1 はじめに 1-1 向島ニュータウンの現状 京都文教大学に隣接する向島ニュータウンは、 1968年の都市計画法や1969年の京都市の「街づ くり構想」に基づいて、京都市南部に位置する 伏見区の南端の巨椋池干拓地に開発されたニュ ータウンである。1972年から京都市住宅供給公 社によって宅地開発が行われて、①住宅公団が 建設した分譲住宅地、②住宅供給公社が建設し て公団が管理を引き継いだ賃貸住宅地、③京都
ニュータウンにおける障害をもつ子どもと
母親たちのコミュニティ形成
~就学前から就学期のソーシャルワークの課題~
吉村 夕里
要 約 本稿では、向島ニュータウン内に形成されているコミュニティのなかから、障害をもつ子 どもと母親たちのコミュニティをとりあげて、母親たちを対象としたフォーカスグループイ ンタビューを行い、コミュニティ生成過程を質的に分析した。その結果、ニュータウンにお ける障害をもつ子どもと母親たちのコミュニティには、早期療育の場での親同士の絆から生 まれた「①コミュニティの核となる母親たち」と、「②地域社会から孤立する母親たち」と の間に、「④コミュニティ形成のきっかけとなる出会い」が生じて、「⑤ニュータウンの子 育てコミュニティ」が形成され、そのなかで子どもの「障害がもつ意味の発見」に母親たち が覚醒していくというプロセスがあることが導き出された。 また、母親たちが必要だと考えている支援としては、「外見からは分からない見えない障 害への理解」、「療育や教育へのアクセシビリティの確保」、「格差の是正」があげられ た。さらに、障害をもつ子どもとその家族に対するソーシャルワークの課題としては、「障 害の告知を受けるまでの期間の家族への援助」「療育へのアクセシビリティを保障するため の支援」「障害をもつ子どもとその家族の生活圏の交友関係が発展できる支援」「子どもの 障害がノ―マライズされる環境の整備」があり、以上の課題に取組むことをとおして「障害 をもつ子どもとその家族に対する一貫性や継続性がある支援」や、「子どもたちのライフサ イクルに応じた継続的な支援」が可能となることを主張した。 キーワード:ニュータウン、障害をもつ子どもと母親、コミュニティ形成 京都文教大学臨床心理学部臨床心理学科 教授 市の市営住宅地の3つの地区が造成されてきた。 現在は宇治市の填島ニュータウンと合わさった 形状となって、巨大な団地群の景観を作り上げ ている。向島地区には、このニュータウンのほ かに、巨椋池干拓地の良好な田園、さらにニュ ータウンから宇治川に至る市街地があり、主に この3つの地域に分かれて、各々の文化を形成 してきた。 向島地区が含まれる京都市伏見区は、都市近 郊のベッドタウンとして嘗ては人口が急増した ものの、現在ではほぼ横ばいの状況を示してい る。一方、世帯数は平成12年まで減少し、平成17年から増加に転じている(京都市住宅審議会、 2009)。京都市住民基本台帳に基づけば、京都 市伏見区の人口は平成22年7月1日現在で273,882 人、うち向島地区は27,999人である。また、京 都市域や全国平均よりは低いものの、伏見区で も高齢化率は増大しており、平成12年には昭和 55年の約2倍の15.0%となっている。向島ニュー タウンにおいても平成2年以降から人口の減少 が認められるようになり(図1)、年齢階層別 人口では20歳代から40歳代の居住者が少ない反 面、50歳代、60歳代の居住者が多くなっており、 今後は急速に高齢化することが予想されている (図2、3)。 「京都市すまいまちづくり課」によれば、平 成21年10月1日現在、市営住宅総管理戸数23,587 戸のうち、およそ50%の11,818戸の市営住宅が 伏見区に存在しており、公営の借家については 世帯主の年間収入が200万円未満の層が約半数 以上を占めている(京都市、2010)。生活保護 率は、平成19年度の京都市全体が26,6‰(per mill)、26,163人であるのに対して、伏見区は 39.8‰、6,833人と高率になっている。また、京 都市のなかで障害者手帳を持っている人のうち の20.2%が伏見区に居住しており1)、平成19年 度の身体障害者手帳交付数は14,634人、療育手 帳交付数は2,262人、精神障害者保健福祉手帳交 付数は8,913人である(伏見区、2010)。近年は、 日本各地で外国人集住地域が増加しており、そ の数は200万人と言われているが、向島ニュー タウンでも中国残留孤児とその家族が住む中国 系コミュニティが形成されつつあり、その数は 400戸強2)とも2,000~4,000人3)とも推測されて いる4)。 少子高齢化のなかで多世代多文化が混在して いる向島ニュータウンにおいては、独り暮らし の高齢者の孤立や障害をもつ人の生活困難、中 図1 向島ニュータウンの人口・世帯推移 図2 年齢別人口の推移 図3 年齢人口比率 注)表1~3は平成21年3月17日 第四回京都市住宅審議会資料から引用
国帰国者など言葉の壁によるコミュニティ形成 の困難さなどが地域福祉の課題となっている。 そのなかで、向島地区の住民自治の問題として、 「新たな住宅地の形成やマンションの建設など により、新住民が増加している地域を中心に自 治会等の組織化」や、「少子高齢化の進展によ る地域活動の担い手の減少などにより、地域活 動の維持」の困難さなども指摘されるようにな っている(伏見区基本計画策定委員会、2010)。 1-2 向島地区の課題 伏見区基本計画策定委員会は、向島地区の現 状特性を整理して、プラスの面として、「向島 城など地域の地名に歴史的な名残がある」、 「宇治川に面しているなど、身近に豊かな自然 が多い地域である」、「農業が盛んで、新鮮な 食を得ることができる」、「自治会の取組に対 する理解が高まってきており、結束も強い地域 である」、「高齢者や障害者を見守るために、 安心安全ネットの取組を実施している」などを あげている。一方、マイナスの面として、「ニ ュータウンは年数を経て、建物が老朽化してき た」、「住民の高齢化が進み、若者が少なくな ってきている」、「ニュータウンでは中国帰国 者が増えているが、言語の壁や生活習慣の違い から、従前からの住民との交流が円滑に進まな い」、「敬老乗車証を使って宇治川を越えられ ない」、「道路が狭く、緊急車両が入れないと ころがある」などをあげている(伏見区基本計 画策定委員会、前掲)。 以上の課題に関連した行政側の施策としては、 2003年度からの「向島地区交通バリアフリー移 動円滑化基本構想」による近鉄向島駅周辺のバ リアフリー化、「留学生住居整備支援プロジェ クト」による外国人留学生への改良住宅住戸の 追加5)などが図られてきた。また、従来から行 われてきた低額所得者に対する公営住宅の供給 や母子世帯や障害世帯などへの特例枠、生活保 護世帯への住宅扶助などに加えて、公営住宅の 特例枠への父子世帯の適応、民間による高齢者 向けの住宅の供給促進や、障害をもつ人を対象 とするいきいきハウジングリフォーム、外国人 を対象とする「HOUSE-navi」などの福祉施策 や住宅施策が実施されてきた。この背景には、 地域福祉のなかで住宅が担うべき役割への関心 と、住宅セーフティネットに対する地域住民の ニーズの高まりがあるが、高齢や障害などの社 会的困窮度や世帯の事情を的確に反映した制度 設計になっていない部分があり、市営住宅の公 募制度の見直しやバリアフリー対応住宅の供給 促進を進めていく必要が生じている。 住宅確保要配慮者としては、低額所得者だけ でなく、高齢者や障害をもつ人、子育て世帯 (母子・父子世帯等)といった人々を想定する 必要があるが、ニュータウンでは、それらの 人々が様々な葛藤をもちながらも共に暮らして いて、多種多様な性格をもつコミュニティが形 成されている。また、ゴミ処理などの生活問題 をめぐる異文化コミュニティとの軋轢6)や、障 害世帯の高齢化のなかでの心中事件7)など、痛 ましい事件も生じている。ニュータウンにおけ る多種多様なコミュニティは、多世代多文化の 共生が必要とされるこれからの時代の先駆けで もあり、以上のコミュニティの現状から学ぶべ きことや、今後に向けての課題を見出していく ことは、将来の地域社会の在り方を検討するう えで意義深いと思われる。 本稿では、向島ニュータウン内に形成されて いるコミュニティのなかから、障害をもつ子ど もと母親たちのコミュニティをとりあげて、母 親たちを対象としたフォーカスグループインタ ビューを行い、コミュニティ生成過程を質的に 分析する。また、以上の分析結果に基づいて、 本コミュニティの特徴を明らかにするとともに、 就学前から就学期に焦点をあてて、障害をもつ 子どもとその家族に対するソーシャルワークの 課題を分析していく。 2 ニュータウンに暮らす障害をもつ子どもの 母親たちへのインタビュー 調査協力者は、向島ニュータウンに暮らす30 代から40代の女性6名で、いずれも障害をもつ 子どもの母親である。彼女たちは、近所づきあ い、PTAづきあい、子どもたちのダンスサーク ルなどの活動をとおして日ごろから家族ぐるみ で行き来をしており、筆者の研究協力者で、頸
表1 調査対象者の属性 ID 家族構成 障害をもつ子どもの年齢・性別 障害名 指摘された時期障害を 告知された時期障害を A 3人 中学 2 年の女児 ダウン症 生後すぐ 生後すぐ B 3 人 小学校4年の男児 発達発育障害自閉症 保育園年長時~小学校入学時 小学校 4 年 C 2 人 小学校 4 年の男児 水頭症・てんかんアスペルガー 保育園時 小学校 4 年 D 6 人 小学校 3 年の女児小学校 1 年の男児 自閉症スペクトラム自閉症スプクトラム 3 歳児健診3 歳児健診 3 歳児健診3 歳児健診 E 3 人 中学校 2 年の男児 ダウン症 生後すぐ 生後すぐ F 4 人 中学校 3 年の男児 小学校 5 年の男児 自閉症・睡眠障害自閉症・PTSD 小学校 1 年保育園年少 小学校 1 年保育園年少 髄損傷による四肢麻痺の身体障害をもち、ニュ ータウンで一人暮らしをしているKさん8)とも 顔見知りであったことから、Kさんから調査協 力者たちに声をかけてもらい、フォーカスイン タビューが実現した。 2-1 フォーカスグループインタビューの実施 (1)調査実施年月日 フォーカスグループインタビューは、調査協 力者6名が日頃から馴染んでいるKさん宅で2010 年9月13日の午後4時半から7時にかけて実施し た。インタビューでは、「家族構成」「子ども たちの障害について」「ニュータウンの良いと ころと悪いところ」など、あらかじめ用意した 大まかな質問事項に基づく半構造化面接を実施 した後は、調査協力者たちの自由な語りに任せ る形での非構造化面接を実施した。以上の方法 をとったのは、調査協力者から出来るだけ自然 な会話を引き出したり、本音が聞き出せたりす るように意図したためである。 (2)データ収集手続き 表1に、調査協力者の家族構成、障害をもつ 子どもの年齢、性別、障害を指摘された時期、 障害を告知された時期などを示す。家族構成は 表1のとおり様々であり、ニュータウンに暮ら すようになった経緯では、子どもが生まれる前 からニュータウンに住んでいる人たち(A,E)、 以前の住居から家族で転居してきた人(D)、 子どもと一緒に実家に近くに回帰する形で転居 してきた人(B)、子どもとの別居生活を経て ニュータウンで暮らすようになった人(C)な ど、其々が異なった背景をもっていた。また、 子どもたちの障害は、ダウン症、自閉症、アス ペルガーなどであった。 なお、インタビューにあたっては、研究目的、 内容の匿名性の保障、音声記録についての依頼、 連絡先などを明記した文書を手渡して、口頭で 説明したうえで同意を得ている。 (3)インタビュー時の様子 調査協力者たちはKさん宅に午後4時半ごろか ら次々に集まり始めて、6名全員が揃った午後5 時ごろからインタビューを開始した。インタビ ューが開始されてからも調査協力者の子どもた ちが頻繁にKさん宅に出入りしていたが、調査 協力者たちは、どの子どもに対しても気さくに 声をかけており、彼らが日頃から家族ぐるみの つきあいをしている様子や、そのなかにKさん が既に溶け込んでいる様子が実感できた。 インタビューではコーディネーター役を務め たKさんも調査協力者たちの会話を見守り、全 体としては和やかな雰囲気で進行したが、子ど もたちの障害を受け入れるまでのライフストー リーに言及した時には、涙組んだり、嗚咽した りする調査協力者も見られた。以上の調査協力 者に対して、他の調査協力者やKさんから「い ろんなことがあるから」「無理もない」との声
がかり、受容的に受けとめられていたことが印 象的であった。また、インタビューの終了後に、 「日頃から顔見知りではあるが、今日のような 深い話はあまりしたことがなかった」との感想 が述べられたりもした。 (4)分析方法 結果の分析にあたっては、フォーカスグルー プインタビューの録音記録を逐語録として書き 起こしたうえで、調査協力者たちの語りを分析 して、「①コミュニティの核となる母親たち」 「②地域社会から孤立する母親たち」「③コミ ュニティ形成のきっかけとなる出会い」「④ニ ュータウンの子育てコミュニティ」「⑤障害が もつ意味の発見」という、コミュニティ形成プ ロセスに関わる5つのカテゴリーを生成した。 以下に、コミュニティ形成プロセスに沿って、 5つのカテゴリー毎に調査協力者たちの語りを 紹介しながら、エピソード分析を行い、次いで、 本コミュニティの特徴と、障害をもつ子どもと その家族に対する就学前から就学後のソーシャ ルワークの課題を考察していく。 2-2 フォーカスグループインタビュー結果 (1)コミュニティの核となる母親たち 調査協力者たちが形成している障害をもつ子 どもと母親たちのコミュニティの源には、ダウ ン症の子どもの母親であるAさんとEさんの療育 センターでの出会いがある。AさんとEさんは、 子どもがダウン症であるとの告知を出産直後に 受けて療育センターに通うようになり、そこで 障害をもつ子どもの母親同士として知り合い、 やがて家族ぐるみで互いの家を日常的に行き来 するほど親密になっていく。Eさんは、Aさんと のつきあいについて以下のように語っている。 初めからお友達。たまたま、住んでいると こも●階と●階の同じ棟ということで。誕生 日も●生まれ同士。ずっと子どもの時から同 じように子育して知っているっていうか。A さんの子は、うちが家だと間違っているかも し れ な い っ て い う 、 ど っ ち が ど っ ち だ か (E)。 しかし、最初からすぐに打ち解けたわけでは なく、住居地が向島ニュータウンと同じであっ たこと、療育センターで「親の会」が行われて いたことが、親密になっていくきっかけとなっ ていた。 療育センターの毎月の会で一緒。ここで知 っていたわけではなくって、「家どこ?」っ ていう話になって。「親の会」みたいなんが あったり(略)。そこで知り合って、親同士 話ができるって。で、後から「障害もってい る」っていうのを受けて。受け入れるとこま でかなり時間がかかって。私たちの場合は生 まれてすぐやって、それを13歳までに。やは り 、 生 ま れ た 時 か ら 1 3 年 間 ち ょ っ と ず つ (E)。 就学前の療育センターなどでは、家族支援と して「親の会」などの名称で障害をもつ子ども の親たちを対象としたグループワークがしばし ば実施されていて、同年代の障害をもつ子ども の親同士の出会いの場としても機能している。 しかし、彼女たちが通っていた療育センターの 事業は京都市南部地域全般を対象としているた めに、住居地近くの障害をもつ子どもの親同士 が、必ずしも出会えるわけではない。したがっ て、療育センターを拠点として築かれる障害を もつ子どもの親のコミュニティは、住居地を中 心とした徒歩圏内のコミュニティからは隔絶し たものとなる場合がある。一方、Eさんの語り からは、障害をもつ子どもの親同士の親密さが 形成されるうえでも、親が子どもの障害を受け 入れていくうえでも、同年代・同地域の親同士 の出会いが、当事者にとっては特別な意味合い をもっていたことが理解できる。ここには、ニ ュータウンには近鉄バスが運行しているものの、 本数は少なく、最寄りの駅まで高齢者や障害を もつ人が徒歩でいくには30分程度は見込まなく てはならないという地域事情も絡んでいるのか もしれない。 障害をもつ子どもの親同士のコミュニティの 形成においては、療育センターが対象としてい るメゾ・システムの家族支援に加えて、住居地
を中心として徒歩圏内のミクロ・システムの家 族支援も必要とされている。現在の療育システ ムでは、障害児療育の現場で実施されているメ ゾ・システムを対象とした家族支援と、住居地 近辺のミクロ・システムを対象とした一般的な 子育て支援は隔絶しがちである。ニュータウン がもつ地域特性のなかで、メゾからミクロの家 族支援の間にある隙間をつなぐ役割を担ったの は、公的な支援機関や援助専門職ではなく、療 育センターで「親の会」を体験したAさんとE さんであり、彼女たちがニュータウン内の小地 域のコミュニティ形成の核になっていたと思わ れる。 超早期療育の現場で実施されている家族支援 においては、個別的な家族支援だけではなく、 療育現場で出会った家族同士のつながりととも に、地域特性に配慮しながら、生活拠点を共に している家族同士のつながりを意図的に構築し ていこうとする観点が必要である。住居地を中 心とした徒歩圏内の障害をもつ子どもとその親 のコミュニティの形成においては、メゾ・シス テムとミクロ・システムの家族支援の連結と連 続性に配慮したソーシャルワークがより重要に なっていくと思われる。 (2)地域社会から孤立する母親たち ①障害の告知を受けるまで 出生前診断や誕生直後に告知ができるように なっているダウン症のような障害に比して、自 閉症やアスペルガーのように、発達・発育上 “気になる”部分はあるものの、親や周囲にと って、その実体が分かりにくい障害や、専門的 な確定診断に時間を要する障害も存在する。 “気になる”部分が分からないまま、その段階 が長く続いた場合、親の不安は増大していく。 就学時健康診断で発達・発育上の子どもの問題 の指摘を受けたBさんは、「泣くことしかでき ない」状態で3年近く悩み続けている。 療育センターで「おかしい」って言われた 段階で、何が「おかしいのか」っていうのが 分からないし、「この子ちょっと色の識別 が」「おはじきが」とか、「積み木が」とか 言われて、「何がですか?」「保育園では遊 んでいるし、普通や思うのですが」「どこ が?」っていう感じ。頭のなかはとりあえず、 ぼぉーとして(B)。 保育園の年長さんから小学校3年生の間で すね。3年近く悩みました。そういう障害を もったお母さんが周りにいなくて、身内にも いないし、誰に相談したらいいのかも分から ない、どんなことがあるのかも全く分からな い状態で、それで悩んだ結果、学校でも勉強 についていけないということで、もう1回検 査を受けてみようということで受けた。家で は毎日泣くことしかできなかった。どうした らいいのか分からないし、旦那さんがいるわ けではないので(B)。 3年間、悩み続けたBさんが子どもの診断を受 けようと決心したのは、小学校4年を前にして 学習への適応が難しくなっていった時期であり、 発達・発育障害と自閉症の診断がされている。 診断を受けるきっかけとしては、「勉強がつい ていけへんのはなんでなんやろ」「何回言って も聞いてもくれへんし。どうしてあげたらいい のやろ」(B)と思ったことが一番の理由であ ると述べられている。就学前診断の機会を逃し た場合、次に診断を受けるきっかけとなるのは、 子どもの学習の問題や学級集団への適応の問題 など、具体的な問題が浮上してくる小学校の中 学年以上の時期になりやすい。また、その時点 では、親子ともに地域社会や学校集団から既に 孤立してしまっている。 一方、Cさんの子どもも、最近(小学校4年) アスペルガーとの診断を受けたばかりである。 彼女の子どもは、「水頭症」「てんかん」など の診断をそれ以前に受けており、保育園の時か ら知的障害者施設にも通所していた。しかし、 Cさんが、子どもの障害を受け入れられるよう になったのは最近のことであるという。Cさん は子どもと離れて暮らしていた期間があり、そ の当時のことを回想して「あっち、ふらふら、 こっち、ふらふら、転々としていたので。現実 逃避をずっとやっていたので」(C)と述べて
いる。 うちはこの2年弱なんですね。ちゃんとま ともに生活するようになったのは。それまで 私は受け入れられなかったというのか(絶句 して泣く)。ありすぎて漸く受け入れられる ようになったので、今こうやって一緒に生活 するようになったのですが(C)。 BさんやCさんは、就学前に子どもたちの発 達・発育上の問題を公的な機関から指摘された ことによって、却って不安を増大させている。 その要因として、母親にとって理解するのが難 しい障害であったことや、重複障害があったこ とも関係していたと思われる。Bさんは、「こ ういう言い方をしたらあかんけど逆に、こうい う車椅子に乗っているとか、松葉杖をついてい たりした方が、逆にこっちも『あれなんやけ ど』っていう部分は、そのまあ、正直ありま す」(B)と、「見えない障害」を理解するこ との難しさに言及している。 一方、Dさんは、4人の子どもなかで2人の子 どもが「2人とも3歳児健診でちょっと違うと言 われて。『あの発達検査を受けに行って下さ い』って言われて行って。そこで発達障害が分 かって。自閉症っていうのが分かった感じで す」と述べている。Dさんの2人の子どもは療育 センターや保育園にも通っていたが、「どっか で障害のことを隠していたっていうのか、あま り、わーと障害のことは言わなかったですね」 と述べている。 アスペルガーや自閉症などの子どもたちが、 発達・発育上の問題を指摘されたり、診断を受 けたりした時期は、3歳児健診時、入学・入園 時、小学校の中学年など、ばらつきが認められ る。しかし、市町村が実施している健診(D)、 保育所(E)への入園や、学校への入学(B、 F)という、早期発見・早期診断をめざした乳 幼児健康診査(以下:乳幼児健診)や就学時健 康診断(以下:就学時健診)などの体制によっ て、子どもの発達や発育上の問題が発見された ことは共通している。その意味では、障害対策 は機能していると言えるが、自閉症やアスペル ガーなどの自閉症スペクトラムについては、早 期発見と早期診断や早期療育は必ずしも直結は していない。 現在の援護施策では、確定診断を受けて障害 が明らかになった時点で、支援が決定され実施 されていく仕組みとなっている。しかし、自閉 症スペクトラムや、自閉症スペクトラムを重複 している障害については、乳幼児健診、就学時 健診などで発達・発育上の問題の指摘を受けて から、診断を受けるまで時間がかかり、その期 間に親たちが孤立することがある。以上の障害 については、正確な診断ができる機関が現実に は限られているために、診断が出るまで待たさ れたり、診断の確定が遅れたりすることもある。 そのために、発達・発育上の問題が“気にな る”と感じながらも、その実体が把握できない まま、一人悩んでいる親たちは一層、将来に向 けての不安を増大させていく。発達・発育上の 問題が“気になる”段階の子どもをもち、地域 社会から孤立している親たちが、住居地から徒 歩圏内で利用できる専門的な療育機関はほとん どない。また、健常児も利用しているような子 育て支援サービスは、子どもたちの行動特性に 不安を感じて地域社会から孤立しがちな親たち には利用しにくく、一般的には敬遠される傾向 がある。したがって、同年代の子どもをもつ親 同士のつきあいにも、障害をもつ子どもをもつ 親同士のつきあいにも、参加できる機会を失っ ていき、一層孤立感を深めるという悪循環に陥 ってしまうこととなる。 早期発見と早期診断と早期療育は、本来は連 続性をもって同時並行的に行われなければ、 「問題」を指摘するだけになってしまい、親を 一層孤立させる。以上の連続性が確保されず、 その間に隙間が生じる場合は、その隙間を埋め ていくような個別的な支援体制を構築していく 必要がある。 ②生活基盤の揺らぎ 子どもの発達・発育が“気になる”段階から 診断を受けて告知される段階までの期間は、前 述したとおり、親たちが地域社会から孤立しや すい制度施策の隙間の時期でもある。この隙間
の時期に、生活基盤が揺るがされるような事態 が重ねて生じた場合には、親たちはさらに危機 的な状況に陥る。BさんもCさんも、この時期に 転居につながる生活基盤の変動を体験しており、 その結果、地域社会での孤立感は一層増幅され たと思われる。生活基盤の変動は、転勤、転職、 離婚や転居などによっても生じるが、障害をも つ子どもの誕生も親の生活を一変させる。加え て、誕生した子どもの障害特性も親の生活に反 映される。3人の子どものうち、2人の子どもが 自閉症で、下の子には睡眠障害も見られたとい うFさんは、以下のような凄絶な体験を述べて いる。 児童相談所で判定受けた時はもう人に会い たくなくって、もう誰にも会いたくなかって、 結局もう自分が鬱になって自殺未遂をして、 「いっそのことこの子ら道連れにして死んだ ら、どんだけ、自分が楽かな」っていうのも 考えたりした時期もあって。ほんとに子ども に 申 し 訳 が な い 時 期 も あ っ た ん で す け ど (F)。 彼女はそれまでの生活について涙ながらに以 下のように語っている。 上の子が小学校1年生の夏くらい、下の子 が保育園年少の頃だと思うんですが、(下の 子の)睡眠障害のサイクルに私の体がついて いけなくて、下の子が年少の時に私が疲れち ゃって(泣きながら)、その時に児童相談所 の方にこの子を預かってもらって。その時に 「いい機会やし、発達検査を受けてみない か」と。その入所している状態やったら、 「待たんでも検査を受けれるから」って言わ れて。その時に上の子も日程を組んでもらっ て検査を受けたんです。その時に告知を受け たんです(F)。 「睡眠障害のサイクルに私の体がついていけ なくて」(F)という状態は短期間であったわ けでも、将来は軽減されるという見通しがあっ たわけでもない。それは、下の子が誕生した直 後から始まり、保育園の年長になるまで続いた のである。 生まれた時から、生まれたその日から寝な かった。昼も寝るわけじゃないので、こっち も寝れないし。ほんと2日に一度、2時間くら い寝るって状態やって(略)。年長くらいま ではそのサイクルがずっと続いたんで、ほん とこっちもしんどかったのですが、睡眠障害 の判定を受けるまで「やっぱり薬も使えない し」っていうのもあって。ちょっと2日、3日 に一度2、3時間というサイクルをこっちがず っと起きて見ているしかなくて。保育園に行 ってからも昼寝も勿論しないし寝ないし。 (略)「えっとなんだろう?」っていう子や ったんです。何か分かんないし、睡眠障害の 判定もやっぱ小さいうちは昼夜逆転ってこと も考えられるから、「判定出せない」ってい うのもあって。ほんで、年長くらい3、4歳か けてになると睡眠サイクルっていうのもしっ かり寝たり起きたりっていう、そこでやっと 「判定出せます」って。「起きている時はず っと見てもらうしかない」と言われて。そん で2週間くらい預かってもらって。ほいで、 それから1カ月くらいでその判定が出て。そ の 時 は 何 も 利 用 し て い な か っ た の で す が (F)。 育児困難な状況はその後も続き、Fさんの上 の子が中学校に進学してからは、「日曜日はも う一日朝から晩までパニックのぶつけ合いやっ たから、ちょっと私もしんどかって」という状 態や、「もう学校に行けないっていう日が1カ 月2カ月くらい。もうずっと、朝準備が出来な いから行けないっていう状態が2カ月くらい続 いた」「いろいろ考えて家を箪笥で仕切ったり、 もう部屋をひとつの部屋をもう半分に分けるの を何回かやったのですが、でも、やっぱりうま いこといかなくて」(F)という状態になり、 上の子が月2回、知的障害児施設の短期入所を 利用したり、移動支援を利用したりするように なる。また、地域生活支援センターの担当者の 計らいで家事援助のためのホームヘルプサービ
スが導入されたりするようになる。しかし、生 活がそれですぐに安定したわけではなく、落ち 着くまで2年近くかかっている。 それから(短期入所を)やっぱ月に2回ほ ど使わしてもらうことによって、その、なん だろ、離れる時間ができるようになった分。 あの下の子にしてもお兄ちゃんがいない時に、 下の子はどうしたらいいか最初は全然わから なかったので、もう行き出した時は「なんで お兄ちゃん行くの」って、もう、あっさり送 り出すまでが、すごい、もう、一時間ほど大 バトルがあったんですけど、最近は「あっ、 お兄ちゃん(短期入所)行くんか、ほな俺は こうするわ」っていうみたいな時間が作れる ようになってきて、やっぱ、そうなるまでに 2年間くらいはかかりましたね(略)。それ まではもう上の子が行くときにも、なんか、 もう、邪魔するし、上の子が家から出れない っていう、もう、すごかって、「つかんでる から早よ行って」という状態で、下の子もこ の子も抱きかかえて、こっちが力づくで押さ えて、もう、「早よ、行き」みたいな、もう、 「早よ、行って、目のつかんとこに行って」 ってみたいな(F)。 もし、児童相談所や地域生活支援センターの 危機介入が行われなかったら、Fさんの生活は 一体どうなってしまっていたのだろうか、と思 わずにはいられない状況である。ここでは、生 活支援の視点を何よりも優先させるべき危機的 な状況が認められる。子どもを一日でも預かっ てくれるところがあるか/ないかは、時に生死 にかかわるのである。 一方、調査協力者のなかには、様々な事情か ら生活基盤を立て直す必要に迫られていた人も おり、その結果がニュータウンへの転居になっ た人もいる。しかし、転居してきた時点でのニ ュータウンの生活は快適なものではなかったと Bさんはいう。 こっちへ引っ越してきて、一人でそういう こと、「隠していかなあかん」ということじ ゃないけど、うちの子の場合は、外見は普通 やし、全然元気やけど、「中身が」っていう、 何回言っても分かんない子やし、「何回も、 何回も、言っていかなあかん」っていうよう なことをしていかなあかん(略)。「障害 や」って言っても信じてもらえない。だから 頭ごなしにまわりからも怒られるし、外見で は分からないから、「普通の子やん」って目 で見られる。その点では「申し訳ないです」 って頭を下げることしかできなくて(B)。 次いで、Bさんはニュータウンの生活につい て以下のようにも語っている。 (子どもは)喧嘩しても、やっぱ、口でも のが言えへんし(略)。その障害手帳もらっ ても、やっぱ、こういう向島やし、やっぱ、 環境のいいというところではないので、やっ ぱ、そうなってくると、こう怒鳴りに来はる お母さんもいはるし、「いや、うちの子はこ うや」と、障害っていうことで説明をしても、 理解してもらえへん、ていうのが一番嫌な点 (B)。 ニュータウンの子育てのメリットとして語ら れることもある密着した人間関係については、 「障害児をもっている親以外の点では、近すぎ るのが大変な点もある。入りすぎてしまう」 (A)と述べられるように、形成されたコミュ ニティの内部と外部に対する評価が逆転してし まう場合もある。ニュータウンには様々な事情 を抱えた住民が暮らしているが、そのなかには、 生活基盤の安定性を欠いた状態で転居してくる 人々や、生活基盤が揺らいでいる人々もいる。 ニュータウンに形成されているコミュニティの 内部に入り込むことができなかった時期、コミ ュニティの外部にいるしかなかった時期の障害 をもつ子どもの親の苦悩や孤立には深刻なもの がある。Bさんは3年間悩み続け、Cさん、Fさ んにしても生活が落ち着いてきたのはここ1、 2年のことである。 コミュニティから孤立した人々を支援してい くには、コミュニティとの葛藤解決や生活問題
の相談に応じるというソーシャルワーク的な観 点から危機介入を行い、孤立している人々との 信頼関係や相談関係を樹立して継続的な支援を 行う必要がある。同時に、住居地を基盤とした コミュニティのなかに障害をもつ子どもの親同 士が出会える仕組みを作っていく必要性や、既 にあるインフォーマルなコミュニティの機能を 支援していく必要性もあるのではないだろうか。 (3)コミュニティ形成のきっかけとなる出会い 様々な背景や経緯をもってニュータウンに住 んでいる調査協力者たちは、「療育センター で」(A、E)、「PTAで」(B)、「子どもの クラスが一緒」(C、D)など、いずれも公共的 な場所での様々な組み合わせの出会いをとおし て、顔見知りになっている。Bさん、Dさんは以 下のように述懐している。 4年生になって、こことPTAで仲良くなっ て(略)。PTAの役員会の時に仲良くなって、 育成学級で「同じクラスや」ってこと聞いて。 子どもからは聞いていたんやけど、どんな子 か分からなくて。だんだん、だんだん、仲良 くなって、それで聞いていくうちに「良かっ た」って。「同じこういう障害をもった子な んや」という意味で何でも話せるようになっ て。ちょっと、こう、自分のなかのもやもや 感っていうのが、喋って減っていって(B)。 就学してからあんまり人見知りで、あんま り「ばぁー」て喋らないので、初めて上の子 が●組さんに行って。「どうしよう」と思っ ていた時にちょうどAさんの方がいろいろ声 かけ、挨拶をして、そっからですね、喋るよ うになったのは、それからですね(D)。 顔見知りになったからといって、すぐに会話 ができる関係になるわけではない。情報交換を したり、子育ての悩みを打ちあけたりできる関 係になるのは、「だんだん、だんだん」(B) と表現されるように、時間がかかる場合もある。 以下はAさんとCさんの回想である。 ●●さんとことか、●●さんのお母さんた ちは知ってはいるんだけど、交流をもちだし たのは、この子を引き取ってからっていうか (C)。 (Cさんは)あんまり学校にも来られなか ったし、いろいろ改善してもらうために「親 の会」っていうのか、お母さんたちがいて (集まって「親の会」をやっていたが)、C さんはそこにいませんでしたし(A)。 上の子が育成学級に行ってからですね、育 成でこの子(Cさんの上の子)といっこ違い なんです。お兄ちゃんの方が一緒で。育成で たまに話す程度やったんですが(A)。 その頃は、私は他のお母さんと話をするの が嫌やって。なんかこう自分の殻に閉じこも っていたので。話をするのが嫌やって。参観 日行ったら、他のお母さんに会うし、行かへ んって状態で。とりあえず全然自分が受け入 れられへんかったんですね(C)。 顔見知りになった障害をもつ子どもの親たち はやがて親密さを増していくが、BさんとDさん は、障害をもつ子どもの親同士の交流の意義に ついて、以下のように語っている。 やっぱり、私もCさんところと仲良くなっ てから「あっ、やっぱ、こういう病気もある のや」「こういう病気もあるのや」って、い うのが「よくよく分かったんや」という状況 やし。全然、こう、私自身も正直、こう、受 け入れられない部分も、正直あると思うんで す。でも、やっぱり、こう喋ってるなかで、 いろんなこと喋ったら、「睡眠障害って、あ るんや」「ああ、こういうなんがあるんや」 と、やっぱ、聞いていると分かるという、 「そうそう」みたいな感じで(B)。 喋れるって環境がすごい嬉しくって。やっ ぱり、こう、そのなかで、いろんなことを教 えてもらったり(略)。まだ、こう、何も全
然分からないで、なにがなんだか、こう、助 けてもらっている状態です、助けなあかんの に(D)。 ここでは、障害をもつ子どもの親からの情報 提供をとおして、「あっ、やっぱ、こういう病 気もあるのや」「ああ、こういうなんがあるん や」(B)という発見が生まれ、そのことによっ て、自分の子どもの障害がノ―マライズされて いく様子が語られている。同時に、「やっぱり、 こう、そのなかで、いろんなことを教えてもら ったり」(D)と、実用的な知識や経験知が親か ら親に伝達されている様子が示されている。 専門家から行われる発達・発育上の問題の指 摘とは異なり、障害をもつ子どもの親同士の情 報提供には、障害をノ―マライズすることによ って、相手を安堵させるような働きが生じてい る。障害をもつ子どもの親同士の交流や情報交 換がもつ大きな意義は、障害をもつのは自分の 子どもだけではないことを発見することによっ て、自分の子どもの障害がノ―マライズされる こと、実用的な情報や経験知が親同士のコミュ ニティの共有財産として蓄積されていくことに ある。そして、以上の意義が自覚された時に、 障害をもつ子どもの親は自分たちのコミュニテ ィを形成していくことの必然性を強く感じると 思われる。 ニュータウンにおける障害をもつ子どもと母 親たちのコミュニティは、コミュニティの最初 の核であるAさんとEさんの周囲に生じた様々な 人間関係の組み合わせが、芋づる式に発展する ことをとおして形成されたものである。そのな かで、AさんやEさんは、自らの経験知に基づい て、障害をもつ子どもの親同士の交流や情報交 換の意義と、その意義を自覚するには時間がか かることを周知しており、他の親に働きかける タイミングを待つ姿勢をもっていたと思われる。 孤立している親たちへの支援は、コミュニテ ィの核となる人とのつながりを尊重した形で行 う必要があり、コミュニティの核となる人々と 支援機関の関係を維持、継続させていく必要が ある。 (4)ニュータウンの子育てコミュニティ 前述したとおり、超早期にダウン症の確定診 断を受けた子どもをもつAさん、Eさんは、子 どもの障害を親が受け入れるまで時間がかかる ことを、自らの経験に照らし合わせて周知して いた。それ故、子どもの障害に戸惑ったり、周 囲からの指摘にもかかわらず、診断を受けるこ とを逡巡したりする他の親たちに対しても理解 を示している。たとえば、Eさんは以下のよう に回想している。 (最初はAさんとも)お互い話もなかなか しなかったんだけど、「受け入れたんはどの くらい」って話をするようになりました。や っと、こう、自分でも外に出せるようになっ たかな。皆さん時間がかかったというのは 「そうやろな」っていうか。やっぱり、健常 者もいて、障害者もいて、いうようなんで、 寄り添う気持ちっていうのは、やっぱりね、 想像でしかないんですけど、生まれてすぐっ ていうのと、13年間かかっているというのは 同じ、その10歳から3年間という、そんなん じゃないんですが、あれなんですが、すぐに 「受け入れられへん」というのは正直、この 子と一緒に育ってきて、保育園に入って、地 域の保育園に入れたんですけど、だんだん、 だんだん、この子の発達とともに、あの親に なっていけたっていうか、そういうて、ああ、 皆さんの助けもあっていうのも、ここまで来 れたっていうのもありますね(E)。 以上の語りのなかには、子どもの障害を親が 受容していく前提として、「健常者もいて、障 害者もいて」(E)という障害を受容する環境 や、「だんだん、だんだん」(E)という時間 経過が必要との考えが示されている。「子ども の障害を受容していない」、「勧めても診断に 行こうとしない」との批判が障害をもつ子ども の親に対して行われる場合があるが、子どもの 障害を親が受容するには、「障害の社会受容」 が行われる環境が周囲にあるか/否か、そのな かで子どもの成長や発達を親が見ていくような 「時間の保障」が行われているか/否か、が重
要であると思われる。それは、親同士や障害を もつ子ども同士が仲良くしている姿を見ること によって実感できる場合がある。たとえば、C さんは以下のように述べている。 ちょっと、馬鹿親子ですけど、今はこうや って向島の、うちも小学校に上がる時に引っ 越してきた、で、こう、時々、●組とかのお 母さんたちとか、お友達同士で仲良くなって いる、遊んでいる、「別に普通、絶対必要や から障害者同士が集まって遊んでいるのも別 にいいじゃないか」というのはここに来て思 えた。今、こう、一緒に支援のなかに入らし てもらって、「この子たちの方が面白いし、 楽しい、素直やし」っていうところではそう 思います。最近、可愛いですね。腹立つこと もありますけど、素直なんで、「それが本当 の気持ちや」っていうのが分かるんで。親も 励まされる部分がある、他の子で励まされた りもしますし、もう、自分の子と遊んでくれ る子は皆んな、こう、可愛いって。うちの子、 ここのお子さんとはめちゃくちゃ仲がいいん ですが、●●ちゃん、めちゃめちゃ可愛いん です。多分これが団地ならではなんでしょう ね。きっと(C)。 「健常者もいて、障害者もいて」(E)とい う環境や、「別に普通、絶対必要やから障害者 同士が集まって遊んでいるのも別にいいじゃな いか」「この子たちの方が面白いし、楽しい、 素直やし」(C)と思える環境が住居地に形成 されていて、「自分の子」「自分の子と遊んで くれる子」(C)が共に可愛いと感じられた場 合、その環境は障害をもつ子どもとその親のコ ミュニティ形成の場として認知される。そして、 「団地ならでは」(C)の密着した人間関係が プラスに働いていくことになる。Aさん、Cさ ん、Dさんは、ニュータウンの子育てのメリッ トについて以下のように述べている。 気楽な環境で子どもたちが育っていく。わ りとお母さん方が近い存在、少子化といわれ るように子どもの数も少ないし、この子のお 母さんはこの子というようなことがわりと分 かりやすい。知っている人が近場にいる。生 活環境も何となく似ていて近いところがある ので話やすい人が多くて助けられている点が ある(A)。 まぁ、子どもが預けられて、そのなかで親 同士こういうね、話ができるっていうのはほ んとに助かる、情報交換もできるし。子ども に「学校に行ってくるわ」とか、「学校はこ んなんやし」と言って(子どもを預けて学校 に行ける)。だんだん、強くなっていくとい うか、はじめから私達もこんなんじゃなかっ たんですが(C)。 やっぱし、集合住宅でみんなが密集してい て。隣の人は●●教室のボランティアをして はる先生なんで、よく見てもらえるんで。や っぱし、障害があるってことも全部言うて。 今日は「こうしてはった」っていうのが報告 してもらえるんで(略)。そういう面で、ニ ュータウンでよかったって。あと、見守り隊 もしてはるし、両隣も。登校時のこととか、 「今日はどうや」って気にはかけてもらえる んで。「部屋があたって良かった」って。あ の前住んでいたとこでは、やっぱり言えへん かったり、あの、主人の会社関係で皆集まっ て い た の で 、 伏 せ て し ま う 、 障 害 の こ と (略)。ここは、こう、オープンに出来るか ら、自分が、気が楽ですね。向かいに「見と いてください」って言ったら、ほんまに見と いて下さるので。すごい、嬉しかった(D)。 ニュータウンのなかに形成されたコミュニテ ィが、子どもたちの障害についての「社会受 容」が行われる環境であると親たちに認知され た場合、そのなかで親の「障害受容」も育って いく。そして、子どもの障害がノ―マライズで きる場として、ニュータウンにおける障害をも つ子どもと母親たちのコミュニティは、必要不 可欠な社会資源になっていく。 行政や支援機関は、ミクロのコミュニティが 果たしている役割を尊重するとともに、インフ
ォーマルな社会資源を形成している人々とのパ ートナーシップのもとで支援を行えるような体 制を築くべきである。 (5)障害がもつ意味の発見 調査協力者のなかには長い時間をかけて、あ るいは自らの体験をとおして、子どもの障害の 意味を見出している親たちもいる。障害への負 のイメージと、それに対して受身であった状態 から少しずつ抜け出ることができていく、とい うことをEさんは以下のように語っている。 私たちの場合は生まれてすぐやって、それ を13歳までにやはり、生まれた時から13年間 ちょっとずつ、選ばれた母親じゃないけれど、 なんか、そういうような楽しさみたいな工夫 をもてる部分があったのは、一緒にやってき たおかげやったし、最初からそんな風にすぐ には「立ち直れへんな」っていう、立ち直れ ませんでした(E)。 障害がもつ負のイメージから、13年の歳月を かけて少しずつ「立ち直った」と感じているE さんは、子育てに「楽しさみたいな工夫をもて る部分」(E)があった、それは「一緒にやっ てきたおかげやった」(E)と言えるようにな っている。また、それ故、自分は「選ばれた母 親」(E)であると言う。このように、「立ち 直った」と感じている親は、障害をもつ子ども を授かったという事実に天命のようなもの、誇 りのようなものさえ感じている。 以上は、障害がもつ意味についての哲学的な 考察とも呼べるものであるが、Cさんも自らの 入院と手術の体験をとおして、子どもの障害が もつ意味を以下のように感じるようになってい る。 今回、私もちょっとした手術を受けた時に、 その、「水分がとりたいのにとれへん」とか、 「ごはんを食べたいのに食べれへん」とか、 その、「呼吸器をはずしたあとのこの辺の違 和感」っていうものを全然経験したことがな いから、「いやいや、そんなん今、飲んだら あかん」「食べたらあかん」ていうのが分か らへんから、分からへんから子どもに言って いた部分があったんだけど、自分が体験して 「こんな気分だったのか」「偉大だな」って 思って(C)。 なんですかね、今年っていうか、9歳の誕生 日の時にいろんなことが、そう、すごい走馬 灯のように流れてきて。その生まれた時から。 で、子どもと一緒にいるんやけど、いなかっ た期間、「なんで、なんで、できへんやった ん」とか、そういうのとかが一杯流れてきた ら、「こいつ超おもろいやん」っていうの、 その生まれた時から、一緒にいなかった期間 があったんだけど、「なんで、できへんかっ たのか」っていうのか、この人の「存在の大 きさ」っていうのが、やっぱりこちらが経験 しきれない部分を生まれた時から手術を何回 もやってきたんで、改めてこう知らされて、 子どもの「でかさ」を知ってよけいに(C)。 Cさんは、一緒に住めなかった時期から一緒 に住むようになった時期を経て、自分にとって の子どもの「存在の大きさ」(C)を実感する とともに、「こちらが経験しきれない部分を生 ま れ た 時 か ら ( 子 ど も は 経 験 し て い る ) 」 (C)という事実を発見して、子どもの「偉大 さ」「でかさ」(C)に覚醒している。以上の いわば、「障害がもつ意味の発見」ともいえる 体験を経たCさんは、その後は一転して、子ど もを守るために周囲に積極的に働きかけていく 母親に変貌していく。 学校でたまに会うくらいで喋ったことなか ったですね。(今は)何か一人でべらべらべ らべら。学校ではなんか「モンスターおか あ」っていうくらい乗り込んでいっています し。いや、なんだろう。一緒にいれば力が入 っていくというか。やっぱ「ここだけはちゃ んとして欲しい」っていうことが出てくるん で。やっぱ、「子どもがいかに居心地よく暮 らしていけるか」っていうことで、やっぱり、 親が考えずに行ってしまうっていうか、「か
ちん」ときたらすぐに電話しているっていう か。校長先生にも電話しています(C)。 何故、そのような変化が生じたかについて、 Cさんは以下のように語っている。 やっぱ、こう、「知的障害」っていうのを ちゃんとこう受けとめたというのが、去年の 10月くらいって、その時に体の一部ではない が、「知的障害」っていうのを助けるのは 「親がこうレールを敷かないといけない」っ て。「自分の進むところを敷かないとあか ん」っていうことに気づいたのが。その時か らですかね、「がんがん行く」っていうのは。 (それまではそういう感じで)全然なかった で す ね 。 他 の お 母 さ ん に 聞 い て も 「 C さ ん?」、それまでは「●くんのお母さんって 誰?」って聞かれても、皆「知らない」って。 今でも知らないお母さんは多いと。いや、 「ここまで抱えたら、もうこれ以上ってない でしょう」って。やっぱり、こう、どこかで 開き直らないとあかんし、やっぱ、「支えて くれる人が一杯いるんや」って気づいて。が んがん行けるし。一人やと心細いし、「何か あった時はやっぱ人の助けが必要やし」とい う時にがんがん行って(C)。 Cさんは、「何かあった時は人の助けが必要 やし」(C)という子どもへの支援の必要性へ の気づきと、「どこかで開き直らないとあかん し」(C)という思いから積極的に援助要請行 動をとる親へと変貌していく。しかし、「親が こうレールを敷かなあかん」(C)という語り と、「支えてくれる人が一杯いるんや」(C) という語りには断絶がある。「支えてくれる人 が一杯いるんや」けれど、「レールを敷く」の は、やはり「がんがん行ける」(C)親である とも解釈できるからだ。ここには、障害をもつ 子どもの親たちが結束して、窮状を強力に訴え なければ、支援は受けられないという事実に直 面した親の「開き直り」がある。そして、そこ まで親たちが頑張らないと支援が受けられない 現状こそが、障害をもつ子どもの親たちがコミ ュニティを形成している原動力でもある。 だが、そのような現状に親を直面させている のは誰なのだろうか。また、そのような現状に 直面しなければいけないのは、本当は誰なのだ ろうか、ということは地域社会全体に問われな ければならない。これらの問いへの答えは、 様々な小コミュニティが形成されているニュー タウン全体に関連する事柄でもあるからだ。 以上、障害をもつ子どもの母親を対象とした フォーカスグループインタビューから、ニュー タウンにおける障害をもつ子どもと母親たちの コミュニティ形成プロセスを分析してきた。そ 図4 ニュータウンにおける障害をもつ子どもと母親たちのコミュニティ形成プロセス
の結果、ニュータウンにおける障害をもつ子ど もと母親たちのコミュニティには、図4のとお り、早期療育の場での親同士の絆から生まれた 「①コミュニティの核となる母親たち」と、 「②地域社会から孤立する母親たち」との間に、 「④コミュニティ形成のきっかけとなる出会 い」が生じて、「⑤ニュータウンの子育てコミ ュニティ」が形成され、そのなかで子どもの 「障害がもつ意味の発見」に母親たちが覚醒し ていくというプロセスがあることが導き出され た。 では、以上のプロセスを経て、ニュータウン の母親たちは、障害をもつ子どもとその家族に 対して、どのような支援サービスが必要だと感 じているのであろうか。以下に、母親たちが必 要だと考えている支援について、「見えない障 害への理解」「療育や教育へのアクセシビリテ ィの確保」「格差の是正」などに整理して検討 していく。 2-3 必要とされている支援 (1)見えない障害への理解 自閉症スペクトラムなどの発達障害は、発 達・発育上“気になる”部分はあるものの、親 や周囲にとって、その実体が分かりにくい障害 であり、専門的な確定診断に時間を要する障害 でもある。外見からは分からない、一見しても 分からないという、「見えない障害」であり、 そのことが親を悩ませ、孤立させる。外見から は分からないので誤解される、親も説明できな い、という問題である。以上の問題は、ニュー タウンの障害をもつ子どもと母親たちのコミュ ニティのなかで共有されており、孤立した時期 を過ごして「誰とも会いたくなかった」(F) というFさんの回想に対して、Aさんは「聞か れても説明するのか、どう説明するのか、どこ まで相手が真剣に聞いてくれはるのか」(A) と、理解を示している。 下の子は、見た目は全く普通なので。「こ の子のどこがどうなん」っていう状態なんで。 なんか会った時はぱっとどっか行くから「あ っ、やっぱり普通じゃない」って(F)。 理解してもらうのには相当時間がかかると 思いますし。「分からへん」と思うし。ほん まに興味をもって聞いてくれはるのはいいん ですけど、ただ、ちょっと軽く聞かはるのや ったら、説明して家の内情まで言うのは嫌や し(A)。 “気になる”段階から障害の告知を受ける段 階は、診断をする側にとっては障害をもつ子ど もの「障害」に焦点をあてて、正確な診断を行 うことに尽力する期間となる。しかし、障害を もつ子どもは個として宙に浮いた状態で存在し ているわけではなく、家族や地域社会の様々な 人間関係の坩堝のなかで生活している。親にと っては、「子どもがどのような病気や障害なの か」という問題に加えて、「それをどのように 周囲に説明するのか」という問題が生じてくる。 また、同じ自閉症スペクトラムとの診断を兄妹 が受けても「同じ障害やけどタイプが全く違う んです」(D)、「ほんまに対照的な2人がいる んで、それをどう見ていいのか分からない部分 があるんです」9)(D)と述べられるように、 個々の行動特性や性格特性には異なりが生じる。 親が障害をもつ子どもについての周囲の理解 や支援を求める際には、病名や障害名を説明す るということに加えて、個々の子どもの行動特 性や性格特性、そのことで生じている具体的な 生活上の困難を説明して訴える必要性が生じる。 しかし、外見では判断できない障害、見えない 障害についての説明は困難である。これは人々 がもつ障害モデルや障害イメージが、外見から 判断できる身体モデルに依然として支配されて いることと関連していると思われる。加えて、 日本の福祉は手帳福祉と言われるように、障害 者=障害者手帳の所持者というイメージが人々 の意識に強く根づいている。以上に関連した 人々の態度をBさんは以下のように述べてい る。 公共の場で、やっぱ、その、障害手帳って いうのを持っているので、提示したら分かっ てもらえるが、一緒にいてて、「すいません、 JRってあの障害手帳持っていたら、なんぼか
安くなるんですよね」って聞いた時に、「持 ってへんやろ」というくらいの顔つきで喋ら はるので、敢えてこっちも「ばっ」と出した りとかいう仕草ではないですけど、「うちの 子障害ですけど、何か」ぐらいの、もう最近 はそういう感じで使うようにしてる(B)。 障害程度で対策が組まれているという現状も、 相談機関へのアクセシビリティを阻害している。 たとえば、Dさんは以下のように述べる。 ●●協会はあるけど、自閉症のなかでもあ る意味でBくんみたいに発達発育障害って言 ったら、「自閉症から全然はずれている」と なったら、「そこは受け入れてはもらえない わけじゃないですか」となったときに、すべ ての病気云々関係なしに、そういう窓口って いうのがあったら、もっとうちら親っていう のは、いろんなことを相談しやすいし、もっ とあったら、うちらもっと受け入れる体制っ ていうのが「もっと早くできたかな」とか。 いろんなものがどんどん増えていくだけで蓄 積されるだけで解消はされない(D)。 障害者手帳は発達障害という「見えない障 害」を可視化する手段でもあるが、一旦所持し た場合、療育手帳を持っていれば知的障害、精 神障害者保健福祉手帳を持っていれば精神障害 というように、今度は手帳の種類によって単純 に障害名や病名が判断されていき、周囲から支 援を求める場所が仕訳されていく。現在は、発 達障害に特化した手帳制度は国の制度としては 存在していないために、発達障害のために日常 生活や社会生活に制約がある場合には、精神障 害者保健福祉手帳が交付されるか、知的障害の 程度によっては療育手帳が交付される。知的障 害を伴わない場合、厚生労働省は「発達障害は 精神保健福祉手帳の対象として明記されてはい ないが、精神障害の範疇に入っているという見 解」(総務省行政評価局長、平成22年9月13 日)をとっており、自治体によっては精神障害 者保健福祉手帳の発行が可能なことを明確化し ているところ10)もある。 しかし、従来から精神疾患に交付されてきた 精神障害者保健福祉手帳を自閉症スペクトラム などの発達障害に適用することは、スムーズに は行われておらず、申請する側にも心理的な抵 抗が生じやすい。発達障害については手帳を持 てないために生じている不便と、手帳を持って いるために発達障害ではないと決めつけられる 不便を秤にかけて対応していく必要があるのだ。 障害の一元化施策が近年謳われているものの、 障害者手帳制度や障害年金制度の等級判定の組 み立ては、旧来の身体障害モデルのままであり、 行動障害については、そのことで起こる生活困 難の程度への考慮が乏しいという問題も依然と して存在している。障害種別や障害程度ではな く、実際の生活困難に焦点をあてた制度設計に 修正していく必要性があると思われる。 (2)療育や教育へのアクセシビリティの問題 障害をもつ子どもの家庭に生じる生活困難に は様々なものがあるが、そのなかでもアクセシ ビリティの問題は重要である。たとえば、自閉 症スペクトラムの子ども2人とバスに乗る際の 困難をFさんは以下のように述べている。 (略)もうわけ分からんから、とりあえず、 もうもう、その場を逃れるみたいなじゃない けど、つかまえなあかんし、一人はつかまえ なあかんし、一人は来いひんし、みたいなん で。ていうか、そういうときはね、降りしな のときすごくね、上と下の子と同じこだわり のシートがあるんですよね、もう、「そこじ ゃないとだめ」みたいなんで。、もう、そこ の争いみたいになんがすごくって。 以上は、障害者手帳が所持できれば交通機関 の減免ができるから、それで解消されるという 種類の問題ではない。 (略)自分から自分の手帳を出して、その 公共機関を利用して、どこかに行ってという 方法をとってもらうようになったから、なん かそれをしてもらうことによって、あの本人 が乗るときはこう乗って、降りるときには手
帳出して降りてという、それはそのやりとり が分かるようになってから、やっぱり降りし なは、それは解消されたけども。その降りし なは自分で「それをみせて降りなあかん」っ て分かるようになったけれど、やっぱり、下 の子は、まだまだ分からへんから、その降り るときは、もう、ばあーと、た、た、た、た、 た、と行ってしまうから、私が手帳出して降 りたときには、もうおらへんから、もうよく あるんだけども、でもやっぱりね、すっごく 難しかったですね。そこら辺の巡回バスやか ら、そのこだわりのシートもあったし、降り るときも、なかなか降りないから、その降り るまでに時間かかるから、運転手さんによっ たら、待っていただけない運転手さんがおら れるんでね、、そういうときにどうしても片 方を置いといて、とりあえず、とりあえず、 片方を降ろして、「ちょっと待ってください、 もう一人いるんで」みたいなんで、言わんと やっぱ待ってもらえない(F)。 交通機関へのアクセシビリティの問題は、障 害をもつ子どもたちがバスの乗り降りをソーシ ャルスキルとして学習していくことによって解 決できると考えられるが、では、学習できるま で、あるいは学習する場へのアクセスはどのよ うに保障すればいいのだろうか。ここには必然 的に人手の問題が絡んでくる。生活にとって移 動は切り離せないが、移動に介助を要するのは 身体障害だけではない。障害者自立支援法では 移動支援は個別給付からはずされており、地域 生活支援事業の移動支援となっている。しかし、 この制度の利用には1カ月32時間の制限が設け られていること、自治体によって運用に格差が 生じていることが問題となっている。 障害をもつ子どもとその家族のアクセシビリ ティを確保するうえで、移動支援に対するニー ズは非常に強く、今回の調査協力者の多くが移 動支援を利用していた。しかし、他方では時間 数が足りないという深刻な問題も指摘されてい る。移動支援を充実させることは、障害をもつ 子どもとその家族が、現在の生活のアクセシビ リティを確保・維持していくうえでも、療育や 教育に参加する権利を保障するうえでも、必要 不可欠である。 療育センターでダウン症の親同士、住居地を 同じくするもの同士として出会ったAさんとE さんは、療育センターの「親の会」がもってい る親同士の交流の意味をこもごも語っている反 面、身近なところに、そのような場がないこと を指摘している。たとえばEさんは以下のよう に述べる。 まぁ、私ら、こう、ずっといろんな話をし て、小さい時から「こうやろ」とか言ってい るから、そんなにね、悩むっていうか、「ど うやろって」とかいうて、相談はできたけど、 こうしてなかなかね、そういう、あの、「相 談もできへん」とか、あの、こうして、あの、 学校でも会うてても声もかけへんし、こうい う場所があって、「あぁそうなんや、そうい う障害をもってはったんやね」とかいう場が まずないんでしょ。で、そういうところがあ れば(E)。 住居地から徒歩圏内で障害をもつ子どもの親 同士が交流できる場は、就学前療育の場以外は 「まずないんでしょ」(E)と述べられる。 「そういうところがあれば」継続的に「相談は できたけど」(E)、それがないと「相談もで きない」(E)と指摘している。それに対して Aさんは以下のような体験を語っている。 一番ほんとは療育センターっていうのが。 で、行っているときは担当の先生方が子ども と離れている時間にお母さんたちの意見とか、 お母さんの本音を聞いてくれはるので。「1 週間どうやった」とか話を、それを喋って発 散するお母さんがすごく沢山おられて、それ がね、就学すると途端になくなるんです。そ れですごく不安やったんです。で、探して、 探して、子どものデイサービスっていうのが ちょうどね、上の方にできたんです。それを 1期生みたいなもんやね、「とりあえずお願 いします」ということで週1回土曜日に通う ようになったんやけど、最終的にはまぁ遠す