若菜上における紫の上について
紫の上が源氏の最も愛してい、る女性であることは'周知のところ であるが'1体'彼女は源氏の正妻であるのか'妾であるのか。彼 女が正妻である場合と側室である場合とでは'女三の官の六条院降 嫁によって生じる彼女の動揺・悲歎・反投にも差異があるだろうと 思われる。何ということな-正妻だと信じこんでいたわれわれは」 若菜上に至ってこの疑問に突当る。「河海抄」 は迷いながらも側室 ( 注 1 ) ( 注 2 ) と判断し'「花鳥余情」 は「室家のおぼえなり」と云う。現代の諸 注釈書も. '正妻とするもの側室と見るものそれぞれに解釈が分れて 一致を見ない。本稿はこの問題を解決して、その上で若菜上に描か れている紫上の生き方の意味を考えようとするものである。 順序として'藤凄菓以前の紫の上が'正側いずれの妻として描か れているかを点検しよう。「源氏物語事典」 の「作中人物解説」の 「ひかるげんじ」及び 「むらさきのうへ」の項に拠ると 久 保 源氏は、Ⅲ祖母北山の尼君に養われていた幼い紫の上を'尼君の 死後'その父兵部蘭の宮から盗む様な形で二条院に引取り'自分の 理想通りに教育し(若紫)'㈲政所'家司などを特に分けて生活に 不安がない様に配慮する (紅葉貿)。㈲正妻葵の上の死後'美しく 成長した十四才の彼女七新枕を交した (秦).㈲紫の上が親王女で あることと彼の妻であることが世間に認められる様に心を配り'紫 の上の裳着を行い、その際父親王の列席を請い'結婚を知らせよう と思う(秦)。㈲父官は紫の上を自由に訪れる様になる(賢木)。㈲ 藤壷に再び逢った源氏は紫の上が瓜二つなのを確認する (貿木)0 刑須磨退去に際しては'自分の女房達を紫の上に託し後事1切を委 任し'荘図・枚をはじめ所領の地券を譲渡した。源氏付きだった女 房も紫の上の人柄を慕って1人も退散しない。請居には京の女君達 との文通が行われるが、紫の上からは'「旅の御とのゐ物」「かとり の御なほしさしぬき」といった夜具や衣料が届けられる(須磨)0 ㈲源氏は明石の君との交渉をも紫の上には書き送る (明石)。㈱宣旨によって帰京政権の座に復帰の後、明石に姫君誕生。かつて宿曜 から云われた「御子三人'帝后必ず並びて生れ給ふべLt中の劣り は太政大臣にて位を極むべし」の予言の実現の可能性を内心ひそか に患い、明石の君母子を迎え取る決意を紫の上を語る (浮標)。冊 前斎宮を冷泉後宮に入内させることを藤壷に計り'紫の上と共に入 内の準備をする(浮標)。価清涼殿での絵合に斎宮女御に差上げる 須磨の絵日記を取り出し'紫の上に見せる(絵合)。閥明石の君が上 京して大井の山荘に居るのを、紫の上に事情を明かして訪れる(紘 風)。個明石の姫君を紫の上の養女として育てることを紫の上に相 談し(松風)'㈹姫君を二条院に引取り袴着を行う。源氏は明石の君 を列席させない (薄雲)。闇斎院を退いた朝顔の姫君をたびたび訪 れるのを、紫の上が知って嫉妬し、源氏が紫の上を相手に外出の挨 拶をしても見向きもしない。藤壷・朝顔・騰月夜・明石の君・花散 里などの比較論評をLtあなたは藤壷の完全さに近いが'嫉妬だけ が欠点だという (朝顔)。㈹六条院完成、東南の町に紫の上と共に 住む。紫の上が春を好むので源氏は春の風物をこの町に配した(少 女)。㈹年末、紫の上'明石の姫君'花散里・玉畢・末摘花・明石 の君・空蝉らに新年の衣裳を配る。紫の上を相手に歌道論を述べる (玉畢)。㈹新年、紫の上と末長い梁をこめて唱和した後'女君達の 許を巡って、明石の君の許に泊る。翌早暁、東南の町に戻って紫の 上の機嫌を取る (初音).凋晩春'紫の上方で船楽を催し'中宮と 紫の上との春秋の争いに紫の上にカを借す (胡蝶)。鋤紫の上に幼 少の姫に与える物語について注意する様にと云う (餐).軌夕霧を 紫の上に近づけぬ様心を配る (登).鋤玉草の宮仕についての返事 を紫の上と共に見る (行幸)。倒髭黒と真木柱の件で式部卿の宮方 から源氏と紫の上の陰謀と勘ぐられて迷惑に思う(其木柱)。伽幾 の宮を判者として朝顔・紫の上・花散里・明石らの秘法を競った薫 物を合せる(梅枝).脚紫の上と書道を論じる.紫の上を当代名筆 の一人にかぞえる(梅枝).鍋賀茂祭の日下賀茂に詣で'紫の上と 共に夕刻祭を見物(藤裏莫)。即四月下旬入内する明石の姫君の後 見に明石の君をと定め'最愛の紫の上に実子のないのを物足りなく 思う(藤裏葉)0 以上の中から'紫の上が源氏の側室である確証を探し出すのは困 難である。逆に正室であると思わせる個所は幾つも見出せる。 a 最初に'二条院の修理が成った時点で若い源氏は'「かかる ところに恩ふやうならん人を据ゑて住まばや」 (桐壷) と思った。 その「人」は側室を考えたのではあるまい。現実には既に正妻葵の 上がいるのだが'彼は理想的な妻を現実とは別の世界で心に求めて いた。藤壷の女御の面影がそこにはあったと患われる。 b 藤壷によ-似た美少女 - それはあこがれの人の姪であるこ とがわかった1を得、二条院に引き取って思い通りに教育し'正 妻の死後この人と結婚した。その人の父親王の列席を請い装着の式 を行おうと考えた時'源氏はこの人を正妻と思い定めていたであろ う。当人も世人も'桐壷院までもが'葵の上亡き後の源氏の正夫人 は六条御息所と信じていた予想が外れたのは'他にも原因があろう が'源氏の心中すでに正夫人の座にすゑた若紫の君のいたことも強
い要因だったのではなかろうか。 C 須磨退去の際の源氏の私財処理のし方は、紫の上の生活の安 定を計ったばかりでな-、1家の経営を委任したのであって'彼女 が正妻の地位にあったことをうかがうに足る。紫の上から'請居に 季節の変り目に夜具や衣服を送っていることも'これを裏付けす る 。 d 明石の君・橿前斎院等恋人と交渉を持っても紫の上には隠し 事をしていない。藤壷の噂すら口に上している。こういう日常生活 的な隔てのなさは'正妻に対してだけ寄せる信頼感であり'正妻の みが持っている安堵感にわが心を託する夫の甘えであろう。 ・e 源氏が二条院時代・六条院時代初期を通じて'終始紫の上と ヽ ヽ ヽ ヽ だけ同居しているのが'彼女がむかいめという証になるであろう。 f 彼は屡々政治的地位を獲得したり保持するための重大な計画 に紫の上を参与させ協力させている。紫の上に前斎宮を源氏の養女 として入内させる準備を手伝せた。冷泉帝出御の絵合に際し斎宮の 女御に奉る絵の選定を手伝わせた。その勝敗は前斎宮弘徽殿両女御 の帝寵競争に'また内大臣源氏と権中納言との政権抗争の結果に影 響をもたらすものであった。 g 源氏が'将来后となるべき明石の姫君を'生母明石の君の手 許から二条院にいる紫の上の許に移し'その養女として養育したの は」姫に嫡出子の格をつけるのが、最も肝要な目的であったと思わ れる。明石も亦賢母としての資格に欠けるとは考えられないが'祖 先はともあれ受領の女で側室の女性の所生のままでは、立后の際の 痕になるのである。源氏は明石の姫君の著袴に'明石の君を列席さ せなかった。世評を障ったのである。東宮に入内前の大切な時期に' 姫君に症がつ-と困るからである。まして皇后冊立に当っては'嫡 出であることが重大要件となるにちがいない。源氏は宿曜の勘串を 信じて明石の君母子を上京させたのであり (浮標)、明石の君は姫 の将来の幸福のために'姫を源氏に委ねたのである(薄雲)。紫上が 嫡妻であればこそ源氏は明石の姫君をその養女としたと考えてよか ろう。 明石の姫君が后となることには'源氏の政治生命が懸かってい ヽ ヽ る。女三宮を妻に迎えた動機はすき心である。東宮の女御になって いる姫君の'嫡出子という格に変動を来す心配があれば'宮の降嫁 を源氏は承諾しなかったであろう。紫の上の正妻の格を降した形跡 はどこにも見えない。紫の上に対って愛を確める源氏の言葉には' 彼女の正妻の格を尊重している含みが感じ取られる。 「いみじきことありとも、御ためあるより変ることはさらにある ( 注 3 ) まじきを'心なおきたまひそよ」 (降嫁を承諾したことを紫の上 に打ち明ける時) 「思ひのほかに'この宮のかくわたりものしたまへるこそは'な ま苦しかるべけれど'それにつけては'いとど加ふる心ざしのほ どを、御みづからの上なれば'おぼし知らずやあらむ。」(述懐の つ い で に ) 紫の上自身にも降格されたという意識はない。 「われより上の人やはあるべき」(女三の宮と初対面の準備をしな
がら思う。) 「わが身はただ一所の御もてなしに'人には劣らねど」(出家を思 い立って心に思う。- 若菜下) ・紫の上は'官の内親王という身分を尊重するが'宮との対面の場 では'年長者として優位に立って行動している。正夫人としての自 負がなければ'官の乳母を「召し出し」たりはできない。最初に宮 の降嫁のことを聞いて、紫の上が源氏に云った「めざましくか-てなど各めらるまじ-は'心やす-てもはべなむを'かの母女御の 御方ざまにても'うとからずおぼし数まへてむや」は'謙辞だと作 者がことわっている。また'彼女が女房達に対って「ひとしきほ ど(劣りざまなど恩ふ人にこそ、ただならず耳たつことも、おのづ から虜で来るわざなれ(かたじけなく心苦しき御ことなめれば'い かで心おかれたてまつらじとなむ思ふ」と云ったのは'女房達をた しなめる目的から発した強調表現である。だから源氏が女三の宮に 対って紫の上が対面を希望しているのを伝えて「夕方'かの対には べる人の'淑景合に対面せむとて出で立つそのついでに、近づきき こえさせまはしげにものすめるを'ゆるしてかたらひたまへ」と云 う言葉から'女三の宮が正夫人、紫の上は側室という格差を説-の は、早や呑込みで'内親王の格を尊重して鄭重な云い廻しをしたの だと解するべきである。 紫の上が源氏の正妻であることを認めると'若菜上・下に描かれ ている次の様な事柄が納得し易くなる。旧出家した朱雀院が「紫の 上」に消息を賜ること'榔女三の宮との対面で紫上のとった態度' 制紫の上の催した二条院のとしみの壮麗さ(以上、若菜上)'㈲住 吉詣の際に、明石の女御と紫の上とが同乗すること'㈲明石の女御 と紫上の人だまひの革が同数であること'㈲住吉社頭で'紫の上と 女御と中務とが和歌を唱和するのに明石の君が加らないことt m里 邸退出中の明石の女御が'二条院に赴いて紫の上の看病をすること (以上若菜下)等は'私には'紫の上を源氏の正妻と理解すること によって無理なく解けるように思われる。 この物語の書かれた当時の帝一条天皇に'一時、定子彰子二人の 后のあったことは余りにも有名である。藤原道長にも倫子と明子の 二人の正妻があった。この物語の夕霧右大臣は落葉の宮と三条の北 の方(雲井雁)の許とへ月の半分ずつ通うことにしている。(匂宮) 二人とも正妻であろう。従って'准上皇六条院に紫の上という正妻 のあるところへ女三の宮が'また正妻として入ったと解してもよい のではなかろうか。 紫の上は、源氏から、御病気の朱雀院が女三の宮を見捨てて出家 し難いのでその後見を頼むと懇請なさるのを'すげなくことわれ ず'六条院に迎えることにしたと報告を受けて 「あはれなる御ゆづりにこそはあなれ。ここには'いかなる心を おきたてまつるべきにか。めざましくかくてなど答めらるまじく は'心やす-てもはべなむを'かの母女御の御方ざまにても'う とからずおぼし数まへてむや。」(「心打たれる御委譲ですこと。 私が姫宮に快からぬ思いなどを抱くことは決してありませぬ。私
を目障りなと宮がお呑めなさらねば'心安らかにこの六条院にい ましょうが、母君の御縁からも、私を親しい者にお思い下さるで しょうか」 と云っているが'これは'俄かに降って湧いた様な事態で'源氏 も辞退のしようもなかった事だLt ここは自分が嫉妬がましいこと を云う場合でないと哨暖に判断した受け答えであって'正妻の座に ついた女三の宮の下で、側室の格に甘じようという意味ではない。 それは'この後に続-彼女の思惟や行動を見れば明かである。先ず 「をこがまし-恩ひむすぼはるるさま、世人に漏り聞えじ」 と心を 決めて'彼女は内心の苦悩をおしか-して'「いとおいらかに」 持 ち前の温和な表情'態度をくずさない。 .紫の上は'表面にあらわれたところはおだやかな人柄であるが、 内面には勝気で快活で純真でしかも鋭敏・利発な資質を蔵してい る。二条院西の対に引き取られたばかりの少女時代、源氏に挙の奏 法の手ほどきを受けて'まだ音色も整わないうちから'源氏の笛に 臆せずためらわず合奏したこと'源氏の須磨退去の際'後事1切を 委託され'二十才にも満たぬ女の身で、無事に責任を果した様子で あること、源氏から数え年三才の明石の姫君の養育を委されて'間 然するところのない后がねに仕上げたことなどで'そういう一面が 立証されよう。彼女は'女三の宮の降嫁をむかえる六条院側の受け 容れ準備を'源氏に心を合わせて整え'智君源氏の身のまわりにま で心を配った.源氏が女三の宮の後見を引受けたもう1つの真の動 機'宮が放藤壷の姪と聞いてすき心を動かしたのを、紫の上は知ら ない.が'春の町の寝殿の西の放出に御帳台を立て'西の一の対' 二の対、渡殿にかけて'官付の女房達の局がしっらわれ'女御入内 に準じた調度類が運びこまれて来て、当日は宮の車に上達部達が大 勢つき添って美々しい輿入れが行われ、三日間ほどは'朱雀院側か らも'六条院側からも'盛大優雅な催しごとが続く華やかな婚儀を 身近に見聞きしては'紫の上は平静ではいられない。源氏が「いみ じきことありとも'御ためあるより変ることはさらにあるまじき を'心なおきたまひそよ。かの御ためこそ心苦しからめ。」 と誓っ て-れた通り'女三の宮が加わったからとて私が圧倒されてしまう こともあるまいと思う1万'また'「はなやかに生ひ先遠く'あな づりに-きげはひにて」若-華やかに、侮り難い勢力で'女三の宮 がいることは気にせずにはいられない。 目に近-うつればかほる世の中を行く末遠-頼みけるかな と'欺かれるのだった。 年ごろさもやあらむと恩ひしことどもも'今はとのみもて離れた ま ひ つ つ ' さ ら ば か く て こ そ は と う ち と け ゆ く 末 に ' あ り あ り て'か-世の聞き耳もなのめならぬことの出で来ぬるよ。恩ひ定 むべき世のありさまにもあらざりければ'今よりのちもうしろめ たくぞおぼしなりぬる。 「これまで、長い間には'たとえば種前斎院の様な自分より地位 の高い姫君が正夫人に迎えられるのではないかと危んだこともあっ たが、今は次第にお離れなさって'もう安心だと気をゆるしている と'とうとうこんな一方ならず外聞の悪い事が起ってしまった。安
心していられる夫婦仲ではなかったのだ。だから今後も何が起るか 知れたものでない」と紫の上は思う。花散里や明石の君やその他も ろもろの、女の手で入念に教育せられた女君達は'男性とは本来 多情なもの'妻は夫の浮気を見逃してお-のが最も賢明な生き方な のだという一種の功利的な諦観を'心の基底に植えつけられて成人 し'結婚後はそういう夫婦生活の中に安住の世界を見出している様 である。紫の上は源氏に教育せられて成人した。源氏だけを見て 育った彼女は'上記の婦人連よりももっと純真でナイーヴな男性観 を'自身で心の中に形成して来たものと思われる。彼女が見せた嫉 妬癖は、そうした純真な'夫に対する信頼の反照だといえるかも知 れない。彼女は二十年の夫婦生活の問に'幾度も夫の浮気に出あっ たが'源氏の誠実さを疑わねばならない出来事は1度もなかった. 彼はいつの場合も紫の上にか-し事はしなかった。夫の浮気の都 度、紫の上は腹を立てたり'すねたりした。そういう紫の上に手を 焼きながらも'源氏は彼女の嫉妬に一層愛情を深め'美的満足感や 情緒的満足感をさえ味わっていた。二人は互に'魂の奥深くでつな がり'常に愛を確認することができた。二条院時代'六条院時代を 通じて、この二十年間源氏の本邸に在って、紫の上は常に女主人で あった。彼女は'源氏の愛と唯一の正夫人としての地位とで'結婚 以来'誰にも上を越されることがなかった。放式部卿の宮の御女橿 前斎院に源氏が熱中した一頃、自分より地位・声望の高い種と源氏 が結婚することにでもなったらと気を挟んだことがあった。それは 杷菱に過ぎなかったが'その場合でも、前斎院には自邸があった。 この度はちがう。三品内親王女三の官は六条院春の町の寝殿の西面 を占め、西の一の対'二の対から渡殿にかけて宮付の女房達の局が 並ぶ - 春の町の景観はもともと紫の上の好みに合せて造営せられ ているのに'その1画は、さながら禁中の後宮の趣きに変容し「華 やかに」「あなづり難き」新正夫人の勢威を見せている。「目に近く うつれば変る世の中」 - 源氏の誓に偽りはな-ても'準太上天皇 になった源氏は以前の源氏ではない。六条院は以前の六条院でなく なった。紫の上がこれまで一途に信じて来たものは'1体何だった のであろう。不信の基底の上に安住する知恵を教えこまれていない 彼女の清潔な心は'思い定めることの不可能な「世」 - 誰にもど うしようもない夫婦のきづなの不安定性に直面して'まことに一寸 先は問なのだと深-思い知り、索漠たる気分になるのであった。妻 である故の深刻な孤独を知って彼女もまた変容したのである。 俗世間の常識では'太上天皇の第1夫人は'内親王が相当する. だからこの度の先帝女三の宮の降嫁は'六条院の繁栄を示すものだ Lt当然そうあるべき婚儀だとみな思う.紫の上は出自を亭見ば' 親王の庶子に過ぎないからだ。しかし、源氏が、女三の宮の後見を ヽ ヽ 引受けたのは、兄朱雀院の懇請に引き込まれたとは云え、すき心が 其の動機であった。源氏は太上天皇という格に束縛されて生活しよ ぅとは考えていないらしい。むしろその反対である。彼のその意識 を暗示するかの如-、物語中には、彼を「おとど」と呼び'「院」 という呼称をつかうことは稀である。源氏は昔と変らない。彼は幼 稚な女三の宮の実態に失望すると忽ちこの結婚を後悔Lt紫の上の
真価を再認識し愛情を深めてゆ-。しかし一たび宮を引受けた以 上'正夫人内親王にふさわしい待遇をして'朱雀院の素志を満足さ せる義務が残る。その心配りを紫の上の側から見ると'源氏が夫と しての愛情を分割しているとしか考えられない。彼女の一旦知って しまった不安定感は'源氏が如何に心を尽-しても'もとには戻ら ない。しかし彼女は源氏には勿論自分自身にさえ怨みがましい素顔 を見せない様に心をつかった。女三の宮に圧倒されてうち哨れてい る様を側近の女房達にさえ見られるのを警戒した。源氏に女三の宮 の許に行く様に勧めさえした。彼女はつとめて従来通りの平穏な外 見を保った。それは自分との闘いでもあった。勝気な彼女には六条 院の正夫人としての内心の誇がある。その上'東宮女御の母とし て'正夫人の立場を守る責任がある。悲歎に負けてはいられないの だ.1両'彼女は世の聞き耳にも無関心ではいられない.二人の正 夫人が出現した六条院がどういうことになるかと'世間では好奇心 をかき立てている。その負担は六条院の主源氏にでなく 全部紫 の上の肩にかかって来る。彼女が解決しなければならないのだ。し かも急を要するのである。噂は早-抑えねばならない。彼女は誰 のカをも借らず独力でこの任務をやりとげる決意を固めたと思われ る。 西山の寺に移った朱雀院から、源氏と紫の上とに親書が届いた。 姫君が心がかりなのである。紫の上は 背く世のうしろめた-ばさりがたきはだしをしひてかけな離れ そ と返歌した。紫の上の在る六条院に女三の宮を投入して'その上 紫の上にまで'宮の有様が気がかりだと訴えるのはエゴイズムもよ い所だが'紫の上は親心としてはさもあろうと同情して'「御出家 なさっても宮の後見をしてお上げなさいませ」と云ったのだが'院 の'入山後もかけ離れ得ぬ女三の宮への偏愛が、後々自分にどの様 な影響をもたらすかまでは予測しなかったであろう。 紫の上は'明石の女御が宮中から退出して寝殿に居るのに対面す る機会に'女三の官に対面したいと源氏に申し出た。朱雀院から' 藤のゆかりの紫の上と名指して親書を賜った時から'宮との対面を 彼女は考えていたと思われる。ゆかりの者と院から名指されて姫君 に挨拶に出ないわけにはゆかない。さりとて'ただのこのこと出向 けば'官の下風に立つことになる。1旦下風に立てば'それで六条 院内における序列が決定づけられてしまうので下手なことはできな い。それで恰好の機会を待っていたのであった。明石の女御の部屋 は'女三の宮の部屋の東隣にしっらえられていて、二重は仕切の戸 を隔てとして相接している。紫の上は'先ず女御に対面して次に女 三の宮に対面すれば、束の対からわざわざお目通りに参上するとい うみじめな形をとらないで済む'その上東宮の正夫人の母儀という 格が背景に光るので'女三の宮とその側近の女房達に'六条院の正 夫人としての正当な第一印象を刻みつけることができると考えたの であろう。もともと美しい上に衣裳を選び、入念に化粧し些かのす きも見せない程身仕度を撃見た。予め髪まで洗っておいた.尤もこ れは'女三の宮とその女房達の眼よりも'明石の女御に対面の際'
近侍しているにちがいない明石の君の桐眼に'女三の宮降嫁で動揺 しているのを見抜かれるのを恥じたのであった。それは心理的・美 的武装といえるかも知れない.身仕度を撃見た紫の上は見馴れてい る筈の源氏の目にさえ'「去年よりは今年はまさり'昨日より今日 はめづらしく」今始めて見るような'気高-華やかに当世風に'匂 い立つ様な盛りのめでたさと映った。自分が申し出た宮との対面で あるのに'紫の上はいよいよとなると気が重かった。 われより上の人やはあるべき。身のはどなるものはかなきさま を'見えおきたてまつりたるばかりこそあらめ'など恩ひ続けら れてうちながめたまふ。(「この六条院の女性で自分より上位の人 は電い筈だ.祖母に育てられていた幼時の頼りなげな境遇を源氏 に見られているというだけのことだ」などと考えつづけられて紫 の上は思いにふけっていられる。) 紫の上にしては珍らし-激しい心語である。正夫人としての誇を 守り通そうと、自分で自分を懸命に励ましているのであろう。上達 部が大勢お伴に加った女三の宮の輿入れ'連日朱雀院方と六条院方 とで行われた婚儀に付随した華やいだ催し事'寝殿の西南を領し て、女御入内に準じた調度を飾り立て、西の1の対二の対から渡殿 にかけて設けられた女房達の局。春の町の景観を一変させてしまっ た女三の宮方の御所風の日常生活。正夫人三品内親王の勢威に圧倒 されまいと懸命に堪えているところから発した語気の烈しさであろ ぅ。紫の上はまた'女三の宮の背後にある朱雀院と兄兼官の後見の 重さに比べて'正式の婚儀をさえ挙げ得なかった自分の境遇との大 差を'源氏が今どう思っているのかということも気がかりなのであ ろう。兎もあれ、正夫人としての自分の地位と誇を保持してゆくた めに'差し当って宮との対面に下手なことはできない。初対面の必 須要件としては'朱雀院に対する礼儀をつくすこと'「御仲うるほ しく」と望んでいる源氏の意向を休して'宮との問に親睦のきっか けを作ること、しかも自分の優位性を将来にかけて傷つけないこと だ。それに相手方には御所風を吹かす気位の高いしっかり者の乳母 や女房の居ること'この六条院の内外には口善悪ない弥次馬が大勢 いることも計算の中に入れておかねばならない。紫の上はひそか に心の中で丹念に計画を練り'話題の準備もしていたことと思われ る 。 対面の場では紫の上は'幼げな女三の宮を親めいてやさしくいた わり'話題には「昔の御筋」 -宮の母君と自分の父とが兄妹であ ることを取上げた。宮が返答できないと見ると'中納言の乳母を 「召し出」して'「宮と自分とは従姉妹の間柄'今後親しく御交際 をお願いしたい」と伝える。乳母は'宮に代って・その申し出に感 謝し'宮の教育をお願い申し上げるのが父君朱雀院の望みであり, 御当人もそれを顧みとしている旨を丁重に答えた。中納言の君は紫 の上の母性的なやさしさと気品の高さを目のあたりに見て'女御の 母という地位にも'また女御を立派に教育した能力にも'成る程と 合点がいって'女御とほぼ同年輩の姫君の教育を心から望んで紫の 上に頼んだのであろう。朱雀院の意向はかねがね聞いていたのであ ろう。中納言の乳母が紫の上に心服してしまったので・女三の宮方
の側近女房達も異見はない。対面の挨拶はこれで終った。.紫の上が 特に中納言の君を乳母達の中から名指しで召し出したのは、予めそ の人物や側近群中の地位について調べてあったからであろう。紫の 上は乳母の申満に差出がましい答は拍えて'話題を変え'宮の遊び 相手の様な若君しい態度で'物語絵などの事、雛遊びが楽しい事な どを語って直接宮のご機嫌をとった。無邪気な宮は'すっかり紫の 上に好感を抱いた。対面は成功した。紫の上が親のような態度で先 ず宮をいたわった上で'最初の話題に相互の血縁関係を持出したの は巧妙であった。源氏の妾同士という対立関係を避けて互いの緊張 感をほぐすことができた。正夫人同士ということであれば'三品内 親王の方が上位であるが、従姉妹同士という観点からすれば'皇后 腹の兄宮の子で年長でもある紫の上の方が'妹宮藤壷の女御の子で 年少でもある女三の官より下位ということはない。紫の上は下位に 立つことなく相手方に十分好印象を与え'その信頼と尊敬をかち 取って対面に成功した。しかもそれよりも'もっと肝要なことは' 二人の問に夫とのつながりを除いての個人的友好を成立させたこと である。虚飾的社交や大貴族の多妻家庭に澱む不潔で不合理な人間 関係から遠-放れた'従姉妹同士の交誼という自然な爽やかな交際 を考え当てて'紫の上は自分の心をも相手をも救った。以後は互に 消息をとり交したり'鹿川邪気な風雅な遊びわざなどにつけて睦びあ った。二人の正夫人間の親交は世上にも漏れ問え'これまで兎角の 噂が立っていた六条院の評判は'急速に安定した。 その年の十月'紅葉の盛りに'紫の上は、源氏の四十の蟹に'嵯 峨野の御堂で薬師如来の開眼供養を修Lt そのとしみ(精進落し) を自分の私邸にしている二条院で催した。算蟹は普通は子女が親の ために行うものであるが'妻が夫の蟹を行った例もある。「河海抄」 は「李部王記」を引いて、延長四年九月甘八日'京極御息所(藤原 時平の女'褒子。字多院后)が宇多法皇の六十の算駕をした例を挙 げている。紫の上は源氏の妻であると同時に'少女期に源氏の養育 を受けたので養女でもある。当然寅を行うべき立場に在る。正月に 玉蔓が若菜を献じた架は六条院春の町の寝殿で催された。秋好中宮 の場合も六条院西南の町であり、夕霧の場合も六条院の丑寅の町で 行われている。紫上だけが六条院外で行ったが'誰彼に遠慮したの ではない。紫の上は源氏の息災延命を祈って'現世利益の薬師仏の 供養を考えついたのであり'それには寺院が適当なのである。嵯峨 野の御堂を選んだのは'源氏の造営するところだからであるが'ま た紅葉の美しさも計算に入っていたことと思われる。薬師如来供養 を以って蟹を行った例としては「河海抄」に「李部王記」を引いて 延長五年二月廿五日弾正夢親王為民部卿六十賀於桃園官設法会 奉造薬師仏像(略) 延長七年九月十七日左大臣諸息四人共於法性寺設五十賀斎会其 儀本堂此度遮那像前安置銀薬師如来像 天暦三年三月十五日右兵衛督師氏細為大相公貞信公七十賀於法性 寺尊勝堂修法会図七仏薬師像写金字寿命経七十巻 と記している。あとの二例は太政大臣藤原忠平のために子息達の
行った宜で'いずれも法性寺で修されている。 としみを二条院で催したのは、広い場所を必要としたためであ る。寝殿全面は勿論'対の屋も使用して自由に思うように設営する ためである。 対の屋は女房の局々をとり払って殿上人・諸大夫・院司・下人ら の席に充てられ'寝殿には放出に螺細の椅子を立てて主賓源氏の席 とLt西には机十二に夏冬の源氏の衣裳と会を載せて'揃いの綾の 覆をかけ'椅子の前の置物の机二つに唐渡りの裾濃の覆をかけたの と'挿頭の育とが一際目立っておかれ'椅子の後に四季の界風四 帖。北の壁に沿って、置物の厨子二対と手廻りの調度類。祝の品で 寝殿の母屋は占められている。南庇には上達部・左右大臣・親王方 の席。庭に舞台を設け'その左右に楽人の座の平張を打ち'庭の西 と東に屯食八十具'禄の唐橿四十づつという豪勢さである。同じく 行事の進行次第を叙さないうちにも、正月に行われた玉撃主催の蟹 の場合には'源氏と玉撃の容姿や対話が描かれ'玉撃の夫大将と式 部卿の宮の心理までさし挿んで臨場感を現出していたのと全-異っ て'この場合の叙述の焦点は'紫の上の企画の壮霞さと周到さに向 けられている。御堂で行われた薬師仏供養ととしみの記事に共通し ていることは、その日の行事の進行状況も'主催者紫の上、主賓源 氏をはじめ列座の人々の行動が1切省筆されている事である。語り ヽ 手の視線は専ら'物に向けられている。供養の場では'「仏'経箱 峡箕のととのへ」の見事なことが述べられ'法会の景観は'僅かに 読諦せられた経典の名が「最勝王経、金剛般若、寿命経などいとゆ たけき御祈りなり」と挙っているのみに過ぎない。しかもこの条の 叙述の二分の1は上達部の参加を描くのに当てられている。 上達部いと多-参りたまへり。御堂のさま'おもしろくいはむか たなく紅葉の蔭わけゆ-野辺のほどよりはじめて見物なるに' 霜枯れわたれる野原のままに'馬車の行きちがふ音しげく響きた り 。 准太上天皇の正夫人となった紫の上は'上達部を動員するカを持 っに至ったが'同時にまた'彼等の与望を荷うに足る器量を見せる 必要が生じたであろう。 としみの灸も列席者の叙述にカを入れている。 南の庇に上達部。左右の大臣'式部卿の宮をはじめたてまつり ・て'次々はまして参りたまはぬ人なし。 この方は記述の量は少いが'句切を短-して殊更に調子を張って 印象を強めている。親王の列席も見え'大層な盛儀なのである。正 月にはなかった舞楽が専門の舞人・楽人によって奏された。最後の 曲目落籍の入綾に源氏の長男の夕霧と太政大臣の長男の柏木とが加 って舞い'往年の桐壷帝の朱雀院行幸の際の源氏と頭の中将との青 海波の舞を思い出させへ参列の人々の心に深い感銘を印した。源氏 は当時を思い起して'数々のなつかしさに涙ぐむのであった。とし みの場でもう一つ日に立つのは'皇族の協力である。献盃と共に賀 の儀式の重要部をなす挿頭の儀'その挿頭を置く台は'祝い物の中 で最も衆目の的である。この作製は東宮の女御の担当。主賓の背後 に立てる四季の犀風は式部卿の官が贈った。夜の内輪の管絃には東
宮が絃楽器を調進Lt朱雀院から掃領の挙など皇室に伝わる名器が 出揃った。それらの音色はそれぞれに源氏の心に宮中生活時代への 郷愁を誘った。それにつけても藤壷が恋しく'御在世ならば'算宜 などに進んで奉仕するのにと口惜しく思った。式部細の宮は紫の上 の父。明石の女御は養女、東宮はその夫である。それを知らない人 はいないであろう。しかし'こうして目の前に、その人々が紫の上 の催しに、心を尽くして協力するのを見て、列座の人々は今更なが ら紫の上の地位の尊貴さを確認したであろう。源氏は'亦'自分の 心を知り尽している妻のやさしくしかも周到な企画に満足したであ ろう。紫の上の催した源氏四十の賀は'あくまでも美的で感動的で ある。しかもその内側に彼女の正妻としての存在の主張が感じら れ'その蔭には女三の宮が強く意識されているように私には思われ る.内親王降嫁という新しい現実に随順する1万で'旧来の六条院 の秩序を保とうとする意欲の下に'彼女は'糞の好機を捉えて「世 のおぼえ」に働きかけ'所期の目的を達成したのだ。もし'紫の上 が'准上皇の正妻でなければ'これ程大がかりな宜を催す必要はな かったであろうLtまた出来もしなかったであろう。 この年源氏の四十の聖を行った人は'尚侍玉蔓・紫の上・秋好中 宮と冷泉帝の委嘱を受けて代行した近衛大将夕霧の四人である。こ の中で紫の上だけが家庭外で活動したことがない。だが'父式部卿 の五十の蟹の準備を源氏の協力を受けてした経験があった。 御としみのこと、楽人舞人のさだめなどを'御心に入れていとな みたまふ。経仏法事の日の装束'禄どもをなむ'上はいそがせた まひける。(少女) と記されている。紫の上はその時の知識を基にして'薬師仏供養 ととしみに分けてこの度の宜を計画したものと推察される。しかし 開眼供養と嵯峨野の紅葉との組合せ'としみの雅楽に昔年の朱雀院 行幸の際の青海波の舞のイメージを再現する構想は、今回新たに思 いついたもので'彼女の豊かな想像力の所産である。彼女は誰にも 知らせずに二条院でひそかに準備したのであった。規模の壮麗さで 夕霧の代行した帝の宜に次ぎ'細部にまで届いている周到さ繊細さ 優しさではそれを凌駕している。催しが大がかりだからこそ東宮夫 妻の協力も一層輝いて見えるのである。紫の上の宜の催しは源氏の 心の琴線に触れてその満足を買ったと共に、六条院の正夫人として の彼女の勢威と能力とを世上に知らしめた。女三の官降嫁以後'体 制の変化した六条院の中で'彼女は懸命に事態を正当化するために 心を砕いているのだ。そういう彼女を'紫の上ひいきの夕霧は'後 こ J O 「紫の御用意けしきの、ここらの年経ぬれど'ともか-も漏り出 で見え聞えたるところなくしづやかなるをもととして'さすが に心うつくしう、人をも消たず、身をもやむごとなく心に-く もてなし添へたまへること」 (紫の上は心がけといい態度といい 長年の問にも人に見られたり聞かれたりしてよ-ない噂になった ことがなく'静かということを本領として目立たぬ様にしていら れるが'それでいて気持がやさし-て、他の女君たちをないがし ろにせず、しかも品位を失わず、奥ゆかしい態度をお忘れになら
な い よ ) と讃嘆している。けだし'正解と云えよう。しかも私にはそこに紫 の上の正妻としての品格を保つために丹念に積み重ねてゆく努力が 見えるような気がする。 うと試みたものである。 物語は紫の上にのみ焦点を当てて来た。女三の宮は紫の上のライ バルとして登場しているのでない。物語は女三の宮降嫁によって地 位を揺さぶられ'動揺しながら'懸命に自分の誇を守って立場を堅 持してゆ-紫の上だけを描いている。実子がな-、後見とても十分 でなくひたすら夫の愛だけを頼みとして努力している紫の上と' 1万'後宮化してゆ-六条院内で'妻妾のいずれをもなだらかにも てなすという常識の線に沿いながら'しかも寄せ重き順にしたがっ て愛を分配するという後宮統御の常識を排して'自身の愛による序 列で紫の上への愛を貫いている源氏とが描かれてゆく。しかし源氏 の好色心は終息したわけでないことは'騰月夜との情事の復活を見 ても明かである。紫の上自身も源氏の誠意を疑っても見なかった以 前の彼女ではない。彼女が意識の下に圧し込めようとしている憂愁 ・焦燥・嫉妬- この方が彼女としては事態により深く関っている 性質のものなのに-それに沈輪することが許されない立場と知っ て、紫の上は誠意をこめて貿く対処しようとする。 小稿は'若菜上の紫の上に'大貴族六条院の正夫人として'苦境 にありながら自己を誠実に実現していくl人の女性の像を読み取ろ ( 注 ) 1'紫の上の薬師仏供養のとしみの条の 「北の政所」の注中' 「但紫上うるはし-本林のよしはみえさるにや寝殿をもさるや ぅぁりてふたけ給はすと見えたり然者北政所の号如何猶可加了 見」(玉上琢弥氏編「紫明抄河海抄」) 2'同右の注中に「むらさきのうへは大かた源氏の室家のおぼえ なり北政所といはんなに事あらんや」(伊井春樹氏編「松永本 花 鳥 余 情 」 ) 3'引用本文は新潮日本古典集成「源氏物語」に拠る。以下も同 じ。