性格(上)
著者
河原 昌一郎
雑誌名
農林水産政策研究
号
8
ページ
1-31
発行年
2005-03-25
URL
http://doi.org/10.34444/00000094
Copyright (C) 農林水産省 農林水産政策研究所1
おける農村金融の展開と農村信用社の組織的性格(上)
河 原 昌一郎
性格 〔以上本号,以下次号に掲載〕 5。改革解放後の農村金融(1978∼1995年) (1)農家生産請負制の導入と農村経済の発展 (2)農村金融組織の動向 (3)改革解放後の農村金融と農村信用社の組織的 性格 6.現在の農村金融 (1)農村金融体制の改革 (2)農村金融組織の現状 (3)現在の農村金融の構造 7.農村信用社の組織と今後の方向 (1)農村信用社の組織的性格の変遷の整理 (2)農村信用社の組織改革に向けた取組 (3)農村信用社の課題と制約要因 (4)今後の方向 8.おわりに(本稿のまとめ) 要 旨 論 文中国に
1。はじめに(本稿の課題と構成) (1)課題意識 (2)農村信用社に関する研究の現状 (3)課題の設定,研究方法,本稿の構成 2.共産革命前中国の農村金融(∼1948年) (1)革命前中国の農村金融をめぐる状況 (2)山東省郡平県の事例 (3)郡平県の事例から見た農村金融と農村信用社 3.土地改革・農業合作化期の農村金融(1949∼1957 年) (1)新中国成立後の中国農村 (2)土地改革期の農村金融 (3)農業合作化期の農村金融と農村信用社の組織 的性格 4.人民公社期の農村金融(1958∼1977年) (1)人民公社の成立と特徴 (2)人民公社信用部(1958∼1961年) (3)農村信用社としての再編(1962年以降) (4)人民公社期の農村金融と農村信用社の組織的 中国の農村信用社は,農村金融の基礎として積極的な役割を果たすことが期待されながら,協同 組合組織への移行が十分に進まず,期待されたような機能を果たせていない。 本稿は,こうした状況の下で,農村金融の展開の中で農村信用社の組織的性格を解明し,協同組 合組織への移行がなぜ進まないのかという問題の検討に資するとともに,今後の農村信用社の方向 を探ったものである。 革命前中国にも政策的に設立された農村信用社があったが,一定の階層性を有し,金融機関とし ては未熟で小規模なものであった。新中国で農村信用社が全国的に設立されたのは農業合作化期の ことである。この当時の農村信用社は,各郷に1つ設立するという形式面が優先され,協同組合組 織としての実態はなく,集団有の組織として集団によって管理されていた。人民公社期には,農村 信用社の組織は人民銀行の農村基層組織と集団有の組織との二重性を有するものとされる。改革開 放後,組織の二重性を解消するための「上からの改革」が実施されるが,このことによって集団の 関与が強まり,郷鎮企業への融資等の集団内金融の弊害が顕著となって,農村信用社の経営が悪化 する。このため, 1996年の農村金融体制改革後,農村信用社の協同組合組織への移行が積極的に図 られることとなったが,現在でも歴史的に形成された組織的性格を十分に脱却したとは言えない。 原稿受理日2005年1月6日.農村信用社の協同組合組織への移行が進まないのは,主として,以上のような農村信用社の組織 的性格の歴史的変遷過程とともに生じることとなった課題ないし制約要因によるものである。こう した制約の中で,現在では,農村信用社の組織的性格に新しい変化をもたらすような動きが見られ るようになっており,農村信用社は地域金融機関化という方向に向かって進みつつある。 1
はじめに(本稿の課題と構成)
(1)課題意識 農業および農村経済の健全な発展のために,農 村金融(1)が重要な役割を果たすであろうことは論 をまたない。現在の中国農村では,農家生産請負 制(2)の下で,極めて多数の農家が,一般的に零細 な農業経営を行っており,農村金融が適切になさ れることは,農家経済の安定や農業生産の拡大を 図るうえで不可欠のものと考えられる。 しかしながら,中国の農村金融の現状は,その ような期待に十分に応えたものとはなっていない。 農村信用社(3)が農家の資金需要に応じて的確に融 資する体制がとれていないこともあって,農家の 資金穀は相変わらず深刻であり,高利の民間貸付 による弊害は依然として多い。 中国の農村金融組織で,従来から最も重要な地 位を占めているのは農村信用社である。農村信用 社は,現在の中国農村では,農業銀行が商業銀行 化されたことから,ほぼ唯一のいわば公認の農村 金融組織となっている。したがって,中国の農村 金融の課題は,その多くが農村信用社の課題でも ある。 農村信用社は, 1996年の農村金融体制改革で, 農村金融体制の基礎として位置付けられ,農村金 融で積極的な役割を果たせるよう合作性の回復す なわち協同組合組織への移行が図られることと なった。ところが,協同組合組織への移行は,歴 史的に形成された問題を含め,種々の困難があっ たことから,現在でも十分に進んでおらず,期待 されたような役割も果たせていない。 協同組合組織への移行がなぜ進まないのかとい う問題を検討するためには,当然のことながら, その前提として,協同組合組織への移行が図られ る以前の農村信用社の組織的性格はどのようなも のであったのかということが十分に解明されねば ならない。一方で,そのような解明を通じて,協 同組合組織への移行が十分に進まない理由も明ら かとなってくるであろう。 中国で農村信用社が最初に設立されたのは民国 期の1920年代のことであり,現在までおよそ80 年の歴史を有している。その間,新中国の成立, 人民公社の設立等,大きな画期となる出来事は あったものの,農村信用社が中国農村で全く途絶 してしまったことはない。したがって,農村信用 社の組織的性格の十分な解明のためには, 1920年 代の草創期にまでさかのぼる必要があろう。 本稿では,以上のような観点から, 1920年代の 草創期から時代区分を追いつつ,農村金融の展開 の中で農村信用社の組織的性格を解明し,協同組 合組織への移行がなぜ進まないのかという問題の 検討に資するとともに,今後の農村信用社の方向 を探ることを課題意識としている。 (2)農村信用社に関する研究の現状 農村信用社については,これまで,その時どき の政策的要請に応じつつ,そのあり方についての 研究がなされてきた。 たとえば, 1995年には農業部農村経済研究中心 課題組によって,農業銀行と農村信用社の関係の 調整をどのように行い,農村信用社の経営管理は どのようになされるべきなのかという研究が行わ れた(4)。続いて, 1997年には農村信用社の経営類 型と資金運用の特徴等に関する分析が行われてい る(5)。また,最近では,農村信用社の管理を省級 政府に移管することが適当なのではないかという 研究がなされるようになっている(6)。 ただし,これらの研究はいずれも,農村信用社 をめぐる当面の課題に対応するための政策的提言 を行うことが主たる目的とされたものである。し たがって,農村信用社の組織的性格やその課題に ついての研究は十分になされていない。 一方,我が国では,事例研究を中心として農村 信用社の制度,機能等についての研究がなされ, その観点からの成果を上げてきた。たとえば,菅沼〔22〕においては,北京市順義 県の事例によって, 1980年代後半の農村信用社の 組織,機能,信用事業の動向等の実態が正確に分 析されている。同じく1980年代後半のものであ るが,小野〔17〕では,江蘇省無錫県の事例によっ て,農村信用社の営業,機能等についての分析が なされるとともに,農業銀行と農村信用社の事業 の一体性および矛盾についての指摘があり,注目 される。また,朴紅・坂下〔4〕は,黒竜江省に おける農業銀行および農村信用社についての資金 の調達・運用構造等を分析し,多額の不良債権の 存在が農業銀行および農村信用社の資金運用の制 約要因となっている実態を明らかにしている(7)。 ただし,これらの事例研究は,主として農村信 用社の現実の機能等を解明することに主眼が置か れており,農村信用社の組織的性格や,それに伴 う課題といった観点からの研究はやはり不十分で ある。また,農村信用社の組織的性格は,農村金 融構造,経済金融政策等の農村金融をめぐる情勢 によって制約され,または影響を受けることから, 農村信用社の組織的性格を明らかにするためには, 農村金融の展開状況に即しつつ検討することが不 可欠であるが,上記事例研究ではもとよりこのよ うな観点はない。たとえば,農村信用社が基本的 に国家の資金吸収機関として位置付けられている ときと,同一の郷村内の集団企業への融資機関と して機能しているときとでは,同じ農村信用社で あっても必然的にその組織のあり方も異なること となる。そして,このようにして形成された組織 の現実が規定要因となって現在の農村信用社の組 織的性格に影響を及ぼすこととなるのであるが, こうした観点からの研究はこれまでなされていな し八。 このように,我が国では,中国の農村信用社に ついて,農村金融をめぐる情勢の中で農村信用社 を位置づけ,歴史的経緯も踏まえつつ組織的性格 を明らかにするというような研究がこれまで行わ れてこなかったため,農村信用社の組織的性格や その課題があいまいなままで十分に明らかにされ ないままとなっている。 3) 1) 課題の設定,研究方法,本稿の構成 課題の設定 3 以上のような課題意識と農村信用社に関する研 究の現状を踏まえ,本橋における課題を次のよう に設定する。 ア 中国農村金融展開過程の中での農村信用社の 組織的性格を明らかにすること。 イ アによって明らかとなった農村信用社の組織 的性格を踏まえ,その課題と今後の方向を検討 すること。 2)研究方法 ア 時代区分 中国の農村金融をめぐる情勢は,時代によって 大きく変化しているため,本稿では次のとおりの 時代区分を行い,それぞれの時代区分ごとに農村 金融の展開過程の中での農村信用社の組織的性格 を検討する。 O 共産革命前( ∼1948年) ii)土地改革・農業合作化期(1949∼1957年) iii) 人民公社期(1958∼1977年) iv)改革開放後(1978∼1995年) V)現在(1996年∼ ) 上記の時代区分は,中国の政治経済の時代区分 と基本的に同じである。中国農村金融の制度面, 実態面等の変化は,上記時代区分とほぼ軌を一に しているので,上記時代区分ごとに検討を行うこ ととして不都合はない。なお,「現在」を1996年 以降としているのは,現在の中国の農村金融は, 1996年の農村金融体制改革によって形作られる こととなったという事実を踏まえたものである。 イ 農村金融展開と農村信用社の組織的性格 農村金融をめぐる情勢およびそれによって形成 される農村金融の構造は,一般的に農村信用社の 組織的性格に対する規定要因となるものと考えら れる。したがって,農村信用社の組織的性格を検 討するためには,あらかじめ農村金融の構造が明 らかとされねばならない。そこで,本稿では,上 記時代区分ごとに,農村金融情勢をまず整理,把 握し,農村金融構造の解明に努めることとする。 その際には,農村金融の構造の中での農村信用 社の位置付け,役割ができるだけ明確にとらえら れるよう①資金源と資金の流出入および②金融の 性格を明らかにすることとし,その上で農村信用 社の組織的性格の分析を行う。 ウ 対象地域
中国は一般的に地域差が大きいため,農村金融 の構造や農村信用社の役割においても地域によっ て相当の差異があるものと考えられる。 また,資料の制約も大きいことから,中国全土 を対象として研究を進めることは現実的に困難で ある。 そこで,本稿では,新中国成立後(上記時代区 分では,土地改革・農業合作化期以降)における 研究を,主として北京市農村(郊内,郊外を含め た北京市内の農村)における状況に基づいて行う。 これは, ① 北京市農村は約50万haの農地を有し,農 業が積極的に振興されている地域であること。 ② 首都近郊という地理的要因から,上記時代 区分に応じた政治経済的変動の影響を直接に 受けており,上記時代区分ごとの農村金融の 特徴が,最も典型的な形で発現しているもの と考えられること。 ③ 農村金融に関する資料が比較的整っている こと。 という理由によるものである。 なお,共産革命前については,利用できる北京 市農村の資料もないことから,農村金融について の地域的取組の経緯がまとめられた山東省郡平県 における報告書(「郡平農村金融工作実験報告」) を基にして研究を行うこととした。 したがって,本稿の研究結果は,そのまま直ち に全国的に適用されるというような性格のもので はなく,あくまで上記のような地域性を有したも のである。 3)本稿の構成 前述のとおり,本稿では上記時代区分ごとに農 村信用社の組織的性格等を分析し,その結果を踏 まえて農村信用社の組織面での課題と今後の方向 を検討することとしており,次のとおりの構成と している。 1.はじめに(本稿の課題と構成) 2.共産革命前中国の農村金融( ∼1948年) 3.土地改革・農業合作化期の農村金融(1949 ∼1957年) 4.人民公社期の農村金融(1958∼1977年) 5.改革開放後の農村金融(1978∼1995年) 6.現在の農村金融(1996年∼ ) 7。 8. 農村信用社の組織と今後の方向 おわりに(本橋のまとめ) 注(1)本稿で農村金融とは,農村内で行われる農業金融,商 工業金融,消費者金融等の各種の金融を指し,必ずしも 農業金融に限らない。なお,農業金融は,農業経営また は生産に関する資金の融通の意味で用いることとする。 (2)中国農村の農地は,農村集団(一般的には村)の所 有とされているため,各農家は農村集団から農地の農 業生産を請け負うという方式がとられている。 (3)正式には農村信用合作社であるが,一般的には農村 信用社と呼ばれることが多いので,本稿では「農村信用 社」とした。 (4)農業部農村経済研究中心課題組(1994)「農村信用社 体制改革研究」(農業部軟科学委員会か公室編〔16〕所 収,42∼54ページ)。 (5)郭建軍(1998)「農村信用社的経営模式与行為分析」 (宋洪速等著〔21〕所収, 210∼2Zアページ)。 (6)雷春柱〔13〕。 (7)このほか,斉文波〔19〕では古林省の農村信用合作連 合社の事例研究が,また,玩蔚(a)〕では農村信用社の 組織の現状についての分析がなされている。
2。共産革命前中国の農村金融
( ∼1948年)
(1)革命前中国の農村金融をめぐる状況 1)当時の中国農村の一般的情勢 革命前中国の農村は,一般的に極めて貧困であ り,また特定の者に土地所有が集中するという状 況が普遍的に存在していた。 特定の者への土地の集中については,辛亥革命 後に,かつて清朝の宮田または旗地(1)であった大 量の土地が,徐々に地主または農民の土地となり, また,不断に土地の質人,分散,兼併,集中が繰 り返されたことによって,有力な官僚,軍閥,地 主の手中に土地が集中されることとなった。土地 改革前の1照)年代の中国の土地占有の一般的状 況は,農村戸数の5%前後の地主が耕地の40∼ 50%を占め,農村戸数の3∼5%の富農が耕地の 15∼a)%を占めており,一方で農村戸数の約 90%に及ぶ貧農,雇農,中農等(2)は全部合わせて も耕地のa)∼40%を占めるにすぎなかった(3)。 1SO年に河北省情苑県(当時)で行われた調 査(4)によれば,農家の生活費に占める飲食費の比 率は調査農家500戸の平均で 2%に及んでおり,しかもそのうちの90%は食糧の支出に充てられ, 調味料,副食品等への支出はごくわずかなもので あった。同調査では,地主,富農,中農,貧農, 雇農(5)に分けて集計が行われているが,地主でも 同比率は63.4%,富農では76.6%となり,当時の 中国農村においては地主,富農といえどもその豊 かさはかなり限定的なものであったと考えられる。 この当時,農村で2ヵ月以上の蓄えがある農家 はごくまれであり,一年を通じて食物等の消費物 資を安定的には確保できず,ときどき食物,薪に 事欠く状況に陥る農家が多数であった。このため, 借金,借糧等は,農村の経済生活では一般的なも のであった。 南京政府実業部中央農業実験所193年「農情報 告」によれば,全国22省8a)余県の農家の負債 状況は第1表のとおりである。借金をしている農 家の比率が,県によっては最高で79%にも達して おり,最低でも41%である。これらの農家が,ど のようなところから借金をしていたかについては, 次に検討する。 2)農村金融の状況 中国農村では,古代から各種の形態での金貸業 が営まれていたが,中国の伝統的な農村金融には 次のような特徴があったとされる(6)。 ① 商品経済の発展が緩慢で自給自足経済が中 心であったため,貨幣経済の発達が不十分で 実物貸借が多かったこと。 ② 金融施設の多くが備蓄倉庫等の救荒ないし 災害救援の性格を有するものであったため, 金融制度として発達しなかったこと。 ③ 金融活動が,高利貸(7)の性質を有するもの であったこと。 ④ 高利貸に対抗するために合会(8)を主要な形 式とする民間信用組織が各地の農村に普及し ていたこと。 中国で,政府の提唱・支持等の下に,農村金融 を行う現代的な要素をもった金融機関の整備が始 まったのは1920年代のことである。この当時は 数多くの金融機関が設立されたが,このうち「華 洋義賑会」は, 1925∼1934年の10年間に河北, 安徽,江西,湖北等の省で27.6万元の農業貸付を 行っている(9)。次いで, 1936年には農業金融主管 機関である「農本局」が成立し,農業貸付業務と して合作金庫業務,農業倉庫業務等を実施した。 「農本局」の資本金は3,600万元であり, 1936∼ 1940年の間に1,300万元の農業貸付を行った(1o)。 これと同時に,商業銀行においても農業貸付が 行われるようになり,上海商業貯蓄銀行,交通銀 行,金城銀行,浙江興業銀行,中国農民銀行,四 行貯蓄会,中南銀行,大陸銀行,国華銀行,新華 銀行の10行は中華農業合作貸付銀行団を構成し た。 1930年代の中期までに,これらの各商業銀行 は農村に7,000万元以上の農業貸付を行ったもの と推定されている(11)。なお,商業銀行による農業 貸付も,「農本局」と同様に,主として農村信用社, 農業倉庫等を通じて行われている。 農村信用社は, 1920年代の半ばから1SO年代 にかけて,中国農村で急速に普及した農村金融機 関の形態である。上記の「華洋義賑会」が, 1923 年に河北省で組織した「香河県第一信用社」が中 国で最初の農村信用社と言われる。その後,わず かな期間で全国の農村で設立されるようになり, 1935年には,全国で26,224の各種合作社が設立さ れていたが,そのうち農村信用社が凪8%を占め た(12)o ただし,現実の農村での農家の借入においては, 農村信用社からの借入が必ずしも大きな比率を占 めるようになっていたわけではない。南京政府実 業部中央農業実験所「農情報告」で1S4年4月 1日に発表された農家の借入先別金額の内訳は第 2表のとおりである。同表で明らかなとおり,農 村信用社からの借入金額は全体の2.6%を占める に過ぎず,近代的金融機関としての銀行を含めて も5%にしかならない。一方で地主,富農からの 第1表 農民の負債状況(1933年・全国22省&)O余県) 最 高 最 低 平 均 借金具家数の総長家数に占める比率 借糧 ク 79% 56% 41% 33% 56% 48% 資料:侯建新〔10, 250ページ〕. 5
第2表 農家の借入先別金額内訳(1934年・調査地域総計22省850県) 銀行…2.4% 質屋(典当)…8% 商店…13.1% 富農… 4% 資料:侯建新〔10, 258ページ〕. 借入の比率は高く,両者を合わせると40%以上に なる。このことは,人間関係や個人的信用に基づ く金貸しがこの当時においても主流であったこと を示唆するものである。また,銭荘(後述),商 店等の貸金業者の比率が相当なものになっている ことも,この当時の特徴として注目される。 それでは,この当時において,農村信用社は農 村金融でどのような役割を果たしていたのであろ うか。また,銀行や貸金業者の役割はどのように 位置付けられるであろうか。本稿では原則として 北京市またはその周辺での動きを中心として中国 農村金融の考察を進めることとしているが,この 当時については適切な資料がないため,ここでは 北京市からはやや離れるが山東省郡平県での事例 を基に検討することとしたい。 (2)山東省都平県の事例 1)都平報告 山東省郡平県では,山東郷村建設研究院によっ て,各種の実験的な農村金融政策が実施され,中 華民国24年(1935年)に,それについての報告 書が「郡平農村金融工作実験報告」(以下「郡平 報告」という。)としてまとめられ,印刷出版(13) されている。以下では,郡平報告の記述内容に基 づいて,郡平県の金融状況等を概観した上で,郡 平県での農村金融政策で政策的な金融機関として 位置付けられている郡平県農村金融流通処,郡平 農村信用合作社および郡平荘倉合作社のそれぞれ について,組織,社員資格,貸付条件等を見てお くこととしたい。 2)都平県の農業・金融概況 郡平報告によれば,民国24年(1935年)当時,郡 平県の人口は約15万人で,土地は約6千頃(4 万ha。 1頃は6.67ha。)であった。郡平県は,山東 省中部のやや北寄りにあり,北には黄河が流れ, 南には19(延年に開通し膠州湾青島市と済南を結 合作社…2.6% 銭荘…5.5% 地主…24.2% 商人…25% ぶ膠済鉄道が走っている。北緯36度53分,東経 117度44分に位置し,年平均気温はi3t:, 1月平 均気温−3℃,7月平均気温26.8t;,年間降水量 680mmで,気候は温暖でやや寡雨である(14)。この 地域ではかつてから小麦,高梁,綿花,落花生等 が生産されていた(15)が,当時は農業以外にこれと いった産業もなく農村は貧困であった。山東郷村 建設研究院は,郡平県で実験的に各種の合作運動 に取り組むこととし,民国a)年(1931年)から 綿花販売,造林等の合作化に関する各種の事業を 開始している。これらの合作事業のうち,綿花販 売では特に大きな成果があったものとされ,民国 25年(1936年)に綿花販売合作社に加入してい る者は3,632人,加入綿花面積は3万8,S49畝(約 2,590ha。 1畝は6.67a。)に及んだという(16)。なお, 北京市農村ほどではないが,郡平県も交通の発達 によって都市の影響㈲を受けるようになってお り,都市近郊農村としての性格を帯びつつあった と考えられる。 郡平県の金融は,農村のため都市におけるほど 複雑ではないが,前述のとおり都市の影響を受け るようになっていたため,銀行等の金融機関が発 行した多種類の紙幣も流通するようになっていた。 郡平県で商会に登録された商店は,銭荘を含め て, 274家ある。これらの商店のほとんどが雑兼 業で,規模はごく零細な個人商店であり,そのう ちの7∼8割が家庭副業を行っている。 銭荘は,金貸し,預り金,両替等の業務を主と しているが,食糧備蓄や麻糸販売等を兼業してお り,商店は雑貨販売を主とするが銭荘業務も兼営 している。 銭荘の組織は,普通,店主1人,番頭1人,小 僧数人,丁稚若干人といった程度で,基本的には 家族経営である。 銭荘の金融業務の主要なものは,農村での高利 貸付であり,収入は大きい。その次は両替業務で
ある。かつては紙幣の発行が銭荘の主要業務で あったが,倒産する銭荘も多く,紙幣の信用力が 落ちたため,全県的に整理がなされた。民国15年 間で全県で500家以上の銭荘が紙幣を発行し, 300 家以上が倒産している。ただし,この時点で,ま だ紙幣を発行している銭荘,商店が41家あり,発 行紙幣額の最高は1,100元,最低は5元となって いる。 このように,郡平県の農村金融の主体は従来は 銭荘,商店であり,これらによってなされる農民 への高利での貸付および紙幣発行に伴う金融の混 乱は,郡平県で実施された金融施策の直接の改善 目的とされていたものである。 3)郡平県農村金融流通処 ア 設立の経緯 郡平県農村金融流通処(以下「金融流通処」と いう。)は,山東郷村建設研究院の下部組織として 民国22年(1933年)8月に設立された。当初は, 徴収した租税の管理,清算等の県金庫としての業 務のみにとどまっていたが,郡平県における各種 合作事業の進展,資金需要の増大等の状況に対応 して,民国23年(1934年)10月に銀行制度を採 用した組織の整備,金融事業の実施を主たる内容 とする事業の拡充等が行われた。このため,郡平 県政府は3年間で10万元の資金を用意すること とし,初年度は3万元が充てられた。これに民国 22年(1933年)の利益金1,702.76元を併せて,初 年度の資金規模は31,702.76元である。 イ 設立の趣旨 「修正農村金融流通処簡章」第1条には,「本県 は,農村金融の調整,農村利率の軽減,本県建設 事業の推進を行うために農村金融流通処を設立す る。」と規定されており,金融流通処が公的な政策 金融機関として設立されたものであることが明記 されている。 また,郡平報告では,金融流通処設立の意義は, 狭義には,都市資金を吸収すること,農村金融を 調整すること,各種合作に資金援助すること,一 切の建設を推進することであるとされているが, 「都市資金を吸収すること」がまず指摘されてい ることから見ても,農村建設の推進のために農村 資金だけではなく都市資金も利用することが必要 であると認識されていたことが窺える。設立の広 7 義の意義として,農村資金の不足の緩和,高利貸 付の減少等が挙げられているが,これなども都市 資金を活用しながら農村での低利貸付を実現しよ うとするものであり,同様の趣旨のものと考えら れる。 ウ 性質および業務 金融流通処の性質は,農民銀行,商業銀行およ び県金庫の3種の性質を併せ有するものとされ, 根本的主旨は公益を重視して非営利なところにあ るとされる。農民銀行として信用合作社または農 家に低利の信用貸付を行い,商業銀行として預金, 両替業務等を行い,県金庫として県の財政資金を 管理するというものである。 業務は,「修正農村金融流通処簡章」第4条の規 定によれば,①各種貯金および貯蓄の受入,②農 村での各種貸付,③本県各機関各団体の基金およ び財産の保管,④農産物売買後の清算,⑤農産物 に関係した約束手形および証券の取扱,⑥倉庫事 業の経営,⑦金銭授受の代理,⑧その他董事会が 議決した金融業の8つである。 これらの業務のうち,農村貸付業務が金融流通 処の最も基幹的な業務であるが,金融流通処の行 う農村貸付には信用合作社貸付,荘倉合作社貸付 および特種貸付の3種類がある。この信用合作社 貸付および荘倉合作社貸付に関する業務を通じて, 信用合作社および荘倉合作社の設立,運営等に関 する指導とともに,必要な融資がなされる。特種 貸付は,農産物価格の低落等によって,農家経済 が困窮したときに実施される負債整理資金の貸付 である。 4)郡平農村信用合作社 郡平農村信用合作社は,社員無限責任制,小区 域制を採用していることから第1図に示すように 規模が小さい。したがって,資金力も十分でない ことから,貸付資金は金融流通処からの融資に依 存している。郡平農村信用合作社の組織,金融流 通処の融資方法等は次のとおりである。 ア 組織・社員 O組織 …原則として10人以上a)人以下の社員により 構成する。 …社員の推薦により,正理事1人,副理事兼会 計1人,監事3人を置く。
ii)社員の資格 …正当な職業および資産を持っており,不正な 嗜好がない者 …1株(2元)以上の株を有すること。ただし, 5株を超えることができない。 …所在地の荘(18)または当該荘から3里(1.5km) を超えない範囲の住民で,土地3畝以上を有 する者 iiD社員の権利 …信用合作社から社員借入限度額の範囲内で融 資を受けること。 …貸付の決定を行う全体会議に出席して議決権 を行使すること。 iv)義務・責任 …合作社の債務について無限責任を負う。 …社員は,他の合作社の社員となることはでき ない。 V)区域 …おおむね荘を範囲とする小区域制。ただし, 連合経営を行うことができる。 イ 金融流通処の融資 金融流通処の融資は各信用合作社に対してなさ 第1図 郡平信用合作社の組織 注.著者作成. 貸付用途 ①肥料・種子の購買 ②耕具・家畜等の購買 ③借地料・賃金等の支払い ④旧債務の整理 資料:郡平報告による. れ,金融流通処から直接に信用合作社の社員にな されるわけではない。また,貸付限度額,資金使 途等の制約がある。金融流通処から信用合作社へ の貸付条件は次のとおりである。 O貸付限度額 …貸付限度額は社員1人ごとのものと信用合作 社1社ごとのものとを設ける。 …各社の限度額は,社員1人ごとの限度額に社 員の人数を乗じた額を斟酌して定める。 …設立当初は1社員当たり30元,1社当たり 500元以下とする。 ii)利率 …償還期間によって月利1分から1分5厘。 iiD貸付用途・償還期間 貸付用途は原則として第3表に掲げるもの に限定されており,それぞれの償還期間は同 表のとおりである。貸付は短∼中期で,農業 生産に関するものが中心となっている。 iv)貸付手続き等 …各社員の要求を各信用合作社でまとめ,社と して借受けの申請を行う。 …返済は社員全員による無限連帯責任である。 ウ 信用合作社設立等の状況 民国24年(1935年)現在の郡平県における信 用合作社の設立状況は第4表のとおりである。農 村金融処の設立からわずか1年ほどで,25の信用 合作社が設立されているが,25社全部を合わせて も社員はJ70人にとどまっており,1社当たりの 規模は小さい。 5)郡平荘倉合作社 荘倉合作社は農業倉庫を基礎とした組織である。 地元の住民から食糧を納入させて備蓄し,飢饉等 に備えることを主要な目的としているが,備蓄さ れた食糧を元にして貸付を行い,農村金融機関と しての役割も有している。郡平荘倉合作社の組織, 社員の権利義務等は次のとおりである。 第3表 貸付用途期間 償還期間 1年以内。 3年以内。ただし,毎年利息,元本の1/3を返還。 10ヵ月以内。 3年以内。ただし,毎年利息,元本の1/3を返還。
第4表 郡平農村信用合作社設立状況(1935年(民国24年)現在) 設立された信用合作社 社員 資本金 金融流通処からの融資 資料:郡平報告による。 ア 設立目的 ① 穀物を備蓄して飢饉に備えること。 ② 貯蓄により富をつくること。 ③ 信用の基礎を立てること。 ④ 食糧価格を平準化して極端な安値や高値で 農民が損をしないようにすること。 ⑤ 農村の食糧需給を調節すること。 イ 組織 …原則として各荘ごとに設立。 …土地所有戸は原則として全戸加入。 …各戸の家長による選挙で管理委員を選出。荘 長は当然に管理委員となる。管理委員は3∼ 5人。推薦によって委員長を決める。 ウ 社員の権利義務 i)権利 …荘倉から備蓄食糧(当該社員が納入した数量 または価額)の10分の7の範囲内で金銭また は食糧を借り受けることができる。利率は月 利1分6厘で統一。借受けには他の社員2人 以上の返還保証人を立てることが必要。 …管理委員の選挙に参加。 ii)義務・責任 …納入した糧石だけに係る有限責任。 …毎年,1畝当たり5升の食糧を倉庫に納入す ること。 エ 金融流通処からの融資 荘倉合作社は,備蓄食糧を担保として金融流通 処から融資を受け,当該資金を社員に転貸するこ とができる。金融流通処の荘倉合作社への貸付条 件は次のとおりである。 i)貸付限度額 …備蓄食糧の現在価額総額の10分の7. ii)利率 …月利1分2厘以内。 iiD償還期間 …1年以内。 オ 荘倉合作社設立の状況 25社 J70人(1社平均‥・皿8人) 1,006元(1社平均…砥24元) 6,170元(1社平均…246.8元) 民国24年(1935年)現在の郡平県における荘 倉合作社の設立状況は147社,社員数は9,465人で ある。 (3)郡平県の事例から見た農村金融と農村信 用社 1)農村金融の構造 ア 資金源と資金の流出入 郡平県における農村金融の構造を郡平報告の記 述をもとに作成すれば第2図のとおりとなる。 農村信用社または荘倉合作社から農家への貸付 資金は,預金等の業務によって得た自己資金では なく,金融流通処からの貸付金を主たる資金源と している。そこで,郡平県における農村金融の資 金の流出入を見るためには,金融流通処が行う貸 付金の資金源は何かを見ておく必要があろう。 第5表は,金融流通処の民国23年度(1933年 度)の貸借対照表である。これによれば,同年度 の貸付総額は48,774元であり,そのうち農村信用 社への貸付は5,870元,荘倉合作社は1,000元であ る。信用合作社および荘倉合作社は設立が始まっ たばかりであり,金額が少ないのもこうした事情 を反映していると考えられるが,農民への直接貸 付が22,904元,商店(銭荘)への貸付が16,600元 と両者で貸付総額の約8割を占めていることは注 目に値する。このことは,農村信用社および荘倉 合作社の存在および政府の積極的な支援にかかわ らず, (1)の2)で述べたように,個人的信用 等を基にした従来型の融資が大きな役割を果たし 続ける中国農村金融の実情を示したものである。 これらの貸付金の資金源が負債の部に掲げられ た各項の資金である。このうち,「資金」は,前 述したとおり,県政府の出資によるものであり, 3年間で10万元に拡充することが予定されてい る。「特別預金」(県倉庫等による預金),「臨時預 金」(款産会等による預金)および「往来預金」は, いずれも公的機関等による預金で公金としての色 9
「−一一一一一一 ! 各銀行 l − 一 一 ①各信用合作社の貸付限度額の範囲内で融資,月利は1分∼1分5厘 ②備蓄食糧を担保として,その価額の10分の7以内で融資,月利は1分2厘以内 ④貸付 ③農村金融流通処に余裕資金があるときに臨時的に貸付 ⑤社員一人ごとの貸付限度額の範囲内で貸付 ⑥出資・加入 ⑦納入食糧の10分の7の範囲内で貸付。月利は1分6厘 ⑧食糧納入・加入 ⑨⑩貸付 ⑩⑩預金 注(1) (2) 第2図 郡平県における農村金融の構造 矢印の太さは,資金量の相対的な大小を反映させたもの. 郡平報告をもとに筆者作成. 彩が強く,特に「往来預金」は金融流通処が県金 庫としての性格も持つことから県政府等の資金を 預かっているものであり,いずれ県政府等によっ て支出されるべきものである。従って,貸付金の 原資として問題なく使用し得るのは「資金」と 「定期預金」ということになるが,定期預金は 2,059元とごくわずかである。したがって,貸付 金の主たる資金源は県政府の出資による「資金」 であり,郡平県において金融流通処によって実施 される農村金融の資金源は,実質的に政府出資金 ということができる。 以上から,郡平県の金融流通処を中心とした農 − − − − 村金融は,政府資金を使うことによって,結果と して農外資金を農村に導入するものとなっており, 農村から農外への資金の流出は見られない。また, 金融流通処はまさに農業農村振興のための組織と なっており,農村資金を吸い上げて他産業振興の ために転用するということが意図されたものでな いことも明らかであろう。このことは,新中国に なって,後ほど述べるように,農村信用社が農村 資金の吸収機関として機能したこととは対照的な ものとなっており,政府の農業農村政策に対する 観点の相違を表すものとなっている。 なお,農村資金の流出入について,郡平県の主
第5表 貸借対照表(金融流通処 民国23年度(1934年度)) 単位:元 借 方 科 目 貸 方 48,774 (5,870) (1,000) (2,400) (22,904) (16,600) 28,130 1邱3 10,983 4,000 負債の部 資金 定期預金 特別預金 臨時預金 往来預金 荘倉証券 未払利息 前期損益 その他 資産の部 貸付 (信用合作杜) (荘倉合作杜) (荘倉) (農民) (商店) 外部預金 未収利息 現金 その他 30,000 2,059 1,292 8,869 43,903 2,400 54 1,702 3,168 93,451 計 93,451 資料:郡平報告による. 注.各欄の合計が計欄の数値と一致しないのは,元未満の単位を切捨て ていることによる. たる経済主体である商店(銭荘)は,自己資金を 他産業や他地域での事業に用いたり,都市の銀行 等に余裕金は預金したりしていたものと考えられ ることから,郡平県全体として見れば,農村金融 流通処の設置にかかわらず,県外への資金の流出 は依然として続いていたものと考えられる。 イ 金融の性格 郡平報告によれば,郡平県の産業は農業と商店 (銭荘)が行っている商業以外には見るべきもの はなく,商店(銭荘)もほとんどが零細な個人経 営であった。この零細な商店(銭荘)が郡平県の 農村金融の主体であったが,前述したように,郡 平県でも金融機関が発行する紙幣の他に商店(銭 荘)が個別に貨幣を発行していたため金融が混乱 し,加えて,商店(銭荘)が行う融資は高利(19)な ものであったため,農業の発展のためには新たな 農業金融制度が必要とされていた。 農村信用社および荘倉合作社はそうした状況に 対応するために政府の指導,支援の下に設立され たものであるが,それぞれが対象とする農家層, 11 目的等は全く異なっている。 農村信用社は,土地3畝以上を有する者に社員 資格が限定されていることから明らかなように, 上層農家を対象とし,貸付も主として農業生産に 関するものとされ,郡平県での農業振興を主たる 目的としたものとなっている。農村信用社の行う 上層農家への融資はまさに農業金融としての性格 を有するものと言ってよいであろう。 他方,荘倉合作社は,一般の土地所有農家を対 象とし,土地所有農家が没落して無産化しないよ うにすることを主たる目的としている。このこと は,もともと荘倉合作社が農業倉庫を基礎とし, 穀物を備蓄して飢饉に備え,農家の生活の安定を 図ることを本来の目的としていることからも首肯 されるであろう。このため,荘倉合作社が農家に 行う貸付は,農業生産資金というよりも,多くは 農家の生活に必要な資金の貸付であると考えられ る。信用合作社の行う貸付の金利が月利1分∼1 分5厘であるのに対し,荘倉合作社の行う貸付の 金利が月利1分6厘と高いのも,生活資金の貸付
リスクの高さを反映したものであろう。したがっ て,荘倉合作社の行う貸付は,基本的に消費者金 融③)として性格付けられるものである。 2)農村信用社の組織的性格 ア 協同組合組織 郡平県の農村信用社は,郡平報告によれば,地 域の農業振興という目的をもって,ライファイゼ ンの信用組合をモデルとして,政策的な支援を受 けつつ設立されることとなったものである。なお, ライファイゼン型の組合では,信用事業のほかに 販売,購買,利用等の事業を兼営する組合が多 い(21)が,郡平県の農村信用社では他事業の兼営は 見られない。これは,郡平県では,本章(2)の 2)で述べた綿花販売合作社の例で見られるよう に,購買,販売等の事業については信用事業より も先行して合作化か進められたこと等も一因と なったためと考えられる。一般的に,協同組合の 特徴としては,その満たすべき要件として,①小 規模の事業者または消費者の相互扶助を目的とす るものであること,②任意設立であること,③組 合員の加入脱退が自由であること,④議決権およ び選挙権は出資口数にかかわらず1組合員1票で あること,⑤剰余金の配当は組合事業の利用分量 に応ずることを原則とし,出資額に応じて配当す るときは限度があること,⑥特定の政党のための 利用の禁止等が挙げられている(22)。郡平県の農 村信用社をこの要件に照らしてみた場合,剰余金 に関する取扱が明確でないものの,おおむねこれ らの要件を満たしており,協同組合組織としての 性格を有するものであったと見てよいであろう。 ただし,次に述べるように,その実質は小規模 なものにとどまっており,金融機関としても未熟 なものであった。 i)小規模・個別・限定性 郡平県の農村信用社は,無限責任制,小区域制 を採用していることから規模が小さい。区域はお おむね荘またはその周辺に限られており,また, 社員資格に資産保有上の限定があることから社員 の数も少ない。 こうした小規模性を補完するものとして,連合 経営形式も可能とされているが,金融流通処から の貸付はそれぞれの信用合作社ごとに行われるも のとされており,また,設立後間がなく他の農村 信用社の信用力も明確となっていないためか連合 経営形式は現実のものとはなっていない。すなわ ち,それぞれの農村信用社が金融流通処に直結し た個別の存在であり,いまだ系統組織としての発 展は見られない。 また,無限責任制,小区域制という方式は,社 員同士が互いの資産・事業の状況を熟知し,各自 の事業に必要な資金の融通を受けるような場合に は適しているが,社員数の増加や規模の拡大には 向いていない。このため,約15万人の県で,信用 合作社の社員がJ70人にとどまるなど,組織や活 動の範囲が限定的なものとなっている。この当時 の農村信用社は多数の農民を社員ないし組合員と する農民一般のための組織とはまだなっていない のである。 ii)金融機関としての未熟性 郡平県の農村信用社は,社員の出資で集まった 資金を信用の基礎として金融流通処から融資を受 け,これを社員に転貸している。すなわち,社員 は,実質的には農村信用社の信用で金融流通処か ら融資を受けているのであって,農村信用社は金 融機関というよりも信用保証機関としての役割を 果たしていることとなる。 また,民国24年(1935年)現在,郡平県の農 村信用社の出資総額は1,006元であるが,金融流 通処からは6,170元の貸付を受けている。このよ うに,農村信用社は,預金業務も行うことはでき るものの,金融流通処から出資額の約6倍の貸付 を受け,必要資金のほとんどを金融流通処に依存 している。貯金・貸付等の業務を自立して行うに は組織,資金面等でまだまだ未発達であり,行政 への依存性が極めて高く,金融機関としては未熟 なものであったと言わざるを得ない。 イ 階層性 郡平農村信用合作社の行う貸付の資金使途は原 則として農業生産に係るものに限られ,また,郡 平県では比較的経営規模の大きい上層農家への貸 付が想定されている。これら上層農家は,もちろ ん郡平県における主たる農業の担い手であり,経 営の健全化とともに新しい農業技術の導入等に よって農業発展に積極的に寄与することが期待さ れている。金融流通処が行う信用合作社への低利 融資は,これら上層農家が必要とする資金の円滑
な供給を確保しようとするものである。すなわち, 農村信用社は,金融流通処の資金を受け入れる受 け皿であり,かつ,上層農家への資金供給機関で もあって,自主的な協同組合として設立されてい るものの,農業振興という政策実施のために必要 な公共的組織としての性格を有している。 一方で,荘倉合作社は,土地所有戸は全戸加入 が原則とされるなど,より公共的色彩の強い組織 であるが,信用合作社とは設立目的や対象とする 農家層が異なっていることは前述のとおりである。 農村信用社と荘倉合作社とを別組織にしたのは, ①地主・富裕層(上層農家)と他の農家との大き な貧富の差,②大多数の農民の信用力のなさ,③ 生活資金を必要とする農民の一般的存在等の事情 によるものと考えられるが,やはり上層農家と他 の一般農家との信用力の格差が最も大きな要因で あろう。郡平県の農村信用社はライファイゼンの 信用組合をモデルとしているため無限責任制と なっているが,無限責任制の場合には互いに信用 力についての十分な信頼がなければ組合員とはな れない。中国農村の実情からすれば,信用力に乏 しい一般の土地所有戸の没落を防止するために, 有限責任制の別組織が必要とされたのである。な お,荘倉合作社ないし農業倉庫は,当時の中国で はかなり普及した組織であって,必ずしも郡平県 特有のものではない(23)。 以上のように,郡平県では,農村信用社は農業 振興のための積極的な役割を果たし,一方で荘倉 合作社は一般農家のセーフティネットとしての役 割を果たすことによって,これらが互いに相補い ながら農村の発展・安定に寄与することが期待さ れていたのである。 3)共産革命後への影響 1935年当時,本章(1)の2)で述べたとおり, 全国で26,224の各種合作社のうち農村信用社が 58.8%を占めていたが,これら農村信用社の成立 要因ないし背景としては,主に①災害救援の必要 によるもの,②匪賊討伐の善後策としての必要に よるもの,③衰弱没落した農村の救済の必要によ るものの3つに分類される㈱。「華洋義賑会」が 水害干ばつ災害区域に組織した農村信用社は,こ のうち①に該当するものであり,②および③に該 当する農村信用社は各省の農村合作委員会等に 13 よって組織されている。山東省郡平県の農村信用 社は,③に該当する面もあるが,これまでの説明 で明らかなように,農村振興というもっと積極的 な内容を有している。 また,この当時,「農村改良運動」が各地で展 開されていたが,理想や目的は様々であり,いく つかの流れに分かれていた。たとえば,郡平県の 郷村建設運動は,「社会秩序の維持または再建」を 出発動機とし,「郷村文化の第三の道の開拓」を終 極目的とし,「観念的倫理の現実化」を哲学の中心 とし,「民衆の訓練および組織」を主要手段として いたという。一方で,「華洋義賑会」が指導する農 村合作運動は,「大経営の優越」という観点から小 生産者の「自動的結合」を出発動機とし,「農村 経済の社会化的発展」を終極目的とし,ユートピ ア的社会主義を理論中心とし,「農民の合作組織 の普及」が基本手段であったという(25)。 このように,郡平県の事例は,必ずしも普遍性 を有するものではなく,これをもってこの時期の 農村信用社の一般的な状況とすることはもちろん できない。 ただし,郡平県で見られた,①農村信用社が農 民一般の組織ではなく信用力を有する一部の者の ためのものにとどまっていたこと,②一般農家の 没落の防止のためには別の合作組織が必要と考え られていたこと,③こうした合作組織の存在にか かわらず個人的人間関係に基づいた伝統的融資が 広範に存在していたという事情は,第2表でも見 られたとおり,全国的な趨勢であったと考えられ るのである。 郡平県の農村信用社および荘倉合作社のその後 については記録がない。この後,中国では,相次 ぐ戦乱の後に共産革命によって新しい体制に移行 する。新中国となって後,土地改革等の各種の農 村政策が実施されるが,農村の習慣や慣行がすぐ に変わるものでもなく,農村金融についても伝統 的融資の広範な存在等,革命前の状況を引きずり ながら施策が展開されることとなる。この意味で, 農村信用社の性格等は大きく変化するものの,革 命前の農村金融施策の経験が新中国となって後も 一定の影響を与えていたものと考えられるのであ る。
注(1)清朝時代には満州貴族および八旗兵がほしいままに 大量の土地を囲い込み,また土地を所有する農民も八 旗兵の土地とすることによって保護を求めることが多 かったという(北京市編〔,3, 205ページD。 (2)ここでの富農,中農等には,明確な定義がなされてい るわけではない。ただし,「湖南省農民運動視察報告」 (1927年3月毛沢東)において,長沙での調査結果とし て,農村人口のうち,貧農…70%(赤貧…20%,次貧 …50%),中農…20%,地主・富農…10%と記述されて おり,また,以下のような分類の定義がなされている。 「赤貧」…全く財産(土地および金銭)を持たない者。 生活の根拠を持たず,人に雇われるか,乞食になるしか ない者。「次貧」…わずかな財産しか持たない者。収入 が少なく,1年中苦労と心配がある。手工業労働者,小 作農(富裕なものを除0,半自作農等。「中農」…金 銭,飯米に余裕があるわけではないが,たりないほどで もなく,毎年,衣食住に事欠かぬ者。「富農」…金銭 的に余裕があり,飯米に余剰がある者。 (3)方向新〔6,3ページ〕。 (4)侯建新[10, 191および訃↓ページ)。 (5)同調査における農家分類の概念は次のとおりである (侯建新〔10, 65ページD。なお,この概念は土地改 革時に一般的に用いられたものとは一致していない。 地主…完全に田畑の貸出による収入だけで生活して いる者,または雇人の労働だけで経営をしてい る者。 富農…長期雇人が1人以上いる者。 中農…雇人はなく,また雇われてもいない者(短期の 労働者を雇う者を含む)。 貧農…自らの土地を耕作するとともに短期労働者と して雇われている者(耕作地は10畝以下で,そ の他収入がないか副業収入も多くない者)。 雇農…長期雇人として雇われている者(長期雇人に1 人がなっていても,家に自らの土地を耕作して いる者が2,3人いれば貧農に分類される)。 (6)周志祥編著〔,36, 67ページ〕。 (7)理論的には高利貸は資本から生み出される全剰余だ けでは返済できない利子率での貸付をいう(農業金融の 高利貸的性格については,近藤康男責任編集〔12, 212 ページDが,中国の文献では一般的に農民の生活を脅 かすほどの高金利での貸出という意味で使われている ようである。 (8)隋代から始まったものとされ,親戚友人を主要な対 象とし,信用で貸し出す互助的性格の組織である。老 入会(長寿保険基金),橋会(橋修理基金)等のように 一定の目的で資金を集めて貸付資金とするものなど各 種のものがあった(周志祥編著〔毘66ページD。 剛 周志祥編著〔36, 68ページ〕。 剛 剛に同じ。 剛 侯建新〔10, 256ページ〕。 (端 剛に同じ。 嶮 編集者は山東郷村建設研究院,発行所は山東(郡平) 郷村建設研究院出版係である。 腫 陳龍飛主編(1994)『中華人民共和国地名詞典一山 東省』325ページ。 回 郡平報告では,これらの食糧が荘倉合作社への納入 の対象とされていたことが記載されている。 田 章有義編〔29,第三巻叩6ページ〕。 ㈲ 郡平報告では,膠済線沿線の周村鎮が郡平県の隣接 都市として経済的に大きな影響があったとされている。 (図 郷の下の地区で,おおよそ集落程度のもの。 旧 たとえば,民国23年(1934年)11月の市中金利は 月利約2分2厘(同時期の金融流通処の貸付金利は同1 分5厘)となっている(郡平報告による)。 ⑩ 一般的に,農業生産に必要な資金の融資には農業金 融,消費生活に使われる資金の融資には消費者金融と いう用語が使われている(たとえば,大内力(1978) 「農業金融と財政投融資」(近藤康男責任編集〔12〕所 収)ので,本稿における用語もそれにならった。 剛 ライファイゼン型の組合では, 1967年末において, 85%が他事業を兼営するいわゆる総合組合であり, 15%が専営の信用組合であったという(斎藤仁(1971) 「農業金融の組織」(近藤康男責任編集〔12〕所収)。 励『法律学小辞典・第3版』有斐閣。また, 1937年に国 際協同組合連盟(TCA)が公式採択したところによ ると,協同組合の原則として,①加入脱退の自由,②民 主的運営,③利用高に応ずる利潤分配,④出資配当率の 制限,⑤政治的・宗教的中立,⑥現金取引,⑦教育事 業の優越が挙げられ,そのうち④までが必須とされる (近藤康男〔11, 16ページD。 叫 たとえば,章有義編〔29〕においては蘇南三地区に おける農業倉庫,質屋,信用合作社,高利貸の金利の比 較が見られる(侯建新〔10, 257ページD。 伽 梁思達等編著〔14, 29ページ〕。 剪 章有義編〔29,第三巻9Jアページ〕。
3。土地改革・農業合作化期の農村金融
(1949∼1函7年)
(1)新中国成立後の中国農村 新中国成立後の中国農村の変化は,第3図のよ うに整理される。土地改革・農業合作化期は,新 中国が成立して後,人民公社が形成される前まで の期間であり,中国農村の激動の時期に当たる。 このうち,小農経済が農村の主たる経済主体で あった1949∼1952年頃を「土地改革期」,全国 的に統一経営の形成が急速に進展していく1953 ∼1957年頃を「農業合作化期」として区分して土地改革 (1949∼1950年頃) 互助組 (1951∼1952年頃) 初級合作社 (1953∼1954年頃) 高級合作社 (1955∼1957年頃) 人民公社 (1958∼1983年) 広範な小農経済の創出
↓
小農経済の再分化の兆し↓
小農と中農の対立↓
統一経営の形成 (土地・農具の出資) ↓ 一時的に行き過ぎの是正↓
統一経営の発展 (土地・主要農具の集団 有化)↓
人民公社化
第3図 新中国成立後の中国農村の変化 注.『中国人民公社の組織と機能』(1961年調査研究報告双書第15集 アジア経済研究所),『上海七 一人民公社史』(1976年高野百合子訳 東方書店),『原典中国現代史・別巻』(1996年 岩波書店) 等の記述をもとに筆者作成. 農村金融の状況を考察する。これは,両時期にお ける農村での経営主体の形態が異なること等から, 農村金融構造,農村信用組織の種類等も基本的に 異なったものとなっているためである。ただし, 土地改革期は,一面で,農業合作化期への移行に 向けての準備期間ないし過渡的期間とも言えるも ので,期間も短く,必ずしも安定したものとなっ ていたわけではない。 (2)土地改革期の農村金融 1)農業合作銀行 民国時代に営業していた全ての銀行は,社会主 義体制に移行して後,共産党政権によって直ちに 接収される。これは,社会主義建設を順調に推進 していくためには,金融を国家に集中させて,社 会主義に適した新たな金融制度を構築することが 緊要であると考えられていたためである(1)。また, 全ての国民経済活動は国家銀行につながり,国家 銀行の監督の下に実施される必要があると考えら れたのであり,もちろん農業もその例外ではな かった。このような考え方から,中央政府直轄の 国家銀行として工商銀行,建設銀行等が設立され たが,農業分野での国家銀行として1949年に設立 されたのが農業合作銀行である。この農業合作銀 行は,現在の農業銀行の前身となるものである。 農業合作銀行の設立は,民国時代に設立されて いた中国農民銀行および中央合作金庫の接収を基 礎としている。ただし,この後,継続して独立し て存在していたわけではなく,農村の資金需要等 の経済状況,機構整理の必要性等によって中国人 民銀行に吸収合併されたり,再び設立されたりし ているが,その経緯は第6表に示すとおりである。 したがって,農業分野での国家銀行は,時期に よって農業合作銀行であったり中国人民銀行で あったりすることとなるが,いずれにしても中央 政府直轄の1機関としての位置付けが変わるわけ ではなく,また,たとえば供蛸合作社への融資は 継続して行われる等,機能が異なることとなるわ けでもない。 一方,工業分野では国家銀行から直接に国有企 業に融資して生産振興を図ることも可能であるが, 農業分野では貸付の対象となる農民の数が極めて 多く,国家銀行が直接に農民に貸付を行うには限 界がある。農民への貸付を円滑に行うためには, 農村で国家銀行からの貸付を受ける受け皿が必要 とされるが,土地改革期に形成された農村での信 15年 1949 95 0 951 1 I 1952 第6表 農業合作銀行の改廃の経緯 事 項 ・農業合作銀行の設立。 ・農業合作銀行を中国人民銀行に合併吸収。 ・中国人民銀行に農業貸付処を設置。 ・農業合作銀行(総行のみ)を再び設立。 農業合作銀行を再び中国人民銀行に吸収。 ・中国人民銀行総行に農村金融管理局,省・市・自治 区分行に農村金融処,地区中心支行に農村金融科,県 支行に農村金融係を設置。区クラスには営業所を設置。 資料:周志祥編著〔a5〕および宋洪遠等著〔21〕の記述による. 人民銀行 1950年 -1951年 -1952年 1955年 1957年 1963年 -1965年 1979年 農業合作銀行 農業銀行 1958年 -1962年 農村信用社 農業発展銀行 備 考 民国時代に設立されていた中 国農民銀行および中央合作金 庫の接収を基礎とする。 土地改革後の農村経済発展の 需要に対応。 “三反運動”後の機構整理の 一環。 供鋪合 作社信 用部 1955年頃 (人民公社信用部) 注.著者作成. 農村合作基金会 (1996年頃から 小額信用貸付の 実施) ←四天 × 第4図 中国農村金融機関の推移(1949年以降) 用合作組織は,一部でそうした受け皿としての機 能も果たすこととなる。 信用 互助 組 なお,この後,農業分野での国家銀行の改廃が 繰り返され,幅輸してわかりにくいので,新中国
成立後の農村金融機関の推移を第4図のとおり整 理しておくこととする。 2)農村信用合作組織の形態 新中国成立後間もない時期の農村信用合作組織 の形態は,次の3つであったとされる(2)。 ① 農村信用社 ② 供蛸合作社信用部 ③ 信用互助組 農村信用社は,農村信用合作組織としては最も 整備された形態である。この当時の農村信用社の 多くは郷または行政村を区域としたものであり, 農村信用社の設立には当然のことながら定款の制 定,管理組織の整備,出資金の収集等が必要とさ れる。 供蛸合作社信用部は,供蛸合作社(主として販 売購買事業を行う合作社)の中に信用事業を行う 部門が付設されたものであり,供蛸合作社の組織 を基礎として,資金,従業員等も供蛸合作社の全 体の中で計画し,解決していこうとするものであ る。当該地域の農民の資金力が不十分で,農村信 用社の設立に必要な出資金を十分に確保できない ような場合にはこの形態が選択されることとなろ う。 信用互助組は,組織としては簡素なものであり, 通常は20∼30戸の農民が自主的に集まり,信用 互助のための規約を定めて組を結成することに よって成立する。信用力が同程度で互いに顔を見 知っているなど,組員同士の人的関係が設立の基 礎になるものと考えられる。 土地改革期は,全国的に広範に創出された小農 による旺盛な農業資金需要があり,一方では農業 をめぐる情勢や農村金融組織の経験は地域によっ て大きな差異があることから,各地で農村信用合 作組織の形成に向けて多様な取組がなされたもの と考えられる。また,農村信用合作組織の形成は 共産党政権の積極的な支持を受けて進められたた め,各地で農村信用合作組織の設立が進み, 1952 年末には全国で20,067組織(3)が成立していたとさ れる。 3)北京市での動き 北京市においても,新中国が成立して土地改革 が行われた後しばらくして農村信用合作組織が形 成されるようになる。北京市で設立された最初の 17 農村信用合作組織は, 1950年12月3日に北京市 六郎庄郷で設立された供蛸合作社信用部である。 その後,北京市では,農村信用合作組織として, まず供蛸合作社に信用部を付設する形態が多く採 用された。 土地改革後の小農経済における農業生産資金ま たは生活資金の需要にどのように対応するかがこ の時期の農村金融の大きな課題であったが,購販 売事業を主目的とした供蛸合作社に信用部を付設 することは,農民の資金力がまだ不十分で,農民 の出資だけでは信用事業を専門とする信用合作社 を設立することができない状況を踏まえた現実的 な対応であったものと考えられる。 六郎庄郷供蛸合作社信用部の章程では,「本部 は専ら信用業務を営み,群集の遊休資金を組織し, 社員の生産および生活上の流動資金の困難および 需要を解決し,高利貸の搾取を免れ,供給販売と 結合して生産を発展させ,生活を改善することを 目的とする」と規定している(4)が,この規定は当 時の農村金融をめぐる情勢を的確に指摘したもの でもあろう。すなわち,①供蛸合作社信用部が自 己資金で行う貸付は原則として農業生産上の運転 資金または生活資金であり,大規模な投資的資金 の融資は想定されておらず,小農経済の維持に必 要な小額融資の確保がまず必要と考えられている こと,②運転資金等を貸し付けることによって, 民間融資による高利貸付の弊害を防止することが 直接の目的とされているが,このことは当時の農 村では伝統的な民間融資が共産革命前と同様に広 範に存続していることを示すものであること等の 農村金融に関する情勢が汲み取れるのである。 北京市における農村信用合作組織は,前述した ように,供蛸合作社に信用部を付設する形態が先 行するが, 1951年には,豊台区小井村,南苑区老 営村,長辛店区呂村の3地区にそれぞれ農村信用 社が試験的に設立された。 また,北京市では, 1952年7月現在,信用互助 組織が69組織設立されており,信用互助組織に参 加している社員は全部で1,154人,出資金は909万 元(5)であった。この同時期の1952年における北 京市の農業生産に関する互助組の組織数は67,873 組織,参加農家数はJ.7万戸(北京総農家数の 61.8%戸)であり,これと比較すると信用互助組織