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中傷か真実の暴露か -- ケイハーン紙をめぐる出版裁判について (特集 イランの民主化は可能か)

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(1)

中傷か真実の暴露か -- ケイハーン紙をめぐる出版

裁判について (特集 イランの民主化は可能か)

著者

山岸 智子

権利

Copyrights 日本貿易振興機構(ジェトロ)アジア

経済研究所 / Institute of Developing

Economies, Japan External Trade Organization

(IDE-JETRO) http://www.ide.go.jp

雑誌名

アジ研ワールド・トレンド

182

ページ

26-29

発行年

2010-11

出版者

日本貿易振興機構アジア経済研究所

URL

http://hdl.handle.net/2344/00004380

(2)

●はじめに

  イランの高名な新聞「ケイハー ン」紙は虚偽の記事を掲載して侮 辱・中傷を行ったと訴えられ、イ ラン暦一三八八年エスファンド月 二日/西暦二〇一〇年二月、テヘ ラン州刑事裁判所第七六支所でそ の第一回公判が開かれた。告訴し たのは、 シーリーン ・ エバーディー ( ノ ー ベ ル 平 和 賞 受 賞 者 )、 エ ス ファンディヤール・ラヒーム・マ シャーイー(アフマディネジャー ド 大 統 領 の 元 側 近 )、 シ ャ ー ディー・サドル(ワレサ賞を受賞 し た 人 権 派 弁 護 士 )、 エ マ ー ド ッ デ ィ ー ン・ バ ー キ ー( 新 聞 記 者・ 政 治 活 動 家 )、 セ イ エ ド・ モ ル テ ザー・ハーシェミー、といった国 際的にも有名な活動家たちで、被 告ホセイン・シャリーアトマダー リー(ケイハーン紙編集長)が法 廷に召喚された。   この公判についてインターネッ ト上でわかる限りの情報を見てい ると、つぎの二点において興味深 い。第一に、最高指導者ハーメネ イー師への忠誠心篤いケイハーン 紙の編集長と、さまざまな方面で 改 革 を 目 指 し て き た 大 物 弁 護 士・ 活動家が法廷の場で対峙している ため、イラン国内にあるとされる 《 保 守 派 》 と《 改 革 派 》 双 方 の 見 解の相違やとレトリックの特徴が 明瞭にわかる。その対立がここま で立場を鮮明にした攻防という形 で 発 現 す る 例 は 稀 で す ら あ ろ う。 第 二 の 注 目 点 は、 司 法 が マ ス メ ディアを裁く際の独特なシステム である。イランの基本法で謳われ ている「言論の自由」や出版法の 条文が、イランの国外からは想像 しにくいコンテクストで論及され ている。   ケイハーン紙はイラン暦一三二 一年/西暦一九四三年に創刊され たイランのなかでは最も古く、最 も 読 ま れ て き た 新 聞 の ひ と つ だ。 一九七八~七九年のイラン・イス ラーム革命過程では、抗議する民 衆 を 擁 護 す る 論 陣 を は り、 イ ス ラーム共和政権の成立後、左翼の 放逐や新聞のイスラーム化など政 府の《指導》を受けるようになっ て、 編 集 長 も し ば し ば 交 代 し た。 現在の編集長ホセイン・シャリー アトマダーリーは、一九九二年か らその任にあり、また最高指導者 ハーメネイーの代弁者ともなって いる。すなわち、かつて国王の政 府に対するバーザールの抗議の声 を反映していた新聞だが、現在で は最高指導者の事実上の機関紙だ と い わ れ る ま で に 政 治 色 の 強 い ( 偏 向 し た ) 紙 面 で 知 ら れ る よ う になっている。

●出版裁判員制度

  公 判 の 説 明 に 入 る 前 に 、 イラ ン に お け る 新 聞 を 裁 く シ ス テ ム に つ い て 説 明 し て お い た 方 が よ い だ ろ う 。 イラ ン の 出 版 法 第 三六 条 に よ り 、 出 版 物 に関 す る 裁 判 は 、 専 門 の 司 法 官 で は な く 責 任 あ る 国 民 か ら 選 ば れ た 「 出 版 裁 判 員 H ey 'ât -e M on şe fe 」 が 裁 く こ と に な っ て い る 。 こ の 出 版 裁 判 員 法 は イ ラ ン 暦 一 三 八 二 年 / 西 暦 二 〇 〇 三 年 に 改 正 さ れ 、 テ ヘ ラ ン の 場 合 は 五 〇 〇 名 で 裁 く こ と と さ れ た が 、 実 際 に は そ の 公 判 が 開 け な い こ と が 多 か っ た の で 、 一 三 八 七 年 モ ル ダ ー ド 月 二 〇 日 / 二 〇 〇 八 年 八 月に 議 会 で 改 正 出 版 裁 判 員 法 を 破 棄 す る 法 案 を 可 決 し た 。 以 来 、 一 三 七 九 年 の 出 版 裁 判 員 法に 従 っ て 裁 判 員

中傷

真実

暴露

出版裁判

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中傷か真実の暴露か―ケイハーン紙をめぐる出版裁判について

二 一 名 の シ ス テ ム が と ら れ て い る 。 本 稿 で と り あ げ る 公 判 の 裁 判 員 は 、 一 三 八 八 年 メ ヘ ル 月 一 一 日 / 二 〇 〇 九 年 一 〇 月 二 日 に 、 文 化 イ ス ラ ー ム 指 導 相 、 イ ラ ン 市 議 会 議 長 、 イ ス ラ ー ム 広 報 機 関 長 、 全 国 金 曜 礼 拝 導 師 政 策 協 議 会 議 長 、 全 国 検 事 副 総 長 が 協 議 し て 任 命 し た メ ン バ ー で あ る 。 そ の 前 年 に 指 名 さ れ た 者 の う ち 一 〇 名 が 退 き 、 新 た に 一 〇 名 を 加 え て 構 成 さ れ た と 発 表 さ れ て い る 。 裁 判 員 の 名 前 、 職 業 や バ ッ ク グ ラ ウ ン ド も 公 表 さ れ て い て 、 そ れ を 見 る と 、 医 者 、 イ ス ラ ー ム 法 学 者 、 新 聞 記 者 、バ ー ザ ー ル 商 人 、 民 兵 、 殉 教 者 家 族 、 出 版 者 、 兵 員 、 大 学 教 授 、 映 画 製 作 者 、 高 等 裁 判 所 検 事 補 、 ス ポ ー ツ 選 手 、 労 働 者 代 表 、 法 律 家 代 表 、 記 者 代 表 、 大 学 教 授 代 表 、 な ど と な っ て い る 。 名 前 や 称 号 か ら 、ホ ッ ジ ャ ト ゠ ル ゠ イ ス ラ ー ム の 地 位 に あ る イ ス ラ ー ム 法 学 者 が 二 名 、 女 性 三 名 が 入 っ て い る こ と が わ か る 。   本稿の筆者は寡聞にして、イラ ンでは出版についての公判は裁判 員制度をとっているということを 知らなかったし、またその裁判員 の職業が多岐にわたっていて、名 前もバックグラウンドも公表され ていることに驚いている。裁判員 の選定には、少なからず恣意的な 要 素 が あ る よ う に 思 わ れ る の で、 手放しで民主的とまでは言えない が、透明性の極めて高い状態で公 判が行われていることがうかがわ れる。

●第一回公判

  ケイハーン紙編集長シャリーア トマダーリーは、バーキー、サド ル、エバーディー、マシャーイー の四人の告訴を一括した公判にか けられた。原告の四人は、おのお の異なる日付の異なる記事につい て、虚偽報道・名誉棄損などで訴 訟を起こしていた。裁判長はスィ ヤ ー マ ク・ モ デ ィ ー レ ゠ ホ ラ ー サーニーであった。   原 告 の 一 人 で あ る シ ャ ー ディー・サドルが、彼女のホーム ページに告訴状を公開しているの で訳出しよう。   「 ケ イ ハ ー ン 紙 は、 一 三 八 六 年 オルディーベヘシュト月五日(水 曜日) の号において、 これから 〔証 拠として法廷に〕提出する「一妻 多夫論支持者を自ら暴露」という タイトルの記事で、私に〔一妻多 夫 の 支 持 を 〕 関 連 さ せ て い る が、 これはつぎの理由で、明白なる誹 謗、中傷、諷刺そして虚偽の公表 にあたる。 理由一:ケイハーン紙は「シャー ディー・サドルは、小娘やチンピ ラ が 街 頭 で 口 に す る よ う な 野 次 〔たわごと〕の支持者で、 月刊『ザ ナーン』誌上で《一妻多夫》を支 持している」との文章をふくむ記 事 を 載 せ、 明 ら か に《 一 妻 多 夫 》 の支持者として私に言及している が、そのような虚偽の主張をする 論 拠 や 証 拠 を 一 切 あ げ て い な い。 そしてこうした手法で、人々の頭 に真偽を混ぜ込んで吹き込もうと し、特に社会の伝統の根幹に悲観 主 義 を 浸 透 さ せ よ う と し て い る。 この文章は、公衆の考えを動揺さ せる意図での虚偽報道である。ま た、 私たちの社会では一妻多夫は、 不名誉で、侮辱的で、好ましくな い行為とされていることから、個 人がそれを広めているとする文書 は、名誉棄損にあたる。当該記事 の 別 の 箇 所 で は、 《 小 娘 と チ ン ピ ラが街頭で口にする野次》とわた しを関連付けているが、これもま た無意味で、 誹謗を含み、 諷刺〔の 罪〕 hajv にあたる。 理由二 : その記事の別のところで、 ケイハーン紙は私を「女性運動の なかでビロード革命を仕掛けるた めのオランダ人のスパイ」とよん でいる。このような虚偽の主張に ついて、またもや、それを証明す る た め の 証 拠 も 文 書 も 前 も っ て まったく提出されておらず(そん なものはないから提出のしようが ないのだろうが) 、《ビロード革命 の仕掛け人》として私を国家安全 に反する罪となるような行為に関 連させているのは、明らかに中傷 にあたる。   以上の点から、ホセイン・シャ リ ー ア ト マ ダ ー リ ー 氏 に 抗 議 し、 イスラーム刑法六九七条、六九八 条、七〇〇条および六〇八条、そ して出版法三〇条に照らして、告 訴いたします。 」(〔   〕内本稿著者)   こ の 訴 え に 対 し て 、 シ ャ リ ー ア ト マダーリー氏は法 廷で自 ら弁 明 を 行 い 、 彼 の 弁 明 文 の 全 文 も ま た 、 ネ ッ ト 上 の複 数のサイトで公 開 さ れ て い る 。 シ ャ リ ー ア ト マ ダ ー リ ー は 『 ザ ナ ー ン ( 女 性 た ち )』 誌 一 四 一号 に シ ャ ー デ ィ ー ・ サ ド ル が 寄 稿 し た 文 章 の 一 部 を 引 用 す る 。「 … … 男 性 は 複 数 の 妻 を 持 つ 権 利 を 享 受 で き 、 婚 外 の 性 交 渉 を 持 っ た と 疑 わ れ た 男 性 は 、 文 化 的 に 法 の 秩 序 〔 裁 き 〕 の 御 前 に 引 き 出 さ れ る が 、 実 際 に は 彼 は 重 罪 の 被 告 人 団 の な か に お い て 、 彼 が 権 利 を有 する婚 外 性 交 を法に則 っ て 〔 一 時 婚 の 形 式 を と ら ず に 〕 行 わ な か っ た だ けの こと だと いう 小 さ な 過 ち を 、 個 人 的 に 問 わ れ る だ け に す ぎ な い 。 こ の 場 合一 時 婚 訴 訟 と

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よ っ て 、 彼 は 〔 不 貞 の い〕 罰 を逃れる可 能 だ 。 し か し 同 じ 疑 い で 出 さ れ た 女 性 で あ れ 支 配 的 な 文 化 か ら し て 、 は 〕 も っ と も 重 い 罪 を さ れ る 。 な ぜ な ら ば〔 女 つ権 利を享 受 か ら で 、 彼 女 の 肉 体 と リ テ ィ のコ ン トロー ル 人の男 性の 意 思のも と … 」 こ こ か ら 被 告 は 、 ー ・ サ ド ル が イ ス ラ ー 的 で あ る と 非 難 し 、 そ 満 げに女 性に複 婚の 書いた ことをひき あ 多 夫 を 支 持 》 の 記 事 は い と 主 張 す る 。 い わ ば ト リ ッ ク に 、 逆 ね じ を 理 で 釈 明 を し て い る 。 が、 彼 女 の 統 括 す る に 言 及 し、 「 嘘 つ き は ル 女 史 は こ の イ ン タ 問う。そして、サドルが活動資金 についてオランダの財団にだけ言 及したのは、アメリカやシオニス トの機関からもらっていると口に するのが恥ずかしかったからでは ないか、 とたたみかける。 シャリー アトマダーリーは、つぎのように サドルがスパイであるという確信 を述べる。   「 な ぜ ケ イ ハ ー ン 紙 が こ れ を 報 じたか、シャーディー・サドル女 史にお知らせしよう。あなたとあ なたの友人たちは、この国のいた いけな乙女たちの関心を惹いてあ ち ら 側 に 行 く よ う に そ そ の か す 時、ご自身が外国の使いっぱしり の何番目かであるとの本質を決し て明らかにはしない。そして自分 で も 信 を 置 い て い な い 舌 先 三 寸、 大言壮語をはいて、娘たちを騙す ために利用している。それゆえに ケイハーン紙は、あなたの本当の 財源とあなたの組織に財政的補償 を与えている者たちを、賢いこの 国の貞節な娘たちのために明らか にすることが義務であると考えた し、今も考えている。 」   シャリーアトマダーリーが、い たいけな乙女たちを騙す行為とし て 言 及 し て い る の は、 「 差 別 的 な 法の改正を求める一〇〇万人署名 キャンペーン」である。これは二 〇〇五年から始まったジェンダー 平等を求める市民運動でサドルも その推進者の一人であり国際的関 心も高いが、被告はこの運動をつ ぎのような表現で貶める。   「 こ の キ ャ ン ペ ー ン は、 お そ ら く反革命のメディアや外国のラジ オ局による広範なプロパガンダで あろうが、たいそうな名前に反し て、指で数えられるほどの数の賛 同 人 の 署 名 し か 集 め ら れ て い な い。その〔署名した〕女たちだっ て幾人かは、裁判所が許可をくだ さるならば、 C I Aの〔エージェ ントの〕前歴があることを文書で 示せるだろう。識字能力がなく特 別 な 人 格 に よ る 絶 望〔 性 格 破 綻 〕 が そ う し た 女 た ち の 共 通 点 で あ る。勿論、キャンペーンの関係者 たちは、大山鳴動してネズミ一匹 だと理解した後は、キャンペーン のシャッターを降ろしており、恥 辱のあまり流した冷汗を額からぬ ぐったか、あるいは冷汗を流すだ け の 恥 の 感 覚 も 欠 如 し て い る の か、私にもわからない。 」   第 一 回 公 判 は 、 シ ャ ー デ ィ ー ・ サ ド ル と 、ア メ リ カ か ら 招 聘 し た 人 物 が C I Aの ス パ イ だ と い う 記 事 を 書 か れて 告 訴 し た エ マ ー ド ッ デ ィ ー ン ・ バ ー キ ー の 告 訴 状 に 対 す る 弁 明 で 時 間 切 れ と な り 、 シ ー リ ー ン ・エ バ ー デ ィ ー に よ る 告 訴 へ の 弁 明 は 次 回 公 判 に ま わ さ れ た 。

●第二回公判

  第一回公判からほぼ二カ月後の 一三八九年ファルヴァルディーン 月二九日/西暦四月一八日、シー リーン・エバーディーを原告とす る第二回公判が開かれた。エバー ディー当人は法廷に出廷せず、代 理人が告訴理由を読み上げた。エ バーディー側は、イラン暦一三八 七年シャフリーヴァル月二日/西 暦二〇〇八年七月二四日の紙面に 掲載された「ゴロツキと狼藉者と は誰のこと?」 という、 ファズリー ザーデと署名の入った記事がまっ た く の 偽 り で あ り、 「 シ ー ア 派 で ありながらバハーイーの弁護」と いう記事であたかもエバーディー がバハーイーの信条を弁護したか の よ う に 書 い て い る こ と も 偽 り で、中傷にあたる、とケイハーン を訴えていた。   こ れ に 対 し て シ ャ リ ー ア ト マ ダーリーは長広舌をふるって弁明 したため公判は五時間にもわたっ た。その弁明文もウェブサイトで 公 開 さ れ て い る。 そ れ を 見 る と、 エ バ ー デ ィ ー の ノ ー ベ ル 平 和 賞 は、アメリカとシオニストの意図 の反映、というケイハーン紙得意

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中傷か真実の暴露か―ケイハーン紙をめぐる出版裁判について

の《陰謀の暴露》が弁明の中心で あるとわかる。   彼はまず、出版法第六条の「公 衆の覚醒を増し、公益を護るため に、国の内外の情報を入手し報道 することは、出版の法的権利であ る」という条文にふれ、これを妨 害する者は禁固六カ月から二年の 処罰の対象となる、という規定に も言及する。そしてエバーディー の本質を暴露するケイハーンの記 事は「公衆の覚醒を増し、公益を 護る」報道に他ならないとの自負 を言明する。ケイハーンの視点か らすると、エバーディーは「転覆 した国王に命をささげていた。パ フラヴィー朝の血塗られた体制の 殺戮者の手による祖国の人民虐殺 を、ゴロツキと狼藉者への対抗措 置と考えていた」 とされる。彼は、 国 王 時 代 に エ バ ー デ ィ ー が メ ヘ ナーズ・アフハミーという、現在 では国外に逃れた王党派の人物の もとで働いていたと述べ、彼女が 国王に対して 「遺体洗浄人が彼 (の 遺体)を連れ去ればいい」と言っ た と さ れ る こ と に つ い て、 「 遺 体 洗浄人がブッシュやシモン・ペレ スやネタニヤフ(の遺体を)連れ 去ればいい」と言うだけの勇気は 持ち合わせているのか、と問う。   エバーディーのノーベル平和賞 受賞について、曰く、本来はロー マ法王が第一の平和賞受賞候補者 であったが、同性愛に否定的であ ることをノルウェーの選考委員会 は難としていた、 エバーディーは、 同性愛は遺伝子の作用によるとの 見解を披露していたので、この点 で好都合であった、とのこと。ま た「イランにおける民主政の難し い点は、この国ではまだ神が死ん でいないことだ」とエバーディー が発言したとされることから、彼 女がイスラームを堅持して外国や 他宗教に対して屈強に抵抗する姿 勢 │ │イラン・イスラーム革命の 真 髄 │ │に 欠 け る こ と を 示 唆 す る。そして、エバーディーのよう な人物をイラン女性の模範に据え ることができれば、イランを内側 から崩壊させることができる、と のアメリカとシオニストの意図が ノーベル賞選考に反映された、と いう自説を法廷で展開した。   エバーディーは、バハーイー教 徒の人権を弁護しているのであっ てバハーイーの信条(イランでは バ ハ ー イ ー は 宗 教 と 認 め ら れ な い) を擁護しているわけではない、 と主張しているが、シャリーアト マダーリーはそれに対して、カナ ダ 在 住 の エ バ ー デ ィ ー の 娘 が バ ハーイーに改宗したという噂にも 巧妙にふれ、シーア派信徒であり ながらどうして反イスラームの宗 派 の 者 の 権 利 を 弁 護 で き る の か、 という。そして現在バハーイーの 本部がイスラエルのハイファにあ ることから、バハーイー教徒もま たシオニストの手先であると類推 する。 シャリーアトマダーリーは、 ノーベル賞選考委員会が「イラン とイラン国民がアメリカとシオニ ズム体制の理不尽な要求に対して 不屈の抵抗をしていることに復讐 する」ためにエバーディーを受賞 者 に 選 ん だ と の 論 旨 を 再 度 強 調 し、裁判長・裁判員の清聴への謝 辞で弁明を終えた。エバーディー の代理人の一人のナスリーン・ソ トゥーデは、被告が求められた証 拠を提出せず、さらなる根拠のな い中傷を法廷で述べていると抗議 して法廷から退席した。   オルディーベヘシュト月二〇日 /五月一〇日、第三回公判で出版 裁判員は一一の罪状についてケイ ハーン紙は無罪であるとの審判を 下し、この裁判は結審した。   シ ャ リ ーア ト マダ ーリ ー の言 説 は 、 同 性 愛 、一 夫 多 妻 、 と い っ た イ ラ ン で 眉 を ひ そ め ら れ る ( そ し て イ ス ラ ー ム 的 に 不 法 と さ れ る ) 性 的 な 事 柄 、 ゴ ロ ツ キ や チ ン ピ ラ な ど アウト ロ ーを 侮 蔑 的に示 す 刺 激 的 な 単 語 を散り ば め て関 心を ひ き 、「 わ が 国 ín m arz -o -b úm 」 の 語 を 繰 り 返 し 、 異 国 人 た ち bíg án eg án の 邪 悪 な 意 図 に 抵 抗 す る 民 、 の イ メー ジを 自 ら の側に引 き 寄 せ るよ う に 構 成 さ れ ている 。 原 告 側 の 求 め る 「 証 拠 」に 欠 け るこ と は 明 ら か で あ る が 、 原 告 の イ ン タ ビ ュ ー や 論 文の内 容にち ょ く ち ょ く 言 及 し て 、虚 言 で は ない と 聴 衆 に 印 象 づ け 、 さ ら に ア フ ガニス タ ン や パ レ ス テ ィ ナ な ど の 惨 状 に も ふ れ 、 ア メ リ カ やシ オ ニ ス トの 意 図 と い う 「 巨 悪 」に 現 実 味 を 持 た す レ ト リ ッ ク を 駆 使 し て い る 。

●結びにかえて

  このように陰謀説めいた記事が 無罪とされることを嘆くか、それ とも対立する主張が公開の場で展 開され一般市民に裁かれている現 実を是とするかは、評価の分かれ る と こ ろ で あ ろ う。 《 外 国 》 を 痛 罵し諸悪の根源とする考え、そし て 市 民 的 な 運 動 が 国 境 を 越 え て ネットワークをどんどん展開して しまう側面。イランはこの二つの 相貌の共存と相克に存すると考え させられた一例である。 ( や ま ぎ し   と も こ / 明 治 大 学 教 授)

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