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国頭村奥間のアマグスクにおける民俗的調査(予報): 沖縄地域学リポジトリ

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Author(s)

当山, 昌直

Citation

沖縄史料編集紀要 = BULLETIN OF THE

HISTORIOGRAPHICAL INSTITUTE(36): 41-60

Issue Date

2013-03-29

URL

http://hdl.handle.net/20.500.12001/11442

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国頭村奥間のアマグスクにおける民俗的調査(予報)

当山 昌直 1.はじめに 奄美・沖縄各地には、アマグスク・アマングスクと称される丘陵地に類する地形が存在 し、拝所になっている場合が多いがその実態についてはよく知られていない。外間・桑 原(1990)は、各地に存在するアマグシクやアマングシク(1)はアマミク(2)の住居地として 解釈している。しかしながら、これまでの研究経過が示すように、首里王府史料の創世神 話に登場する「アマミキヨ」は民間神話を源流にしていることが指摘されており(山下, 2003; 遠藤,2004)、アマングスク(3)についても民間神話を考慮しなければならない。当 山(2011)は、アマングスク等の地名はこれまでの検討結果が示すように、「アマミキヨ」 よりむしろ「アマン神」(4)と関係している可能性の方が高いことを指摘し、地名はその痕跡 を示していると考えている。 そこで、本稿では「アマングスク」と関連して、国頭村奥間に所在するアマグスクにつ いて、民間の創世神話に登場する「アマン神」との関連性等の視点から調査検討した結果 を報告する。 2.これまでの研究経過 当山(2007)は、オカヤドカリ類(5)と民俗的伝承(創世神話)との関係についてまとめ ている。その概要を以下に記す。 (1)オカヤドカリとの関係 沖縄の成人女性伝統儀礼として存在していた針突の中にオカヤドカリを意味する紋様が 存在し、それがトーテム的な意味合いをもつものとして知られていた(小原,1962)。こ

TOYAMA Masanao: A Preliminary Folkloric Report on the Ama-gusuku, Kunigami Okuma, on the Okinawa Island

(1)「グシク」という呼び方は、地元などで呼ばれている名称からくる。城(グスク)研究等の分野ではグ スクと呼ばれることが多い、ここでは特に断りがない限り、「グスク」と称する。 (2) 本稿では、「アマミク」「アマミク神」等も含めて「アマミキヨ」と称して扱う。 (3) アマグスク、アマングスクについても同義語として扱い、本稿では特に断りがない限り、これらを「ア マングスク」として称する。 (4) 名称についてはまだ不明確であるが、これまでの創世神話等を参考にして「アマン神」と称しておく。 (5)生物学上のオカヤドカリ属Coenobitaをさす。以後、特に断りがない限りここではオカヤドカリと称する。

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のような中、当山(2007)は奄美・沖縄・宮古・八重山におけるオカヤドカリの方言を 調査した結果、「アマン」に類する音韻が共通して存在していることを報告している。ま た、石垣島にはオカヤドカリが登場する創世神話が存在しており(八重山歴史編集委員会 編,1954)、また沖縄、八重山諸島には「アマンユー」に類する創世神話に関連する語彙 が認められている(伊是名村教育委員会,2004;生塩,1999;仲里,2002;国立国語 研究所,1963;宮良,1930;宮城,2003)。奄美、宮古諸島については、文献に残らなかっ た可能性があり(6)、当山(2007)は恐らくかつては奄美から八重山にかけて広く分布して いただろうと推測している。 (2)アマミキヨについて 一方、琉球にはアマミキヨ(7)が登場する創世神話が存在しており、小島(1977)は首里 王府の史書では、1650 年に編纂された『中山世鑑』がもっとも古い開闢の物語が記され ているとしている。大林(1973)は、『中山世鑑』より先行する文献である『琉球神道記』 や『おもろさうし』が伝承された神話により近いと考えている。このような中で、小島 (1977)は「『中山世鑑』が『琉球神道記』を利用したというよりは、『琉球神道記』以前に、 開闢神話を記した文献があり、袋中も参照し、『中山世鑑』も部分的に引用しているのか もしれない」と記している。山下(2003)は、『おもろさうし』の創世神話に注目し、「『お もろさうし』のなかの創世神話のオモロは、「琉球王朝神話」群と類縁性を持ち、実は「民 間神話」群を源流にしている神話といえよう」と結論づけている。 次に、遠藤(2004)は、沖縄全域で聴取した7万余の中でアマミキヨに関する伝承が 多く聴取されるのはアマミキヨの渡来地と伝えられている沖縄本島南部の玉城村(現南城 市玉城)だけであり、他の沖縄本島と奄美ではごく少数の方しか伝承しておらず、まして や宮古、八重山ではかけらさえも聴取されないとし、王府の神聖性の基礎となっているは ずのアマミキヨ神話ではあるが、それが各地にほとんど伝えられなかったと述べている。 また、アマミキヨの聖地が集中する沖縄島玉城村においては、アマミキヨが渡来したのは、 そんなに古い時代ではなく、新しい文化を持って渡来した一族であるとし、天から降下し たのではなく、船で百名の浜に着いたという。そして、アマミキヨを開闢神話と結びつけ て語る人はなかった、と記している。 さらに遠藤(2004)は、天神降下始祖は、しばしばアーマンチュすなわち天人と呼ばれ、 そのアーマンチュは、各地で山や島を運んだ巨人神として伝えられていた。そのアーマン (6) このことについては当山(2000; 184 頁 27 行:沖縄島南部の民俗調査において、 聞き取り調査などで も話として出てくるが断片的であるため報告されていない)を参照。 (7)「アマミキヨ」「シネリキヨ」で二神という説もあるが、ここではとりあつかわない。

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チュの映像と玉城に伝えられたアマミキヨが複合して成立したのが、王府のアマミキヨ神 話であったと思われる、と記している。 (3)アマンとアマミキヨ 崎山(1993)は、言語学の分野から琉球のオカヤドカリの方言がオーストロネシア語 の要素を含むと指摘するなかで、神話の構造上からオカヤドカリが創世神話に関与してい ることを報告している。そして、オカヤドカリの「アマン」と「アマミキヨ」との関連性 を否定し、むしろ琉球諸語のアマン(アーマン)にこそ、ヤドカリ(オカヤドカリ)の原 意がとどめられていると考えられる、と述べていることが注目される。 これまでの研究経過をまとめると次のようになる。針突のオカヤドカリ紋様ではトーテ ム的な意味合いをもつこと、またオカヤドカリの方言では琉球全域において「アマン」に 類するほぼ同じ音韻をもつこと、さらに方言の中には「アマンユー」に類した創世神話に 関連する語彙が知られていることが指摘されている。一方では、王府の史料に登場する創 世神話の中に「アマミキヨ」が存在するが、これらは民間神話を源流にしていることが指 摘されており、民間伝承の調査結果では、アマミキヨ伝承は沖縄島の旧玉城村に集中し、 他の地域ではほとんど伝えられていないことが明確となった。ただし、旧玉城村のアマミ キヨはそれほど古い時代ではなく、外部から百名の浜に渡来した一族とされている。この ようなことから、民間伝承の「アーマンチュ」と旧玉城村の「アマミキヨ」が複合して成 立したのが王府の「アマミキヨ」という考えに至ったということになろう。この段階では、 オカヤドカリの「アマン」と創世神話(特にアマミキヨ)との関係については明快な説明 までは至っていない。この点については、崎山(1993)の論考が注目される。視点を変 えてみると、王府のアマミキヨについて、山下(2003)や遠藤(2004)の指摘と崎山(1993) の指摘は、合理的な結果を示すものであり、当山(2007)でもこれを支持している。 3.アマングスクについて アマングスクと称されている地名について、奄美・沖縄・宮古・八重山諸島を対象に、 文献と現地調査を行なった。結果として、調査は完全とはいえないが、現段階では宮古・ 八重山諸島からはその地名を確認することはできなかった。奄美・沖縄諸島で調査した結 果を表1に示す。今回は、これらのアマングスクの中から国頭村奥間のアマグスクを調査 地に選び、現地調査を行った。奥間における調査に際し、現地調査への同行および資料の 提供等で奥間在住の親川栄氏には大変お世話になったことを記して感謝としたい。

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表1.奄美・沖縄諸島におけるアマングスク系の地名  地名(読み方または別名) 所在する市町村 主な文献  ①天城(アマングスク) 伊仙町 伊仙町教育委員会編(1994)  ②アマングスク 国頭村奥 奥資料館(島田・斎藤による聞き取り調査)  ③アマングスク 国頭村辺戸 沖縄県教育庁文化課編(1983)  ④アマグスク(奥間グスク) 国頭村奥間 沖縄県教育庁文化課編(1983)  ⑤イシグスク(アマングスク) 大宜味村津波 仲松弥秀ノート(沖縄県立図書館所蔵)  ⑥アマングスク 本部町具志堅 金城龍生(8)氏私信  ⑦アマグスク 名護市屋我 沖縄県教育庁文化課編(1983)  ⑧アマグスク 沖縄市大里 沖縄県教育庁文化課編(1983)琉球国由来記  ⑨アマグスク 伊是名村勢理客 沖縄県教育庁文化課編(1983)  ⑩アマグスク 渡名喜村 沖縄県教育庁文化課編(1983)  ⑪アマグスク 座間味村阿嘉 名嘉(1996) (8) 本部町文化財調査委員会委員(本部町教育委員会発行『本部町の文化財第5集』1981 年を参照)。 図1.アマグスクの位置(図中の○)

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4.奥間のアマグスク 奥間のアマグスクは、沖縄県国頭村 に位置し、奥間小学校に隣接した場所 にある(図1)。アマグスクについて、 記した文献を以下に記す。 仲 程 編(1967) に よ る と、 奥 間 に はアマンチヂ(一名アマグスク)とい う小高い丘があり、アマンチヂは部落 発祥の山だといわれ頂上には南北に距 離をおいて「へえの御殿」「にしの御 殿」という二つの宮があり、住民の信 仰の場所となっているという。次に宮 城(1983)は、アマグスクのことを次のように記している。「地元では奥間グシクと呼ぶ。 頂上部には南北にそれぞれ僅かな平坦部があり、南ふぇの御殿と北にしの御殿の二つの拝所がある。 祭事は南の御殿は若ノロ、北の御殿をノロが司る。奥間・浜・比地・桃原の4ヵ村共同の 拝所であり、北の御殿のことをアマングシクと呼んでいる」。當眞(1997)は、石垣のな い「土よりなるグスク」について、沖縄島北部のグスクを中心に5ヵ所のグスクを調査し ている。この中で奥間のアマグスクについて、防御遺構という視点にたって「縄張り遺構」 を分析する細かい調査と考察を行っている。その結果、堀切・切岸・土塁等の存在から軍 事的な防御機能をもつ城として考えている。また、考古学上の遺物がまだ発見されていな いので、年代については不明としている。しかし、軍事的機能を有するグスクが部落の発 祥と結びついているところは何らかの意味があったのであろうとし、その意味については 改めて考えてみる必要があるように思われる、と結んでいる。 (1)アマグスクの調査 筆者は、当山(2007)を書いたあと、奄美・沖縄のアマングスクに関心を持ち、各地 のアマングスクについて調査を始めた。このような中、奥間のアマグスクを訪ねたのは 2010 年3月 10 日である。アマグスクは,小高い丘の頂上付近にあって、拝所としては 特異な構造をしており、ちょうど、奄美大島の「アマンデー」を小さくしたような地形を している。今回の調査のきっかけは、奥間のアマグスクを訪ねた結果と関連し、「アマン デー」に降臨したとされる「アマミコ神」と重ね合わせ、奥間のアマグスクと「アマン神」 との関連性が見いだせないか、その可能性について検討する必要を考えたことによるもの 図2.アマグスクの縄張り図。1:土帝君の祀られている 広場。2~4:削平段。5~6:曲輪。6A:腰曲輪。 6B:曲輪(基壇風のピーク)。(當眞, 1997 より)

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である。 調査は、2012 年7月 22 日に現地踏査と計測、11 月8日に現地計測の調査を実施した。 なお、現地調査にあたっては、当該地が聖域であることから、調査の前後に拝礼を行ない、 拝所のイビ(9)等については目視による観察が中心になった。したがって、調査結果もその範 囲内で行ったので十分とはいえないが参考になれば幸いである。 調査方法 距離計測は測量用ロープ(間縄:1cm 単位)、方位計測についてはコンパスグラス(石 神井機器製作所:視野界 10°、倍率 2.2)を使用した。拝所内には、ニシヌウドゥン(10)(NU と略、写真1)およびフェーヌウドゥン(FU と略、写真2)の背後にクロツグ(FK と略、 写真3)が生育しており、その間に現生のキクメイシ科のサンゴを加工した構造物(北側 を NS、南側を FS と略す、写真4:ここでは暫定的にサンゴ柱と称しておく)が二つ、そ して、サンゴ柱とニシヌウドゥンとの間にリュウキュウコクタン(フェーヌウドゥンに向 かって左側を LR、右側を RR と略、写真5)の大木がちょうど門のような位置で生育して いる。拝所敷地内は比較的平坦になっており、雑草が生え、その周囲を樹木が被うように 茂っている。 距離計測は、ニシヌウドゥンの背後の少し奥のピーク部に生育するクロツグ NK(写真6) を起点とし、ニシヌウドゥン NU(祠の右前面角までの距離)を経由して、リュウキュウ コクタン LK・RK、サンゴ柱 FS までの距離を測定した。また、誤差を少なくするため、逆 にフェーヌウドゥンの前面のクロツグ(FK と略)を起点としてフェーヌウドゥン FU(祠 右前面角までの距離)を経由し、サンゴ柱 FS、サンゴ柱 NS までの距離を測定した。また、 (9) ①御嶽の内奥にある神域。イビには香炉が置かれ、その背後には神の依代とみなされる巨岩・クロツグ やクバ(ビロウ)などの神木・墓などがある。②神石のこと。神聖な石をイビという例がある。(平敷, 1983 より) (10) 地元で呼ばれている呼称を用いた。フェーヌウドゥンも同様。 写真2.フェーヌウドゥン FU 写真1.ニシヌウドゥン NU

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ニシヌウドゥン NU、フェーヌウドゥン FU、サンゴ柱 NS・FS において、方位計測を行った。 結果 距離計測した値を表2に示す。方位計測値については、フェーヌウドゥン FU からサン ゴ柱 FS への方位は 37°(実測値:偏差補正は行っていない、以下同じ)、サンゴ柱 FS か らサンゴ柱 NS は 25°、サンゴ柱 NS からニシヌウドゥン NU は 24°、サンゴ柱 FS からニ シヌウドゥン NU は 25°であった。ニシヌウドゥン NU について拝者側からみた全体的な 写真4.サンゴ柱 NS 写真5.リュウキュウコクタン(写真中央部 RR:左 側 LR もみえる) 写真6.ニシヌウドゥンの背後のピークに生育するクロツグ NK を基点とした 写真3.クロツグ FK 表2.アマグスクの拝所における位置計測(単位m) クロツグ NK を起点 クロツグ FK を起点 クロツグ NK 0 -ニシヌウドゥン NU 祠右前面角 5.3 -リュウキュウコクタン LR・RR 14.9・15.4 -サンゴ柱 NS 35.6 35.6 サンゴ柱 FS - 18.9 フェーヌウドゥン FU 祠右前面角 - 5.7 クロツグ FK - 0

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方位は 57°、フェーヌウドゥン FU については 35°であった。 これらの計測値に基づいて作成した拝所の概略図を図3に示す。図中の点線は拝所の敷 地と周囲の樹木とのおおよその境界を示す。 計測の結果、クロツグ NK からクロツグ FK までの距離は 71.2 m、ニシヌウドゥン NU からフェーヌウドゥン FU 間の距離は 59.2 mであった。サンゴ柱 NS はクロツグ NK と FK とのちょうど中間地点に位置し、またニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンからみてもほぼ 中間にある。サンゴ柱 NS には山川石からできた香炉が添えられている(写真7)。サンゴ 柱 FS には NS にみられるような香炉はない。サンゴ柱 FS からニシヌウドゥン NU までの 方位はほぼ 25°を示しているのに対し、フェーヌウドゥンからサンゴ柱 FS までの方位は 37°であり、ちょうどサンゴ柱 FS から角度が異なっていることがわかる。 リュウキュウコクタン RR について、地上1mの幹廻りを測定したところ 109cm で、リュ ウキュウコクタン LR については 74cm であった。クロツグ NK からリュウキュウコクタ 図3.アマグスクの計測結果に基づいて作成した 拝所の略図。NK:クロツグ、NU:祠(ニシヌウドゥ ン)、LR・RR:リュウキュウコクタンの大木、 NS・FS:サンゴ柱、FU:祠(フェーヌウドゥン)、 FK:クロツグ、R:道 写真7.サンゴ柱 FS に添えられた香炉

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ン RR・LR までの距離は約 15 m、クロツグ FK からサンゴ柱 FS までは約 19 mで数mの 差があるが、図3でもわかるように、リュウキュウコクタン RR・LR とサンゴ柱 FS の位置は、 それぞれの起点のクロツグから同じ位置関係にあるようにみえる。 ニシヌウドゥンの祠の内部について観察した。内部の様子は写真8と祭祀物配置の模式 図を図4に示す。 内部については、祭祀物に触れないように目視だけで調査したので正確とはいえないが、 その概要を次に記す。A:セメント製の香炉、B:サンゴ(キクメイシ科)製香炉(破砕)、 C:琉球石灰岩製の香炉、D:山川石製の香炉、E:山川石製の神体、F1:結晶質石灰 岩(本部層:いずれも外観から推定、以下同じ)製の神体、F2:粘板岩(推定、以下同じ) 製の神体、F3:結晶質石灰岩(本部層)製の神体、G:山川石製の神体。 F1はBとDの間、F2はCとEの間、F3はCとGの間に散在していた。フェーヌウ ドゥンを参考にして、本来位置していたと思われるF1から3の配置を破線で図4に示し た。 図4.ニシヌウドゥン祠内祭祀物の配置 写真9.フェーヌウドゥンの祠内 写真8.ニシヌウドゥンの祠内 図5.フェーヌウドゥン祠内祭祀物の配置

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次にフェーヌウドゥンの祠の内部について、その様子を写真9、祭祀物配置の模式図を 図5に示す。a:金属製の香炉、b:山川石製の香炉、c:琉球石灰岩製の香炉、d:サ ンゴ(キクメイシ科)製の香炉(破砕)、e:山川石製の神体、f1:結晶質石灰岩(本部層) 製の神体、f2:粘板岩製の神体、f3:結晶質石灰岩(本部層)製の神体。 ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンとでは、共通する点と異なる点がある。祠の入口前 面に備えられている線香用の香炉は別として、他の祭祀物の共通点についてみると、琉球 石灰岩、サンゴ、山川石製の三種類の香炉があり、中心に位置しているのが琉球石灰岩製 の香炉である。神体に山川石が使われており、琉球石灰岩製の香炉の後方だけは、それと 異なる粘板岩製(F2とf2)の神体を挟むようにして、結晶質石灰岩(F1とF3、f 1とf3)の小さな神体で、いずれも位置が動かされた形跡がある。フェーヌウドゥンで は本来の位置と思われる位置関係が確認されるが、ニシヌウドゥンではフェーヌウドンを みないとわからないような状態になっている。F1~F3、f1~f3のいずれも人工的 に加工された形跡はない。ただ、粘板岩製のF2とf2の神体は、摩耗して角がとれており、 海岸や河川にみられるような岩石の形態を呈している。 ニシヌウドゥン NU の祠の前に立つと、祠の背後は 57°の方向に向いており、その背後 にクロツグ NK がある。また、フェーヌウドン FU の祠の前に立つと、祠の背後は 35°の 方向に向いている。図3でみるように、この拝所の全体的な形は、概してSを上下に延ば したような形をしている。クロツグ NK をさらに奥へ進むと、當眞(1997)が報告して いる「堀切」とみられる人工的に削ったような跡が確認される(図2参照)。 ニシヌウドゥン NU の祠の前に立ち、そこからフェーヌウドン FU 方向をみると、比地 川を挟んだ遠方にチンヌウガミ( (11))が 206°の方向にみえる(写真 10)。206° を逆方向からみたとすると 26°になる。この数 値はサンゴ柱からニシヌウドゥンへの測定した 方位 25°とほぼ一致する。したがって、ニシヌ ウドゥンからみた参道(NU から NS)とチンヌ ウガミとの方向がほぼ同一線上にあることがわ かる。奥間在住の親川栄氏にチンヌウガミのこ とを聞くと、意味としては「角の拝み」といわ れているが拝所等については知られていないと 話してくれた。 図3の点線の外側は、一般的な御嶽にみられ (11) 国頭村比地で呼び方を複数録音し(2011 年8月 24 日)、當山奈那氏に音声表記に直してもらった。 写真 10.チンヌウガミ。頂には三ヵ所のピーク がみえる。中央のピークがチンヌウガミと呼ば れている。右側のピークは三角点が施されてい る 152.3 mの地点。

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るような深い森ではなく、灌木が茂る二次林的な様相を呈している。この地域は、クロツ グとリュウキュウコクタンが比較的多くの割合で生育しているのが確認される。そこで、 図3の点線部分に沿って歩き、表に面しているクロツグ(株単位)とリュウキュウコクタ ン(樹高 50cm 以上の直径が指より太い木)の数を数えたところ、クロツグが 28、リュウキュ ウコクタンが 40 であった(数値はいずれも概数)。リュウキュウコクタンについては、点 線の外側の斜面にも広がっており、古いリュウキュウコクタンも散見された。また、林内 にはソテツもみられることから、以前は裸地に近い状態だったかもしれない。 考察 ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンについて比較してみた。これらの異なる点について は次のとおりである。 図4と5に示されるように、ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンとでは山川石bとサン ゴ製の香炉dの位置が逆になっており、図4のB、C、Dと異なりb、c、dの並びは直 線的ではなく、cがより後方に下がっているのが確認される。それに、bとdのそれぞれ の背後には神体が確認されていない。琉球石灰岩製の香炉cの前に、山川石製の神体eと 思われる石がある。 いずれにしても図4中のCとF、図5中のcとfが、このイビの本体と思われ、琉球石 灰岩製の香炉が山川石製とサンゴ製の香炉より古いと考えられる。 宮城(1983)は、祭事は南の御殿は若ノロ、北の御殿をノロが司る、と記している。また、 今帰仁村歴史文化センターの調査記録(2012 年 11 月)(12)によると、奥間ノロは座安家(ア ガリから任命)(長女)、若ノロは座安次男家の長女とされていることから、ニシヌウドゥ ンとフェーヌウドゥンの祠内祭祀物の違いは、奥間ノロと若ノロとの違い、いわゆるニ シヌウドゥンがより高位のイビを示していると考えられる。したがって、図3にみられる。 RR・LR のリュウキュウコクタンは、高位のイビを示す門の性格を持っているのかもしれ ない。 ところで、これまであげた文献の中でも呼び方が複数みられるのでここで整理しておき たい。いわゆるニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンを含めた丘陵全体の呼び方については、 アマグスク(仲程編,1967; 當眞,1997)、アマンチヂ(仲程編,1967; 當眞,1997)、 奥間グスク(宮城,1983)、奥間グシク(宮城,1983)がある。アマグスクの呼び方に ついては、田代安定『沖縄島諸祭神祝女類別表』(1884)にみられる「アメ城嶽(13)」とも関 (12)http://rekibun.jp/201211tyousa.html を参照した。 (13) 地元で称していたアマグスクを漢字に直した段階で「アメ」になったと想像される。ただし、拝所と して限定した「アマングスク」のことを指している可能性もあり、今後の検討が必要であろう。

(13)

連すると思われ、古い呼び方かもしれない。アマンチヂ(14)は、「チヂ」が尖った地形を示す 地元の呼び方であることから古くからあった呼び方の可能性がある。奥間グスクは、名嘉 (1996)でも使用されており、アマグスクやアマングスクは他の地域にも存在しているこ とから、地名とグスクを重ねた比較的新しい名称だろうか。奥間グシクも同様に、地元に おけるグスクの呼び方「グシク」と地名を重ねたのかもしれない。とすると、アマグスクは、 本来地元ではアマグシクと呼ばれていたということになろう。ここではあまり深く触れな いこととする。 丘陵全体の呼び方に対して、ニシヌウドゥンのことを地元では、アマングスク(15)と呼んで いるという(宮城,1983)。したがって、アマングスクは、極めて限られた場所を示しており、 丘陵全体を指す名称とは重なっていないので、明確に使い分けている可能性がある。 (2)アマグスクに関する聞き取り調査 調査は、2011 年 11 月 23 日、国頭村比地のウンジャミをはじめ、アマグスクにおける 祭祀などに関わった座安京(ざやす きょう:大正6年生、女性)さんを訪ねてに聞き取り 調査を実施した。調査には、親川栄さんも同席していただいた。 調査方法 調査は会話しながら行い、教えていただきたいことなどについて質問するという方法で 行った。特に教えていただきたいことは、次の項目である。1)どのような時に拝むのか、 何を拝むのか、2)どのような神様か(神様の名前)、3)供え物について、4)奥間にとっ てはどのような拝所なのか、5)拝む人について、6)ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥン について、7)サンゴ柱について、8)チンヌウガミとの関係について、9)その他。これ らの会話の模様を録音にとり、後日文字化をして整理した。 結果 教えていただきたい項目について、会話の中から整理をして以下に記す。なお、会話は なるべく、会話中の言葉をそのまま載せるようにしたが、内容を変えない範囲で意味のと おるように直した。また、前後の意味が通るように筆者が書き加えた部分は[ ]で示した。 1) どのような時に拝むのか、何を拝むのか、拝むときの様子 ・ アマンチヂは、メーヌグチのおばあさんが拝んでいた。サーダカムン[気の高い人]だった。家 族のこと、子や孫のこと、元祖のこと、病気のこととか、心配ごとなど[拝みしていた]。 ・ なにか困った人は、[メーヌグチの]オバーと[アマンチヂに]一緒に行って、ウガンしてよくなっ (14) アマンチヂがアマグスクと同義とされているが、単に「アマン」だけの語をみると、アマングスクと 同義のようにもみえる。 (15) 前にも述べているように、むしろ地元では「アマングシク」と呼んでいたことが想像される。

(14)

たよ。オバーがあそこに行って感じあらわすわけ[おつげをする]、昔のことも。オバーがあら わすから、その家庭に行って、ウガミする。米、酒を供えてウガミするからよくなったよ。 ・ [私は]ウンジャミの前は必ず[アマンチヂ]にのぼった。 ・ 一番はじめにね、アマンチヂは大事。登ってウガンでから[比地に]行った。 ・ あの日は、アマンチヂはまえもってウガム。二つある神社[ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥン]、 二つウガンでから、下で比地のいろいろ行事がある。 ・ 比地のウンジャミに太鼓たたいて謡った。 ・ 忙しくてね。アマンチヂ行って、比地の行事が終わって、部落のかた皆ウガミにきているから、 供え物をして、いろいろな行事がある。そのときの衣装もあるけど収めっぱなしになっている。 ・ [ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンとの拝みは]別々にね、アマンチヂ終わってから、比地に もウガミにいく。比地終わってから、最後にね奥間のノロ、あっちは一番最後にウートートし てから、また川、海[鏡地]、浜辺で歌って太鼓たたいてそこで終わって、家に帰る。 2) どのような神様か(神様の名前) [情報なし] 3) 供え物について ・ アマンチヂの供えものは、酒、あげ豆腐、肉も、三種類はつくった、部落のためにお祈りする。 4) 奥間にとってはどのような拝所なのか ・ [メーヌグチのおばあさんは]アマンチヂを大切にしていた。 5) 拝む人について ・ 奥間のノロとつながりがあるって。もう亡くなったけどあの[メーヌグチの]おばあさんがなん でもわかっていた。私はあの人の孫。 ・ メーヌグチのおばあさんがね、たいへんこれだった[すごかった]よ、拝んでからよくなってみ んな大変重んじていたよ。 ・ カミンチュ(神人の意味)のメーヌグチのおばあさんがウガミしていた。あの人が一番。 ・ そのオバーが、[座安京さんに]「あなたはカミンチュだから」と指導したんだ。 ・ あのひとが私をカミンチュにしたんだよ。 6) ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンについて ・ アマンチヂはノロが一番、先輩だから。ノロはたけ(16)さん。 ・ [ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンとの拝みは]別々にね。 7) サンゴ柱について ・ ウガミには関係ない。 8) チンヌウガミとの関係について ・ チンヌウガミは別、あそこは関係ない。 9) その他 ・ [アマンチヂの祠は]昔は赤瓦だった。また木でつくられていた。 ・ アマンチヂはね、ヌール[ノロ]にあるでしょ、すぐ終わるの。アガリもニームトゥ(根元)だ (16) 大西タケ。2011 年没。

(15)

から、アガリの上にも神社あるよ。それは4月、5月にごちそうをつくってウガム行事がある。[今 は行なっていない] ・ [メーヌグチのおばあさんはアマンチヂを大切にした]、一番大将だった。あの人は。 以上が、会話の概略である。座安京さんは、メーヌグチのおばあさんの手ほどきをうけ て神人になったようで、アマグスクに直接関わった人で、現在お話を聞くことができる唯 一の方かもしれない(17)。ただ、アマグスクについては、メーヌグチのおばあさんが詳しかっ たと、座安さんは話していた。 考察 まず、聞き取りをして気がつくことは、アマグスクという呼び方は無くて、ほとんどが「ア マンチヂ」と称していたことである。文献等では、アマグスク、奥間グスクなどと記され ているが、会話の中ではグスクが出てこなかった。ただし、グスクの呼び方について、聞 いたわけではないのではっきりしたことはわからない。少なくとも、地元(18)では「アマンチ ヂ」で呼ばれていることが多いといえよう。 比地のウンジャミの前にニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンの両方を拝んでいたという ことであるが、ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンのことについて、何度か詳しく聞きた いと質問したが別の話になってしまった。これは、語っていけない部分なのか、それとも 知らないので答えようがなかったのか不明である。メーヌグチのおばあさんが大変詳し かったと話していたので、知らない部分が多いのかもしれない。 奥間ノロは座安家(アガリから任命)(長女)、若ノロは座安次男家の長女とされているが、 今回の聞き取りでもその一端をうかがうことができた。会話の中に出てくるアガリがノロ の本家(根元)である。メーヌグチのおばあさんは、座安の家系ではあるが、本家のノロ とは別の神人であったようである。したがって、本家のノロとは別に座安京さんら神人が いたわけで、このような中で祭祀が行われてきたと考えられる。 いずれにせよ、アマグスクのことについては、世代を重ねるごとに情報が欠落していき、 実際に関わった人として、座安さんを最後に消失してしまう可能性があるといえよう。 (3)チンヌウガミについて チンヌウガミについては、アマグスクの調査を実施している中で浮かび上がってきた。 ニシヌウドゥンから参道方向をみると正面にチンヌウガミがそそり立っているのがみえる。 もし、ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンとの間の尾根部に樹木がなければ、チンヌウガ (17) 本稿を執筆中、座安京さんが 2012 年に逝去されたことを知った。謹んでご冥福をお祈りします。 (18)2011 年8月 24 日、比地ウンジャミの日に旧家の方々が祀りに参加している機会に奥間のアマグスク のことを聞いたが、情報は得られなかった。

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ミの存在が無視できないほど大きいはずである。親川栄氏によると、地元では「角の拝み」 という意味にとらえていたようであり、頂上部が角のように尖っているから、そう呼んで いるのではないかという。 アマグスクのニシヌウドゥンから参道の延長線上にあるチンヌウガミをみると、アマグ スクとチンヌウガミとが関連していると思われた。筆者は、チンは「角」ではなくティン の「天」が変化したのではないかと考えた。つまり、チンヌウガミは、「天の拝み」とい う考えに至ったのである。 そこで、2011 年 12 月 23 日、筆者と親川栄氏、玉城逸男氏(奥間在住)の三名で現地 調査を行った。 調査方法 調査は、現地踏査を主とし、GPS(COLORADO 300: ガーミン社製)を用いて位置確認 しながら行った。調査地の入口は、比地川河口にある山越えする旧道から入った。そこか ら旧道の山道を抜け、石切場との境界に出て、その境界沿いに藪の中をぬけ、152.3 mの 三角点に達した。さらに奥にすすみ、チンヌウガミといわれている突出した崖上に至った。 周辺を調べたあと、さらに東側の頂付近を踏査した。 調査結果 GPS に記録した移動跡や位置について、地図ソフトの「カシミール3D」で確認した。 その結果を図6に示す。 チンヌウガミからみたアマグスクを写 真 11 に示す。踏査の結果、チンヌウガ ミや三角点など頂部では、香炉をはじめ 拝所と思われる痕跡は確認されなかった。 ④は石切場になっており、大規模な掘削 工事がすすめられている。この付近は大 宜味村のネクマチヂと同様な結晶質石灰 岩からなり、硬い岩山の様相を呈してい る。今回、③のチンヌウガミにおける調 査で第四紀石灰岩(琉球石灰岩)が山頂 部に乗っかるように露出していることが 確認された(写真 12)。 図6.チンヌウガミの調査ルート。①登山入口、②三角点、 ③チンヌウガミ、④石切場

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考察 チンヌウガミの調査では、拝所と断定できるのは確認されなかった。なかには人工的と 思われる石積みらしきものがみられたが、確証までは至らないので保留とした。チンヌウ ガミの拝所の有無については、比地におけるウンジャミの日(2011 年8月 24 日)、旧家 の神山家の方に教えてもらう機会があった。概要としては次のとおりであった。 ・昔、神山家は大宜味村の謝名城から比地へ移動した。 ・その途中、チンヌウガミの東側山頂部に住んでいた時期があった。 ・その東側の八合目あたりにも住んでいたらしい。 ・その後は拝所となって、拝みに行っていたらしい。 ・今では、拝みにも行かないので道もなくなっているようだ。 ・チンヌウガミとの関係については、伝承は残っていない つまり、神山家は、先祖の住居跡を拝みの対象としていたが、チンヌウガミとは別との ことであった。ただ、比地においては、複数の方々が「チンヌウガミ」の地名は知っており、 この地名が広く知られていることが理解された。しかしながら、チンヌウガミの情報はほ とんど得られなかった。 5.アマグスクについて考える これまでの調査結果を踏まえ、改めて奥間のアマグスクについて考えてみる。もし、許 されるならば、ここでは若干背伸びした展開を試み、今後の検討課題としておきたい。 (1)拝所としてのアマグスク アマグスクは、頂部とそれから伸びる尾根があり、その間に拝所としての空間が存在す る。その周囲は、灌木が茂り、一般的な林に比較して、クロツグとリュウキュウコクタン が多くみられる。また、林内にはソテツもみられ、この地域が裸地に近い状態であった時 写真 12.チンヌウガミで確認された琉球石灰岩 写真 11.チンヌウガミからみたアマグスク

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期が存在していたことが想像される。そして、沖縄では、クロツグは拝所によくみられる 植物として知られている。このような意味で、アマグスクは拝所としての性格が強いと思 われ、本来は植物が少なく、周囲が見渡せたと思われる。 當眞(1997)は、軍事的な防御機能をもつ城として解釈している。筆者も堀切等を確 認することができ、確かに防御機能をもつ城として考えなければならないと思われる。し かしながら、防御機能を持つ城として存在しながら、生活するとしても極めて狭い場所と なるので、長い歴史の中では、一時的だったかもしれない。つまり、奥間のアマグスクは、 防御的機能を持つ城と拝所としての複数の機能をあわせ持つということとなるが、本来は 拝所的な性格を有しており、より比重が重いものと筆者は考えている。 まだ、資料は少ないが、地元ではグスクという呼び方よりはチヂ、アマンチヂと呼ばれ ていることにも、それを示唆しているのかもしれない。 ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンの祠内にはサンゴ石、琉球石灰岩、山川石製と思わ れる三種類(前面の香炉は対象にしない)の香炉がある。山川石製の香炉が存在することは、 王府およびノロの影響があったことを示唆しているものと思われる。琉球石灰岩製の香炉 については、次に述べるが、サンゴ石製の香炉については、今のところ不明である。 アマン神と関連して、拝所の神に、「降臨する神」または「最高神」などの存在が期待 されたが、その情報は得られなかった。おそらく、詳しい情報は、すでに伝承が途切れ、 消滅したのかもしれない。 (2)アマグスクとチンヌウガミ アマグスクの樹木の状態からみると、本来の姿は今とは異なり、おそらく裸地に近い状 態、またはニシヌウドゥンやフェーヌウドゥンから周囲が見渡せるような状態であったこ とが想像される。そこには、ニシヌウドゥンから参道をみると、眼前にチンヌウガミがそ びえ立つことになろう。このような意味か ら考えて、チンヌウガミは「天の拝み」、つ まり、高位の拝所であった可能性がある。 恐らくは、ニシヌウドゥン、またはフェー ヌウドゥンも加えて遥拝したのかもしれな い。 関連して、座間味村阿嘉島には「天アマグスク城」 が所在する。2008 年8月4日、現地を調 査した。アマグスクの山頂部付近には祠が 写真 13.座間味島アマグスク内の祠、遠方には久場島が見える。

(19)

二つあって、一つは、久場島方向(写真 13)、もう一つは屋嘉比島方向を遥拝するような 配置になっている。このことについて、地元の神人に聞いたところ、「久場島の山頂には、 神様が降りてくる。その山頂には香炉がある。アマグスクの祠はそこをお通しする。屋嘉 比島も同じようにお通しする」と話していた。 ニシヌウドゥンとフェーヌウドゥンの祠内のサンゴ石、琉球石灰岩、山川石製の三種類 の香炉については、ニシとフェーのウドゥンとで香炉の配置は異なっているが、いずれも 中央には琉球石灰岩製の香炉がそえられている。おそらく、この拝所の本来の神様を祀る 意味があるものと思われる。名護層の岩石を中心とする国頭村奥間付近には、通常、琉球 石灰岩はみあたらない。ところが、今回チンヌウガミで琉球石灰岩の存在が確認された。 もしも、祠内の琉球石灰岩製の香炉とチンヌウガミの琉球石灰岩が岩石学的にも同質であ れば、両方ともつながる可能性があり、「天の拝み」を裏付けることになる。このことに ついては、今後の課題としておきたい。 このように、アマグスクは、単独だけで存在するのではなく、他の拝所と関連して存在 している座間味村阿嘉島の事例もある。したがって、奥間のアマグスクとチンヌウガミと の関連は、全く無いとはいえないかもしれないので、今後の検討が必要と思われる。 (3)「アマ」と「テン」 アマグスクとチンヌウガミとの関係において、「降臨する神」を考える場合、「天」を考 慮しなければならない。「天」はアマ・テンの両方にも読めるが、テン・アマをキーワー ドにして『琉球国由来記』の御嶽に関連する語彙から抜き出してみると次の表3に示す御 嶽が浮かび上がってくる。 玉城間切の雨粒天次については、『琉球国由来記』には「此嶽者、城内ニアリ。阿摩美久、 作リ給フトナリ。詳ニ、中山世鑑ニ見タリ。」と記されており、今帰仁間切城内上之嶽に ついては「此嶽、阿摩美久、作リ玉フトナリ。詳ニ、中山世鑑ニ見ヘタリ。」とある。い 表3.「テン」と「アマ」に関連すると思われる御嶽 間 切 御嶽名   神 名 玉城間切 雨粒天次 アガル御イベツレル御イベ 中城間切 新垣ノ嶽 天次アマタカノ御イベ キシマコノ嶽 天次アマツギノ御イベ 美里間切 アマ城之嶽 コバヅカサノ御イベ 名護間切 テンツギノ嶽 イベヅカサ 今帰仁間切 城内上之嶽 テンツギノカナヒヤブノ御イベ

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ずれも『中山世鑑』からの引用でアマミキヨとの関連が記されている。今帰仁間切の城内 上之嶽は、地元ではテンチジアマチジと呼ばれていることは興味深い。 6.さいごに 奥間のアマグスクについては、まだ未解明である。伝承が消失しつつある昨今では、調 査の進展は困難な面がある。今後は、表1にあげたアマングスク系の地名を持つ場所と表 3に示すような『琉球国由来記』に出てくる御嶽を含めた総合的な調査をすすめていかな ければならないだろう。 文献 遠藤庄治(2004)沖縄の祖神伝承.GYROS ⑤(ジャイロス,特集沖縄の苦悩),pp.82-93. 勉誠出版. 平敷令治(1983)イビ.沖縄大百科事典, p.232.沖縄タイムス社. 外間守善・桑原重美(1990)沖縄の祖神アマミク.築地書館. 伊仙町教育委員会編(1994)天城遺跡下島権遺跡.伊仙町教育委員会. 伊是名村教育委員会編(2004)伊是名島方言辞典 本編.伊是名村教育委員会. 小島瓔禮(1977)琉球の開闢神話の物語形式.[琉球学の視角. pp.184-212.柏書房.1983 年] 国立国語研究所編(1963)沖縄語辞典.大蔵省印刷局. 宮城信勇(2003)石垣方言辞典 本文編.沖縄タイムス社. 宮城長信(1983)奥間グスク(おくまぐすく).沖縄県文化財調査報告書第 53 集 ぐすく グスク 分布調査報告(Ⅰ)──沖縄本島及び周辺離島──, p.25. 沖縄県教育委員会. 宮良當壯(1930)八重山語彙.[宮良當壯全集 8甲篇.第一書房.1980 年]. 仲里長和(2002)本部町字具志堅の方言.沖縄高速印刷株式会社. 長田須磨・須山名保子(1977)奄美方言分類辞典 上巻.笠間書院. 仲程正吉編(1967)沖縄風土記全集 第一巻 国頭編.沖縄風土記刊行会 名嘉正八郎(1996)図説 沖縄の城 よみがえる中世の琉球.那覇出版社. 小原一夫(1962)南嶋入墨考.筑摩書房. 沖縄県教育庁文化課編(1983)沖縄県文化財調査報告書第 53 集 ぐすく グスク分布調査報告(Ⅰ) ──沖縄本島及び周辺離島──.沖縄県教育委員会. 大林太良(1973)琉球神話と周囲諸民族神話との比較.日本民族学会編, 沖縄の民族学的研究, pp.303-419. 民族学振興会. 生塩睦子(1999)沖縄伊江島方言辞典.伊江村教育委員会. 崎山理(1993)オセアニア・琉球・日本の国生み神話と不完全な子─アマンの起源─.国立民族学 博物館研究報告,18(1): 1-14. 當眞嗣一(1997)いわゆる「土から成るグスク」について─沖縄本島北部のグスクを中心に─.沖 縄県立博物館紀要,(23): 1-18. 当山昌直(2000)琉球のオカヤドカリ類に関する民俗的伝承について(試論).史料編集室紀要,

(21)

(25): 179-188. 当山昌直(2007)琉球のオカヤドカリ類に関する民俗的伝承について(試論Ⅱ).史料編集室紀要, (32): 1-20. 当山昌直(2011)オカヤドカリに関する民俗的伝承 アマン神とアマミキヨ.奄美沖縄環境史資料 集成, pp.677-700. 南方新社. 八重山歴史編集委員会編(1954)八重山歴史.八重山歴史編集委員会. 山下欣一(2003)南島民間神話の研究.第一書房.

参照

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