ. た か らで あ る。. この 中央 災害 防 止 協 会 は 「内 田 嘉 吉 氏 を 会 長 」(日 本 安 全協 会1923:1) と す る安 全 運 動 団体 で、 「其 〔 安 全 週 間〕 の 関 係 者 並 に豫 て 災 害 防 止 に 関 して特 に 興 味 を有 せ らる る朝 野 の 有 志 四十 名 主 唱 の下 に」(『安 全 週 間 』: 104)設 立 され た が、 そ の後 、 「大 正十 年 十 二 月東 京 市 に安 全 日を実 行 して よ り後 名 称 を 日本 安 全 協 会 と変 更」 し、 大 日本 産 業 報 国会 に統 合 され る ま で 存 続 した と さ れ る(中 央 労 働 災 害 防止 協 会1984b:7)。. ま た、 内 田会 長. の 右 腕 と して 蒲生 が 筆頭 幹 事 で あ る 「専 務 幹 事 」 を務 め て い た(日 本 安 全 協 会1923)。 つ ま り、 安 全 第 一一 一ta会に お い て確 立 した 会 頭 ・内 田 とい わ ゆ る筆 頭 理 事 ・蒲 生 の2人 を 中心 と して運 営 され る内 田=蒲 生 体 制 は、 日本 安 全協 会 に 引 き継 が れ て い た。 した が って、 逆 算 す れ ば、 中央 災 害 防 止 協 会 にお い て も蒲 生 が 中 心 的 な 位 置 を 占 め て い た と考 え るの が 自然 で あ ろ う。 す な わ ち、 中 央 災 害 防止 協 会 は、 安 全 第 一協 会 と は別 組 織 と して 設 立 され た に せ よ 、 内 田=蒲 生 体 制 で運 営 され て い た点 に着 目す れ ば 、 安 全 第 一 協 会 → 中 央 災 害 防止 協 会 → 日 本 安 全 協 会 と い う流 れ は、 基 本 的 に同 一 の 安 全運 動 の 流 れ と して続 い て い た と いえ る。 これ は、協 会 の 目的 や事 業 内容 を見 れ ば、一 層 明 らか にな る。 な ぜ な ら、 そ の 目的 は、 「安 全 第 一 主 義 ノ普 及 」(安 全 第 一 協 会)→ 思 想 の 宣 伝 」(中 央 災 害 防止 協 会)→. 「安 全. 「安 全 思 想 ノ普 及 」(日 本 安 全 協 会). と忠 実 に受 け継 が れ 、 事 業 内容 も、 の ち に追 加 さ れ た安 全 週 間 や安 全 日の 実 施 とい う項 目を 除 け ば、 ほ とん ど変 化 は見 られ な い か らで あ る(表5、 参 照)。 一21一.
(22) 近畿大学法学 表5安. 第55巻第3号. 全 第 一 協 会 、 中 央 災 害 防 止 協 会 、 日本 安全 協 会 の 目 的 お よ び事 業 内容. 安 全第一協会 (会 頭 ・内 田 嘉 吉). 目 的 事 業 内 容 一 安 全 第一 主 義 ノ普 、 安 全 第一 二 関 ス ル 雑 誌 ヲ刊 行 スル コ ト 及 ヲ図 リ社 会 ノ幸 福 ヲ増進 ス ル コ ト 二 、 安 全 第 一 二 関 ス ル 図 書 ヲ出 版 スル コ ト (会 則第 一 条) 三 、 安 全 第 一 二 関 スル 講 演 会 ヲ催 ス コ ト 四、 安 全 第一 二 関 ス ル 活 動 写 真 会 、 幻 燈 会 、 音 楽 会 ヲ催 ス コ ト 五 、 災 害 二関 ス ル統 計 ヲ調 製 スル コ ト 六 、 災 害 予 防 ノ装 置 二 関 スル 研 究 ヲ為 ス コ ト. 七 、 安 全 第一 二 関 ス ル 博 物 館 ヲ設 ク ル コ ト. 中央災害防止協会 (会 長 ・内 田 嘉 吉). 東京市及 其付近 の 一 、 災 害 防止 に関 す る研 究 調 査 災 害 を 防止 して、 二、安全博物館 の建設維持 住民の安 全幸 福を 三 、 安 全 週 間又 は安 全 日の実 施 計 り、 兼 ね て安 全 め 、 全 国 各地 の 災. 四、 災害 防止 に関 す る展 覧 会 の開 催 五 、 災 害 防止 に関 す る 印刷 物 の発 行 六 、 機 関雑 誌 の発 行. 害防止運 動を援助. 七、 災害 防止 に関す る講演会 の開催等. 思 想 の 宣 伝 に力. する. 日本安全協会. 安全思想 ノ普 及 ヲ 一 、 災害 防止 二 関 ス ル研 究 調 査. (会長 ・内 田 嘉 吉). 図 リ災 害 ヲ防 止 シ 以 テ 社 会 ノ幸 福 ヲ 増進スル. 出所. 二 、 安 全 博 物 館 ノ建 設 維 持 三 、 安 全 週 間又 ハ安 全 日ノ実 施 四、 災 害 防止 二関 ス ル展 覧会 ノ開 催 五 、 災害 防止 二 関 ス ル 印刷 物 ノ発 行 六 、 機 関雑 誌 ノ発 行 七 、 災害 防止 二 関 ス ル講 演会 開催 等. 機 関 誌 『安 全 第 一 』 掲載 の 会 則、 『安 全 週 間 報 告 』:104、 機 関誌 『安 全 』掲 載 の会則。. 6戦. 前期安全運動の2つ の流れ. い ま見 た よ う に、 日本 の 安 全 運 動 に は 、1917年 に 始 ま った安 全 第一 協 会 → 中央 災 害 防 止 協 会 → 日本 安 全 協 会 と い う民 間 の 安 全 運 動 の 流 れ が あ っ た。 これ に対 して 、 もう一 つ の 安 全 運 動 の 流 れ が 存 在 した。 つ ま り、1925 一22一.
(23) 安 全 第 一 協 会 につ い て. 年 に設 立 され た 産 業 福 利 協 会 を 起 源 とす る流 れ で あ る。 産 業 福 利 協 会 は 、 内 務 省 社 会 局 の 外 郭 団 体 と して 設 立 され た、 い わ ば官 製 の 安 全 団 体 で あ り、 の ち に産 業 福 利 協 会 は 協 調 会 産 業 福 利 部 に 編 入 され 、 や が て 大 日本 産 業 報 国 会 へ 統 合 され る こ とに な る。 した が って 、 戦 前 期 の 安 全 運動 に は、 これ ら2つ の 流 れ が 存 在 した(図 1、 参 照)。 前 者 は 、 足 尾 銅 山 や 東 京 電 気 で 社 会 か ら孤 立 した 形 で 始 め られ て い た安 全運 動 を 内 田 の 手 腕 で 社 会運 動 の形 に纏 め上 げ た もの で あ り、 一 貫 して 内 田 が 会 頭 ま た は 会 長 と して組 織 を統 括 して い た。 他 方 、 後者 は、 工 場 法 に 淵源 を もち、 内務 省社 会 局 が地 方 の工 場 経 営 者 団体 を全 国 的規 模 で組 織 化 す る意 図 の 下 に 政 府 主 導 で 誕 生 した もの で あ り、 内 務 官 僚 の 河 原 田 稼 吉 (1886-1955年)が. 重 要 な 局 面 で 産 業 福 利 協 会 理 事 長 あ る い は協 調 会 常 務 理. 事 と して組 織 を誘 導 して い た。 双 方 と も、 安 全 運 動 を推 進 す る 団体 と して 共 通 点 は あ った が、 蒲 生 を除 け ば人 脈 的 な繋 が りは薄 か った。 ま た、 前 者 が米 国 の運 動 を模 範 に して い た の に対 し、 後 者 の産 業 福 利 協 会 は英 国 を模 範 に して い た。 こ の違 い は、 前 者 が 「世 の文 明 に避 くべ か ら ざ る現 象 」 と して の 「大 危 険 を未 発 に防 遇 す る」 こ と に狙 いが あ り(安 全 第 一 協 会 趣 旨書)、 「物 質 的 一23一.
(24) 近畿大学法学. 第55巻第3号. 文 明 の 進 歩 よ り生 ず る災 害 を 未 然 に防 ぐ」(内 田嘉 吉1917:3)と. い う文. 明論 的視 点 を も った運 動 で あ るの に対 し、 後 者 は 「工 業 災 害 ノ防 止 、 労 働 衛 生 ノ改 善 及 被 傭 者 ノ福 利 ノ増 進 ヲ図 リ且 労 働 法 規 ノ円 満 ナル 施 行 ヲ助 ク ル」 こ とが 目的 と して謳 わ れ(産 業 福 利 協 会 会 則 第1条)、. 労働運動 の高. 揚 を背 景 に、 安 全 運 動 が 「労 資 の 協 調 」 を 図 るた め の 有 効 な 手 段 と して 位 置 づ け られ た政 治 的 な意 図 を も った 運 動 で あ った た め で あ る(河 原 田 稼吉 1928:5-6)。. したが って 、 これ ら2つ の 安 全 運 動 の 流 れ は大 日本 産 業報 国. 会 へ 統 合 され る まで 合 流 す る こ とな く並 存 して い た。 しか しな が ら、 蒲 生 だ け は双 方 の 流 れ に深 く関 係 し、 安 全運 動 の2つ の 流 れ は、 蒲 生 を 接 点 と して 結 びつ い て い た 正2。 ま た 、 産 業 福 利 協 会 の誕 生 スタ イル. に と って 蒲 生 の 存 在 は極 め て 重 要 で あ った。 双 方 の運 動 の様 式(雑 誌 の形 式 お よ び内 容 、 講 演 会 の 開 催 や 安 全 博 物 館 の設 立 目標 な どの運 動 方 針 等) に お いて 多 くの 共 通 点 が 見 られ るの は 、戦 前 期 の安 全運 動 の原 点 が安 全 第 モ デ ル. ー協 会 にあ り. モ デ ル. 、 そ れ を 原 型 に し て き た こ と に よ る。 蒲 生 は 、 こ の 原 型 を. 作 っ た 人 物 で あ り、 安 全 第 一 協 会 は 、 そ の 誕 生 の 現 場 で あ っ た13。. お わ り に. 「安 全 第 一 」 と い う標 語 を は じめ、 安 全 旗 や 安 全 週 間 な ど、 安 全 第 一 協 会 が わ れ わ れ に残 した遺 産 は少 な くな い。 た だ、 安 全 第 一 協 会 が残 した遺 産 の 中 で 、忘 れ て は な らな い遺 産 が あ る。 そ れ は、 社 会 を編 成 す る新 しい 原理 と して 「安 全」 とい う概 念 を普 及 した こ とで あ る。 た とえ ば 、安 全運 動 が始 ま った1910年 代 に、 事 故 は本 人 の不 注 意 に よ っ て の み起 こ る とい う従 来 の社 会 通 念 は修 正 され、 事 故 が起 き る原 因 を不 注 意 以 外 に 求 め よ う とす る動 き が始 ま った。 そ の結 果 、 不 注 意 を減 らす 努 力 と と もに、 事 故 が発 生 しや す い状 況 を発 見 し、 改 善 して い こ う とす る新 た 一24一.
(25) 安 全 第 一 協 会 につ いて. な 努 力 が 付 け加 わ った 。 災 害 防止 運 動 は、 個 人 の 努 力 の 範 囲 だ け で事 故 を 防 ぐこ とが で きな い 事 態 を 、 ど うす れ ば 回避 で き る か が テ ー マ とな った社 会 運 動 で あ り、1919年 の 災 害 防止 展 覧会 と安 全 週 間 は、 そ の具 体 的 な形 で あ った 。 また 、 事 故 の 因 果 関 係 が、 個 人 の不 注意 → 事 故 の発 生 とい う単 純 な連 鎖 で は な く、 個 人 を 取 り巻 く社 会 環 境 に も依 存 して い る と な れ ば、 そ の結 果 と して 、 責 任 の 問 わ れ 方 に も変 化 が生 じて くる。 さ らに は、 個 人 の不 注 意 が 原 因 で あ る場 合 に お い て も、 原 因 と責 任 の 関係 につ い て の新 しい考 え方 が 生 ま れ て き た。 た とえ ば 、1922年 に 発 表 さ れ た菊 池 寛 の新 聞小 説 「火 華 」 に、 被 災 労 働 者 が 会 社 側 か ら 「機 械 は、 人 間 を傷 け る や う に 出来 て ゐ な い」 の だか ら、 負傷 の 原 因 は 「君 の過 失 」 で あ り 「君 の不 注 意 」 だ と い われ る一 節 が あ る が(菊 池 寛1994:708)、. こ う した 旧 来 型 の責 任 論 は、 当 時 、批 判 の 対 象 と. な り、 勢 い を 失 い つ つ あ った。 実 際、 労 働 災 害 を め ぐる影 響 力 の あ る論 調 の一 つ と して、 当 時、 農 商 務 省 の官 僚 で あ っ た 岡実(安 全 第 一 協 会 の 設 立 総 会 に 出席 し、 機 関誌 に も寄 稿 して い る。)は 、 工 場 の 労 働 災 害 に お い て 「職 工 ノ過 失 二 因 ラサ ル モ ノハ甚 夕稀 ナ リ、 故 二職 工 二 過 失 ア ル ノ故 ヲ以 テ工 業 主 二扶 助 ノ義 務 ナ シ トセハ 職 工 扶 助 ノ法 規 ハ 其 ノ効 果 ノ大 半 ヲ失 」 う と述 べ(岡 実1917:610-611)、. 労 働 者 を雇 う企 業 に労 災 の 責 任 を 負 わ せ. る べ き だ と主 張 し、 これ を実 行 した(堀 口良 一2003)。. す な わ ち、1916年. 9月 に施 行 さ れ た工 場 法 に お け る労 働 災 害 に対 す る補 償(第15条)と (第13条)の. 予防. 規 定 で あ る。. した が って、 安 全 第 一 協 会 は、 意 図 と して は素 朴 に社 会 を よ り安 全 に し よ う と呼 び か け、 協 会 は 「社 会 全 般 の 安 寧 幸 福 を 希 望 し日 々努 力 し」 た に 過 ぎ な い の で あ る が(3(3):41)が. 、 結 果 と して 見 れ ば 、 社 会 で 生 起 す る. 事 故 や災 害 の原 因 と責 任 を め ぐる秩 序 を 再 編 す る こ とを 促 した とい え る。 一25一.
(26) 近畿大学法学. 第55巻第3号. あ る い は、 安 全 第 一 協 会 は 、 この 再 編 の 流 れ を 逸 早 く察 知 して 動 い た か ら こそ 、 安 全 第 一 協 会 の 活 動 が 社 会 に 受 け 入 れ られ た と もい え るだ ろ う14。 そ して 、 こ う した 「安 全 」 とい う新 しい概 念 を 社 会 が受 け 入 れ る の に効 果 を 発 揮 した の が 、 当 時 、 普 及 しつ つ あ った統 計 で あ る。 丁 度 、 顕 微 鏡 の 発 明 が病 気 の 原 因 で あ る細 菌 の発 見 に繋 が った よ うに、 統 計 とい う新 しい 道 具 が、 事 故 は 個 人 的 な原 因(不 注 意)だ. け で起 こる の で は な く、 社 会 的. な原 因 も関与 して い る こ とを世 間 に悟 らせ る の に役 立 った の で あ る。 機 関 誌 『安 全 第一 』 に掲 載 さ れ た諸 統 計 や事 故 彙 報 は、 事 故 が個 人 的 な事 情 で 生 起 す る例 外 的 で個 別 的 な現 象 で は な く、 個 人 を超 え た と こ ろ で生 起 す る 一 般 的 で社 会 的 な現 象 と して遍 在 す る こ と を人 々 に実 感 させ た ので あ る。 た だ し、 こ う した 「安 全 」 と い う概 念 の 下 に再 編 され た社 会 の 新 しい枠 組 み の 成 立 は、 「安 全 」 が 最 早 、 個 人 で対 処 可 能 な事 柄 で な い以 上 、 個 人 の生 活 や行 動 の領 域 に 「安 全 」 と い う名 目で 社 会 や 国 家 が 干 渉 す る 口実 を 与 え た こ と も見 逃 して はな らな い。 今 や 私 的 な 領 域 と は個 人 が 単 独 で 決 定 す る公 的 で な い領 域 を 意 味 す るの で はな く、 個 人 と社 会 が 共 同 決 定 す る領 域 を 意 味 す る よ う にな った。 この 「安 全 」 に よ って 再 編 され た 新 しい 社 会 を 「安 全 社 会」 と呼 ぶ な ら ば 、 安 全 社 会 は 社 会 の 不 幸 を 少 しで も減 らそ う と努 力 す る 「福祉 社 会 」 で あ る反 面、 全 員 が 幸 福 で あ る こ とが 望 ま れ る社 会 で あ り、 強 い て い え ば、 パ タ ナ リズム. 幸 福 を 強 要 され る社 会 で あ る とい う点 に着 目す れ ば、 私 的領 域 へ の過 干 渉 な 「管理 社 会」 で もあ る。 つ ま り、 安 全 社 会 の成 立 は、 福 祉 社 会=管 理 社 会 の誕 生 を告 げ る もの で あ った。 実 際、 労 働 災害 を減 らす安 全 運 動 は、 職 場 の健 康 診 断 や労 務 管 理 と不 可 分 で あ り、 「『安 全 第一 』 は単 に鉄 道 や、 鉱 山 や、 工 場 や、 道 路 ば か りの問 題 に局 限 され る もの で は な い。 もつ と此 の主 義 を お し拡 げ て、 教 育 お よ び 家 庭 、 そ の ほ か 一 般 の 衛 生 に も当嵌 め て、 応 用 した い 」(内 田嘉 吉1917: 一26一.
(27) 安全第一協会について. 100)と. 内 田が 述 べ て い る よ うに、 安 全 の 射 程 は 工 場 、 道 路 、 学 校 、 家 庭. な ど にお け る安 全 、 健 康 、 衛 生 な ど、 私 的 な 領域 を 含 む もの で あ った。 内 田 が優 生 学 に 興 味 を示 し、 日本 民 族 衛 生 学 会 の評 議 員 に 名 を連 ね て い る (日本 民 族 衛 生 学 会1931:98)の. も必 然 的 な 成 り行 きで あ る。. 「安 全 第 一 を 守 らざ る 人 は 愛 国 者 に あ らず」 と警 告 が 発 せ られ た の は戦 前 で あ るが(2(9):48)、. 「国民 の一 人一 人 が そ の生 活 の あ らゆ る面 に お い. て 施設 や 行動 の安 全 に つ い て反 省 を加 え、 そ の安 全 確 保 に留 意 し、 これ を 習 慣 化 す る気運 を 高 め」 る こ とが求 め られ(1960年. に 閣議 了解 さ れ創 設 さ. れ た 「国民 安 全 の 日」 の趣 旨、 全 日本 産 業 安 全 連 合 会1963:248)、. また、. 車 の座 席 ベル ト(シ ー トベ ル ト)の 着 用義 務 化 が実 施15さ れ た の は戦 後 の こ とで あ る。 安 全 第 一 協 会 が残 した遺 産 と して注 意 を払 わ な けれ ば な らな いの は、 安 全 第 一 協 会 が 「安 全 」 な社 会 を築 い た こ とで あ る よ りは、 む しろ 「安 全 」 に よ って社 会 の再 編 を促 した こ とで あ る。. 注 1機. 関 誌 『安 全第 一 』 の存 在 に つ い て は、 す で に指 摘 が あ った 。 た とえ ば 、 全. 日本 産 業 安 全 連 合 会(の. ち 中 央 労 働 災 害 防 止 協 会 に 吸 収)が 編 集 ・発 行 した. 『安 全 運 動 の あ ゆ み』(1963年)に. 、1917年 に 「内 田嘉 吉 氏 は 蒲 生 俊 文氏 と相 は. か り、 『安 全 第 一 協 会 』 を設 立 して、 機 関 誌 『安 全 第一 』 を 発 行 した 」(全 日本 産 業 安 全 連 合 会1963:8)と. い う記述 や 、 中 央 労 働 災 害 防 止 協 会 が編 集 ・発 行. した 『日本 の安 全 衛 生 運 動一50年 運 動 史一. の 回 顧 と展 望 』(1971年)お. 労 働 保 護 か ら快 適 職 場 へ の 七 〇 年 』(1984年)に. よ び 『安 全 衛 生. は 、 同 じ文 面 で 、. 「安 全 第 一 協 会 は 、講 演 会 の開 催 と機 関 誌 『安 全 第 一 』 の 発 行 を通 じて、 安 全 第 一 主 義 の普 及 に 入 った 」(中 央 労 働 災 害 防 止 協 会1971:48;中 央労働災 害防止 協 会1984a:42)と. い う記述 が あ る。. しか しな が ら、 これ らの 文 献 に お い て実 際 に機 関 誌 『安 全 第 一』 を 参照 した 形 跡 は 見 られ ず 、『日本 の安 全 衛 生 運 動 』 お よ び 『安 全 衛 生 運 動 史 』 に 「安 全 第 一 協 会 の 機 関 誌 『安 全 第 一 』」 と注 記 して 掲 載 して い る写 真 は 、い ず れ も内 田嘉 吉 著 の 単 行 本 『安 全 第 一 』(丁 未 出 版 社 、1917年)で. あ り、 機 関 誌 『安 全 第 一』. で はな い。 さ ら に、 機 関 誌 『安 全 第 一 』 は国 会 図 書 館 に も中央 労 働 災害 防lk協 一27一.
(28) 近 畿大学法学. 第55巻第3号. 会 の安 全衛 生 情 報 セ ンタ ー 図書 資料 室 に あ る 「蒲 生 文 庫 」(蒲生 俊 文 の 所 蔵 資 料 が寄 贈 さ れ た もの)に. もな く、 他 の 図 書 館 に も所 蔵 され て い な い 極 め て 貴 重 な. 史料 で あ るに もか か わ らず 、 そ の 所 在 が わ か らな か った が 、 先 頃 、 所 在 が わ か り、 『安 全第 一 協 会機 関 誌 『安 全 第 一 』 復 刻 版 』(全4巻 2007年)と 2た. ・別 冊1、 不 二 出 版 、. して復 刻 刊 行 さ れ た。. とえ ば、 内 田 が 唱 え る 「 安 全 第 一 主 義 」 を載 せ た1916年8月4日. 付 けの. 『東 京 朝 日新 聞』 の 記 事 に お い て、 内 田 は次 の よ うに 安 全 第一 主 義 を 「鼓 吹」 し た(朝. 日新 聞社1990)。. ● 安 全 第 一 主 義=人. 道 の為鼓 吹. 此 両三年 来亜米 利加 でセー フチー、 フ. ア ー ス ト(安 全 第 一)と いふ 言 葉 が 社 会 の あ ら ゆ る方 面 に使 用 され て 居 る、 安 全 第 一 と い ふ の は 読 ん で字 の 如 く何 事 も安 全 が 第 一 で あ る とい ふ 意 味 で、 試 み に乗 合 自動 車 や電 車 に 乗 つ て 見 る と最 も人 の 眼 を 曳 き さ うな 慮 に セ ー フ チ ー、 フ ア ー ス トと大 書 して其 下 に電 車 の 止 ま らぬ 前 に 降 りて は い け な い と か 自動 車 の止 ま らぬ 前 に戸 を 開 けて は な らぬ とか ▲ 種 々 な 注意 書. が して あ る、 市 俄 古 の或 製鉄 工 場 で は職 工 の 安 全 に 関 し. て は マ ツ チ の箱 で も鉛 筆 で も苛 く も眼 に 入 る もの に は 注 意 を 喚 起 す るや う に セ ー フ チ ー、 フ ア ー ス トと い ふ字 が書 か れ其 他 鉄 道 、 火 災 衛 生 等 の 災 害 を予 防 す る為 め に少 か らぬ努 力 を 費 し政 府 は労 働 省 に 労 働 安 全 局 を 設 置 す る し民 間 で は安 全 第一 協 会 と い ふ や うな 団体 を 設 け て セ ー フチ ー、 フア ー ス トの普 及 に努 め て居 る、 而 して是 等 安 全 第一 を 主 張 す る人 々は 子 供 時 代 に此 思 想 を普 及 せ しむ る に如 くはな い と云 ふ 考 へ か ら ▲ お伽 噺 に書 き. 綴 つ た り或 ひ は安 全 第一 隊 とい ふ 隊 を 組 織 せ しめ て 其 隊. 員 は他 の子 供 の危 険 を避 け しめ る の一 方 往 来 の邪 魔 に な らぬ や うに 世 話 を や いて や る と いふ 風 に なつ て非 常 に好 成 績 を挙 げ て 居 る、 凡 そ 世 の 中 に 何 が 安 全 だ と云 つ て注 意 深 い人 程 安 全 な もの は な い の で あ るか ら之 さへ 心掛 けて 居 つ た ら年 々多 数 の死 亡 者 中少 くと も過 失 に よ りて 死 ぬ者 は ズ ツ と減 少 す る訳 で あ る、 大 正 二 年 の統 計 に よ る と 日本 で 種 々 の災 害 の為 に 死 亡 し た 者 一 万 五 千 六 百 余 人 あ るが 此 中 六 千 二 百 三 十 二 人 は ▲ 過 失 か ら来 て. 居 る ので あつ て過 失 の如 何 に恐 る べ く して安 全 第一 とい. ふ 事 の 如 何 に必 要 欠 くべ か らざ る もの で あ る か は 明 か に知 る事 が 出 来 る の で あ る、 人 知 益 進 ん で 機 械 を用 う る事 烈 し くな る に連 れ て 不慮 の災 禍 は 不 注 意 の 人 に よ りて 幾 度 か 惹 起 さ れ る に違 ひ な い、 是 れ 人道 上 及 び経 済 上 の 大 問 題 で あ る、 吾 々 は此 際 一 日 も早 く我 国 に安 全 第一 主 義 を鼓 吹 し普 及 し て 人 力 の 許 す 限 り同胞 の生 命 を安 全 に した い と思 ふ の で あ る(内 田嘉 吉氏 談) ま た、 この 記 事 を は じめ 、 「内 田 嘉 吉 氏 が、 一 九 一 六 年 合 衆 国 よ り 帰 りて SafetyFirstの 宣 伝 を 開始 した」(蒲 生 俊 文1930:12)こ 一 協 会 設 立 へ と繋 が る 。. 一28一. とが 、 そ の後 の 安 全 第.
関連したドキュメント
その限りで同時に︑安全配慮義務の履行としては単に使
分だけ自動車の安全設計についても厳格性︑確実性の追究と実用化が進んでいる︒車対人の事故では︑衝突すれば当
□公害防止管理者(都):都民の健康と安全を確保する環境に関する条例第105条に基づき、規則で定める工場の区分に従い規則で定め
非常用ガス処理系 プレフィルタ ガラス繊維 難燃性 HEPA フィルタ ガラス繊維 難燃性 高圧炉心注水ポンプ室空調機 給気フィルタ 不織布 難燃性
添付資料1 火災の影響軽減のための系統分離対策について 添付資料2 3時間耐火壁及び隔壁等の耐久試験について 添付資料3
水素を内包する設備を設置する場所 水素検出方法 直流 125V 蓄電池室 水素濃度検知器を設置 直流 250V・直流 125V(常用)・直流
原子炉建屋 高圧炉心注水系ポンプ 原子炉区域・タービン区域送排風機 原子炉建屋 残留熱除去系ポンプ 原子炉区域・タービン区域送排風機
□公害防止管理者(都):都民の健康と安全を確保する環境に関する条例第105条に基づき、規則で定める工場の区分に従い規則で定め