日
蓮
聖
人
の
女
性
観
津
田
歓
貞
﹃ 恐 b やふ︿れる叩けや泣く殺せば化げて出る女程仕末の悪いものはない﹄浪曲家の枕言葉、人類 が乙の地球史上に生活を始めてよ b 何寓年かになるだらうが、その間彼女遣が随分惨めな生活に甘ん じて来た事は彼女達自身も亦私達男性もよく知る所である。 ﹃放によりて歓び楽しみ、酒よりも勝b
て伎の愛を讃め給ふ﹄とソロモンの唄にもある。 ﹃婦人さ共に居らんよb
も寧ろ蛇と共に居先方がい、﹄と翠ボーロは嘆いた。 ﹃女子と小人は養以難し之を近づりれば即も不遜、之む γ − 遠F
ければ郎ち怨む﹄と孔子も云った。 西暦紀元六世紀の宗教曾議の席上に﹁女に霊魂ありや、否や﹄さ云ふ問題が提出された事すらあっ ?ミ。
﹃女は生死の母である、悪魔の補助者である、男子をして自滅的快難民導く誘惑者な b 、婦なる 者ょ、主に従ふが如︿夫に従ムベし。男は女のために遺られたるものに非ず、女は男のために造られ たるものな b ﹄とキリストは彼女建を劣規的に取扱ってゐる。 ﹃女人最も悪な b とす。共に悶縁なし 日蓮翠人の女性御 一 二 五日蓮塞人の女性観 一 一 一 六 ひ 難し、思愛一たび縛着すれば人を牽いて罪の門に入らしむ、女は世間の縛たり闘諦を増長す。過失の 識だ
b
、乃ち非怯の器な b ﹂と小来備典には彼女達をして修行者の障害物ごして備陀は遼F
げ て ゐ る 。 叉糟寧は経典の中に掃人の十悪を衣の如く示し、 ﹃女よ、汝は弱き者なり﹄と言はねばか h に設かれ て ゐ る 。 ︵一︶女の子が生まれると父母が喜ばぬ乙と。 ︵二︶女は父母が丹精養育しても養育甲斐がない事。 ︵三︶娘の嫁入りに就て極慮の心配がある事。 ︵ 四 V 女は其心常に人を畏れる乙ま。 ︵玉︶生みの父母と生別れせねばならぬ乙と。 ︵ 六 ν成長の後其身を他に嫁づけねば在らぬこ止。 ︵ 七 ︶ 懐 妊 し な け れ ば な ら ね こ と 。 ︵ 八 ︶ 子 を 分 娩 せ ね ば な ら ね 乙 と 。 ︵九︶常に夫仁気乗ねしなければならぬこと。 ︵十︶常に婦人には自由が興へられぬとご。以上の十悪は女性が乙の世に生れ出づると同時に背負ふて来た運命の重荷とでも云はふか。彼女遣は 男子の自由なる生活に比較して余りにも束縛された一生ではないか。 是程哀れなる地位に於かれて京都た彼女達であるのに、何故に人類生活の理想郷である宗教生活に多 分なる困縁を持も、彼女達の一脚や悌に槌る熱烈なる信仰が男子のそれに比較した時、其盛に可な b の 差があると云ふことは何が原凶するか、女性が男性よ b 以上に熱心なる信仰者であるのは何故か。そ の原因を二つ三つ奉げやう。 女は弱いから大なるもの、絶なる者仁槌るのである。女は依頼心が強いから何かたよるものが無い と寂しきを戚ずる。女は異性に針する藤愛の場合も消極的であ
b
、受動的ではあるが男子の愛情に比 べて何倍かの熟を以てゐる。乙れと同時に宗教仁劃しても献身的である。不惜身命である。女は又全 ての物事に封して戚情的である。涙もろいのが女の心である。悪︿云へば﹁涙は女の最上の武器であ る ﹄z
t
云へる。男は怒って訴へるが女は泣いて訴へるr
ら う 。 この涙が紳や備の慈悲乞無僚件に受ける力ともなるのである。女は弱いが故に和也令すれば迷信に傾 ︿憂びがある。依頼心が強いから自力教よ b も他力敬を好む。女には塾術は解るが哲皐は解 b 難い彼 女還には一念三千の哲却を説くふ b も久遠質成の本備の慈悲を説いた方が効果がある。失織の玄性が 日蓮翠人の女性桜 一 一 一 七日蓮聖人の女性観 一 二 A 修道生活に入るのも、 ヒ ス ア リ ノ
1
婦人が迷信的宗教に盲従して滋物患者になるのも是等の女性心理の 躍動の外ならぬものである。古来、神降し、虚子、霊媒者等が世界を通じて女性の内職とされてゐる のも是等の心理に依るものである。 きて、斯︿も宗教的に多分なる因縁を所有したる女性をして傭敬各宗の姐師亦は開姐は夫々個々の 立場から研究し、比剣し来たったけれども我日蓮聖人程、女性をして銃く、而して叉深︿、熱心に、 研究し批判した人も希であらう。 ﹃大黒闇乞ば日輪破る、女人の心は大黒閣の如し、法華経は日輸の如し﹄。太陽が東の空から井れ ば嫌磨、なしに夜が明ける、法華経は日輸の光である。女性は過去の宗敬から悉︿排訴されて来たけれX
−も法華経の十界皆成、平等大慧の光明に溶して完全に﹃其中衆生、悉是吾子﹄の金言に依って彼女 達は救はれてゐる。 ﹃女人と備と妙法とは一体なり﹄Z
事人は日向記仁設かれある。何故女性がとんな隼い色のと一体 になれるのか、過去の宗敬家の女性観に比較して是は叉余b
にも女性に劃する一大思典ではないか。 女は結婚すれば子を生む。生まれた子には善悪、美醜、大小、賢愚の別があるニとは争はれ泊。とれ と同様に吾等の敬主、久遠本備はあらゆる法界に分身悌として臆現して常説法敦化の活躍をなす。亦妙の一・字は高法を生やるの立によ b て大小、擢賞、本迩の思想を以て臆病輿薬の救済をなす。故に﹃女 人と本怖と妙法とは一体な
b
﹄吉日蓮聖人は言はれた。 ﹃法華経は女人の御ためには鏡となb
、身の飾bごなるべし﹄とある。昔から女性に鏡は附物であ る 0 ・ 女 は 何 故 に 鏡 を 離 さ ね か 、 ア ス フ ア Y トの舗道を往︿近代女性の群の中にコン〆クトを忘れてゐ る女がある−ならばそれとそ彼女達の恥辱である。 ﹁化粧は婦人の生存競走に於りる有力なる武器であ る﹄と唱へられる今日である。 ﹃みめかたちょ主人の紅白粉をつくるが如くに法華経に信心致させ給 へ﹄と日蓮聖人が言った如くに、女が鏡に向って﹃誰よりも美しくならう﹄と思ム熱心をそのま、偽 の道へ活用せよと訓へてゐる。鏡は人間の心の裁判所にもなる﹃思以廻せば浮世は鏡.笑顔す b や笑 顔﹄と云ふ唄もある。 ﹃ 法 華 経 は 女 の 身 の 飾 、 O Z なる﹄。キ−ブ/\光るダイヤの指輪や紫翠の帯止め ば か b が女性の装飾品では無い、 日蓮華人の云ふ身の飾りとは人格の完成である。人格の完成は成傭 である。法華経の鏡と首つ引主をし℃汚れやすい心を琢いて備に成るのである。 ﹃いかなる男とせさせ給ふとも法華経の敵とならば随ぴ給ふべから今﹄理解のある力強い翠訓であ る 0 ﹁あなたの好きな人、諦められぬ程、好きな人でも、其人が法華経の敢に尻を向げるやうな人で あるならば、断然、二人の愛を解消せよ﹄さ訓へて下3
ったのである。法華経の敵とはどんな人か、 日蓮翠人の女性観 一 二 九日 蓮 田 岳 人 の 女 性 親 一 三