江州中井家の本支店会計法について 四〇
江州中井家の本支店会計法について
小
倉
栄
一
郎
一 は し が き 中井家の経営皮を通じて先づ賞讃の目を瞠らしめるものは、その資本蓄積の素晴らしい進度である。自他資本合せて十 数両からはじまって、一代七十年の間に自己の正味身代のみで十万両に及ぶ大身代を築き上げているが、その間巨利を一 挙に博する類の投機取引は決して行はず、極めて地道な商法で営々として年々の利益を確実に留保した。 一定の金額とし て維持される資本額を母性金と呼び、これには年々一定の利息日合を繰入れ、新望性を形成せしめ、また、利益の中から 出精金、積金等の利益留保を励行した。この基準は申井家財産保全の目安としての基準であったかも知れないが、七十年 の経験の間に一種の資本概念を構成せしめるに至り、二代目相続では相続人持分として、この抽象的金額衷現で財産分配 をしている。今日の会社資本とは程遠いが、とにかく資本概念が構成されたことは当然計算原理の上に反映される之とも に、計算制度の完成を通じて、逆に、計算形式が、概念構成を具体的確定的ならしめたとも考えられるのである。本家に 於ける計算資料や計算方式が極めて簡略なものであったのに反し、支店のそれは実に精巧で、原理的に複式決算法を完成 している。各支店は年に一回本家あてに決算報告を行うのであるが、店卸目録、店卸間日は店卸勘定帳と呼ばれ、内容は 二部に分たれ、一は財産計算に基く年度損益計算、他は牧益・費用計算によるそれで、この両者の計算結果鳳完全に一致するのである。中井家の決算が既に複式簿記の原理によっていたという結論は年輩で詳細に論証したところである。 次に日常の記帳整理の方法についてであるが、この点ではあまり断定的な結論を出し得ないのは遺憾である。この簿記 法について経験をもっている人はもはや生存しないから、現存する帳簿の記帳状況から推定するほかはないが、同一年代 の帳簿で現存するものは多くはない。即ち、年代の異なる多種の帳簿が、不揃に残っているのである。従って日常の簿記 法の推定は困難を極めるのであるが、大体の結論は立て得る。前述のごとく、決算について完全な複式決算法を用いてい るのであるから、そのために必要な諸計算項目を手落ちなく記録するための技法はあったに相違ない。ただ、しばしば不・ 用意な計算誤謬があって、これは今日の簿記法の頭で再検討すると難なく発見できる簡単な誤謬であるという点から推察 して、自検組織といったものを含むほどの発達した形式的合理性をもつ簿記法ではなく、ある程度不完全にして非組織的 な方法であったと思はれる。この点についての研究が第二の課題である。 第三点は本支店会計法に関するものである。中井家は仙台、京都、大阪をはじめとして各地に十悪店の支店を有し、こ れらを有機的に組織して、広範な交易業務を営んだ。支店に対しては本家主人が一定期間に亘って直接下向して監督した こともあるし、番頭手代が派遣せられたこともあるようであるが、常時継続的に例外なく行はれたのは毎年度の決算報告 を通じての計算的管理と、これに対する監査であって、これこそは中井家簿記法をかくも統一的な方法として完成せしめ た根因でありかっこれあるによってかくも広大にして均斉のとれた支店網が維持できたものであると推察できる。即ち中 井家帳合法は本家が支店を計算的に管理する必要上発達したものであると想像でぎる。この多数の支店の間には相五に交 流し合う本支店間取引があったわけで、これがどのように取扱はれたかという問題は中井家の支店経営のあり方を知る上 に興味ある問題である。 本支店会計法は、詳細に検討すると、単なる擬制的貸借関係処理法でなくて、 一種の変形せられた集中会計法である。 江州中井家の本支店会計法について 四一
江州中井家の本麦店会計法について 四二 しかもその集中計算の方法を些細に検討すると、相違点によって、支店の性柊、中井家︸統の店舗里中に於ける位置、夫 々の資本構成等はもとより、各勘定科目の性質も判明する。さらに興味のあることは、本支店の会計が計算上合併される だけでなく、資金の融通関係には常に一定の利息日合が附けられ、雑用︵一般管理費︶の賦課や、固定設備の資金運用関係 に相応せしめて、固定設備費の賦課も行はれ、この計算を通じて、支店別成果分割を徹底せしめて、経営管理の手段とし たことが窺知でぎる。この点は今日の本支店会計法に比し何ら孫色なぎ完備せる管理方法でまことに感歎に値する。本稿 は本支店会計法を中心としてその計算原理と、管理原則の一斑を明らかにしょうとしたものである。 ①拙稿﹁江州中井家の決算報告について﹂彦根論叢第三十七号便宜上本稿も同論文に掲載の引用史料を用いて論証した、 二 中井家本支店会計の要点 論述の都合上、計算形式上の要点と、実体的要点に二分して展開しよう。 計算形式上の要点とい﹃のは、中井家の支店の年度決算が個々別々のものでなく、結局は本家の計算に集中せられてこ こで本家支店県勢を打って一丸とした中井家資本全体の合併決算とするのであるが、その合併の計算形式が、根本的原理 に於ては今日の本支店合併決算でありながら、技術的には下部支店の決算結果をその正味身代額について合算して上部支 店の決算に編入し、最后に本家決算申に編入せしめるという合併法をとるのである。今日の合併法では本店に於ける支店 勘定と支店に於ける本店勘定が連結勘定となって、企業全体としての合併決算には支店勘定は現れないのである。しかし て、本店、支店の各勘定は夫々共通の勘定が合算されるのである。 しかるに中井家の場合には本家の決算には本家の直接所管する資産負債の項目は一々計上するが、支店の所管する項目 は支店の決算にのみ現はれ、本家の同一勘定科目に合算されない。その代り、支店決算の結果たる支店の正味身代が計上
、 されることによって、結果としては本家支店一丸とした企業全体の決算となるのである。 即ち簡略化された本支店合併決算であるということがでぎる。 以上の計算法を分りやすくするため簡単な仮設例を設けて相異点を指摘しよう。 支店は資産A︵例えば現金︶一〇〇と資産8︵例えば商品︶二〇〇をもって居り、負債A︵例えば借入金︶五〇と負債B︵例 合併 220 340 B/S 90 140 280 50 二三 BIS 50 W0 R0
@ 40
100 200 本店 120 140 B!S 40 60 280 10 130 目 科ABAB下男洪益
身
屋産債債
味
資資負一本支正利
公式 ④ (在本店資産+在:麦店盗産)一(在本店負債+在支店負債) =(本店正味身代+支店正味身代)+(本店利益+支店利益) ロ企業正味身代+企業利益 支店 B/Si合併 B/S 本店 BIS 画 商 40 U0 280 50 120 140 170 江州中井家の本.支店会計法について 50 W0o 40
100 200 40 U0 280 10 120 140 130ABAB早耳代益
身
産産債債
一
生手負負本麦正利
公式 ㊥ 在本店資産+支店期首正味身代+麦漁利益一本店負債 =企業正味身代+企業利益 えば買掛金︶八○、それに期首正味身 代期未在高は=二〇で、従って当期 利益金は四〇であった。また本店は 本店自身としては、資産A︵例えば現 金、以下、支店と同じ科目内容とする︶ 一二〇、資産B一四〇で、負債Aは 四〇、負債Bは六〇、期首正味身代 は一五〇、従って本店利益金は一〇 であったとする。今日の方法として は、本店の総勘定元帳には支店勘定 二二〇が計上され、支店では正味身 代を本店勘定の名で開設するであろ う。そして合併は上段の如くに行う であらう。中井家の混合には本支店四三
江州中井家の本支店会計法について 、 四四 間の勘定の設け方は同様であるが、合併は下段の如くに行うのである。これを公式で示せば公式ωと公式晦という差 異があることになる。即ち本家の決算の正味身代は本家のみのそれでなく、明らかに中井家全企業資本である。即ち、本 家は自らが部分経営でもあるレ本家はこの自らの経営単位としての決算を行った上で、別に支店が独自に行った決算につ いて監査を終えると、その計算結果に基いて、支店勘定に決算報告書計上の.支店利益を加算し、これを資産側に合算する 手続だけで申井家全体の決算となるのである。 公式ωのうちの 餅掛温讃鰍一説掛温品繍11渦㌔叶臣罫鎧鼠観望齢粛+掛倒洲q跡 は、支店の店卸︵決算︶の資本計算 ︵bd\ω︶の内容である。これを代入して整理すると公式回になる。ということは、支店決算の内容を本店決算母上には 再び表示することなく、省略して、その結論だけ算入するということになる。 支店単独の決算を厳重に監査した上は、本家の決算ではその結果だけを計算に入れるという合併計算原理は中井家の全 期間通じて変らざるところである。この点は前稿に猛て既に指摘した。ところが、これを詳細に検討してゆくと、第二次圏 的な計算形式の点で若干つつの変化が存して居り、この点について三期に分ち、さらに第二期は前後二期に分ちうるから 都合四期に分つことができる。 第一期は開業から延亨二年︵一七四五年目までで、期首正味身代に当期利益金を加えて期末正味身代を算出し、これを次 期に繰越すが、その計算の内容は一切示されていない。︵後出公式①︶多分第二期に入ってから追補記載されたものと想像 している期聞である。ここでは支店という存在は明確ではない。 第二期はその後五十年聞で初代が遊漁中のものであるが、これを前後二期に分ちうる。 第二期前期は宝暦四年︵一七五四年︶までの九年間で、資産をやや詳細に表示し、負債を差引いて正味身代を知った上で これを前年の正味身代と比較して当期利益を求めるのである。この頃は支店が設立され会計に基いて統制するにいたるが
支店の会計的認識は未定立の時期である。繭芽期である。 第二期後期は寛政八年︵㎜七九六年︶までの最も永く、かつ最も充実した期聞である。初代の自ら行った計算はここで切 れるのである。計算形式としても第二期前期の原理に則しつつ、本家と支店の別を明確にし、前述の公式回︵後出公式⑤︶ の表現形式が確立される。即ち、計算原理、換言すれば貸借対照表的計算によゐ成果計算は第二期前期と全く同様である が、本支店会計法としては支店が明確に別の計算区分としての地位を確立しつつ合併されて、中井家企業全体の決算・にま とめちれるのである。そしてこの期が本家の史料としては最も完全なものである。この期の支店の史料は残念ながら数が 少い。 第三期は二代目が財産分配をうけて後のものであって、この期の本家史料は遙に簡略なものとなる。本家の店卸は原理 的には変らないが、もはや典型的計算とはいい得ない態となる。それにひぎかえて、仙台店が仙台本店とも呼ばれ、これ と仙台地域にある支店夏霞出店との間に第二期後期に於けると同一の計算原理による本支店合併決算が行はれる。しかも その揚合の合併決算たる仙台店の店卸は前期の本家のものよりも完全である。この意味で、中井家決算法、特に本支店合 併決算法の典型的史料であるといいうる。本稿で亨和二年酉年の店卸を例にとったのはこの理由による。 以上の計算形式、即ち、簿記法に於ける要点は本支店会計が一種の略式合併決算法であるということと、その完成した 時期が第二期後期である、その後は原理的に踏襲されるということであった。しかるに、このような計算形式に於ける変 化はただに簿記法に於ける着想が抽象的、原理的工夫の産物として展開進歩せしめられたのではなくて、実は支店網形成 の進展と平行符合していることに留意しなくてはならない。前稿に於て中井家決算法の完成は支店の会計的管理を目的と して遂げられた。中井家帳合の法成立の動機は実に支店の経営管理の必要にあったと結論して置いたが、以上に述べた支 店網形成の進行と.本支店会計法発達の経過が平行符合する事実はこの結論を裏付けるものと云えよう。さらに、このよう 江州中井家の本麦店会計法について 四五
江州申井家の本麦店会計法について 四六 な期間に分けられた史料を検討してゆくと、中井家の総資本は初代在世中は完全に統合遠島された単一企業を構成してい て、支店はその分画経営であったが、二代目以後は分配された各区将官にのみ統合心頭され、同じ中井家一統であっても 別個の会計単位、別個の企業を構成せる事実を知る。即ち、財産分配が企業資本の抽象的持分の分配でなく、実体的財産 の分配であること、企業資本が世襲者個人の所有と結びついて企業自体を分割することを意味して居り、入格的な関係と 結びついている。この意味で、会社資本或は企業実体という概念は定立されて居らず、初代の経営し所有七た第一・二期 の中井家企業と、二代以後の経営し、所有した第三期の中井家企業の間には明らかな断絶があると言いうる。 ①前掲拙稿七一頁、公式⑧に相当する。 ② この時期の一例として、若干の史料が存しているが、押立店︵天明八年開店、武蔵国三多摩郡押立、中井市蔵担当醤油製造業、寛 政十一年閉鎖︶の寛政二年︵一七九〇︶作成、酉年︵寛政元年︶店卸勘定帳、店卸書抜帳、金銀差引帳、仙台店の店卸帳からその要. 点を抜書して参考に供しよう。 ︵第一表参照︶ 押立店開店の年の決算、では﹁下り金﹂は千八百九拾三両壱分ト六匁五分でこれは﹁申年下り金﹂即ち、天明八年︵一七八八︶の投 下心であるが、これにその年の利益留保六拾両壱分弐朱卜三匁六分六厘﹁申立利息﹂が加えられ、翌天明九年、即ち寛政元年酉年の 決算には、その年度内に追加投下された千三百九拾五両ト壱匁﹁斎垣下り金﹂にその年の利益留保弐百五拾九両弐分弐朱ト三匁九分 ﹁当年利息﹂が加えられて、三千六百八両弐分ト銀六厘﹁毒性﹂が算定されるのである。この額は店卸勘定帳を検討すると欠損金を 別にした。所定の留保蓄積をなした上での期末正味身代である。 ︵押立店のこの年の店卸勘定帳は損益計算書に相当する計算区分で 運賃を算入する際に明白な誤算をしているが、これを訂正すると五百六拾四両弐分ト四分壱厘﹁不足﹂即ち、欠損となっている年で ある。︶ この金額が本店店卸記に掲げられるところの、三千六百八両弐分﹁押立元利﹂に該当する。仙台店はじめ相馬店その他の支店もい つれも同じである。
︵第 一 表︶ 本家店卸記 寛政元已酉年 七十四才 延金千九百四拾四両三分 外・一弐千六百四十五両京店まよい在 一金八千四百両 一ク四百光両 一ク四千両 一ク弐百八十八両 一ク三千六百八両弐分 一ク弐百両 一ク四千両 一ク三百五拾七、両 五匁五分二厘 一ク壱万両 仙台店かし 一ク七百五拾両 右利 〆金三万弐千計三両弐分 五匁五分二厘 ︵以下略︶ 仙台望性
@
@{
右利 相馬望性 右利 押立元利@
@ご
今市 大田原望性 同指引かし 押立店卸 寛政弐年 金銀差引帳 覚 一重千八百九拾三両壱分卜 六匁五分 一ク六拾両壱分弐朱卜 一二匁六分六厘@
@
@
@
@讐
穀野面襲験
︵以下略︶ 寛政弐年 酉年店卸勘定帳 覚 一金三千六百八両弐分卜 望性 銀六厘 一ク五両也 きし山や 文間門より 預り金 一ク七両也 山川 十工門より 預り金 ︵以下略︶ 三 本支店間取引の処理法と合併法 前稿に引用した仙台店は中井家の主力店であって自らも古衣料、繰綿、苧、弓弦を商うとともに小売店舗たる﹁見世﹂ 及び﹁質店﹂を構え、石の巻に﹁日野源﹂その他の支店枝店を抱えていた。いわば一.支店群であって、引用の﹁酉店卸目 録﹂は亨和二年︵一八〇二︶二月に作成せられた亨和元年分の決算報告書で、中井新三郎の名によって本家に宛てられてい 江州中井家の本支店会計法について 四七江州中井家の本麦店会計法について 四八 る。その内容には同年正月吉日作成の﹁酉質店卸目録﹂ ︵日野屋源四郎名儀︶同年二月吉日作成の﹁酉店卸目録﹂︵中井新三 郎名儀︶の現存史料に計上されている﹁元方よりかり﹂の項目と符合する金額が計上されている。︵その他にも支店枝店と思 われる項目もあるが、符含する史料未発見︶ これ、仙台店の決算を本支店合併決算であると考えた根拠である。, 次に本家の店卸は支店のものに比し、遙に省略されたものであるが、貸借対照表における借方項目に相当する項目はど の年代にも、完全に記載されている。その中で亨和二年の酉の店卸には前述の仙台店の﹁借り方の部﹂の項目中の一定の 項目が計上されて一々符合する。 右の関係を所要項目についてのみ摘記して符合関係を図示しよう。 ︵第二表︶ 本家の記録は途中で記載状況が変化するばかりでなく、寛政八年目一七九六−八一才︶で一且中断され、翌九年財産分配 が記され、やや年数を置いて事和四年︵文化元年一八〇四年一八九才︶の記録が七年分の徳用︵利益︶を掲げて、しかも配分 後の金額で掲げられる。一方﹁些末店卸帳﹂というのがあって、これは寛政十一年︵一七九九i八四才︶に起筆されたもの である。これは寛政八・九年号金額から推定すると、二代目源左衛門光昌が自己の持分に限定して計上したものであると 考えられる。即ち、光昌は本家を継ぎ仙台店と相馬店を与えられ、他に正治右衛門が京都・尾道店、源三郎が太田原・小 泉・今市店、市左衛門が金子にて分け与えられ、この四点が中井家の根幹となる。後に文化元年︵一八〇四︶即ち、初代光 武の逝去の年に番頭衆四十五人にも分配を行ったが、ここに引用したものは丁度その中間の年に当る。分配前の史料では 本家の計算は理解し易いが、仙台店の計算が判然としない。光昌の本家店卸は筆者の研究が未完成で分配関係の金額的精 算がでぎていないので、多少心許ない点はあるが、文化元年以降のものよりは理解しよいのでこの年を選んだのである。 ︵本家史料の計算原理︶ 順序として本家の店卸帳の計算法について検討してみよう。前稿でも概説したごとく、三期に分つことがでぎよう。
表) 本 家
︵己末店卸帳︶ ︵那翫︶
享和二年酉ノ店卸戌ノ正月改四十六才 一金弐千三百七拾九両弐匁四分五厘延金也 一金八千四百両 一ク弍百五拾式両 一ク弍千四千六百五拾両ト 拾三匁八分 一ク千七百七拾四両三分ト 三匁九分九厘 一ク弍千五百両 二 一ク百八拾両 第 ︵ 古望性 右利足+ニケ月分”一 望性金 一 申.年〆高 右利足+ニケ野分一一 相馬望性 ︿中近源古望性一一ク百八拾両也 十ニケ月分 一ク百七拾戸部ト 同徳用 H 拾三匁四分七厘 七口〆金三万七千九百弍拾九両毫分 ’ @ 毫﹂匁弐分六厘 申井源左衛門 江血中井家の本支店会計法について /仙台店
享和二年二月改・ ︵侶rBC︶
酉店卸目録 借り方之部 一金三千八百五拾両也 古望性金家屋敷在物 ク弍百五拾弐両也 右り足十二月分 一ク弍万四千六百五拾両ト 望性金 拾三匁八分 申年元.利〆高 ク千七百七拾四両三分卜 右利足豊年分 三匁九分九厘 一ク三百七拾弐両弐分ト 徳用預り 七匁五分九厘 ﹁ 一ク仏]⊥ハ両一二分ト 右利[疋十二月分 四匁七分九厘 一ク弍百五拾八両ト 出情金預り高 毫匁三厘 く中近源殿 ⋮ 酉年利足弍千五百両分 一ク弐百八拾九両ト 海上積金預り高 拾老手六分三厘 但酉年預高引て 一銀五百拾三〆百四匁 中正殿 三分五厘 そん引残てかり 一金百両也 祭礼方積金預り 一ク百廿九両毫分卜 太田原近世殿 弍匁四分五厘預り高 一ク百七拾弐両ト ︿申近源殿 拾三匁四分七厘 徳用預り酉年分 〆金三万弐千三百廿七両壷分ト 銀 五百拾三〆百七拾匁三分九厘 此金八千五百五拾弍両三分ト五匁三分九厘 都合金四万八百八拾両ト五匁三分九厘 一ク七拾六両弐分ト 八匁三分五厘 一ク百八拾両也 (S c) 仙台見世 壬戌享和二年二月吉日 酉店卸目録 惣勘定之部 ︵S/rBC︶ 正金有物の部 一金四千四百廿弍両 正月十四日 弍匁也 中井正治殿吐出也 一ク弐千六百六拾五両三分ト店差引残り貸 H一差弍千六百六拾五両三分ト元方より 七匁三厘 七匁三厘 差引残りかり一.五茜説讐頒謬、質店差謝り貸削 右へ ︵Sr研D︶
一ク四千九十四両寺分ト 石の巻 日野源殿 一身弍千六百六拾六両卜 残り代呂物在高 六匁三分六厘 差引残りかし 拾匁壷分 一ク百両也 湖東屋 一金拾七両弍分ト 正金にて在高 利之助殿かし 拾匁三分六厘 佐島様かし 一ク六百五拾七両壷分卜 六匁四分五厘 省略 ① 一ク百四拾壷両壷分ト ︿中近掌中⑤ 百済利息貸 殿様かし 質店とく用 / 拾壷匁八分九厘 一ク十七両三分ト 店のとく用 皿 拾三匁四分三厘 ⋮一ク百七拾弍両卜 く中近漏出 拾三匁四分七厘 徳用貸 省略 ② 惣〆金四万八百弍拾三両壷分卜七匁六分五厘 差引一金五拾六両弐分卜三酉匁六分六厘不足 此訳け︵省略︶③ 二口〆弍千六百八拾三両三歩ト 五匁四分六厘 惣て引残て 一金拾七両三分卜 正味徳用 拾三匁四分三厘 註④ 仙台質店 壬成享和二年正月吉日 酉質店卸目録 金差引之部 則一金五千四百九拾三両弐分卜 七匁壷分弍厘 一ク廿七両弐分ト九匁四厘 一ク弍両毫分ト八匁三分三厘 一ク百五拾八両壷分 拾匁八分四厘 一ク拾三両言分卜拾壷匁三分 (β b) 元方より 差引残かり 出精金預り 酉ノり足 甚兵衛預り 酉ノり足 〆金五千六百九拾五両三分ト壷匁六分六厘 本表では各目録の相互関係を明ら かにするため関連項目を対照の位置 に置き、かつ記載の順序は変更しな かったので諸所に無意味な空白を生 じた。空白箇所は原史料では詰って いるのであって、特に省略と記して ある箇所以外には原史料と異るとこ ろはない。 ①貸金、固定資産等二〇項艮 ②現金、棚卸商品、出質、小口売 掛等六項目 及び残り古手有物部︵棚卸商品︶右・内 ︵Sr町D︶
一路五千六百九拾六両三分七匁 有質〆 一ク百七拾三両弐分ト 大晦日 弐匁弍分 改正〆尻③﹁不足﹂を損益と現金過不足に分 葉書五千八百七拾両蒼分ト九匁弐分 析表示︵前稿参照、六八頁︶辮繍麟鱗海量鶏欄樋
此訳 一年拾五両弐分ト拾弍匁九分八厘 甚兵徳 ,⑤ この項目のみ順序をくりかえて /一蓋百四拾壷両毫分 質方とく 位置せしめた。 拾強匁八分四厘 繰綿残り有物部 古手貸方之部 繰綿貸方之部 の二百五十七項目 いつれも資産項目 四九 同売同 掛右金右
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第一期は享保十九年︵一七三四一開業︶から延享二年︵一七四五年︶でこれは前年よσ繰越の正味身代に当年利益を加えて 当年末正味身代を算出するという極めて腰掛的表示である。十二年間に亘るものであるから、多分何らかの基礎的帳表が あってこれに依拠して綜覧されたものとは考えられるが、延享三年越堀店開設により会計機能に新な任務が附加されるに 及んで第二期の記載を起す際、追補復元したものではないかと推定している。延享三年から、寛政八年の五十年問が初代 の本格的計算原理の展開される期間であるが、これまた前後二期に分けうる。前期は宝暦四年︵一七五四︶までで、﹁売掛 代物﹂に﹁合薬仕入﹂を加え、 ﹁払方﹂を差引くと﹁裏漏﹂が算出できる。これを前年の﹁残響﹂と比較して、その差が ﹁指引徳用﹂である。売掛代物は売掛金、合薬仕入は今日の仕入とは異り投下資本額といった意昧のようであり、合薬棚 卸高と解してよい。 ﹁残雪﹂は﹁有物﹂とも﹁残り有物﹂とも呼ばれ、 ﹁払方﹂即ち、負債を差引いたあとの正味身代で ある。 髄一蕊 黒髪︵二心琳︶H月震需十脹濫蟄葛籠11脳盗醤︵幕下蕪隣︶臣罫恥詫⋮⋮⋮︾卑︵ご 趣口醗︵㎝二︶ 黒髪−瞭繍筑田玉串海︵牛王︶⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮:・⋮⋮⋮⋮⋮⋮︾斗一、b。︶ 盗謁臣昇睡お1醗畔︵認齢嶺︶鼠昇恥⇒11脹舘蟄詠餅⋮⋮⋮:⋮・⋮⋮⋮⋮:・︾沸︵G。︶ 即ち、第二期では公式田のごとく正味身代算出の根基は明示していないが、第二期に入ると公式囲の計算によって 根基を明示しつつ公式田と同内容の損益計算を行うのである。 第二期の後期は宝暦五年以降である。越書店は既にあり、新に太田原にも支店を構える︵宝暦七年開店︶兆があり、また 取扱部門も明確になって合薬方、青苧方などの呼称も生じ、支店網構成の勢が見えはじめる。この頃は太田原が主ヵ店の ようで、 ﹁店有代物﹂ ﹁太田原店有物﹂の項があらわれる。明和元年には﹁八木屋引受﹂ ﹁本宮店引受高﹂ ﹁上州小泉元 手渡﹂等手広く元手が下され、明和二年︵一七六五︶には、仙台店開店に先立って﹁仙台残かし﹂があらわれ、これが年々 江州中井家の本支店会計法について 五一
江州中井家の本支店会計法について 五二 増大して﹁仙台有物かし﹂となり、明和七年﹁古手方元金﹂︵仙台店仕入︶の項となる。これ仙台店開店の翌年、第一回決 算の年である。なほ同六年には、 ﹁伏見店へ入﹂即ち、近江屋彦太郎店への資本投下があらわれるなど支店網の主力が浮 び出てくる。このような次第であるからこの期のはじめ宝暦四年の店有代物の項は単なる期末商品棚卸高の意でなく、支 店への資本投下額の意と解すべぎである。その意味でこの年からを第二期後期とした。 ﹁古手方元金﹂はその後﹁入金﹂ ﹁出金﹂ ﹁仕入﹂等と呼ばれつつ金額は増大し、安永三年︵一七七四︶終に﹁仙台望性﹂ と呼ばれるに至るのである。古手方元金と呼ばれた頃は四、四〇〇両であったものが、翌年から別項で﹁臼合﹂を計上し 次で、五、四〇〇両に増加せられ、またまた﹁利足﹂を別項で計上してゆく、その間、とに角 四、四〇〇両、または、 四、五〇〇両という定額を維持するのである。 ﹁伊勢新陰性﹂ ﹁太田原調性金﹂についても同様である。 右のごとくにして、他の単なる債権、貸金とは明らかに区別せらるべき項目が、本稿で明らかにしょうとしている本支 店会計における支店勘定である。従って、申井家本支店会計制度は延享三年︵一七四六︶に年嵩を見せるが、その頃は具体 的には成立せず、太田原店開店の寛延二年︵︸七四九︶にも未だその実績なく、十年を経た宝暦五年︵一七五五︶に完成し、 以後この計算原理が継承されるのである。 髄口盗︵麟︶ 掛三年昇三三+丹勲購認i卦熱油臨け︾灘.圏累心参︵謡掛︶⋮・⋮::⋮⋮・⋮︾葺︵腿︶ ‘獣掛︾懸鼠年年壽一盗琳︵譜二藍︶︾愚畠罫心秀11︾懸饅鉢⋮:⋮・⋮⋮・:⋮︾洪︵9 即ち、公式倒㈲と同原理によっている点が第二期たる所以、ただし、資産を一々計上して合計するのでなくて、支店 については別算された︵支店決算による︶正昧身代を計上し、従って負債も支店直接の負債は一々計上せずに本家の負債の みに止めている点が、第二期後期たる所以である。しかし、その間本家が支店綱統括の衡にあることは堅持されている。 中井家の会計が本支店会計として勝れている点である。
江州中井家の本支店会計法について 太田原溶性 同所へかし
仙台望性
同 かし 右利酉年分 糸 一 方 最上かし金 小 泉 種 方 青苧方かしpt
貸付翻…
rf
奥行古手その他
10口 ti総目
為金
(第 三 安永六丁書籍 両 匁 1, 500 244.1 5, 400 162 150 145. 2 38, 880, 64 3, 499, 26 450, 10, 80 10, 50 91, 917, 43 7,601.3 584,318,63i省略i
4, 806. 1 85, 561, 97…省,各i
855.1 51,885,35 13, 262. 3 721, 865, 95 25, 292.0 10, 95 表) 62才 預り金(払方) 矢 新 右 利 回右工硬 玉 利 あと17口 省 両 B2e, 43, 100, 4, 248, 2 匁略
伏見差引かり 1,972,92 f 1, 42 1, 32, 292, 61 為金 1,959, 12, 61 右差引而 23, 332.3 13,34 申ラ己禾ll 21,829.1 10,21引当て
酉年徳用 1,503.2 3,13 喜 期末資産25,292両ト10匁9分5厘一期末負債1,959両ト12匁6分1厘 隅期末正味代23,332両3分ト13匁3分4厘 期末正味身代一期菖正味身代21,829両1分ト10匁2分1厘 =当期利益1,503両2分ト3匁1分3厘 (註 1分=15匁) てよい。安永六年酉年の本家店卸を 引用した。︵第三表︶第二期の計算の 一例である。 第二表の本家店卸計算は財産分配 後のもので源左衛門名儀の持分のみ であり、これは第三表の計算の借方 側︵左側︶第一段の項目に相当する ものである。もっとも、本家の財産 分配の経過及びその後の営業状態に ついては不分明であるので、本家店 卸・と仙台下々卸を連絡せしめて解説 するのは困難であるが、仙台店と仙 台見世・質店の関係から類推し、か つ、.本家の第三表の計算と第二表の それとの関係を考慮するならぽ、凡 そ次の如くに結論しうる。 第三期は本家では財産分配によって計算も前記二者の個々の計算となった。記録は遙に簡略になり、負債側の表示は全 く跡を絶つ。 ︵本家直接の資産というのも影を消す。これは業態変化による︶ 従って原理的改変でなく第二期後期の延長と考え江州中井家の本麦店会計法について 五四 本家に金八干四百両志望性とあるは、財産分配当時に固定額に据置くことになった主として固定資産を実体とするもの でい 蜻苴Xの三千八百五拾両古望尊勝家屋敷在物はその一部である。この分には年々一定の利息に相当する利益分配がつ ぎ一応仙台店で再投資されることになるこれが﹁弐百五拾弐両早り足十二月分﹂である。 ﹁弐万四千六百五拾両ト拾三匁 八分望平金申年元利〆高﹂は本籔から仙台店に投下された資本金とこれに対する仙台店の前年までの莉益の本家に対する 分配高が累積せしめられたものである。本家入用のとぎにはその一部が引揚げられることもあるが、原則として元利とも 仙台店で翌年の資本金として運用される額である。 ﹁千七百七拾四両三分卜三匁九分九厘、右利足無ニク月分﹂は今年度 の仙台店利益中から本家に対して右の塑性金に対する利息の形で分配された額で、翌年は望性金に合算せられる。 ﹁弐千 五百両相馬望性﹂の相馬は次の項目にあるく中近源と同店のことで光昌の持分である。 光昌の持分でありながらも支店 としては別店であるから、前者とは計上の仕方が違う。即ち、仙台店の店卸の﹁借方の部﹂ ︵貸借対照表貸方︶に預りとし て出るとともに﹁正金有物の部﹂ ︵貸借対照表借方︶に貸として同額が計上される。この理由は明白でないが、察するに、 同系店である相馬店のために仙台店が望性利息及び徳用の分配を肩代りした形になっていて例外的処理であるが、相馬店 との関係に及ぶことを避けて仙台店と本家の関係に限定する場合には、この項は借方貸方両側に同額で計上されるところ の、所謂両建計上であるから、仙台店の計算を変化せしめるものでなく、無視してよい項目である。 ﹁中正殿そん引残て かり﹂は京都店中井正治衛門から導入された資本部分、 ﹁太田原近源殿預り高﹂は長男源三郎遺子の聾養子光億の持分か らの導入である。これらは中井家一統であるが、財産分配後は︸応他店であるから、本家の計算には関係がない。 ﹁徳用 預り﹂ ﹁右利足﹂ ﹁出情金預り高﹂はいつれも仙台店の利益処分項目中の内部留保である。他は純然たる負債である。他 方、 ﹁正金有物の部﹂ ︵B/sの借方︶には﹁何某かし﹂と称する貸付金の外に、 ﹁中井正治殿相登﹂﹁︿申憂身殿⋮⋮﹂ のような申井系他店との計算が並び、別に﹁店差引残り貸﹂ ﹁質店差引残り貸﹂ ﹁石の巻日野源殿差引残りかし﹂ ﹁質店
本家B/S(Drのみ.) 相弓望性 同 利 足 同 徳 用 〔仙台}
野望性
同利足望性金
同利足 仙台店B/S 近源」利足司←噛) 同偲用預ヒ}⇔台負徳梧轟
慈暉碍 仙古望性
同利足望性金
同利足 蹟。 店産 。憶Aロ資 ・・馨 相馬店B/S 資 産 負 望 債雪 性・← 岡 利 足 .Ptf・.・■一 wr−ee 1.le. 菊山台見世B/S 竃妻他害元貸≡ ち ニ 巨≡三商品等≡ 店.差引残り 貸 店のとく用 質唐差引 残 り 貸 質店のとく当 石の巻日の 源等同上\
質 店 B/S/
江州中井家の本土店会計法について 石の巻日の源等B/S 責 産 負 債 差引残りか ’ り及徳甲 図 四 第 とく用﹂ ﹁店のとく用﹂が計上される。この諸項目か 仙台店の小売店と質店と石の巻店といった出店、枝店 の勘定で、これと仙台見世店卸及び仙台質店々卸の項 目との関連を検討すると中井家本支店会計の原理が分 明となる。これらの諸関係を整理するため今日の方式 に合せて略式の貸借対照表形式で図示しよう。 ︵第四図︶ ①前掲拙稿。六五頁以下。 ② 本家の計算は第三期の形に属し、ご代目光昌の持分の みの計算である。 ③前掲拙稿。七〇頁。本稿二節をも参照。 .④ 仕入という語は幾通りかに用いられている。支店勘定、 の正味身代の意に用いることについては、前稿七四頁参 照。ここでは別の用法である。四支店経営の管理基準
本家が支店を管理するためにどのような手段を用い たかについては、会計史料以外のものからも次々と発 見されて居り極めて巧妙にして厳格なものであったこ 五五江州中井家の本支店会計法について 五六 とが窺い知れるのであるが、本支店会計法を通じて知りうることは次の諸点である。 一、 N度決算の励行と監査 二、売買総益率︵商品種別︶の算出 三、担当者に対する給料制による店と生計の分離。 − 四、資本金に対する一定歩合以上の利益をあげた押合の出精︵世︶積立を支店担当者のために設けること。 五、一定歩合の利益は常に獲得すべきものとし、これを望性金に累加する。万一欠損になった場合も欠損金は元金から差 引かないで、回復するまで繰越す。支店担当者に弁償させることもある。 六、本店本家に於て計上される支店の正味身代は右の基準による額であるが、実際の正味身代としてはそれ以上に﹁徳用 預り﹂ ﹁出精金﹂等があるので中井家資本総額は本家記録の額を上廻る。 七、すべての本支店間取引に一定の日合利息をつけ、また共通経費の賦課を行うことによって、支店を基準にした成果分 割を行っている。 以上の諸点のうち、前半は既に前稿において指摘したところであるから、ここでは正味身代の性格、利益留保の基準等 の資本会計に関する例証と、支店別成果分割の例証を掲げたい。これ中井家本支店会計の実質的側面を構成.するものであ る。 前野に於ても指摘したように、申井家帳合に於ける損益の概念は今日のそれとは異り、図工金または差引残りかりの額 に対して一定の日量利息に相当する額を処分した上でさらに出精金や従業員持分にも同様の処分を行い、かかる利益処分 の済んだ後なお余剰があった場合が﹁徳用﹂即ち、利益である。また、 ﹁不足し即ち欠損金はこれらのうちの前者の利益 処分ができ兼ねる場合のことである。︵換言すれば基準利益を超える超過利益のことである︶。この基準に従って計算してゆくと
ぎには資本蓄積が既定の事実として進むことばなるが、そのためには基準利益を超える利益をあげさせる刺戟が必要であ ることは言うまでもない。積極的には利益分配であり、消極的には欠損金︵中井家的意味での︶の繰越または弁償がそれで ある。 仙台質店酉店卸目録では、損益計算の部の﹁損之部﹂で﹁出精写り足﹂ ﹁甚兵衛り足﹂ ﹁元方へ臼足払そん﹂が初手か ら計上され、 ︵従って貸借対照表の部たる﹁金指引之部﹂でこの各項の繰越高に夫々﹁酉ノり足﹂が加算され︶ これを差引いた上で の利益が︵原本誤算あり訂正後︶ 一七四。二両ト七・五七匁の徳用が算出されるが、これは好成績につき、店には一〇%の 留保たる﹁出精金﹂一七・一両ト︸二・七五匁が差引かれ、一五七両ト九・八二匁の﹁とく﹂となるが、これはさらに有 給支配人たる甚兵衛に九%、一五・二両ト一二・九八匁を分配し、残額一四一・一両ト一一・八四匁が﹁質方とく﹂とな る。さて仙台店の店卸に﹁正金有物之部﹂即ち貸借対照表借方側に計上されるのは正規の利息を加算した﹁質店残り貸﹂ 五、四九三・二両ト七・一二匁、および、右の最後の額たる一四一・一両ト一一・八四匁﹁回方とく﹂の二項目のみであ る。換言すれば﹁出精金﹂ ﹁甚兵衛預り﹂は仙台店に帰属せず、質店名儀人日野屋源四郎と甚兵衛の取分となるのである からこれは利益配当たる報賞金である。尤もこれを現実に引出すには一定の条件が必要であったものか、どの支店でも年 々累積せられ今日で言う負債的積立金となっている。 またその本店たる仙台店が本家に対する関係も類似していて、 ﹁古望性金﹂ ﹁同り足十二月分﹂ ﹁湿性金﹂ ﹁集り足酉 年回﹂がそれぞれ本家の店卸記に掲げられるが、 ﹁出精金預り高﹂に並んで﹁徳用積金預り﹂ ﹁同利足十二月分﹂も仙台 店留置となり本家には附上げされない点が仙台店−伎量・支店の関係と異る。換言すれば本家はこの頃には既に実際の 業務をはなれた非機能的存在となり、年々一定の利息相当の利益を累積させ、企業危険は一応仙台店で腰溜される。仙台 ,店は仙台本店ともいわれるごとく、その下部の支店・市店の全経営を統括する実質的中心となっていたようである。 江州中井家の本支店会計法について 五七
江州中井家の本麦店会計法について 五八 相馬店の葺合は初代の記録では仙台店と同等の扱になっているが、例示の年代では利息徳用を仙台店に附上げた上で本 家に帰属させているのでこれまた異った関係である。 押立店は成績不振のためにか、閉鎖されるのであるが、十二年聞存続した。前に引用したのはその開店.二年目の決算で ある。元金が次々と下され、設備︵醤油醸造︶が増設されてゆく層が、常法通り開業当初は赤字となる。この赤字の内容が面 白い。売買総軍は僅ながら一・二両ト一〇。八匁利益であることを計算し、その直後、何の項目にも先んじて望墨金に利 足をつけ、前年の損金と合算する。︵即ち繰越欠損金の補導が優先︶しかる後衛用雑費、食費、給金が差引かれて欠損金総額 が算出されるのである。 中井家の支店はすべてそれぞれ独立採算制を採っていた.ようであるということの実態をつきとめてみよう。中井家帳合 法が支店経営の管理手段として発達したもので、個々の支店を単独の企業、独立の会計主体とは考えずあくまで本店、本 家に連る統一的資本体の各分肢経営であることを会計制度としては本支店会計法で表現した。相互間での貸借関係のよう な用語を用いるけれども、他店との貸借とは明らかに区別しているのである。初代の存世中は完全な本家集申、二代目以 降は分配された財産、即ち相続人単位に集申される。 このように中井家一統は単一企業であるが、管理基準としては責任と功績を明確に帰属させようとする。 先づ営業経費のうち共通費となるものについてはその利用状況に相応した額を賦課附替するのである。 ﹁仙台店酉店卸 目録﹂の損益計算のうち、 ﹁家内諸入用部﹂即ち飯米をはじめとした日用食費、紙墨筆、客用雑費、小普請、町内入用、 旅費運賃を含む広範囲の営業費、及び、 ﹁又﹂とあって店主源左衛門以下下男に至る三十二名の給金の合計﹁二口﹂しめ て、七一一・一両トニ・二七匁のうち、 ﹁右之内﹂として﹁手分雑用也﹂ 一〇〇両﹁質店分﹂五〇両を掲げ、これを差引 いて﹁雑用也﹂五六一・一両トニ・二七匁を算出、これを仙台店の営業経費としている。しがして、仙台店の﹁店分雑用
也L 一〇〇両が、仙台見世の酉店卸目録では﹁損徳之部﹂︵損益計算書︶に﹁右之内﹂︵費用︶の区分に﹁雑用﹂ デ00両と して掲げてある。これと別に﹁店小遣筆代﹂が出ているし、一〇〇両を支出した記録はないので明らかに仙台本店よりの 振替附則隅賦課額である。質店の場合も、 ﹁損之部﹂︵費用︶に﹁元方へ造用﹂として五〇両を計上して居り、別に、 ﹁紙 墨黒眉に小遣い﹂があるから前者と同断である。見世と質店では、質店の方が遙に規模が大ぎい。見世は仙台店の出店で あり、質店は源四郎担当の支店である。そこで、右の一〇〇両と五〇両という比率.は本店の用役利用の度合といったよう な基準によったものではなかろうかと思う。 ︵以上の振替額が﹁元方﹂の計算で加算されることは前腎で詳説した。︶ 経費の負担を合理的にするとともに、入部関係でも営業活動の程度に応じた帰属を計算すべぎである。今日では本支店 聞の商品の附替に際しては原価で計上しないで、合理的に決定せられた計算価格を用いることによって取引関係店に成果 を分割する方法が用いられている。この価格は、附置価格とも呼ばれ、これと原価の間に商品供給店側に帰属すべき利益 が算出され、またこれと売値の聞に販売店側に帰属すべぎ利益が算出される。資金の融通関係にも内部計算利息を附け合 うこともある。 計算価格がどのようにして定めらるべぎかについては種々の問題があるが、一旦これが定ると本支店網によって遂げら れる成果が各個の経営に分割されることになるので、経論能率の測定管理に有効であることは言をまたない。 申井家の揚合にはこれを日合利足の形で計上したのである。元手は商品の形で下ることもあり、現金その他で投下融通 されることもあるが、それは一々計算され、倭心に応じて利息がつけられる℃その利息を加減した後の利益が最終的に表 示されるということはこの計算によって利益の帰属関係を調整し、成果分割を確実合理的な.らしめることになる。 さてこのようにして分割会計制度の上に成果分割を行った本支店会計制度であったと結論する前に、今一つの推定を掲 げて置かう。 江州中井家の本支店会計法について 五九
江州中井家の本支店会計法について 六〇 支店の固定設備は必ずしも当該支店の計算項目ではなかった。例えば仙台店の酉年店卸目録の﹁正金有物之部﹂︵資産︶ には﹁申年質店蔵普請差引残りあり物﹂三七〇両が計上されているがこれは固定資産勘定であろう。しかして、質店の同 年決算にはこの項は出て来ない。即ち、仙台店の責任に於て設営が行はれたと解されるのである。また耳管にも指摘して 置いたように、押立店開店年度の決算では、 ﹁蔵普請有物申年より﹂という固定資産︵建設仮勘定︶が現われ、酉年にも建 築費が加算されるが、 ︵当然のことながら望性金がこれを含んだ額となる︶翌年には完成したのであろう、その殆ど全額が資産 項目から落され、望性金が軽減されるのである。 尤も、前の場合の仙台店の店卸中にはさ程大きな固定資産も揚げられていないし、後の場合、押立店の計算から落去っ たあと、本家の決算に掲げられるわけでもない。むしろ店卸の計算外に、 ﹁他に蔵有物﹂として註記される例の方が多い から、中井家の資本概念には固定資本は含まれないと結論したのであった。 右に指摘した点はこのためであろうけれども、いつれにしても管理運営の責任のある限度で、その所在の支店に計上さ れる。それは多くの場合短期間であるとしても、この結論は不当でないと思う。さうであるなら、申井家の本支店会計は 個々の支店を独立の企業単位と考え、単独の会計主体としたのではなく、管理責任に基づく区分をなした分割会計制度で あったといい得る。 邸 ①前掲拙稿、七四頁。