武 内 佳 代 大岡昇平 ﹃ 雌花 ﹄ と ﹃ 婦人公論 ﹄

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特にこの後半の主題転換について︑連載誌面との密接な関わり

の可能性を指摘した︒

はじめに

大岡昇平は一九五〇年の﹃武蔵野夫人﹄のベストセラー以降︑一九五〇年代から七〇年代初頭にかけて継続的に女性読者向け

に小説連載をしている︒一九五三年に﹃黒い太陽﹄を﹃婦人倶楽部﹄︵九〜十二月号︶で連載したのを皮切りに︑五四年から翌年までは﹃漂う湖﹄︵﹃主婦と生活﹄五四年十一月号〜翌年七月号︶︑五七年には後述する﹃雌花﹄︑五九年には﹃夜の触手﹄︵﹃女性自身﹄五月二十九日号〜九月九日号︶を連載している︒一見空隙に見える五六年にしても︑﹃神戸新聞﹄︵六〜十二月︶に﹃午後の誘惑﹄という︑いかにも女性読者を狙った中間小説の連載

が見られる︒六〇年代に入っても︑六一年に﹃朝日新聞﹄夕刊︵六月〜翌年三月︶連載の﹃若草物語﹄︵単行本化の際﹃事件﹄と改題︶︑ キーワード大岡昇平・雌花・婦人公論・姦通小説・三島由紀夫

︻要  旨︼

本稿は︑従来検討されてこなかった大岡昇平の女性読者向け

の創作に光を当てたものである︒ここでは主に一九五七年に

﹃婦人公論﹄に連載された﹃雌花﹄を取り上げた︒本作は︑一九五〇年に女性読者の絶大な支持を得て姦通小説ブームを生

み出した﹃武蔵野夫人﹄に続く﹁姦通小説﹂として同時代的に喧伝されていたが︑しかし内容的にはむしろ︿姦通後小説﹀ない

しは︿離婚講座﹀といった様相を呈することを論じた︒とりわ

け︿離婚講座﹀という性質は︑連載誌﹃婦人公論﹄が打ち出して

いた︑戦後の新民法下の女性の離婚=女性解放という文脈を巧

みに採り入れたものであることを明らかにした︒だが﹃雌花﹄

は後半にいたって物語を推理小説へと急転回したことなどによ

り︑女性解放の文脈を昇華しきれたとは言い難い︒本稿では︑

武 内 佳 代 大岡昇平雌花 ﹄ と ﹃ 婦人公論

︱︱姦通小説ブームのただなかで

︿

論文

(2)

子は彰との再婚を期待して弁護士の望月に頼んで陽造と離婚し

ようとするが︑陽造は応じない︒それどころか陽造に彰との関係を暴かれそうになる︒やがて彰と若いお針子の里子との情事

を知った栄子は︑失意のうちに一人︑家を出る︒その年の暮れ︑彰が何者かに刺殺される︒のちに里子が女手一つで面倒を見て

きた弟の武雄が自殺し︑遺書から武雄が彰殺害の犯人だと判明

する︒姉を弄んだ彰を恨んでの犯行だった︒事の次第を知った栄子は陽造と離婚して金を手に入れると︑少年保護施設の建設

を計画し︑里子にも手伝ってくれるよう声をかけようと考え

る︒管見の限り︑この﹃雌花﹄には先行研究は見当たらず︑従来研究対象として注目されることがなかったようだ︒とはいえ︑一九五六年の新連載予告には﹁名作﹃武蔵野夫人﹄で︑女性の微妙な心理を見事に描いた作者が︑久々に取組む

﹂とされてい 1

たものが︑翌年十一月に刊行された初版本︵新潮社︶の帯では

﹁武蔵野夫人の著者が久々に放つ待望の力作!﹂﹁姦通心理を追求する問題作!﹂といった惹句へと変化していることから︑当時その出版に際して︑明確に﹃武蔵野夫人﹄につぐ大岡の重要

な﹁姦通小説﹂と位置づけられていたことがわかる︒そのよう

な話題性を当て込んでであろう︑連載終了直後の五七年十二月

には早くも日活で映画化されている︒そしてその後も︑五九年刊行の﹃現代長編小説全集  第

  代文学第 20﹄︵講談社︶や六六年刊行の﹃現

野夫人﹄と並ぶ大岡の代表作の一つと見なされていたことがう 録されており︑少なくとも六〇年代ごろまで﹃雌花﹄は﹃武蔵 22﹄︵東都書房︶において︑﹃武蔵野夫人﹄などと併 六九年に﹃毎日新聞﹄夕刊︵六〜十二月︶連載の﹃愛について﹄

と︑同様に女性読者向けとおぼしき連載がある︒この間︑大岡

は﹃婦人公論﹄で︑六一年から六二年までは読者投書欄の﹁文章﹂

で選評者を︑六五年から六九年までは女流新人賞の選者も務め

ている︒そして七〇年には大岡にとって最後の女性誌連載小説

となる﹃青い光﹄を同誌︵七〇年一月〜翌年九月号︶に発表した︒

ここからわかるように︑一九五〇年代から六〇年代の大岡の作家活動を考える上で︑女性誌や女性読者との関わりは決して無視できないものとしてある︒だが従来の研究では︑﹃武蔵野夫人﹄を除けば﹃俘虜記﹄﹃野火﹄﹃レイテ戦記﹄といった戦争体験を基にした小説に議論を集中させてきた感が強い︒そうした大岡文学研究における研究対象の選別と集中は︑知らぬ間に大岡の作家的営為を一元化あるいは単純化してきたとも言い換え

うる︒そのような意識から︑本稿では大岡文学の新たな側面と

して女性誌との関わりを浮き彫りにすべく︑﹃婦人公論﹄連載

の中編小説﹃雌花﹄を取り上げる︒この大岡文学としては現在

ではほとんど忘れ去られ︑大岡自身が﹁失敗作﹂と定位した小説が︑同時代の連載女性誌の磁力にいかに引き寄せられて成立

したものであったかを考察していきたい︒

﹃雌花﹄は︑﹃婦人公論﹄の一九五七年一月号から十二月号ま

で︑全十二回にわたり連載された︒まずはあらすじを紹介する︒主人公の日置栄子は︑会社社長の夫・陽造とはすでに冷え切った関係にあり︑二年ほど前から洋服の新進デザイナーで独身の早川彰と姦通している︒陽造も様々な女性と姦通し︑最近

では洋装店経営者の友野美岐を愛人としている︒それを知る栄

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より︑五〇年代において読者層は主に﹁高学歴︑有職﹂の女性で︑

﹁既婚者の他︑新制高校卒の若い世代を強く意識して

﹂の編集 5

だった︒一方︑同時代の文学状況に目を転じると︑女性読者を中心に空前の姦通小説ブームが起きていた︒五七年に三島由紀夫の

﹃美徳のよろめき﹄︵﹃群像﹄四〜六月号︶が刊行されるや︑三〇万部を売り上げ話題となったことに端を発する︑いわゆる

﹁よろめき﹂ブームである︒小松伸六は当時をこう振り返って

6

る︒

よろめく︑という言葉がはやったのは︑文壇の鬼才三島由紀夫氏のパロディ﹁美徳のよろめき﹂という小説が︑ベス

トセラーになってからだ︒︵略︶そしてそのころ原田康子女史のダブル姦通小説﹁挽歌﹂ついでは井上靖氏の山岳騎士道の不倫小説﹁氷壁﹂などが︑大いによまれて︿よろめ

きブーム﹀となったはずである︒

ここで﹁ダブル姦通小説﹂と表される﹃挽歌﹄とは︑言うまで

もなく五六年に出版されて七二万部という驚異的な売り上げを叩き出した新人作家︑原田康子の長編小説である︒釧路を舞台

に︑若いヒロインが︑妻の裏切りに苦悩する中年建築家に想い

を寄せる様子を綴ったこの姦通小説の人気は︑翌年の﹃美徳の

よろめき﹄の話題性へと繋がっていく︒こうしたブームに呼応

して週刊誌には︑﹁﹁挽歌﹂や﹁美徳のよろめき﹂﹁雌花﹂﹁渇き﹂

︵注・太田経子の小説︶などの売れる根底で︑現実の妻たちが︑今年は大いによろめいた

躍ったが︑注目すべきはここに﹁よろめき﹂小説の一つとして ︒﹂といったやや真偽不明の言説も 7 かがえる︒後述するように︑このように一時的にではあるもの

の大岡の代表作とも見なされていた背景には︑時宜を得た﹁よ

ろめき﹂ブームとの邂逅を指摘できよう︒

1.姦通小説ブームのなかの﹃雌花﹄︱︱大岡昇平と三島由紀夫

まずここで︑連載誌である﹃婦人公論﹄の一九五七年の状況

を確認しておこう︒毎日新聞社の読書世論調査によれば︑当時

はまだ女性誌の人気も高く︑同誌は﹁いつも読む雑誌﹂の十五位にランクインしてい

2

た︒これは六位の﹃主婦の友﹄を筆頭と

する戦後女性四大誌︵他に﹃婦人生活﹄﹃婦人倶楽部﹄﹃主婦と生活﹄︶に続く高い順位となっている︒古河史江の言を借りれば︑﹁﹃主婦の友﹄が安定多数の読者を獲得しつつ︑﹃婦人公論﹄の部数伸長もめざましい︑というのが五十年代の女性雑誌状況﹂

だっ

3

た︒事実︑発行部数は五〇年の七万部から︑五六年には二十五万部にまで伸びてい

4

る︒

﹃婦人公論﹄は一九一六年の創刊時以来︑進歩的な教養雑誌

として女性解放の啓蒙に力を注いできたことで知られる︒戦時中は当局との軋轢により一九四四年三月号をもって廃刊した

が︑敗戦後の四六年四月に復刊している︒同年六月号の編集後記に﹁男女同権︑女性解放の現実が新憲法の条文より甚だしく遅れている日本の今の段階において︑進歩的な婦人雑誌こそ

は︑他のいずれの雑誌よりも多くの啓蒙的な役割が課せられて

いる﹂とあるように︑復刊後も戦中までの編集方針を継承し︑新憲法の男女同権と女性解放の啓蒙に努めた︒そうした性質に

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言うまでもなく﹁姦通罪﹂とは︑一九〇七︵明治四〇︶年制定

の︑﹁有夫ノ婦姦通シタルトキハ二年以下ノ懲役ニ處ス其相姦

シタル者亦同シ﹂︵第一八三条︶という刑法を指す︒要するに︑既婚女性が夫以外の男性と姦通すると相手の男性とともに罰せ

られるものの︑対して既婚男性が妻以外の女性と姦通しても罰

せられないという男女不平等な法と言い換えられる︒この姦通罪はGHQの戦後改革として一九四七年施行の新憲法における男女平等の理念︵第一四条︶に基づき︑同年十月に廃止される

が︑そうした時代の変化を鋭敏に把捉したのが︑大岡の﹃武蔵野夫人﹄︵﹃群像﹄五〇年一〜九月号︶だった︒女性の姦通を主題とした本作は︑五〇年十二月に単行本化されると︑﹁姦通を

その罪の廃止によって正面からとりあげたことで話題になった

が︑とりわけ女性の強い関心を呼んで

10万部を売り上げた

﹂︒ 11

ところで同年同月︑三島も同じ﹁姦通﹂を主題とした﹃純白

の夜﹄を出版している︒この﹃純白の夜﹄はじつは単行本出版

だけでなく︑その連載︵﹃婦人公論﹄五〇年一〜十月号︶も映画化も︑時期的に﹃武蔵野夫人﹄と重なってい

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る︒だが当時﹃婦人公論﹄編集長だった蘆原英了が回想するように︑﹁この小説

は︑率直にいって﹃婦人公論﹄誌に連載中は︑たいした反響を生まなかった︒翌年︑大船で映画化されたり︑単行本が出版さ

れたりしたが︑これまたセンセエションをおこすに至らなかっ

以前拙 ﹂︒なぜか︒ 13

稿で論じたため簡単に触れるに留めるが︑それはおそ 14

らく両作品が描き出す姦通というものの質的な違いによってい

よう︒﹃純白の夜﹄では人妻が︑当初恋人に対して貞操を守っ ﹃雌花﹄も列挙されていることだろう︒﹃雌花﹄映画化の際の新聞広告にも﹁﹃よろめき﹄の真髄を描破する問題作

!!﹂ という謳 8

い文句が見られることから︑﹃雌花﹄の話題性は︑﹃武蔵野夫人﹄

を継ぐ大岡の最新作という側面ばかりでなく︑折しも到来した

﹁よろめき﹂ブームに乗ることによっても形成されていたこと

がわかる︒

しかしながら︑そうした話題性に反して実際には︑﹃雌花﹄

は﹃挽歌﹄や﹃美徳のよろめき﹄ほど売れることはなかっ

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た︒な

ぜだろうか︒先回りして言えば︑それまでの姦通小説とは全く質を異にし

ていることや︑それどころか後半部分ではそれまでの物語展開

を放棄して別の小説ジャンルの様相すら見せ始めるといったこ

とが︑その背景にあると考えられる︒これについては次節以降

で後述するとして︑ここではまず戦後の姦通小説ブームをめぐ

る大岡と三島の関係について改めて確認しておきたい︒

﹃雌花﹄第十一回掲載の﹃婦人公論﹄誌上には︑﹁よろめき﹂に

ついての座談会が掲載されている︒この座談会では︑同誌の常連だった暉峻康隆が﹃武蔵野夫人﹄﹃挽歌﹄﹃美徳のよろめき﹄そ

して谷崎潤一郎の﹃鍵﹄を挙げた上で﹁戦後のベストセラー小説のほとんどが姦通もの﹂であるとして︑こう述べてい

10

る︒  姦通というものは戦前は恐れの感じなしには考えられな

かったものですよ︒それが姦通罪がなくなって可能性がで

てきた︒しかし︑そうはいっても自分ではやれない︒それ

を埋め合わせるものを求めるんじゃないんですかね︒︵傍線部引用者・以下同様︶

(5)

を通して定期的に懇親していたことから︑当人たちはこのこと

を自覚していた可能性が高い︒

たとえば︑五三年十月十七日付の三島の川端康成宛書簡に

は︑大岡と三島が互いの女性誌連載小説の執筆について愚痴を言い合ったとあ

18

り︑鉢の木会などの交流を通じて互いの連載を意識する関係にあったことは想像に難くない︒加えて﹃雌花﹄第十回では︑彰のマンションの家政婦が栄子のことを﹁ベスト

セラーなどの影響を受けて︑これが﹁よろめき夫人﹂の一人だ

らうと思ってゐた

大岡が﹃美徳のよろめき﹄のブームに意識的だったことは明白 ﹂などとあることから︑少なくとも連載中の 19

である︒このように﹃雌花﹄は︑﹃武蔵野夫人﹄をつぐ姦通小説として期待され︑折しも第二次姦通小説ブームの最中に登場したもの

の︑少なくともブームを牽引するまでには至らなかった︒しか

し以下に論じていく通り︑改めて内容を追ってみると︑そこに

は﹃婦人公論﹄の読者に向けられた大岡なりの試みを看取でき

る︒

2.姦通後小説という性格

﹃雌花﹄第一回の冒頭近くでは︑女性主人公の日置栄子と愛人の早川彰の睦事の様子がこのように描き出されてい

20

る︒

﹁馬鹿ね﹂栄子は腕を彰の首の下に差し入れる︒

︵略︶

﹁そんなに人の顔を見るのはよし給へ﹂ ていたにもかかわらず︑ある晩ふいに別の男性と肉体関係を結

ぶのに対し︑﹃武蔵野夫人﹄では︑後年の大岡自身の発言から

もうかがえるとおり︑﹁ちょうどこの時︑姦通罪が消滅した﹂

ばかりということや︑過去の﹁肉体文学﹂の流行を意識

15

し︑姦通を題材としながらも︑あえて主人公に貞操を固守させてい

る︒五〇年と言えば姦通罪廃止からまだ三年を経たばかりで︑最も進歩的な﹃婦人公論﹄ですら妻の貞操を説いていた時代で

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る︒同時代の女性読者たちが﹃武蔵野夫人﹄を支持したのは当然の成り行きであり︑その意味では当時三島よりも大岡のほ

うが時代を読む眼を持っていたと言える︒後年の大岡による︑

﹁おれはアンチ肉体で行った︒﹃武蔵野夫人﹄が売れたのは勝利

だったんだよ

﹂といった発言は︑そうした自負によっていよう︒ 17

しかし︑ここで面白く思うのは︑一九五〇年代の女性読者を中心とした戦後日本の二回の姦通小説ブーム︑すなわち一九五〇年の﹃武蔵野夫人﹄刊行と一九五七年の﹃美徳のよろ

めき﹄刊行とに端を発する二度の姦通小説ブームを顧みると

き︑くしくも大岡の姦通小説の売り上げと三島のそれとに逆転現象が起きていることである︒五〇年の第一次ブームの際には

﹃武蔵野夫人﹄が﹃純白の夜﹄を圧倒し︑五七年の第二次ブーム

の際には﹃美徳のよろめき﹄が﹃雌花﹄を圧倒するかたちで︑そ

れぞれ姦通小説ブームを牽引している︒偶然のことながら︑掲載誌にしても﹃群像﹄と﹃婦人公論﹄とで入れ替りの関係だ︒い

わば五七年の大岡は姦通小説の話題性をめぐって三島から意趣返しをされた格好である︒大岡と三島は五〇年ごろから﹁鉢の木会﹂︵他に中村光夫︑吉田健一︑福田恆存︑吉川逸治︑神西清︶

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姦通小説の常套とは大きく異なると言っていいだろう︒つまり

﹃雌花﹄は姦通小説というよりも︑むしろ姦通後小説とでも呼

ぶほうが相応しい仕立てとなっているのである︒続く第五回では︑栄子と陽造の邸宅に現われた彰が栄子の離婚を思い留まらせようとするも︑その意思は固い︒以降︑栄子

にとって彰との姦通のロマンスよりも︑陽造との離婚問題のほ

うが中心化され重要視されていくのだが︑﹃雌花﹄の連載にお

いてはこの点にこそ目を向けなければならない︒なぜなら戦後︑女性の離婚問題をいち早く取り上げたのが︑連載誌の﹃婦人公論﹄だったからである︒

﹃婦人公論の五十年﹄によれば︑戦後の民法改正によって一九五〇年ごろまでに妻からの離婚の申し立て件数が上昇し︑

それを﹃婦人公論﹄が他誌に先駆けて﹁女性の解放の一つ﹂と位置づけ︑積極的に著名な離婚当事者を誌面に登場させたり︑法律の知識の必要性を説いたりしていったとされ

22

る︒

その代表的な記事が︑一九五〇年十一月号掲載の穂積重遠

﹁離婚読本︵下︶﹂である︒この戦後の﹁夫婦の対等離婚﹂につ

いて詳述した評論でとくに目を惹くのは︑離婚の第一要因とし

て﹁姦通﹂を挙げ︑﹁妻がほかの男と関係すればすぐに夫から離婚の訴を起されるが︑夫がほかの女と関係しても︑それだけで

は妻から離婚を請求し得ない﹂という離婚をめぐる旧民法の夫婦不対等が︑刑法の姦通罪の不平等に等しく通じると説いてい

る点である︒その上で︑穗積は新憲法の男女平等の理念こそが︑

この﹁民法刑法にまたがるいかにも不正当不公平な事がら﹂を是正に導いたと述べ

23

る︒ ﹁なぜいけないの︒もっと見せて頂戴︒大好きな︑大好き

な彰さん︑︱︱なに考へてるの︑あなた﹂

﹁なんにも﹂

﹁ぢゃ︑あたしが考へる番ね︒あなたそろそろあたしをす

てようと思ってるわね﹂

﹁なぜだ︑なぜそんなことが考へられるのかな﹂と彰は力

をこめていふ︒﹁ぼくたちはいちばん気が合った同士ぢゃ

ないか︒愛し︑愛されるやうに出来てゐるんだ﹂

﹁なぜ結婚してくれないの﹂

﹁きみには夫がある﹂

﹁離婚するわ﹂︵第一回︶

これに加えて同じ第一回では︑ふたたび彰の家での︑﹁栄子

はもうベッドに入ってゐた﹂︑﹁栄子はいはばホテルの室へ入る

やうに︑外套のまま︑中二階の寝室まで行く︒/長椅子の上に彼女の脱いだものが︑遺留品のやうに陳列されてゐる︒

﹂といっ 21

た挿話も登場する︒つまり﹃雌花﹄では︑その始まりから主人公の姦通が常態化し︑﹁離婚﹂の話が出るほどその関係が煮詰

まっている︒そして物語の出だしにあたる第一回と第二回こ

そ︑夫の陽造に姦通の疑いを向けられつつも難を逃れるとい

う︑読者が気を揉みそうな物語展開が見られるものの︑第三回

になると早くも栄子は︑﹁この半年以来あたためてゐた考へ﹂

として弁護士に離婚の相談をし始め︑第四回で陽造に離婚の意思を切り出すことになる︒その意味では︑姦通の露呈をめぐる

スリルこそあれ︑ヒロインの姦通にいたる心の葛藤や揺らぎ︑

もしくは姦通それ自体の困難をロマンスとして見どころとする

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ところで︑五七年の﹃雌花﹄連載中︑円地文子もまた同誌掲載の短篇﹁妻の書きおき﹂で︑妻の主体的な離婚=女性解放と

いう文脈を採用している︒本作では︑幼子らを抱え貧困生活を送る主人公とりが︑別の女性と姦通し生活費を入れなくなった夫の友二に忍従し続ける︒見かねた友二の上司にあたる工場長

が︑とりに︑﹁理はお前さんにあるんだからね︒家庭裁判所に出たって何だって︑負けることはねえんだ﹂と指南したり︑心

ある周囲の人々が﹁友二と別れてしまへ﹂と勧めたりなどする

も︑﹁とりには︑友二と子供を別にした自分の生活といふもの

がまるで考へられ﹂ずに夫に忍従した挙げ句︑思いあまって夫

の姦通相手を手にかけてしまう︒結末では︑自殺未遂をしたと

りが警察に自首すると︑彼女が子どもに書き残した﹁お父さん

のいふことをきいて﹂という遺書の一節を刑事たちがあざ笑

う︒こうした結末には︑夫に忍従するだけの旧来の妻の在り方

に対する批判を容易に見て取れる︒言い換えれば︑円地の﹁妻

の書きおき﹂には︑別の女性と姦通し妻子を養おうとしない夫

とは速やかに離婚をしたほうがいい︑という︑新時代の既婚女性たちに向けた啓蒙性を読み取れるのである︒

3.離婚講座としての﹃雌花﹄

では︑﹃雌花﹄についてはどうか︒前述の通り︑連載の第三回以降︑弁護士と栄子の離婚に関す

るやりとりが始まる︒その第三回︑栄子が﹁協議離婚を陽造が承知するはずは﹂ないため﹁家庭裁判所へ持って行かうと思っ

てる﹂と主張するのを聴いて︑弁護士の望月が﹁家庭裁判所と こうして五〇年代前半の﹃婦人公論﹄では︑戦後民主化政策

における離婚の夫婦平等化こそが︑明治以来の家制度からの女性の解放を表象していった︒﹁離婚読本︵下︶﹂掲載号で古谷綱武が︑﹁婦人からの離婚請求の最大多数の原因を占めているの

は︑夫の不貞と虐待﹂であるから︑妻からの離婚の訴えこそ﹁日本の婦人の︑めざめと︑進歩だ﹂と評すのは最たる例であ

24

る︒

ただし︑﹃婦人公論﹄におけるこうした離婚=女性解放という認識については︑翌月号の読者投書欄を見る限り︑離婚する妻

たちを﹁勇敢な人生のランナー﹂︵福島秀子︵横浜市︶︶と評価し

たり︑﹁家庭と夫への愛の奉仕を営むべき﹂なのに﹁己れの人生観を身につけていないということが痛感される﹂︵野島ふみ子

︵秋田県︶︶と批判したりする意見が混在し︑読者の間では賛否両論だったよう

25

だ︒一九五〇年から五一年にかけて︑こうした離婚に関する記事

を女性解放の文脈で頻出させた﹃婦人公論﹄は︑しかし五一年以降の離婚率の低

事を載せなくなる︒その後︑同誌主催の第一回女流新人小説賞 下の煽りか︑五二年になると一旦そうした記 26

を受賞した真野さよが︑五五年十一月号掲載の評論﹁離婚は女

の勲章﹂において︑女性にとって離婚は﹁一人前の女になる﹂﹁勲章﹂だと高らかに謳う

27

と︑ふたたび離婚が同様の文脈で取り上

げられていく︒その中で翌年八月号では大岡がエッセイを寄

せ︑一九世紀フランスの﹁離婚の禁止﹂や﹁妻の貞操﹂という規範へのスタンダールの非難を︑男女の﹁一種の公平﹂を保つ恋愛観として紹介してい

28

る︒つまり﹃雌花﹄以前から︑大岡はさ

きの﹃婦人公論﹄の文脈をおよそ理解していたと考えていい︒

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体的な情報が畳み掛けられていく︒同様に第七回でも︑栄子と弁護士の会話の中で︑弁護士の口から︑﹁いそいではいけない︑腰を据えて取りかからねば﹂︑﹁こういうことには︑︵略︶︵注・陽造の姦通の︶動かぬ証拠なんてものは必要じゃない﹂︑﹁調停委員の心証をよくするぐらゐの効果しかありゃしません

﹂とい 31

う風に︑夫の姦通を理由とした調停離婚に臨む上で知っておく

べき知識が縷々述べられる︒

こうして﹃雌花﹄は︑戦後新たに導入された調停離婚に必要

な妻の心構えや法的知識を︑主に弁護士や陽造の口を借りて解説していくのである︒じつはこうした解説の機能は当時の﹃婦人公論﹄の記事のそれと合致していた︒たとえば︑﹃雌花﹄第五回掲載誌面に見られる川島武宜の法律相談欄では︑新民法にお

ける離婚の夫婦平等を強調した上で︑知らぬ間に夫に離婚届を出された女性の身の上相談への回答として︑法的に﹁離婚の無効を主張することができ﹂ることや︑﹁その手続は︑家庭裁判所に調停を申し出てもよい﹂ことを教えてい

32

る︒加えて﹃雌花﹄連載中の﹁グループ便り﹂欄の投書には︑各地の愛読者グルー

プが活動の一環として家裁の調停委員や検事や弁護士などを招

き︑新民法と離婚の男女平等化について聴講した報告も散見さ

33

る︒他方︑﹃雌花﹄第六回︑栄子は愛人の彰から︑お針子の里子

との密通の事実を聴かされ衝撃を受けるも︑自分の離婚が﹁も

うあなたとは︑なんの関係もない︑あたし自身の問題

﹂だと彰 34

に宣言し︑一人︑陽造の会社に乗り込む︒そして亡父の財産を相続し陽造の会社の大株主となっている栄子が︑その株券を陽 いっても︑あなたがお考へになるやうなものぢゃありません︒社会通念に従って︑調停するんですから︑結局日置さんと話し合はなければならない

﹂と教示することに︑まず目を向けてお 29

きたい︒この会話は明確に戦後の離婚制度の改正を踏まえたも

のだからだ︒明治以来の離婚の手続きである協議離婚と裁判離婚という二段階方式は︑戦後の民法改正によって︑協議離婚・調停離婚・審判離婚・裁判︵判決︶離婚の四段階方式へと変更された︒旧民法では︑夫婦の話し合いによる協議離婚とは事実上﹁夫によ

る妻の追い出し婚﹂が大半で︑裁判離婚も妻にとっては地方裁判所での手続きが難しく︑妻による離婚の申し立ては困難を極

めた︒だが戦後は︑家庭裁判所で調停委員の仲介を得ての比較的簡便な調停離婚という方式が新たに導入されたことによっ

て︑妻からの訴えを起こしやすくなった︒栄子の認識を修正し

た︑さきの弁護士の﹁調停﹂に関する説明は︑まさにこの変更

に基づいたものにほかならない︒第五回では︑いよいよ陽造との直接対決において︑栄子が陽造に対して︑﹁あなたが承知してもしなくても︑裁判にかけて

も︑離婚するつもり﹂だと言い放つと︑陽造が﹁民法が改正に

なってから︑奥さんは気が強くなった︒夫も貞操を守るのに苦労する

関する民法改正とその女性解放の文脈とに意識的なテクスト ﹂などと応じるが︑ここからも︑﹃雌花﹄がいかに離婚に 30

だったかがわかる︒加えて︑この場面では栄子と陽造の言い争

いの中で︑離婚の調停には二年もかかることや︑弁護士の教示

どおり差し当たりの別居が最善なことなど調停離婚をめぐる具

(9)

だろうか︒最終回も近づいた第九回︑家を出た栄子はクリスマス・イヴ

の孤独を紛らわすため︑一人︑タクシーで街へ出る︒﹁彰はつ

いて来てくれない︒なぜだらう︒あたしを愛してゐないのだら

うか︒信じられない︒︵略︶いまこの時︑彰に会へさへすれば︑万事はかはるかもしれないのだ︒自分はもう陽造の妻ではな

車中︑事もあろうに彰が﹁里子の肩を抱いて歩﹂き︑﹁里子の唇 ﹂︒耐えがたい孤独を胸に銀座へとタクシーを飛ばす栄子は 38

の真中に︵略︶接吻﹂する姿を目撃してしま

39

う︒そしてこの日

の夜︑彰は何者かに刺殺される︒そのため第十回以降︑栄子も容疑者の一人となり︑最終回の第十二回では﹁捜査本部に出頭

した栄子は︑姦通の報告を人に告げるといふ苦しみを持﹂ち︑

﹁それは彰を失った苦しみより︑少いものではなかった

﹂とさ 40

れる︒再婚を願った愛人の彰に裏切られ突然に先立たれただけ

でなく︑自らの姦通の事実を警察で告白しなければならなく

なった栄子の堪えがたい羞恥と苦痛は︑︿姦通後小説﹀として︑女性の姦通は碌な事にはならないと読者に知らせるに十分なも

のだったと言えよう︒

ただ他方で︑結末部で陽造との協議離婚に成功し︑金を手に

した栄子には︑﹁少年保護施設﹂建設に向けた自立した主体性

が芽生えもする︒この主体性の萌芽には︑離婚=女性解放とい

う﹃婦人公論﹄の定式を透視できる︒つまるところ︑︿姦通後小説﹀であり︿離婚講座﹀でもあるこの﹃雌花﹄は︑戦後の既婚女性が理不尽な夫の束縛から解放される優れた方途として︑姦通

はやめておいたほうがいいが必要なら主体的に離婚を進めよと 造に預けてきた問題が浮上する︒

﹁株券︑返して下さい﹂と迫る栄子に対し︑陽造は﹁株券はぼ

くのものだ﹂︑﹁取り上げるといふんなら︑ぼくは抗議すること

が出来ると思ってる﹂などと応じ︑栄子は﹁そんなひどいこと

⁝﹂と怯んでしまう︒しかし直後の場面で︑栄子は弁護士から

﹁株券を返してくれといったのは︑いいことだったとほめら

れ﹂︑﹁横領で訴へてもいい﹂ことを教わり︑力を得

35

る︒こうし

て第六回から第八回まで︑すでに里子との結婚を口にし始めて

いる姦通相手の彰をよそに︑ヒロインである栄子の物語は︑彰

その人が見事に言い当てるように︑﹁問題は︑離婚に成功する

かしないかでなく︑陽造の手にある栄子さんの財産が守れるか

どうか

当時の﹃婦人公論﹄ではこうした物語展開と接続するかのよ ﹂が中心に据えられる︒ 36

うに︑離婚にかかる妻の財産権の問題についても記事を掲げて

いた︒たとえば︑さきに引いた法律相談の中で川島武宜は︑離婚に際して夫が妻の財産を返さないという読者の相談に対し

て︑﹁新民法によれば︑妻は夫と対等な人間で︑妻がもってき

た財産は結婚をした後も︑もちろん妻の財産で︑夫には何の権利もない﹂ことや︑﹁まず離婚を請求し︑それから離婚に基づ

く財産分与を請求し︑さらにまた自分の財産の返還を請求する

こと﹂を指南してい

37

る︒

こうして見てみると﹃雌花﹄は︑﹃婦人公論﹄の誌面記事と響

き合いながら︑法的な問題を扱った︿離婚講座﹀とでも言うべ

き性質を帯びていたことがわかる︒

ならば︑﹃雌花﹄は最終的にどのような主題を打ち出したの

(10)

ような匿名批評が見られ

42

る︒

  大岡昇平の新しい作品が読んでみたくて︑﹁雌花﹂を読

んだ︒︵略︶少々腹が立った︒

  君︑あれは婦人雑誌の連載小説で映画になったものだよ

と︑ぼくをたしなめた人があったが︑そんなことは︑なん

の弁解にもならない︒

  大岡があの程度の作品しかかけないとすれば︑ぼくが大岡を買いかぶっていたことになるが︑婦人雑誌連載の中間小説だからといって︑もし調子をおとしてかいたつもりだ

とすれば︑一層問題だ︒

このように﹁大波小波﹂がその内容に触れることすらなく︑

﹃雌花﹄を大岡の手抜き小説と難じていることは︑本作の︿離婚講座﹀としての可能性を見抜けなかったと解釈できる一方で︑

やはり作品としての完成度に問題があることを示唆していると

も解釈できよう︒

まず最たる問題として︑作品後半部での物語の変転が挙げら

れる︒彰が殺害される第九回以降︑あまりに唐突に︑その犯人捜しの物語が前景化される点である︒

これについて全集の解説で吉田凞生は︑﹁小説の前半の重点

は男女関係の乱れにおかれ︑推理小説的になるのは早川の死か

らである﹂とし︑﹃雌花﹄を推理小説的な要素が介入した姦通小説と位置づけてい

43

る︒大岡自身はのちにそうした変転をもつ本作を﹁主題分裂の失敗作﹂と語り︑とくに後半部分については

﹁元来ほかの小説に考えてあった筋﹂だったことを述懐して

44

る︒では︑なぜこのように当初の主題を半ば放棄してまで推 いう︑同時代の連載誌の啓蒙性に適う内容になっていたのであ

る︒それは︑危うくも甘美な姦通の世界へと読者を誘ういわゆ

る姦通小説とは︑そもそも全く異なる性質の小説だったと言え

る︒

4.﹃雌花﹄の不振

﹃雌花﹄については︑連載中の読者投書欄を確認する限り︑熱心な愛読者がいた形跡がない︒それどころか最終回掲載号に

は読者投書として︑前号の読者投稿欄﹁文章﹂に載った随筆に

ついて︑﹁下手な既成作家の小説よりはかえって私たちには文章もすぐれて見え︑私たちに切実な問題を投げかけてくれてい

る﹂︵新潟  高橋静子︶と記すものがあ

41

る︒この投書で言及され

ている﹃婦人公論﹄十一月号は︑椎名麟三の休載のため﹁既成作家の小説﹂が大岡の﹃雌花﹄だけだったことから︑これは遠回しの﹃雌花﹄批判ともとらえられる︒

このように編集部の当初の期待を裏切り︑﹃武蔵野夫人﹄の作者による新作連載は不振だったようだ︒既述したように連載直後には﹁よろめき﹂ブームに乗じての映画上映もされたが︑単行本が大いに売れた様子もない︒こうした﹃雌花﹄の不振は

おそらく︑従来の姦通小説との物語展開上の懸隔にのみ由来す

るものではないだろう︒さきの読者投書で﹁下手な既成作家の小説﹂と暗に非難されていたことに端的なように︑その話題性

とは裏腹の︑作品としての完成度︑すなわち主題の一貫性の無

さや物語上の不徹底に原因があるのではないかと考えられる︒一九五七年十二月二十日の﹃東京新聞﹄の﹁大波小波﹂には次の

(11)

一方︑﹃雌花﹄は九月号の末尾で急に推理小説へと舵を切る︒

その第九回の結末部を見てみよう︒夜︑里子と飲み歩き︑一人

でマンションに帰宅した彰は︑どうしても﹁ずっと栄子のこと

を考へ﹂てしまう︒読者の側にしてみれば︑この直前で︑夜の街を歩く彰と里子の仲睦まじい姿を目撃してしまった栄子︑そ

してまだ栄子のことを忘れられない彰との危うい愛人関係が︑今後どう展開していくのかが気になる局面である︒そうした二人の関係性の困難が描かれれば︑いわば﹁姦通小説﹂らしさを取り戻しもしよう︒ところが彰がマンションに帰宅した直後

に︑﹁人みたいなものが︑すばやく近づいて来﹂て︑彰は胸を刺されてしまう︒﹁熱くて痛い感覚がひろがった︒彰は膝から前へ落ちた

続く第十回では︑彰の死体が発見されて警察の捜査が始ま ﹂︒ 45

り︑物語はそれまでの︿姦通後小説﹀ないしは︿離婚講座﹀から一転して︑推理小説の相貌を呈するようになる︒この不可解極

まりない転回が十蘭の急な休載告知の出た九月号に始まったこ

とを踏まえると︑それは連載誌面で推理小説を欠いた分を補填

する意味合いを持っていたとも考えられてこよう︒もちろん︑

これについては想像の域を出ない︒しかし︑そうした補填の意識が大岡をして︑﹁元来ほかの小説に考えてあった筋﹂を急遽使用させ︑﹃雌花﹄の主題分裂を招いた可能性も否定できまい︒

︿離婚講座﹀としての性格だけでなく︑推理小説としての性格

もまた︑連載誌の磁場に引き寄せられたものだった可能性を見

いだせる︒無論︑当時の話題性に反する﹃雌花﹄の不振については︑後 理小説の要素が盛り込まれたのか︒それは大岡の何らかの連載

の行き詰まりによるところもあるかもしれない︒だが︑それば

かりでなく︑背景として連載誌の力学も関連している可能性が

ある︒当時﹃雌花﹄とともに連載されていたのは︑前年から連載し

て人気のあった幸田文の﹃おとうと﹄︵五六年一月〜五七年九月号︑五七年五月号は休載︶︑そして﹃雌花﹄とともに連載を開始

した横溝正史の金田一耕助物の推理小説﹃憑かれた女﹄である︒編集長が山本英吉から嶋中鵬二に替わり︑編集方針を女性解放

の啓蒙誌から﹁楽しく役に立つ雑誌﹂に鞍替えして連載小説の充実を図るのは︑翌年のこと︒一九五七年当時はまだ連載が二︑三本程度しかなく︑うち一本は推理小説だった︒とはいえパー

ティーでの連続殺人事件を扱った﹃憑かれた女﹄は全三回で呆気なく完結︑替わって四月号から久生十蘭の﹃肌色の月﹄の連載がはじまる︒ところが︑この病に絶望したヒロインが謎の殺人事件に巻き込まれる推理小説は︑十蘭の急な入院で最終回を残し︑八月号をもって休載となる︒十月号からは早くも椎名麟三の﹃鬼子の場合﹄が新連載となるが︑幸田の﹃おとうと﹄が九月号で完結していたため︑十月号の小説連載はこの﹃鬼子の場合﹄と﹃雌花﹄の二本だけとなっていた︒しかし︑その不可解

な銃殺事件に始まる推理小説も︑椎名の入院のため初回掲載の

みで休載となってしまう︒要するに当時の﹃婦人公論﹄は︑偶然にも久生十蘭の休載によって九月号で︑さらに椎名麟三の休載によって十一︑十二月号で推理小説の連載を欠くことになっ

た︒

(12)

めてその指示に従

46

う︒このように栄子の離婚までの道行きは︑必ずしも女性解放の表象たり得ていない︒ただし急いで言い添

えるなら︑﹃婦人公論﹄の離婚=女性解放の文脈を形作る評論

などの記事にしても︑法的知識や心構えのほとんどが知識人男性たちの言説に依拠している︒そう考えたとき︑栄子が男性た

ちに指南され教示を受けるそのあり方は︑実のところ︑当時の

﹃婦人公論﹄という女性誌の知のあり方そのものを表象してい

るとも解せる︒

﹃雌花﹄は︑以上のような物語上の不徹底を抱えつつ︑後半

では推理小説へと横滑りし︑結局︑登場人物たちの関係性の劇

や主題が散漫なままに終わりを迎える︒読者の反応の悪さも故無きことではないと言える︒小説の不振は当然︑啓蒙の無効を意味する︒したがって﹃雌花﹄においては︑大岡昇平という男性作家が女性読者に対して離婚=女性解放の啓蒙の一翼を担っ

たというよりも︑むしろ戦後民主化の文脈で女性の離婚につい

て語る﹃婦人公論﹄の啓蒙的言説を︑大岡のほうが小説創作上︑一つのテーマとして吸収しようとしていた︑そのような様相を

とらえなければならないだろう︒

おわりに

ここまで述べてきたように︑大岡の﹃雌花﹄は︑当時ブーム

だった姦通小説というよりも︑︿姦通後小説﹀あるいは︿離婚講座﹀とでも言うべき小説だったが︑それは連載誌﹃婦人公論﹄

の論調を巧みに採り入れようとしたものだった︒本作は︑戦後

の女性解放の象徴としての︑妻からの離婚の訴えについて︑法 半部の唐突な主題変更だけでは説明がつかない︒本作の当初の持ち味である︿姦通後小説﹀もしくは︿離婚講座﹀として読むと

きにも︑物語上の不徹底さを指摘することができる︒

たとえば︑︿姦通後小説﹀として読んだ場合︑本来ならばヒ

ロインと姦通相手の間に巻き起こる周囲との軋轢や苦境︑そし

て心の葛藤などが読者を惹きつける要素となることだろう︒と

ころが﹃雌花﹄では︑彰は当初から里子だけでなく︑洋装店経営者で陽造の愛人でもある美岐とも性的関係を持ち︑取り立て

て心の葛藤もないままに連載第六回で早くも栄子との関係を破綻させるばかりか︑結局は里子と不誠実な結婚の約束をしたま

ま殺害されてしまう︒つまり本作では肝心要の栄子と彰の関係性の劇が決定的に欠如しているのだ︒女性解放の文脈から︿離婚講座﹀として読む場合にも問題が

ある︒確かに栄子は主体的に離婚を計画している︒しかし︑す

でに触れたように︑彼女が学び取る離婚に関する知識や心構え

は︑つねに弁護士や陽造や彰といった男性たちからもたらされ

るという︑知をめぐるジェンダー配置の非対称性を温存したま

まである︒

それが際立つのが︑第五回での彰との会話である︒彰は栄子

に︑これから陽造が﹁私立探偵でもなんでも使って︑︵注・彰

の身辺を︶調べさせ﹂︑また﹁会社を増資して︑きみの持株の株全体に対する割合を下げてしまふ﹂だろうという予測を口にす

る︒すると栄子は彰の手を取って︑﹁ずゐぶん︑お利口さんね︑

あなた︒︵略︶どこからそんな智慧が湧いて来るの﹂と褒め称え︑

﹁そんなら︑あたし︑どうしたら︑いいんでせう﹂と助言を求

(13)

︵ 3︶古河史江﹁戦後日本における二つの女の性︱﹃婦人公論﹄と

﹃主婦の友﹄一九四六年〜一九五〇年代の分析から﹂︵﹃総合女性史研究﹄二〇〇七年三月︶

24頁

4︶古河・前掲︑

24頁

5︶古河・前掲︑

23頁

刊︑一九六〇年七月三十一日︶  6︶小松伸六﹁よろめき夫人日本の奥さま⑭﹂︵﹃読売新聞﹄朝

7︶戸塚文子﹁︿女性﹀よろめきの本家︵今年の日本はどこまで

よろめいたか?︶﹂︵﹃週刊朝日﹄一九五七年十二月二十九日号︶

9頁

8︶﹃読売新聞﹄夕刊︑一九五七年十一月二八日

9︶﹃雌花﹄は︑毎日新聞社の読書世論調査において売れた書籍

にランクインしていないのはもちろんのこと︑これまで単行本の古書を調査してきた限りでは︑版を重ねた形跡が見られ

ない︒

10︶大宅壮一・暉峻康隆・平林たい子・松田ふみ子﹁社会時評

タッグ・マッチ︱〝よろめき〟時代﹂︵﹃婦人公論﹄一九五七年十一月号︶

66

行するのか﹂︵同︶ 67頁︒同様の分析は十返肇﹁なぜ姦通小説が流 264頁にも見られる︒

11︶毎日新聞社編・前掲︑

19

20頁

白の夜﹄は松竹︵大庭秀雄監督︶で映画化された︒ 12︶一九五一年に﹃武蔵野夫人﹄は東宝︵溝口健二監督︶で︑﹃純

13︶蘆原英了﹁解説﹂︵﹃純白の夜﹄角川文庫︑一九五五年︶

神﹄﹃永すぎた春﹄︱ 14︶拙稿﹁性規範からの逸脱としての﹃純白の夜﹄﹃恋の都﹄﹃女

二〇一一年十一月︶ 編小説﹂︵﹃ジェンダー研究︵東海ジェンダー研究所︶﹄ 1950年代の女性誌を飾った三島由紀夫の長 別を経験しながらも︑弁護士の力を借りて単身で離婚にこぎ着 律相談欄のような要素を持ち合わせていた︒愛人の裏切りや死 的手続きや心構えなどを具体的に読者に示す︑離婚に関する法

ける主人公・栄子の姿は︑家制度のもとで夫に忍従せざるをえ

なかった戦前の︿良妻﹀の在り方を否定する︑新憲法下の解放

された女性像を表象する可能性もあったのである︒しかしその描き方の不徹底と︑話題性とは裏腹の小説そのものの不振ゆえ

に︑結局ヒロインはそうした表象たり得なかったと言える︒

ともあれ︑いかにそうした質の中間小説だったにせよ︑大岡

の仕事の総体を知るうえで︑その仔細を把握することは決して無意味な作業ではないだろう︒本論の最初のほうで述べたよう

に︑﹁よろめき﹂ブームの中で映画化もされた﹃雌花﹄は︑﹃武蔵野夫人﹄をつぐ大岡の代表的な姦通小説と見なされていた時期もあったからだ︒また︑とくに﹃雌花﹄の﹁失敗﹂を形作る前半と後半の主題分裂が︑やがて女性読者向けとして︑推理小説

の試みは一九五九年の﹃夜の触手﹄の連載へ︑法律レクチャー的な試みは一九六一年から翌年までの﹃若草物語﹄の連載へと結実していくことを想起するなら尚更である︒本稿を端緒とし

て︑今後さらに大岡の女性読者向けの連載小説の分析を通し

て︑大岡文学の従来可視化されてこなかった側面に光を当てて

いければと考える︒

注︵

1︶﹃婦人公論﹄一九五六年十二月号︑

246頁

2︶毎日新聞社編﹃読書世論調査

跡︱﹄︵毎日新聞社︑一九七七年︶ 30年︱戦後日本人の心の軌

(14)

http://www1.mhlw.go.jp/toukei/rikon_8/repo1.html︵二〇一八年八月二十日閲覧︶

人公論﹄一九五五年十一月号︶  27︶真野さよ﹁離婚は女の勲章︵特集新しい結婚の形態︶﹂︵﹃婦

130

133頁

人公論﹄一九五六年八月号︶ 28︶大岡昇平﹁愛情の結晶作用︱スタンダールの﹃恋愛論﹄﹂︵﹃婦

55頁

29︶﹃婦人公論﹄一九五七年三月号︑

190頁

30︶﹃婦人公論﹄一九五七年五月号︑

189

190頁

31︶﹃婦人公論﹄一九五七年七月号︑

328頁

32︶川島武宜﹁女性のための法律相談︵

︵﹃婦人公論﹄一九五七年五月号︶  5︶離婚と妻の立場﹂ 178

179頁

 33︶そうした活動報告として︑﹁グループ便り沖縄支部﹂

︵一九五七年四月号︶

 330頁︑﹁グループ便り竹の子会︵水戸︶﹂

︵同年五月号︶

302

前︶ 303  頁︑﹁グループ便りしるべ会︵岐阜︶﹂︵同  308頁︑﹁グループ便り長岡支部﹂︵同年六月号︶

314頁︑﹁グ ループ便り  葵グループ︵岡崎︶﹂︵同年十一月号︶

326頁がある︒

34︶﹃婦人公論﹄一九五七年六月号︑

160頁

35︶同右︑

161

162頁

36︶﹃婦人公論﹄一九五七年八月号︑

187頁

37︶川島・前掲︑

181頁

38︶﹃婦人公論﹄一九五七年九月号︑

201頁

39︶同右︑

201頁

40︶﹃婦人公論﹄一九五七年十二月号︑

358頁

41︶﹁婦人のひろば﹂︵同右︶

314頁

一九五七年十二月二十日︶八面  42︶宇井酢計﹁大波小波調子を落した作品﹂︵﹃東京新聞﹄

 43︶吉田凞生﹁解説大岡昇平における推理と戦争﹂︵﹃大岡昇平 ︵

史︶﹂︵﹃世界﹄一九八三年三月︶ 15︶大岡昇平・埴谷雄高﹁﹁武蔵野夫人﹂のころ︵二つの同時代

374・ 384頁

年十二月︶ 由と純潔︵特集﹁愛と純潔のモラル﹂︶﹂︵﹃婦人公論﹄一九五〇  16︶たとえば石川達三・眞杉静枝・山本杉﹁座談会愛情の自

38

47頁︒

17︶大岡・埴谷・前掲︑

384頁

18︶﹃決定版三島由紀夫全集

38巻﹄︵新潮社︑二〇〇四年︶

275頁

19︶﹃婦人公論﹄一九五七年十月号︑

321頁

20︶﹃婦人公論﹄一九五七年一月号︑

77

78頁

21︶﹃婦人公論﹄一九五七年一月号︑

80頁

年︶ 22︶松田ふみ子編﹃婦人公論の五十年﹄︵中央公論社︑一九六五 187頁

号︶ 23︶穂積重遠﹁離婚読本︵下︶﹂︵﹃婦人公論﹄一九五〇年十一月 88

89頁︒こうした穗積の視点は︑現在でも一定の妥当性

をもつようだ︒たとえば小谷朋弘﹁終戦直後の離婚紛争の増加と社会統制︱離婚動向の法社会学的解読﹂︵﹃広島法学﹄二〇〇七年十月︶によれば︑戦後の協議離婚が事実上︑従来

の﹁追い出し離婚﹂という問題を温存したままだったという限界性がありつつも︑少なくとも裁判離婚においては新憲法の両性の平等原則に基づいて﹁夫婦間の不平等から平等へ﹂とい

う大改革が行われたとされる︒同論文で小谷もまた離婚法改正と姦通罪廃止を接続的に把捉している︒

人公論﹄一九五〇年十一月号︶  24︶古谷綱武﹁夫を捨てる妻たち︵特集夫婦生活の危機︶﹂︵﹃婦

72

73頁

公論﹄一九五〇年十二月号︶ 25︶﹁愛読者の声︱特集﹃夫婦生活の危機﹄に寄せて︱﹂︵﹃婦人

75頁

26︶厚生労働省﹁離婚の年次推移︵﹁離婚に関する統計﹂︶﹂

(15)

全集 5﹄筑摩書房︑一九九五年︶

719

720頁

項︶﹂︵﹃新潮﹄一九五八年二月号︶︒引用は﹃大岡昇平全集  44︶大岡昇平﹁作家の日記第二回︵一九五七年十二月十七日の

14﹄

︵筑摩書房︑一九九六年︶

308

309頁より︒

45︶﹃婦人公論﹄一九五七年十二月号︑

203頁

46︶﹃婦人公論﹄一九五七年五月号︑

194頁

*﹃雌花﹄の引用は初出誌に拠る︒引用文中の﹁/﹂は改行を表わす︒

*本稿は︑日本近代文学会秋季大会︵二〇一六年十月一六日  於福岡大学︶での口頭発表に基づく︒会場でご教示を賜りました方々

に深謝申し上げます︒

*本稿は︑科研費基盤研究︵C︶﹁大岡昇平と女性読者の関係につい

ての総合的研究﹂︵課題番号15K02258︶の研究成果の一部である︒

︵たけうち  かよ︑本学准教授︶

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